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はてなキーワード: ヒンドゥー教とは

2017-10-13

宗教には関わらない方がいいのでは

フェイトgoパールバディーがヒンドゥー教から苦情を受けた

サーヴァントは召し使いという意味だし、イラストはまるでベリーダンサーだし、そら信者から嫌がられるのも無理はない

神社擬人化はポシャり仏擬人化は苦情を受け

日本人からすれば信仰とか宗教とかよくわからない感覚だろうし、元ネタに使うのはそろそろやめた方がいいのでは

2017-06-29

航空会社ストレステスト

社会的リソースは有限であるという事実を踏まえて、航空会社事前連絡なしでも(またはすれば)受け入れなければならないとどこまで線引きできるのか。

グラデーションはあるにせよ、ここまでは当然という判断は何に依るのか。

※思い付き順不同

2017-06-18

https://anond.hatelabo.jp/20170618211635

キリスト教は良いぞ。

良いところ

金銭問題嫉妬感情などが大体解決する。正確に言うと、人生を辛く感じても絶望に陥らずに済むようになる。

欧米における2000年以上の議論の蓄積があるため、現代人が信仰を持つときにぶつかる問題特に合理主義科学)と宗教との対立」がほぼ克服されており、受け入れやすい。

・同様に、とにかく蓄積が多いため、人生でぶつかる問題結婚病気貧乏嫉妬)のあらゆる点についての先人の議論に、キリスト教を通じて触れることができる。

・本による習得がある程度可能なので、教会に行くことに抵抗がある人でもしっかりとした信仰を持つことができる(そのためカルトにも引っかかりにくい)。

西洋文学映画歴史がよく分かるようになる(というかキリスト教理解なしに文学ヨーロッパ史の勉強は無理じゃないかとも思う)。さら勉強を進めるとアメリカ政治なんかも分かってくる。

悪いところ

仏教ヒンドゥー教に比べれば勉強簡単だが、それでもやはり難解。教会に行く場合聖書購読にある程度参加し、行かない場合には注釈書を数冊読まないといけない。その意味ではインテリ向けとも言えそう。

・↑と関連するが、ある程度勉強が進むと周囲がバカに見えて仕方がなくなることがある。そもそも他人と違う価値観で生きることになるため、どうしても軋轢が多くなる。ただこれはどの宗教も一緒かもね。

テレビを観ていてイライラすることが多くなる。特に金融業者のCMを観ると嫌悪感でいっぱいになる。

2017-06-12

ヒンドゥー教って組織的でもないし教義バラバラ

多神教自由でいいなーって思ってたけど

教徒改宗したらカースト制度の一番下になるって読んで

クソかよって思った

2016-11-28

http://anond.hatelabo.jp/20161127082710

他の方も挙げておられますけど、まず思いついたのが神林長平かなあ。

言葉が我々を規定しているのではないか」みたいな感じの事が結構テーマになってることが多くって、タイトルもまんまの「言葉使い師」とか。

あとちょうどこのあいだ「猶予の月」を読み終えました。

どれも面白いんだけど、神林しおり嬢いうところのみんな分からずに読んでるんじゃねーかみたいな感じもちょっとあったり…。

あとちょっと違うかもですけど、ハインラインの「輪廻の蛇」とか。

ネタバレになりそうなので控えめに書きますけど、ループモノで自分自分を…みたいなの。

短編集の一作品なんですが、他の作品はいわゆるSFじゃないのも入ってます

他、思考実験じゃないけど気に入ってもらえるかも、な作品をあげていくと、

夢枕獏の「上弦の月を食べる獅子」(ヒンドゥー教イメージとかをモチーフに取り入れてて、サンサーラナーガ2やったことあるならあのイメージです。)

山田正紀の「チョウたちの時間」(ちょっとエンタメ寄り?果しなき流れの果に、に影響受けたと思しき時間モノです。面白いんだけど今絶版っぽい…)

2016-10-26

「1000年以上前の本で」ってエントリ建てた者ですが

ブクマたくさんついてて驚きました。ありがとうございます

更新するたびにコメントを書き直してる人とかも居て、みんな真心から勧めてくれてるんだなぁ、と。

ちなみに、1000年以上前の本で何かあるかなと考えたら、老荘三国志しかかばなくて、そういや西洋だとどんなんがあるんだろう、と思ってエントリを建てました。中国の本を除いて~ってのはそんな理由です。

んで建てた後に、そういやあの書き方だと中東の本とかも来そうだな~と思ってたら、まさかヒンドゥー教の本が並んで笑った。

仕方ないんで岩波の『バガヴァッド・ギーター』とその訳者による解説(『バガヴァッド・ギーターの世界』)を買ってきて今読んでます

戦争を前にして悩む勇士を、神が鼓舞するって設定からして面白い

あと聖書を挙げてる人が多くて驚きました。聖書はそれ自体面白いんだけど、理解できると西洋小説哲学がぐっと分かりやすくなるのがいいところ。

ドストエフスキー星の王子さまカミュなどなど...。

あと興味を引いたのはキケロ老年について』。じじいになる前にに読んでおけとのことなので読みます

『自省録』は何だか難しそう・・・。

2016-06-29

日本大金持ちが3,40歳結婚するがイスラムでは

普通人間もできる。ヒンドゥー教地域も。

ISに入ってしま人間が多いのはそのせいかもな。

2016-06-25

反移民感情については難しい問題ですね。

私は肌の色などの外見に基づく差別絶対に許せないと言い切れますが、宗教生活様式が原因である場合には「差別だ」と切って捨てられないものがある。

宗教表現の自由と同じく、その自由が他の基本的人権侵害する場合もあるので。

極端な話、神の為の生贄を必要とする宗教当事者が納得していたからといって受け入れていいものかという。

ヒンドゥー教カースト制やイスラム一夫多妻制はたとえ当事者が納得していたとしても、近代国家の下での基本的人権には反するものではないか

2016-04-22

カルト総本山洗脳されかけた話

5,6年前のこと、母は頭がおかしかった。

「こうするだけで体の痛みがなくなるの」と、自身の膝に手を近づけてブツブツと念じていた。Mr.マリック画像検索するとたくさん出てくるまさに画像通りのポーズ

Mr.マリックさんは多分関与していません)

ある日「ちょっと参加するだけでいいから。じゃないと今月のお小遣いナシよ」と脅迫され半ば強引に車に乗せられた。

(当時高校生バイトはできずお小遣いけが生きる糧でした。)

向かったのは、母がその素晴らしいパワーを授かったという新興カルト総本山。中のホールには老若男女100人以上がいた。

このイベント信者家族、知人をとにかく1人連れてこさせる、新規信者勧誘セミナーだった。信者候補生は会場前段、信者が後段にそれぞれ50人ずつ席を用意されていた。この時、母の友人のおばさん(Aさん)と知り合った。共通の友人に連れられたと言い、隣で「ほんとにそんなすごい事あるのかしらね~」と笑っていた。

壇上にキャリアウーマン風のオバサンが現れた。このオバサンこそが教祖様だった。

そして長々とした挨拶が始まった。「私どもは、宗教でもカルトでも御座いません。ただみなさんにこの力を手にして頂いて、西洋医術に頼ることないより良い生活を送って頂きたいだけなんです。」

から知ったが、力を得るには講習料70万ほどが必要

とある地域療養所を作る計画が御座いましたが、地域住民の方々に『カルトは来るな!』と反対され計画は頓挫しました。」

絶対に笑ってはいけないカルト教団24時か。

そして宇宙の真理やらキリスト教ユダヤ教ヒンドゥー教仏教の神々の話やら、やたら広大な話が始まった。宇宙の真理という単語を持ち出す奴にロクな奴はいないと断言できる。

次に、信者の喜びの声発表会となった。

信者10人ほど壇上に上がり、一人ずつ素晴らしいエピソードを語っていった。生まれつきのアトピーが完治したと涙ながらに語る中年男性。神経性脱毛症が緩和された女子中学生腰痛から救われ、人生も明るくなったと言う母。周りの信者候補生たちの表情も変わり始めていた。

その後は治癒体験会が行われ、信者信者候補生が二人でペアを組んだ。

「皆さん今から始めてください!痛みを吹き飛ばしてください!」と言われ、母がどこか痛いところはない?とルンルンで聞いてきた。ただ、自分は至極健康体でケガも無く、仕方なく「肩が痛いかも」と言っておいた。クソ真面目な顔でパワーを送る母と、何も起きない肩。

仕方なく「治った気がする」と苦笑いした。

全員が一通り治療し終わると

「じゃあ、こちらの列の方から良くなった!という人は手をあげてくださいね」と言われた。まさかと思ったが、喜びの挙手がつぎつぎと起こり列の全員が手を挙げた。また次の列も、その次の列も笑顔で挙手している。それを見て心底ゾッとした。

もう全員洗脳されてしまったのか。自分異端になるのが怖くて恐る恐る手を挙げた。

この場の99%という圧倒的マジョリティに対してなす術がなかった。

周り全員が敵になってしまった。おかしいのは自分なのかと気が狂いそうになり、いっそのことマジョリティになってしまえば楽になれる気がした。

そのとき自分を救ったのは尿意だったかもしれない。

全部で3時間ほどセミナーが続き、その間1度も休憩がなく会場に閉じ込められており、尿意マックスに達していた。

自分異端だと責める思いと、尿意脳内でせめぎ合い、結果として尿意が勝った。

とりあえずトイレ行かせろやアホ!と強気になることができた。

セミナー終了時には、信者候補生からスタンディングオベーションが起こった。Aさんも「感動したわ~すごいわねぇ」と笑顔になっていた。

終了後、即トイレに向かった。

帰宅して小遣いをゲットし、「あんもの信じてるなんてキチガイか」と大口論に発展した。現在母にそのカルトの事を尋ねるととぼけるようになった。

今は水素水ねずみ講にハマっている。

尿意 is GOD.

2016-03-26

[] 印相

印相(いんそう、いんぞう)は、ヒンドゥー教及び仏教用語で、両手で示すジェスチャーによって、ある意味象徴的に

表現するものである。印契(いんげい)、あるいは単に印(いん)とも。

サンスクリット語ムドラー(मुद्रा、mudraa)の漢訳であり、本来は「封印」「印章」などを意味する。

主に仏像が両手で示す象徴的なジェスチャーのことを指す。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%B0%E7%9B%B8

2016-02-10

英紙は、ベッキー性差別とするならもっとしっかりと報道して欲しい

ベッキーと同じ女性としての目線から物を申したい。

海外人間がわかっていない重大な事実がある。

それは、ベッキー攻撃しているのは他でもない同性である女性だということだ。

例えばイスラム教ヒンドゥー教の国では、女性を穢れたものとして罰するのは男性たちの役目だ。

外国の反応を見る限り、ベッキーの一件も同様に考えているように思える。

しか日本は違うんだ。

過去女性タレントの貞操問題を掘り返してみても、彼女らを社会的に追い詰めているのはすべて女性たちだ。

あのアイドルが丸坊主にしたのだって男性から被害者を演じることで同性の攻撃回避しただけにすぎないんだ。

もちろん女性全員がそういう考え方を持っているわけではない。

でも、一部の女性からの強烈な攻撃が集中することで社会がそう対応せざるを得ない状況に陥ってしまっているのが現実だ。

すくなくとも、わたし観測範囲ではベッキーに同情する男性はいれども、非難する男性は皆無だった。

今回の件において、ベッキーが許されることが男女平等と取るか、それともゲスが罰せられることが男女平等とるかはとてもデリケート問題だ。

おそらく、男性側はベッキーが許されればいいと考えるし、女性ゲスも罰せられるべきだと考えることだろう。

この違いこそに、日本が抱える性差別根本的な問題があるのだ。

男性諸君は、なぜ女性ベッキー攻撃するかを考えたことがあるだろうか。なぜ自分たちベッキーを許せると思えるかを考えたことがあるだろうか。

それは、女性は抑圧されていることが当然なのに、男性は抑圧されないことが当然な世の中だからだ。

女性貞操観念大事にし、一途に尽くすことこそが美徳として教えこまれているのに対し、男性にはそんな教育なんてない。

せいぜい浮気ダメくらいなもので、その裏では多数の女性モテることがステータスとまでいわれるきらいさえある。

こんな下らない美徳と、レイプされた女性がムチ打ちにあうような美徳とどこに違いがあるというのだ。

そんな美徳に抑圧されているからこそ、禁忌を犯した人間を責めることで自らの境遇肯定するのだ。

まりこれは、性差別が生み出した先にある同性間の差別なんだ。

そのことを紐解かなくては、日本における性差別の闇を暴くことはできない。

正直に言うとわたしおっさんだ。だけど、心は乙女からわかる。

これから本当の意味日本性差別ない国になりたいと願うなら、おっさんにわかるはずがないだなんてそんなつまらないことで性差別しないでほしい。

日本性差別助長しているのは、他でもない日本人女性が大切だと信じている美徳に原因があるのだ。

2015-12-29

自分がオッサンであることに耐えられない

ダメだ。

外見パッとしないし、イマイチな見てくれをネタにするヲタトークもできないし、リア充にも非リアにも転べない。

彼女? いないよ。

童貞? そうだよ。

オッサン? もちろんだよ。

タイで性転換する時間とカネはないし、ノンホル女装できる顔と体格じゃないし、ホルモン投与の辛さには耐えられないだろうし、もうオッサン一択しかない。正月受精レベルの怒りを老父母にぶつけようと思う。

女がダメなら魅力的な男。……素敵なオジサマ。そう、それだよ。無理だよ。

外交的性格とか、センスとか、言葉遣いとか、地頭の良さとか、先天的、あるいは自分では選べない環境に大きく依存する因子ばかりじゃないか。

ヒンドゥー教改宗しよう。来世に期待しよう。菩提寺にある墓は無縁墓に合祀。年明けからクライマックスだ。

でも、私はお腹弱いんだよな。ガンジス川沐浴したら間違いなくコレラ死ぬよ。カルマ落とす前に命落とすよ。

やっぱ魔法少女しかないか(大晦日有明で私と握手!)

2015-06-25

ダメJKコンテンツ力には勝てない

本日、街を歩いていたらですね、鮮やかな青色ブラジャーをした女子高生エンカウントしたのですよ。

国技キメたわけじゃないですよ。白のブラウスからいっきり透けて見えたんです。

よほど自分コンテンツ力に自信があるんでしょうね……

また、女友達からビッチ扱いされない程度の処世術というか、コミュ力もあるのでしょう。

アウターに響かないシームレスのブラ、キャミソール、上からカーディガンなんていう安牌を選ばない彼女は実にアグレッシブです。

他方、私はオッサン・チビハゲデブの、ヘレン・ケラーも驚く四重苦ですよ。

もう彼女を見ているだけで自尊心がメリメリと削られましたね。

ちゃんと大学生協で毎月メンズ・ノンノを買っていれば、私の悲惨人生も変わっていたのかもしれません。

……もう遅いわ。

脂肪吸引して、シークレットブーツ履いて、ヅラ被って、タイで性転換しても青ブラJKには勝てそうにありません。

来世でワンチャン期待できるヒンドゥー教は肌に合わなかったので、親鸞に一縷の望みを託したいと思います

浄土真宗の寺で得度して極楽浄土目指します。

南無阿弥陀仏って一回唱えるだけでいいんだぜ? うっほほ~い!(氏にたい)

2013-04-03

http://anond.hatelabo.jp/20130403172958

住吉さんの豊穣祭って踏歌神事ってやつかな?

中国の唐から伝わった宮廷行事」らしいけど? これを古神道日本独自の文化と捉えていいものだろうか。

またある一部の神社処女信仰があったとしても、日本全体、全ての神社で共通の認識があったとは言えないよね。あくまでも「一部にはそういう信仰もあった」というレベルじゃない?

男根神、女淫神に仏教、というか密教さらに遡ればヒンドゥー教の影響があったことは想像にかたくないけど、全ての男根女淫信仰がそれに由来してるというのも乱暴じゃないかな。土偶などを見れば、かなり昔から地母神信仰があったことは想像できる。

あと脱線だけど、神事衣装や舞の白拍子が、その後遊女のものになった、ってのは皮肉は話だね。

2011-09-21

http://anond.hatelabo.jp/20110921141419

「オバサンという消費スタイル」という概念がそもそもパラダイムシフトになってないんスよ。

という話ではあった。

オバサンというチョイスだとこれこれこういう事になるからダメなんじゃね、誰も安らかにオバサンになれねーだろ、という感じ。

ダメ」の根拠が全部今のパラダイムから検討なんだもん。

宗教の中にいる人に教義を離れた大きな枠組みを検討させるのは簡単じゃないもんだけど。

マダムとかギャグジョークの感じでしょ。艶女とか消えたし、消えてなくてもパラダイムシフトではないしね。「女子」の亜種。

ほら、出てくる検討ってこれでしょ。

君も言ってるように全部「女子」の亜種。

「オバサン」ではない。

「オバサン」は死の世界、という女子至上教義からミリも踏み出して無いとこで考えてるから

結論は女子至上教義の枠内に収まるに決まってるよ。

「乗らなかったらメディアのブームに乗れなくなるじゃん」というよりは、「乗らないという選択をスタイル創出という形式で取るとか無理じゃね」的な。

だって例えば「ワタシスタイル」とか試しに言った瞬間にもうなんか臭いっしょ。

脱構築せよ」という話に対して

君の一案は「ワタシスタイル」というきわめて既存雑誌メディアの文法やセンスに忠実なもの

からそこから出ろということを再三述べてるからここで1から繰り返さない。


明らかに同じ土地に居ないし同じもん食ってないっしょw 絶対昼飯かぶらない自信があるぞww

「毎食そのへんの犬を捕まえる部〇です

「お昼にイルカを採る太地です

ぐらいの人でないなら差なんかない。

日本の中での君の個性や個人差なんてその程度のもんだ。

それを「スタイル」がのして均そうとする圧力が不快なのでは?

女子しかない超ストリクトスタイルに慣らされて従順な人が

他の多様な可能性に圧力を感じるだの不快だのというのは理屈の通らない話だよ。

今のスタイルに慣らされすぎてる脳の形までそうなっちまってるだけだ。

変化が不安不快というアレ。

雑誌がいい加減ブームを作り出せなくて売上ヤバくて迷走してるってのはあると思う。

でも全てを「女子」におしこめるどうこうってのは意味が判らないな。

からないだろう?

もう骨身に食い込んでてその異様さどころか存在すら自分の目には入らないからだよ。

>30台以降をずっと目をつぶって生きていくような恐怖の人生が女に与えられている。

>目を開けて降りるには死の覚悟を要する。

いや同種の恐怖はオッサンにもあるんじゃねw

ハゲたら終わり」的なそういう形かな? それとも「リストラ=もう自殺しかない」とかの方向か。

全然違う。

から毛がなくなったら尼か坊主でない限り不便に決まってるし、

安定収入が絶たれたら辛いのは当たり前だ。

これはスタイルから降りる降りないって話じゃあないよね。

探してもそんな不出来な例しか挙げられないのはつまりそういうことだ。


「そこから降りると死にそうな心地がする」のは

女子概念のというよりはスタイルというもの宿命から、幅を拡げれば解決するってもんでもないのでは。

いや、「オバサン」というだけで死の覚悟が必要になるのは「女子」至上教義独自のものだね。

大変厳しい無茶のある教義を誇っている。

その風合いは一信徒である君の発言からもいくらでも拾える、こんな感じ。

オバサンって「失った人」ってことでしょ。

ある意味不治の病と似てる

ガン患者

覚悟するくらいしかテがない

こわい



これは構造で言えば過酷宗教に似ている。

オバサンは死と地獄世界

しか地獄世界が現世に現れる構造になっているから死後の没落で脅すよりある意味えぐい


やめればいいじゃん、で代替も出さんでそれはひどい。「オバサン」は新パラダイムにならへんで。単なるコインの裏っかわ。

君がオバサンに地獄しか見出せないのは

今まだ女子至上教義の観点からしかオバサンを検討できないからだよ。

オバサンがコインのうらっかわなんじゃなくて、君がオバサンを「女子の裏」としてしか見られないだけ。


だいたい言われるまでもなく採用してない人はとっくに採用してない。

そして採用することで幸福になるか、少なくとも不幸にはならない人間はそのパラダイムを捨てない。

これも違う。

命数の尽きた構造から抜け出せない人や

自分にあわないパラダイムに抑圧されて従順な人というのはいくらでもいる。

特に変わり目にはね。

新しいパラダイムどころかその予感にすら怯えて攻撃したりする。


どうでもいいけどヒンドゥー教捨てて仏教に改宗すると何かメリットあんの?

ヒンドゥーの中で被差別階級生まれな人にはメリットだらけだね。


女子至上教は生まれの差別がなく

全員生誕30年も経てば地獄が迫りながら地獄に目をつぶる苦行地獄(君の言葉で言えば全員がん患者

っちゅー教義となってるから

平等進歩的ではあるかもしれないよ。

そうなんだよねw

http://anond.hatelabo.jp/20110921114931

この認識が既に「女子至上パラダイム」だ。

パラダイムシフトをしろって話に既存パラダイムから批判を加えるのは無意味

「オバサンという消費スタイル」という概念がそもそもパラダイムシフトになってないんスよ。

という話ではあった。

オバサンというチョイスだとこれこれこういう事になるからダメなんじゃね、誰も安らかにオバサンになれねーだろ、という感じ。

でも「じゃあ何つーの?」って言われると詰まるんだよね。

マダムとかギャグジョークの感じでしょ。艶女とか消えたし、消えてなくてもパラダイムシフトではないしね。「女子」の亜種。

「そういうものに乗る以外のライフスタイルは思いつかないの?」という話に

「乗らなかったら、メディアのブームに乗れなくなるじゃん!」というのは答としてトートロジーになっている。

「そういうものに乗る以外のライフスタイル」っていうのは個人が作るしかない、つーかライフスタイル」とか言っちゃう時点でアウトなんじゃね? という話。

「乗らなかったらメディアのブームに乗れなくなるじゃん」というよりは、「乗らないという選択をスタイル創出という形式で取るとか無理じゃね」的な。

だって例えば「ワタシスタイル」とか試しに言った瞬間にもうなんか臭いっしょ。絶対一時期どっかの雑誌で載ってたっしょこれ。

スタイルって要はパターンの集合で、ワタシもパターンの集合ではあるんだけど、要素の数と種類がスタイルの比じゃない。そもそも収まるわけがねーんだもん。

同じ島で同じもん食ってる我々の差異なんてたいしたことはない。

その程度の差異が過大に感じるのは画一化した「スタイル」に慣らされすぎている証拠だ。

それでも別にいいが、今提供されてる「スタイル」は狭すぎるし出来がよくない。

意味が判らねえww

明らかに同じ土地に居ないし同じもん食ってないっしょw 絶対昼飯かぶらない自信があるぞww

同じものを見てもいないし聞いてもいない。

それを「スタイル」がのして均そうとする圧力が不快なのでは?

雑誌諸悪の根源だと言うのはそのとおり。

うまく支配してるならそれでいいけど

明らかに無能な奴らがそのノーアイデアゆえに、

全てを「女子」におしこめようという横着をしている。

雑誌がいい加減ブームを作り出せなくて売上ヤバくて迷走してるってのはあると思う。

でも全てを「女子」におしこめるどうこうってのは意味が判らないな。

30台以降をずっと目をつぶって生きていくような恐怖の人生が女に与えられている。

目を開けて降りるには死の覚悟を要する。

いや同種の恐怖はオッサンにもあるんじゃねw

ハゲたら終わり」的なそういう形かな? それとも「リストラ=もう自殺しかない」とかの方向か。

「そこから降りると死にそうな心地がする」のは「女子概念のというよりはスタイルというもの宿命から、幅を拡げれば解決するってもんでもないのでは。

そのパラダイムは不出来で不幸せからそろそろ採用するのをやめればいいじゃん、と言っている。

やめればいいじゃん、で代替も出さんでそれはひどい。「オバサン」は新パラダイムにならへんで。単なるコインの裏っかわ。

だいたい言われるまでもなく採用してない人はとっくに採用してない。

そして採用することで幸福になるか、少なくとも不幸にはならない人間はそのパラダイムを捨てない。

理想としてはもっとガンガン乗り換えとか二股とか利くようにすべきだと思う。不幸になるから捨てて終わりとかじゃなくて。

二頭並んで爆走する馬の背に両足かけて仁王立ちってレベルかそれ以上までやれるべきだと思う。


どうでもいいけどヒンドゥー教捨てて仏教に改宗すると何かメリットあんの?

wikipedia見たら人の一生は苦であり輪廻ン中で永遠に苦しむとか書いてあるけど。

http://anond.hatelabo.jp/20110921111120

オバサンって「失った人」ってことでしょ。

新しい世代、新しい文化、新しい潮流がどんどん出てくるけど、

その渦中に居ない自分、渦中にいたけりゃ乗り込んでいかなきゃならない自分として発見されるのが「オバサン」でしょ。

この認識が既に「女子至上パラダイム」だ。

パラダイムシフトをしろって話に既存パラダイムから批判を加えるのは無意味


新しい世代、新しい文化、新しい潮流がどんどん出てくるけど、

その渦中に居ない自分、渦中にいたけりゃ乗り込んで

いかなきゃならない自分として発見されるのが「オバサン」でしょ。

君が言ってるのは明らかに

新しい世代=20代までの世代

新しい文化20代までの世代向け文化

新しい潮流=20代までの世代のブーム

であって、更に言えばただのメディアの旗振りだ。


「そういうものに乗る以外のライフスタイルは思いつかないの?」という話に

「乗らなかったら、メディアのブームに乗れなくなるじゃん!」というのは答としてトートロジーになっている。


でも無理だよ。個人差が大きすぎて消費「スタイル」に落とし込みようがないでしょそんなの。

個人に差があるのが当たり前だし、同じ島で同じもん食ってる我々の差異なんてたいしたことはない。

その程度の差異が過大に感じるのは画一化した「スタイル」に慣らされすぎている証拠だ。

それでも別にいいが、今提供されてる「スタイル」は狭すぎるし出来がよくない。


雑誌特に女性向けファッション誌なんて基本的に何かの渦中に巻き込んでとにかく商品に接させてそこで生じた欲望を使って人を振りまわすためのツールでしょ?

どう考えても「オバサン」スタイル構築して文化として根付かせるよりも、オバサン敵視して反オバサンに人を走らせる方に向いてるよ。

まり高齢女子を発生させる方向に。

雑誌諸悪の根源だと言うのはそのとおり。

うまく支配してるならそれでいいけど

明らかに無能な奴らがそのノーアイデアゆえに、

全てを「女子」におしこめようという横着をしている。


綻びの多い無能な支配にいつまでついていくのか、という話だよ。



話がずれるけど、事前にちょっとずつ欲望を整理するのに失敗したタイプの高齢女子が、己の「オバサン」化に直面したその時には覚悟するくらいしかテがないという事実がこわい。

ある意味不治の病と似てる。心安らかにガン患者になれるやつなんてどんだけいるんだ?

つうか、そもそもそういう覚悟を煽る雑誌なんて原理的に作れないんじゃね?

君も最初に披露したような「女子以外は終わり・死」という横着なパラダイムのせいで

30台以降をずっと目をつぶって生きていくような恐怖の人生が女に与えられている。

目を開けて降りるには死の覚悟を要する。


そのパラダイムは不出来で不幸せからそろそろ採用するのをやめればいいじゃん、と言っている。

既存パラダイムに漬かった視線から行う反論には意味が無い。


別のものにたとえるなら

「ハリジャンとして虐げられるだけの一生を送るぐらいなら、ヒンドゥー教捨てて仏教徒になれば?」って提案に

ヒンドゥー教では教えを捨てると地獄に落ちるんだ」って反論するようなもの

その考えの枠組みを替えたら?と言ってる。

2010-11-18

http://anond.hatelabo.jp/20101118114542

コミュニケーションとればみんな仲良くなんて幻想ですよね。

それは、いままでの経験則として否定したい。

相互にコミュニケーションがきちんと取れれば、衝突は無くなるよ。

ただ、イラン人とコミュニケーション取る歳には、シーア派スンニ派の違いって分かる?と突如言われても、

正統カリフの問題が初端であり、名目上そこで争ってはいるが、イラン問題においてはむしろ地位的不均衡が背後にある。

という事を理解して、衝突を回避するには何を解決すべきかという自分なりの考えを持っていないとコミュニケーションとはいえ無いって事。

相互理解だからね。

ヒンドゥー教徒に牛食うなといわれたら、ヒンドゥー教徒にとって牛が神聖であることを理解していること、

日本では牛がどういう扱いかを話した上で、じゃぁ、お前の前では食わないようにするわという譲歩を取ればいい。

相手にも、コミュニケーション能力があれば、そこで衝突は回避される。

ただ、イラク戦争開始時に、神田古本屋巡って専門書買い漁ってとか趣味で出来る人間じゃないと厳しいだろうなとは思う。

2010-09-28

南京大虐殺はすべきだったし、朝鮮人強制連行はすべきだった。

南京大虐殺はすべきだったし、朝鮮人強制連行はすべきだった。

俺は今まで日本植民地支配は人道的で、インフラ整備や現地人のために教育を施したり、素晴らしいものだったと錯覚していた。でも、最近ニュースを見ていると、どうやらその方法は間違っていたということに気がついた。欧米列強の猿真似をして、植民地支配をするなら、徹底的にそういうことも真似するべきだったんだ。

日本は和をもって尊しとなすと言うけれど、その方法で支配をした国なんてほとんど知らない。野蛮人を手なずけるなら、最初に徹底的に主従関係をはっきりさせ、反抗する気がなくなるくらいいじめ倒してやらないとダメだ。下手に絶滅寸前のハングルを掘り起こして教育をしたばっかりに、猿に知恵がついてあることないこと吹聴される。そんなことなら本当に歴史を全て書きかえてやればよかったんだ。南京大虐殺だって、下手に中国人を生かしているから謝罪と賠償を要求される。あのとき皆殺しにしておけば今こんな事にはならなかったんじゃないかな。

アフリカ人は欧米に反抗しようなんて思わないし、実際身内の争いでそれどころじゃない。アジア日本が支配した時に、平和じゃなくて身内同士の軋轢を残す政策をすればよかったんだ。具体的に言うと、インドの支配は本当に素晴しいと思う。アーリア人は現地人を奴隷アンタッチャブルに置いて、ヒンドゥー教という強い理由づけを強いた。前世の業のせいだと本人たちは信じきっているし、アンタッチャブルはその中でお互いを見下しあって、ほんの最近まで身分の差に疑いを持つことなんてなかったんだ。今だってそうだ。そんなのが1000年以上続いてる。士農工商の下に設けた身分のように、植民地政策をしている国の人々はそういう身分に置くべきだったんだ。もちろん、今の台湾人みたいに、日本の統治を良かったと言ってくれる人も少なくないけど、あることないこと言われるどころか、無いことばっかり言われて、それにお金を払う事になるなら、最初からそういう事をしておけばよかったと思う。

ナショナルジオグラフィックでやってる「犬の気持ちわかります」でも言っているように、犬と人間最初上下関係をはっきりさせないと、飼い主にも犬にも不幸な結果を招く。犬は犬らしく育ててやらないと勘違いして飼い主にかみつくんだ。

2010-09-26

ゴメンメモ用紙がなかったから一時的にコピペさせてもらう。後で消す。

ttp://bipblog.com/archives/1006525.html

インド映画小説日本の侘び寂びと同じような

「navrasa(9つの情緒)」という文学価値観に基づいてるんだよ。

一言で言えば、喜怒哀楽全部入ってないと芸術価値はない。

しかし映画時間の制約がある。

だから登場人物の生い立ちや、人間関係の細やかな変化とか、

言語化できない部分を歌+映像ではしょって抽象的に表現する

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カースト制度については

カーストは決して古いものではなく、ヴェーダの時代も、イスラームが侵入してきた時も、

英国統治時代でも、その時代時代で常に変容し新しくなってたし、現在でもなってる。

問題の本質カーストではない。

カースト」が無くなれば、また新しい言葉概念を引っ張り出して新種の差別を生むだけ。

今のインドでは留保制度という被差別層の逆差別問題が事をややこしくしてる。

あと日本世界史の授業での「カースト」の扱い方にはかなり問題がある。

限られた授業時間で扱うには複雑過ぎることは理解できるけど、

そもそも教員自身の理解が浅くて、それがインドに対するステレオタイプを助長させてる。

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ガンジーさんに関する評価は、日本インドでは正反対と言っていい。

独立後から主流な評価は、

「建国の父という功績は揺ぎ無いが、工業化を阻んだ時代錯誤の石頭で、

パキスタンの分離独立を許し国家安全保障を半世紀以上脅かす契機を作った大馬鹿野郎」

という扱い。

ネルー

五カ年計画の頓挫、農地改革後回し、

ヒンディー語なり英語なり統一共通語ゴリ押ししなかった言語政策での失敗、

結果として失敗に終わったソ連寄りの社会政策

駄目な点は色々あるけど独立インドでは最も評価されてる政治家

個人的に一番の功績はインド文系トップ大学のJNU作ったことだと思う。

獄中で書いた「インド発見」を読んで、ネルーさんの民主主義への情熱がひしひしと伝わってきた。

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スラムドッグミリオネアについて

世界的に流行ったのは

世界インドに関して無知だからだと思う。

違和感のあるディテールが積み重なって、インド人的にはあまりにも不自然過ぎるし、

「いかにも外国人インドに持ってそうなイメージに合わせました」臭がプンプン。

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日本の支援で作ったデリー地下鉄エスカレーター

サリー巻き込みガードがついてるのを見たときは感動した。

インド人もみんなあれを褒めてる。

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八重洲南口にある「ダバ・インディア

日本インド料理屋で本当に美味しいと思ったのはこの一軒だけ。

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遠藤周作 深い河について

インド人として脳味噌空にして読めば「いつものステレオタイプだなー」という感想しか出ないけど、

登場人物の心情を投影するためにたまたま題材として選ばれた一装置と割りって考えると、いい作品

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先の戦争、というとインド人にとっては

パキスタンからのバングラデシュ独立に絡んだ第三次印パ戦争(1971)になるんだけど、

当然ながら経験した世代がバリバリ現役で記憶も鮮烈。

でも近代史インド人の意識の上で重要体験は、第二次印パ戦争(1965)と独立直後の印パ分離独立

朝鮮半島政治イデオロギー国家が分断されたけど、印パは宗教

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地域階層にもよるけど、未婚男女の性交がバレたら

確率で本人同士もしくは双方の家族の血が流れる。

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インド人に渡すお土産のひとつ柿の種加えてみてください。

その際、魚介類エキスが原材料に入ってる事だけは絶対事前に説明していたけたら

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インド独善かもしれないが、インド人は

「ガタガタ抜かすパキスタンさえいなければ、バングラデシュインドに再編入して

貧困の痛み分けして助けてやれるのに」と考えてる。

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基礎研究ボッコボコ

それに対する悲観論と、その裏返しとしてエンジニアリングに対する過剰な地震と両極端。

自分純粋技術的な話題に言及する知識を持ちあわせてないけど、ナノに関しても同じ議論。

「走る棺桶」と声高に罵る人と、枯れた技術を応用し高コストパフォーマンスを生み出す能力

世界随一と賞賛して反論を許さない人たちとの罵り合い。

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一般的に日本人イメージする常時ターバンインド人は、

人口比約3%を占めるスィク教徒の人。

蛇のとぐろっぽい形のターバン巻いてる人は宗教とは無関係で、ラージャスターンの人。

アメリカ在住に多いのはスィク教徒で、パンジャーブ出身の人。

1980年代ハリヤーナー州がパンジャーブ州から独立しようとして、

パンジャーブの治安が著しく悪化した時期に、米国に移住したパンジャービーがすごく多い。

(インディラ・ガンジーはこの独立問題が原因で暗殺された)

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インドではゴロゴロ宝石採れるから、本物の石が日本円で数百円~という信じがたい値段。

で、家族健康とか金運等の目的とその人の星座の位置との兼ね合いで切な石が決まる。

それを指輪ネックレスに加工して男女を問わず身につけてお守りにする。

なので、宝石屋の近所を見渡すと星占い屋がすぐ見つかったり、

宝石屋店内に星占いソフトインスコされたPCが置いてあったりする。

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インド人からみた日本宗教日本は土着のアニミズム仏教習合

儒教科挙制度が無かったから儒教権力が結びつかずに、知識人一教養の枠を出なかった。

儒教文化の背景として色濃く根付いてるのはむしろ中韓

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家族解体を嘆いてる。

『「欝は誰でもなる」「虐待だめ」「イジメ駄目」そういった標語を

全部「家族仲良くする方法考えよう」に一本化すればウザイぐらいの効果を発揮する。

犯罪虐待、すべてはパパとママが互いを尊敬する気持ちを忘れ、

罵り合ってる姿を見た子供が大人になり引き起こす』

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時代の分析で一番重要な前提は、インドにとっての独立パキスタンの分離独立

すなわち国家分断によるパキスタンとの資産の接収権の係争、

それと数千万単位で発生した難民の扱いが最重要課題だったので、英国大戦云々どころでは無かったこと。

日本人韓国ほかアジア各国への賠償問題と印パ英国比較する際に、これを見落としてる人が恐らく相当いるんではないかと。

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インド独立当初から非同盟主義っていうことで

一貫してオンリーワンさせてもらってます。

日本に対しては、プッっていうか「あ~……」という落胆

インドの望みは当時も今も一貫して、米国西欧の側でもない、共産主義でもない、

民主主義(←これ重要)で非同盟主義の強いリーダー

それに一番近いのが日本だった。

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日本リーダーを選ぶのが下手だし、選ばれたリーダーシステムを劇的に改革するだけのパワがー無い。

しかし逆説的に言えば、ショボショボなリーダーでも驚くほど安定して機能するシステムの堅牢さは奇跡

トップの采配如きでシステムが劇的に変わってしまうようでは、法治国家としてどうなのか?

と考えた時に、笑うどころか、日本システムからはまだまだ大いに学ぶ所はある。

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インド人には「何事も見た目から入る」という国民性があって、

例えばヒンドゥー教徒からキリスト教徒に改修すると

昨日まではシャンカルと名乗ってた人が今日からはトーマスといったように、

名前まで変えてしまうのが普通

[外見]と[中身]を結ぶ思考経路の距離がべらぼうに短いので、

肌色、服装、靴といった外見で人をするのはごく自然な行為であると同時に、

例え身につけた外見が背伸びの結果の付け焼刃であっても、

一度身につけたからにはその外見にふさわしい中身を身につける為に途方も無いエネルギーを費やし、

その為の努力を惜しまない。

つまり、先に高い目標を設定→急ピッチで追いつき、というパターン

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将来、インド人と日本人の心に溝が生まれるとすれば、

宗教と生活の兼ね合い、食事習慣(料理そのものではなくて)、オタ文化への理解

この3つ。

ーーーーーーーーー

イギリスインドに謝罪した事はありません。そして謝罪や賠償を求めるような教育も行ってません。

その理由は、法に照らした結果インド支配のプロセス違法な点は無く、英国支配によってインド資産が失われたことを

立証できず、賠償を請求できないというのがひとつ

同様に、インド帝国として英国戦争に付き合わされインド資産が失われたプロセスにも、何ら違法な点がなく、

これもまた賠償を請求できないというのがひとつ

つまり要求する権利が無いのに賠償よこせ!と促す教育をは、そもそも無意味

理由2つ目。インド英国から独立するために、英国保護が無くても民主主義と法の適正手続を守り抜くと

国際社会約束する必要がありました。すなわち法的根拠をもたない賠償請求を行う=法の適正手続に反することは

悲願であった独立と、インド人の目指す民主主義国家としての理念と矛盾する行為であったのです。

勿論インド道義的責任を追求したり、言いたいことは色々あったでしょうが、法をねじ曲げて頂戴する賠償と、

恥じることのない民主主義国家として、国際社会から敬意をもって受け入れられる事を天秤にかけた結果、

インド国民後者を選びました。

理由3つ目。理由1&2に加え、>>492にも書いた通り分離独立の大混乱で、

英国責任を追求する余裕が無かった

いまインド教育が成すべきことは、賠償要求よりも、その器の涵養だということです。

2009-10-23

遅くなってごめん。

http://anond.hatelabo.jp/20091011030744http://anond.hatelabo.jp/20091011033130です

http://anond.hatelabo.jp/20091011140528

気持ち悪い偽善、というのはわかるけれど、この考え方はそもそも他の生命犠牲なしには生きていけないという事実に対して感じてしまった罪悪感を軽減させるためのものでしょう。

もとの罪悪感がないところで服用されると副作用がでちゃう薬のようなものだと思う。

菜食主義者とかに対して、侮蔑を振りまくような人達を想定していた。

個人的に罪悪感を感じてそれを低減させるためにそういう考え方をとっていて、他人を攻撃しない人のことは考えてなかった。

言われてみるとそういう人にはいちいち嫌悪感を感じないかも。

http://anond.hatelabo.jp/20091011203011

横から悪いけど、そんなこと言い出したら、犬や猿を食べる民族だっているわけだからね。特に犬を食べる民族はすぐお隣にいるわけだが、君はそれを否定するわけか?

何でそんなことを自分に言うわけ?意味が理解できない。

だいたい、知能が本当に重要なら、知能が相対的に高いとされる豚や牛よりも、相対的に低いとされる猫を食った方がいいということになる。でも、向こうの連中は「猫を食うのは野蛮人」だと思ってるわけで、そこでもまた破綻してるんだよ。

向こうの連中って誰?色々な意見を一まとめにして矛盾とか言ってもしょうがないよ。

俺からすれば「人道的な屠殺」という偽善の方がよっぽどおぞましい。

要するにこれは西洋風の信仰人間動物を獲って食っても構わないが、同時によき支配者・管理者たるべし、)と、東洋風の信仰植物動物問わず生き物を殺すことは本来は罪である、殺してしか生きられない業の重さをかみしめよ)の対立の問題なわけよ。だから、どっちが正しいなんて決められないし、決めるべきでもない。お互いを尊重して口を挟まないことが重要。でないと、ヒンドゥー教徒が「牛を食うな」とか、ムスリムが「豚を食うな」と言って介入してきてますます収拾がつかなくなるよ。

こっちはちゃんと私の意見への批判だね。

要するにこれは西洋風の信仰人間動物を獲って食っても構わないが、同時によき支配者・管理者たるべし、)と、東洋風の信仰植物動物問わず生き物を殺すことは本来は罪である、殺してしか生きられない業の重さをかみしめよ)の対立の問題なわけよ。

いや自分西洋人ではないんだけど、西洋風の発想と言われてもな。

東洋ってどこの東洋?まず前近代日本は違う。伝統仏教的にも動物植物は区別されてて、そのために(動物を殺さない植物だけ使った)精進料理なんてものができたわけだし、前近代日本では仏教的な発想のせいで肉食は抑制されていたよ。

中国についてはちょっと調べてみないとわからない。インドについては伝統仏教的な考え方のルーツで、基本的に慈悲の対象として想定されるのは動物で、植物は例外的。イスラーム動物愛護的な発想がある(審判の日に、人間に殺された動物自分の殺害の不当性等を、神の前で訴えると言うハディース)が、植物の権利って話は聞かない。

あなたの言う東洋ってのは、あなたの脳内東洋でないかな。

俺からすれば「人道的な屠殺」という偽善の方がよっぽどおぞましい。

何がおぞましいのかよくわからない。西洋的だから?

罪を自覚すると言いながら、動物苦痛を低減させることさえ厭う、自称「罪の意識」の方がおぞましい。一種の自慰行為だよね。

他人を見下すための「罪の意識」って何の役に立つの?

だから、どっちが正しいなんて決められないし、決めるべきでもない。お互いを尊重して口を挟まないことが重要

でないと、ヒンドゥー教徒が「牛を食うな」とか、ムスリムが「豚を食うな」と言って介入してきてますます収拾がつかなくなるよ。

西洋東洋の対立って話自体があなたの妄想だし、現実的にお互いに口を挟まないなんて事は不可能。

ヒンドゥーが聖なる動物について「牛を食うな」はともかく、ムスリムがただの宗教禁忌に過ぎない「豚を食うな」を押し付けてくるなんてわけがないじゃん。

http://anond.hatelabo.jp/20091011163548

ベジタリアンがアウトともセーフとも言ってないよ。ベジタリアンにはその反論は無効だと言ってるだけで。

http://anond.hatelabo.jp/20091011203305

個人的にはベジタリアン叩きの方ばっかりよく見るんだが。

http://anond.hatelabo.jp/20091011204130

自分を含むたいていの人にとって、DNAかどうかってあまり関係ないと思う。

人間と区別できない社会精神を持った宇宙人と遭遇したとして、その宇宙人が遺伝を担う物質DNAが使われてなかったとしても、その宇宙人を犬やネコより人間扱いするだろうさ。

http://anond.hatelabo.jp/20091011205224

血縁淘汰は別に近い種に価値を置くものじゃない。だから”DNA”の知恵とは関係ないよ。

親子が50パーセント血縁ってのは、子のDNAと親ののDNAが50パーセント一致するって意味じゃない。

2009-10-11

http://anond.hatelabo.jp/20091011033130

横から悪いけど、そんなこと言い出したら、犬や猿を食べる民族だっているわけだからね。特に犬を食べる民族はすぐお隣にいるわけだが、君はそれを否定するわけか?

前のオリンピックワールドカップのときに犬食レストランは営業停止させられたり自粛させられたりということがあったわけだが、どう考えても西洋人の傲慢だろう?

だいたい、知能が本当に重要なら、知能が相対的に高いとされる豚や牛よりも、相対的に低いとされる猫を食った方がいいということになる。でも、向こうの連中は「猫を食うのは野蛮人」だと思ってるわけで、そこでもまた破綻してるんだよ。

でも「食べられた命に感謝してる自分」とか「業を背負って生きる自分」とかに酔ってる偽善は気持ち悪い。

その感謝だの業の自覚だのが牛や豚にとって何の意味があるわけ?お百姓さんや漁師さんに感謝ならわかるんだけどさ。

俺からすれば「人道的な屠殺」という偽善の方がよっぽどおぞましい。

要するにこれは西洋風の信仰人間動物を獲って食っても構わないが、同時によき支配者・管理者たるべし、)と、東洋風の信仰植物動物問わず生き物を殺すことは本来は罪である、殺してしか生きられない業の重さをかみしめよ)の対立の問題なわけよ。だから、どっちが正しいなんて決められないし、決めるべきでもない。お互いを尊重して口を挟まないことが重要。でないと、ヒンドゥー教徒が「牛を食うな」とか、ムスリムが「豚を食うな」と言って介入してきてますます収拾がつかなくなるよ。

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