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はてなキーワード: 読書感想文とは

2020-05-28

腐女子と夢女子の発生機序の違い

思い付かなかったので大仰なタイトルにしてしまったが、大した話ではない。

日頃疑問に思っていることがあったのだがひょんな会話から糸口が掴めたというだけの話。

私はあまり女子素養がない腐女子で、夢小説全般が苦手だと自己分析していたが若干違うような気がしてきたので脳内整理を兼ねてつらつらと書く。

pixiv小説デイリーランキング夢小説が席巻するようになって数年。

ジャンルは変われどその勢いは衰えない。

苦手意識故にあまり読むことはないがたまにランキングを眺めてみることもある。

そうすると主人公以外の夢作品ランクインしていることに気付いた。

そこで過去を振り返って考えてみると夢が苦手なのではなくオリキャラの登場比率が高い二次創作が苦手なのだという結論にたどり着いた。

ここからゲーム(特にソシャゲ)ジャンル二次創作に絞って話を進めていく。

から主人公プレイヤー自身というゲームはあるが、ソシャゲの隆盛で主人公の外見が定まっていないゲームが生まれた。

ゲーム主人公絡みの二次創作を楽しむ上で、恐らく私の中では主人公の外見が定まっているかどうかが重要な要素なんだと思う。

根本的に夢女子素養がないというか、登場キャラクター自分好意を持たれるというシチュエーションに耐性がない。主人公の外見が定まっていれば主人公自分分身ではなく独立したキャラクターと捉えられるので主人公絡みの恋愛作品も楽しめる。

公式で外見が設定されていなくても、二次創作作品内で外見の描写があれば自分ではないと思って楽しめる。主人公一人称視点漫画とかは苦手かもしれない。

自分不在の物語を楽しみたいのだ。自分物語の外側にいる観測者でありたい。

そして主人公ゲームの登場キャラクターの良さを引き立たせる存在と見なしている。言ってしまえば舞台装置の一つだ。

そうなると主人公以外のオリキャラメイン作品違和感を感じてしまう。失礼な表現申し訳ないが、オリキャラは完成された物語世界に介入する異物のように見える。少なくとも主人公物語構成する要素として公式定義されているからだ。

本題に入る。

小学生の子持ちの知人の愚痴を聞くことがあった。読書感想文課題に苦戦しているという。登場人物言動に対してすごいという一言感想を終わらせてしまう語彙力を嘆いていた。

愚痴は続く。その本の中では挫折した主人公に友人が声を掛けて励ますというシーンがあって、知人は自分の子供にもし自分がこの友人ならば主人公にどのような言葉を言うか聞いてみた。すると子供は作中で友人が既に声掛けしているか自分はいいと答えたそうだ。知人は子供共感性のなさを嘆いていたが私は少し違うと思った。自分もその子供と同じように物語を読むからだ。物語で起きた出来事自分の中に取り込んで共感はできても、物語世界自分がいることは想像しづらい。物語の流れは決まっているのに自分言動が介入した結果、起こりうる変化を想像するのは難しいのだ。

知人は苦労することな自身物語内に送り込んで主人公に掛ける言葉を思案するだろう。物語に向き合う姿勢にも種類がある。

物語を外から見る人、内から見る人。

話が飛躍するのはわかっているが腐女子と夢女子に通じるものがあるのではないかと思ってしまった。

これだけで腐女子と夢女子を分類するのは強引すぎるが、元々人によって物語の読み解き方が違うということに気付けてよかった。

オチが弱くてすみません

お読みいただきありがとうございました。

[追記]

このサービスを使うのも文章投稿するのも初めてだったので反応を頂けて驚いています

様々な視点からコメントを読んで考えさせられると共に、自分文章が下手なせいで上手く意図が伝えられてないと反省するところも多かったです。勉強になります

上手く書けなさそうなので本題に入る前に削除した文章がありました。簡単に書きます

自分はどうしてもオリキャラを異物と思ってしまうが、夢女子の方々はどのタイミングオリキャラ妄想をするのだろう

しか自分腐女子なので普通に楽しんでいるつもりでも男同士でくそデカ感情をぶつけ合ってると脳内さらりとカップリング変換してしまときがある

→この腐女子の性というか癖のようなものが夢女子の方々にもあるのではないだろうか

ぼんやり考えているとき読書感想文の件がありました。そもそも普通に読むときも二種類の読み方というか視点があって、腐女子と夢女子入り口は分かれているのかもと思った次第です。

それとコメントを受けて色々思い返していましたが、登場人物共感して読書感想文書いたり、国語の授業で登場人物気持ちを答えたりはしていたと思います。ただそれはあくま課題試験のためであって、それらから解放された現在において物語を読むとき客観的に読むことが多いような気がします。

また没入感がすごい据え置きゲームにはまっていたときはおじさん主人公自分状態でめちゃくちゃ楽しんでいました。自分のせいでキャラクターが死んだときなんかは大層落ち込みました。評価されるのを避けているという指摘は最もで自分でも言語化できていないところだったので大変ありがたいですが、媒体にもよるのかなぁという言い訳です。ゲーム能動的な娯楽で読書受動的な娯楽とカテゴライズしているので比べるのも変な話ですが。

また話がとっ散らかってしまってすみませんブクマコメントありがとうございました。

2020-05-23

感情移入ってなんだよ

映画レビューとか見てると「感情移入できた/できなかった」のが作品評価する上で重要指標とする人が一定数いるのだけどそもそも感情移入って何? 

登場人物の行動原理とか感情機微共感して「わかるううううううううう」みたいになるやつ?

それとも没入しすぎて鑑賞している自己登場人物が溶け合って区別がつかんくなるような感覚

で、そうだとしてそれが作品芸術的価値みたいなのを決定づける要因になるの?

つか誰よこの感情移入がどうこうみたいなモノサシを一般化させたのって。

夏休み読書感想文か?

え、みんな普通に感情移入」みたいな状況、理解できてるもんなの?

感情移入した作品キャラか知らんけどそういうのあったら教えて欲しい。

2020-05-13

増田がちょいちょい伸びるのってなんかの才能?

1020個に一個くらいの割合ホッテントリ入る

たぶんもっと打率が高い人はいくらでもいるだろうけど、俺は生産スピードの速さに自信がある あと地味に嘘をほとんど書いてないのも誇りだ

ホッテントリに二つ、新着エントリに1つ自分増田を送り込んで悦に入ってたこともあるくらいだ

文才は我ながら全然ないと思う ガキの頃は読書感想文とか作文が本当に嫌いで泣きそうになりながら書いていた

ってことは何か優れてるとしたらテーマ発見力みたいなものだと思うんだが、これってなんとかして活かせないだろうか 

(でもTwitterやっててバズったことはほとんどないんだよな そもそもフォロワー増やそうって気持ちがないというのもあるかもしれないが こんな匿名サービスいくらバズってもなんの得にもならない だからこそ良いのかもしれないけど)

伸びる増田コンスタントに書けます!つって有利になる職種ってなんかないかな…

2020-05-01

anond:20200501140726

意見提示するなら確固たる根拠を示してください。

「印象です」は小学生が書く読書感想文「とおもいます」と大差ありません。

自分の短慮さ、怠け癖を「普通」という言葉で包んでごまさないように。

2020-04-20

anond:20200420173655

読書感想文」は日本義務教育独特の単語であって、大抵の諸外国は「ブックレポート」を提出するように求めている。 

ブックレポートで求められているのは、まさに要約が中心だね。

 

日本レポートとか小難しいんでわざと「感想文」にしてあるんだけど、その単語ニュアンスせいで変な配慮まで求められがちだね。

国語が教えるべきなのは要約

ある文章を決められた文字数に収めることを学ばせる

読書感想文なんて小説家にさえ「こんなの俺でも書けない」といわれるんだから

2020-03-13

姉が嫌いだ。

少し前から二次創作なるものをしてたんですね。

イラスト練習したことなかったか文字のほうの。

それで、少し前からちょっとずつ書いてきた作品を先日投稿したんですよ。

今までの作品は4000字とかだったんだけどその作品は1万字を越えて、自分にしては長い文字数書いたな、頑張ったなって思って、どうせなら表紙も作っちゃおうって表紙メーカーで表紙の画像まで作って。

投稿してすぐに50ブックマークを越えて、今までの作品よりもすごいスピードで伸びたなってちょっと嬉しくアプリの通知見てたんですよ。

そんでそのまま寝落ちしちゃって、朝になってスマホの電源落ちてたんで充電して起動したスマホを見たら、通知欄がびっしり埋まってて死ぬほどびっくりした。

自己肯定感が死んでるので何回も作品消したくなって、タスケテ…タスケテ…ってなってたんだけどじわじわと嬉しさも出てきて。

自分で書いたもの評価されるってこんなに嬉しいものなのか。いや二次創作だし自分で書いたものかって言われると微妙かもしれないんだけども。

ありがたいことに二日連続ランキングに入りまして。二日目はランキングの一桁台にあったのを見てひっくり返りそうになったし変な声が出た。

なんでこんなに自己肯定感死んでるんやって思ったときに、人のせいにするのはめちゃくちゃアレなんだけども、今も昔も姉の呪縛にとらわれてるのかもしれないって思って。

たとえば小学生の時。姉が読書感想文だったかなにかで賞を取ったとき自分は一つも賞を取れなくて。

姉はピアノを習っていたけど私は何も習い事をしていなくて。

中学生の時は姉が授業で描いた作品美術室に飾ってあって。自分芸術センスもなくて小学生みたいなものしか描けなくて。

他意はない(と思いたい)のに両親からお姉ちゃんは賞を取った」「お姉ちゃん作品学校に飾られている」って言われて、そのころにはもう劣等感の塊みたいになってて、もうだめだったのかもしれない。

高校に入ったときに、姉を知っている先生から「(姉)の妹か!」って言われて、なんかもうだめだった。自分勝手に姉の呪縛にがんじがらめになっていたのかもしれない。

両親からは「お姉ちゃんと違って自分意見を言わない」「お姉ちゃんは○○したけどあんたはやんないの」って言われて、気が狂いそうだった。

姉が大学進学して、実家を離れても両親の話題は姉姉姉、もしかしたら自分のことも話題にしていたのかもしれないけど、正直覚えてない。

そんで私が就職して、二十数万を姉に貸したまま何の音沙汰もない時期もあって、たまたま見かけた姉のSNSで某テーマパーク画像投稿されているのを見てもうだめだった。私こいつに金貸してるんだよな?というか私の精神だめになりすぎでは?気が狂っているのでよくわからないです。

話が脱線しすぎた気もするけどそんなこんなで、なにかを褒められたとしても「どうせ姉がやったらもっと褒められるんだろうな」ってすべてのことに対して思ってしまって、斜に構えたくそみたいな人間になってしまった。

から今回も「どうせ、」って思って作品を消して逃げ出そうと思ったけど、ほんのちょっとだけ正気に戻ったときに「ここに姉はいない」って至極当然のことを思い出したんですよ。

それから少しずつ、評価されることが嬉しいと思えるようになってきたとき

大阪にいた姉が仕事を辞めて実家に帰ってきた。

パワハラを受けて耐えられなくなったらしい。

うわあ大変だったんだなあと思うのと同じか、それよりも大きい感情だったかもしれない。ざまあみろ、と思ってしまった。最低だ。

でも帰ってきてほしくないとは思っていた。年末年始ゴールデンウィークに帰ってきたとき、だいたい姉が原因でひと悶着もふた悶着も起こっていたから。

姉は私と違って思ったことをすぐに口に出す。いいことも、悪いことも。両親が会話をしていてちょっと喧嘩をしそうな不穏な雰囲気になったとき、いつも私は話題をそらしてその雰囲気ごまかしていた。でも先述した通り姉はそういうことをしないタイプなので火に油を注いでしまう。もちろん、いい雰囲気の時にはもっといい雰囲気になる。姉の存在プラスマイナスが激しくなる感じなのかもしれない。知らんけど。

まーそんで姉の部屋は私の部屋の隣、ふすま一枚隔てたところになったんですけど。姉、喫煙者なのでくっさい。ヤニ臭い。私が吸わない人だからなおのこと気になる。そして夜になるとずっと大声で通話しててうるさい。静かにしゃべるとかではなく、ゲラ笑いやらなにやらがひどい。しかも深夜3時くらいまでしゃべってる。うるさい。まじでうるさい。そして酒を死ぬほど飲む。酒が入ると声がさらに大きくなる。地獄である

自分の金で酒を買うならいいのだが、私が趣味でちびちび買い集めて飲んで楽しんでいる酒にも手を出してきた。断るのってどうやったらいいんだ。自分で買えって言っても今飲みたいって言われるし、あとで買って戻すからって言われても一向に買う気配ないし。

そんな折、両親と言い合いになる出来事があった。

言い合いって言い方もおかしいな。私の反論がへたくそで言われるだけ言われて終了した。

基本的に両親から何か言われるときは「どうせこれこれこういうことなんだろう!違うなら何か反論してみたらどうなんだ!えぇ!?」って感じなので精神よわよわの私は委縮して声が出せなくなってしまう。言い返せる人すごいですね。尊敬します。言い返し方を教えてください。それと心構えも。

案の定今回も声が出なくて、頭の中ではちがう、そんなことはない、って思って一生懸命言葉に表そうとしているときに次の話になって反論できずに終わりました。もうだめだ。

次の話ってのが、母から言われた「お姉ちゃんが家に帰ってきたことどう思う」ってこと。

先述した通り、私は姉に対して異常なまでのコンプレックスを抱えているので今度は涙がボロボロ出てきてしまった。

姉だけが習い事をさせてもらっていたこと。私も習字を習いたいとねだったこともあったけれど取り付く島もなく却下されたこと。

姉だけが大学に進学したこと。私は大学に行く選択肢すらもらえなかったこと。就職しろと言われ続けたこと。

姉が大学卒業して一人暮らしをしているときお金ものの両方で仕送りをしてもらっていたこと。私は一人暮らしすら許してもらえなかったこと。

いろんなものが頭をぐるぐる巡った結果、出てきた答えは「うらやましい」だった。

ここで話は脱線するんですが、うらやましいって言葉あんまりきじゃないんですよ。ずるいって言葉も好きじゃないんですけど。手を伸ばそうとする努力をすれば届くかもしれないのにその努力をしていない状態を表すみたいに感じてしまって。

それでも「うらやましい」って思ってしまったんですよ。あさましいことに。

でも口に出したくないんですよ。嫌いな言葉からしかしほかに言い表す言葉も出てこない。それで言いよどんでいると父から「何か言ったらどうなんだ!こんな簡単質問も答えられないのか!」と怒鳴られ。もしやここは取調室だったのでは?なんて場違いなことを一瞬考えたりもしたけれども、とうとう言ったんですよ。「うらやましい」って。

言った。言ってしまった。あさましい言葉を。言いたくない言葉を。

その言葉を聞いて母は「それは性格が違うから仕方ないんじゃないの」と言った。

決死覚悟で言った言葉は一切伝わっていなかった。そのとたん、すべてどうでもよく思えてきてしまった。

きっとそのうち自殺すると思う。

2020-02-16

anond:20200215222355

共通の本を読んで読書感想文!みたいなテーマ型に誘導したら?それかボランティアサークルに二三回一緒に参加して母親が馴染んだらフェードアウトするとか…。おつかれさま、でも今だけできる親孝行だなとも思うよ。

2020-02-05

ブログのですます調を直したい

ずっと思っていたのだけど、自分ブログのですます調に馴染まない。


アレは広く一般的雑談ブログならいいのかもしれないけれど、

レビューを書いたり、日記を兼ねているような趣味ブログはだ・である調のほうがいいんじゃないか?


特にレビューは胡散臭さが凄い。「です」ばっかりで小学生読書感想文っぽさも出ちゃうし、やっぱりである調のほうがいいんだろうか?



そんな気持ちを抱きつつブログを書き続けて、ついに200記事を超えた。普通これだけ書いたら馴染みそうなもんだけど、いまだに違和感がある。直したほうがいいのかな…200記事書きなおすの面倒くさいな…

2020-01-27

どうして他人作品干渉するんだろう。

読書感想文99枚欠いた人に最後の1枚にだけ口出ししたい人。

ふつうは、最初から・・・とちゅうからときは、すっゲー気を使う。

anond:20200127175633

他人が書いた読書感想文100枚

行書き換えたらコンクール入選

 

ワイのもんやー

2020-01-25

感想を書く資格

「令和になってドラゴンボールを初めて読む人のリアクションまとめ」の記事を読んで、馬鹿愚かでこんな考察も気の利いた文章表現もできない自分は何かの感想を書く資格がないように思った。

思い返せば小学校読書感想文でも担任教師に〇〇の感想クラスで一番つまらいねと返却時に言われる程度のものしか書けないのだし、はてブの面々のように有邪気に嫌いなものを叩くだけのコメントを書くほどの勇気も持てない。

義務教育期間は毎年のように感想文の提出を求められても事前事後の指導もなく。昔の担任一言自分感想を書くべきではないという思いはあったので、機械的感想文に見えるようある種の定型文をパッチワークして無理やり提出していた。

web漫画などは作品コメント欄があるけど、それも怖くて書けない。自分感想を書くのは作者に対して礼を失した行為で望まれないことだという想いが自分の中に根付いてしまっている。

感想を書ける人はどうやって書けるようになったのだろう。

2020-01-19

自由研究ができない子だった

小学校中学校夏休み、どこの学校でも自由研究宿題に課されていたと思う。

私はそれがひときわ苦手だった。

まず、テーマが出てこない。自分が何をやりたいかが出てこないのだ。

出てきたとしても、それは既存実験やら本に記載されたアイデアの焼き直し。

小学校の頃は、親に渋々手伝ってもらって、テーマを一つに固定して行ったことを覚えている。

中学の頃は、統計のような資料を基にしてある種あたりまえのようなことを述べるだけだった。

そしてそのどちらも、テーマに関する考察や疑問が設定できず頭を抱えたものだった。


今になって思えば、ああい課題子供発達障害(の一部)を見分けるために出しているのかもしれないと邪推している。

紋切りや媚びた文章で覆い隠されがちな読書感想文よりも、よっぽど自己発露が試されるからだ。

ちゃん自発的に考えられるか、きちんと疑問を持ち、それに対して解決できる小柱や実験計画できるか。

そういったことを見定めるある種のファクターとして活用できる、もしくはされていると思う。


現在の私は理系の院をなんとか卒業し、企業に勤めている。

ただそれは、研究室時代子供の頃から矯正放棄されていた考え方を改善されたから。

教授や先輩にミッチリしごかれたからこそ、無事論文を提出し、就職できたと思っている。

今でこそ研究テーマ自分から持っていき、質疑や討論を出来るようになったものの、

(たまに重箱の隅をつつくような意味なし質問をしていまうこともあるけれど)

配属当初はアウトプットボロボロすぎて「君はなんのために研究をして学問を学ぶのか」と詰問された程だ。


矯正すれば治るけれど、それに気付かない大人子供も多い。

それを発見するツールとして、自由研究有用だと思える。

私のように大人になって直すよりも、早い内から矯正していけば、本人にとっても周囲にとっても楽だろうし。

本来課題目的に削ぐわない副次的な考えではあるものの、是非ともこの様な活用法をして頂きたいと切に思う。

2020-01-02

[] #82-3「ノンフィクションWWW

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法律ギリギリの苛酷な労働環境杜撰なスケージュル管理などを赤裸々に書いた暴露本は物議を醸しました。

田尾:以前から意識にズレは感じていました。『Mの活劇』は皆で作りあげるものなのに。

菜華役の田尾さんは、暴露本を書いた経緯をそう語りました。

田尾:現場で働くスタッフたちの苦悩を、世間の皆様に知って欲しくて書いたんです。

この出来事に対して、共演者たちは意外にも冷静でした。

津久田:(彼女暴露本を出したことについて)驚きはしませんでしたね。同級生だし、長いこと一緒に仕事をしてる仲でもありますから

増林:あの子はそういうので承認欲求を満たしたり、お金を稼ぎたがるタイプ普段から不満が漏れ出てた。

影田:ちょくちょく講習会なんか開いちゃったり、ニュース番組コメンテーターとして出演したり、「とうとう、そっちに行っちゃうんだ」っていう。

『Mの活劇』チームと、撮影現場雰囲気は良くも悪くも変わりませんでした。

AD現場空気を悪くしてた常習犯彼女(田尾さん)でした。部屋が乾燥してるだとか、ケータリングが気に入らないだとか。テイク数が増えると、露骨に態度に出てくる気難しい人でした。

プロデューサー:本の内容自体、上手く誤魔化してはいるけど極めて恣意的で、要はただの愚痴です。そういう自覚が多少あるからこそ、一般大衆を味方にしようと考えたのでしょう。

ディレクター彼女は某所で意識の高いことをよく言っていますが、本を書いたきっかけは出番が少ないことと、ギャラが減ったことへの当てつけでしょう。そもそも端役だから出番が少ないのは当たり前だし、ギャラが少ないのは彼女が演じるキャラクターの関連商品が売れないからです。

津久田:あの本も、八割がたゴーストライターが書いてるだろうね。あの子学校読書感想文いつも最低評価だったから。


「よし、そろそろ行くか」

最後の一人が蕎麦を食べ終えるのを確認して、俺はおもむろに立ち上がった。

「えー、もう行くの? ドキュメント番組終わってからでもいいじゃん」

「こういう番組は、どうせ最後は前向きなこと言って終わりだ。後はせいぜいVTRを見た人が、それっぽいこと言うぐらいだろう」

皆が上着を着始めているのに、弟はコタツに入ったまま、ぶーたれる。

別に日の出なんて見なくていいんじゃね~?」

日の出を見ることは以前から決まっていたし、そのために俺たちは集まった。

何より、それを真っ先に提案したのは弟だ。

「早めに行かないと混むかもしれないし。どうせ日の出を見るなら、いい場所で見たいだろ?」

そうかもしれないけどさあ、なんか体が動くことを拒否してるんだよ。自分でも上手く説明できないけど、何か医学的な理由があるに違いない」

馬鹿げた主張だが、気持ちは分からなくもない。

真冬の深夜に外出する場合、多少の思い切りが必要とされる。

かいから離れ、寒空の下に身を置くのは簡単ではない。

ここに“コタツから出る”という工程が挟まれば尚更だ。

からといって、容赦するつもりはないが。

「このまま、なあなあにすればワンチャンあると思っているのかもしれないが、言いだしっぺが不参加なんて許さんぞ」

弟は体のほとんどがコタツに取り込まれており、頭以外は露出していない状態だった。

なので俺は、その露出した頭部を無造作に掴んで力を込めた。

そこに身内への慈しみは存在しない。

「ぎゃあっ」

当然、長男腕力次男が勝てるはずもない。

抵抗むなしく弟は引きずり出された。

自分意思で出ていた方が、多少マシだったろうにな」

次 ≫

2019-12-29

anond:20191229052154

人生において他人から感想というものを求められたのは小学校から高校までの読書感想文だけだった気がする

相手がいるというのは幸せなことだよ

2019-12-20

夜勤明けの帰り電車を待つ

現在私は工場勤務で、昼勤夜勤を繰り返す部署にいる。工場の御多分に洩れず、最寄り駅に各駅停車しかまらないような田舎職場があり、住んでいるのも各駅停車しかまらない安さだけが売りのアパートである夜勤場合、いつ終わっても30分は電車を待つ必要がある。

私は、かつてこの30分が嫌いで仕方がなかった。

工場勤務は退屈である。ただ同じ作業を繰り返すのみ。作業をしながら考え事をするか、うるさい環境を利用してそこそこの音量で歌うくらいしか退屈しのぎがない。そんな退屈が終わった後に30分も無為時間を過ごしたくない、早く帰って飯食って酒飲んで寝たい、以外の感情がなかった。

去年の今頃、勤務中退屈しのぎに考えていたことを、30分の退屈しのぎに文章に起こすことを始めた。工場勤務者の御多分に洩れず、私は頭が良くない。私がそれまでに書いた文章なんて、2ページと1行の読書感想文が恐らく最長だろう。四苦八苦しながら、勤務中もどう表現したらいいかを考えて考えて、駅最寄りの喫煙所タバコを吸いながら文章に起こす。あっという間に1000字、2000字くらい書けてしまう。2ページと1行の3倍以上の長さを、なんの苦労もせずに書けてしまうのだ。

かくして私は、この30分を文章を書くためだけに使うようになった。それからというもの、30分のために書くことを見つける、勤務中に考える、実際に書く、という日々を過ごしていた。誰にも見せない、自由に書く文章の楽しさを垣間見しまったのだ。

そして今、初めて他人に読んでもらうことを意識して文章を書いている。

12月初日4月から夜勤のない部署への配置換えが決まった。去年まで待ち望んだ常昼勤務だが、4月以降私は文章を書くことを辞めてしまうかもしれない。そう思うと、誰かに読んでもらいたいという感情が湧き出てきた。

この文章の書き始めが12月2日、夜勤9回=4.5時間かけて、ここまででおよそ800字。奇しくも2ページと1行に近い。誰かに読んでもらいたいと思った瞬間、文章を書くのが非常に難しく感じる。しかし、かつての2ページと1行とは比べ物にならないほど意味のある文章だと自負しているし、何より書いている間、ずっと退屈しなかった。

4月以降、私は文章を書くことを続けているだろうか。それはその時になってみないと分からない。しかし、これだけは言える。

今の私は夜勤明けの電車待ち30分が、たまらなく好きだ。

2019-12-07

太宰治人間失格」を読んだ

主人公のすがすがしいクズっぷりが笑えた。

まさに「人間失格」。

面白い小説ではあったが、これを延々と高校生たちが読書感想文の題材にするのはいかがなものか。

もう少しまともな小説がありそうなものだが。

そもそも文学というのはかくもくだらないものなのか。

高校時代感受性が強すぎてこの作品はまともに読めなかった。

それから数十年経て初めて読めるようになった。

読後感としては、そこまで警戒すべき作品でもなかった気がする。

同じ男として、あそこまで女にモテるのは、正直、妬ましい。

が、この男のクズなところは、女性にここまで愛されても、それを自分幸せには一切役立てることができなかった点だ。

これが文学なら文学というのは本当にくだらないね

太宰治という男もろくでもないと思った。

ポルノやら萌え絵やらを問題視するなら、よほどこんなくだらない小説発禁処分にでもしたほうがいいのではないか

これが名作だの、太宰治文豪だの、イケメンだの持ち上げられている世の中もいかがなものかと思った。

所詮、この世はそんなものかもしれないが。


追記

人間失格」は誠に胸クソ悪いクズオブクズな話であるが、そのクズ度の純度が高いゆえに、反面教師としては利用価値が高い気がしてきた。

この主人公は、物語のあらゆる分岐ポイントで、不幸になる方向に進んでいるので、常にその反対を選択し続ければ幸福になれるということであろう。

この主人公クズであるゆえんは、とにかく人間と一度もまともにコミュニケーションしたことがないという点である

本音を伝え、本音を受け取る」という普通の assertive なコミュニケーションを一度たりともしたことがないのだ。

から本来ならば、この主人公は、人生の重大な分岐点において、その選択にかかわる重要ステークホルダーたちと腹を割って本音を話し合うべきであった。

そうすれば、あんなに風に追い込まれ廃人になることはなかったであろう。

太宰治も当然そのことはよくわかっていて、それでもどうしてもできないので、せめて小説の形で書き残し、後世で反面教師にしてもらおうとしたのかもしれない。

2019-11-01

中途半端

から、何をやっても中途半端

1位じゃなくて2、3位ばっかり。

小学校書き初めは準優勝だった。読書感想文も副賞だった。

徒競走は3位。そんなんばっか。

一応自分なりに練習したり、頑張ってはいるんだけどな。

最近はじめたtiktokは4000いいねが最高。

twtterは繋がりたいのタグでよく伸びて2000。

全部中途半端

嫌になってしまう。

自分なりに努力はしているんだけど、ダメ

ちょっと自分より伸びてるフォロワー達が羨ましい。

そう思ってしま自分が1番嫌いだ。

2019-10-19

宇崎ちゃんは遊びたい!ポスターJOKERとの遠くて近い深い溝

最初に明確にしておくと、肩書発言思想信条は別のものだ。

例えば、ものすごく良い人で会えば皆良く言うのに発言がアレな人なんてのは多い。

そして、とても明晰で仕事も確実で信頼性の高い取引先が、飲みに行くとアレな話をすることも多い。

そして、人はみなスティーブン・キング程には表現が上手ではないので、

「うわヤだな」と思ったことに後から理屈をつけて話す事が多い。少なくとも自分はそうだ。

最初に「宇崎ちゃんは遊びたい!献血ポスター論点を明確にしよう。

まずAからだ。性的ポスターか否かである

端的に言えばその社会集団規範によって異なる。

そのため、時代にも場所にも、宗教観にも左右されうる。

DCコミックスワンダーウーマンは、その物語がある程度北米で共有されているため、特に男性から消費される性の対象として描かれているとはみなされない。

しかし、イスラム圏のポスターワンダーウーマンを描けば非難対象になるだろう。

から、「あのイラストエロいかどうか」は、時と場合による。

つぎにB、宇崎ちゃんを好ましく見る人に届けば良い、そうでない対象外の人は見なければ良い、とする意見である

嫌なら見るな、であり、この論点では難しい筋論が必要になる。

公共ポスターであり、ゾーニングされているわけではないからだ。Bは対象外の人も見えてしまうとする方が自然だろう。

つぎにCだ。知り合いの医療従事者もこの立場だったが「血が足りないのだから手段を問うている場合ではない」。

医療、という場面は特殊なので、十分に争いの余地がある。

外科医はその職責において傷害罪に問われないという点から考えても、一考の余地がある。

待ったなしの局面において、明確に違法でなければ何をしても良いと考える医療従事者は、割といる。

半裸の男性カレンダーが、売上が慈善に繋がる場合かなり好意的に受け止められている。

まり公共性の高さ、公共の福祉というのは、他よりも優先度を上げるという考え方は、社会によっては有り得る。

つぎはDだ。表現自由は、公共ポスターにも適用されうるか

表現不自由展は、「芸術作品表現が、制限される」という点で問題視されていた。

宇崎ちゃんは遊びたい!が、例え半裸のポスターであっても、適切に販売されるなら検閲すべきではない。

問題はそれが、どこまで自由で良いのか、だ。

クリムトウィーン大学向けに描いた作品が論争を引き起こして納品されることが無かったのは有名な話だ。

ポイントは、「作品」ではなく「掲示する場所」だ。争いの余地がある。

つぎにEだ。公共ポスターは、環境セクハラに該当するか。

職場ヌードポスターを貼るのは、環境セクハラに該当する、とされる。

Aの論点において「性的ポスター」であり、Bの論点において「嫌なら見るな」は否、ならば環境セクハラに該当するだろう。

まり性的か否か、対象外の人に見えるか否かが、Eの結論に影響する。

性的ポスターでなければ、該当しない。

性的ポスターであっても、該当の人にだけ見えれば良いという論陣なら、やはり該当しない。

最後にFだ。環境女性に好ましくない状況である中で、それを維持強化して良いかである

これは、「その環境にある、ない」か「強化するか否か明確でない」か「強化はする、強化しない」の論点がある。

強化しない、強化する、いずれも明確に証拠提示するのは、とても困難な作業になる。

女性男性よりも性的に消費されやすいとする証拠もまた、提示が難しい。

よってこれは、「その可能性がある」とする立場で考えるのが一番自然だ。

その場合であるときに、他の論点がどう変化するかが、論点となる。

さて、こうすると、例えば自分立ち位置は、以下となり今回の件はOKという立場だ。

A「性的ポスターである

B「ゾーニングはできていない」

C「医療は許容度が高い」

D「表現自由尊重される」

E「環境セクハラに該当する」

F「女性に不当な性規範が強化される可能性はある」

これは端的に言えば「環境セクハラ女性の不当な扱いを強化する可能性があるが、表現自由に加えて公共の福祉(医療)の方が優先度が高い」とする立場だ。

自分は、全く同じ図案のポスターが「読書感想文全国コンクールポスター」であればNGとする立場だ。

環境セクハラに該当する図案の場合表現自由よりも子供教育環境は優先されるべきと考える。

まり、同じポスターも時と場合によって許容度が違うと考えている。



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さて、長い前フリを読んでくれてありがとう

JOKERは、アーサーという中年男性が、コメディアンになる夢を追いかけ、他人から利用されるだけであることをやめ、自分悲劇喜劇であることに自覚的になる、悲しい物語だ。

JOKERはそのスタッフクレジットも、全体として「喜劇」のフォーマットで作られている。軽やかな曲とともに始まり、明るく楽しげな音楽で終わる。

アーサーは、自分悲劇であることを十分に自覚している。

そしてその悲劇が、喜劇的なエンターテインメントであることを理解している。

アーサーは人を笑わせるコメディアンになりたいのであって、人から笑われるピエロであることは望んでいない。

アーサーは人からはわかりにくい障害を持っている。緊張性の発作のように、自分意志無関係に笑ってしまうのだ。

劇中には小人症の人物も出てくる。その特性障害)はわかりやすい。それでもソレは笑いのネタにされる。

現代では、小人症の人物揶揄するのは不謹慎だとされるだろう。

同様に、アーサーの症例精神病として一般認知されていれば、当然それについて差別したり揶揄するのは、社会的に許容されない。

社会的に許容されないというのは、そんな現実がない、ということとは明確に異なる。

たぶん、アーサーは、現代でも差別され生きにくさを感じると思う。

もちろん表立ってではないし、合法的になんの問題もない理屈の上で、差別されると思う。

アーサーがJOKERになったゴッサムティと、宇崎ちゃんは遊びたい!献血ポスター掲示される現代は、とても遠くて、実はすごく近い。

そして、予算公共の福祉は、簡単個人の感想を押し潰す。

医療のための緊急避難だと考えている人が多ければ、たぶん遠く、

この程度で文句をつけてくるなよと考える人が多ければ、たぶん近い。

https://anond.hatelabo.jp/20191018190306

2019-10-11

Twitter適応できなかったオタクの行く末

オタクにとってTwitterヲタ活動の必需品であるTwitterは凄い。クリエイターに直に感想を送れるし、同志が良いツイートを回してきてくれる。凄い。時間無限に欲しくなる。

でも、俺はTwitterを使いこなせなかった。FFから失礼できなかった。FFでもふぁぼするだけの関係になってしまった。どうでもいい呟きが並び続けるノイジータイムラインを眺められなかった。絵や漫画に付くリツイートとふぁぼを同時押しするイラストイライラした。そのくせ自分から発信できるコンテンツも無かった。

なんだこれ、Twitterやらなくていいじゃん、俺…

結局俺は気になる人のツイートとか、追ってる作品ハッシュタグとmin_faves:100とか付けた検索結果を他ツールに通知させてるだけで満足してしまった。俺にとってTwitter二次創作作品収集するだけの検索エンジンとなり、そこに会話は無かった。

Twitter本拠地としないオタクも勿論居る。ブログをコツコツ書く人も居れば、掲示板に住み着いてる人も居る。彼らは彼らで凄いと思う。媒体は違えど発信が出来る人種なのだ。俺も彼らになろうとしたが、やはり駄目だった。というか、やはり発信ができない人種は、媒体に限らず発信ができないのだ。嗚呼

話が逸れすぎている。もちろん俺は今の状況が良いと思ってない。作品を見て、二次創作感想を漁って、自己完結する事はそれなりに楽しい。でもやはり発信したくなるのがオタクの性なのだろう。それゆえTwitter適応できないのがイライラするような、心が沈むような感じがするのだ。

さて、Twitterで発信できないなら、やはり挑戦するべきはブログだろう。なぜ俺は発信できないのか?それは単純で、まともな感想文が書けないからだ。Twitterでなら気軽に「ここすき」と鳴き声の如く書いていただろうが、俺はFFから引用RTも出来ない人間なのでここで八方塞がりだ。残念。

感想文を書くことは、それはそれは難しいことだ。夏休み読書感想文のことではない。あれは文字数を稼げばいい文章宿題だろう。俺が言いたいのは、作品を見て感じた、ときめきや尊さを表現することはとても難しいってことだ。加えて作品のどこに感動したか、それを書こうとすると作品のあらすじがうまく説明できないときた。表現したい気持ちはある。でも自身表現も、ストーリー纏める技術もまったく追いついてこないのだ。これに悩んで感想文は完成文にはならない。途中でゴミ箱行きになる。

感想文をしっかり書く技術が欲しい。しかし何を鍛えればいいかも分からずとりあえず感想を書き、捨て、書き、捨てている。そんな苦悩を心の片隅に感じつつ、今日自己完結するオタクとして過ごしている。

2019-10-09

小説を書くこと、絵を描けないこと

「字なんて誰でも書ける、絵は描けない」

「絵が描けないか小説を書いている」

痛いほどわかる。

すごくすごくわかる。

だって絵が描けたら小説なんてたぶん書いてない。

これは謙遜自虐でもなんでもなく、事実だ。

だって文章はある一定レベル教養があれば誰だって書ける。

日本教育の賜物なのか、識字率はほぼ100パーセント

いままでテストの回答や読書感想文私たちはどれだけの文章を書いてきたのか、どれだけの文章を読んできたのか、もうわからない。

それだけの積み重ねがあるからほとんど誰でも文章を書ける。

それが面白いかそうじゃないかは知らんが、日本人が読んで意味理解できる文章は書けるでしょ。

少なくともTwitterをやってる人たちならね。

では絵は?

絵を描く機会、文章を書く機会と比べてどれくらいあった?

ほとんどの人は図工の時間美術時間、後せいぜいノートの端っこの落書きくらい。

でもクラスに数人はいる、絵を描くのが大好きで、何度も何度も白いページを埋めてきた人たち。

そりゃ上手くなる。たとえ描いてるその時上手くなくたって。

私は絵を描けるようになりたくて高校の時にほぼ0の状態からワンドロめちゃくちゃ描いてみたりしたけど上手く描けない自分に嫌気がさしてやめちゃった。ずっと続けてたら今は見れるレベルの絵が描けるようになってたのかな。それはわからないけれど。

絵も文章もみんな何度も繰り返し繰り返し書いたり描いたりしてきたから、今上手になったんだよなぁ。

ただ文章は書ける人が圧倒的に多くて、絵はそれに比べると少ない。そういう話。必修じゃないから。

あれ、なにを言いたいんだっけ。本題とか何も考えずに書いてた。本題、なんだっけ。

ま、文章書けるって言ってもセンスの違いとかあるよね。「日本語として読める」文を書くことと「面白い」文を書くことってハードルの高さ相当違うわけで。

面白くない文章はその辺にいっぱい転がってる。この文章もそう。

でも誰かが、義務でもないのに、最後まで読んでくれる文章を書けたなら、それは誇っていい。人に興味を持たせる文章を書くことに成功しているのだから

たとえ文章を書く能力を持っている人が沢山いて、自分がその中の小さなさな一人だったとしてもそれは────ここまで書いてさ、文章書くの飽きたわ。ごめん。

最後まで完結させられる人、天才だよ。えらい。最後まで書けない人、多いよ。私みたいにね。

でもここまで読んでくれてる人がいるってことが、この文章が人の感情マイナスプラスかに1ミリくらい動かしてるって証明よ。

この文章を読むことは決して強制されたことではない、ここまで読んだ人はみんな能動的に読んでる。

すごいよね。私天才じゃない?自己肯定感高めてこうな!

最後まで読んでくれてありがとね!閉廷!

2019-10-05

懸賞金付きで読書感想文募集するキャンペーン問題点ってなに?

https://twitter.com/SHINCHOSHA_PR/status/1180023713581809664?s=20

この新潮社キャンペーンに対するネガティブな反応が、

潔癖症の読者だけじゃなくて出版関係者からも出ていることにわたし理解が追い付かない。

本の帯とか解説とかネット宣伝によくある「〇〇先生絶賛!」みたいな推薦文の中にも

仕事か付き合いで仕方なく書いたんだろな~」とか思わず邪推しちゃようなものは前からあったじゃん。

それらと今回のキャンペーンとは本質的に何が違うんだろう。

自分たちが今までやっていた役割を、他の人に奪われた気持ちになっているのかな。(これはわたしがひねくれ過ぎ?)

他にもアマゾンやらせレビューと関連付けている人もいるけれど、

まるでお金目的の見当はずれな感想しかまらないって

最初から決めつけてそうな所もなんか納得がいかない。

寄せられた感想文の中から作品を読んだ上でまともに書かれた感想文を見つけ出すくらいは

出版社の人なら出来るとわたしは思うんだけれど。

なにが原因で業界の人まで怒っているのか本当に分からない。

わたしの考えに何が足りてないのか誰か教えてほしい。

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