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はてなキーワード: 読書感想文とは

2018-02-15

anond:20180215143648

小3の頃に「読書感想文自分語りに持ち込むと楽チン」と気付いてからあっという間に書ける様になった記憶しかも何故だか高得点を貰えるようになった。今は「自分語り乙」って言われて疎まれる。

小学生のころ400字詰め原稿用紙が埋められなかった

小学校読書感想文を書かされたことあると思うんですけど、皆さんはサクサクかけたタイプですか?

私は本当に苦手で、1枚書くのにすごく苦労した記憶があります

あれから10年以上が過ぎました。

今ではニュース感想はてブに書くわけですが、勢いで200文字くらい書いてしま100文字規制イライラしながら頭ひねって文字を削る毎日です。

規制がなければ300、400文字なんて5分くらいでペロッと書けちゃいます

書きすぎて困る日がやってくるなんて、はてブやってると自分成長したなって思います

2018-02-05

アルコール依存症が増えています、という話

身内にその疑いがある人がいるので独学だけどちょっと調べてた。

そしたらその筋では有名な先生の著書があって読んでたらすごいこと書いてあった。

要約すると

アルコールを飲みすぎて前後不覚になるということは昔からよくあった。

 急激に増加をするようになったのは市民生活レベルが一気に高まった高度成長期から

 しかし当時は父親が飲みすぎて潰れても、家族が家まで連れて帰ったり、汚物を本人が寝ている間に始末してくれていたので表面に出ることはなかった。

 それが現代になり、女性経済力がつき離婚に抵抗感がなくなったことでそうした飲みつぶれた父親ケアをする人が少なくなった。

 飲みすぎて潰れたら妻と子供は世話することなくあっさりと家を出ていってしまう。

 そして残された孤独からまた酒を飲むという男性が増えた。

 だからアルコール依存症現代病と言っていい」

らしい。

いやいや、それ、表に出なかっただけでアルコール依存症増加してないじゃん。受診する人が増えただけじゃんて。

しか女性アルコール依存症については「主婦旦那にかまってもらえなくて寂しくて飲む」くらいしか記述がないし。

権威っつってももう80歳くらいのジジイ先生みたいだし。

本気でそう考えて治療してるならこわいなーと思った。

という読書感想文でした。

2018-02-04

感想」ではなく「手応えのある反応」が欲しい

私はかれこれ15年ほど同人とか二次創作という界隈に身を置いている、しがない字書きだ。

ここ数日、ツイッタータイムラインでやたらと「同人誌の作者に感想を送るべき」だの「感想を送ったところで引き止める理由にはならない」だのと議論されているのを眺めていた。

これは、特に目新しい議題ではないだろう。

学級会と称されて、既に何度となく同人活動に関わっている人たちのツイッターでは話題になっている。

作者視点でも読者視点でも各々数パターン意見傾向があり、いつも泥沼化しており、結論が出ないまま風化し、またふとしたきっかけで議論が行き交っているのだ。

私も二次創作をしている立場であるから、色々と思うところはある。

まず、私が何よりも強く感じているのは、議題テーマを「感想」にするからややこしくなっているのではないか、という点だ。

作者の目線に立てば、感想が欲しい!という意見が大多数だ。当然である

読者の目線に立てば、感想を送るのは難しい!と躊躇する人も多い。理解出来る。

だが、ここで意見が噛み合わない原因は、各々が抱いている「感想」がどのようなものであるのかが食い違っているからのように思えてならない。

読者が想定している「感想」は随分とハードルが高いような気がするのだ。

どの場面のどのキャラクターがどうであったのがどう良かったのか…と読書感想文さながらの「感想」を送らなければ、と身構えている読み手が多いのではないだろうか。

もちろん、そういった感想をいただけるのは嬉しいことであるだろうし、幸せなことだろう。(私は長文の感想はいただいた経験が無いか想像に過ぎないけれども。)

だが、同人作者の大半はそこまでの感想を求めてはいないはず。

ツイッターで「あー!最高の同人誌読んだー!マジ尊すぎてしんどいしんどい以外言えねぇ…」などと呟いたりしているが、その本の感想を作者本人に伝えたことが無いという読み手は割と多いだろう。

要は、その「最高」「しんどい」を一言でもいいし匿名でも全然構わないから作者本人にぶつけてくれると嬉しいな、という話なのだ

文章になっている必要など無いし、「あなたの○○大好きです!今回も最高でした!」で十分であり、その一言が生きる糧となる作者は多い、という話だ。

同人活動をしている描き手(書き手)が作品を公開しているのは、人によって程度に差はあれどレスポンスを期待してのものだ。

何の反応もいらないのであれば、自分ノートなりスケッチブックなりPCなりで創作欲を発散出来ればいい。

そうではなく、見てほしい!読んでほしい!そして私のこの萌え共感してほしい!という気持ちがあるからこそ、作品を公開している。

ポイントは、見て!読んで!だけではなく、何か反応して!という期待を抱いている創作者が大半だという点だ。

これは、同人誌即売会でもピクシブでもツイッターでも個人サイトでも共通している、創作者の欲であり目的なのだ

気持ちを込めて創作した作品を見てもらって、それに対してのポジティブレスポンスが貰えると喜びに繋がり、もっと頑張りたい上手くなりたい更に共感を得たいというやる気に発展するわけである

そのレスポンスとは、長々とした感想だけではない。

コメント欄リプライなどで一言声を掛けるだけでもいい。

ピクシブであればいいねブクマツイッターであればRTいいね個人サイトであればWeb拍手など、必ずしも言葉必要としない手段だってある。

感想」ではなく、この作品を創り出してよかった、描いてよかった、書いてよかった、と作者が感じられるような「手応えのある反応」が欲しいのだ。

イベントであれネット上であれ、素通りは悲しい。

イベント会場で自分のスペース前で立ち止まってくれる人がいない寂しさと、ネットで公開している作品の閲覧数だけがただただ増えていく切なさは、とてもよく似ていると思う。

このジャンルにいてもいいんだ、このCP界隈で自分必要としてくれる人がいるんだ、という安心感が欲しい。

その安心感が、居心地の良さが、創作欲へと繋がっていき、ジャンルCPへの愛着にもなる。逆もまた然り。

あくまで、個人的意見だけれども。

個人的な話ついでに。

はいくつものジャンル渡り歩いてきており、前回までのジャンルはいつも寂しさと孤独を抱えていた。

作品はそれなりに閲覧されているのに反応が全く無かったり、普段は何も反応が無いのに何かちょっとした不備があれば鬼の首を取ったかのように文句だけは長々と叩きつけられたり、SNSイベントで仲良くしてもらっていると思っていた人たちから突然無視をされるという苛めに近いことがあったり。

最終的には心が折れて早々にジャンルから立ち去っても、気にしてくれる人など誰もいなかった。

今いるジャンルは、これまで活動してきた中では一番長い。

ジャンルにはまる時の気持ちの大きさや熱量は同程度で、現在いるのは今までの中で一番マイナーである界隈なのに、なぜ現ジャンルが一番長いのか。

それはきっと、あたたかレスポンスがあるからだと思う。

ジャンルSNSに疲れ切った私は、ピクシブツイッターも退会して個人サイトにひきこもった。

(※創作者としてはアカウントを持っていないが、ROM専用の別名アカウントは持っている)

サイトサーチの運営者様には感謝しているが、正直なところあまり機能はしておらず、ピクシブを利用していた頃と比べれば閲覧数は格段に下がった。

しかし、サイトを訪れてくれる数少ない人たちは、皆さん懸命に「頑張れ!」「頑張れ!」と背中を押してくれる。

長文での感想は、一度もいただいたことが無い。

しかし、定期的にWeb拍手を押してくれたり、何か更新すれば一言掲示板に「新作読みました、面白かったです」と本当に一言だけだけれど書き込んでくれたり、イベントに出れば本を手に取ってくださる時に「いつも読んでます、これからも頑張って」と一言声を掛けてもらえたり。

そのひとつひとつに心から「ありがとう」と思っているし、その感謝が新たな作品を創りたい欲へとなっているし、口下手ではあるがなるべく御礼を伝えている。

頻度は多くなくとも、あたたかく手応えのある反応があるからこそ、私の同人活動は続いているのだ。

からどうか、読み手の方は好きな作者の方へ「手応えのある反応」を贈ってほしい。

それは次の作品を催促しているとかジャンルへ留めておくための手段などではなく、作者の創作魂を殺さないための支えのひとつだ。

同人活動趣味であるから、作者も読者もジャンルから離れることはあるだろうし、それを止めることなど出来ない。

だが、同じものを好きだという気持ちを共有している間は、「作品」と「手応えのある反応」を贈り合うレスポンスループ幸せなのではないかと、私はそう思う。

2018-01-26

文章から年齢

今まで小説あんまり読まないし文章も書くの苦手だったけど

このはてな匿名ダイアリーを知ってから気軽に好きな文章を書くことが増えた。

けれど自分文章を読み返してみるとなんだか小学生の頃書いた読書感想文を思い出す。

もうアラサーだけど、文章みただけで皆この人はこのくらいの年齢なのかなとか

わかるもんなの?

2018-01-25

みんなの図書館の思い出が散見されるので私も書いてみる。

子供の頃は家に絵本がたくさんあって(と言っても今思えばカラーボックス1つ分くらいか)、繰り返し繰り返し読んだ。

特に好きだったのははらぺこあおむし。今銀座はらぺこあおむしカフェがあるらしいね。行きたい。

それと通っていたピアノ教室にも貸出可の本棚があって、そこからも借りて読んでいた。「眠れないの?ちいくまくん」(だっけな……)という絵本お気に入りで、今も内容をよく覚えている。このピアノ教室には10年以上通ったのだけど、ここでもたくさん本を借りて楽しかった。特に作曲家の生涯を紹介するタイプのやつは左から順番に全部借りたりしていた。

小学校の時ももりもり読んだ。こまっしゃくれた子だったので、何かとよく出てくるゾロリシリーズ、あれはなんとなく興味がなくて、図書館では偉人マンガシリーズ子供向け小説をたくさん読んだ。

同級生の間では「ミッケ」が流行っていて、私も休み時間に借りてきた子の机を囲んで探したものだ。ミッケって今もあるのかな?あとあやとりの本とハムスター研究レポート怪談レストラン流行ってたなあ……。「ブラックジャック」や「君の手がささやいている」「ドカベン」など、マンガちょっとあって、その辺も人気があったような。

私は自分図書カード(借りた本を書いていく表)を2枚にすることが目標だった。確か1枚で100冊くらいかけたはず。なんだかんだ「マンガ古典」とか、マンガをいっぱい読んでいた気がします。

それとは別に、市の図書館自転車で15分くらいの距離にあったので、毎週通うレベルで行って借りていた。中学年の頃は「ふたごの魔法使いシリーズなどフォア文庫シリーズにドはまりしていたのと、学校で借りた「レベル21」をきっかけにさとうまきこさんの小説がすごく好きで片っ端から読んだ。レベル21に関しては多分10回くらい借りて繰り返し読んだ。

学校ではすぐ読んですぐ返せるマンガ系、市の図書館では1週間かけられる小説を借りるという自分ルールがあったような。

司書先生は覚えていないが、元増田みたいなルールはなかった気がする。性を考える~みたいなシリーズもあって、「エッチな本がある」と生徒の間でも話題になってみんなで囲んだりしたけど、「騒がしくしないの~」としか言われなかった。


中学生の頃が一番読書狂いだったかも。1年生の時はキノの旅が好きだったのと、小さくて持ち運びやす文庫に惹かれて図書室にある文庫本、気になったものを順番に借りていった。

それから友達の影響で乙一にはまっていたのもこのころだ。学校図書館と市の図書館をうまく利用して、片っ端から気に入った小説家の本を読んでいった。江國香織も好きな作家のひとりだったな。嶽本野ばらとか、もうその年ごろドンピシャ好きなものも読んだりした。乙一短編集で読書感想文を書いて学年優秀作品に選ばれた思い出がある。

中学校結構ラノベが置いてあった。西尾維新時雨沢恵一しか眼中になかったので他は覚えていないけど、ジャンプコミックスノベライズとかも置いてあった。代わりにマンガほとんどなかった。基本的には新着図書から選んで借りる日々だった。

市の図書館の方では、市内の他館や県立図書館の本を予約して借りられるシステムがあったので、それも駆使して気になる本はとにかく借りた。借りるだけ借りて読まなかった本もあった。小学生だったか中学生だったか中村うさぎ小説を借りて性描写のエグさにびびりながらも「大人な本を読んでいる私!」と悦に浸っていたような。本当に生意気なガキだった。今では「残虐描写の宝庫」と言われるグリム童話初版とか、「本当は怖いグリム童話」とか、そういうのもたくさん読んだし、村上春樹ジャズ評みたいなのも読んだ。

描写残酷描写はこの時にすっかり慣れてしまった、小学校高学年くらいから読んでいたし、特別何も思わなかった。

借りるだけじゃなく、文庫本ならたまに自分で買ったりもしていたけれど、やっぱりお小遣いが限られる中学生高校生にとって本屋はありがたかった。ハードカバーの本なんてなかなか買えなかったもの。それに本屋にない古い本も読める。最新の本も読める。

高校受験ギリギリまでしゃばけシリーズにドはまりして読み続けて、司書先生に「入試大丈夫?」って心配されたけど、「でも新刊でちゃったし」って返したら「そうよね。気になるもんね」と言われた。

こんな感じで本ばかり読んでいたので、家族には「また本ばっかり読んで!」と怒られたりした。大体の家庭って子供が熱心に本読んでたら褒めない??あまりにも私が本を読みすぎるので、一度怒った父親に市の図書館で借りた本を取り上げられて、返却期限過ぎても返してもらえず困ったことがある。


高校生になると市の図書館にはあまり行かなくなった。というのも高校図書館は一度に5冊まで借りられる上、読みたい本が大量にあったからだ。

その頃は桜庭一樹バチスタシリーズが好きだったので、図書館にあるものは全部読んだ。それからその頃話題になった本は、時間が許す限り読んだ。当時所属していた部活の部室が図書館のすぐ上にあって、部活に行く前に図書館を必ず覗いていた。2年生の時などは担任図書館担当だったため、あれこれ本について話した。

その先生とは別に図書司書先生がいた。しょっちゅう図書館に行くので顔を覚えられていて、ある時すでに借りられていた本の予約をしたいと申し出るとすごくフランクに接してくれた。ついでにこの本の続編が最近出たけど入れる予定はあるか、と尋ねたところ「生徒からリクエストって言えば大体買えるのよ!欲しいものはじゃんじゃん言って!入れるから!」と言われた。そうなんだ!と思ってそれからは読みたい本があるたび司書先生の所へ行った。「先生~あのシリーズ読みたいの~」「オッケー。入ったら担任先生に伝えとくね」こんな感じ。

それとちはやふるが全巻置いてあって、受験勉強の合間に読んだ。千早かるたへの情熱を見ては勇気づけられた。調べもの図書館に行くことはなかったけれど、娯楽のための読書としては本当に高校図書館は最高だった。


大学図書館では、研究のための書籍資料を探すために足繁く通った。ただ、小説など娯楽のための読書生協で買うことの方が多かった。アルバイトを始めて、ハードカバーも買えるようになったからだ。

大学図書館はこれまでの図書館と違った魅力があった。研究のための、その分野の専門書がたくさんあった。それこそアルバイトで稼いだお小遣いでは揃えきれない大型本や古い専門書は本当に楽しかった。


これを書こうと思ったきっかけは、まあ繋がないけどとある図書司書さんのエントリで。

自分図書館体験を振り返ると、本当に恵まれていたな、と思う。親に読みすぎと言われた以外、読みたい本を読めないという思いをしたことがない。もちろん図書館に置いていなくて……ということはあったけれど、大体の場合、他館から取り寄せするとか購入してもらうとか、そういう手段でどうにか手元に呼び寄せた。好きなものを好きなだけたくさん読めた。

そう思うと今の図書館とか教育現場ってどうにも窮屈なのかもしれないな、と思う。

親友小学校教諭になってすごく苦労しているけれど、学校図書館も同じように大変なんだな、と思った。中学生の頃に図書館にあった本を見るに、恐らく同年代だと思う。高校図書司書先生のおかげで図書司書に憧れた時期もあったので、憧れを貫いてその職に就かれたことは本当に尊敬するし、その上で様々なギャップ人間関係軋轢で悩まれていること、とても共感する。(私も司書ではないけれど、憧れの職についたものギャップに耐えかねて数か月で辞めてしまったので……)

ただその司書という職が、子供たちに読書体験の楽しさを伝えてくれること、その後死ぬまで残る財産を築き上げる手助けをしてくれること、身に染みて感じているので、どうか身体を壊さないように、がんばってほしいな、と思います。とても無責任応援申し訳ないのだけれども。

2018-01-16

読書感想文面白くない本を面白くないと書こう。

読書感想文ってさ、あらすじを規定量分書いて最後に『面白かったです』で締めるのが慣れない子供の基本だと思うんだけど、最後に『面白くなかったです』と書くためには一体、どんな本を読めばいいのだろう。

もちろん、個人の感想なんだから、なに読んでも面白くないと言い切るのもいいんだけど、客観的面白い評価されている本を読んで面白くないって、そりゃ読み手問題も浮き彫りになるので、そうじゃなくて面白くない本を読んで、先生も納得の『面白くなかったです』を下したい。

腐っても課題図書ならある程度の面白さが担保されていると思うんだけど、どうなんだろう。

やっぱり大手出版社ならある程度、チェックもしっかりしてるだろうし、そもそも面白くないなら本にならないだろうし。

そうすると希望が持てるのは自費出版系だろうか。

あるいは、政治家政治資金獲得のために書き下ろし社会問題テーマにした小説とか。でもああいうのはゴーストライターがついているのか秘書がしっかりしているのか、固くて基本に忠実な話づくりなんだよね。

そういった意味では面白くないんだけど、読めないほどでもないというか。

映画の『プテラノドン』の感想でよければ、『面白くなかったです』で文句は来ないんだろうけど。

https://anond.hatelabo.jp/20180116071707

学生漱石で「吾輩は猫である」とか切り出すのを覚えるから自分小説家だなんて書き出しに自然さを感じるのかもしれないけどあれは猫が自己紹介などあり得ないことを前提としているわけなのだけれども。

そんなの読書感想文宿題の冒頭だよ。

2018-01-15

ちゃんとやってよけば良かったと後悔してること。

義務教育には家庭科の授業があったのに裁縫が苦手な私はなんとかその場しのぎでクリアしていた。

酷い時になると絵をかくのが苦手な子や、読書感想文をかくのが苦手な子と提出物を交換してまで家庭科課題から逃げていたのだけど、絵や読書が得意で社会に出たところで芸術化になれるわけじゃなし潰しが利かない。

その点裁縫はかなり武器になる。

なんでちゃんとやっておかなかったんだー!と後悔先にたたず。

猿でもできる裁縫教室に通いたい。

2017-12-28

anond:20171219043632

赤いオーロラの街で

読みました

子供の頃から読書感想文が苦手で

これだけですみません

とても面白かったです

実写化するときは関さんは長澤まさみでお願いしま

2017-12-07

anond:20171207120706

中学で「自分に大きな影響を与えた本を一冊選んで読書感想文を書きなさい」という宿題があって、当時リアル厨二病だった自分は、原稿用紙一杯にスイミーイラストのみを描いて提出したら、翌週「優秀感想文」として他のちゃんとしたのと一緒にロビーに掲出されていて、現国先生にやられたと思った事を思い出したけど、増田趣旨ちょっと違った。

2017-11-09

anond:20171109114331

横だけど、本に限らず映画でもなんでも

 「とても良かった」くらいしかすぐに感想を思いつけない自分が辛い。。

子供の頃、読書感想文を書くのが地獄だった。

こういう表現力はどうやったら身につくものなんだろうか。。。

2017-10-31

レジリエンス

賢い妻がアホな旦那を再教育調教)してみたら良いと思います。(離婚するのはその結果を見てからでも遅くはないでしょう。)

旦那は「レジリエンス」「忍耐力」について、正しく理解していないようですね?

Amazonで「レジリエンス」の本を10冊ほど買って、読書感想文を書かせてみてください。

本を1冊読み終わる度に、ご褒美としてマシュマロを1個あげましょうw「ハ~イよくできまちた!」つ○

2017-10-09

ブログ書く速度が遅すぎる

アクセス数1桁のただの日記なんだがいつ何が事故って作品ファンポリコレ棒に引っ掛かり炎上するかもしれないと考えると怖くて迂闊に書くまいとしすぎて1時間で800文字も書けないんだが。

学生の頃に読書感想文が苦手な人間には無理な趣味か?

2017-10-03

http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.tinect.jp/?p=43427

この主人公女性ネカマ臭が凄すぎて内容が頭に入ってこない

リアル女性を描く筆力がないのに、何でわざわざ主人公女性にするんだろう?

これ主人公男性でも何の支障もない話だよね?

課題図書」ってのも、小学生読書感想文かよ、と言う感じだし。

アフィ月100万の収入会社辞めるって正気の沙汰か、としか思えんし。

2017-09-10

保善高校であった、今もあるであろう体罰の話

有名トランペッター日野皓正体罰の話が盛り上がっている。

世界トランペッター日野皓正中学生を往復ビンタ

http://bunshun.jp/articles/-/3929

ドラム日野ビンタダウンタウン松本さんと爆笑問題太田さんの意見真逆すぎた」

http://www.kansou-blog.jp/entry/2017/09/04/073456

日野皓正児童虐待ビンタ)事件について元ジャズミュージシャンが考えてみた」

http://k-yahata.hatenablog.com/entry/2017/08/31/日野皓正児童虐待ビンタ)事件について元ジャ

日野皓正中学生へのビンタは教育…「必要な時もある」

https://www.daily.co.jp/gossip/2017/09/01/0010515517.shtml

正直、他人の出番を無視してドラムを延々と叩いてた子がビンタ食らっただけでこれだけ喧々諤々の議論が巻き起こるのはうらやましいし、近年ネット体罰動画などが拡散され、教師が処分されている事等を考えるとネットという存在体罰への抑止力として働いているのは確かで、ろくでもないものも多いネットのもたらした大きなメリットひとつだと思う。

で、僕がこれからするのはそんな便利なアイテムが普及してない時代のろくでもない体罰という名の暴力の話だ。

舞台は96年の東京高田馬場にある保善高校偏差値でいえば55前後、昔ラグビーの名門で花園に出た以外に特に語る事のないパッとしない私立高校だ。

ちなみにお隣には後年某ブラックチャイルドな有名バスケマンガモデルになった偏差値70台のエリート高校があり、お隣だが近所の早稲田大学への距離は全く違うと言われていた。

我々が入学する前、この高校理事だかなんだかわからないが、お偉いさんが「このなんの特徴もない学校をお隣みたいな超進学校にしよう」等とドラゴン桜みたいな事を考えた。

目的のみをみれば「少子化を見越し、進学校としてブランド価値を持たせる」という戦略は悪いものではないのかもしれない。

だが、彼らにドラゴン桜のような「外部の優秀な講師を招いて生徒の学力をup!」という策などあるわけがなく、結果としてできあがった保善高校特進クラスは地獄になった。

「三年の間に偏差値55前後人間普通に早慶受かるようにしろ」そんな無茶な目標を与えられた現場教師達は大混乱しただろう。

それはそうだ。彼ら教師ほとんどが一般的に二流と言われる大学を出てこの高校教員として努めている人間であり(文系だった我々のクラス担任は獨協の英文科卒だった )、当然だが中堅高校の生徒をトップレベル私大合格させられるノウハウといったものを持っていない。

そんなこんなで上に対して自分達が頑張った事をアピールしつつ、失敗しても責任回避できるだろうと考えた彼らがとった方策は授業時間を8限までにするという手段だった。

要は部活含め授業以外の事は一切やらせない。

そして入学してからその事を聞かされた特進クラスに選ばれた我ら生徒達は当然反発する。

部活を目当てにした生徒も多かったし、そもそも強制で8限までの授業なんて受けたい人間はいない。

正直、ここまでなら大人になった今になって考えると教師達に同情の余地がないでもない。

上の無茶に対してかかる現場への圧力のつらさは、それなりの歳になり、上と現場板ばさみになってから嫌というほど知った。

現在の自分負担をかけてしまっている現場人達にひたすら頭下げたり、飲料を差し入れ、それでもイラつかれるように保善高校現場教師達には我々生徒が分かりえない上の人との板ばさみのつらさがあったのかもしれない。

だが、我々の反発を抑えるのに担任教師が使った方法は頭を下げるでも飲料を差し入れるでもなく、「嫌ならやめろ」と暴力のセットだった。

あらゆる異論の封殺体罰という名の暴力が使われた。

そして出来上がった授業自体適当なやる気ないプリントを配ったりするくらいで、正直これを8限聴くくらいなら予備校の授業1限聴いた方がはるか有益なんじゃね?となる受験にはなんの役にも立たない内容だった(事実自分浪人して予備校通ってた時期に英語偏差値がグングン上がり、今までやらされていた勉強いかに非効率かを知った)。

結果的に我々は3年間に渡り、ほぼ毎日の様に殴られ、22人いたクラスメイトの内、3人は部活自分のやりたい事もできない状況を受け入れられずに自主退学に追い込まれ、残った19人も相当に精神を病んだ。

1人は卒業後、数年で自殺した。

正確な因果関係を立証する事はできないが、卒業時の我々の精神状態鑑みると、遺族が因果関係否定するならともかく、当時の保善の教師達が「関係ない」等とほざく事は許さない。

ここまで読んで何人かの人は「なんで体罰に対して対策をとらなかったの?通報するなりいくらでも手があるだろうし」と思われるだろう。

今にして思えば何故自分自身、当時の自分がなんら手を打たず、3年間、殴られるままでいたのかが理解できない。

現在の30代半ばの自分で、今の時代であれば同じ状況でもいくらでも手が打てる。

教師が生徒を殴ってるのを動画なり音声をを記録し、youtubeに放流」「動画や音声を教育委員会区議会に送りつける」「動画や音声をもって弁護士のところへ行き、教師退職に追い込み、学校からは金を引き出し、なおかつ現況の改善する」「逆にこちらから暴力制圧する」等。

だが残念だが、我々の時代には便利なものはなかったし、他の手段をとる勇気もなかった。当時の時代でも打てる手はあったのかも知れないが、結局我々は何も打てる手がないままひたすら3年間を暴力に耐え続けて過ごした。

他の教師に相談しても「君達の事を思ってあえて自分でもやりたくない事をなさってくれてるんだから」と黙殺されるし、「嫌ならやめればいいだけ」と常に脱落への恐怖を感じさせられ逃げられなかった。

それが事実だ。

今の自分のみならず、多くの人達当時の自分怠惰に写るのかもしれない。

いくらでも打てる手があるし、場合によっては金にもできたのに何故なにもしなかったのかと。

言った瞬間、発言者を糞馬鹿認定する言葉では「公共の福祉」と並ぶ「自己責任」という言葉を使いたくなる。

だが、異論=即暴力否定という立場に置かれるのは当時の10代の子供にとっては逃げ道のない牢獄で看守に見張られているようなものなのだ

常に暴力や脱落の恐怖に晒される状態で冷静な判断ができるかと言われれば今の自分でもこころもとない。

現在自分内最高漫画更新し続けてる「パンプキン・シザーズ」で主人公は8巻で町ぐるみ人身売買に巻き込まれ、結果共犯者になった住人を慰める為に「人間は新しい環境に放り込まれた時にまるで即興劇に放り込まれ役者のように本能的にその舞台を壊さないよう行動する」と言っていたが、結局我々はその舞台から3年間逃げ出す事ができなかった。

昔、自分ナチスソビエトクメール・ルージュだのに属して上の言うままに行動する人々を笑えたが、この保善高校体験を通して以降、全く笑えなくなった。

さて、色々回りくどい事を言ったが、ここら辺で私怨タイムにさせて頂く。

曳地利秋、お前はガチな屑だな。お前は三年間俺達の担任教師だったわけで、その間お前を「センセイ」と呼んでたが、お前を教師だとも尊敬する人間だとも思ったことは一度もなかったよ。

平賀自殺して少しは反省したのかと思ってたが、仕事出会った8歳下の保善のOBの人に聞いたらお前はあの後もなんら反省せず、特進クラス以外でも生徒を殴り続けてたらしいな。

もっとも俺達以前にも暴力を奮ってたろうし、「口答えする特進クラスの生徒」というのはお前にとって殴れる大義名分を更に与えただけだったろうが。

お前は殴る相手が反抗すると「いつか社会に出れば俺に感謝する時がくる」とかいってたが残念ながらそんな時は来なかったよ。

社会を知れば知るほどわかるのはお前という人間が対等な立場では殴り合い一つできない生徒に対し、能力でも人格でも統率できず、自分が殴られない立場に甘えて一方的に生徒を殴ってた屑である事。

それだけだ。

お前は教師でもなんでもない。

自分安全な場所から他人を殴るのが趣味の糞野郎だ。

お前が定年退職たかどうかは知らないが、現在、学校でも塾でもあらゆる教職に関わってない事を心から祈ってるよ。

残念ながら俺やクラスのみんなに対しての暴行への公訴時効は過ぎてるんでお前に刑罰を与える事ができず、こういう形で書いたが、お前がこれを読んで反省するとかかけらも思っちゃいない。

原国の片山、お前は俺達が曳地に毎日殴られてると度々訴えたときも「曳地先生は生徒のためを思ってるんだ。甘えてるんじゃない!」とかほざきやがったな。

お前も曳地の同類の糞虫だよ。

そして96~98年に保善高校にいた教師達。お前ら俺達が散々殴られて助けを求めていたのを知りながら、無視、罵倒を対応にしてたよな。曳地も含めてお前らが全員地獄に行ってくれる事を心から願ってるよ。

ここまで書いといてなんだが、「抵抗できない相手一方的に殴るのは保善高校教師達と同じ」という心の声が聞えたんでこっちの身分もそっちに対して分かる範囲で明かしとく。

96年~98年に在籍し、文系特進クラスで正面二番目の列にいて、その後一浪経て法政大学に進学した生徒。それが俺だ。

そこから俺の名前googleでたどれるようにしてあるし、そこからくれば答えるし、名誉毀損で訴えたいならばいつでもどうぞ。

さてここまで書いて「保善高校」「体罰」でググったら

体罰、何も伝わらなかった 「殴られた」生徒語る - 朝日新聞デジタル http://t.asahi.com/9v

田村剛】私立保善高校東京都新宿区)の男性教諭が、男子生徒に暴行した罪で今月4日に罰金30万円の略式命令を受けた。被害者の生徒と、その友人で「同じ教諭に殴られた」と主張するもう一人の元生徒が、朝日新聞取材に応じた。「もっと早く周囲の大人に気付いてほしかった」と訴えた。

2人によると、1年生で同じクラスにいた2011年の1学期ごろから空手部の顧問でもあった担任40代男性教諭から、校内で平手打ちなどの暴力を受け始めたという。

携帯電話学校に持ってきた▽読書感想文の本を忘れた▽授業中のおしゃべり……。さまざまなことがきっかけとなった。この生徒(17)は「高校では暴力が当たり前なのか」と思い込んだ。他の教諭も止めに入ってくれなかったという。

2年生になって登校できなくなり、休学した。親に話すうちに普通ではないと気付き、警察に届けた。

学校側は謝罪のため生徒宅を訪れ、暴行理由説明した。それでも、殴られなければならないとは思えなかった。「ただ苦しかった。先生の言いたいことは何も伝わってこなかった」と振り返る。この教諭は、この生徒を複数回にわたって平手打ちをするなどしたとして、略式起訴された。

もう一人の元生徒(18)は、暴力を受けても「先生の言うことを聞きなさい」と話す親を前に、学校行きたくないと言えなかった。「誰にも相談できず、どこにも行き場所がない感じだった」と語る。

耐えられず、昨年5月に退学。一時はうつ状態になって精神科に通った。「同じことをしたらこうなる」という周囲への見せしめが、暴力目的だったと感じている。「次は自分ではないか」と、他の生徒がビクビクしているのが伝わってきたから。

自分たまたま自殺せずに済んだ。でも、親や周囲の先生にはもっと早く気付いてほしかった」。大阪市桜宮高校教師による体罰で生徒が自殺したことが問題になり、そう思う。

同校の青木繁副校長取材に「教諭が何度も暴行したという認識はない。生徒らの話は過大で、学校が把握する内容と大きな違いがある」としている。教諭暴力については「許されないことだが、2人の就学姿勢を立て直すという思いがあった」と説明する。

という記事が出てきた(元記事は既に消えてるが)。当時の自分達の気持ちをそのまま表している記事だった。お前ら、90年代にあれだけやらかしたにも関わらず、何一つ反省してなかったんだね…

正直、我々の時代体罰という理不尽問題を取り上げ、裁判なりで戦って「教師が生徒を殴らない」という当たり前の権利を勝ち取っていれば彼がこのような目に合う事はなかったのかもしれない。

そういう意味では我々抗議の声を上げなかった人間も彼の目からすれば保善の教師と変わらないのかもしれない。

だが我々には声を上げる知恵も勇気もなく、結局、放置し、自分と同じ、もしくはもっと酷い状況を10数年後に後輩に味あわせた。

そして偏差値は51~58と我々がいた当時と何ら変わらない状況。

進学校にするため」という大義名分で我々に奮われた暴力は結局何の意味もなかったのだと脱力するしかない。

保善高校理事だの教師だの糞虫ども、正直お前ら全員死ねばいいと思うよ。

お前らは教育者でもなければ、経営者としても糞だ。お前らには何一つ敬意を持てるものがないし、何一つ美しいと言えるものがない。

質実剛健」とか本当に笑えるわ。

とりあえずこの記事呼んで保善高校への受験を辞める人が増え、一人でも保善高校犠牲者が増えない事を元生徒として祈っている。

2017-09-01

なぜ女のコンテンツ語りは無駄にやたらド長いのか

要約したら「刀剣乱舞でトレパク騒動があったから私もうやめます」ぐらいにしかならんことを

めちゃくちゃ水増しして30行ぐらいの超長文にしちゃうの見て、とてもついてけねえと思った

で、そんなに何を書いてんのかと思ったら、それまでどんだけ好きだったかとか、

でも裏切られた私カワイソーとか、そういうのばかりで正直うんざりしちゃったわけだ

いやあれだよ、多少なりともそのコンテンツを知っている人には響くのかもしれないよ?

そもそも吐き出したいだけで、同意すら求めてないのかもしれないね

でも知らない人間にとっては、散々膨らませといて結局それかよズコーってなるんだよああいうの

いったい何が影響を与えたらあの手の文章が出来上がるのか、まるで予想もつかないんだけど、

しかしたらあれだ、小学校読書感想文のせいかもしれん

ああやって心動かされたアタクシを大げさに描写して、そこに自分語りちょちょいと挟んだら

先生から褒められちゃったもんだから、あれが一種の勝ちパターンなっちゃってんのかもね

2017-08-31

はてなブックマーク - 子供の読書感想文がコンクールに行く

俺も小学生とき似たようなこと考えてたなあ

賢しい子供だった

くじらあくびっていう図工の絵を書くときに、こういう豪快な絵を大人は好きなんだろう?と思って、画用紙いっぱいのクジラインパクトある大きな目と眉毛を書いたら県のナントカ賞をもらった

それ以外だと作文で、会話から始めると高い評価もらえる、とか、実況風に感想書いたら評価高くもらえるとか、まちにまったって言葉つかうと評価高いって経験から学んで実践していた

低学年のときからまちにまったってことば使ってたけど、自分脳内では町に舞ったというイメージで町でおまつりしてるイメージだったから、全然本来意味理解したうえで使えていなかった

才能がなかったからうまく大人に取り入るものを作るはできなかった

中学生ときはそこまで深く考えなかったコラージュ作品美術テストで100点とったことに気をよくして、それ以降なにか自由に考える必要があるときはそんときみたいな奇抜なデザインにしようとしてことごとくK空振って変なものつくってまったくいい評価もらえなかった

純粋子供なんてどんだけいるんだろうって話だよ

うそれなりの知識あるのに低学年だから女湯に入ったりおっぱいさわったりとかな

子供読書感想文コンクールに行く

学校から帰ってきた子供が目を輝かせながら言った。

しかし、手放しで喜ぶにははいささか不安が残る。

なぜなら、その感想文は100%子供が書いたものではないからだ。

ここで少し、自分過去の話をしたい。

自分子供と同じ頃、じつは自分の作文もコンクールに行ったことがある。

結果は佳作としてローカル新聞に載る程度のものだったが。

このとき100%自分で書いた。しかも、子供がどの目線文章を書けば大人が喜ぶかを計算した上で書いた。

子供らしい向こう見ずな文章や、出て来る数字も敢えて理解よりも大げさに書いた。

なぜなら、周囲の子供たちはまだそのレベルだったからだ。

の子供らしい部分を大げさに表現すれば、間違いなく大人は喜ぶだろう確信があった。

果たして思惑の通りの評価が並び、子供ながらにしてうける文章とは何かを理解することになった。

しかし、賞に選ばれることはあまり嬉しいことではなかった。

少し特殊な生い立ちを持つ自分は、できるだけ目立たないように生きることが習慣づいていたのだ。

それでも中高の小論文は毎回と言っていいほど自分文章がお手本として選ばれた。

議題に対する切り口だけはこだわってしまった結果だろう。

遠慮して書いてもそのレベルなのだと感じられることに悪い気はしなかった。

ついでに言えば、その頃はすっかり本の虫としての毎日を送っていた。

今で言うライトノベルと呼ばれそうなジャンルから本格ミステリ純文学など節操なくなんでも読み漁った。

電車通学の30分を使って年間100冊は当たり前に読んでいただろう。

絵で描かれる物語とは決定的に異なる、活字が与えてくれる想像余地がたまらなく好きだったのだ。

ちなみに今でも心から尊敬する作家川端康成先生だ。

自分現実世界はいわゆる色弱としての生活を強いられているのだが、彼の本の中では健常者以上に鮮やかな色彩を感じられる気がしたのだ。

モノクロ世界淡々と描いておいて、突如蜷川某氏を思わせるような原色が巻き散らかされるようなシーンの移り変わりに脳天をかち割られるような衝撃を受けたものだった。

それに、彼自身折り紙つきの変質者であるのに、全くそ自覚を持たず純度の高い無邪気さのままに書き上げらる文章に、まるで自分の心の醜さを試されているような感覚もたまらなく好きだった。

しかし、生い立ちの都合でその時代一般的企業への就職を諦めざるを得なかった自分には進学という選択肢はなく、過酷肉体労働に進む以外の道がなかった。

今でこそ現場を離れて机に根を生やす生活を送っているが、最前線現場を仕切っていた時代文章は縁遠い存在になってしまっていた。

そんなある日、家に帰ると子供原稿用紙とにらめっこをしていた。

ひらがなで3枚を埋めることが目標だったのだが、あと一枚がどうしても埋まらないらしい。

どれどれとそこまでを読んでみると、いわゆる子供が陥りがちな感想文がそこにはあった。

本文を抜き出しては、ただ一言おもしろいとだけの感想がつく文章が並んでいたのだ。

どうやらここにたどり着く間にも母親の力を借りていたらしいことを聞いて思わず苦笑してしまった。

そうなのだ大人だって大半はこのレベルなのだ

自分面白いと感じた部分を掘り下げることばかりがうまくなっているだけで、それがあらすじなのか感想文なのかの違いをわかっていない。

そこで少しだけ手伝ってやることにした。

「この本の中で、一番おもしろいとおもったところはどこ?」

「それをどうして面白いと思った?」

「もし自分だったらどういうふうにしたいと思った?」

大切なのは、その時代、その人間しか感じられない感性を切り出して言葉に残すことだ。

思った通り、大人では絶対に思いつかないようなポイントに興味を惹かれていて、そしてそれに対する代替え案も、まさに今の時代を生きるこの子しか思いつかないような言葉が返ってきた。

それを子供の口から言葉にさせ、内容は変えないままに言葉より子供らしく無邪気なものに置き換えて子供に伝え返す。

子供はそれを黙々と書き写した。

そして、あえて終わりを歯切れの悪いものにした。

れいに終わらせることにこだわるのは大人だけのエゴだ。

文章とはもっと自由もので、それにそれこそが味と言われるものになりえるからだ。

小学校先生ときがその良さに気づくとは到底思ってもいなかったことだけが誤算だったが。

しかし、子供の話を聞いて驚くことが一つあった。

どうやらこの読書感想文に対して、コンクール前に先生と一緒に手直しと加筆をするというのだ。

なんだ。それではやってることが家でのことと変わらないではないか

結局子供大人エゴに躍らされるのだ。子供を通じて子供らしいと思えるもの大人同士がやり取りして楽しんでいるに過ぎないのだ。

願わくば子供大人言葉押し付けられることで文を紡ぐ楽しみを見失ってしまぬことを。

コンクールで賞を取ることなんかよりも、よっぽど大切なことからだ。


さて、蛇足をあえて加えさせて頂くと、卒業後しばらく疎遠だった物書きだが、このところは比較的高い頻度で文章を書くことができている。

はじめて誰に遠慮するでもなく、思っていることを好きなように書いてもいい場所を見つけたのだ。

そして、それに対して見ず知らずの誰かが色々とリアクションをしてくれるという、まるで夢のような場所がこの世に存在していたのだ。

おかげさまで、自由文章を書くということがこれほどまでに楽しいことだったのだと喜びを噛みしめる毎日を送っている。

子供読書感想文コンクールに選ばれたのもそこでの経験が大いに活かされているといっていいだろう。

ありがとう増田。そしていつもありがとうブクマカ

子供の作文がコンクールで賞に選ばれた暁には、スペシャルサンクスに今までブクマしてくれた皆の名前を載せようと思う。

2017-08-16

シャンソンファンファーレ増田まれーぁ粉ぁ譜ノン損ゃし(回文

ずんちゃっちゃ~

ずんちゃっちゃ~

シャンソンドレミ

胸には花を~

口には愛のシャンソン

ラララシララソファ

ファンファーレなるところ~

ひゅーひゅー!

特に深い意味はないけど、

たまに歌いたくなるときない?

私はないわ。

フランス語では蝶々と蛾の区別なく

どちらもパピオンって言うの。

から蝶々は美しい象徴

蛾は見にくい象徴とかっていう区別もないんだって

言いあらわし方の問題よね。

こういうの訳す時って難しいのよね。

もう夏休みも後半戦突入よ!

ちびっこ宿題仕上げたかしら?

私は読書感想文

全国のいい読書感想文が集まって売られてる本を

パクリして写して書いたら、

校内のなんかそういう賞に入選しそうになって、

恐ろしくて辞退したわ。

いい想い出ね。

うふふ。


今日朝ご飯

夏休み間中動かないか

なんかムックリ感がたまらないわ。

今日からまたエクササイズよ!

デトックスウォーター

グリーン緑茶ウォーラー

野菜不足も補えそうなほど緑色が綺麗よ。

緑茶って実際、

緑成分あるからそれで野菜摂った感じにしてもいいと思わない?


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2017-08-11

批評の仕方でその人が透ける

否の仕方を書きたいのだけど、まず賛の場合は下に書くことと変わる。

例えば映画マッドマックスFR」を見た場合批評に「くそったれ!!」的なことが書いてあるとしよう。

(例:ナニコレ。馬鹿じゃねぇか。監督キャストは薬やってんのか。アホなの?も可)

これは褒め言葉になる。

人は時に汚い言葉を使うことで褒めることがある。最上級の良いことは逆に汚い言葉で表すという手法だ(海賊サンジを参照)。

海外映画感想を見ると「FU○K」が並んでいて翻訳にかけると「クソクソクソ」って出てきたりするんだが、あれは褒めてるので日本だけの使い方では無い。

(ただし、個人的にはマッドマックスのような作品では無いかぎりその褒め方も好かないのだが。今日放送の「ミニオンズ」には使っていいと思う。クソ狂ってるラブリー映画だ。)


が、否定場合はそれを使った時点で否定する側の負けだと認識しなければならない。

賛否バランスがとれないではないか、と、思うかもしれないが、何故バランスをとらなくてはいけないのか。人は作品を見て賛を送るとき、興奮して感情を揺さぶられているので、言葉が出ないから仕方ないと思うべきだ。

しかし否の場合は、ある種怒り狂っている場合を除き冷静なはずだ。(怒り狂って大衆暴言を吐くのも人としてどうなのか…)

正直「クソ映画」なんて見なくても書ける。

それだけではなく、たとえしっかりと内容を(あらすじを、ご丁寧に、読書感想文の穴埋めのように、浜村淳映画批評のように)書いていたとしても、そこに「死ね」とか「クソ」とか「作ったやつ首くくれ」とか(これは分かりやすすぎ?)書いてあったら

こういう下品な書き方をして、他に攻撃的なことを書く人の感想なんてあてにならない。と感じる。なにより美しく無い。

まぁ煽れば煽るだけ拡散されていくだろう。しかし、そういう感想を真に受けるやつは精神年齢が低いと推測できてしまう。

否定的批判するなら冷静に批判しないとダメだ。理詰めが必要だ。

生理的に受け付けない」と書かれてもさっぱりわからないので、何が生理的に駄目だったのか自己分析する必要がある。

映画に限らず、駄目な作品は確かにある。しかしそれは人によって感覚が違う。

駄目なら駄目な理由をしっかり書かないと、「駄目」で終わってしまう。会話が終了する。

適当言葉で埋め尽くされた批評を読んだときの虚しさったらない。会話のキャッチボールが無い批評とでも言おうか。

ツイッターではどんな映画にもそういう感想がつきものなのだが、穢い言葉を使えば作品批判できたつもりでいるのは正直ダサくて幼稚だ。厨ニか。上西議員ツイッターか。

長々書いたが、こういったものは「批判」ではなく「非難」の分類だ。

非難は大抵人に価値観押し付けものであり、聞くに耐えない。

そのあたりを理解していない人が、批評家気取りはクソだと思うね。

(こうやって簡単最上級言葉として表せるし、筆者が低俗だとよくわかる締め方になっただろう)

2017-08-03

作文苦手だからブログ続かないし書けないからなあ 2

https://anond.hatelabo.jp/20170803172914

 上を書いたのでね、まあ、まあ、ちょっと続きを書いていきたいと思いますがね、ちょっと、手が疲れているので、だるいんですがね、まあ、なにか、こう、書いていると発散できる気がするので、この疲れが気持ちいい気がするので、もうちょっと続けていきたいと思いますはい。さっきからちょっとミスタピングが多すぎる……。

 で、続きを何を話そうかって考えますと、まあ、こうやって書いていると、まあ、さっきから文章書くのが苦手だみたいなことを言ってたんですけどね、まあ、こういう何も言ってないような、つまりただ頭の中にある思ったことをだらだら書くことな全然できなくもない、まあ、それも気分によりますがね、まあ、毎日絶対できないですけどね、まあ、二千字とか三千字ぐらいならそれぐらいのことはできるんですが。

 しかしながらね、まとまった、ちゃんとした。ある一定水準の内容と形式?に沿った文章を書こうとするとね、とたんに書けなくなっちゃうんですね。たとえば、読書感想文とかね、これ、昔から苦手でした。もう、まともに書いた記憶すら無い。うん、たぶんちゃんと書いたこほとんど無い。他には、何だっけ。学校って、中学あたりでも何かあると作文の授業みたいなものを書かされた記憶があるんですよ。個人的に何かやらかしての反省文じゃなくって。何かたとえばクラスいじめがあったときに、自分はどう思うかみたいなのをクラス全体で書かされて。うん?これはまあ反省文のたぐいか? まあ、とにかくそういう、『あなたの思ったことを書きなさい」みたいなことを言われてもね、全然、何も感情がわいてこないんですね。いや、本当はそんなことはなかったのかもしれないけど、とにかく全然書けない。何か授業があったり、学習ビデオを見たりして、その感想メモに書けみたいなことを言われても、全然。もう、全然書けない。ほんとただのメモ用紙ですよ、ぎっちり書いても字数は100字とかその程度だったかもしれない。とにかくそう言うのでも、自分感想とか感情とか考えとか思ったこととか、そう言ったたぐいのものを書くことが昔っからひどく苦手だった。なんででしょうね。わかんないけど。それでまあ、小論文とか、かたちがある程度決まっているものなら書けるのかというと、それも全然駄目。もうね、しっかり構造のあるものを書こうとしたら、文字のつながりが頭の中で崩壊し始めるというか、どこがどう繋がっているのかとか、そういうことが全然考えられなくなってしまタイプなのでね、だから全然駄目でした。じゃあ国語が苦手なのかというとそういうわけではなくて、むしろ得意な方でした気がしますです。はい特にマークシート式ね、選択しに答えが書いてあるようなものから、すごく楽だった気がします。逆に筆記はね、国語でもひどく苦手。だからまあ、とにかく文章出力能力が昔から低くってねえ、大学に入ってからレポートだの卒論だの、そのときはとにかくまあとにかく別に提出さえすれば何でもいいやみたいなレベル講義ばっかだったので、まあ、自分でも何書いてるのか良く分からない怪文書を書いて提出して難を逃れてなんとか卒業してそれで今無職ですが。だからまあ、なんだっけ。

 お、気がついたら1400字ですね。頑張ったな俺。だからそう。

 こういう文章。つまり何も考えていないって言うか、文章だけで考えてるって言うか、うん?なに言ってんだ?つまりこう今の状態って、頭で考えたことを文章にしてるって言うか、もう、この、文字が表示される液晶画面と、タイピングしてる指先に意識が言っていて、頭の方はほとんど動いていないような感じがするんですよね。不思議文章書くの得意だぜって人はいつもこんな感じなのでしょうか。いいなあ。

 まあ、それで、つまり、こういう思ったままのことだーっと打ち込んでいくタイプだと、まあ、こうやって、ずだだだだだだーって感じでタイピングはできるんですけど、これもね、今、さっきのと併せて4000字とか5000字とかあるけど、そういう感じで、だいたい1000字ぐらい過ぎてからじゃないとそういう、ずだだだだーって気分にはならないのでね、ちょっと何か気が乗ったから書いていこうとか思ってもやっぱり難しい。そして疲れる。そして自分でなに言ってるのか分からなくなる。ちょっと疲れてきたから。休むか。えーっと今17時52分ですね。はあ。もうちょっとで2000字ですね。だからなんだって話しですけども。さっき増田は3000字ぐらいまでしか投稿できないみたいなこと書いたけど、ほんとなのかしら。結局自分で試してないから分かんないんですね。まあ、どうすっかな。どうもこうも無いわな。あ、2000字超えましたね。俺の大学ではレポートがだいたい2000字ぐらいでしてね。それをまあ、俺は苦手だから二週間とか三週間とか一ヶ月とか悩むこともざらでしたが、こうやってただだただたタイプするだけならこんなにあっさり済むんだから。だからなんだって言うと、レポート別に字数問題じゃないから、それでどうって話しでもないんだけど、まあとにかくレポートは苦手だったね。構造を先に考えて当てはめていけば良いみたいなことを言われますけど、その構造とかね、全然ね、思いつかんからね。よくわからんのよね。まあだから文章力以前の知能とかそういう問題になりますね。悲しい。友達もいなかったから、「お前アレどうやって書いたノー」みたいなこともちょっと聞けなくってね。悲しい。

 まあ、どうでもいいことだが。

 さっきのエントリで3000字言っちゃいそうだったから本題は次のエントリで言おうと思ってたんだけど、これでもやっぱり今2400字だから、ここからだとなんかちょっと足りない気がするなあ。

 そもそも本題って何だっけ? そうそう 作文が苦手だってことだね。だからまあ、あれ? さっきもうその話しはしたっけ? ちょっと今疲れちゃってね、手とか。主に手とか、手が何を打てば良いのか分からなくなってる感じで。頭はさっきから何も考えていないんですね。だから今この文章、書いてるのはほんと運自分なのかなって不思議な気分だけど、どうなの?そこんところ?

 別に問題ないってばよ!

 そうか!

 じゃあ大丈夫だぜ!

 そうか!

 うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!

まあ、どうだっていいんだけど。もうちょっと何か書いて発散したいから、まだ書きたいんだけど。今ちょうど18時ですね。だからなんだって話しですけど。どうでもいいけど。ちょっと休憩しようかなって思うんだど、どうせなら3000字に行ってから一休しましょうかね?はい。だからあと100字ちょいとなりますが。何を書こうか逆に分かんないですね。なんか無理矢理水増ししてる感しかないので、自分でもちょっとモチベーション下がってるんだけど、まあ、だから、次のではもうちょっと何かお話ができれば良いなって思うんだね。

 じゃあ、そろそろ、休むね。でもまだ3000字行ってないからもうちょっと。あとちょっとはい

2017-08-02

毎年夏になると読書感想文の書き方の話題暑いですね。でもあれ本を

毎年夏になると読書感想文の書き方の話題暑いですね。ほとんどの人間共通体験として言及やすいということもあり、だいたい

1.書き方をちゃんと指導しないのが悪い。

2.書き方の指導をするべきだ、しないほうがいい。

3.おれはこう書いてた。いつも褒められてた(ドヤリング

4.書き方講座→アフィ

ぐらいのカテゴリになる。

で、読書感想文目的を「文章を書く能力の向上のための課題」と決めつけ「なのに指導しないのは怠慢」という1.の文脈が気になる。あれ本来は「長い夏休み、少なくとも1冊ぐらい本を読んで欲しい」ってダケだよなあ。

どうやって本を読んだかどうかを確認するか、って方法として「読書感想文」という課題が設定されているだけなんじゃないかと。義務教育と共に歴史が長くなりすぎてもはや先生ですら本来目的がなんだったのかわからなくなっている気がする。

まあついでの効能として「文章を書く能力もつながる」「書ける才があるやつがわかる」ぐらいなので、それを積極的指導することが本来目的じゃないからちっとも指導されないのだと思う。

読書感想文」を「文章を書く能力のための課題」と位置づけたほうがいいのかどうかは文科省にでも聞いてもらうとして、なぜ指導されないのかという理由については「本題じゃないから」ではなかろうか。だいたい本をよく読んでるやつはそれなりになにかしら書いてくるからな。

読書感想文の書き方を指導すべき」という一辺倒ではなく、「どうすれば本をよく読むようになるか」「また効率的にチェック可能か?」の問題解決ができれば、また別の方向性が見えるのじゃないかと思う。

読書感想文プログラミング教育共通点

国語って改行や句読点などのルールだけ教えたうえで、読書感想文などでいきなり文章を書けって無茶ぶりされるからクソって思ってたけど、

プログラム言語規格と順次分岐・反復などの処理のルールを教えたうえで、いきなりプログラミングしろって流れだから全く同じやん・・・って気づいた

読書感想文に「つまらなかったです。」って書くと怒られるから

プログラミングで「うんこ×100回」出力しても怒られる未来なんだろうな

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