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2017-11-18

anond:20171118111734

中国は13億中の1億は都市部住みで

香港なんかは日本よりも男女平等意識高い

北京上海(あと重慶天津などの大都市?)も

日本と同等くらいとは聞くね

 

ただ、ソレ以外の12億人の住む場所

未だ重労働が多いってのもあって男女の給料格差が大きくて

それに比例して男女への扱いの差もデカイと聞いてる

特に所得が低い農村などの第一次産業地域は、ね

 

まあそういう地域は男手が無いと生きてけない、って

悲惨現実があるんだろうけどさ

2017-11-17

鉄道おじの2年後のSS

街の若者戦争徴兵によって消えていく。

2020年東京五輪への努力が水の泡となり、御年34歳なるの彼の目にはそんな光景が写っている。

「カタカタカタカタ……」

一日早くきれいになったアパートに押し込められた彼はこれが最後レスとなるのも知らずに黙々と書き込んでいる。相も変わらず犬も食わない内容だ。

レス投稿した頃私は家を後にした。

30代のお迎えの兵士には年齢以上の苦労が見て取れる。

彼は指で指示して、2人で部屋を出る。

あれだけ雑然としてた小物や衣類などは綺麗サッパリなくなって直人の背後にはもう何もなかった。外に出ると両親と姉が家族仕事とばかりにお見送りに来た。

出張先は?どんな仕事?...」

直人の声が聞こえているのか否か、兵士無視してひたすら2人一組で歩いて行く。家族空気を察して黙している。

横浜の自宅前を出発した車で高速道路を駆け抜け、羽田空港には北京行きの飛行機が到着し、2人が乗り込もうとする。

「確かあんたの召集先はピョンヤンあたりだろ?」

「そうそう。家族がお見送りしてくれるといいけど……」

残りの家族はどうやら会社に残るようだ。直人はここで初めてだいたいの現実を知った。

そんな彼女たちを尻目に直人がさりげなく飛行機に乗り込もうとすると父親

「おい」

一言だけ息子に声をかける。

「何……」

「ほれ」

彼が振り返ったところで父親がグダポンに茶封筒を渡す。中を見るとギッシリと引換券が入っていた。

「電子通貨で200万ある。それが最後の金だから好きに使え」

そう言うと直人の返す言葉も待たずに、北京に向けて空港ターミナルを後にした。

家族はただ呆然と立ち尽くすほかなかった。

戦後、直人の行方を知る者は誰もいなかった…

終わり

真面目な質問

今年で鉄道おじが社会人復帰したんだよな

本人は恐らく残業仕事で精一杯だし、囲いはネットにしがみついてる負け組だし、誰が本人のネットでの尻拭いをしていくんだろうか

2017-11-04

「習思想大学が導入競争 学問の自由侵害懸念

毎日新聞2017年11月4日 17時14分(最終更新 11月4日 19時43分)

 【上海・林哲平】中国共産党大会で党規約に入った「習近平思想」について、中国各地の大学教育研究に取り入れる動きが相次いでいる。

「習思想」は指導者名前を冠した政治思想としては毛沢東、鄧小平以来で、理論面で大きな権威を得た習近平総書記国家主席)に対する「忠

競争」の側面もありそうだ。

 中国メディアによると、人民大学北京)は党大会閉幕翌日の10月25日、全国初の「習近平による新時代中国の特色ある社会主義思想

研究センター設立した。同センターは清華大北京大などから研究者を招き、習思想研究。「習思想カリキュラム講義に取り入れ、学生

らの頭に入れる特別任務」(北京紙・新京報)を担うという。同様の研究センター天津市雲南省など少なくとも20の大学で発足。湖南省

大学学長は開所式で「我々は象牙の塔にこもることはできない。企業農村に入って習思想を広めていく」と述べた。

 党を支える思想教育を重視する中国では毛沢東思想や鄧小平理論大学の必修科目となっていて、習思想も同様の位置づけになるとみられる。

米紙ウォール・ストリート・ジャーナルなどによると、党大会から教室に党批判を禁じる紙が張られたり、思想教育実施状況を監視する職員

が配置されたりしていて、学問の自由が脅かされるとの懸念も広がっている。

https://mainichi.jp/articles/20171105/k00/00m/030/007000c

2017-10-29

travel note

9/25-9/29、夏季休暇を取得し、憧れの国ドイツ旅行してきました。

前夜。

トランジットのため成田から北京国際空港へ。海外で初めて口にした食べ物ピザハットピザ政治的事情から各SNSにはアクセスできず、乗り継ぎまで人生の貴重な8時間出国せず空港内で過ごしました。

中国国際航空を利用しました。何故か機内モードでも電子端末は一切電源を消すよう命じられたため、退屈な機内でした。本を読んでは眠くなるため機内ではほぼ寝てました。また機内食はお粗末なもので、一緒に出されるパンフルーツの方がずっと美味しく感じました。

9/25

フランクフルト国際空港着💢やはりメルケル氏が当選していました。

新秋のドイツは気温10~15度と寒いので、空港から降りてきた薄着の漢民族は凍えていたようです。

ドイツ鉄道が発行している「ジャーマンレイルパス」を事前に購入していたので、ヴァリデーションを済ませフランクフルトからベルリンへ移動。しかしながら自由席指定席もほぼ満席状態で、後から乗った私は車内で立ち往生してしまうことに。ベルリンまでの移動時間はおよそ4時間半。全日一等席に乗れる権利を有していたのに惨めな旅だと思っていたら検札に来ていた乗務員が空いている自由席を見つけてくれ、さらに隣に座っていたウルリッヒミューエ似のおっさんスーツケースを上の棚に入れるのを手伝ってくれました。この時感謝気持ちを述べた言葉ドイツに来て初めて使用したドイツ語でした。

ベルリン

インターシティホテルベルリンにチェック。このホテルは2日間滞在していた。一人で予約しているのに何故か掛け布団が二つあったのが気に障りましたが快適に過ごせました。いかんせん成田搭乗から今まで風呂に入る機会が無かったので、ガラス張りのシャワー室でシャワーを浴びる。

行ったところ。

ブランデンブルク門。言うまでもなく、ベルリンの壁象徴する建造物。これを見るためにドイツに来たと言っても過言ではないくらい見たかったもの。なお、この日から8日後に東西統一27周年を迎えました。東西融合を祝して、記念に橋を架けました。興味深かったのが、門周辺はイギリスフランス等各国の大使館がひしめき合っていて、門の直ぐわきにアメリカ大使館では警備員が厳めしく立っていたました。そして、『舞姫』で豊太郎が闊歩したウンター・デン・リンデン通り沿いを100m程歩くと今度はロシア大使館が見えてくるのですが、アメリカ大使館の2倍の敷地で厳重な警備と邸宅さながらの荘厳さがありました。当時ソ連東ベルリン統治する上で、東側諸国リーダーたる威信を発揮しようとしていたかがうかがえますね。

次。DDR Museumという旧東ドイツ博物館。じっくりねっとり展示品を舐め回すように見ながら1時間半くらい経ったところで閉館のアナウンスが。まだ全部見終わってないんですが。

アレクサンダー広場ベルリンテレビ塔、に行く前に広場周辺でカリーヴルストを夕食。正直ケチャップは苦手なのですが、これはケチャップと合いますねぇ!!!!これだけでお腹一杯になってしまいました。

テレビ塔。夜景を期待してわざわざ22時に入場したのですが、ちょっと想像と違っていましたね。

2日目。朝から特急に乗ってチェコに行こうとしたのですが寝過ごしました。ただ、片道の移動時間がこれまた5時間も掛かるので仮に朝一の列車に乗っても、宿泊の都合上、日帰りで帰るとなるとろくに滞在できず一日を列車で過ごしかねないスケジュールでもあったので、正直フイにして後悔はしませんでした。

テレビを点けたらチャンピオンズリーグバイエルンアンデルレヒト試合が中継されていました。2-0でバイエルンが快勝していて流石FCバイエルンでした。

昼。電車に乗ってシュタージ博物館へ。これも東ドイツ関係。『善き人のためのソナタ』にも出てきた建物写真ネクタイは、よく見ると小さな穴が開いていて、この穴を通してカメラ反体制派の行動を盗撮していたというのですから恐ろしい。

夕方オーバーバウム橋からシュプレー川沿いの「イースト・サイド・ギャラリー」を見学。これも東ドイツ時代遺産写真男性二人(ブレジネフとホーネッカー)が交わしているアツいキスは決して男色を表しているのではなく、共産圏における挨拶の一つだという…。その後はポツダムに移動しサンスーシ宮殿見学するつもりでいましたが、気付いたら閉園時間が近付いていたため断念。片道1時間電車を引き返すことに。

夜。ポツダムプラッツレストランで夕食。ベルリンピルスナーを堪能。ドイツビールは飲めるけど、日本ビールは何であんな苦くて不味いんでしょうか。クネーデルズッペ。ブイヨンベースに牛レバーの肉団子というシンプルスープ料理なのですが、これが非常に美味しかったです。スープ料理で初めて感激しました。最後ベルリン名物アイスバイン塩漬け豚肉を茹でたもので美味しかったのですが、ボリュームに屈し食べきれずギブアップ。すいませんでした。

帰路。連邦議事堂。丁度議会選挙の直後だったのか館内見学の予約が取れず外から見学

ホテル内。ビールを飲みながらテレビドルトムントレアルマドリード試合を観戦。やはりピルスナーは飲みやすい!それでいて1.03ユーロ(約137円)という驚きの安さ。なお試合は3-1でレアルドルトムントボコボコにしてました。

3日目。6時にチェックアウトを済ませ、西方シュトゥットガルトへ。メルセデス・ベンツミュージアム見学しに。ルイス・ハミルトンは好きじゃないですが、メルセデス・ベンツは好きです。前からSLS AMGやAMG GTのロングノーズのボディが気に入らなかったのですが、300SL等歴代の車種を見ていくにつれてこのノーズが力強さが感じられるようになり好きになりました。あと、AMG GTって写真で見るより意外と車体が小さかったです。

博物館を後にし、ケルンへ移動。2時間程移動してケルンホテルマテルヌスハウスチェックイン。受付は愛想が良く好感を持てましたが、部屋がツインダブルベットで虚しさがこみ上げてきました。加えて、もともとコンベンションホールホテルにした作りなのか、浴室の作りが人工的でこれまたムードダウン。

ケルン大聖堂。二つのアーチがそびえるゴシック様式ローマ・カトリック教会ブランデンブルク門と並んで見たかったものその2。駅からライン川を渡った先が撮影ポイントで、道行く外国人スリの恐怖に怯えながら100枚くらい写真を撮っていました。

夕食。『地球の歩き方』にも掲載されている有名店なレストラン。ここではケルシュという地ビールを堪能。フルーティーな味わいで飲みやすいけど、水だと揶揄されてもいいくらい苦味が薄く刺激が弱い。でもボクは好き。

4日目。最終日。朝食はフルーツポンチばかり食べてました。ゆっくりしてからチェックアウトを済まし、フランクフルトへ。

フランクフルト証券取引所。入口前に雄牛と熊の銅像ブルベア。DAXは8月以降ずっとブルってやがる!館内ツアーガイドドイツ語で何を言ってるかさっぱり判らなかったです。取引所を後にし、しばらくフランクフルト金融街を闊歩してからフランクフルト国際空港へ。ドイツ旅行はこれにて終わり。

魔の5日目。トランジット北京行の便がまさかの遅延で予定の日本行の便に乗れず。後にトランジットカウンターに行って出発便を振り替えればよいとわかったのですが、何せ初めての事態でかなりアプセット。何とか便を振り替えてもらいましたが、中国人の話す英語が判らず聞き取るのにかなり苦労しました。

19時頃羽田空港着。成田じゃなくてよかったです。ここでクイズ東京に着いて一番最初に食べたものは?そうですね、ラーメンですね。

初めて一人で行く海外旅行でしたが、正直旅行というより社会科見学に近いものでした。博物館で2時間も3時間も過ごすのでもし人と一緒に来ていたらうんざりするでしょうし、この点は一人でよかったです。完全に自分時間が流れていました。

しかしながら、やはりトラブルがある時はやはり一人で対処しないといけないですし、当然コミュニケーション外国語なので言葉がわからないと辛いものがありますね。幸い身振り手振り肉体言語でも伝わるのでこの点は何とかなることはありますが。意外にも滞在期間中一切日本語を喋らなかったのが精神的に辛かったです。

また行きたいですね。今度はルフトハンザ航空の直行便ファーストクラスで。

2017-10-25

日中関係在外華人香港人台湾人世論を味方につけるべきと思う

中国についてはいわゆる、中国以外の民主的な国と友好を深めながら中国とは交渉する。

重要なのは中国共産党中国人民を切り分ける。

天安門事件等、中国内部では中国人共産党に殺されており、多くの人が共産党に不満を持っています

非難するときは必ず「共産党非難し、人民人権擁護する」という立場をとれば、共感する人は増えるはず。

また、香港親中国派、民主派自決派。台湾統一派、独立派。あとは、日本アメリカに住む在外華人利害関係が大きく異なります

在外華人も、共産党支持と国民党支持に分かれます

日本でも横浜中華街は、中華人民共和国支持者と中華民国支持者に別れます

http://blog.livedoor.jp/tomtoms2004/archives/51211269.html

また、中国国内に住む人はVPNを通さないとインターネット海外接続できないため、多くの人が共産党にとって都合の良い情報しか知らず洗脳されています

そして、ウイグルチベット南モンゴルなど独立を主張する民族もいますし、独立を主張しなくてもチワン族満族漢族優先に不満を持っています

また、中国国内においても「北京愛国上海出国、広東売国」と言われるほど文化が異なります映画十年の「方言」で書かれたように、北京語以外の言語が消されていることにも不満を持っている漢族がいます

他にも、海外には民主活動家独立運動家などが多数亡命しています

在外華人香港人台湾人利害関係分析して切り分けて考える。

https://twitter.com/jbkk988

https://twitter.com/red4tg3ge34tg4

https://twitter.com/biopolymath

こちらは、香港独立派在外華人の人のtwitterですが中国語で書かれていますが、中国語がわからなくても漢字を見ればtwitterでのやりとりの会話の意味がなんとなく分かると思います

同じ中国語を使っていても利害関係が異なり、なかなか団結しないのがわかると思います

尖閣第二次大戦歴史問題でまとまる時】がありますが、基本的にはまとまらないので【利害関係分析】したうえで海外民主活動家独立運動家や、

香港台湾反中民主派など日本の主張に近い人たちを味方につけていく必要があると思います

 また、ボイスオブアメリカRFAなどのメディアは、人権観点から共産党非難するため華人の人にものすごく人気があります

https://twitter.com/VOAChinese

あとは、中国国内内臓刈りの問題を知らせるNTVも人気がありますね。

https://twitter.com/ntdjp/status/923133626874658817

 日本の主張を少しつづ、浸透させていくためにもこのようなもの必要だと思います

特に現在香港が大変な状況になっており、こちらもご参照ください。

香港独立運動香港人自決民主化運動のまとめ

https://matome.naver.jp/odai/2150491884694812201

また、イギリスアメリカのように日本も声を出すとよいでしょう。

日本東アジアにおける自由民主擁護であることを前面に出さなければならないのです。

言葉が通じる為、ビジネスでは華人ネットワークは強い。一方、政治では利害が合わず協同できない。これは認識しておくといいでしょう。

2017-10-18

買う必要ないけど、引用日本大手メディア国民を今後もはぐらかしつづける...

https://you.prideandhistory.jp/fuwf_pvcp_1710_2_year/

フィリピンミスチーフ環礁が、中国に騙しと脅しで奪われた件からつづく)

そうです。日本尖閣諸島で起きていることと全く一緒です。

日本尖閣諸島にもさまざまなタイプ中国船が来ているのはご存知と思います最初は、民間漁船からまり、準軍事船に、回数を重ねて徐々に事態エスカレートさせています。今、テレビ新聞という大メディアではこういったニュースほとんど流れなくなりましたが、、、

これは、決して、中国船が来なくなった、、、というワケではありません…むしろ、さきほどのスカボロー礁と同じ「キャベツ戦略」を効果的に実行されているのです…

実際、年間、どれくらいの不審船が来ていると思いますか?

10回や20回というレベルではありません。

その数、729回です!(2016)

まり毎日、2回は不審船が来ているということです。昨日も、今日も、明日もです!

もちろん、ご存知のとおり、尖閣諸島だけじゃありません。小笠原諸島伊豆諸島でも、何十年、何百年とかけて育った珊瑚礁を大量に密漁破壊されました。

実際、これら中国漁船団の密漁により、小笠原伊豆諸島の海底が「砂漠化」してしまたことが取材確認されています

また、沖縄独立させようという企みもあり、、中国では「沖縄中国のもの」というニュースネットでも、テレビ新聞でも当たり前のように報じられています。そして、沖縄独立に向けた国際会議日本政府許可承認もなく、「第2回琉球沖縄最先端問題国際学会議」として、中国北京で開かれました。沖縄でも、東京でもない北京勝手に開かれる異常な事態です…このような情報を知らないですまされるでしょうか?

さらに、こんな事をご存知でしょうか?

現在日本政府労働力不足の名目海外留学生労働者を受け入れていますが…

2015年その数は19万2000人でした、、ですが、そのうちの5803人あまり失踪しているのをご存知でしたか…?その半数が中国人です…そして、更にその数は倍増し、2016年半年間だけで、その数は21万人以上…今年はどれだけ失踪者が出るかと考えるとゾッとします…

これらの失踪者はどこに行ってるのでしょうか?不法日本に残って住み着いてるのは間違いありません…こんな事が毎年、毎年、着実に積み上がって、、、いつの間にか、日本国内にはたくさんの中国人が住んでいる、、、なんて事になるでしょう

学校によっては日本人よりも中国人の生徒が増えています。実際、埼玉川口では団地住民33%が中国人という場所もあります。実際、そこは少しずつ、チャイナタウンのようになってきています。ご存知と思いますが、土地をたくさん買っています特に水源地を買っているのですが、それは10年後20年後に、中国人の街を作る目的だと言われています

想像してみてください。ある日、突然、あなたの隣町が中国人コミュニティになっていたらどうでしょう?それは決してフィクションの話ではなく、実際に起こりうる話なのです…このような話はごく一部です…

なぜ、私たち日本人は、私たち存在尊厳に関する、極めて重要な話を、知らされてないのでしょうか?

それは、メディアに出て専門的なことを解説する大学教授マスコミが「反国家思想に染まっているからです。国があると戦争をする。だから国家がないほうがいいという思想GHQ占領時代からずっと続いていてるからです。だからテレビ新聞などのマスコミは、われわれ日本人覚醒させるような情報はできるだけ流さないようにして、常に「質の低い情報」ばかり流します。

以下略

2017-09-19

北京 18日 ロイター] - 中国ロシア海軍は18日、北朝鮮付近合同軍事演習を開始した。中国国営新華社によると、軍事演習北朝鮮ロシア国境にほど近いロシア極東ウラジオストク港沖の日本海オホーツク海南部海上実施される。

https://jp.reuters.com/article/china-russia-drill-idJPKCN1BT0RT

我々のアイドル北朝鮮はこれにもきちんと反発するだろうか田舎

中国外交部のルカン報道官は、中国側が、温家宝首相最近北朝鮮に人道援助を提供する意欲の肯定的信号を発表したことに気づいたとの質問に対し、9月18日北京で開かれた。中国両国交流交流を強化し、関係改善し、和解を促進し、当事国が通常の交流支援することを希望している。

記者は、同日の記者会見で、「日本の首脳は、韓国大統領に人道援助を提供する適切な時期を考慮することを望んで、韓国大統領とのインタビューで語った。この点に関し、原則として、幼児および妊娠女性が人道援助を提供するための対応に対する文章は、政治から分離されるべきである連合通信によると、韓国政府は21日、「韓国の交換と協議を促進するための協議会議を開き、北朝鮮に決定を下すための支援をするかどうかを報告する。日本韓国の違いを中国はどのように見ていますか?

http://news.xinhuanet.com/politics/2017-09/18/c_1121683728.htm

ひゅー二枚舌外交ひゅー

2017-09-10

もうヤルタやれよ、ここは勝者の世界分割やる場面だろ

北朝鮮情勢を見てると、世界史教科書に残るような歴史舞台が作れるのではないか妄想して、ワクワクが止まらない。朝鮮半島北部は、米国中国ロシアの利害が錯綜して、あたか火薬庫の如く状況となっているが、逆にいえば、この3大陣営の利害さえ一致できれば、朝鮮半島処分問題として、一挙解決可能だ。しか役者がすごい。米国トランプ中国習近平、そしてロシアプーチンだ。以下、妄想。 

場所は、黒海沿岸保養地とか、ベルリン郊外の森の中とか、オーストリアシェーンブルク宮殿とか、それなりに歴史に残ってもカッコいい場所

・3大陣営の首脳が、もっともらしい理屈をつけて、近辺諸国外交日程を組む。その合間を縫って極秘会談

テーマはもちろん北朝鮮処分戦後朝鮮半島北部の分割だ。

米国は、北緯38度線を超えての北朝鮮地域の大幅な占領にはあまり興味をもたない。むしろ韓国との関係を含め、徹底した軍事リスクの除去を求める。そのため必要な徹底した武装解除イムジン河以北数十キロ緩衝地帯化を行う。

中国は、人民解放軍中朝国境を超えて平壌にまで進軍。占領統治の中心をなす。核攻撃等で、汚染、荒廃した国土だが、中国にとっての緩衝国として傀儡政権樹立、枢要部を実質支配下に置く。

ロシアは、立ち位置が難しい部分はあるが、北朝鮮北部東岸ロシア入植地域のロシア保護名目に、朝ロ国境を超えて突如南下、不凍港を租借確保する。必要があれば、数万人規模で北朝鮮民をシベリア連行抑留し、極東開発のため数年間の労働資源としても良い。

合意成立後、直ちに3大国北朝鮮一斉攻撃だ。米国は、戦術核使用国境付近砲兵ミサイル基地への無力化攻撃空爆中国は、北京に北のミサイル照準が合わせられたことを名目に、平壌ほか主要都市への核攻撃。そして、もっと精神的打撃が大きいのが、友好国と考えていたロシアの参戦だろう。これで北朝鮮は、トップ金正恩以下、末端まで総崩れになる。

日本も、総理歴史的発言を用意しておかなくてはならない。インテリジェンス面で信用されていない我が国は、上記を米国から知らされるのは直前であるが、官邸でのぶら下がり取材ではこう言い放って内閣総辞職だ。「嗚呼極東の天地は複雑怪奇」と

2017-09-04

各国の思いはこんなところだろうか

米国・・・朝鮮半島の緊張材料として適度に暴れてくれればちょうど良かったのに、調子にのって戦略核まで到達されてしまうと、もう容認できない。これを容認してしまうと、北はシリアイランへの売却、ひいてはISILのようなテロ集団への売却もしかねない。いやビジネスとして確実にやってくるだろう。そのとき世界制御不能な混沌現実化する。ではそうさせまじと、先制的に北朝鮮攻撃したとき中途半端攻撃ではゲリラ戦術を用いられ、東アジア中東のような長期にわたる戦場となってしまう。短時間でけりをつけようとすると、米国核兵器使用する羽目になる。いずれにしろ国際世論からの猛批判に長年さらされる。また、戦後の面倒を米国がみることになり、得られるものほとんどないのに、余計な苦労だけ背負わされる。その役目は中国に担ってもらいたい。最初から中国が北を攻めればいいのに。北をあげてもいいよ。韓国あかんけど。はよやれや中国。やらんのなら中国責任放棄宣伝しつつ、代わりに米国がやったげるけど。

北朝鮮・・・水爆核弾頭搭載ICBMの完成と配備完了してしまえば、米国体制保障必要ない。中露にも脅かされることはない。あとはこれをビジネスにして儲けかつ南への脅迫材料にしてじっくり北主導での統一に追い込む。そのためにはいまのうちに(攻められ追い込まれる前に)ゴールまで駆け抜けろ。

韓国・・・発言権もなく、軍事指揮権もなく、誰からも注目もされない。なのに軍事攻撃時にもっとも人命が失われるのは韓国。北の核保有容認をいっそのことしてもらって、その代わり、北とイーブンになる韓国独自核兵器供与するべきだ、いや供与してください、お願いします。

中国・・・経済的米国に肉薄する勢いを持ち、そろそろ世界での覇権の分割という分け前をもらっても良い立場になっている。なのに、米国はいちいち邪魔をして、覇権を一部でも譲ろうとしない。歴史的清代の版図を列強に掠め取られてきた中国はいまこそ、その版図をとりもどす実力をつけつつある。ゆっくりとでも実力行使・現状追認型で徐々にとりもどしていきたい。そんなとき中国の影響下にもかつてあった領域米国に掠め取られることはあってはならないことだ。そもそも朝鮮戦争の休戦協定時に3か月以内に外国軍隊朝鮮半島から出ていくという約束だったのに、それをこの60年以上米国裏切り続けている。嘘つきは米国だ。だから北朝鮮にはひたすら米韓敵対していてほしかった。ただしおとなしく。誰が調子にのって戦略核まで持てと許したか。いやそこまでは許していない。しかも党中央に歯向かう軍区(朝鮮族の牙城)と結託してこちらにまでミサイルを向けている。中国にも歯向かうようになった北に対し、中国コントロール下で傀儡政府を作ろうとしたが、これも結局ルートを殺され、つぶされてしまった。こうなると軍事力でやりたいところだが、肝心の隣接軍区が党中央に歯向かっているのでそれもできない。だからいくら米国からなんとかしてくれと言われても現状では言うことをきかせる手段がない。石油禁輸は北を追い込み、必ずや隣接軍区とともに北京へ向かってくるだろう。難しい局面にあるが、なんとか北に核開発を停止させ、その代わり在韓米軍撤退させるというダブルフリーズ案を国連の場で提唱し、双方に飲ませることはできないだろうか。できるといいなあ。できたら自分とこにとっても都合がいいんだよなあ。米国がそれはいやだ、どうしても先制攻撃するというなら、大声で批判しまくってやる。批判しながらついでに尖閣諸島を占拠してやる。

ロシア・・・ソ連傀儡として作った北朝鮮も、もうちょっと朝鮮半島全体を占拠できるところだったのに、国連軍とやらの反攻にあってしまった。休戦協定時の約束である米軍撤退を結局60年以上も果たしていない。米国は嘘つきの限りだ。ドイツ東西統一するとき米国は裏約束として決してNATO/EU陣営東方拡大しないと言った。それもまったくの嘘だった。そしてソチ五輪とき大統領ソチから離れられないそのときに、米国ウクライナでのデモ悲惨な衝突を演出し、政変を起こした。そのプロしからぬやり方はもう許せない。相手がそんなやり方をするなら、ロシアもやり方を変える。米国覇権を崩すためならあらゆる手段を尽くす。チャンスがあれば嫌がらせの限りを尽くす。たとえ、自国へ歯向かうテロリストへ核が流出するリスクを冒そうとも、北への石油輸出を増やし、ミサイル技術開発の支援もし、はては米国斬首作戦から金正恩防衛するために元KGB要員の顧問派遣する。中国ダブルフリーズにのっているふりをしつつ、決して米国の思い通りにはさせない。もし米国先制攻撃に出るなら、猛批判急先鋒になってやる。そのドタバタついでに中国から北朝鮮ビジネスを奪い取ってやる。

日本・・・東アジア防衛の要は、日米の防衛協定にある。ここが安定化・深化することが、中国覇権主義から東アジア諸国を守る軸となる。北朝鮮への対応は、その真価を現実のものとして日本国民他国民にみせつけるショーケースとなりうる。米軍自衛隊が一体となって、日本国民とひいては韓国をも守護するさまをできれば見せたい。ただここまで北の開発スピードが早くなっているとは予想していなかった。すでにショーケースだのなんだの言ってる段階をはるかに飛び越えてしまたかもしれない。軍事攻撃にせよ、核保有公認にせよ、どちらにしても日本にとっては大変よろしくない結果が待っている。うーん、困った困った。状況に合わせて動くしかいか。核保有公認時には、日本独自核兵器保有論議に入るか。うちには大量のプルトニウムと固定燃料運用の実績豊富ロケット技術もあるし。

中国北朝鮮核ミサイル武装に全面的に反対でしょう

anond:20170904195506

北朝鮮中国の子分だから北朝鮮の核は中国容認している、あるいは協力していると考えている人を見かけるけれど、そんなことあるけがない。中国だって核ミサイルを突き付けられている側でしかないよ。

中国黒幕説の人は中国北朝鮮が盟友だから貿易を止めていないと見ているのかもしれないが、貿易を止めて恨まれたら北京ミサイルが飛んできかねないから止められないという事情だってある。

中国北朝鮮供与したロケット製造技術はせいぜい延坪島に打ち込んでいたロケット弾程度のもの。それ以上の技術北朝鮮エジプトから複製を請け負ったソ連スカッドミサイルリバースエンジニアリングから得ている。あとはイランあたりとの協力から

そもそも中国ロケット技術アメリカNASAの流れをくむものだし、北朝鮮ロケット技術ソ連パクリ、と系統が異なる。

2017-09-02

https://anond.hatelabo.jp/20170902081321

平和的な解決もある。

刈り上げデブ北京へ行った時に幽閉するのだ。

習近平がそこまでやってくれるかわからんが、案外、あっさり代わりを北鮮に置いて終わるかもしれんぞ

2017-08-23

一体いつまで、テレビ中国関連の話題流れる時と言ったらまず、北京紫禁城?の前とかを人民服着て自転車漕いでるおっさんが大量に映ってる映像から、という状況が続いていたのか。

自分記憶だともう00年代には見なくなっていた。

2017-08-12

ドナルド・トランプは既に中国北朝鮮相互確証破壊の段階にあることを気付いていない

or 意図的無視している。というかトランプ以外のみんなも気付いてないか無視してるよね。

北朝鮮韓国日本アメリカといった敵国を核攻撃するには国境を越える運搬手段必要であり、通常それには弾道ミサイルが用いられる。よって、弾道ミサイル技術および核弾頭の小型化が完了しない限り、これらの国を核攻撃することはできない。しかし、中国を核攻撃したいのであれば、陸路で輸出する石炭に紛れこませて中国国内搬入したうえで、トラックかなんかで北京上海深セン重慶北戴河といった大都市に運びこみ起爆すればよいだけだ。これであれば別段高度な技術はなにも必要ない。大型かつ非効率ガンバレル型の核爆弾でもなんでもよい。

習近平としては、既に北朝鮮によって自国の主要都市のどこかに核兵器が隠されており、いつでも金正恩命令でこれが起爆されるという前提で政治をしなければならない。いつ、北朝鮮核兵器によって自分が爆殺されるか分からないというのが彼の感覚であろう。アメリカであれ日本であれ、この点を考慮して習近平交渉しなければならないはずだ。「お前の舎弟だろなんとかしろ」と言われたところで、彼にしてみればもはや事態はとっくに終局を過ぎた後なのだ

2017-07-31

在日中国人使ってさあ

中国を3つに分ける工作できないか

北京上海南京の3つに分ける

その手始めに海南島独立運動

中国共産党一枚岩でなくて権力闘争に明け暮れているから、共産党内部から腐らせるのが一番だな

2017-06-29

中華人民共和国を分裂させられないか

香港返還20周年らしいが、香港中国から独立した方がいい

マカオ独立

台湾はすでに国家としての実力がある。

海南島独立した方がいいし

上海北京支配から独立したほうが経済的に豊かになれるぞ。

チベット中国共産党のよる民族浄化から開放されなければならないし

ウィグル独立したほうがいい

内モンゴル自治区モンゴル併合されたほうが同じ民族幸せ

満州朝鮮族が多いか朝鮮半島2カ国と一緒に朝鮮国でも作ったほうがいい

中華人民共和国国家バラバラ解体したほうが中国人幸せ

2017-05-19

副島 種臣(そえじま たねおみ、文政119月9日1828年10月17日) - 明治38年(1905年1月31日)は、日本江戸時代末期(幕末から明治時代佐賀藩士、政治家書家。勲一等、伯爵。初名は竜種(たつたね)。通称は次郎(じろう)。号に蒼海(そうかい)、一々学人(いちいちがくじん)。

目次 [非表示]

1 生涯

2 書家

3 栄典

4 参考文献

4.1 伝記

5 登場作品

6 脚注

7 関連項目

8 外部リンク

生涯[編集]

文政11年(1828年)、佐賀藩士・枝吉南濠(忠左衛門、種彰、30石)の二男に生まれる。父は藩校である弘道館教授を努める国学者で、兄は同じく国学者枝吉神陽。母は木原宣審の娘・喜勢。父と兄の影響により、早くから尊皇攘夷思想に目覚める。弘道館で学び、この間に江藤新平大木喬任と交わる。

嘉永3年(1850年)、兄・神陽が中心に結成した楠公義祭同盟に加わる。嘉永5年(1852年)、京都遊学、漢学・国学などを学ぶ。この間に矢野玄道らと交わる。さらに、神陽の命を受けて大原重徳に将軍廃止天皇政権による統一を進言する意見書を提出して青蓮院朝彦親王から藩兵上洛を求められるが、藩主鍋島直正に退けられた上、藩校での国学教諭を命じられた。

安政6年(1859年)、父の南濠が死去し、同年3月には同藩士の副島利忠の養子となる

元治元年(1864年)、長崎に設けた藩営の洋学校・致遠館の英学生監督となって英語等を学ぶ。慶応3年1867年)、大隈重信脱藩するが、捕らえられて謹慎処分を受ける。

明治維新後は慶応4年1868年)、新政府参与制度取調局判事となり、福岡孝弟と『政体書』起草に携わる。明治2年(1869年)に参議、同4年(1871年)に外務卿となり、マリア・ルス号事件において活躍する。マリア・ルス号事件では、助けを求めた中国人奴隷解放したことで、正義人道の人と国際的に支持された。

明治6年(1873年)2月には前々年に台湾で起きた宮古島島民遭難事件台湾出兵も参照)の処理交渉特命全権公使外務大臣として清の首都北京派遣され、日清修好条規批准書の交換・同治帝成婚の賀を述べた国書の奉呈および交渉にあたった。この間、清朝高官との詩文交換でその博学ぶりを評価をされている。同年10月征韓論争に敗れて下野し、明治7年(1874年)には板垣退助らと共に愛国公党に参加、同年には民撰議院設立建白書を提出したものの、自由民権運動には参加しなかった。西南戦争中は、中国大陸中南部旅行滞在している。

明治12年(1879年)、宮内省一等待講。明治17年(1884年)、伯爵明治20年(1887年)に宮中顧問官、明治21年1888年)に枢密顧問官明治24年(1891年)に枢密院副議長になり、明治25年(1892年)には第1次松方内閣において内務大臣を務めた。

明治38年(1905年)、脳溢血のため死去[1]。

ルジャンドルフランスウラン(Oullins)に生まれランス大学およびパリ大学に学んだ[1]。父親のJean-François Legendre-Héralは人物像を得意とした古典主義彫刻家エコール・デ・ボザールの教師[2]。24歳のときニューヨークの著名な弁護士の娘であったクララヴィクトリア・ミュロックブリュッセル結婚した。結婚後すぐに米国移住し、帰化した。

南北戦争[編集]

1861年に南北戦争が勃発すると、ルジャンドルは第51ニューヨーク志願兵歩兵連隊兵士募集に協力し、1861年10月29日に同連隊少佐に任官した。その後ノースカロライナでの戦闘従事し、1862年のロアノーク島の戦いにも参加した。しかしながら、1862年3月14日、ニューバーンの戦いで重傷を負った。

負傷にもかかわらず、ルジャンドルは軍を離れず、同年9月20日には中佐に進級。1863年には第9軍に配属され、多くの戦闘に参加した。1863年3月14日には大佐に進級。ヴァージニア荒野の戦いではユリシーズ・グラント将軍の指揮下にあったが、その最中の1864年5月6日ルジャンドルは再び重症を負った。今回は顔面を撃たれ、左目と鼻を失った。アナポリス病院入院したが、その間にも南軍最後攻撃から街を防衛するための準備を手伝った。その後ニューヨーク移送され、そこで第9軍の兵士募集を手伝った。1864年10月4日名誉除隊したが、1865年3月13日には准将名誉進級した。

中国[編集]

1866年7月13日ルジャンドル厦門米国領事に任命された。7月ニューヨークリバプールに向けて出港し、その後ヨーロッパアジア大陸旅行12月厦門に到着した。領事として、ルジャンドルは5つの条約港、すなわち厦門基隆台北、淡水および高雄責任を持った。そこでは、年季奉公人の不正取引抑制に尽力した。

1867年3月12日米国ローバー号が台湾遭難し、その乗員が台湾原住民殺害されるローバー事件(en)が発生した。ルジャンドルは福州へ赴き、台湾中国側当局問題解決圧力をけるように、福建・浙江総督を説得した。福建総督は自ら行動は起こさなかったが、ルジャンドル台湾に行く許可を与え、台湾知事が協力するように紹介状を書いた。

ルジャンドルは、遭難現場訪問のために米国船アシュロット号を雇い、台湾当局に行動させようとした(これは失敗した)。その後アメリカ合衆国海軍ヘンリーベル少将懲罰作戦実施したが、これも失敗した。さら情報を集めるため、ルジャンドルは再び台湾に出向いた(このときは、紹介状は無しであった)。

中国へ戻ったルジャンドルは、南台湾に軍隊派遣するよう福州の総督を説得し、ようやくこれに成功した。ルジャンドルは400〜500人の規模を希望したが、これよりはかなり小さな遠征隊が、1867年7月25日台湾に送られた。ルジャンドル砲艦派遣ベル提督要請したが、これは拒否された。このため、武装商船ボランティア号が雇われた。ルジャンドル9月4日台湾上陸したが、上司に対しては全くの傍観者として行動したと報告している。

ルジャンドル直ちに本来任務を開始した。南台湾の険しい山岳地帯を通りぬけ、原住民酋長と難破した欧米の船員の安全保証するための条約協議した。

1871年9月6日琉球宮古島)の船が台湾沖で遭難したが、ローバー事件と同様に、多数の船員が殺害された(宮古島島民遭難事件)[3]。1872年2月29日ルジャンドルは先に結んだ条約日本人船員にも適用するよう拡大するため、台湾に出向いた。任務は不成功に終わり、またルジャンドル北京駐在米国公使フレデリックロウ(en)とも不仲になってしまった。

日本[編集]

1872年厦門から米国へ戻る途中、ルジャンドル日本に立ち寄り、明治政府台湾問題武力解決提唱した。これは副島種臣外務卿意見とも一致しており、ルジャンドル米国領事の職を辞し、1872年12月12日外交および軍事顧問として明治政府雇用された[1]。1873年2月、副島は2年前に台湾で起きた宮古島殺害事件の処理交渉特命全権公使外務大臣として北京派遣されたが、ルジャンドルもこれに参加した。この交渉部分的には成功であったが、引き続きルジャンドル1874年台湾出兵の準備を手伝った。台湾問題に関して、ルジャンドル駐日米国公使チャールズ・デロングの支援を受けており、また個人資格でこの遠征に参加するつもりであった[4][5]。加えて、2名のアメリカ軍人が雇用された。ところが、デロングの後任の米国公使ジョン・ビンガムは、ルジャンドルを支持せず、1874年4月19日台湾出兵は一旦延期とされた。ルジャンドルらは長崎で出征準備を整えていたため、大久保利通長崎に向かった。結局遠征部隊5月18日長崎を出港したが、ルジャンドル大久保と共に東京に戻った。その後、ルジャンドル交渉のため福州に派遣されることとなったが、アメリカ総領事職場放棄の罪に問われ、短期間ではあるが上海収監されてしまったため、遠征には参加できなかった。1875年には日本政府から勲二等旭日重光章を授与されたが、これは外国人としては最初のものであった[1]。その年の末には顧問を辞任した。

ルジャンドル1890年まで日本滞在し、大隈重信個人的顧問を務めた。

韓国[編集]

1890年3月ルジャンドル日本を離れ、朝鮮王高宗顧問となった。1899年9月1日漢城(現 ソウル)で卒中により死亡するまで、その職を務めていた[6]。

原因・背景[編集]

1871年(明治4年)10月宮古島から首里年貢輸送し、帰途についた琉球御用船が台風による暴風遭難した。乗員は漂流し、台湾南部に漂着した。船には役人と船頭・乗員合計69名が乗っていた。漂着した乗員66名(3名は溺死)は先住民現在台湾先住民パイワン族)に救助を求めたが、逆に集落拉致された。

先住民とは意思疎通ができなかったらしく、12月17日遭難者たちは集落から逃走。先住民は逃げた者を敵とみなし、次々と殺害し54名を斬首した(宮古島島民遭難事件)。12名の生存者は、漢人移民により救助され台湾府の保護により、福建省の福州経由で、宮古島へ送り返された。明治政府清国に対して事件の賠償などを求めるが、清国政府は管轄外として拒否した。翌1872年明治5年琉球を管轄していた鹿児島県参事大山綱良は日本政府に対し責任追及の出兵を建議した。1873年(明治6年)には備中国浅口郡島村現在岡山県倉敷市)の船が台湾に漂着し、乗組員4名が略奪を受ける事件が起こった[1]。これにより、政府内外で台湾征討の声が高まっていた。

開戦準備へ[編集]

副島種臣

宮古島台湾遭難事件を知った清国アモイ駐在アメリカ合衆国総領事チャールズルジャンドル(リゼンドル、李仙得)は、駐日アメリカ公使チャールズ・デロングを通じて「野蛮人懲罰するべきだ」と日本外務省提唱した。

初代龍驤台湾出兵旗艦であり副島種臣大久保利通をそれぞれ、中国に運んだ。

孟春(砲艦)は三本マストスクーナー型鉄骨木皮の小型砲艦で、台湾出兵に参加した。

外務卿副島種臣はデロングを仲介しルジャンドル会談、内務卿大久保利通ルジャンドル意見に注目し、ルジャンドル顧問として外務省雇用されることとなった。当時の明治政府では、朝鮮出兵を巡る征韓論などで対立があり、樺山資紀や鹿児島県参事大山綱良ら薩摩閥は台湾出兵を建言していた。これらの強硬意見の背景には、廃藩置県によって失業した40万人から50万人におよぶと推定される士族の不満のはけ口を探していたことがある[2]。

1873年、特命全権大使として清国に渡った副島外務卿は随員の柳原前光を用いて宮古島台湾遭難事件などの件を問いたださせたが[注釈 1]、清朝の外務当局は、台湾先住民は「化外」であり、清国統治のおよばぬ領域での事件であると回答して責任回避した[1]。その後、日本ではこの年秋、朝鮮使節派遣をめぐって政府が分裂し(明治六年政変)、また、翌1874年1月の岩倉具視暗殺未遂事件、2月の江藤新平による反乱(佐賀の乱)が起こるなど政情不安が昂じたため、大久保利通を中心とする明治政府国内の不満を海外にふり向けるねらいもあって台湾征討を決断し、1874年明治7年)4月、参議大隈重信台湾蕃地事務局長官として、また、陸軍中将西郷従道台湾蕃地事務都督として、それぞれ任命して軍事行動の準備に入った[1]。

明治六年政変における明治天皇勅裁は、ロシアとの国境を巡る紛争を理由とした征韓の「延期」であったため、ロシアとの国境が確定した際には、征韓派の要求が再燃する可能性が高かった。政変下野した副島にかわって外交を担当することとなった大久保としては、朝鮮よりも制圧が容易に思われた台湾出兵をむしろ積極的企画したのである

台湾での戦闘[編集]

西郷従道

台湾出兵に対しては、政府内部やイギリス公使パークスやデロングの後任のアメリカ公使ジョン・ビンガム(John Bingham)などからは反対意見もあった。特に参議木戸孝允らの長州系は征韓論否定しておきながら、台湾への海外派兵をおこなうのは矛盾であるとして反対の態度をくずさず、4月18日木戸参議辞表を提出して下野してしまった。そのため、政府は一旦は派兵の中止を決定した。

台湾出兵時の日本人兵士

水門の戦 最も激しい戦いであった。当時の日本人による版画[3]

国立公文書館が所蔵している公文書によると1874年4月4日三条実美により台湾蕃地事務局が設置される。(以後の任命は当時太政大臣であった三条実美からの奉勅となっている)同年4月5日台湾蕃地事務都督に西郷従道が任命される。[4]同年4月6日谷干城赤松則良に台湾蕃地事務局参軍と西郷従道を輔翼し成功を奏する事を任命される。[5]同年4月7日海軍省から孟春艦、雲揚艦、歩兵第一小隊、海軍砲二門と陸軍省から熊本鎮台所轄歩兵大隊砲兵一小隊出兵命令が命じられる。[6]という経緯になっている。

5月6日台湾南部上陸すると台湾先住民とのあいだで小競り合いが生じた。5月22日台湾西南部の社寮港に全軍を集結し、西郷命令によって本格的な制圧を開始した[1]。6月3日には牡丹社など事件発生地域を制圧して現地の占領を続けた。戦死者は12名であった[1]。しかし、現地軍は劣悪な衛生状態のなか、亜熱帯地域風土病であるマラリアに罹患するなど被害が広がり、早急な解決が必要となった。マラリア猖獗をきわめ、561名はそれにより病死した[1]。

収拾への交渉[編集]

明治政府は、この出兵の際に清国への通達をせず、また清国内に権益を持つ列強に対しての通達・根回しを行わなかった。これは場合によっては紛争の引き金になりかねない失策であった。清国の実力者李鴻章イギリス駐日大使パークスは当初は日本軍事行動に激しく反発した。その後、イギリス公使ウェードの斡旋で和議が進められ、8月、全権弁理大臣として大久保利通北京に赴いて清国政府交渉した。大久保は、ルジャンドルフランス人法学者ボアソナード顧問として台湾問題交渉し[7]、主たる交渉相手総理衙門大臣の恭親王であった[1]。会談は難航したが、ウェードの仲介や李鴻章の宥和論もあって、10月31日、「日清両国互換条款(zh)」が調印された[1][7]。それによれば、清が日本軍出兵を保民の義挙と認め、日本は生蕃に対し法を設ける事を求め、[8]1874年12月20日までに征討軍を撤退させることに合意した。 また日清両国互換条款互換憑単によると清国遭難民に対する撫恤金(見舞金)10万両(テール)を払い、40万両[注釈 2]を台湾の諸設備費として自ら用いる事を願い出費した。[9]また、清国日本軍の行動を承認したため、琉球民は日本人ということになり、琉球日本帰属国際的に承認されるかたちとなった[1]。

帰結[編集]

日本清国との間で帰属がはっきりしなかった琉球だったが、この事件の処理を通じて日本に有利に働き、明治政府は翌1875年明治8年)、琉球に対し清との冊封朝貢関係廃止明治年号使用などを命令した。しか琉球は清との関係存続を嘆願、清が琉球朝貢禁止に抗議するなど外交上の決着はつかなかった。

1879年明治12年)、明治政府のいわゆる琉球処分に際しても、それに反対する清との1880年明治13年)の北京での交渉において、日本沖縄本島日本領とし八重山諸島宮古島中国領とする案(分島改約案)を提示したが、清は元来二島領有は望まず、冊封関係維持のため二島琉球に返還したうえでの琉球王国再興を求めており、また、分島にたいする琉球人の反対もあり、調印に至らなかった。

また、明治政府兵員輸送英米の船会社を想定していたが拒否され、大型船を急遽購入して国有会社の日本国郵便汽船会社に運航を委託したがこれも拒否され、大隈重信はやむなく新興の民間企業である三菱を起用することに決定したが[10]、この協力により、以降、三菱政府からの恩恵を享受できることとなり、一大財閥になるきっかけとなった[11]。

台湾出兵と熱帯病[編集]

被害[編集]

日本軍の損害は戦死8名、戦傷25名と記録されるが、長期駐屯を余儀なくされたため、マラリアなどの感染症に悩まされ、出征した軍人軍属5,990余人の中の患者延べ数は1万6409人、すなわち、一人あたり、約2.7回罹病するという悲惨な状況に陥った。

軍医部の対応[編集]

1871年(明治4年)、兵部省は、陸軍省海軍省に分かれ、軍医寮は陸軍省に属し、軍医頭は松本良順(のちに順)であった。台湾出兵当時、軍医部は創立より日が浅く経験不足であったが、総力を挙げて事態にあたった。出征軍の医務責任者は桑田衡平二等軍医正(少佐相当)、隊付医長は宮本正寛軍医大尉相当)であった。他に24名の医官を従軍させた。医官は全員奮闘したが、極悪の環境と猛烈な伝染病で病臥する者が多く、西郷都督からは薬だけでも兵士にあたえてほしいと要請された。医官の多くは漢方医で、熱帯病の治療にはまったく経験がなかったという。かれらは交代の22名が到着したため、ようやく帰国できた。宮内省から外国人医師が派遣された。ドイツ出身のセンベルゲル(Dr. Gustav Schoenberg)は、東京大学医学部前身にあたる大学東校お雇い外国人医師レオポルト・ミュルレルの推挙であったが、能力がなくトラブルを起こした。しかし、彼とともに送られた6台の製氷機械は大いに役に立ったといわれている[12]。

竹添 進一郎(たけぞえ しんいちろう、1842年4月25日天保13年3月15日) - 1917年大正6年)3月31日)[1]は、日本外交官漢学者。名は漸、字は光鴻(こうこう、みつあき)、号は井井(せいせい)と称した[2]。 甲申政変時の朝鮮弁理公使であり、後に漢学者として活躍した。日本学士院賞受賞。熊本県近代文化功労者[3]。

目次 [非表示]

1 来歴

2 主な著作

3 栄典

4 脚注

5 参考文献

来歴[編集]

肥後国天草(現・熊本県上天草市大矢野町)生まれ。父である小田左衛門(竹添筍園)は、肥前国島原出身医者で、天草大矢野島に移り住み、上八幡宮宮司二上出雲の娘である美加と結婚した[3]。順左衛門儒学者広瀬淡窓門下十八傑の一人でもあり、進一郎が幼い頃より儒学を教えた[1]。

1855年(安政2年)15才の時、天草より熊本に出て儒学者木下韡村の門下生となった。学業は極めて優秀で、木下門下では、井上毅木村弦雄と三才子と称され、さらに古荘嘉門を加えて四天王といわれる[3]。藩校時習館の居寮生となり、木下のはからいで士分に取り立てられ、藩命により京都江戸奥州を訪れる。江戸では勝海舟の知遇を得る[1]。

1871年(明治4年)、廃藩置県で失職し熊本市玉名市私塾を営んだ後、1875年明治8年)に上京する[3]。勝海舟の紹介で森有礼全権公使随行し、清国へ渡った。同郷の津田静一と共に清国を旅し「桟雲峡雨日記」を記した[1]。天津領事北京公使館書記官などを経て、1882年明治15年)、花房義質の後任として朝鮮弁理公使となるが、甲申政変に深く関わり辞任した[4]。

1893年明治26年)、東京帝国大学教授就任漢文学を講じた[1]。退官後、小田原暮らし、76才で没した。1914年大正3年)、日本学士院賞受賞(第4回)。文学博士従三位勲三等。熊本県近代文化功労者。次女の須磨子は、講道館柔道創始者である嘉納治五郎結婚した。媒酌人は、木下韡村の次男で後に京都帝国大学総長となった木下広次が務めている[1]。

2017-05-17

小池都政への寓話

おい、東京都政

いつまで現実から目を背けるつもりなんだ?

オリンピックまであと3年だぞ、あの北京ですらそれに向けた街づくりをしているかもしれないのに

きみはいつまでそれを先延ばしにしているんだよ!

今まで地方と仲良く田舎扱い、途上国扱いされているくせによくも「先進国大都会」とか嘘を付けるもんだな!

もう好景気手前なんだからから入ってくる人を楽にする為にも街構造の改造(観光地オフィス街との分離)もできないのか!

理由もないのに政権依存した行政になるのも辞めることすらできないのか!

おい、東京都政

2017-05-16

日本ってなんでこんなに英語が通じないんだろう

先進国都市部でここまで英語通じないってやっぱおかしくね

日本語だけで生活できるから〜とか言ったって、そんなんパリだってフランス語だけで十分だしベルリンだってドイツ語だけで十分なのに英語普通に通じるぞ

北京だってまあまあ通じる(少なくとも日本より絶対通じる)

マジで謎だわ

必要性だけでは説明できないと思う

2017-04-12

http://anond.hatelabo.jp/20170412085744

kyo_juその前に北京から平壌に介入が入る方が現実的予測だが、安倍氏自分疑惑消しと共謀罪成立と改憲推進のために早くやってくれとトランプにせがんでるか、少なくとも期待してるだろうね。2017/04/12Add Starkurahito4ataharaBigHopeClasic

ほっておいたらこんなになっちまったって意味では北朝鮮と一緒のバカサヨkyo_ju

はてサいくらクズでもこういうのちゃんと身内でぶん殴って躾けとけよ

星つけてるお前らに言ってんだぞ、ゴミどもが

2017-04-06

http://anond.hatelabo.jp/20170406133514

(んな事出来るの?って話は一応あるとして)

ってのが重要。仮に先制攻撃をしたとして、やるとしたら韓国アメリカ。どっちが勝っても北朝鮮米軍駐留することになる。

そうなると中国北京ロシアウラジオストク米軍の射程範囲内に入って、アジア勢力図が一気に塗り替わる。

そんなわけで、中国ロシアがいる限り、どうあがいたって北朝鮮先制攻撃なんて不可能

2017-03-16

世界スタートアップ地区ランキング日本地名なし

~世界スタートアップ地区ランキング日本地名なし ~


世界スタートアップランキングが先日発表されました。

https://startupgenome.com/

メールアドレス登録PDF閲覧可能

上位から一覧をここに紹介いたします。

1.シリコンバレー

2.ニューヨーク

3.ロンドン

4.北京

5.ボストン

6.Tel Aviv(イスラエル)

7.ベルリン

8.上海

9.ロサンゼルス

10.シアトル

11.パリ

12.シンガポール

13.オースティン

14.ストックホルム

15.バンクーバー

16.トロント-ワッテルロー

17.シドニー

18.シカゴ

19.アムステルダム

20.バンガロールインド

前回の結果(2015)については以下の記事を御覧ください

http://thebridge.jp/2015/07/the-2015-global-startup-ecosystem-ranking-is-live

御覧の通り、日本地名がありません。

日本世界に遅れているな」

そう思った方もいらっしゃるはず。僕もそう思いました。

しかし、資料をよく読んでみると実はそもそも日本調査対象に入っていません。

実は前回(2015)のランキングでも日本調査対象に入っていませんでした。

このことについて、前回の資料では「日本,中国,韓国言語関係で今回は調査見送りました」と明記がありました。

しかし、今回の調査では中国はもちろん、韓国(ソウル)も調査対象に入っています

日本調査対象から外れていることについて、そしてその理由についての明記はありません。


~どうして、今回は調査対象から外れているのでしょうか?~

どうして調査対象から外れているのでしょうか?

考えられる可能性の一つとして

日本重要場所じゃないから」

が思いつきます

しかし明らかに日本重要場所です。

前回の資料では次のように日本が指摘されています

"この資料では日本中国台湾韓国が含まれていません。(中略)

我々はこれらの国のエコシステムについて、次回には含めるつもりでいます"

【原文】

"Our index dose not currently include startup ecosystems from China, Taiwan ,Japan ,and South Korea.

We expect to have these eco-systems included in our index later this year."

この文章を読む限り日本重要場所とみなされているようです。

「次は日本も含めます。」と明言した限り、日本にも接触したでしょう。

しかし、それでもなぜ日本文字資料にないのか?

ここで浮上する可能性があります

それは、

日本が協力しなかったから」

です。

このランキングを発表するためには、いろいろな情報必要です。

中にはあまり外に出したくない情報もあるでしょう。

企業価値

・売上

M&A

VC(ベンチャーキャピタル)投資額

などの情報がそういった”表に出したくない”情報に当たります

他にはスタートアップへのアンケート調査必要になってきます

調査に協力したからといって報酬がもらえるわけではありません。

忙しい中にこのような調査対応をすることは正直言って面倒臭いでしょう。

からダメなんだよ!

と声をあげたい。

確かに、大事情報他人に渡すのは怖いし、アンケートは面倒臭い

でも、もしこのランキングで良い結果を残すことができたとしたら・・・

海外から有望な人材が集まってくるんだよ!!

シンガポールを見て欲しい。

シンガポール2015年ランキング10位だった。

しか技術者ランキングワーストの「20位」

技術者不足で嘆いていたのだ。

しかし今年は?

2017年シンガポール技術者ランキングで「1位」だ!

シリコンバレーを抜いての「1位」だ!

2015年ランキング真摯に受け止めた結果がこの結果を生んだのだと思う。

さらに言えば、2012年の18位から反省も受け継いでいるはずだ。


日本がこのランキングに参加できていない理由、皆さんは気になりませんか?

ランキングの算定方法は公開されています

からでも遅くない。

自分たち位置を確かめてみたいとは思わないだろうか?

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