はてなキーワード: 狂人とは
電車の中で大声で独り言を叫んだり、セルフ車掌したり、すごい勢いで車両間を移動してるアレだ。
それも一人ではなく数人いた。というのは、養護学校や作業所が近くにあったからだ。
部活とかで少し早めに駅に着くと、大体同じ時間に鉢合わせしていた。帰りの時間にも、スーパーマーケットなどに大勢いた。
彼らは知的障害だったり精神障害だったり強迫性障害だったりいろいろ背景があるはずだが、ここでは狂人とよぶ。世間はそうとしか見なしてないのだから。
そして同時に俺はその時期、いじめを受けていた。
俺は彼らを応援していた。
電車の中で狂人が行動を始めると、車両から次々と人がいなくなる。大声で広告を一つ一つ読み上げたり、虚空に向かって何か漫画?の台詞を叫んだりする。
下手すると、十数人いたはずの車両からみるみる人がいなくなり(すっと隣の車両に移動したり、駅で一旦降りて別の車両に小走りで移動したり)、隅っこに座る俺と大声で単調に話す狂人の二人だけになることもあった。
また、所謂汚言癖というのか、有名人の名前と卑猥な言葉を叫ぶおばさんと鉢合わせることもあった。一見そうとは見えないただの主婦みたいな女性が「○○、ちんぽなんだろ!」みたいなことを叫ぶ。ますます周囲から人がいなくなるが、それを自覚しているらしく、「目を逸らすんじゃない!」と叫んでいた。その叫びを聞いたのは俺だけだ。
この二人は、叫ぶほかに身体的な他害性はなかった。二人きりになっても、俺にかかってくることは無かった。
ジャージを着た、丸刈りの二十代くらいの男性がいた。丁寧かつ単調な口調でいろいろな人に「○○ですか?」「○○(アニメのキャラ?)っていいですよね」と話しかけたり、大声で独り言を発する。もちろん狂っている。たまに介護者?が横にいることもあったが、その時はずっと介護者に話し続けている。
観察していてわかったのだが、彼が話しかけるのは、女性が多かった。
ある時、このジャージ男が駅のホームに現れ、私立の女子高生に話しかけ続けていた。執拗かつ、延々と。女子高生は移動できない理由があるのかそれとも逃げちゃダメだと思ってるのか、白線の内側のレーンから動かず、微妙にしかし鬱陶しそうにうなずいたりしていた。誰も助けに来ない。俺も、時刻表の後ろにいて助けない。そして電車が来て、やっと女子高生は解放されるかと思ったら、ジャージ男も同じ電車に乗っていった。
読んでもらえればわかると思うが、俺は何か清い心とか、福祉的な精神で狂人を見守ってるわけではない。最近、「公共の場で大声を出す人がいます。見守りましょう」みたいな啓発ポスターがあるが、そんな心ではない。
ただ、彼らのような存在が、好き放題する。既存のコミュニケーションを破壊する。自分が健常で正常で普通だと思い込んでいる連中に突撃する。そういったことでしか、既存の、閉塞し続ける社会は破壊できない、と思っていた。
卑猥な言葉を吐き続けるおばさんや、女子高生に絡み続けるジャージ男を見て、俺は興奮していた。彼らの様に一線でも百線でも超えて社会を撹乱する行動はとらず、ただ応援する俺は卑怯かも知れない。ただ、ずっと彼らを邪魔せず、社会や普通の人たちの人生を意識しようがしまいが攻撃し続ける彼らを、応援していた。
最近、会社に馴染めず、相談しに行った心療内科で、WAIS3などを受けたりしたところ、俺は発達障害の一種らしいことがわかった。まだ最終診断や手続きはしていないが、そう認定してもらう方向でやっている。
俺はいよいよ彼らの同類に近くなる。(発達障害は障害ではない、という人もいるが)
俺は、狂人を応援し続けた自分を、自分なりに誇りに思っている。
会社の別部署の後輩に、俺よりもコミュニケーションがやばそうな人がいる。彼は周囲を疲弊させてるが、俺は彼も応援している。なんで、所謂健常者の決めたコミュニケーションに、障害者が従わされ続けなければならないのか。なんで、自分を排除する社会を愛さなければいけないのか。
アノニマスダイアリーを登録したのはひとえにこれを書きたいがためだったので、ユーザーネームのことは何も考えていなかった。
頭痛に悩まされる頭からは聖書のナオミ(彼女は苦難の中で自らを苦味を意味する「マラ」と呼ぶように言った)の姿が思い出された。
なんとなくそのまま苦い塩という名前にしようとしたが、なぜだか塩の簡単な綴りを間違えた。
英語は数十年やっているはずなのに、我ながら情けない。
思い返すまでもなく、今日は朝から台風に振り回されてばかりである。
頭に漬物石を括りつけ、それを引きずって歩いているのような気分だ。
体の調子が悪いと人間の思考は悪い方向へとどんどん傾いていく。
鬱々とベッドの中でスマホを弄っていると、円の切れた相手の最近のツイートを何となく見に行く、というあまり良いとは言えない行為にも走る。
友人は複雑な家庭で育ち、発達障害故の躁鬱に日々苦しんでいた。
時折夜中に電話がかかって来ては「自殺しないように見張っていてくれ」と言い、所謂寝落ち通話を求められたりもした。
せん妄状態なのか、訳の分からないことを言いながら私に泣き縋ったり、幻覚の状況を仔細にこちらに伝えてくることもしばしばあった。
友人にいま現在そういった普通でない状態の自分を任せられる相手がいるのかどうかは知らない。
が、ともかく私が友人の呟きに見たのは狂気であった。
この「狂気」といった表現は決して障がい者への差別的な意味を意図したものではないことを断っておこう。
ここ数日間の友人の呟きはほとんどが今敏のパプリカに出てくる台詞にそっくりであった。
以前、ツイッターにて「狂人の文章は稀に凄まじい美を帯びることがある」といった呟きを見かけたことがあるが、私は友人の言葉でそれを深く実感した。
内容を書くことはしないが、そこには(恐らく幻覚の)誰かに向けた必死の懇願めいた内容から、悟りの気配さえする穏やかな詩文の雰囲気を漂わせるもの、意味をなさないひとつの単語、一文一文は理解出来るが繋げて読むと全く支離滅裂な長文など、大量の呟きが残されていた。
友人の健康を祈るかたわら、綴られた言葉はとても美しく思えた。
「私は穏やかです。海のようです。波打つ畳が私の頭を、白い兎、飛び越えて、ああああ」
こういった混沌とした内容が数十ツイート分、ツリーで続いていることもあった。
自分の精神状態的にも敢えて深く読み込むことはせず、一度ざっと目を通しただけで閉じてしまったが、その海のくだりだけは鮮明に覚えている。
友人と縁が切れたのは数年前のことで、理由は私が編集者として働きたいがために引越しを決意した時のことだったと思う。
あまり覚えていない。
時が経ち過ぎたのか、今の私が友人に無関心なのか、それすら判然としない。
台風は、今どの辺りにいるのだろうか。
私の意識にはそればかりがある。
お前、インターネットのコツをちゃんと知った方が良いと思うんだが
インターネットって、
インターネットにアクセスする暇と能力のあるやつ(=世代が限定される)かつ、
他人に言いたいことのあるやつ(=悪い意味で熱心)が書き込むものだから、
「インターネットに少ない・ない」ことは、社会や世界に少ない・ないこととは全然違う
それは呼吸しているやつが少ないことではない。
実生活で「そんなんで訴える女おらんやろ」と思ってたんだったら、そっちがのほうが正しい。
昼間からインターネットをしている、しかも増田してる俺らみたいな狂人に属する女が、訴えるって言ってるとしても、それは狂人のたわごとだから。
わかる…
増田のいう時限があるから産もうと思ってる勢なんだけど、今でも仕事で忙しいのにリソースなくね?死ぬのでは?って半分思ってる。既婚で子がいないと肉体的にも精神的にも自由度高いよね。
家で猫飼ってるのだけど最初怖かった。自分でも大変なのにそんな暇あるかい!部屋が汚れるやんけ!みたいな。案の定部屋荒れるし。いろんなもの壊されるし気をつけなくちゃいけなくていらいらした。かわいいしちゃんと世話してるけどそれで全てチャラになるか?って言われたら微妙だった…ホテルとか仕事場、実家に行った時の何も中断されなさ、ほんとーーーになんかいろんなものがクリアになった感じがしてすごい集中できる。(ご飯を出せーって猫の鳴き声しないし、部屋に入れてーって扉カリカリしてこないし。反応しないとずーっと鳴き続ける。これ24時間くるの相当好きじゃないとイライラすると思うマジで)
いろんな人が言うけど小学生以降は自分で遊ぶみたいだから10年くらいまではきっとすごく疲れるんだろうな〜って想像して尻込みしてる。金は3000万ぐらいかかるしな…普通に世の中の親は狂人かな?って思うときある。
そういうお前に徒然草の第八十五段を贈るわ。読んで自分のことをよく考えてみ
(現代語訳)
人の心は素直でないから、嘘偽りにまみれている。しかし、生まれつき心が素直な人がいないとも言い切れない。心が腐っている人は、他人の長所を嗅ぎつけ、妬みの対象にする。もっと心が腐って発酵している人は、優れた人を見つけると、ここぞとばかりに毒づく。「欲張りだから小さな利益には目もくれず、嘘をついて人から崇め奉られている」と。バカだから優れた人の志も理解できない訳で、こんな悪態をつくのだが、この手のバカは死んでも治らない。人を欺いて小銭を巻き上げるだけで、例え頭を打っても賢くなる事はない。
「狂った人の真似」と言って国道を走れば、そのまま狂人になる。「悪党の真似」と言って人を殺せば、ただの悪党だ。良い馬は、良い馬の真似をして駿馬になる。聖人を真似れば聖人の仲間入りが出来る。冗談でも賢人の道を進めば、もはや賢人と呼んでも過言ではない。