はてなキーワード: ポールとは
みんながめちゃくちゃ絶賛して楽しんでるから水差すようで誰にも言えないんだけどさ
・あ、あんな大きいワームは見たことがないぞ!!あんな巨大なワームを乗りこなすなんて・・・!!!!てみんなで驚愕した5分後に、南に移動するぞ!て言って似たようなサイズのなんならもっとでかいサイズのワームにみんなで乗合バスみたいに乗ってんの何wwww
しかも30分後にはみんなで同じくらいでかいサイズ大量に集めてツーリングしてんのwww見たこともないサイズのワームってなんだったの てか最後のワームの方がデカかったしなんか何匹もいたんだが
・ここでは男も女もない。平等だ。とか言った直後に、女だけの聖域みたいなところで教母様・・・とかいって女だけが集結してて、男には耐えられない!死ぬ!とか言ってて男も女もない平等だってなんの話
・皇帝がわざわざ辺境に生身で乗り込んでくる意味何wwオンライン視察でもしろよ 現場主義か
・お前の婆さんが子供の頃、そうそれはこの惑星が・・・DUNEと呼ばれていた時!!ガーン!預言者様!!てなってたけどいやおっさんの婆さんが子供の頃ってせいぜい100年前の話じゃん大昔の神話の時代の話みたいに言うな(ここは連れによると記録が失われて民族全部が健忘症かなんかみたいですよく知らんけど)
・ポールが皇帝のところに乗り込んできたときに守備側が銃で撃ち殺さず刀構えてるの何
・ネズミどもがワームを呼んだぞ!!とかいってジェットパック的なので浮いてすいーんと移動してたけどいやそれあるならわざわざ歩きにくい砂地を歩く意味何
米国国家安全保障局(NSA)の退任する局長であるポール・ナカソーネによると、同機関は令状なしで、アメリカ人のウェブ閲覧データを「外国の諜報、サイバーセキュリティ、および許可されたミッション目的のために」購入しています。
NSAは、米国のIPアドレスを含む国内インターネット通信のネットフローデータをデータブローカーから購入すると伝えられているようです。
NSAはデータ提供者を明らかにしていませんが、2023年6月に、国防情報局、内国歳入庁、国土安全保障省を含む他の機関も同様のデータを購入していることが明らかになったようです。
この慣行の合法性はまだ不明です。NSAは、アメリカ人が訪問するウェブサイトや使用するアプリの詳細を含むデータを取得するための裁判所の令状の要件を「認識していない」と主張しています。
四足歩行のサルが二足歩行をすることによって、サルはヒトへと進化した。
歩行に使っていた前足は腕となり、物を作ったり運んだりするのに使われるようになったことが進化の要因なのは言うまでもないだろう。
しかしながら、代償としてヒトは歩行(走行)速度を失うことになってしまった。
最速の霊長類はパタスモンキーで、時速55kmで走ることができるのだ。
巨体で鈍重なイメージのあるマウンテンゴリラでも時速50kmあるのだ。
一方でヒトはそれに比べると遅く、ウサイン・ボルトでも瞬間最高時速は44.17kmでしかないのだ。
ヒトが走行する際に両腕は単にバランスを取るだけに動かしているのと比べて、他の霊長類は前足で地面を蹴って移動しているから当然と言えよう。
ヒトがすでに四足走行を試みていることは知っている。
以下の動画は四足走行の世界大会の様子であり、ギネス記録にも認定されたとのことである。
https://www.youtube.com/watch?v=epxVWHgtwlo
ヒトの新たな可能性への挑戦に敬意を表するが、私が望む四足走行とは少し違う。
動画の方法では、骨・関節・筋肉の負担が大きく、速度も二足走行に比べたら遅く、頭を下げているので視認性も悪いと、デメリットが多いからだ。
私が望むのは、二足歩行と同様に背筋を伸ばし、両腕を何らかの手段で延長して地面を蹴って(押して?)移動することである。
杖(トレッキングポール)を両手に持って登山を経験した人ならわかるが、杖を地面に押し付けると両足の負担を軽減できる。
これは上りや下りの坂道に限ったことではなく、平坦な道でも杖の恩恵はあるのだ。
杖で両足の負担を軽減させながら歩けることはもちろんだが、両足の負担をそのままにして杖で速く歩くことも可能だ。
一歩地面を蹴り出した直後に杖で地面を押し突けることで、歩幅が大きくなって速く歩けるのだ。
杖を使ったとて、両腕の役割はあくまでも両足の補助でしかないからだ。
アシストスーツや強化外骨格とも呼ばれていて、人間が着用することで筋力を増強するようにアクチュエーターが作動して、重量物運搬など人間の動作を強化することができるのだ。
このパワードスーツと杖を組み合わせることで、四足歩行が実現できるのではないか?
既存の杖やトレッキングポールを杖1.0として、四足歩行が可能となるような腕が延長されたパワードスーツを杖2.0と呼ぶことにする。
この杖2.0を利用しながら両足でも通常通り歩けば、歩行速度は2倍の時速8kmとなるのだ。
走行速度ももちろん2倍になり、50mを8秒台で走れる人ならばウサイン・ボルト超えの速度になるのだ。
ウサイン・ボルトが杖2.0を使えば瞬間最高時速は88kmになるだろう。
いや、さらに上も目指せるだろう。
人間は走行時に背筋(せすじ)をまっすぐに伸ばすだけで、腹筋も背筋(はいきん)も推進に全く使っていないのだ。
陸上動物で最速なのはチーター(時速120km)であり他にも猫科の動物は速く走れるが、猫科の動物がなぜ速く走れるのかと言うと腹筋や背筋を大きく伸び縮みさせることで推進力としているからだ。
杖2.0でも腹筋や背筋を走行時の推進力とするようにして、さらにその筋力をアクチュエーターで強化すれば時速100km越えも可能になるだろう。
高速道路を車やバイクと一緒に、杖2.0を装着した人間が走っているのだ。
烈海王(バキシリーズ)のように水上を走ることだって可能になるはずだ。
それにしても、アクチュエーターによる筋力増強もなくさらに人を一人背負って水上を走る烈海王は、漫画とはいえすごいものだ。
閑話休題。
走行速度の速さを追求することはさておいて、この杖2.0が登場したら自転車以上に便利な移動手段になることは想像に難くないだろう。
あくまでも杖だから電車やバスの中にも持ち込むことができるし、店の中でもオフィスの中でも利用できるのだ。
現在歩行機能が衰えた人は杖1.0か電動カートを使うかの二択だが、そこに新たに杖2.0という選択肢も出てくるのだ。
技術力が向上し大量生産をするようになったら、杖2.0は電動カートより廉価に提供されることだろう。
現在、杖1.0は老人や身体障害者やケガ人が使用する物というイメージが強い。
登山をする人で杖やトレッキングポールを持っている人でも、日常の歩行では使うことはないからだ。
しかし杖2.0が登場することで、杖はカッコいいアイテムへと変化するのだ。
杖2.0が登場するにあたって社会に軋轢が生じることも想像に難くない。
「杖2.0を装着している人は歩くのが速くてぶつかると危ない。よって規制すべきだ」
といった具合にだ。
しかしながら杖2.0は若い人だけでなく、老人たちにとっても役に立つ道具なのだ。
杖2.0の使用に免許を課そうとしても、老人たちが政治団体を通じて反発するだろう。
未来の世界でも老人は多数派を占めているので老人票は強いのだ。
杖2.0に対する世論を受けた国会審議の結果どうなるのだろうか。
おそらくだが、杖2.0に関しては何の規制もなく、代わりに自転車運転が免許制になることだろう。
「杖2.0はあくまでも歩行や走行を補助する物であり、歩行や走行の結果他者に危害を加えたとしてもそれはその人の責任であり、免許で規制をするのに適していない」
「アクチュエーターによる増力は制限があり、速さにもある程度の上限があるので、速度上限の無い自転車よりは安全だ」
「それよりも自転車を免許制にすべきではないか。ヘルメットの装着が義務化されてから何十年も経つのにいまだに着用しない人は大勢いるし、危険な運転も散見されるからだ」
といった具合にだ。
電動キックボードの国会審議の結果、電動キックボードにヘルメット着用は義務とならずに代わりになぜか自転車がやり玉に上げられて、自転車運転時のヘルメット着用が義務化されたことを思い出してほしい。
杖2.0の登場にあたっても、同様に自転車がやり玉に上げられることは想像に難くないはずだ。
こうした杖2.0が登場する未来を近づけるためにはどうすればいいのだろうか。
杖2.0が現在のところ存在しない以上、杖1.0を使って街を歩き杖の優位性を世に知らしめることだろう。
しかし、約30歳かつ健常者の私が両手にトレッキングポールを持って大股で歩くというのも変質者じみている。
歩行速度のわずかな向上と引き換えに、行き交う人の信頼を大きく損なうことになってしまう。
変質者となるだけならいいが、人込みの多い駅やショッピングモールだと杖1.0は邪魔になりそうで、周囲の人にも迷惑をかけることになるからダメだ。。
それに両手で杖を持つと荷物が持てなくなるのもよくない。
杖2.0なら必要に応じて腕を縮めたり折りたたんだりするから邪魔にならないし、荷物を引っかけるフックがあって便利となるはずなのだが。(願望)
杖1.0が使えるのは公園くらいだろうか。
しかしながら、公園で杖1.0を使っても歩行のリハビリにしか見えない。
杖1.0を利用することはさておいて、ひとまずはこの文章を公開して杖2.0の理念を広げることとしよう。
ああ、杖2.0よ。
四足歩行の夢はまだ遠いなあ。
いっそのこと杖を持たずに、上記の動画の様に手袋を付けて街を四足歩行してみようか。
いや、それこそ変質者だ。
「性的な目的で考案、作成された衣装(A)」又は「元は異なる目的のものであってもある状況下で性的な目的に用いられるとのコンセンサスが社会的に生じた衣装(A')」を指すと仮定する。
たとえば「穴あき下着」は前者A、「亀甲縛り」は後者A'の例だろう。そして、それらが批判の対象とされるのは、
「それらが性的な喚起力を高くもつとの合意が現に社会的に維持されている(B)」こと、そして「性的存在として眼差すことへの禁忌が社会的に存在する対象にそれらの衣装を着ける(C)」ような場合(つまりAorA'、かつB&Cの場合)と仮定する。この場合、結果として現れる表象それ自体が公序良俗の取り締まり基準を満たしているか否か(D)とは、また別の問題として扱う必要がある(Dは、どんな文脈でも社会的に提示するのは一発アウト、みたいな基準と考えられたい。生性器のドアップ写真、とか。ただこの場合も、「公序」の制限とかけはなれた特殊な状況、場所で許容されるのは言うまでもない。医学書とか。)。
以上を前提として、先日話題になった「オーストラリアのH&M広告炎上」の件と、昨日来話題の「咲バニーガール衣装」の件を合わせ論じたい。先に結論を述べれば、A~Cの基準が異なれば議論が噛み合わないのは当然であり、相手を非常識扱いしてヒートアップするのではなく「相手との間で異なっているのは何か」を考える必要がある。相手が、いかなる表現も100%許されると考えている人(つまりDなどないよ派)でない限りは、見解が異なるだけで、対話の余地はあるはずだからである。ではまず、オーストラリアH&Mの件を整理しよう。
オーストラリアのH&Mが子供向けに「新学期ファッション」をテーマとした広告を打った。広告は、通学バスの社会を想起させる色合い・デザインの背景に、かわいい通学服を着た女児2名がちょっと生意気そうな雰囲気で振り返り、「この子らを新学期ファッションに振り向かせよう」みたいな煽り文句がついていた。これが炎上・謝罪・撤回に追い込まれた件である。
まず、この広告がDに違反していないことは言うまでもなく、それでも炎上したことに対して、いろいろと文句をつける人がいた。多くの人は「こんな程度でいちいち文句をつけるなんてちょっとヒステリックでは…」みたいな反応であり、個人的にそう感じる気持ちもよく分かるのだが、でもちょっと待ってほしい。女児の制服をファッションとして扱うのは、このキャンペーンがまさに狙っていることであり、ファッションを一種の性的喚起力だととらえるなら、この広告は「生意気そうなモデルの表情」「かわいい制服」といった文脈で、Bを印象付けたわけであり、その結果、制服がもともともつA'の文脈(制服に対して性的視線を向けるという界隈の文脈)を喚起した結果、Cに抵触する(保護されるべき女児に制服を着せあざとい表情をさせて晒し上げる)という批判を生んだという風に考えることができる。このことは、A'に陥りがちな服装をファッショナブルな(あるいは扇情的な)存在として扱うときには常に注意すべき危険であり、BからA'→C違反、という道筋がすぐ描かれてしまうことに、広告関係者は神経を尖らせる必要があるだろう。その意味でこれは、「月曜日のたわわ」の一件との連続性が高い問題だった。あれも、Dには全く違反しておらず、おそらく制服でなければ問題化もしなかった広告が、一言の少しだけ扇情的なキャッチコピーを添えられただけで炎上したが、これはもともと危うい位置にある存在で更に一歩危うい方向へと歩を進めることで起きたトラブルなのだと考えるのが適切である。
ただし、表現とは常に時代の尖端で社会の常識と切り結ぶのが仕事であり、そういう突破力を否定し切るのもいかがかと思う。社会的に(まだ)アウトですよ、と指摘するのはいいが、相手を悪魔化したり、あまつさえ、様々な社会の問題の根源や責任がそこにあるかのように攻撃したりするのは、慎むべきだ。社会の様々な問題は、多くの場合間違いなく社会そのものの中に有り、そちらをまず片づけるべきである。ゴミの多い都会を描いた漫画があるとすれば、取り組むべきは都会のゴミをまず片付けることであって、漫画の取り締まりではない。
次に、「咲にバニースーツ着せた姿の広告が炎上」した件。これに対して「高校生にバニーガールなどという性的な衣装を着せた絵が広告として駅頭に出るとは、常識外れもはなはだしい」という指摘が出た件である。一見すると、上のオーストラリアの件以上にひどい案件に聞こえ、即取り締まられてもおかしくないように感じられることだろう。この場合、それが一般的な公序良俗違反(D)の案件である必要はない。たとえば、制服の上から亀甲縛りをした少女を描いた広告にOKが出るか、と考えてみればすぐ分かる話だ。Dに違反していなくても、これはA'かつBかつCで明白にアウトである。では、「咲+バニースーツ」はどうなのか?
バニースーツがAであることは誰も否定はしない。従って、論点は、B「それが性的な喚起力の高い服装であるとの社会的合意があるか」、また、高校生が「性的存在として眼差すことへの禁忌が社会的に存在する」ことは前提とした上で、これらの少女が「高校生である」ことが明示されているか、の2点ということになる。
C 「咲」に登場する少女が高校生であることは明示されているか? これについては、残念ながらこの広告に関する限り、疑わしいとしか言えない。批判者は咲が麻雀部に所属する高校生であるとの知識をもって批判しているが、咲はそこまで社会的認知度が高い漫画ではない。アニメ化されたとはいえ視聴率は1%に届かない程度、DVD売り上げでも、1期7758枚、2期4939枚、3期4565枚…。(※)アニメファンには実写化、映画化……とされた人気作のイメージがあるかもしれないが、社会現象になった数々の作品に比べれば売り上げが一桁少ない。加えて作品ジャンルが「麻雀」という、一般的にいって高校生とは結び付けづらいものだ。この広告を見た多くの人が「高校生にバニースーツ」という風に見る、と主張するのは難しい。ただし、一定年齢層以上の人で、アニメ画は全て少女(ロリ)にしか見えない、という意見をお持ちの方がいることも、一応認識はしている。
(※DVD売り上げはhttps://nizilove.com/category/number-of-anime-sales/page/2/の値。)
B それが性的喚起力の高い服装であるとの社会的合意があるか? おそらく批判者が一番「何を言ってるんだ?!」と思うポイントであり、今回一番議論が噛み合っていないところだと思うが、Aのような服装が時代を下るにつれてBの意味合いを失っていくことは、歴史的にはよくあることである。たとえば、髪型一つとっても、「結わない髪は淫らである」といった固定観念が、遊女などの流行を取り入れつつ徐々に変遷し(※)、現代の人は単に「かわいい」という感覚で振り乱した髪の毛を奔放になびかせているのはご存じのとおりだ。「そんな髪型は昔は遊女が流行らせたもので…」と説教をして、いま、一体誰が首肯するだろう? 時代が下ればある衣装が「もともともっていた意味合い」が薄れていっても、何も不思議はない。つまり、たとえAであったとしても、時代によってBではなくなるということは別に不思議ではないのだ。
(※たとえば参考:「『女髪結』考」https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/record/21365/files/KU-1100-19940930-01.pdf)
では、バニー衣装はどうなのか、といえば、これはまさに時代が変化しつつある過程なのではないかと思われる。自分は決して専門の立場ではないが、そもそも夜の店の主流がキャバレー→キャバクラ等へと変遷していく過程で、「性的な接待衣装としてのバニーガール姿」というのはもはや古典的なイコンとなり、現役の「風俗衣装」としての意味合いをかなり失いつつあるのではないか。たとえば「社長さん」御用達で半世紀以上の歴史を誇る「エスカイヤクラブ」では、支援の声を受けて「ワンランク上のおもてなし」としてバニーガールによる接待をうたっている(https://www.esquire-club.co.jp/general/about01/)が、これなど、バニーガール姿がほとんと「祇園の芸妓」的な存在と化しつつあることの表れではないだろうか? そもそもの出発点においてからが極めてトレードマーク・コスプレ的な衣装であったバニーガール衣装が、現代においてコスプレ的ではなく生き延びている事例というのがどれほどあるだろう。
そのような時代の変化の過程において、「バニースーツは性的!」という批判と「ただのコスプレじゃん?」という意見が、まさにBをめぐる議論として立ち現れてくるのならば理解ができるし、それははっきり言えば単なる「時代感覚の差」の問題に過ぎないと思われるのだ。たとえば、高校生が文化祭でメイド服を着る、あるいは、小・中学生が習い事でポールダンスを学ぶ……ある年代以上の人からすると、目が点になるのか三角になるのか知らないが、そんな事例であろう。だがそれらは、時代の変化の中で起こるべくして起こる変化の一様態でしかない。
つまり、これらは決して表現の自由だとか差別とかいった問題ではなく、単なる「年寄りと若者の時代感覚の違い」に起因する問題だと認識した方がいいと思う。ならば、相互に批判しあう人たちも、この問題からいずれも学ぶことがあるはずなのだ。こういった問題で、敵味方を作ってがあがあがなりたてるのはよろしくない。何よりも必要なのは、分断ではなく対話と理解であるはずなのだから。
中流と労働者階級をスポーツ狂いに追いやる動機はふたつある。 ひとつは、社会的には敗者の彼らが、勝者と一体感を味わう必要。
人差し指を立てて「俺たちゃ一番!」と小躍りして叫ぶことが彼らには必要なのだ。 あるホッケーの選手が言っている。
「プロスポーツの目的は絶対的に勝つことだ。 ぼくらは勝利を売っているんだ。日常生活では勝利を味わえないたくさんの人たちに勝利を売る。
お客は〈自分の〉チームに我を忘れる。つまり勝つチームと同じ気分になるわけだ」
この代理成功の魅力に加えて、スポーツが中流やその下の労働者階級にも人気があるのは、 知ったかぶり、独断、記録をとること、人の知らないちょっとした知識、
普通は「決断を下し」たり「管理し」たり「意見を形成する」階級に独占されている類いの似非学識を気取ることができるからである。
ワールドシリーズやスーパーボウルは、誰にでも退屈な博識者ぶる機会、一時的に立派な酒場の学者を演じる機会、短い期間だけ上位の階級の真似をして重大演説したり、
言い換えれば、ワールドシリーズとスーパーボウルは、庶民がなにがしかの自尊心を取り戻すための、年二回廻ってくる無害無益の機会なのだ。
他所様のキャラクターをパクリ扱いする前に自分がそのまんまのパクリ連発じゃねーか。
フシギダネ→🐸
バタフリー→🦋
スピアー→🐝
ポッポ→🕊
ラッタ→🐀
フーディン→フーディーニー
サワムラー→沢村
レディバ→🐞
ドータクン→銅鐸
オドシシ→🦌
うーん……人のパクリを責める前にまずは自分のパクリについて反省すべきだね。
動植物をカートゥーンに上手く落とし込んでいるキャラクターもいるにはいるが、元の動物のデザインをそのまま流用しておいて「これオリジナルなんでパクらないでください」は流石に苦しいだろ。
人様にパクらないでと頼めるに足る最低ラインのオリジナリティに達してると胸を張って言えるキャラクターだけ作ってるならともかくさあ……。
誰でも思いつくようなものを作っておいて「これなんか俺のに似てるんだけど💢」は例の事件の犯人と同じことしてね?
まあ火をつける所までいかないうちはセーフだけど、オリジナルであるという主張が通らなかったときに暴れ出したら同じレベルやぞマジで?
令和6年能登半島地震とガザ人道危機が痛ましかったので、それぞれに1万円ずつ募金した。
以前調べたけれどヒットしなかった気がするな。そう思いつつ、「училищен час по физическо възпитание 1970」、つまり「体育の授業 1970年」と検索したところ、次のサイトがヒットした。
https://uchiteli.bg/interesting/chasovete-po-fizichesko-vyzpitanie-prez-80-te-godini/2508
明確にブルマー姿の女の子が確認できる。そして、時期は1980年代と書かれている。
記事にはこんなことが書いてある。
Девойките с черно или синьо трико и бяла тениска.
翻訳するとこうなる。
このように、ブルガリアでは黒か青のブルマーが着用されていたことがわかる。また、ロシア語語などの他のスラブ系の言語のように、レオタードとブルマーを区別する語彙が無いのかもしれない。ただし、レオタードと訳された言葉は「трико」であるが、ロシア語では同一の言葉で表現される水着を翻訳すると「бански костюм」(banya kostyum)で、これは別の言葉だ。「костюм」がスーツを意味する。「бански」だけでも水着を意味するようだが、音の響きからして入浴するに関連する言葉だろう。現に風呂は「баня」(banya)だ。
https://www.bgspomen.com/2016/07/4-80_19.html?m=1
グーグルで画像検索すると、類似した画像が出てくるが、それをたどっているとこういうサイトを見つけた。
冷戦時代、ブルガリアの学校ではブルマーが採用されていただけでなく、ビキニで泳いでいた生徒もいたようだ。日本の学校では考えられない。
https://ouhristobotev-mezdra.com/sport.php
(男の子にみえる子がブルマーをはいているようにも見える写真があるが、画質が荒いのではっきりしない)
こちらはブルガリア語のサイトだが、ソ連というかロシアについて扱っているようだ。
まだ見つけられていない。戦間期の運動について扱った記事がヒットしたくらいだ。
ttps://adevarul.ro/stiri-locale/alba-iulia/educatie-fizica-si-sport-in-romania-interbelica-1713747.htm
「学校」「体育の授業」「古い写真」「チャウシェスク」「共産主義」「1970年」などのキーワードで探しているが、なかなかヒットしない。youtubeの動画も特にない。
コマネチの生まれた国なので(現在は米国に亡命)、体育は盛んだと思うのだが、情報はないのだろうか。
次で見るように、大学の大会での短パンは見つかったのだが、ブルマーそのものではない。
https://blog.udn.com/fuping3713/15062824
https://nicecasio.pixnet.net/blog/post/559456641
https://opinion.udn.com/opinion/story/11664/3198840
https://www.sohu.com/a/409071189_482071
JK体操服(排球服)としているのはこちらだが、純粋に服装フェチの文脈だ。おそらく当時の名称ではないだろう。元来JKという言葉はアングラ用語だったのに、いつも何かカジュアルに台湾人も知っている言葉になってるってのが何とも言えない。
ttps://zhuanlan.zhihu.com/p/112147262
排球燈籠褲、つまり「バレーボールのブルマ」としている例もある。
何かが「無い」ことを証明するのは難しい。
韓国にはブルマはあったが、訳語が一定していない。訳語のなさそうな台湾だが、スラブ語圏はブルマー固有の名称がないにもかかわらず、ハイレグのショーツ型ブルマーがあったので、これだけで何の証拠にもならない。
同じ英語圏ということで、南アフリカでのブルマーについても調べようと思ったのだが、ヒットしなかった。だが、「south africa physical education 1970」で検索すると、当時の「June and School Friend」という当時の英国の少女漫画雑誌がヒットした。
現在世界に残っているブルマーが写真だけでなく、当時の小説・漫画・イラストでどのように表現されてきたかを調べるもの面白そうだ。
それにしても、性的な意図がなく表現されたブルマーのほうが、なんだか色っぽく感じてしまう。
日本女性向け漫画ではおかざき真理「セックスのあと男の子の汗はハチミツのにおいがする」に出てきたブルマーが何となく好きだった。
これはエロ漫画ソムリエの友人が言っていたのだが「男性のエロ漫画が服の上からでもわかるように書いたおっぱいよりも、女性のエロ漫画家の描くおっぱいのほうが魅力的だ。というのも、女性の場合はおっぱいを特に性的でない身体の一部分としてしか描かないのだが、そこにかえってリアリティがあるからだ」そうだ。似た理屈を感じる。
漫画の中のブルマーと言えば、ブラックジャック第232話『虚像』の中に、明らかに黒く塗り忘れた白いブルマーが出てきたのを思い出す。先生の周辺に楽しそうに子供たちが集まっている場面だ。
手塚漫画、ときどき誤植らしいものもあるよね。角川文庫版の「火の鳥 未来編」のラスト近辺も、すべてのものが生きているという言葉と共に星々や惑星たちが映る場面で、おそらく文字を入れ忘れたと思われる空白があった。閑話休題。
過去の写真のアーカイブの量は、言語によって全く異なっている。
また、ブルマーの形も国によって違うし、採用された広さも違う。
前に書いたように、フランスのブルマはややだぼだぼだが台湾ほどではない、短パンに近いブルマーだった。しかし、ドイツではよりパンツの形に近いし、ソ連や日本ではほぼ下着に近いハイカットになる。
これだけ広いと、ブルマーという言葉で一括りにしてしまっていいのかも、かなり疑わしくなってくる。
他にも、採用されていたスポーツも異なっている。バスケットボール、陸上、ネットボール、バレーボールなど特定のスポーツでのみ使用されていたこともあるし、体育の授業全般でも使われている例もある。
ブルマーの画像だけでなく、こうした経緯についても知りたいのだが、本気になったら外国の図書館にまで出かけなければならない気がしてきた。ひょっとしたら書籍としてまとめられていない類の知識かもしれない。
これだけ長く調べていられるのなら、大学を理系ではなく、服飾史にしておけばよかったとちょっとだけ思う。今の仕事は理系の素養を全く要求されないし。
とはいえ、僕が学生の頃には東欧の言葉を自動翻訳で来ていたかは疑わしい。
本当に不思議なのだ。男はズボン、女はスカートという流れに対抗して生まれたはずのブルマーが、なぜ女性の身体を強調するような、そして下着のような形へと、世界各地で変化したのか。そして、ショーツ型への接近への度合いが地域によって違うのかが。
これは国ごとの倫理観と性規範に原因を求めてもいいのだろうか。
台湾や韓国の女性がブルマーコスプレをしていて、かわいらしくて似合っているんだけれど、ただの紺色の短パンや、白いラインの入ったドルフィンパンツのこともブルマーと呼んでいるのはいただけない。確かにきれいな脚が見えて素敵なのだけれど、フェチの人はそういう際にうるさいのだ。
それとも、ブルマーの下着のような形状にドキドキするのは、日本だけの感性なんだろうか?
とか文句は垂れつつ、youtubeの短パン姿のチアはかわいいと思ったりしている。
Youtubeは(政治的に偏っているとか陰謀論とかそういうのとはまた別に)結構無法地帯で、全裸の女性にボディペインティングをしていく様子とか、アマゾネスの戦士という設定でお尻丸出しで戦う女性とか、ドイツ語圏の祭りらしくぐるぐる回る遊具でふざけてパンツ丸出しになる女性とか、ほぼ全裸の台湾のコスプレとか、乳首だけ隠して踊るカーニバルの女性とか、前衛的過ぎて全裸でやる現代演劇とか、隠す場所が丸出しのファッションショーとか、アニメのパンツ丸出しのシーンとかが載っている。
そういう場所では、「men of culture, we meet again.」というコメントが散見される。英語では変態紳士のことを「man of culture」と呼ぶことを知った。
あと、ときどきオススメ動画にジュニアアイドルが出てきて、すごくかわいいと思うと同時に不安になることもあるんだけれど、ブルマについて調べている人が批判するのは難しい。
性を感じることと、かわいいと感じること、もっと知りたいと感じること。その境目がどこにあるかは、人間の心に対する深い理解が必要だ。
例えば小学生の競技ポールダンスを見ると不安になるけれど、それは僕のポールダンスという文化に対する偏見かもしれない。不安に感じては、真剣なスポーツをやっている人に失礼かもしれない。じゃあミニスカートのチアダンスならいいのか、日本舞踊ならいいのか。ではアイドルはどうか。問題は際限なく拡大する。
そうなると、幼い頃からスポーツをやらせるのはどうか、能や狂言を覚えさせる家柄はどうなのか、受験はどうなのか。判断力の未熟な子どもにどの程度人生を選択させるのか。
完璧な答えを求めようとすると、完全に倫理的にふるまうことが僕らはできないと気づく。少なくともこれだけはやってはいけないと法で制限する以外の方法を、今日のところは思いつかない。
誰かを推すこと・応援することへの責任が問われていくのかもしれない。
それからもう一つ。昔投稿した記事の参考資料とした動画やサイトが消えていることがたまにある。動画や写真は難しいとしても、せめて文章だけはweb魚拓を取っておくべきなんだろうか。
ブルガリアでもブルマーが採用されていた写真を見つけることができた。ただし時期は1980年代。
今後は旧ユーゴスラビアやコーカサス地方のブルマーについて調べるかもしれない。
以上。
まぁ別に「ビートルズはクソ」「ポールは無能」とか言っても構わないけれどさ
そこへの反論について
はぁ?
シラネェヨ
何年前の話だよ
とか言い出すのはダセェわ
ほしたら言及するなって話よ
『し・ら・ね・ぇ・ん・だ・ろ』
喋るなよ
低能がよ
ショーが始まる。
今まで踊っていたダンサーたちが降壇し、そして6人の踊り子が黒い衣装を身に纏いスタンバイした。6本あるポールの内、アイスは僕から見て右前のポールに立っている。先程まで見せていた無邪気で明るい笑顔とは違い、どこかこちらを挑発的に伺う様なそんな顔だ。そして世界的に有名な洋楽をダンスミュージックアレンジにしたものが流される。
6人の踊り子はそれぞれ目の前の客と、意中の客に目線を向けてポールを回り踊る。ふとすると他の踊り子が視線に被さってくるがアイスのしなやかな踊りだけに集中する。
隣の席で2人の女性を侍らせた老人が何かを叫びつつ盛り上がっている。他の席でもそれぞれが思い思いにステージの踊りを見続ける。アイスはそのまま踊り続けた。彼女の夢の為、この瞬間の為、そしてつい都合良く僕の為という言葉が頭をよぎるがおそらく彼女の家族の為に彼女は踊り続ける。彼女の視線と笑顔の半分はその他の客に向けられている。しかし、もう半分は僕だけに向けてくれている。心のうちまで奪おうと思わず、この贅沢な瞬間を享受すべきだ。ダンスは続くが曲の合間に彼女に1人の男性から声がかかったらしく、店の従業員が彼女に耳打ちをする。しかし彼女は首を横に振って断り、従業員は怪訝な顔をする。後で聞いたがこんなに早い段階で声がかかる日は稀とのことで不思議がっていた。しかし、その日の彼女の踊りには魅力があり、また人を惹きつける力があったのだと僕は不思議に思わなかった。曲が変わる。
とあるファンが狂気に陥り独善的な犯罪に身を任せて悲しい結末を迎える曲だ。踊り子たちはただでさえ露出度の高い衣装の上のパーツを外し、上半身をあらわにする。しかし、その姿は決して欲情を誘うだけではなく心を惑わす芸術的な力を持っている。
また1人の男性から彼女に声がかかり、ダンスが終わったら隣に来て一緒に話したいと申し出があった。しかし、彼女はそれを再び断りダンスは続く。ポールに対して体を預けた踊り子たちは思い思いの方法で目の前の客の心を奪う為に踊り続ける。2時間前に彼女の近況と夢の話を聞いた。
彼女に会うのはこれで2回目だが、会っていない間にも定期的に連絡を取っていた。彼女の実家のこと、彼女の家族のこと、彼女の体調のことを教えてくれたが、夢の話を聞いたのは今日が初めてだった。ちょうど年末に彼女は帰省し、彼女の田舎に買った土地を見に行っていた。彼女の田舎はシャムの中でも貧しいイサーン地方にあり、近代化が進んでいるこのバンコクとの貧富の差は激しい。実家に大きな財産も頼れる稼ぎ手もいない中で彼女が選択したのが、ここで踊り子になることだ。そして彼女はその夢を叶えつつある。僕は彼女にとっていく人かいる客の1人であるし、それ以上に進む覚悟も資格も無い。それでも彼女の夢を応援し、そしてこの時を共有する。それだけで良い。ショーも終盤に差し掛かり、踊り子たちは全ての衣装をはだけて曲に合わせて踊り続ける。アイスのしなやかな肢体がポールを上下し、時折こちらに微笑む。この贅沢な時間は何にも代え難い。フェミニズムもLGBTQも今は邪魔をしないで欲しい、そこに確かにある美しさを思想や思考で誤魔化したくない。もちろん彼女や家族の置かれた苦境には社会的な課題や、改善すべき問題があるし彼女を"可哀想"と謗ることもできる。しかし、それとは別に彼女は確かに美しく、人の心に感動を与えているのだ。今この時、そんな彼女のことを尊敬こそすれ蔑む必要が無い。
ショーが終わり、アイスにまた1人の男性から声がかかる。彼女は笑顔で従業員に断りを入れると、僕の方を指差し説明している様だ。そしてアイスがゆっくりと僕のソファの後ろに周り、着替えたら戻るねと囁く。僕はソファを後にして飲み物の代金を支払い、彼女を待った。途中他の女性から一緒に飲まないかと誘いがあったが先約があるのでと断り、離れた。
( ^ω^ )
https://www.discogs.com/ja/release/77421-Paul-Hardcastle-19
「…Nananana,nineteen!」
https://www.discogs.com/ja/release/3963131-Paul-Hardcastle-19-Japanese-Mix
「…じゅじゅじゅじゅ、十九歳!」
俺も「my new gear」とか言いたい。
YAMAZEN YLRX-AMD302(W)
yamazenbizcom.jp/client_info/YAMAZEN/itemimage/cabinet/main-img/012/main-76010.jpg
ばらせる所ばらして徹底的に掃除して動くようになったものの、動きが渋いと言うか鈍いような。
モーター使った家電は無理して長く使い続けないほうが良い、というのもあり買い替えを決める。
どうせ買い換えるなら左右だけじゃなく上下にも首振りするのがほしい。
「360°」で絞り込むとサーキュレータばかり表示される。いや欲しいのは扇風機。
その中で目に付いたのが上記の機種。
が、公式サイト見てもどうやって360°首振りするのかよく分からん。
なるほど。この動画とそこからリンク貼ってあるブログが大いに参考になった。
3年以上前に書かれたブログ記事の時点で公式に動画ないから作動の様子が分からんと指摘されてる。
普通の扇風機はポールの上に乗ったモータと羽付いたヘッドが水平に首を振る。
この扇風機はポールとヘッドの接触面が45度傾いてて、その45度傾いた面の上でヘッドが360度回転し、360度回転したらまた逆方向に回転する。なので羽は水平方向から真上にまで向く。まあ動画見たほうが早い。
さらに、普通の扇風機はヘッドが水平回転するが、この扇風機は水平回転はポール自体が回転する。上の動画はポールは回転させてない。
ヘッドの360度回転とポールの回転を同時作動させるとぐるんぐるん回る感じ。
せんせー、包丁はGLOBALでもいいですか?
醤油、味噌、麺つゆ、中華だしの素(味覇など)、焼肉のタレ、マヨネーズ、ケチャップ、中濃ソース、粗びき黒こしょう、料理に使う純米酒、乾燥パセリ、サラダ油(もしくはキャノーラ油)、バルサミコ酢、トマト缶、ディチェコかバリラ、質の高いナチュラルチーズも欲しいです!
マイクロプレインのゼスターグレーター、デジタルクッキングスケールと調理用デジタル温度計も欲しいかも。
コーヒーは手挽きでドリップまたはフレンチプレス、紅茶もできれば良い茶葉を買ってポットで淹れたいです。
食器は無難にイッタラで揃えてカトラリーはキュティポール希望なんですけど、キュティポールはデザインに全振りしてて普通に使いにくいのでカイボイスンのほうがいいでしょうか。
関孫六を買え
女が来たら料理をするのがいい したそうだったらさせろ
安いワインでも常備しとくと飲めるしカレーにも使えるから紙パックの2Lのやつ買っとけあと日本酒もな料理酒はいらん
飯を一緒に食え〜そして酒を飲め〜飲ませもしろ〜
あ、あと先生のアドバイスは全体的に一般的な内容でとっても良いと思うんですけど(ところどころ「えっ?」というのはありつつ)、加湿器の場合は加湿器肺炎とかあってシャレにならないので、このアドバイスをありがたく聞くようなレベルの人に「丸いやつ適当に置け」と書いてしまうと、下手すると健康を害する恐れがあると思います!
https://twitter.com/BrooklynTokyo31/status/1733426187903365571?t=ibtZrcnrkzau3cK17fWo5g&s=19
この6歳少女自認52歳男性の動画流れてきて、インパクトがすごかったから検索してみたんだけどエグすぎ。
ステンフォンニー・ウォルシュ(ポール)
七人の子持ちの既婚男性がトランスジェンダーに目覚め、娘の結婚式に奇抜な服装で出席しようとするのを妻に咎められ死んでやると騒ぐ、受け入れられない妻と離婚、失業しホームレスになり二度の自殺未遂、ハッテンバで出会った養父と幼女設定でアナルセックス「妊娠しちゃうと思ったらペニスがイキリ立った」とインタビューで語る、養父母の家に養女として引き取られる、養父母の7歳の孫娘の妹になるために52歳男性が6歳自認幼女に。
雪かきでお小遣い貰って幼女として暮らせて幸せ大人になりたくないおっさん。
これを誰もが自分らしく生きられる美しい物語として紹介してるセンスがすごい。
https://lifes-bright.com/transgender-stenfony-story
ゴジラ-1.0もゲゲ郎も観たんだけど、もう一度観てみたい と思ったのは、ポールプリンセス でした。
興行的には、そりゃゴジラの圧勝でしょうし、ゲゲ郎の足元にも及ばない程度の動員数だと思うんだけど、
正直、何か特別な物語を観てきたんじゃなくて、ポールダンス・ジャパン・カップの決勝戦を観戦した!
映画の冒頭に、凄くチャチな3Dキャラのアニメパートがあって、一瞬、観るべき作品を間違えた?と思ったんだけど、
本編で、2Dパートと3Dパートが混ざる都合上、ギャップを感じさせないように最初に敢えて低品質な3Dパートを持ってきている気がします。
それで、あまり期待せずに観ていたら、ポールダンスの3Dパートが凄い凄い。
ポールダンスを趣味にしている女性が絶賛していたのも理解できます。
ポールダンスってどちらかと言えばセクシーでアングラな印象で、アニメ化しづらいはずなのに、