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はてなキーワード: 創作活動とは

2019-10-12

anond:20191012194345

なんで?

アーティスト創作活動してるからアーティストなのであって

キモくて金がなく中年自覚があるなら愚痴ってないで生活保護受ければいいでしょう

2019-10-10

今の世の中でこれだけ消耗するのに

19世紀とかの軍国主義集団主義差別むき出しの中で創作活動してた小説家とか

ホントどんなメンタルしてたんだろうな

2019-09-28

始めて同人誌通販して思ったこ

どうしても吐き出したくなったので、この場を少々お借りします。

同人誌にまつわる話で、決して万人受けする話でもないです。

嫌な気持ちになる方は「こんなこと思っている変なやつもいるんだなー」でスルーして忘れてくださると幸いです。

 

まずは、私の自己紹介から・・・

私はとある地方で、何を思ったのか「今年はサークル参加したい!」と思った腐女子です。

私が「サークルやりたい」と思った経緯は以下の通りです。

去年は仕事精神的にやつれてアニメゲームを満足に楽しむ余裕がなかった!オタクなのに!このままはちょっと嫌だ!

転職して自分時間を持つことができたぞ!やっほい!

そうだ!一度やってみたかった「サークル」というものをやってみたい!「設営完了ツイートを私も呟くんだ!

 

真面目に同人を志している方から怒られそうな経緯ですね。私もそう思います。ですが、思い立ったら即行動な私は行動に移しました。

以下、私が行動したことです。

ドハマりしていたアニメキャラクターBLカップリングで「同人誌」を作ることを決意

同人誌を作っていた先駆者たまたまツイッターで昔やっていた人がいました)に軽く話を聞いて、同人活動がどんな感じなのか教えてもらう(当たり障りのない雑談のような感じなので手ほどきなどはないです)

支部(某イラストコミュニケーションサービスサイトのことです。二次創作するにはうってつけの場所でした)でアカウント作成し、小説投稿を決意(小説なのは純粋文字を読むのが好きだったのと、環境が整っていなかったためイラスト漫画ハードルが高く感じたためです)

実際に小説投稿する

誤字・脱字や何かクレーム的なものが来たときに受け付ける場所必要だ!ツイッター垢作るぞ!でツイッターアカウント作成

フォロー0、フォロワー0(コミュ障のため自分からフォローしに行く度胸がなかった)でアカウント稼働を開始

 

決意して1~2ヵ月くらいで上記行動を成し遂げました。こうして文字に起こすとコミュ障な割に頑張ったなと思います。その場の勢いというものはやはり大切ですね。

いきなり同人誌ハードルが高すぎするから、まずは二次創作小説作ってみよう!で実際に小説を書いてみたのですが、案の定とんでもなく難しい!最初書いたものが5000字くらいのものだったのですが、これを書き上げるのに1カ月かかりました。しかも、自分でこんなラストにしたい!と思ったのにまるで違うラストになるではありませんか!なんだこれは!!書きたいことは全部書けていないし、読みにくい!日本語おかしなところや描写が分かりにくいとこと、誤字や脱字は当然のようにあります小説書くのって難しい!!と愕然しました。世の文字書き様や小説家の方を心から尊敬しました。ほんと頭が下がります面白いお話ありがとう!と感動し、ここで私には才能無いし・・・で諦めても良さそうなのですが「私も小説書いてみたい!」の衝動でなぜかその後も書いていました。

あの後なぜか7000字くらいの小説投稿、やったー前回より書ける文字数が増えたぞ!と一人喜んでいました。ですが、自分が書きたいラストは書くことができず力尽きてしまい、力量不足を痛感したのです。

気にするのは良くないと散々ネットで注意されているブクマ数が恐ろしく気になり始めたのです。実際、沢山ブクマ数を貰っている作品を見に行って「面白いお話だったな!ブクマしよ!」でブクマしましたし、閲覧用の鍵アカウントでその方をフォローしにいきました。ただ、一連の行動がストーカーみたいで気持ち悪くない??と我ながらちょっとひきました。

そんなこんなで、ブクマ数を気にして時折落ち込んでおりました。落ち込んでそこで終われば良かったのですが、「天才でも無い私が二次創作を始めて1年も経っていないのになんで同じ土俵に立てると思ったんだ!少しでも良いものができるよう頑張ってみろよ!」と叱り飛ばす私が現れ、単純な私は定期的に書くことを決意したのです。

支部で連投は嫌だったので、放置している稼働垢を使い、定期的に2000~5000字くらいのSSを投下するようになりました。ROM用垢でCP表記は入れてくれ!というツイートが流れてきたので、CP名を明記してネットの海に流しておりました。

そうして流している内に、自分ROMで見ていた方からフォローされて変な声が出しながらリアル発狂したり、明らかなROM用と思わしき方からフォローされるという事態が起こりました。

積極的コミュニケーションを行う方や神と呼ばれる絵師文字書き様と比べると間違いなく少ないですが、わざわざ私を見つけてくれた人がいるんだなと嬉しくなりました。壁打ち覚悟運用していただけに、好きなジャンルで見知らぬ誰かと繋がれた感動はひとしおでした。

そんな感動を胸に、何を思ったのか勢いのまま同人誌即売会に申し込みしました。酒を飲んで上がったテンションのまま申し込みを行いました。イベントまで1カ月少ししかないというのに、未経験のくせに何してんだよと今でも思います。気に入らないことは多数ありましたが、なんとか本を発行し(表紙のサイズを間違え、印刷所様には多大な迷惑をおかけしました・・・本当にごめんなさい)なんとかサークル参加ができました。そして念願の「設営完了ツイートができたのです!少数とはいえ、発行した本も完売!初めての割にはよくやったよ!と友人からも褒められ、やっほいと舞い上がっておりました。

ここで終われば、夢が叶って良かったね!で済む話ですが、何を思ったのかまさかの2回目のサークル参加を行いました。初めてのCPオンリーで、お祭りのようなムードがあったのです。はい。察してくださる方もいらっしゃるとは思うのですが、完全に勢いで申し込みを行いました。そして前回の反省を活かし、余裕のある入稿を行おうと思いましたが、結果ギリギリ入稿。表紙はフリー素材をお借りし、他の同人誌と比べると随分と味気のない仕上がりに・・・それでも前回より中身のボリュームが増え、全体的に良くなっていたので成長を感じました。最初が酷すぎただけかもしれないですが。

それでも本は本なので、サークル頒布できますイベント前に支部サンプルを上げ、ツイッターでも参加する旨を告知しました。ここで、まさかコメントが。「通販はしないのですか?」と問い合わせをされたのです。

問い合わせをされたときは、チベットナギツネのような何とも言えない顔になりました。だって通販」。神々が慈悲でしてくれるというあの「通販」!あれを私が!?オプションわからんで加工してないし、センス0のタイトルロゴフリー素材(使用した写真は大変美しいものです!念のため)に張り付けた同人誌だぞ!!そんなまさかと、3時間位悩み、幻か何かかと思い再起動をして確認を行いました。

色々悩み、グーグル先生に「通販 やり方」で検索したりで、思ったより通販するのが簡単そうなことと、本当に通販してほしい人がいるんだな~嬉しいな~と思ったこともあり、イベント後に通販を行うことにしました。

色々手間取りながら、通販開始。予想以上に注文され、ここでもやっぱり舞い上がりました。実際に手に取ってくれる人がいるというのはこんなに嬉しいものなのですね。創作活動するまで知らなかったです。

休日に注文された冊子を梱包し、ファミリーマートさんで郵送をお願いしました。店員のお兄さんに「もしかしてサークルさんですか?」と聞かれ、なぜバレた!?こんな田舎で私以外にもサークルさんが!?とドキドキしながら郵送手続き完了結構な量を一気に持ち込んでしまったため、レジをそれなりの時間占領することになり罪悪感をひしひしと感じました。かつてコンビニ店員だった私が大敵としていた郵送手続き笑顔と共に素早く対応してくたお兄さんの心はとんでもなく広いと確信しました。お兄さんは良い人でも罪悪感は消えないので、そのコンビニで100円のチョコレートを買い、店員のお兄さんにプレゼントしました。半ば押し付けたといっても過言ではなかったですが、「気持ちなので!!!!」でごり押ししました。最終的には「ありがとうございます」と受け取ってくれたのでよしとします。

そうして出た、コンビニの帰り道にふと今までのサークル活動(いって半年程の浅いものです)について振り返ったのです。

私は一度サークルさんになってみたいと思いました。同人活動創作活動)している方は楽しそうで、羨ましく感じる気持ちが間違いなくありました。ですが、いざ創作活動を始めてみると楽しいものばかりではなく、いつだって劣等感が付きまとうものでした。どうしても「上手な人」と比べてしまい、できないことばかりが目についてしまうのです。それでも少しでも上手になりたいと必死で足掻いて、多くの時間金銭を捧げ、今こうしてコンビニから出ているのです。

ジャンルの人気やキャラの人気は当然ありますが、それでもなお私が作り上げた妄想話を面白かったですと言ってくださるのは、作り手側をやらない限り一生経験することではなかった奇跡みたいな出来事です。

それだけではなく、作り手側に回ることで、他サークル様のジャンルにかける熱量や愛をより深く感じることができました。見る専だったときよりも、そのジャンルキャラがより好きになりました。

こう思うと勢いとはいえサークルやりたい」と言い出し、行動した過去自分を褒めてやりたい気分です。

きっと私はこれからも、劣等感と戦いながら楽しく二次創作をしていくでしょう。ジャンルを通して誰かと繋がれる喜びを知った今、もう創作する前の自分には戻ることはできないのです。

2019-09-26

予想通り時事通信漫画家協会DL違法化拡大を要求と書いたか

漫画家協会などがダウンロード違法化要求著作権法の早期改正

https://www.jiji.com/jc/article?k=2019092501014&g=soc

案の定時事通信とかはダウンロード違法化漫画家協会要求したと言う風に書いてる。

>★日本漫画家協会出版広報センター出版団体)で共同声明を出しました。年初の著作権法改正案(いわゆる静止画DL違法化を含む)は大論争となり、特に漫画家協会が頑張りすぎて

>丸ごと潰れてしまいました。その結果「ダウンロード行為に関しては(例え海賊版であっても)不問にすべし」という誤ったメッセージが方々へ伝わった感があります

https://twitter.com/KenAkamatsu/status/1176709361705447424

赤松氏には色々失望したよ。

2月時点で中途半端対応していたのを見て反対していないのは判っていたが。

何にしても一度は凍結したDL違法化拡大なんてしたらイメージ悪化するだろうよ。

山田太郎氏はこのDL違法化拡大の反対票もあるし、その事実上応援をしていたから、当選した途端、態度を豹変させた意味でも失望している。

そもそも漫画村の一件とかでも裁判の方が遥かに有効だってわかったし、先にプロ責法を変えるべきだろって指摘されているのにもかかわらず、一切触れないのは恐らく所轄官庁問題だろうね。

事実山田太郎氏もヤマベンもこう指摘しているからな。

海賊版対策のために、ブロッキング

ダウンロード違法化だのインターネット自由制限したり、海賊版対策には役に立たない上に未来創作活動等の芽を摘みかねないロビイングをする前に、最初から正攻法で攻めるべき。

https://twitter.com/otakulawyer/status/1174205316482904064

山田太郎政策1-1(17/20)海賊版への対応

ブロッキングDL違法化など、DL側への対応が唯一の方法ではありません。海賊版アップロード側への対応を強化するため、

プロバイダー責任制限法の改正や開示請求裁判所の意思決定の迅速化が必要です

https://twitter.com/yamadataro43/status/1152118426057490432

さてどうなる事やら。

これで山田太郎氏もヤマベンも少しでもダウンロード違法化賛同したらそれこそ世間から総スカン食らうと思うがな。

54万票にはこの手の規制反対票も多いからね。

その点を無視してDL違法化を言い出しているのだから世間からの支持も得られないだろうよ。

出版もいちいち裁判するのはめんどいからDL規制と言う安易な道を取りたいんだろうよ。

やったら確実に音楽映画業界みたいに沈むだろうけども。

本当、こいつら出版漫画家にもダイレクト問題国連児童ポルノガイドラインには行動せず、この手の海賊版対策ばかりに躍起になっているのだから呆れるね。

自身利益以外どうでも良いのだろうよ。

所詮漫画家出版自身利益以外興味がない連中って行動で示したようなもんだ。

今回の声明を見て、今まで規制に反対してきた一般人NGOは内心呆れているだろう。

こんなものよりまともにあの手の規制団体に対抗してくれよってね。

2019-09-22

同人趣味が私の人生邪魔をする

二次創作同人が好きだ。

BLを主に好むが男女も百合も好きな雑食だ。

見るだけでなく小説も書く。いわゆる字書きというやつだ。

これがたまらなく好きだ。愛してやまない趣味だ。生きがいと言ってもいい。

そんな同人趣味が、私の人生邪魔をする。体調的な意味で。

*****

私は双極性障害II型を患っている。どうやら結構重症のようで、自傷自殺未遂入院のような派手な経歴こそないもの障害者手帳は2級、障害年金も頂いている。就労はしていない。年金を頂きつつ、実家の世話になっている。

ではどんな症状なのか?躁状態はそれほど激しくない。金遣いは荒くなるが、間違っても借金を作ったりはしない。「貯蓄額が○○万を下回ったらヤバい」などの最低限の危機意識は持ち合わせているし、貯蓄が減る恐怖のせいで蓋を開けてみればほどほどに済んでいる(ちなみに貯蓄は働いていた頃に貯めた)。

行動的にもなるしそれなりに遊ぶけど危ないことはしないし、多分世間的に見ても「独身謳歌しているアラサーのネエちゃん」くらいのものだと思う。

ただ、体力が絶望的にない。ちなみにこれは「筋トレをすれば解決」なんて単純なものではない。何故なら安定〜躁状態の頃は筋トレに精を出すからだ。筋トレ楽しい

こうして私の貧弱な体力ゲージはこの病気にしては軽度と言えるだろう活動のせいであっけなくゼロに近づき、そして尽きる。そうなるとどん底鬱状態の始まりだ。

まず、風呂に入れなくなる。洗顔歯磨き、以ての外。着替え?そんなのできません。寝ます。ひたすら寝たきりです。でもお腹は減る…どころか、躁状態時は鳴りを潜めていた過食衝動がぽこっと顔を出すのでそりゃあもう食べる食べる。食っちゃ寝の生活。それも自室のカーペットの上で。ベッドとは風呂後の清潔な体で入るものという意識が抜けないのでベッドでは寝られない。

寝てる間は睡眠スマホでネサフするか。でも自分存在を匂わすツールは怖くて使えない。対人関係ものすごく恐ろしい。音信不通になる。ラインはもちろん、あとは同人で使っているツイッターとか。

そう、同人活動が一切できなくなるのだ。睡眠orネサフでは創作活動なんて無理。人と繋がる…というか人に存在認識されるのが怖いかツイッターで自ジャンル萌え語りもできない。

これが今まででは最高で半年続いた。半年風呂に入らない!人として終わってる。なんと言っても同居している家族申し訳ない。臭いよね。本当に申し訳ない。

さて、半年後、なんとか起き上がった私はまずは風呂に入り、夜に寝、朝に起き、少しずつ人としての生活を取り戻していく。それと共に湧き上がるのは、同人活動への欲求だ。

楽しい楽しい推しがかわいくてかっこよくて楽しい妄想するの楽しい妄想文章にするのがまた楽しい!当然活動を再開する。無職の身、時間たっぷりある。まるで仕事でもするようにタイムテーブルを組んで創作活動に勤しむ。

そして、体力が尽きるのだ。

寝たきりの最中は猛烈に反省する。最初の頃は寝食を忘れる無茶な活動反省した。だから次に起き上がれたときスケジュールをきちんと組んだ。また寝たきりになった。スケジュールを緩くした。でも、今度こそうまくいく、そう思っていたのに今現在私は寝たきりの状態にある。

薄々気づいている。私に同人は向いていない。この趣味は、私の貧弱な心身とは相性が悪い。

でも、ならばこれから何をして生きていけばいいのか。同人活動のない人生空っぽだ。「創作無しでオタク趣味を楽しめばいいじゃないか」そう考えたこともある。だけど、ツボな作品出会うと自動的に頭が創作モードになってしまう。買い専?無理無理!だって頭の中を推し縦横無尽に駆け回るんだよ!自分なりの解釈ができたらそれは唯一無二だ。何らかの形にせずにはいられない。だけど、同人活動自分にとってものすごく体力を使う趣味らしく、気づいたら床の上に倒れ込んで虚ろな目をしている。

では同人とは別の、もっと負担の軽い趣味を見つけようか。料理とか?裁縫とか?やってみたらどれも楽しかったけれど、現状同人ほど熱を上げて継続できる気はしない。例外筋トレだが、筋トレは私レベルでは毎日時間できるような趣味ではない。

*****

同人活動という趣味が生きがいだ。これがなければ私の人生空虚のものになる。働けないか日中何をすればいいのかわからないし。家事だけでは長い昼の時間は埋まらない。しかし、この趣味は私を健康文化的生活から引き離す。

さてさて、私はどうすれば色々と安定するのか。

*****

一応記しておく。ドクターストップがかかっているだけで就労意欲はものすごくある。就労再開の為にも体調を安定させたい。ていうか働いてるとき仕事自分キャパが相当埋まるからこんなこと考えないんだよ。あー、働きたい。

2019-09-18

しろ強すぎる著作権改正するべき時期なのでは…

自分が書いた作品だ、だからこの作品に関するあらゆる権利自分にある」

と、創作活動をしている人は根本的に思っているようだが当然そんなことはなく、

現在でも著作権法で護られた範囲しか権利を持たない。

そして、その著作権法は当然、特定受益者である創作者の利益ではなく社会全体の利益

最大化するように決められている。

しかし、昨今の技術発展で二次活動もやりやすくなった現在、今の著作権法

創作者の権利を強く護りすぎているのではなかろうか。

創作者の金銭被害が明瞭に発生するようなケースは当然ながら防がなければ

ならないが、創作者の金銭被害が明瞭でない二次活動のようなもの

全面的に許すような形に著作権法改正をするべき時期が来ているのではなかろうか。





anond:20190918134536

小説が書けない人の意味がわからない

小説といっても投稿サイト投稿したり同人誌作ったりの趣味レベル

短編小説を数本書いて、身内に見せたらそこそこの評価だったので調子に乗って長編書いて公募に出しました。

1作目は1次落ち。2作目がそこそこ突破した。3次くらいか

当時はまだガラケーパソコンネットの普及率も低かったとは思うけど、誰でも原稿用紙3枚とかの課題を嫌々でもこなしたり、大学行ったらレポートとか卒論とかで文章書く機会はあると思う。(私は大学行ってないのでそうでもないのかもしれないが)

星新一さんとかみたいなオチのしっかりしたSSを書けと強いられているわけではない。

自分の思うままに空想世界をそのまま文字に起こすだけでそれっぽい小説は書けると思う、誰でも。

なのに、ちょっと書いてみたんだか書きもせずに自分小説が書けないと信じ込んでいる人が多い。

別に書こうと思ってない、創作活動やる気もない人はまだわかるんだけれども、漫画は描けるけど小説が書けないっていう人の存在特に不思議でならない。

「会話」描写「会話」描写を繰り返していけばそれはクオリティはともかく小説であるはずで、漫画描ける人は会話の部分は完全に書けているし、地の文だって高望みしなければなんとでもなるはずだ。

現に自分自身は公募評価シートの文章力は良くてBだったり下手すりゃD判定とか食らうけれど、書けないとは思ったことがない。

絵を描くのが好きで漫画描いている人は理解できるが、会話もストーリーも思いつくのに小説は無理っていう人は何をもって小説だと思ってるんだろうか。

2019-09-17

時間配分:「創作活動をする」or「消費活動をする」 二者択一

お前は次に「創作活動をするために消費活動をする」という。それは最も間違った道だ。何も残らない。

(マ=スダ 享年2018)

人生は有限だ。

それを理由時間配分を気にするために消費するように生きれば全ては味気なくすぎる。

バイキングで最も損をする食べ方は、元を取ろうとしてフードファイターの真似事に必死になることだ。

(マス=ダ 享年2017)

2019-09-12

迷宮入り

仕事に疲れているのか、趣味が楽しめない。

あんなにも大好きだった漫画アニメ創作活動がつまらない。

どうすればいいんだろうか。

anond:20190912110609

それはそれですごいなww

まぁTwitterでも盛り上がってるし創作活動してるなら気づく可能性もそこそこあるじゃね

2019-09-06

「嫌だと思ったら距離を置け」に対する思考実験

最近、主にTwitterだが「界隈や人が嫌だと思ったら距離を置け」と言われがちである。まあ、それは正しい。合わないものに無理にしがみ付いて心が折れては元も子もない。

…では、例えばの話。

この場合、「距離を置くべき」ものはどれなのか、思考実験をしてみたい。

自分自身の中で「好きなジャンルA」「好きなジャンルB」と、複数の好きなジャンルがあるとする。

そしてジャンルAが好きなフォロワーCと繋がり、いいねやリプ等のやり取りもするようになる。

しかしその後、フォロワーCが「ジャンルBが苦手」であることを公言……所謂地雷」だと判明する。

それが判明することで「これはフォロワーCの地雷だ」というフィルターがかかり、気付けば「ジャンルB=フォロワーCの地雷」だと刷り込まれ、徐々に自分自身ジャンルBに触れられなくなっていく。

ここで「フォロワーCをリムーブなりミュートなりすればいい」と思った際に沸くのが、「でもフォロワーCによるジャンルAの話は読みたい」という感情だ。ジャンルAを楽しむためのモチベーションの一つとしてフォロワーCにやるジャンルA話の存在がある場合フォロワーCを切ることでジャンルAへの気持ちが薄れてしまうかもしれない。

勿論他人の好みと自分の好みは違う、と切り離して考えられる人もいるだろうが(むしろ本来は切り離して考えるべき点だが…)、いずれかとは距離を置かねば自らの「好き」を保てない…となった場合、この段階で距離を置くべきは果たして

ジャンルA

ジャンルB

フォロワーC

Twitter自体

さあ、いずれだ。

個人的見解だが、正解は「どこに重きを置くか」によってくるはずだ。

例えばフォロワーCがジャンルBに対して何故苦手意識を持っているか…に何となく同意ができるのなら離れるべきはジャンルBだし、それでと作品への気持ちを大切にするならフォロワーCだ。しかしこの場合フォロワーCから離れたという事実再確認してしまい、共倒れジャンルAにまで嫌悪感を抱いてしま危険はある。

それなら「Twitter自体」が一番いいのだろう……と結論付けようとしても、Twitterに馴染み過ぎてしまったらなかなか離れるのは難しいだろう。特に創作活動をする人だと発表の場を失ってしまう。

距離を置くにしても「自分自身に取って一番大切なものは何なのか」、そこを見極めないと距離を置いても全く意味がないと私は考える。

そこを見極められずに闇雲に距離を置くだけでは、逆に「距離を置いた」という事実が枷になって、かえって未練が膨らむだけで完全に逆効果なのだ

今回はあくま思考実験だが、同じ状況に陥った時、「何を捨てて何を取るのか」「距離を置くべきはどれなのか」は、その時が来た際のために考えておく必要があると思っている。

……自戒も込めて。

2019-08-25

[]225日目

今日は277話を投稿した。文字数が少ないので明日追記予定だ。

276話についてはそのままにすることにした。一応3000字以上はあったので。

最近気が付いたのだが、4000字書かないといけないと思うと、

休日でも時間が足りなくなると感じる。

どこにいっても何しても小説を書く時間を確保しないと!

という思いがあるので、結構神経をすり減らすこともある。

これは多分なんともならないことかもしれないが、完結までは頑張らないといけない。

今まで創作活動から逃げをとっていたようなものなのだから

勢いで頑張りたい。

2019-08-18

激務の中で創作活動が出来る人と出来ない人の違いってなんだろう…

毎日数分でも時間を割いているからだろうか…

自分は、仕事の事で頭がいっぱいで、仕事あるかないかしか休息をコントロールできない。

どうしたらもっと上手くコントロールできるんだろう。

2019-08-07

何故あいちトリエンナーレはここまで社会の関心を持つようになったのか?

報道や各種メディア個人が様々な媒体で伝えているこの事柄に対して、私個人のごく私的見解など、どうしようもない話の一部になるのだろうけれど、つらつら書いてみようと思う。

検閲

今回発生した問題検閲問題ではない。現在紙面やネットで騒いでいる検閲という問題は、当事者の手を離れた部外者による場外乱闘であった。扇情的な展示に対して、権力を扱う不用意な政治家が、自制せず権利侵害する発言を行ったことは大問題であるが、ここまでくるともはや展示云々ではなく、国家自治体による権利侵害(の実行又は脅迫)という、大事問題だが、別方向の問題として切り離して考えるべきで、後述する問題を覆い隠してしまうことになる。展示を取りやめたのは、大量の抗議や脅迫犯罪予告により、芸術祭にかかわる方々の安全を確保できなくなったという状況に陥り、該当展示の実行委員会(実行キュレーター)の同意なしで中止に至ったという顛末理解している。

税金使用したイベントについて

芸術市場が大きい欧米諸国に対し、日本国は元々芸術品の売買に対して諸国のような減税優遇措置をとっておらず、バブル期を除き、民間ギャラリーを経由した売買や、流通操作伝統工芸品を大型百貨店の展示場で、国内のみ通用する相場販売する程度であったが、バブル期90年代の大型公共投資連続からハード面での地域振興策資金コンプライアンスの両面で実行が不可能になった自治体における「少額で、短期間で既存インフラ活用でき負担が少なく、運が良ければ国際的知名度を上げることができる。」ツールとして、この10雨後の筍のように芸術祭が乱立する事態となった。そこでは、ノウハウのない自治体が、自称地域文化担い手である新聞社に丸投げ、そこからコネ採用された力のないキュレーターは、自身の貧弱なコネクションで囲い込んだ微妙作家しか呼べず、投下した税金の割に貧相な芸術祭になった場合自治体が運悪く山師に金を預けてしまい、多額の不適切支出泣き寝入りになった場合。など皆さんが思っている以上に税金使用したイベントにはトラブルが多い。税金が投入されるイベントは前提条件として・補助金申請等の手続煩雑・大小の自主規制や、地域ルールに縛られる・税金が原資なので、疲弊した財務状況の自治体では開催不能批判を招く場合がある。税金芸術より生活政策資金が回されるのは当然である所詮流行りの水物なのだが、皆さんが思っているより所謂コスパの良い地域振興策なのでなくならないだろう。

表現の自由

今回の問題では、アートと異なる展示がなされているという意見が多く出ているが、大きく表現の自由と括られる中でも、その自由の元に「どの媒体で」「どのような手段で」「どの程度の深度で」、成果物として表現しているかは人それぞれ、所属する社会により異なるという点。またアート政治と不可分であるが、極端な扇情アジ)を行わなくとも、その行為そもそも自由行使しなければ表現できない、自由平和な状況でなければ創作活動はできず、人の創造性を発揮できない点が大前提であり、自由の中で個々人が世界との関わりの中で何らかの美醜混じった真理を見つけ、それを昇華したのがアートとすると、今も表に出ない問題の一つ、表現の自由行使する媒体手段の衝突という背景が見えてくる。

新聞社や論壇を中心とするジャーナリズムは、文字を用い、抽象化している諸概念文章化し、権利自由を、守り、啓蒙し、扇情したりするわけだが、小説などと異なり「直感的に察する/察させる」機能は弱く、相手文字化、文脈という論理化してしまった問題に対し、「同意するか」「同意しないか」の二者択一を求めてしまう。そして問題となった展示は、実行委員会の多くが学者又はジャーナリズム出身という状況で、同じ表現の自由でも、性質が異なる表現を行ったことが原因にあり、一般市民が考える「アート」とイコールにならなかった。「これはアートではない」という声である表現はしているが、アートではないと。

ステートメント芸術、或いはキャプション芸術と呼ばれるもの

アーティストと名乗る作家にも問題がある、この「ステートメント芸術」と揶揄される表現は、業界に詳しくなれば詳しくなるほど根深く、呪いともいえる。

アートという行為物質/空間/映像/音楽意図が伝わるよう、意識特定ベクトルへ向けるよう誘導し、表現しなければならない所なのだが、その実力がない作家の中に、延々とそれらしい説明文を付けて意味づけする行為や、文脈という補助要素を主要素に持って来て、実態だけを見ても理解不能となる。そのような作家は大体退場していくのだが、言葉が主戦場ジャーナリズム界隈と親和性が高いので、変な形で融合してしまうことがある。

文脈を追うのが現代アートだ」という解釈誕生である。一面では事実だが、全てではない。

ビジネス世界でこの行為を言い換えた表現としては「ストーリー」という言葉がある、そしてこれを最大限活用した米国企業セラノスの末路は多くの人を巻き込み凄惨ものであった。

・何が問題だったのか

監督芸術キュレーター経験がなく、自身の分野であるジャーナリズム文脈解釈した表現を、芸術祭ねじ込んだ為、酷く食傷を起こしてしまった。

食傷を起こしてしまった後の対応が、構造理解している人の不足で収まっていない。

食傷を起こした理由は長々と書いた。経緯として自分たち表現の自由最前線で、他の作家は何も考えていない。ように捉えられてしまキュレーション自由世界におけるジャーナリズム優越性)をしてしまったのが原因にあると考える。結果、津田氏がFM番組発言したように「自分一人ならナイフで刺されてもいい覚悟だが、関係のない人を闘争に巻き込んでしまった」という発言につながっている。

表現自由であるから闘争を持ち込むなとは言えないが、徹底的なゾーニングと仕掛(言語化できている主張表現に容易にアクセスできる導線を作る)ことが必要であった。言語化できている(と思われる)主張表現に対して、実態が追い付いていなかったのではないだろうか。

不特定多数威圧行為は、少数で行う創作活動にとって凶悪暴力であり、過去も多々あり、これからもなくならない。すべての事柄に寛容な社会など来ないし、永遠に付き合わなければならない。

②をわざわざ書いたのが、今回の騒動で最も被害を受けている、他の参加作家に対して謝罪対策を行っているのかよくわからない状況だからである

・誰が最も被害を受けたのか

昨日声明文を出さざる得ない状況に追い込まれた、他の参加作家である。それぞれの表現を深化させて今日を迎えているが、キュレーターバランスを取らず、独自プレイヤーとして創作活動我田引水した結果。必要のない状況で、自身作品を見てもらうという重要事柄を達成されないまま原理原則論確認や主張を行わされたのは、イベント主催者として責任が重大である表現の自由大事だと言うに決まっている。また、作品撤収せざる得ない状況に追い込まれ海外から参加者に対して、展示機会を奪った結果になった事も忘れてならない。マスコミが何をキーヴィジュアルとして記事にするか理解して、扇情的人形を配置しているのは明白で、記事を見た輩が抵抗/抗議を通り越して、挑発解釈してしまった訳である撤収した2人は、必要のない場面で・積極的日本側の行為に抗議を行う・無視した場合自国内で起きている扇情的民族主義の標的になることを避ける。2者択一判断に迫られた。

昨日声明に協賛したのは参加作家全員でないだろう、検閲を受けたわけでもない、こういうキュレーターミスによる騒動に対してのスタンス作家ごとに異なるのは当然である

・なぜここまで注目が集まったのか

芸術本質的生活必需品とは言えない。生活環境が改善し、可処分所得余暇がある状況下で初めて人は関心を持つようになる。今の日本問題は起きているが、ネットで百家争鳴する位この国は文化的に成熟しており、得体の知らない世界に関わりを持ちたい気持になったのは素晴らしいと思う。物事の全ては飛び込んでこそ妙が分かる。威圧脅迫はださく醜悪である。そしてアートはこんな長文も飛び越えて一瞬であなた感性に突き刺さる力を持っている。

2019-07-22

平行世界に3人の俺がいる

1人は創作活動に打ち込んで大した結果も出せなくて絶望して死のうとしたけどせっかくだからフリーターになったあとで、細々と今でも新人賞に送り続けている。

1人は親の反対を振り切ってIT系大学に入ってプログラマーになって結局ブラック企業で心を壊されたけど今は立ち直って非正規で再び歩みだした。

1人はEラン大学から公務員試験を受けて地方公務員にはなれず国家公務員になんとか滑り込んだけどブラック職場に苦しみながら今も時給が最低賃金を下回ったまま働いてる。

1人は大学中退してから親をなんとか騙し続けながらダラダラとニートを続けていたがある日限界が来て首を吊った。

1人は精神科ドクターショッピングを繰り返してある日向精神薬をくれる医者と巡り合ったけど結局薬が合わなかったけどいつか良くなると信じて必死に薬代を稼いでいる。

1人はゲームクリエイターを目指して引き篭もって孤独アプリを作ったりどうぶつタワーバトルの作者を妬んだりしながら実質ニートと変わらない暮らしを送っている。

1人は体を鍛えて単純労働者になればいいと考えて頑張って筋トレしたけど辿り着いた職場DQNだらけだったので絶望して逃げ出して今はトヨタ工場でなんとか生かしてもらっている。

1人は警備員なら楽ちんだと聞いてなったはいいけどヤベー客と対応するのが怖くて出来なかったのでビルメンへとスライドして毎日便器に詰まったウンコと戦っている。

1人はアフィリエイトブログで一山当てようと努力して最後スクレイピングを繰り返すだけの虚無になりはてたけど結局儲からなくて仕方がないかツタヤバイトを始めた。

1人は頑張ってCラン大学に入って友達付き合いもそれなりに頑張っていい感じに卒業してメイカーに入ったけどある日残業に耐えきれなくなって今は引き篭もっている。

1人は自分技術的な才能を信じられないからと営業職になったけど自分に一番苦手なのは営業だったのだと気づいてたいけど転職に踏み出せず今も毎日怒鳴られながら生きている。

1人はBラン大学に入れた自分ならきっと凄いことが出来ると思いこんで大学院まで進んでからやはり自分勉強嫌いだと気づいてどこにも踏み出せなくなっている。

1人はとにかく時間稼ぎをしようと親の脛をかじりながらダラダラとコンビニバイトをしているとき例のVtuberに影響されて自分もなろうと3Dの勉強を始めた。

やあ、闇のオタクが病む準備を始めたよ。

推し幸せを願いながら、推しの不幸を喜ぶ闇のオタクです。

推し幸せになると心から祝福できる反面、推せなくなる、というカルマを背負って生まれてきました。

以下、個人的ぼやきです。

自分は、創作をする方のオタクでもあります

拙宅の作品は、拙者から見れば「ハッピーエンド」。だけれども、よそ様から見ると「メリバ」「バッドエンド」らしく、確かにそういう見方もあるな、と納得している点と、あまりに周りに「ハッピーエンドではない」と言われ続けているので、闇のオタク自称している。生きるとか死ぬとか、そういう問題じゃなくて、恋が実るとか実らないとかそういう問題でもなくて、推しが自らの意志を貫ける点に憧れと尊敬を抱いて創作活動をしているので、そこが叶えば「ハッピーエンド」だと思っている。

さて。タイトルの件。

夏コミが近くなってきてカレンダーと睨めっこをしながら原稿に打ち込んでおりますが、先日友人と作業イプ中に「結局我々はいわゆる普通ハッピーエンド大団円を描けない」「周りを見ていると、ハッピーエンドを信じてまっすぐに描ける人は恋人がいたり既婚者が多い」「つまり……我々は……」と急に右ストレートをくらい、そこからそんな考えがぐるぐると目の前で回ってしまっている。

そうか、拙者、もう結婚できないのか……。

言われてみると、確かにその通りである。周りの仲良い友人達創作物は、希望や夢、それから疑う事のない愛が描かれている。どんな苦境に立たされても、登場キャラクター達の心が完全に折れることはない。一度は泥水をすするような展開になっても、ちゃん最後ハッピーエンドだ。他方、自分創作物は。夢を追う姿を描こうとすればハプニングやケガで第一からは外れてしまう。恋愛事になれば「自分が選ばれる筈がない」と想いを口にすることすらない。もしくは上手く交際までいきついても、自己肯定感の低さから恋人と行き違いが起こってしまい、破綻する。(相手幸せなら、別れても仕方ない、と身を引く展開も多い)。

そして友人達の多くは既に結婚していたり、長年連れ添っている恋人がいたりする。そしてイプ相手だった友人と拙者。揃いも揃ってバツイチであるバツがついてからというものブヒブヒ推しに貢いでいるのである。貢ぎながら、推しが苦しんでいる姿を見てまたブヒブヒ言っているのである。確かにもう結婚できそうにない。

離婚してからもそれなりに交際を申し込まれたり申し込んだりとそれなりに恋愛から遠ざかりすぎていないと思っていたけれど、よくよく考えてみれば恋人よりも趣味仕事を優先して結局破局しているし、そうならなくても相手を面倒に感じてしまって関係の解消を申し出てしまったりしている。思い返してみれば、完全に自分の手で幸せをぶち壊しに行っている。

これは、今こうして気づけば直せるのだろうか。

恋愛の楽しさも、相手を大切にする心も、そして同じだけ大切にしてもらえることも、どれもこれも知っているつもりだ。それなのに、あの幸せ空間自分が遠ざけてしまっている。その事実愕然としている。金銭面で自立していて、互いに互いの趣味を認め、四六時中一緒にいなくても良いような人と結婚したいな、と思っていたのだけれど、難しいのだろうか……。つらい。

2019-07-20

anond:20190720012634

でも、あれの行為って、ゲームとか出版かに微妙に影を落としていて、一部では(単に喪に服すという意味合いではなく、基地外を恐れての)表現自粛とかも発布されているようで

単に1つの会社運営創作活動妨害したにのみならず、あの行為創作全体に対するテロ、あるいは、視聴者様が制作奴隷に対して行った焚書に等しい行為と言える

2019-07-18

anond:20190718171509

創作活動従事して、何年もいろんなアイデアを考えていると、

たいていのアイデアは誰かと被ってくるんだよね。

そのせいで、他人自分と同じアイデア成功し有名になると、

たか自分アイデアがパクられたと錯覚してしまう。

2019-07-12

anond:20190712203219

上手くなれないから下手なままなんだよ

上手くなるって簡単に言うけど

伸びしろがある時期(思春期)が過ぎると上手くなるのは時間がかかりすぎる

脳が柔軟じゃなくなるからな(可塑性がなくなる)

仕事しながらじゃ創作時間を割くのは難しい

絵に限らず小説音楽とかの創作活動は片手間じゃ上手くなるのは無理

ただ楽しむのは自由なので

下手でもほっとけや

2019-07-07

Fateじゃなくて過去の自分が嫌いになっただけ

好きだったはずのFateを嫌うのは痛々しかった頃の自分を思い出すからだろ?

多くの日本人がそっぽを向いてるような「文学」を自分たちだけが知っている

そう信じていた頃の自分が嫌いになっただけだ。

エロゲに熱中していた頃の自分エロゲに熱中しているというだけで自分他人と違うと調子に乗っていた頃の自分の痛さに気づいただけ。

その痛さの中で結局何も手に入らなかったから。

痛いことやっていたおかげで何かしらの物が手に入ってたら、その頃の自分が今の自分必要だったと感じられたんだろうけど、そうじゃないか無駄しか思えないんだろ。

世の中にはエロゲにはまりまくった結果として人気漫画家になった人もいる

でも増田はそうじゃなかった。

エロゲコミュニティを通して生涯の友を作った人間創作活動という生き甲斐を得た人間、なんか知らんがメンヘラが直った人間増田はそのどれでもなかったんだろ。

からあの頃の自分に対して恥以外の感情がもてないんだろう。

最強の自分イメージしようとしても、結局できない自分、なりたいものがない自分を突きつけられた。

そういう思い出に切り替わっているんだろう。

よくあることだ。

でもな、それを作品責任転嫁するのはよせ。

増田が恥じているのは、あの頃の自信満々に人とは違うと言い張っておきながら結局何もやってなくて、結局何者にもなれなかった自分だろう。

それを受け止めろ。

許してやれ。

弱い自分を許す機会が訪れたんだ。

その手をちゃんと掴んで抱き寄せてやれ。

振り払ったり突き落とすより、人生が豊かになる選択肢を選べ。

現実タイガー道場はないぞ。

バッドエンドも。

選択肢を間違えるたびに、ただただ辛い日常が続くだけの日々へと変わっていくだけだ。

2019-07-03

anond:20190703210752

知り合いでない人ともリプとかで反応するようにはしている。

ただ俺のフォロワーの中で創作活動的なことをする人は見かけないな。。。

2019-06-30

「熱しやすく冷めやすい」が時々つらい腐女子の話

タイトルの通りだが、私は熱しやすく冷めやすい。

かれこれ十年以上、腐女子として生きてきたが、その間にジャンルCPをいくつも移動している。

大小さまざまなジャンルCPを通ってきたし、特に熱を上げた時には本を出すこともある。

そして有り難いことに、ネットSNS投稿した作品頒布した本に感想をいただくことも少なくない。

創作活動交流を楽しむうちに「このジャンルCPにハマってよかった」と実感するし、いつも巡り合わせに感謝する。

だがどれだけ大好きであっても、三年以上熱が続いた試しがない。長くても一年程度で一気に冷めてしまう。

ある日突然、何の前触れもなく、愛が消える。冷めた理由のわかる時もあれば、全くわからない時もある。

私にとっては、ほとんど天災のようなものだ。

ジャンルを移動すること自体は、別に珍しいことじゃないと思う。

人間、生きていれば好きなものは増えるし、好きだったものが嫌いになることもある。

ただ、私の場合はその周期が人よりも短いように思えてならない。

下手すれば、一ヶ月くらいでそのジャンルCPに飽きることもある。

まりにも飽きっぽいから、たまに「私は頭がどこかおかしいのかもしれない」と疑いたくなる。

それでも根本的に何をどうすればいいのかわからいから、結局またジャンルなりCPなりを移動してしまう。

仕方のないことだと理解していても、以前好きだったジャンル作品に少しも興味が持てなくなるのは、本当につらい。

その時好きで買った本やグッズを見ても何も感じなくなるのは、大切なものを失ったかのように感じる。

楽しく会話できていた方々と、話が合わなくなったり興味が持てなくなったりするのもこたえる。最悪、縁が切れることもある。

繊細すぎるんじゃないか、と自分自分を笑いたくなるが、かつて在ったものが跡形もなくなる喪失感はいつまで経っても慣れない。

私もいつか、残りの一生を懸けるくらい、一つのジャンルを愛し抜いてみたい。

きっと叶わないであろう願望を抱きながら、いつか今のジャンルCPも冷めてしまうのだろうかと日々怯えながら、それでも私は今いる場所が「好きだ」と言うしかないのだ。

2019-06-29

やりたいゲームプレイ時間総量が可処分時間の総量を越えた

『1ゲーム味わうのに平均50時間』『週の可処分時間30時間』≒『月におよそ3本ゲームが出来る』≒『長期休暇を活かせば年およそ40本』

これを寿命にかける。

大雑把に50年。

『2000本』

Steamウィッシュリストだけでこの数は超える。

そもそも年間に増えるやりたいゲームの数が50本を平気で超える。

どうすればいいんだ?

やりたいゲームをやりたくないと言い張りながら死ぬか、やりたかったと言いながら死ぬか、あるのはその二択だけだ。

辛いぜ人生

音楽映画創作活動、あらゆる分野でこれが起きている。

同じ人生を20回繰り返してようやくなんとか……なんだそれは。

どうすればいいんだ

2019-06-28

[]167日目

今日は219話を投稿した。

昨日話数を間違って投稿したのに気付いたので慌てて修正した。

今日は4500字書いた。あまり書けない日の分の字数は後日なるべく取り戻すようにしたい。

本当に毎晩ぎりぎりの状態で書いているが、それでもこの程度できないと

ほとんど何もしてこなかったこれまでの人生と同じになってしまう。

創作活動をするというのが大変だと言うのが分かってきているが

それでもまだまだあきらめたくはない。なんだかんだであともう半月くらい頑張れば

半年だ。一歩一歩頑張っていこう。

2019-06-13

それでも創作は死なない ~AI創作を始めた世界~ ①

突き詰めようと思えば奥の深さに絶望感すら抱いてしまうが、ほとんどの人にとって始めやすいのは文章だろう。(文芸レベル昇華できるかどうかは別として)

絵や音楽特殊な才能、訓練が必要だ。

常日頃から人は誰かと会話している。

一人で思考していることも言語化可能である

会話、発した言葉はその場で霧散してしまうが、文章化すれば形として残る。

この増田であれ、ツイッターであれ、投稿された文章創作活動の結果である

電話機にカメラが付いたこ時代であれば、芸術活動に一番近いのは写真を撮ることなのかもしれないがそれは置いておく。

人は何かを綴り、残してきた。

そして、それは埋もれてしまったり、価値を持ったり、他者に影響を与えたりする。

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