はてなキーワード: 遺伝とは
障害があるし、子どもにその障害が遺伝したら、わたしと同じようなしんどい目にあうかもだし、それは辛いし。
このような話は、わりかしタブー?っぽいから、あんまり外では話さないけど。
あと、薬も100パー安全とは言えないものらしく、妊娠に影響があるとか。
自分的には小さい頃から馬鹿だけど、プリンセス物語に憧れてて、もうずっとずっと結婚して子供を持つのが夢だったんだけど、最近は諦めてるね。
彼氏も今のところいないし、できる気配ないし。
まあそんな人もいるよ!って言う話でした。
子供が欲しい。
でも、家族の半分以上が発達障害グレーぽいことがわかり、発達障害の家系である確信があるので諦めている。
グレーなんてただただ生きづらいだけで、社会福祉のフォローも受けづらく、しんどい思いをするだけ。
幸い私は発達障害だけど得意なことと好きなことが合致していたことためかそれなりに給与がもらえる仕事につけた。友達はいないけど旦那はいるし。正直女だったのも幸運だったと思う。
一方で、男兄弟や従兄弟は完全に男性弱者になってしまった。彼らの親が死んだ時にどうなるのだろうと思っている。
そして、彼らを見るたびに私が子供をほしいというのは無責任かなと思ってしまう。旦那も「正直不安」と言われてしまった。たぶん私は子供が持てないだろう。
これが昔の価値観だったら、発達障害グレーぐらいだったら女性として子供を産むことを優先できた気がするんだ。
子供が発達障害でも、社会のレールに沿って生きていれば良いのであれば、親が死んだ後もどうにか生きれるだろうって見切り発車できたと思う。
うちの男性弱者くんたちは【自発的に】選ぶ、継続することが苦手。でも他人にきつく監視指示されていればある程度どうにかできる。
なので、「結婚、子供は当たり前」「仕事して当たり前」「男は〇〇」「女は△△」とかの圧力があればもう少しまともに生きられたのではないかと思ってる。
そんな社会は息苦しいかもしれないけど、社会に馴染めず仕事もできず、自分で配偶者を見つけることも難しい今よりも楽になるのではと。
それかいっそ、遺伝した場合は福祉を受けるレベルの障害になるとかがよかった(よくないけど)。だって親が死んでも行政のフォローを受けやすそうだし。
と、ここまで好き勝手言ったけど、私がそれなりの給与で働けてるのは今の価値観があるからで。
昔なら女に生まれてこんなに自由に生きられてなかったことも理解しているつもり。
もちろんいいとこ取りなんてできないのはわかってる。難しい問題だなと思う。
視野狭すぎ。
・発達障害で育てる自信がない
・借金まみれでそれどころじゃない
・親の介護でそれどころじゃない
・夢を追っているので子供は諦めた
30秒でこれだけ想像できたけど。
なんとなく、まあこういう考えの人は多くいるよなあと思う。みんな自分の好きなように生きる選択をして、それでも社会が成り立っていくようにするにはどうしたらいいんだろう。
私は人間1人あたりが新しい人間1人を生み出さないと、次の世代の負担が爆増してもっともっと厳しい貧しさが到来するぞと思ってすぐ悲しい気持ちになってしまうのだけど(既に私たちの世代が厳しい貧しさを体験している)、次の世代の痛みなど知らぬ、という人もそりゃいるか。とは思った。確かに。でもそれってあんまり大人らしい態度じゃないなと思った。自分が属するグループ、組織、社会の将来を良くする=人類を良くするために生きるのが、人間ってもんじゃないのか。もちろん、次の世代の苦しみが少なくなるように政治でなんとかしようという動きが今後出てくるかもしれない。ただ、団塊、そしてその次に団塊Jrの世代が死に絶えてやっと人口分布がまともになり、若い世代が苦しまなくなる、という、その時代到来までの半世紀くらいで、日本人の貧しさによる精神ズタボロ度はすごいことになってしまうんじゃないか。心配である。
私は人口が漸減していくことには概ね賛成だが(そんなに多くの子供をかかえる余地はもはやこの国にはないし、実際的に仕事に必要な人間の数はこれからどんどん減っていく)、ドデカい退役世代を、細々とした現役世代が養うというのは、無理があるし、つらい。
今の退役世代はまだ貯蓄があるからいいが、団塊Jrが退職し非労働人口になった時に、彼らの生活を金銭面でも身体面でも、現役世代が支え切れるのかは本当にわからない。年金制度の崩壊と言われる2025年は2年後に迫っていて、そこから本当の地獄が始まると思う。
すごく極端で非倫理的な話をすれば、老人達が長生きしすぎで、これは現行の年金制度を作った時には想定されていなかったと思う。そして、老人というのは家や車を新しく買うことはないので、まとまったお金があってもそれを経済に返還できない。子世代の建てる家や土地にどんどん老人たちがお金を出してやればいいと思うのだが、それはそれでしがらみになりそうで、難しい問題だと思う。そうして遺産相続の時が来る頃には、子世代ももはや退役している。長生きしすぎである。頼むから70くらいで死んでくれ。私も70くらいで死にたい。
70くらいなら子世代もまだ40とか50のはずで、孫世代の教育費に遺産を宛てたり、新たに家を建てたりできる。ただ、孫の世話をまかされている祖父母を考えた時に、70は早すぎる。かもしれない。私の祖父は80で死んだ。祖母は認知症を発症し、施設でまだ生きているが90を過ぎ、これは生きすぎだと思う。ただ、戦前生まれの体が頑丈なのであって、敗戦後に生まれた人々はもっと軟弱で、そんなに長生きはしないと思うし、生活習慣が変わったことによる病気も多いと思うので、平均寿命は現実的には80弱くらいになって欲しいと思う。介護現場の人手不足は国の縮図で、少ない現役世代が、自分たちの数倍の人数の入居者の世話をしている。
下の世代が苦しみながら、「もうじゅうぶん生きた、早く死にたい」と言っている世代を支え続ける構図は続く。ただでさえ老人の数が多いところに、出生率1.3というのは、「1.3人の人間の働きで(金銭的にも身体的にも)2人の老人を養う」ことであるから、国が必死になって子供を産ませようとしているのは確かに理論としてはスタンダードだ。
しかし、子供を産み育てる土壌があまりにも貧しくなってしまったために、子供を持つことはかなり難しく、私にはもはや特権化しているように見える。経済面、また、身体面および精神面で一定の条件をクリアし、他人(異性)と生計を一にすることができる人、というのが、現在この国で子供を持つ権利がある人々である。ここがもうかなり狭き門のように思える。異性愛者または子供のために異性と性交することができる人、かつ、健康で共働き+家事+育児ができ、子供の教育費を過不足なく捻出できる人。で、できねェ〜〜〜〜〜。こんな…ハードモードすぎるってばよ。
加えて出産(初産)は30までに済ませておいた方が体の負担が少ないので(と私は思っている)、20代で仕事をしながら、人生のパートナーが誰なのかを見極め、その人と着実な関係を構築しなければならない。ウワーーー!難しいよ。私は友人からもきつく「お前は子供を持ってはならない」と言い含められているとおり、そもそも治療薬の関係で妊娠ができないし、おそらくこの病状では育児にも耐ええないだろう。その前にパートナーがいないことも大きな問題だ。私のような「外れ物」が子供を持てないのはまあ当然として(本当は「家族」というものが欲しかったが…)、それなりに普通の生き方をしている多くの人が、上述のなんらかの条件をクリアしていないために、40年前なら結婚出産をしていたであろう結構なボリューム層が、非婚のままである。
ただ、40年前のように誰でも彼でも結婚出産しましょう、という風潮だと、本来その能力のない人が親になり、私のようなアダルトチルドレンおよび精神障害者が大量発生してしまう。正直、親世代の雑な育児のツケが回って「結婚できない」という人もかなり多いと思う。それを言い出したらキリが無いかもしれないが、ちょうど戦後に生まれた人達というのは、目まぐるしく変わった価値観を土台にする社会を生きながら、親は戦前の四角四面な道徳観念をもっており、それによって躾けられるという、かなり不安定な人達なのである。既にこの世代からして。大人の「未成熟」というのは、敗戦後生まれた人達から始まる問題だと思う。「未成熟」という言い方はよくないかもしれないが、大人としての役割のひとつだと私が思っている、「子供が1人で生きていけるように育てる能力」を有していない人が、この辺りから大量に出てくる。
または、戦前はそこまで個人の責によらず、社会全体でなんとか、どんな子も生きられるようにしよう、という、厳しさ前提の優しさがあったのかもしれない。たとえば子供がだめでも、孫が優秀かもしれない。そうやって、とにかく世代を繋いでいくことが優先されていたのは、日本古来の習慣(家制度)である。敗戦により、新自由主義、個人主義が「日本人なりに」受け入れられた結果、家制度は解体され、本人の希望によってパートナーを見つける形に変わった。それが時代の進歩というもので、これが「自由」である。どんなに下の世代が辛い思いをしようと、私たちは「自由」を手放してはならない。破れ鍋に綴じ蓋だったり、不均衡だったり、時には大きな問題のある相手を宛てがわれてする結婚は終わり、自分にとっての最上の相手を探す時代が訪れた。
そこで、今まで「宛てがわれて」結婚していた層の「問題のある人達」は結婚できなくなり、子供の数は減っている。これは、その人たちの遺伝子が淘汰されるならいいのでは?と一瞬思うが、遺伝というのはそう単純なものではなく、最悪な親からでもまともな子供が生まれたりするので、とりあえず宛てがって産ませよう作戦は、生物の生存戦略としては優秀賞だと思う。
ただし私たちは人間なので、やはり「自由」を捨ててはならない。子供を持たない人間たちは、その仕事によって次世代になんらかのものを残すしか手がない。私たちは「自由」だと体を張って証明すること、そして、自分より後に生まれる命のために、少しでも貧困の構造や社会制度をよりよいものに作り替えておくこと。これは子供を持っている人ももちろんやっていると思うが。私は結局子供は社会で育てるものだと思っているので(親個人の責任はそこまで重くするべきではない)、実際に子を持たない人でも、その働きはひいては次世代のためのものなのだから、誰が子供を持っているとか持っていないとかで揉めるべきではないと思う。
真面目にそうだぞ
冗談抜きに子どもを産んでは養護施設に入れてまた産んでってやってるヤツとかいる
でも逆にこう言うレベルの親は行政が動いて養護施設に預けることになるので、逆に救いがあるかもって思う
親にまともに愛されずサポートもされず親に負担だけかけられたやつは、
ーーー
追記:
mutinomuti 親にまともに愛されサポートされ負担がなくても犯罪者にもなるし自殺もすることは念頭に入れるべき(´・_・`)
https://b.hatena.ne.jp/entry/4737537501068751077/comment/mutinomuti
病気(内科的疾患による症状など) と 犯罪巻き込まれを除いて、
自死を選ぶほどに精神を病む人物のご家族は例外なくどうかしているぞ。
文部科学省もちゃんと認識をしていて『特別な支援を必要とする 児童生徒』として取り組み自体はあるよ
発達障害の枠組みに入ってるけど、
CU特性
共感性が低くたって感情がないわけでも知能に遅れがあるわけでもないのだから、
教えれば、『自分の感じ方は人とは違う』『思いやりのない行動をしたら自分が社会的に損をする』くらいは理解出来るのだわ
問題は極めて遺伝的要素が強いので親も似たようなタイプで子の特性に気付かない・無関心・現実逃避するパターン
例えば、発達障がい、中でもアスペやCU特性(Callous-Unemotional Traits:無感覚非感情的特徴)など
ただ強制じゃないので、親の意識が相当高くないと、大学や国立病院に足を運ぼうとはならないと思う
そもそも、親がこれだけ意識が高ければ、子が犯罪者になるとは考えにくい
なので端的に親の養育・療育が悪かったで終わる。少なくとも人死が出ているのだから
CU特性があるかどうかは近くの専門医に診てもらえと言いたいが、日本は遅れてるからどこでもやってるわけじゃ無いみたいよ
https://sites01.lsu.edu/faculty/pfricklab/wp-content/uploads/sites/100/2015/11/ICU-Youth.pdf
↓
https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-23659359/23659359seika.pdf
「CU特性」とは,ニューオーリンズ大学のフリック博士が提唱しているCallous-Unemotional Traits の日本語訳です.フリック博士によれば,CU特性はサイコパスとも関連のある特性で反社会的行動を表す児童に特徴的なものだとしています.また,注意欠如多動症(Attention Deficit / Hyperactivity Disorder; ADHD)との関連も報告されています.
性交は原資にはならないんすわ
動物見ててもわかるでしょ?オスは遺伝的な揺らぎや変化が大きく作られてるんですよ
遺伝的な変動幅が大きいと言うことは、良い変化と同じだけ悪い変化が起こる可能性もあるということ。
そういう遺伝子変化を、個体数を減らすことなく試せるのです。もしメスでそれをやったら繁殖個体が減って絶滅するか、悪い形質が遺伝して子孫の生存可能性が落ちますからね。
独身でもちゃんと正社員で働いて稼いでる人えらいしすごいと思う
社会の役に立ってるよ、しかも楽しく過ごせてるなんていいじゃん、友達もいてさ
私は発達でどこの職場に行っても迷惑かけていじめられて辛くて手帳とった
障害年金はもらえず障害者枠で働いてるけど自力では生活できない程度の給料しかない
まともに稼げる能力に生まれたかった……これを遺伝させたくないから子供いらない
その前に結婚すらできないと思うけど…彼くん漫画みたいなこと起きずにアラフォーBBA
いらないじゃなくてもう作れないなこれはw
女だと結婚よりも子供いるかいないかで分断されるからコンプ感じる人がいるのはわかる
子育てってすごく大変だししてる人も本当にすごいと思ってるけど未婚子なしの人を見下してくる人もいて悲しくなる
結婚して疎遠になった友達、子供できなくてまた私に絡んできた時微妙な気持ちになったけど疎外感ある気持ちはわかる
女だと自分と似たような発達の子はみんな理解ある彼くんの専業主婦になってて弱者未婚女は肩身狭い
女性の未婚の人は自立してる活発な女性が多くて独身の人と話すと自分よりレベルが上すぎる
いままでの彼女には振られてきたと
とあるように、「ちっちゃいと嫌な女性」がある程度の割合いるんだね
ということはだよ
もし増田さんに男の子が生まれたとして、旦那のちっちゃさが遺伝してたとするでしょ
「ちっちゃいと嫌な女性」は息子さんと付き合ってくれない、つまり息子さんはなかなか女性にありつけない、増田さんのように「ちっちゃくても構わない女性」に出会わないと結婚できないことになってしまうんだ
だから「自分の息子には幸福になって欲しい」と願う女性は「ちんちんのちっちゃい男」を避けるようになるんだね
因果が複雑に絡み合っているんだ
彼女や妻がいる人間ってのはたまたま遺伝的に恵まれてて、顔や身長、体型が女性から足切りされないレベルに生まれたってだけだろう。
そりゃ中には遺伝的なルックスが悪くないのにコミュ障や本当に努力不足で彼女が欲しいと言いつつ彼女がいない男もいる。
だけど俺のような、中高共学かつ大学で女子のいるサークルに所属してたのに20代後半で未だに彼女ができたことのない人間ってのは殆どが「努力では女性の設定する足切りレベルを突破することが不可能な遺伝的ハンデキャップ」を抱えてるんだ。
仮に心の中では馬鹿にしたり見下したりしてたとして、面と向かって馬鹿にするのか?
流石にそんなことしないだろう。
不妊治療までして子供が欲しい気持ちはまあまあ理解できるんだけどさ。でもさ、産まれましたとか授かりました報告に憤慨したり、配慮が足りないと泣いたりするのはちょっとよくわからないんだよね。
自分に子供ができないことと、他人に子供ができることは全く違うものなのにさ。
喜んでいる友人がいたら、心から「良かったね」と言えると思うんだけどな。
これは、想像だけどさ、不妊ってお互いに原因がなくても、たまたまカップルの相性もあると思うんだよね。遺伝的な要素とかで育たないこともあるんだ。だから授かれないものはもう仕方がないし、高度になればなるほど、それは神への挑戦にすら思えちゃうよね。
カップルで一緒にいる理由って子供だけじゃないんだから、ちゃんと受け入れた方が自分のためになると思うんだよね。
それでも、欲しいなら、特別養子縁組制度の利用も検討するとか、方法はあると思うんだけどね。
何にしても、そんな人の子供に私はなりたくないなぁ。
不妊治療までして子供が欲しい気持ちはまあまあ理解できるんだけどさ。でもさ、産まれましたとか授かりました報告に憤慨したり、配慮が足りないと泣いたりするのはちょっとよくわからないんだよね。
自分に子供ができないことと、他人に子供ができることは全く違うものなのにさ。
喜んでいる友人がいたら、心から「良かったね」と言えると思うんだけどな。
これは、想像だけどさ、不妊ってお互いに原因がなくても、たまたまカップルの相性もあると思うんだよね。遺伝的な要素とかで育たないこともあるんだ。だから授かれないものはもう仕方がないし、高度になればなるほど、それは神への挑戦にすら思えちゃうよね。
カップルで一緒にいる理由って子供だけじゃないんだから、ちゃんと受け入れた方が自分のためになると思うんだよね。
それでも、欲しいなら、特別養子縁組制度の利用も検討するとか、方法はあると思うんだけどね。
何にしても、そんな人の子供に私はなりたくないなぁ。
【中学生くらいの頃】
・純粋に子どもが好き。将来はお父さんとお母さんみたいに結婚して子ども産んで生きていくのだろうと思っていた。
というか、子ども欲しいとか欲しくないとか、そんなことはただ考えず漠然と家庭を築いているんだろうなぁと想像妄想していたと思う。
【高校生くらいの頃】
・メンタルがやられ、なんて自分はダメ人間なんだと本当に落ち込む。絶対来世は人間にならないと誓う。絶対に人間なんかなるもんか。自殺は痛いから嫌だけど、本当に消えたかった。
・もしかしたら、いじめられるかもしれないし、人をいじめるかもしれないし。すごく理不尽な目に遭うかもしれないし、悲惨な事故に巻き込まれるかもしれない。可哀想で辛すぎる。そこまでひどくなくても、まぁ生きていれば辛いことがある。そんな酷い仕打ちを我が子にはさせたくない。が、かといって辛いことが何もありません、というふにゃけた人間になっても生きづらいだろうな、と思う。
・自分は子どもを産むことが許されるほど、能力を持っていない。子どもに受け継がれる全ての遺伝子が可哀想。ごめんね。
・絶対に子どもは産まない!と固く決意し、兄弟に子どもを産みたいと言ったら全力で止めてねと言っておく。いや〜止めないよ。と和やかに言われる。
・なんと好きな人ができて、この人に子どもを抱っこさせたい、でも私の子どもは嫌だという大問題に直面。ただ好きな人の子どもは私だって見たい。
・自分の遺伝子が問題なんだよ。でも好きな人に他人の卵子と受精させ子を育てさせること、養子をとることは違う気がする。代理母出産も申し訳ない。その痛み経験したい気もする。なんてわがままなんだ。
彼に失礼。自分のメンタル治せ!いや性分か?自分を愛することで他人を愛することができる!と自分の中の修造が言っている気がする。
・ごちゃごちゃ言いつつ、なんだかんだ今とても幸せで、人と環境と運に恵まれたと感じている。今の人生と同じ人に巡り会えるならもう一度人間をやってもいいかな、と思えるようになった。
・生まれてくる子は絶対大変だ、辛いはずと決めつけてしまっていたが、それは私が決めることではないし、今わかることではない。辛いかもしれないし、辛くないかもしれない。それは本人のメンタルの持ちようにもよるだろうし。まぁそのメンタルの基盤を作るのは、本人の性分と、親がいかに関わるか、周りの環境がどうであるかではあるのですが。遺伝と環境の相互作用。辛いか辛くないか、それは私達の努力も大切ではあるが、それが全てだと思わなくてもいいのかな?と考えるようになった。
・周りの子は経済的に不安を感じて出産を悩んでいた。私も友人もありがたいことに何不自由なく育ててきてもらっており、親がしてくれたような水準で子どもに関わってあげられる自信がない。そう思うと、大学まで金銭的援助ができる自信がないのに産んでいいのか?と不安になる。だって大学のお金まで出してあげたいと思ってしまう。理想としては。
「身の丈をわきまえろ」「脳内お花畑か」「奨学金制度使えばいいじゃないか」と言われそうだが、奨学金を借りない方向で子育てをしたいと考えている為、何不自由なく過ごせる経済的自信がないのなら産まない方がいいのかな?と思っているが、そもそも経済的自信満々で子育てをしている人はごく僅かだと思う。なんだかんだうちも「家計が火の車だよ」と言っていた。親のやりくり力すごい。
・優生思考、資本主義社会のこの世の中で戦い抜ける我が子を産み育てる自信がない。そもそも遺伝子に自信がないのだから、ね。親はちゃんとしていたのに、親に申し訳ない。
・私ものらりくらりと生きているということは、なんとか楽しく生きられる可能性50%、毎日死にたく生きる可能性50%?そもそも人間の人生って白か黒か、くっくり色分けできるものではなくグラデーションなのでは?なので何とも言えないのか?
【今の考え】
・この先100年辛そうだし、子どもが可哀想だからあんまり産みたくはない。しかし彼の人生にも関わることだから、申し訳ない。彼のことを考えると産みたい。多分いいパパになれると思うから。
出来てないことはちゃんと『保護者として期待値に満たない』と言ってやるのが子どもの権利を守る真っ当な大人
お金が無いではなくて、メンタル的にポンコツは、とにかく無理をするな
親もその特性持っているから、金持ってたらギリ子ども育てられるかもね?くらい
精神障害を持ってても親になっていいけど、その現実は真摯に見つめた方がいい
精神疾患の親に育てられた経験のある方の体験談・メッセージ
https://www.nhk.or.jp/heart-net/new-voice/bbs/52/2.html
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