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はてなキーワード: 賞賛とは

2017-06-23

星野なんとか「人見知りは相手を恐縮させるんですよ」→賛否両論

ガクト「人見知りはガキの甘えだカス」→賞賛

 

結局お前らルックス権力意見選んでるだろ?

2017-06-19

結婚発表すると文句言われるアイドル制度売春以下の性奴隷システム

アイドル結婚におめでとうと言えないなら、ファンじゃないし、ファン辞めてしまえと思う。もし、そうじゃないファンを前提にビジネスができているなら、そのビジネスおかしい。そうじゃないファンを前提にイベントが行われているなら、そのイベントおかしい。

一人の人間に対して、結婚するな、恋愛するないう形でビジネスが成り立っているのなら、それは本質的には性奴隷と同じだし、人の生活24時間縛っているという意味で、売春よりひどい制度だ。売買春と同じで、本人の意思にもとづいているのなら、法的に規制されるべきとまでは思わないけれど、社会的にはもっと気持ち悪い」というレッテルが強く張られてしかるべきだし、ポリティカル排除されて当然だと思う。

もちろん、アイドルファンは、同性からも異性から気持ち悪がられているし、それは正しいと思う。でも、そんな性奴隷ビジネスが、メディアを儲けさせるという理由で、おおっぴらには何の批判も受けずに、賞賛されている現状はおかしい。「結婚すると怒るファン」が、気持ち悪い、社会的非難されて当然ということが、もっと共有されるべきだと思う。アイドルアイドルである前に人間である

2017-06-14

増田どころか

全国にゴマンと

学校職場地域その他で

心無い発言を受けて傷ついてる人は大量にいるんだけど、誰も何も配慮してくれないようなあと。

あれも心無い発言をする漫画で、真似していじめをしたとかだったらむしろ逆に賞賛されてたの?

2017-06-11

過度な期待はここにもか

日本の「お客様は神様です」という風潮と、「誰かが何とかしてくれる」という風潮が嫌い。

ニーズに応えたくても、こちらはそのような能力知識もありません、と言いたい例が多すぎる。例えば、特別支援学級に行かせたくないか家庭教師特別支援学級に行っていても勉強に遅れを取らせたくないと言っているおうちがあったりするんだけど、こっちは生徒の特質完璧に見抜けるわけでもなく、詳しく訊くことも出来ない。

そもそも説明に行っている人間が、学習障害知識もない、と言うレベル私自身も最近勉強するようになったくらいだ。

これから夏休みきっかけに、家庭教師を頼む人は増えると思うけど、良い会社、良い家庭教師ばかりじゃないから気をつけてください、と言うしかない。また、子供勉強嫌いや、興味のなさは、親が思っているより遥かに深刻で、どうにもならないことだと思ったほうがいい。努力ダサい、めんどくさい、ラクしたい、もっと楽しいことがある、子供はそう言うから。それに、高校行って、偏差値が高い大学に行けば将来安泰、というレールはとっくの昔に崩壊してますしね。

優等生肯定される時代は、もう終わったのかもしれない。SNSに加工した写真を載せれば、簡単いいねがもらえるのだからリアルでコツコツ勉強するより、ネットに逃げて、賞賛されるほうが楽しいと思うんですよ。

ネットに逃げないコツは、ちゃんと子供と向き合うこと、子供のいる環境理解すること、そこまですれば、彼らに必要勉強方法もなんとなくわかる気がするのですが、気のせいでしょうか。

ちなみにスマホ1台あれば、YouTube勉強を教える動画も見られますし、色んな学習アプリが使えます。それもわかっていてほしいですね。

2017-06-10

Apple製品は良い←わかる

Wingdowsが嫌い←まあわかる

Apple製品は無条件に賞賛←うーん…

Windows製品は無条件に批判←それは違くね

Apple製品大好きだからスティーブジョブズ大好き←???

はてなーって何で無駄ヨッピー擁護するの?

今回の件だってPR表記するとPV減るから書きたくないって本音を隠しながら話をしていったからこんなこじれたんでしょ?

そりゃ仕事からPV減るのは困るだろうけど、そもそもこういう現状になったのは今まで散々pV至上主義でやってきたツケでしょ。

それなのに、はてなー達はブコメヨッピー賞賛したり擁護したり持ち上げまくっている。

いつも冷静なはてなーはどこいっちゃったの?って感じ。

しかヨッピーはてなーが嫌いだっていうじゃない。

そんな事を言われてまで擁護する理由って何なの?

ヨッピークズだとわかってちょっとすっきりした

記事に「PR」をつけるかつけないかっていう議論が巻き起こっているけど、この件でヨッピー性格がわかってちょっとすっきりした。

ヨッピーはてブではやたらともてはやされているし、謙虚っぽく見せているけど、なんかうさんくせーなーと思っていた。

https://www.facebook.com/yoppymodel/posts/1084637998332922

このページでヨッピーは「全然知らなかったんだけど、おおつねまさふみというネット古参らしい人」の「イキリ発言」を集めてさらしているんだけど、呼び方も見せ方も相当に感じが悪い。

(いつの間にか「おおつねまさふみさんという方」に呼び方が変わっているし。こういうところもセコい)

フェイスブックで身内と一緒に叩いて、痛いところをついて来たやつのマウントを取ろう、という姿勢が露わになっていて、実に清々しいほどにクズだ。

有名になってネット監視される状態になると、必ずどこかで作ったキャラのボロが出て、そこからは叩かれやすくなるといういつもの流れが生まれている。

今後ははてブでも賞賛一辺倒になることはなくなって、バランスが取られるようになるんだろう。

このPR議論だけど、いくら記事作成側が言い繕っても、タイトルPRが入っていないのを不快に思う人がいる限り、言い訳してんじゃねーよと思われるだけなので無駄だと思う。

記事広告を書いている人がこの話題に触れちゃったのが、そもそもの失敗だったんだろうね。

2017-06-08

中傷主観で済まされるが、賞賛客観が求められる。

から世の中には中傷蔓延る。

こういう世にこそ、主観他者賞賛できる者が求められるのだ。

2017-06-07

[] #26-5「オサカレビュー

総評

総評としては、これもニワカがよく言う“イマドキの映画”にカテゴライズされてしまうのであろう。

残念ではあるが、今のこの国にこれ以上の出来のゾンビサイバルを求めるのは酷ということは知っておかなければならない。

しかし、自分のような他作品に多く触れてきた人間からすれば、満足に足る代物ではないことも確か。

不出来なパスタを美味しく食べられるのは、腹が減っているか無類のパスタ好きな人間だけなのである

限られた手札でスタッフたちはベタークオリティを目指し、スポンサーや想定している顧客の期待に可能な限り応えようとした。

その努力の跡は窺えるのではないだろうか。

自分映画に点数をつけるスタイルでは評論しないが、今回はレビューを読んで映画を観た気になりたい特定の読者の期待に応え、点数をつけてみたいと思う。

この『ウメダ・オブ・ザ・デッド』は「50点」!

何点満点中?

自分で考えろ!


…………

レビュー読み終わったよ」

「お、どうだった?」

俺はオサカほど色々考えて観るタイプじゃないので、どうもこうもない。

だがそうも言ってられないので、気になるところを何とか捻り出す。

「このレビュー共感できる人って少ないんじゃないか。お前を多少は理解している人間からすれば、熱意は伝わるかもしれないが」

「ははは、それは顛末問題だよ、マスダ。レビュー大事なことは意見を発露したり、共有しようとすることさ。人と意見を一致させることではないし、違う意見人間を言い負かすために必死になることでもない」

「じゃあ、カジマみたいなのが賞賛したり、或いは批判していても構わないと?」

「そりゃあ、個人的感性からくる拒否反応はでるけどね。他人意見あくま他人意見だし、所詮は全て主観だ。それは大前提さ。自身が響けば名作、響かなければ駄作他人押し付ければそれ以前の問題になる」

俺には行き過ぎた言論の自由傲慢区別イマイチつかないのだが、オサカ曰くほとんどの人間健全謳歌している範疇ということらしい。

から見たらどう取り繕ったところで、主観を各々が垂れ流すだけの環境では不毛しかならないと思うのだが、オサカみたいな人間にとってはそれは必要ことなのだろうな。

(おわり)

2017-06-04

北朝鮮は夢の楽園とか賞賛してる人って頭おかしい?

当時の日本人の多くが

敗戦のショックでおかしくなってた??

北朝鮮は夢の楽園とか賞賛してる人がいた

北朝鮮が・・だよ?

おかしくない?

2017-06-02

自分生活が楽に快適になるなら、極論、共産党独裁による共産国家でも良い。

「今より生活が良くなるビジョン」を提示してくれれば、共産党による暴力による国家革命ですら俺は肯定する。

革マル派国会審議中になだれ込んで自民党議員を皆殺しにして共産国家の樹立宣言しても、それで自分生活が楽になるなら拍手喝采賞賛する。

にも関わらず、お前らの口から出ることは「あべのやることにははんたーい」ってだけ。

からお前らは評価されないし、お前らが口を開けば安倍を補強する形になってることにも気づかない。

革命も起こせないなら、バーベキューにでもなったらどうだ?

詩織さんの件

#追記

まさか銀行強盗に入るという例に飛びつく人がこれだけいるとは思わなかった。

勇気を出して何をやるかが大事であって勇気を出しただけでは素晴らしいとはならない

と言っているのだから反論としては『性的暴行を受けた、デートレイプドラッグ

をこっそり飲まされた、なのに不起訴になって不服だ』と現段階で記者会見することは

素晴らしいことだ、その理由はこれこれだ、という形にして欲しかったです。

そうすれば、それがそれは司法結論を出す前に記者会見をやって社会的私刑

することを上回る素晴らしいことなのかなど議論を深められたのに。残念なことですね。

-----------

勇気を持って性被害告発したことが一部で英雄視されているけどどうなのだろう。

銀行強盗に入るのだって勇気がいる。勇気がある行動だからというだけでは素晴らしい・賞賛すべきとはならない。

あくまでやることが良いことかどうかである

そう考えたとき、では性被害の訴えが不起訴になり検察審査会申し立てたことを記者会見で発表するのは良いことなのだろうか。

泣き寝入りをさせない、声を上げやす社会を作るというのはあくま司法に訴えることについてのはずだ。

この会見は、逮捕されれば即悪人扱い、推定無罪原則なにそれおいしいの、という国民性を利用した、

法的手段を経ないで私的社会的制裁をくわえるリンチ行為なのではなかろうか。

そのようなものは、被疑者が実際にやっていようがやっていまいが、あって望ましいものではない。

もちろん、今回の不服申立の結果、やはり不起訴のままとなった時に、誰もが何もなかったものと扱ってくれるようなら記者会見問題はない。

しかし、実際にはずっと色眼鏡で見られることになるだろう。うまくやったな、と。

今回の件について、ついている弁護士から民進党が仕組んだものという説も流れているが、

そんなのは完全に的外れ妄想だろう。しかし、そうではなくても民進党がこの件について取り上げ始めたので

国会でも名前が出て、私的社会的制裁効果は今後さらに大きくなるのは間違いなく、これがこの日記を書いた理由の一つでもある。

http://www.news24.jp/articles/2017/06/02/04363208.html

詩織さんは記者会見をしないと事件が揉み消される、なかったことにされると主張しているが、

実際にはこれまで検察捜査をして証拠集めもした上で不起訴判断したのである

そして検察審査会への不服の申し立てに応じて審査することだろう。

記者会見をしなければなかったことにされて不服申立を受け付けてもらえなかった、というわけでもない。

もしそうなら記者会見は不可欠のものであったが、そうではないので記者会見はただ社会的制裁を与えるという私刑のためだけのものになっている。

確かに不起訴詩織さんの望む結果でなかったし、不服申立の結果も望むものとならない可能性もある。

でも、それははたして”なかったこと”にされたと言えるのだろうか。

詩織さんはただ検察審査会に不服申立をするだけにして推移を見守るべきで、記者会見をするべきではなかったのではないか

少なくとも記者会見をするにしても、検察審査会の決定を踏まえた最終的な結果が出てからにするべきではなかったか。そう思えてならない。

2017-05-31

みんなxvideosさんのこと馬鹿にしてるけど

そりゃあ、コンテンツ自体違法コンテンツだとか、日本政府保守的・純潔思想的な価値観にはそぐわないというのはあるかもしれないが、「権威主義手法ではなく技術手法で自らの性欲をコントロールする」というのは合理的近代文明人としては実に正当な行為であり「あんな偉い人がエロサイトとか見るのかよ」という批判は当たらないと考えるがどうか。

# お前がエロ弾圧してたんじゃないかという批判は今は忘れて?

ましてや、中出し昏睡レイプかまして官邸に泣きついて揉み消して貰ったクズが取り沙汰される昨今、安全な性欲のコントロールを率先して実践することは賞賛に値すると言うべきではないか

2017-05-30

安倍晋三クリーンさに驚いた

森友学園加計学園といった一連の忖度事案を見ていて思ったのは、安倍晋三というのはなんてクリーン政治家なんだろうということだ。

ふつうこれぐらいの権力を持った総理口利きを依頼するなら億単位の金が必要だろう。

実際日歯連事件では1億の闇献金がおくられた。

あの当時の元総理である橋本龍太郎と今の安倍晋三の力の差を考えれば、安倍晋三への口利き依頼は数億レベルと考えていい。

にもかかわらず森友学園でも加計学園でも安倍晋三が多額の金を受け取ったという話は全く出てこない。

森友学園では安倍晋三「が」100万円寄付したという話があり、加計学園では20年近く前に14万円の報酬を受けていたという話があるぐらいだ。

これだけ国民の支持があり、一方野党死に体戦前戦後最長の在任期間を噂されている総理なら放っておいても金は集まってくるだろうに、そういう話がない。

意思決定不明さなど一連の忖度事案には批判すべきところは多いが、少なくとも安倍晋三クリーンさは賞賛に値するだろうと自分は思う。

2017-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20170527144330

アップロードするのは共感賞賛を得たいから だけど恥ずかしい(自分から見ても他者から見ても)自覚はあるので注目されすぎると困る

又吉直樹小説が読めない

本屋又吉直樹の『劇場』が平積みされていて、演劇舞台らしいので、読んでみようと思った。

買う前に、1ページを読んでみたのだけれど、読みにくい。少し不安を覚え、もうちょっと読んでから買うか考えようと思ったが、3ページぐらいで、これは完読できそうもない、と思って買うのをやめた。文体が独特だ。

花火』は読んでないけど、たくさん売れたはずだ。ということは、小説読む人は、この『劇場』も、普通に読むはず。

少しツイッター検索したけれど、賞賛ツイートが多かった。

Amazonレビューでは、星一つのレビューもあったけど、レビュー自体意味不明

私はショックだった。小説が読み切れないなんて。面白い面白くないと判断する前に、読み進められない。

ネットサーフィンのし過ぎか。ネット記事ばかり読み過ぎて、小説すら読めなくなってしまったのか。

はてなブックマークコメント気持ち悪い

僕はたいてい記事を読んだ後、はてぶのコメント欄を読む。そろそろその習慣をやめようかなと思い出している。

コメント気持ち悪い。

否定的なのが多すぎる。こいつら否定しかできないのかと思ってしまう。しかも的を射てないというか、この文はそういう意味で書かれてないのに、とか、それを言ったら身もふたもないじゃんとか。

僕がより強くこういったことを感じ始めたきっかけは、「全盲長男任天堂に送った手紙まさかの“神対応”に賞賛の声」という記事コメント欄を見た時だ。記事の内容は「全盲男の子障害があってもできるリズム天国が大好きで、任天堂感謝手紙を送ったら、任天堂から返事が返ってきた。」と言った感じ。

僕は普通にいい話だなーと思って読んでいたのだが、コメント欄を見ると「神対応とか書いてPV数上げようとするな。」とか「任天堂の返事の文章定型文のような気がするのだが。」みたいなコメントが人気コメントの上位に並んでいた。

この記事の注目するところってそこなのだろうか。こんな登場人物全員いい人の記事によくこんなネガティブコメントが浮かんでくるなと、そこで初めて「あ、俺、気持ち悪いと思ってる」と自覚した。しかもそれが人気コメントに並んでいるということは、この記事を読んでそう思った人が相当な数いるということなのだろうか。

こういったことは、ブックマークが多い記事であればあるほど、顕著になっている気がする。

このような芯を捉えていないコメントに対して、記事の作者が追記で謝っているような時もあるが、「そんなん気にせんでいいわ」と思ってしまう。それで凹んで、今後思い切った記事を書くのが怖くなってしまったらかわいそうだなあとも思う。

2017-05-26

加計学園前川氏の告発(と森友の籠池氏)で感じたこと

保身・損得の面だと損しかなのに声を上げるのは大したもんだけど原動力が多分恨みだから賞賛しにくい(自己顕示欲もあるか?)

マイナス感情テロとかヘイトスピーチ以外で政治改善に繋がる可能性があるならどんどんこういう争いが起きた方がいいのかもしれんが

2017-05-24

ブラタモリは俺TUEEEだったのか

現地に詳しい案内人に対して、予習なしのタモリがずばっとお株を奪ってしまって相手を脱帽させる

視聴者は、タモリに感服した案内人を見てまるで自分に対してその賞賛が向けられたかのように錯覚して悦にいる

2017-05-20

語彙力がなさすぎるネットメディア

↓これな。話自体ものすごいいい話なのに「神対応」とか「賞賛の声」とかの言葉を使うと途端に陳腐な話になってしまう。こういうの何とかならんもの

全盲長男任天堂に送った手紙まさかの“神対応”に賞賛の声 (BuzzFeed Japan) - Yahoo!ニュース

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170520-00010000-bfj-sci

2017-05-18

補足解説 ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。

ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。

http://anond.hatelabo.jp/20170516141639

↑ これの筆者である。私がこのエントリを書くにあたって意識したのは、共産主義ファシズム、ラディカル・フェミニズムだ。そこにミソジニーの味を加えてみた。

ついでに、最近話題ポリコレも組みこんだ。その点ではリベラル思想も汲んでいる。

文章はいい加減だし、今日日本において実現可能性はゼロだと思うが、この主張自体はマジメに唱えているつもりである

  

  

"自由"の抑圧こそが必要

たとえば、労働問題について考えてみよう。

過労死するほど働く自由」と「過労死するほど働かない自由」の両方を労働者に与えれば、それで十分だろうか?

私はそうは思わない。読者諸君も、一部のリバタリアンを除けば、「過労死するほど働く自由」を認めないはずだ。

  

過労死するほど働く自由」なんていうものは、たとえそれを望む労働者がいるのだとしても、決して認めてはならない。政府長時間労働を厳しく規制し、それを抑圧することが必要だ。

人が趣味や遊びをやりすぎて死ぬというのは愚行権範囲で、一応は自由だと言えるかもしれない。しか労働問題においては、そういう権利適用するべきではない。

  

長時間労働は、それをやる自由とやらない自由の両方を認めてしまった場合ブラック労働環境の中で強制的にやらされて苦しむ人が続出するのが明らかである

女性労働するときハイヒール・化粧についても、これと同様のことが言える。

  

「上から改革」が必要

明治時代日本でも、あるいはどこかの後進国でもいいが、近代化過程では必ず「上から改革」がある。

旧弊に従う自由も、旧弊に従わない自由も、どっちも認めましょう」という生半可な方法では、おそらく近代化を達成できない。国民はややもすると旧弊に従おうとするからだ。だから政府が強権的に指導し、旧弊排除することで、国民はようやく新時代適応できる。

  

たとえば女性差別がひどい国では、政府女子教育権利提唱しても、おそらく多くの国民はそれに従おうとしない。

権利を与えるだけでは、都市部のごく一部の家庭が娘を学校に通わせるにとどまるだろう。貧困層田舎にまで女子教育を普及させるには、政府国民権利を与えるだけでは不十分であって、その権利行使することを国民義務付けなければならない。

  

重要なのは政府国民全員に強制することである

「おらが村では女子教育なんてやらない」とか、「うちの家庭は伝統的な女性にふさわしい育て方をしたい」とか、そういう保守的な反発をするのは男性だけではない。母親祖母も「女はかくあるべし」と考えている。「女子学校に行かせる余裕なんてない。家の手伝いをさせたい」と思っている毒親もいるだろう。

そして女子児童は、当人まだ子であるため、自分がどういう価値観に従うべきかを判断できずにいる。

ここにおいて「多様な価値観尊重せよ」などという主張は有害だ。政府旧弊にまみれた価値観をきっぱりと否定しなくてはならない。

  

当然ながら現代日本で、後進国近代化するときのような強権的なやり方は適さない。とはいえ、政府会社のお偉いさんが主導しなければ何も改善しないというケースが多いのも事実だろう。

たとえば就活会社説明会服装自由と言われたら、参加者は皆がスーツを着てきたという笑い話がある。こういう未開社会のごとき状況を改善するためには、「必ず私服を着ろ。スーツを着るな」という強権的な命令必要だ。

から改革をおこなって、下々の者は全員一斉に従う。――今日でもこれが最も現実的手段なのだ

  

ポリティカル・コレクトネス必要

私はなにも女性からハイヒール・化粧の権利を奪おうというのではない。会社官庁ではそれを禁止しろと言っているだけである

前回に書いたとおり、ハイヒールも化粧も、やりたい人だけがプライベート時間に楽しめばよい。(短髪はすぐに伸ばせないけれども、それならカツラをつけて好きなヘアスタイルにすればよい)

  

私がこのように主張するのは、リベラル思想の影響を受けたからだ。

もし本物の極左ファシストであれば、プライベート時間にもどんどん介入し、ハイヒール・化粧を完全に禁止するであろう。しかし、私はそこまで厳しい統制には反対である

  

近年、女性蔑視の"萌え絵"等が問題になっているのをよく見る。

そのときリベラル側の主張は、「女性蔑視表現政治的に正しくない。プライベートでその表現を楽しむ自由制限するつもりはないけれども、公共の場所ではちゃんとポリコレ配慮せよ」というものであった。

私はこれに賛成だ。そしてそうである以上、ハイヒール・化粧もまた、公共空間から追放せねばならないと思う。それらのものは非常に女性蔑視であるからだ。

  

もっとも、ハイヒール・化粧は女性たちが好んで選択しているという場合が多いだろう。

女性主体性尊重しましょう」――これがリベラルにとっての錦の御旗なのだ

しかし、私は世のリベラルほど無邪気になってその御旗を掲げることはできない。前回に書いたことの繰り返しになるが、女性ハイヒールや化粧を好んで選択することは、被差別者がなぜか自分の受けている差別肯定するという現象からである

被差別者が望むならば差別を受ける自由はあるのか? 被差別者であればその差別正当化してよいか? これはきわめて難しい話である。ただ一つ言えるのは、ここにポリコレ的な問題意識を持たないリベラルは、よっぽど鈍感か、よっぽど不誠実ということだ。

(この意味では、リベラルを気取っているフェミニストなんかより、ラディカル・フェミニズムの方が先鋭的になって突っ走っている分だけ、かえって正しい認識を持っている。)

  

ミソジニー必要

私は歴史に詳しくないため、このさきは与太話しか書けないが、昔の中国には纏足という習俗があった。

そしてこれはあまり知られていないことだが、お上纏足強制していたわけではない。とりわけ清朝漢民族のこのバカらしい習俗忌避し、それを禁止する傾向にあった。にも関わらず人々は好んで纏足選択し、競うようにその美しさを賞賛していたという。

女真族満州族)の建てた清朝纏足禁止令を出しても止めようがなく、結局、義和団の乱以後の近代国家への動きの中で反対運動が起こり、まずは都市部罰則との関係で下火になった。しかし隠れて行われ、中国全土で見られなくなるのは第二次世界大戦後のこととなる。最終的に絶えた理由として、文化大革命反革命行為と見なされたこともある。このため、現在でも70歳以上の老人に一部見受けられる。

Wikipedia纏足

孫引きになってしまうが、以下のような話もある。

当時、女性が嫁に行くと、嫁ぎ先では何よりもまず最初に、花嫁の足を調べた。大きな足、つまり纏足をしていない普通の足は、婚家の面目をつぶすものだ。姑は、花嫁衣装の裾をめくって、足を見る。足が十二、三センチ以上あったら、姑は裾を投げつけるようにして侮蔑をあらわし、大股で部屋から出て行ってしまう。婚礼に招かれた客は、その場にとり残された花嫁に意地の悪い視線を投げかけ、足を無遠慮に眺めて、聞こえよがしに侮蔑言葉を口にする。母親なかには、幼い娘の苦痛を見るにしのびなくて纏足を解いてしまう者もいる。だが、成長した娘は、嫁入り先で屈辱を味わい世間非難あびると、母親が心を鬼にしてくれなかったことを責めるのである

ユン=チアン(張戒)/土屋京子訳『ワイルド・スワン』上 1993 講談社刊 p.19-20

http://www.y-history.net/appendix/wh1303-082.html

この引用で注目するべきは、姑や母親たちが纏足を推進していたということだ。

そして子供とき纏足を痛がっていた娘自身も、親に纏足してもらえてよかったと考えていることだ。

  

さらに言うと、纏足は、男性中心の社会から女性たちが悪弊強制されていたという観点だけで語ることはできない。それは女性自身が願望するところの"オシャレ"でもあった。

纏足は、女性の誇りだった」「女性は肉体で動くから、痛みに耐えれば、高貴でよりよい人間になる」「母から娘への 女性になるための教え」「痛みを通して、身体を使って、女性成功する」「足をより小さく、洗練して優美にすることで、女性は大きな誇りを感じた」

http://coconutpalm.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/--10---0239.html

西洋女性を苦しめたコルセットにしても、きっと纏足と同様、女性自身が望んでやりたがるオシャレという側面があったはずだ。

これはまさしく、現代日本女性が「ハイヒール・化粧はめんどくさい。強制されるのは嫌だ」と考えていながら、一方ではそれをやりたい願望を持っていて、結局それが手放せなくなってしま自家撞着するのと同じ心理だ。

ハイヒール・化粧をやるかどうかに関して、「女性主体性尊重しましょう」とか「強制にならないかぎり両方自由です」ということを言っているリベラルは、あまりに鈍感かあまりに不誠実か、そのどちらかのために、この観点を見落としている。

無論、健康面やそれにかかる手間を考えれば、纏足コルセットよりもハイヒール・化粧は随分とマシである。ただ、それは差別過酷ものから軽いものになったというだけだ。進歩はしているけれども、まだ差別を克服できていない。

から我々はさらなる進歩のため、おしゃれをしたいという女性の願望を抑圧しなければならない。ハイヒール・化粧を好んで選んでしま女性性(女性らしさ)は、政治的に正しくないのである。逆にそれを憎悪するミソジニーこそが政治的に正しいのだ。女がオシャレをやめることで初めて男女平等を達成できると私が主張するのは、この洞察に基づくものである

なお、議論はここにおいて、私が冒頭に書いた長時間労働問題につなげることができる。「過労死するほど働く自由」を是認しようとする資本家知識人は、プロレタリアの敵である。我々はこれを打倒しなくてはならない。

この理論適用すれば、女がオシャレをする自由是認しているリベラルと一部のフェミニストこそ、女性差別の温存を図っている連中だと言えるだろう。

  

終わりに

twitterをなにげなく読んでいたら、たまたま的確な言葉を見つけた。

リベラリズム本質的価値-自由平等など-は、どこにあるのか? 逆説めくが、リベラリズム自体はその本質的価値原理主義の激しい攻撃から救えるほど強くはない。 リベラリズムがその重要遺産を生き延びさせるためには、ラディカルな左派の同志愛による助けが必要となるだろう。

スラヴォイ・ジジェクbot @SlavojZizek1949」より

https://twitter.com/SlavojZizek1949/status/864981669509332995

前回のエントリは、穏健なリベラリストから散々顰蹙を浴びた。それは投稿前に分かっていたことだ。

しかし私は、どちらかと言えば多分「ラディカルな左派」寄りの立場から、まじめに女性差別撤廃せよと主張したつもりである

ジジェク言葉どおり、リベラルはここからの援護を受けなければ、その遺産を存続させることさえできないであろう。

2017-05-17

自分が頻繁にやってしまう嫌がられる行為

久しぶりに、親しい人を不快にさせてしまったので反省のタメに書く。

世の中的に評価されている作品を鑑賞した結果「自分は好きじゃないな〜」と、思った事があるだろう。

だが、主観的感情を抜きにして、その作品アピールポイントについて考えてみて欲しい。

恐らく、どういった魅力を持っていて、どういう人達が、どんな箇所に魅力を感じているのかは、なんとなく想像がつく筈だ。

それでも、本当に全く反応できない場合がある。「そんなにも何が評価されているのだろうか…」と。

仕事柄なるべく多くの価値規準を持っておく必要があるため、魅力の仮説も立てられない作品があると困惑する。

そんな時、一緒に観ていた人(もしくは観た事のある人)が魅力を見いだせていた場合

その作品にどういった魅力があったのか、しつこく質問してしまう。

自分と近しい関係の人であればある程、執拗になる。

単純に知りたくてしょうがないのだ。

自分の見つけられなかった魅力について、見つけられた人の視座の持ち方を。

ネット感想や評判を見れば、なんとなく仮説は立てられる。

だが、現実に付き合いのある人達の方が人となりを知っている分、もっと想像やすい。

そういった身勝手理由で、ついつい分かるまで質問してしまう。

説明する側だって自分が魅力を感じている何かについて話す事」自体はそんなに辛くないだろうと、高を括って。

ここまで書いた時点で、相当に自分勝手な振る舞いだな…とウンザリするのだが、まだまだ不快指数高まる。。。すみません

昨夜やってしまったのが、ここからである

30年ほど前の映像作品をみて、部分的には魅力を見いだせたのだが、社会的にどう受けているのか、大きな要素が想像できなかった。

既に鑑賞済みの人と一緒に観ていて、その相手は「完璧映像」と賞賛しており、作り手側の人間だったのも相まって、しつこく聞いてしまった。

ところが、具体的にどういう魅力があるのか質問しても「自分作品の良さを一々誰かと共有する文化がない」と言われ、

作品の良さを分かっていながら言葉説明しようとしないのは、表現者として怠慢なのではないか?」と詰め寄ってしまった。

その後も「優れた映像作品言語不可能だし、する必要性を感じない」と返され、

「全ての魅力をキチンと言葉表現しきるのは不可能かもしれないが、自分が感じた魅力について断片的にでも言葉提示する事は可能だろう。」

「魅力を知りたがっている人がいて、自分が魅力をみつけているのに説明しようとも思わないその態度は疑問だし、言語化の必要性が無いと思う事はおかしい。」と言ってしまった。

その後、「なんで、増田からそんな風に質問攻めにあわなければならないのか?私には理解できない。」と不快感をあらわにされ、会話は途絶えた。

こうして増田に書いて冷静に読んでいると、「こりゃ嫌われるよ。当たり前じゃねぇか。」って気持ちもあるのだが、

「いいじゃん教えてくれたっていいじゃん!ケチ!!!知りたい知りたい!教えて教えて!!!」って感情もまだまだ全然あり過ぎて、ついに寝れなかった。

でも、どう考えても絶対自分が悪いので反省します。

自分のモノの見方や考え方を他者強要している時点で論外

そもそも映像作品に対するリテラシーが低過ぎる

・人に教えを請う態度では全く無い

・親しき中にも礼儀あり

・我が儘過ぎ

もう二度とこのような事が無いようにします。

迷惑をかけた皆様、すみませんでした。

2017-05-16

艦これに疲労度が必要ない理由

当初は「人間的」や「キャラクターを気遣ってる」などで賞賛された艦これの疲労度システムだが、既に無用の長物となっている。

時代がそうしたとも言えるが、それ以上に運営がそういう方向にしたと言えるだろう。

 

 

疲労度とはそもそもなんだったのか

状態異常というのが実態に近い。連続で出撃(MVP旗艦などでもなければ3回程度の出撃が限度なのを連続と言えはしないが)することで、短くても5分は待機させなければ攻撃回避などにマイナス補正がかかるようになる。このマイナス補正の大きさは凄まじく、普段からただでさえ深海棲艦よりやる気を見せない艦娘がよりサボるようになる。逆にキラキラ状態にしてもお祈り程度のバフしかからないのとは雲泥の差だ。

このシステムがあることで、ゲームとしてはプレイヤー拘束時間を増やしアクティブユーザーを水増しすることができる。キャラクター性などの理由もあるにせよ、実態アクティブユーザー増いう運営の実績のためのシステムにすぎない。

 

 

時間稼ぎをする必要はもうない

当初はゲーム自体で曲がりなりにも相応の実績を出さなければならなかったが、今やその必要はないほどの規模に艦これは成長した。

アーケード版はSEGAアケ部門に巨大な利益をもたらし、アニメアンソロなどのメディアミックスは角川にそれなりの収益をもたらしている。同人誌では未だ巨大ジャンルとして君臨している。DMMの中でも艦これほどの売上のゲームはそうそうないだろう。

アクティブユーザーは多いに越したことはないが、稼ぐというような言葉を使うほどの必要性は無いだろう。もちろんコンテンツの成長には常に稼ぐ意識を持たなければならないが、むしろそのためにも疲労度を始めとする様々な艦これの「売り」だった要素を改善していかなければならない。

 

 

時は金なり

結論から言えばユーザーにはかつてのように 金<時間 というやり方を絶賛する程の余裕は無い。忙しい毎日の中で放置できない一つの戦闘に加えて疲労度の回復待機時間まで捻出させるような余裕は無いということだ。

具体的に言えば、まずプレイヤー環境変化がある。4周年を迎えた艦これだが、多くのプレイヤー最初一年で入ってきているだろう。そこから数えても3年だが、この3年という数字大学生なら就活に忙しくなり、高校生なら受験真っ只中、社会人なら新人から脱して業務学習に忙しくなる頃合いだ。始めた当時は時間で遊べることを絶賛していた層も、肝心の時間が捻出できなくなる頃合いで、その影響力は無視できるものではないだろう。

次に、競合する他のゲームの台頭だ。これは戦艦少女意味せず、もっと幅広くソシャゲ単位で言えるものだ。グラブルFGOといった巨人は言うに及ばない。艦これはその独自性があるものの、金と時間の奪い合いとなっている昨今のソシャゲ事情オリジナリティだけで安定してパイを貰えるなどということは無い。他のソシャゲイベント時間が取られることに変わりはないが、艦これのそれよりは短時間で済む。古戦場艦これイベント海域を同数回すことになったとして、どっちがより時間がかかるかは明白だ。

最後に、運営時間強制的な消費に拍車をかけた。今行われている春イベントは中規模の枠と運営は騙るが、実際には様々なギミックやゲージにより見せかけのステージ数の1.5倍はあるボリュームだ。先述のように艦これは一回一回の戦闘放置できずまた時間がかかるということも踏まえれば、消費しなければならない時間は莫大なものとなるだろう。特に今回は多数の新しい艦娘ドロップ目当ての周回もあり、益々時間的余裕の無いもの門前払いとなってしまっている。

 

 

ゴリ押しをすれば良いというのは通用しない

勘違いした高難易度を良しとする風潮に後押しされて良いものとされているが、課金アイテムによるゴリ押し意味として微々たるものであるというのは、はっきり言って悪である女神ガン積みをしてもゲージ破壊の段階で旗艦を潰せなければ意味はなく、乱数のご機嫌次第という事情に変わりはない。それに運が良かったとしてもイベントに多数の時間を割かなければならないことに変わりはない。

 

 

難易度を下げれば良いという上から目線

甲乙丙の難易度で確かに丙を選べば攻略はより簡単になる。しかあくまでそれは攻略に伴う道中撤退などの危険性が少なくなるというだけで、何度も言うようにイベント全体で時間をかけなければならないことに変わりはない。おまけに新しい艦娘の掘りまで考えれば、一概に丙で攻略せよというのも難しい話だ。そこを諦めてイベント攻略だけをすれば良いと反論するならば、その論者は艦隊「これくしょん」の文字を読めないか艦これ批判ならなんでも噛み付く迷惑自己クレーマーであろう。

 

 

運営方針を転換すべき時

時間をかければ金の分を補えるという方向性は筆者も否定しない。

しかし同時に、艦これ運営はそれを信条としすぎて今や金の有無に関わらず時間をかけさせることが正義だと思っている節がある。

かつてならばそれで衰退した所で一つのサービスが終了するだけだったが、今や様々な企業が絡んでいる複合コンテンツとなっている以上、艦これ自身が己のサービス時代に合わせて変化し、プレイヤーに受け入れられるよう努めなければならない。繰り返すが、既に多数の企業が絡んでいる以上、その利益艦これ運営だけで消して良いものではなくなってしまった。

今、多くのプレイヤーに望まれていることは、如何にして短時間で遊べるかどうかに尽きるだろう。艦これに限らず、様々なサービスが即時性・即応性を求められている。

Flashベース艦これ自体限界が来ているというのは事実で、艦これ2.0とでも言うべき次世代型に移行するのがもっとも手っ取り早いとは思う。システム面だけでなく、アイディア面といった所でも限界は来ていると思うが、

まず艦これ運営が変わるべき第一の点として、プレイ時間短縮に向けた様々な、プレイヤーの実情に合わせた方針転換が成されるべきだ。そうでなければ、例えこのまま艦これ2.0が実現したとしても、頭脳が変わらぬやり方ではちょうどよい引退区切りしかならないからだ。

その一端として、題名のようにまずは周回を前提としたイベントづくりをする癖に、周回にとって邪魔しかない疲労度なるアクティブ稼ぎの古い施策を止めることだ。

もちろん疲労度を止めればこの運営、より周回を前提とした悪辣なマイナスアップデートに出てくるかもしれないが、それを行うのであれば、もはや運営は周辺事情が見えていない、クリエイティブに求められる最新情報を取り入れることも出来ない愚鈍さを見せつけるだけとなるだろう。

2017-05-15

低能の栄転は分離を招く

空想上の会社の話。

X社のAさんは、他の人に比べ要領が悪く、周りの人ともあまり仲良くできていなかった。

Aさんは皆からまれこそしなかったが、初めてAさんと共同作業をする人は皆彼の仕事の遅さや質の低さに少し面食らう程度の仕事ぶりだった。

そんなAさんが在籍するX社はその業界では「上の下」程度の雰囲気である

雰囲気とは技術力、社員同士の仲の良さ、利益社会への影響力などの指標総合したものの事とする。

X社の人の多くは「中以下の雰囲気会社業界の足を引っ張っている」どこか思っているフシがあった。

でもまだまだX社の上には沢山の会社がいる。

からX社の人たちは自分たち会社を「上の上」にすることを目指し、しかし同時に「そんな上には行けないだろうなあ、いつか転職したいなあ」と思っている。

(ちなみに本当は外資に特上があるのだが彼らにはもはや雲の上過ぎて眼中にない。)

そんな会社である

ある日Aさんはある会社転職する事になった。

そのことはAさんの送別会で、ほろ酔いのAさんがポツリとこぼしたカミングアウトによって一般社員に広まった。

Aさんの行く先はあのY社だった。

Y社は上の雰囲気会社である

しかもただの上ではなく「上の上」だった。

皆はすごい、やったじゃん、とAさんを賞賛した。

しかし内心、

「お前がY社かよ」

という気持ち悶々としていた。

実はX社では以前から、毎年1人いるかどうかの確率で、上の上の会社に栄転する人が出てくる傾向があった。

しかしそれは能力ある人に限った話である

残ったX社の人たちも、

「あの人ならまああそこ行けるよね、すごいなぁ。俺も能力磨いてあの人みたいになるぞ!」

と思っている者も多かった。

それなのにAさん「程度」で「あの」Y社に行ったので革命に近い事象が起きたと皆思わざるを得なかった。

とは言えそれは起こり得たことだった。

X社には他にはないアドバンテージとなる技術があり、Aさんも死にそうになりながらその経験を積んでいたからだ。

から見ればAさんは十分にヘッドハント対象だった。

そう考えればAさんの栄転は何も不思議な事はない。

そう、不思議ではないのである

しかしX社に渦巻く不快感情

あいつがY社なんだから俺ならもっと行けるはずだ」

そして有能な者を含む多くの人たちは、能力磨きなど考えていられないと積極的転職活動に励んだ。

結果その多くの人たちはX社を離れ、X社の雰囲気もどんどんと下がってしまったのだった。

まり俺が言いたいのは、1日3回のオナニー前立腺がんの予防になるってこと。

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