はてなキーワード: 小笠原とは
ちなみに高卒で都市対抗狙えるような社会人野球のチームに行くのは野球で早慶行くのとあんま変わらないくらいキツい。ほぼ無理。
トヨタとかENEOSとか東京ガスとかNTTとかそのレベルになるとマジで選ばれし者。
「巨人小笠原が高校通算0本塁打の箸にも棒にもかからない選手なのにNTT関東にコネで入れてそっから開花してレジェンドに」
って逸話をまるっきり信じる人しかいないけど、あれ高校通算0本塁打以外かなり眉唾で、
小笠原自身は日刊スポーツに高校時点でドラフト候補として紹介されているような超超超有望球児だった(ここで取り上げられるのは野球小僧とか報知高校野球と比べ物にならないくらいシビアで、野手なら各ポジション5人くらいしか名前が掲載されない)
excellent silent generator
電気発電機。 国土交通省と株式会社サンヨーが共同開発した。 赤羽ゴルフ場の付近の道路などに設置されている。勘違いしているが、素晴らしい、静穏を生成する機械ではない。
赤羽および荒川のゴルフ場に設置されている箱型の機械だが、いずれも、同じ機種。
平成25年3月から使用開始をしたと書いているが、赤羽の場合は、2023という記載が認められる。
付近は、カミナリ注意、許可車両と記載された車が大量にあるが、明らかな廃車も数多い。
戸田橋ゴルフ会の氏名が列挙されているが、そこの中には、 小笠原といった苗字や、 極めて特殊な名前などがある。
65歳以上の人が対象など。通常は目に触れないようにしてるが、あらかわゴルフ会場の魅力として、機能している時計が設置され、洗濯機も置いている。しかし数多くの車両はそこに置いているだ
けで発車しない。同場所では、昼間の時間帯において、どことも知れないところから湧いてきた、よく分からない、増田さんなどがゴルフをしている。昼間は整理車両も入っている。
幾何学でもそうだが、今月の、Newtonに、パスカルの定理が掲載されていたのをちらとみた。パスカルの定理とは何かというとそういうものであって証明技術ではない。しかし、同定理が
証明技術それ自体ではないからといって、別の問題を証明するときにパスカルの定理が出てくることが驚愕的な論法であると幾何学者の間では言われているので、パスカルの定理はものである
とともに技術に使用される定理である。ところで法律学においては単に一般に法令が交付されるだけで、そこに書いてあることがどのような技術であるかは一般的に語られることもないし、
2ちゃんねるの法学板、司法試験板、霞が関の基本書などからも説明が消滅した、遺跡のような学問である。では、裁判官や検事がなぜ実務法律学の技術を説明できないかといえば
簡単なことで、40年くらい前に朽ち果てて誰も理解できないからである。ちょうど、現在の東京大学経済学部、医学部でやっていることが意味不明なのと同じように、判例六法は存在していても
そこに書いている技術が高度過ぎて理解できないからである。経済学部や医学部でやっている研究が過激なのと同じように、法学部でやっている研究が小学生でも理解できるなどと言われる
いわれはない。当然、難しいに決まっている一方で、若い世代が誰も理解できないのを知っているから老人が黙っているわけである。数学の定理がそういう結論であり、証明は、公理系を用いて
その結論を導出し、支持する作業であるのと同じように、法律の場合は、ものや技術が複雑に込み入っている。しかし、例えば、集合債権譲渡担保の問題のように、それのものや解釈技術などが
どのようなものであるかについて詳細に解説している法学者はいない。かつては、都立大は、民法学のおけしゃ、東大では、森田宏樹、等の他、判例百選に評釈を書いていた学者が多くいたが
法学部生はそれを読んだというだけで何が書いているのか分からない。流動債権譲渡担保の制度は、60年前からあったわけではなく、平成に入ってから編み出された構成であり、様々な民法学者
が論文を書いている。しかし数学者と違い、法学者は、どの制度がどのようなものであるかについて一般に説明することもないし、遊んでいる者が理解できるように書かないのが一般である。
しかし民法判例百選に限って言えば、そこの文章に、「この判例を契機に華々しい議論が陸続した」などと書いていることから、背後に何らかの技術的思想を隠しているものとみられる。
東京大学法学部は一般に昭和時代からの伝統として、幾何学をしないような者は入れないところであるので、民法学の内田貴、江頭憲治郎などの先生も、自分たちはちゃんと一流高校で
幾何学をやってきた貴族であるくらいの顔をして講義をしていたのを、わたくしが法学部にいて授業を受けた時代に覚えている。さすがに内田貴先生はパスカルの定理には触れなかったが、刑法の
西田典之先生は、わたしは先日風邪をひいて驚愕しました、という言葉を最後に死んでいった。西田典之先生は平成18年の講義で、まあ今時こんな授業を受けている者はいないでしょう
などといっていたが、商法の友厚にしても、自分たちは知能指数が高いとか、文化性があるとか、数学を全部知っているという自慢がすこはかとなく凄かったようには思う。
このように、東京大学法学部は、開成、灘、ラッサールなどでちゃんと幾何学をやってきたし知能指数も高くこれからの霞が関高級官僚にならんという自慢の凄い学部であったとは思う。
しかし、警察官僚の小笠原ぺちちのように、東京大学法学部は、ぺちちわら和美がいくようなところではないので、わたしの時代は、なんというかもっと、そこの学生は、灘、開成、ラッサールで
育てられた特別な人間というオーラが凄かったので、そういう学生に囲まれてじぎょうを受けていた時代は幸せだったというか誇らしかったが、確かに、東京大学法学部は、真面目で、幼少時から
英才教育、特別に育てられてきたという意味で若い者に自慢にはなっていたが、平成19年にハーバードから帰ってきた佐藤の言っていることは自慢にも何にもならない。
小笠原諸島が日本に返還された1968年頃から漁師たちの間で普及し始めた。まもなく島内の一般住民も日常的に使用するようになり、「ギョサン」という愛称で呼ばれるようになった。その後、島を訪れる人たちの間でも小笠原名物として知られるようになり、小笠原ギョサンのユニークさに目をつけて紹介したテレビ番組『出没!アド街ック天国』小笠原編(テレビ東京、2000年6月放送)など、マスメディアでも紹介されるようになった。
日本各地で普通に売られていたものの、安さと丈夫さが取り柄の実用性重視だったこの履き物が、お洒落アイテムとして本土に紹介されたのは2002年頃のことである。関西地区のダイバーズショップが本土では最初にギョサンを取り扱った。アイドルグループ「嵐」の大野智がテレビ番組の企画で着用した影響もあったためか、女性客を中心に売れ行きが伸びている[2]。グアムでの販売も試みられている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A7%E3%82%B5%E3%83%B3
(1)ルールを決めることで社会を安定させたいと思ったことがある者。 多分いないのではないかと思う。
(2)長谷川、森脇 実際の役職は刑務官だが、看守なので、ほとんど警察官である。
(3)北予備の高橋虎雄 亡くなったと言われているが警察官のようなオヤジだった。
(5)群馬県警本部長 小笠原和美 千代延晃平 野村朋美 これらの警察官に昭和の善良なものなど包含されているとはとうてい解されない。
このような解釈を前提にして、その者が何を考えているのか順次判断する。
(1)確かに昭和の警察官は善良で、それを体現するような焼き肉店やスーパーを作った偉人であったことは間違いない。しかしそんなものは生きていなく存在していない。
(2)目黒区駒場には、きうちまんがいたときに、もっくもっくと、宮崎県から来ていた老夫婦がする料理屋があった。しかし現在では存在せず、それを見ることは不可能である。
(3)きうちまんから、もっくもっくの店主がどうなったかを聞き出すテクニックは存在しない。
(4)宮崎県の北部に行くと昭和天皇が作ったラーメン店や、食堂があるが、現在の宮崎県民のような者が、それらについてどう考えているのかを見ることは困難である。
宮崎県民に悪人しかいないと仮定すると、 その悪人がこれらのものを食べていることとは、背理である(Contradiction)
(5)延岡市おおぬきには、オムライスなどのような創作料理屋や、とんこつラーメン店がある。しかし、これらの物が存在し利用されているとすれば延岡市の犯罪性が高いはずがないので
やはり背理。 オムライスやとんこつラーメンを食べている者が中傷や犯罪に走るとは思えない。
(6) 佐藤は実際には太ることを恐れているため、ガパオライスや、赤門ラーメンを食べたことはない。太るのが嫌だからである。
当該担当部長の前任職は資料にも明記してあるように「東京都社会福祉事業団派遣」です。児童養護施設や障害者支援施設を運営している法人であり、Colaboとは関係ありません。なお、都庁において島しょ勤務はむしろ出世コースです。本人や、島で頑張っている職員の名誉のためにも、申し上げておきます。
https://ogasawara-info.jp/pdf/chiiki202003/202003_meibo1.pdf
令和元年度 東京都 小笠原支庁 漁業・農業協同組合指導担当部長 大場 雄二郎
過去にも島しょ勤務をしてた後に出戻りしてきたのに、あっという間にまた小笠原行だね。
今年は小笠原支庁長だからちょっと出世してるけど、あっという間に2回目の僻地勤務は出世コースかどうかは怪しいなあ。
まず放送法がなにかという話だが、これは、電気通信による公共電波を利用した放送事業(つまりラジオとテレビのこと)に関する法律である。
事の発端は、この法における第4条「国内放送等の放送番組の編集等」についての解釈に関して、2023年3月2日の立憲民主党の小西ひろゆき議員(以降コニタン)の、2015年の高市総務大臣の「一つの放送番組だけで政治的公平違反を判断できる」との放送法解釈が、礒崎総理補佐官と安倍総理主導の政治圧力で作成されたという疑惑を問う質問であった。。
第4条の内容は以下の通り(一部抜粋)
第四条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
このうち、二の、「政治的に公平であること」を、政府は、長い間「一つ一つの番組でなく、放送事業者の番組全体を見て判断する」としていたが、2015年5月の国会において、当時の高市早苗総務大臣は、「極度な場合、一つの番組でも判断できる」と新しい解釈を示し、2016年2月の国会では、放送局により政治的公平を欠く放送が繰り返し行われる場合には電波停止を命じる可能性に言及した。もちろん批判も起こったが、あくまで一般論であり、この法がそもそも放送局を縛り付けるものではなく、放送の自由を前提に、放送を行うものとしての目標を示したものである要素が強く、また今回のそもそもの論点もここの是非を問うものではない。
この質問をする中で、コニタンは、総務省の内部文書を根拠にして、高市大臣の責任を問おうと考えた。主に、磯崎総理補佐官による総務省への解釈に関する働きかけがあったことと、高市大臣への、磯崎総理補佐官の動きを含む官僚との政治的公平に関する情報共有(高市レク)、安倍総理からの高市大臣への電話に関してを争点とした。このうち、磯崎総理補佐官に関するものは、磯崎総理補佐官がそれを認めた。しかし、残り二つは、高市大臣が存在そのものを否定し、該当箇所を「捏造」と言い、もし捏造でなければ、議員・大臣を離職すると言い放った。磯崎総理補佐官が内容を認めたことで追及は終わるかと思われたが、言質を得て、新たな追及先を見つけたコニタンは、高市大臣の離職に向け、議論の方向を急転換した。
だが、これが泥沼化の始まりだった。
コニタンは、当然この文書の正確性を証明しようとした。まず、コニタンは、総務省と情報流通行政局にこの文書の正確性を調査するよう命じたが、文書上の人物に聞き取りをしているが、相手方の意向があるのでここで回答は控えたい、という回答に終わった。そこで、コニタンは、松本総務大臣に、一般的には総務省の官僚は文書を捏造するのかどうか、という質問を行い、松本大臣は当然「行わないと信じたい」という内容に答弁を留めたにも拘らず、この質問を何度も繰り返し、同じことを、小笠原情報流通行政局長にも繰り返したが、同じような答弁が続いた。また、当時の総務大臣であった高市大臣に、もし捏造であれば、総務大臣の責任でないのかと、質問したが、引き続き同じ様な答弁であった。そこで、今度は総務大臣に対して、この文書が行政文書であるかという質問をし、この文書が公文書管理をされている行政文書であることが証明されたが、これにより、内容の正確性が証明されたわけではない。(もちろん、もし行政文書が捏造であれば日本の行政の信頼性そのものが失われる由々しき事態でもある)この後も、答弁は続いているが、情報の正確性を裏付けるような決定的な事実は現れず、議論は実質的に停滞している。
個人的には、今回は、文書が誤っているように感じる。理由は以下の通り。
・文書を作成した人物の証言の確認や、証人喚問が行えていない。
・総理大臣と国務大臣の電話の内容が記載されているが、この内容の入手経緯や通話日時が不明である。
・立憲民主党(野党)あるあるのやじがほとんどなく、お仲間が少ない印象。
・厳重取扱注意と、取扱厳重注意が、ごちゃ混ぜになって記載されており、文書としての正確性を疑う。
・高市大臣がかなり優秀で、筋の通った最近にはいないタイプの政治家である。
・この議論を行っている小西議員の今まで行ってきた国会での議論のレベルが低く、今までの議論の中で出されてきた文書の内容も、信用性に欠けるものが多かった。
(・この議論を行っている立憲民主党は、安倍政権時代、文書改ざんなどについて、官僚に対しひどい追及をしていたにも拘らず、今回は官僚は素晴らしく、不正など一切しないような主張をする手のひら返しにあまりいい印象を受けない。)
状況は停滞化しているとは書いたものの、議論は行なわれており、メディアなどでも取り上げられ、社会的注目も高い。この文を書いている中で、磯崎総理補佐官のブログから高市大臣の行動内容が明らかになり磯崎総理補佐官とのつながりが見えてきたり、国会での高市氏の言及に穴があることなどがネット民によって明らかになってきた。(詳しくは調べてね)
高市大臣は、自身の進退をかけるだけあって記憶には自信があるのだろうし、コニタンの質問に感情的になることもあるが、八年前のことであり、高市大臣は決して若くなく、記憶の信頼性も極めて高いとは言えないだろう。(安倍総理の後ろ盾どうこうは個人的には、関係ないと思う。個人的に高市大臣は一政治家としてかなり優秀だと思う。)
自分は政治素人の保守であり、かなり偏った文になったし、ここへの投稿(というかネットへの長文投稿)初めてだから、読みづらいところはあるとは思うが、どうか読んでくれ。
まず放送法がなにかという話だが、これは、電気通信による公共電波を利用した放送事業(つまりラジオとテレビのこと)に関する法律である。
事の発端は、この法における第4条「国内放送等の放送番組の編集等」についての解釈に関して、2023年3月2日の立憲民主党の小西ひろゆき議員(以降コニタン)の、2015年の高市総務大臣の「一つの放送番組だけで政治的公平違反を判断できる」との放送法解釈が、礒崎総理補佐官と安倍総理主導の政治圧力で作成されたという疑惑を問う質問であった。。
第4条の内容は以下の通り(一部抜粋)
第四条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
このうち、二の、「政治的に公平であること」を、政府は、長い間「一つ一つの番組でなく、放送事業者の番組全体を見て判断する」としていたが、2015年5月の国会において、当時の高市早苗総務大臣は、「極度な場合、一つの番組でも判断できる」と新しい解釈を示し、2016年2月の国会では、放送局により政治的公平を欠く放送が繰り返し行われる場合には電波停止を命じる可能性に言及した。もちろん批判も起こったが、あくまで一般論であり、この法がそもそも放送局を縛り付けるものではなく、放送の自由を前提に、放送を行うものとしての目標を示したものである要素が強く、また今回のそもそもの論点もここの是非を問うものではない。
この質問をする中で、コニタンは、総務省の内部文書を根拠にして、高市大臣の責任を問おうと考えた。主に、磯崎総理補佐官による総務省への解釈に関する働きかけがあったことと、高市大臣への、磯崎総理補佐官の動きを含む官僚との政治的公平に関する情報共有(高市レク)、安倍総理からの高市大臣への電話に関してを争点とした。このうち、磯崎総理補佐官に関するものは、磯崎総理補佐官がそれを認めた。しかし、残り二つは、高市大臣が存在そのものを否定し、該当箇所を「捏造」と言い、もし捏造でなければ、議員・大臣を離職すると言い放った。磯崎総理補佐官が内容を認めたことで追及は終わるかと思われたが、言質を得て、新たな追及先を見つけたコニタンは、高市大臣の離職に向け、議論の方向を急転換した。
だが、これが泥沼化の始まりだった。
コニタンは、当然この文書の正確性を証明しようとした。まず、コニタンは、総務省と情報流通行政局にこの文書の正確性を調査するよう命じたが、文書上の人物に聞き取りをしているが、相手方の意向があるのでここで回答は控えたい、という回答に終わった。そこで、コニタンは、松本総務大臣に、一般的には総務省の官僚は文書を捏造するのかどうか、という質問を行い、松本大臣は当然「行わないと信じたい」という内容に答弁を留めたにも拘らず、この質問を何度も繰り返し、同じことを、小笠原情報流通行政局長にも繰り返したが、同じような答弁が続いた。また、当時の総務大臣であった高市大臣に、もし捏造であれば、総務大臣の責任でないのかと、質問したが、引き続き同じ様な答弁であった。そこで、今度は総務大臣に対して、この文書が行政文書であるかという質問をし、この文書が公文書管理をされている行政文書であることが証明されたが、これにより、内容の正確性が証明されたわけではない。(もちろん、もし行政文書が捏造であれば日本の行政の信頼性そのものが失われる由々しき事態でもある)この後も、答弁は続いているが、情報の正確性を裏付けるような決定的な事実は現れず、議論は実質的に停滞している。
個人的には、今回は、文書が誤っているように感じる。理由は以下の通り。
・文書を作成した人物の証言の確認や、証人喚問が行えていない。
・総理大臣と国務大臣の電話の内容が記載されているが、この内容の入手経緯や通話日時が不明である。
・立憲民主党(野党)あるあるのやじがほとんどなく、お仲間が少ない印象。
・厳重取扱注意と、取扱厳重注意が、ごちゃ混ぜになって記載されており、文書としての正確性を疑う。
・高市大臣がかなり優秀で、筋の通った最近にはいないタイプの政治家である。
・この議論を行っている小西議員の今まで行ってきた国会での議論のレベルが低く、今までの議論の中で出されてきた文書の内容も、信用性に欠けるものが多かった。
(・この議論を行っている立憲民主党は、安倍政権時代、文書改ざんなどについて、官僚に対しひどい追及をしていたにも拘らず、今回は官僚は素晴らしく、不正など一切しないような主張をする手のひら返しにあまりいい印象を受けない。)
状況は停滞化しているとは書いたものの、議論は行なわれており、メディアなどでも取り上げられ、社会的注目も高い。この文を書いている中で、磯崎総理補佐官のブログから高市大臣の行動内容が明らかになり磯崎総理補佐官とのつながりが見えてきたり、国会での高市氏の言及に穴があることなどがネット民によって明らかになってきた。(詳しくは調べてね)
高市大臣は、自身の進退をかけるだけあって記憶には自信があるのだろうし、コニタンの質問に感情的になることもあるが、八年前のことであり、高市大臣は決して若くなく、記憶の信頼性も極めて高いとは言えないだろう。(安倍総理の後ろ盾どうこうは個人的には、関係ないと思う。個人的に高市大臣は一政治家としてかなり優秀だと思う。)
自分は政治素人の保守であり、かなり偏った文になったし、ここへの投稿(というかネットへの長文投稿)初めてだから、読みづらいところはあるとは思うが、どうか読んでくれ。
メモを取っているので一冊にかける時間が長い。とはいえ、世界史の教科書では一行で終わっていた出来事の細部を知るのは面白い。
東アジア史が中心。
価値観が現代とは変わってしまっている点が多数あり、今読むときついと感じる箇所も。
旧約聖書を読み始める。
旧約聖書を読了。学生時代に新約聖書を通読したから一応全部読んだことになる。
生物の標本にまつわる本を読みだす。やはり生物学は面白い。ネタが尽きない。
ジョジョを読み終えた。それにしてもハルタコミックスばっかりだ。
十三機兵防衛圏については友人に薦められたからクリア後のノリで買った。
今年はたくさんいけた。行かない月もあった気がするが、それはそれ、そのときの気分に従った。
「シン・ウルトラマン」★★
「プラットフォーム」★
「12モンキーズ」★★★
(長くなったのでブコメ)