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はてなキーワード: オスマン帝国とは

2021-01-20

俺は司法試験にも合格できないしオスマン帝国にも行けないしナンパ界隈にも入れないし浄土真宗僧侶にもなれないしこどおじにもなれないしソプラノ歌手にもYOASOBIにもなれないまじでしょーもない人生

オスマン帝国主人公ゲームあります

今度うちに来ることになったので、よろしくお願いしま

2020-11-30

ベリーダンスマーニャふんどし

ベリーダンスとの出会い

幼いころに観た、「ドラえもん のび太ドラビアンナイト」には、ぜんまい仕掛けの舞姫が出てくる。しかし、まだ自分はそれに欲情することはなかった。パンツエッチもの認識はあったのに、しずちゃんのへそ出し衣装にも、それどころかオアシスでの全裸水浴にも何の感慨も抱かなかったのである

もう少し大きくなってからとある学習漫画で見たベリーダンスには、なぜかエッチ気持ちになった。確か、アラビアと聞いて半裸の女性が踊っている不埒妄想をしているシーンだったような気がする。性の目覚めとは不思議もので、その時に出会ったものタイミングによって、その後の性癖に多大な影響を与えてしまうし、パンツの向こうにある女性器に興味が出てきたのは、中学生以降になってからだった。

文学ベリーダンス出会ったのはオルハン・パムク2006年ノーベル文学賞作家を読んでいた時だ。結婚式などの場にベリーダンサーを呼ぶべきかどうかについて議論している個所が作中に出てきた。どうやら、ベリーダンスの持っているイメージ社会的意味が、ヨーロッパとはかなり違うのではないかと気づいたのはこの時である

イスラーム圏におけるベリーダンス

今回はかなり日英のウィキペディア記事が充実しているので、そこから抜粋しよう。

そもそもベリーダンスには二種類の社会的コンテクストがある。一つはRaqs BaladiまたはRaqs Shaabiと呼ばれる社交ダンスで、別に露出度の高くない通常のファッションで行われる。保守的地域では男女別に踊るものとされている。もう一つがパフォーマンスとしてのダンサーだが、社会的地位はまだ高くない。想像する通り、イスラームでは禁忌とされる肌の露出を行うからである

衣装はbedlahと呼ばれ、典型的なのはぴったりしたブラトップ、臀部のベルト、そしてロングスカートハーレムパンツの組み合わせでできている。ブラとベルトはビーズスパンコールクリスタルコインビーズ刺繍で飾られている。ベルトはスカートと一体のこともあれば、別々のこともある。

起源

ベリーダンス起源は諸説存在するが、地中海世界中東アフリカ関係があるという証拠が最も多く挙げられている。たとえば、紀元前5世紀のものといわれるエジプトの墓の壁画には、半裸のダンサー達が描かれており、その姿はベリーダンサーが鏡の前で行う柔軟体操姿勢に似ている。ウィキペディアにはこんなことが描かれているが、画像がないのがもどかしい紀元前14世紀のネブアメンの墓には、少女が帯だけを身に着けて裸で踊る姿が描写されているが、紀元前5世紀とは年代が合わない。紀元前13世紀のもので、トップレスのダンサーの姿を描いた陶片も出土している。

健全精神がどうたらという言葉で有名なユウェナリスや、風刺詩人のマルティアリスは、現在スペイン小アジア地方で波打つ動きやカスタネット、太ももを震わせて床に沈み込む所作のある踊りを記録している。

そして、12世紀から13世紀にかけてのペルシアの細密画の中においてもベリーダンス描写が見られ、その歴史の長さを伺わせる、とあるが、これもウィキペディアリンクを貼っていない。やれやれ

ちなみに、アンダルシア地方ロマ人の踊りと融合してできたのがフラメンコだという説がある。

エジプト

エジプトベリーダンス西洋人最初に見た様式とされる。ナポレオンエジプトに侵攻した際、ナポレオン軍は芸人音楽家としてられるガワーズィー族と遭遇した。フランス人たちは重たげな宝石髪型に飾り立てられた踊りに徐々に引き付けられた、という。

現在エジプトベリーダンスの多くはカイロで行われ、その起源ナイトクラブにある。多くのダンサーエジプト映画に出演し、エジプト様式ダンスの発展に寄与した。

プロダンスエジプト人に限られていないが、2004年当局外国人ダンサーパフォーマンをすることを禁止した。現在は解除されてはいるが、排他的雰囲気は残っているようだ。

エジプトでは、ダンサーはbedlahを着用している。また、メッシュで覆われた切り込みの入ったドレスを着ることもある。エジプトには、ダンサーが着用できるものとできないものに関する法律があり、文学作品検閲に関する法律第430号によると、ダンサー乳房や腹部を含む下半身を覆わなければならない。事実衣装については「Raqs sharqi」の項にも詳しいが、1950年代以降、エジプトではベリーダンサーが腹部を露出して公の場でパフォーマンスをすることは違法とされ、ワンピースガウンを着用することが一般的になってきている。

と、書かれているそうだが、一般的には、肌色の薄手のメッシュ生地で腹部を覆うだけで十分である、という記載もある。カイロの多くのダンサーはこの規則無視しているが、この規則はそこまで厳密に施行されておらず、腹を出してパフォーマンスをした場合は単に罰金を科されるだけであるしかし、外国人ベリーダンサー衣装を着て逮捕されるという事件が何度も起きているとのこと。

ブラとスカートを別々に着用する場合は、ベルトはほとんど使用されず、タイトでなめらかなlycra(?)のスカートに直接刺繍が施されている。腹をカバーするために、薄手のストッキングを着用しなければならない。

エジプトダンサー伝統的に素足で踊るが、最近では靴を履いてハイヒールを履くことも多い。また、抑制のきいた正確な動きでも知られている。

トルコ

子孫繁栄を祈る踊りでもあるため、中東各国では結婚式に欠かせないそうだ。なるほどパムクの小説に出てきたのもこれで説明がつく。

トルコベリーダンス衣装は肌を露わにしたものであり、ダンサーたちは腰より高い位置で留められたベルトに脚を完全に露出させるようなスリットの入ったスカートをしばしば身にまとっていた。

多くのトルコ衣装の特徴的な特徴は、V字型または三角形ベルトが含まれており、上端の周りに形を整えたり、輪郭を描いたりすることができる。また、ブラジャーベルトの両方に多くの装飾やビーズフリンジが含まれる。スカートは、しばしばエジプト対応するものよりも充実しており、lycraよりもむしろシフォンベルベットで作られている可能性が高い。

1980年代から90年代にかけては、両足をヒップまで露出させたスカートや、広く開けたブラジャーやはなはだしくはスパンコールのみなど、非常に露出度の高い衣装採用された。何があったのだろう?

今日ダンサーエジプトスタイルを想わせる、淑やかなマーメイドスタイルスカートを穿いている。ダンサーたちはハイヒールプラットフォームシューズ(厚底靴)を履く事でさらに、ターキッシュスタイルである事を強調する。ト

トルコベリーダンスオスマン帝国スルタン宮殿にあるハレムに深いルーツを持ってはいた。しかし、今日トルコベリーダンスは、エジプトシリアレバノンと言った姉妹様式よりも、ロマ民族やローマ人様式により強く影響を受けている。現に、現在トルコダンサーの多くは、ロマ民族にルーツを持つ。トルコ法律は、エジプトのようにダンサーの踊りの様式衣装制限を課さなかった。

レバノン

エジプトトルコ様式中間であると言われる。レバノンダンスは、古典的オリエンタルダンスベースにしながらも、現代的でもある。大きなステップ体幹の後方への傾き、ヒップローテーションのねじれ、大きくて忙しい腕、そして多くのシミー(体自体は動かさず、肩のみを前後に動かす所作)がある。

衣装については、腹部を見せることを禁じる規定存在しないため、bedlahスタイル一般的であるスカートエジプトのものよりも透けている傾向にあり、ダンサー身体がよく見える。ヴェールエジプトと比べて広く用いられ、ハイヒール一般的レバノンダンサーエジプトよりも衣装自由享受している。

イラン

アラビア様式によく似ており、イランではベリーダンスのことをアラブダンスと呼ぶ。

tribal style

その他の伝統的な様式がある。興味深いのは、民族的スタイルのブラに着けられたコイン中近東のものとは限らず、日本や中後のものらしいものが含まれることだ。参考、ブラトップ。乾隆通宝とあるので、18世紀のものだ。当時からそこまで交易網が広がっていたことがありありと浮かぶインド洋交易歴史もっと古いが)。

欧米におけるベリーダンス

ベリーダンスという名称も、https://en.wikipedia.org/wiki/Belly_dance#/media/File:Jean-L%C3%A9on_G%C3%A9r%C3%B4me_011.jpg:title-ジャン=レオンジェロームの絵画]の俗称に由来しているという説がある。この絵画では腹部どころか乳房をあらわにして兵士たちの前で踊っているが、この画家空想を織り込むことで有名だ。たとえば別の有名な蛇使いの絵画]

の後ろにある青い壁と床の組み合わせも、確かどっかの宮殿モスク適当に組み合わせたもので、正確さに欠けている。異国情緒あふれていて魅力的だが、今ではたぶん許されない表現だろう。実際、ベリーダンスからイメージされるものは、元来その地域のものであったものとは異なる。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a9/Jean-L%C3%A9on_G%C3%A9r%C3%B4me_-_Le_charmeur_de_serpents.jpg

普通ベリーダンス衣装としてまず想起されるものは、1930年代エジプトダンサーたちが身にまとい、他の地域へと知れ渡った衣装で、たいていビーズコインがブラの周辺に飾られたブラジャー風のトップスで、腰のベルトにもビーズコインが飾り付けられている。下半身ハーレムパンツストレートタイプスカートサーキュラー・スカートパネル飾りがあしらわれたスカートである

20世紀バーレスク映画産業がこうした幻想を広めたのだが、当のエジプトダンサーたちもまたまたビーズで全面を飾り立てた衣装を身に纏うようになった。映画でも、セクシーな悪役のイメージとも結びつき、胡散臭いものとして見られることも増えてしまった。このイメージ払拭には時間がかかった。

今でもカイロにあるナイトクラブオーナー、バディア・マサブニは西洋人旅行者の期待に添うために露出度の高いドレス採用している。身体輪郭を覆い隠し、ダンスのたびに強調されるのはスカーフやお尻に巻かれたベルトくらいであエジプト民族衣装とは異なるのである

日本ゲーム漫画アニメベリーダンス

マーニャ

https://dic.pixiv.net/a/%E8%B8%8A%E3%82%8A%E5%AD%90%E3%81%AE%E6%9C%8D]

踊り子と聞けば川端康成ではなくこっちを思い出してしまう人は多いだろう。

たぶん、日本ゲームベリーダンス的な幻想を多くの青少年に植え付けたもっとも古いものの例だ。今に至るまで踊り子といえばへそ出しであり、無数の同人誌で多くの人を悶絶させたはずである。ただ、中東ベリーダンス伝統的にはここまで脚を出さない。

ファンタジーの謎の前垂れの起源もこれだろうか?

マギ

【マギ】モルジアナさんの踊り【ぬるぬるな高画質】 - ニコニコ動画

現代漫画オリエント幻想を一番前に出しているのはこの作品だと聞いたのでリンクを張る。読書の傍ら、漫画も読もう読もうと思って全然読めていないのが悔しい。短篇ばっかり読んでいる。

ただし、書かれているのが謝肉祭とのことであり、結婚式の場ではないようだし、伝統的な衣装とは幾分異なる。

翠星のガルガンティア

https://www.nicovideo.jp/watch/sm21377022]

英語版ウィキペディアアニメの中のベリーダンスとして紹介されたのがこの作品だ。鳴子ハナハル作品については、エロ漫画ソムリエの友人から薦められて楽しく読んだ。大体、彼が進めてくれるのはストーリー重視で性欲があまり刺激されないものが多いのだが、それはさておいて、上の動画深夜アニメなだけのことはある。

しかし、衣装や腰の動きは半ばリオのカーニバルじゃなかろうか。未来舞台から文化が混交しているのかもしれないが。

イスラームと親密さ、異性に見せてもいい場所

Intimate parts in Islam - Wikipedia

で、実際イスラームにおけるへそ出しファッションってどのくらいのタブーに当たるのか?

上記記事によれば、身体のどの部分を覆うべきかについては大きな差があるようだ。主要な見方をまとめると次のようになる。

とはいえトルコのようにかなり世俗化しているところもあるし、特に教徒に対して顔を隠すべきかはかなり差があるようだ。

長くなったが、結論

実際のところ、イスラーム圏でへそ出しダンスって普及しているの? と思っていたので、意外と広まっていたのには驚いた。しかし、あれだけ広い地域に広がっている宗教なのだから戒律をどのくらい守っているかには地域差があって当然だし、都市農村では法の運用方法にも差があってもさほど驚くべきではないだろう。悪名高い女子割礼や名誉の殺人にしたところで、イスラーム本来の教えというよりはその土地部族の慣習が強化された面もあるようだ。海外に行くと善意から両手を合わせた挨拶をしてくれることがあるが、タイ人日本人を混同するような誤解を、きっと僕らもしていることだろう。

2020-08-23

オスマン帝国の反対はメスチン共和国

みたいなの探してます

他にあったら教えてください

2020-06-13

anond:20200613104213

オスマン帝国カリフ兼任時代って

なんかイメージとしては方便な要素が強くて、カリフ国家みたいな原則論?の人が満足しそうには思えないんだよあ・・・

まあそういう人の感想とかよく知ってるわけではないんだけど

中田考リベラル知識人の危うさ

ここ1、2年くらい、中田考というイスラム系知識人を観察していた。

この人はイスラム国北大学生を送り込もうとして、公安調査を受けたことで知られる、めちゃくちゃ怪しい人だ。

また、内田樹などリベラル系の知識人交流があり、共著も出しているので、そこそこ知名度はあるだろう。

よくわからない謎の人物だと感じたので、その正体がつかめるまで、観察していたのである

この人は「カリフ制こそが世界を救う」というようなことを言い出し、盛んに主張している。(実際のキャッチフレーズは「カリフ制再興しかない」)

カリフ制とは、イスラム教を中心とした統治体制で、カリフとは、法王のような存在であるようだ。

宗教権威によって、イスラム教信者を束ね、それによって国を作る制度だということなのだろう。

かつてはオスマン帝国皇帝が、カリフ兼任していたらしい。

特定宗教による政治制度世界を救うとは思えないが、中田考はそれができると主張している。

カリフ制になれば国境がなくなり、人が自由に移動でき、制限なく楽しく暮らせる、というのだ。

それだけを聞けばいい話のように感じるし、リベラル系の知識人中田考好意的なのは、そのせいなのだろう。

しかし実際には、カリフ制の下では、イスラム教徒が上級国民になり、異教徒は下級国民として扱われるようになる。

教徒は余分に税金を払うか、改宗するかを迫られ、どちらも受け入れないと、カリフ制の領域から追い出されることになる。

そんなイスラム最優先主義なのがカリフ制であり、まったく公平ではなく、とても世界を救うとは思えない代物である

中田考イスラム教徒だからそれでかまわないのだろうけど、そうでない私のような人間にとっては害悪しかない。

にも関わらず、中田考リベラルけがいいように、カリフ制はヒューマティーあふれる制度です、などと主張し、ごまかしを図っている。

オウム真理教の時もそうだったけど、リベラル系の知識人宗教に対して妙に脇が甘く、世に押し出しはいけないタイプ人間を、押し出そうとする傾向にあるように思える。

これは彼らが宗教を軽視し、さほどの見識を持っておらず、危険性を認識していないからなのかもしれない。

イスラム教聖典であるコーランには、異教徒殺害せよ、と書かれていたりして、すごく危ない面があるのに、それについては触れようともしない。

そうすると「イスラムフォビア(恐怖症)だ!」と糾弾されるようなので、それを警戒しているのかもしれない。

ちなみに、中田考はそんなリベラルの傾向を利用しているのに、よくリベラル批判はしている。

この人はとにかく西洋的な価値観を嫌っており、ことあるごとに攻撃している。

このため、リベラル系の知識人と仲良くしつつも、攻撃するのはやめられないようだ。

そんな中田考がどうして日本活動しているのかというと、日本ではどんな主張をしても、それだけでは投獄されたり処刑されることがなく、安全活動できるからであるらしい。

日本という国がもたらす自由を用い、日本にとってなんら利益がなさそうな活動をしているわけだ。

利益がないだけなら別にいいのだけど、彼の活動によって日本でもイスラム教徒が増え、そのうち過激化し、テロでも起こすようになったら目もあてられない。

中田考イスラム国共感するような人間なので、彼の影響力が増すと、いずれオウム事件のような騒乱が引き起こされる可能性がある。

中田考には、麻原彰晃のような組織力や、暴力性はないようだが、彼の後を受けて登場する人間が、そういうことをしないとは限らない。

ゆえに、こういった動きには警戒が必要だし、公安にはしっかりと仕事をしてもらいたいと思う次第だ。

そしてリベラル知識人たちは、オウムの轍を踏まないように気をつけるべきだろう。

ちなみに、オウムの時にやらかし宗教学者の島田裕巳は、きっちりと中田考との共著を出していたりする。

2020-06-06

[]マクラ

macramé。何本かの細紐や糸などを手で結び、幾何学的な模様をつくる手芸一種アラビアラクダの背につける麻袋の房結びから発達したとされ、アラビア語のミクラマ(組紐)あるいはムクラム(格子編)、トルコ語マクラマ(タオル)に由来する。その技術ムーア人により中東からスペインへ、そして十字軍によりイタリアへと伝わり、寺院の装飾品や僧服の房飾などに用いられた。 伝わった時代を考えると、トルコ語説はちょっと怪しいかも。オスマン帝国の全盛期からちょっとずれるし。

今でも、細い糸による場合衣服の装飾ショールなどに、太い糸はテーブル掛けやカーテンなどの縁飾りとして用いられる。丈夫な糸を使えば用いてバッグ類も作れるし、ベルトにも用いられる。名称こそ異なるが、日本でも古くから馬の鞍敷や縄のれんなどにその手法が用いられていた。

2020-05-16

anond:20200516101947

帝国主義帝国は直接関係ないとは言っても

ローマ帝国モンゴル帝国オスマン帝国にしても、

帝国と呼ばれる国は拡張戦略バンバン侵略併合してた国が多いので

ドイツに限らず帝国侵略と結びつきやすいんでは

2020-01-14

anond:20171214135656

韓国だと光復後もしばらくは日帝残滓漢字語がたくさんあったけど、朴正煕大統領のころから国語醇化といって漢字語固有語にいいかえる運動がすすんだ(感謝합니다→고맙습니다、みたいな)ので、日本人がおもってるより同音異義語はすくないです。

おなじようなはなしだと、トルコ共和国建国後のトルコ語醇化運動オスマン帝国がずっとイスラム世界盟主だったのでオスマン語にはアラビア語由来のことばがたくさんあったのけど、これをトルコ民族のことばにおきかえた)がとられたね。

ことばは民族をその民族たらしめる大切なものから、どこの国でも国民国家をつくるときには国語政策というのはとてもおおきな意味もつよ。(↑と逆むきだと、最近ではスペインにおけるカタルーニャ語公的立場とか)

日本ではなぜか言語政策という観点がないどころか、琉球諸語が絶滅しそうなのを放置してたり、なかなかしょっぱいね

2020-01-07

イラン反米になった理由

イランがあそこまで反米である理由を調べてみたけど、ようやく理解出来た。

第一次世界大戦時にオスマン帝国崩壊して生まれたのがイラン

そのイラン第二次大戦時にイギリスソ連占領されて、大戦以前から自国から生成される石油欧米搾取されていた。

1953年に選挙首相になったモデサク首相は、欧米企業が所有している油田国有化して、英米石油利権を取り上げた。

当然この施策イラン国民の喝さいを浴びる。

それにキレたアメリカのCIAは、モデサク首相を失脚させた経緯がある。

その後のイラン欧米諸国搾取され続け、後のイラン革命に繋がっていく。

・・・そりゃあイラン国民反米になるよね。

日本で例えれば、安倍ちゃん反米的な政策を始めて、アメリカの陰謀で安倍ちゃんが辞めさせられたらどう思うだろうか。

2019-07-31

オスマン帝国はすべてにおいて男らしい

オス←男らしい

マン←男らしい

帝国←男らしい

帝位継承時に兄弟を皆殺しにする←男らしい

オスマン英語でいうとOttoman→オットマン→夫←男らしい

2019-03-19

anond:20190319153621

マルタ島大包囲戦』

歴オタから

16世紀地中海マルタ島でのオスマン帝国聖ヨハネ騎士団の攻防戦を描いた本。

当時のイスラム世界キリスト教世界の焦点となり、

世界最大・最強・最新のオスマン軍と、少数精鋭・高い士気・鉄の規律十字軍騎士団という対照的軍隊が双方ボロボロになるまで死闘するという点も熱く、

ワイが戦史の中で一番好きな戦い。

また両軍とも70歳超えの最強有能ジジイが率いており、最強ジジイ対最強ジジイ(+援軍で80超えのさらなる最強ジジイがくる)という構図も良い。

著者が史料を集め取材を重ねて書いた歴史本だけど小説表現も多くあり、

騎士団員が海を見張っていると水平線からオスマンガレー艦隊が姿をあらわす場面など印象的なシーンがいくつもある

ほんま映画化してほしい

2019-02-09

ここ最近海外歴史ドラマにはまってて

今はオスマン帝国ハーレムのやつ見てるんだけど

ヒロイン女子プロレスの悪役みたいで笑いながら見てる

何であんな奇声あげながら鎖振り回しそうなゴリラ女をヒロインにするんだよ

女官ライバルポジション王女のほうが傾国美女なんや

2019-02-05

この記事

https://blog.tinect.jp/?p=55784

どうでもいいところが気になったんだけど、

オスマン帝国ローマ帝国も全盛期は当時の人からすれば永遠に続くかのように見えただろう。けど後から振り返ってみればどちらも崩壊している。世界最長の江戸幕府だって、せいぜい260年程度しか続かなかった。

世界最長の江戸幕府」ってなに?

ググってもぜんぜん出てこない。

それこそオスマン帝国なんて600年続いてるよね。

ライター普通に歴史に詳しい人っぽいから無根拠に書いたわけじゃないだろうし。

謎すぎる。

2018-08-17

[]スタンチク

16世紀ポーランド活躍した伝説的な宮廷道化師

宮廷道化師は王を楽しませるエンターティナーであり、また愚かであるが故に王に直言できる存在であった。

タンチクも、実際には政治に通じた賢人であり、しばしば気の利いた風刺を発した。

彼は三代の王に仕えたが、この時代ポーランドは、外ではモスクワ大公国ドイツ騎士団オスマン帝国などと戦い続け、

内ではシュラフタ(貴族)が力をつけて王権を脅かすなど苦難に晒されており、

タンチクがそれらを憂慮する逸話やその場面を描いた絵画が多く残されている。

狩りのために檻から出した熊が王たちを襲った事件を、プロイセンの臣従にたとえて王を嘲笑したという逸話特に有名である

しかし同時に、経済的文化的にはポーランド黄金時代でもあった。

死後、彼はその立場から憂国象徴として利用され、後にはガリツィア地方保守的政治集団の名に冠せられることとなった。

2018-04-21

第一次世界大戦前夜と同じような世界になってきた

アメリカEU諸国と、ロシアの2国間における、シリア内戦を巡る対立が激化している。

今更こんなことを言っても仕方がないけど、国連は役に立たない。

常任理事国が一国でも拒否権行使すると国連は何もできないことは冷戦時代から指摘されていたけど、今になってその弊害ばかりが大きくなってきている。

アメリカEUロシアは双方とも核保有国同士だけど、核を持っていても、今のような戦争寸前まで行きついてしまうということなのだろうか。

現在世界情勢は、1914年に起きた第一次世界大戦前夜と似た状況になってきている。

1900年代初頭の欧州では、二つの大きな軍事同盟存在していた。

イギリスロシア帝国・フランスの「三国協商」と、ドイツオーストリアハンガリーイタリアの「三国同盟」の2陣営

現在に当てはめてみると、前述の通りアメリカEU陣営と、ロシア陣営と見事に2陣営に分かれている(ちなみに日本アメリカEU陣営)。

そして、第一次世界大戦の前段階である1900年代には、欧州各国が軍拡競争を進めていた。

現在アメリカEUロシアも、そして日本軍事予算を増やしているのはご存じの通りである

アメリカトランプ大統領軍事予算を増額させているし、欧州では徴兵制を復活させる国が相次いでいる。日本空母配備まで始めた。

最後に、現在バルカン半島とも言えるシリアについて。

元々シリアという国のある場所は、昔は「オスマン帝国」と呼ばれていた大国の一部の地域だった。

第一次世界大戦オスマン帝国崩壊して、欧米占領されて、分割されたりして・・・、色々なことがあって現在シリアとなっている。

シリアは、欧州中東を結ぶ街道上に位置している国家であり、あの場所政治的不安定になると、周辺地域全域が戦争危機さらされる場所なのだ

次の世界大戦は、シリアから始まるのかもしれない。

2018-03-27

anond:20180327163911

雑ですまんね。

でも、オスマン帝国が「帝国」であれた時期はもっと前で終わってると思うし、むしろオスマン帝国の衰微の仕方見てまだ独裁が良いと思うなら面白すぎると思うの。

anond:20180327163602

ローマ帝国の滅亡ビザンツ滅亡とすると1453年でまだ500年ちょっとだし、オスマン帝国の滅亡は1922年からまだ100年も経ってないぞ!

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