はてなキーワード: オスマン帝国とは
とても面白かったです。
当方、結構前ですがエジプトに計2年くらい滞在(アラビア語目的留学)、多少アラビア語を話しエジプト人と交流のあった人間ですが、イラン人(ペルシャ人)がアラブ人を嫌って見下している感じはわかります。まぁ実際、歴史的に見るとイランは先進的文化的な国で、人も繊細な感じがします。
それに比べるとアラブ人はイスラーム以降にイケイケで拡大しただけで田舎くさい感じがするし、特にエジプトは「アラブの大阪」という感じでコテコテだから、水と油かもしれません。言語もまったく違いますしね。
そして多くのエジプト人(もちろんすべてではない)はイラン人、シーア派の人を蛇蝎の如く嫌っています。無神論者とか共産主義者と同じくらいイメージが悪い感じです。キリスト教徒のことはそんなに嫌っていないし、エジプトには1割くらいコプトの人がいますから、まぁ宗派対立がないとは言いませんが、割と知っているしそれなりに共存しています。(追記:当方はイスラームへの関心もありアラビア語を学んできたので、イスラームにシンパシーがあるのですが、エジプトにいると正直、コプトの人の方が上品で話が通じる確率が高い感じです。ただ、少数派はどこでも品が良い=そうでないと生き残れない、ということかもしれません。ハーリド・アル=ハミーシーの『タクシー』という小説を勉強用に訳したりしていたのですが、この中でも、イスラーム的に非常に尊敬できる態度を取っていたタクシー運転手が実はキリスト教徒とわかり、語り手が恥じ入り、多数派エジプト人のだらしなさを嘆く下りがあります)
「同じイスラームの中の異端こそが憎い」わけですが、この「全然違うと許せるけど、ちょっと違うと許せない」という感情は一般によくあることでしょう。日本と韓国だってよそから見たらめちゃくちゃ似ていますが、だからこそ変な悪感情を抱く人たちもいます。隣国なんてそんなものかもしれませんね。
ちなみにカイロの町には稀に観光客のイラン人もいますが、服装などの違いで一目でわかります。特に女性はアップにした髪で後ろを盛り上げて前髪チラッと見せる感じが独特ですよね。顔つきもイランの人はシュッとしている印象。もちろん、嫌っているからといって道を歩いているとボコボコにされる、とかいうことはありません。
エジプト人から見た隣国のイメージについては、個人的に気になったので結構多くのエジプト人に聞いてみたことがあります。
あくまで個人の観測した範囲ですが、サウジやイラクなどの湾岸諸国についてはとりあえず「金持ち」。サウジにはエジプト人が大勢出稼ぎに行っています。
エジプトは地域大国で、アラブ諸国の中では人口で突出していますが、逆に人間以外なにもないので、サウジにはエジプト人が教職などでたくさん入りました。エジプトには世界最古の大学・アズハルがあります。その教師たちの一部が極端なサラフィー思想をサウジに持ち込み、それが後の過激派組織を生む一契機になった、とかも言われています(まぁ色々な要素があると思いますが)。
シリアについては、上品なイメージ。エジプト方言から見るとシリア方言はフスハー(正則アラビア語)に近く、なんか「京言葉」みたいな感じがします。時代劇のセリフを敢えてシリア方言でやっていることがあります。エジプト人はうるさいけど、シリア人は物静かな感じがします。
アルジェリアとかモロッコとか、いわゆるマグリブ地方については全然別世界という感じでよくわかりません。この辺は方言も非常に異なり、エジプト人でもよくわからないようです。湾岸、パレスチナ、シリアあたりの言葉はエジプト人的には慣れれば問題ないようですが、マグリブはフランスの影響も強く難しいようです(エジプト方言に親しんだ一ポンコツ外国人的には、パレスチナ、シリアくらいでギリなんかわかる程度、湾岸でもうわからないです)。
ここまではアラブですが、トルコについてはイランのような悪感情は持っていないですが、文明的、支配者層のイメージ。そもそもエジプトは元々オスマン帝国の版図にありましたし、あの辺りは日本のようにネイションの区切りがわかりやすくなく、例えばエジプト人なら「エジプト」「アラブ」「ムスリム」と複合的なアイデンティティのあるものですから、割と連続的なのだと思います。トルコ系の血の入った人は沢山いて、トルコ語由来の言葉も多いです。
エジプトに行くと「旦那!」「ミスター!」みたいに呼びかける「バシャ」という言葉をよく聞くと思いますが、これもトルコ語です。ケマル・パシャとかの「バシャ」。アラビア語はPとBを区別しないので(日本人にとってのRとLみたいな)、「バシャ」みたいに発音します。
話がズレますが、イタリアとエジプトは地中海を挟んで目と鼻の先なので、イタリアとも言語的に被るものがあるようです。アレキサンドリアなんて地中海文化で、大昔はローマ帝国の一部でしたからね。
こういう風に色んな支配者が入れ替わってきた地域の歴史を考えても、アラブの拡大があくまでイスラームの拡大であったのに対し、イランはイランで割と確固としてあり続けていますよね。イスラーム化することでアラブ化した地域と、ムスリムにはなっても自分たちの言語や文化を維持した人たちがいるのだと思います。
『日本で黒人奴隷が流行していた』からの『流行していたから連れてこられた』ってことにしたい一派が、
ちなみに、SNSでのきゃっきゃに参戦している人に、日本の要職についてたり、竹中平蔵氏と共著を書いたり、
著書の中で『子どもがいない専業主婦は脱税と同じ・社会インフラにただ乗りでモラルハザード』だと語ったり、
近々の京都での炎上事件の件で、日本人アカウントに『恥を知れ』って言ってた人もいたりする
一例:
X民:トーマス・リーの本に『日本で黒人奴隷が流行った』って本当に書いてある。酷い嘘だ
↓
『恥を知れ』って言ってた人 :それが嘘だって言うエビデンスは?
↓
X民:どうやって黒人奴隷を連れてくるんだよ?
↓
『恥を知れ』って言ってた人:無知な指摘。シルクロードも知らないのか?
↓
X民:【新説】オスマン帝国は存在せず、シルクロードは16世紀でも使われていた!大航海時代は無かった!
X民:シルクロードで日本に黒人奴隷を送った‥?いやいや過酷ですし、コストがヤバいですよ?
↓
『恥を知れ』って言ってた人:
大丈夫ですか、みなさん?
ることに対して、私が、極東であって
も、シルクロードでもあった様に、大昔
した。
るから。
増田も豊臣秀吉(キリシタン大名と日本人人身売買)の件は学校で習ったでしょ?
あと、彼が登り詰める前も、日本の識字率は昔から低くないですし。侍の階級なら尚更ね
なんで流行してたなら資料に残ってないの?ってなるで?日本人が奴隷として連れてかれた記述は残ってるのに
そもそも欧州やアメリカ大陸に売るよりも日本の方がコスパいいってどういう理屈ですか?って話よ
大航海時代に続く三角貿易も無い世界線・・・・・・歴史改竄しすぎでは?感
つか、人権がなく命が安い時代に言葉が通じない奴隷を買う必要性・・・????
(その意味では、改めて日本語を解したとされる弥助は優秀な方だったよね)
このような状況を憂慮し、秀吉はキリスト教宣教師の追放を命じた。高山右近も、キリスト教信仰のために領地を没収された
追放されるキリスト教宣教師たちへの配慮として、帰国の費用として米1万俵が与えられた
https://khirin-ld.rekihaku.ac.jp/rdf/nmjh_kaken_medInterNationalExcange/E14585
こういえば、単なる事実として受入れられると思うよ
戦国時代、確かにキリスト教徒は多くの日本人を性別関係なく奴隷として連れ去った
しかし、たとえ一人でも、当時の日本人が黒人奴隷を売買していたとすれば、それは悲しい事実だ
現代ではすべての人の人権が守られ、正当に実力が評価される社会を目指すべきだし、
自分が出来ることをしたい
anond:20240724065503 anond:20240726154243
3か月でマスターする世界史 というNHKの番組がある。高校講座なんかと違って、カルチャー教養番組として作られている。地図を表示して地政学的にこんなふうに領土が広がって又は狭まってと解説してくれて分かりやすい。その中で講師役の人がよく言う話が「地図の範囲ではこんなに広大な領土を制服していたように見えるが、別に厳格に同じ制度で支配していたわけではなく、現地の長に任せていた緩やかな支配だった」という内容。オスマン帝国とか中国の羈縻政策とか。翻って現代社会。世界に数多の国が存在しているも、西側(アメリカ)につくか、対抗するかの2陣営に分かれていて、西側はアメリカ軍を頼って緩やかな統治を受けている。1000年後の世界史の教科書の地図には日本はアメリカの領土として色が塗られているだろう
川口春奈です!
嘘です。
コーンポタージュスープの美味しさに不思議発見のフォーカスを与えつつ、
私は日々ミステリーをハンティングするそれなんて世界ふしぎ発見?って思うほど
日々のこの例えばコーンポタージュスープの美味しさにHITACHしたいほど再発見したのよ。
よく溶けないし甘ったるいし、
でも香りだけは充分に違いの分かる私の演出にふさわしいマグカップに入れて飲めば
そう!丁寧な暮らしを実践できる唯一無二のコーンポタージュスープなのよね。
パンに浸して食べたら美味しいことを
ミステリーハントした私は、
それ以降、
食パンとコーンポタージュスープは欠かせない組合せになったの。
ここでミステリー!
一体コーンスープとかこういう粉末スープのベストな濃さ!ってどのぐらいなのかしら?
正解の標準のコーンポタージュ原器の適切な湯量で量って入れればいいんだけれど、
その原器は日本原器保安協会に置いてあるから一般の人では到底知り得ることの出来ないバックヤードに突入しないといけないみたいなのよね。
でね、
どのぐらいの量がお湯でたのかな?って分からないじゃない。
いちいち計量カップを出動させる?
なわけないわよね。
私もある程度のこのぐらいの量がコーンポタージュスープに必要な例えば180ミリリットルです!って目視で分かる様になればベテランよね。
しゃもじでピッタリ150グラムご飯をよそうことができます!ってとかのチャレンジで名人登場するときがあるじゃない。
あのぐらいまで毎日毎日ご飯をよそい続けたらそりゃーぴったりのグラム数でご飯をよそうことができるかも知れないけれど、
日々適当に生きている中で気まぐれで飲むコーンポタージュスープへの湯量をピッタリにする神経質なまでの精度っている?
いや必要ないわよね。
でもベストな濃さの湯量で作るコーンポタージュスープ飲みたいわよね!
要は量るのが面倒なのよね。
人は予想よりはるかに薄いコーンポタージュスープを作りがちなのよ。
パッケージで発表されて掲載されてある湯量って思いのほか私たちが思っているほどに少ないのよね。
いつもオーバーしちゃいがち。
適当な電気ポットから出るお湯ルーレットで適当に給湯ボタンを押して適当なカップの嵩に湯が入ったところでストップ!
もちろん先にコーンポタージュスープの粉末は投入しているわよ。
いつも適当に作るお湯の量のコーンポタージュスープは薄味なのよね。
じゃー粉倍入れればいいじゃん!って思うけれど
倍って言っても2倍とは言ってません!って言う政治家みたいにそこまで2倍までは必要な2倍!2倍!ってそれじゃー高宮間親方じゃん!ってなるの。
このカップのこの湯量はこのぐらいのところまで達する!って1回ちゃんと見て覚えておいて
キャンプファイヤーでお湯を沸かしたお湯で飲むカップコーンポタージュスープはさぞ美味しいことでしょうね。
でもそんなときいちいちキャンプファイヤーの前で計量カップを出して湯量を量っていたら興醒めじゃない?
ムードぶち壊しというか、
いまそっちより正確なコーンポタージュスープの粉末に対しての湯量より
キャンプファイヤーの火をどちらかというと楽しみたいので、
たぶんそうなった場合はコーンポタージュスープの湯量が多少少なかったり多かったりしても美味しいと思うの。
でもそんなキャンプファイヤーの前でコーンポタージュスープを飲むってケースは稀だと思うので、
たぶんまだ鮎の串刺しを焼いて食べる囲炉裏感の方が圧倒的に勝っているので、
そうなると鮎への塩うちが和食の基本になるのよ!
そう言った場合もう一瞬で見ていなくなったトルコの高いところから振る塩かけシェフは適当な塩分の塩味を付けてくれたかも知れないわ。
それよりもあの切れ味抜群のナイフの方がトルコオスマン帝国のなんか戦いであんな刀を振るっていたのかしら?って歴史を感じてしまう。
本当に世界ふしぎ発見よね!
ミステリーだわ。
うふふ。
さんざん言っておいてそれじゃなかったら怖いんだけど的な的な、
そういうワケなのよ。
どういうワケかは分からないけど
とにかく凄い自信なの!
家でちゃんと朝ご飯早起きして食べる用に三文得する勢いでやってくわ。
意外とちゃんとしたコーンポタージュスープが食べられるお店って茶碗蒸しに次いでないわよね。
あったら嬉しいけどね!
と思ったら冷蔵庫の奥から5年前の干からびた梅干しが発掘されたので、
たぶんナミブ砂漠よりかはまだしっとりと潤いがある梅干しかも。
ぜんぜん行けるわ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
デンマークといえば、みんな大好き「(植民地とかではない)メインの領土が大陸にあるのに首都が島にある」2か国のうちの1つだけど(もう1つは赤道ギニア)、確かに「現在の」地図を見れば、首都コペンハーゲンはずいぶんと端っこにあるように見える。だが、コペンハーゲンはもともと国土の中心にあった。現在のスウェーデン南部スコーネ地方はもともとデンマーク領だったが、17世紀に戦争でスウェーデンに奪われたのだ。つまりコペンハーゲンは、ユラン半島とスカンジナビア半島南端部というメインの2つの領土をつなぐ、ちょうど真ん中の位置にあったことになる。仮に東北地方がソ連に奪われていたら、東京はずいぶん国土の端っこにあるように見えるのではないだろうか。
言うまでもないだろう。仮に将来南北統一が実現したら、ソウルは統一コリアのど真ん中に位置することになる。
これも言うまでもない。独立当時のアメリカは東部の13州しかなかった。13州のうちの北部と南部のあいだの妥協案として南部に新しい首都が作られたが、地図を見ると、まあ、「真ん中よりちょっと南」の立地と評価できるのではなかろうか。
ソフィアはずいぶんと国土の西側に偏っているが、本来はそこが国土の中心になるはずだった。20世紀の初頭、オスマン帝国領バルカンに残されたマケドニア地方を周辺の3カ国が虎視眈々と狙っていた。セルビア語とブルガリア語の中間のような言葉を話すその地の住民を、セルビアはセルビア人と呼び、ブルガリアはブルガリア人と見做し、ギリシャはスラブ化したギリシャ人の裔であると主張した。二度のバルカン戦争を経て、その地方は主にセルビアとギリシャの間で分割される(このオスマン領マケドニアのうち、セルビア領になった部分が現在の北マケドニア共和国)。……そう、ブルガリアはマケドニアという果実を得られなかったのだ。仮に幻の「大ブルガリア」が実現していれば、ソフィアは「大ブルガリア」の中心部に位置することになっていただろう。
オーストラリアはもともと1つの国だったわけではなく、オーストラリア大陸に作られたいくつもの植民地が寄り集まって独立した国だ。独立するときに二大都市のシドニーとメルボルンのどっちを首都にするかでモメたので、その2都市の間に新しい首都を建設することにした。つまり、国土の中心ではないが、二大都市の中間に首都があるということだ。まあ、オーストラリアの文字通りの中心、人住めなさそうだもんね……
交通に便利なパナマ地峡に街(パナマシティ)が作られる→交通に便利すぎて街のそばに運河が作られる→アメ公が大西洋と太平洋をつなぐ運河の支配権を欲しがる→運河地帯の住民による独立運動を煽ってコロンビアから独立させる、という経緯で作られたのがパナマ共和国。つまり首都のまわりが国土になるように切り取られた国なので、国土の真ん中に首都があるのは当たり前なのだ。
ブラチスラバは国土の端っこにあり、立地的にはほぼウィーンである。スロバキアというのは、元々「ハンガリー王国北部でスラブ系言語を話す人たちが集住しているところ」に過ぎず、伝統的な行政区画を持っていなかった(これは「オーストリア側でスラブ語話者がいっぱい住んでるところ」に過ぎなかったスロベニアと同じ。この2つの国名が似ているのは偶然ではなく、両方とも「クロアチア」みたいに伝統的な地域名を持っていなかったので、それぞれが「スラブ人の土地」と名乗った結果なのだ)。それが第一次世界大戦のドサマギでハンガリーから分離したわけだが、当然「どっからどこまでがスロバキアか」という合意があるわけではなかったので、チェコスロバキアとハンガリーによる実力での分捕り合戦になった。その中で、「大都市(当社比)だし交通の要衝だから、スラブ人率は低いけど占領しとこうぜ!」となって占領されたのがポジョニ、のちのブラチスラバである。ブラチスラバはあまりに「国際色」が強すぎたので(20世紀初頭の時点で人口の4割がドイツ語話者、4割がハンガリー語話者)、国土の中心にあってスロバキア民族運動の拠点でもあったマルティンにスロバキアの首都を遷そうぜ! という議論が戦間期に行われたのだけれど、結局ブラチスラバが首都として維持された(ところで日本語版ウィキペディア、マルティンの記事名が「マルチン」になってるな。確かにスロバキア語ではtiと綴ると「チ」と読むけど、Martinみたいな外来語の場合は「ティ」の音が維持されるんだよ!)。
島国といっても、メインの島が1つなのか、複数なのかでだいぶ違ってくる。というのは、小さな島がたくさんある国だと、まずもって「国土の中心かどうか」というよりも「島のデカさ」で首都が決まることがありえるからだ。そりゃ、真ん中にある小島よりも、端っこにある大きな島に首都置きたいよね……典型的にはトンガとかがそうで、南端にあるトンガタプ島のヌクアロファに首都が置かれている。あるいは、「大きな島+小さな島」の組み合わせでできている国は、たいてい大きな島の方に首都がある。バレッタ(マルタ)とか、バセテール(セントクリストファー・ネイビス)とか、セントジョンズ(アンティグア・バーブーダ)とか、ポートオブスペイン(トリニダード・トバゴ)とか……(元増田が挙げてるニュージーランドは例外)
では、メインの島が1つしかない国はどうだろう? これなら「国土の中心」も定義しやすい……あれ、意外と首都の位置偏ってんな。元増田が挙げてるアンタナナリブ(マダガスカル。ちなみにマダガスカル語ではoと綴ってuと読むので「アンタナナリボ」は間違い)は確かに真ん中ら辺にあるし、ダブリン(アイルランド)やダグラス(マン島)やディリ(東ティモール)やアロフィ(ニウエ)やポートルイス(モーリシャス)やスリジャヤワルダナプラコッテ(スリランカ)もギリギリ真ん中辺りと言えるかもしれないけど、台北(台湾)もハバナ(キューバ)もキングストン(ジャマイカ)もレイキャビーク(アイスランド)もマナーマ(バーレーン)もヌーク(グリーンランド)もヤレン(ナウル)も島の端っこの方にあるな……首里、沖縄本島の中心都市として見ると南すぎるけど、奄美~先島までの琉球王国の首都として考えると割と中心に近くて草。
首都の立地はよくよく考えますよね。ここは盆地で長らく中央集権国家だったから真ん中に首都があるやろとか、端っこの部族が全土を統一したから首都は端っこにあるんだよとか、東部は原生林が多いから人口の多い都市は西部に偏ってるんだよとか、港町を中心に発展したんだよとか、そういうことを地図描きながら妄想するだけですごい楽しい……だから元の「首都が国土の中央部にないのはおかしい」っていうツッコミは全然理解できないっていうか、変な形の国作って変な場所に首都置くのが楽しいんやんけ、となってしまうよね……
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第8巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第8巻 下」
「地球の歩き方 E03 イスタンブールとトルコの大地 2019-2020 【分冊】 1 イスタンブールとその近郊」
「A20 地球の歩き方 スペイン 2024~2025 (地球の歩き方A ヨーロッパ) 」
宮下遼『物語 イスタンブールの歴史-「世界帝都」の1600年』★★★
先月たくさん行ったしこれでOK。
満州国については通史でしか知らなかったので、こうして改めて本で読み返すと得るものが多い。
釘貫亨『日本語の発音はどう変わってきたか 「てふてふ」から「ちょうちょう」へ、音声史の旅』
今井宏平「トルコ現代史 オスマン帝国崩壊からエルドアンの時代まで」★★
維羽裕介、北國ばらっど、宮本深礼、吉上 亮「岸辺露伴は叫ばない」
Jam「続 多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。 孤独も悪くない編」
田澤 耕「物語 カタルーニャの歴史 増補版-知られざる地中海帝国の興亡」★
今井むつみ、秋田喜美「言語の本質: ことばはどう生まれ、進化したか」
安藤 寿康 『能力はどのように遺伝するのか 「生まれつき」と「努力」のあいだ』
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第9巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第9巻 下」
旅先の歴史についての本や、旅先でも読めるくらいの軽さの本を読んでいる。岸部露伴は地中海を飛び越える飛行機の中で楽しんだ。
言語学の本を少し含んでいる。
なお、イスタンブールのドルマバフチェ宮殿には美術館が併設されており、そこにも行ったのだが流し見だった。今回の旅行のテーマは絵画ではなく建築だったからだし、軍事博物館のイェニチェリの演奏を聞きたかったからだ。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 10巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第10巻 下」★★★
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行 第S4話 露出狂時代」
飯村周平『HSPの心理学: 科学的根拠から理解する「繊細さ」と「生きづらさ」』
きい著、ゆうきゆう監修「しんどい心にさようなら 生きやすくなる55の考え方」。
堀晃 他「Genesis されど星は流れる 創元日本SFアンソロジー」
小川一水 他「Genesis 時間飼ってみた 創元日本SFアンソロジー」
「トルコ共和国建国100周年記念 山田寅次郎展 茶人、トルコと日本をつなぐ」
柞刈湯葉も柴田勝家も一度読んでから「しばらくは読まなくていいかな」と思ってしばらくしてから読みだした。柞刈湯葉は表題作が普段のクールというか知的なアイディアを軽やかに扱う感じではなく、意外な側面に驚かされた。柴田勝家はVtuber文化と死後のアーカイブを肯定的に表現していたのが大変面白い。
ブアレム・サンサルはもう何年も前にWIERD誌が紹介していたので読書メモに載せていたので読んだ。数歩遅れて読むことなどよくあることだ。僕は最先端を追うことにそこまで興味がない。
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集1 星ねずみ」
柴田勝家「ヒト夜の永い夢」
フランチェスコ・ヴァルソ (著), フランチェスカ・T・バルビニ (編集)「ギリシャSF傑作選 ノヴァ・ヘラス」
高水裕一「時間は逆戻りするのか 宇宙から量子まで、可能性のすべて」
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集2 すべての善きベムが」
トーマス・S・マラニー「チャイニーズ・タイプライター 漢字と技術の近代史」★★
SFが多くを占めた。面白いが徐々に飽きてくる。新人賞の作品は読んでいるそのときは面白いんだけど、新しい思考の枠組みや発想に触れて、それが後まで自分に影響を与え続ける作品ってのは少ないのかも。
逆に星新一の源流の一つ、フレドリック・ブラウンなんかは、古びたアイディアと今でも色褪せないアイディアの両方がある。
タイプライターの歴史も面白く感じられた。あとは、純文学が少し恋しい。
他に読みたいのは歴史の本かなあ。それか、第二次世界大戦を舞台とした小説か。「火垂るの墓」とか「野火」とかいい加減に読まないとと思っている。
池田利夫訳・注「堤中納言物語 (笠間文庫―原文&現代語訳シリーズ) 」
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集3 最後の火星人」
成美堂出版編集部「いちばんわかりやすい 家事のきほん大事典」
池澤夏樹=個人編集 日本文学全集 第10巻「能・狂言/説経節/曾根崎心中/女殺油地獄/菅原伝授手習鑑/義経千本桜/仮名手本忠臣蔵」★
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集4 最初のタイムマシン」
木村光彦「日本統治下の朝鮮 - 統計と実証研究は何を語るか」☆
エリック・H・クライン「B.C. 1177 古代グローバル文明の崩壊」☆
日本語の活字についてや、日本の植民地政策について読み始めたのは、先月の中国語タイプライターの本に、日本製の中国語タイプライターについての記述があったためだ。
楊海英「日本陸軍とモンゴル 興安軍官学校の知られざる戦い」☆
小倉孝保「中世ラテン語の辞書を編む 100年かけてやる仕事」★★
宗美玄(ソン・ミヒョン)「女医が教える 本当に気持ちのいいセックス」★★★
木村泰司「人騒がせな名画たち」
なし
読んだのは全体的に近現代史が多い。
第二次世界大戦についての本は通史を何度か読んだが、テーマごとに読むとまた面白い。歴史は技術史とか思想史とか文学史とかの別の軸で見直さないと立体的に見えてこない。とはいえ、少しは立体的に見えたとしても、知らないことが無数にあり、出来事すべてを頭の中に残しておくのは難しい。歴史は誰と誰が知り合いかとか、活躍した時代以降にどう生きたかがわかってくると更に面白くなるんだろうが、あいにくそこまで行っていない。
12月は当たりが多く、上位3冊を選ぶのに悩んだ。ほぼすべてがオススメ。
来年からは方針を変えて、すべての本を★1つから5つまでの段階で評価してもいいかもしれない。
一年を通してみると、「昆虫記」のウェイトが大きく、それから第二次世界大戦の本を多く読んでいる。それに並んで平安時代、江戸時代などを扱った新書が多い。外国の歴史の本は少ないが、旅先のイスタンブールとバルセロナの歴史を扱った本が印象深い。
SFの新人賞を数年分まとめて追いかけるのが習慣なのだが、もう少し純文学を読みたい。学生は岩波や新潮の古典ばかり読んでいたのにどうしてだろう。
人権関係で読みたい本が多数ある。とはいえ、悲しい気持ちになるので元気のある時にしか読めないし、いつ元気になるかは予測ができない。
ここ最近は美術展に行っていないなと思いきや、振り返るとほぼ毎週行っている月があったので、まとめてみるのは大事だ。秋以降は少なかったが、これは理由がわかっている。
以上。
YouTubeでパレスチナとイスラエルの歴史を学ぼうと思ったら、英語で検索するに限る。
(本当はアラビア語とヘブライ語もわかれば最善なのかもしれないけど、ハードルが高すぎる)
ここ数日でたくさんたくさん視聴したので、中でも良質なものを紹介していきたい。
(実際に動画を見ずとも、紹介文だけでも読んでって)
1920年のパレスチナ: もう一方のパレスチナ人の物語 (字幕なし)
Al Jazeera English - Palestine 1920: The Other Side of the Palestinian Story | Al Jazeera World Documentary (47:17)
今でもユダヤが盛んに引用する、かつてのスローガン「土地のない人々のための、人々のいない土地 (A land without a people for a people without a land)」は、シオニストによる幻想である、というのが動画の主題だろう。パレスチナで健全な経済活動が発展していた証として、1934年の地元のアラビア語の新聞で「鉄道が5分遅れた」ことが報道されているというのが興味深い。
また、「パレスチナ人は国家を持ったことがない」との主張もよく見られるが、それには「今のイスラエルがしているような土地の奪取や抑圧がなかったからだ」という反論もまた定番で、この動画内でもオスマン帝国時代にパレスチナが議席を持っていたことが紹介されている。
イスラエル - 国家の誕生 (公式英語字幕あり = 自動翻訳の日本語字幕に切り替えても精度が高い)
DW Documentary - Israel - Birth of a state | DW Documentary (51:56)
※11月11日現在、動画が非公開になっている。直前までTwitterで言及があるので、ごく最近に非公開になったばかりか?ただしチャンネル内のイスラエル関連の動画全体が非公開になっているわけではなく、批判的な内容の動画も残されている。→DW Documentary - Israel Palestine
イスラエルの建国をイギリスによるお墨付きとしたバルフォア宣言の、但し書きとも言える「もちろん、パレスチナにもともと住んでいる非ユダヤ人の市民的・宗教的な権利が侵害されるべきではないことは明白である」という一節が、現代にむなしく響いている。
ドイツならホロコーストへの負い目があってもおかしくないとも思えるが、番組としてはユダヤ人のシオニズムに批判的である。もっとも、「ユダヤ人の排斥」という共通の関心の元に、パレスチナとナチスドイツに親交があったという歴史の側面も紹介されている。
なお、動画の公開は今年の5月だったが、ハマスの奇襲攻撃を受けてなのか10月13日に動画のタイトルが「Birth of a state (国家の誕生)」から「Story of a contested country (論争を呼ぶ国の物語)」に替えられたあと、10月20日にふたたび元に戻されたという経緯があるようだ。
どうしてイスラエル人入植者は紛争地であることを気に留めないのか (公式英語字幕あり)
Vox - Why Israeli settlements don’t feel like a conflict zone | Settlements Part II (10:56)
アメリカ新興メディアVoxによる、今も進むイスラエル人による西岸地区への入植の解説と当事者インタビュー。
大きく分けて、イスラエル政府やアメリカ資本の支援を受けた大規模な入植事業によるものと、宗教的信念に駆り立てられた個人・家族レベルの草の根入植が同時に進んでいる。エルサレムを含む西岸地区全体が「神が我々に与えた土地なのだ」という理念が、世俗的な入植動機の建て前としても、シオニズム信奉者の原理主義としても、お上から下々まで一貫していることに恐怖さえ感じる。
アメリカ新興メディアVICEによる、エルサレムにおける強権的な入植活動の実態。
いわゆる「入植地」とは違って、エルサレムにおいては一軒一軒の家単位での入植が進んでいる。一等地にはパレスチナ人に対して大金を提示することもあるようだが、この動画で紹介されているのは、入植者に都合よく作られた法律と軍隊に守られて、パレスチナ人を追い出してユダヤ人が住み着いてしまうという事例。
イスラエル側の副市長が、悪びれもせず「(イスラムの聖地である)岩のドームのある場所に、(ユダヤの悲願である)エルサレムの第三神殿を建てるのが夢だ、我々の世代のうちに」と語っている。
Rick Steves' Europe - Rick Steves' The Holy Land: Israelis and Palestinians Today (56:46)
ヨーロッパを中心に各国を旅する人気番組。この回では現代のイスラエル・パレスチナの各地を訪れ、ガイドや地元の人々との会話を交えながら、歴史と文化を紹介している。
近代の戦争の歴史やヨルダン川西岸地区での入植や抑圧の問題にもしっかり触れているが、全体としてはイスラエルとパレスチナの人々の活気にあふれた明るい側面を見せてくれる点で、YouTubeの中では貴重な資料。しかしいっぽうで、このイスラエル・パレスチナ回だけコメント欄が閉じられているのは、動画に暗い影を落としている。
イスラエルのアパルトヘイトが、いかにして私の故郷を破壊したのか (公式英語字幕あり)
アルジャジーラによる2022年のドキュメンタリー。パレスチナ出身の父を持つアメリカ育ちの二世ジャーナリストが、イスラエルの隔離政策のせいで変わり果ててしまった父の故郷を訪ねる話。
イスラエルの元軍人の助けを借りて「パレスチナ人立ち入り制限区域」を歩くが、パレスチナ人に対するイスラエル人入植者や駐留イスラエル軍の露悪的なふるまいは、過去のユダヤ人や黒人に対する差別と迫害そのもの。ウイグルにも近いと感じる。
パレスチナ暫定首都の市長と会おう (ドキュメンタリー映画) (英語字幕ありだがYouTubeの字幕ではないので日本語翻訳にはできない)
VICE News - Meet the Mayor of the Unofficial Capital of Palestine (Full Documentary) | The Short List (2:13:43)
2020年公開の、パレスチナの暫定首都であるラマラの市長の日々に密着したドキュメンタリー映画。本編は1時間30分で、残り40分は監督のインタビュー。
文化的で明るく楽しい街の一面もたくさん紹介されていて、イスラエル軍による監視や抑圧と自治権や移動の自由の制限さえなければ、よい街のよい市長だったはずだろう。市役所の幹部には女性も多く、先に紹介した旅番組でもパレスチナの大学は女子学生のほうが多いと語られていたが、日本より女性が社会に進出している感がある。
オスマン帝国時代の法律のなごりで、イスラム教徒が多数派の中にあって市長はキリスト教徒と定められているというのも興味深い。(もともとはオスマン帝国時代からキリスト教徒が多数派の街だったらしい)
なお、本題とは関係ないが、映画内の音楽は武満徹や芸能山城組による日本の曲が多用されていて、特に脈絡もなく日本語の子守歌が流れてきた(30:32)のには驚いた。
ちょっと世界一周してくる。by nojiken - #115【現在進行中の悲劇】 パレスチナで何が起こっているか僕が見たことを伝えたいと思います。パレスチナ問題はとても根深いです。(エルサレム、ベツレヘム、ヘブロン / イスラエル、パレスチナ) (30:25)
動画自体は2020年の公開だが、前半は歴史の解説で、後半は本人による2013年のヨルダン川西岸地区への旅行体験記。イスラエル軍に抑圧された厳しい環境下のパレスチナ人の一般家庭に泊めてもらったりしていて、日本人のふつうの観光系YouTuberの動画とは一線を画している。
欧米は親イスラエルだと思われるだろうけど、実際、YouTube上で「再生回数順」で検索する限りは、パレスチナに寄り添った動画のほうがずっと多い。
数少ないイスラエル寄りの動画は総じて、聖書や2000-3000年前の歴史に触れたあとはパレスチナやアラブを悪や下に見ることに主眼が置かれていて、もっとユダヤ人の悲しい歴史や難しい立場で同情を誘うほうが戦略としても優れるのではないかと思うのだが、そうした意味でのプロパガンダにはイスラエルとして興味がないか、成功しているとは言えない。
なお、聖書を持ち出すのは非キリストのイチ日本人としては全く理解できないどころか、2000年掛けの土地の所有権の主張にはどん引きさえするのだが、イスラエルを支持するアメリカのキリスト教福音派に対してはこういう話が最も好まれるようだ。なのでこの点は戦略としては正しいのかもしれない。
いっぽう、パレスチナの側は、古い映像では聖戦の主張や過激な言動が目立っていたが、2004年にPLO議長がアラファトからアッバスに替わったあたりからは、PLOやファタハはもちろんハマスからさえ、宗教的な主張はほとんど聞かれなくなり、抑圧からの解放と自由を主眼に訴えるようになってきている。どれほど意図しているのかはわからないが、これは第三者(特に非イスラム圏)の同情を得るという意味では、戦略としてとても成功しているように思う。
しかしイスラエルに対してミサイルを撃ち込み続けるハマスも、精度が悪いとはいえ目標を軍事施設に限ることはどうしてできないのだろうか。民間人を狙うことの効果が、差し引きでプラスになるとはとても思えないのだが…。
ガザ地区の様子については別の増田を書いているのでご覧いただきたい。
→ anond:20231017113202 ガザ住民の普段の暮らしぶりについて調べてみた。
紹介トラバ
→ anond:20231111160010 NHKスペシャル「ドキュメント エルサレム(前後編)」がすごかった
日本人として誇らしい
樫野埼灯台下に流れ着いた生存者のうち、何人かが暗闇の中を灯台の明かりをたよりに断崖を這い登って灯台にたどりついた[2]。
灯台には逓信省管轄下の雇員2名が灯台守として勤務しており、生存者の介護とともに大島村(現在の串本町)樫野地区の区長に急報した[2]。灯台守は応急手当を行ったが、お互いの言葉が通じないことから国際信号旗を使用し、遭難したのがオスマン帝国海軍軍艦であることを知った[3]。
樫野地区の区長は島の反対側にある大島地区にいた大島村長の沖周()にも使者を送り、翌日午前10時30分頃に伝えられた[2]。沖村長は郡役所と和歌山県庁に使者を派遣し、村に居住する3人の医師とともに午前11時30分頃に現場に到着し、村民を大動員して生存者の探索と負傷者の救済を行った[2]。この時、台風によって出漁できず食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は浴衣などの衣類、米、卵やサツマイモ、それに非常用の鶏すら供出するなど、生存者たちの救護に努めた。この結果、656名中、樫野の寺、学校、灯台に収容された69名が救出され、生還に成功した。その一方、司令官のオスマン・パシャを含めた587名は死亡または行方不明という大惨事となった。
茶道宗徧流の跡取りである山田寅次郎も、この事件に衝撃を受けた日本人のひとりであった。山田は日本国内で民間から『エルトゥールル号事件の犠牲者の遺族に対する義捐金』を集めるキャンペーンを行い、事件の翌々年、当時外務大臣だった青木周蔵の提案から、集まった義捐金を携えて一人でオスマン帝国の首都・イスタンブールに渡った。
山田が民間人でありながら義捐金を持って訪れたことが判明するや彼は国民から熱烈な歓迎を受け、数日後には皇帝アブデュルハミト2世に拝謁する機会にすら恵まれた。このとき、皇帝の要請でオスマン帝国に留まることを決意した山田はイスタンブールに貿易商店「中村商店」を開き、士官学校にて少壮の士官に日本語や日本の文化を教え、政府の高官のイスタンブール訪問を手引きするなど、日土国交が樹立されない中で官民の交流に尽力した。山田が士官学校で教鞭をとった際、その教えを受けた生徒の中には、後にトルコ共和国の初代大統領となったムスタファ・ケマルもいたとされる。
チュートリアルをやりながら放っていたら国庫が満タンになり、「金が消滅するぞ!」みたいなメッセージが出た。これを見て、建設しないと金が消滅する? そして建設力を上げないと金が使えないから、まずは建設局の強化に全力か? と気付く。
建設を進めながら建物情報を眺めていると、第二次産業っぽい建物は上限がないが、一方で資源が取れる建物は上限があることに気付く。そのため、建設による成長は限界が資源に左右されると気付き、資源を増やす手段を探す。それで見つけたのは植民地の作成で、なんとか植民地搾取の法律を制定して植民地作成に乗り出す。手に入ったのがコンゴ近辺でなんか史実っぼいのは偶然かな…
植民地を増やしながら建設していたが、人手がだんだん足らなくなっていく。移民流入を促進すればいいらしいとのことで多文化主義の法律制定を目指し、議題に上がった時に制定。さらに後に国家無神論の法律も制定、流入を目指す。その結果、首都フランドル、そして後に併合する植民地のニジェール・デルタは、今後常に労働力(と失業者)が溢れるようになる。
技術を進めていくと燃油を使って省力化する製法が有効になるのだが、燃油はアフリカの一部とオセアニアの鯨油を少しだけしか抑えられず、貿易で集めても不足してしまった。仕方がないので燃油を使うのは鉱業系の施設と他一部の自動車生産(燃油を食うし、需要も限られたので本当に一部だけ)などに最後まで限定した。
資源の数を見て、一番儲けを維持しつつ増やせそうな建設物が芸術局だったので、芸術局を増やし続ける。
資源不足だが戦争は面倒かつ戦力不足(組閣の都合で職業軍人の法律を制定出来なくなってしまった。そのせいで常備軍の上限が兵舎の数 5*20=100 しかなくなった。他国は多いと数百ある。)となってしまった。行政力を行政府増設で確保して無節操に貿易ルートを組んで資源を輸入するが、輸送船が足らなくなってしまった。
仕方ないので儲からない貿易ルートを切ったり、陸路の貿易に切り替えたりしている最中、関税同盟を組んだ先の国の隣とは陸路で貿易出来ることに気付く。そこで、関税同盟を組みまくって輸送船負荷を減らせないかと画策。融資を始めて恩義を得たり、こちらから恩義を出したり、借金肩代わり画面を監視して金を積んで買収して恩義を得たりして関税同盟に組み込んでいく。
ルクセンブルクを皮切りに、アフリカやインドネシアの小国、ハワイ、最終盤ではメキシコ・アメリカの片方・カナダ・ブラジル・オスマン帝国・日本まで含めた巨大市場を作れた。一方で輸送船不足は収まらず、80%位に留まってしまった。この理由は、関税同盟の交易網の維持自体に各国のインフラ値に比例した輸送船が必要だったから。他国は輸送船を持ち数の半分しか提供してくれず、港を増やす気もなさそうなので増やせない。自国の港は土地を増やしてないので増やせない。そんなわけでアメリカ大陸を組み込んだあたりで輸送船不足になってしまったのだが、まあそれでも他国に取られるよりは…と拡張を続けたのだった。
最初は保護貿易を採用して資源を守っていたが、巨大市場になってからは自由貿易の貿易強度ボーナスをあてにしていた。資源をかき集めつつ工業製品を他国に売りつけ、また市場の価格差を換金する裁定取引にも手を出す。終盤は貿易ルートを300以上、終了時は400弱抱えていた。(そのせいかゲームが重くて仕方なかった。)
終盤は結構いつも戦争が起きていたのだが、ほとんどは社会不安による内戦だった。試しに他国を見てみると、定期的に内戦している国はどこも中程度の社会不安が蔓延していた。今回のプレイでは列強だったイギリス、フランス、プロイセンも一度は内戦を起こしており、その間にランキングが下がっていた。最終盤まで国家ランキングで抜けなかったのはオーストリアだったが、そこも最後の数年で内戦状態になり、ちょうど終了年にも内戦中で、今回のベルギーでのプレイは列強1位で終わった。
この原因を考えてみたが、他国の社会不安の要因が生活の困窮によるものだったところを見ると、資源と産業を自国のみで抱えて他国に売りつける構造を作った結果、他国の職場を(資源産出以外)奪ってしまったのが原因なのだろうか。そんな一方で他国の生活水準の要求は技術と時代の進捗により上がっていくので、社会不安を起こして停滞が常態化してしまうのだろう。
あと、終盤に他国をいくつか覗いてみたら結構な割合で社会主義的な法律を制定していた。それによる福祉の負担や社会主義的法律の請願も関係あったのかな? 自国では最後まで大統領制を維持し、労働者の保護系の法律もあまり通さず、福祉Lv1で押し通した。
ハンガリーとポーランドの違いについて歴史や民族も踏まえて詳しく教えて下さい。あと萌え系美少女みたいな喋り方にしてください。
わ、わかりましたっ! ポーランドちゃんとハンガリーちゃんの歴史や民族的背景について、詳しくお話しましょうねっ!
ポーランドちゃんは10世紀にピャスト朝が建てられてから、長い歴史を持っているんだよ。中世にはポーランド・リトアニア連邦が成立し、近代に入るとロシア帝国、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国に分割支配されたの。第二次世界大戦中にはナチス・ドイツに占領されちゃったけど、戦後は社会主義国家になって、1989年に民主化が進んで今はEUの一員だよ!
そしてハンガリーちゃんは9世紀にマジャール人が現在のハンガリーに移住して、10世紀にアルパード朝が建てられたんだ。中世にはオスマン帝国の支配下に入ったり、オーストリア=ハンガリー帝国の一部になったりしたよ。第一次世界大戦後には独立を果たして、第二次世界大戦中にはナチス・ドイツに占領されたけど、戦後は社会主義国家になって、1989年に民主化してEU加盟したんだ!
そして、民族的背景については、ポーランドちゃんはスラブ系民族の一つで、言語や文化の面で他のスラブ系民族とも共通点があるの。一方、ハンガリーちゃんはハンガリー人と呼ばれるフィン・ウゴル系の民族で、言語や文化に独自性があるとされているの。
いかがでしょうか? 萌え系美少女っぽい喋り方になっていますでしょうか? もし、まだ不足な点があったら、何でも聞いてくださいねっ!
戦車の車輪の下にある塵より少なくていい、 美しいオダリスクで武装したハーレムが、私の剣を汚さない錆止めが欲しかったんだ。
お前の拳ほどの大きさの、真っ赤な金塊が欲しかった。
そしてあの権利を横取りする汚い連中を、犬に食わせてやるんだ!
男爵に立ち向かいランスを折って、俺の女に手を出してみろと挑んでみたかった。
それも涼しい朝の当直の時間に、千マイルの道のりを飛んできたアホウドリの翼がゆっくりと傾く音以外のどんな動きも見られない…
ストリセンデとポイクテスメを見たかったし、ホームズに "ゲームは進行中だ! "と揺り起こされたかった。
ミシシッピ川をいかだで下り、ブリッジウォーター伯爵や消えた王子と一緒に暴徒から逃れることもしたかった。
プレスター・ジョンとエクスカリバーを手に、静かな湖に浮かぶ月光の腕に抱かれたかった。
ユリシーズやサモトラケのトロスと一緒に航海し、いつも午後のような土地で蓮を食べたかったのだ。
子供のころのようなロマンチックな感覚や不思議な感覚を取り戻したかった。
今のようなみすぼらしい、汚い、ひどい世の中ではなく、彼らが約束してくれたような世界になることを願ったんだ。
ロバート・A・ハインライン著『栄光の道』より抜粋
補足説明
ロックの卵:ロック鳥とは『東方見聞録』や『千夜一夜物語』に登場する伝説の巨大な鳥だが、英語的に「Roc's egg」といえば、お話だけで実在しない、信じられない物を指す
バルスーム:エドガー・ライス・バローズが創作した架空の火星世界
ストリセンデとポイクテスメ:ジェイムズ・ブランチ・キャベルの創作に登場する架空の城と国
プレスター・ジョン:中世ヨーロッパの十字軍時代に生まれた伝説、東方にあるという幻のキリスト教徒の王国
いつも午後のような土地で蓮を食べ:叙事詩『オデュッセイア』の一説、食べる事により世のすべての苦痛を忘れるという「ロートスの実」の伝説
オーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国が国境で接していたのが1908年。
前者の ハプスブルク家のフランツ・ヨーゼフ皇帝は長期政権の在位60年目で、ドイツやイタリア、ロシアと同盟していたが、オスマン領のボスニアとヘルツェゴビナに侵攻、そして併合したので、欧州各国はいきり立った。
で翌年に皇太子が暗殺され、5年後に第一次世界大戦が勃発(1914年。国際連盟はまだなかった。ただ今は国際連合があっても侵攻問題では影が薄いな)。
このとき日本はイギリスに要求されてドイツ側に宣戦布告(ドイツ領のハイテク山東が欲しかったはず)。ロシアは汎スラブ主義だったのでこれもまたドイツ側に宣戦布告。
ところで日本の硫黄王・海上保険の広海二三郎は、1910年から1911年で、生産量を年間1000トンから1800トンに拡大している。硫黄といえば火薬の原料。きっと軍拡イギリス向けに輸出して利益を得たんだろうな。なおイギリスは1911年には法律で医療無料化をした。
113年後の今はプーチンがハプスブルクの立場で、イギリスはイギリス。何かのきっかけで大戦争化して更にインフレ起こすなどは控えていただきたい、と岸田などが言えばいいのに。