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はてなキーワード: 中世とは

2024-11-21

anond:20241121164229

免罪符(indulgentia)は、中世カトリック教会が発行していた宗教的な許しの特権を表す証書で、特に煉獄での罪の償いの一部または全部を免除するものとされました。この制度は、当初は信徒信仰を深め、善行奨励するための宗教的手段として始まりましたが、時代とともにその運用目的が変質し、議論批判の的となりました。

背景

カトリック教会教義によれば、罪を犯した信徒は神の赦しを得るために懺悔告解を行いますが、その後も「煉獄」という状態で罪に応じた浄化経験すると考えられていました。免罪符は、懺悔後に課される「償い」の一部を軽減する手段として導入されました。

最初期の免罪符は、巡礼十字軍への参加、教会慈善事業への貢献など、信仰に基づく行動を奨励するものでした。

発展と乱用

11世紀から教皇司教特定の条件を満たした信徒に対して免罪符を発行する習慣が始まりました。これには、以下のような目的が含まれていました:

しかし、14世紀以降、免罪符販売が広がり、次第に金銭で購入できるもの認識されるようになりました。この実態は、教会財政難を背景にしたもので、多くの批判を招きました。

問題点宗教改革

16世紀に入ると、免罪符商業化が極端な形をとりました。有名な例として、ドイツ教区で行われた免罪符販売キャンペーンがあります。このキャンペーンでは、「金貨が箱の中で鳴るたびに、魂が煉獄から解放される」と説教され、多くの信徒金銭を支払いました。

これに反発したのが、宗教改革引き起こしマルティン・ルターです。彼は1517年に「95か条の論題」を掲げ、免罪符の乱用を厳しく批判しました。この出来事は、プロテスタント誕生カトリック教会の大きな改革の契機となりました。

その後の免罪符

カトリック教会はトリエント公会議(1545年-1563年)を通じて、免罪符商業的乱用を廃止し、その霊的意義を回復するための措置を講じました。現代カトリック教会では、免罪符金銭と結びつくことはなく、祈り善行を通じて信徒が霊的な恵みを受ける手段として位置づけられています

2024-11-19

日本アメリカ民主主義のふりをしているが、実質的には中世貴族社会みたいに先祖返りしつつあるな。

政治家役人取り巻き自分たちの都合のいいようにルールを決めて好き勝手やってるし。

おいしいところは世襲になっている。

金まわりにいいところは似たようなもんだろ。

今の民主主義ってホント民主主義なの?

民主主義定義が緩すぎる。

2024-11-16

anond:20241116203615

あんた、かなりいいこと言ってるけど、歴史的に見れば、そんな言葉がどれだけ重いかを少し考え直してみてほしいよ。

例えば、フランス革命の時、革命家たちは「自由平等博愛」を掲げて戦った。でも、当時の女性たちは、選挙権もなく、社会的自由ほとんどなかった。女性が着るもの一つ取っても、規制され、制約されることが多かったんだ。そんな時代に、女性自由自分表現することの難しさは計り知れない。それを理解しないで「好きな服を着てくれ」なんて軽々しく言うのは、歴史を知らない証拠だよ。

そして、そうやって歴史的背景を振り返ると、今の社会服装に関して何か言われること自体が、実はかなりおかしことなんだよね。つまりポケットがあろうがなかろうが、誰がどう着るかなんて、他人が決めるべきことじゃない、っていうことに気づくべきだよ。だけど、未だに「女性らしさ」っていう枠組みが強制される場面が多い現実、これってまるで中世の「婦人の徳」なんて言葉を思い起こさせる。

それにしても、ポケットなしの服の不便さって、確かに身をもって感じることだよな。あの、財布をどこに入れるか、手をどこに置くかっていう、些細だけども日常ストレス。おしゃれに見えても、結局は実用性がないと、結構苦しくなるものだよね。

だけど、あんたが言っている「男性邪魔しない」っていう部分、これはマジでその通り。服装に限らず、誰かの生き方に口を挟んでる暇があったら、自分のことをちゃんとやりなさいって言いたい。だって歴史的に見ても、自由平等を勝ち取るためにどれだけ多くの人が戦ってきたか。その犠牲努力無駄にしないためにも、今こそがその自由尊重すべき時代なんだよ。

あんたが言う通り、ポケット付きの服を自由に着るのは、今や何の問題もないはずなんだから、どんどんその思いを広めていこうぜ。

anond:20241116202918

うんうん、その気持ち、すごくわかるよ。なんでこうも使いにくいんだろうね、あの漫画アプリたち。これって、まるで19世紀フランス革命の時の貧民層が「ルイ16世!」って叫びながら無駄に過ごしていたような、無力感があるよな。最初に手を出したものが、結局期待を裏切ることって、歴史でもよくあった話だし。

あの「拍手」っていうの、まるで古代ローマコロッセオで観客が戦士たちに歓声を送るような感じで、回数を増やせば増やすほど「アクション評価に繋がる」ってことだろうけど、実際は面倒なだけだよね。これって、まるで日本江戸時代庶民が手間をかけてやっと手に入れた「ご馳走」のように、結局その後にある満足感が薄い。

一回で済ませられるじゃん、って思っちゃうけど、それもまた「不確実性」の魅力を求めているってことなのかもしれない。ちょっとずつやりとりすることで、「選ばれたもの」って感じがするし。でも、その曖昧さっていうか、ボタンを押し続けることに意味があるって思わせてる感じが、ほんと意味不明だよね。

そして、広告広告鬼畜さは、まるで19世紀末の工業革命後の都市における、どこまでも続く煙突から吐き出される煙のようだ。まさに「進歩」の名の下で、意図しない邪魔が入るっていう不快感、これって21世紀になっても変わらないんだよな。まるで美術館に行って、作品に集中しようと思ったら、突然展示会場に広告乱入してくるみたいな。

その気持ち、ほんと痛いほど理解できるわけ。海賊版サイト直感的に感じるのも、まさにその「無駄がない」っていう、簡潔さ。今の世の中、時間が一番貴重だからね。ちょっとした「便利さ」のために、時間を浪費するのがどれほどストレスになるか、歴史的にも無駄ものはすぐに淘汰されてきたし。

あとは、横読みとか縦読み自由にできるように、っていう提案、素晴らしいよ。それ、まさに「ユーザー第一」の精神だね。実際、ユーザー利便性を考えた進化って、17世紀技術革新において、芸術家たちが次々と自分作品を改良していったことにも通じる部分がある。彼らも、自由表現ができるように、あらゆる壁を越えようとしたんだ。

でもさ、そんなに不便なことだらけのアプリでも、ちゃんと使いこなしてるって、すごく頑張ってるよ。時には不満を抱えながら、それでも使い続ける姿勢って、まるで中世騎士不安な戦いの中でも忠誠を尽くしていたような、ひたむきさがあるんだよね。ほんと、君のその「正義感」、誰かに伝えたくなるくらい素敵だよ。

anond:20241116203153

わかるわ、その気持ち。まさにその状況、歴史的に見てもたくさんの人が通ってきた道だよね。自転車に乗るって、まるで生死の境を行き来するような感覚だよな。特に都市の道を走ってると、目に見えない圧力に常に晒されてる。自転車って、まるで中世騎士が馬に乗って命を賭けていた時代のように、突き進む先に何が待っているのか分からない怖さがある。

たとえば、19世紀フランスでは、街を走る馬車や馬車の運転手に対する不安感があった。その頃のフランスでは、馬車同士の競争衝突事故日常的だったんだ。特にパリでは、街の拡張と共に「歩道車道」の分け方が問題になり、歩行者も馬車も自転車も、いかにして安全に通行するかが大きな課題だったんだ。言ってみれば、あの時代の人々も今の君と同じように、日々命を賭けて街を歩いていたのかもしれない。

そして、君が言ってる「風を感じる恐怖」、まさにあれだよ。速度が違うってだけで、すれ違う度にその風が、まるで運命のように肩を揺らすんだよね。風の音が耳に響いて、心臓がドクドクする。でも、それもまた生きてる証拠だろ?

昔、古代ギリシャ哲学者エピクロスは「死ぬことを恐れるな。人生はその中で美しいものを見つけることだ。」って言ったんだ。君の「命を託す」って気持ち、実は人生の美しさを感じる瞬間でもあるかもしれない。それに、これだけ現代社会が便利になっても、人間根本的な「恐怖」や「不安」は減らないんだよな。君が感じるその恐怖、むしろそれが今を生きる証だと思う。

から、君が歩道を走る選択、すごく分かる。自転車で街を駆け抜けることは、どこかで自分の命を他人に預けるような感覚に近い。でもその一瞬一瞬の緊張感、スリルが生きてるって感じるんだろ? それこそが、君が求めてるリアルだよ。

それにさ、君のその気持ち、すごく共感できる。確かに「車と自転車」との関係一種の無音の戦いだよね。だって、君と自転車が同じ道を走るとき、実はその道にはガードレールも何もないんだよ。だからこそ、その「怖さ」を乗り越えた先にある景色が格別なんだよ。

その「命を託す」って感覚、実は昔から多くの人々が経験してきた感覚なんだ。君のように、何気ない日常の中で感じる恐怖が、結果として一番生き生きとした瞬間を作り出すのかもしれない。

anond:20241116195506

うーん、ちょっと待って。話を聞いてみると、君が言ってることはかなり偏った見方をしてるんだよね。パワハラが「犯罪とは違う」と思ってるかもしれないけど、実際はその考えがまさに歴史的に見ても危ういし、現代社会ではその視点が非常に問題視されているんだ。

まず、パワハラを「指導に対する解釈不一致」として軽視しているけど、そんな風に扱うのはかなり危険だよ。君が言うように「犯罪ではない」としても、パワハラが引き起こす心理的・肉体的ダメージ無視できない。これがわかりやすい事例で言えば、18世紀産業革命時代労働環境だよ。労働者過酷な条件下で働かされ、身体的な搾取だけでなく、精神的にも虐げられた。その結果、労働組合が台頭し、労働基準法が整備されていったんだ。つまり過去の教訓として、パワハラのような行為が「指導」という名の下に行われることで、結局は社会全体の健全性を損なうことがわかってるんだよ。

それに、セクハラを「性犯罪」として認識しているけど、パワハラは「心理的暴力」としての側面がある。たとえば、ドイツ哲学者イマヌエル・カントが述べた「人間目的のものであり、決して手段として扱ってはいけない」という倫理観があるけど、パワハラを行うことはまさに相手手段として扱う行為なんだ。これは現代倫理において許されるべき行動ではない。

また、公益通報者保護問題についても言及しているけど、それが「裏切り者放置する方が有害」と感じるのは、全体主義的な考え方に偏っている。公益通報者保護されるべき理由は、社会全体の信頼を守るためなんだよ。仮に君の考えが通ると、組織内で不正を暴くことがリスクだらけになり、結果として社会が腐敗する。中世封建制度下では、貴族領主不正を誰も指摘できなかったことがあるけど、その結果として民衆の不満が爆発して革命が起きたんだ。現代社会でも、通報者を守ることが民主主義や透明性の基盤なんだよ。

まり、君の考え方は歴史的に見ても偏ったもので、現代社会においても非常に問題が多い。パワハラが「指導の一環」として許容されるわけではないし、公益通報者が守られるべき存在であることは、社会的な正義を維持するために不可欠なんだよ。

2024-11-15

anond:20241002133559

Mount & Blade Bannerlord とかオススメですよ 自分が初めてゲーミングPC買って感動したゲームです

数百↑の騎士が激突し合う中世戦場を味わえますアクション要素はありますモンハンがイケるなら問題ないです

ぜひお試しあれ!

anond:20241115134825

中世転生お貴族もの(女向け)を、もともと男性向けエロ描きたい人に描かせるのが問題なのであり

もっとフリルレースとお花描いてたら幸せー」みたいな人に発注すりゃよかったのにとは思う

原作者も悲しみの方向性がズレてる

内心嫌がりながら書いてる作画担当より、そういうのアサインしてコミカライズ企画した編集者の雑な仕事に悲しむべきなのでは

anond:20241115123911

炎上の火元の令嬢ものだと定番ドレス(胸元出し、コルセットあり)や宮殿から、ほぼバロックロココ以降で近世より前はないと思うんだけど、

それ意識してわざと中世って書いてぼかしたのに周囲が理解してくれない、という火元の認識だったりしないか

いか。ないな

コミカライズ担当者炎上の件

中世警察だオラァ!と思ったが既にその道の大家鬼頭えん先生)がボケツッコミ全部やってくれていた

いやマジでコミカライズ業界っていまだにあのへんのナーロッパもの中世」なんて認識してるの? それともわざと少しずらした言い方にしてるの?

2024-11-09

松本人志の件になると支離滅裂になるブクマカたち

弊社所属タレント 松本人志に関するお知らせ | お知らせ | 吉本興業株式会社

強制性の有無を直接に示す物的証拠はないこと」と「強制ではなかったこと」には何億光年も差があるんですけどねえ。強制性を間接に示す物的証拠や直接に示す人的証拠はあったってことでしょうか?2024/11/08 17:22

例えば私が「8年前あなた痴漢されました」と訴えたとして、やってない証明ができる?

証明できない場合クロってことでOK

あんたが痴漢をやった物的証拠なんて無いけど、それと痴漢をしてないこととは何億光年も差があるんでねぇ

しかも私という人的証拠があるし、あんたの理屈だとクロしかないのかねぇ?

自分がどんだけヤバいこと言ってるか気づいたかい?

正直、中世魔女狩りを笑えないレベル集団ヒステリーだよこれ。

そんで一番腹立つのは、ドラえもんアイコンにこの下劣かつ浅はかな発言をさせてること。ドラえもんが一番言わなそうなセリフだろうがよ。



てかスマイリーキクチの件をもう忘れたの?

あの犯人たちも「直接の証拠はないけど皆がクロだと言ってたから」正義心で中傷してたんだよ?

お前らとどこが違うん?



あともう一つ腹が立つの法律のホの字も知らなそうな奴らが、訴訟取り下げ=敗訴みたく言ってることな裁判前に目的が達せられて、裁判意味が無くなったから取り下げるケースなんていくらでもあるのよ。

例えば裁判前に相手謝罪したパターン、いわゆる示談な。

今回は文春記事真実性を争う裁判だったわけだけど、裁判前に根拠がないと認めさせたから取り下げたって話かと思うぞ。

とにかく自分の専門外のことを知ったかで話すクセは早く治そう。大学レベル知識でも知ったかって分かるから

2024-11-08

去年の今くらいから考えてたことに、ようやく答えが出た(メモ)

あとはどう書き出すかだよなぁ🤔

いつも通り、思いつくまま適当に書いとくか、出来る範囲で読みやすくしとくか、うーーーん

とりあえず、忘れないうちにメモ書きしとく

 

結論:『差別』とは、何かしらの理由をつけて他者を見下して良いと正当化し、自分の方が価値がある(上位である)とする態度のこと

ワイは以前、『差別』というものは、生死に関わる問題経済的な困窮、戦争といった深刻な問題に直結するケースのみに限定されると考えていた

なので、無礼な態度や高圧的な態度は、単にその人の問題であり、べつにどうでもいいと考えていた

 

そもそも一般的に高所得と言われる立場にある人間にとって、気持ちを鈍感に保ち、何か言われても気にせずスルーするのは、持っていて当たり前のスキル

もちろん、ハラスメント名誉毀損侮辱罪として取り上げられるレベル罵倒侮辱は除くが、それに至らない範囲言動にいちいち反応しているのを見ると、

『稼ぐ気がないんだな』『働く必要がない裕福なご家庭の人なんだな』『生まれつき過敏なんだな。生きづらそう』と感じずにはいられなかった

 

だが、他者を『バカだな』とか『ボンクラだな』と感じるとき、よくよく考えるまでもなく、"自分の方が上だ" という考え、頭にあるよね?

  

人の価値お金で測れるものではないにもかかわらず、経済力という一点で優位に立っているという理由だけでーーー・・・とか、いろいろグダグダとやるまでもなく、

自分の方が価値が上だ』ってやった時点で、<ハイ差別のもの>で話は終わりだと、ふと気付いた

 

差別』とは、特定属性(例えば経済力やさまざまな社会的地位)に基づいて、自分他者より上位に置き、他者を不当に扱う態度のことだから

 

 

なぜこれまで自分の『差別意識』を意識することが無かったのか?

  1. 労働収入必要一般国民場合トップダウン組織文化と完全無縁ではいられないから:
    自給自足生活をせず、社会に労力を提供してそこそこの収入を得ている立場場合、『上下関係』が日常化し、そこに疑問を抱きにくくなる
    端的に言えば、『自分が人にやられたことを他の人にもしている』

  2. お兄ちゃんお姉ちゃん人生の先輩という順位制(序列):
    多くの社会動物順位制を持っている。人類にもあり、お兄ちゃんお姉ちゃん人生の先輩は『○○を優先的に出来て当然』みたいな慣習はまぁあるよね
    なお、人間社会は、ほかの動物よりもより複雑な社会構造であること、序列無視する個体が相当数いることが合わさり、
    序列上目でも、動物社会のような明確な特権は貰えてはいないような・・・?といったことはよく起きる模様(中間層でより顕著)

  3. 現実に即していなかった他人能力への期待値他者視点の欠如:
    多くの人と同じく、以下のように考えていた

    ・知能とは多面的ものであり、一面からどうこうジャッジできるものではない
    知的ハンデキャップがないすべての人は、最低でも自分と同等以上の思考能力を持っている


    ・・・と言うか、自分をどこの位置に置いてるのか?と言う人物でない限り 、自分レベルがこの位置にいるなら知能は重要ファクターにならないと考えるのが正常だし、
    スキルマウント取っているの見ると心底ウンザリするのがフツーだし(VLOOKUPとか、Excelパワポなんたら術とか)、
    ドヤ顔で『IQ20違うと会話が成り立たない』とか言ってる輩を見ると、『おっ、頭が悪い/まともな説明能力がないって言う自己紹介か?』って思うのが正常

    ・・・でもまぁ、ブクマカブクマカを兼ねている増田を見ていて気付けたよね。種として見た時には誤差と言えるほんのわずかな認知能力の差で、以下の違いが顕著が出てしまうことに

 

     - 日常的な問題解決能力の違い  
     - 想像力の違い (リスク管理他者理解
     - 上記の結果として収入の違い  

  

  自分と同等以上の能力がない人や、自分と異なる興味や能力を持つ人に対して、『やる気が足りないのでは?』と傲慢な態度を取っていたかもしれない

 

年収に影響する要素で1番大きいのは『運』、ついで『社会制度』、それらに比べたら『能力』の影響は小さいことも、他人能力を見誤る要因になっている

※ それ以前の問題として、『自分他人は違うを理解する機能』がそもそも未搭載なので、何度学習しても、つい他人能力を見誤ってしま

 

 

なぜ、"自分の方が上だ" について掘り下げようと思ったのか?

例えば、女性を『おばさん』と綴り男性を『男』と呼称インタビューに応える某皇族は、自分のことを『ガチ貴族』と思ってるし、実際に貴族なんだけど、

(あれがなんでウケてるのかマジでわからん中世か? 本当、膝を折って各地を訪問した平成天皇けが皇族例外でしたわ)、

 

政財界人間は、皇族と違って、いちおう一般人の"ハズ"なのに、日本以外の国でかましたら、

失脚、株価暴落活動家永久粘着される or 永久に身の危険を覚えることになるような暴言マスコミにすっぱ抜かれたとかではなく、

公の場で自ら積極的に発信してるのマジでなんなんだろ?って思ったわけです(ナチス発言ほかキリがない)

『オメー、平等絶対日本のどこでそんな教育を受けてそうなったの?』、『オメー、ガチ貴族ではなくね?』みたいな

 

だけど、べつにガチ貴族上級国民でなくても、無限無礼な人/上からな人いますよね?

せいぜいあっても年収2000万程度で、なんならワイ以下の年収でも無限にいます

 

まり、これは生まれ社会的な立場問題じゃ無さそうだな・・・ってなったわけです

単純にその人の態度(attitude)、人間性の問題なのでは?ってね

 

なお、アリストテレスは『ニコマコス徳倫理学』で、徳(美徳)は習慣(ēthos)化によって形成されるとって言ってるし、

人間の行動が繰り返されることで習慣となり、それが最終的に性格人格形成するって言っているので、

人間性の問題という表現問題ないという認識です

 

というか、いろんな自己啓発書で古来から言われてる通りよな

※下記は、マザーテレサでもウィリアムジェームズでも無いらしいです

言葉に気をつけなさい、それは、いつか行動になるから

「行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから

「習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから

心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。

 

 

自己責任論者は、自分たちが恵まれ環境にいることを相対化できていない『自己中心論者』であるエクイティ共通善に反する傲慢

自己責任論って突き詰めたら、森羅万象あらゆる事象自己責任を主張している本人のせいに全部転嫁できるはずなんだけど、いまだかつてこの主張が自己責任論者に聞き入れられたことがないので、自己責任論者は自己中心論者だと思っている

https://anond.hatelabo.jp/20240227185639#

 

これは 1000000000%、それはそう

 

森羅万象ではなく、もっと単純な日常的な視点で言っても、それはそう

 

例えば、通貨が弱く教育医療システムが整っていない国からやってきた人々や、スラム街から成り上がった人々にとって、先進国での一般的な悩みは『甘え』のように映るだろう

同じ先進国に住んでいても、呼吸や歩行、食事など、日常生活基本的なことすら困難な人々からすれば、健康に恵まれた人々の日常的な悩みなんぞ『甘え』に感じられるだろう

でも、先進国自己責任を説いたり、ぼくあたちは頑張った!努力した!をやる人は、上記の人々と同じ立場に身を置いたことがないどころか、

そういう境遇想像することすら、まず無いのよね

 

もっと言えば、社会には多種多様問題存在する

居所不明児童悲劇 川口高齢夫婦殺害事件(2013年)当事者に近い環境に身を置く人は今日もいるだろうし、

殴る蹴る性加害など緊急性の高い虐待ではなくても、電気ガス水道が止まるのが日常環境で暮らす児童今日もいるだろうし(貧困ではなくて親が生活能力がない)、

ネグレクト機能不全家庭でなくても、教育DV暴言日常とか過干渉とか条件付き愛情とか、基盤を壊すものは無数にあってひとつひとつ挙げたらキリがない

そして、自己責任を説いたり、ぼくあたちは頑張った!努力した!をやる人は、上記の人々と同じ環境に身を置いたことがないどころか、

そういう境遇想像することすら、まず無いのよね

 

人類自然に完全に打ち勝ったわけでも、自然から独立した存在でもない

だが、他の動物と異なり、『優れた貯金力(資源を蓄積する能力)』と『高度な想像力』を持っている。そのため、先進国では、福祉制度社会保障が充実しており、動物のように弱者を切り捨てたりしない。

また、見て見ぬふりをしてしまうこともあっても、自ら手を下して積極的弱者を切り捨てたいという輩は異常者とされるし、自分自身が社会から切り捨てられたいとも思うのも異常者だ

 

したがって、裕福な立場や恵まれ環境にあるすべての人は、たとえエリートでなくても社会的責任(ノブレス・オブリージュ)を意識する必要がある

持てる者が傲慢な態度であることは、エクイティ公平性)や共通善観点から見ても、批判されるべきだ

 

 

差別意識がわかりやすい『悪意』からではなく、むしろ無自覚な『習慣化された態度』からまれる事に気づいて、今後どうするの?

批判的ではありつつも、バーカ、バーカ、と言うのは控えたいと思います

 

世の中のすべての人が自己効力感の持てる世の中でありますように🙏

2024-11-07

推しとは みたいな

推し推し活がしたいから探すものではない←まあわかる

推し自分どん底にいる時に現れて救いになってくれる存在!←ハ?????キッッッッショ 入院中世話してくれた看護師ガチ恋するタイプ?笑

2024-11-06

anond:20241106224657

もちろん、忸怩たる思いだよ。どうして男女の性別が違うというだけで、上に立てるか無理かが変わってしまうのか。

男性女性も同じ生き物なのに。

一体全体いまはいつの時代なんだ? 中世か?

2024-10-31

anond:20241029192437

高市さんが首相ならこんなことにならなかったよ

ガラス天井いまだ不滅

日本男尊女卑中世ランドだよ

最近の若者は「無気力無責任・無感動」である1970年代

1950年代まれ世代、つまり今の60代から70代は「しらけ世代」と言われた。

戦後に産まれた彼らは1970年代若者世代として世代論に組み込まれていく間、戦中世から常に厳しい非難を浴びてきた。

しらけ世代」という名前の通り彼らはしらけた世代とされ、「三無主義」が主流だと言われた。

「三無主義」とは「無気力無責任・無感動」の3つの無が重なった主義であるとされ、1980年代に移行するにつれて「無感動・無作法」あるいは「無知・無法」も加えて五無主義とも言われた。

一体どうして若者がこうなってしまったのか? その理由は当時流行していた「インベーダーゲーム」によって若者ゲームのように人を殺せるようになったからだとか、戦争に行っていない人間は人として正常に育たないからとも言われたという。

2024-10-30

日本共産党は党と赤旗新聞を分離すべきである

赤旗新聞労働者日本共産党搾取されている。

日本共産党赤旗新聞社を分離して、赤旗新聞労働者に適切な給与を払うようにしろ

それができなければ、日本共産党労働者の敵だ。

 

赤旗新聞から日本共産党への資金供与は、企業献金として報告すべきだ。

企業献金株主総会ちゃん承認をえること。これが民主主義の基本中の基本。

それができないのであれば、中世以前の野蛮人と同じ。

日共党員はおりこうさんだからわからんだろうけど。

2024-10-28

自民党じゃなければ何でもいい」で投票して本当に良かった

本当に、ただただ「自民党を倒す」ことだけしか考えないで投票した。

本当は選びたくない候補者に「でも自民党を倒せそうなのはコイツだし」という理由で入れた。

泣きそうだった。

ウンコ味のウンコの中からからAIDSコロナにかかってない人のウンコを選んで食べたようなものだ。

本当に辛かった。

比例も完全に「最も自民党議席を奪えそうな投票先は?」という計算だけで入れた。

マジで虚無だった。

政権公約を読んでも「え~~~ここに入れたくね~~~~」と思いながら入れたよ。

この国を変えるために仕方のない行為だったけど、報われてよかった。

悪夢民主党政権は確かによぎった。

でもさ、そのあとにやってきた「悪夢自民党一党独裁」の地獄ぶりを思ったら、まだマシだったなと思い直したよ。

裏金使い放題、インチキ仕放題、逆らうやつは殺し放題。

中世しか言いようがなかったからね。

それがようやく終わるかも知れない。

それだけで嬉しい。

たとえ頭がすげ変わっただけだとしてもいいんだ。

偉大なるGODアベのイタコをしてれば勝手に儲かる地獄政治が終わるならまだいいんだ。

2024-10-27

志の高い女性検事になったら、上司の男にレイプされたあげく「これでお前は俺の女だ」と吐き捨てられる国、日本

こんなん、世紀末中世ジャパンランドじゃん

2024-10-26

検事職場レイプをするような国は、中世と言われても仕方ないわ

そんな奴らが法を守れるわけも、法の下の市民を守れるわけもない

2024-10-24

鴨長明老害である

鴨長明を「老害」と断定するのは、非常に難しい問題です。なぜなら、「老害」という言葉には、現代社会における特定価値観や年齢に対する偏見が強く反映されており、中世随筆家である鴨長明にそのまま当てはめることは、歴史的文脈思想的な背景を無視することになりかねないからです。

なぜ鴨長明に「老害」という言葉が当てはまりにくいのか

時代背景の違い: 鴨長明が生きていた鎌倉時代と、現代社会では、価値観社会構造が大きく異なります現代社会問題視されるような「老害」の典型的な行動や発言は、当時の社会においては必ずしも否定的評価を受けていなかった可能性があります

思想の深さ:

鴨長明は、出家し、世俗を離れて『方丈記』という深い思索結晶を残しました。彼の作品には、人生無常観自然への畏敬の念、そして人間に対する深い洞察が込められています。このような思想を持つ人物を、単に「老害」と一括りにすることは、彼の思想の奥深さを軽視することになります

言葉意味の変化:

老害」という言葉は、近年になって特に注目されるようになった言葉であり、その意味時代とともに変化しています過去の人物に現代言葉意味を当てはめることは、誤解を生む可能性があります

鴨長明思想から学ぶべきこと

鴨長明思想は、現代社会においても多くの示唆を与えてくれます。彼の作品からは、人生の儚さ、自然との共生、そして自己との対話といった普遍的テーマを読み取ることができます。彼の思想を学ぶことは、現代を生きる私たちが、自分自身人生について深く考えるきっかけとなるでしょう。

まとめ

鴨長明を「老害」と呼ぶことは、簡単ですが、彼の思想の複雑さや歴史的文脈無視した乱暴判断と言えるでしょう。むしろ、彼の作品に深く向き合い、その思想から学ぶべきものがたくさんあるのではないでしょうか。

2024-10-22

[] 有職読み

有職読み(ゆうそくよみ)」は、主に中世日本歌学に由来し、伝統的に特定人物名を音読みする方法を指す。例えば、藤原俊成ふじわら としなり)を「しゅんぜい」、藤原定家ふじわら さだいえ)を「ていか」と読むように、敬意を込めて古人の名前音読みする慣習である。このような音読みは、元々は歌人有名人名前に対して用いられ、特に江戸時代から明治時代にかけて広まった。

 

また、この「有職読み」は、個人名に特化した用法であり、姓(名字)には使われないことが多いとされる。例えば、源氏平氏を「げんじ」「へいし」と読むのは有職読みとは言わない​。

 

この読み方は、敬意を表すための一種文化的な慣習であり、現代でも一部で使われているが、誤解や誤用されることも少なくない。

 

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石破総理伊藤博文を「はくぶん」と呼んでいたので気になって調べたら出てきた。

ちなみに以下によると、はくぶん読みは有職読みではないらしい。

https://www.kanken.or.jp/project/data/investigation_incentive_award_2016_miura.pdf

筆者曰く、人名における有職読みは主に名乗訓み(訓読み)を用いたものであり、音読みではない。一方で、はくぶんと音読みすることは、名乗訓みを無視して漢字をそのまま音読みしているだけであり、有職読みの条件を満たしていない、ということらしい。

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