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はてなキーワード: 事物とは

2020-09-27

懐かしくもあり、まだ出逢ったこともない事物

求めて彷徨う、それが旅情...

2020-08-15

anond:20190930125547

日本という国がやけに歴史的事物を後世に残そうとするのは、先の大戦で多くのそういう事物を失ったからだと思う。

まり、失われつつあった自分たちアイデンティティを保持するために、コストを掛けてでも歴史的事物を保存する必要がかつての日本人にはあったのだ。

賢者歴史に学ぶ」なんて言うと鼻くそかっこいいわけだが、結局のところ、日本人の場合歴史なんてものアイデンティティ喪失という青少年のような悩みの慰めでしかなかった。

「学ぶ」べき歴史としてでなく、喪失感を緩和するいわば愛玩動物としての歴史があれば、日本人にはそれでよかったのだ。

そういう点でも、日本においては、若い人間にとって、歴史過去を引きずる「呪い」に他ならない。

学ぶところの無い古い愛玩動物など要らないのであって、元増田のように「歴史を学ぶ意味がわからない」という意識が、子供たちから表現されるのも当然だと言える。

いわば歴史は、スレッドに昔から居るコテハンみたいに、学ぶところよりも、知らないルール押し付けるような目障りな存在になっているのだ。

遺跡発掘のせいで都市開発が遅れていくように、歴史的事物はその負担を強いるのを辞め、そろそろ現代人の生活のためにその存在を薄めるべきではないか

私たちは、歴史から積極的に関心を失うべきではないか。けれども、歴史から学ぶ愚者は、他から学ぶことを知らないのだろう。

2020-07-26

anond:20200726032437

行政文書みたいに、文化的事物も保存期限が来ると、原画フイルムに始まり、その販売物や二次創作物に至るまで全てを破棄しなくてはいけない、みたいな世界は設定として面白いかも。

保存期限の延長を目指して権利者側と国が対立するみたいな構造で、「図書館戦争」的な小説が書けそう。

2020-07-22

昭和レトロを感じる事物は、「ホラー」の一種だと思う

例えば、独特なフォントホーロー看板だとか、つまみチャンネルを変えるようなテレビだとか。そういう昭和レトロを感じる事物を見ると、

私はそれを「ホラー」だと認識してしまって、お化け屋敷と同じく、早く逃げ出してそれを視界から消し去りたい気分になる。

なんだか、安全現実を包んでいる柔らかい膜が剥がされて、その現実が隠し持つ惨状をあらわにされたような気分になるのだ。

そういう事物を見てると、なんで洗練されてないの?こんなに使いにくいの?という疑問から現在普通に存在している事物絶対的ではなく、

またそういう訳のわからない形態に逆戻ったりするんじゃないか不安気持ちになるのだ。朝起きたら、ああいう物だらけになってたら困るというか。

ホラー」と書いたが、それはまさに、ゾンビ映画を見て、夜眠れなくなるのと同じ気分なのだ現在昭和ノスタルジー事物に襲撃されるような気分。

私の言ってることがなんとなくピンと来てない人は、昔のCMとか見るとわかってもらえると思うにゅ。

例えば、「十仁病院」や「はぎや整形」のCMとか。もしくは子供の顔が描かれた肝油ドロップの缶とかでもいい。ああい不安を、昭和レトロ事物から感じるのだ。

平子藍染下位互換かも知れないが、逆撫鏡花水月下位互換ではないという話

まず鏡花水月は万能な斬魄刀では無い。藍染の霊圧がチート級だから能力の規模も大きく見えるが、あくまでも補助的な能力である

鏡花水月能力は「術にかかった者をして、対象とする事物認識視覚聴覚触覚嗅覚味覚および霊圧)を誤認させる能力」であって、「相手幻覚自由に操れる能力」では無い。

実際、作中でも鏡花水月用途上記のものに限られている(斬魄刀死体に見せる、藍染位置を誤認させる、雛森藍染に見せる、藍染一護に見せる等)。

また、藍染の力が今ほど強大ではなかったと思われる100年前では、鏡花水月による催眠平子に見破られたりもしている。

平子逆撫能力は、「対象とする相手上下左右前後認識を逆にする能力である。これは鏡花水月能力性質が異なる。つまり逆撫能力戦闘相手対象とするのに対し、鏡花水月能力は誤認させる事物対象とする。

また、鏡花水月の発動条件は術をかける相手解放の瞬間を見せることである。したがって、作中で述べられているように、最初に術をかける段階で目の見えない者には効果がない。一方、逆撫の発動条件は刀から発せられる気体のようなもの匂いを嗅がせることである。この点も異なっている。

作中描写から推測される、逆撫鏡花水月に対する利点は、取り回しがし易いことである

逆撫のように、相手認識できる範囲にあるすべての事物の方向を逆に誤認させることは、鏡花水月にはできない。正確に言えば、原理的にはできるのだろうが、そのためには使用者藍染)が誤認させる対象と誤認のさせ方を逐一指定しなければならないだろう。実戦の中でそれを行うのは現実的ではない。

まり鏡花水月は汎用的である反面、誤認のさせ方は使用者意識的制御しなければならない。それに対し逆撫は、特定の誤認のさせ方に関しては、使用者特別な注意を払わずとも非常に広範囲かつ効率的使用できる。

プログラミングに喩えれば、逆撫フレームワークを用いるようなものであり、鏡花水月C言語フルスクラッチで書くようなものである

また、空座決戦篇で平子逆撫使用した際、藍染が方向を誤認している中でも、京楽日番谷などは正しい方向を攻撃していたこから逆撫は「誰に術をかけるのか」を使用者意思で容易に制御できることが分かる。

一方、千年血戦篇で藍染は「君(一護)に鏡花水月解放を見せなかったことが役立った」と言っている。つまり一護催眠にかかってなかったおかげで、正しくユーハバッハ攻撃できたということである

このセリフから推測するに、鏡花水月は「誰に催眠をかけるのか」という制御ができない、あるいはできることはできるが戦闘中に制御するのは容易ではない可能性がある。

この点でも、逆撫特定用途に限った使いやすさの面で鏡花水月を凌いでいる。

再度まとめると、鏡花水月は誤認のさせ方のレパートリー逆撫より豊富だが、一度に大量の対象を誤認させるなど複雑な制御は難しい。一方、逆撫は方向を誤認させることしかできないが、使用者が詳細な制御をせずとも広範囲に渡って効果を及ぼすことが可能

2020-07-09

50~100年後に、ゲームで登場しそうな現在人物は誰だと思いますか?

ガチャ召喚ゲーがそれまで続いてるのかとか、細かい所の前提は考えず。国内国外わず。ついでに架空事物擬人化想定)もOK

啄木探偵處の登場人物(の元になった実在の人)を調べてたら、1960~70年くらいまで存命してた人が何人も居たのにちょっと驚いた記念。

2020-07-01

彼女自分意見を表明しようとしない

彼女は何かに対して根拠のある価値判断を下せることを知っている(匿名でそうしているのをうっかり見たことがあるからだ)。

一方で、自分意見SNS等の知り合いが見れる場所で表明しているところを見たことがない。それどころか、意見表明ですらない事務的文章でさえみられるのを嫌がる。

文章作成に対してコンプレックスがあるのだろうか?意見を言うことにダサさを感じているのだろうか?

どういう心理でそうしているのか聞いてもなんとなく嫌としか言われない。自分はそういうスタンスをまったく取らないので、正直理解しがたい。

彼女にその態度を改めさせたいわけではないが、いろんな事物に対して何を思っているかは知りたいし、意見を交わしてみたいと思っている。

2020-06-14

anond:20200614105621

愛玩動物に関する原罪への意識、それは知と体験を深めれば深めるほど消えていく類のものだと俺は思ってる。

自然っていうのは、都会の人間が思うほど生易しくはない。殺し合い込みのシビア生存競争だし、それから離脱できるのならするべきだ。

我々は猫に毎日餌をやる。その重さに比べれば、愛玩存在であることなど、いかにも軽い。やつらも別にそんなことは気にしやしない。

名前の件も大体そんな感じ。彼らには人間イメージするような「名前」という概念はないのだから事物一般化が不可能なため)、その可愛い響きの言葉は「その音がしたら近づけばいいらしい」ぐらいの話だ。

猫も我々も、相互に互いを利用し、利用しあえぼよかろう。それで幸福なのだし、我々は自然に対して利己である己を祝福するべきだ。

2020-06-11

死んだ猫の重みを知る人へ

 この世界人間は二つに分けられる。死んだ猫の重みを知っている人とそうでない人である

 数年来の友人に向けてこの文章を書いている。あるいは、見せずにしまっておくかもしれないけれど。


 この話を始める前にまず記憶というものについて書いておきたい。人間にも二種類いるように、記憶もまた二つに分けられる。つまり、忘れても思い出せる記憶と、忘れてしまったきり思い出せなくなる記憶である

 どんな記憶忘却可能性を含んでいて、それがいか尊い記憶であれ、厳然と忘れられうるのである

 とは言え、尊い記憶は大体忘れた後でも思い出せるものだ。例えばそれは親愛なる友人に関する記憶だったり、あるいは情愛を抱いた誰かに対する記憶だったり――そういう類だ。

 これから話す記憶は――意外だと思われる人もいるかも知れないが――恐らく後者に分類されるものである。死んだ猫の重みに関する記憶は(少なくとも僕にとっては)、一度忘れしまえば二度と思い出せない記憶である。つまり、その記憶は僕の人生においてそこまで重要記憶ではないということになる。

 あるいは、死んだ猫の重みを人生最後まで引きずっていく人もいるのかもしれないけれど、僕がこの世界からいなくなる時に、多分、死んだ猫の記憶は僕の傍にはいない。


 人生というのはタフなもので、多くの場合予断を許さない。例えば、猫は前触れなく死んでしまう。そこに救済は存在しない。

 猫は突然死ぬ

 重要命題である

 だからこそ、我々はタフにならなければならない。タフな(きつい)人生に耐える為には、我々自身精神的にタフにならなければならないのである

 して、タフな人生を生き延びるために重要資質とは何だろうか?

 僕が思うに、恐らくそれは一種判断能力である。つまり重要もの重要でないもの区別する為の判断能力である

 この世界において、重要もの重要でないもの比較すれば、前者は圧倒的に少なく、後者は圧倒的に多い。これは考えるまでもなく当然のことである重要ものが我々の前に際限なく溢れ返っているのであれば、我々の人生もっと救済に満ちたものになる筈だからだ。でも、現にそうなってはいない。人生における重要事物は泥の中の砂金と同じである。それは、恐らくは多くの人が感じていることだろうと思う。

 そう、我々が人生を全うする為にもっと重要能力は、数少ない重要物事出会った際に、その重要出来事を迷わず掴み取る能力なのである

 タフな人生を本当に生き切る人間に備わっている素質は、恐らくはそれだ。彼らは汚泥の中の砂金を迷わず掴み取り、幸運の女神の前髪を毟り取らんばかりに握る。僕も、そういう人間になろうと日々心掛けてきた。この世界に溢れ返る物事の中に、ほんの僅かに存在している、かけがえのない事柄。あるいは、溢れ返る人々の中に存在している、かけがえのない人々。そういう人(もの)に出逢えば、できるだけそれを失わまいとしてきた。

 人物だけではない。記憶に関しても同様の態度を取ってきた。

 我々の心の中には無数の記憶存在している。その多くは、断言するに無意味記憶に過ぎない。病院記憶体育館記憶商店街記憶――はっきり言って、その殆ど無駄記憶だ。重要記憶というものは一握りしか存在していない。

 我々の人生には限りがある、その限られた人生の中で、無意味記憶無意味な情愛を注ぐことだけは避けなければならない。情愛を注ぐべき人を選び、情愛を注ぐべき記憶を選別すること――自分にとって重要ものを、重要でないものの中から選び抜くこと――それが本当に大切なことなのだ。だから、我々は、警戒しなければならない。一見重要であるように装っておきながら、実際には全く我々の人生無意味事物……そういうものへの執着を捨てなければならないのである

 書いていて思うが、幾分このような視点には屈折の気配がある。勿論、それは自分でも分かっている。でも、やはり我々の人生は貴重なものであり、貴重でないものと触れ合うことで、その輝きを鈍らせる必要はない――そういう視点が一抹の正しさを備えていることも、また事実なのだ

 はっきり言おう。

 これから語る記憶は、決して僕の人生重要ものではない。むしろ、どうでもいいものなのだと。

 

 大した記憶ではない。

 道の真ん中で白い猫が轢かれていた。静かな初夏の日和だった。

 その肉体の損傷は一見して分からなかったが、恐らく内臓が酷く傷ついたのであろう、鮮血が周囲には広がり、血溜まりを作っていた。既に絶命していた。絶命してからどれくらい時間が経ったのだろう? 正確なところは分からないのだけれど、多分一時間と経ってはいるまい。白い猫はまだ綺麗だった。制限速度の高くない、幹線道路から外れた細い道路だったことが幸いしたと見え、多くの運転手ゆっくりと車を走らせていた。つまり道路の真ん中で横たわる猫を、更に醜く変形させる前に、彼らはハンドルを切ることができたのだ。

 猫は口と目を半開きにしていた。その筋肉運動はとっくに停止している。

 僕は当時学生で、自宅への帰路にあった。青々と晴れた日だった。白い猫の横を自転車に乗って通り過ぎる時、僕は猫のことを横目で見ていた。

 通り過ぎる。

 川沿いの道を走り、こじんまりとしたアパートに辿り着く。駐輪場自転車を停め、アパートの裏手へと回り込むと、階段を上った。

 階段を上る度に、カンカンと乾いた金属音がこだまし、やがて僕は二階の自室の前へと辿り着いていた。

 鍵を開け、扉を開け、自室へと体を滑り込ませる。

 薄暗いアパートの自室はひんやりとしている。

 猫のことしか頭になかった。アパートからその猫のいる場所までは数百メートル距離があって、僕はあらゆる意味当事者ではなかったにも関わらず保健所に連絡をした。住所をある程度正確に伝えて、電話を切った後にキッチン棚を漁り、そこから掃除用のポリエチレン手袋を取り出した。

 再び自転車に乗って猫のところに向かった。数百メートル距離時間はそれほど掛からず、辿り着いた時にも猫は最初のままの姿勢を保っていた。相変わらず見える範囲には傷一つなかった。

 僕は歩道自転車を停めて、車列(鮮血を目の当たりにし、おっかなびっくりハンドルを切って迂回する車列)が十分に途切れたタイミングを見計らって、猫のところに駆け寄った。それで、僕は猫の脚を掴んで、車に轢かれる心配のない路端へと引きずった。

 そう、引きずったのである

 抱きかかえた訳ではない。単に引きずったのだ。鮮血が道路に擦れて跡を作った。猫の頭部がごろりと動いた。

 猫は筋肉が弛緩した所為か失禁――脱糞していて、その茶色の飛沫がポリエチレン手袋に付着した。

 そこには愛情は無い。僕の人生残留するべき温かい思念というもの存在していない。

 だから、この記憶は決して僕の中に残留し続けることはないだろう。人生のいずれかのタイミング忘却され、その後決して思い出されることはないだろう。

 僕は猫にそれ以上傷ついてほしくなかっただけである

 猫が道路の上でぐしゃぐしゃになっている姿を見たくなかっただけである

 ある種の同情みたいなものはあった。でも、それは決して愛情ではない。僕は見ず知らずの猫に、しかも既に生命の無い猫に、愛情を抱ける類の人間ではない。

 僕は猫を引きずって、車に傷つけられる心配の無いように、路側帯の辺りまで移動させると、手を離した。そして、そのまま保健所の車がやって来るのを待ち続けた。

 初夏の晴れた静かな日和である。時折、眼前を通り過ぎる車の運転手がギョッとした顔で、猫と道路中間辺りから続く夥しい血痕を見遣るだけである。僕は猫から少しだけ距離を空けて、たまに、盗み見るように視線を向けた。本来当事者である近所の主婦達が歩道で、遠巻きに何かを話している。さっきの僕の行動を彼女らは全て見ていた。

 やがて、彼女らの内の一人の若い主婦が僕のところにやって来て、保健所には一応連絡したんです、と言った。僕は短く返事をした。

 彼女は元の場所に戻っていって、相変わらず主婦達と何かを喋っていた。僕は、その場で保健所の到着を待ち続けた。


 やがてやって来たのは、ゴミ処理車であった。内部に回転する鉄塊こそなかったものの、それは紛れもなくゴミ収集車だった。

 この後の描写についてはあっさりしたもので、その車中からスタッフ二名降りてきて、主婦らに挨拶をした後に黒いビニール袋を広げ、手早く猫をその中に入れた。そして、車両収集スペースにその袋を入れると、瞬く間にその場から去っていった。

 僕はそれを見届けた時にやけに安心したのを覚えている。これで、道路の上にもんじゃ焼きのような物体が出現する可能性はなくなったのだと、そう考えていた。僕はそのまま自宅に戻り、猫の糞の付着したポリエチレン手袋を処理した後で、日常ルーチンへと戻っていった。


 多分、この記憶は僕の人生残留することはないと思う。単純に、この話の主旨は、僕が死んだ猫の重みを知っているという、そのことを主張する他にない。教訓と呼ぶべきものはそこにはない。

 しかし、それはあくま一般的な教訓に限っての話だ。僕個人の、個人的な教訓に関しては、少しばかりはあるかもしれない。


 多くの場合、我々の性向とか心の働きのバイタルな――欠くことのできないほど重要な――部分に作用するのは、僕がここまで延々と語った記憶の類ではなく、誰かへの愛情記憶であり、誰かから愛情記憶である

 そういうものを欠くと、我々のバイタルな部分は鈍化する。必要以上に鈍化し、何らかの問題を引き起こさずにはいられなくなる。記憶というものを二種類に大別した時に、我々の性向に最も強く、最も好影響を与えるのは、明らかに「思い出しうる」方の記憶だ。そのことに疑いはない。

 とは言え、最近の僕は少しだけその考え方を改めることになった。

 これまで僕が延々と語ったこ記憶は、凡そ間違いなく僕によって忘れ去られるだろう。そして、二度と思い出されることはないだろう。このテの予想が外れることは僕に限ってまずあり得ない。この記憶は僕のバイタルとは無関係なのだ。この記憶によって僕が行動を規定されたり、何らかの関連行動に走るということは――この文章を書いていることを除けば――まずあり得ない。僕にはそのことが手に取るように分かる。

 でも、と思うのだ。

 この記憶は、翻って言えば、忘れられるまでは僕の記憶に残り続ける(トートロジー的な文章だ)。僕は、そのことに少しだけ意義を感じてしまいそうになるのだ。

 記憶には二種類ある。忘れられた後に思い出しうる記憶と、そうでない記憶である。前者に比べれば、この世の中においては後者記憶の方が圧倒的に多い。この世界殆ど記憶後者、つまり他愛のない記憶によって構成されていると言っていい。それらは例外なく忘れ去られる運命の途上にある。

 それでも、と僕は思う

 その記憶は、忘れ去られるそのタイミングまで、じっと待っている。

 僕の記憶の中で息をしている。

 猫の視線の色を、僕は今のところ忘れていない。奇妙に硬直した、黄色い瞳。

 多分、僕の記憶の中に、未だ留まっているところの猫は、待っているのだろうと思う。

 僕が猫のことを忘れ去るその時を。

 じっと、誠実に、待っているのではないかとそう思うのだ。

2020-06-10

anond:20200610160157

結論が出ない事物にさっさと判断を下せる態度のほうが怖い。

個人人生ならそうしなければ解決しないことも多いだろうけど。

2020-05-29

朝比奈みくるキョンの妹同一人物説についてSF読者が思う。

増田は何者?

大学生時代に「涼宮ハルヒの憂鬱ブーム経験した三十代。当時はひねくれた人間だったので、ハルヒ流行っている真っただ中に、原作ではなくそ元ネタとなった「ハイペリオン」に手を伸ばした。当時の自分きらきらとした学生生活にあこがれていたくせに、そういう青春テーマにしたラノベを避けていた。みんなと同じものを読むのが嫌だったのと、そういうきらきらしたものを読むと、自分灰色生活と引き比べてしまうからだ。そういうわけで、「涼宮ハルヒの憂鬱」の知識は、書店で一気読みした第一巻と、ウィキペディア情報、断片的に見たアニメの数エピソードに頼っている。おそらく粗があるので、話半分に聞いてもらいたい。

増田目的は何?

そもそもハイペリオン」って何?

ハイペリオン」とはダン・シモンズ1989年に発表したSF小説である邦訳1994年出版された。ヒューゴー賞ローカス賞星雲賞を受賞している超大作で、登場人物である長門有希が読んでいる。

ジャンルは一応スペースオペラなのだが、あえて言うならばSFジャンル英米文学ごった煮である。というのも、七人の登場人物がそれぞれの身の上を語るのだが、それぞれがホラーだったりサイバーパンクだったり時間SFだったりで、しかもそれぞれの出来がいい。

続編として「ハイペリオンの没落」「エンディミオン」「エンディミオン覚醒」がある。作者の思想がややうるさいところもあるが、絵になる場面が多くて楽しい。また、人類の各文化多様性を高らかに褒めたたたえているのが、やや西洋アメリカ中心主義ではあるが、気持ちがいい。

長門と「ハイペリオン」の共通する設定

長門は「情報統合思念体によって造られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース」であり、言い換えるならば「宇宙人が作った人間の形をした存在」ということになる。「情報統合思念体」には「主流派」「急進派」「穏健派」「革新派」「折衷派」といった派閥存在し、それぞれの思惑ごとに動いている。

一方、「ハイペリオン」には、英国詩人ジョン・キーツ人格再現したサイブリッド(人造人間みたいなもの)が登場する。これは、人類に様々な助言をするAI群「テクノコア」によって、ある目的のために作られたものである。彼は長門ほど万能ではないが、この背後にいるテクノコアには「穏健派」「急進派」「究極派」が存在していることが共通している。ちなみに、それぞれの立場としては、当面は人類とは共存する、さっさと人類を滅ぼして自分たちが覇権を握る、人類自分たちも滅んでもかまわないので究極の知性を創造する、である。このAIたちはとっくの昔に人類を超えており、人類を裏切ろうとしている。というか、作中ではすでにある方法人類をひどく搾取しているのだが、これは読んでみてのお楽しみだ。

設定の上ではよく似ているけれども決定的に異なるところがたくさんあり、よくできたオマージュだと思う。

ハイペリオン」にみくるのような未来人は登場するのか

結論から述べると登場する。そもそも舞台となるハイペリオンという惑星には「時間の墓標」なるものがあり、そこの封印が開くと未来から様々な事物情報が送られてくる。同時に「シュライク」という殺戮マシーンが封じられているが、シュライクは時折人間の願いを叶える、とされているのだ。七人の登場人物ハイペリオンまで巡礼に向かうのもそれが理由だ。

ここで未来と述べたのだが、実は未来は確定していない。「テクノコア」が作り出す究極知性が宇宙支配するか、人類の集合意識が生んだ究極知性が覇権を握るか、この二つの間で揺れ動いている。ここでいう究極知性とは神と言い換えてもいい。つまり、遠い未来で行われる人類テクノコアの戦いが、現代にも影響を及ぼしているのだ。なんといったって彼らは神なのだから、なんでもありなのである

この状態は、まさに朝比奈みくる(大)の周囲の事情とよく似ている。現代干渉し、自分たちの望む形の未来を確定させようと活動している点が近い。

みくるキョンの妹は同一人物か?

涼宮ハルヒの憂鬱」の全てを読破したわけではない自分が、本文から有効証拠をあげることはできない。というか、いくつかのブログでそれを示唆する記述が十分に述べられており自分が付け加えることは何もない。

よって本記事では、「ハイペリオン」で行われたテクニックを間接的な証拠として用いたい。以下、「ハイペリオン」のネタバレに触れる。読みたくない方は引用部分を読み飛ばしてください。

ハイペリオン」の七人の登場人物は、旅の無聊を慰めるため、それぞれの出自を語る。一人はフィドマーン・カッサードという兵士である仮想訓練の度に謎の美女モニータと遭遇し、そこでむさぼるように体を重ねるが、彼女とは仮想空間とでしか会うことができなかった。やがてアウスター(人類連邦所属しない宇宙の蛮族)の襲撃を受けるが、そこで彼女と再会し、殺されかける。カッサード彼女との再会を目指している。

もう一人の人物はソル・ワイントラウブという学者である。彼は娘である赤ん坊を抱えて巡礼に来た。彼の願いは、娘であるレイチェルの病を治すことであるレイチェルはかつて学者としてハイペリオンを訪れた際、シュライクによって年齢を逆行する呪いをかけられてしまった。父と同じ聡明学者であったレイチェルは日に日に幼くなり、とうとう赤ん坊にまで戻ってしまった。レイチェルが「誕生」の日付を迎えるまで、あと数日しかない。

さて、結論を簡潔に述べよう。レイチェルの病は癒される。そして彼女未来世界へと連れていかれ、そこで再び大人へと成長する。やがてレイチェルはモニータと名乗り、カッサード出会うのである

まり、「涼宮ハルヒの憂鬱」のオマージュであるハイペリオン」では、意外な二人の人物が同一人物であった、そしてその片方は未来人であった、というギミック存在するのである

もちろん、年齢遡行までオマージュしているのかどうかはわからない。記憶に蓋をしているだけかもしれない。ただ、妖艶な美女と無邪気な赤ん坊が同一人物であった、という驚きを、朝比奈みくる(大)とキョンの妹が同一人物であった、というかたちで本歌取りしている可能性は、検討される余地はある。

どうなのだろう。キョンの妹は小五だが低学年にしか見えないという記述もあるので、実は成長がストップし、年齢が逆転し始めているのかもしれない……。

長門みくるは決別するか

鶴屋さんは「宇宙人未来人だったら、どっちがいい? そろそろ決めといたほうがいいかもにょろよっ!」と発言したそうだが、これは今後の展開を予測する大きな鍵となる可能性がある。というのも、「涼宮ハルヒの憂鬱」が「ハイペリオン」をどこまでなぞるかははっきりしないが、もしも設定を強く意識しているのなら、「ハイペリオン」で「テクノコア」が人類を裏切ったように、「情報統合思念体」が最後には人類敵対する可能性があるからだ。そして、みくる人類と「情報統合思念体」との争いの中で、少しでも人類に有利な未来へと導こうとしているのではないか。となると、長門みくるの決別は避けらないことになる。みくる長門を幾分苦手としている描写を考えると、興味深い。

ついでに古泉超能力について

少しだけ触れておく。「ハイペリオン」「ハイペリオンの没落」のなかには、超能力は出てこない。出てくるのは「エディミオンの覚醒」以降であり、主人公たちがある能力に目覚めることで、クライマックス人類の命運を大きく変えるのだが、これも読んでみてのお楽しみだ。

それからハルヒ能力について

ハイペリオン」であらゆる願いを叶えるとされるのは殺戮者シュライクである。実に気まぐれな神なのだ。そういうと、ハルヒが悪役シュライクだということになってしまうのだが、自分は違うと思う。明るい青春ラノベにこの設定は似合わない。願いが叶う、ということだけを拝借したのだろう。とはいえ物語全体を通しての謎の一つ、ということは決定している。

それと、実はシュライクの正体は作中でも若干ぼやかされている。テクノコアが作った殺戮マシーン人類側がのっとったことが示唆されているが、時間を行き来できるのだから時系列がはっきりせず、筆者の記憶も確かではない。

キョンにまつわるいくつかのこと。

エンディミオン」「エンディミオン覚醒」の語り手はいたって普通青年ロールであり、彼は破天荒少女アイネイアー守護者に任命される。とはいえ物語の大半は奔放な彼女の振り回されながら進む。それこそ「涼宮ハルヒの憂鬱」の本編のように。

しかし、ロールとアイネイアー最後にはひどくつらく悲しい別れ方をしなければならない。この設定が本編のキョンハルヒ関係に輸入されていないことを願う。

それと、ジョン・キーツジョン・スミスではないが)のサイブリッドは二つ存在し、片方が殺される運命にある、とだけ述べておこう。

おまけに、ダン・シモンズ最近作品について

彼は「ハイペリオン四部作ののちに「イリアム」「オリュンポス」を発表している。トロイア戦争世界、遠未来の没落した人類機械知性たちの話が入り組んでいて、文学SFマッシュアップ具合が楽しいのだが、残念ながら「ハイペリオン四部作で述べた人類多様性を寿ぐ姿勢から後退し、明確なイスラム嫌悪が出ているのはいただけない。さらに、邦訳されていない最近シリーズは、ヒラリー・クリントン大統領になったパラレルワールドで、国民皆保険で怠け者になったアメリカ人が薬物におぼれているというすごく政治的偏向した作品なので、翻訳されないんじゃないかな……。

追記】最新作ではないのだが、2011年の「Flashback」という作品シリーズではなかった。失礼。

【もう一つ追記】その薬物は、いつでも自分人生の最高の瞬間を追体験できるというしろものだ。そして、世界ほとんどがイスラム過激派支配されている。経済日本に牛耳られ、南西部の州はメキシコギャング支配され、作中では地球温暖化否定されている。アメリカ保守的世界観を煮詰めたような感がある。

ヒラリー・クリントンについての記述記憶いかもしれない。ただ、イスラム嫌悪が強いのは間違いない。

と、こここまで書いてネットを探していたら

みくるとモニータの類似性について述べた記事があった。

https://sosbrigade.miraheze.org/wiki/ハイペリオン

最後

おそらく、ハルヒ全盛期の頃に、こうした議論は出尽くしていると思う。だが、検索をしても類似した意見が見つからなかったため、ここに記録した。

それから、ろくに原作を読んでいないのに、そして記憶もいい加減なのに、好き勝手言ってどうもすみませんでした。

追記

多数のコメント感謝しております。また、「全部読んでいないのに書くなんてずうずうしい」との指摘、まったくもってその通りです。ファン気持ちを逆なでするような行い、お詫び申し上げます。また、立ち読み迷惑でしたね。未成年の頃とはいえ、今にして思えば赤面ものです。

自分としては、「ハイペリオン」を読んだ人間からは、「涼宮ハルヒの憂鬱」の設定はこう見える、と伝えたかったのです。笑ってやってください。また、類似した意見ネットになかったので、記録しておこうという思いもありました。

ただ、ブクマカにもあるように、ジオシティーズインフォシークヤフーブログなどの一斉削除が原因の可能性のほうが強いですね。はからずもアーカイブ問題にも思いをはせることになりました。

それでは、失礼します。

2020-05-27

anond:20200527154926

それを言うなら、他者の命を奪わなければ生き永らえない、生物という存在は全てevil

人間特殊なのは自身evilさを認識できる知性を身に着けてしまったゆえに、

反出生主義の類を信奉して、自己の行動を否定的に捉えながら生きるという倒錯か、

肯定感を高く保つために、自身不都合事物無視否定をする欺瞞を強いられる点

2020-05-15

ポストコロナにおける恋愛小説はどう描かれるのか

例えば、ろくに外出できない中で、男女はどうやって出会い得るのか。また、その愛をどうやって育むのか。特に性愛リスク視されるのか。

今まで通りの描き方では、いくら現実事物を扱ったところで、期せずしてファンタジーになってしまうので、「なろう」小説以外でも異世界恋愛モノが流行りそう。

2020-04-05

「3密」か「三密」か

もちろん、密教用語の方ではなく、感染回避の方である

手元の『記者ハンドブック』第13版(共同通信社)には「数字の書き方」という項目があり、洋数字漢数字の使い分け方が細かく記されている。あくまで、これは共同通信社の指針なので、他の企業や、省庁や、個人がどう書こうが自由なのだが、とりあえず見てみる。

まり書きすぎると引用の域を超えそうなので、全部は書かないが「他の数字に置き換えても同等の言葉がある場合」は洋数字を用いるとあり、例として「1級建築士」「2次試験」「3等分」「単3形乾電池」「バルト3国」「羽生4冠」「東京23区」「47都道府県」が挙げられている。

一方で「熟語故事成句慣用句」(例.「一丁上がり」「一日駅長」「一人二役」「第二の人生」「三角形」「第三者」「三権分立」「五月雨」)や「順序や数量を示していても、語全体で特定事物概念を表す場合」(例.「自動二輪一輪車三輪車なども)」「二院制」「二次災害」「三審制(一審、二審も)」「第三セクター」「日本三景」「非核三原則」「防衛装備移転三原則」「北方四島」「伊豆七島」)や「一つ、二つ、…九つ」は漢数字を使うとある。つまり「三つの密」は漢数字で書かれる。また、密教の「三密」は「仏事日本の伝統文化に関わる語など」に該当するので、漢数字が用いられるはずだ。

では、コロナの「さん密」はどちらだろうか。実際の記事を見て確かめてみよう。ただし、前述の通り、新聞社の指針と共同通信社の指針は、必ずしも一致しない。

「3密」避ける行動「十分と言えない」…厚労省調査 : 国内 : ニュース : 読売新聞オンライン

自民、各部会や派閥会合の開催取りやめ 「国会自体が“3密”」と批判も - 毎日新聞

新型コロナ「3密」防げ 与野党で相次ぐウェブ会合  :日本経済新聞

東京新聞:<新型コロナ>三密対策 やっと首相もマスク 閣僚分散、座席に距離:政治(TOKYO Web)

他にも、中日新聞では「三密」表記のようだ。

これらへ行く場合は、密閉、密集、密接の「三密」が重なる環境回避するよう求めた。

若者に「慎重行動を」 9都道府県訪問自粛で知事:滋賀:中日新聞(CHUNICHI Web)

古田知事は「感染の広がりを食い止めるため、不要不急の外出を控えることと、感染危険高まる密閉空間と密集場所、密接場面の『三密』の場所回避することを徹底してほしい」と改めて呼び掛けた。

県が「ストップ新型コロナ2週間作戦」 4日から:岐阜:中日新聞(CHUNICHI Web)

繰り返しになるが、これはあくまで、共同通信社新聞社がこうしているというだけであって、どちらが正しくどちらが誤りというものではない。ただ、ざっと見たところ「3密」の方が多く使われているようだ。

2019-12-26

anond:20191225123330

欧米だとウィキペディアン(笑)が知らなかった事物価値がないとか文句つけられて消されるって問題になってたな

2019-12-22

他の事物名前を奪われてそれ自体は元の名前では認識されなくなっているやつ

タマジャクシの他にある?

今みんなが「おたま」と呼んでいるもの正式名称は「お玉杓子」だが、「オタマジャクシ」と言われてみんなが頭に浮かべるのは蛙の幼生であって「おたま」ではあり得なくなってしまっている。

こういうものって他にある?

2019-12-20

anond:20191220152143

last連続したものいちばん最後のものを表わすが,その一連の事物完了終結を必ずしも示さない; final は一連の事物がそれで終結することを示す


らしいからお前のファイナルクリスマスにしてやろうか?ならよかったんちゃうか、知らんけど

2019-10-19

anond:20191019100702

「消費」というのは現代の大量消費社会イメージからくる概念で、〈一方向的な都合によって使い尽くすようなモノとの向き合い方〉を意味する語なのね。継続的協働使用関係みたいなのとは反対の概念

それが、〈自然事物対話しつつ向き合ってきた〉という、仮想の「前近代」へのノスタルジーって言えばそらそうなんだけど、たとえば現代でも、職人さんが自分の道具や加工する素材と丁寧に「向き合い」ながら物作りをしているとき、その職人さんが道具や素材を「使用している」とは言っても「消費している」という言い方はしないんだよ。同じく、たとえばその製品を「購入して使用して」も、職人さんのスタンスを知りその製品大事に使う人の行動は「使用」であって「消費」ではない。しかし、たとえば同じ製品を「購入し使用した」人が、単に自分の好みでデコったりインスタにアップして、飽きたらポイと捨てるような使い方をしたら、それは「消費」だと言えるだろう。その場合、消費しているのが商品なのか、職人ブランドによる商品というイメージ記号)なのかは、また微妙議論必要になると思うけど。これはあくまで余談ね。

から、子作りをしたフェミニスト(ちなみに、フェミニストには男性女性もいる、というのはいいよね?)が相手を「性的に消費」したかどうかは、一般的には、人によるとしか言えないんだよ。相手セクシャリティ相手自身と向き合いつつ継続的協働的に関わり続けているなら、それは「消費」ではないと判断していいだろうからね。もちろん、ただ「子供を作る」ためだけに相手と関わったりしたのなら、あるいは、短い一定期間の性的な関わりだけが目的子供はその生物的な帰結に過ぎないのなら、「性的消費」と呼ぶに値することがあったかもしれない。それなら確かに批判はされるべきだろう。だが、それを判定するのはなかなか難しいよ。たとえば、結果的離婚していたとしても「当時は真剣に向き合っていた」と言われたらそれを否定するのは難しいのだからね。

もし、以上のことを理解した上で「性的消費」と言っているのなら、それはあなたの性の価値観に「消費」以外の性的な関わり方がない、つまり他者継続的に向き合う性的関係想像できてないということを意味してしまうだろうね。それはなんというか、なかなか不幸なことだとは思うけど。

2019-10-13

私は自分存在すら知らない事物に興味があります

しか存在すら知らないので、いったい自分が何に興味を持っているか知らないのです。

はいったい何に興味を持っているのでしょうか、どうしたらそれを知ることができるのでしょうか?

2019-08-20

anond:20190820095103

恋愛工学の何が工学なんだよ

エネルギー自然の利用を通じて便宜を得る技術一般[1]。

数学自然科学を基礎とし、ときには人文科学社会科学の知見を用いて、公共安全健康福祉のために有用事物や快適な環境を構築することを目的とする学問[2]。ブリコラージュを含む、現実問題解決する方法の体系

誇り高きエンジニアはてなーが、恋愛工学()を許容していいんですかね?

学とつける価値がない

2019-08-05

初めて風俗に行った話、あるいは自分の気付かざる性癖について

これから述べるのは表題のとおり性風俗の話です。


さて、ここで言う性癖とは性嗜好とかフェティシズムとか属性とか、とどのつまりそういう話である

自分にとって性癖というのはAVを見る際にどういった服装、どういったシチュエーションのものを選ぶか、その判断基準程度でしかなかった。

それさえもツタヤ暖簾の向こう側に足を踏み入れてから築いていったものしかなかったので、特定事物に対する強い性的こだわりは持っていない。

当然体の部位に対する嗜好もほとんどないため、お尻だとか脚だとかくびれだとかに凄いこだわりを持つ人の熱の籠もった話などを聞いても理解こそすれど共感は出来ないといった具合であった。

から素人童貞へのクラスチェンジを果たす記念すべき機会に際しても、ある程度胸があればいいや程度にしか考えていなかった。


仕事関係で遠から東京を離れることが分かっていたので、せっかく行くなら地方ではなく東京の店で済ませておけという友人の助言(および北方謙三箴言)に素直に従い吉原御幸を決意する。

事前に予約をしておいた方が良いという情報を少なからず見たため、ネットで軽く調べて店と嬢に当たりを付ける。

ネカフェ調査を行ったので街中で予約の電話を掛ける羽目になったわけだが、往来で嬢の名前を出す瞬間は流石に恥ずかしく、非常にどもった声で喋っていたであろうこと請け合いである

というか実際に嬢の名前を聞き返されて曰く、「~カップの方のXXちゃんですか?」

(嬢の名前確認カップサイズを併用するという事実には思わず膝を打つ。あの空間ではカップサイズ重要IDの1つなのだ名前や顔と同じくらいに。あるいは、もしかしたら、それら以上に。)

はい、foxtrotのFのXXさんです!」とは流石に返せず、恐ろしく不明瞭な返答をした、のだろう、多分。

ともあれ無事に目当ての嬢の予約は完了し、料金の確認も済ませ、店の最寄り駅で送迎車に拾って貰うこととなった。


初めての風俗に赴く前に童貞がすることは何か?

歯磨きか?

瞑想か?

斎戒沐浴か?

否。

財布からIDカード必要以上の金を全て抜き、駅のコインロッカーに預けることである

恥を承知で言おう、怖いのだ。

およそ得体の知れない空間に赴くに際し、余計な憂いを排しておきたかった。

これほどまでに恐怖を抱いているのに、それなのに、提供されるサービスはしっかりと享受しようとしている、この臆病と尊大とをどうしても殺せなかった。

小心者と嗤ってくれて構わない、それでも300円で安心を買いたかったのだ…。


さて、童貞初体験(重言)は緊張で勃たないか、よしんば勃っても射精まで至らないというのは良く聞く話だ。

自分もご多分に漏れなかろうと思い、試しに送迎車内でスマホからAVエロ漫画を見てみたところ見事に反応が乏しい。

こいつぁとんだシャイボーイだなどと自嘲しながら、とりあえずはどんな形であれ最低1回は射精するという目標を立てつつ、車は馳せ、景は移り、境は転じ、やがて足立ナンバーカボチャの馬車は夢の国への扉を開く。


初めて踏み入れた性風俗店の空間は、ただひたすらに緊張を強いてきた。

待合室に案内された直後からお手洗いが近かったので、喉が渇いていたにもかかわらずウーロン茶にはほとんど手を付けなかった記憶がある。

先に会計を済ませておくタイプ店舗だったため、8人の先生が早々にいなくなり、手元に残るは(無駄指紋認証無効にした上で無駄パスワード堅牢にした)スマホだけとなった。

(名刺に「主任」と記された男性従業員が待合室に来て会計手続きを行うわけだが、その間ずっと膝立ちで対応していたのだから驚く。なるほど、確かにこの空間は異質としか表現しようがない。)

その後も結局2度ほど手洗いに行き(どんだけ緊張してんだ)、流石にウーロン茶に手を付けるべきか逡巡し、やや焦燥が鎌首をもたげ始めて来た頃合に、


しか時は来た


迎えに来た嬢の、ウェブサイト掲載されていた画像からそう離れてはいない相貌に安堵を覚えつつ、しかし肉体という圧倒的な現実感に迎えるは緊張のピーク。

めちゃくちゃ高いヒール履いてんな、などと、どこかズレた感想も上の空。

暗めの照明に包まれた閨に、高揚感もいや増すばかり。

相手は端から下着を穿いておらず、

(今更だけどなんで??脱ぐところを見たい/脱がせたいという客よりもストレートに「それ」を見たい/見ることが出来るという状態に満足を覚える客の方が多い結果なのだろうか?)

(ああ、女性下着姿。人間社会性の端的な表現形たる衣服の、最小限の実装。たった1枚もしくは2枚の薄皮に宿る芳醇な文脈よ。)

それ故唐突に訪れた、初めて相対する実物の女性陰毛、そして陰部。

自分童貞なので何卒と伝えて以降はただ流れに身を任せる他になく。

立ち合いは強くあたってあとは流れでお願いします。


ベッドに腰を掛けた自分の足を、床に正座した嬢の膝に乗っけて靴下を脱がせてくれるわけだが、これまた抵抗感が強い。

(風俗以外でこんな経験することなんてあるのか??いや、風俗しか経験できない出来事なんぞそりゃいくらでもあるとは思うが)

前述の男性従業員もそうだが、高級風俗店は何もかもが「こう」なのか。

悪意も害意もないとはいえ、人を足蹴にするというのはここまで嫌悪感があるものなのか、と。

貫一の怒りはいかばかりか。


プレイ内容は端的に。

手、オーラル、正常位、騎乗位、オーラル、この辺りで50分ほど経過。

風呂マットで40分。飲み物を頼んで少しばかりの雑談を交え、

(いかに界隈でドラッグ流行たか、嬢自身の家庭の境遇や病歴、その他初心者にはややハードな話が多かった)

最後はひたすら相手の体を触るだけの20分。

(ここの部分だけ能動的に希望を出した)

8万で120分、これが童貞から素人童貞へのクラスチェンジが相成った次第である

(これランクアップなのランクダウンなの?)


意外とたいしたことはなかった、というのも風俗を使った童貞の発する定型句である

断言しよう、私にはまったく賛同できない。

あの圧倒的な身体性と実存性とを前にして猶そんな物言いが出来るものかよ。

女の肌が悪なのだ、と言ったのは誰だったか

今なら分かる、あの柔らかさと温かさとは、他の如何なる手段でもっても体験することが出来ない、そういった類いのものなのだ

何度でも言いたい、人の体というのはそれだけで恐ろしく抗い難い力を持っている。

それを実感出来ただけでも価値があったというもの

流石に値が張り過ぎるので裏を返す機会は訪れないだろうが。


ともあれ、これがこの度の、今日昼過ぎから22時20分頃までの顛末である

日暮里駅前のマックにてこの文をしたためている。

これから体験する方々にとって多少なりとも参考になれば幸甚の至り、人生の諸先輩方には各々の初体験に思いを馳せていただきたく。


さて、実を言うと先に述べた目標は無事達成できていた訳なのだが、ここで自らの性癖に気付かされることとなった。

生々しさが過ぎることは承知で述べさせていただくが、普通に手でしてもらってもオーラルでも挿入でもダメだった一方で、胸を揉ませてもらいながら手でしてもらったら、いとも容易く達したのだ。

要するに、率直に、おおかたの予想通り、平たく、ところはばからずに正直に言ってしまえば、


おっきいおっぱいっていいよね!!

2019-08-02

恋愛」の定義

広辞苑』第6版では「男女が互いに相手こいしたうこと。また、その感情。こい」と簡潔に記し、さらに「恋い慕う」は「恋しく思って追い従おうとする。恋慕する」と記す。その「恋しい」は「1 離れている人がどうしようもなく慕わしくて、せつないほどに心ひかれるさま」「2 (場所事物などが)慕わしい。なつかしい」と歴史的用法を踏まえて説明する。

(出典:日本語版wikipedia-恋愛

>離れている人がどうしようもなく慕わしくて、せつないほどに心ひかれるさま

美しい

2019-08-01

恋愛工学ってどの辺が工学なの?

工学とは、 エネルギー自然の利用を通じて便宜を得る技術一般数学自然科学を基礎とし、ときには人文科学社会科学の知見を用いて、公共安全健康福祉のために有用事物や快適な環境を構築することを目的とする学問

2019-07-24

anond:20190724203953

俺は『描かれる』ではなく『書かれる』と書いた

それが誤用だというならいえばいいが

からさお膳立てお膳立てっていえばあらゆる作品のあらゆる事物がお膳立てになるわけよ

アルマゲドンなんか隕石地球の危機も父娘の関係を『描く』ためのお膳立てじゃん

キリがないかエヴァウテナに関してだけ言うけどシンジ綾波のことしか考えてないってことはないだろ

特に夏エヴァではこの二人はほとんど関係なくなっている

ウテナは男とセックスしている以上

セカイ系ってのはエヴァコケにするためだけに生まれたくだらないレッテル貼りしかない

ていうか今の俺らのやりとりがそれを証明したな

真面目な評論には絶対に使ってはいけない言葉

2019-07-20

anond:20190720211810

「女は」と「女も」の区別ができない奴も沢山おったしな

特定事物が絡むと知能が幼稚園レベルまで退化するみたいだぜ

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