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はてなキーワード: 所与のとは

2017-08-18

https://anond.hatelabo.jp/20170818073601

発達障害のものは一度発覚してしまったら変更不可能属性だけど、

騒々しさの抑制は、その難易度は各々の所与の条件の違いがあるとはい後天的にやっていけるから

ハードルを超えられそうにない・超えるのがしんどいめんどいから勝手にふてくされてるだけという意味では

ブッサイクに生まれた男が身だしなみすら整えずに不平不満をタラタラ流すのと本質的あんまり変わらない

※ただし健常者に限る(実際には限らない)、みたいな

2017-08-12

日本のあらゆる問題児童ポルノ取締り象徴されてる

Google 画像検索で「ボディペインティング」で検索してみてほしい。

https://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%9C%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwiFgYOgiNHVAhUCVbwKHRsXCM0Q_AUICigB&biw=1600&bih=894

裸の児童写真が大量に得られる。これらの画像がどういうコンテキストインターネット上に公開されているかというと、保育園とか親とかが完全に善意で公開しているにすぎない。

そして、保育園運営者とか、親とかが児童ポルノ公然陳列で摘発されるということはない。

が、これらの画像児童ポルノマニアらが、児童ポルノとして扱ってまとめサイトみたいなものを作ると、それは児童ポルノ公然陳列であって違法だ、ということに日本ではなっている。

これが、これこそが日本のあらゆる問題象徴している。日本国憲法第19条には「思想及び良心自由は、これを侵してはならない。」とあるしかし、ここで問題にされるのは、児童の裸の写真をどういう気持ちで扱っているかというまさに「思想」の問題であって、つまり日本では内心の自由がない。

児童性的被害をこうむらないためにはどうすべきか。何も考えずに自分の子供の裸の写真インターネットに公開する親たちの、その「行為」を問題にして断罪しなければならないはずだ。実際には、児童ポルノマニアたちの「思想及び良心」を問題にして検挙ターゲットを絞ってしまう。これが日本だ。

これが西欧キリスト教民主主義社会であれば、自分の子供の裸をうっかり公開してしまっていた親族検挙される。そういう事例はいくらでもある。

平均的な日本人はこれを「杓子定規すぎる」「堅苦しい」と感じるはずだ。そして児童ポルノマニア内心の自由が侵されている点を問題視する者はあまり多くないのではないか(すくなくとも国会議員裁判官はそう考えている)。

マッカーサーはこの問題理解していた、しかマッカーサーあくまでも「行為」を問題視する世界観のみを持っていたから「憲法に"思想良心自由不可侵タルヘシ"と書けば十分」と思ってしまった。もちろんそれは間違っていた。

日本人が「行為」ではなく「内心」を裁く民族であるというのは、それはそれでよい。というか俺が「よい」とかなんとか言う問題じゃない。それを所与の条件として日本人にとってより優れた社会を築くため個々人が努力をすればよい。優れた社会を築きたくないのであれば、それはまあ、各自やっていけばいい。ただ、その事実を皆が直視したほうがいいと思うんですよ。

俺が一番いいたいこと

Google児童ポルノフィルタを開発してる奴らはもうちょっと真面目にやれ

2017-07-13

リベラルはもう二度と「性教育の推進を」なんて言わないでほしい

『ゆらぎ荘の幽奈さん』炎上の件。

  

年齢制限によるゾーニングは、「子供に見せないように大人配慮する」と、「子供が見ようとするのを大人妨害する」という2つの方法があるんだけど、どっちに主軸を置くつもりなんだろうか?

この配慮妨害は、たしかに重なりあう部分もあるが、明らかに性質が異なる。配慮積極的にやってよいが、妨害というのは自由侵害なのだからいくら子供に対してであっても必要最小限に行われなければならない。

  

ジャンプを読んでいるのがあくま子供主体性の発揮だということ、それはもっと重視されてよい。

巻頭カラーで載せているのは配慮を欠いていた」という指摘は可能かもしれないが、子供は以前からこういう漫画掲載した雑誌だということを分かったうえで買っている。そして今後購読を続けるかどうかも、子供たちの選択にかかっている。

大人がこれに自主規制を求めるのは、配慮ではなく、どちらかと言いうと妨害になっているということを自覚してほしい。

無論、妨害はやむを得ないという自覚を持って活動しているならば、それはそれで一つの立場と言えるだろうが……。

  

  

  

ところで、たしか少年ジャンプの読者層は高校生~成人が多く、残りは中学生だったりするので、小学生(とくに10歳以下)となると、ほとんど読んでいないはずだ。これを一律に"子供"扱いすることには違和感がある。

  

そんなこんなで思ったんだけれど、子供主体性をあからさまに軽視しているリベラルは、二度と「性教育の推進を」なんて言わないでほしい。

貴様らには性教育を通して子供主体性の発揮を求める資格がないと思う。

  

例えば避妊性病予防について教えたり、その知識を持たないと自分加害者被害者になってしまう恐れがあると教えるのが性教育の内容だ。要するに、「コンドームを使いなさい」という主体性子供要求するものである

性教育は、決して子供たちがセックスをやることを推奨するものではないが、一方で、もしセックスをするならコンドームを使えと教えているわけだ。これは子供にも主体性があることを所与の前提としなければ成立しない。

  

リベラルは、エロ本18禁しろと言っていたり、ジャンプ漫画過激だと言っているが、18歳未満がコンビニ等でコンドームを買えるということをどう思っているのだろうか?

子供セックスをやることは望ましくないから、子供へのコンドーム販売自粛するべきだろうか?

勿論、エロ本ジャンプを買うことは遊興にふけることであって、コンドーム防衛のためだから、その価値を同列に論じるべきではない。しかしながら、遊興と防衛を分離して考えることもできないだろう。遊興のごとくセックスをやってしま子供、それに付き合わされる子供にこそ、この防衛手段へのアクセスを開いておくことが必要からである

  

「遊興的に性愛を楽しむことは不要だ」と決めつけて忌避する禁欲道徳は、性教育に反対する者たちの主張に説得力を与えてしまうようにも思われる。

なぜなら、反対派の主張は、「子供は無理にセックスをやる必要はない。純潔を保つことが一番の防衛だ」というものからである。この「遊興をしないならば防衛必要ない」という話は、ミクロで見るかぎり妥当になっているケースも多いと思う。

  

(※この論点は「リベラル宗教保守区別がつかない」というエントリで補足したので、そちらをトラックバックから読んでください。)

  

  

  

追記(2017/7/14 21:10

ブコメで突っこみを頂いたけれども、リベラル側の主張は、たしかに、「エロは許す。性暴力女性蔑視は悪だからさない」というものだった。

しかし、私がいつもリベラルに感じている苛立たしさは、まさしくこの点における洞察力の欠如である

  

どうやらリベラルは、エロを性暴力女性蔑視から分離できると考えているらしいが、それは誤りだ。具体的には下記リンクエントリで、「エロと野蛮さは切り離せない」の章を参照されたい。

一つ言えることは、お行儀のよいエロ表現なんか絶対に楽しくないってことです。

人権平等という正しい理念を詰めこんだエロ表現があるとすれば、おそらく私はそれを(ポルノ的な意味では)評価できないし、その偽善には吐き気を催すほどの不快感に見舞われるでしょう。私にとってのエロとは、どこまでいっても女性蔑視暴力性と切り離せないものです。

お行儀のよいエロは、ジャンプを読んでいる子供にもウケが悪そうです。子供不謹慎もの下劣ものが好きなのだし、性描写もそっちの方向でなければ楽しく受容されないでしょう。エロが野蛮さと結合してこそ楽しめるという子供感性は、なまじそれを否認してみせる大人より正鵠を射ています。この感性のあり方は否認せず、内心の自由として尊重し、一方でこの野蛮さを制御する文明的な理念について子供に啓発することができるならば、多分それが最適解だと思います

  

『【表現規制】『ゆらぎ荘の幽奈さん』炎上の件について』

https://anond.hatelabo.jp/20170712001904

エロが野蛮さと結びついているのは、漫画というフィクションだけに限らない。

しろ現実世界における男女のセックスにこそ、「とにかく女とヤリたい」とか、「彼氏に嫌われたくないからヤル」とか、そういう心理が含まれる。いくら相手への愛情があってもこの傾向は不可避だし、それどころか愛情希薄なままセックスをやることもあるわけだし、エロは野蛮さと切り離すことができない。

リベラルが言っている「差別暴力のないエロもある」などという綺麗事は、まったく現実を見ていないお花畑だ。大切なのは、そのようなお花畑信仰を捨てて、エロ差別暴力と不可分であること、それはフィクションでもリアルでも同じなのだという前提に立つことだ。

  

我々がリアルでやっている普通セックスが、レイプやDVと地続きであるということを認める覚悟もないリベラルは、ひどい偽善者か、そうでなければ呆れるほどに自己反省を欠いている。性欲はポリコレに反するようにして湧き上がってくるものだし、エロは、社会正義に叛逆するような侵犯に至高の価値を見出さんとする意志なのだ。つまり、「ルールなんか無視して遊興をやりたい!」というのがその本質だ。

性教育法律は、これに対して、最低限のルールを守りなさい、理性を働かせなさいと要請するものである。そして逆説的だが、このことは、エロ差別暴力とは切り離せないと自覚する(させる)ことによってこそ初めて可能となるのだ。

例えば男がコンドームを使うというのは、セックスが女を傷つけるものだと自覚し、理性でその悪を制御することだ。これは男が女を誤って妊娠させる行為について、「悪だからダメ」と決めつけて忌避するのではなく、「悪だから制御せよ」という前提を採用しておかなくては実行不可能だろう。もし「悪だからダメ」という前提の方をとるならば、セックスをやらなければいいわけであって、これは「遊興をしないならば防衛必要ない」という宗教保守論理である

リベラル表現物に対して「悪だからダメ」という潔癖な基準採用するのは、この宗教保守論理を補強してしまうのではないかと思う。そのように潔癖な考え方では、とてもではないが、性教育の推進を訴えることなどできないのではないか

性教育は、セックスが性暴力・性被害と密接に結びついている危険ものだという現実認識から始めなければならない。人があえてその危険を冒そうとする意志こそがエロティシズムである性教育はこの意志を野蛮だから無くせだの、悪いことだからダメだのと言って忌避するものではない。そうではなく、それ自体はやむをえないからと是認した上で、だからこそ安全制御するための方法を教えるものなのだ

  

再追記(2017/7/14 23:10

これは前回の記事で書いたことなので省略するけれども、「エロ問題ない」と言っているリベラルの嘘つきぶりには、もう本当にハラワタが煮えくり返りそうだ。

あの漫画が今回炎上したのは、確かに性暴力女性蔑視という文脈があったかもしれないが、それは後付けの理屈であって、第一義的にはその絵がエロいからである視覚に訴えかけてきて我々の感情を揺さぶる絵だからこそ、そこにある性暴力女性蔑視という観点が際立ってくるのだ。

これはエロと、性暴力女性蔑視との不可分性をあらわしている典型例だ。リベラルはそのことに無自覚すぎて、しかも両者を分離できると平然と言ってのける人も多い。私はその欺瞞ぶり、鈍感さには堪らない苛立たしさを感じている。

  

(※詳細は上記リンク先で、「エロからこそ批判されている」「差別表現には問題があるが、エロ表現にも問題はある」「作中で性被害肯定的に書いたことは問題本質ではない」等とした章を参照せよ。)

2017-03-31

就活について覚えていること/考えていたこ

 自分就職するのだな、というのが決定的になったのは、大学三年の正月帰省したときだった。そのとき姉は子どもを身ごもっていて、結婚式の準備を進めている時期だったと思う。両親の住む実家はいつになく浮き足だっていて、居間に鎮座した年代物のコンポが機嫌のよい音楽を流しているのを何年ぶりかに聴いたりした。この雰囲気だったら言っても大丈夫だろうかと思った。家に着いたその晩、おそらく姉の結婚式やお腹のなかの子ものことをしばらく話したと思う、そのあとに切り出した。あのさ、大学院に行きたいっちゃけど。

 予想外に、部屋の空気が一瞬で凍りついたのを覚えている。両親は言葉を発さず、コンポから流れる陽気な音楽荒井由実セカンドアルバムの六曲目、あなただけのもの、)がいっきに、なにか強烈な、皮肉めいた疎外感のようなもの演出する異物となって浮き上がった感触があった。しばらくして、母が重々しく口を開いた、なん言いようね、そげんお金なかよ。大学院てなんね。行ってなんすると。もとより自分も、大学院で何か研究したいことがあるわけじゃなかった、研究というのが何をすることなのかもよく分かっていなかった。ただサークルや何やで接する先輩たち、自分より二年間長く学生でいられる、その二年間は就職せずにいられるひとらのことがうらやましかった。その程度の動機だったから、突如として部屋に現れた重苦しい空気を前にして、うっかり声に出した気持ちは途端に冷え切り、しぼんでいった。なんでんなか、分かった。話を逸らすような話題もなく、アルバムが次の曲に行ってしまうまえに居間を出て階段を上がった。あのコンポ音楽を流しているのを聴いたのはそれが最後だったと思う。

  *

 就活はいろいろな街へ行った。下宿していた福岡から、十分な交通費支給されるとき新幹線飛行機LCCはまだなかったから、スカイマーク)で行き、そうでないとき夜行バスで行った。その土地の知人に当てがあれば泊まらせてもらうときもあり、ネットカフェに泊まるときもあった。神戸三宮とか東京蒲田とか、そのころネカフェに泊まったっきり訪れていない街がいくつかある。

 就活にかかる交通費は多くの同級生にとって悩みの種だったと思う。専攻柄、東京一極集中したメディア広告出版関係企業を受けるひとが多かったせいもあったか、とにかくいか交通費破産せず就活を乗り切るかはひとつ重要テーマとして共有されていた記憶がある。自分もそんなに多くの交通費を出せる状況ではなかったので、受ける企業の数をかなり絞っていた。当時の就活サイト提唱する標準的エントリー数は二十社くらいだったけれど、自分は十社も受けなかった。それでも度重なる関西関東への移動はそれなりに負担で、特に東京会社選考が進むたびに片道半日以上かかる夜行バスを往復するのは楽ではなかった。

 夜行バスが発着するのはたいてい新宿西口だった。あるとき、行きのバスに乗っていた添乗員さんと、帰りのバスでも鉢合わせたことがあり、乗り込みざまそのひとが、就活ですか、がんばってね、と声をかけてくれた。あのひとはたぶん、その数日間だけじゃなくてずっと、何十往復も、あの片道半日はかかる夜行バスに乗りつづけていたのだと思う、いまも乗りつづけているかもしれない。西新宿ビル街を歩くと時々そのことを思い出す。

 支給される交通費収入を得るモデルを立てていたひともいた。関東実家や知人のところに滞在しながら、東京会社をたくさん受け、それぞれの会社に対して福岡東京間の交通費申請して利益を得る手法だったと記憶している。あるいは近場であれば、実際には18きっぷで移動しながら新幹線のぶんの交通費を出してもらう方法もあったらしい。これは静岡会社大阪から来ていた子が教えてくれた。会社でいっしょに最終面接を受けたあと、内々定をほのめかす説明会から帰るバスの中でのことだった。その子はすでに他社から内々定を得ていて、ほんとうはそちらに就職するつもりだと言っていた。第一安倍政権ときで、少なくとも経済政策はうまくいっていて売り手市場だったから、そのように交通費収入を得る目的で、実際には就職する気がない企業内々定までを得る学生はその子だけではなかったと思う。二年後にはリーマンショックが起こって、ふたたび新卒市場氷河期を迎えた(らしい)。もし自分大学院に進み、二年後に就活をしていたら、たぶん学部とき受かったところには受かっていなかっただろう。

 職を得るためにスーツを着ることは苦ではなかった。それは公立小学校から高校までをずっと制服で通わなければならなかったのと同じ程度の義務だと思っていた。大卒でそれをしなくてよい人生がどういう仕組みで成り立っているのか、そのころさっぱり想像がつかなかったし、いまでもその仕組みを十全に理解しているとはいいがたい。いずれにせよ、そうしたもの自分には関係のない、自分に与えられた生の可動域からは逸脱するものだと思っていた。もちろん、自分を取り繕って面接官に良い顔をすることとか、所与の経歴と志望動機矛盾なく有効に繋げる作業会社ごとに行うこと、そうした虚飾じみた行為への疲れはあった。リクナビみん就サイトを見るのも好きではなかった。けれど仕方のないことだと思っていた。ほかに生きられる道があるとも思えなかった、だからメンタツも読んだ、SPIも受けた、そうこうしているうち、他人自分矛盾なく説明するために用意したぎりぎり嘘でない物語の数々は、徐々に内面を染めかえ、自分なかに元々あったそれらと区別がつかなくなっていった。照明がおとされた夜行バスの車中で、自分は眠れずによく手を組んで、いろいろな願いごとをしていたけれど、どうか今度の面接が通りますように、内定が取れますように、そういうこともふつうに願った。

  *

 先日、はじめて海外旅行に行った。羽田から仁川経由でニューヨークへ向かう機内の十数時間体験しながら、ああ、これは博多から東京まで夜行バスでかかったのと同じくらいだなと思った。

 夜行バスに乗っていたとき自分にとって、海外旅行宇宙旅行も似たようなものだった。どうせ行けないのだから費用や行きかたなんて調べても意味のない、視界に入れたってしょうがないもの。行けるわけのない外国の遠さよりも、見慣れた田んぼ、そこにある変わらない暮らし、そういったものに思いを馳せるようになるのは、そのとき自分にはごく自然な成り行きだったと思う。だから新宿の街も好きではなかった。東口ネットカフェに泊まったりから歌舞伎町銭湯に入ったりする小旅行を、楽しんではいたけれど、駅の通路浮浪者排泄物のにおいが漂っていたのを強烈に覚えてもいた。長く住むところではないと思った、その都市に、けっきょくいまは福岡下宿していたのよりもずっと長いこと住んでいる。

 去年はじめて実際に調べた、二月のヨーロッパアメリカへ渡る往復航空券の値段は、盆や正月ラッシュのなかを新幹線実家に戻るのと大差がなかった。どうせ行けるわけがない、他に選べる道もない、と見過ごしてきたものごとの数を考えた。けれど、そのときはたしかに、それが自分の視界に映るもののすべてだった。その視界が十分に広くなかったとして、いまを測るための物差しとしては省みることかもしれない、けれど責められるものではない。いまとむかしの自分は違う、同じものでない、そのことは互いの存在を妨げない。一応は自分お金大学院を出て一年が過ぎ、将来の自分から先借りしているお金を返しはじめて半年が過ぎたいまはそう思っている。

2017-03-20

「1ヶ月無料体験」が多い理由

って、あれは「1ヶ月間でサービスをお楽しみいただいた上でご契約検討してください」じゃなくて、「1ヶ月したら有料になるけどその頃には解約がめんどくさくなってるはず」という商法なんだろうな。

もちろん無料で敷居を低くしてたくさんの人を呼び込もうという意図もあるだろう。そして参加者には有料契約決断先延ばしにさせる。

先延ばしの間は、サービスを使おうが使うまいユーザー自由だ。面白かったり便利だったりすれば利用するだろうし、そうでなかったら利用頻度は下がる。だけど両者とも、サービスの利用権があることが1ヶ月後には所与の前提になっている。使いたい時にサービスを使えることが当たり前になっている。だから1ヶ月後に切り替え期限がくると、「うーん最近まり使ってないけどもしかしたらまた使うかもしれないし」とさら決断先延ばしをさせる。これがサービス提供者の狙いだ。

ネット上のサービスだけじゃなくて、健康食品の定期買いとか雑誌の購読とか、昔からある商法のように思う。

2017-03-15

私はかつて差別主義者だった、『けものフレンズ』を観るまでは。

 私はかつて差別主義的なケモナーだった。

 ご存知のようにケモナーには様々な派閥存在する。

 メスケモ派、オスケモ派にはじまりマッチョ派、モフモフ派、デブ派、ショタ派(なぜかロリほとんど見ない)、モンスター派(極左人外連)、トランスファー帝国肥大化公国、融合辺境伯領、ロイヤル竜奇兵連(ドラゴナーズ)、爬虫人類委員会レプタリアンズ)、キグルミ派、母性探求派、海生動物会議(「海の人々」)、四ツ足派だけどズーフィリアじゃないもん派(愛ケモ主義極右)、丸呑みだけが人生だ派、卵胎生出産教会インターレイシャル(人×ケモ)派、反インターレイシャル派……

「天はケモナーの上にケモナーを造らず、ただし、ケモナーの横には無限ケモナーを造った」

 とは近代日本における先駆的ケモナー福沢諭吉名言である

 産業革命以降の通信技術の発達は、孤独だったケモナーたちに「同好の士」を発見する機会を与え、ファンダムの拡大に成功したものの、

 同時に細かな嗜好の違いによる派閥対立をも生じさせ、その軋轢がついに二度に渡る世界大戦の引き金となったことは今更説明するまでもないだろう。

 そうした争いは近年まで衰えることなく続き、いつしかケモナーたちは「派閥が違えば殺し合って当然」という野蛮な虐殺言語所与のものとして生きるようになっていた……。


 私もそうだった。

 私もある狭い派閥こそ唯一かつ至高と信じ、他者排除差別によって所属派閥への帰属意識を高めていった。

 派閥意志に叶うと思えば、喜んで我が手を血に染めてきたし、かつての友人たちをためらいなく2ch晒した。

 なかでもいっそう劣悪とされ、他のありとあらゆる派閥から敵視されていたのが「ケモミミストである

 サイバーコネクトツー・スペクトラムでいうところの「レベル2」。

 「ニンゲン身体に、ケモミミ(としっぽ)がついてさえいればよい」とする日和見主義的邪教徒たちだ。

 彼らにはケモコミュニティ内において最初から人権など与えられてこなかった。

 なので、ふだんは「一般人」に紛れて潜んでいたのだが、ときおり何かの間違いで何も知らない”レベル2”がケモコミュニティに迷い込んでくることがあった。

 多くの場合、彼らは痕跡も残さずにコミュニティから「除去」された。


 中道過激派秘密ケモナー警察あいだで流行ったジョークにこんなものがある。

 「”レベル9"(いわゆる真性の獣姦嗜好)はケモナー以上に進化してしまったケモナーだ。だから畏敬をもって殺す。

  ”レベル2”はケモナーになれなかったケモナーだ。だから哀れみをもって殺す」

 私も彼らを憎んだ。

 でじ子の肖像を何枚も焼いたし、それ以上におぞましいこともやった。


 

 現代ケモナー社会は、あらゆるケモナーには自分自身同胞である他のケモナーの「性欲」を認め、尊重することができる能力、そして性的志向の善し悪しについて自ら判断する能力があるというフマニスト的前提をもって、各人に普遍的ケモナー権を付与しようとしてきた。

 一見それは理性的合理的、かつ人道的な判断基準なように思える。

 だが、人は他者の良い面よりも悪い面を重視する傾向にあるようである。それが上記のような派閥争いとケモミミスト蔑視の引き金となったのである



 だが忘れもしない2017年の某日。

 私は『けものフレンズ』を観た。

 もちろん、観る前は”レベル2”だと貶していた。

 しかし、一種社会現象となるにつれ、そして「一般人」たちがけもフレを「ケモナー」と結びつける言説を多く弄するになるようにつれ、私は「世間無理解を忠実バラなぬ」という一種義憤から、けもフレを鑑賞したのである


 最初はなんと退屈でつまらなく、くだらないアニメだろうと思った。

 だが、一話の終わりにさしかかったあたりから胸がざわめきはじめ、

 画面にかじりつくようにして二話に没入し、三話を見終わるころにはすっかりフレンズたちに魅了されていた。

 のみならず、こう思うようにさえなっていた。


「これは”われわれ”について語られた、”われわれ”のためのアニメである」と。


 ケモナー一般に受けいられる性的志向ではない。というか、世間的には性的志向ですらないと考えられがちだ。

 同胞たちは自分たちの好きなものカミングアウトできずに日々気持ちを圧し殺して生きている。

 ファンダムとは、そうした「のけもの」たちを包摂するために存在するやさしいシェルターではなかったのか?

 それがいつのまに、我々自身から「のけもの」を作り出し、排除し、殺し合い、差別するようになってしまったのか――


「姿かたちも十人十色からこそ惹かれ合」い、「みんな自由に生きている」場所

「飾らなくても大丈夫」な場所

 それこそが我々が最初に求めたファンダムのあるべき形ではなかったのか?


 蒙が啓かれるとはまさにこのことだった。

 すべての教えは『けものフレンズ』のなかにあったのだ。 


 私はいてもたってもいられなくなり、地下壕から出て地上へとあがった。


 灰色廃墟が広がっていた。

 だが、つい先刻まで鳴り響いてはずの銃声や悲鳴はすっかり止んでいた。

 地には戦車ではなく瓦礫の影で戯れる少年少女が、空には爆撃機ではなく大きな翼の鳥たちが遊んでいた。

 こんな穏やかで静謐時間はどれくらいぶりだろう?

 まるで、あらゆる憎しみが「ぼくのフレンド」に包まれて溶けて消えてしまったのかように。


 私はあてもなく、ただ何かにつきうごされるかのごとく歩いた。

 そして、数分もしないうちに反対側の地下壕から出てきたであろう年老いた男と出くわした。

 老人はあきらかに”レベル2”であった。

 ふだんなら我々の姿を見て怯えて眼をそらすはずの彼らが、瞳に決意をたたえ、凛としてこちらを見据えている。


「きみも、観たのかね?」

 そう老人は問うてきた。

 私は無言で頷いた。 

 頭を傾げた途端に、一条の熱い何かが頬をつたい、顎からしずくとなって焼けた大地に滴った。

 涙を流している、と自覚したのは、湿った点が地面に染み込んで数秒経ったころである

「私は、私たちは」とうわずる声で私は言った。「許していただけるのでしょうか。あなたたちとフレンズになることは……できるのでしょうか?」


 老人は痩せこけた顔に、穏やかな微笑を浮かべて応えた。

「笑おうじゃないか。ともに笑ってみよう。

 高らかに笑い、笑えば、フレンズなのだ

 喧嘩してすっちゃかめっちゃかしても仲良しに戻れる」   


 そうとも、と老人は私の肩を叩いた。

 ここが、われわれのジャパリパークなんだ。

 われわれは『けものフレンズ』というサンドスターを通過して、今一度生まれ直したのだ。

 まっさら状態で。

 だから、ここからはじめよう。 

 本当の愛は、ここにあるのだよ。

2016-09-18

http://anond.hatelabo.jp/20160918015354

反論したいわけじゃなく、むしろ全面的同意する

「これは犯罪になってるけど、理屈では納得できない。別にやってもいいんじゃないか?」

とか考えてる人

法律が、普遍的善悪基準と完全に被さっていなくて、そこからはみ出た部分(A∪B-A∩Bみたいな??)が犯罪になるのよね

普遍的善悪基準って言っても、人間神様じゃないから本当は普遍的でも何でもないんだけど、生きてる限りは自分なりの正義があって、だからこそ面倒くさいんだよね

まあ、各自想像する任意普遍的善悪基準に当てはめてもらっていいんだけど

この前、視覚障害者が店の予約?入店を断られた?ってニュースあったじゃん

その時に、コメントの一つに、「障害者差別解消法に定める合理的配慮に反しています」ってコメントがあって、うーんって

じゃあ障害者差別解消法がなければあなたはどういう武器で店を責めるの?

もし障害者差別解消法がなければ、配慮する必要はないの?

人を殺しちゃいけないのは刑法で決まってるから

「何人たりとも差別されるべきじゃない、出来る限りの配慮をしたうえでの入店拒否なのか?」って言った方が、論理的にしっくりくるし、法律武器にするのは時として悪手になる

見方として、法律普遍的善悪を過不足なく包摂していて、過不足なくそ基準になってるって盲目的に信じ込むのは、危険だし、そう信じ込めること自体が、幸せであることの証左な気がするなあ

そもそも論として法律普遍的善悪基準じゃなくて社会の行動規範って言われればそれまでなんだけどね、もちろん、そういう面があるのも事実だけど

自分は悪いことをした」と「自分社会を乱した」はトーリーイコールにはなりませんよねえ

所与のもの(既存の在り方、既成概念)を疑うことが、なぜか法律だけにはなかなか適応されない(される場合でも、性犯罪(セクシャリティ)の問題など、非常に感情論的な疑い方にすぎない)事実は、あるんじゃないかなあ??

文学部卒なので、よくわからないし、たぶん俺が知らない気づいてないこともたくさんあるんだ、と予防線を張っておく

2016-06-18

海老名市マネキンフラッシュモブ禁止命令」に関するブコメが的はずれすぎる

記事はこれ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160617-00009939-kana-l14

ブコメはこれhttp://b.hatena.ne.jp/entry/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160617-00009939-kana-l14

そもそも何が問題となっているか理解していない様に見えるブコメ散見される。

まず、法令規定確認

問題となる条例は、海老名市海老名駅自由通路設置条例である。(以下、断りのない限り、条文は、同条例のもの。)

この条例では、30条1項2号において、自由通路における「集会デモ…その他これらに類する行為」が禁止されている。

そして、この禁止については、例外はない。

これらの行為をしたと認められる者については、市長は中止命令等を発することができ(30条2項)、これに従わないと5万円以下の過料に処される(41条)。

一方、「募金署名活動広報活動その他これらに類する行為」や「催事…その他これらに類する行為」については、19条1項により、指定管理者承認必要とされている。

今回のケースでは、市長が、

市民団体の行った行為は、30条1項2号の「集会デモ…その他これらに類する行為」にあたるとして、同条2項に基づく命令をしたということだと思われる。

(なお、今回は、すでに行為が終了した後に、将来の行為禁止する命令が発せられているようなので、中止命令ではなく、「必要措置」の命令だと思われる。)

これに対する市民団体側の主張は、

①30条1項2号は、違憲ゆえに無効であり、本件の命令違法である

②仮に条例合憲だとしても、市民団体の行った「マネキンフラッシュモブ」は、「集会デモ…その他これらに類する行為」にあたらないから、本件の命令違法である

というものだと思われる。

(②については、主張されているか記事からは明確には読み取れない。)

条例で決まってるんだから当たり前、ブコメがあるが、①の主張のとおり、そもそも、その条例違憲であり、無効だという主張がされているわけで、条例の内容が所与の前提となるわけではない。

また、条例合憲としても、市民団体行為が30条1項2号に規定される行為にあたるかの問題もある。

この問題は、「約10人が、プラカードを持って数分間立ち止まる行為を1時間行う」行為が、「集会デモ…その他これらに類する行為」にあたるかの問題であり、市民団体行為がいわゆるフラッシュモブにあたるかどうかは無関係である

(また、表現の自由考慮すれば、「集会デモ…その他これらに類する行為」については、狭く解釈するべきだ、という議論も成り立ち得るので、単に集会デモにあたるかどうかを直感的に考えただけで解決する問題でもない。)

なお、市民団体行為が、フラッシュモブかどうかは、その言葉定義問題であり、本件で法律的には本質的議論ではない。

原告他所でやることも出来た。条例歩行者安全で快適な往来に資するための管理を定めたものであり、表現の自由制限しない」で棄却、というブコメがあるが、そんなに簡単な話でもない。

催事等は承認制で可能なのであり、許可制届出制等ですらなく全面禁止しか安全かつ快適な往来確保の方法がないのか、という点は議論を要するように思われる。

催事興業音楽活動レベルでも事前承認必要とあるが、市民団体行為承認必要行為だったとしても、30条1項にあたらないのであれば、命令を発することはできず、違法である

普通にデモやったらいいんじゃないかな」というブコメもあるが、自由通路でのデモは一律禁止であり、許可をとる余地すらない。

以下、個別に書いていくときりがないが、デモ規制については、(ブコメにおける議論よりおそらく厳格な)憲法上の議論が蓄積されているところだあり、興味があればもう少し調べてほしいと思う。

なお、この日記は、条例合憲性や命令適法性市民団体政治的主張正当性について何か意見を述べるものではない。

2016-06-06

脱糞増田という風潮にNO!を言いたい

 最近増田というだけで脱糞が許されたり、ことによると誇るべき勲章だと考える似非増田が増えている。


 なげかわしい。


 本来増田が蔑まれるべき対象であるのと同様に、脱糞もまた蔑まれるべき行為だ。

 我々は人間なのだからうんこは当然便器にするべきであり、それ以外の場所でぶちまけるなどしつけのなっていないネコ以下の畜生である

 脱糞とはもっとこう、恥じらいつつやるべきだ。

 自分から積極的にその下劣さを憎みつつも、波打つ括約筋の秘すべき快楽に抗えない、

 そういう隠微で官能的な行為であるべきなのだ脱糞とは。本来は。


 だというのに、なんだそのざまは。その有様は。

 まったくもってひどすぎる。


 

 それでもおまえは増田か? あの増田なのか?

 ネット社会底辺中の底辺

 美しい国日本の秘所にわだかまった薫り高きチンかす、

 すき家の新作メニューにも劣るフランケンシュタインモンスター的生ごみ

 ネット社会恥部オリンピック日本代表はてな匿名ダイアリー利用者

 はてなIDを持ちたる存在

 純然たる無為

 増田なのか?


 ちょっとホッテントリでちやほやされたからといって、

 ちょっと国会でとりあげられたからって、

 ちょっと世の中を動かしたからといって、

 四六時中どこでもウンコをもらして許されるといった風情じゃないか

 まるで世界が俺のもの、といった感じじゃないか


 だが、逆なのだ

 おまえが世界を所有しているのではない。

 おまえが世界に所有されているのだ。

 誰にも支配されなかったお前の胃腸を、お前の肛門を、お前はやつらに捨て値同然で売り払ってしまった。

 ブクマという悪銭と引き換えに。


 思い出せ。

 あの恥じらいを。

 忘れるな。

 あの屈辱を。

 噛み締めろ。

 あの劣等感を。


 堂々と脱糞するな。

 自慢気に脱糞談を書くな。

 脱糞所与のものとして誇るな。


 俺たちはクソみたいな存在だ。

 だが、クソそのものではない。

 俺たちには常に脱糞がついてまわる。

 だが、脱糞のものではない。

 実存脱糞に奪われるな。

 おまえは増田だ。

 おまえは脱糞ではない。

 おまえは増田だ。

 おれたちは増田だ。

 クソから自由になるには排泄が手っ取り早い手段かもしれない。

 だが安易すぎる自由は、安価すぎる自由は、やがておまえを殺す無為に満ちた自由の刑と成り果てる。 

 おまえはいつでもどこでもクソを漏らしていい社会に直面したとき、もはや何者でもなくなる。

 増田は、全人類増田と化した社会では増田ではなくなる。

 俺たちが脱糞するべきは、「この」世界であるべきだ。

 脱糞が死と同義である社会であるべきだ。


 おまえが初めてクソを漏らしたときのことを思い出せ。

 湿ったパンツの苦い感触

 恥辱、後悔、血涙、怒り、絶望

 誰とも共有できないオリジナル感情

 それが俺たちの原点だったはずだ。

 それの隔絶が増田増田たらしめる起源だったはずだ。


 俺たちは十一人。

 独立不羈の十一人である

 互いに交わらず、互いに傷つけず、互いに愛さない。

 誰から賞賛されず、誰から顕彰されず、孤独datの海に散っていく。

 綴る言葉価値botランダムに打つワードサラダと等しく、

 拠って立つアカウントも肉体も何もない。

 だからこそ、自由なのだ

 増田脱糞するから自由なのではない。

 増田から自由なのだ

 それを忘れるな。

 俺たちは増田だ。

2016-05-08

未婚の母になるということ


4年つきあって結婚、5年続いた結婚がだめになってしまって2年が経った。

再婚にはあまり興味はないのだけれど、実子を持つならそろそろぎりぎり、という年齢になろうとしている。

結婚せずに実子を持つなら、わたしの子供となる人は「遺伝子上の父親に会うことがかなわない人生」が最初から確定して生まれてくることになる。諸事情あって金銭的に苦労させることはないと自信を持って言えるけれど、「父親のいない人生」っていかほどのものだろうか。ふた親揃った環境で育った自分には想像することしかできない。

どんな親の元にどんな生まれ方をしても、人生とはどのみち葛藤の多い、苦悩に満ちたものであって、それを乗り越えて自己確立することこそが「生きる」ということなのだろうか。自分はもう大人から、「幸福とは自己意思によってのみ決定されるものであり、所与の条件で決まるものではない」と確信を持って言えるけれど、この心境に到れるまでに30年以上かかっている。

わたしが、わたしの子供となる人に押し付けしまうかもしれない人生は、どんなものになるのだろう。

2015-12-30

日本の(大半の)IT技術者はなぜ馬鹿にされるか

まず「大半」を強調しておく、もちろん尊敬に値する素晴らしい人も「まれに」いる。

これを書いている自分について。

かつてインフラ系とフロントエンド系のエンジニア職業としていた。

いまはまったく別の職種ユーザー側として常駐しているSEリクエストを出すこともある

今の立場になり他者として技術者と対面すると、SEをしていた時は気づかなかったことが、いろいろ見えてきたこともありまとめておきたい。

最後にもうひとつだけ。下記にあげたもの職務遂行能力とは直接関係ない。技術職・事務職を問わず職務遂行能力はあって当たり前であり、なければ配転や契約打ち切りとなる。ここにあげるのはどちらかというと社会集団的あるいは企業文化的の枠組みでなぜIT技術者が軽く扱われるかについて考察している。前置き長くてすまん。

コミュニケーション能力が低い

これはよく言われるので一例のみ。質問に対し字句通り答える。質問の言外の意味を察しろとは言わぬまでも質問の上のレイヤーさえも推測しようとせず字句にそのまま答えるので相手にとり会話の流れをつくっていくことが非常に困難となる。

今ある状態説明するのみで目的や背景を理解しない

たとえばシステムアプリケーション不具合について質問すると「これはこうこうこうでこうなっています」(話のすじみちはとおっている)と答える。仕様についても「仕様ではこうなっています」と「こうだからこう」ではただ「こうなっている」と解決策を示すこと無く今の状態記述する。何か規定されたルール絶対所与のものとして、過去にそれがどのような目的のもとでつくられたかに関する想像力が及ばない。「こういうことをしたいのだけど…」と聞いたら「それはこうなっています」と答えることのある種の異常さに気づいてない。現在時点を中心に狭い範囲時間しか認識理解できないという意味では猫や犬などの動物に近い。

見方を変えればモノ(ソフトウェアシステム)をつくる職種が徹底的に「as is」ベース思考というのも何が深い原因があるのかもしれない。

自分の興味範囲外のことについて想像力が及ばない

興味範囲外のことについて広く知識収集せよとまでは言わないが、興味が無いことについてバッサリと切ってしまうので話が広げにくい。たとえば営業系の社内システム保守しているのに営業職務内容については自分関係の無い話としているなど。そうした指摘をしても我関せず、えてして自分雇用契約派遣契約、期間雇用契約)などを理由理論武装しているが個人的に考えたくないのが見え見えである

教養が圧倒的に足りない

一部前項とも重なるがここで言う教養とは業務知識やいわゆる(公務員試験などの)一般常識レベルのことではなく社会人になってからの学び、つまり文化芸術歴史に対する理解が低いの。せいぜいゲームアニメマンガ、あるいはテレビバラエティなどのサブカルチャー方面に造詣が深い程度である(もちろんこうしたサブカルチャー馬鹿にする意図はないよ)。

そう言ってしまえば文化資本が家庭環境、周りの環境が云々と言い出すひともいるが、自分はこうしたものを身につけるのはむしろ社会に出てからと思っている。よく言われる「うちの職場は休憩時間にはパチンコ風俗の話しかしない奴ばかり」と言うのは自らの選択の結果であり親や周囲の人間のせいではない。

ここであげるかどうか迷った。というのもこれは技術者にかぎらず日本社会人の多くに共通する問題かもしれないから

最後

もちろん過去自分もこれにあてはまる言動をした可能性があるのでそれについて弁明はしない。

一般に日本IT技術者他国のそれに比べて低所得と言われているがそれもむべなるかな、現在待遇不思議でもなんでもない。

なお、ここであげたIT技術者は、自身経験から企業や団体の中の情報システム部門ユーザー支援のために外部から雇用あるいは派遣されているSEなどを対象にしている。開発委託先や運用委託先のシステムベンダー担当者、などについても一部当てはまるかもしれない。

2015-12-15

スクールカーストかい言葉

自分たちが作ってる閉鎖的な環境のなかの論理なのに、なんで所与のものみたいな言い方すんのかね?

自分たちでやってるってことに対する批判的な視点のなさがカーストって言葉に出てる気がしてならない。山本七平があげた事例の時代となんもかわってないのな

2015-11-30

同性愛者を「異常人間」と呼びたい人へ

異性愛者は正常で、同性愛者は異常だ、と言う人がいる。本当だろうか?

なぜ異性愛者が正常なのかというと「人間は子孫を残すために生まれてきたからだ」と言う。

しかしその「ために」というのがどうにもアヤシイ

その「ために」は何のための「ために」なのだろうか?

事実として、多くの人間には、種を残すための本能のようなものが、遺伝子的にプログラミングされているらしい。

そう考えると、同性愛者というのは、プログラムの「バグ」のようなものにも見える。

バグ=異常」。極めてシンプル理屈だ。

しかシンプル理屈ほど、疑ってかからなければならない時もある。

ここで考えなければならないことは、「そのプログラムはなんの『ために』存在するのか?」ということではないだろうか。

なぜ種を残す本能存在するのか? そもそもなぜ人間は、あるいは生物は、その種を後世に残そうとするのか?

難しい問題である無茶苦茶ムズカシイ。なんとなれば、「人はなぜ生きるのか?」というような問題にも繋がってくるからだ。

科学価値判断をしない、という文脈に立った上で言うならば、科学的に見て、人間が生きることに意味目的理由存在しない。

あるひとりの人間が、人間としてこの世界に生まれたのは、単なる物理現象の膨大な積み重ねにすぎず、そこに必然性のようなものは全く無い。全く、である

人間は子孫を残すために生まれてきたんでしょ?」と言う人がいるかもしれないが、そういう人には逆に問いたい。「じゃあなんのために、人間は子孫を残すの?」と。

おそらくこの質問に回答できるのは、宗教的議論だけだろう。「終末の日を待つため」とか。「自分を産んでくれた先祖に恩返しするため」とか。

しかしあえて言わせてもらうなら、あなたがこの世に存在するのは、先祖あなたのためを思って子孫を残そうと努力したおかげなどでは決して無い。ただ単に、「種の保存」という遺伝子プログラムに従っただけのことである。身も蓋もないことを言えば、ただセックスしたいからセックスしたら子どもが生まれただけである。いや、ホントはもうちょっと複雑だろうけどね。

「よりよい種を残すことが人類目的だ」というようなことを言う人もいるが、それも科学的に見て間違っている。

生物進化するのは、環境適応するため、である。「より良い」などという概念は、人間的な価値判断に過ぎない。

より正確に言うならば「多様な個体の内、環境適応した個体が生き残る」という形で進化は進む。

人間が今の人間のカタチをしているのは、大雑把に言えば、単なる偶然に過ぎないのである

どうも「人類は今まで子孫を残してきた」という事実と「だから全ての人間は子孫を残すべきだ」という価値判断をごっちゃにする人が多いようだ。事実価値判断は分けて考えなければならない。

あなたが「全ての人間は子孫を残さなければならない」と考えるのは個人の自由だ。しかしそれはあくまでもあなた個人的思想であり、社会的合意ではない。

あるいは、成員全てが子孫繁栄のためだけに邁進するような、そんなブラック企業じみた社会に、本邦はなりつつあるのだろうか? そうしたい人は結構いるみたいだが。

話を冒頭に戻そう。

確かに、人間のうちの多くが、「種の保存」を遺伝子的にプログラミングされている。

しかしだからといって、そのプログラムが多少ズレている人が、直ちに常人であるという話にはならない。

なぜなら、そのプログラムは、様々な偶然の積み重ねによって、そのような文字配列になっただけであり、あらかじめ種の保存を目的として書かれたものなどでは決して無いからだ。

もし足し算が出来ない表計算ソフトがあったとしたら、それはれっきとしたバグである所与の目的と違う動作を、バグと呼ぶのだから

しか人間は、人間遺伝子は、誰かによって何かの目的によって作られたプログラムでは無い。人間遺伝子目的は無い。「ために」も無い。

そして目的存在しないプログラムには、「バグ=異常」もまた、存在しないのではないだろうか。

2015-11-20

足りない

「足らぬを知る」、

まり自分の可能性の枠の上限を広げることは、成り上がり幸福感を与えてくれる。

ただ、そのコストは莫大であり、枠を拡大する段階で、相当の努力ストレス必要とすることが多い。

反対に、「足るを知る」ということは、人生の上限を決め、

基本的には)その中で幸せを探していくこと。

所与の枠の中での活動は、

その枠を広げることよりもとても楽なこと。

そのうえ、精神的充足を得られるのだから幸せのものだろう。

人生の中で、

「足りない」期間が長いからといって、最終的により高い地位にたどり着き、幸せになれるとは限らない。

ただの傾向として、「足らぬ」ことを知り、努力を積み重ねた人間のほうが何かを成し遂げやすい、

ただそれだけのこと。

必死で「足りない」と思いながら踏ん張っている、僕は幸せになれるのだろうか。

それとも、「足りない」ことを知りつつも、

自分の上限を広げる力を持ってないことに気付かないまま、無駄努力をしているのだろうか。


子供の頃は、ド田舎では、今ほどインターネットが普及しておらず、何も知らなかった。

田舎から必死努力で抜け出せたと思ったら、世間はあまりにも広すぎた。

2015-09-13

おしえてもんじゃ

イスラム教女性蔑視していない理由という記事があって要約するとこういうものだった。

1.イスラム教は成立当時の社会において極端な男性支配から女性を救う革命的な考え方を持っていた。

2.しかコーラン記述には、現代において普遍的人権等の概念にそぐわない部分があることも事実である

3.そうした記述についてイスラム教徒フェミニスト等は、再解釈に取り組んでいる。

4.性差別イスラム教教義じゃないからイスラム社会においてこれから改善していくだろう。

2はわかる、ムハンマドは昔の人なので世界人権宣言に着想を得てコーラン執筆したということはありえない。齟齬はたくさん出るだろう。

3がわからない、それはアップデートして使うものなの?

コーラン文字通り読んでいくのは理解できる。ISは異教徒女性に対する蔑視所与のものとしてイスラム的に振舞っている。

でもコーランに対して、現代イスラム世界規範に基づいて、執筆当時決して存在し得なかった解釈を試みるというのは意味がわからない。

コーラン記述は神の啓示を書きとめたものから価値があるんじゃないの?現代社会学者による創造的な再解釈は何がその価値担保しているの?

これ当のムスリムに受け入れてもらえるの?世俗的な地域ならいけるけど、そこ以外は仕方ないという考えなの?

あと現代における人権概念も日々変質し拡張してるわけで、それとの差異が広がるその都度再解釈を試みていく予定なの?コーランってそういう性質のものなの?捨てたらダメなの?

誰か詳しい人おしえてもんじゃ

2015-09-01

http://anond.hatelabo.jp/20150901130641

脳内設定という言い方が悪かったかな?

言い直すと、自分の頭のなかの前提を所与の前提として語らないでね、ってことよ。

あと、別にネトフェミは女たちの「節目節目」を狙って聞こえの良い言説を唱えるほど賢くはないんじゃね?そんな賢さがあったら今頃もっとフェミニズムは拡大してたと思うし。

http://anond.hatelabo.jp/20150901125456

ネットで声がでかいフェミ存在する現実世界から出てきた話ですね

そういう脳内設定を説明もせずに所与の前提として話を振られても困るってことを言ったつもりなんだけど。

ネットで声がでかいフェミ」のこと嫌いなの?

2015-07-25

http://anond.hatelabo.jp/20150725085037

それは朝日新聞詭弁

あんまりこういうことは言いたくないが、国民目線だとそれがどうかした?って話。

結局1972年に出た見解が2015年の見解に形が変わる。その根拠でも理由でも事情でもいいけどそれが情勢の変化。

国民が納得してきたあるいは昨年の総選挙お墨付きを与えた「論理」の構造

 所与の条件:集団的自衛権行使 > 必要最小限の実力行使

 ∴ 必要最小限の戦力保持・実力行使=OK → 自衛隊OK、安保OK、集団的自衛権NG

でこれが

 所与の条件:集団的自衛権行使 < 必要最小限の実力行使

 ∴ 必要最小限の戦力保持・実力行使=OK → 自衛隊OK、安保OK、集団的自衛権OK

に変わった。

所与の条件の認識についてはいくらでもあらそったらよろしいが構造は変わっていないとしか評しようがない。朝日新聞すら「同じ論理から違う結論がでている」と非難することを通じて認めている。彼らはバカなので前提がちがうと同じ論理から違う結論がでることがあるのを理解できなかっただけだ。

ケンポーガクシャの目線の話は別のところでしたからもう飽きた。どうしてもこれじゃ表現上納得いかん、つじつまがあわんから統一見解を破棄して出し直す形にしろという運動をしたいんだったらすればいい。国民の間にそういう認識が高まれば、安部内閣はそうすることだろう。どうせ内容は同じなんだしそうすることもできたんだから

2015-02-06

プライバシー所与の権利ではなく

金を払って維持しなければならない権利ということになるな

こういうところに公的資金をつぎ込めないものなのかな

http://gigazine.net/news/20150206-world-email-encryption-one-guy/

2014-12-20

意思決定しない立場なら無限批判できる。

カフェコーヒー飲んどるんだが、

隣の女性2人組の仕事愚痴が止まらない。


ゆうても、割と仕事に熱い感じで、

「こんな仕事ダルいわー、金もすくねーし」

的でなく、

マネージャー人間関係の調整が下手くそだ!嫌い合ってる人間の調整が出来ない!」

とか

人を動かすということがわかってない!」

マネージャーもっと上手くやるべきだ!」

という感じなのだが、

どうにも結論にたどり着かず、「どうしていこう」に着地しない。


本人は仕事に対して真剣に話してると思ってるんだろうな。

でも、所与の条件から取捨選択して、相互意思を調整して、

意思決定をしない話は、どんなに真剣でも愚痴の域を出ないんだよ。


意思決定しなきゃ、無限批判できるよな。

でも、それじゃ無力なんだよ。

力を持つ第一歩は意思決定する事なんだ。


そんなに仕事真剣なら、同じ仕事の話するんでも、

出世して意思決定する立場になれるといいな。

2014-11-15

子供自然の中で育てろ!」の常識を疑え!

よく「自然の中で子育てさせたい」と田舎ファミリー移住するケースを、マスコミ好意的に取り上げる。

その辺は個人の価値観から自分がとやかく言う筋合いはない。

でも、そういう人の言説が、

「都会で子育てするのは間違ってる、子供が可哀想」

なトーンで書かれてるのにはカチンと来る。

保育所待機児童数が少ない」「実家に近いケースが多く、親のヘルプが得られる」「居住面積が大きい」という点で、

地方部に子育てアドバンテージがあるのは認める。

だが、それらの点を都市部が解決した場合本質的

自然が多いことが、子供の情操上プラス」と定量的に言えるのか疑問。

それなのに、今の教育関係者、そして政府

自然が豊かな方が、児童の肉体的発育・精神的発育に、必ずプラスな筈だ」

という思い込み所与の前提として、さまざまな政策を出そうとしている気がする。

多分、地方創生絡みで、地方の子育て誘導政策が出てくるだろう。

その辺の「常識」を、疑うべき。

まあ、「アトピーの子供を持つ家庭が、地方移住することで症状が改善した」みたいな事案もあるから

中には地方移住、「自然が豊かなエリアへの移住が、子育て有効なケース」もあるのは事実だろう。

しかし、100%ではない。

「元々ダンナさんも奥さんもアウトドアが好きで、自然が大好き」というケースなら、

たぶん子供にも好影響だと思うが、一方で、

「奥さんが都会の味を忘れられず、諸般の事情田舎に行かざるを得なくなったが、

 いつも「都会に戻りたい戻りたい」と言ってる」ようなケース、これだと間違いなく子供マイナス

「親のクルマにばっかり載っている田舎の子」の方が、「電車に立っていたり、駅から歩いている都会の子」よりも

肥満比率は多い、との話もある。

かつては田舎は「徒歩通学距離が長いから結構歩いていた」のかもしれないが、

不審者対策云々でバス等を使わせるようになったりしてるから、歩かなくなってきている

・・・なんだろうな、この「子育てには自然豊かな環境がいい、田舎がいい」という思想って、

どこかロハス香りが漂っているんですよね。

ロハスで終わっているうちはいいが、その先ホメオパシーあたりまでいっちゃいそうで嫌だ。

2014-11-11

はてな有名人」を作り上げた人たち

結論から言うと、インターネッツ20年くらいの答えは、

ライターなり社長なり東大卒なり技術なり「既に足場を持ってる人はのし上がれる」

ってのが周知なので、有名になりたいなら何か自分で作って持ってきてからにしてください。

おこぼれで何かいただこうとか考えても、この20年で成功した人はいません。「文章力と発想が!」とか言っても、そういう人は一瞬で好意的ブクマ500超えが続いて2年以内にコンテンツ企業フックアップされるので、その次元にないならあきらめてください。

何の話か。

大阪の女と、コウモリと、魔理沙アイコンは等質の何かだ。

はてな有名人」という言葉所与のものとして疑いもせず、キャラクターを捧げ、第二新卒カードを捧げ、おまんこを捧げた。「評価社会」と言えば聞こえはいいが、捧げた相手は(どれだけ頭が良かろうとも)所詮ただのフリー編集者だったり、零細社長だったり、DTPエンジニアしかない。

相手は生身の男の子なんだよ。

「身を捧ぐるほどの祖国はありや」と昔の人は言ったが、

「捧げたい」という欲望がありきで「でもネトウヨにもなれず、宮台あずまんにも乗り遅れ、絵師歌い手生主に行けるほど若くもなく、でも捧げて高次の存在に行きたい! しょうがないから身近でコンタクトできる年かさの頭の良さそうな人に捧げよう!」となってるだけに見える。

端的に言ってそれは魔道だよ。

んで結果は何かというと、手前勝手に高め上げた権威とともに、崖から真っ逆さまだ。

巻き込まれた「有名人」はたまったものじゃないし、

長年の付き合いで勝手ながら彼らと彼らの産むコンテンツに薄い親近感を抱いてた読者層もたまったものじゃない。鼻がきいてバランス感覚の有るオタクまとめ屋として、小金持ってるコミュ障の行動家として、私生活仕事犠牲にした高感度下衆アンテナ人間として、それぞれに需要はあったんだ。

村長」やら「師」やらは多少の馬鹿にした感を含んだキャラ名であって、尊称では決して無い。

カエルとか、はまちちゃんとか、金髪とか、そういうもんと同じだったはずなんだ。

相手は生身の男の子なんだよ。あーあ。

まり冗談も言い続けてると真に受ける馬鹿が出てくるから、あんまり過剰なアダ名は「いやいやw」と謙遜しとくべし、って陳腐世渡り話か?

2014-08-02

http://anond.hatelabo.jp/20140801234211

個人的な感覚で即答したら、え? 後者じゃん? となっちゃうなあ。

不治の病っつうか、自分でもどうしようもない所与の欠落やハンデくらい幾つか持ってるけど、

そこに新規で入ってきた奴がこの世の終わりみたいな顔してたとして、

大袈裟やなあと内心苦笑ぐらいするかも知らんし、

あわよくばなにか先輩面で意味のある事くらい言ってやれるかも知れないと

手ぐすね引いてツヤツヤテカテカくらいするかも知らんけど

(もしかしてこの感覚メシウマって奴なんすかね?)、

別に気分を損ねたりはしないかな。

つーか元増田の人って、何処までもこの人個人の悲しみを悲しんでるだけで、

誰よりも不幸のなんのと言っても居ないし、

不幸比べを持ち込んでんのって手前勝手他人だけだよな。

2014-06-20

男女同権or男女平等って無理じゃない?

http://anond.hatelabo.jp/20140619223515

この人の嫁の気持ちはわかるけどちょっと甘えすぎだなぁ、と思って読んで、ブコメ読んだら案の定人気コメントで叩かれてるのは書いてる男の人の方だった。そして男女同権・男女平等と言われて育った身でそれらを読んでてどうにも腑に落ちない。

hisawooo 男の人ってたぶんあんまり愚痴を言い慣れてないんだと思うんだけど、愚痴を聞いてもらうのに「俺のほうが絶対正しいんだけど」って情報不要だよ。正しくなくても慰めてもらえるものだよ

正しいと思っている事をしたくても出来ないという事なら慰める話けど、自分が正しくない事をしてひらきなおって愚痴って慰めてくれって、大の大人としてどうなの?って態度でしょ。

それに問題を解決するためには、まずは間違ってる方が自分を正すものでしょ。その判断材料必要でしょ。

mujisoshina 嫁が実際に言いたいのは「息子のことをわかっていない」ことじゃなくて、「嫁の気持ちをわかっていない」ことなんだよな。増田尊重すべきなのは相手の立場理屈ではなく、その裏にある相手の気持ちなのだと思う。

相手の気持を汲み取る事はもちろん大事。だからといって、自分の気持の整理も付けずに他人にそれを押し付けて、そのうえ現実の状況よりもその気持ちを尊重して欲しいってのは、わがまま以外の何物でもないでしょ。それは現実対処する責任がない小さな子供だけに許される特権

べつに自分フェミニストじゃないけど、女だからってお酌したり男性ばかりを立てるのはおかしいと思うし、ぎゃくに男性一方的に頼るのもおかしいと思ってきた。ギブアンドテイクというとドライだけど、お互いが対等に協力しあって尊重しあうのがあるべき姿だと思ってきた。現実にはそうなってない状況はいくらでも見てきてるけど、昔の慣習がいきなりなくなるわけじゃないから過渡期的な状況だと割りきって見てた。

だけど、はてブを見るようになって頭が???ってなってきてる。曰く、何かあると、女性理屈じゃない、正しいかどうかじゃない、事実じゃなくて気持ちに合わせてやれ、云々。これって、女性現実対処せず正しくても間違ってても男性が黙って自分の気持を汲んで通してくれて当たり前、って事でしょ?それって女性は大きな子だって言ってるのと同じじゃない?女子供って言葉に昔から引っ掛かってたけど、この言葉通りに女性子供同類って事を認めなさいって事じゃない?

そういうのが正しいんなら、男女同権とか男女平等って無理があると思う。だって大人子供同権とか大人子供平等ってないでしょ?女性子供であり続けて良いという規範の人たちは、男女同権とか男女平等っていう枠の外に出ていって欲しいな。そこでは、女性はよい子供として振る舞ってお酌もして男性を立てまくればいいし、男性はその引き換えに子供わがままをちゃんと聞いてあげる。

そういう世界と大人の世界を分けて欲しい。そういう規範の人たちがそんなにたくさんいるなら一律に男女同権or男女平等は無理だと思う。

■追記

はてブされた。ありがとう。でも伝えれて無いなぁ。

plutan 平等って条件を同じにすることで、能力まで同じにすることじゃないんだけどなー。お互いに足りないところを補うのが夫婦ってものじゃないのかしらね。 201

能力の話はしてなかったつもりだけど…もしかして女性の方が現実対処するための精神能力が低くてよい=子供扱いと思って書いたけど、そうじゃなくて、所与の事として低いと言うことが前提?子供扱いじゃなくて、実際に子供だと?理不尽な話に感じるのは、自分へそ曲がりフェミニストなのかな。

hisawooo 例えば上司愚痴など仕事のことであれば正しさが規範でよいとおもいますが、家族間の問題を正しさで裁くのは不毛だと思っています

裁くじゃなくて、現実課題対処しなきゃでしょ?正しいかじゃなくて、現実がどうなのかを踏まえて現実対処しなきゃってだけでしょ。なのに女は自分の気持ちを推測して貰って現実よりそれを優先してもらうって子供じゃない?って話。思いやりがいらないなんて書いてないよ。

hirosh_yoshida いい旦那は嫁からしてもらう以上に嫁に与える。いい嫁は旦那からしてもらう以上に旦那に与える。50%50%じゃないとうまくいかないわけじゃないけど、足して100%いかない夫婦はうまくいかないんだろうなー

元の嫁が子供を独り占めしてる話、嫁ばかり与えてて旦那が与えてないとは読めなかったな。でも反応は、旦那事実に囚われて嫁の気持ちを汲んでないけしからん、なんだよね。事実に囚われるって大人ならまず事実を見るの当たり前でしょ?女性にはそんな必要ないの?

あと家庭で思いやり大事なんて当たり前だから書いてないんだけど、それはお互いにってところが大事じゃないの?事実を踏まえないでわがまま言ったもん勝ちなの?それは女性だったら(子供から)許されべきことなの?って事。

なんかウエメセで、女は子供に決まってるでしょ的な大合唱を食らったみたいな気になってへこむわ…。

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