はてなキーワード: 花畑とは
ネトウヨが大好きな「現実主義」的な話をすると、難民なんて「この社会情勢的に、受け入れるしか選択肢がない」状態なんだよね。
難民受け入れたくないのはどこの国も同じで、でも受け入れないことにはしょうがないからしょうがなく受け入れてるだけ。「嫌なもんは嫌!」って駄々こねてるのは日本だけ。だから特に欧米なんかは「いい加減にしろよ日本……。俺たちに責任押し付けてんじゃねーよ」と突っついてくるの。
議論すべきは、「難民を受け入れるか受け入れないか」ではなく、「受け入れた難民をどう扱うか」だけだと思うよ。
「お互いの文化を尊重しよう!多様性!」ってキラキラお花畑で進めるのもアレだが。「同化政策」じゃないけど、彼らに日本人のマインドをしっかり教育することは、これから日本で生活する難民の人々にとっても役に立つと思う。
その過程で「日本のこれってよく考えたらおかしくね?」と(日本人自身が)気付くこともあるだろうけど、日本のことは最後は日本人が決める。それが「主権」というもの。まあ外国人へのアンケート調査くらいしていいと思うけどね。
俺自身「日本のこういうとこ変わって欲しいなぁ」と思ってることでも、「外国人に言われたから変えます!」っていうのはやっぱり歪んでいるとは思うんだ。
差別はいけないことだと言っている奴は違いが分かるのだろうか?
そんなの区別でも選別でも該当するだろうが。そうでなきゃ「これは差別ではなく区別」なんて言ってねえよ。
あのさあ、俺が聞いてんのは、「本質」の違いだって言ってるだろうが。実質の話なんかしてねえよ。
検索条件だけ変えて、この条件だけ該当したのでこれは差別、みたいなこと聞いてねえんだよ。
書いてあること見ろよちゃんと。
これが一番しっくりくる。
選別から弾かれて悲しまないとでも思ってんのか、脳味噌お花畑か?
お天気か何かだと思ってんのか。理由さんはなくなり、本日は差別の模様、ところによりぴえんが降るでしょう。
何かさあ、これにぶら下がってるツリーを見ると、結局一生懸命差別と区別と選別は別だと力説しているようで、条件によって簡単に入れ替わったりするものでしかないように見えるんだが?
つまり本質的な違いなんか無いと、お前らが証明(そうでなくても論理の補強)してしまっているように見えるんだが。
差別と区別の違いを単なる無教養の底辺、ゴミのお前が理解できる必要があんのか?
年の離れた子を3人産んだ
本当は4人産んだけど
1人は死産で亡くなった
なんとも言えない、なんだこの気持ちは
発達障害のある反抗期の息子、学校に行かず、家や家電を破壊して、警察が家に来たこともある
決して育てやすい子ではなく、周囲に頭を下げながら、何度も何度も涙した
精神科をいくつか転院し
今は研究者になりたいと言っている
スペシャルな子
俺は「戦争を喜んでる」とは言ってないよ。
「戦争にのめり込んでる」「熱狂的に支持してる」とは言ったけど。
「私たちは戦争を嫌っている」「でもこれは仕方のない選択だ」「現実的な妥協なんだ」と言い訳をしながら
ずるずると現状追認を繰り返し、結局は戦争を支持して、そして反戦を攻撃している。
そういう構図を批判してるんだよ。
「お花畑」の逆方向のね。
…
こういう反例持ってきて何か言ったつもりになってるアホそこそこいるけどそのお花畑状態の頭で生活できてるのちょっと羨ましいな
でも全然まったく羨ましくない。
だって、マイノリティを傷つけておいて反撃されなかったからセーフだと思ってるアホはお前だから。
いつだって例外扱いされて社会の主要メンバーから外されてきたことこそがマイノリティへの差別なんだよ。
車椅子ならスロープが設置されずに人の手助けを要請する特別対応になること。
レストランで他を当たってくれと断わられること。
どうせ予測がつかないのに、なぜ自分だけが「現実」を見ている顔付きでいて、相手を「お花畑」扱いして冷笑するのかってことでしょ。
だから「自分は予測できている(から停戦はロシアを利するだけだ)」と自信満々なのはおかしいし「(停戦してもロシアを利さない展開を)予測してみせろ」と相手に凄むのもおかしい。
「兵器が好きだからこそ反戦なんだ」と言っていたミリオタが、いまウクライナ戦争を熱狂的に支持して、平和主義者を罵倒する現実がある。
いまは「中国の侵略を防ぐためにウクライナの戦争はしょうがない」と言っているけど、日中の緊張が高まればどうせまた「これが現実だからしょうがない」と言って開戦を支持するんだろ?
「オタになると軍隊への解像度が上がるから戦争嫌いになると思う」「ろくすっぽアニメ沼にもはまらないチョロいやつの方がよっぽどガチウヨになりやすいと思う」だっけ?
ほらほら、そういうのだよ。
「俺は現実をよく知っている」「平和主義者はお花畑だ」という決めつけのもとで
「戦争はしょうがないんだ」「現実は受け入れないと」と言って戦争を追認していく。
そういえば「徴兵制は現代ではありえない」「徴兵制を危惧するサヨクの感覚は半世紀前で止まっている」って冷笑してたのもミリオタだったな。
同性愛者は現状どう見詰まってもマイノリティやろ 一定の割合で存在してるがマジョリティではないし例外の対象やろ
こういう議論で妊娠できない人が…とか持ち出してきたりな そこで妊娠できない人が責務を果たしてない云々って話になるならそれは暴論だが、そういう人が一定数いるのは前提としてお前は違うやろそういう人を都合のいいときだけ利用すんなって話ではある
最初から自分の後始末は自分でするって強い覚悟を持って子供作らん選択してる人とかはそういう選択もあるよなって思うが、こういう話で同性愛だの妊娠できん人を持ち出してくるのマジで醜悪やぞ じゃあお前は同性愛なんか?って話でしかない
こういう反例持ってきて何か言ったつもりになってるアホそこそこいるけどそのお花畑状態の頭で生活できてるのちょっと羨ましいな
https://anond.hatelabo.jp/20220823201530
「フカフカしたソファ」および「それに座る人(主に女性)」を指す言葉。「お花畑左翼」みたいに頭でっかちで現実を見ていない恵まれた人に対する揶揄らしい
具体的にはTERFがTRA女性について言及する際に使用されたり、セックスワークに否定的な論者がセックスワーク論に賛成する女性を批判する際に用いられる。昔でいう「名誉男性」に近い使われ方に見える
2020年終盤から使用が確認でき、2022年になってから流行りだし、2022年3月以降はジャーナリストの郡司真子さんが頻繁に使用しまくっている
https://twitter.com/search?q=%E3%83%95%E3%82%AB%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A1&src=typed_query&f=live
ブコメほんとに腹立つやつばっかりだな。
人口が増えること自体より生きている人が幸福なことの方が重要だと思います。現状が幸福なのかどうかはさておき。人口のために抑圧を受け入れろ犠牲になれって話にはなってほしくはない。
こういう頭お花畑で聡いこと言ってるつもりになってるアホが本当にムカつくんだよ。お前らどうせ働けなくなったら年金額や医療費に文句言いながらダラダラ寄生しながら生きてくつもりなんでしょ?
どんだけ頭沸いてんの?いいよ、もう。公的扶助は全部辞めて血族で助け合いながら暮らしていく社会になればいいんでしょ。子供に頼らない人は財産無くなったらさっぱり死ぬ社会が幸せな社会なんでしょ。それがリベラリズムなんでしょ。
最近SNSで独身不倫女のアカウントをウォッチしている。サレ妻(夫に不倫された妻)のアカウントを目にしたのがきっかけだったが、不倫女アカウントのほうが断然面白い。
一口に不倫女とまとめたが、病状によっていくつかパターンがある。
おそらく一番想像がつきやすいグループ。「出会う順番が違っただけなのに」「どうして私を口説いたの」など。多少病んでいたとしても、不倫デートの直後には大抵惚気ている。
比較的歴が短い不倫女が多い。相手の男の「妻には嫌気がさしているから、いつか離婚して君を迎えに行くよ」などの大ボラを信じて健気に待ち、時間を無駄にしている。
(不倫女のなかでは)一番真っ当なグループ。不倫を止めた後に立ち直ろうとしているアカウントも多い。「よその家庭を壊してしまった」「早く不倫なんか止めて自分の人生を生きよう」など。
しかし、「不倫止める止める詐欺」をしない不倫アカウントはほぼ存在せず、大抵が期限を区切っても尚引きずっている。
ちなみに、別れる原因は奥バレ(不倫相手の奥さんにバレる)か、単純にフラれるパターンがほとんど。相手の男もクズなので、クズエピソードをきっかけに正気に戻れるラッキーな女もいる。
自ら別れを切り出した不倫女は勇者扱いされ、祝福のリプライが届いていた。
相手の男からすると一番扱いやすそうなグループ。「一番の愛人になる」「日陰の女でいいからこれからも一緒にいたい」
不倫相手という立場に満足しているアカウントが多い。どれだけ気持ちよく不倫相手を送り出せたかを誇っている。その送り出し先とは、もちろん不倫相手の住む家である。ここまで開き直られると、ウォッチャーとしては逆に心配になってくる。
不倫相手の嫁や子どもを憎み、果ては不倫相手本人も憎んでいる。なぜ別れないのかは不明。「嫁と子ども○ね」「授業参観や運動会に参加するなんてきもい」など、自分より家族を優先することに腹を立てて当たり散らす。ウォッチャーとしての見どころは連休や年末年始で、家庭行事を潰すことに生きがいを見出す者もいる。
不倫男からすると、開き直り系を見習って欲しいところだろう。ただし、これらのアカウントには不倫5年選手などもおり、彼女たちは再婚どうこうではなく「とにかく相手の家庭を破壊したい」という恨みを募らせている。
最近では、相手の男の結婚指輪を盗んで捨てるなどの暴挙に及ぶ者も現れた。「不倫は民事」とは不倫女がよくする言い訳だが、こうなると立派な刑事事件である。
にわかには信じられないが、不倫相手の子を出産する者がいるのだ。しかも1人ではない。隠し子が芸能界や政界だけだと思ったら大間違いである。
もちろん認知などされず、1人で育てていくことになる。将来相続でどれだけ揉めるのか…想像するだけで頭が犬神家モードになってしまう。
「避妊しなかったのか?」その疑問はもっともである。ただ、不倫カップルはチンパンジーだ。避妊を徹底するだけの理性があれば、そもそも不倫しないのかもしれない。
ちなみに、不倫女アカウントの中絶率は非常に高く、そのなかで全てを投げ捨てて産む覚悟をした者だけがこの低みに至れるのだ。
いかがだっただろうか。
SNSでは、独身不倫女たちが今日もポエムと怨嗟を投稿している。彼女たちが幸せを掴むことはとくに願っておらず、不倫相手の妻に平穏な日々が訪れることを祈るばかりだ。
付随する覚書だけど、おおむね契約書な扱いなんだわ。
押印前の文章確認してくださいね、って送ってきておいて、こっちが表記ゆれ複数箇所とかモロモロ指摘して、
でも合理的に解釈すればこうだから、こういう理解で押印するよ、だから修正しないでいいよ!
ってクソ丁寧に通知して証跡も残したっていうのに。
指摘箇所の全部じゃないんだ。「バカなクソヤローです」っていう名詞を「クソヤローです」に修正しましたレベルの、まあアレの事指してるんでしょ?わかるよ、普通の人間なら、だから修正しなくていいよみたいな、本当にクソどうでもいい部分だけ修正しやがって。
未修正で残ったのが「弊社」だよ。
甲乙のどっちかか、社名を名指しすべきところを「弊社」だよ、ガチで。バカじゃねーの、これ直さないとか本当にバカじゃねーの。
羞恥心とか死んでないとオマエラの業界はやっていけない感じなの?
あとね、なんで修正せずに別途書面で指摘だけして済まそうとしたかって、一度は有識者的なアレに書面を精査してもらった上での返答だからだよ。
一言一句同じじゃなければ、いくら修正箇所が連絡されてても、また全文を精査してもらわんとダメだからだよ!
普通そうだろうが、本当にバカすぎてどうしょーもねーわ、クソが。
余計な手間かけさすんじゃねーわ。
どうせ一番恥ずかしい文が残ってんだから、全部そのままにしとけよ、本当に。
ロシアはウクライナ侵攻において核使用の可能性を繰り返し示唆している。仮に核が使用された場合、NATOによるリアクションがさらなる核使用を招く可能性については(お花畑ではなく)軍事畑の核コミュニティの中でも真剣に議論されてきた
イギリスだろ?
核兵器を使うのはG7だ。
核兵器が使われることで世界が終わるかは誰にも分からないと言うべきだろう。だが少なくとも、我々はその可能性を真剣に考えておくべきだとは言える。
自己保存と心中は核抑止戦略では表裏一体の概念だ。冷戦末期の確証破壊戦略などはまさにそれである。
自分が先制核攻撃を受けても反撃によって相手国を完全に破壊(心中)できる能力を保有し、その事実を相手に確実に認識させることで安全を確保している。
核兵器が使われたら世界の終わりだ! みたいなのは妄想に過ぎない。
核兵器による世界の終わりの典型的なシナリオは、相手国を完全に破壊できる能力を保有した二国間の紛争のエスカレーションが制御不能となり、最終的に全面的な核攻撃に突入するといった展開だろう。そういった事態が発生する可能性はむしろ高まっていると考えるべきだ。
米国の軍事的なプレゼンスの低下に呼応して、核の力を背景に現状変更を図る国家が現れている。これは核を持った大国間の軍事的な衝突のリスクが増大することを意味している。
ロシアはウクライナ侵攻において核使用の可能性を繰り返し示唆している。仮に核が使用された場合、NATOによるリアクションがさらなる核使用を招く可能性については(お花畑ではなく)軍事畑の核コミュニティの中でも真剣に議論されてきた。
中国は急ピッチで核戦力の増強を進めており、2030年中盤にアメリカとの相互確証破壊を達成すると予想されている。両国の政治的な対立の構造は根深く、戦略的不安定性を解消できるかは未だに見通せない。
エスカレーションの管理は本質的にチキンレースの構造であり、リソースの限られた少数の人間の決断に依存している。それが予測不能な帰結をもたらす可能性は常に存在する。
自立型兵器などの新たなファクターを軽視すべきではないのは当然だが、だからといって核兵器の持つ破壊力が低下するわけではない。
繰り返しになるが、核兵器が使われることで世界が終わるかは分からない。誰にも。
それは核のボタンを握っている当事者にすら分からないことだ。だからこそ、私達自身がその可能性を真剣に考えておくべきなのだ。