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はてなキーワード: 演劇とは

2023-09-25

anond:20230924170920

そうなんだよ

神奈川高校演劇やってるけど舞台責任者的なのやってた人パワハラ炎上してたわ

https://kanagaku.com/archives/66790

この人がどうとかよりこんな劇団癒着してるのを看過してた運営が許せん

ワイはまあ厳しくも優しい人やなあと思ってたけどTwitter見てると「n年前に高校演劇やってたけどヤバい人でした」みたいなのがチラホラ

まあ高校演劇は3年で入れ替わっちうからほっとかれてたのかな

2023-09-24

舞台演劇が廃れたのは単純につまらいからなんだよ

anond:20230924155516

ていうか、面白い舞台ってこの世に存在するのかな?

親がミュージカルが好きでよく連れていかれた(普通演劇舞台もその1/10くらい連れていかれた)けど「面白かった」と思った記憶がまったくないな

宝塚女性AVデビューしたことに対しての世論への違和感

世論って言うと大げさだけど、ネット上では「元宝塚女性AV女優しなきゃいけないなんて日本終わってる」みたいなコメントが多かった。

それ見て色々とびっくりした。特に宝塚=清らかで夢と才能にあふれる少女とでも思ってるのか?という点と、AVに出る人が全員無理やり出させられてると思ってるのかいう点と。

自分芸能関係で働いてたけど、芸能界がキラキラしたところだなんて一度も思った事がない。

芸能人全員性格終わってるとは思わない、むしろなんでこの人こんな性格いいんだと思った人もまあまあいるけど

基本的には何が何でも自分が目立ちたい、どんな手段を使っても表に出たいと思う人間の集まりに決まってるじゃん。キラキラピュアなわけないじゃん。

それをまるでいたいけな少女が騙されてAV出てるみたいに言ってんの頭大丈夫かと。

(宝塚はそれはないと思うが)芸能人の卵がキャバクララウンジバイトするなんて当たり前のことだし。

なんか芸能人というものに夢を見すぎじゃないかと思う。

あの人がどういう事情AV出たのかはしらんが、普通仕事ができないわけないし

(まあできない人もいると思う、ただそれは宝塚というか頭が出来上がってない若いころから芸能界にぶち込まれたことの弊害であって社会うんぬんではない)

庶民的暮らしじゃ満足できないならラウンジで働いたりパパ活やったり

ツテで男つかまえてのんびり専業主婦したり道はいくらでもあるわけで…

なんで被害者みたいになってんだって思う。

こう書くとフェミが追い込まれたんだ!芸能界や男の餌食になった!純粋演劇世界に憧れた人になんてことを!とか言ってきそうだけど

頭お花畑すぎるだろとしか

ちなみに俺が知る限り芸能界だけじゃなくバレエやらスケートやらもかなりやばい

やばい場所からやばい場所に移動したというだけのこと

かわいそうかわいそうって言ってる女性たち、清楚系AV女優を清楚と信じてる男性たちと本質的には同じに感じる

2023-09-16

誰が一番最初ジャニーズ辞めるんだろう?

現状維持が出来るならいいんだろうけれど、

CMが切られ、TVにも呼ばれなくなって、ってなってったら、辞めざるをえないんじゃない。

ライブとか演劇とかで、しばらくは食いつなぐことは出来るかもしれない。

でも元SMAPメンバー凋落を見ていると思う。

彼らの輝きってメディアへの出演があってのものだったんだなあ、と。

2023-09-14

anond:20230913064854

舞妓は何か変わったのか?

当時未成年マリエの訴えは?

他にも演劇芸能界の数多くの女性被害を訴えたが会社が潰れたとかもない

加害者のいた会社どころか加害者が同じポジションで復帰してる例もある

未成年の性被害が起きる構造問題って思うよ、本当に

福祉から漏れ未成年女の子が家庭から逃げ出す為に性行為要求されたり

通学路や学校習い事日常のあらゆる場面で性被害にあっていたり

受験生に対して痴漢祭りやチャンスデーなんて少女へのヘイトスピーチが書き込まれ

未成年を守れてないよな

でも女性の性被害ゼロにはできない仕方ないって見捨てられる

ジャニーズ被害を訴えてた人も女性被害者については枕って言い方したよな

男性女性じゃ被害の扱い方が変わるんだなと改めて思ったわ

ジャニーズ対応してもらえて良かったね

その調子女性被害対応してね

2023-09-11

ジャニーズ事務所凋落ますます邦画実写とか演劇の力が落ちそう(笑)

アニオタとしては願ったりかなったり。

やっぱテレビ権力からは一歩離れておくべきやね。


ジャニーズ完全死亡ならワンチャン邦画もマシになるかもと思わんでもないが今の中途半端状態なら

内紛でどんどん力落ちてくね。いやぁ愉快愉快。

2023-09-10

『橋からの眺め』@東京芸術劇場プレイハウス

を観てきた。

主演の伊藤英明ビジュアルと、数年前の大河ドラマ麒麟がくる』における伊藤氏の役どころが素晴らしかったため、今回もそれを期待して行ったわけである

あらすじは公式ホームページにあるが、

https://stage.parco.jp/program/aviewfromthebridge

ステレオタイプジェンダーロールに拘泥し家長として振る舞うエディ(伊藤氏)とその妻ビー(坂井真紀)、妻の姉の娘でエディが愛してやまず、成長してなお家に縛り付けられているキャサリン福地桃子)、そして妻の従兄弟でありイタリアから不法移民としてやってくる兄弟マルコ和田正人)とロドルフォ(松島庄汰)の物語である

で、何が書きたいかというと、よくわからない観劇体験をしてしまったという話。

 

なぜなら、伊藤英明徹頭徹尾棒読みからだ。

 

冒頭は、狂言回し弁護士高橋克己)の澱みないモノローグで始まる。その後幕が開き、幸福な頃の一家の姿が描写されるが、伊藤氏が口を開いた瞬間に強い違和感が襲ってくる。

棒読みだ。

言葉の一つ一つが、『セリフ』として意味を持たず流れ落ちていく。

キャサリン帰宅した叔父の胸に飛び込み、絡みつくように抱き合う。不穏さを感じさせる、目に焼きつくほど無邪気な愛の光景と共に、低音で棒読みセリフが流れ落ちていく。

劇が進行し、過保護に育てられ男を知らないキャサリンは、初めて目の前に現れた若い移民独身男性・ロドルフォに一目で恋に落ちる。エディはロドルフォが『カマ野郎』(ママ。70年も昔の戯曲なのだである言いがかりをつけ、そんな男に姪が奪われてなるものかと旧知の弁護士の元へ駆け込んだ。「法にできることはない」と窘める弁護士に激昂した口調で激しく詰め寄る。激昂した口調で激しく詰め寄っているのにも関わらず、セリフは相変わらず流れていく。会話が成立していないのだ。

高橋克己演じる弁護士は、本能的かつインモラル嫉妬に駆られた男を前にした常識人というより、意味を持たない言葉の奔流の前に、言語限界を知って戸惑い立ち尽くすインテリといった様相を呈してくる。

ビーを演じる坂井真紀氏は、妻として夫に寄り添い、あるいは向き合う姿そのままに、崩れがちな家庭の場面を立て直そうとしていたが、やはり圧倒的に流れていく主演のセリフ量の前には勝てない。

ドルフォとキャサリンとの会話は慣れてくれば違和感がなかったが、おそらく物語構造上、その若き二人は、そもそも一人の人間として彼に見られていないためだ。だから会話が成立しなくても大丈夫なのだ

しかし今度はそのせいで、二人がエディに向ける愛や憎悪困惑に一切の重みがなくなってくる。あの純粋に不可解な言語の羅列に対し、何を真っ当に苦悩しているのだ、という感じがしてくる。

そしてその異様な不協和音を抱えたまま、劇は終盤の悲劇なだれ込んでいく。

  

失礼なことばかり書いてしまったが、伊藤英明氏はおそらく演技が下手なわけではないと思う。「演技の適性がピーキーすぎる」だけだ。正直動きだけで言えば他の役者の方が怪しいところもなくはなく、伊藤氏がそれをカバーしていたところもあった。

エディのくたびれた労働者の姿態、日常的に男らしさを意識しつけた一挙手一投足、戯れにロドルフォにボクシングを仕掛ける時の軽やかで悪意を秘めた動きと笑い、嫉妬を滾らせて部屋の隅に沈み込んでいる姿の不気味さ。舞台映えしないとは決して言わせない長身も相まって、エディという男そのものを見事に、しかも色気と悲哀を横溢させて表している。

ただひとたびセリフを発すると、演劇空間位相が容赦無くズレ出してしまう。

 

パンフレットを買えなかった(持ち帰る袋がなかった)ので薄い理解ではあるが、アーサー・ミラー脚本は、シンプルに受け止めれば、移民への差別意識問題女性の自立・連帯問題からみつけつつ、家父長としての姿にこだわる男の自尊心と、その体面の下に押さえつけられた欲望を鋭く抉り出したものだろう。

ただそんな真っ当な狙いを外れて、主演のセリフの大半が機能しない状況で、この舞台は圧倒的な不条理劇として立ち上がってくる。冒頭の弁護士モノローグで、ギリシア悲劇的な『条理』は示されているにもかかわらずである

繰り返されるエディの「尊重されたい」という言葉は発されるそばから空疎になり、なんの意味も持たずに空を彷徨う。圧倒的な空疎に対して周囲は嘆き、怒り、困惑し、愛を語り、そして悲劇を止められないことをなぜか勝手に悟る。

そしてその空を彷徨うような言葉で表される自尊心に怒りを掻き立てられ、エディはあまりにも無意味で不可解な死へと突っ込んでいくのである伊藤氏の怒りの演技は見応えのあるものであるが故に、その怒りの根源が空虚しかないという不条理はいや増していく。

そして唐突に死んだエディを、役者たちは無表情で見下ろす。我々の中に紛れ込んでいた全くの異分子がやっと去った、という解放感さえ浮かべて。

 

それはとりもなおさず、エディが脚本上囚われていたすべてのものの虚しさを示す、メタ的かつ正確な表現に他ならない。

あるいは、棒読みの彼こそがリアル人間であり、周りの役者たちを「芝居がかった偽物たち」と捉えることさえできる。

人間感情言葉で表すことなど到底無意味であり、根底にあるのは超言語的な(本能的な)愛と嫉妬憎悪だけだ。それでも周囲の「芝居がかった偽物たち」とエディは、無意味空疎言葉コミュニケーションする他ない。そして彼は己のものでない空虚言葉で己を取り繕い、縛り、孤立し、ついには偽物たちに殺されてしまう。

この姿が、あらゆるイズムに囲まれ現代人の戯画でなくてなんだろう。

 

まりこの劇を伊藤英明の演技が不条理劇に昇華することによって、今回の舞台は一応の成立を見ているのである

 

幕が降りた後、私はい観劇体験をしたのかどうか一考した。期待していたものではなかった。しかし無ではない。あのエディは間違いなく、ただ達者な役者が演じるよりはるかに深みのある造型をしていた。よくわからない観劇体験だったが、今私にこれほどの長文を書かせるほどの体験ではあった。

それが演出家の狙いだったかはわからないが。

2023-09-08

アンパンマン登場人物たちを邪な目で見てしま

子供と一緒にアンパンマンTVシリーズ映画を見ているとたびたび勃起してしまう。

ご存知の通り、エッチキャラが多すぎるからだ。

私はバキバキ勃起させながらも何食わぬ顔で視聴を楽しんでいるが、子持ちの諸兄はどうしているのだろうか。

真面目な話、児童向け作品情欲を持ち込むようで忍びなさを覚えなくもないのだが、私は昔からこうした頭身低めなキャラクターに性的興奮を覚えてしまう癖があり、止めようと思って止められるものではない。

かといって「パパは君と一緒にアンパンマンを見ることはできない。勃起してしまうのでね」なんて言えるはずがない。

別にアンパンマンに限らずとも、似たような状況は無いだろうか?そうしたとき、諸兄はどうしているのだろうか。



最後に、個人的勃起喚起キャラクターを挙げようと思う。

コチョウランさん

頭身高めの良スタイル美人スリットの入ったチャイナドレスがスケベに感じる。絶対いい匂いする。

しらたまさん

頭身低めな世界観の中でスタイルが良すぎる。ばいきんまんとのバトルも演劇練習してると思い込む性格無知シチュを想起させてくる。

レモンちゃん

物体に目鼻口が付いてるシリーズ」の中で最もバランスがよく完成度の高いルックス

さくらもちねえさん

姉御肌の美人単独バイキンロボを撃退できる腕っぷしを持ち、ばいきんまんさえ「坊や」呼ばわり。おねショタを想起させてくる。

ミントちゃん

ミ~ント、ミント~♪の掛け声と共に洗脳を掛けて回る催眠装置

フラワー

すべての癖要素の集大成。目に入った瞬間勃起する。

2023-09-05

テレビドラマを見てる人ってどんな人たち?

久しぶりにテレビドラマをみかけてその劣化ぶりにビビってしまった

画角、演技、脚本劇伴テーマ

全てが陳腐で本当にびっくりした

テレビ見ないがマウントではなく当たり前となってしまった今

Netflixprimeビデオハイクオリティ映像作品配信されている今

一体誰がこのロークオリティ演劇もどきを見てるんだろう?

ジャニオタが見ていることは知っているけど

というか逆にこんなロークオリティテレビドラマを見ている層は

他にどんなエンタメを楽しんでいるのだろう

2023-08-31

anond:20230831133812

シェイクスピア演劇知らんのと布袋寅泰ギターの柄知らんので優劣とかあるんかいなって思った。

吉本芸人漫才が好きなのとオーケストラ好きなのにどっちが上とかあるの?

哲学書好きなのと刃牙好きなので優劣あるの?

ないよ。

ないけど、布袋寅泰に詳しい奴らよりシェイクスピアに詳しい奴らの方が金持ってる場合が多いというだけの話。

金は社会的パワーだからね。

知識に優劣ってあるんかね?

最近東京出身慶応友達と飲み行くことあって、

そこでその友達子供の頃から地方に住んだら美術館とかミュージカルに行けないか文化的素養が身につかない」「ゲームかに詳しくなっても何も役に立たないやん」

かいって若干田舎民やら見下してる雰囲気なこと言ってて、

んでその帰りに上下共に布袋ギターファッショングラサンかけためっちゃ目立つ感じの兄ちゃんが通りがかって

「うわさっきめっちゃ布袋の兄ちゃんおったな」って言ったらなんかピンと来てなくて、どうやら布袋寅泰の楽曲やら布袋寅泰のギターの柄がいろんなところでコスられてる文脈とかそういうの全然知らんかったみたいで

シェイクスピア演劇知らんのと布袋寅泰のギターの柄知らんので優劣とかあるんかいなって思った。

吉本芸人漫才が好きなのとオーケストラ好きなのにどっちが上とかあるの?

哲学書好きなのと刃牙好きなので優劣あるの?

ただの趣味の違いじゃん

2023-08-29

パウリナ・サラスロベルトミランダを殺したのか?(1)

 この度、岩波文庫からアリエルドルマン(昔は、英語風にドーフマン表記だった)の戯曲作品『死と乙女』が刊行された。90年代に一度、英語から日本語翻訳されたものが劇書房から刊行されたが、その後は長く絶版品切状態だった作品である

 「過去に読んだが岩波文庫から復刊したことは知らなかった」という人は、書店に急いで欲しい。

 読んだことの無い人も、やはり書店に急いで欲しい。

 もしかしたら、作品を読んだことは無くても、朴璐美真木よう子などが主演した舞台を、日本国内で観たという人もいるかも知れない。または、ポランスキーによる映画作品を観た人もいるかもしれない。

 ちなみに、これを書いている増田は、ど田舎生活低所得者なので、演劇文化とは縁が無いことから舞台を観たことはない。

 今回の岩波文庫版は、著者の母語であるスペイン語で書かれたバージョンから翻訳となる。翻訳者による詳細な解説があるので、作品執筆の背景となった70〜90年代チリ内外の政治事情を知ることも出来ることから、一読者として有り難い。

 これを目にしている貴方が、書店に赴いて『死と乙女』を入手して読んでくれるならば、もう以下の駄文を読む必要は無い。

 この増田が読むことを勧めている『死と乙女』とは、どのような作品なのか、読んだことは無いが少しだけ興味が有るという人に向けて、以下を記す。

 ただし『死と乙女』の結末に触れる部分があるので、未読で結末は自分で知りたいという人は、ここで一旦、この駄文を読むのをストップしてもらいたい。

 また、直接的ではないものの、性暴力言及する箇所もあるので、精神的な苦痛を喚び起こされる虞がある人は、ここで読むことを止めてもらいたい。

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 物語の大雑把な時代背景と、粗筋を述べる。

 1970年南米チリで、サルバドール・アジェンデ大統領とする政権誕生した。俗に、史上初の民主主義選挙により誕生した社会主義政権とされる。

 しかし、アジェンデ政権を皮切りに中南米地域社会主義国がドミノ倒し的に増加することを怖れた米国ニクソン政権は、チリへの介入を決定する。かくして、米国の後ろ楯を得たピノチェトが起こした軍事クーデターによって、チリ独裁国家となる。

 この独裁政権時代チリでは、多くのチリ国民政治犯として弾圧され、不当な身柄拘束、拷問虐殺対象となっている。

 チリ国外亡命した人間もいる(亡命はしたものチリ国外暗殺されたという人間もいる)。映画『イル・ポスティーノ』の主人公詩人も、そのような逃亡者であったことを、記憶している人もいるかもしれない。或いはまた、ヨーロッパ亡命していたチリ映画監督ミゲル・リティンが、ピノチェト支配下チリへ潜入して取材する姿を、コロンビア出身ノーベル文学賞受賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケスルポルタージュ戒厳令チリ潜入記』(邦訳岩波新書)として著したので、それを読んだ人もいるかもしれない。   

 本作『死と乙女』の著者アリエルドルマンも、チリ国外亡命した人間の一人である

 そして『死と乙女』の主人公パウリナ・サラスもまた、ピノチェト政権下で筆舌に尽くし難い苦痛を味わい、生還したチリ国民の一人である

 本戯曲題名は、音楽家シューベルトの曲に来する。

 パウリナの夫ヘラルド・エスコバルは、ピノチェト政権下で、弾圧されている人々をチリ国外亡命させる手助けをしていた。そのためにヘラルドは、ピノチェト政権当局から弾圧対象とされた。

 しかし、ヘラルドが当局の手を脱して逃亡したので、彼の居場所を吐かせるために秘密警察は、彼の妻であるパウリナの身柄を拘束し、彼女拷問した。その時、拷問者は、目隠しされたパウリナをレイプしながら、シューベルト作品『死と乙女』をBGMに流したのである

 時が流れて90年代に入ると、チリ民主主義国家へと移行する。ヘラルドが逃亡する必要も、パウリナが夫の隠れ場所を吐かずに耐える必要も無くなり、二人は夫婦として、堂々と暮らせるようになった。しかし、パウリナの心には、拷問による拭いきれない大きな傷が残り、それが二人の暮らしに暗い影を落とし続けていた。

 民主主義政権となったチリ政府は、ピノチェト独裁時代に行われた弾圧について、調査究明を行なう国民約束し、そのための調査委員会を任命する。今やパウリナの夫ヘラルドは、その調査委員会のメンバーの一人である。これが、物語の開始の時点で、主人公の置かれた状況である

 物語の冒頭、或る晩、ヘラルドは、パウリナの待つ自宅へと自動車で帰る途中、タイヤパンクにより立往生していたところを、通りがかった医師ロベルトミランダに助けられる。ロベルトミランダの車で自宅に送り届けられたヘラルドは、夜も遅いし助けてくれたお礼にと言って、ロベルトに自宅へ泊まっていくことを勧める。

 結局ロベルトミランダヘラルドの申し出に甘えることにし、ヘラルドが寝室に居るパウリナに声を掛けて、彼女にも客人を泊まらせることを了承させる。

 翌朝。

 ロベルトミランダは、椅子に縛られている。パウリナが、彼にリボルバー拳銃を突き付けている。

 それを見て驚く夫ヘラルドと、狼狽する医師ロベルトミランダに対して、主人公パウリナは告げる。

「昨夜、この男の声を聴いて気づいた。この男、ロベルトミランダこそが『死と乙女』をBGMとして流しながら、あたしを拷問し、レイプした人間だ」と。

 ロベルトミランダ拳銃を突き付けて「洗い浚い罪を吐かせる」と主張する主人公パウリナに対して、夫ヘラルドは思い止まるように説得する。

 チリピノチェト独裁体制を脱して民主主義国家となったとはいえ、いまだピノチェトを支持するチリ国民も決して少ないとは言えない(現実世界2023年現在でも、ピノチェト支持者が残っているのだから民主政権に移行したばかりの90年代前半を時代設定としている物語の中では、尚更である)。独裁政権時代弾圧活動に関与した人間たちの全てを、罪に問うて処罰しようとしたならば、親ピノチェト派の有権者からの反発を招き、まだ体制も盤石とは言い難い民主主義政権が倒れることになりかねない。最悪の場合内戦が勃発して、更に血で血を洗う国民同士の殺し合いともなりかねない。

 そのため、現実世界チリで行われた調査も、調査対象事件を「被害者殺害されたという重大なケース」に限定し、尚且つ、真実を綿密に明らかにした調査報告書を作成する代わりに、弾圧関与者の氏名公表や厳しい処罰免除するという、謂わば折衷案の形をとらざるを得なかった。

 処罰免除するという条件を餌にした、一種司法取引によって、ピノチェト独裁政権時代弾圧に関与した人間に、己の罪を自発的告白するように促したとも言える。

 しかし、もしも調査委員の一人であるヘラルドの妻パウリナが、ロベルトミランダ殺害してしまったとしたら、いや、殺害せずとも、拳銃を突き付けてロベルトミランダ自白強要したこと世間に知られたならば。

 民主化した政権も、真相究明も、全てが水泡に帰すことになりかねない。

 パウリナは、ロベルトミランダの命までは取らないことを条件にして、今ここにいるパウリナ、ヘラルド、ロベルトミランダの三人で"裁判"を行なうことを強引に承諾させる。かくして、現実チリで行われた真相究明の動きを追体験するような、緊迫の一夜が、舞台上で演じられることとなる。

 以下では、物語の結末に触れているので、未読の人は一旦ここで増田駄文を読むのを切り上げて、まず『死と乙女』を読んでもらいたい。

 ロベルトミランダに罪を告白させること(供述テープレコーダーに録音した上で、ロベルト自身の手で文字起こし原稿を書かせ、さらに「自発的真実を語った」と宣誓する署名までさせること)が出来たミランダは、ロベルト監禁する前に家から離れた場所へ移動させておいた彼の車を、返すために取りに行くようにと夫ヘラルドに頼む。

 そして夫ヘラルドが家を出て二人きりになると、パウリナはロベルトミランダ銃口を向け直す。

 「真実告白すれば命を助けると言ったのに、約束が違う!」と抗議するロベルトミランダに、銃口を向けるパウリナ。

 パウリナは、ロベルトミランダの語りを聞いて、心の底から反省や悔悛が彼には見られないと判断したのだ。

 ここで演出として、舞台には幕が降り始め、パウリナとロベルトミランダの姿を隠すとともに、その幕は鏡となっており、演劇『死と乙女』を観ている観客たち自身を映し出す手筈になっている。

 再び幕が上がると、物語ラスト場面であり、パウリナとヘラルドは、二人で連れ立って、音楽演奏会に出掛けている。演奏の休憩時間では、他の観客と、調査委員会による調査の成果について、夫ヘラルドは語り合っている。

 休憩が終わり、演奏が再開される。

 すると、その演奏会の会場にロベルトミランダが入って来て、主人公夫婦から離れた、ずっと後方の客席に彼は座る。

 夫ヘラルドは気づいていないが、パウリナはロベルトミランダ存在に気づいて、しばし後ろを振り返り、ロベルトミランダを見る。ロベルトミランダは、何も言葉を発すること無く、ただ、主人公パウリナに視線を向け続ける。やがてパウリナも、ロベルトミランダから視線を外し、前方(演奏会舞台があると設定されている方向)を向いて、物語は終わる。

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 パウリナ・サラスは、ロベルトミランダを殺したのだろうか?

 この増田は、殺したと考えている。(続く)

2023-08-27

[] そのななひゃくろくじゅうなな

ウィリーッス

 

日曜作業お疲れ様です。

本日日本においては男はつらいよの日寅さんの日、ジェラートの日となっております

寅さんといえば口上が思い出されますね。

スラスラと出るあの言葉応酬は少し真似してみたくもなったりするものです。

というかあのやりとりがあるからこそ、その言葉達の中に潜む意味合いが深く突き刺さるのかも知れませんね。

コミュニケーションというのは奥深いものですね。

まぁアレは演劇ですが。

 

ということで本日は【適度なコミュニケーションいか】でいきたいと思います

適度なコミュニケーションいか!適度なコミュニケーションヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

 

追記

先程の朝礼内の掛け声において“適度なコミュニケーションいか!”と書くところを“程度なコミュニケーションいか!”と書いてしまいました。

現在はその誤りは訂正しております

今後はタップタイピング発音の仕方などをしっかりとして、誤った掛け声にならないように努めたいと思います

2023-08-26

みなさーん「伏線回収」してますかー?

はてなブックマーカーのみなさんは「伏線回収」という言葉一家言がありますよね。

それに比べてXの方達は言葉を無邪気に使い、そのポストにクドクドと長文ブコメを書く恐ろしいインターネットをよく見かけます

僕はもう、はてなブックマーカーのみんなが「伏線回収」で怒る姿を見たくありません!

なので「伏線回収」について思うところを思う存分に吐き出していただくサンドバッグ増田を書かせていただきます

以下、はてなブックマーカーの皆さんが怒りやすそうなポストの例です。

レイマグナスシャブラニグドゥです。(伏線回収)

○「ドラえもんのび太の新恐竜ピー助が登場する伏線回収に震えた」

○「ゆるゆりの撫子の恋人があの子って考察読んだけど全部の伏線回収してて腰抜かした作者本人か?」

○「FGOでオベロンキャラデザ羽海野チカであることまで伏線回収するとかきのこ深すぎ」

○「スパロボTは最早ナデシコ2なんよ、伏線回収エゲツなさすぎて泣いたわ」

○「ずんだもんの性別伏線回収されるときはくるんかな?」

○「東京03さんのコント伏線回収が凄まじくて、コント通り越して演劇なんよ」

○「ダイターン3破嵐万丈メカノイドである伏線回収はまだでつか?」

○「ぼざろのきくりおねーさん風呂無しアパートに住んでる伏線回収で10000000000回抜いた(事実)」

○「押井マモはお犬さんのこといつも追いかけてる。一日中お犬さんのことばかり考えてる。だけど押井マモはやっぱり少し蕎麦全然お犬さんの気持ちなんてほらわからないみたい。本当にだめよねお蕎麦さん、教えて欲しいのお蕎麦さん、そうこの世で一番大切なことはやっぱり「遅すぎたと言っているんだ」だったと思うけど、人生伏線回収じゃん」

○「「みなさーん「伏線回収」してますかー? 地獄に落ちろ!」 まさか、この増田タイトルすらも伏線だったとは…… このはてなブックマーカーも見抜けなかったよ……」

ファンレターの書き方

最近ファンレ界隈が騒がしいらしいのでファンレ書くの大好きオタクがいつもファンレ書くとき気をつけていることを列挙しようと思う。

ファンレは作者のファンサなのでみんな勘違いせず楽しくウキウキファンレター書こうな!

なおオタク文章なのでめちゃめちゃ長いぞ!流し読み推奨だ!

いち

ファンレターは好きですありがとうを書くとこ」

ファンレターってなによ?ってこれに尽きるよね。

批評とか批判とか書く必要マジでないです。

そもそもファンレターってこっちが出したくて出してるものなので「書いてあげなきゃ!」とか思うくらいなら書かなくていいと思ってるまである

だってファンレターって紙ならかさばるし量あったら読むのに時間も体力も使うし作者は絶対読まなきゃいけないものでもないんだよ。でも喜んで読んでくれるんだよ。好きなもの作ってくれる人に作ってくれてありがとうって伝えられて、それを喜んでこちらこそありがとうとか言ってくれるんだよ?ファンサだろ。

ファンレターくれって言ってるじゃん」と思う人もいるんだろうか。まぁ大事なのは間違いないと思うよファンレのあるなしで人気具合が決まるとかあるみたいな話も聞くし。

でも正直書籍とか歌なら販売数のが重要じゃねとも思わんか。どんなに熱烈なファンレ届いたとしても一冊しか売れてなかったら打ち切りでしょ。

「書いてあげなきゃ」思考で書くと絶対自己顕示欲が滲むと言うか、「このファンレターで作者に爪痕残してやろう」みたいな気持ちが入っちゃうんだよね。それいらないから。作者は作品感想が聞きたいのであってファン執筆者自己顕示欲には用がないから。中古で買いましたとか図書館で読みましたとかのこと書いちゃう例のアレ自己顕示欲の発露だよ。作者の精神に影響を与えようとするな。心に残ろうとするな。大体本が売れた売れなかったは作者の収入につながる超センシティブ話題なんだから気安く触れるもんでもねえ。

本当にめちゃめちゃ好きで堪らなくて言わないと爆発するという気持ちを込めるのがファンレターやぞ。

「結局引用が1番最強」

本なら「2巻の◯ページの☓☓ってセリフが刺さりました」音楽なら「△△って歌詞が心に響きました」「Aメロの頭のギターテク最強すぎて震えました」絵なら「髪の先の線のしゅぱって感じがめっちゃ好きです」などなど、引用ってめっちゃ簡単に好きなところをダイレクトに伝えられてとても良いです。

めちゃめちゃ好きなのは本当でファンレターも出したいけど何を書いて良いのかわからないし語彙力もないって悩む人いるじゃん。引用が最強やぞ。

読書感想文では引用差し控えろって言われがちだけどファンレターにおいては作者側も読者にはここが刺さるんだな〜って分かって嬉しいんじゃないかな。どこがどう好きってのを言えたらより良いファンレになると思うけど言えなくても引用してあれば少なくとも好きって言ってもらえる場所はわかるし。とにかく好きです!だけより伝わりやすい。語彙は正直なくて良い。と思ってる。文章プロじゃないんだから語彙力なんかあるわけねぇだろ。あったら良いかもだけど「あなた作品梅雨の朝の貴重な晴れ間に水の冷たさを残した空気を吸い込むときのような気持ちになります」とか書かれても嬉しいけど具体的にどんな気持ちで……?ってなりかねん。平易な言葉ってのは伝わりやすいという利点がある。「好きです!」は「好きです!」以上の意味にならないかダイレクトに好きが伝わるぞい。

さん

赤の他人に書いてるってことを忘れない」

作者って友達じゃないんだよね。いや同人とかで友達の作者にファンレ送ることもあるかもだけど(その場合友達に許される距離感で好きにしてくれ)商業販売されてる作品とか舞台に立ってる役者とかYouTuberとか画家とかバンドとかまぁなんか色々あると思うけど大体は会ったこともない人だったり顔も知らなかったりすることのが多いわけじゃん。

「身内ヅラ」「タメ口」「アドバイス」が書き始めにハマりやすい三大危険思想だと思います

身内ヅラってのは例えば好きな俳優さんとかアイドルとかバンドマンに「☓☓のママとしては〜」とか「お兄ちゃん心配です」みたいなこと言っちゃったりするやつ。普通にこわい。誰だお前!みたいな奴から突然身内ヅラファンレ届いたら引くだろ。後方腕組彼氏面はやってるだけならおもろいけど彼氏面で話しかけたら不審者やぞ。過度なイジりとかも控えよう。過度っていうかイジるな。そういうキャラだったとしてもイジらないほうが絶対平和

笑ってくれる神のような御心の持ち主も稀にいるかもだけど何度もいうがファンレはファンサなので推しに1グラム心理的重りも乗せないように気をつけようね。君から送られるのが1グラムだとしてもそれが何百何万の数になったら推しは潰れちゃうよ。

タメ口についてはこれ言う必要あるか?初対面でタメ口は相当思想強いぞ。敬語っていうのはあなた他者として尊重する意思がありますという1番分かりやす表現から悪いこと言わないから使っとけ。あの人はノリ軽いしそんなん負担にならないもん!と思ったとしても使っとけ。推しが「敬語ファンレ受け取らねえから」って言ってたら使うな。そんぐらいのレベルの話です。

アドバイス。これが1番良くない。「△△の書き方はもっと♡♡にした方が良くなると思いました」「□□のときの言い方はもっと優しくしたほうが良いと思います」みたいなやつ。

聞いてねえ!!アドバイスするな!!!

いか!!!アドバイス!!!!するな!!!アドバイス全部うるせえ!!!!!!同業者でもしねえ!!!!!素人は黙っとれ!!!!!!!!!

えー、アドバイスについて恨みがあるのでうるさくなります推しアドバイス送って良いことはひとつもありません。アドバイスというのは無用ものです。そんなもん書くくらいならおすすめラーメントッピング書くほうがよっぽどマシです。世に出ている作品商業だろうが同人だろうが人の手と目を通って世に出ています自分が読んですぐ思いつくようなこと作者も周りも一回は口に出してます。それを捨てて出来たのが作品です。どうしても気になる、ここの展開は絶対この方が良い!と思うなら自分創作しようね。

誤字脱字報告とかも作者さんが「してね」って言ってないならファンレには書かないでください。十中八九萎えます配信者の言動とかもそうだぞ。「もっとこうしたら〜」みたいなのは他人に言うことじゃないです。推しアドバイスが欲しいと思うときは周囲の適切な人に相談しています。お前には聞いてねえです。夜露死苦

よん

「じゃあ何書けば良いんだよの話する」

・好きなシーンの引用

・書けるならそれをより具体的に何故好きか

・もらった喜びや感動など

を書くのが1番分かりやすいです。

引用はさっき言ったやつ。具体的に何故好きかって言うのは、じゃあそのシーンを好きな理由ですね。

みんなカチカチ山って知ってる?知ってる前提で話すね。カチカチ山を例にしてファンレ文を2個作ったので読んでみて欲しいんだけど

例1

・兎がおじいさんのためにめちゃめちゃ頑張っててえらいと思いました。

例2

・兎がおじいさんのために、憎いたぬきに友人のように話しかけたり、辛子味噌泥舟製作など一切手を抜かず復讐への手間を惜しまない姿勢に感動しました。

例2のがわかりやすくね?

これが具体的に書くの話ね。でも前者が悪いわけでは全くない。例1の方がパッション伝わることもあるので、例2の方がより良いわけでもないんだけど、具体的なシーンの伝わりやすさは2の方だと思うんだよね。

他にも作った。これはさらに何故好きなのかの説明を深堀りした例ね。

例3

復讐劇としての完成度の高さと、主人公であるうさぎたぬきキャラ対照的で良かったです。

例4

・おばあさんの慈悲の心を踏みにじった非道な行い、それを反省もせず人の誠意を足蹴にするたぬきの圧倒的な残虐性が、その後のうさぎの強い復讐心に対する説得力に繋がっていて作品構成力に感動しました。たぬき刹那主義快楽主義性格と、恩を重んじて誠意を大切にするうさぎ性格とが、対照的な二人のキャラクターを引き立てあっていて、ストーリーに深みを感じます

めっちゃ書くこと多くなった。何を書いたら良いか?ってつまりこれを書くとめちゃめちゃ伝わりやすいよね。

これはカチカチ山ベースで書いたからこうだけど音楽でも配信でも演劇でも漫画でも同じことができます

この書き方は「何故」を主軸にすることが多いです。

何故このストーリー展開なのか。何故このキャラはこんな動きをしたのか。何故私はこのシーンがこんなに好きなのか。そこを掘り下げると作者に伝えたい大好きなポイントや、それを具体的にどうやって自分が感じ取ったのかの言語化が出来るようになります

でもめっちゃ練習がいるのと、私は声に出して「何故こうなんだろう」「どうしてこう書いたんだろう」と疑問文口に出してた。あと感想文上手い人の文章めちゃめちゃ読んだ。論文とかも読んだし書いた。そこまでやる必要はないと思うので、そんな手法もあるんだな〜くらいに見といてもらえると良いと思いました。

もらった喜びや感動についてはもう言葉のまま。

あなたがいてくれたからこんなに毎日に喜びがあふれてます

あなたのおかげで辛かった日も乗り越えられました。

あなた作品毎日の楽しみになっています

そういうことを素直にそのまま書く。これが作者にとって嬉しいことなのかは正直わからん。拙者ファンレ書くの大好きオタクなだけでファンレもらうことねーもん。でもファンレを送るのってこれを言うためだよねって気もしている。

あなたのおかげでこんなに私は幸せですって伝えるものファンレターなんじゃないでしょうか。技術のこととか書くなよ!ってこととかの話もしたけど、これが書いてあればファンレターはそれで良いんじゃないかな。

推し迷惑をかけない。推し不快な思いをさせない。推しにありったけの感謝を捧げる。

そういうファンレターが書けるようになりたいものですね。


おしまい

2023-08-23

定番映画ってどうやって観ていけばいいの?

区切りの年を迎えたこともあり、これから何してこうかなと思ってるんだけど、今まで映画ほとんど観たことがなかったんでいわゆる名作映画とかスタンダード映画を履修したいと思ってる。

本当に今まで映画ほとんど観てなくて、タイタニックとかBTTF1作目とかビルテッド1作目とかグランブルー本当そのくらい。定番アクションも観てない。アニメも初期ジブリ最近新海誠とか観た程度。

学生時代演劇やってたし、小説演劇は好きなんだけど、映画をなんで観てこなかったのかなと言われると、暗いとこに2時間拘束される感じが苦手なのかも。あとは小説マンガ原作でふくらませたイメージ映画全然違ったりするのがしんどかったとか。だから原作付きよりオリジナルの方がまだ違和感なくていい。

でも先日からコサキンPodcast聴いてたら、二人が映画のこと楽しそうに話してるの聞いて、いわゆる定番映画ちゃんと観てみたいなって思った。

でもどういうの見ればいいのかよく分かんないから、どんな感じで観ていくといいかアドバイス欲しくてここに書いてる。

好きに観ろよってのはまあそうなんだけど、シリーズに沿って観てくのがいいのか、監督作品を辿るのがいいのか、役者で辿るのか、ジャンルを決めるのがいいのか、そういうのもよく分かんないのよ。

小説だとSFとかミステリーが好きだけど、ジャンルが好きというよりはSFミステリー論理整合性みたいのがかっちりしてるから好きなんだと思う。

この辺見とけ!みたいなおすすめない?

2023-08-19

地方文化教養とか鼻で笑ってる

文化とか教養とか話題だけど、結局言ってることただの消費じゃねーか。

しろアーティスト地方暮らしながら作品発表してる人の方が多いくらいだよ。

絵、小説陶芸書道演劇現代アートetc

集団で作る作品だと東京の方が有利だけど、ソロで完結するなら絶対地方有利。

パッと思いつくだけで長野熊本沖縄、全部政令都市以外で暮らししてる。

しかもみんな稼いでて、普通以上の収入得てるなぁ。

そら消費したいなら東京一択でしょと思う。

2023-08-17

女性ファンだらけの演劇ジャンルに来た男性の注目のされ方は異常 ちょっと感想書くだけでまぁ~釣れる釣れる

演劇部=ヤバいやつらというのは何なのか

そもそも恥を捨てて人前で演技するやつは頭がおかし

アヴァンギャルド演劇イメージがある

・絵や作曲よりもう少し大きい創作をしたい、イカれたクリエイターが集まる

・絵や作曲と異なり3次元的な思考力が居るため頭のキレる人が多い

・喋り方が変になりがち

声優役者など現実味のない職業に憧れてる時点でヤバい

なんなんすかねホント

2023-08-16

anond:20230815163751

演劇とかの一発録りは一回限りの録画でって意味であってる?

2023-08-15

カシマレイコデウス・エクス・マキナか?

Wikipedia引用

デウス・エクス・マキナdeus ex machina、羅: deus exchinā デウス・エクス・マーキナー[注 1])とは、演出技法の一つである古代ギリシア演劇において、劇の内容が錯綜してもつれた糸のように解決困難な局面に陥った時、絶対的な力を持つ存在(神)が現れ、混乱した状況に一石を投じて解決に導き、物語収束させるという手法を指した。

 

んーまあそうかも?

 

作中では(メタを除けば)

別に解決するために出たわけではなく、

敵を滅ぼしたより強大な敵でしかなく、相変わらず絶望的な状況であって、どっちに転ぶかわからない緊迫感があったはずだが。

そこで味方になってくれたのは主人公たちの愛の力ゆえであって、

デウス・エクス・マキナと言えるのは愛だよ愛。

2023-08-13

呪怨 THE LIVE つまんなすワロタ

※この記事は『呪怨 THE LIVE』のネタバレを含みます
※私は、観劇数は年1-2本ぐらいのカジュアル演劇勢でホラー素人です

呪怨 THE LIVE』とは

https://juonthelive.com/

日本を戦慄の渦に巻き込んだジャパニーズホラー金字塔呪怨」が、

この夏、恐怖の体感ライブエンターテインメントとなって再び日本を恐怖のどん底に突き落とす…。

何故この記事を書いたか

何かの本で、「人が演劇というジャンルを嫌いになるときは、つまらないものを見たからではなく、つまらないものが褒めそやされるのを見たときだ」と読んだ。(出典うろ覚え

三谷幸喜が言うように、舞台は底を抜けてつまらない作品もあれば、天井を飛び抜けるぐらい面白い作品との出会いも与えてくれるメディアだ。(出典うろ覚え

しかし、舞台芸術はその客数の少なさから、あまり詳細な感想が世に出ることは少ない。そもそも否定的感想を発信することが良い印象を与えない昨今、「こんなにつまらないのに、もしかしたら自分以外に批判する人がいないかもしれない」と慄いたからです。ここに、確かにまらなかったですよと残しておきます

結論

呪怨 THE LIVE」のことは嫌いになっても、舞台芸術そのもののことは嫌いにならないでください。

補論

舞台構造について

公式Twitterでも紹介されているが、「囲み舞台」と呼ばれる、舞台に対して客席を四方に設置する形式だった。私は9800円の「最凶シート」だったので、舞台を見上げる形で座っていた。不気味に作り込まれた一軒家を。

この家がシーンに応じて回転し、観客はなんとなく全貌が把握できるはずという形式

しかしこれが、見にくい!!

自分が座っている客席の反対側で、決定的な殺人シーンが行われているときなど、「怖い」という気持ちより、「見えないな~」という気持ちが勝つ。

迫力を高める&見えない箇所を見せるために、時おり壁面に映像が映されるのだが、それもまた見えにくい。

さらに、演者はしばしば、客席と客席の間に設置された通路でも芝居をする。その度に、演者越しに客たちが見えて、没入感が解消される。

お化け屋敷で、常に他の客の顔が見えるようなものだ。

脚本について

本作の観劇に先立ち、『呪怨劇場版を予習しました。劇場版は、穢れてしまった家に足を踏み入れた人たちが連鎖的にカヤコトシオに付き纏われて死亡していく様を、連作形式で描いていくものでした。これは面白かった。見ていくうちに呪いの全貌を把握出来ていくし、呪い時代を越えて伝染していく様子を描くのに時をガンガン飛ばし視点キャラクターを変えていく形式マッチしていた。白塗り幽霊たちはシュールな笑いと紙一重ながらも、視聴者意識の隙をつく登場のさせかたがいくつもあり、日本ホラー金字塔と言われるのも納得だった。あと伊東美咲美人すぎ。

いっぽう『呪怨 THE LIVE』も、群像劇形式を取る。ビデオ版の『呪怨1』『2』を原作としているらしいのでそこ準拠なのかもしれないが、これがタルい。場面が切り替わるたびに、5-15秒ぐらいの暗転が生じる。その度に現実に引き戻される。高校演劇地区大会の講評会が頭をよぎった。「まずは暗転の数を減らして、なんとか時間を短くしてみましょう」。

舞台の冒頭は、あべこうじ演じる不動産屋が、若夫婦呪いの家を内見させるシーンだ。不動産屋と旦那は鈍感だが、妻は霊感が働き、飲んだ水を吐いてしまう。という数分の芝居のあと、長い長い暗転があり、時が昔に遡り、カヤコが殺されるシーンに繋がる。

素人意見ながら、もしこのようなシーンの転換を、囲み舞台ではない一般的ステージでやるだけで、もっとテンポよく場面転換できたのだと思う。たとえば舞台の下手のみに照明を当てて、次の場面の役者は上手で控えておく。場面の転換に合わせて照明を切り替えるとか、よくある普通演出ですよね。普通だけど見やすいと思う。

それをやらなかったのは、「呪怨は家がキーから客席の中央に置きたい」「呪怨はいろんな時空が並行して描かれていくもの」という、個々のエゴが先立ち、「舞台としてどう面白く見せるか」という前提が欠けていたのではないでしょうか。

演出について

役者の喋り方と喋ってる内容がタルい。90年代トレンディドラマ自己模倣のような、内容のない戯画的なセリフex.「パパでちゅよ〜」「僕は青山ブルーマウンテンしか身体が受け付けないんだよ」

「平凡な幸福不条理な恐怖が襲い掛かる」という構図をやりたいからって、凡庸で退屈な日常を見せつけ続けていいわけなくないですか?

画面で仕切られていないナマの人間が、眼前でウソ台詞を喋らされているのは、興冷めというか退屈というか。

そして、舞台からこその工夫という点も、見いだせなかった。

そもそも呪怨』が映像として成功したのは、メディアに即した恐怖演出発明し取り入れたことによると思う。一瞬だけ映すとか短編連作という形式とか。

じゃあそれを舞台化する、ってなったら、なんか1個はあってくれよ、と。脚本上のアイデアか、舞台ギミックか、役者のパワーか。

家ぐるぐる回して見えにくくして、ナマの人にやらせることでチープになっただけという印象でした。残念。

私も大人なので、こういうデカプロジェクトの仕上がりについて、演出家とか脚本家とか誰か個人責任を帰そうというつもりもないんですが、チケット代9800円(+システム手数料とか)払ってるんです。

それでいて、

恐怖の体感ライブエンターテインメントとなって再び日本を恐怖のどん底に突き落とす…。

なんてアオってるわけですよ。

95分かけて退屈させたうえで、終演のアナウンスで「清めの解塩(300円)」を売りつけるんですよ。「清めないと、何が起きても責任は取れませんよ…」って。噴飯ものどころか、失笑です。清めの解塩(300円)。失笑(9800円+システム手数料)。

もし自分最初観劇体験が本作だったら、舞台なんて一生見に行かないと思う。

ハイバイとかロロとか子供距人とか吉本とか見に行ったほうがいいと思います。他にもオススメがあったらコメントしてね。

以上です。

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