「演劇」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 演劇とは

2024-09-11

anond:20240911031444

子供の頃から準備することは伝統の一部だと思う。

それが駄目なら歌舞伎は消えるべきだろう。

伝統芸能としての歌舞伎が消えても演劇の一形態としての歌舞伎は残るだろうし、消費者にとってはどうでもいいことだ。

2024-09-10

さえぼうvs映画評論家たちを眺めながら思ったこ

発端はいかの映画評だ。

https://ohtabookstand.com/2024/08/kansosaiko-3/

かいつまんでいうと、北村紗衣という大学教授ダーティハリーをつまらないと感想を述べたのだ。記事はつまらないという結論からまり、公開当時の映画界の潮流やダーティーハリー立ち位置などを説明し、彼女がなぜ本作をつまらなく感じたかという分析をするという構成であった。

この映画評に対して、須藤にわかというブロガー反論記事note投稿した。

https://note.com/niwaniwaniwaka/n/nf5fd97890657

北村記事内容を「ウソ」と言い切り、反論記事を書いたものだが、これが北村の目に留まったのだ。元々のタイトルが「北村紗衣というインフルエンサーの人がアメリカン・ニューシネマについてメチャクチャなことを書いていたのでそのウソを暴くためのニューシネマとはなんじゃろな解説記事」という完全に喧嘩を売ったものであったので、北村が反応するのは当然であった。こうして戦いの火蓋が切って落とされた。対戦はTwitter上で繰り広げられた。

ただ、結果的には喧嘩にすらならなかった。

両者の記事を読んでいただくとわかるが、北村記事からウソを見つけるのは難しい。というのも、彼女の論はこれまでのニューシネ研究にそったオーソドックス説明引用に過ぎなかった。北村はニューシネマに対する専門家ではないため、自論を述べることに慎重であったのだろう。ちなみに北村シェークスピアをはじめとした芝居や演劇の専門で、映画に関する論文書籍執筆していることは補足しておく。いずれにせよ、須藤北村にたいしてウソというなら、これまでのニューシネマや映画史と対峙することに等しかった。

一方須藤記事はニューシネマに対する熱量敬愛は感じられるが、感想意見事実とが混同していて、素人から見てもツッコミどころが山ほどあった。北村須藤ロジックのほころびをみつけては、ボコボコにしていった。はっきりいって、ロジカル勝負は数回のラリーでついていた。

ここから戦いは違った様相をみせていく。Twitterでの論争に苦戦したためか、須藤およびその周りのアカウント北村映画評以外の部分で攻撃。直接的な攻撃だけでなく、スクショでの晒しや別SNSでの陰口大会が始まった。中には露骨女性蔑視を匂わせるものもあり、ロジカル議論とは程遠かった。

しかし、北村はそれらを全て捕捉し仕留めていった。陰口がバレて「北村さんのことじゃないですよ〜」と言い逃れをしようとしても、ロジックで詰めていってトドメをさした。

興味深いのは北村攻撃していた男たちの中には、日頃はどちらかというとリベラルな考えの持ち主もいた。いつもは保守派女性蔑視を嘆いたり、女性地位向上を望んでいるアカウントも、女性に論争で負けること自体は気に食わなかったようだ。

男は右であっても左であっても、女性に対する潜在的な驕りを持つ同類なんだぞ、と突きつけられてるかのような出来事であった。

2024-09-09

エンタメ業界とかの未来が暗くて鬱で死にそう

謎の楽観視が会社業界蔓延しててマジで謎。宗教団体お題目みたい

生活にかかるお金が増えるのになんでお客が自分のとこへの出費は減らさないと思うのか。値上げ自体はするのに

世界で見れば顧客は多いって言うけど、コロナから統計見ても世界市場しょっぺーでしょ。別に中国大金持ちがたくさん買うとかないし中東石油王投資から意外とシビア

なのに値上げは仕方ない。ファン我慢して受け入れろを業界が平気でやるのが意味不明ライブ演劇もグッズも何もかも高くなったら推す作品を減らし、見る回数を減らし、買うグッズを減らし速攻値上げ以上のマイナスが来るよ

手弁当価格維持しろって話では無くて、価格分のサービスを与えようよ。ライブとかなら寄生虫転売を無くしたり、商品は受注生産とかで飢餓感を減らすとか。ほんと今の消費者一瞬で見限るよ。企業側が強気に出るのは不可能

って感じの空気が数年前からあるのに業界はいけるいける電子書籍中国かいう感じで最小限の金で最大の儲けを取ろうとしてる。マジで日本エンタメは1年で結構潰れるよ。大手はともかく中小上場しててもヤバい。それくらいヤバい。なにか作る費用も高い。流通も高い。電子書籍で安く上げてもその先のグッズ売れない。くじとか転売ヤーが買い占めるけど誰もそこから買わないから2弾が爆死。もう今までの供給量が無理です。半分がちょうどいい

2024-09-06

anond:20240905144726

知らん人が11万回も見てくれるってすげえな。

学生演劇なんて公演ごとの動員200人ちょっとだというのに。

2024-09-05

心霊ドキュメンタリービデオ

有名心霊スポットテントを張って、深夜にその中で出演者が順番に怪談話をするという企画をしてたら、何者かがテントの周囲を歩き回る気配がする。

一同は「ひー」とビビるだけ。だいぶ時間がたってから男の出演者が外にでて、周囲を確認するがなにもなかった。

 

別のビデオ

ベストセラー本で紹介されて超有名な山奥の心霊スポット

そこにかかわって行方不明になってる人もいるというエピソードもある。

撮影スタッフ出演者がそこに訪れて、撮影していたら謎の車がやってくる。

ビビって一目散に逃走。

 

別のビデオ

怪奇現象がおきるということで有名らしい演劇スタジオ

オカルトライターホラー映画監督をそこに招いてインタビュー

しばらくしたら背後の壁の天井あたりから、真っ白い手がぶら下がる。

オカルトライターは「でたーw」みたいな感じで大騒ぎ。

映画監督絶句

 

こういうのを見ていつも不満に思うのは、決定的な瞬間にでくわしてるのになぜ突撃しないのか。

テントの外で怪しい気配がする→すぐ外にでて正体をたしかめる

心霊スポットに謎の車がやってきた→関係者の方ですか?と正体を確かめ

リアルな見た目の幽霊の手が出現した→その手を掴みにいく。あとで手の出たあたりを調べて人がいる余地がないか確認する。

このくらいしてくれないとモヤモヤする。

2024-09-04

高校演劇部やってたけど

周囲が卒業後に取った進路は主に4つ。

1.演劇やめる

これが一番多い。

とはいえ演者側をやめただけであって、今まで触れてこなかった観劇自体趣味になった人もちらほらいる。

2.地域の劇やミュージカルに参加

1年1回とか2年に1回とか地域でやってる町民や市民が参加する類の舞台に参加する人。

あくま演者スタッフとしてやればいいだけなので面倒な運営やら何やらにタッチしなくていいので気楽。

ここを入り口にして劇団に行く人もいる。

3.劇団サークルに入る

既存劇団大学演劇サークルに入るルート劇団審査なしで入れるところはアマチュアなのでサークルの延長線みたいな感じ。

地域劇に参加してやる気があるとこっちに流れる人もいる。

アマチュアとはいえ団体なのでパンフスポンサー探しやらチケットノルマやら面倒なことをやる必要がある。

公演が近づくとジャスラックがセット曲リストを提出しろと郵送してくる。稽古場公演でも送ってくるので催し物チェック係でもいるのか。

私も地域劇のスタッフ劇団ルートを通った。

4.劇団旗揚げする

レアルート。マジでやる気のある人が何人かいないとやらないやつ。

世代奇跡的にそういう人々がいて頑張っていたらしい(友人の友人ぐらいの人だったのでまた聞き)。

その劇団代替わりしながら今も存続している。

私の世代ではプロに進んだ人はいなかった(2時間ドラマモブやったとか地方局の単発ドラマの主演したとかはいたけど)。

正直、劇団はいつでも若い人が足りないので参加は容易だけど、諸々の事情(主に拘束時間)で続けるのやめとくわーって人は多い。

吹奏楽も結局そういうことなんじゃねえかなあと。

2024-09-03

野球試合中の撮影禁止って当たり前では?

例えば金を払ってチケットを買った演劇基本的私的撮影不可だし、コンサート原則そう。

野球だって現地民は有料チケットを持って見に来るわけだし、中継配信だって地上波が無ければ配信サービスお金を払って見るしかない。

そんななかで、私的撮影されたプレー中の動画インターネット上に無料で見られるよう閲覧可能状態に置くことが正当である、とする根拠がよく分からない。

ファンを増やすためって言ったってSNSに流れてくる素人が撮った切り取り的なよく分からない短い動画だけ見てファンになる人なんてほとんど居ないだろうし(プロが撮って編集したパテレ動画なら分かる。)、審判ジャッジ再検証のためとか言われても観客はただのシロートだし試合中に高性能カメラちゃんプレー撮ってるし、観客が撮ることになんの正当性があるか分からん(それこそ、「評論のため」とか言って観客が劇団四季ミュージカルを公演中に撮影するようなものじゃ?)

結局自分たちで撮って仲間内で共有して私的に盛り上がりたいってだけじゃないかと思うし、そういう主張をする方がまだ筋が通ってると思う。

あとこれは個人的に、選手シャツをたくしあげてお腹が出ているような写真を好んで撮ってる人がたまに見受けられるが、それこそ少し前に女子バレー等で話題になった性的撮影と一緒な気がして好きでは無い。

そもそも現在選手試合開始前の練習からファンに撮られ放題になっているが、これで練習に集中できてるのか疑問。

2024-08-31

学がない、深い考えもない、飛び抜けた能力がある訳でもない、その他大勢に染まって生きるだけの潔さもない、そういう人達が向かう世界の1つが演劇(小劇団)の世界なんだろうなと。観にくるのは身内知り合い同業者ばっかりだから作品の事を悪く言われる事は基本なく良かったよ〜ってみんな言ってくれるから自尊心満たせて気持ちよくなれるし。

2024-08-28

anond:20240828165857

zenkamono 女年上・男年下(マクロン夫婦等)には「素敵な交際」「頼りがいがある女性」等と称えるくせに、男女逆の男年上・女年下(ハライチ岩井夫婦等)になったとたんに「気持ち悪い」「グルーミングだ」等中傷する人が多い

明らかに状況違うのに、論点ずらししてるの何なん?問題なのは相手が成人する前から交際してたのでは?という点だというのに。



ブリジットとの出会いマクロンが15歳(10年生)のときに遡る。

ブリジットは当時40歳で、マクロンの通う学校国語フランス文学教師であった。

またブリジットは既婚者で子供も3人おり、うち長女のローランスはマクロンと同級であった[109][110]。

マクロン天才少年として知られており、ローランスは自宅で母のブリジットに「なんでも知っているクレイジー少年がいる」とマクロンのことを紹介していた[109]。

ブリジットマクロンが初めて会ったのは、15歳のマクロン学校劇『Jacques and his Master(英語版)』の主演を務めたときであった。

ブリジット演劇部顧問でもあり、マクロン演劇脚本を書き直したいとブリジット相談した[109]。

二人は脚本を書くために毎週金曜日に会うようになり、親密になっていった[111]。

ブリジットは「マクロン10の子供らしい話し方や行動をせず、大人と対等に接していた」[110]

「私は少しずつ彼の知性に魅了されていった」「私は自分が落ちていくのを感じた。彼もそうだった」とのちに語っている[109]。

マクロンの両親は当初、マクロン恋愛をしていることに気づいてはいたが、その相手ブリジットの娘のローランスだと考えていたという。

ところが恋の相手がその母親であると知った両親は、ブリジットに「マクロンが18歳になるまで近づかない」ことを求めた[110]。

両親とブリジットは苦悩し、両親は17歳マクロンに「ブリジットと別れ、アミアンからも離れて、パリの名門学校アンリ4世校へ転校する」ことを命じた。

だが、マクロンブリジットに「あなたが何をしようと、私は必ず戻ってきて、あなた結婚する」と約束し[109][111]、二人はキスを交わしたという[112]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/エマニュエル・マクロン

anond:20240828111827

2024-08-24

2001年宇宙の旅ってエヴァからロボと美少女ホモを除いた虚無じゃん

格好つけてクラシックを流す

ストーリーはセリフで進めていく(映像説明しきるには金が足りないから)

ジオラマ特殊撮影でなんか凄いことしてる感を演出

マジでこのループ

演劇でコレやったら凄いと感じただろうけど、生憎これは映画なのでこの程度ではな。

ぶっちゃけアイディアめっちゃ凄い学芸会レベルなんだよね映像自体は。

カメラの方を回転させて無重力演出とか、ただのサンドイッチ宇宙食と言い張るとか、映像コンクールで出てきたらスゲーって感動するだろうけど、映画館でコレ見ててスゲーはちょっとレベルが低すぎないか

あとひたすらクラシック流して高尚ぶるのもなんかダセーなって。

全体としてはエヴァから人形巨大の迫力満点なバトルを抜いて、学芸会レベル映像トリック宇宙ぽい単語による誤魔化しを加えまくり、更には美少年美少女を抜きジュブナイルも抜き世界陰謀にも挑まず主人公も成長せずときた。

古典の割には見れる作品って程度だなあ。

コレに対して「面白すぎて2時間ずっと画面にかぶりついてた」と言ってる人は普段どんだけ浅いものを見てるねん。

朝ドラとかしか見てないのかな?

2024-08-18

男性視点婚活女に教える絶対NGプロフィール

70人くらいマッチングしてようやく結婚出来た30代増田です。

男性視点で知見が蓄積されたので、ダメプロフタグについて語っていきたい。

テンプレコメントだけは✗

だいたいのマチアプにはコメントアシスト機能がある。

自分性格趣味を入れるとテンプレコメントを生成してくれるやつ。

体感2~3割の人がテンプレをそのまま使って自分言葉を入れていない。

面倒くさいという気持ちはよく分かるが、真剣出会いを求めているのなら、多少のテキストくらい打ってくれ。

文章を書いたら知能がバレるから書けない説を俺は疑っている。

そうでないのなら、多少の手間はかけよう。

ちなみにテンプレコメント+やたら美人画像は高確率業者

テンプレ+美人画像経営自営業属性がつくと確率100%詐欺師

商売に詰まったので金をくれコメントがそのうち飛んでくる。

顔写真ブツブツエフェクトは✗

女の中だけで流行っている謎の写真加工。

肌荒れやシワを隠す為にやっているみたい。

フォトショAI加工も気持ち悪いが、ブツブツ生理的嫌悪感に直結する。

そんなに顔を出したくないならマスクつきの写真にした方が印象がいい。

顔写真無し✗

自分写真が無い人は高確率デブガリ

一般的範囲ではなく病的なレベルまで進行している可能性高し。

実際は一般的な人であっても、男はそのように判断する。

内面を見て欲しいとコメント書いている人も居るが、外見を整える社会性込みで内面だぞ。

別に美人である必要はない。友だちと遊んでいる時の笑顔でいいんだ。

多少の体重超過や不足、一般よりちょいブサ程度なら、臆せず顔写真の1枚は掲載した方がいい。

推し活中は地雷

アイドル韓流お笑い演劇タグに入ってる女は危険判断する。

コメントで◯◯が好き、◯◯推しと有ったらもう終わり。

とにかく現実が見えていないイメージ

とんでもなく金遣いが荒く、正社員公務員でも貯金していない。

更に高確率メンヘラ

そもそも婚活する年齢で推し活って何?羽生結弦ジャニーズを追いかける中高年女性か?現実を見ろよ。

そうじゃないんだ。ちゃん貯金もしているし夢と現実区別はついている。

そういう人なら、推し活の事は隠せ。

男は嫁の趣味生活に支障の無いレベルなら特にコメントはしない。

一緒に楽しむ事はできないかもしれないが、邪魔をする男は少ないと言っておく。

ディズニーサンリオ好きは特大地雷


全力で避けるべき。

超高確率メンヘラ又は金銭感覚がぶっ壊れている。両方が該当する人もいる。

婚活しなければならない年齢で、一般人がハマる趣味ではない。

ディズニーサンリオ好きは残念ながら擁護できない。

マッチングして実際に会った人「全員」が地雷だった。

私は地雷ではないと主張するなら、推し活と同じく隠して欲しい。

デートディズニーに行こうと誘って嫌がる男はそうそう居ない。

しかディズニー好きを公言する女を恋人や嫁にしたい男もほぼ居ない。

海外旅行好きは絶対に避けろ


とにかく金がかかる女。または外人に股開きまくって性病歴有りのイメージ

バックパッカーで~すと言ってる女、女性海外バックパッカーなんて現地の男に股開かなきゃ無事に帰ってこれないだろ。

港区女子崩れで加齢臭するオッサンのお手つきの可能性も高い。

あらゆる意味で触れてはいけない。

精神と金感覚が壊れている可能性が高い。

金銭感覚に加えて性機能障害の疑いも有る特大地雷、特級呪物。

どう考えても擁護できない。これに関しては隠せとも言えない。被害者を増やしたくないんだ。

数人とマッチングして実際に会ったが完全に壊れていた。

自称サバサバ系と、夜職の外見と雰囲気の人しかいない。

私は世界を見てきたと自慢をするが、今のお仕事何ですか?と聞いてみると派遣社員実家住まいアルバイト。または言えない仕事(恐らく夜職か風俗

ステップアップしたい私を支えて欲しいと言うアナタ、もう30代後半ですよ。資格勉強挽回するなら税理士クラス必要です。取れるの?

まとめ

女同士の会話で上記コメント属性趣味否定される事はそうそう無いだろう。

しか男性視点では避けるべき厄介となる。

自分が厄介ではないと主張したいのなら、上記の避けるべき属性は非公開とするべき。

差別だと怒る人は的外れだ。

例えば男性風俗好き、アイドル推し、酒タバコギャンブル好きと書いてあったら女性はみんな避けるはずだ。

極端なデブガリ病気癇癪持ちと付き合いたい女性はほぼ居ないだろう。

人間誰しも悪癖はある。しか相手迷惑をかけるほどのものでなければ、隠すのも優しさである

それはもちろん、相手に悪癖で迷惑をかけないという誓いでもある。

収入を聞いてくる女性は多いが、その時には自分も堅実に貯蓄をしていると教えて欲しい。

男女の収入平等とは言えない世の中ではあるが、独身で貯蓄も出来ない女性を選びたい男性はあまり居ない。

20代中盤までなら数十万でもかまわないが、30代なら3桁万円は持っていてほしい。

女性だって男性貯金無しとなれば引く気持ちが発生するはずだ。

男性視点であるから女性にとって腹立たしい事を書いていると思う。

しか男性も腹立たしさを抱えながら、相手にぶつけずに飲み込んでいる事を忘れないで欲しい。



追記

女性バックパッカーに対する偏見だ。股を開いてないというコメントがいくつかついている。

それでは聞きたいのだが、海外バックパッカーをしていた数ヶ月なり数年なりと、日本で過ごした同期間。

どちらが性交渉の回数が多かったですか?特に人数で考えてみてください。

旅費を稼ぐために1ヶ月バイトした街で車を出してくれるジョン君に迫られて・・とか無かったですか?

ドミトリーで合ったヤンくんに酒を振る舞ってもらって勢いで・・・とか無かった?

誰彼構わず開いたではなくとも、日本に居るときより明らかに開放的()になりましたという覚えは有りませんか?

そしてもう1点。私はちゃん貯金している、経済観念が壊れていないという主張が一切無い。

そ・う・い・う・と・こ・ろ・だ・ぞ


更に追



指摘した瞬間から更にヤバい海外旅行女が発生していました

molmolmine はい、元バックパッカーですが海外に行っていた間のセックスは一回もありません。当時すでに貯金は二千万ありました。現場からは以上です(中指を立てつつ)


千万ねぇ。

遺産や一発当てた系なら当方の主張の趣旨に沿いませんので、普通仕事仮定します。

実家住まいでも10年近くかかる貯蓄額ですし、一人暮らしなら20年で貯めたら優秀と言えるレベルでしょう。

バックパッカーって普通は一人でやりますよね?大卒として30~40歳以上でバックパッカー開始?当然未婚ですね。(30~40歳夫婦でやっていたなら相当な変わり者です)

中指を立てるレベルの知性という事は中卒で苦労されたのかもしれませんね。

20代バックパッカーしましたが200万貯めてました。そんな事無いですよ」くらいなら話を聞く価値もありますけど、このテンションだと「この女サバ読んでるな」と判断するのが普通ですよね。

そういう社会性も含めた話をしていると申し上げているわけです。

マッチングして会った自称サバサバ系の特徴そのまんまで笑ってしまいました。

傾聴するべき意見も有りました。

実家が太い系、良い仕事をしていてコミュニケーション力も高く無理のない範囲旅行を楽しむ人などが居るという指摘です。

これらはその通りだと思います全女バックパッカー偏見を持った事をお詫び申し上げます

私が嫌悪感を抱くのは「海外旅行趣味とするほどアクティブであり、結婚願望もあるのに、婚活する年齢まで伴侶が居ないような人」であったのだなぁと認識しました。

そんな人は普通結婚している。すなわちまともな人が抜けて蠱毒のようになった所をマチアプで見てしまった可能性があります

まともに生きて結婚して良好な夫婦生活を送っていらっしゃる皆様は、「この人苦労したのだな」くらいで流してください。

展開としては

マヤと真澄は結ばれる

マヤ亜弓の戦いはマヤの勝ち(ただし亜弓には同等レベル報酬あり)

月影千草はお亡くなりになる

は大筋として動かしようがないと思う

父親会社婚約者を捨てた真澄がどうなるかは社会人的には気になるが

演劇マンガとしてどう演じるかの部分の描写が好きだったんだが、どう描かれても大筋は変えようがないと思ってる

煮詰まる」はいかにして「結論が出る」という意味になったか

それでは夏休み自由研究を発表したいと思います

最初

現在のところ「煮詰まる」という言葉は、「議論交渉がまとまって結論が出る」という用法が正しいとされ、「議論が進まなくなって行き詰まる」という用法誤用であるとされている。「煮詰まる」という言葉がどのように用いられてきたのかに興味を持ったので、その変遷を辿っていこうと思う。ソースはだいたい国会図書館デジタルコレクションである

注意として、ここでは「煮詰まる」と「煮詰める」を区別して、「煮詰まる」の用例のみを追っていくこととする。現在においても「煮詰める」のほうには「行き詰まる」という用法はなさそうだからである

白樺派の例

調べてまず気付くのは武者小路実篤が「煮詰まる」を多用していたこである。そして同じく白樺派有島武郎長与善郎、その影響を受けたという岸田劉生木村荘八なども「煮詰まる」を用いている。まるで実篤から伝染したようである。それらは概ね「無駄な修飾を排して凝縮されている」あるいは「態度が一つに決まっていく」というような用法であり、いずれもポジティブ意味で使っているところが共通している。いくつかの例を挙げる。

大正10年 武者小路実篤自分脚本に就て』

僕は脚本はどうしても人間精神のあらわれである上に、煮つまったものであることを要求します。


大正10年 有島武郎『筆頭語』

心が二元的である間は、即ち或る機縁によって煮つまって一元的にならない間は、どこまでも二元なり多元なりの生活を押し通して行くがいいと思う。


大正11年 木村荘八『泰西名画家伝』

長官デリニのあやが「うまく」かかるもかからぬもなく、競技――即(すなわち)対抗の空気は忽ち煮つまるばかりであった。


大正13年 長与善郎『書斎より』

牛のよだれのようにだらだらした書きぶりがいかんのは問題にもならぬ事であるが、さればと云って何でも只無暗に簡潔に端折って書きさえすればいいと云う事を一つおぼえて、まるで電報文句のような言葉さえつかえば煮つまったいい文章だ、と思っている人の文章は又不自然な、とらわれた感じのするものである


昭和5年 岸田劉生演劇美論』

全体として、一つの美しさを出すけれど、旧劇の如く煮つまった味はなく、その美は甘く、低級である


白樺派以外の例

もちろん白樺派以外の用例も同時期にあった。意味的にはさまざまだが、ネガティブ用法も多かったようだ。

明治40年イヴィッド・パーリー『くらげ』

この説明には余程可笑しな点がある、で、僕は云った。

『じゃ、この国では、宗教煮詰まって了ったのですネ。』

もとは『The Scarlet Empire』というタイトルアメリカ小説である。原文は「It looks as if religion may correctly be said to have gone to seed, in this country.」となっており、「gone to seed」は「盛りを過ぎて衰える」という意味なので、つまりそういった意味で「煮詰まる」が使われていると考えられる。「加熱しすぎて水分が飛んでしまった」ようなイメージだろうか。

大正9年 ドストエフスキー白夜

私が余りに余計なことを喋舌り、私の心の中で長い間煮つまっていたことを必要もないのに述べ立てたことを、而もそれに就いては私は書いたものから読むように話すことが出来たのだ

こちらも翻訳書。英文は「I had unnecessarily described what had long been simmering in my heart」。「心の中でくすぶり続けていた」とか「ずっと感情が渦巻いていた」といったイメージか。

大正10年 岡本一平へぼ胡瓜』

何処かに法華宗があると見え、この熱気の世界の中へ煮詰まった声でお題目をいきみ出してる。

真夏暑い日に遠く法華宗お題目が聞こえてくる…という場面で、この「煮詰まった声」は「重苦しく絞り出している」ような印象を受ける。もの煮詰まったあとのドロドロとしたイメージだろうか。

大正12年 佐々木味津三『呪はしき生存

単にそれを考えるだけでも、彼は天地が煮つまるように感じていたたまらないような震撼を覚えた。

「居た堪らない」というので、世界が煮られて、そこにいられなくなるような感じだろうか。ぎゅっと狭窄するような感覚もあるかもしれない。

昭和2年歌舞伎 第三年第十三号』

森金之丞は正直にこれに答えるが、だんだん議場(公議所)の空気が煮つまって行き怒声、罵声騒然たる裡に第一場は閉じて行く。

議論が悪い方向に盛り上がってヒートアップしているという描写結論が出そうにないという点では現在の「誤用」のほうに近いか

昭和6年 大高巌『近代支那文学史上の先駆者

かるが故に自己生活を安泰ならせんが為には儼然として己れが階級城壁を固守しなくてはならない。科挙制度がそれだ。かかる試験制度採用することは一に権力者に反抗する意志学問の為に煮つまらせ、又一には士大夫階級思想擁護有為なる人材を作ることになる。

こちらは「集中させる」「浪費させる」ようなニュアンスか。

昭和9年 式場隆三郎バーナード・リーチ

高村光太郎は余り外に出ない。併し仕事は煮つまってきていると思う。暫らく作品を見ない。

この式場隆三郎白樺派との交流があったらしいが、「作品を見ない」ということは、ここでの用法は「行き詰まる」に近いのではないか

昭和10年 丸山幹治『黒頭巾を脱ぐ』

勿論コチコ官僚型で煮つまって、倒さにふっても水っ気もないような人ではなく、時代に対する感受性は強く、好んで人の長所認識する感服癖さえある。

こちらは「頭が固い」というような用法

昭和10年 ギュスターヴ・フローベールジョルジュ・サンドへの書簡

では左様なら。もう遅いのです。頭がまるで煮詰まりそうです。

翻訳書。英文は「Adieu, it is late, I have an aching head.」なので、普通に頭痛がすることを言っているのか、それとも「悩んで行き詰まっている」的な意味なのかはわからない。

戦後の例

戦前武者小路実篤を中心に、小説詩歌戯曲などの文学的文脈で使われることが多かった「煮詰まる」だが、戦後になると現在のような「議論交渉煮詰まる=結論が出る」といった用法が登場し、やがて支配的になっていったようだ。

それに関してわかりやすいのは「国会会議検索」で、戦前の「帝国議会会議検索」では「煮詰まる」はほとんどヒットしないが、国会会議録では1950年代あたりから見られるようになる。さらに用例を確認していくと1960年代から爆発的に増えていったようだ。労使交渉文脈が多いように思われるので、そのあたりをきっかけに流行りはじめたのかもしれない。

となると次に気になるのは「議論煮詰まる」=「行き詰まる」という用法がいつごろ確立されたのかということである。どうやって調べればよいか。たとえば「煮詰まってしまった」みたいな形だとネガティブ文脈で使われていそうだ。ということで検索してみよう。

昭和34年週刊現代

しか日本側は表面上は「朝鮮総連相手にせず」とその抗議を重視せず、裏では字句は修正せずとも運用面に幅をもたせるという妥協の動きに期待を寄せていた。それが、日赤相手にせざるをえない北朝鮮赤十字から真向に攻撃を受けたのだから問題は煮詰ってしまった。


昭和44年『先見経済

やはり人間災害にあってみないとなかなかわからないもので、そういったことで安堵感を持っている。しかしジワジワと危機に瀕してきているわけで、そのとき判断をあやまると、残念ながら煮詰まってしまう。


昭和47年ミュージックライフ

ハイスクールからジュニアカレッジヘと進んだアリス達は2年間のカレッジライフ煮詰まってしまい、カリフォルニアに向かったのである


昭和50年キネマ旬報

その後の二本は結局むしかえしのドラマをやるしかなくて、無残な作品になってしまった

あれも、会社方針企画貧困の為せる業で、プロデューサー監督も完全に煮詰まってしまったんですよ


昭和51年レコード芸術

あい自由さが背景にあってのこの音楽じゃなくて、すごい煮詰まっちゃってて、つらいだろうなというところで出て来る音なんですね。


昭和53年スイングジャーナル

でも、いつか自分のやりたいことをやらないと苦しくなるというか煮詰まちゃうわけだよね。


昭和54年ジャズ批評

昔は、自分が何をやっていいかからなかった。やり過ぎると煮詰まってしまうし。


昭和56年週刊読売

「でも、仕事ばっかりしていると煮詰まちゃう」「煮詰まちゃうってのは、息詰まる、退屈する、スランプに陥るって意味なんです。」


昭和60年 毛利子来岡島治夫・末永蒼生『「体」発、宇宙へ』

たとえば原稿書いてて、もう煮詰まっちゃって、しょうがない、寝よう、横になると、ア、と思いついちゃう


昭和60年 チャールズ・シェフィールド放浪惑星

その問題ととっくんでいるうちにわたしの頭は煮詰まってしまい、あとをマッカンドリューにゆだねた。


昭和60年 松浦理英子いちばん長い午後』

実はそれは性的遊戯の一環ではなく、二人の交際煮詰まってしまったあげくのもがき合いであった。


結論が出る」用法と比べれば圧倒的に少ない。とはいえ1970年代くらいからは、日常語として「行き詰まる」的な用法もわりと広まっていそうな感じはする。というか「結論が出る」用法議論交渉文脈しか使えず、それ以外のときは「行き詰まる」用法になることが多かった、という感じではないか

ちなみに、この「行き詰まる」用法誤用として問題視されるようになったのは2000年ごろらしい。実際、Google Booksで「煮詰ま誤用」などと検索すると2000年以降の書籍しか引っかからない。

まとめ

といったところか。

煮詰まる」のコアイメージは「熱されることで水分がなくなっていき固形分だけが残る」というようなものであろう。

それをポジティブに捉えると「余分なものが削ぎ落とされて本質がはっきりする」といった意味合いになり、ネガティブに捉えると「瑞々しいものが失われて停滞する」といった意味合いになる。たとえば「議論」にポジティブイメージ適用すると「論点が整理されて結論がはっきりする」になり、「思考」にネガティブイメージ適用すると「新しいアイディアが生まれなくなり行き詰まる」になるわけだ。

もともとの料理としては「美味しくするために煮詰める」ことも「熱しすぎて煮詰まってしまう」こともあるわけで、どちらのイメージで使うのも自然感覚である。当初から煮詰まる」は多義的比喩表現だったのだから、「これが唯一正しい用法なのだ」などとはあまり気にしなくていいのではないだろうか。

発表は以上となります。ご清聴ありがとうございました。

2024-08-15

anond:20240814222009

追記

ワイは栃木県出身高校演劇経験あり、創作脚本賞受賞、地区3位優秀賞受賞したことありの増田です。観劇して回ってたりわざわざ見に来たりするおぢさんは別に会場内一律でカメラ禁止だし話しかけもしないので無害だし、なんなら会場外に置いてある感想ボード感想貼り付けてくれるから嬉しいんすよ。栃木県地区,県、北関東大会(去年栃木だった)は全部入場料無料で、他にも地区ごとで大会ない時期にやる発表会の宇都宮地区の「夏研」とか、県南の「蔵の街」とかも無料。是非来てね。

あと、吹奏楽部自分たち演奏が高尚で金を払わせる価値があると思ってるから入場料を設定しがちだけど、演劇部的には自分たちの想いとか主張を見に来て欲しいか無料か少額が多いよ。

—-ここから本文—-

高校観劇高校生の演劇大会は入場料無料結構多い(一部地区自主公演は少額、数百円取られる)から仕事を片手間に全国の演劇地区大会とか県大会とかの下位大会を見に行って楽しんでる人とかいるよ。お金がかかる四季とか宝塚とかより独創的で面白いし。男子も含めて高校可愛いし。

2024-08-13

anond:20240813204156

女は伴侶や息子以外の男は不要

もしくは2次元3次元推し以外は不要

スーパーハイスペイケメン以外興味ないってのは虫除け目的公言してるんだよ

でも伴侶や推し以外の男はいらないと言われる方が、スーパーハイスペイケメン以外興味ないと言われるより非モテ男性は辛いんだろ?

から普通の男やDQN運動部タレント芸人バンド演劇業界崩れのブサメン貧乏人が女に不自由してない現実を認められない

文化系説教ジジイモテない方法

https://togetter.com/li/237431

2024-08-02

anond:20240801125709

VRはやったことないだだの演劇好きです。

アバターがあるからかい演技ができないものとしてはリアルショーでも、着ぐるみ系(ヒーローショー)や人形劇があるが、そのあたりとVR演劇の違いは何かな?と思った。

まずアバタービジュアル統一されてるね。

あと人形だと人間では難しい飛行やアクションギミックが使いやすいかも。VRでも空飛んだりできる?

ピーターパンティンクを助けるために拍手させるのもそうだけど、子供向けの演劇は(それこそヒーローショーも)客を巻き込む演出あるよね。

リアルショーでは安全からできない演出(客席が燃えるとか、落ちるとか、タイタニックと一緒に海に沈むとか?)やれたら楽しそう。

そうするとUSJライドとかも参考になったりして。ただ、演出を作るのに死ぬほど金かかる可能性…。

アバターで細かい演技、はつまるところ3Dアニメ見ればいいじゃん、という話なので(映像演劇が辿った道だ)なかなか難しいね…。

2024-08-01

anond:20240801125709

へー

ゲームイベントシーンみたいにならないのかなと思ったら

アバター統一感を持たせるのは大変だということはもちろんわかっているが、美少女とおじさんのアバターテイストが違いすぎて、違うおもちゃ人形を使っている感がすごい。

そうなんや

見るより演じるのを楽しむみたいな感じかね

まあ素人演劇とかライブとかってそんなもんだよね

VR演劇はかなり厳しい気がする(現状は)

VRChatでフレンドの話を聞いてVR演劇に興味を持ち、VR演劇Youtube配信アーカイブを少し見てみた。

あらかじめ言えば、全編見るには耐えられず、飛び飛びで表現確認しただけである

ちなみに、実際にVR演劇VRで1度だけ見たことがあり、それは全編見た。

私自身の演劇の関わりを話すと、学生時代演劇が好きで、多いときは年間60本程度観劇し、自分舞台演出したことも何度かある。

そのため、全く演劇に対して知識がないわけではない。

最近は全く関わっていないけれど。

それで、VR演劇を見てみた率直な感想をいうと、現状ではVR演劇の良さを表現できているとは思えなかった。

プロニアムアーチでやる必要ある?

まず、個人的な考えとして、VRにも関わらずプロニアムアーチの中でやる芝居はナンセンスだと思う。

正直言って、今の技術ではアバターにどんな細かい演技をさせたところで、リアル人間から出るオーラに比べて、アバターから伝わるものは100分の1も満たないと思う。演技自体に魅力を感じない。

にも関わらず、VRという空間にもかかわらず舞台と客席をわざわざ分けて見れる部分を限定することは、あまりにもリアルに比べて不利な条件で戦いすぎていると思う。

勝てる要素がないどころか、演劇の魅力を一切表現できず、下手なお人形遊びを見せられているようにしか思えない。

人形遊び感を更に増しているのが、アバター統一感なさである

アバター統一感を持たせるのは大変だということはもちろんわかっているが、美少女とおじさんのアバターテイストが違いすぎて、違うおもちゃ人形を使っている感がすごい。

前述のとおり、細かい演技も表現できないから、余計におもちゃ感。

それをカバーできる演技力もないから(当然で、一流のプロでも難しいと思う)、見るに耐えない。

そんな悪条件のなかでわざわざプロニアムアーチの中で勝負する意味はどこにあるのだろうか。

やるだけ無駄演劇の魅力を伝えるどころか、ただでさえ受け入れられていない演劇をよりつまらないものとして発信しているように思える。

その打開策として、最初劇場ワールドだけど、開始すると劇場が壊れて、舞台セットが現れるといった演出を行っているのもあった。

プロニアムアーチの破壊としての演出自体には、VRならではの表現方法としてなるほどとはおもったけれど、どうやら客席自体は固定で、観客は結局固定した位置から見ることしかできないみたいであり、プロニアムアーチ自体破壊しても、本質的第四の壁破壊にはならず、結局は同じことやっているなと思ってしまった。

アトラクションのようなアプローチ

第四の壁破壊を目指したものとして、体験型VR演劇と銘を打った作品があり、これはなかなか挑戦的だとは思う。

観客自体ワールドを移動しながら、また物語としての役割を与えられて、役者から行動を促されながらストーリーが進んでいく。

テーマパークアトラクションのようなイメージだ。

これはVRからこそ作りやす作品ではあると思うし、VRならではの演劇を目指そうという気概は感じられた。

ただし、こういった体験型コンテンツというのは、現在リアルでも相当アプローチをかけられている分野で、ネットコンテンツが全盛な今、リアルの生き残る可能性として大きく取り扱われているものだと思う。

単なる体験型として見ると、インターネットコンテンツとしては挑戦的かもしれないけど、やはりリアルコンテンツ勝負するとどうしても分が悪い。

どうやってもリアルに勝る演技表現体感は今は難しいからだ。

もう一歩踏み込んだ演出がなければ、これも正直VRならではなものとも思えない。

VRならではってなんだろうね

VRリアルに勝てる可能性のある分野はリアルでは再現できないほどの視覚表現を駆使することだと思うが、これは映像アーティストが本腰入れたらできるものであり、VR演劇を行うような団体でそれを駆使するのは、まだ厳しいと思う。VR演劇ほとんどは無料で、参加者自己表現範囲内だから予算のかかることは難しいだろう。

映像アーティスト志望の人がVR演劇可能性を見出してくれるような魅力を表現できれば、そういった道もできてくると思う。

現状でいえば、VR演劇は実際の演劇の何段も劣る環境下で、同じ舞台勝負している印象があり、これでは勝負にならないどころか、演劇の魅力がほとんど伝わっていないなと思う。

もっとVRならではの視点での演出構造表現してくれれば、VR演劇可能性を感じることができるのだけれど。

個人的には、VRならではの演劇演出というのは一つ思いついているものもある。

演劇ならではの良さを、更にVRで伸ばす事ができるという視点があると思う。

そんなに特異な演出ではないから、すでに誰かがやっていると思うし、もしかしたらうまくいっていないのかもしれない。

これについては、もう少しちゃんVR演劇を見て、有効性が確信できたら書いて見るかも。

ちゃんと傾向がみえてきたら、VR演劇論的なものもできてくるんだろうね。

VRChattarが観客という可能

VRならではという意味では、まだまだ課題はたくさんあると思ってはいるけれど、私がVRChatを始めたばかりの2年前に見たVR演劇VRとはまた違った視点可能性を感じたことがある。

その演劇自体は、舞台上で行われる普通舞台で、第四の壁破壊する行為として、キャストが観客に語りかける演出があった。

それ自体リアル演劇アプローチと一切変わらないものであったが、観客の反応が違った。

そのキャストが観客に語りかけるシーンは、登場人物少女競売にかけられるといった内容で、キャストが観客に対して「◯◯円からです。オークションスタートです」みたいなセリフ?(うろ覚え)を言って、観客を競売参加者見立てて問いかけた。

これがリアルならば、ほとんどの場合は観客は反応せず、あたかも観客が競売しているかのようにキャストが装い、劇を進行させることが多いと思う。もしくは観客に仕込みをいれるかだ。

でも、VRChatは違った。

観客が突然ロールプレイを始め「いくらだ!」「この娘ならこれくらいの価値はあるはずだ」みたいな声を上げ、演技をし始めた。

多分仕込みではなく、自然発生的に観客がキャストになったのだ。(仕込みだったら申し訳ないけど)

VRChatを行っている人がロールプレイをして遊んでいる人が多いからこそ、発生した事象だと思う。

また、それを行うことが許される空気VRChatにはあるのだと思う。

いくらロールプレイに慣れている人でも、リアル舞台で振られて、観客席からそのようなことができる人は少ないと思う。そして多分リアルだとその行為自体を嫌がる観客も少なからずいるだろう。

私はここに、新たな第四の壁破壊可能性を感じることができた。

これ自体VRじゃなくてもできることであるが、ロールプレイという訓練をされた観客、また観客がロールプレイをして許されるという空気感。

これはリアルではなかなかできなかった文化形成ができているということで、リアルよりもVRが進んでいるものだと思う。

また、これは演出側の観客に対する信頼も評価したい。

これは反応がなければ白けるだけのリスクある演出だけれど、きっと演出側は観客がロールプレイをしてくれるという信頼の元行ったものだと思うから

とにかくこれにはすごく感動した。

ライブコールアンドレスポンスのような観客との一体感演劇で出せるとは。

この舞台と観客の一体感というのは、ライブからこそできるものだ。

そして、ライブ感というのはリアルに比べてVRはいろんな要素の欠落から、劣ってしまう部分がある。

けれど、観客側のアプローチによって、そのライブ感は現実にも勝る可能性を秘めていることがわかった。

演劇における観客との双方向コミュニケーションは、常に課題として挑戦されている分野で、それを解決できるなにかを感じ取れた。

今はまだ厳しいVR演劇というコンテンツだけれど、VRならではの演出双方向コミュニケーションで、リアルを超えるような演劇体験ができるようになったらいいなと思う。

ただ、VRChatはすこしずつ流行ってきており、一般的コンテンツとなってくると、参加者自体一般化し、こういった要素は薄まってくるのかもしれないという危惧もあるけれど。



辛辣感想にはなってしまったけれど、私がみた作品クオリティが低いだけな可能ももちろんあるので、良いVR演劇があれば教えてほしいところ。



余談

余談だけど、VRピアノ演奏イベントにいってきて、音楽VRでもかなり楽しめるなと思った。

演劇との違いはなんなのかは、またいつか分析してみたい。

単純にクオリティ問題もある気もするけれど。

演劇俳優は単純に技術の低い人が多いというのも大きな要素なんだとおもう。

演技は定量的技術の積み重ねで表現するのが難しい分野なので。

音楽はある程度定量的技術の積み重ねで行ける部分があるからこそ、定性的表現の域に達している人も多いのだろうという印象はある。

演技も定量的技術力がつけばいいのだけど、いろんな演技法があってもそうなっていないのが現状だと思う。

まあ、役者自体が他のジャンルに比べて、勉強不足ということも大いにあるのだけど。

日本指導者含め。

ただ、久しぶりに演劇勉強したくなってきたので、ちゃんと本を読みに図書館へ行こうと思った。

演劇に関する本は売れないか新規発行がなく、プレミアがつきすぎてて、中古で数千円から数万になるものが多くて嫌になるね。

2024-07-26

平成二年生まれオタクロマンス観(HL・BLGL)を形作った作品たち

もうすぐ誕生日を迎えて33歳が終わるので、いい機会だと思って平成初期生まれである自分ロマンス観の奥底に眠る作品について、水面まで引っ張り上げて雑語りしてみた。なお性別は男。

HL:anond:20240724184142

BL:anond:20240725222040

GL:これ

GL

ガールズラブと項目を立てておいてなんだけど、実は未だによくわからない概念もしかして期待して読みに来たかもしれない人がいたらゴメンなさい)。とりあえず自分ステートオブジアートとして率直な気持ちを残したいと思う。

BLの方で書いたように、筆者は昔からティーン向けの少女漫画少女小説摂取していたので、(少)女同士の関係性は友情(たまに愛憎)のものとしてプリセットされていた。なので女と女の距離が近くても「ああそういう感情ね」として頭の中の知っている感覚にラベルを振り分けていた。そこに特別名前を付けることはなかった。ただ「友情・親愛」と。

その後、オタクとして成長すると共に、だんだん百合という概念が男オタクの間に伸長してきたが、百合市場が出来上がるのを横目に眺めるだけで、自分自身がどうこうということはなかった。

覚えている限りだと、高校生の時(2006年くらい?)にオタク同級生の間で少女同士の関係性を題材にした漫画だったかラノベが友人の男オタクの間で流行っていたと思う。なんだっけ……4コマ漫画で……メガネ女子の眼の前で授業机の中から大量の煮凝りがぬぽって落ちるシーンだけは覚えているんだけど……。当時は百合という言葉は使っていなかった気がするけど、可愛い女の子同士がいちゃいちゃしているのがいいんだ、みたいなことを言っていた気がする。自分はそれに対して、特に思う感情はなかった。いや、逆に今更?という感情だったかも。なぜならば既にその場所は訪れたことがあったから。

自分が初めて少女同士の恋愛にも似た感情のやりとりを意識したのは、小説だった。図書館で借りてきたとある作家小説で読んだS(エス)といううら若き乙女同士の関係女学校に通う少女同士の疑似恋愛。そこにあったのは上辺は花畑を舞う蝶のように煌めき美しいが、内側に潜ると内蔵のようなヌメついた湿った感情だった。疑似恋愛嫉妬、そして混じる疑似ではない気持ち

そんな作品を読んできていたので、かわいい子とかわいい子がかわいいことをしている、みたいな作品に喜んでいるオタ友がどうにも幼く見えてしかたがなかった。

そうして百合とかGLとはあまり仲良くないまま、女同士の関係友情というフォルダに入れて今の年齢まできたのだけど…………ただ……心の中で唯一引っかかっている、消化できなかった少女同士の関係があった(過去形)。それが恩田陸小説「蛇行する川のほとり」に出てくる若い女子高生二人の関係性だ。

タイトル 蛇行する川のほと
作者 恩田陸


本作は、高校美術部に所属する女子部員たちが、野外音楽堂で行う演劇の背景美術を仕上げるために夏休みに川のほとりにある合宿を行うというシーンから始まる。(一応)主人公の毬子は憧れの美術部の先輩である香澄さんに合宿に誘われ、有頂天彼女主催する合宿に参加する。本来ならば年頃の少女たちの楽しいお泊り会となるはずだったのだが、香澄さんをはじめとする他の参加者は、彼女に何かを企んでいるような、隠しているような態度を取る。次第にただの楽しい合宿ではないことが分かってきたころ、毬子本人が忘れていた幼い頃にあった事件が浮かび上がり彼女過去を照らしてくる。そして過去を失い、少女大人になる。

本作のあとがきで、作者の恩田陸は「私が感じていた『少女たち』を封じ込めたいと想って書いた」と記している。その言葉の通り、本作には様々な「少女」が登場する。まだ大人子供奇跡狭間うつろう毬子、過去を持たない完成された香澄彼女相棒天才肌の絵描き芳野、一足先に大人へと羽化した真魚子。4つの章を通じて彼女たちは多様な顔を見せる。無垢でいながらも自分でも把握していない秘密を握っている毬子、どこまでも独立して半身の芳野にすら内心を明かさな香澄、優れた美術家の観察眼で本質を見抜きながらも最も大切な自分の中の香澄への気持ちに気付いていない芳野、そしてとある事件きっかけでその輪に無理やり入れられた真魚子(まおこ)。章ごとに語り手が代わり、一つの側面の形質は、語り手へと姿を変えてると主観となる。

本作には、登場人物のうちに公式に女女カップルと呼べる組み合わせが存在する。香澄芳野だ。常に二人で行動し、二人で一日を過ごし、どこでも二人の世界を作る。互いに互いを引き立て合うようなお似合いの二人。しかし二人は望んで一緒にいるわけではない。過去を共有してしまって、もはや離れられないのだ。お互いに過去という鎖を結びあってしまったと言っても良い。しかし、少なくとも芳野の方は、共に鎖を結びあった相手香澄で良かったと思っている。

門外漢自分が考えるに、多分世の中のGL?百合?好きは、芳野編を大いに好むと思う。そこで繰り広げられるのは、互いに誰よりも近く、親密で、そしてお互いに内面の99%まで理解しているのに、その残りの1%が、相手への愛が本当にそこにあるのか分からないという愛の物語だ。芳野編の、今まで無意識に避けてきた香澄肖像画を描くことで、自分の中の気持ちを形作るという展開はとても美しいものがあると思う。

ただ、自分はこの二人の関係性は処理出来ていた、と思う。友情、親愛、そして強い愛情と。自分が最も咀嚼できなかったのはもう一つの組み合わせ、毬子と真魚子の方だった。

同級生の中でも子供っぽい毬子と、級友に先駆け一足先に大人になってしまった真魚子。恋愛面でもお子様な毬子と既に大学生恋人がいる真魚子。正反対の二人は対極に位置するからか、親友同士であった。香澄芳野という二人と比べると、一生離れずに共にある彼女たちに対し、高校生の間は親友でも卒業したら普通に進路が離れ疎遠になり、それでもたまに会ってお茶をする、というような関係だろう。仲良しで大好きだけど、互いに混じり合う程に近いわけでもなく、恋人よりも好きというわけでもない。そう、それだけなら十分に理解できたんだ。

物語の後半、とある事情により毬子の代わりに真魚子が合宿に参加することになる。自分が一番よくわからなかったのがそこだった。毬子が事情により参加できなくなるのは分かる、でもあん事態になったとは言え、真魚子が嫌っていた香澄たちのところに単身乗り込むようなことをするのか、と。だって毬子と異なり彼女にはなんにも過去事件因縁が無い。だからいくら毬子に頼まれたからって、わざわざ事態を究明するために乗り込む必要はなく、ほとぼりが冷めるまで、物語が閉じるまで放っておけばいい。しかし、彼女は乗り込んだのだ。

この機序がずっと咀嚼できていなかったのだけど、最近、もしか自分の考えは順序が逆であるかもしれないと気が付いた。頼みを受けて乗り込まねばならないほど、本当は彼女にとって、親友は本当に大切な存在だったのだ、と。誰よりも冷静で頭が切れる真魚子であっても、いや毬子の親友彼女からこそ動かざるを得なかったのだと。その時、すとん、と腑に落ちた音がした気がした。

香澄芳野の唯一無二の分かち難い強固な結びつきとはまた違った、同級生親友というどこにでもある女子高生の毬子と真魚子の結びつきも、それはそれで一つの思春期の素朴な輝かしい感情の頂点なのだと。

百合とかGLとか未だよく分からないけど、自分にとってそれらに一番近い感情は、この二人を想うときかなって思った。

2024-07-23

ドーンダンスという漫画を読んだ感想

この作品主人公ヒロイン関係性を楽しみながら、舞台の上だけに限らない、個性豊かなキャラクターたちのやり取りを楽しむものなのでしょう。現実歌舞伎とは全然違って、例えば歌舞伎に興味がないのに歌舞伎役者養子になるとか、古典歌舞伎の公演に演出家がいるとか、分かりやす現実と違います。だから実際の歌舞伎とは違うものとして読むべきものだと思っています

「どこかで見たことのある、誰かが演じたものパッチワーク」という言葉、なかなか歌舞伎本質を突いた言葉だと思います。2世猿翁の言葉にあるように、歌舞伎本質は「学ぶはまねる」にあると思います。先人に教わって、その人のやり方をまねるところから始まる。それがあるからか、歌舞伎は故人を含め、誰かに似ていること自体が悪いことではない、珍しい分野だと思います。ほかの演劇分野だと誰かに似ていることってあまりよくないこととされていますが、例えば「吉右衛門に似ている」という言葉は、悪い意味にならない。そういうところが歌舞伎面白いところだと思うので、「誰かが演じたものパッチワーク」という言葉はなかなかうまいことを言っていると思いした。

歌舞伎はなんでもあり」これは本当にその通りだと思います。先日も秀吉物語を見ていたはずなのに、突然舞台天界に移って孫悟空の踊りが始まり、本当になんでもありだと改めて思わされました(これがとても良かった)。18世勘三郎言葉にある通り、「型があるから型破りが出来る」「型が無ければ単なる形無し」という側面もあるので、このあたりも描いてくれたらいいのになあと思っています

ネット上での連載では三人吉三の上演準備が始まっています。演技へたくそと言われている人がお嬢で、華も人気もある役者がおとせになったら、ファンが公演を盛り上げるどころかなぜお嬢ではないのかと暴動を起こしそうですが、そのあたりがどうまとまるか気になりますお嬢の演技も真冬作品なのに弁天小僧のように片肌を脱いだ演技になっているので、どんな理由がつくのか楽しみです。個人的な好みを言うとお嬢の特徴的な衣装が絵的に確認できればいいのですが、こういうところは単行本での加筆になるんでしょうか?

現実高校生くらいの歌舞伎役者さんってまだまだ子供の範疇で、そんなに厳しく演技が下手だとか非難されていない気がします。例外的小学生の頃から人気が高い人もいますが、ほとんどは名前すらろくに覚えてもらえないまま20代前半を過ごしているのではないでしょうか。高校生なのに演技が下手だの人気がないの、あれこれ言われて、物語から仕方ないとはいえ、この作品世界はなかなか厳しいですね。

2024-07-17

anond:20240717132000

アートクリエイティブ界隈の人間

他の仕事バカにしてるやつがほとんどだよ

平田オリザコロナの時製造業なんて潰れてもかまわないが

演劇は崇高な営みだから国が金出して支えろとか言ってたけど

あれが文化系乞食もの本音

2024-07-16

異世界パパ活おじさん

と聞いて思い浮かぶのはどれ?

  1. 転生時に女体化してしまパパ活路銀を稼ぐことになった元おじさん
  2. 転生時に天賦の演劇の才をもらった元おじさんが、生活費を稼ぐために女装してパトロン探しをする
  3. 転生時に容姿の変化はなく普通のおじさんだが、異世界基準だと、それが有力者に好まれ容姿で、異世界で生き残るために毎夜毎夜慰み者になるおじさんの話

2024-07-13

『こねこばくはつ』の弱者男女夫婦子供弱者男女)が素晴らしかった。

『こねこばくはつ』ってネトフリで見れるアニメ

弱者男性の夫:自作ボードゲーム家族強制するが、家族は嫌々付き合っている。デブ不細工

弱者女性の妻:野良猫去勢手術団体職員子供たちと夫を愛している。ブス

子供弱者男性子供の頃の演劇でバズって以来、配信で他のネタでバズりたいと思ってる過疎配信者。デブ不細工

子供弱者女性科学オタクのブス。

  

本当に、こんなブスばっかりの家庭だけど、あったか家族が思いやっていた。

自分弱者男性(35歳無職こどおじ)なのだが、こんな奥さん子供たちができたら最高だなあと涙が出た。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん