はてなキーワード: 漢文とは
次の患者に関する事例文を読んで、後の問いに答えよ。
私は昭和58年に生まれましたが幼少時の頃に何をしていたかははっきり覚えていない。団地の子供というのはいたがはっきり言って何もしていなかった。
母親が近隣にある商業高校卒で、ママサンバレーに行っていた。昭和63年にゆりかご保育所に入れられたと同時に、父親がパソコン通信に給与をつぎ込み
母親に給与を渡さなかったことより次第に喧嘩が発展、父親は昭和64年に知り合いの建築士に依頼して2000万円で一戸建てを立てて移住したが、
平成元年頃より家で母親がドアをけ破るなどの喧嘩、平成2年頃に母親は車でいなくなり、父親から、母はもういないぞなどと言われた。
祖父母からは何も指摘はない。ゆりかご保育所では様々な園児が様々なことをしていたが、誰が何をしていたのか何も記録がない。当時の同園では水泳教室だけ
力を入れてやっていたがそれ以外のプログラムは適当という感じ。延岡市内の水泳教室が入っていた建物は平成時代を通じて廃止になり現在では廃ビルになっている。
平成2年に南方小学校に入ったが体育とか行事だけをしっかりやる学校で勉強はほとんどない感じ。2,3年生になっても同様。勉強不在、体育だけしっかりやり
それ以外はあいまい。平成4年に永田真知子が担任になるといじめが激化したので登校拒否になって平成5年は祖母の家に逃げていた。
平成6年になると高千穂小学校に転校したが、学校には行きたがらない。当時の高千穂小学校では、3,4年次の児童は既に幼稚化が進んでいたが、5年次の児童だけ
は異常に健康で屈強な生徒が多く、私はそんな中を過ごした。勉強の方はほとんどない学校だったが、かなりの児童が、水泳も体育も行事も活発にやる感じの中で
私は何もしなかった。家庭では父親から食べさせられ過ぎたせいでかなり太っていて学校でも多少のいじめにあった。平成7年になってからも同じような感じ。
どの児童がどんな感じの児童だったかなどはほとんど記憶がない。極めて健康優良児のような田舎の子供独特の人も多ければ、自閉気味の児童もかなりいた。
平成8年3月に、卒業旅行で、ANAに乗って東京の親戚の家に行ったりしていたが、ANAの乗務員などからは自閉症ではないかとはみられていた。しかしここでいう
この子は自閉症ではないかというのは恥ずかしがり屋だとか自閉気味だというだけで、広汎性発達障害すなわち、低年齢において発現する脳機能の障害であって
社会的コミュニケーションの円滑な実施に障害があるなどという程度のものではなかった。平成8年に西階中学校に入ると屈強な部活動生徒に囲まれ、太りすぎ
であることから、奇異な目で見られていた。しかし部活動を通じて細身の体型になった。勉強は不在の学校である。平成9年にはインターネット漬けの日々になるようになり
学校の勉強はしない。他のほとんどの生徒も勉強はしていなかったと思う。冬頃に家族と大喧嘩をすると勉強で見返してやると言い出し、作戦的に教科書をひっぱり出して
勉強、 中学校での成績もどんどん上昇し、優等生になって卒業した。平成11年に延岡西高校に入ったが、異常なまでの積極的な猛勉強で、担任の井上修二から
断トツの成績だと言われていた。平成12年1月に実施された進研模試では偏差値85をふりきり、ヨヨギゼミナール模試でも名前が掲載されたため市内に激震が走っていた。
平成12年4月に担任の井上が自分の授業ではお前を東大に入れる自信がないといてZ会の受講を進めたが、基礎講座のうちはどの科目も概ねできていて優等だった。
高校では体育や行事に参加したがらず、こんなレベルの高校で東大なんか行けるわけないだろと次第に愚痴をこぼすようになった。平成13年からZ会の講座が
東大対策講座になると、現代文はほとんどできない、どんな解答を書いても赤ペンでズタズタにされてほとんど点数になったことがない、他面、小説、古文漢文はそれほど
悪くなかった。 数学では異常な難問にも没頭し、添削の先生から、数学への興味関心が高いとして100年に一度の逸材というコメントがあった。
自分は、5年後のヴィジョンについて面談をする相手の方の立場です。
自分の場合、ちゃんと考えて欲しい人には、高校の授業選択で説明します。
「将来はどんな仕事がしたいんだ? じゃあ、大学は○○学部かな。じゃあ、数学は全部取らないといけないね。理科は○○と○○がいいね。古文は……」みたいなやつです。
高校の授業の選択はおそらく全員の希望が叶ったと思うんですが、会社の仕事はそういうわけにはいかないので、希望はほとんど叶いません。
「授業の定員がいっぱいだから、お前の選択科目は『漢文』と『倫理』と『地学』な」と言われたら、たとえ成績が全部5でも大学進学で詰むことは誰にでもわかると思います。
でも、会社ではそうせざるを得ない人がたくさん出るので、上司はしばしば意図的に「将来のビジョンなんてどうでも良いよなー」という空気に誘導して、「『倫理』と『地学』で入れる学部なんてねーよ」と知っていても押し付けます。
本当は、自分がどの学部に進むかのヴィジョンと、そのために必要な受験科目を認識することは、とても重要なことです。
そんなわけで、本来、将来のヴィジョンを主張できるのは働く側にとてもプラスなことです。
「会社への貢献」を聞かれるのは、「お前のヴィジョンは聞いてやるけど、金を出してるのはこっちなんだから好き勝手は言わせない」という防衛線です。
自分だけでヴィジョンを考えるのが難しい場合は、関連業種で1つか2つ上のポジションの人に相談すると良いと思います。
自分の5年先の立場の人を上から見ている人、という位置です。(高校の科目選択で言ったら、大学生ではなく新卒採用をする人の意見を聞くのが良い、という趣旨です。)
そういう人の意見を参考にして、「こういう貢献をするからこういう仕事をしたい」と主張しないと、将来詰むか詰まないかは上司任せになってしまいます。
まず漫画のスカートめくりの話題は置いておいて、あなたの文章は読みにくい。
ものすごく読みにくい。
俺は国語の授業が好きで現国が得意で古文漢文が嫌いだったから、文章を読むのは好きなほうだと思うけど、あなたの書いたものはものすごく読みにくい文章だと思う。
文法的にも単語も特に難易度の高いことを書いていないのに、なぜか何度も読み直さないといけない。
ちゃんと読まれない原因はこれ。つまり貴方の文章は読むのがストレスだから。
なので「読むの面倒くさいけどつまりこういう事言いたいんでしょ?」って誤解や決めつけられる結果になってる。
特に表現規制の話題が日常的に投稿されてる匿名ダイアリーだと「また規制派が騒いでるよ」と適当に対応されがち。
けどあえてアドバイスするならこの話題で主張したいことをTwitterの文字制限くらいで簡潔に書いてみてはどうか。(150文字だっけ?)
なぜか漢文まで読めるようになる。
全く違う。
現代の英語教育は、英文学を原文で読むことなどを到達目標としていない。
一昔前の受験英語ならともかく、現代の英語教育で難解な文学や評論が題材とされることはまず無い。
高校生が到達すべき目標を設定して、「この程度の単語や文法が分かれば、このくらいの文章が読める」という分析をきちんと行っている。
一方、古典の教科書には「桐壺(源氏物語)」とか「鴻門之会(史記)」などが掲載されている。
それを読むための必要事項はほとんど解説されないし、それを頑張って読解しても何の役にも立たない。
平安時代の古文常識は江戸時代の古文を読むときには何の役にも立たないし、時代が異なれば使われる語彙も大きく異なる。漢文の場合はさらにひどく、ある作品で出てきた難熟語を覚えてもそれが他の作品の読解に役立つ局面はほとんど無い。
「須らく」の誤用の話は呉智英が随分前からやっていて、高島俊男先生も「お言葉ですが」で「予告語」という概念を作って説明したりして、「須らく」を「全て」の意味で使うのは誤用であるということ自体は広く知られる様になっていると思うのだけれど、結局の所、ネットで目にする文章では誤用の方がずっと多いのよな。
書かれた文章読んでいると、呉智英が侮辱する様な「無教養で知ったかぶりの馬鹿」ではないと考えられる人たちでも誤用している例が多くて、これは書き手の知性とは別の部分に原因があるんじゃないかとも思えるのだよな。
「須らく〜〜すべし」が使われる文章ってのは、要するに漢文調の書き言葉って事になろうかと思うけれど、そういう文章が書かれる機会が減り、今の時勢で普通の書き言葉でものを書く時には、むしろ誤用である「全てのカッコイイ言い方」の方に耳馴染みが出来てしまっているということじゃないかとも思えるのよね。
さすがに「勉強するより」という価値観にゲームが来ることはないだろう。小説と比較してるけど「ゲームするより小説を読め」という説教はあっても「勉強するより小説を読め」は今でも説教として通常ではない。
「勉強ばかりしてないで、ゲームしなさい」 香川県地元紙にゲムトレが全面広告 「ゲームの教育的な側面を知ってほしい」(1/2 ページ) - ねとらぼ
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2112/21/news106.html
しかし一部のひねくれた理系親が「社会の役に立たない古文漢文を勉強するよりゲームしてろ」という説教はあるかもしれない。世の中には、将来の役に立つか立たないかで勉強の価値を二分している人たちがいて、その人達にとって国語は「役に立たない」とみなされる。
「ゲームしなさい」という説教のある未来を予想した時、親から強制されるゲームは「役に立つ」ゲームに限られる。役に立つゲームとは、・オンラインで価値ある友達とコミュニケーションしリアルのコネを作れるゲーム ・勉強も一緒にできるゲーム ・プロ大会が開かれ仕事になるゲーム 等である。