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はてなキーワード: 活字とは

2018-06-22

anond:20180622000413

そのレベルだともうちょい下じゃないか…五十代…?

意不得意抜きで考えても偏差値60は半分以上は取れるし活字ももうちょい読んでる

世代間で偏差値60レベルの知能の人ってこんなもんだよな

・中高と普通にお行儀よく勉強してきたとしてもセンター英語で100点くらい

芸能スポーツ関連のトピック以外の活字は読まない

新書1冊読んだだけで頭がヘトヘトになる

謝罪会見での涙を見たらその時点で許す気になっちゃ

友達飲酒運転逮捕されたとしたら非難するどころか同情するし、なんなら捕まえた警察に腹を立てる

自分にとっての天才思想家がマツコ、有吉、小籔、橋下徹

・「あいつ、お前の悪口言ってたぞ!w」という報告を受けたら完璧に信じるし、報告者に不快感も抱くこともない。ちょろい。

イケメンヤンキーグロメンの東大教授だったら前者のほうが地頭良いと思ってる

2018-06-21

増田を読んでも満たされない

「あー何か活字が読みたい!でも増田を読むも満たされない!」というと、「君は活字を読んでいない、活字とは印刷された文字だ」「漫画ならあるが」と言われる。材質は紙だがそれじゃない感半端ない。紙である必要が全くないだろう予感も半端ない。「あー文章が読みたい!でも増田じゃ満たされない」といい直してみるが、相手にされなくなったため適当ネットの中を読み漁る。

吾輩は猫である名前はまだない。

ちがう

 廻れば大門見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火ともしびうつる三階の

これだ!

「正しくは、あー文語が読みたい!だったわ」「それは増田じゃ満たされない。」「だな。」

文語読みたい!でしっくりきたけど、ぶっちゃけ内容はどうでも良くて、文語体のリズムを脳が欲しがってる感もある。これって俺だけ?この欲求って音楽聴いても解消されるのかな?いやでも、目で読んで頭で文字が音を奏でるってすごくない?音楽出来る人はは楽譜見ると音流れるっていうけど、「あーなんでもいいか楽譜読みたい!」とかあるのかな。みんながどうなのか知りたいわ。あとこんな時に最適な文語も教えて欲しいわ。たけくらべの冒頭じゃものたりないわー

2018-06-18

ツイッター引用元を書かない文化

https://twitter.com/7_color_world/status/1007829479006146563

これが引用要件をみたしてるかどうかって話は置いといて、せめて「今日の〇〇新聞の投書だけど」とか書いてほしいわ。

これはまだ著作権者の氏名が載ってるけど、無記名の記事とかコラムでこういうアップの仕方されるとどうしようもない。

新聞っぽい活字だったらソースになるって思ってるのかな。

2018-06-12

いやー自分活字嫌いを正当化する流れなかなか"濃い"ね~

2018-05-28

anond:20180528070357

一頁に稀な活字を大量に使うと活字が足りなくなるから、鉛活字時代には禁止されていたという伝説がある。

2018-05-23

広告守護

  皇紀二六XX年

 満員の通勤電車の中、誰もが本や手帳を取り出し黙々と活字を追っている。個人用端末を立ち上げ誰もが電脳空間を眺めていた時代が遠い昔のことのようだ。

知的財産保護文化的規律維持を名目としていたはずの通信検閲暴走を続け、遂には電子の網を支えていた大黒柱をも断ち切るまで満足することはなかった。その柱は、広告業界と呼ばれていた。

 

続き、任せた

2018-05-06

anond:20180506182201

媒体出版界全体が難しいんだろうな

アイドル写真集握手券を入れてもらうようにするか、

老人受けするように大きな活字の本を出すようにするとか

何かを根本から変えないと難しいのでは。

2018-04-23

世界一有名な二次創作は?

聖書

世界一パクリまみれの作品は?

聖書

 

世界一無償バラまかれている作品は?

聖書


世界一信者アンチが殴り合っている作品は?

聖書



凄い。

現代活字界を代表する要素てんこ盛りだ。

2018-04-20

本を読むことを神聖視する風潮

違うと思う。

活字を読むぐらいのことにいちいち拒絶反応起こされても困るが、活字を好むぐらいのことを褒め称えるのは違うと思う。

とりあえず活字を拒絶しないことの次のレベルとして、化学式や数式に拒絶反応を起こさないってのがあるけど、これも褒めるほどではなく人として当然のこと。

というか、自分一人で黙々と本を読むだけのことになんの凄さもない。

アニメ毎週100話見てる自慢と何も変わらぬ。


じゃあ何が出来たら褒められるかというと、どの書物にも書いてないけど、誰も知らないという訳ではないようなことを知る方法を身に着けていること。

まりは、他人コミュニケーションを取れること、自分の手足を動かせること。

紙やテキストファイル文字を書いてるのは人間な訳だけど、その内容は整理こそされてるけど、整理するために削られている部分も多い。

書く以前にその内容自体がまだ誰も知らないけど、しかるべき人が手足を動かせば案外簡単に手に入る情報とかもある。


たとえば、自分の体の調子が悪いと感じているとしたら、本を読んで調べればある程度の症例は絞れるかも知れないけど、医者相談する方が正確だ。

素人いくら本を読んでも憶測の域を出ないし、自分でできる治療民間療法市販薬品を使うことぐらいだ。

本を読むことは多くの場合解決力において、然るべき人間コミュニケーションを取ることに劣る。

誰にどう相談するか、どういう表現が適切かを学ぶのに役には立つが、実行に移さないなら宝の持ち腐れどころか、それが実践において宝と言えるのかも分からないままだ。

本の虫になるのはいい。

だが、本の虫であることに満足してコミュニケーションから遠ざかっては駄目だ。

本を読むことはある意味ではコミュニケーションなのだが、それは静的なコミュニケーションであり、動的ではない。

会話がキャッチボールなら、活字ピッチングマシンだ。

ピッチングマシンばかりを相手にしていては、ボールを捕れても投げ返し方が分からないままだ。

それでは、褒められない。

本を読むことを褒めるより前に、人と会話ができる事、積極的コミュニケーションが取れることを大事にすべきだ。


天声人語より

2018-04-12

活字ってだけで信用してもらえるんだな

ツイッターで、新聞記事画像で張り付けてる人は、ほとんど、どこの新聞か書いてないんだよな。

https://twitter.com/taketake1w/status/984187080199684097

↑こういう感じで。

ちびっこ相撲 女児」とか記事の中のワード検索したらWeb版の記事がでてくるから問題ないっていえば問題ないけど。

紙の新聞だけじゃなくて、Web媒体記事スクショを貼ってる人も、URLを書いてる人なんてほとんど見たことないし。

新聞だけじゃなくて、雑誌とか書籍とかでも。

あと元がなにか書かないと引用要件みたさいよな。(ツイッター一言添えるだけで引用になるかっていうのはさていおいて)

文章書いてる人に対するリスペクトがぜんぜんないんだなって思うわ。

2018-04-02

容姿ではなくて性格問題

実家のある千代田区の桜は葉桜になっている。

来年田舎の人がいない場所で誰も興味を持たない桜の木を見たい。

桜が満開だった頃に、自分就活もせずに神保町本屋卒論のためにドキュメンタリー映画の本を睨んでいた。

すると、容姿のいい女が本を探していた。

比較的硬めの本のコーナーだったので、何か難しい本でも読むのかと思ったら少し歩いて桜の写真集を見始めた。

友達らしき女が来た。すると、彼女は「SNSで有名な人が云々」と言い始めた。

彼女活字など殆ど興味がないのだろう。

空虚な桜の写真を見て、綺麗とかすごいとか言っていればしばらくの人生は上手く行くのかもしれない。

何か変に難しいことを考える必要がない。

政治経済などに無関心であろうと恋愛などで楽しめる。

今日疑惑しかない安倍政権支持率が上がっていたとかいう話がある。

昨日は官邸前のデモの途中で美男美女会社員が、逆方向にあるいていることに対してネット批判したら袋叩きにされた。

彼らは少なくとも、安倍政権に対して反対する意思は見受けられないし政治のことを特別考えていないのは行動から明らかだ。

それを分析しただけで文句を言われる。

大抵は安倍信仰している人からだが、一部のリベラルっぽい人からも決めつけるなと言われるのだ。

みんな美男美女が好きのなのかもしれない。

そして、批判の内容は安倍が好きだということは大抵は隠す。容姿ではなくて性格問題だと、まぁ決めつけるものだ。

これは非常に自己啓発的な内容だ。

現状に文句を言わずに、ありのままを受け止めて、自分でどうにかしろということなのだ。

おまけに安倍を支持しろというオプションもあるかもしれない。

自己啓発的な言葉安倍政権雰囲気と何か似ている気がする。

論証は一切できないけど。そして、就活で飛び交う言葉にも近くて胃が痛くなった。

しかし、実際に自己啓発でどうにかなるのかというとそれは胡散臭い

安倍政権の成果だったり、なんだかんだ一次面接で落とされる就活などが現実だ。

結局は容姿問題なのかもしれない。

2018-03-25

anond:20180324225854

とりあえずEテレの子ども番組DLifeディズニーアニメを片っ端から録画してYouTubeからすり替えるのはどうですか。

自分の幼少期を思い返せばジブリやらポケモンやらドラえもんやら特撮やらとにかく子ども向け番組テープに録り溜め

それをひたすらリピート再生する地獄のような時期がありましたが、YouTube動画に比べれば断然ましでした。

録画したDVD再生するくらいなら増田の夫も協力してくれるだろうと思います



子どもがいない自分がいうのもなんだけど、理想を言えばお子さんに読書習慣をつけてほしいです。

親に感謝する数少ないことの1つが僕を本に触れさせてくれたことで、そうやってお子さんの関心を良い方向に促すことが最善と思われるから


図書館が開催している読み聞かせイベントなどに定期的に連れて行き、

絵本でも図鑑でも何でもいいのでお子さんが興味を持った本を借りて帰ってください。

司書の方に相談すればいくつか本をセレクトしてくれるので、とりあえずそれを借りてくるのも手でしょう。

図書館に通ううちにお子さんの趣味がなんとなくわかってくるので、定期的に本屋に連れて行き買い与えてはどうでしょう


出来ればリビング本棚マガジンラックを設置し増田とお子さんの好きな書籍を置いていってください。

ファッション雑誌実用書などなんでもいいので置いてください。

親が活字に触れる生活をおくり、お子さんを文字に囲まれ環境においてください。

お子さんは文字が読めるようになると好奇心でありとあらゆるものを読もうとするはずです。

その活字への興味をうまく広げてください。そして「読書楽しいことだ」とお子さんに身をもって示してください。

実体験に照らし合わせるとそうすることで読書習慣が身につきやすくなると思います。お子さんが盛んに本を読むようになれば、自我が育ち物語を読み解くリテラシーも体得していくはず。

そうすればエルザゲートまがいのYouTube動画なんて見向きもしなくなるでしょう。

こういった成長は特別配慮がなくても自然と迎えるものかもしれませんが、

くそフェーズに入りYouTube漬けの日々から卒業してもらうためにもお子さんに本を与えることは有益アプローチだと思います


しかし何より大事だと思うのはお子さんの興味を制限しないことだと思います

YouTubeが見たいというならやはり時間を定めつつ見せてあげるべきで、

その上で別の物に楽しみを見出してくれるように様々な娯楽を与え体験させてあげるのが理想かもしれません。

2018-03-17

https://anond.hatelabo.jp/20180316223809#tb

こまば当事者カレッジ愚痴です。

精神健康の増進」という国民課題に対して、いちばん当事者意識がないのは東京大学でしょ。

初回のオリエンテーションからひどかった。フィンランド精神療法のリフレクティングというのやらされました。

こちらは援助職じゃないんです、当事者なんです。当事者精神療法をやらせる。無茶振りもいいところです。

私はこの後3週間ぐらい、自殺衝動が強くなりました。

回りくどいことをやらせずに、ストレートに話をさせ、来たことを褒めてくれれば、いちばん精神衛生にいい。

協働というのは、来ただけでエラいので。自腹で来ているだけでえらいんですから

ミルグラム実験を思い出しました。閉鎖的な環境下での学者心理実験には要注意。

非人道的だと思ったら外部に助けを求めること。ぜったい密室にさせないこと。

向こうは「場の安全」とか言いますけど、いちばん危ないのは君たちでしょ。

倫理委員会に「一般から募集した障害者に対して、ミルグラム実験のようなことをやらないでほしい」と相談しました。

しか倫理委員会によれば、監視対象研究(主に医学部で行われる)なので、学習対象外との回答。これはおかしいと思う。

一般から募集した障害者というのはいちばんストレス脆弱性が高い層なので、注意深くあるべき。

第二回からは冒頭で「気分が悪くなったら休んでください」というアナウンスが入るようになったので、多少は気合が入った様子でした。

本当は保健所とか、労基署とか、独立した外部機関が入った方が、ガバナンスとしては正常だと思う。

プロなら最初から100点の答案を出せよな。

精神障害者から身体障害者まで、あらゆる障害者募集しちゃった。

小学校でも、普通小学校特別支援学校とでは必要教員免許がちがうわけですが。

受講生が生物学的に耐えられるかどうかではなく、自分たちの都合(政治的な正しさとか)を最優先した。

いつもの駒場論理で盛りだくさんのカリキュラムを組み、つめこみ教育をやった。

自分たち日本いちばん大学教員から指導力があるはずと奢っていたんじゃないですか。

一流大学教員指導力なんて求められない。応募してきた学生を振るい落とすのが仕事から、誰だってできる仕事

生徒ひとりひとりの個性を見抜いて、褒めて伸ばすなんていうことはできない。

受講生同士の横の人間関係を育てるという視点が欠落。ホームルームや学級会に相当する時間をまったく設けなかった。

ものすごいストレスが強いです。

とにかく文系学者弱者からひきはがしてほしい。

エビデンスを認めない。文科省報告書でも「実証」という言葉で叱責されていますが、理屈にこだわる。

建前を向こうは並べ立ててくるんですけど、こっちは体でストレスを感じている。エビデンスベースドで話が進まない。

安冨歩さんの『原発機器東大話法』を読んでいるんですが、この本は東大人の行動を理解する上で示唆に富んでいると思う。

「対人操作をやる」というのは納得。

交渉力が高い。雄弁・多弁で、すごいしゃべります文科省は「対話」という言葉で叱責)。感受性は低いです。

それってパワハラなのよ。

福島でも同じことをやっているんじゃないかと疑っている。

「都合のいい福島県民」を見つけてきて、自分たち東大話法でちゃっかり傍観者を装う。

ただでさえややこしい福島に、ややこしい東大文系が近づき、もっとややこしくする。

そうやって生成された摩訶不思議な「哲学論文」とやらを英訳して海外に発信。

中身を少し読んだが、自己満足の作文って感じだったので、そっ閉じした。

私たち税金社会の中でこんなふうに「有効に」生かされているっていうわけ。

必要なのは複雑化ではなく合理化。この人たちのリストラ

とにかく「哲学者に精神科医のまねごとをさせないでほしい」という大切な教訓を活字にする必要がある。

タコツボ文系学者が二度も三度も同じまちがいを繰り返すので苦労が絶えません。

2018-03-07

岡田麿里監督作品さよならの朝に約束の花をかざろう」を観た

※かなり仔細にネタバレしているので、まず最初映画を見てほしい。すごい良い映画だったので。

 こないだ映画を観たのだけれど、どうしてもよく分からない点がいくつかあった。まだ1回しか観ていないので本当はあと10回位観て考えるべきなんだろうけれど、地元映画館ではそもそも上映しておらず次いつ観られるかわからないので、諸兄に教えて欲しい。レビューのみ読みたい人は4を読んでね。

1.なんでレイリアは最後、空飛んだの?

 

レイリア視点での簡単な流れ(経過時間は大まかな予想)

里を襲撃され、連行される

 ↓ 5年(エリアルの成長から

式典でマキアと再会するも、妊娠理由に同行拒否

 ↓

まれた子をすぐに取り上げられる

 ↓??年

助けに来た仲間が殺される(クリム死亡)

 ↓??年

子に会えないまま5年くらい幽閉状態が続き(メドメルの成長から見て)、精神限界

 ↓??年

外国から侵略戦争勃発

 ↓

(死んだと思ってた)クリムが混乱に乗じて助けに来る

 ↓

彼ではなく、唯一の心の支えだった自らの子に会うことを選ぶ

 ↓

メドメルと初対面し、空を飛ぶ

 

レイリアにとって「飛ぶ」ということ

 まず、作中における「飛ぶ」というワードについて。里にいた頃の彼女自由奔放で、そんな彼女マキアに対して発した「飛ぶ(なんて言ったか忘れちゃった)」という言葉にはどこか、明るい予感に満ちていた。しかし城に幽閉されているとき彼女が同じ境遇を持つワイバーンに対し、翼を持っているのになぜ飛ばないのか…と問いかける姿は「私には翼はないのに…」という呪詛のようで、あの自由奔放な彼女の影も形もない印象的なシーンだった。その後式典を襲撃したマキア達の救出を断った彼女は、別れ際「私にはいつでも飛べる、でしょ?(なんて言ったか忘れちゃった)」と発言していて、その表情からマキアが言うところの「飛べる(物理)」とは違ったニュアンスを感じさせ、これがラストのシーンにつながっていると思われる。

 ゆえに彼女最後空を飛んだシーンは、「自らを抑圧から開放し、自由を取り戻す姿」と解釈できる。

 

レイリアにとってのクリムとメドメル

 彼女はクリムが死んだ(と思った)とき「すべてを奪われた」と感じたように、彼の死は「イオルフの民」という居場所、あるいは人とのつながり(彼女王宮内で人扱いを受けていなかった)、あるいはアイデンティティ、そういう彼女のあらゆる構成要素が失われたことを象徴している。

 またレイリアは自ら産んだ子供さえ取り上げられ、何年も会えないまま王宮軟禁され続けていた。怒り狂うさまはもはや「母性の発露」なんて生易しいものではなく、「最後希望」「自分の子供に触れたい、という(最後の)人間らしさ」「生きることへの執着」として、軟禁生活の中でメドメルへの想いが先鋭化していくようだった。彼女自身も「あの子を腕に抱いたとき感覚を徐々に思い出せなくなっていく」という実感として、自らの変質を感じ取っていたのかも。そういう文脈で考えると、マキアがまだ幼いエリアルを抱きかかえながら言った「太陽匂い」というセリフは強烈である

 その後彼女が(偶然、ではないよね)メドメルと再開したとき、メドメルを抱きしめることもなく、どちらかと言えば安堵に近い表情をしていたのは、彼女にとって「メドメルに(一度でいいから、って言ったっけ?)会いたい」という想いはすっかり変質しまっていたために”「すべてを奪われたけど、なんとか”生きること”にしがみついていたレイリア」ー「メドメルに会いたい、という願いの成就」=∅” つまり「完全な虚無」と化したんじゃないだろうか。ほんの少しでも過去イオルフの民としてのアイデンティティとか)に希望見出していれば、彼女はクリムを拒むことも、メドメルに会うこともなかっただろう。

 

レイリアとマキア

 この戦争では同時にマキアエリアルの親子関係が描かれていて、言ってみればこのお話レイリアかーちゃんマキアかーちゃんの対比(あるいはエリアルとメドメルの対比)として観ることが出来る。そしてマキアエリアル出会って約23年くらいの間に紡いだヒビオル(=エリアルの成長)に比べ、レイリアが約20年紡いだもの(メドメルへの想い)はとても虚しい。マキアエリアル出会った所から物語が始まりレイリアがメドメルとようやく会えたところで物語が終わるという対比も強烈だった。

 

で、なんでレイリアは空を飛んだの?

 以上の文脈から、「完全に燃え尽きたレイリアはまるで灰のように空を舞った…」と考えれば良いのだろうか?それも違うよね。なぜなら飛び立つ彼女はとても晴れやかで、まるでイオルフの里にいた頃の彼女が戻ってきたような、あるいはずっと止まっていた時間が動き出したような、そういうカタルシスを感じた。「自らを抑圧から開放し、自由を取り戻す姿」は、彼女が決して虚無ではなくむしろ満ち足りていた姿を描いているようでもある。自由を奪われたレイリアとの対比として描かれていた飛竜が空を飛ぶ姿を見て「なんだよ、結構飛べんじゃねえか…」と言ったところからも、上記のような心情を察することができる。やっぱりよくわからない。

2.時間残酷ってどこらへんを見れば分かるんだろ?

 

 いろいろなレビューを漁っているうち、「時間残酷さ」というワードを用いた論評いくつか見かけたのだけれど、そのワードはどこからやってきたのだろう。少なくとも私はそのように感じなかったし、作中のキャラによる発言もなかった(と思うんだど、忘れちゃった)ので、もし同様な感想を抱いた人がいたら「時間残酷さ」って何なのか教えてほしい。

3.タイトル意味

 

 「さよなら」は本作でのキーワードイオルフの民の別称から、「さよならの朝」はラストシーン、マキアエリアルの別れを指していると考えられる(エリアルを優しく照らす太陽光の入射角度から、時刻が朝であると予想できる)。このシーンで彼女は彼に対して「さよなら」を言わず、彼が徴兵に行くのを送り出すときと同じ「行ってらっしゃい」を使っている。これは「さよなら」という言葉を強く暗示していて、彼女の抱く寂しさを感じさせた。

 「約束の花を飾る」というのは、慣用句「錦を飾る」みたいな感じで「約束(=花)」を「守る(飾る)」という文節として理解するのが正しそう。マキアエリアルはそれぞれ「カーチャンを守る」「もう泣かない」という約束をしていたので、『マキアは「エリアルとの別れのとき絶対泣かない」と誓っていた』ことを、「さよならの朝に約束の花をかざろう」というタイトルは指しているのかもしれない。どう思う?

4.ヒビオル

 

 こっから本作の感想。なにより「ヒビオル」というモチーフが非常に良かった。

 もともとは「日々の出来事を織り込んだ布」を指し、イオルフの民にとってはある種のアイデンティティとして描かれている。印象的なのは、その色や長さ。最初、里で織られていたヒビオルは長く、どこまでも真っ白だった。その後、マキア商人に見せられたヒビオルは赤と黒基調とした短いもので、その禍々しさに思わず(うわっ)てなった。捕らえられたレイリアの怨嗟可視化されているようで、ヒビオルの特性を端的に表しているシーンだった。更にその後、幼いエリアルマキアに送ったヒビオルは白と黄色基調としたもので、どんなメッセージかは分からないが、子が母を思うような、とても優しく温かい心を感じた。そう思うと、里にあったヒビオルのどこまでも純白の生地が続く様は、いかに里の人達が長い間平穏暮らしていたかを感じさせる。

 そんなわけで、ヒビオルの「活字や歌とは違う性質もつ情報の伝達手段」という側面について色々考えさせられた。現実において後世に何かを残すとき用いられた手段はいろいろあり、メジャーなところでは本(活字)、音楽(歌)だが、本作ではどっちもほぼ登場しない(本は登場なし、だよね?歌は酒場での労働歌のみ)。これらの手段と比べると、ヒビオルは「感情可視化」という独特な性質を持っており、特にアニメという媒体においてキャラクターの感情表現する方法としては劇的に優れた舞台装置である。これを思いついた岡田麿里すげえってなった。

 また、マキアたまたま見つけた赤子のことを「これは私のヒビオル(なんつったっけ)」と言ったあたりから「ヒビオル」という言葉は作中でどんどん拡張されていき、だんだんあらゆるものがヒビオルに見えてくるような演出になっていたのが非常に印象的だった。例えばクリムに長年幽閉され、長く伸びたマキアの髪。それまで栗色だった髪が(昔と同じ)金色になっている様はまるで、「エリアルと苦労しながら生活した思い出」は栗色の髪に、「クリム幽閉され無為に過ごした日々」は金色の髪に織り込まれているようで、その髪を手に取るクリムはまるで彼女のヒビオルを読んでいるようだった。

 そして最後の別れのシーン。マキアが優しくエリアルの手を取りながら語りかける様はまるで、手のシワに刻まれているヒビオルを読んでいるようだった。リアルではよく「言葉では伝わらない」なんて言い方をするように、言語というのは便利ではあるが万能ではない。だからこそ、このシーンにおける「彼」というヒビオルは、彼が生涯に渡って過ごした日々を、感情も含め余すところなく「イオルフの民」であるマキアに伝えることができ、彼女もそれを受容できたのだろう。とても強烈で、救いのあるシーンだった。あと10回くらい観たい。

 んで、気になったのがタイトルそもそもこの作品はヒビオルの物語なんだから作品名は「ヒビオル」でよくね?

2018-03-03

FGO」と「FEH」と「ラストピリオド

ログボ勢にならず継続して遊んでいるソシャゲ3作品についての初見を述べる。

当方の好みによる偏りはご容赦頂きたい。



FGO

活字好きはいらっしゃい、シナリオ面白さは流石の型月クオリティ

一部重課金勢で話題を呼ぶ天井なしのガチャ悟りの境地で向かえばいい。

来る時には来る。来ない時には来ない。

貴重な福引はそろそろ闇鍋じゃなくて確定ガチャを用意してほしい。

リセマラがきつい。最初必要データ容量が重すぎて時間が掛かる。

最初10連で推しの星4を当てられるかで判断した方がいい。

引継ぎコード簡単に発行される。だが転売対策なのか同アカウントで2機運用しようとしたりすると垢BANされるっぽい。

フレンドが強ければ大体なんとかなるフレンドゲーでもあるので

強い人がいたら手当たり次第申請を送ってみよう。



「FEH」

任天堂看板ファイアーエムブレムシリーズMIXしたお手軽戦略ゲー。

シナリオよりもゲーム性に凝った印象を受ける。

要はゲーマーなら楽しめる。そんな優秀なソシャゲ

ガチャ上記FGOと比べて優しい。さらりと星5来るよ。

リセマラの段階で強い星5(推し重視でもOK)を手に入れよう。

その後はすぐエリートの城とかいレベルアップ補助機能を余った石で買おう。サクサク進む。

しかランダム能力値や星4⇒星5への進化させるための羽集め、レベルリセットとかえげつない所もあるよ。

引継ぎコードニンテンドーアカウント必須なので発行手続きは大変。

フレンド機能が発揮されるのは今のところ投票大戦くらい。

なのでソロの方がいい我が道を往きたい方には持って来いかもしれない。



ラストピリオド

まさかアニメ化を果たすソシャゲ4月放送です。

タップ攻撃、防御を繰り返す単純明快仕様なのではまる人ははまる。

単純明快仕様ユニットの強化でも同じですぐ育成できる。

以上のことを踏まえると

周回慣れしている「FGOユーザーだと一休みとばかりに楽しめて、

頭を使う「FEH」ユーザーだと単調すぎて楽しみ難いかもしれない。

チュートリアル突破すると

初期の星5ユニット(5名)の内1人確定の10連が回せる。

さら10連分も回せる石をくれるのでこの20ガチャ

いかに星5ユニットを多く当てるかが重要

引継ぎコード簡単に発行される。

おかげで大体の玄人ユーザー複垢を持っている。

フレンド機能は「FGO」寄りでALLとその他属性選択でき

戦闘時、心強い助人になってくれる。

から強い人がいたら手当たり次第申請を送ってみよう。(2回目)










日常のひと時を楽しくさせてくれるソシャゲ一定課金をするのは礼儀だと思っているが、度の過ぎた課金は身を滅ぼすのでほどほどにエンジョイしよう。YESエンジョイ勢!!

2018-02-26

anond:20180226062543

「領」という漢字でいうと、元増田の言うように、元増田が正しいと思う。 

根拠は、このサイト

https://kakijun.jp/page/14134200.html

元増田の言うように役所の受付は、

PC上で見られる活字体を正規書体として認識しているんだろうね。

話は少しそれるけど、

昔、「香織」って届けを出そうとして、「香識」って書いて出してしまって、

受付もそのままスルーしちゃったから、「香識」と書いて「かおり」に

なってしまった人がいると、聞いたことが有る。

役所の受付も一言注意してあげればいいのにと、言われていた。

本当は、当て字でもなんでも構わない事が問題なんだけどね。

最近は注意してくれているのかどうか分からないけど、

こんなミスが無くなるように、少しは会話が有ることがいい事なんじゃないかと思うけど、

漢字に関する知識情報量の少ない人が受け付けたり注意する事に問題が有るよね。

anond:20180226062543

この問題はすでに決着がついている。と理解している。

結論から言えば、「令」の字の下は「ア」「マ」どちらでもよい。

両者は同じ字だ。

「令」は、活字では「ア」のようになるが、

手書きでは「マ」と書く。

もともと手書き「マ」だったのだが、

活字「ア」を目にすることが増えたため、

「ア」(だけ)が正しいと思って(誤解して)いる人が多い、

というのが現状。

従って手書きでは「マ」と書いて当然。それが本来正しい。

それを「ア」と直す役所おかしい。

もちろん「活字では「ア」になっちゃうけど、同じ字ですから

同じ字なんですよ。ご了承くださいね」というならわかる。

手書きで「ア」と書いている人は本来おかしい。

「ア」は活字のための字形から

でも別に間違いではない。趣味問題。そう書きたいなら書けばよい。

ただ、手書き「ア」派の人が、賞状とかの手書き名前

「「マ」は間違い」と言い出すと面倒。

戸籍は「ア」になってる」とか言い出す。

今の戸籍活字なので、確かに戸籍は「ア」になっている。

だが、手書きで「ア」と書くのは間違いではないし、本来「ア」が正しい。

まあ、当人が言うんだから、と筆耕の先生手書きで「ア」と書くことになる。

それで間違いではないし。

ただ、そうこだわる時点で「ア」「マ」を別字だと思ってるわけで

その人は誤解をしている。

わかった上で「ウチの字は「ア/マ」だ」と言っているならいいんだけど。

●参考

常用漢字表字体字形に関する指針(報告)」(文化審議会国語分科会)の概要

http://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/__icsFiles/afieldfile/2017/08/10/2016022902_besshi01.pdf

上記文化庁の報告だけど、

ずっと前に文科省から漢字指導について通達が出ているはず。

間違いがあったら指摘よろしく。

役所戸籍関係の届け出をしたら漢字を訂正された

名前漢字部首として『令』が入るんだが、その『人』の中が『、』の下に『マ』と書くのは間違っていて、『-』の下に『ア』と書くのが正しいので、二重線を引いてそのように直すよう言われた。

そこで、おそらく役所では国語教科書書道で習う漢字ではなく、明朝体活字PCで表示されるフォントの方が正しい漢字だ、との判断があるんだろうなと推測し、

「じゃあ渡辺さんとかの『辺』のしんにょうも、学校で習った書き方じゃなくて『之』みたいに書かないと書類出せないの?」と聞くと、それは「?」って顔をされた。

特に言い争いをする気もなかったので役所の言う通り書き直したが、なんだか釈然としない。

どういうルールがあるんだろ。

2018-02-25

anond:20180225083842

いわゆるオタクともまた違う人たちな気がする。

二次元キャラブヒるタイプオタクだけを「オタク」というならまあそうだが

オタクにもいろいろいるんよ。

ゲームオタクとか活字オタクとか鉄オタとか。

2018-02-14

メンタルヘルス主体性

 ソースを見失ってしまったのだが、「音楽趣味の人はメンタル不安定な傾向にあり、読書趣味の人は安定している傾向にある」という話をネット上で見かけた(ニュースサイト記事で、それのソースはよくわからない論文だった)。これをしばらく頭の中に転がしていて、思うことがあったので投稿する。

 この前、曲を聞いた。自分はあまり音楽鑑賞の習慣がないから、16小節も似たようなループを聞かされると飽きてしまった。そして、この前、本を読んだ。自分はあまり読書の習慣がないから、見開き二ページも本筋に関係のない話をされただけで辟易してしまった。もちろんどちらも、作った本人が楽しくてしょうがないのだろう。さて、これらの凡作わたしはどう対処できるだろうか。

 音楽は、三島由紀夫が「マゾヒスティック芸術」といったように、ある種身を任せるような楽しみ方を求められる。盛り上がるところと盛り上がらないところは明確に定められていて、一番の聴かせどころには一番高い音が使われていたりする。極論すれば人は明るい歌詞や明るい曲を聞いた時、気分が明るくなったような気にさせらせる。国歌などは歌うことを通じメンタリティ位相規定していると言えよう。いっぽう、昨今の前衛的なライトノベルをのぞけば、活字というのは情報に抑揚がない。人の短期記憶は7つ程度の情報しか保持できないらしい(これは立ち話で聞いた数字であり、まったくの無根拠だ)。実際われわれが長い本を読み進める作業は、作者の伝えたいことを一度読んだという自信のもとに行う情報の選別である。つまり、明るい口調の表現があったとしてもそれは解釈の道具の一つにすぎない。どんな印象を持とうが自由であるし、人と感動の仕方が一致している必要もない。文章に抑揚を作るのはあくまで読者自身なのである

 さきほどの音楽に対してわたしができることはせいぜい再生を止めることなのだが、文章に対してはわたし解釈放棄ができる。文章ななめ読みすることができるが、音楽早送りして楽しむ人はあまり居ないだろう。そしてここの違いが、メンタリティに関わる問題なのだろうと思う。自分感情の安定に一番必要なことは、メンタリティへの主体性を保つことである。これは仮説だが、あらかじめ抑揚や感情がセットになった言葉や、感動の仕方が決められた情報摂取しつづけると、人は簡単に心の操作他人に委ねるようになるのではないか。そうして求められる感動に合わせていくことで心は消耗、麻痺していき、自分栄養を取る力を失っていくのではないか

 感動で商いをするものも多い。楽しいものも多いが、自分健康のためには、それとの付き合いは一定節度を持つべであるハンドルを取られてかんたんにバランスを崩すことがある。そういったことを頭に入れておくと身の回りの娯楽の見え方も少し違ってくるのではないか

2018-02-06

10年来の鬱とADHD傾向が改善した

 今年で28フリーター


 幼少期(小学校の低学年頃)に脳に疾患が見つかって、以来十年近く投薬治療をしていた。

 また、高校の頃からずっと鬱を患っていた。頭の中が鉛のようになって自由に動けなくなる。生活の上でそういうことが多々あった。


 ADHDも併発している。破壊的な過集中を経て朝まで眠れないことが多かった。

 バイトシフトにはちゃん遅刻せずに行く程度の社会性はあったけれど、やはりと言うべきかミスが多く、恐らく責任者も俺のことを発達障害者として認識していたみたいで、指示を出す時も俺にだけ妙に細かい明確な指示を出してくれたりした。それはそれでありがたかったのだけれど、時々ヒスを起こされることとなった。自分が主原因になっていることは分かっていたから、どちらかと言えば申し訳ない気持ちの方が強かったけれど。


 現役で地方駅弁大学入学して、卒業が近くなってから資格試験講座に通っていた。で、途中から引き篭もるようになる。

 一応何とか大学卒業できたけれど、定職に就くことはできなかった。


 自分は、根本的に人生ディシプリンというか一種の訓練期間だという固定観念を持っていて、それと同時に、より効率的自身を訓練できる人間がより優れた人間なのだという価値観を持っていた。だからと言うべきか、高校時代は朝5時に起きてジョギングを繰り返していた。恐らくその頃が、自分学力ピークになっていたと思う。

 確か当時の全国模試総合偏差値は70を超えていたはずである

 でも、そういう訓練が破綻を来たすのは思っていたよりも早かった。

 何年も日課にしていたジョギングが、高校生活半ばに突如として億劫になったのが始まりで、それ以来上手く眠ることができなくなったのだ。

 その頃から学力の減退も生じていて、自分自分コントロールできない感覚に苛まれるようになっていた。志望校ランクを一つ落として、何とか国立大学合格することはできたものの、今にして思えばあれが自分人生の最盛期だったのではないかと思う。


 大学に入ってからは、過密的な訓練期間と白痴のように生活崩壊する期間を繰り返すようになった。訓練期間には、暇があればジョギングに出かけ、膨大な量の学術書に当たった。また、複数語学習得を目指し大学ゼミを幾つも掛け持ちしていた。そして、大抵はそのような訓練期間は三ヶ月と持たずに破綻し、再び自分コントロールできずロクに睡眠も取れない白痴のような生活が始まるのだった。

 俺はそうやって訓練期間が破綻する度に、自分計画の建て方や訓練の方法に恐らくは問題があるのだと考えていた。実際、その考えにはある程度事実に沿う部分もあって、当時の俺はその自分が打ち立てた訓練方法の細部を限りなく修正し続ける作業に集中することとなった。そして、その細部を修正したトレーニング理論に基づく何ヶ月かの訓練タームを集中的に実施し、そしてその訓練タームの後には、訓練タームよりも更に長い破滅的な破綻の期間を迎えるということを繰り返していた。そのような生活大学卒業してからも戻らず、そんな具合に二十代の半ばを迎えた。


 何かが間違っていることには気付いていたけれど、何が間違っているのかはもはや分からなかった。考えつく限りの細部には工夫を凝らしてきたつもりで、主に食事における栄養バランスの調整には念入りという以上に念入りになった。卵、バナナ、木綿豆腐牛乳納豆青魚、葉野菜。こういうものバランスよく摂るようにしていた。でも、自分自分コントロールしているという感覚はついぞ訪れることはなく、相変わらず愚にもつかない趣味に熱中しては朝を迎え、疲弊しきった精神バイト先に行き、そして週末は48時間家に引き篭もって過ごすことも多くなっていた。


 いわば、この辺りが人生の暗黒期だったと言えるだろう。むしろ、そう言わずして何と呼べるのだろうか? もし他に呼び方があるとすれば誰か教えておくれ。


 さて。

 結論から言えば、この生活は現時点でかなり改善している。

 いわゆる躁鬱の躁期に入っただけの可能性も有ると言えば有るのだが、しか実証的に体系的に改善を目指した結果として、根本的に自己コントロールしているという感覚が数年ぶりに戻ってきたので、そこに関してはある種の信頼を置いている。


 原因というべき原因については既に見当がついていて、つまりそれは脳に対する血流の低下である身体におけるありとあらゆる不調や、自身コントロールを掌握できていない感覚殆ど場合、血流の低下に基づいているのであるADHDや鬱の改善に血流を効率よく増やす有酸素運動有効であることはとっくに知られていることで、つまり結局は脳の血流の有無が自己コントロール能力の有無へと繋がっているということなのだ。これを改善する為の様々な手段を講じ続けてきた結果、その中で極めて有効もののみが残ったので、それらについて以下に紹介していきたい。


 シンプルながら散歩ADHDや鬱の克服に大変役立つ行為である普段自転車原付で移動する距離を、例えば自転車原付を手で押しながら移動することで、とにかく歩く歩数を増やすことに集中した。iPhoneヘルスメーターも一応活用しており、実際に散歩した分の歩数が如実に数値として現れることにはかなりモチベーションを刺激されることとなった。


 腰の尾てい骨の下に柔らかいタオルを敷いた上での足の上げ下げなど、身体を横にして安定した状態にした上での筋トレは圧倒的に脳への血流を増やすことができる。これで週末の鬱傾向が随分と改善している。なお俺は心肺能力に二十代の半ばからかなり不安を抱えるようになったため、そこまで負荷を掛ける筋トレ実施していないが、自分の体調と相談しながら負荷を増やしていくことが肝要であるようだ。


 ドストエフスキー夏目漱石などといった純文学が望ましい。これらを読む際に脳に鋭い拒否感(としか呼びようのない感覚)が走る人間ほど、読書はうってつけの鬱・ADHD改善法となると俺は思っている。大抵の場合活字を読んだ際に訪れる決定的な拒否感は、脳に対する血流が急激に増えることに由来しているのである。そのように活字に対する拒否感が生じる際にはそっと目を閉じて、左前頭葉辺りに意識を集中してみると、はっきりと自分の脳への血流が増大している様子を感じることができると思う。特に、血流を増やす為には身体を横たえた状態でいることが望ましいのだけど、当然屋外や座った状態での読書も随分と効果を発揮する筈である。また、外国語の読解などもこの読書カテゴリーに加えておく。


  • 絵を描くこと(普段行わない趣味を行うこと)

 基本的に鬱の人間は、日々変化に欠ける生活を送っている場合が多い。

 同じパターンというか、悪い意味で安定しきった生活を送っていることが多いのである

 すると行動の多様性や、積極的な行動への意志が驚くほど抜け落ちていくという事態に遭遇した鬱持ち・ADHD持ちの人間は非常に多いのではなかろうか。というわけで俺はどちらかと言えば趣味としては読書文章を書くことに取り組むことが多く、空間的に物事を把握しそれを描写する絵などにはあまり集中力を払わないことが多かったのだけれど、これがどうやらいけなかったらしい。最近は、漫画イラストを模写したりだとか、積極的に絵を描く時間生活の中に設けるようにしている。ファミレスハンバーガーショップなどに行った時にサッと手帳を取り出して、軽く文章やそれに付する絵を描いたりすることも日課となっている。

 ここで言いたいのは、必ずしも絵を描くことが鬱やADHD改善に役立つといったことではなく、同じ行動パターンや同じ行動に固執することが如何に脳に悪影響であるかということなである。なので俺は最近文章を書き、絵を描き、詰将棋を解き、読書をし、と、とにかくやる事を一つに限定せずコロコロと変えることを意識して生活するようにしているのだ。

 鬱持ち・ADHD持ちにありがちな思考の切り替えや行動の切り替えが上手くいかない人間には、是非絵やその他普段行うことのない趣味を増やすことをオススメする。


 上で書いた通り、卵や牛乳青魚といったナチュラルフードが脳のパフォーマンスに影響することは学術的に証明されて久しい(と俺は思っている)。これはもう殆ど記述する必要性がない事実だが、しかし敢えてここに記述するからには、そこには当然ながらそれなりの理由がある。

 つまり、俺のような鬱・ADHDの併発した人間には、料理を行う際にとある事柄が圧倒的なハードルとして持ち掛かってくるということなである。つまりそれは、そう、料理煩雑さや億劫である

 基本的に鬱傾向やADHD傾向を持った人間はありとあらゆる行動に億劫さを感じるもので、よほどその行動に高い利益や見返りが見込めない限りは、その行動を行いたくないと思うものなのである。そういった面から言って、料理は味よりも栄養価と手間の少なさを重視するように俺は心がけている。準備や片付けの手間をできるだけ減らすために、単に塩焼きにしたり茹でるだけだとか、できるだけ工程の少ない料理(というか殆ど調理)で済ませられるようにしている。

 また、週末になれば殆ど外食で済ます

 脳に一定以上の煩雑さや負担押し付けないことが、ADHDや鬱改善の要点である。時にはサボることも非常に重要だ。


 追記。瞑想効果あると思う。瞑想時に、個人的には脳への血流が如実に感じられることが多く、恐らく脳に対してかなりポジティブ効果が起こっていると思われる。

 読書の後など、脳に負荷を掛けた際にその情報の整理や休憩の為に、短めのカジュアル瞑想を行うことがある。これもまたオススメ


 など


 こんなところだろうか。

 思い出し次第追記を行いたいと思う。


 今年に入って、文学小説の脳に対する効能が非常に大きいことに気付けたのは重要発見だったと思う。読書の際に襲ってくる倦厭感がむしろ血流の増大と関わっていることに気付けたのは、自分としては非常に大きな発見だったと思っている。というわけで、かなり重篤な症状持ちの人間としては、以上のような改善法を進める次第である

 上では書かなかったが、俺は重篤インターネット依存症持ちでもある。

 しかしその依存症もこの数ヶ月で劇的に改善した。俺という人間は、言うまでもなく長所よりは短所欠点の方が随分多く付きまとう人間であるからには、そんな人間にすら効果がある対処法は、恐らく全人類的に効果のある対処法となっていること請け合いである

 是非とも、皆さんにも実行してもらいたい。

 自身病癖を繰り返すようで悪いが、やはり疑いなく、「よい訓練こそが、よい人生なのだ


 それでは。

2018-02-03

ガンダム攻殻機動隊が同じに見えるらしい彼氏の話

お付き合いをしている人がいる。

相手は5つ年上の男性。ちなみに私の性別は女だ。

私はおそらく世間一般で言うオタクというやつで、創作物創造物の類が好きだ。

ゲームアニメ映画演劇絵画模型音楽。私にいろいろな感情を教えてくれたそれらのなかでも、ことさら本が好きだと思う。

飽きっぽく節操の無い性格のためか、活字なら小説から詩集新書専門書、漫画なら少年少女青年成年、雑誌写真集攻略本に設定集、映画舞台パンフレット等、およそ統一性の無い本たちが、広くはないワンルームの隅に鎮座している。縦に横に雑多に、しかし私のなかでは理路整然と。

最近遊びに来た友人に、積みすぎると床が抜けると脅された。賃貸でそれはまずかろうと、恐る恐る電子書籍に手を伸ばしている最中だ。


さて、冒頭に出てきた彼の話だが、おそらく少なくとも、漫画アニメオタクではない。ハリウッド攻殻機動隊を視聴するにあたって概要説明した折、第一声が「それはガンダムとは違うの?」だった男だ。

興味の無い人間にとって、電脳化・義体化とモビルスーツによる宇宙戦争は同じに思えてしまうらしい。お前話聞いてなかっただろ。

ガンダムとはちょっと違うかなー」「あれ、前見たガンダムと同じ監督って言ってなかった?」「ガンダムと同じ監督?何見たっけ?」「見たじゃんあのアニメの、警察のやつ」

それはイングラムだ。ガンダムじゃない。



ある日のこと、きっと遊馬とカイの区別もつかないであろう彼奴から突然「3月のライオンって知ってる?」とラインが来た。

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3月のライオン』(さんがつのライオン)は、羽海野チカによる日本漫画作品将棋を題材としており、棋士先崎学が監修を務める。(Wikipediaより)

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知っている。

漫画単行本を既巻全巻持っている。アニメも見た。実写映画も見た。

好きな物語だ。

正直すごく嬉しかった。自分の好きなものに興味を持ってもらえると一気に親近感が沸くオタクの生態よろしく、結構、いやかなりテンションがあがってしまった。チョロいもんである

はい相手小泉花陽ちゃんと三村かな子ちゃんの区別もつかない甲斐性なし野郎だ。ここは慎重にフラット対応すべしと自分に言い聞かせつつ話を聞いてみると、どうやら彼の友人がアニメを見てハマったらしく、自分も気になった、ということらしい。

漫画を所有していることを伝えると、貸してほしいとの返信。もちろん了承の旨を伝え、既巻13冊をすべて手渡した。重くなるが、スピンオフの灼熱の時代紙袋に詰めた。


3ヶ月ほど経った頃だったかデートをした日、そういえば漫画全部読んだよ、と彼が言った。晩ごはんを食べようと入った居酒屋メニューを見ていたときだった。

もちろん私はすぐさま感想を聞いた。そうなんだ、どうだった?と、期待を込めて聞いた。

「うーん、まあ現実にはあんなのあり得ないよね」

彼は笑ってそう言った。


びっくりした。ショックだった。

面白くなかったのだろうか。そう聞けば、面白かったという。続きも読みたいという。実写映画漫画も見てみたいという。

けれど、一番に口をついて出た感想が「現実にはあり得ない」だった。

そこで初めて思い知った。

世の中には、現実というフィルターを通して物語を読んでいる人が、あるいはそう読むことしかできない人がいる。少なからず今、目の前にいるのだと。

私自身は、幼い頃から随分本に触れてきたと思う。特にフィクション物語を好んで読んできた。読むたび私は空想にふけてきた。

こんな魔法が使えたら、こんなドキドキするような恋愛が出来たら、こんな力を持って世界を救うヒーローになれたら。

それらは、現実との比較であって混同ではない。

そりゃそうだ。私は本を読むとき、その物語という未知の世界の扉を開けて、体ひとつで飛び込んでいるようなものだ。

本を読んでいるとき現実は扉の向こう側にある。現実は戻ってくる場所なのだ

みんなそうなのだと思っていた。それが当たり前なのだと思っていた。

でも、そうではなかった。


私は何にショックを受けたのだろう

彼に自分が好きな世界否定されたように感じたからか。自分好きな物語にケチをつけられたように感じたからか。あるいは、単に同調してもらえないことに傷ついたのか。

おそらく全部あてはまる。けれど核心ではない気がする。

いまだによく整理できていないが、私はあのとき直感的に、嫌だと感じたのだと思う。

きっとこの人と私では、心の奥底のほうで、物語を共有することができないと、そう感じたのだと思う。

立ち位置が違う。視点が違う。同じものを見ているはずなのに、見えているものが違っている。

考えれば考えるほど当然だ。彼と私は他人で、好みも違えば趣味も違う。育ってきた環境も、考え方も違うだろうし、感じ方も違うだろう。

けれど私は、「物語」に関しては、その差異が許せなかった。直感的に、嫌だと感じるほどに。

これがいわゆる価値観の違いってやつなのか、とも思った。

これを理由に離れてしまペアは多いと聞く。価値観が違うのは当然だと以前は不思議に思っていたのだが、今はなんとなくそ気持ちがわかるような気がする。

自分のなかの大切な、染み付いてしまってどうしようもない根っこの部分を、きっとこのひとには理解してもらえない。それがわかってしまった。

ただそれだけなのに、その瞬間、彼が異質なものに思えてしまった。

ガンダム攻殻機動隊が同じに見えるらしい彼と私は、何かが決定的に違っている。

以来私の心は、彼の前では、私の大切なものをそっと奥に、彼の手が絶対に届かないところにしまいこむことにしたらしい。

一緒に映画を見たいと思わなくなった。見ても感想を言いたいと思わなくなった。本を貸したいと思わなくなった。本屋には着いてこないでほしいとすら思うようになった。

文字にするとただのメンヘラじゃねーかとも思う。

けれどそう感じてしまったので、しょうがいかとも思う。

理性のコントロールが効かない部分の、なんとまあ厄介なことか。辟易する。

追記

https://anond.hatelabo.jp/20180204055414

2018-01-26

トイアンナよりもはあちゅうよりも可哀想な人

トイアンナ離婚したとかはあちゅうが未婚とか皮肉でもなんでもないよ

ふたりとも結婚に向いてないなんてはたから見ても直観にわかるじゃん

本人たちも何年も前から分かってるだろうし別に大して悩んでもないでしょ

彼女たちが自分らしく生きるとああなるってだけの話 周りがとやかく言うもんじゃない

でもトイアンナはあちゅう読んでた俺の友達のことは本当に可哀想だと思ってる

美人で賢くて働き者でユーモアもあって優しい子だったけど

すごく幸せ結婚をしたがってたけど多分もう無理

手遅れだ

彼女は「食べ物人間をつくる」ということは知っていたのに

「観てるもの・読んでるもの自分世界運命を決めてしまう」ということは

まり真面目に信じなかった

信じたところで辞められなかっただろうとは思うけど

スマホの広まった世界活字好きが文字から目を離すのはダイエットよりキツいか

彼女も結局のところトイアンナはあちゅうみたいに

恋愛のようにみえものを楽しんで報われない苦味に大騒ぎして

最後は気の利いたテキストにまとめてみせる人間になっている

あれだけ幸せ結婚を夢見てたのに

仲間の結婚をあれほど羨んでいたのに

まあでも彼女の幸不幸は俺が決めることじゃないし未来は何が起こるかわからいか

俺はどちらにしたって黙ってるしかないよな

可哀想とか思ってごめんな

撤回するわ

贅沢言うなら

自分らしく生きてるよって心から言えるようになっていて欲しいな

望み過ぎか

人生めんどくさくても

自意識がめんどくさくても

元気にしてりゃあそれでいいよ

もし元気もなかったら

せめて連絡寄越してくれたら

美味い飯つくってやりてえな

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