「活字」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 活字とは

2018-02-14

メンタルヘルス主体性

 ソースを見失ってしまったのだが、「音楽趣味の人はメンタル不安定な傾向にあり、読書趣味の人は安定している傾向にある」という話をネット上で見かけた(ニュースサイト記事で、それのソースはよくわからない論文だった)。これをしばらく頭の中に転がしていて、思うことがあったので投稿する。

 この前、曲を聞いた。自分はあまり音楽鑑賞の習慣がないから、16小節も似たようなループを聞かされると飽きてしまった。そして、この前、本を読んだ。自分はあまり読書の習慣がないから、見開き二ページも本筋に関係のない話をされただけで辟易してしまった。もちろんどちらも、作った本人が楽しくてしょうがないのだろう。さて、これらの凡作わたしはどう対処できるだろうか。

 音楽は、三島由紀夫が「マゾヒスティック芸術」といったように、ある種身を任せるような楽しみ方を求められる。盛り上がるところと盛り上がらないところは明確に定められていて、一番の聴かせどころには一番高い音が使われていたりする。極論すれば人は明るい歌詞や明るい曲を聞いた時、気分が明るくなったような気にさせらせる。国歌などは歌うことを通じメンタリティ位相規定していると言えよう。いっぽう、昨今の前衛的なライトノベルをのぞけば、活字というのは情報に抑揚がない。人の短期記憶は7つ程度の情報しか保持できないらしい(これは立ち話で聞いた数字であり、まったくの無根拠だ)。実際われわれが長い本を読み進める作業は、作者の伝えたいことを一度読んだという自信のもとに行う情報の選別である。つまり、明るい口調の表現があったとしてもそれは解釈の道具の一つにすぎない。どんな印象を持とうが自由であるし、人と感動の仕方が一致している必要もない。文章に抑揚を作るのはあくまで読者自身なのである

 さきほどの音楽に対してわたしができることはせいぜい再生を止めることなのだが、文章に対してはわたし解釈放棄ができる。文章ななめ読みすることができるが、音楽早送りして楽しむ人はあまり居ないだろう。そしてここの違いが、メンタリティに関わる問題なのだろうと思う。自分感情の安定に一番必要なことは、メンタリティへの主体性を保つことである。これは仮説だが、あらかじめ抑揚や感情がセットになった言葉や、感動の仕方が決められた情報摂取しつづけると、人は簡単に心の操作他人に委ねるようになるのではないか。そうして求められる感動に合わせていくことで心は消耗、麻痺していき、自分栄養を取る力を失っていくのではないか

 感動で商いをするものも多い。楽しいものも多いが、自分健康のためには、それとの付き合いは一定節度を持つべであるハンドルを取られてかんたんにバランスを崩すことがある。そういったことを頭に入れておくと身の回りの娯楽の見え方も少し違ってくるのではないか

2018-02-06

10年来の鬱とADHD傾向が改善した

 今年で28フリーター


 幼少期(小学校の低学年頃)に脳に疾患が見つかって、以来十年近く投薬治療をしていた。

 また、高校の頃からずっと鬱を患っていた。頭の中が鉛のようになって自由に動けなくなる。生活の上でそういうことが多々あった。


 ADHDも併発している。破壊的な過集中を経て朝まで眠れないことが多かった。

 バイトシフトにはちゃんと遅刻せずに行く程度の社会性はあったけれど、やはりと言うべきかミスが多く、恐らく責任者も俺のことを発達障害者として認識していたみたいで、指示を出す時も俺にだけ妙に細かい明確な指示を出してくれたりした。それはそれでありがたかったのだけれど、時々ヒスを起こされることとなった。自分が主原因になっていることは分かっていたから、どちらかと言えば申し訳ない気持ちの方が強かったけれど。


 現役で地方駅弁大学入学して、卒業が近くなってから資格試験講座に通っていた。で、途中から引き篭もるようになる。

 一応何とか大学卒業できたけれど、定職に就くことはできなかった。


 自分は、根本的に人生ディシプリンというか一種の訓練期間だという固定観念を持っていて、それと同時に、より効率的自身を訓練できる人間がより優れた人間なのだという価値観を持っていた。だからと言うべきか、高校時代は朝5時に起きてジョギングを繰り返していた。

 恐らくその頃が、自分学力ピークになっていたと思う。

 確か当時の全国模試総合偏差値は70を超えていたはずである

 でも、そういう訓練が破綻を来たすのは思っていたよりも早かった。

 何年も日課にしていたジョギングが、高校生活半ばに突如として億劫になったのが始まりで、それ以来上手く眠ることができなくなったのだ。

 その頃から学力の減退も生じていて、自分自分コントロールできない感覚に苛まれるようになっていた。志望校ランクを一つ落として、何とか国立大学合格することはできたものの、今にして思えばあれが自分人生の最盛期だったのではないかと思う。


 大学に入ってからは、過密的な訓練期間と白痴のように生活崩壊する期間を繰り返すようになった。訓練期間には、暇があればジョギングに出かけ、膨大な量の学術書に当たった。また、複数語学習得を目指し大学ゼミを幾つも掛け持ちしていた。そして、大抵はそのような訓練期間は三ヶ月と持たずに破綻し、再び自分コントロールできずロクに睡眠も取れない白痴のような生活が始まるのだった。

 俺はそうやって訓練期間が破綻する度に、自分計画の建て方や訓練の方法に恐らくは問題があるのだと考えていた。実際、その考えにはある程度事実に沿う部分もあって、当時の俺はその自分が打ち立てた訓練方法の細部を限りなく修正し続ける作業に集中することとなった。そして、その細部を修正したトレーニング理論に基づく何ヶ月かの訓練タームを集中的に実施し、そしてその訓練タームの後には、訓練タームよりも更に長い破滅的な破綻の期間を迎えるということを繰り返していた。そのような生活大学卒業してからも戻らず、そんな具合に二十代の半ばを迎えた。


 何かが間違っていることには気付いていたけれど、何が間違っているのかはもはや分からなかった。考えつく限りの細部には工夫を凝らしてきたつもりで、主に食事における栄養バランスの調整には念入りという以上に念入りになった。卵、バナナ、木綿豆腐牛乳納豆青魚、葉野菜。こういうものバランスよく摂るようにしていた。でも、自分自分コントロールしているという感覚はついぞ訪れることはなく、相変わらず愚にもつかない趣味に熱中しては朝を迎え、疲弊しきった精神バイト先に行き、そして週末は48時間家に引き篭もって過ごすことも多くなっていた。


 いわば、この辺りが人生の暗黒期だったと言えるだろう。むしろ、そう言わずして何と呼べるのだろうか? もし他に呼び方があるとすれば誰か教えておくれ。


 さて。

 結論から言えば、この生活は現時点でかなり改善している。

 いわゆる躁鬱の躁期に入っただけの可能性も有ると言えば有るのだが、しか実証的に体系的に改善を目指した結果として、根本的に自己コントロールしているという感覚が数年ぶりに戻ってきたので、そこに関してはある種の信頼を置いている。


 原因というべき原因については既に見当がついていて、つまりそれは脳に対する血流の低下である身体におけるありとあらゆる不調や、自身コントロールを掌握できていない感覚殆ど場合、血流の低下に基づいているのであるADHDや鬱の改善に血流を効率よく増やす有酸素運動有効であることはとっくに知られていることで、つまり結局は脳の血流の有無が自己コントロール能力の有無へと繋がっているということなのだ。これを改善する為の様々な手段を講じ続けてきた結果、その中で極めて有効もののみが残ったので、それらについて以下に紹介していきたい。


 シンプルながら散歩ADHDや鬱の克服に大変役立つ行為である普段自転車原付で移動する距離を、例えば自転車原付を手で押しながら移動することで、とにかく歩く歩数を増やすことに集中した。iPhoneヘルスメーターも一応活用しており、実際に散歩した分の歩数が如実に数値として現れることにはかなりモチベーションを刺激されることとなった。


 腰の尾てい骨の下に柔らかいタオルを敷いた上での足の上げ下げなど、身体を横にして安定した状態にした上での筋トレは圧倒的に脳への血流を増やすことができる。これで週末の鬱傾向が随分と改善している。なお俺は心肺能力に二十代の半ばからかなり不安を抱えるようになったため、そこまで負荷を掛ける筋トレ実施していないが、自分の体調と相談しながら負荷を増やしていくことが肝要であるようだ。


 ドストエフスキー夏目漱石などといった純文学が望ましい。これらを読む際に脳に鋭い拒否感(としか呼びようのない感覚)が走る人間ほど、読書はうってつけの鬱・ADHD改善法となると俺は思っている。大抵の場合活字を読んだ際に訪れる決定的な拒否感は、脳に対する血流が急激に増えることに由来しているのである。そのように活字に対する拒否感が生じる際にはそっと目を閉じて、左前頭葉辺りに意識を集中してみると、はっきりと自分の脳への血流が増大している様子を感じることができると思う。特に、血流を増やす為には身体を横たえた状態でいることが望ましいのだけど、当然屋外や座った状態での読書も随分と効果を発揮する筈である。また、外国語の読解などもこの読書カテゴリーに加えておく。


  • 絵を描くこと(普段行わない趣味を行うこと)

 基本的に鬱の人間は、日々変化に欠ける生活を送っている場合が多い。

 同じパターンというか、悪い意味で安定しきった生活を送っていることが多いのである

 すると行動の多様性や、積極的な行動への意志が驚くほど抜け落ちていくという事態に遭遇した鬱持ち・ADHD持ちの人間は非常に多いのではなかろうか。というわけで俺はどちらかと言えば趣味としては読書文章を書くことに取り組むことが多く、空間的に物事を把握しそれを描写する絵などにはあまり集中力を払わないことが多かったのだけれど、これがどうやらいけなかったらしい。最近は、漫画イラストを模写したりだとか、積極的に絵を描く時間生活の中に設けるようにしている。ファミレスハンバーガーショップなどに行った時にサッと手帳を取り出して、軽く文章やそれに付する絵を描いたりすることも日課となっている。

 ここで言いたいのは、必ずしも絵を描くことが鬱やADHD改善に役立つといったことではなく、同じ行動パターンや同じ行動に固執することが如何に脳に悪影響であるかということなである。なので俺は最近文章を書き、絵を描き、詰将棋を解き、読書をし、と、とにかくやる事を一つに限定せずコロコロと変えることを意識して生活するようにしているのだ。

 鬱持ち・ADHD持ちにありがちな思考の切り替えや行動の切り替えが上手くいかない人間には、是非絵やその他普段行うことのない趣味を増やすことをオススメする。


 上で書いた通り、卵や牛乳青魚といったナチュラルフードが脳のパフォーマンスに影響することは学術的に証明されて久しい(と俺は思っている)。これはもう殆ど記述する必要性がない事実だが、しかし敢えてここに記述するからには、そこには当然ながらそれなりの理由がある。

 つまり、俺のような鬱・ADHDの併発した人間には、料理を行う際にとある事柄が圧倒的なハードルとして持ち掛かってくるということなである。つまりそれは、そう、料理煩雑さや億劫である

 基本的に鬱傾向やADHD傾向を持った人間はありとあらゆる行動に億劫さを感じるもので、よほどその行動に高い利益や見返りが見込めない限りは、その行動を行いたくないと思うものなのである。そういった面から言って、料理は味よりも栄養価と手間の少なさを重視するように俺は心がけている。準備や片付けの手間をできるだけ減らすために、単に塩焼きにしたり茹でるだけだとか、できるだけ工程の少ない料理(というか殆ど調理)で済ませられるようにしている。

 また、週末になれば殆ど外食で済ます

 脳に一定以上の煩雑さや負担押し付けないことが、ADHDや鬱改善の要点である。時にはサボることも非常に重要だ。


 追記。瞑想効果あると思う。瞑想時に、個人的には脳への血流が如実に感じられることが多く、恐らく脳に対してかなりポジティブ効果が起こっていると思われる。

 読書の後など、脳に負荷を掛けた際にその情報の整理や休憩の為に、短めのカジュアル瞑想を行うことがある。これもまたオススメ


 など


 こんなところだろうか。

 思い出し次第追記を行いたいと思う。


 今年に入って、文学小説の脳に対する効能が非常に大きいことに気付けたのは重要発見だったと思う。読書の際に襲ってくる倦厭感がむしろ血流の増大と関わっていることに気付けたのは、自分としては非常に大きな発見だったと思っている。というわけで、かなり重篤な症状持ちの人間としては、以上のような改善法を進める次第である

 上では書かなかったが、俺は重篤インターネット依存症持ちでもある。

 しかしその依存症もこの数ヶ月で劇的に改善した。俺という人間は、言うまでもなく長所よりは短所欠点の方が随分多く付きまとう人間であるからには、そんな人間にすら効果がある対処法は、恐らく全人類的に効果のある対処法となっていること請け合いである

 是非とも、皆さんにも実行してもらいたい。

 自身病癖を繰り返すようで悪いが、やはり疑いなく、「よい訓練こそが、よい人生なのだ


 それでは。

2018-02-03

ガンダム攻殻機動隊が同じに見えるらしい彼氏の話

お付き合いをしている人がいる。

相手は5つ年上の男性。ちなみに私の性別は女だ。

私はおそらく世間一般で言うオタクというやつで、創作物創造物の類が好きだ。

ゲームアニメ映画演劇絵画模型音楽。私にいろいろな感情を教えてくれたそれらのなかでも、ことさら本が好きだと思う。

飽きっぽく節操の無い性格のためか、活字なら小説から詩集新書専門書、漫画なら少年少女青年成年、雑誌写真集攻略本に設定集、映画舞台パンフレット等、およそ統一性の無い本たちが、広くはないワンルームの隅に鎮座している。縦に横に雑多に、しかし私のなかでは理路整然と。

最近遊びに来た友人に、積みすぎると床が抜けると脅された。賃貸でそれはまずかろうと、恐る恐る電子書籍に手を伸ばしている最中だ。


さて、冒頭に出てきた彼の話だが、おそらく少なくとも、漫画アニメオタクではない。ハリウッド攻殻機動隊を視聴するにあたって概要説明した折、第一声が「それはガンダムとは違うの?」だった男だ。

興味の無い人間にとって、電脳化・義体化とモビルスーツによる宇宙戦争は同じに思えてしまうらしい。お前話聞いてなかっただろ。

ガンダムとはちょっと違うかなー」「あれ、前見たガンダムと同じ監督って言ってなかった?」「ガンダムと同じ監督?何見たっけ?」「見たじゃんあのアニメの、警察のやつ」

それはイングラムだ。ガンダムじゃない。



ある日のこと、きっと遊馬とカイの区別もつかないであろう彼奴から突然「3月のライオンって知ってる?」とラインが来た。

ーーーーーーー

3月のライオン』(さんがつのライオン)は、羽海野チカによる日本漫画作品将棋を題材としており、棋士先崎学が監修を務める。(Wikipediaより)

ーーーーーーー

知っている。

漫画単行本を既巻全巻持っている。アニメも見た。実写映画も見た。

好きな物語だ。

正直すごく嬉しかった。自分の好きなものに興味を持ってもらえると一気に親近感が沸くオタクの生態よろしく、結構、いやかなりテンションがあがってしまった。チョロいもんである

はい相手小泉花陽ちゃんと三村かな子ちゃんの区別もつかない甲斐性なし野郎だ。ここは慎重にフラット対応すべしと自分に言い聞かせつつ話を聞いてみると、どうやら彼の友人がアニメを見てハマったらしく、自分も気になった、ということらしい。

漫画を所有していることを伝えると、貸してほしいとの返信。もちろん了承の旨を伝え、既巻13冊をすべて手渡した。重くなるが、スピンオフの灼熱の時代紙袋に詰めた。


3ヶ月ほど経った頃だったかデートをした日、そういえば漫画全部読んだよ、と彼が言った。晩ごはんを食べようと入った居酒屋メニューを見ていたときだった。

もちろん私はすぐさま感想を聞いた。そうなんだ、どうだった?と、期待を込めて聞いた。

「うーん、まあ現実にはあんなのあり得ないよね」

彼は笑ってそう言った。


びっくりした。ショックだった。

面白くなかったのだろうか。そう聞けば、面白かったという。続きも読みたいという。実写映画漫画も見てみたいという。

けれど、一番に口をついて出た感想が「現実にはあり得ない」だった。

そこで初めて思い知った。

世の中には、現実というフィルターを通して物語を読んでいる人が、あるいはそう読むことしかできない人がいる。少なからず今、目の前にいるのだと。

私自身は、幼い頃から随分本に触れてきたと思う。特にフィクション物語を好んで読んできた。読むたび私は空想にふけてきた。

こんな魔法が使えたら、こんなドキドキするような恋愛が出来たら、こんな力を持って世界を救うヒーローになれたら。

それらは、現実との比較であって混同ではない。

そりゃそうだ。私は本を読むとき、その物語という未知の世界の扉を開けて、体ひとつで飛び込んでいるようなものだ。

本を読んでいるとき現実は扉の向こう側にある。現実は戻ってくる場所なのだ

みんなそうなのだと思っていた。それが当たり前なのだと思っていた。

でも、そうではなかった。


私は何にショックを受けたのだろう

彼に自分が好きな世界否定されたように感じたからか。自分好きな物語にケチをつけられたように感じたからか。あるいは、単に同調してもらえないことに傷ついたのか。

おそらく全部あてはまる。けれど核心ではない気がする。

いまだによく整理できていないが、私はあのとき直感的に、嫌だと感じたのだと思う。

きっとこの人と私では、心の奥底のほうで、物語を共有することができないと、そう感じたのだと思う。

立ち位置が違う。視点が違う。同じものを見ているはずなのに、見えているものが違っている。

考えれば考えるほど当然だ。彼と私は他人で、好みも違えば趣味も違う。育ってきた環境も、考え方も違うだろうし、感じ方も違うだろう。

けれど私は、「物語」に関しては、その差異が許せなかった。直感的に、嫌だと感じるほどに。

これがいわゆる価値観の違いってやつなのか、とも思った。

これを理由に離れてしまペアは多いと聞く。価値観が違うのは当然だと以前は不思議に思っていたのだが、今はなんとなくそ気持ちがわかるような気がする。

自分のなかの大切な、染み付いてしまってどうしようもない根っこの部分を、きっとこのひとには理解してもらえない。それがわかってしまった。

ただそれだけなのに、その瞬間、彼が異質なものに思えてしまった。

ガンダム攻殻機動隊が同じに見えるらしい彼と私は、何かが決定的に違っている。

以来私の心は、彼の前では、私の大切なものをそっと奥に、彼の手が絶対に届かないところにしまいこむことにしたらしい。

一緒に映画を見たいと思わなくなった。見ても感想を言いたいと思わなくなった。本を貸したいと思わなくなった。本屋には着いてこないでほしいとすら思うようになった。

文字にするとただのメンヘラじゃねーかとも思う。

けれどそう感じてしまったので、しょうがいかとも思う。

理性のコントロールが効かない部分の、なんとまあ厄介なことか。辟易する。

追記

https://anond.hatelabo.jp/20180204055414

2018-01-26

トイアンナよりもはあちゅうよりも可哀想な人

トイアンナ離婚したとかはあちゅうが未婚とか皮肉でもなんでもないよ

ふたりとも結婚に向いてないなんてはたから見ても直観にわかるじゃん

本人たちも何年も前から分かってるだろうし別に大して悩んでもないでしょ

彼女たちが自分らしく生きるとああなるってだけの話 周りがとやかく言うもんじゃない

でもトイアンナはあちゅう読んでた俺の友達のことは本当に可哀想だと思ってる

美人で賢くて働き者でユーモアもあって優しい子だったけど

すごく幸せ結婚をしたがってたけど多分もう無理

手遅れだ

彼女は「食べ物人間をつくる」ということは知っていたのに

「観てるもの・読んでるもの自分世界運命を決めてしまう」ということは

まり真面目に信じなかった

信じたところで辞められなかっただろうとは思うけど

スマホの広まった世界活字好きが文字から目を離すのはダイエットよりキツいか

彼女も結局のところトイアンナはあちゅうみたいに

恋愛のようにみえものを楽しんで報われない苦味に大騒ぎして

最後は気の利いたテキストにまとめてみせる人間になっている

あれだけ幸せ結婚を夢見てたのに

仲間の結婚をあれほど羨んでいたのに

まあでも彼女の幸不幸は俺が決めることじゃないし未来は何が起こるかわからいか

俺はどちらにしたって黙ってるしかないよな

可哀想とか思ってごめんな

撤回するわ

贅沢言うなら

自分らしく生きてるよって心から言えるようになっていて欲しいな

望み過ぎか

人生めんどくさくても

自意識がめんどくさくても

元気にしてりゃあそれでいいよ

もし元気もなかったら

せめて連絡寄越してくれたら

美味い飯つくってやりてえな

2018-01-18

どんなゲームシナリオも合わない

ゲームシナリオを読むことが出来ないというか、ゲームのように1文字ずつ現れて2文だけ表示する形式が苦手だ。

私は本を読むことも、インターネットで表示される横文字構成された文章を読むことも好きだ。

でもどうしてもゲームシナリオを読むことが出来ない。

1文字ずつ浮かび上がる文字イライラするし、テキストの速度を1番早いものにしても文字認識するスピードが表示されるスピードより早いのでストレスを感じる。

音読するスピードより黙読するスピードのが早い、ということに近い。

ゲームシナリオスキップを押すと大体の内容が5行くらいで表示されるのはパッと読めるので嫌いではないのだが、「きちんと」シナリオを読むことに苦痛を感じる。

もちろんゲームには画面というもの存在するし、そういうシステムなのは仕方がないと思う。フルボイスならばその方が今文中のどの部分を読んでるか分かりやすい利点もある。

身近な人に話しても中々共感を得られない。ならゲームやめて本だけ読んでいれば?と言われるがSNSで流れてくる文字を読むこともゲームも好きなのだストーリー読んでないくせにと言われるが、少なくともストーリー以外の部分に好きな部分があるのだ。

本を買うにも湯水のように本代にお金をつぎ込めず限度がある。近所の図書館の本には読みたいものはもうない。遠くの本が揃った図書館に行くのにもコスト時間がかかる。

手軽に活字摂取出来るのがSNSインターネットなのだ

なので私が変化していこうと思うのだが、どうしたらなるべくストレスなくゲームストーリーを読むことが出来るのだろうか。

2018-01-03

新海誠に毒されて

タイトル詐欺です。要はただの自分愚痴で,だらだらと読みづらいことをご承知ください。

投稿者は21歳の理系大学生のようでそうじゃない人間です。

はじめに

君の名は地上波初放送 今日の夜9時からですね。それを祝して1/1と1/2の深夜に新海誠監督作品放送されたことをご存知の方もいらっしゃるかと思います

私は関東圏なので,『雲のむこう、約束の場所』『秒速5センチメートル』『星を追う子ども』『言の葉の庭』が放送されて全部観ました。(あとでほしのこえも観ました)

何回か見た作品もありましたが,Twitterの実況を流し見してると「小説版もいいぞ」という声が多い多い。なので,特に印象に残った『言の葉の庭』と『雲のむこう、約束の場所』を買いました。

このダイアリーは『言の葉の庭』を読んでいたら、自分のことをつらつらと殴り書きたくなった、活字もまともに読めない残念な人間愚痴です。

はいプロローグおしまい

本題

ここから自分を振り返ってみようと思います。(〇〇しようと思いますって表現だいきらいだけど)


そもそも投稿した目的は「病んだ人間自分の中に溜めきれなかった気持ちを吐き出そう」なわけです。

去年の8月末ぐらいに「全般性不安障害」と診断されました。ざっくり言えばうつ病の手前です。

医者へ行くきっかけになったのはある人(以下Aさんとしましょう)にメールで「他人気持ちを考えてやりとりをしなさい(曖昧)」と言われたことでしょうか。

当時はインターンシップ(企業じゃなくて大学研究室に行くっていう稀なやつです)やら学会発表やらでなにかと忙しかった。そんな中でこのメールが来たわけです。

その晩はずっと泣きました。そのあとは医者に行って薬もらってマシになりました。(いまは効きがイマイチに感じる 変えるべきかなぁ…)


で、今に至るまで病気を引きずってるわけですが、ここで新たなストレス就職活動」がやってきます。(病気きっかけで院進は向いてないなときっぱり諦めました)

ビッグサイトでやるような大規模イベントにも行きました(DaiGoお話タメになったなぁ)。 企業の人と面談にも行ってみました。

いわゆる情報系なので就職するならSEとかそっち系だろうと思い込んでいたわけです。でも色々やってるうちに「どうやら以前からプログラミングは好きじゃないと思ってたことは正解だったんだ」と気づいていきます

最初に書いたように大学生のようでそうじゃない立場人間なので、同級生には就職してる人もたくさんいます。でもみんなつらそうだなぁ…と

そんな考え達が余計に自分を迷わせます。ある同級生保育士目指しだすし、自分がなにをしたいのか余計にわかりません。


私は、洋服の青山就活セールCMダメージを食らい、SNS就活広告でも神経をすり減らすようなメンヘラです。

孝雄くんは「靴職人」っていう立派な夢があっていいなとか、雪野先生も色々あったけど歩き出せていいな…とか観たり読んだりしてて思うわけです。

から趣味ベースとかやってて「楽器弄るの楽しいなぁ」と思っていた時期もありました。この前友人に言われた「楽器工房で働けばいいじゃん」の一言がずっと頭に残っています

まぁでも今からだと遅いわけです。18歳以前ならその道も選択肢ひとつだったでしょう。でもここまで来てしまったので引き返すには相応の勇気必要だなと思って結局決断できません。

ハナから見れば「若造がな~に遅いだのなんだのうだうだ言ってんだよ」って話ですが、いろいろ考えは浮かんでも決断は出来ないわけです。視野が狭い分出てくる考えも浅いことばかり。


ここまで読んでくださった方、周りの人には「仕事なんてつまんないよ」って言われます仕事を探すときに「楽しいかどうか」って考えちゃいけないんでしょうか。

というか皆さん今の仕事どうやって決めたんでしょうか。

5年・10年・20年先を考えても仕方がないのに考えてしまうのはどうしたらいいんでしょうか。

研究もさっぱり手がつかないし、就活もこんな状況です。


あ~~~~~~~~~~~~~~~さっさと死にてぇなぁ クソったれ

おわりに

長文失礼しました。

もうここでまでくると人間不信スパイラルです。名前も顔も知らない皆さんに罵詈雑言でも何でもいいからどうすりゃいいのか教えてくれよと思って書いた次第です。

投稿読んでてつらくなったので『言の葉の庭』の続きを読んできます。では

2017-12-28

anond:20171228034414

俺1,100冊。

まりの多さに愕然とする。

殆どマンガだけど、活字も二割ほどあって、マンガだけでも半分は積んでる。活字はいつ開くやら。

2017-12-26

はてな民ってなんでこんなに童貞ばかりなの?

はあちゅうを叩いてる童貞ども。そろそろ自分たちが踊らされていると気付け。

はてな民にここまで ガ チ 童 貞 が多いのは何なんだろうね。

何も分かってない童貞たちのために、俺様年末の貴重な時間を割いて説明してやるよ。

まず、童貞いじりは「表現」と認められるべきか? これはイエスだ。童貞など本人の意志ですぐにでも今夜にでも捨てられるからだ。質の悪いフェミが耳障りのいい言説で表現規制を持ち込もうと暗躍しているが、童貞諸氏はこの手の甘言に乗せられないように。

童貞って、本当は恥ずべきことなんだよ。はあちゅう童貞ネタとして笑いに変えてくれるけどさ、優しく言ってくれてるうちに自分で気が付こうよ。

よくいるのが、性行為がそんなに重要なのか?と反発する奴。違う、そうじゃない。LINE役員氏は生物としてとか人口維持とか言ってるが、そもそも避妊してるから関係ない。

行為自体にとらわれすぎて本質を見失ってはいけない。本質とは、性行為に持ち込むまでの「スキルセット」を証明することにある。童貞を捨てることは「大人になる」とも言う。つまり成人として認められるために社会通過儀礼を済ませるということなんだ。

ポリコレ大好きなアメリカでさえ、いい年して童貞のままだとゲイと疑われ、からかい対象になる。別に本当にゲイならいいんだよ。やむを得ない事情がある人を馬鹿にしてるわけじゃない。そこはいくら童貞でも文脈からしろ

まあでも通過儀礼にはだいたい裏口があるから安心していい。「ソープへ行け」の名言通り、日本では安全コスパのいい風俗店チート級の救済措置になっている。この点で日本アメリカより は る か に イージーモードだ。むしろ日本では童貞であり続けることのほうが難しい。。。

はあちゅうが「裏口入学」を認めるかどうかは一度聞いてみたいところだが、日本普通に生きてれば童貞の「卒業証書」は簡単にもらえる。その気になればすぐやれるのにやらない奴らは、自ら童貞を望んでいるとしか思えないわな。果たして童貞にどんなメリット価値があるのか。「ねぇねぇ、なんで童貞って童貞なの?」と聞きたくなるわけだ。

これで童貞がいじられる正当な理由があることは分かったとして、はあちゅう童貞をしつこくいじり続ける理由も考えてみたい。まずはマーケティングのためだろう。はあちゅう支持層スイーツと思われがちだが、実は違う。いくらスイーツでも自分たち活字ばかりの本を読むのが苦手なことくらいは知っている。つまりはあちゅう本のメイン読者は、はあちゅうスカートを覗きたいと妄想してるような童貞たちなんだよ!

だがそれが真実だとしても、もっと童貞気持ち良くさせる耳障りのいい言葉でも振りまいたほうが得策ではないのか。そこははあちゅうなりに、親近感を演出しているのかもしれない。芸能人YouTubeコミケに「降りてくる」ようなもので、あのクラスの人がこんなところに来てくれたという親しみを与えられる。どんなに売れてもお高くとまることなく、手の届く距離から下世話な童貞ネタでいじってくれる。これが童貞たちにブクマさせるコツなんだろう。

追記:

耳障りのいい、という表現は間違っていた。教えてくれてありがとな、童貞さん。

追記2:

ブクマコメントで寄せられた疑問に答えた。

https://anond.hatelabo.jp/20171227101708

2017-12-23

まだうまく言えないのだけど、WIRED休刊に寄せる編集長自作自演インタビューについて、やはりどうしても我慢ならないというか、こういう口ぶりがジャーナリズムとか言論世界をここ30年間停滞させ、オーディエンスうんざりさせてきたとしか思えず、2017年も末になりまだこんな口調を読まされるなんてとモヤモヤしている。

機能するということは時代遅れであるということ」とインタビュー中にあるが、本人は雑誌という旧来の言論メディアを重視してた人。だからいきなり紙面だけなくなる訳で。

まり随分前から自分自身時代遅れになっていたのでは?それに気づいてないのによくこんな長い捨て台詞を吐いて自分未来志向!とか言外にも思ってられるよなあ。

ここは80年代か?と。溢れるホモソーシャリズム感やポストモダン感に吐きそう。

.

結局こういう社会学ぽい未来の話は最後はいつも「マクルーハンのいい言葉いくつ知ってるかな大会」みたいになる。それが本当嫌だ。

毎回飽きもせずこの現象マクルーハンのアレだよね、あの現象マクルーハンのアレだよねに集約されて終わるし、その言葉知ってる人たちしか巻き込めないというか、結局狭い小部屋のやりとりでしかないというのが伝わるというか。

一度でいいか偉人言葉を引き合いに出さずに話終わらせてみてほしい。自分言葉で話してないし、自分の癇癪で定期購読していた読者をいきなり切るみたいになってるのもわけわからない。わかりやすい話し口だと思うしその方が仕事にしやすい(何故なら前にも誰かが考えたことあるから。本当の本当に考え方が新しかったらそもそも旧来メディアでは予算がつかない。)考え方だから口調が古臭いのは仕方ないと思うけど、こういう人って仁義の薄さだけはいまふうなんだよな…。執筆陣にちゃんと仁義切ってるの?大丈夫

あと編集長としてキャリア区切りにこの文章が残っていくのって、アリなんですかね?

(↑いま「アリだ、むしろカッコイイ」って思えちゃうセンスのない人達支配している社会だってわかってて言ったけど…)

そう思うと、結局毎回、言葉オタクおもちゃにしてるのが腹立ってる。これは活字ではない。言葉が死んでるよ。

.

でもいま恐る恐るネットでの反応を調べたら、ネットではこういう言い方に「キモっ!」て言ってる人も多くてほんとホッとした。

そのことが、まさにこの文中にあるように「読者を侮ってはいけない」ということを皮肉にも証明してると思う。その微妙差異マクルーハンソクラテスカントスティーブ・ジョブズ孔子様の言葉なんかでは捉え切れない。でもそれでいいんだ。

いつも未来に驚かされていたい:『WIRED日本版プリント刊行休止に関するお知らせ|WIRED.jp

https://wired.jp/2017/12/22/oshirase/

2017-12-21

活字は本で読むのが楽しい

活字電子書籍よりも本で読む方が好き。 紙の手触り、匂い、紙の色、インクの色、何もかもが電子書籍よりも味があると感じるから特に手触り、この感覚読書に与える影響が大きい。そして指で紙をめくる。一見するとこの作業読書とは無関係だが、いや、大いに関係がある。指の動きは確実に頭で読むことに連動している。例えばこれが指を使わず自動めくられるようになったら、読書感覚は大いに変わると思う。つまり物足りない。読書とは頭と匂いと指と、それこそ五感をフル活動させるような作業なのだ

2017-12-17

中学生ぐらいの自分

もうすぐ成人式なので

酒を飲みながら適当

自分が間違ってないと信じていても他人に指摘される。

自分が悪いやつと不安になって、

自分に嘘をついて、他人意見で塗り固めて、

自分気持ちに従わない自分が怖くて、

ただ傷ついて人とかかわらなくなって、

気づいたら20歳なっちまったじゃねーか!

頭で考えすぎなんだよ!人間そこまで考えなくても生きていけるんだよ!

みんなと違うといびられる?んなもん無視しろ!みんな不安からいびるんだよ!

親が蒸発してもな!自殺してもな!姉が癇癪起こしてもな!お前はお前だ!

もっとやりたいことに対して貪欲になれ!さもないと中途半端人間になるぞ!

くよくよしてんな!時間は有限だ!勉強しろ

高校になったお前はくよくよする癖が取れなくて、昔からある鬱がまだ続いてるぞ!

大学入学直後は中途半端自分に対しての嫌悪感をひきづっているぞ!

でもな!大学自分自身のことについて話せる友人とかできて!

鬱も和らいで活字も読めるようになって!

勉強したり、絵描いたり、人と話せるようになったり!

まあなんというか過去自分に納得したままそれなりにやってるぞ!

過去自分にこんなこと言い連ねてもな!何言ってもわかんないよな!

まあとりあえず本を読んどけ!図書館遠いけど頑張れよな!

考えなくても良いこと!どうにもならないこと!その区別自分の頭でしっかりつけろ!

お前ならできる!

言いたいことは書けた!

過去自分に何か書きたくなる気持ちっていうのが分かったぜ!

過去自分に踏ん切りをつけるためなんだな!

スッキリした!

よっしゃ!レポートやってくる!

2017-12-14

anond:20171202064602

主語が大きすぎる人が誤解する原因は閲覧者数が見えないことにあるんじゃないかと思う

増田が何かを主張した時に同意した人の数が見えないけど否定や疑問の声だけ活字で届いたりする

ここで誤解が生じるんだと思う。否定や疑問だけ活字で届いた時にはてな民全員の意見にすり替わってしまうんだと思う

閲覧者数が見えれば否定や疑問それぞれを1とカウントして閲覧者数で割ってイレギュラー少数意見だと受け止めれるんだけど

2017-12-11

似非科学に関して青春時代の思い出を交えた個人的考察

 似非科学というのはいつの時代もなくならないものだ。パッと思いつく例だけでも、血液型性格診断ゲーム脳環境ホルモン水素水マイナスイオン、等々、枚挙に暇がない。多くはマスコミによって支持され、テレビ番組特集が組まれ、その科学的根拠あいまいにも拘らず世間に流布されて浸透する。テレビ番組などはあたかもその説を「検証」しているかのような映像を作り、怪しい肩書専門家コメントを添える。視聴者の多くはなんとなく「科学的に証明されている説なんだ」と信じ込み、疑問を持つことなく受け入れてしまう。一億総白痴化社会の完成である最近ネット上で多くの意見を比べて読むことができるので、情報収集能力の高い人たちはそこまで騙されやすくないとは思うが、未だテレビ新聞が主な情報源である人たちにとっては、上述の似非科学が今でも信じていることが多い。特に血液型性格診断などは、宗教のように信じ込んでしまっている人も相当数いるだろう。

 私も子供の頃はこれらの似非化学に騙されやす人間だった。最近ほとんど見ないが、昔はテレビが娯楽の中心だったこともあり、夕食時などはよく見ていたものである特に捏造問題で打ち切られた「発掘あるある大事典」などは、親が好きだったこともあって毎週見ていた。その中で血液型性格診断特集を何度か行っていたことは、今でも何となく覚えている。番組の中で「数名の幼稚園児を血液型別に分類してその行動を観察する」という検証が行われており、ものの見事にその血液型の特徴が行動として現れていた。見ていた私は「やっぱり血液型性格には関係があるんだなー」とぼんやりと納得していたが、今になって思い返してみれば数名の幼稚園児の行動で結論を出すのは早急すぎるし、番組が「○型かつ××な性格」の幼稚園児を数名集めることな造作もないことだし、そもそも集められた幼稚園児の血液型が本当に表示通りだと証明する根拠は何も無い。極めつけはあの「あるある」である。そういえば「あるある」マイナスイオン特集も何度かやっていた記憶がある。まあ、放送内容の真偽を検証するのは今となっては不可能に近いことだからやめておくにしても、心理学会において血液型性格判断の真偽は何度も検証されており、いずれも関連性を肯定するものがないことから、かの理論が出鱈目であることは疑いようがないだろう。

 しかし、科学価値は小指の爪の垢ほどもない血液型性格診断であるが、この似非化学が私に教えてくれたことが二つある。それは「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」ということと「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」ということだ。付け足すなら、当時私はまだ純粋ティーンエイジャーだったので、「大人は平気でうそをつく」ということも学んだと言えよう。

 私が初めて血液型性格診断反証する意見に触れたのは、中学二年生のことだったと記憶している。当時別段読書が好きでもない(むしろ嫌い)だった私が、たまたま休み時間図書館に立ち寄り、ふと目に留まった一冊の本を手に取ったのがきっかけだった。それは村上宣寛という方の著書『「心理テスト」はウソでした。受けたみんなが馬鹿を見た』(2005、日経ビジネス)という本である。新作であったこの本は本棚の上に表紙が見えるように立てられており、そのセンセーショナルタイトルに興味を惹かれたのを覚えている。

 10年以上前に読んだものであるためにうろ覚えな部分もあるが、本の内容は大きく2つに分かれていた。前半が血液型性格診断への反論、後半はまた別の心理テストへの反論が主であった(後半の内容は忘れた)。本文の中で、今日血液型性格診断の源流である能見正比古氏の著書をけちょんけちょんに貶し、また血液型性格診断のような「占い」を人に信じ込ませるための心理テクニックであるバーナム効果」についても詳しく説明があったと記憶している。

 当然、本の内容は著者の考えであり、本の内容が絶対的事実であるとは(今となっては)思わない。しかしこの本の内容は、血液型性格診断科学的根拠のある学説だと何となく思い込んでいた私にとっては、とても衝撃的な物であった。血液型性格診断のものというより、これまで固定観念的に信じ込んでいた常識が、脆くも崩れ去った瞬間で、まさしく目から鱗であった。活字嫌いな私が、数日図書館に通って本を読んだのは、(マンガ喫茶を除けば)後にも先にもこの時だけであろう。「借りて読めよ」と言われるかもしれないが、当時の学校図書館ルールで、新作は借りれなかったのである

 新しい知識を得たら人に言いふらしたくなるのが能のないアホウドリの常である。当時は全盛期こそ過ぎたものの、血液型性格診断世間一般根付いており、それを否定する論調は(少なくとも大手メディアでは)ほとんど存在していなかった。要するに「他の誰も知らないことを自分けが知っている」ような状況だったのだ。腕のケガだと偽って毎日手に包帯を巻いて通学していたリアル中二病の私にとって、これほどドヤれる材料は無い。とは言え、何の脈絡もなく血液型性格診断の話をするのも変である。友人との会話の中で血液型の話が出てくるのを待ち、出てきた瞬間にこれでもかと否定する。それによって「頭が良い奴」と思われて皆からちやほやされる。正に完璧計画だった。

 ところが、実際に反論してみたところ、いずれもあまり芳しくない結果に終わってしまった。どや顔血液型性格診断否定しても、「でも何となく合ってる気がするし…」と、決まって歯切れの悪い反応しか返って来ないのである挙句教師からも「屁理屈ばっかりこねるな」と言われる始末。今となってはどちらが屁理屈なんだと思わざるを得ないが、確かに思い返してみれば、血液型の話でわいわい盛り上がっている時に、キモいデブどや顔否定して来たら、場が白けてしまうのは明白だろう。要するに私の敗因は、イケメンではなかったこである

 冗談はさておくにしても、それ以降、私は血液型性格診断の話が出てきた時、余程仲の良い間柄でなければ、ニコニコして受け流すようにした。まさに2017年現在でも血液型性格診断肯定論者の方が言うところの、「否定する奴はモテない」という説を支持する対応であった。情けないとは思うが、当時ただでさえ友達が少なく、これ以上周りから孤立するようなことは避けたかった私を責めることなど出来るだろうか。ちなみに今は目上の人でなければそれとなく否定している。相変わらずチキンであった。まあ、事実事実として、TPOに合った会話合わせというのは必要だと思っている。

 そこで私が学んだことが、先の「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」の二つだ。血液型性格診断を信じている人に、上述の心理学会の話や、バーナム効果の話をしても、決まって返ってくる言葉は「でも何となく当たってる気がする」「私の周りでは当たっている」と言ったものだ。査読のある学術誌に投稿された数千人規模の調査結果よりも、自分の身の周りの数名の事例を優先するのである。当然その事例には得てして強い確証バイアスが掛かっているのだが、本人はそれに気付くことができない。「客観的事実よりも自分が信じたいことを信じる」典型である

 これは、似非化学に限らず社会の中のあらゆる現象に対して言えることである。例えば昨今、「若者の○○離れ」という言葉をよく耳にする。○○の中には、テレビ新聞、車、バイク、酒、読書など、ありとあらゆるものが入り得る。そして、その原因は大抵若者帰着させることが多い。「最近の若者は人との関係希薄から酒を飲みながらのコミュニケーションをしないのだ」とか、「世間政治に対して無関心だからテレビ新聞を見ないのだ」とか、とりあえず若者悪者にするような結論が多いが、決して「社会の変化によってニーズも変容し、製品価値相対的に下がった、すなわち製品自体時代の変化に追いつけなくなったのだ」といったような、自らに責任帰着させることは決して言わない。やはり自分が信じたいことしか信じていないのである

 また、血液型性格診断を信じている人の共通点として、否定しようとすればするほど攻撃的になって反論するというものがある。先の中学生の時の教師がその典型例だろう。理論的な反論が出来なくなると「屁理屈をこねるな」と論点をずらして逃げるのである。「否定する奴はモテない」というのも同様で、血液型性格診断の真偽について反論しているのに、「モテるモテない」の話にすり替えさら相手を「お前は場の空気の読めないモテない人間だ」と罵倒しているのである。そうなってしまうと、もはや冷静な会話は成り立たない。こちらがいくら事実を述べても、返って来るのは罵倒だけであり、最終的に相手が逃げてしまうのである。そこに残るのは無駄時間の浪費と徒労感だけで、何ら生産性のない労力を費やされることになる。

 こちらもやはり社会全般で言えることだ。例えば「若者犯罪ゲームアニメによる影響だ」などの持論を展開する人に、「若年層の犯罪率は年々下がり続けており、反対にゲームアニメ市場は伸び続けている。」と反論しても、恐らくその後は謂れなき若者批判罵倒くらいしか返って来ないだろう。論理的反論を受け入れられない人間にとっては、実は事実などどうでも良く、会話を勝ち負けを決める手段としてしか考えていない。そして自分が負けるのが嫌だから最後子供のような罵倒に終始し、逃げてしまうのである。こういった手合いは、「自分の非を素直に認められない」ことも共通点と言えるだろう。人間であれば誰しも少なから負けず嫌いな側面は持っているが、この手の人間特にその傾向が強い(と何の統計的データもなく私の主観でそう思っている)。

 似非科学のような嘘を信じ込んでいる人は、宗教信者に近い。もちろん宗教否定している訳ではない。宗教というものは、「事実か否かを証明する術がない」にもかかわらず、「否定は許されない」というのが特徴である。これ自体別に悪いことではなく、「鰯の頭も信心から」と言うように、それを信じることによって本人の精神的支えとなるのであれば、それで良いと個人的には思っている。客観的証明できなかったとしても、個人の中で信じていれば問題はないのである。ただし行き過ぎると他者に対する不寛容に繋がり、戦争弾圧に容易に発展してしまうため、注意は必要である仏陀キリストと「顔を描いてはいけないあの人」の誰が一番偉いかというような論争は、決して行ってはならないのである(仏陀キリストが同じアパートの一室で生活しているマンガはあるが)。

 「宗教」と「似非科学」の明確な違いは、前者は「事実かどうかわからない(事実であることに重きを置いていない)」のに対し、後者はそれが「明確な嘘」だということである。明確な嘘を流布すれば、社会に対して損害が生まれる。血液型性格診断であれば、近年問題になっている「ブラハラ」なる差別を生じる。ゲーム脳であれば、本来何も悪くないゲーム会社風評被害を受ける。水素水であれば、医学的根拠のないただの水を健康に良いと信じ込んで高額な値段で買わされる消費者が現れる。そして、損をする人の裏側では、他者を騙して得をする悪人存在しているのである。大抵は嘘っぱちの本を書いた奴とその取り巻きだ。

 だからこそ似非化学は撲滅しなければならないし、似非化学の考案者やそれを流布するメディア批判されなければならない。日本表現の自由保障されているから何を言おうと自由であるが、それはあくま公序良俗に反しないことが前提であり、嘘によって不正利益を得るのは詐欺である表現に対して批判を行う自由もあるのだから客観的に見て明らかに事実と異なる論説に対しては、毅然とした態度で批判すべきである

 そして、一般消費者である我々は、常にその情報事実であるか否かを見極める努力が求められる。媒体を問わずメディアは平気で嘘をつく。他人に言われたままのことを信じる人間は、その情報が誤りであった場合他人責任を求めがちである。何が正しいか自分判断し、自分責任において選択する力こそが、情報化社会を生き抜くために必要スキルと言えるのではないだろうか。

 似非科学流行は、社会におけるメディアリテラシー成熟度合いの指標と言えるかもしれない。

2017-11-17

anond:20171116220817

来ないよ。スマホゲーで例えると、チュートリアルしてガチャして終わりって感じだもん。

コラボとか流行ってるのは、新キャラ覚えるのが面倒っていう面倒くさがりへの配慮


真面目な話、ショートショートが楽しめるのならば、もっと大がかりな小説を読むのだと思う。

自身、星さんには多大な敬意を払っているので決してショートショートを貶めているわけではないのは察してくれ。

ショートショート入り口であって、ハシヤスメ(BiSH関連のツイートした影響か、変換がカタカナになった)であって、それだけを極めるにはコンテンツが足りていない。

かといって、コンテンツがあったからといって、ショートショートしか読まないという層が定着するものか。

おそらく活字での話を元増田はしているのだと思っていたがそうでもないのか。

とにかく、コスパで言えば、小説しろ漫画しろ、設定やキャラクターを飲み込むのに多大なコストが掛かるわけだ。

既に出来上がった世界で単作を紡ぐ(連作や番外編などの)短編集や4コマ漫画と、新規ショートショートを比べてみなはれ。

知ってる世界4コマとか二次創作とか読んでる方が楽だし安心だよね?

世界に入り込むための、コスト度外視しているとそういう発想も出てくるのだろう。

だが、そこのコストを惜しむ層が居るからこそ、ショートショートよりも、当たり障りのない(誰が書いていても構わない)ブログだの、ニュースだのにブクマが集まるわけで。

ショートショートもいわゆるテンプレ(エヌ氏とかエフ博士とか)を投入すれば、設定やらなんや理解するコストは減少するかもしれない。

だが、あれってそもそも星新一ワールドに関して言えば)SFの基礎を知っているからこそっていうのも多い。

ああ、そういう意味で、多(他)ジャンルショートショート流行るって言ってるわけか。

それこそ、二次創作のページ数少ない本っぽいなあ。

いや、二次創作を貶めているわけではないのはご理解いただきたい。

要するに、コスパで言ったら、長編マラソンとか周回数の多いF1とかインディ

ショートショートは、短距離走とかゼロヨン

書くにも読むにもコスパが悪いのはショートショート

↑これだけ覚えて帰ってください!

2017-11-09

ハヤカワFTの思い出を書く

そんな話題がでてたので、ファンタジーの中でもハヤカワFTのなかで印象深いものメモしてみる。

カメレオン呪文魔法の国ザンスシリーズ1)

ハヤカワFT031。ユーモアファンタジー魔法の国ザンスシリーズの1。ユーモアっていうか、ダジャレファンタジー。全編ダジャレ好きな人と嫌いな人がかなり別れる。とはいえ、ダジャレ韜晦で煙に巻きながら、少年少女の自立とか誠意式の芽生えと思いやりとか、結構ちゃんとしたテーマはそれはそれでそれなりにやっているのが偉い。

ハヤカワFT文庫は、文庫設立当時は、あちらで有名な基本的名作をポチポチ紹介してたんだけど(マキリップ、フィニィ、ダンセイニあたり)このザンスシリーズ辺りから複数巻にまたがるシリーズを紹介し始めて、おそらく収益的にも安定し始めたんじゃないかと思う。

妖魔の騎士

ハヤカワFT055。妖魔(他作品で言うところの精霊存在)の真の名を掴んで指輪に封じることで魔法を使う青年クレイ主人公とした上下巻。魔法不可思議さや、おとぎ話的な雰囲気がどこまでも魅力的な作品寓話的なストーリーあいまって、「ファンタジーモノの原点ってそういえばこんなだったなあ」感ある。ネバーエンディングストーリー的な意味で、読者はその世界の脅威に魅了されながら読むという今では廃れきったスタイルの佳作。

魔術師帝国リフトウォー・サーガ1)

ハヤカワFT055。やったー! みんな大好き俺TUEEE。序盤は地に足の着いた泥臭いファンタジーなのだが、異次元世界の魔術先進帝国から侵略きっかけに主人公少年が段々と魔術の才能を開花させて、無数の次元秘密に迫る大魔術師に成長する話です。能力的なインフレもするんだけど、世界観物語の構築がしっかりしているせいでご都合主義的な匂いはなくて、古代英雄譚な味わいになっていくのが面白い

予言守護者(ベルガリアード物語1)

FT106。大傑作大名作。指輪物語と同じような「グループが使命を果たすために旅をする物語」なのですが、読みやすさといい感情移入といい、こちらの方を押したい。メンバーが皆魅力的です。ウルフおじいさんとこそ泥王子シルクファンなっちゃますね。ぶっちゃけこのシリーズがあるだけでハヤカワFT黄金時代だったと思う。

このシリーズは「ベルガリアード物語」が全5巻、続編となる「マロリオン物語」が全10巻あるので、シリーズ好きな人にはたっぷり楽しめる。。

ルーフワールド

FT137。シリーズじゃなくて一冊読み切り現代(というか、今現在からするとちょい前?)くらいのロンドン舞台としたファンタジー高層ビル屋根屋根裏をすみかとして、ワイヤーとリールで空中を移動しながら生きている一族という、「現実世界にもファンタジーはひそんでいるんだぞ」設定がまず魅力的。子供夢想みたいなのを実力ある作家物語にしちゃったケースなので、読後の「もしそうだったらなー」というファンタジー特有酩酊みたいなのが味わえます

鳥姫伝

FT308。全五部作予定だったシリーズ最初の一巻。いろいろあって三巻までしかでなかったのだけど、話自体は一巻完結なので特に問題はない感じ。架空中国唐代舞台にしたチャイナファンタジーに、古典中国のアレヤコレヤを詰め込んだ、最高級の「ほら話」。文章には癖があり、何より密度がめちゃくちゃ高いので活字を読み慣れない人は体力を消耗しちゃいかねないんだけど、皮肉ブラックジョークの影に描かれた物語はびっくりするほど美しい。主人公コンビ、力持ちだけが特技の農村の垢抜けない青年十牛と、老賢者(というかイカサマ師)の李高老師は、ちっともヒーローらしくないデコボココンビなのだけど、迷宮幽霊過去因縁話、宮廷につきものスキャンダルをくぐり抜けていくと愛すべき人物だと気づく。ラストシーンは本当に素晴らしい。

2017-11-08

付き合っている子の家に遊びに行った時に、エロDVDを片づけ忘れてたってのあるあるだと思うのだが、

そのエロDVD素人ものだったので、なんか面白かった。

好きなアイドルとかはビックリするほど美形の整った顔の女が好みなのに、美少女系とかじゃないんかと。

まぁたまたま今日はそういう気分!ということなんだろうなとは思ったが、そういえば、美形好きのくせに

なぜ凡庸ちょい下の私と付き合っているのだろうという以前からの疑問もあったりで、こつんと引っかかるものがあったので

素人ものがお好みですかーへーはーほーん、から始まって、彼氏自慰事情をずかずかと、根掘り葉掘りしてみた。

まり映像では抜かない。なぜ? ちょっと嘘くさくて入り込めないから。素人ものならいいかと思ったがやっぱり演出が気になって気が散る

じゃあ普段は何で? 本、もしくはネタが無いままで行ける。

本?エロ小説とかエロマンガとかか? いやあれもいかにも抜いてくれという感じで入り込めない。視覚情報が少ないだけ多少活字の方がマシ。

えええ…そうなんだ…。脳内想像するのが一番興奮する。 はああ…そうなんだ…。

というやりとりになり、なんか面白い人と付き合っているんだなぁと思った。

実際にはそれほど趣味性の高いセックスを好む人でもなくむしろかなりオーソドックスもの好きな人なのが更に謎。

2017-11-07

anond:20171107165338

ホスピスに入っていた大叔父が、本が好きだったので、大きな活字の本を差し入れたことがある。

喜ばれたし、お見舞いで話が盛り上がった。

あと亡くなった後、ご家族から形見分けで大叔父から希望ということで私に蔵書をいただけたのが心に残った。

これは病状によるので、事前にご家族などに必ず確認がいるけど、

親しい方なら、その場で一緒に食べられる食べ物(好物とか、ゼリーとかアイスクリームとかつるっと食べられるものなども)

一緒に食べながら話をすると楽しい

果物はむくのがめんどうなので止めた方が良い気がする。

普通花束は割と面倒くさいが、小さ目のフラワーアレンジメントならあり。ちょっと置いておけるぐらいの小さいサイズに限る。

入院ベッドスペースって狭いから。

近しいご親族だったら、かつ、本人がどうしても要らなそうなら、面倒を見ている方にお見舞い金を渡しちゃうのもありだが

距離感によっては逆に失礼(普通は目下→目上にはお見舞いをお金では渡さない)になるので、要注意。

面倒を見ているご家族デパート商品券を渡して、パジャマとか入り用なものに使って、とかも。まぁこれも、距離感には注意。


追記

あ、増田読み返したらお見舞い金はもう差し上げているとあるな。失礼しました。

耳が遠いと言うことなので難しいかもだけど、落語CDも喜ばれた。面白いものが良いかなと思ったんだ。笑うのは良いことだし。

ヒマつぶしになるもの、本人が好きなもの楽しい気持ちになるもの。じゃまにならないもの

自分若い頃2ヶ月入院した時は、ガキの使いDVDポータブルDVDプレイヤー差し入れてもらったのがサイコーだった。

2017-11-04

電子書籍について調べたこメモ

電子書籍用端末はカラー表紙など白黒になってしまうけど

 PCやその他タブレットならカラーで見られる

  

単行本文庫、それぞれ電子版があり

 文庫電子版が値段的にも内容的にも最も良い

 (文庫版加筆や誤字修正があるため)

 

電子書籍用端末は容量が少ないが、

 クラウドに保存されるため端末からは削除しても問題ない

 

結果、先日のプライムセールはもう終わっていたので次回のプライムセールを待つことにする

色は白がいいな

漫画スマホoripadmini活字は専用端末で読む予定

買うと決めると楽しみだ

よく発売から時間がたった漫画ブックオフオンラインなどでまとめて買ってたけど

それはそれでお得だから使い分けたらいいだろう

2017-10-22

anond:20171022144701

元増田です。

お恥ずかしながら、実存主義というワード高校倫理の授業以来です。

大学生になって活字重厚哲学書や文学ほとんど読まず…自分の無学を恥じるばかりです。



元増田無駄努力はせずにコスパ良く今の社会構造でできるだけマシとされるところに行きたい人なんじゃないかなと思う。

でもその生き方だと元増田が言うように薄っぺら人生に嫌気が差してくるんだよね。」

まさに、言い得て妙です。自分はこだわりなんてものがなくて、長く続けられたこともわずかです。流されつつも合理的に、言い換えれば情には薄く、冷淡に判断を下して生きてきたと思います

もっと単純なこと言えば、「好きなものは?」「好きな本は?」「好きな音楽は?」「好きな芸能人は?」そういうアイスブレイクも苦手です。こだわりなんてないんですし、その場に合わせて、適度な流行を加味して受け答えする作業になりつつあります

ただ、一見矛盾しているとは思いますが、好きなこと、そして、その喜び、逆に、嫌なことに対する苦しみや不快感はその瞬間瞬間感じます

ですので、それをどう”こだわり”レベルまでシフトさせるか、自分対話していく必要があるのでしょう。気づきを得られてとても嬉しいです。



物事自分がやりたいかやりたくないかだし、選んだことに対しては責任を持って遂行するしか自分気持ちが救われることは無い」

そういえば、今付き合っている恋人にもこれと同じことを寝ている時に言われたことがあります。正直、かなり驚きました。

どうやら自分現実でもこの空間でも悩みの本質やその解決となる決定打を見抜かれてしまっていたのかもしれません。これまたお恥ずかしい限りです。

自分の悩みなんて宇宙レベルで考えればかなりちっぽけですので、何かこだわりをもって生きる大切さを実際に身体で知り、自分主体性もっと大事にして生きていこうと思います。すぐになんとかなるとは思いませんが。。

2017-10-13

ああ、そうか。

今の世代は。gameや漫画アニメゲーテを知るのか。

かび臭い市民図書館の西日の差すソファで、活字ゲーテを読んだりしないんだな。

最初活字で、触れないんだな。

グレートヒェンの名前が間違ってなかったか確認するため検索したら、ゲームアニメばかり出てきて。

びっくり。

2017-09-30

wを上くちびるだと思ってたw(使ってた

http://www.junglecity.com/news/interview-aaron-patterson/

ITシアトル在住のアーロンパターソンさん、ネットスラング解説で一躍有名人に 「日本アメリカ架け橋になりたい」

これのブコメを見て衝撃を受けた

wはエモーション半笑い表現する意図でずっと使っていたのだが誰一人言及していないではないか

これがインターネットで使われているのを見かけだしたのは1997年ぐらいのウルティマオンライン日本シャードだったと思う

自分観測範囲に無かった可能性はあるがほぼ初出で間違いないと思う

そこからUOミニティである

うるうる→あめぞう2chに伝播していった

このwというのはUOコミニュケーションにおいて非常に優れていた

笑いの感情表現としてはlolがあった

日本語では(笑 になるのかな

しかしどちらも日本人にはしっくりこなかったのが自分感覚としてある

lolタイプやすく即座に反応したいエモーションとしては良いのだがこれは日本語だと(爆 に当てはまる表現なのである声に出すとがっはっは だ

日本人普段そんなに大げさに感情表現しない

もちろん大笑いしたときは使うがmmoやってて一番起こる笑いの感情はクスッときた だ

だとすれば(笑 で良いのであろうがこれはタイプが面倒くさく( を入力して 笑いと入力バックスペースでい を消してエンターとか2秒くらいかかるので適切でない

マクロ発言登録するのもおっくうだしウルティマオンラインは戦いのために10数個のマクロ登録を主要キーに割当る必要があったりIMEが起動しているとマクロ入力を受け付け無いため普段は英数入力にしていたりと不適切なのだった

^^なら問題はなさそうだが現在煽り表現駄目押しとして使えているように何か偽善者っぽい

自分は嫌だったし今でも好まない

そこでwの登場だ

半角英数でもかなでも成立し(lolはかなだとぉlという無様なタイプミスとなる

これほど日本人感覚にしっくりくるものがあるだろうか

タイプも全角半角どちらでも成立しわずか1キー

実際に口角をあげてニヤけるに近いレスポンスがありそして何か新しい感覚

(笑 などは新聞活字でも昔から使われているがwは似て非なるものmmoという新しい文明の新しい感情表現方法はまさに新体験しか言い様が無かった

それから20年程当時と変わらぬ意味合い

口角を上げる表現としてしか疑わなかったのだが

そこすっとばしてワラのwとしてが最初素養として身に付けた人が多数派事実?に唖然とした

2017-09-28

anond:20170928175159

苦手というか、嫌いだったよ。

活字を読むこと自体は嫌いじゃないんだけど。

君は好きだったのかい

女の長文はわかりやす

なぜなんだろ。

明確な基準は定まってなくて自覚できてない。だけれども、長文を読み進めるうちに、「あ、これ女やな」と思って結局女だったことが多い。

どんなまーんでも活字から少なからフェロモン出せるんやな。

2017-09-10

バンド漫画映像化って凄まじいギャンブルだよな

ただ「凄い曲」とだけ表現していればよかった物が本当に「凄い曲」を作らないといけなくなるんだから

でもそれが凄すぎたら今度は違和感が出るわけで。

けいおんとか3Pとかは設定に対して上手すぎ。

だけどそこで下手だと映像としては面白くない。

頑張って頑張ってその結果下手くそってのはカタルシスがない。

逆にBECKとかになると原作の設定がヤバすぎて映像化が追いつききってない。

かといって映像化するにあたって原作通りに本当に凄い物を作ってしまうとして、それを誰がやるのかって話になる。

著名人の凄い人を集めて凄い物を作っても、それは結果的著名人合作であって作品の設定とはぜんぜん違う代物になる。

無名天才だったはずの登場人物はどこに消えたのか。

活字や絵には音や臭いがのらない。

からこそ描けていた物、それらの嘘が白日の下にさらされるのが映像なのだ

それでも架空バンド楽曲実体を持つことの興奮は何者にも代えがたい。

嘘は嘘だがこれはいい嘘だと視聴者読み手が感じれば映像化の勝ち。

それでも嘘は嘘だろうという気持ちの方が強ければ負けだ。

究極のギャンブルだ。

作品生命線をオールベットする行為だ。

その点で考えると、天才が突然学園祭乱入してプロレベル演奏をして帰っていくハルヒGod Knowsなんかは映像化にかなり向いていたと思う。

あれは分のいい賭けだった。

2017-08-31

子供読書感想文コンクールに行く

学校から帰ってきた子供が目を輝かせながら言った。

しかし、手放しで喜ぶにははいささか不安が残る。

なぜなら、その感想文は100%子供が書いたものではないからだ。

ここで少し、自分過去の話をしたい。

自分子供と同じ頃、じつは自分の作文もコンクールに行ったことがある。

結果は佳作としてローカル新聞に載る程度のものだったが。

このとき100%自分で書いた。しかも、子供がどの目線文章を書けば大人が喜ぶかを計算した上で書いた。

子供らしい向こう見ずな文章や、出て来る数字も敢えて理解よりも大げさに書いた。

なぜなら、周囲の子供たちはまだそのレベルだったからだ。

の子供らしい部分を大げさに表現すれば、間違いなく大人は喜ぶだろう確信があった。

果たして思惑の通りの評価が並び、子供ながらにしてうける文章とは何かを理解することになった。

しかし、賞に選ばれることはあまり嬉しいことではなかった。

少し特殊な生い立ちを持つ自分は、できるだけ目立たないように生きることが習慣づいていたのだ。

それでも中高の小論文は毎回と言っていいほど自分文章がお手本として選ばれた。

議題に対する切り口だけはこだわってしまった結果だろう。

遠慮して書いてもそのレベルなのだと感じられることに悪い気はしなかった。

ついでに言えば、その頃はすっかり本の虫としての毎日を送っていた。

今で言うライトノベルと呼ばれそうなジャンルから本格ミステリ純文学など節操なくなんでも読み漁った。

電車通学の30分を使って年間100冊は当たり前に読んでいただろう。

絵で描かれる物語とは決定的に異なる、活字が与えてくれる想像余地がたまらなく好きだったのだ。

ちなみに今でも心から尊敬する作家川端康成先生だ。

自分現実世界はいわゆる色弱としての生活を強いられているのだが、彼の本の中では健常者以上に鮮やかな色彩を感じられる気がしたのだ。

モノクロ世界淡々と描いておいて、突如蜷川某氏を思わせるような原色が巻き散らかされるようなシーンの移り変わりに脳天をかち割られるような衝撃を受けたものだった。

それに、彼自身折り紙つきの変質者であるのに、全くそ自覚を持たず純度の高い無邪気さのままに書き上げらる文章に、まるで自分の心の醜さを試されているような感覚もたまらなく好きだった。

しかし、生い立ちの都合でその時代一般的企業への就職を諦めざるを得なかった自分には進学という選択肢はなく、過酷肉体労働に進む以外の道がなかった。

今でこそ現場を離れて机に根を生やす生活を送っているが、最前線現場を仕切っていた時代文章は縁遠い存在になってしまっていた。

そんなある日、家に帰ると子供原稿用紙とにらめっこをしていた。

ひらがなで3枚を埋めることが目標だったのだが、あと一枚がどうしても埋まらないらしい。

どれどれとそこまでを読んでみると、いわゆる子供が陥りがちな感想文がそこにはあった。

本文を抜き出しては、ただ一言おもしろいとだけの感想がつく文章が並んでいたのだ。

どうやらここにたどり着く間にも母親の力を借りていたらしいことを聞いて思わず苦笑してしまった。

そうなのだ大人だって大半はこのレベルなのだ

自分面白いと感じた部分を掘り下げることばかりがうまくなっているだけで、それがあらすじなのか感想文なのかの違いをわかっていない。

そこで少しだけ手伝ってやることにした。

「この本の中で、一番おもしろいとおもったところはどこ?」

「それをどうして面白いと思った?」

「もし自分だったらどういうふうにしたいと思った?」

大切なのは、その時代、その人間しか感じられない感性を切り出して言葉に残すことだ。

思った通り、大人では絶対に思いつかないようなポイントに興味を惹かれていて、そしてそれに対する代替え案も、まさに今の時代を生きるこの子しか思いつかないような言葉が返ってきた。

それを子供の口から言葉にさせ、内容は変えないままに言葉より子供らしく無邪気なものに置き換えて子供に伝え返す。

子供はそれを黙々と書き写した。

そして、あえて終わりを歯切れの悪いものにした。

れいに終わらせることにこだわるのは大人だけのエゴだ。

文章とはもっと自由もので、それにそれこそが味と言われるものになりえるからだ。

小学校先生ときがその良さに気づくとは到底思ってもいなかったことだけが誤算だったが。

しかし、子供の話を聞いて驚くことが一つあった。

どうやらこの読書感想文に対して、コンクール前に先生と一緒に手直しと加筆をするというのだ。

なんだ。それではやってることが家でのことと変わらないではないか

結局子供大人エゴに躍らされるのだ。子供を通じて子供らしいと思えるもの大人同士がやり取りして楽しんでいるに過ぎないのだ。

願わくば子供大人言葉押し付けられることで文を紡ぐ楽しみを見失ってしまぬことを。

コンクールで賞を取ることなんかよりも、よっぽど大切なことからだ。


さて、蛇足をあえて加えさせて頂くと、卒業後しばらく疎遠だった物書きだが、このところは比較的高い頻度で文章を書くことができている。

はじめて誰に遠慮するでもなく、思っていることを好きなように書いてもいい場所を見つけたのだ。

そして、それに対して見ず知らずの誰かが色々とリアクションをしてくれるという、まるで夢のような場所がこの世に存在していたのだ。

おかげさまで、自由文章を書くということがこれほどまでに楽しいことだったのだと喜びを噛みしめる毎日を送っている。

子供読書感想文コンクールに選ばれたのもそこでの経験が大いに活かされているといっていいだろう。

ありがとう増田。そしていつもありがとうブクマカ

子供の作文がコンクールで賞に選ばれた暁には、スペシャルサンクスに今までブクマしてくれた皆の名前を載せようと思う。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん