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はてなキーワード: 執筆とは

2024-06-15

セクシー田中さん脚本家クレジットしなくていい」→「しろ

A氏は本件原作者執筆した脚本を本件脚本家に見せ、制作サイドで作成した脚本は認められないこと、これを飲まないと放送できないことを伝えたところ、本件脚本はいきなりの話であって驚愕したものの、A 氏から、「これを受け入れないと本編放送及び二次利用についてもすべて差し止めると小学館から言われているので受け入れて欲しい」と懇願され、やむなく 9,10話の脚本から降りる旨伝えた。

その際、本件脚本家は、あまりに突然のことにショックを受け、9,10 話に関しては最終的には執筆しないためクレジット表記をしなくていいという話だった。

しかし、A 氏はここまで本件ドラマを一緒に作ってきた本件脚本家をクレジットに入れる方法を続けて模索することとした。

上記にかかわらず、同月8日、本件脚本から A氏に、やはり 9,10話に本件脚本家のクレジット表記をしてほしい旨伝えられた。

本件脚本家によると突然本件原作者脚本を書くという話を告げられ降板ということになったため、そのときはショックでクレジット表示をしなくてもよいと言ったが、冷静になって、脚本を書くことを生業とするすべての人たちの権利を守るためにもクレジットは守らなければならないと思い直したということである

2024-06-14

セクシー田中さん調査報告書における日本テレビ記憶喪失シーン

調査チームへのC 氏からの書面回答によると、本件原作者は、過去作では製作ママ)途中で「やっぱりやめたい」と言い出したこと小学館からドラマ化するならば原作大事にしてくれる脚本家の方でないと難しいことを伝えたと述べ

ているが、A氏、B氏はこの時点では条件や注意事項として聞いた記憶がないと述べている。

B氏によると、ドラマオリジナル部分については本件原作者がロングプロット提案することは言われたが、脚本化の過程で本件原作者の了承がどうしても得られない場合は、本件原作者自ら脚本執筆する可能性があること、これを実施すると、専業の脚本家の方に大変失礼であるので、予め了承を取っておいてほしいことは、この時点では言われた記憶はない、ということであった。

D 氏からB 氏へ「本件脚本家投稿などさせないように」という電話があったということである、ただし、B氏によると小学館から本件脚本家を説得して投稿しないようにしてほしいという依頼を明確に受けた記憶はなく、D氏との間で、「SNS投稿されるのは嫌ですね」との話になった程度ということである

2024-06-12

映画「違国日記」は漫画とは別物 anond:20240610112303

削ぎ落されたのは〇〇や△△をめぐる本筋外のエピソードだけじゃなくて映画出演する権利を与えられたメインキャラクター性格描写となる部分も、であって

おかげで一部のマッチョ志向増田琴線に触れた「男性キャラクターは男らしさを降りないと存在を認められない」という特徴は、映画だけを観ている限りではほぼ消臭されている。瀬戸康史演ずるキャラクター普通の優しくかっこいいおじさんだ。

それは新垣結衣演ずる槙生も同じで、最初からやたら「良い人」だ。原作だと変人でとっつきにくいキャラクターが15歳の少女を引き取るという思いきった行動に出てくるというギャップ存在する。

だが、嫌々ながら売り言葉に買い言葉でやむを得ず引き取ってしまった後悔を内に秘めた「キツい」性格ワーキング成年女性である描写映画では存在しない。(執筆中は邪魔をするなと釘をさすくらいのやりとりが最初くらいはあってしかるべきだろうが、意外なくらい主人公二人の間には壁(映像表現では、部屋と部屋の間の扉にあたる)がない)

いきなり両親を亡くした中学生を引き取るのだからどう考えても善人に間違いないのだが、少女に、私を引き取ったのは自己満足のため?(大意)と問われて違うよ、愛しているよ(大意)と答えるのだからこてこての善人である

新垣結衣(槙生)は自宅を汚部屋にしていた。これを「良いのよこれで、私には」と開き直って見せれば傲岸不遜なキャラクター付けになるのだが、なんか申し訳そうな反応(てへぺろ系)を示すので、むしろメシマズキャラクター同様の「欠点のある女性カワイイ描写になっている。

 

そういったわけで観賞していて「ピンチの予感/ストレス→緩和」のふり幅が小さく軽い、低ストレスで見ることのできる映画となっている。去勢された男性や自信満々の女性を観たくない自分と向き合いたくない、という男性にも安心だ。

 

日本映画にはそれほど詳しくないが、例えば吉田恵輔作品を見る時のような圧・いたたまれなさを感じることはないだろう

2024-06-11

anond:20240611154848

それは正直に言え。

冗談めかしてもいいけど。

 

真の感情を隠されるのが一番迷惑

夫婦関係としても、小説執筆としても。

お前は感想を求められているんだから感想を隠すな。次は何も求められなくなるぞ。

妻が小説を書いたことにモヤモヤしている

妻が小説を書いていたのを知ったのはつい先日のことだった。

とある賞に応募するために執筆したそうで、以前から小説を書くことはあったのだという。そんなこと全然知らなかったが、一度俺に読んでみてほしいとUSBを渡してくれたのは嬉しかった。

昨日早速読んでみると驚いた。文章は分かり易いし、銀行強盗一人称視点ストーリー面白いジャンルとしてはミステリーで、次々に謎が現れるのも海外ドラマのようで悪くない。ただ一つ、気になったのは話の途中にセックス描写があったことでそこの描写が妙に生々しくリアリティがあった。もしこれを実体験に基づいて書いているのであれば当然俺との体験を基にしているはずだ。しかし順序は俺とは違っていたし、やったことのない体位についても書いてあり正直非常にモヤモヤした。

小説フィクションなんだからセックス描写フィクションであることはもちろん理解している。経験したことのみ書けるってわけじゃないことは重々承知しているし、あくま想像力問題だってことも分かってる。でもセックス描写所謂朝チュンのような誤魔化しではなく官能小説のような具体性が本当にあって妻の吐息が聞こえてきそうだった。正直読んでいて嫌悪感ばかりが募り、そこで読むのを辞めてしまったほどだった。

今日明日でないにしろ妻はこの小説感想を俺に聞いてくるはずだ。その時に何て答えればいいのだろうか。小説の男に嫉妬している、なんていえば笑われるかもしれない。

2024-06-10

音楽チャート好きを公言するアカウントがイマオトに言及しないのはわざとなのか?

音楽チャート好きならば絶対に避けては通れないブログのはずなのに過去ツイートいいね欄眺めても一切言及がないのは不自然すぎる。

現状では界隈で商業メディアでの執筆実績があるのはイマオトのみ。

全く触れないというのは流石におかしい。

風邪をひいたら休め

 ここに、「ニンゲン風邪をひいたら、休め」という規範を示す。

 本稿は、右規範に対して懐疑的なニンゲンを説得するために執筆されたものである。具体的には、下記のニンゲンが本稿のターゲットである。心当たりのある者は、ぜひ熟読せよ。

・「この程度の風邪なら大丈夫」と考え、外出をしたことがある

・「風邪程度で休むのは甘えである」と考えることがある

風邪をひいても休まないニンゲンがいる理由はなぜか?

 風邪をひいたら休めという規範は、①パターナリズムと②蔓延防止という二つの論拠から成る風邪治癒に専念することで、①疫病が悪化する可能性が低くなり、結果として本人のためになる。そして、②伝染病蔓延を防止することができる。

 以上より、右規範合理性があることが明らかである

 ところが、しばしば右規範は破られる。風邪をひいても会社学校へ行くニンゲンと、これを良しとする第三者が後を絶たない。なんとも嘆かわしい。かかる者は如何にして規範を逸脱するのだろうか。

 私は、その理由につき、当該ニンゲンが①パターナリズムのみを重視してしまった結果であると考える。彼らは、「風邪をひいたら休まなくてはならない」という規範趣旨を、もっぱら「私が大変な思いをするからだ」と捉えてしまう。よって、「私は病状悪化という結果を許容しているから、右規範趣旨(本人のために休むべき)が及ばない。ゆえに休まなくてもよい」と結論づけてしまうのである

 しかし、かかる見解妥当ではない。パターナリズムはむろん重要であるが、②蔓延防止の意義を殊更に強調しなくてはならない。

 以下、敷衍する。

★「人を傷つけてはならない」という規範

 なぜ、風邪をひいた場合に、②蔓延防止のために休む必要があるのか。

 まず、「人を傷つけてはならない」という規範は、ハンムラビ法典でも傷害行為禁止されているように、紀元前時代から常識である。これは、現代社会においても、傷害罪(刑法204条)が国民構成要件として配布していることからも明らかである

 そして、風邪をひいた状態で外出をして、特に会社学校等の多数人が集まる室内で過ごせば、自らの病を伝染させることにより、他者生理的機能障害傷害)を与えることで、人を傷つける蓋然性が具体的明らかに予見される。

 したがって、風邪にもかかわらず、休まなかったことで、「人を傷つけてはならない」という規範を乗り越えてしまうことになる。

 よって、他者を傷つけないために、風邪をひいた人間は休養することで蔓延防止に努めるべきなのである

もっとも、休めないときもあるのではないか判断枠組み

 そうであるとしても、いかなる場合にも「風邪をひいたら、休め」という規範適用するのは妥当ではない。風邪自覚症状が無い場合や、どうしても外せない急用がある場合もあるだろう。いか判断するべきか。

パターン1 自覚症状なし

 まず、自らの病状につき善意無知である場合について、いかに解するべきか。

 故意責任本質は、反規範人格態度に対する道義的非難である

 すなわち、自分風邪であり、もしかしたら他人に伝染させてしまうかもしれないという点につき、認識・認容していれば、「他人を傷つけてはならない」という規範に対しての反対動機形成しているものといえる。しかるに、敢えてこれを逸脱したのだから、かかる行為道義的非難に値する。

 よって、自分風邪である認知していたのであれば、休養に努めるべきであるのが原則である

 逆に、自分風邪であると知らなかったのであれば、そもそも「休むべきである」という規範に直面しておらず、反対動機形成できないため、道義的非難に値しない。実際に、潜伏期間存在するウイルスは多いことからも、このような結論妥当である

 以上より、自らの病状につき善意無知である場合には、休まなくてもやむを得ないものといえる。

パターン2 風邪体調不良判断できない場合

 風邪体調不良判断が難しい場合は、いかに解するべきか。

 なお、ここでいう「体調不良」とは、月経片頭痛食中毒などの伝染病以外で身体異常をきたしている場合を指す。

 この点、蔓延防止以前に、そもそもパターナリズム観点からは、風邪体調不良判断できない場合にも休養した方が良いといえる。ゆえに、原則として外出するべきではない。

 しかし、単なる体調不良であれば、他者生命身体侵害することはない。よって、自身が体調悪化につき許容しているのであれば、単なる自由意思範疇にあるといえるから、これを非難される筋合いは薄い。

 したがって、伝染病であるという相当の蓋然性がある場合には、「風邪をひいたら休むべきである」という規範に服するべきである。右判断にあたっては、当人の体温、病状、体質、病歴、自覚症状、過去の行動等を総合勘案して判断する。

 具体的には、下記の事情伝染病である蓋然性を高める。

 ・平熱と比して体温が高い

 ・前日に気怠さがあった

 ・雨にうたれた

 ・知人が熱を出した

 反対に、下記の事情伝染病である蓋然性を低める。

 ・病状が軽微である

 ・月経片頭痛など伝染病以外の体調悪化事情がある

 ・病院伝染病ではないという診察を受けた

 たとえば、体温が37.5℃以上であり、前日から続く気怠さ・咳があるものの、月経による体調不良かもしれないといった場合を想定してみよう。この場合、たしか月経という事情伝染病のおそれを低めるものであるが、咳と月経無関係であり、37.5℃以上という体温は、一般風邪判断されるべきものである

 よって、伝染病である相当の蓋然性が認められるだろう。

 なお、より強度な「明らかに伝染病ではない場合にのみ、休まなくても良い」という判断枠組みも考えられる。筆者は、単なる体調不良場合自由意思尊重するべきであるから、緩い判断枠組みが妥当すると考えたため、かかる見解採用しなかった。

パターン3 どうしても外せない用事等がある場合

 では、自らの風邪自覚症状があり、明らかに伝染病であるものの、どう しても外せない急用等がある場合には、いかに解するべきか。

 この場合、どうしても外せない急用等に参加したいという時点で、パターナリズムは克服されているため、第三者への傷害の有無で判断するべきである(病状悪化をしてでも〇〇がしたいという者に対して、貴方身体のために辞めなさいというのは余計なお世話である)。

 そして、第三者に病を伝染させてでも、自分がやりたいことを行うというのは、結局のところはエゴイズムである冠婚葬祭親族危篤会社学校への出席などは、「自分が行きたいから行く」のであり、エゴイズム第三者身体生命侵害正当化する場面は限定的であるべきである

 これに対して、出席せねば評価が悪くなるため、「行きたいから行く」のではない;やむを得ず風邪をひいてでも外出しなくてはならないのである等の反論が想定されるが、妥当ではない。結局、評価悪化を避けるというのも利己的な目的であり、原則として、そのために伝染病をばら撒いて第三者侵害を行うべきではないいう形式は変動しないためである

 では、いかなる判断枠組みが妥当するか。

 第三者身体生命は、きわめて重要法益であるから、「どうしても外せない用事」との比較衡量で決するべきである。具体的には、用事重要性・症状を鑑みて、第三者身体生命に対する侵害のおそれを惹起してでも、当該「用事」を優先するべきである判断できる場合にのみ、風邪をひいても休まなくても良いものと解する。

 たとえば、冠婚葬祭親族危篤などは、この機会を逃してしまえば二度と立ち会えないイベントであり、用事重要性は高いものといえる。

 もっとも、当人が伝染させればきわめて身体生命への侵害性が高いといえる伝染病を患っている場合は、この限りではない。具体的には、インフルエンザ新型コロナウイルスノロウイルス等の強い感染力・症状を有するものは、真にやむにやまれ事情存在しない限りは、外出するべきではない。

 そして、会社学校への出席は、上記用事と比して、重要度が低いと言わざるを得ない。成績に重大な影響を及ぼす発表や試験等が存在しないかぎりは、外出を行うべきではない。

 そもそも、出席が必要不可欠でない限りは、リモート等の手段を講ずるべきであり、あくまでも「風邪をひいたら休むべきである」という規範を乗り越え、外出を行うという選択肢は、最終手段として留保されるべきである。よって、リモート等の手段を採ることができたのにもかかわらず、他者への傷害惹起する外出を選択するということは、あってはならないのである

★まとめ

 以上より、風邪をひいたら、本人のために休むべきであるのはもちろん、「他者を傷つけてはならない」のであるから、「ニンゲン風邪をひいたら、休め」という合理的規範が成立し、ニンゲン原則として右規範を遵守しなくてはならないということが示せたはずである

 規範限界については、判断枠組みを明確に提示した。

 その他、想定される反論について、下記にまとめる。異論や質疑等があれば、気軽にコメントしてほしい。

★その他、想定される反論質問

・明らかに体調不良ではなく伝染病であるものの、風邪が軽微である場合は?

 症状が軽微であっても、他者に伝染させる可能性がある。そして、乳幼児後期高齢者を想定すれば明らかであるように、自分が軽微な症状であるからといって、第三者もそうであるとは限らない。したがって、伝染によって他社の身体生命侵害を及ぼすという点では、原則として「風邪をひいたら、休め」という規範に従うべきである

 もっとも、上記パターン3の判断時に、症状の軽重は重要考慮要素となりうる。

風邪をひいた状態で出席することに対して、全員の合意がある場合は?

 友人の集まり会社等で、自己風邪を患った状態で出席することにつき、コンセンサスを得ている場合には、伝染による傷害結果の発生につき同意がある以上は、「風邪をひいたら休むべきである」という規範妥当しないのではないか?という反論が考えられる。

 しかし、風邪につき合意した者(合意者)のみと交流することは実際上は困難である。例えば、公共交通機関を用いるのであれば、不特定多数人に感染リスクがあり、伝染による傷害惹起する可能性があるだろう。

 そして、合意者がさら第三者に伝染を及ぼす可能性がある以上は、②蔓延防止の観点からこれを許容するのは妥当ではない。

・病弱なニンゲンにとって、毎回「風邪をひいたら休む」という規範に従うのは難しいのでは?

 たしかに、病弱なニンゲンは休む機会が増えてしまうため、会社学校での評価に悪影響を及ぼすこともありうるだろう。

 しかし、病弱な者は他人を傷つけても良いと考える者はいない。そして、伝染病頒布他人傷害する行為であるから、伝染によって他人傷害してしまうことにつき認識・認容があれば、道義的非難に値することには変わりない。

 また、結局のところ、評価の変動といった事情は先述したように利己的・個人的理由であるからエゴイズム第三者生命身体侵害するという場面は限定されるべきであるという当為規範が変動することもない。

 したがって、上記で示した判断枠組みが変動することはない。

以上

2024-06-09

[]2014.2.2〜2024.1.26


https://web.archive.org/web/20240127104246/http://ashihara-hina.jugem.jp/

ドラマセクシー田中さん』について

2024.01.26 Friday14:31

ドラマセクシー田中さん」をご視聴いただいた皆様、

ありがとうございました。

色々と悩んだのですが、今回のドラマ化で、

私が9話、10話の脚本を書かざるを得ないと判断するに至った経緯や事情を、

きちんとお伝えした方が良いのではと思い至りました。

この文章を書くにあたって、私と小学館で改めて時系列にそって事実関係再確認し、

文章の内容も小学館確認して書いています

ただ、私達は、ドラマ放送が終了するまで、脚本家さんと一度もお会いすることは

ありませんでしたし、監督さんや演出の方などドラマ制作スタッフの皆様とも、

ドラマの内容について直接、お話させていただく機会はありませんでした。

ですから、この文章の内容は私達の側で起こった事実ということになります

セクシー田中さん」は一見奇抜なタイトルのふざけたラブコメ漫画に見えますが…。

自己肯定感の低さ故生きづらさを抱える人達に、優しく強く寄り添える様な作品にしたい

という思いが強くあり、ベリーダンスに纏わる方々の思いにも共鳴しながら、

担当編集と共に大切に描いてきた漫画です。

ドラマ化のお話いただき、当初の数話のプロット脚本をチェックさせていただきながら、

最終的に私が10月のドラマ化に同意させて頂いたのは6月上旬でした。

セクシー田中さん」は連載途中で未完の作品であり、また、漫画の結末を定めていない

作品であることと、当初の数話のプロット脚本をチェックさせていただいた結果として、

僭越ではありましたが、ドラマ化にあたって、

ドラマ化するなら「必ず漫画に忠実に」。

漫画に忠実でない場合はしっかりと加筆修正をさせていただく。

漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、

まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様「原作者があらすじからセリフまで」用意する。

原作者が用意したもの原則変更しないでいただきたいので、ドラマオリジナル部分については、

原作者が用意したものを、そのまま脚本化していただける方を想定していただく必要や、

場合によっては、原作者脚本執筆する可能性もある。

これらを条件とさせていただき小学館から日本テレビさんに伝えていただきました。

また、これらの条件は脚本家さんや監督さんなどドラマ制作スタッフの皆様に対して

大変失礼な条件だということは理解していましたので、

「この条件で本当に良いか」ということを小学館を通じて日本テレビさんに

何度も確認させていただいた後で、スタートしたのが今回のドラマ化です。

ところが、毎回、漫画を大きく改編したプロット脚本が提出されていました。

漫画で敢えてセオリーを外して描いた展開を、よくある王道の展開に変えられてしまう。

個性の強い各キャラクター特に朱里小西・進吾は原作から大きくかけ離れた

別人のようなキャラクターに変更される。

・「性被害未遂アフターピル男性の生きづらさ・小西と進吾の長い対話」等、

私が漫画セクシー田中さん」という作品の核として大切に描いたシーンは、

大幅にカットや削除され、まともに描かれておらず、その理由を伺っても、

納得のいくお返事はいただけない。

といったところが大きなところですが、他にも細かなところは沢山ありました。

「枠にハマったキャラクターに変えないでいただきたい。

私が描いた「セクシー田中さん」という作品個性を消されてしまうなら、

私はドラマ化を今からでもやめたいぐらいだ」と、何度も訴え、

どうして変更していただきたくないのかということも丁寧にご説明し、

粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1〜7話の脚本

完成にこぎつけましたが…。

脚本家さん、監督さんといったドラマ制作スタッフの皆様と、私達を繋ぐ窓口は

プロデューサーの方々のみでしたから、プロデューサーの方々が当初「ドラマ化の条件」として

小学館から日本テレビさんに伝えていただいた内容を、

どのように脚本家さんや監督さん、ドラマ制作スタッフの皆様に伝えていらっしゃったのか、

残念ですが私達には知る術はなく、

当初お伝えした「ドラマ化の条件」はどうなってしまったのだろう?という

疑問を常に抱えた状態での加筆修正の繰り返しとなって、

その頃には私も相当疲弊していました。

そして、私があらすじ、セリフを準備する終盤のドラマオリジナル展開は

8話〜10話となりましたが、ここでも当初の条件は守られず、

私が準備したものを大幅に改変した脚本が8話〜10話まとめて提出されました。

特に9話、10話の改変された脚本ベリーダンス表現も間違いが多く、

ベリーダンスの監修の方とも連携が取れていないことが手に取るように分かりましたので、

「当初の約束通り、とにかく一度原作者が用意したあらすじ、セリフ

そのまま脚本に落としていただきたい」

「足りない箇所、変更箇所、意見はもちろん伺うので、脚本として改変された形ではなく、

別途相談していただきたい」

といったことを、小学館から日本テレビさんへ申し入れをしていただきましたが、

その後も、大幅な改編がされたプロット脚本が提出され、

それを小学館サイドが「当初の約束通りに」と日本テレビさんにお戻しするという作業

数回繰り返されたと聞いています

最終的に、日本テレビチーフプロデューサーの方から「一度そのまま書くように」との

指示が出たとも伺っていましたが、状況は変わらぬまま約4週間が過ぎてしまいました。

ドラマ制作スケジュールリミットもどんどん迫っていましたので、

本当はドラマオリジナルとなる8話〜10話全ての脚本を拝見してオリジナル部分全体で、

加筆修正をさせていただきたかったのですが、8話だけ、

何とか改変前の内容に修正させて頂いて、日本テレビさんにお渡しすることになってしまいました。

9話、10話に関する小学館日本テレビさんのやりとりを伺い、

時間的にも限界を感じましたので、小学館を通じて9話、10話については、

当初の条件としてお伝えしていた通り、

原作者が用意したものをそのまま脚本化していただける方」に交代していただきたいと、

正式小学館を通じてお願いしました。

結果として、日本テレビさんから8話までの脚本執筆された方は

9話、10話の脚本には関わらないと伺ったうえで、

9話、10話の脚本は、プロデューサーの方々のご要望を取り入れつつ、私が書かせていただき

脚本として成立するよう日本テレビさんと専門家の方とで内容を整えていただく、

という解決策となりました。

何とか皆さんにご満足いただける9話、10話の脚本にしたかったのですが…。

素人の私が見よう見まねで書かせて頂いたので、私の力不足が露呈する形となり反省しきりです。

漫画セクシー田中さん」の原稿の〆切とも重なり、相当短い時間脚本

執筆しなければならない状況となり、推敲を重ねられなかったことも悔いてます

9話、10話の脚本にご不満をもたれた方もいらっしゃるかと思います

どのような判断ベストだったのか、今も正直正解が分からずにいますが、

改めて、心よりお詫び申し上げます

最後となりましたが、素敵なドラマ作品にして頂いた、素晴らしいキャストの皆さんや、

ドラマ制作スタッフの皆様と、「セクシー田中さん」の漫画ドラマを愛してくださった

読者と視聴者の皆様に深く感謝いたします。

2024.1.26

芦原妃名子

こちらのブログ10年も放置してしまったため、1日の訪問者数が既に一桁でして…

なので今回、X(旧Twitter新規アカウントを作って、同時にご報告させていただいてます

芦原妃名子

@ashihara_hina

お仕事---

テスト

2024.01.17 Wednesday20:16

テストです

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お知らせです

2014.12.06 Saturday01:20

ものすごいブログ放ったらかしっぷりを、、スミマセン、、。

実は今発売中の『cocohana1月号』予告にミスがありまして。

次号2月号カラー予告に私の名前が載ってますが、間違いです。

一色予告にはキチンと訂正されていますが、2月号・3月号の

Bread&Butter」はお休みです。

バタバタしていて間違えたまま載ってしまったみたいで、、

本当に申し訳ないです。

夏くらいから体調崩してばっかりなので、しっかりリセット出来ると良いなあ~。

あとは、ずっとお世話になってたcocohana担当さんが他誌に異動されて

cocohanaでの初めての担当替えがありました。さすがに寂しいなあ~。

色々有難うございました!

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お仕事---

Bread&Butter;」2巻☆「芦原妃名子傑作集」1・2巻

2014.09.26 Friday12:35

3冊同時に発売中です~!!

Bread&Butter]2巻は、水色に近いエメラルドグリーンの表紙です。

可愛く仕上げて頂いて、とても嬉しい。

2巻は「フレンチトースト」「イースト菌」「プレッツエル」「パンサプライズ」ですよ~。

あと、「芦原妃名子傑作集・1・記憶」と「芦原妃名子傑作集・2・祈り」も同時発売です。

こちらは小学館から出てます

これ、一応私の20周年記念本なのですよ。なのでほぼ過去作で構成されてます。既刊コミックス未収録の新作は「乞う女」と「スゴロク」のみなので、どうぞお間違えの無い様、お気をつけくださいませ~。

途中お休みもしてるので、20周年といっても若干サバ読んでる気がしないでもないですが、、

一作一作コメントも書いてますので、興味のある方は手にとってみてくださいね

よろしくお願い致します。

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お仕事---

ぷるぷる

2014.07.16 Wednesday02:13

編集さんに頂いたゼリーが超キレイきぷるぷる

原稿終わった~~! とりあえず、いっぱい遊ぶ!

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おやつ---

ビッグコミック オリジナル」15号

2014.07.06 Sunday00:36

ビッグコミック オリジナル」15号

7月19日(土)発売です!

「乞う女(こうひと)」ってタイトルの30P読みきりです。

どうぞよろしく~。

cocohana」8月号も発売中ですよ~☆

あと、9月末にコミックスが3冊同時に出ます

詳細はまた後ほど。

わりと仕事ばっかりしてます。遊びたい。

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お仕事---

ずいぶん。。

2014.06.08 Sunday04:44

ほったらかしてました。ごめんなさい、、、。

ずっと調子おかしかったPCを買い換えて、すさまじくメカオンチの私は

ますますチンプンカンプンです。脳みそ足りてなくって、嫌!

えーーっと、まず・・今発売中のCocohanaには、私のパン漫画は載っていないのですが、

私自身は特に休みを取っていたわけではなくって、小学館さんでの別の読み切りを描いておりました。

ベツコミでもプチコミでもフラワーズでもなくって、、、

なぜか、、なぜか、、「ビッグコミック オリジナル」に載りますよ!!

少女マンガ絵ど真ん中の、私の漫画が!なぜか!オリジナルに、、!!

昔、うちのお父ちゃんが読んでたよ、、。今も読んでるか知らないけど、黙っとこ。

なんでオリジナルに描くことになったかは、たいした理由もないんですけど、省略。

ちょっとした珍事件ですので、興味のある方は是非読んでみてくださいね

昼ドラ感満載の30P読みきりです。

パン漫画は、なるべく「業」とか「欲」とかを排除しながら描いてるのですけど

(出来るだけ「優しいモノ」を、、との注文を頂いてスタートした漫画なので)

こちらの読みきりは「業」「欲」オンリーです。

掲載号は、また後日お知らせしますねー。

Bread&Butter」は、6月28日発売Cocohana8月号より巻頭カラーで再開です!

あ、あと、「砂時計」1~3巻(デジタル版)が、6月18日まで無料で読めるみたいです。

未読の方は是非、この機会にご覧くださいませー。

少し前、小学館編集さんに、美味しいパンを沢山いただきました。

 

美味しい、、。へんしゅうさん皆やさしい、、悲しス。

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お仕事---

「Bread&Butter」☆第1巻

2014.03.22 Saturday05:07

「Bread&Butter」第1巻☆3月25日発売です!

宜しくお願い致しま

*しばらくこの記事トップに上げておきますね~。

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お仕事---

ダラス・バイヤーズクラブ

2014.03.09 Sunday17:09

悲しい出来事がありました。。

土曜の最終で「ダラス・バイヤーズクラブ」を観て、余韻冷めやらぬまま売店レジに行き

パンフレットください、、」とつぶやいたら不透明の袋に入ったパンフレットをお姉さんに手渡され

中身を確かめないまま自宅に帰って袋から取り出してみましたら。。

なんでやねーーーーん!(500円返して~~~!)

せっかくなので「マチューテ・キルズ」のパンフレット読みましたけども、

私が観たのは「ダラス・バイヤーズクラブ」です。ハイ

マシュー・マコノヒージャレッド・レトも凄かった。

描かれるのは、「生」に対するあまりに真っ直ぐな執着心。

「執着心」って、あまり聞き心地の良い言葉ではないけど、やっぱりもの凄いエネルギーを生むんですよね。

屈折してると痛々しく映るけど、ストレートな執着が爆発する様は、むしろ爽快。

主人公あくま自己中で自業自得貪欲で、だけど彼のエネルギーが周囲を巻き込んで救済し感謝され、そのこと自体に戸惑いながら少しづ他者との絆を得て行く描かれ方が、とても良かった。

堕落過去自分を全て否定して、綺麗に生まれ変わったわけではないんですよね。

差別する側だった人間が、差別される側に転げ落ちる様は、「第9地区」と被るな。

最近観た映画の中で、一番良かった。

パンフレット、、、。声が、小さかったのかな。

もっと腹の底から声を出して、強くたくましく生きようと思います

可愛い画像も貼っとこ

うちのお姉ちゃん家に子ニャンコがやって来ました!

小豆アズキちゃん」です。

かわいい

1

本・映画---

1巻!

2014.02.02 Sunday01:25

オンリー・ゴッド」観てきました。

復讐モノ」だと思ってたけど、違ってた。「親殺し」が主軸。

ドライヴ」より私は好きでした。

母親より更に偉大な「神」が、新たな依存先に見えなくもないけれど。。

戦いを挑んでコテンパンにやられて裁かれて赦されて、救われたのかな?

「親殺し」はどうしてもパターン化してしまうけど、それほど普遍的テーマなのかもしれないです。

バイオレンス描写より、KARAOKEシーンのがインパクトでかかった。

人殺したら、腕一本。マイルールに則って無感情淡々と人を裁いていく様は、

神様」って言うよりも、「法」とか「規則」とか、そんな感じ。

人に勧めにくい。私は好きだけど。 <h3>o- **</h3>

今、コミックス作業をしていますー。

パンをチマチマいっぱい描きました。

原画はもう編集部に送っちゃったので、これはコピーですけど。

デザイナーさんが考えてくれたカバーデザインがとっても可愛いので、

仕上がりが楽しみです♪

Bread&Butterコミックス第1巻は、3月末発売予定です!

また、改めてお知らせしますね。

anond:20240609065224

2024-06-08

anond:20240608163618

[芦原ブログ魚拓コピペ]2014.2.2〜2024.1.26

https://web.archive.org/web/20240127104246/http://ashihara-hina.jugem.jp/

ドラマセクシー田中さん』について

2024.01.26 Friday14:31

ドラマセクシー田中さん」をご視聴いただいた皆様、

ありがとうございました。

色々と悩んだのですが、今回のドラマ化で、

私が9話、10話の脚本を書かざるを得ないと判断するに至った経緯や事情を、

きちんとお伝えした方が良いのではと思い至りました。

この文章を書くにあたって、私と小学館で改めて時系列にそって事実関係再確認し、

文章の内容も小学館確認して書いています

ただ、私達は、ドラマ放送が終了するまで、脚本家さんと一度もお会いすることは

ありませんでしたし、監督さんや演出の方などドラマ制作スタッフの皆様とも、

ドラマの内容について直接、お話させていただく機会はありませんでした。

ですから、この文章の内容は私達の側で起こった事実ということになります

セクシー田中さん」は一見奇抜なタイトルのふざけたラブコメ漫画に見えますが…。

自己肯定感の低さ故生きづらさを抱える人達に、優しく強く寄り添える様な作品にしたい

という思いが強くあり、ベリーダンスに纏わる方々の思いにも共鳴しながら、

担当編集と共に大切に描いてきた漫画です。

ドラマ化のお話いただき、当初の数話のプロット脚本をチェックさせていただきながら、

最終的に私が10月のドラマ化に同意させて頂いたのは6月上旬でした。

セクシー田中さん」は連載途中で未完の作品であり、また、漫画の結末を定めていない

作品であることと、当初の数話のプロット脚本をチェックさせていただいた結果として、

僭越ではありましたが、ドラマ化にあたって、

ドラマ化するなら「必ず漫画に忠実に」。

漫画に忠実でない場合はしっかりと加筆修正をさせていただく。

漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、

まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様「原作者があらすじからセリフまで」用意する。

原作者が用意したもの原則変更しないでいただきたいので、ドラマオリジナル部分については、

原作者が用意したものを、そのまま脚本化していただける方を想定していただく必要や、

場合によっては、原作者脚本執筆する可能性もある。

これらを条件とさせていただき小学館から日本テレビさんに伝えていただきました。

また、これらの条件は脚本家さんや監督さんなどドラマ制作スタッフの皆様に対して

大変失礼な条件だということは理解していましたので、

「この条件で本当に良いか」ということを小学館を通じて日本テレビさんに

何度も確認させていただいた後で、スタートしたのが今回のドラマ化です。

ところが、毎回、漫画を大きく改編したプロット脚本が提出されていました。

漫画で敢えてセオリーを外して描いた展開を、よくある王道の展開に変えられてしまう。

個性の強い各キャラクター特に朱里小西・進吾は原作から大きくかけ離れた

別人のようなキャラクターに変更される。

・「性被害未遂アフターピル男性の生きづらさ・小西と進吾の長い対話」等、

私が漫画セクシー田中さん」という作品の核として大切に描いたシーンは、

大幅にカットや削除され、まともに描かれておらず、その理由を伺っても、

納得のいくお返事はいただけない。

といったところが大きなところですが、他にも細かなところは沢山ありました。

「枠にハマったキャラクターに変えないでいただきたい。

私が描いた「セクシー田中さん」という作品個性を消されてしまうなら、

私はドラマ化を今からでもやめたいぐらいだ」と、何度も訴え、

どうして変更していただきたくないのかということも丁寧にご説明し、

粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1〜7話の脚本

完成にこぎつけましたが…。

脚本家さん、監督さんといったドラマ制作スタッフの皆様と、私達を繋ぐ窓口は

プロデューサーの方々のみでしたから、プロデューサーの方々が当初「ドラマ化の条件」として

小学館から日本テレビさんに伝えていただいた内容を、

どのように脚本家さんや監督さん、ドラマ制作スタッフの皆様に伝えていらっしゃったのか、

残念ですが私達には知る術はなく、

当初お伝えした「ドラマ化の条件」はどうなってしまったのだろう?という

疑問を常に抱えた状態での加筆修正の繰り返しとなって、

その頃には私も相当疲弊していました。

そして、私があらすじ、セリフを準備する終盤のドラマオリジナル展開は

8話〜10話となりましたが、ここでも当初の条件は守られず、

私が準備したものを大幅に改変した脚本が8話〜10話まとめて提出されました。

特に9話、10話の改変された脚本ベリーダンス表現も間違いが多く、

ベリーダンスの監修の方とも連携が取れていないことが手に取るように分かりましたので、

「当初の約束通り、とにかく一度原作者が用意したあらすじ、セリフ

そのまま脚本に落としていただきたい」

「足りない箇所、変更箇所、意見はもちろん伺うので、脚本として改変された形ではなく、

別途相談していただきたい」

といったことを、小学館から日本テレビさんへ申し入れをしていただきましたが、

その後も、大幅な改編がされたプロット脚本が提出され、

それを小学館サイドが「当初の約束通りに」と日本テレビさんにお戻しするという作業

数回繰り返されたと聞いています

最終的に、日本テレビチーフプロデューサーの方から「一度そのまま書くように」との

指示が出たとも伺っていましたが、状況は変わらぬまま約4週間が過ぎてしまいました。

ドラマ制作スケジュールリミットもどんどん迫っていましたので、

本当はドラマオリジナルとなる8話〜10話全ての脚本を拝見してオリジナル部分全体で、

加筆修正をさせていただきたかったのですが、8話だけ、

何とか改変前の内容に修正させて頂いて、日本テレビさんにお渡しすることになってしまいました。

9話、10話に関する小学館日本テレビさんのやりとりを伺い、

時間的にも限界を感じましたので、小学館を通じて9話、10話については、

当初の条件としてお伝えしていた通り、

原作者が用意したものをそのまま脚本化していただける方」に交代していただきたいと、

正式小学館を通じてお願いしました。

結果として、日本テレビさんから8話までの脚本執筆された方は

9話、10話の脚本には関わらないと伺ったうえで、

9話、10話の脚本は、プロデューサーの方々のご要望を取り入れつつ、私が書かせていただき

脚本として成立するよう日本テレビさんと専門家の方とで内容を整えていただく、

という解決策となりました。

何とか皆さんにご満足いただける9話、10話の脚本にしたかったのですが…。

素人の私が見よう見まねで書かせて頂いたので、私の力不足が露呈する形となり反省しきりです。

漫画セクシー田中さん」の原稿の〆切とも重なり、相当短い時間脚本

執筆しなければならない状況となり、推敲を重ねられなかったことも悔いてます

9話、10話の脚本にご不満をもたれた方もいらっしゃるかと思います

どのような判断ベストだったのか、今も正直正解が分からずにいますが、

改めて、心よりお詫び申し上げます

最後となりましたが、素敵なドラマ作品にして頂いた、素晴らしいキャストの皆さんや、

ドラマ制作スタッフの皆様と、「セクシー田中さん」の漫画ドラマを愛してくださった

読者と視聴者の皆様に深く感謝いたします。

2024.1.26

芦原妃名子

こちらのブログ10年も放置してしまったため、1日の訪問者数が既に一桁でして…

なので今回、X(旧Twitter新規アカウントを作って、同時にご報告させていただいてます

芦原妃名子

@ashihara_hina

お仕事---

テスト

2024.01.17 Wednesday20:16

テストです

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お知らせです

2014.12.06 Saturday01:20

ものすごいブログ放ったらかしっぷりを、、スミマセン、、。

実は今発売中の『cocohana1月号』予告にミスがありまして。

次号2月号カラー予告に私の名前が載ってますが、間違いです。

一色予告にはキチンと訂正されていますが、2月号・3月号の

Bread&Butter」はお休みです。

バタバタしていて間違えたまま載ってしまったみたいで、、

本当に申し訳ないです。

夏くらいから体調崩してばっかりなので、しっかりリセット出来ると良いなあ~。

あとは、ずっとお世話になってたcocohana担当さんが他誌に異動されて

cocohanaでの初めての担当替えがありました。さすがに寂しいなあ~。

色々有難うございました!

1

お仕事---

Bread&Butter;」2巻☆「芦原妃名子傑作集」1・2巻

2014.09.26 Friday12:35

3冊同時に発売中です~!!

Bread&Butter]2巻は、水色に近いエメラルドグリーンの表紙です。

可愛く仕上げて頂いて、とても嬉しい。

2巻は「フレンチトースト」「イースト菌」「プレッツエル」「パンサプライズ」ですよ~。

あと、「芦原妃名子傑作集・1・記憶」と「芦原妃名子傑作集・2・祈り」も同時発売です。

こちらは小学館から出てます

これ、一応私の20周年記念本なのですよ。なのでほぼ過去作で構成されてます。既刊コミックス未収録の新作は「乞う女」と「スゴロク」のみなので、どうぞお間違えの無い様、お気をつけくださいませ~。

途中お休みもしてるので、20周年といっても若干サバ読んでる気がしないでもないですが、、

一作一作コメントも書いてますので、興味のある方は手にとってみてくださいね

よろしくお願い致します。

1

お仕事---

ぷるぷる

2014.07.16 Wednesday02:13

編集さんに頂いたゼリーが超キレイきぷるぷる

原稿終わった~~! とりあえず、いっぱい遊ぶ!

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おやつ---

ビッグコミック オリジナル」15号

2014.07.06 Sunday00:36

ビッグコミック オリジナル」15号

7月19日(土)発売です!

「乞う女(こうひと)」ってタイトルの30P読みきりです。

どうぞよろしく~。

cocohana」8月号も発売中ですよ~☆

あと、9月末にコミックスが3冊同時に出ます

詳細はまた後ほど。

わりと仕事ばっかりしてます。遊びたい。

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お仕事---

ずいぶん。。

2014.06.08 Sunday04:44

ほったらかしてました。ごめんなさい、、、。

ずっと調子おかしかったPCを買い換えて、すさまじくメカオンチの私は

ますますチンプンカンプンです。脳みそ足りてなくって、嫌!

えーーっと、まず・・今発売中のCocohanaには、私のパン漫画は載っていないのですが、

私自身は特に休みを取っていたわけではなくって、小学館さんでの別の読み切りを描いておりました。

ベツコミでもプチコミでもフラワーズでもなくって、、、

なぜか、、なぜか、、「ビッグコミック オリジナル」に載りますよ!!

少女マンガ絵ど真ん中の、私の漫画が!なぜか!オリジナルに、、!!

昔、うちのお父ちゃんが読んでたよ、、。今も読んでるか知らないけど、黙っとこ。

なんでオリジナルに描くことになったかは、たいした理由もないんですけど、省略。

ちょっとした珍事件ですので、興味のある方は是非読んでみてくださいね

昼ドラ感満載の30P読みきりです。

パン漫画は、なるべく「業」とか「欲」とかを排除しながら描いてるのですけど

(出来るだけ「優しいモノ」を、、との注文を頂いてスタートした漫画なので)

こちらの読みきりは「業」「欲」オンリーです。

掲載号は、また後日お知らせしますねー。

Bread&Butter」は、6月28日発売Cocohana8月号より巻頭カラーで再開です!

あ、あと、「砂時計」1~3巻(デジタル版)が、6月18日まで無料で読めるみたいです。

未読の方は是非、この機会にご覧くださいませー。

少し前、小学館編集さんに、美味しいパンを沢山いただきました。

 

美味しい、、。へんしゅうさん皆やさしい、、悲しス。

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お仕事---

「Bread&Butter」☆第1巻

2014.03.22 Saturday05:07

「Bread&Butter」第1巻☆3月25日発売です!

宜しくお願い致しま

*しばらくこの記事トップに上げておきますね~。

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お仕事---

ダラス・バイヤーズクラブ

2014.03.09 Sunday17:09

悲しい出来事がありました。。

土曜の最終で「ダラス・バイヤーズクラブ」を観て、余韻冷めやらぬまま売店レジに行き

パンフレットください、、」とつぶやいたら不透明の袋に入ったパンフレットをお姉さんに手渡され

中身を確かめないまま自宅に帰って袋から取り出してみましたら。。

なんでやねーーーーん!(500円返して~~~!)

せっかくなので「マチューテ・キルズ」のパンフレット読みましたけども、

私が観たのは「ダラス・バイヤーズクラブ」です。ハイ

マシュー・マコノヒージャレッド・レトも凄かった。

描かれるのは、「生」に対するあまりに真っ直ぐな執着心。

「執着心」って、あまり聞き心地の良い言葉ではないけど、やっぱりもの凄いエネルギーを生むんですよね。

屈折してると痛々しく映るけど、ストレートな執着が爆発する様は、むしろ爽快。

主人公あくま自己中で自業自得貪欲で、だけど彼のエネルギーが周囲を巻き込んで救済し感謝され、そのこと自体に戸惑いながら少しづ他者との絆を得て行く描かれ方が、とても良かった。

堕落過去自分を全て否定して、綺麗に生まれ変わったわけではないんですよね。

差別する側だった人間が、差別される側に転げ落ちる様は、「第9地区」と被るな。

最近観た映画の中で、一番良かった。

パンフレット、、、。声が、小さかったのかな。

もっと腹の底から声を出して、強くたくましく生きようと思います

可愛い画像も貼っとこ

うちのお姉ちゃん家に子ニャンコがやって来ました!

小豆アズキちゃん」です。

かわいい

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本・映画---

1巻!

2014.02.02 Sunday01:25

オンリー・ゴッド」観てきました。

復讐モノ」だと思ってたけど、違ってた。「親殺し」が主軸。

ドライヴ」より私は好きでした。

母親より更に偉大な「神」が、新たな依存先に見えなくもないけれど。。

戦いを挑んでコテンパンにやられて裁かれて赦されて、救われたのかな?

「親殺し」はどうしてもパターン化してしまうけど、それほど普遍的テーマなのかもしれないです。

バイオレンス描写より、KARAOKEシーンのがインパクトでかかった。

人殺したら、腕一本。マイルールに則って無感情淡々と人を裁いていく様は、

神様」って言うよりも、「法」とか「規則」とか、そんな感じ。

人に勧めにくい。私は好きだけど。 <h3>o- **</h3>

今、コミックス作業をしていますー。

パンをチマチマいっぱい描きました。

原画はもう編集部に送っちゃったので、これはコピーですけど。

デザイナーさんが考えてくれたカバーデザインがとっても可愛いので、

仕上がりが楽しみです♪

Bread&Butterコミックス第1巻は、3月末発売予定です!

また、改めてお知らせしますね。

横浜トリエンナーレへの批判を読んで(前半)


文字数制限にかかるようなので、前後に分けて挙げます。)


前置き


第8回横浜トリエンナーレ野草:いま、ここで生きてる」がこの土日で終わります。私も見に行って、なかなか面白く思いました。ところが友人によると、SNSでは批判の声が多いそうですね。あまりそういうものは見ないようにしているのですが、友人がその場で例を見せてくれたので、ついいくつか読んでしまいました。そのとき感想は、ひとことで言うと「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということでした。そこで友人といろいろのことを話し合ったのですが、今はそれを思い出しながらこの文を書いています


今回の展覧会には魯迅の『野草』という短編集が深く関わっていますが、魯迅は「おおむね、折にふれてのささやか感想を述べたに過ぎない」と述懐しています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。魯迅感想短編集『野草』を生み、『野草』がこの展覧会を生み、この展覧会が人々の感想を生み、そしてその感想がこの感想を生みました。もしこの感想を読む人がまた新たな感想もつならば、それで満足です。


人は物事に触れて感想を持つものだと思いますSNS批判の中にも、「これは感想にすぎない」というような留保をつけるものがありました。感想自由にあるべきと思います。そして、感想を読んだ感想というもの自由にあるべきでしょう。今はくだんの批判を読み直さず、またあまり調べものもせずに書いていますが、不十分なところはどうぞ悪しからずご理解ください。これは「論」ではなく、「感想」のつもりです。


野草』と「文の国」


今回の展覧会の特徴は、「作品」と「意味」のバランスを探る点にありました。多くの作品は、ただ「見て楽しむ」ものではなく、「意味を考える」ことが求められるものでした。そのバランスキュレーターの側でうまく作れているか、そして鑑賞者がそれをどのように読み解くかがカギになっていたと思います


今回のテーマは「野草」というのですが、その裏には魯迅の『野草』という著作が密接しています。これは展覧会中にも幾度となく示されており、魯迅の『野草』の本も展示してありました。この本は「二十四篇の短文から成るものですが、「スタイルはまちまちであって、詩あり、散文あり、また即物的もの追憶的なもの観念的なもの象徴的なもの風刺的なものなどが入り混り、内容形式ともに多傾向」なものとなっています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。この本は意味があるようで意味がない、意味がないようで意味がある、詩のような文のような、芸術のような政治のような、一種独特雰囲気をもった作品集です。


これを読んでから展覧会を見渡すと、「キュレーターたちは横浜美術館を一冊の現代版『野草』にしようとしていたのではないか」ということに思い至ります


そう考えると少し納得できる点もあります。それは「文」への偏重です。友人は次のように話していました。「私は今まで、展覧会作品を見ればよいと思っていた。作品を見ずに解説ばかり読む人があれば、本末転倒だと考えていた。つまり言葉を軽視していたのだ。ところが、今回の展覧会では作品の多くに意味があり、その意味キュレーター解説を読んで初めてわかるようなものが多かった。入口にはタブレット文章が並べられ、その左側の階段の上には本を並べた一角もあった。さらには猟師へのインタビューがあったり、詩が作品として出ていたりと、言葉への重視が目立った。」


しかし、これは考えてみればさほど奇妙なことではありません。ふつう、広く「芸術」 (art) と言うときには「文学」を含みますし、「美術」 (fine art) というときでも「詩」を含むことがあります。「芸術」は「造形芸術」に限られたものではありません。もちろん、ただの書籍文章が「芸術」と言えるのかどうかは議論余地がありえますが、言葉芸術距離がそう遠いものでないことは確かです。


さらテーマの「野草」が魯迅の『野草』に由来するものであることを考えると、今回の展覧会の裏地には文学がぴったりと張り付いているような気がしてきますキュレーター中国出身であるということから、なんとなく心のなかに「文の国」という言葉が浮かんできました。三千年の歴史をもち、科挙試験にも詩が課され、書という芸術をいだき、詩文文字芸術でないなどと疑ったことのない文化の国のイメージとともに。


作品との対話


いっぽう、日本一般に「芸術」というとき、それは詩文を容れえないほど偏狭ものなのでしょうか? 批判の中には「文」への偏重に対する疑問もあったように思います。そのような人々にとっては、あたか展覧会からあなたの思う芸術とは何ですか?」という問いが投げかけられたような恰好になっているわけです。


では、「芸術アート)」とは何でしょう。批判する人たちの中には、自分にとって「美しくない」「面白くない」から芸術アート)ではない」と断じたい人もいるようです。でも、現代アートは「美」への問いかけを含むものではないでしょうか。デュシャンの「泉」などはまさにその代表だと思います。また、「芸術」における「言葉」といえば、シュルレアリスムと詩の関係だとか、20世紀初頭の芸術家たちがしちくどい宣言を次々と打ち出したりだとか、いろいろと思い当たることはあるはずです。そういうところに「美しいもの芸術なのか?」とか「言語表現芸術無関係か?」といった問題ゴロゴロと転がっているわけで、簡単に「これは芸術だ」「これは芸術じゃない」と判断できるはずはありません。その人たちの考える「芸術」は、どのくらいの狭さなのでしょうか。


鑑賞者は芸術に触れるとき、常に戸惑い、「作品の受容」ができない事態に直面する可能性をもっています。そのような時こそ、自分の中にある固定観念を見直す機会かもしれません。今回、批判したくなった人が多かったということは、それだけ作品からの「問い」を受けた人が多かったということでもあります。そうなると鑑賞者は、やっかいなことですが、自分の回答を練らなければならなくなります批判ひとつの回答ですし、その回答に満足せず、さらに新たな回答を考えてもよいわけです。陳腐な言い方ですが、「作品との対話」が必要展覧会であったと言えるのでしょう。


友人はまたこうも言っていました。「かつては『現代芸術抽象的すぎて何が描いてあるかわからない』という時代があり、その後に『現代芸術は難しくない、何も考えずに作品面白がろう』という時代が来て、それはひとむかし前まであった。でも、それが終焉すべきときに来たということかもしれない。今は言葉時代なのでしょう。考えずして何が現代芸術か、ということになっている。地味でつまらなかったといった批判もあるようだが、休日ちょっと芸術に触れてみよう、子ども芸術に触れさせてみよう、デート美術館に行ってみよう、特に『何も考えずにただ作品面白がろう』と期待した人にはつまらなかったかもしれない。」


しかに、昔からの(または昔ふうの考えをもった)現代芸術の鑑賞者の中には、「芸術とは面白がるもの」という考えから抜け出せず、新しい潮流に戸惑う人がいるかもしれません。「金を払って楽しみに来た」という手合いには、気の毒だったと言えるでしょう。しかも来訪者への間口は大きく広げられていたので、そのようなミスマッチを生むしかけは念入りに準備されていたともいえます。今回は横浜美術館改装後の久々の展覧会であり、規模も大きく、宣伝もあって、多くの人を誘い込む要素がありました。そのような場で横浜美術館は「人を面白がらせる」展示をすることもできたはずです。しかし、実際には「人を戸惑わせる」展示を行いました。だからがっかりした人も多かったのでしょう。


私も「キラキラ」な楽しい芸術が好きです。だからそういうものが多いと嬉しいし、その逆ならばがっかりします。しかし、美術館の目的には「レクリエーション」もありますが、決して「レクリエーション」だけを目的とした施設ではありません。今回、美術館はこのような大規模の展覧会で、作品との「出会い」と作品からの「問いかけ」を提供し、人々を「戸惑わせ」てくれました。その意味で、美術館はよくやったと思うのです。「キラキラ」な楽しい回があってもよいし、「地味」な考える回があってもよい。美術展はそういうものだと思います


過去トリエンナーレ


ここで、ちょっと過去トリエンナーレを振り返りたいと思います


私が初めてヨコハマトリエンナーレに訪れたのは2011年の第4回「OUR MAGIC HOUR ――世界はどこまで知ることができるか?――」でした。この年は東日本大震災の年で、印象としてはとにかくキラキラと輝くような回であったということです。震災後の混乱をアートがどう扱うか、芸術家の間でもまだ折り合いがつかずに、ただ思いつく限りのことをやってみたといった印象で、宝箱の中の宝石をぶちまけて転がしてあるような、たいへん魅力のある回でした。私にとってこの回は「よい」の標準になっています


2014年の第5回「華氏451芸術世界の中心には忘却の海がある」もたいへん期待したのですが、この回は言ってみれば「地味」な印象で、まだ青かった私は「ハズレ」だと感じました。しかし、友人はこの回も面白かったと言っています。この回は「忘却」がテーマで、戦争中に作家芸術家がいか体制側に立ってはたらき、戦後その責任もとらず、反省もせずに「忘却」したかということを、当時かれらが執筆した文章を並べて示していました。このころには震災後の政権交代脱原発などの流れの中で、世の中を動かすのは「政治であるという意識が出てきていたためかもしれません。


2017年の第6回「島と星座ガラパゴス」は、博物館の表に救命ボートがびっしりと張り付けられていました。「ネトウヨ」に関する展示もひとつふたつあったことを覚えていますが、これもきわめて「政治的」でした。長期化する安倍政権さなかにあって、政治右傾化懸念されていたことも影響していたのでしょうか。(「政治性」の話は、後で少し触れたいと思います。)


2020年の第7回「AFTERGLOW――光の破片をつかまえる」は久々の「当たり年」でした。2011年に次ぐキラキラの再来です。入口から光り輝くカラスよけのCDのような装飾、メビウスの輪のような形をした光り輝く金属の骨組み、巨大な腸を模した造形、赤いカーペットをひいたでこぼこの「道」映像作品「遅れてきた弟子」、そのほかここでは言い尽くせないもろもろの楽しい展示の連続


きっと第7回が初めてのヨコトリ体験であった方々は、2011年の私が次回に期待したように、第8回にも「キラキラ」を期待したかもしれません。しかし、べつに横浜トリエンナーレは「キラキラ展」ではないので、地味な回もあるのです。その意味で言えば今回はやや地味だったかもしれません。しかし「地味」には「地味」なりの「味」があるものです。今回はその意味で「ふつう」と「よい」の間くらいと感じました。決して「悪い」ではなかったと思います


いわゆる「政治性」


今回の展覧会が悪かったという人の中には、展示が「政治的」だという人もいたようです。もちろん、芸術政治であることの何が問題なのかとか、政治生活と密接なものである以上は程度の差こそあれ政治的でないものなどありうるのかといった疑問も出てきますが、今回の展覧会を見て私が感じたのは、むしろいわゆる「政治性」の薄い部分があることでした。キュレーター中国出身の方ということなので、もしや特に日本のために配慮(手加減)したのではないかという疑いさえ感じました。


しかに、今回の展覧会ではヨーロッパ戦争に関連する展示や国粋主義者移民反対デモ映像が展示されていました。それがひとっところに固めてあるのではなく散らばしてあったのは、この会場をひとつ世界見立てて、このような出来事遍在していることを忘れてはいけないと示したようにも見えます


そのデモ映像ひとつを見ているときでしたが、後ろを通りかかった人が「ヨーロッパ、壊れてんな」とつぶやきました。まことに然り! だがそれを言えば日本だって「壊れて」いるのです。日本でも人種差別デモが行われていますヘイトクライム危険もあります。「人種差別」がわたくしたちの身近にあることは、ネットを少し覗いてみればすぐわかることです。


思い返せば2014年2017年はかなり「政治的」な展示があったと思いますしかし今回、キュレーター日本問題ひとつも指摘しませんでした。日本美術展が国粋主義的主張をもった人々の抗議で中止に追い込まれ事件もそう遠い昔のことではありません。日本美術表現自由にできない国です。キュレーターたちは日本に気をつかってくれたのでしょうか? それとも日本で波風を立てて攻撃されることを恐れたのでしょうか? それとも今の世界を広く見たときもっとも新しくもっとも重い問題にしぼってとりあげようと考えたのでしょうか? それは知るよしもありません。もっと自由表現への危機は(またすこし違った形で)キュレーターたちの出身である中国にもあることでしょう。展覧会中に示されたように、ヨーロッパ安全ではありません。世界じゅうで似た現状があります


しかし、日本が名指しで批判されなかったからと言って、日本が許されたわけではもちろんなく、これらの作品なかに普遍性見出し、これを「鏡」として日本の現状を見ることが求められているのだと思います。それらの作品が見るに堪えない現状を示しているとき、それに怒っても意味がないでしょう。それは鏡をヒョイと覗き込んでみて、「ああ醜い! 私の美学に反する。美はいったいどこにある?」と怒るようなものです。


ところで、批判者の中には展覧会のこのような政治的な「傾倒」や「変質」がここ10年や20年の変化だと振り返る人もいますが、私には展覧会なかにその説明があったように思われます。今回の展覧会は、これも魯迅の『野草』をテーマとしているためかもしれませんが、歴史を強調するものが多くあり、あるところでは史料紹介の様相すら呈していました。木版画をめぐる日中交流史の展示では、魯迅木版画という簡易で複製可能芸術を通じて、民衆文化を届けようとしていたことが紹介されていました。これは「芸術」が一部の特権階級のものではなく、民衆のためのものであるべきではないのかという問題を、当時から現代に向けて投げかけなおした一面もあると言えるでしょう。また、皇国史観へのアンチテーゼとしての縄文土器や、学生紛争撮影した写真が展示されていたのは、芸術政治問題が降って湧いたものではなく、日本でも半世紀以上にわたって連綿と続いている問題であることを示していたと思います


(後編へ続きます。)

https://anond.hatelabo.jp/20240608093350


プライバシーを守る生活

毎朝6時に起きる私は、まずベッドサイドに置いたLibrem 5スマートフォンに手を伸ばします。ハードウェアキルスイッチカメラマイクオフにしているため、寝ている間も安心して眠ることができます

目覚めの後、簡単ストレッチをしながら、Signalで昨晩のメッセージ確認します。フリーランスソフトウェアエンジニアとして働く私にとって、世界中クライアントとの連絡は欠かせません。

朝食を済ませると、私はLibrem 14のノートパソコンを起動します。このパソコンには、プライバシー保護に特化したPureOSインストールされています

私はまず、ProtonVPNを起動してインターネット接続し、セキュアな環境を確保します。Torブラウザーを開き、プライバシー関連の最新ニュースをチェックするのが日課です。

次に、メール確認し、必要タスクを整理します。仕事の依頼やクライアントから質問対応する際、私はエンドツーエンド暗号化が施されたメールサービス使用します。

午前中は、オープンソースプロジェクトへの貢献に時間を割きます。私はGitHubプロジェクトフォークし、コード改善バグ修正を行います

仕事中、私はプライバシーを確保するために、全ての通信暗号化し、GoogleMicrosoftサービスを一切使用しません。

必要ツールソフトウェアは、全てオープンソースであり、信頼性の高いものを厳選しています

昼食の時間になると、私は外出して近くの公園サイクリングを楽しみます自転車に乗ることで、リフレッシュし、健康を維持することができます

公園では、持ち運びが簡単Raspberry Piを使って、モバイルホットスポット作成し、安全インターネット接続を維持します。これにより、外出先でも安心してインターネットを利用できます

午後は、クライアントプロジェクトに集中します。私はクライアント要求に応じてソフトウェアを開発し、そのコード安全方法で納品します。

私はまた、プライバシーに関する技術記事執筆し、自身ブログ投稿します。これにより、自身知識を共有し、他の人々にもプライバシー重要性を理解してもらうことを目指しています

夕方になると、私は写真撮影を楽しみますカメラ風景や街の様子を撮影し、それをプライベートクラウドストレージに保存します。

このクラウドストレージは、自分管理しているため、第三者データアクセスすることはありません。撮影が終わると、家に帰り、自分写真編集してブログ投稿します。

夜になると、一日の終わりにデバイスセキュリティチェックを行います。最新のセキュリティパッチが適用されているか確認し、必要に応じてシステム更新します。

また、バックアップ作成し、重要データ複数安全場所に保存します。最後に、Tails OSを使ってセキュアにブラウジングし、リラックスして一日の疲れを癒します

2024-06-05

幾何学ラングランズ、ホバノフホモロジー、弦理論

エドワードウィッテンは、幾何学的なラングランズ・プログラムの一部とアイデアとの関係について「電気磁気の二重性と幾何学的なラングランズ・プログラム」を執筆した。

ラングランズ プログラムに関する背景: 1967 年、ロバート ラングランズは、当時同研究所教授だったアンドレ ヴェイユ17ページの手書き手紙を書き、その中で大統一理論提案した。それは、数論、代数幾何学、保型形式理論における一見無関係概念を関連付ける。読みやすくするためにヴェイユ要望作成されたこ手紙タイプされたコピーは、1960 年代後半から 1970 年代にかけて数学者の間で広く流通し、数学者たちは 40 年以上にわたりラングランズ プログラムとして総称されるその予想に取り組んできた。

理論ゲージ理論双対性の背景を持つ物理学者は、カプースチンとの幾何学ラングランズに関する論文理解できるが、ほとんどの物理学者にとって、このトピックは詳細すぎて興味をそそるものではない。

一方で、数学者にとっては興味深いテーマだが、場の量子論や弦理論の背景には馴染みのない部分が多すぎるため、理解するのは困難(厳密に定式化するのは困難)。

短期的にどのような進歩があれば、数学者にとって幾何学的なラングランズのゲージ理論解釈が利用できるようになるのかを見極めるのは、実際には非常に難しい。

ゲージ理論とホバノフホモロジー数学者によって認識され評価されるのを見られるだろうか。

数論者が好むものの多くは物理学に登場している。

理論研究者として取り組んでいる物理理論が数論として興味深いものであることを示す多くのことがわかっている。

ここ数年、4 次元の超対称ゲージ理論とその親戚である 6 次元に取り組んでいる物理学者は、臨界レベルでの共形場理論役割に関わるいくつかの発見を行っているため、この点を解決する時期が来たのかもしれない。

過去20年間、数学物理学相互作用は非常に豊かであり続けただけでなく、その多様性が発展したが、私は恥ずかしいことにほとんど理解できていない。

これは今後も続くだろう、それが続く理由は場の量子論と弦理論がどういうわけか豊かな数学秘密を持っているからだ。

これらの秘密の一部が表面化すると、物理学者にとってはしばしば驚きとなることがよくある。

なぜなら、超弦理論物理学として正しく理解していないから。つまり、その背後にある核となる考え方を理解していない。

数学者は場の量子論を完全に理解することができていないため、そこから得られる事柄は驚くべきものである

したがって、生み出される物理学数学アイデアは長い間驚くべきものになるだろう。

1990 年代に、さまざまな弦理論が非摂動双対性によって統合されており、弦理論ある意味本質的量子力学的なものであることが明らかになり、より広い視野を得ることができた。

しかし、その根底にある原理が明確になっていない主題について、さまざまな側面を数学者物理学者研究である

今日若者にはさらに大きな発見のチャンスがある。

2024-06-04

芦原妃名子先生悲劇を避けるためにできた簡単ひとつのこと。

まず結論を書いておく。


電話で社外の人と合意を取り付けたら、合意内容を、関係者ccに入れて相手メールしろ

言いたいのは、それだけだ。(当然だと思った人もいるだろう)

以下、具体的な状況を見ていく。



ドラマセクシー田中さん」の製作過程問題が生じた大きな原因が、原作者が求めた条件「(ドラマオリジナルとなる終盤では)原作者があらすじからセリフまで用意する」「用意したもの原則変更しない」「場合によっては、原作者脚本執筆する可能性もある」が十分に履行されなかったこなのは、衆目の一致するところだろう。

日テレ報告書では、この条件について、「許諾の条件として伝えられていたとの事実確認できなかった」としている。つまり「言った言わない」論争が発生している。

この"条件"を主導したのが、小学館社員B氏である(小学館報告書での呼称。以下同じ)。B氏は、映像化関連の部署所属している。この部署が長いのか、日テレX氏(担当者Y氏の上司)とも8年程度の面識があった。

まず、そもそも、この条件を原作者提案したのがB氏である

そこで4月25日社員Bは、小学館社内で芦原氏に面談し、ドラマオリジナル部分についてはできるだけセリフを多く入れたロングプロットを書いてそれを脚本家に脚本化してもらうこと、それでもうまく脚本にできない場合はご自分で書く場合もあるが良いかと尋ね、その覚悟があることを確認した。社員Bが、できるだけキャラクターセリフを多めに書くことで、脚本家が芦原氏のつくるキャラクターセリフを替えることができなくなると説明したところ、同氏はすぐに理解した。



そして、B氏は、日テレX氏にこれを伝える。

社員Bは(6月)9日、日本テレビ社員X氏に電話で改めて、ドラマオリジナル部分は芦原氏が詳細プロットを書き、これを受けて脚本家が起こした脚本を了承しない場合脚本を自ら書く方法提案し、脚本家に失礼にならないよう了承を取ることを求めた。

これに対して日本テレビ社員 X 氏は、芦原氏に書いてもらうことはありがたいと賛同し、脚本家にもうまく話しておくと回答した。

なお日本テレビ社員 X 氏は、「もし脚本が芦原先生意図を十分汲まず、芦原先生の承諾を得られないときは、芦原先生脚本も書いてもらうこともある」と言われた記憶はないと否定している



おそらく、日テレ側は「脚本」「詳細プロット」という言葉を、提供されるフォーマットについての言葉として理解しており、原作者やB氏の意図する「原則変更しない」という意図では捉えていない。

実際、この後の日テレ担当Y氏のメールでは「具体的に頂けるほうが良いと思います」と言っており、「詳細プロット脚本=具体的な表現方法での提示」として捉えている。さらに続けて、「こちからもそのご提案を受けて、案だしもさせて頂ければと思います」と「原則変更しない」を認識していない発言を続けている。

(なお、このメールを受けた小学館担当者A氏も、「案だし」を咎めず、また、自分メールでも「脚本もしくは詳細プロット体裁提案」とフォーマットとして書いているので、同じ捉え方をしていた可能性がある)

ここから伺えるのは、小学館B氏が日テレX氏に電話で伝えた意図日テレ側に正しく伝わらなかったこと(もしかすると、小学館A氏にも伝わっていない)。

そして、その連絡が、2人の電話しかないため、2人の記憶違いが生じたら、どうしようもなくなることである

もし、B氏が電話合意した(と認識していた)内容を、A氏をCCに入れて日テレ側にメールしていれば、「原則変更しない」という点についての双方の認識齟齬もっと早く気づけ、悲劇は防げたのではないだろうか。

…というのが、報告書を読んだ私の捉え方である

もちろん、他にも多くの問題点はあったし、日テレ側にも問題もあった。しかし、一番の問題点として感じたのは、肝心の所で、「言った言わない」が生じていることであり、その原因となったのはB氏の仕事の仕方である

なお、社員Bが電話ですべてを終わらせていた問題については、小学館報告書にも書かれている。

しかし、同報告書は「日本テレビ側が原作者意向を代弁した小学館の依頼を素直に受け入れなかったことが第一問題」と主張するために書かれており、小学館側のコミュニケーション問題とはしていないことから論点をずらしている。

社員Bは大抵、日本テレビ社員X氏と電話交渉したようであり、文章になった資料の提出はなかった。本委員会において認定根拠としえたのは、社員AへのLINEメッセージである日本テレビ社員 X 氏との電話交渉についてもより詳細な記録があれば事実経過の理解に役立ったと思われる。また、膨大な業務をこなしながら、日常行うのは大変かもしれない。 しか交渉過程の記録はビジネスの鉄則である。記録がなければ、万一担当者事故があればその成果は継承されない恐れがある。

多くの会社では、日報・日誌等で経過を報告し、上司・同僚と共有するのが普通である。そこから問題点の指摘を受けることもある。




しかし、小学館社員A氏(芦原氏の担当編集者)の立場からすると、他部門管理職(と思われる)B氏が、頭越しに漫画家に進め方を提案し、テレビ局とも勝手交渉し、口頭でしか共有してくれない…なんて、たまったもんじゃないよな…。

小学館側の報告書なんかおかしくないか

セクシー田中さんの両社の報告書を流し読みしたが、日テレ側に書いてあった故・芦原先生に関する行動や心境の記述が、小学館側では何故か触れられていない。

具体的には以下。

7 話のプロットラリー中の同月 16 日に、本件原作者から A 氏に対し、ベリーダンスのショー観覧の誘いがあり、本件原作者、C 氏、A 氏、F 氏が同席した。本件原作者と A 氏はここで初めて会ったものである

日テレ報告書22Pより。C氏は小学館側、A,F氏は日テレ側)

本件原作者は本件脚本家の 1 回目の投稿があった直後の 2023 年 12 月 25 日に関係者食事をした。食事の際、本件原作者は以下の内容を関係者に話した。

・ A 氏は最初から本件ドラマについて改変ありきで進めていたのではないか疑問に思う。

・ 1 話から 8 話までは自分が大変な思いをして修正したものであるのに本件脚本家の手柄にされており、自分脚本として作った 9,10 話が駄作と言われているのが許せない。

(中略)

関係者は、本件原作者他とグループ LINE をしていたが、本件原作者投稿後、本件原作者から「こんな騒ぎにしてしまって申し訳ありません」というメッセージが来た。

関係者が「謝ることはないですよ、言いたいことがやっと言えてよかったですね」というメッセ―ジを送ったところ、本件原作者は「ありがとうございます。」とメッセージを残した。

その後、本件原作者グループ LINEメッセージを全て消した

日テレ報告書43~44P)

これらは先生心理を紐解くヒントになる重要出来事であるにもかかわらず、日テレ側では調査できているのに小学館側が載せていないこと自体が、何らかの意図があると感じる。

先生から制作サイドへのベリーダンスへのお誘いは、先生からの唯一の歩み寄りだったはず。同行した小学館関係者は、この時の先生心理説明できるはずでは?

また小学館側は1~8話の制作過程は詳細に記載しているが、9話、10話に関しては、先生執筆することに決定後、それに関する記述ほとんど無くなる(クレジット問題を除き)

原作者が書いたからそこには何も問題が生じていなかったというスタンスだろうか。上記関係者の内容やブログを見る限り、執筆した為に生じた苦悩があったことは明白であると思う。


全体的に、小学館側は芦原先生代理人代弁者という立場仕事をしていた自覚がないようにみえ文書になっている。

芦原先生強硬姿勢になる原因を作ったのは日テレ側の制作プロセス問題だが、原作者日テレ側が直接やり取りしない体制合意した以上、それを制御できる立場にあったのはパイプ役の日テレ側の窓口・編集者だけだった。

にもかかわらず、強硬姿勢になるまでの間に小学館側が何らかの具体的なアクションを取ったり、先生の苦悩を慮る配慮をしていた様子が見られない。または報告書の中からカットされている。

日テレ側が負担問題押し付けてた結果生じた事件であるということを強調したいが為か、恣意的な、ドキュメンタリー感ある報告書になっているように感じる。



あとついでに。

(2) クレジットについて

本件ドラマの第 9 話、第 10 話の脚本を書いたのは芦原氏であり、その著作者は芦原氏であるから、芦原氏が単独クレジット表記を求めることはおかしなことではない。

小学館報告書68P)

この主張はヤバくないか

関わっていないと断定して外部の人間クレジットは外せという要求は、明らかに著作権範囲を超えた越権的行為だ。

スペシャルサンクスに書かれてる人間全員何もしてないだろ!消せ!とか言ってる人間いたら、どの立場でも顰蹙買うだろう。

(補足:前提として、制作サイドが提案したクレジット案を原作サイドが全て拒絶して9話に脚本家はどの役職でもクレジットされなかった。10話はオールクレジットという手段で認可された。小学館側はこれを妥当とする主張)


 ・クレジットとは本来敬意を示す箇所であり、直接携わっていなくても表記するケースは慣例として幾らでもある

 ・脚本家は9話は第5稿、10話は第4稿まで提出していて、その中のアイディアが決定稿に使われていると主張している

 ・日テレ側は脚本家が9話と10話に関わったことを認めていて、脚本家名前クレジットするつもりだった

 ・氏名公表権の観点から、(利害を人質に)他者クレジットを消させる行為は、違法である可能性がある


これらのことを考慮せずに、制作側ではなく、取引先でしかない小学館が、一方的判断してクレジットに口を挟むことを是とすることが強い違和感がある。

小学館クリエイターファースト精神であるのであれば、クリエイター尊厳を軽視するようなことを主張すべきではないだろう。

6月10日まで

3月29日時点で条件が示されていればドラマ化はなかった――これは日テレ調査によって明らかになったドラマ制作サイドの考えだ。ドラマ制作した日テレは3月29日のウェブ会議において原作利用許諾を得られ制作スタートしたと考えている。原作サイドの小学館は6月10日のメールで初めて契約が締結したと認識している。すれ違いだ。

すれ違いが多数重なったことで悲惨な結果になった本件だが、6月10日までに実際に何があったかに焦点を当てて考察する。どちらの調査報告書でも解釈の都合に合わせて省略が施されていて、突き合わせてみないと実態がわかりにくい。原作先生ブログで示した「何度も確認した条件」は、果たしてどのようなものだったのか。どう確認されたのか。日テレは何を約束し、あるいは約束したと思い込んだのか。

なおこの考察では、日テレ調査報告書小学館調査報告書にもウソは書かれてないと仮定する。この後に及んですぐバレるウソをつくのはリスクしかないし、外部の弁護士実名で名を連ねているからだ。

日テレ言動このスタイル表記

小学館言動このスタイル表記する

引用元を(日p12)(小p34)のようにページ数を付記して示す。

(日) https://www.ntv.co.jp/info/pressrelease/pdf/20240531-2.pdf

(小) https://doc.shogakukan.co.jp/20240603a.pdf

なお文脈を補うために適宜カッコ書きで(このように)追記する。

3月9日 会議

ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ小学館側は)芦原氏が自分作品を大切にする方であり、作品世界観を守るために細かな指示をする所謂「難しい作家であるから原作に忠実で原作大事にする脚本家でないと難しいと伝えた。(小p13)

3月29日 オンライン会議

ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ他社に当面ドラマ化の意向がないことを確認し、会議で報告した。(小p13)

ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ他局からドラマ化の話を断ったことが説明され(日p10

ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ日テレから原作者とどういう形で進めていくのがよいか、の質問に対して)「できあがったプロット脚本を見ながら進めていきましょう」

日テレ側は)本件原作者の意見無視するような改変はしない、リスペクトをもって取り組むという趣旨の話をした(日p10

日テレはこのときドラマ企画についての許諾がなされたと認識したらしい。

日テレ報告書には、この時点までの二度の打ち合わせではブログにあったような条件は文書でも口頭でも提示されてなかったと注記している。小学館担当者は「漫画原作としてドラマ化する以上、『原作漫画ドラマは全く別物なので、自由に好き勝手にやってください』旨言われない限り、原作漫画に忠実にドラマ化することは当然という認識である」と回答した。

4月には日テレから脚本家候補者提案があり、その中に揉めた脚本家も含まれていた。

ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ電話問題ない旨の返事(日p11)

脚本家が書いてきたプロット原作先生修正を加えたりした。4月中に日テレから脚本家が決定したと通知された

4月24日

ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟマストではないので、ご提案があれば随時お聞きしたい」(と添えて原作者の意見を伝えた)(小p16)

4月25日 企画決定会議

ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ未完部分はドラマオリジナルのエンドでよい(日p9)

日テレ調査によると、この発言は「未完部分は原作に影響を与えないよう、原作者が提案するものベースにしたドラマオリジナルエンドで良いという趣旨で言った」とのこと。

5月には双方でプロット脚本修正応酬が続く。

5月19日

ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ原作者としてエピソードの順番の入れ替えをしないよう脚本家に求めた。...送信メールに「 『セクシー田中さん』はキャラクター漫画だと思っています。それ故キャラクターを好きになってもらうために、各エピソードが綿密に構成されているので、やむを得ない場合以外はできるだけ、原作の流れを崩さないで頂けたら…と思っています」と記載し、編集者立場から希望を述べた。(小p17)

電話ドラマ化にあたってはやむを得ない部分はあるということを説明了承を得た。(日p16)

6月6日

日本テレビ社内で 10 月期クールの日曜ドラマ化で決定になりそうだとして契約締結の段取りについて相談したいとの連絡(小p19)

ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ日本テレビ社内で正式決定されたら...連絡するように求めた(小p19)

6月8日

日テレ内で『10ドラマ枠』で正式決定いたしました。」とメール(日p17)

小学館社員に対し)契約の話を進めるように要請した。(小p19)

日テレ調査報告書によると、事前にドラマ自体放送枠は決まっていたが、初回放送日がこのタイミングで決まった、としている。

6月9日

ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ電話で改めて、ドラマオリジナル部分は芦原氏が詳細プロットを書き、これを受けて脚本家が起こした脚本を了承しない場合脚本を自ら書く方法提案し、脚本家に失礼にならないよう了承を取ることを求めた。(小p21)

芦原氏に書いてもらうことはありがたいと賛同し、脚本家にもうまく話しておくと回答した(小p21)

日テレレポートでは小学館担当者

ドラマオリジナル部分は原作にない部分を描くため、本件原作者にとって非常にセンシティであること、本件原作者の過去ドラマ化の経験から本件原作から提案したほうが良いであろうこと、提案形態は、プロット若しくはロングプロット(なるべくセリフを多めに書く)とし、本件原作者が作成して本件脚本家が読み込んだ上で、本件原作者の意図を最大限汲んだ形で巧妙に脚本化できればベストであること、ただし、脚本化の過程で本件原作者の了承がどうしても得られない場合は、本件原作者自ら脚本執筆する可能性があること、これを実施すると、専業の脚本家の方に大変失礼であるので、予め了承を取っておいてほしいことを述べ日テレ社員了承を得た、とのこと(日p18)、しか日テレ社員は、

「もし脚本が芦原先生意図を十分汲まず、芦原先生の承諾を得られないときは、芦原先生脚本も書いてもらうこともある」と言われた記憶はないと否定しているが、詳細プロットを書く話を聞き、感謝したことは認めている。(小p21)

原作者自ら脚本執筆する可能性があること、これを実施すると、専業の脚本家の方に大変失礼であるので、予め了承を取っておいてほしいことは、この時点では言われた記憶はない(日p18)

小学館レポートでは日テレ社員は「明確な条件としてはお伝えいただいておりません」とも回答し、話があったことを否定してはいない、と強調している。

6月10日

契約書の件承知しました。(日テレ社員)より(小学館社員から契約にあたっての 9、10 話のロングプロットの話など聞きまして、こちらとしては合意契約すすめたいというのは(日テレ社員)に戻させていただきました」(小p22)

ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ脚本家の方との向き合いもあると思いますので、なかなか心苦しいのですが」との懸念を示しつつ「その先のドラマオリジナル展開に関しては、芦原先生の方から脚本もしくは詳細プロット体裁でご提案させて頂けませんでしょうか」と、提案(小p22)

ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ「許諾の条件という程ではありませんが、はっきりとした要望としてご検討頂けますと幸いです」(日p19)

小学館レポートは「交渉への配慮として許諾条件という程ではないとしながらも」と注記している。

「結果進めさせて頂くとのことで承知しました。9話あたりからドラマオリジナル展開に関して芦原先生の方から脚本もしくは詳細プロット体裁でご提案して頂く点も承知しました。芦原先生原作世界観もあると思いますので具体的に頂けるほうが良いと思います。(小p22)

こちからもそのご提案を受けて、案だしもさせて頂ければと思いますが、その方向で進めさせてください。」(日p19)

ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ具体的な進め方は...(別の社員)と相談するように求め、原作利用契約小学館から連絡するとのメールを送った(小p22)

進め方の相談電話を...(その小学館社員)にするとメールした。

そして...同日...(その社員)に電話した。(小p22)

日テレ側の聞き取りによると、日テレ社員は「脚本は本件脚本家が書くものだと思っていたため、…メールにある『脚本』という点が引っ掛かった。そこで、」

詳細プロットで提出してほしい旨確認した。(日p19)

ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ9、10 話に関しては、原作者にプロットを書いて頂く方向で進められたらと思う旨メールにて回答した。(日p19)

小学館調査報告書によると小学館担当者は「この提案は、プロットを忠実に脚本に起こしてもらえるならば、という前提での提案であり、この時点で芦原氏の脚本執筆を条件から外した事実はない。」とのこと(小p22)。日テレ調査にも同様の回答をしている。

なお日テレレポートでは、この日に至るまでに

テレビドラマとして本件原作者のプロット通用するかどうかは実際にみてからでないとわからない」旨回答し、本件脚本家執筆したものラリーをさせてほしいという旨伝えた(日p18)

さらに、「この時点で本件原作者の了承がどうしても得られない場合は、本件原作者自ら脚本執筆する可能性があることについて本件脚本家に了承を取っておいてほしいことは言われたことはない」(日p18)としている。

ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟドラマオリジナル部分については本件原作からロングプロット提案をしたい旨連絡があった(日p18)

それで良い旨... 回答し、...(小学館担当者に)伝えた(日p18)

考察

突き合わせてみて最初に思ったのは、 電話は滅べ です。

高々数MBをケチってログの残らない媒体コミュニケーションを取るのはリスクしかない。6月9日に何が起こったかについて双方の意見は真っ向から食い違ってる。お互いがああも自分意見を主張できるのは、相手方に記録が残ってないという確信があるからだと思う。彼らの読みは正しくて、だから結局どちらが正しいのかはわからない。真実は闇の中。ログの残らない電話から

ドラマ化するなら「必ず漫画に忠実に」。漫画に忠実でない場合はしっかりと加筆修正をさせていただく。

漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様「原作者があらすじからセリフまで」用意する。

原作者が用意したもの原作変更しないでいただきたいので、ドラマオリジナル部分については、原作者が用意したものを、そのまま脚本化していただける方を想定していただく必要や、場合によっては、原作者が脚本執筆する可能性もある。

これらを条件とさせていただき小学館から日本テレビさんに伝えていただきました。

...「この条件で本当に良いか」ということを小学館を通じて日本テレビさんに何度も確認させていただいた後で、スタートしたのが今回のドラマ化です。

原作者のブログ記事より。アドレスはここだった http://ashihara-hina.jugem.jp/?eid=244

わたし社会経験豊富とは言えないけれど、小学館お墨付きブログの「本当にこの条件で良いかと何度も確認させた」というのは誇張した表現しか思えない。少なくとも6月10日まで、原作者サイドはいろんな状況で何度も原作に従うように打診してきた。だけど「改めて」原作脚本を書く了承を求めた6月8日以前にそれを求めた証拠を、わたし小学館レポートからさえも読み取ることはできなかった。そして「許諾の条件というほどではありませんが」… これが交渉配慮から出てきた言い方なのは分かるが、「許諾の条件ではない」とワザワザ明記した要望が「許諾の条件だ」なんて認められない。これこれが条件だ、さもなければドラマ化は無しで、と言葉は強いかもしれないがビジネスの場では明確に迫るべきだと思う。

日テレ社員は6月10日のメールで「脚本もしくは詳細プロット体裁でご提案して頂く点も承知しました」と一旦は納得してる。これは双方のレポートで食い違いがない。だけどその後に、「待てよ」と思い直して「(脚本ではなく)プロットで」と確認して小学館社員方針に納得したらしい。しか小学館社員は方向転換しない等とは言ってない。前提が覆れば現在方針を改めるつもりでいた。このような『現在方針確認』は『契約の条件』というには曖昧に過ぎると思う。日テレ視点では脚本の話はそのメールでイキナリ飛び出てきた文言だったのかもしれない。だけど誤って受け入れた原作脚本可能性を否定したいなら、「原作者が脚本を書く可能性は無しでお願いします」とハッキリ言わなければならなかったと思う。

2024-06-02

ジャック・シャーとは

ジャック・シャー(John Jacob Sher、1913年3月16日 - 1988年8月23日)は、アメリカ新聞コラムニストソングライター映画監督映画脚本家プロデューサー

経歴

ミネアポリスまれのシャーは、『サタデー・イブニングポスト』、『エスクァイア』、『レッドブック』、『ラジオミラー』、『リーダーズ・ダイジェスト』、『コリアーズ』などの雑誌寄稿

また、ニューヨークリポーター誌のコラムニストも務め、1937年から1940年までは、デトロイトフリープレスが発行する全国シンジケーションの日曜増刊誌『スクリーンラジオウィークリー』にも寄稿していた。

1959年の『The Wild and the Innocent(邦題ワイルド・アンド・ザ・イノセント)』を含め、シャーはオーディ・マーフィーのために数多くの映画執筆し、監督も務めた。

1979年テレビ用にリメイクされた『The Kid from Left Field』では、このシリーズで主演を務めたゲイリーコールマン(1968-2010)がNAACPイメージ賞の最優秀子供向け特別エピソード賞を受賞した。

1971-1972年にシャーが手がけたテレビ劇『Goodbye, Raggedy Ann』は、エミー賞ドラマ部門脚本賞ノミネートされた。

視点セックス

ビリーアイリッシュに励まされて書く。女同士だってそんな話できる相手なぞいないのだ。

セックスでイケない。セルフならクリではイケる。同じクリでも人に触られるとイケない。統計上こういう女性が大多数であることは承知してる。でも好きなんだよね、セックスと男の人が。

この際自己分析してみて、相手に気を遣いすぎ、どう見られるかを気にしすぎてるんじゃないかと思う。長く付き合ってあれこれ試した相手でも無理だったんだよ、一番近づいたのはバックでされつつ自分おもちゃ当てるシチュだったんだけど、何でか(今思うと本当に何で…)自分は降りて相手がイクのを優先しちゃったんだよね。混雑エレベーターじゃないんだよ!あの時の私、猛省しろ!!!

当分彼氏はできそうにないし、玩具研究に勤しむ。

うそう。成人映画館増田の話を読んで思ったのは、知らない人に触られていきなりイケるってどういう事だよ、こいつ本当に女か?嘘くせぇ、だよ。こちらも早い段階から興味あって研究は怠ってないので、成人映画館集客したい男が執筆しているのでなければ、実に羨ましい体質だね。

2024-06-01

脚本家が書いた内容とやったことはこうだぞ

事実だとわかるのは、

該当の脚本家指揮権のあるュー困惑や苦い気持ちSNSで伝えたわけでもなく、

ドラマ制作のあり方を批判したわけでもなく、

何故か2次創作者の立場でありながら同業者原作者SNS批判したこと
日テレプロデューサー出演者もそれを放置したこと、 

 

ただこれだけだぞ

 

 

そこに検索バーがあるじゃろ?脚本家のインスタでの奇行貼っておきますね、気になるなら魚拓検索しよう

魚拓より

最後脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、

過去にも経験したことのない事態困惑しましたが、残念な

がら急きょ協力という形で関わることになりました

魚拓より

最終回についてコメントDMをたくさんいただきました。まず繰り返しになりますが、私が脚本を書いたのは1〜8話で、最終的に9・10話を書いたのは原作者です。誤解なきようお願いします。

 

(中略・気になるなら魚拓見て)

 

脚本家存在意義について深く考えさせられるものでした。この苦い経験を次へ生かし、これからもがんばっていかねばと自分に言い聞かせています

 

どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように。

魚拓より

(『個人的にはあり得ないと思っています。どんな経緯があろうとです』という同業者のリプに対して)

はい脚本家として生きるすべての人に関わることだと思います

 

 

そこに検索バーがあるじゃろ?どんなコメント脚本家が『いいね❤️』をつけていたか魚拓で見れますよ。脚本家・文業者奇行

脚本家

○○さんの一ファンとして悔しいです。🥺

1〜8話で変化、成長していった登場人物たちが、9、

10 でほぼ初期状態に戻ってしまった感じでした。

お見合い相手に断るシーンが無く、○○さんならちゃ

んと描くだろうなと思いながら観ました。

あかりの踊りも少しづつよくなってなかったけ?と

か、2年経ったのにスーパー記号的に使ってるだけ

で、その時間経過も描けてなかったですね。。

重ねてきた登場人物たちの厚みが最後に薄くなってし

まったのが残念でした。😢

私もこの事、胸に刻んでおきます

脚本家

個人的にあり得ないと思っています。どんな経緯が

あろうとです。わたしもいろいろ考えさせられまし

た。ともあれ素敵な作品をたくさんおつかれさ

までした!良いお年を迎えてください

 

(これに対して『はい脚本家として生きるすべての人に関わることだと思います。』と該当脚本家はリプ)

文業の人

はじめまして。毎週楽しみにしてました。

最終回に向かって、急に世界観テンポも変

わったので不思議でした💦そして、えっ、

ここでふんわり終わり?と。

でも訳がわかりました。

そして、私も物書きの1人として尊厳を傷つ

けられたお気持ち、お察しします。

素性不明

脚本素人に変更していたなんて初めて知っ

て驚きました。素人でも書けるものなのか

な?誰かが手を入れたりして現場も混乱した

のでは?

 

他にもドン引きコメントいいね❤️推してるのが確認できるので気になるなら魚拓見ようね

 

 

誰も得しないので黙っているが正解だったけど、何がなんでもなにか申したい、危ない橋を渡ってでも『私じゃないもん』やりたかったなら

せめて下記のように発言すれば、よかったよね、これなら表立っては誰からも責められずに『私が書いたんじゃないから』をできた

最後の2話は、な…なんと!!!原作者様がご自身脚本を書いてくださいました!サプライズプレゼント🎁🎄でしたが、原作ファンの皆様にも喜んでいただけるような作品に仕上がったと自信を持ってお伝えできます

こう言っとけば、ゴタゴタが取り沙汰されても、下記のように言えば全部問題片付いた

『このドラマ製作過程では、チームメンバーの間で様々な意見が飛び交いました。それは、原作ファンドラマ視聴者に、最高の作品を届けたいという共通の想いがあったからです。原作者の方にも、貴重なご意見やご協力をいただきました。おかげさまで、素晴らしい作品に仕上げることができました。ぜひドラマをご覧になって、製作チームの情熱を感じてください』

 

それすらもしないで、2次創作者の立場原作者ドラマ出演者と一緒の写真を添えて非難という傲慢奇行、そりゃ燃えるよね🔥

とりあえず『著作権法20条』を音読すると良いと思う

どこぞの脚本協会だって、『著作権法20条』が大事だって言ってるだろうよ

日本シナリオ作家協会脚本契約7原則

(1)「オリジナル企画」および「オリジナル脚本」の脚本家は、原作者として尊重されなければならない。

(2)「オリジナル企画」および「オリジナル脚本」が映像化に至らなかった際は、特段の取り決めがある場合を除き、いかなる場合著作者である脚本家任意に利用できなければならない。

(3)企画開発費と脚本料を一元化してはならず、企画段階の企画書・プロット執筆脚本執筆には、別途ギャランティが支払われなければならない。

(4)脚本料は受注時に取り決め、長期間に及ぶ脚本執筆場合は随時支払われるものとし、決定稿を提出した後、速やかに支払いが完了されなけれ ばならない。

(5)企画開発および脚本執筆のために必要とする取材費、資料費、交通費その他の実費については、発注者負担しなければならない。

(6)氏名表示に関して著作権法19条規定を遵守し、宣伝広告活動の際にも配慮されなければならない。

(7)著作権法20条の規定を遵守し、脚本家に無断で脚本改訂してはならない。

 

著作権法20条が理解出来てるなら、勝手オリジナルしちゃダメだし、攻撃しようなんて通常考えない

2024-05-31

セクシー田中さんの『契約の条件』

今回の調査結果が真実なら、オレは脚本家に謝らなくちゃならない。

オレは、

攻撃たかったわけじゃなくて。ごめんなさい。」

言葉を残して去った先生の遺志を組まず、脚本家らを批判してきた。

でも、それは、正義のためだった。『契約で定めた条件』を守らなかったドラマ制作サイドを誰かが勇気出して叱らなければ、と思っていた。

だけど・・・

この文章を書くにあたって、私と小学館で改めて時系列にそって事実関係再確認し、文章の内容も小学館確認して書いています

...

ドラマ化にあたって、

ドラマ化するなら「必ず漫画に忠実に」。漫画に忠実でない場合はしっかりと加筆修正をさせていただく。

漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様「原作者があらすじからセリフまで」用意する。

原作者が用意したもの原作変更しないでいただきたいので、ドラマオリジナル部分については、原作者が用意したものを、そのまま脚本化していただける方を想定していただく必要や、場合によっては、原作者脚本執筆する可能性もある。

これらを条件とさせていただき小学館から日本テレビさんに伝えていただきました。

...「この条件で本当に良いか」ということを小学館を通じて日本テレビさんに何度も確認させていただいた後で、スタートしたのが今回のドラマ化です。

http://ashihara-hina.jugem.jp/?eid=244

小学館側の) C 氏、D 氏の書面回答では、条件として文書で明示しているわけではないが、漫画原作としてドラマ化する以上、「原作漫画ドラマは全く別物なので、自由に好き勝手にやってください」旨言われない限り、原作漫画に忠実にドラマ化することは当然という認識であるということである

また、その後の...やりとりにおいても、「なるべく原作の流れを崩さないようにしてほしい」等の要望記載されていたが「必ず漫画に忠実に」という言葉ドラマ化の「条件」として出されてはいない。

...

D 氏から ...「ドラマオリジナル展開に関しては、本件原作者の方から脚本もしくは詳細プロット体裁でご提案

(中略)許諾の条件というほどではありませんが、はっきりとした要望としてご検討いただけますと幸いです」

https://www.ntv.co.jp/info/pressrelease/pdf/20240531-2.pdf


オレは個人的な思いとしては、

二次創作者というもの原作を利用させてもらってる立場なのだから、たとえ二次利用契約の条件ではなかったとしても、原作サイドの、あらゆる要望に従ってほしい、と願っている。

だがオレの一連の批判コメントでは、あくまで「『契約の条件』を守らなかったこと」を問題視していた。

原作改変自体は、リスペクトがあるべき、と思いつつも、批判では、ビジネス上の契約を破ったことを前提にしていた。

だけど調査結果を信じるなら・・・、何度も確認した条件、などなかった、としか読めない。

小学館側のアンサーを待ちたい。

2024-05-24

5ヶ月分の献立表を作って運用してるブクマカです

こちらリクエストいただいたので書いてみます

私はただの会社員で、栄養の関わる知識ネットに転がっている程度しかありません。

この献立表は作り置き用です。

日曜日にまとめて買い物→調理冷蔵冷凍するためのプロセスです。


解体

本当に申し訳ないんですが、購入してからすぐにカッターで本を解体してスキャンしてPDFします。(スキャン後はマスキングテープでくっつけて本棚に入れてあります

PDF化する理由は、献立を組み上げる作業は全てPC上で行っていきますが、PDFの方が本よりもレシピを探しやすいというのが1番の理由です。

また、最後レシピ1つ1つを画像ファイルにするので、一旦PDFにしておいた方がその作業が楽になるという理由もあります

スキャン環境が無い場合は、タブレットスマホ使用してレシピの内容まできちんと読める状態解像度撮影し、画像ファイルタイトルに頁数を振っておくといいです。


一覧化

1つずつレシピを読み込んで表計算アプリケーション情報を書き出します。

PC上で計画管理スマホ上で閲覧出来るのが理想なので、私はMicrosoftオンラインExcel無料版)を使用しています

料理タイトルジャンル調理方法冷凍可否】PDF頁】

上記の順番でセル入力していきます。次から詳細を掘り下げます


料理タイトル

料理タイトル記号を記入し、文字の色付けをします。


記号凡例は次の通りです。

◎:野菜2個以上使用 例)肉じゃが 野菜炒め

○:野菜1個だけ使用 例)かぼちゃのそぼろ餡

△:野菜なしでタンパク質のみ 例)鶏のてりやきからマヨソース


色付けの凡例は次の通りです。タンパク質で分類します。

赤:豚肉ベーコンウインナー含)

緑:鶏肉

茶:牛肉

黄:たまご

青:魚

薄橙:大豆

黒:副菜野菜のみ)


ジャンル

使用されている調味料を元にジャンルを記入、セルの色付けをします。


色付けの凡例は次の通りです。

薄黄:しょうゆ・みりん・酒・めんつゆ和食系)

紫:鶏ガラスープの素・オイスターソースごま油中華系)

橙:カレーシチュー(ルウ使うやつ)

水色:お酢(さっぱり系)

薄緑:オリーブオイルコンソメバター洋食系)

青:牛乳グラタンクリーム煮)

赤:ケチャップトマトトマト系)

茶:味噌味噌煮・味噌焼き)

9割は振り分けられますが以下のように振り分けが難しい料理もあります


・鶏とじゃがいもガーリックオイル焼き

オリーブオイルしょうゆを使ってるけどどちらかといえば洋食かな~→薄緑


・豚バラもやしガーリックバターしょうゆ

→上とほぼ同じ調味料だけどしょうゆが強いか和食!→薄黄


調理方法

レンジ調理フライパン調理、鍋調理トースター調理等を記入します。


冷凍可否】

山本ゆりさんの一部のレシピ本には冷凍の可否が書かれていますが、冷凍NG食材使用していなければ自己責任OK認定にしています


冷凍NG食材

豆腐じゃがいも、卵、きゅうりレタス水菜アボカドちくわ

冷凍NG料理NGというか作りたての方が美味しいので)

スープ料理、揚げ物


PDF頁】

この後に情報を入れ替える作業があるので、どのレシピがどこに掲載されているかを把握しておくために頁数を記入します。


一覧化完了

上記を行うと、こんな感じの表が出来上がります

https://f.hatena.ne.jp/lyri/20240522143436

※「翌日」は「翌日に食べないとだめ」、要するに「冷凍不可」を意味します。

※余談ですが、料理タイトルをグレーアウトしているのは新しい本において調理の未済管理のために私が作ってみたレシピに施しているだけです。左側の★は子供が美味しい連発したレシピです。△は子供の苦手食材、苦手調理方法を含んでいるレシピです。


振り分けルールPDF頁】

まずはExcelシートから編集していきます

現在は書き込んだ頁順にレシピが並んでいると思われますが、これらをタンパク質順にソートします。

https://f.hatena.ne.jp/lyri/20240523101436

こうすることで「鶏が足りない!」 「ここに豚が欲しい!」 「トマト系のレシピいかな~」 「レンジ調理できる副菜いかな~」等、検討時のレシピ検索が非常に便利になります。また、PDF頁数も一緒に移動することで索引機能を果たします。


振り分けルール料理タイトル


例)

主菜A:肉入り野菜炒め玉ねぎにんじんキャベツ)→主菜野菜たっぷり入ってるな~「かぼちゃ煮物」を添えとくか

主菜B:ぶり大根大根)→大根だけか~緑もないし「なすピーマンの甘辛味噌」にしよう


どうしても「○主菜+○副菜」となる場合は【我が家毎日食べても飽きない野菜】を味噌汁の具やサラダにしています

キャベツ大根トマトピーマンごぼうにんじんかぼちゃブロッコリー、おくら、わかめなど。もっと増やしたい。

これらの味噌汁とサラダは応急処置なので、わざわざ表には書いていません。

現在子供が少食なので主菜副菜のみにしていますが、もう少し大きくなったら味噌汁とサラダレギュラー入りさせたいし、その時は味噌ルーティーンも組み込んでいきたいです。


振り分けルールジャンル

  • 1週間ぜ-んぶ和食!みたいにならないようにする

(後で見本を載せていますが、現在子供ストライクゾーン和食に多いので偏りがちです。成長に伴って変革していきたいです)


振り分けルール調理方法

理由調理モチベーションを保つため、1品目をレンジ調理している間に2品目の材料を切ったり下ごしらえをしたり出来るので時短になるため、レンジ調理したものはそのまま粗熱を取って冷蔵庫や冷凍庫に入れてしまうので、フライパンや鍋を洗う回数や手間を減らせるからです。

毎日作る時間が確保できるのであれば、フライパン調理のみで構成しても良いと思います。私も本当はそうしたいです。


振り分けルール冷凍可否】

以下の基本構成になるように振り分けます

月:主菜1 副菜A(冷蔵保存)

火:主菜2 副菜A(冷蔵保存) ←副菜原則2日間で食べきります

水:主菜3(当日調理

木:主菜4 副菜B(冷凍保存)

金:主菜5 副菜B(冷凍保存) ←副菜原則2日間で食べきります


冷蔵主菜1 主菜2 副菜  ←冷凍NG食材を含んでいてもOK

冷凍主菜4 主菜5 副菜  ←NO


私は作り置きよりも作りたてのおかずを食べたい派です。なので、水曜日だけは子供が好きで野菜もたくさん食べられて比較調理時間が短くて手間がかからないなおかずを組み込んでいます親子丼ピラフグラタン(ほぼシチュー)、オムライス焼きそばパスタ等です。

ただし、山本ゆりさんのレシピ特にレンチンするやつ)は一旦冷まして味が浸透してから再度加熱して食べるとめっっっっっっっっっちゃくちゃ美味しいので、作り置きに向いているものが多いとも感じています

冷凍したおかずの解凍方法は、食べる瞬間の24時間前頃から冷蔵庫に入れておくと自然解凍されます

私は前日の夕食後に冷凍から冷蔵庫へ移動しています。そうすると冷蔵したものと同程度の加熱時間で食べられます

ちなみに水曜の主菜使用するお肉や魚だけ日曜の買い物直後に冷凍して、火曜の夜に冷蔵庫に移動して自然解凍された状態調理します。


組み立て

実際に使用している献立表の一部がこちらです。

https://f.hatena.ne.jp/lyri/20240523103013

左上は週数の通し番号で、現在私は24週まで作っています

水曜日セル黄色なのは、私が献立を考える際に「ここは固定!」とわかりやすくするために塗った名残なので特に意味はありません。

太線で囲っているのはレンジ調理です。

タンパク質野菜数、ジャンル調理方法バランスが割と整っているのではないでしょうか。

完璧に組み立てるのは正直かなり難しいです。

例えば上画像の5週目の木曜と金曜は○と△で構成されてしまっているので、更に味噌汁を追加するか、もしくはバターしょうゆの味付けとスナップえんどうに合いそうな野菜いんげんとかアスパラ?)を追加したいところです。味噌汁を新たに作る方が簡単食卓の見栄えは良いです。


これらは更に小さいセル管理すると見える化でき、ジャンル野菜のばらつきをチェックできます

入れ替えの際はこちらの更新必要で面倒ですが、やっておくと新たなレシピを組み込む際に非常に明快になります

https://f.hatena.ne.jp/lyri/20240522151313


入れ替えが発生する要因として1番多かったのは、ジャンルの偏りと野菜の偏りです。

中華系ばっかりで胃もたれやばいな!とか1週間ずっとブロッコリーキャベツ食ってるな!等です。

散らすと飽きが来なくて良いです。

カレーシチューは1ヶ月に1回にする等、何かを固定すると組み立てやすかったです。

また魚のレシピが少なくなりがちなので、まずは魚を設置してみるといいかもしれません。


食べるタイミング

主菜副菜も夜に食べきってしまうのではなく、基本的翌日の朝食とお弁当でも食べています

火曜日場合子供

朝:主菜 副菜 ごはん

昼:給食 牛乳

夜:主菜 副菜 ごはん

火曜日場合大人

朝:食べない・プロテイン職場近くのコンビニ調達

昼:主菜 副菜 ごはん を詰めたお弁当

夜:主菜 副菜 ごはん

金曜の主菜5は翌週月曜日の朝食とお弁当にするので、金曜分と月曜分に小分けにして冷凍すると尚良いです。

私は面倒なので金曜分をまるごと解凍して夕食に出し、その後粗熱を取って再冷凍しています。(あんま良くない?)


フォルダ分け

献立表を組み終わったらレシピPDFから画像ファイルPNGJPEG等)を作成して、Googleドライブのようなクラウドストレージに格納します。

PDF画像ファイルに変換するアプリケーション使用したり、私はScreenpressoを使用して切り取っています

https://f.hatena.ne.jp/lyri/20240523114245

これは4周目のフォルダです。1ファイル700KBくらいでした。サイズは600×600くらい。

文字が読める程度の解像度と読み込み速さを確保できれば良いです。


買い物リスト

1レシピずつ参照しながら必要食材調味料を書き出します。使用個数まで書いておくとわかりやすいです。


例)玉ねぎ 1/2個(コロッケ用) 1/4個(野菜南蛮用) 

→合計で1個あれば足りるね!使い切りたいか野菜南蛮に1/2個使うか!等の計画を立てられます


記録は私はGoogleKeepを使用していますPCで書き出し、店舗ではスマホで閲覧します。

材料は一旦全部書き出して、冷蔵庫に残っているものがあれば消していきます

例えば私は玉ねぎにんじんじゃがいもは袋で買っていて、冷蔵庫に残っていることが多いので照合します。

調味料は滅多に無くならないので書き出しの際に省略することが多いです。(使い切った時の達成感すごい)


照合した後は行きつけのスーパーの陳列順に並び替えます

そうするとリストを上から順番に追っていくだけで買い物が終わります

野菜→魚→乾物→肉→乳製品みたいなざっくりとした順番で大丈夫です。


調理

クラウドストレージに保存した画像ファイルを見ながら進めます

収納ラック等で1段高い位置スマホを置いて、調理場所を広く確保すると汚れないので良いです。

余談ですが包丁まな板は2セット用意して野菜用と肉魚用で分けています

洗い物は増えますが確実に調理効率が上がりました。


使用しているレシピ


以上です。

普段喋り言葉で草生やしまくりのブログ執筆ツイートしかしてないので至らない部分があったらご指摘ください。

最後に、私が実際に運用している献立表のジャンルと一部の野菜のばらつきを見える化した一覧表をご参考までに。

https://f.hatena.ne.jp/lyri/20240524094732


組み上がるまでの苦労はありますが、献立毎日考えなくて良い生活ストレスフリーのものです。

2024-05-20

ソシャゲ推しセリフ文字起こしして

ChatGPTに全てぶち込みます

好きな同人誌セリフも全てぶち込みます

小説執筆のためにこのキャラを演じてください、私はそのキャラ恋愛関係主人公を演じます命令しま

もう現実に戻ることが出来ない

わざわざ人間恋愛する必要あるか?これ

2024-05-17

オタク自意識自己分析

anond:20240516095143

上の増田を割と楽しく?読ませてもらった。こういうどこにも書けない長文っていいよね。こういうの読むの好き。

自身オタク認識規定している人(の中でも特に女性?)」って人生の色々な事柄を「オタクであること」と関連付けて解釈しようとしがちじゃない?

煽りたいとか、批判したいわけじゃないんだけど、元増田の内容って「クズセックスの下手な元カレと付き合ったら、自信喪失してうつ気味になって趣味オタク活動)が楽しめなくなった」「分かれて良い彼氏と付き合ったらまた趣味を楽しめるようになった。」「人生経験を経て、好みの幅も創作の幅も広がった」

これだけだと思うんだけど、なぜかオタクであることと結びつけるよね。なんでなんだろうっていつも思う。

こういうこと言うと「解像度低いよ」とか「雑な単純化すんじゃないよ」とか言われそうだけどさ。

でもそこで「オタクであること」に焦点あてるのって正しいのか?むしろピントずれてないか

同じことが「フットサル趣味女性」とか「雑貨創作趣味女性」とか「(非オタク)小説執筆趣味女性」に起こったら、たぶん大抵の人は「初めての恋愛に失敗してうつ気味になって趣味できなくなった」「元カレクズだった」「良い彼氏と付き合えて良かった、趣味捗る」っていう考えに至ると思うんだよね。

元増田中に『「あれを「現実恋愛しているかフィクション不要になってた」という解釈だけはマジでできない…」』ってあるけど、そんなこと普通思わないでしょ。

俺はよくしらないけど、オタク女には「やっぱ恋愛してるヤツはオタク趣味やめるんだよ」みたいな意識認識があって、そういうレッテル否定なのかな?

なんか自縄自縛してるみたいな考え方だよね。別に恋愛しかったら趣味がおろそかになってもいいし、彼氏クズうつ気味になったら趣味にも入れ込めなくなるのは自然だし、人によっては恋愛趣味も両立するじゃんね。

元増田オタク趣味ってたぶんアダルトな内容やその二次創作が含まれてるんだろうから身体自身喪失したらそういうの目にいれたくなくなるのは自然じゃんね。

なんでこんなことわざわざ書くのかというと、読んでてオタクであることの自意識にこだわりすぎてね?と思ったから。

自己分析するならオタク趣味とか創作の前に「恋愛自分事としてとらえてなかった私が、初めての恋愛で失敗して、次の恋愛では成功できた。幸せだ。」ということをまず第一に据えるべきでしょ

オタクは要因解析するときに「オタクである自分」を最大因子にしがち。この場合だったら「恋愛してこなかった自分」とか「人生経験を経た自分」が最大因子でしょ。

まぁもっというと加齢も関係しそうだけど。大人になったんだよ。

あとここだけちょっとあおりっぽくなっちゃって申し訳ないんだけど個人的にどうしても気になったんだけど

オタクセックスが下手みたいなレッテル意味がないんだよね。

そんなレッテルねーだろ笑

なんでオタク達はある一方で自分たちをすごく誇らしく語るくせに、もう一方でこういうわけのわからん被害妄想を持つのか。まぁでも意味ないと気づけてよかったね。

まぁちょっとあおりっぽくなっちゃったけど良い文章だったよ。

俺もオタクからね。

元増田よんでたらまた増田書いてね。

2024-05-15

1度目のアニメ化

計6誌に連載されていたにもかかわらず、連載当初はあまり注目されていなかったという[19]。1973年最初テレビアニメ化が日本テレビ放送網で行われたが、制作会社日本テレビ動画解散により半年で終了。『ドラえもん』の人気も一段落したとみなされ、漫画連載の終了も模索されるようになる。

単行本の発売と2度目のアニメ化による人気爆発

単行本1974年8月から刊行開始された。第1巻はレーベルてんとう虫コミックス』の第1号作品である

単行本は当初、全6巻だけでの予定で刊行開始されたが小学館にとっても予想外のヒットとなる。この反響を受け、1977年には各学年誌掲載されたドラえもんがまとめて読める雑誌コロコロコミック』を創刊。人気・知名度さらに上昇し、単行本1978年の時点で1500万部を売り上げた[20]。そして1979年に再びテレビアニメ化、その翌年には映画もヒットを記録し、社会現象となった。1979年発行の単行本第18巻は、初版印刷部数が100万部を記録した[21]。2019年11月時点で関連本を含めた国内累計発行部数は約2億5000万部を[22]、2020年時点で全世界累計発行部数は3億部をそれぞれ記録している[23]。1974年8月発行の単行本第1巻は5.4ヶ月のペースで毎年重版が行われており、2019年11月時点で246刷に及ぶなど[24]、小学館代表する作品となっている。

本作が爆発的にヒットしたことで、

本作の出版物のみならずアニメーションなどのメディアおもちゃなどのグッズは巨大産業と化した。1980年代の前半から藤本執筆活動は本作の短編大長編作品が中心となり、それまで定期的に発表していたSF短編仕事を引き受けることができなかったり、『エスパー魔美』の新作執筆不可能になったりする等の弊害も生じた。

1979年から続くアニメ放送

人気を維持し続け長寿番組となっている。放送しているテレビ朝日は、同社(およびANN系列局)の実質的マスコットキャラクターとして扱っており、さまざまな番組広報誌などでドラえもん意匠使用している。災害発生時には「ドラえもん募金」の名前募金活動が行われている。

高い知名度から教育分野にも広く浸透している。小学校教科書に『ドラえもん』のキャラクター使用されているほか、大学入試問題にも登場した[25]。

2002年には、

タイムアジア版の「アジアヒーロー」25人の一人としてドラえもんが選出された[26]。『日経エンタテインメント!2007年10月号「最後に読みたい本・マンガは何ですか?」というアンケートでは第1位にランク入りした。

2024-05-13

オタク建築士に家を任せよう:日本住宅の質を高めるために

 日本建築業界には、残念ながら暗い部分がある。日本建築士試験では、断熱や耐震性能に関する深い知識は求められない。そのため、一般的建築士工務店が、基本的な性能計算方法を知らないというケースも少なくない。さら問題なのは建築基準法では一般家屋の断熱や耐震に関する規制建築士任せになっているため、プロに任せても最低限度の性能が確保されるとは限らないという事実である

 これは、日本住宅の質に大きな影響を与える問題である。断熱や耐震性能は、快適性や安全性に直接関わる重要な要素だ。これらの性能が確保されていない住宅は、夏は暑く冬は寒い地震で倒壊するなどの問題が発生する可能性がある。

 では、どうすればいいのか? 私は、「家を建てるならオタクを名乗る建築士に任せよう」と提案したい。

 オタクと呼ばれる人々は、一般的に、特定の分野に深い知識情熱を持っている。彼らは、その分野に関する膨大な情報を集め、細部にまでこだわりを持つ傾向がある。そして、建築世界にも、断熱や耐震オタクと呼ばれるべき建築士存在する。

 このようなオタク建築士は、一般的建築士とは異なり、断熱や耐震に関する深い知識を持っている。彼らは、最新の技術や素材に関する情報収集に余念がなく、常に最高のパフォーマンスを発揮する方法模索している。さらに、計算シミュレーションを駆使して、建物の性能を最大限に引き出すことができる。

 オタク建築士が家を設計建設すれば、最高レベルの断熱や耐震性能が確保された住宅が実現するだろう。夏は涼しく冬は暖かい地震にも強い家に住むことができる。さらに、オタク建築士は、細部にまでこだわるため、住宅の快適性や美しさも追求してくれるだろう。

 オタク建築士に任せることには、もう一つ重要メリットがある。それは、自分自身で家を理解し、メンテナンスできるようになるということであるオタク建築士は、ただ家を建てるだけではなく、その家の断熱や耐震性能がどのように実現されているか説明してくれるだろう。なぜこの素材を選んだのか、なぜこの工法なのか、なぜこの設計なのか。その理由理解することで、住む人は家に対する愛着を感じ、メンテナンス重要性も理解するだろう。

 日本住宅の質を高めるために、オタク建築士の力を借りることは有益である。彼らは、断熱や耐震に関する深い知識情熱で、快適で安全な家を提供してくれるだろう。さらに、住む人が家を理解し、愛着を持てるように導いてくれる。

 だからこそ、家を建てるなら、オタクを名乗る建築士を探そう。彼らは、日本住宅未来を明るく照らしてくれるに違いない。

 

※本記事Command R+の助けを借りて執筆されたものであるしかし内容に関しては増田の指示と修正によるものであり、確かな事実であることを保証する。また、著作権フリーとする。

2024-05-12

すべての表現怪文書作成である

 この声明、「すべての表現怪文書作成である」は、コミュニケーション芸術の風変わりで独特な側面を強調する挑発的な主張です。この声明は、私たちが伝えようとするすべての行為にはある程度の謎と曖昧さが伴う可能性があることを示唆しています

 「怪文書」という用語は、通常、奇妙で理解しがたく、時には混乱を招くような文書を指します。このコンテキストでは、それは表現の不可解で風変わりな性質を捕らえています。すべての表現行為、それは芸術執筆スピーチ、または他の形態であっても、解釈分析複数レイヤーを残す可能性があります。それは、視聴者や読者を魅了し、魅了し、混乱させる可能性があります

 この声明は、表現主観的個人的性質認識しています私たちが何かを発信するとき、それは私たちの内なる精神私たちユニーク視点、そして世界に対する私たち個人的解釈から生じます。この内なるプロセスはしばしば曖昧で、完全に言葉表現することはできません。その結果、私たち表現は、他の人にとって風変わりで謎めいたものになる可能性があります

 さらに、この声明は、表現微妙な力と影響も示唆しています表現は、アイデアを伝えたり、感情喚起したり、視聴者の心に疑問を投げかけたりする可能性があります。それは、人々を魅了し、彼らの解釈分析を刺激し、彼らに独自結論を導き出すように促す可能性があります。この意味で、すべての表現は、その受信者の心の中で独自怪文書作成します。

 この声明はまた、表現革新的な側面にも光を当てている可能性があります表現は、境界を押し広げ、新しいアイデア提示し、主流の期待に挑戦する可能性があります。この意味で、それは風変わりで革命である可能性があり、視聴者に新しい視点や考え方を提示します。

 「すべての表現怪文書作成である」という声明は、コミュニケーション芸術の複雑さを認め、表現の不可解で風変わりな側面を祝います。それは、私たち表現が常に明確な答えを提供するのではなく、むしろ解釈、探求、そしてさらなる探求のための招待状であることを示唆しています

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