はてなキーワード: 主食とは
今回のアメリカ大統領選でハリスが負けてトランプが勝った、というのはつまりそういう事。
もっとさかのぼると東京都知事選で蓮舫が負けて小池百合子が勝った、というのもつまりそういう事。
何故か?
それは、「それなりの数のリベラルがフェミニズムに嫌気がさしているから」これに尽きる。
トランプが勝った、というよりもハリスが負けた、という事が重要なのである。
蓮舫とハリスに共通しているのは、「最初はある程度の支持率を持っていたが、時間と共に支持を失い大敗した」ことである。
そして、彼女らに共通しているのは、「フェミニズムやポリコレ、DEIに傾倒していた」という話である。
少し話が飛ぶが、立憲民主党では、代表選で野田佳彦が勝利したが、この時彼は、若手女性候補である吉田晴美に推薦人を出している。
様々な意図があったと思われるが、一つクリアになったのは、彼女への投票者の多くは「フェミニズムへのコミットメントが高い」という側面が強いこと。
推薦人一覧 → https://www.tokyo-np.co.jp/article/356101
当時の国会議員56人/270人(21%)であり、党員・協力党員票では26票/185票(14%)。
党の支持者は、上層部が考えてきた程フェミニズム的なものや「若い女性が社会を変える」というムーブメントには興味が無く、冷ややかな反応を示している。
見ようによっては、野田氏はフェミニズム議員の勢力と「身の程」を可視化したともいえる。
そして、野田氏は総選挙ではフェミニズム的な主張を抑え込んで政権交代と裏金追及を主張して勝利した。
ベタな夫婦別姓というテーマだけを表に出し、「フェミニズム」は前面に出さなかったわけである。
何故かと言えば、フェミニズム的な政策を標榜した蓮舫が東京都知事選挙で大敗したからであろう。
もっと言えば「フェミニズム」は、あまり票にならないのである。
岩盤支持層はフェミニズムを標榜しなくても立憲民主党に投票する層であり、フェミニズムが党内で過大評価されてきた、という話でもある。
何故フェミニズムが過大評価されてきたか、というと、それは安牌だったから、と推測できる。
お金が絡む利権を動かす(公共事業の扱いや軍事の扱いなど)のは難しいが、「男女差別をなくしましょう」という主張は、そういう既存の組織との軋轢なく行う事が出来る。
「女性が不当に力を抑え込まれている」という主張には抵抗しにくいし、フェミニズムだから票を入れてくれる、という層もいる。
しかし、フェミニズムを政治の主食にすべきかどうか、という局面では、NOが突き付けられた。それが東京都知事選挙における蓮舫の敗北だったわけである。
立憲民主党と共産党のフェミニズム勢力が手を組んで大々的に押し出した蓮舫キャンペーンは、かなりの反感を買い、まさかの3位に終わった。
フェミニズムやポリコレは、安牌ではあったものの、優先順位の一位という程のテーマではないのである。
もっというと、リベラル勢力の中でもフェミニズムは嫌われ始めている、というのが実態だと推測する。
フェミニズムの多くの主張者は、「自分の勢力に甘く、相手の勢力に厳しい」
LGBTをフェミニズムサイドに入れるか、敵サイドに入れるかでフェミニズムが内ゲバを起こしているのも、自分サイドか敵サイドかで扱いが180度違うから。
その底の浅さが明らかになってきている。
現状の多くのフェミニストの振る舞いは、リベラル的な寛容とは最も程遠いふるまいであるのも確か。弱者男性という概念に対し、ただ無視するか攻撃する選択肢が中心になっているのを見ても、理論的基盤の弱さを感じざるを得ない。
東京都知事選挙における蓮舫の敗北は、「女性だからダメ」ではなく「フェミニズムを前面に出したからダメ」という現実を浮き彫りにした。
総選挙でフェミニズムを抑え込んだ立憲民主党が躍進したのもつまりそういう事。
そして、圧倒的有利な立場でスタートしたはずのハリスがここまで大敗したのも、つまりはそういう事なわけですな。
フェミニズムはバブルだったし、そこまで喫緊の課題ではなかった。それが民意で示されたという事。
コメントにもいくつかお返ししとく。
hunglysheep1 フェミニズムに傾倒してる共産党も更に議席を減らしたし… https://www.jcp.or.jp/akahata/aik21/2021-09-07/2021090702_06_0.html 受け入れがたい議員もいるとは思うが現実を受け入れた方が/ともあれ目を逸らさせる意見が優位になるだろう
もともと「フェミニズム」を旗頭にしても勝てない、という状況は今に始まったものではない。2021年にその予兆を確認することは出来た。
2021年の東京12区に出馬した「党都常任委員・ジェンダー平等委員会責任者」として出馬した池内沙織候補が落選している。これ以上なく「フェミニズム」を旗頭にしている人物である。
https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/shugiin/2021/13/
結果はこちら。
彼女がどういう人物か、という事はここでは掘り下げない。少なくとも元職である以上、有力候補としてみるのが妥当であるためだ。
当時のこの選挙の構図は「公明1・維新1・共産1」であり、マクロ的には自民と立民の票が3者に分かれる(+維新支持者の票が維新に流れる)構図である。
客観的に見て、立民支持者の何割か+共産党支持者の票を合わせてもなお、28.4%というのは多いとは言えない。右寄りの票が岡本氏と阿部氏で分かれる事は容易に想像が付くが、左寄りの票は池内氏が集められる構図である。
自民・維新・共産で争っている東京20区の宮本徹候補と比較すると、状況がよりクリアになる。
惜敗率は異なるものの自民・維新候補の得票の合算と共産の得票で比較するとほぼ同じであった。
つまり、フェミニズムを選択しても、選挙に影響するほど票が増えることは無い というのが2020年代の現実なのである。
ということを噛みしめる必要がある。
トップを女性に差し替え、フェミニズムへの傾倒を深めても、残念ながらガツンと支持を失ったのが日本共産党の現実である。
マジで、「消費税やめろ」をスローガンに、代表がふしぎなおどりを踊ったれいわ新選組に支持を丸ごと持っていかれた現実を直視したほうが良い。
フェミニズムを叫ぶ勢力を党内に掲げながらも軸をブラさなかった彼らの方が、ずっと共産主義的なイデオロギーを標榜しているし(本人たちが同意するかは別として)、実際に選挙に勝っている。
フェミニズムがどれだけ票になるのか、という事を測る上では、表現の自由サイドに居る山田太郎参議院議員の活動が参考になる。
「表現の自由」ワンイシューで参議院議員選挙に立候補し、比例54万票を得た。
フェミニズムが本当に価値があるというのならば、それを票数にして可視化すればよいのである。
現時点では、「大して票を稼げるわけでもなくアンチも多い」フェミニズムが政治において実力以上にデカい顔をし過ぎであった、というのがわかった、という話である。
別に票にならないテーマであるという事が明らかになった以上、身の丈に応じたふるまいに改める局面にきている。
こっちに追記の続きを書いた。
コンバーターとコーンバター。この二つの言葉は、一見すると無関係な対象を指しているように思われる。しかし、その響きには微妙な共通点があり、現代人に与える感覚的な違いは、文化や歴史の流れを通じて形成されてきた感性の奥底に根ざしていると言える。人間の歴史の中で、技術や食文化の進化と、それらが生み出す美的な感動は切り離せない関係にあり、ここに「コンバーター」と「コーンバター」を媒介とした考察を試みることで、その深奥を垣間見ることができるのではないだろうか。
まず、「コンバーター」とは、一般的には何らかの機能や属性を変換する装置や技術を指す言葉である。電圧を変換する電源コンバーターや、信号を変換するデジタル・アナログコンバーターなど、その用途は多岐にわたり、現代社会を支える根幹を成す技術のひとつとなっている。これに対して「コーンバター」とは、穀物であるトウモロコシ(コーン)から作られるバター、あるいはそれに類する加工品のことを指す。日本においてはそれほど一般的ではないが、北米や南米など、トウモロコシを主食の一部として重要視する文化圏では、伝統的な食材の一つとして親しまれている。
一見、全く異なる二つの概念であるコンバーターとコーンバター。しかし、その歴史的背景に目を向けてみると、人間の知恵と工夫、さらにそこから生まれる美的な感性が反映されていることに気づかされる。コンバーターの登場は、工業化と技術革新によってもたらされた、変換や変容の技術に関する人間の知識の結晶である。これに対し、コーンバターは農業の発展や食文化の進化に密接に結びついている。技術の変換と食材の変換、いずれも人間が生活を豊かにするために築いてきた歴史の一側面であり、そこには特有の美的価値が含まれている。
人間は、常に物質やエネルギー、さらに情報の変換を行うことで、生活の利便性を高めてきた。コンバーターはその象徴的な存在である。例えば、電圧を変換するコンバーターがなければ、さまざまな電化製品を自由に使用することはできない。デジタル信号をアナログに変換することで、音楽や映像をスムーズに楽しむことが可能になる。これらの技術は、もともと無機的で冷たい印象を与えるものであるが、実際にはその内部に「変換」というダイナミックなプロセスを含んでいる点に美しさが宿る。変換の過程は、単なる物理的な操作にとどまらず、情報やエネルギーが形を変えて新たな価値を生む瞬間である。この「変換の美学」は、人間の手によって機械的な装置やデバイスに具現化され、現代社会の中で目に見えない存在感を発している。
一方で、コーンバターには全く異なる美的価値が内包されている。コーンバターは、トウモロコシという自然から得られる素材を加工することで生み出される、食品としての変換の結果である。トウモロコシは、古代アメリカ大陸の文明において神聖視された作物であり、その栽培と加工は生活の基盤を形成してきた。コーンバターもその伝統の一部であり、味や風味の中に先人たちの知恵が凝縮されている。食品としての変換過程は、技術的な効率を追求する工業的な変換とは異なり、味わいや栄養価を最大限に引き出すための工夫が重視される。ここに、人間が生きるために必要とする基本的な欲求と、それを超えて美味しさや楽しさを追求する美的感覚が交差する点が見出される。
また、コンバーターとコーンバターは、それぞれ人間の内面的な感覚にも影響を与えている。コンバーターがもたらす利便性は、私たちの生活を快適にし、さらには新たな表現の可能性を広げている。情報を自由に変換し、自在に操作できるという感覚は、無限の創造力を解き放つものであり、それ自体が一種の「技術の美」であると言える。一方、コーンバターがもたらす味覚の体験は、単なる食欲の充足を超えて、郷愁や安心感、さらには家族や共同体との結びつきといった、人間らしい感情を喚起するものである。口に含むたびに、自然の恵みを感じ、その過程に込められた労働と愛情を味わうことができる。このように、コーンバターは食文化の一端としての「食の美」を表している。
さらに深く考察を進めると、コンバーターとコーンバターの間には、「変換」という共通のテーマがあることに気づく。コンバーターは無機物やエネルギーを変換し、コーンバターは生の素材を加工することで新たな形に変える。この変換のプロセスには、人間が自然や物質に働きかけ、何かを新しい価値へと変える行為が見受けられる。この行為自体に、人間が美を見出してきたのではないだろうか。機械的な変換は冷徹である一方、そこには洗練された精密さや無駄のない機能美がある。これに対して、食品の変換には、温もりや手作り感といった情緒的な美がある。いずれも異なる美意識でありながら、共に人間の手によって完成される過程である。
現代のテクノロジー社会において、コンバーターはほとんどの人々にとって日常の一部であり、存在を意識することなく利用されている。しかし、それが果たしている役割は極めて重要であり、その背後にある技術的な進化は、実に人間の叡智の賜物である。一方で、コーンバターのような伝統的な食品には、技術的な進歩とは異なる価値観が込められている。ここには「不変の美」という要素が存在し、テクノロジーの進化とは対照的な、永遠に続く食文化の美が感じられる。コーンバターを口にするたびに、人々は祖先が歩んだ道を辿り、自然との共生を改めて感じることができる。
このように、コンバーターとコーンバターは、それぞれ異なる形で人間の生活を豊かにし、感性を刺激する存在である。どちらも変換という行為を通じて人間の生活に寄与し、美的な価値を提供している。そして、技術の進化と伝統の継承という二つの相反する要素が、私たちの感覚と美意識に新たな価値観をもたらしている。この二つの対象を比較することで見えてくるのは、人間が創り出す「美」の多様性と、その根底にある普遍的な美意識である。
完全食とは、単一の食品で、人が生きていく上で必要な全ての栄養素をバランス良く含んでいる食品のことです。
衣笠丼は、美味しい和食ですが、主に油揚げ、卵、ネギなどの食材で構成されています。これらの食材は栄養価が高いものもありますが、全ての栄養素を網羅しているわけではありません。
カルシウム、鉄分など、骨や血液を作るために必要なミネラルも不足する可能性があります。
腸内環境を整えるために必要な食物繊維も、十分に摂取できません。
衣笠丼は、美味しく栄養価も高い食品ですが、一つの食品に頼るのではなく、様々な種類の食品をバランスよく摂ることが大切です。
カルシウムを摂取するために、牛乳やヨーグルトなどを摂りましょう。
衣笠丼は、食事の1品として取り入れるのは良いですが、完全食ではないことを理解しておきましょう。健康な体を作るためには、バランスの取れた食事を心掛けることが大切です。
https://anond.hatelabo.jp/20241013084419
に要点をまとめておきました(文字数制限に引っかかったので分割)。
厚労省より昨日公表された日本人の食事摂取基準(2025年版)について、ある糖尿病専門医の解説ツイートが一時のトレンドになるレベルでバズっていた。
日本人食事摂取基準2020→2025で食べる順番(ベジファースト/カーボラスト)が削除されておる!!!!!
はてなブックマークでもこの件に関するTogetterまとめについてそこそこブクマがついて、ホットエントリーに上昇している。
[B! 健康] 「今まで頑張ってお野菜から食べてたのに...」炭水化物より先に野菜などを食べることで食後の血糖値を抑制するという食べ方が厚労省『日本人の食事摂取基準』から削除される
しかし、筋肉博士医師の主張は真か偽かで言えば端的に誤りであるし、好意的に読んでもミスリードである。
食事摂取基準は国の作るガイドラインであるから、改訂方針やら策定の検討会議事録やらは誰でも読める形で公開されている。
「日本人の食事摂取基準(2025年版)」策定検討会|厚生労働省
私は医師でも医療関係者でも栄養士でもないが、証拠があるので安心して医師の誤りを指摘できるというわけだ。
実のところ、ベジファーストが食事摂取基準から削除されたというのは正確な表現ではない。
2020年度版では、ベジファーストについて一文取り上げていた「食事摂取パターン (eating pattern)とシフトワーカー」という節が糖尿病対策の章からまるごと削除されたのである。
食事摂取基準の策定根拠は健康増進法である。法に定められた食事摂取基準の取り扱う事項は以下の通り。
栄養素というのは、もちろんたんぱく質とかビタミンとかミネラルとかのことを指すので、野菜の食べ順なるものはOut of Scopeなのだ。だから削除されたそれだけである。
真偽の話でいうならば、これで筋肉博士医師への論破は完了だ。ただこれだけで話を終えるのはおもしろくないので、もう少し深い背景を見てみよう。
「人に栄養指導するプロならば、ただ基準値を参照するのではなく、策定根拠である本文を読んでくれ。基準値は妥協の産物でもあるのだからそれに縛られず、患者一人ひとりに合わせて柔軟に対応してくれ」
食事摂取基準を策定する側の偉い先生は、「基準値より本文だ!」という想いをよく語っておられます。
なんでそんなこと言わなきゃいけないのかというと、ぜんぜん読んでなさそうなプロの栄養士がそこそこいる現実があるからですわ。
でも、それもある程度は仕方ない。2020年版で494ページですからね。鈍器本のページ数です。忙しい栄養士が横着して基準値だけ見る、そして基準値が独り歩きしだす。偉い先生はこれがホント嫌なわけです。
しかしエビデンスというのは毎年増えていくわけで、理屈で言えば毎改訂ごとにページ数は増加します。今でさえガイドラインを読むのは大変なのに、これ以上!となるのは大変ですよね。
そして読む人が大変なら、作る人はもっともっと大変です。食事摂取基準2020年度版には以下の記述があります。
食事摂取基準が参照すべき該当分野の研究論文数は、増加の一途をたどっている。5年に一度の策定では、策定作業に十分な時間を費やすことが難しく、作業負担も大きいため、策定体制の強化や策定プロセスの効率化に向けた方策を講じなければ、将来の食事摂取基準の策定に支障をきたすおそれがある
実際、2025年度の検討会資料を読み込んでいると「人手不足でもはや持続困難だ」っていう研究者の悲鳴がかなり伝わってきます。
そんなこんなで食事摂取基準をこれ以上肥大化させることは避けねばならないってのが2025年度改訂の問題意識の1つだったわけですわ。
日本では、政府の作る食事摂取基準以外にも、EBM(エビデンスベースドメディシン)に基づく多種多様な診療ガイドラインが存在します。これらは専門の学会が作っとるわけですが、ここにも「食事療法」という節はあるわけですね。
栄養素の基準値策定と、食事療法。かなりカバー範囲が重なり合っています。政府と学会、お互い独立に作っているものですから、似たような記述がお互いのガイドラインで執筆されるという無駄が生じます。さらに悪いことに、違う人が作っているわけだから、食事摂取基準と診療ガイドラインで矛盾が生じるという事例もありました。当然、現場は混乱しますね。
食事摂取基準と診療ガイドラインで連携して、お互いの責任範囲を排他な形で定めよう、縄張りを線引きしよう。そうすれば読み手の負担も書き手の負担も軽くなる。そういうことになったんですね。
偶然、糖尿病診療ガイドラインの改訂作業は、食事摂取基準2025年度版と同時期に行われていました。糖尿病診療ガイドラインの食事療法を2024年度版と2019年度版とで比較してみましょう。
2019年には13あったQ&Aが2024年には8に減っています。
2019年にはあった、栄養素絡みのQ&Aが軒並み削除されています。
理由はここまでの説明で明らかですね。食事摂取基準の縄張りを尊重したのです(正確に言えば、「総エネルギー摂取量」の記述はまだ問題が残っているのですが……)。
さて大いに脱線した話を戻しましょう。食事摂取基準の糖尿病に関する記述から、ベジファーストがから削除されたのはOut of Scope、範囲外であるためでした。となると、執筆責任は糖尿病診療ガイドラインの食事療法にあるはずです。
あれ? 2019年にはあったベジファーストが、2024年版糖尿病診断ガイドラインでも消えてるぞ? なんでやねん。
最初に筋肉博士医師のツイートは、「真か偽かで言えば端的に誤りであるし、好意的に読んでもミスリード」と書きました。「好意的に読んでも」と書いたときに想定していたのは、「食事摂取基準」を「日本の糖尿病ガイドライン」と読み替えれば仮説としてはありうるだろう、という意味でした。
しかし読み替えたとしても、「エビデンス不足がようやく露呈」というのはミスリードな表現だと私は考えます。
糖尿病診断ガイドラインは食事摂取基準と違って、学会で作られているので改訂方針について外部の人間がアクセスできる情報がありません。どういう意図で情報が削除されたのかさっぱりわからないんですね。削除の理由をすぐに「エビデンス不足」に断定するのは証拠がありません。
しかも、糖尿病診断ガイドライン2024年版で検索すると出てくるニュース記事、
を読むとですね、副題が「糖尿病の新診療ガイドラインに見る食事のポイント」で、解説者がガイドライン策定委員会に所属する食事療法の専門家(京大教授)であるにも関わらず、新ガイドラインでは記述が削除されたはずのベジファースト/カーボンラストについて解説が行われているんですね。
内容は「世間で言われるベジファーストには誤解がある」というものですが、大雑把に言えば食べ順を考慮して食べることを推奨する解説で、2019年の旧ガイドラインに準拠していると読めます。つまり「ベジファーストが誤りだったから削除された」わけではないことを示唆しています。
じゃあなんで削除されたのか? 私は別の仮説を提示したいと思います。
2019年ガイドラインと2024年ガイドラインを交互にじっくり眺める見てください。
2024年版の方が、Q&Aの問いの文が相当洗練されているんですよね。
診療ガイドラインというのは、「Minds診療ガイドライン作成マニュアル」という規範となる規格がありまして、Q&Aをどう書くべきかというのも死ぬほど細かく厳密に定められています。
細かい事抜きに、マニュアルにどういう要件が書かれているかということを超雑に述べると、まず問いは「臨床上生じる意思決定に関する疑問」でなければなりません、そして回答はガイドライン策定者自身が実施するシステマティックレビューに基づくものでなければなりません。
これ前提に2019年版の問いを見返してみると「Minds診療ガイドライン作成マニュアル」に明確に非準拠ですね。「〇〇はどう影響するか」系の問いはどう見ても意思決定に関わるものと言えません。
そんなわけで、2019年から2024年の改訂方針には、「Minds診療ガイドライン作成マニュアル」への準拠度を高めるという意図があったと見て取れます。
次に、2024年版で削除された、2019年版のベジファーストに関するQ&Aを見てみましょう。
これベジファーストだけに関するQ&Aではないんですよね。小ネタのアラカルト的な回答で、複数の問題をごちゃまぜにしているという印象を受けます。
そんだけ2019年は自由にやっていたというわけですが、「Minds診療ガイドライン作成マニュアル」に準拠するかたちで、問いを書き直そうとするならば、問題を分割する必要があるでしょう。
試しに書き直してみると、こんな感じでしょうか。
ただ、2019年版のガイドラインでは、小ネタのアラカルトとして立項のバリューを出したわけで、わざわざ3つに分割して3つとも立項するだけの意味があるかというのは難しい問題です。
「Minds診療ガイドライン作成マニュアル」にもこう書かれています。
日常診療において医療行為を選択する意思決定の場面は数多くあるが, その全てについてシステマティックレビューを実施し, 推奨を作成するのは非常に多くの労力を要するため,現実的ではない。そのため,診療ガイドラインでは実臨床における問題に対する回答を導き出したいものを厳選して重要臨床課題として取り上げることが望まれる。
3つともに、「炭水化物制限の推奨」とか「食物繊維摂取の推奨」とかに比べれば、超小ネタですので、臨床課題であっても重要臨床課題ではない、というところで落とされたのでは?、などと私は想像しています。
書籍『佐々木敏のデータ栄養学のすすめ』などでも解説されていますけど、野菜先食べを厳密に実行するべきとするエビデンスは、おそらくまだ存在していないと思われます。
ただ、食事の楽しみを損なわない範囲で、炭水化物系を食べるのを後回しにするのは、それなりに有望な心がけと言ってもいいじゃないでしょうか。また野菜先食べである必要はなくて、たんぱく質先食べでもいいという論文もあります。
挙がってるエピソード全部クソつまんなさそうなんだが。全くもって時間の無駄。学びないし脳みそに入れる価値のない情報。こんなのと話すくらいならChatGPTとか頭いい男と話してる方が全然楽しいわ。
①地球の歴史(ドロドロの状態の地球から人類が誕生するまで。地球が5回も凍ったのになぜ復活できたのか)
②動物の生態(ダチョウはなぜアホなのか、ダチョウの凄いところ。豚のいいところ)
③歴史のifのシミュレーション(もし歴史上の人物に入れ替わって太平洋戦争を止めるミッションを与えられたら誰になっていつ何をするか)
④百人一首の内容と読人の話。なぜ百人一首では恋は詠まれてるのに愛(特に家族や子供)を詠んだ句がないのか。大化の改新から承久の乱までの歴史と紐づけて全部読む。
⑤文学作品の解釈や感想(筆者はここでどう考えたか。GPTならこの場面でどう書くか)
⑧領土問題があるエリア以外で日本に一番物理的に近い国はどこか
⑩主食と人口と地理の関係について(日本ってどれくらい国ガチャ凄いのか)
全部面白かったわ。
料理初心者の時、こいつらをひたすら作りまくったことが料理を学ぶベースになってる。
・食材選び
基本炒めることが前提になるのだけど、そば、うどん、コメによって微妙にマッチする食材が変わってくる。
同じような野菜で例えば、キャベツ、レタス、白菜ではそれぞれ役割が全然違うし、玉ねぎ、人参、ナス、大根あたりの使い勝手も変わってくる。
肉もそう。豚肉が正義だけど、鶏肉、牛肉、ハム、ベーコン、なんなら焼き肉とか唐揚げとか残った食材でも全然いい。
そうなると今度は手元にある食材から逆算して何を作ろうかという発想になってくるので、結果的に食材が無駄にならない。
あとは困ったときはもやしが全てを解決してくれる。一緒に炒めてもいいし、チャーハンなんかは別で炒めて乗せてもいい。
安い。量が多い。野菜食べてる気になる。神。
・包丁
麺のときはすすれるように細長い方が良いし、ご飯のときはスプーンで掬いやすいように角切りがいい。
厚みや長さを揃えることで火が均一に入ってくれることも理解できるし、どの順番で食材を入れたら歯ごたえが良くなるのか考えることもできる。
どうして色々な切り方があるのか、切り方によって食感や味にどんな違いがあるのか、色々試しながら作ると楽しい。
・火加減
当たり前だけどこれが難しい。
野菜を炒めるときは火力強めが良いし、焦げ付きやすい麺やご飯を入れるときは中火が良い。
もちろん野菜ならずっと強火で良いわけじゃなくて、芯が残りやすいものを先に弱火で炒めておいてから、火の通りやすい、食感が大事な食材は強火で時間勝負だったりもする。
レタスチャーハンに限ってはごはんのあとにレタスを入れたほうが美味しい場合もある。
難しい話をすると、塩をふるタイミングによって浸透圧で水分の出方が変わってきたりもする。(偉そうに言ってるけど未だにこの部分が難しくて、野菜によってベチャッとした出来上がりになったりする。)
大事なことは、出来上がりを予想して、試してみた結果がどうであったかを自分なりに考えてみること。
これら料理の良いところは失敗しても火が通ってさえいればある程度おいしく食べられるという点。
・味付け
焼きそばはソース、焼きうどんはめんつゆ、チャーハンは鶏ガラ塩コショウ、ピラフはコンソメとケチャップだなんて誰が決めた!
焼きそばなら塩味だっておいしいし、焼きうどんを生醤油風にしたっておいしい。
チャーハンもソース味にして目玉焼きのせたらめちゃうまいし、ピラフにほんだしいれて炒めたってピラフって言い切ればそれはもうピラフだ。
市販の商品だと粉末ソースとかがついてくるけど、自分で味付けしたほうが楽しいしおいしい。
基本となる調味料は、塩、胡椒、醤油、中濃ソース、ケチャップ、マヨネーズ、めんつゆ、焼肉のたれ。あとはほんだしか粉末コンソメもあるとベター。
粉末ソースは使わなければ取っておけばいいだけだし、楽をしたいときに入れるだけで済ませてもいい。
できれば油もいくつか欲しい。
サラダ油で全部作ることができるけど、ごま油、オリーブオイルで作ったときの味の違い、ニュアンスの違いを考えることは大事。
・要するに
大切なことはそれらによってその料理のアイデンティティを考えること。
焼きそばはどこまでが焼きそばで、チャーハンとピラフの境界線はどこなのか。
そういうことを考えてると、食材の選び方から、風味や出汁の選び方、最後は味付け次第でなんとでもなるとかってこととかが理解できるようになってくる。
それで慣れてくると必ず物足りなくなってくるので、そうしたら普段使わないようなオイスターソースとか魚醤とかに手を出すのが良い。
ベースの味が理解できてからじゃないとそういった調味料の旨味に頼るだけの料理になってしまうので飽きやすいし、基本部分での美味しさが上がっていかない。
ベーシックな部分を何周もぐるぐるしながら自分なりにちょっとずつアレンジしていくことがめちゃくちゃ大事。
野菜炒めだとアレンジの限界が早くて、すぐに調味料頼みになりがちなので、やっぱり主食を入れることでおいしい食べ合わせを考えることは重要。
味付けを変えながらローテーションさせてればそれほど飽きないというのも正義。
仮に飽きたら野菜炒めだけつくってインスタントラーメンにぶっこめばいいし、その時だってインスタントラーメンの味(醤油、味噌、塩、豚骨)に合わせて野菜炒めをアレンジしたりするのも面白い。
奮発して、すげえ高いイタリアンのコースを食ったわけですよ(つっても庶民なので、ひとり一万円はしないくらい)(とはいえ、逆にいうと一万円近くはするわけだ!)
まあ美味かったですよね…
すべての皿に驚きがあり、それぞれの皿の中に変化があり、なんというか、たとえば俺が6畳の部屋で自炊したヤキソバを5分でかっ食らうような普段の「食事」とは雲泥の差があった
栄養補給とかじゃなく、あれはひとつの旅、ジャーニー、アドベンチャーだった
まあそれはうまいですよね フルーツと生ハムを一緒に食うっていうのは、さすがにガキじゃねえから概念としては知ってるわけですが、そうはいってもやはり日常的にはやらないわけだ
そういうのをサラリとやってきて、そんですげえうまいんだよ 生ハムもなんつうか、ひと山いくらの軟弱なやつじゃなくて、ハード系の、味に芯があるやつ 生クリームとイチジクの風味が広がる中で、流されずにそこにあり続ける
そんでベルガモットというのが一体なんなのか分かってないんだけど、たしかにオリーブオイルには何か華やかな風味がありました つまりうまいということだ
俺はじつは貝類がけっこうダメで、クセなんてほぼないホタテの貝柱すらわりと苦手としてるんだけど、カルパッチョなんていう生っぽい調理法なのに、このホタテは全然クセがなく、うまさだけがあった
食感もこう、なんの抵抗もないって感じで、なんていうのかな、流れるように過ぎていく一皿だったな
カンパーニュってなんのことか分かってないんだけど、まあなんかこう、硬めのパン?みたいなことだと思っている
そういう、黒っぽい、ハード系のパンがひと切れ、皿に置かれているわけですよ
華やかさは全然ない
ナメてんのか?と思いながら食うと、マジでびっくりするくらいうまい パンはパンであり、パン以上のなにか具なんかが入っているわけではないんだけど、もはや料理と言っていいくらい「味」があった
ランチパックのタマゴサンドとあのカンパーニュだったら、実際のところマジでカンパーニュのほうが「味が濃い」と言っていいと思う(ランチパックだって悪くはないけどよ!)
オリーブオイルとバルサミコ酢?が小皿でついてきて、それにつけて食うこともでき、そうするとまた非常にうまかった バルサミコ酢はブドウっぽさを感じさせる味わいで、少しジャムのようですらあった
たぶんコース全体の主食ポジションとして、ほかの料理と合わせてゆっくり食っていく想定で出てきてたんだけど、完全に単体で主役を張れる味だったというか、料理としてしか認識できないほどうまかったため、普通にすぐ全部食ってしまった…
牛乳ベースというか、生クリームベースというか、そういうクリーミーな白く冷たい液体の中に、粗いさつまいものペーストが入っている
塩気も甘味も控えめなんだけど、それがいい 滋味がある…というにはうますぎるんだが、しかし方向性としては滋味があるということになるんだと思う
さつまいもがペーストなのがよかった ペーストは底の方にいるんで、最初上の方の汁だけ飲んで、あー!確かにサツマイモだ!と思い、その後本当のサツマイモを発見する そういう流れがありましたね
これまでのメニューがどちらかと言えば「抑えた」食材だったのに対して、これはもう完全にメイン感のあるものだ サルシッチャというのはソーセージのことですからね
ロンティーユというのはレンズ豆のことみたいで、トマトベースの味付けがされたレンズ豆の煮付けが太いサルシッチャに添えられていて、バルサミコ酢もかかっている
全てを口に入れると、もう爆発的にうまい ここにきて肉の旨みだ それはまあうまいですよ
そんで、添えられたみかんマスタードも非常によい 北イタリアあたりにモスタルダっつう、果物のマスタード漬け料理があるらしく、それを意識したものらしい
粒マスタードのプチプチした食感、マスタードの風味、柑橘の爽やかさ これがサルシッチャに加わって最強となった
メインのメニューだ
これがうまくないわけがない
トリュフ塩・わさび・さっきのモスタルダという、3種類の調味料がそれぞれ皿の上にあって、好きに選んで食える
白アスパラガスが添えてあるんだけど、これがただ焼かれてるだけじゃなくて出汁で煮込んであって、単体でも美味い
トリュフ塩で食うと肉の甘みが後味に感じられる いちばん肉を食っている感じがする
わさびで食うと、なんというか爽やかだ 俺の表現力ではもはや美味いとしかいえねえ
ワンディッシュとは思えない複雑さであった
マスカルポーネチーズがひと握りくらい乗っていて、もうその時点で嬉しい
ニンニク、というよりガーリックと言った方がいいのかもしれないが、そのガーリックの香りが激しく効いていた
けっこう満腹感がでてきたところにパスタなんだけど、すぐ食えてしまうし、むしろもっとあってもいいとすら思えた
冷たく、なんというかソリッドな甘さ、というか在り方であり、コースの締めくくりにピッタリだった
渋かった もう一度食いたい
高えコース、うめえですわ
俺はわりと余計な金なんていらねえと思っていたけど、高えメシ・うめえメシをバンバン食えると思うと、金ってやっぱすげえわ
でも、高いからうまいってわけでもないとはもちろん思う いい店だからうまいんですよね
いい店だった……
主食は何なのかとは思う
8月末、ベランダに置いた植物の植木鉢の地面にカマキリの成虫が乗っていた。ゲリラ豪雨が続いていたので近所の公園から避難してきたのだろう。放っておくと植木鉢の植物に登って、逆さまにぶら下がって何日もじっとしていた。私は昆虫を一切触れないが家グモはダニやGの幼虫を捕食してくれるらしいので平気だし、カマキリは爬虫類っぽい顔がついているのでわりと好きだ。
魚肉ソーセージを爪楊枝の先につけて顔の前で上下に振ってみると、最初は警戒していたがやがてモグモグと食べ、自分のカマでソーセージを捕まえて食べた。かわいいやつだと思った。
カマキリのことを娘に教えると、最初は気持ち悪がったり怖がったりしていたが、だんだん自分から近づいて毎日気にかけるようになった。基本的に植木鉢にずっとくっついているので、ソーセージをやったり植物の水やりついでに葉伝いに水を与えたりした。しかし他の昆虫などそうそう来ないベランダの植木鉢ひと鉢では落ち着かないのか、だんだんと脱走のそぶりを見せ始めた。植木鉢から外に出てベランダをうろつくようになったのだ。
娘はこれを見て「カマキリいなくなっちゃう」と残念がったが、私も娘も昆虫を捕まえられず、生き餌でないと食べないというカマキリを飼育できる気は全くしなかった。しかしそれなりの愛着は湧き「明日の朝もベランダにいたら、どこまで長生きできるかわからないが家で飼ってやろうか」という思いがある程度湧いてきた。
ところがその日の夜、どこを探しても見つからなくなった。
娘はたいそう落ち込んでべそをかきながら眠り、私はダメ元で翌朝のベランダを探し回った。散々探し回って諦めたところで、窓から見下ろすとちょうど死角になる位置の、ミニ物干しの裏側に逆さまにくっついているのを見つけた。私は決死の覚悟で軍手をはめ、植木鉢を抱えて近づき、無事カマキリを元の植木鉢へ誘導することに成功した。
私よりも早くに起きてベランダを探し回っていたらしい娘は、カマキリの健在を知りたいそう喜んで学校へ行った。私は近所のスーパーを探し回り、虫カゴが見つからないので仮の住まいとして細長い麦茶ポットを買い、100均で鉢底ネットと温度計と霧吹きを買った(鉢底ネットは高所に登る習性があるというカマキリの足場に適しており、カマキリの適正飼育温度は20〜25度で、水を切らさないようにするのが最も重要なのだという)。
帰ってみるとカマキリの姿は植木鉢から消えていた。さんざん植木鉢を探し回り「娘になんと言えばいいのか」とうろたえ絶望しながらベランダ中を探し回り、最後にもう一度植木鉢の植物をよく見てみると普通に逆さまになってくっついていた。カマキリはこの巧みな擬態によって近づいてきた昆虫を捕食するのである。
軍手をはめ、決死の覚悟でカマキリに手を差し伸べるとそろそろと手の上に乗ってきた(怖いので背中をつかめない)ため、これを麦茶ポットの仮住まいへ誘導し、不織布の排水溝ネットと輪ゴムで蓋をし、ヨドバシエクストリームで虫カゴをポチって娘の帰宅を待った。娘はたいそう喜んで何度も何度もカマキリの仮住まいを覗いた。
数日後にちゃんとした虫カゴが届いたので引っ越しをした。つぶしてしまわないか不安だったがどうにか成功した。正直麦茶ポットの方が居心地は良さそうだったが、麦茶ポットではフンの掃除ができないため助かった。
そうしてカマキリが我が家の一時的な一員となってから二週間が経つ。調べてみるとハラビロカマキリのオスのようである。警戒して体を揺らすようなことはたまにあるが、カマを振り上げて威嚇するようなそぶりは全然ない。おとなしく臆病な性質である。
基本的には横倒しにした虫かごの天井で、鉢底ネットに逆さまに捕まってじっとしている。出口がどこにあるかわかっているので「急に見たことのない奴(娘/夫)が来た」「急に知らない場所に虫かごが移動した」などの脅威を感じると虫かごの蓋の方へ来る。「ごめんて」と私は謝りながら落ち着くまでしばらく放っておく。
カマキリは暑さと蒸れに弱いらしいので常に冷房のきいた部屋にいる。蒸れに弱いくせに乾燥にも弱いらしいので折を見て霧吹きで水もやる。連日35度近いこの猛暑の中で、野生の昆虫は一体どうやって生きているのだろうと思う。
家族の誰も生きた昆虫を捕まえられないため、基本的な主食は魚肉ソーセージである。2日に1度、楊枝の先っぽに小さくしたかけらをつけて顔に近づけると食べる。好きでも嫌いでもないようで、食べはするが横着して自分で持たない。かわいいが中年の私としてはずっと手を上げている姿勢がきつくしんどい思いをする。
満腹したり餌の鮮度が落ちると嫌になってしまうのか食べるのをやめ、カマを舐めて掃除を始める。ネコのような仕草で少しかわいい。最初ググった時は「食べ過ぎで腹を破裂させることがある」と聞いて滅茶苦茶ビビっていたが、このカマキリに関してはその心配はないようで安心している。
これまでにヨーグルト、豚ひき肉、マグロの刺身、カツオのたたき、煮干しを与えてみたが、一番喜んで食べたのはカツオのたたきだった。カツオのたたきをよく食べたと聞いて夫が私が先に買ったものの2倍の値段のたたきを買ってきたので与えてみたが、普段横着してなかなか自分で取ろうとしないくせに、これは自分からすごい勢いでカマで抱え込んでガツガツと食べた。カマキリのくせに刺身の良し悪しがわかる贅沢者である。人間が食べても明らかにおいしかったので納得ではある。
ヨーグルトとマグロの刺身には見向きもせず、一番嫌がったのは煮干しだった。
煮干しは見た目が昆虫に似ているし、人間の食べ物ばかりではカルシウムが不足するだろうからあげてみようと思ったのだが、怖がって虫かご中を逃げ回り、ついに餌やりのため蓋を取り払っていた虫かごから脱走をはかった。ビビリ散らしながら軍手をはめて手に乗せ、必死で虫かごに返そうとする私の腕をよじ登ってこようとするので肝を冷やした。どうにか帰宅させることに成功したが、よほど怖かったのか貼りついていた虫かごの高いところから「ビタン!」と地面(キッチンペーパー)に飛び降りてしばらく動かなくなってしまい心配した。幸い大事なかったようでしばらく放っておくと天井の定位置に戻った。
後で主食の魚肉ソーセージのパッケージを見てみたら「カルシウムたっぷり!」と書かれており、己の徒労を知って脱力した。無用となった煮干しは娘がたいそう気に入って全部食べた。
飼育一週間ほどすると上羽の色が裾のあたりから水が染みたように変色していることに気づいた。病気や栄養不足などではないかと思って色々ググったが「日光浴不足ではないか」という程度しか情報が見つからず、とりあえず虫カゴが蒸れない程度に窓越しに日に当てていた。
煮干しを怖がって脱走した際にこの部位を間近で見ることができたので確認してみると、どうも上羽の変色ではなく、飛ぶための透明な羽を下にしまい忘れて上に出しっぱなしになっているだけなことが分かった。そういえば私は見られなかったが、娘が羽を広げているところを見たと言っていた。驚いたか何かで羽を広げた時にたたみ損なったのだろう。散々心配をかけさせておいておっちょこちょいな奴である。
カマキリの多くは年を越さずに死ぬ。生き餌も与えられていないし、10月あたりを目処に寿命が視野に入ってくるだろう。ハリガネムシが入っていたらもっと早いかもしれない。水に漬ければわかるというが、もし水に漬けてハリガネムシが出てきたら数日で死ぬらしいのでそのままにしておきたい。
我が家ではこれまで生き物を飼ったことがない。娘は何度も犬や猫を飼いたいと言ってきたが、借家である以前に私が面倒を見られないからだ。餌の管理も糞の掃除も毛の始末も散歩も躾も介護も何もできる気がしない。そもそも人間の子供すら育てられる気がせずダメ元でどうにかやってきている。
このカマキリが死んだら娘は泣くだろうなと思う。私はどうするだろう。泣くだろうか。わからない。犬猫と違って昆虫は人間への愛着を持つことはないだろうから、我が家のカマキリは人間のことなど気にもせず、ただ生きられるだけ生きて死ぬだろう。残念ながら子孫を残すことはない。我が家で過ごすさまを見る限り外にいても速攻で死んでいそうな印象ではあるが、それは少し申し訳ないようにも思う。
我が家のカマキリは臆病な奴だ。おっちょこちょいな奴だ。グルメな奴だ。横着な奴だ。食べる量を自分で考えられるところは賢い奴だ。そして何よりかわいい奴だ。
できれば長生きしてほしいと思う。我が家でできる範囲で大事にしている。
(追記)
●夫氏、毎朝のインコの体重測定や小鳥病院へ自ら連れて行ったり飼育本など読んでなさそう
→そうなんすよ〜〜〜〜〜!!!ペット飼育に限らずなんだけどとにかく夫って知識を仕入れず自分の正義を貫いてしまうところがあって、裏付けとか根拠とかはあまり気にしないんだよね〜〜〜!!!それやとただの感情論やぞ!!あなたの感想ですよね!?
っていう。まあ夫婦で可愛がるために買ったインコについてギスギスするのも不粋なんであんまガミガミ言いたかないけどなー。
→お前をならって憶測でものを言うなら、お前は友達いなさそうだなって思ったわ
→失礼な言動をとっておいて礼儀を返してもらえると思ってんの?甘すぎん?
●明確な答えあるならそう書いて、論点はこうって示しておけ
→なにネットの愚痴に論点だの何だの言ってんの?てかまさか現実の友達の愚痴にも論点しめせよ!とか言っちゃう系??こわ。こんな愚痴増田読んでおねだりブコメしてないでさっさと帰ってクソしてねてください。
●良かれと思って何か言ってくれる人に対して何でそんな喧嘩腰
→会ったことも話したこともない私たちが実際にどんな暮らしをしてどんなインコ飼育をしてるのか見たこともないアカの他人であるはてなーが、わたしの書いたネットの愚痴に、何をわかって何様目線でよかれと思ってものを言ってくださってるのかしらんけど、少なくとも私からしたらインコにシードだけ与える夫以上に勘違い甚だしい存在なのでうぜえな、という気持ちでレスした結果、あなたからみたら喧嘩腰に見える態度になったということですね。
一般的にはクソバイスと呼ばれる迷惑行為に当たると思いますので自分の良かれは他人の悪かれだと思っていきた方がいいとおもいます。良かれと思って申し上げましたが、もしクソバイスでしたら申し訳ありません。
→動物の意思がどうたらいう話がしたいならヴィーガンスレへどうぞ。こちらはスレチになります
●はてなーよりマシ
→たしかに。って思った。はてなーと結婚せずに済んだこと、そして夫がはてなーでないことに感謝してこれからも夫を愛し抜けそうな気がしてきたわ。ありがとうはてなー。わたしは夫と愛し合うからおまえらはバ美肉おじさん同士でシコりあっていてくれ。
●ウチのインコも、シードとイカの骨以外の食い物を「なんかブキミなモノ」としか認識せず・・・
→けっこういるのかこういう鳥・・・わたしが昔買ってた3羽も、夫が昔買ってた2羽も、なんでもかんでもあたえれば食う(齧る)し、食べちゃダメなものでも食べようとする子だったので、セキセイってこういうものだと思ってて、今の子飼ってびっくりしたんだけど。おもろいなー
●自分もそうだったけど「栄養」ってものをそもそも舐めている人種は存在する
→それなー。いや夫はわたしより人間の食事においては健康的で、栄養の重要性をよく知ってる人なので、まさかシード食が体に悪いとわからぬはずがないと思ってしまってたのよ。甘かった。
【追記】
→文章読めないのか?会話して伝えて結果的に夫は自分が反抗的だったことを認め謝罪があったので議題は解決したけどそれはそれとしてイライラしてるという愚痴にすぎんのだが。
(べつにわたしは夫に「お前反抗的なんだよ」って言いたいわけでも言ったわけでもないし夫に反抗的だったことを反省して欲しいわけでもなかったが)(夫が愛玩動物なんて太く短く可愛くいきればそれでいいからシードだけ食わせとけ派だったらそれはそれで歩み寄るつもりだったわけだが)
→そもそもなんだが、インコの健康位状態が要改善状態までにおよんだことはありません。ブコメにもあるとおりシード食を続けて直ちに不健康になることはありません。また、黙ってシードをやらせていたわけではなく本文にもあるとおり夫がシードばっかりやってたらペレットと入れ替えたりしてました。そして、離婚するかどうかはわたしと夫で決めると本文に明記しています。あなたのような本文を恣意的に読み飛ばす・自分が認める「理があること」を無邪気に正義と信じ切って上から目線で他人にゴリ押ししちゃうタイプの人はモラ予備軍に見えて私個人は一緒に暮らせそうにないですね。ただの感想です。
→上の増田と戦って欲しい。
夫本人に正論ファイアしたらモラハラとかロジハラになりかねないことを増田に愚痴って溜飲を下げているので、確かに増田を読んだみなさんはハラスメント被害者かもしれないですね。
夫に直接言ったことはシードオンリー食の危険性についてと、わたしがやってることは意地悪ではないとわかってほしいこと、この2点のみです。
→わたしがいつインコにブチギレたんですかね・・・ポテチとケーキしか与えない親にイライラしてるんだけどバカにはむずかしかったかにゃ?????
●「ごめんなさい」できたんやから許したれ
→これ若干夫のことディスってくれてんのかなとも思うけどそもそも許す許さんの問題とも思ってない。
愛玩動物をどう生かすか(栄養配慮して長生きさせるor短期的に可愛がるだけでよい)という点においてスタンスが違うだけならそれはそれで歩み寄るか諦めようがあった。(一貫はして欲しい)
しかし実際はそこに関してスタンスは一致しており、ただ夫は知識がないので「カロリーだけあたえていても長生きしない」という点を理解できてなかったこと、頭が悪いので「シード過多であたえていたら当然シード優先で食べるので栄養が入ったペレットを食べないし夫から見たらシードしか食べない鳥にしか見えようがない」ということを理解できてなかったこと、わたしの給餌方法ではインコが餓死すると思っちゃってること、これにイライラしちゃった。
→その通りです。ごめんなさい。AGA治療を頑張るも成果に乏しい夫のために誕生日は毎年その手の高級なシャンプーや時にシャワーヘッドをプレゼントしつつどんなにハゲあがっても愛してるよと本人には伝えています。
●シードを袋ごと捨てる
→夫婦間のトラブルの元になりうるので強硬な手段(勝手にものを捨てるなど)は選択肢外なのは大前提として、
わたし自身もシードをゼロにしようとは思ってないのですよね。殻を剥いて餌を食べるという作業は鳥にとって楽しいというのは本文でも書いたけど、これがストレス発散にもなるらしく、市販のインコ用のおもちゃに興味を示さないうちの子には数少ない娯楽なので、わたしが給餌するときも、シードで満腹にならない程度にペレットに混ぜて与えてます。また、放鳥してかなり飛び回った時のカロリー補給、芸を覚えさせる時のご褒美としても、シードを活用しており、シード自体は保持しておきたいという考え。
●子供にも同じことやりそう系
→ホンマにそう思う。とくに夫は喧嘩の際自分が劣勢になるとペットに甘えはじめたりする。「ママが怒ってるよ〜こわいでちゅね〜」とかいって。これも子供にやられたら死ぬほど嫌。
ということは夫に伝えており、夫がもうすこし大人にならない限り妊娠する気はないし、35過ぎても妊娠できる環境でなければ離婚も視野、と言ってる
●ぼくがかんがえるさいきょうのいんこのえさはこれ系
→この増田はわたしと夫が飼育している一羽のセキセイインコの話ですので専門家でも獣医でもないあなたがたの持論や経験則はこの件と無関係になります。悪霊退散
【追記ここまで】
3歳のセキセイインコを飼っている。この子がかなりのビビりで、セキセイインコとは思えないくらいおとなしい。
セキセイインコ用の齧ったり引っ張ったりして遊べるおもちゃをケージに入れればビビりあげて隅っこで縮こまる。
こんな彼なので、当然小松菜とかイカの甲とか塩土とかの副食類も食べ物とは認識できずケージにいれたとたんにパニックになる。
副食をちゃんと食べてくれないので、飼ってすぐくらいに餌をペレットに切り替えた。
最初は当然食べてくれなかったけど、シードにペレットを混ぜたり、ペレットを粉にしてシードに振りかけたり、根気よく慣らした。毎日体重を測って絶食していないか確認し(インコは餌箱の中身を飛ばしたりするので餌箱だけ見ててもちゃんと食べてるかわからない)、なんとかペレットをしっかり食べてくれるようになった。
ペレットに切り替えてから、それまで悩まされていた糞切れの悪さも改善し、おしりのまわりの羽毛も綺麗になった。
と思っていたんだけど、
なんか先月から夫がまたシードばっかりやりはじめた。
シードってようするにちっちゃいタネなんだけど、基本的にカロリーしか入ってない。ビタミンもミネラルもカルシウムも必須アミノ酸もとれない。
サプリや上記の副食も食べてくれるんなら主食としてシードやってもいいが、シードだけやってては栄養が偏るのは自明。
だからわたしは見かけるたびにイライラしてたし、気がついた時は夫がやったシードを少しのぞいてペレットとまぜたりしてた。
でもたまに気づかないでみすごす日もあった。
あたりまえにシードは鳥にとって美味しいみたいで、ペレットよりよほど食いつきはいい。シードについてる薄皮を剥いて食べる、という作業自体がセキセイインコにとっては楽しいらしい。
たっぷりのシードを与えられることに慣れてきたインコは、しだいに当然ペレットに対する食いつきがどんどん下がっていった。
それで、餌が減ってないのを見ると夫はすぐにシードを追加する。
それでインコがペレットを食べてくれるわけがない。ペレットをボイコットしていれば、シードがもらえるんだから。
たしかにセキセイインコを狭いカゴに閉じ込めて飼ってる時点で人間のエゴのための命なんだからいまさら栄養価に気をつけた食事を摂らせて長生きさせたところで褒められた行為じゃないのはわかってる。
実際、シード類の殻を楽しんで剥きながらるんるんで食事をとる鳥は可愛いので、その可愛さを楽しみ太く短く生きさせてやるのも鳥飼の醍醐味だと言われたら何も言い返せないよ?
でも、そのわりに夜遅くに電気をつけてたら「鳥ちゃんが眩しいだろ」とか掃除機かけてるだけで「鳥ちゃんがびっくりしちゃうだろ」とか文句言ってくるのはなに?カロリーだけ与えてぶくぶく太らせてるお前が何を言っとるんじゃ。お前がこの子の何を一体気にかけとるんじゃ。とイライラした。矛盾だ。
挙句、ついに今朝、わたしがペレットをあげるところを見て「あ〜〜、また意地悪して。」とか訳のわからん難癖をつけてきた。
は?と無視したが、しばらくしてインコを見に行ったら、ペレットをすててシードと入れ替えてあったのである。
「何してんの?どういうこと?」
って聞いたら、ペレットは与えても食べないんだから、シードをやったほうがいい、とかぬかすのである。
ペレットは食べないというけど、食べてる。夫が見てないだけである。そりゃシードがあったらシードを優先して食べるけど、ペレットしかなけりゃペレットを食べる。
食いつきが悪くなるのは当然のこと。小さな子供にポテトチップスやケーキと野菜を出して、ポテチやケーキを真っ先に食べるのをみて、野菜は食べないからポテチとケーキだけ与えよう。ってなるか?
かりに本当に野菜を絶食するようなら、なんとか野菜も食べてもらう方法を考える・もしくは別の手段でビタミンを含むあらゆる栄養素の補給させる方法を考えるどちらかだろ。
とりあえずシードだけやる!って結論にはならんよ。
ここでわたしは初めて「お前はこいつに太く短く生きて欲しいんかしらんけどわたしは正直できるだけ長く一緒にいたい」という話をした。
そのためにはシードだけやってるのではだめで、こいつは副食もサプリも食わねえけどペレットを食えること、シードを食わせるなと言ってるのではない、シードの方がペレットより食いつきがいいのは当たり前のこと、シードもおやつくらいなら食っていい、シードで腹が膨れてペレットに手をつけないようでは困るよってこと、わたしはなにもこいつに意地悪するためにペレットを与えてるわけではないんだよって話をした。
そしたらいうにことかいた夫は「こいつがペレットを食べないんは本当だ。シードしか食べないんだ。ものを食べなくなって弱ってしまったら可哀想なだけ。長生きはして欲しい」とか抜かすのである。
わたしは、「わたしが見てる時はペレットもたべてるけどこれは水かけろんだね。仮に本当にそうだとしても、長生きしてほしいという思いが同じなら、シードだけやってたらダメで、他の方法を考えないといけないってことは理解してな」って言い残して出勤した。
いきしなの電車の中で「今朝は朝から揉め事にしてごめんね。わたしが意地悪でインコにペレットをやってるわけじゃないってことだけわかってくれたらいいから」ってラインした。そしたら夫は「君がそうしたいってことは理解している。俺はただただインコが餓死したら可哀想で、反抗してしまった。ごめんなさい」ってラインが来た。
な〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜んにもわかってないじゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜んwwwwwwwwwwwwわたしが結婚した男ってこんなに頭悪かったの???????????マジで人生一離婚したくなってる!!!!!!!!こんなノータリンと子供なんか作ったら子供が殺されるってばよ!!!!!!!!!!!!!一人で白米だけ食って餓死逃れて生活習慣病にでもなってろ!!!!!!!!!!!!!!クソハゲ!!!!!!!!!!!!!!
※ただの愚痴です。
https://i.imgur.com/wrWs9n4.jpeg
(主催の農民運動全国連合会と新日本婦人の会は実質的に日本共産党の下部組織。衆院議員会館の会議室借りてるところからも明らかだね)
既に都内ですら新米が並んでるんだが何がしたいんや(https://i.imgur.com/YYkgbqo.jpeg
https://i.imgur.com/P1KrIbI.jpeg)
スーパーで買えるようになったせいで通販の若干割高な米はキャンセルされまくってるのに。
元々不作ではなく通年の需要が急増したわけでもないのに共産党は何がしたかったのか。
普段からスーパー行っていれば白米以外の米(玄米、もち米)やパックご飯、その他の米より安価な食料品は山ほど売ってて、食糧危機ではなく一過性ののものだって理解できるでしょうに。いつもは消費者から遠いところにいるお貴族様たちは違うね、やっぱり