はてなキーワード: 系図とは
上記の記事に対して皆さまから寄せられたブコメ・トラバをまとめました! 27日27時ごろまでのコメントを基本的には全て網羅した、元記事で増田が挙げていなかった作品群です。みなさまの知見でリストが充実。気まぐれにひと言追加したりしなかったり。作品推しではないかも? の場合も、とにかくお名前は載せました。抜けがあったら申し訳なし。誤字はこっそり直してますので、ぜひご指摘ください。ありがとうございます。この記事について寄せられたブコメを拝見して、注釈を追記しております。
大変失礼いたしました…。「ガラかめ」を殿堂入りにしてご用意した1枠にてお許しいただきたく(名案)
亜藤潤子『扉を開けて』
遠藤淑子『天使ですよ』この方も支持多し! なぜか別花の印象が強く。本誌でピックアップいたしました
神坂智子『シルクロード・シリーズ』80年に楼蘭の美女発見→81年『キャラバンの鈴』で仕事の速さとイマジネーションの豊かさに震えた
柴田昌弘『紅い牙 ブルー・ソネット』。『タイタニック80』で「花ゆめ」に颯爽と見参。『第3の娘』含む1980年に短編の執筆数が一番多く、しかし白泉SF短編のほとんどが電書化されていないのはまさに損失…!『ブルソネ』は白泉社版コミックス4巻カバー(訂正・3巻でした、すみません)の青いソネットが神々しい美しさ
猫十字社『小さなお茶会』Xに流せば2024年の新作で通用しそう。「ビン」の話が好き
藤崎真緒『瞳・元気 KINGDOM』
藤田貴美『赤い群衆』たくさん作品がある中で、何故これを。何故これををを(歓喜)
谷地恵美子『すーぱぁキッド』
吉村菜由『政がゆく』
川原泉『美貌の果実』 ( 『架空の森』推し)『銀のロマンティック…わはは』『森には真理が落ちている』『メイプル戦記』『食欲魔人シリーズ』
山口美由紀『フィーメンニンは謳う』『音匣ガーデン』『おんなのこ季節』『V-K☆カンパニー』
あさづき空太『赤髪の白雪姫』
我孫子三和『みかん絵日記』みかんといえば当時は逢坂みえこ『永遠の野原』のみかん(犬)ではなく、こちらの方が知名度あったかな…。あの頃の「LaLa」一番手くらいに人気あったんじゃなかったか
樹なつみ『朱鷺色三角』『パッションパレード』『八雲立つ』『Oz』エピローグがプロローグでもあった『ラヴ・ストーリィ』(『朱鷺色三角』所収)。構成の妙よ。読みながら最後に「えーっ!」と声が出た
篠有紀子『センシティヴ・パイナップル』( 「閉じられた9月」所収)←増田お気に入り
縞あさと『君は春に目を醒ます』
佐々木けいこ『信長君日記』 みなもと太郎『風雲児たち』(1979~)とほぼ同時期に始まった、おそらく本邦初の信長ギャグ漫画
かわみなみ『シャンペン・シャワー』1983年連載開始。南米のプロリーグを舞台とした、サッカーワールドカップ出場を目指す物語。
『日処』といい、ものすごい漫画が「LaLa」から出るんですよね。増田の年齢的には森川久美『南京路に花吹雪』も忘れ難く、当時の成田美名子は『エイリアン通り』を連載中、樹なつみのブレイク作品『マルチェロ物語』もこの頃で、「LaLa」最初の黄金期だったような。月刊誌(作画時間に余裕が出る・ページ数多くてOK)の性格上、先行の「花ゆめ」に対して大作路線に舵を切って差別化してたのかも。といいつつ増田はその少し前の高口里純『トロピカル半次郎』が好きでした。歌って踊れる数学教師。
80年代初頭はまだ「別冊」「増刊」がなかったせいか美内すずえが『ガラかめ』と『聖アリス帝国』『黒百合の系図』、魔夜峰央は『パタリロ!』と『ラシャーヌ!』、高口里純が花ゆめでは『久美と森男のラブメロディ』を手掛けるなど「花ゆめ」「LaLa」掛け持ち組がいらした記憶。
筑波さくら『目隠しの国』 『嘘解き』路線で別原作なら、ぜひこの作品を実写化してほしい…!
これは間違ってはいけない単語でした。モー様案件は『スター・レッド』「AーA’』あたりが好きで『トーマの心臓』方面に疎いのが、語るに落ちてしまった。また、作中にチラッと出てきた「ギムナジウム」より、パタリロといえば、の「クックロビン音頭」がそもそもモー様大リスペクトだったという。ご指摘深く深く感謝です。
「LaLa」は雑誌を購読していなかったので断片的にしか語れず。寄せられただけでも10選は難しそう。後は頼んだ! みなさまありがとうございました!
「モーニング娘の石川梨華ってウンコするの?」議論における体系図
しないよ派
│
└┬―→ 肛門ないよ派
│ │
│ └┬―→ 肛門ではない穴があるよ派
│ │ │
│ │ └┬―→ そこから出るものはウンコとは呼ばない派 (穏健的ファンタジー派?)
│ │ │
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│ │
│ ├―→ ビューティーを紡いだり奏でたりするよ派(ビューティー派)
│ │
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└―→ 肛門あるよ派
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│
│ │
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└―→ 肛門から出るウンコは石川のウンコではないよ派(過激派)
するよ派
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└┬―→ 人並みにするよ派―→ 他の人より大量にするよ派
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│ │
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├―→ 人工放射性元素 ウンウンウニウム(Uuu)90%,貴金属10%のをするよ(Uuu派=Fa派)→ 急速展開中
│ │
│ └―→ 神がその見えざる手により何処へと運び去るんだよ派(穏健的しないよ派?)
│
ケネディ家とロックフェラー家はピルグリム・ファーザーズの子孫ですか?
ケネディ家とロックフェラー家がピルグリム・ファーザーズの子孫であるかどうかについては、歴史的な記録に基づいて正確に回答することは困難です。しかしながら、両家族ともアメリカ合衆国の創設期において非常に重要な役割を果たし、アメリカ合衆国の歴史において大きな影響力を持っていることは事実です。
具体的には、ケネディ家はジョセフ・ケネディ・シニアを筆頭に、政治家や実業家としての成功を収め、アメリカ合衆国の歴史に多大な影響力を与えています。一方、ロックフェラー家はジョン・ロックフェラーを筆頭に、石油産業において巨大な財を築き、アメリカ合衆国の経済に大きな影響力を持っています。
一般的に言えることは、アメリカ合衆国の歴史において重要な役割を果たした家族は、多くが移民や早期入植者の子孫である可能性が高いということです。しかし、個々の家族のルーツや家系について正確な情報を得るためには、家族の系図や歴史的な資料を調査する必要があります。
「モーニング娘の石川梨華ってウンコするの?」議論における体系図
しないよ派
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└┬―→ 肛門ないよ派
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│ └┬―→ 肛門ではない穴があるよ派
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│ │ └┬―→ そこから出るものはウンコとは呼ばない派 (穏健的ファンタジー派?)
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│ ├―→ ビューティーを紡いだり奏でたりするよ派(ビューティー派)
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└―→ 肛門あるよ派
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└―→ 肛門から出るウンコは石川のウンコではないよ派(過激派)
するよ派
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└┬―→ 人並みにするよ派―→ 他の人より大量にするよ派
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├―→ 人工放射性元素 ウンウンウニウム(Uuu)90%,貴金属10%のをするよ(Uuu派=Fa派)→ 急速展開中
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│ └―→ 神がその見えざる手により何処へと運び去るんだよ派(穏健的しないよ派?)
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人間でいうと、例えば従妹同士で結婚すると、当事者の二代前の先祖4人のうち2人が一致するよね(祖父母2組のうち1組が共通だから)
とすると、その2人の特徴が出やすい、ということ
A---B C---D E---F G---H
I --- J K --- L
M N
例えば上みたいな系図の時、(AとBからうまれたのがI、CとDから生まれたのがJ、みたいな感じ)従妹同士の結婚だと、A=E、B=Fってなるよね
これを競走馬でいうと、3x3のクロスが2本、ということになる
3x3とかっていうのは、共通の祖先が何代前にいるか?ってのを表すので、結婚する当事者が1、その親が2、祖父母が3ということ
なので祖父母世代、AからHまでは3で、3の世代に同一人物がいるから3x3となる
そして、じいちゃんAで1本、ばあちゃんBもいるから2本ってこと
(実際は、AとBの子は全て血統上同じ、と見なせるので、IとKは兄弟だけど血統上の位置づけが同じとして、2x2が1本とも言える)
で、実際競走馬で3x3のクロス2本、とか、2x2が1本とかいうと、いるのはいるけど、ちょっと難しい顔になると思う
これは、近親相姦が過ぎるためで、血が濃すぎる、と言われて、奇形とか虚弱体質とかが出やすい、という話もある
あまりに濃いと、怖くて配合できないそうだ
つまり、繁殖する当事者のじいちゃんと、もう片方の当事者のひいじいちゃんが同じ、ということ
じいちゃん側の目線で言えば、先妻との子の系列の孫と、後妻との系列のひ孫が結婚する感じ
これが4x3が1本
で、この共通する祖先がすごい馬だった場合、その祖先の性質を受け継ぎやすいので、つまりどんな馬になりやすいか、が狙えるそうだ
血統表見ると近親相姦ばっかりやん!と思ってしまうけど実際は人間でいう従妹同士の結婚より遠いものがほとんどだよ
遠縁との親戚を繰り返している、という感じ
他に何があるかググってみた
すると淡路島には 五斗長垣内 舟木 など、鉄器生産所の遺跡があるという
工場の建物は、神宮式ではなく竪穴式らしいので、弥生人が作ったはず
ゴッサ(五斗長)、カイト(垣内・開拓)、フナ(舟)、ギ(木)からすれば、5隻の船で来た
イザナミ、イザナギ、その子のアマテラス、スサノオ、ツクヨミで、ちょうど5人だ
九州の オトクマテンドウマチ遺跡 は青銅器の遺跡だから、おそらく弥生人のものだったろう
その卑弥呼時代の国や、朝鮮半島の帯方郡は、鉄器製造技術の伝来のころ滅びているようにみえる
古墳時代に九州のウサツヒコ・ウサツヒメが建てた建物にしばらく滞在して、
つまり、イザナミ・イザナミ一族は、本部は九州、日向だったが、大阪に上陸する前に、淡路島にゴッサ基地をたてた
モンゴル系の皇族が、法隆寺火災を書いてない古事記を出したので、法隆寺を建立した高句麗系の皇族は炎上して日本書紀を出した。
匈奴・鮮卑などの大陸文化を好んでいた聖武らは、法隆寺を破壊して彼らの北魏風に再建した。その後、奈良に平城京を立てて引越し、火災など知らないよと(平易な漢字で)古事記を出した。それ以降、ヒメヒコ制も急に廃れ男性天皇が主になった。
聖徳太子や聖武の前の文武天皇のほうは、もちろん飛鳥時代や初期法隆寺を作った高句麗系か倭国系の人物で、今でいう炎上で(難しい漢字で)日本書紀を出して火災に言及した。しかし天皇系図への異論までは書けなかった。
それでも聖武が文武の息子というのは疑わしい。7才の実の息子は追い払われ、のちに聖武がその子になりすましてるだろう。皇族は乗っ取りや合併が好きなんですか先生。
初代ルイヴィトンの創業者みたいに自らイギリス大使館に赴いて私今日から諜報員やりまぁす!って言って
貴族の末裔だとか爵位や系図捏造してでも経歴詐称して堂々とナチスドイツとかの上流階級に入ってコネ作りまくったりブランド売りこんだりすればいい
失敗したら自分から死を懇願するレベルの拷問受けてから殺されるというリスクを背負えば、できないことなんか何もないということをルイヴィトンは教えてくれている
ホラッチョだってそうだ、海外にさえ言ったことなくてもめちゃくちゃ英語勉強してネイティブスピーカーでさえ気が付かないほどの英会話能力と
滅茶苦茶独学して本物のコンサルタントや経営者ですら気が付かせないくらいの知識を勉強して堂々とハーフとか詐称してコネ作りまくったりすればいい
失敗したらもう一生目立った仕事はできないというリスクを背負えば、できないことなんか何もないということをホラッチョは教えてくれている
同じ30過ぎでも、ここで精神病んで統合失調症の妄想を固定させてる低能先生予備軍や
30過ぎてタバコにストロングゼロ漬けの底辺アルバイターやブラックIT企業勤めのド底辺なんかより
別にカツアゲとか強盗するわけでもなく、職場の人間イジメ殺したとかいうわけでなく、ホラ一つで一財産築き上げて女ともヤれてたホラッチョやルイヴィトンこそ弱者日本人のロールモデルでは?
当時私は二十五歳の青年で、丸まるの内うちのあるビルディングにオフィスを持つ貿易商、合資会社S・K商会のクラークを勤めていた。実際は、僅わずかばかりの月給なぞ殆ほとんど私自身のお小遣こづかいになってしまうのだが、と云ってW実業学校を出た私を、それ以上の学校へ上げてくれる程、私の家は豊ゆたかではなかったのだ。
二十一歳から勤め出して、私はその春で丸四年勤続した訳であった。受持ちの仕事は会計の帳簿の一部分で、朝から夕方まで、パチパチ算盤玉そろばんだまをはじいていればよいのであったが、実業学校なんかやった癖に、小説や絵や芝居や活動写真がひどく好きで、一いっぱし芸術が分る積つもりでいた私は、機械みたいなこの勤務を、外ほかの店員達よりも一層いやに思っていたことは事実であった。同僚達は、夜よな夜なカフェ廻りをやったり、ダンス場へ通かよったり、そうでないのは暇ひまさえあればスポーツの話ばかりしていると云った派手はでで勇敢で現実的な人々が大部分であったから、空想好きで内気者うちきものの私には、四年もいたのだけれど、本当の友達は一人もないと云ってよかった。それが一際ひときわ私のオフィス勤めを味気あじきないものにしたのだった。
ところが、その半年ばかり前からというものは、私は朝々の出勤を、今迄いままで程はいやに思わぬ様になっていた。と云うのは、その頃十八歳の木崎初代が初めて、見習みならいタイピストとしてS・K商会の人となったからである。木崎初代は、私が生れるときから胸に描いていた様な女であった。色は憂鬱ゆううつな白さで、と云って不健康な感じではなく、身体からだは鯨骨くじらぼねの様にしなやかで弾力に富み、と云ってアラビヤ馬みたいに勇壮ゆうそうなのではなく、女にしては高く白い額に左右不揃いな眉まゆが不可思議な魅力をたたえ、切れの長い一ひとかわ目に微妙な謎を宿し、高からぬ鼻と薄過ぎぬ唇が、小さい顎あごを持った、しまった頬ほおの上に浮彫うきぼりされ、鼻と上唇の間が人並ひとなみよりは狭くて、その上唇が上方にややめくれ上った形をしていると、細かに書いてしまうと、一向初代らしい感じがしないのだが、彼女は大体その様に、一般の美人の標準にはずれた、その代りには私丈けには此上このうえもない魅力を感じさせる種類の女性であった。
内気者の私は、ふと機会を失って、半年もの間、彼女と言葉も交わさず、朝顔を見合わせても目礼さえしない間柄であった。(社員の多いこのオフィスでは、仕事の共通なものや、特別に親しい者の外は、朝の挨拶などもしない様な習わしであった)それが、どういう魔(?)がさしたものか、ある日、私はふと彼女に声をかけたのである。後になって考えて見ると、この事が、いや私の勤めているオフィスに彼女が入社して来たことすらが、誠に不思議なめぐり合せであった。彼女と私との間に醸かもされた恋のことを云うのではない。それよりも、その時彼女に声をかけたばっかりに、後に私を、この物語に記しるす様な、世にも恐ろしい出来事に導いた運命について云うのである。
その時木崎初代は、自分で結ゆったらしい、オールバックまがいの、恰好かっこうのいい頭を、タイプライターの上にうつむけて、藤色セルの仕事着の背中を、やや猫背にして、何か熱心にキイを叩たたいていた。
HIGUCHI HIGUCHI HIGUCHI HIGUCHI HIGUCHI ……
見ると、レタペーパの上には、樋口ひぐちと読むのであろう、誰かの姓らしいものが、模様みたいにベッタリと並んでいた。
私は「木崎さん、御熱心ですね」とか何とか云うつもりであったのだ。それが、内気者の常として、私はうろたえてしまって、愚かにも可成かなり頓狂とんきょうな声で、
「樋口さん」
と呼んでしまった。すると、響ひびきに応じる様に、木崎初代は私の方をふり向いて、
「なあに?」
と至極しごく落ちついて、だが、まるで小学生みたいなあどけない調子で答えたのである。彼女は樋口と呼ばれて少しも疑う所がないのだ。私は再びうろたえてしまった。木崎というのは私の飛とんでもない思違おもいちがいだったのかしら。彼女は彼女自身の姓を叩いていたに過ぎないのかしら。この疑問は少しの間私に羞恥しゅうちを忘れさせ私は思わず長い言葉を喋しゃべった。
「あなた、樋口さんて云うの? 僕は木崎さんだとばかり思っていた」
すると、彼女も亦またハッとした様に、目のふちを薄赤くして、云うのである。
「マア、あたしうっかりして。……木崎ですのよ」
「じゃあ、樋口っていうのは?」
「何なんでもないのよ。……」
そして木崎初代は慌あわてて、レタペーパを器械からとりはずし、片手で、もみくちゃにするのであった。
私はなぜこんなつまらない会話を記したかというに、それには理由があるのだ。この会話が私達の間にもっと深い関係を作るきっかけを為なしたという意味ばかりではない。彼女が叩いていた「樋口」という姓には、又彼女が樋口と呼ばれて何の躊躇ちゅうちょもなく返事をした事実には、実はこの物語の根本こんぽんに関する大きな意味が含まれていたからである。
この書物かきものは、恋物語を書くのが主眼でもなく、そんなことで暇どるには、余りに書くべき事柄が多いので、それからの、私と木崎初代との恋愛の進行については、ごくかいつまんで記すに止とどめるが、この偶然の会話を取交とりかわして以来、どちらが待ち合わせるともなく、私達はちょくちょく帰りが一緒になる様になった。そして、エレベーターの中と、ビルディングから電車の停留所までと、電車にのってから、彼女は巣鴨すがもの方へ、私は早稲田わせだの方へ、その乗換場所までの、僅わずかの間を、私達は一日中の最も楽しい時間とする様になった。間もなく、私達は段々大胆になって行った。帰宅を少しおくらせて、事務所に近い日比谷ひびや公園に立寄り片隅かたすみのベンチに、短い語らいの時間を作ることもあった。又、小川町おがわまちの乗換場で降りて、その辺のみすぼらしいカフェに這入はいり、一杯ずつお茶を命じる様なこともあった。だが、うぶな私達は、非常な勇気を出して、ある場末ばすえのホテルへ這入って行くまでには、殆ど半年もかかった程であった。
私が淋さびしがっていた様に、木崎初代も淋しがっていたのだ。お互たがいに勇敢なる現代人ではなかったのだ。そして、彼女の容姿が私の生れた時から胸に描いていたものであった様に、嬉しいことには、私の容姿も亦また彼女が生れた時から恋する所のものであったのだ。変なことを云う様だけれど、容貌については、私は以前からややたのむ所があった。諸戸道雄もろとみちおというのは矢張やはりこの物語に重要な役目を演ずる一人物であって、彼は医科大学を卒業して、そこの研究室である奇妙な実験に従事している男であったが、その諸戸道雄が、彼は医学生であり、私は実業学校の生徒であった頃から、この私に対して、可成かなり真剣な同性の恋愛を感じているらしいのである。
彼は私の知る限りに於おいて、肉体的にも精神的にも、最も高貴ノーブルな感じの美青年であり、私の方では決して彼に妙な愛着を感じている訳ではないけれど、彼の気難しい撰択に適かなったかと思うと、少くとも私は私の外形について聊いささかの自信を持ち得うる様に感じることもあったのである。だが、私と諸戸との関係については、後に屡々しばしば述べる機会があるであろう。
それは兎とも角かく、木崎初代との、あの場末のホテルに於おいての最初の夜は、今も猶なお私の忘れ兼かねる所のものであった。それはどこかのカフェで、その時私達はかけおち者の様な、いやに涙っぽく、やけな気持ちになっていたのだが、私は口馴れぬウィスキイをグラスに三つも重ねるし、初代も甘いカクテルを二杯ばかりもやって、二人共真赤まっかになって、やや正気を失った形で、それ故ゆえ、大した羞恥を感じることもなく、そのホテルのカウンタアの前に立つことが出来たのであった。私達は巾はばの広いベッドを置いた、壁紙にしみのある様な、いやに陰気な部屋に通された。ボーイが一隅の卓テーブルの上に、ドアの鍵と渋茶しぶちゃとを置いて、黙って出て行った時、私達は突然非常な驚きの目を見交わした。初代は見かけの弱々しい割には、心しんにしっかりした所のある娘であったが、それでも、酔よいのさめた様な青ざめた顔をして、ワナワナと唇の色をなくしていた。
「君、怖いの?」
私は私自身の恐怖をまぎらす為に、そんなことを囁ささやいた。彼女は黙って、目をつぶる様にして、見えぬ程に首を左右に動かした。だが云うまでもなく、彼女も怖がっているのだった。
それは誠に変てこな、気拙きまずい場合であった。二人とも、まさかこんな風になろうとは予期していなかった。もっとさりげなく、世の大人達の様に、最初の夜を楽しむことが出来るものと信じていた。それが、その時の私達には、ベッドの上に横になる勇気さえなかったのだ。着物を脱いで、肌を露あらわすことなど思いも及ばなかった。一口に言えば、私達は非常な焦慮しょうりょを感じながら、已すでに度々たびたび交わしていた唇をさえ交わすことなく、無論その外の何事をもしないで、ベッドの上に並んで腰をかけて、気拙さをごまかす為に、ぎこちなく両足をブラブラさせながら、殆ど一時間もの間、黙っていたのである。
「ね、話しましょうよ。私何だか小さかった時分のことが話して見たくなったのよ」
彼女が低い透き通った声でこんなことを云った時、私は已すでに肉体的な激しい焦慮を通り越して、却かえって、妙にすがすがしい気持になっていた。
「アア、それがいい」私はよい所へ気がついたと云う意味で答えた。
「話して下さい。君の身の上話を」
彼女は身体を楽な姿勢しせいにして、すみ切った細い声で、彼女の幼少の頃からの、不思議な思出おもいでを物語るのであった。私はじっと耳をすまして、長い間、殆ど身動きもせずそれに聞き入っていた。彼女の声は半なかばは子守歌の様に、私の耳を楽しませたのである。
私は、それまでにも又それから以後にも、彼女の身の上話は、切れ切れに、度々たびたび耳にしたのであったが、この時程感銘かんめい深くそれを聞いたことはない。今でも、その折の彼女の一語一語を、まざまざと思い浮うかべることが出来る程である。だが、ここには、この物語の為には、彼女の身の上話を悉ことごとくは記す必要がない。私はその内から、後にこの話に関係を生じるであろう部分丈けを極ごく簡単に書きとめて置けばよい訳である。
「いつかもお話した様に、私はどこで生れた誰の子なのかも分らないのよ。今のお母さん――あなたはまだ逢わないけれど、私はそのお母さんと二人暮ぐらしで、お母さんの為にこうして働いている訳なの――その私のお母さんが云うのです。初代や、お前は私達夫婦が若かった時分、大阪の川口かわぐちという船着場ふなつきばで、拾って来て、たんせいをして育て上げた子なのだよ。お前は汽船待合所の、薄暗い片隅に、手に小さな風呂敷包ふろしきづつみを持って、めそめそと泣いていたっけ。あとで、風呂敷包みを開けて見ると、中から多分お前の先祖のであろう、一冊の系図書けいずがきと、一枚の書かきつけとが出て来て、その書きつけで初代というお前の名も、その時丁度ちょうどお前が三つであったことも分ったのだよ。でもね、私達には子供がなかったので、神様から授さずかった本当の娘だと思って、警察の手続てつづきもすませ、立派にお前を貰もらって来て、私達はたんせいをこらしたのさ。だからね、お前も水臭い考えを起したりなんぞしないで、私を――お父さんも死んでしまって、一人ぼっちなんだから――本当のお母さんだと思っていておくれよ。とね。でも、私それを聞いても、何だかお伽噺とぎばなしでも聞かせて貰っている様で、夢の様で、本当は悲しくもなんともなかったのですけれど、それが、妙なのよ。涙が止めどもなく流れて仕様がなかったの」
彼女の育ての父親が在世ざいせいの頃、その系図書きを色々調べて、随分本当の親達を尋たずね出そうと骨折ったのだ。けれど系図書きに破けた所があって、ただ先祖の名前や号やおくり名が羅列られつしてあるばかりで、そんなものが残っている所を見れば相当の武士さむらいの家柄には相違ないのだが、その人達の属した藩はんなり、住居なりの記載が一つもないので、どうすることも出来なかったのである。
「三つにもなっていて、私馬鹿ですわねえ。両親の顔をまるで覚えていないのよ。そして、人混みの中で置き去りにされてしまうなんて。でもね。二つ丈け、私、今でもこう目をつむると、闇の中へ綺麗きれいに浮き出して見える程、ハッキリ覚えていることがありますわ。その一つは、私がどこかの浜辺の芝生の様な所で、暖かい日に照らされて、可愛い赤あかさんと遊んでいる景色なの。それは可愛い赤さんで、私は姉ねえさまぶって、その子のお守もりをしていたのかもしれませんわ。下の方には海の色が真青に見えていて、そのずっと向うに、紫色に煙けむって、丁度牛の臥ねた形で、どこかの陸おかが見えるのです。私、時々思うことがありますわ。この赤さんは、私の実の弟か妹で、その子は私みたいに置去りにされないで、今でもどこかに両親と一緒に仕合せに暮しているのではないかと。そんなことを考えると、私何だか胸をしめつけられる様に、懐しい悲しい気持になって来ますのよ」
彼女は遠い所を見つめて、独言ひとりごとの様に云うのである。そして、もう一つの彼女の幼い時の記憶と云うのは、
「岩ばかりで出来た様な、小山があって、その中腹から眺めた景色なのよ。少し隔へだたった所に、誰かの大きなお邸やしきがあって、万里ばんりの長城ちょうじょうみたいにいかめしい土塀どべいや、母屋おもやの大鳥おおとりの羽根を拡ひろげた様に見える立派な屋根や、その横手にある白い大きな土蔵なんかが、日に照てらされて、クッキリと見えているの。そして、それっ切りで、外ほかに家らしいものは一軒もなく、そのお邸の向うの方には、やっぱり青々とした海が見えているし、その又向うには、やっぱり牛の臥た様な陸地がもやにかすんで、横よこたわっているのよ。きっと何ですわ。私が赤さんと遊んでいた所と、同じ土地の景色なのね。私、幾度その同じ場所を夢に見たでしょう。夢の中で、アア又あすこへ行くんだなと思って、歩いていると、きっとその岩山の所へ出るに極きまっていますわ。私、日本中を隅々まで残らず歩き廻って見たら、きっとこの夢の中の景色と寸分違わぬ土地があるに違いないと思いますわ。そしてその土地こそ私の懐しい生れ故郷なのよ」
「ちょっと、ちょっと」私はその時、初代の話をとめて云った。「僕、まずいけれど、そこの君の夢に出て来る景色は、何だか絵になり相そうだな。書いて見ようか」
そこで、私は机の上の籠かごに入れてあったホテルの用箋ようせんを取出して、備そなえつけのペンで、彼女が岩山から見たという海岸の景色を描いた。その絵が丁度手元に残っていたので、版にしてここに掲かかげて置くが、この即席そくせきのいたずら書きが、後に私にとって甚だ重要な役目をつとめてくれ様などとは、無論その時には想像もしていなかったのである。
「マア、不思議ねえ。その通りですのよ。その通りですのよ」
初代は出来上った私の絵を見て、喜ばしげに叫んだ。
「これ、僕貰もらって置いてもいいでしょう」
私は、恋人の夢を抱いだく気持で、その紙を小さく畳たたみ、上衣うわぎの内ポケットにしまいながら云った。
初代は、それから又、彼女が物心ついてからの、様々の悲しみ喜びについて、尽きぬ思出を語ったのである。が、それはここに記す要はない。兎とも角かくも、私達はそうして、私達の最初の夜を、美しい夢の様に過すごしてしまったのである。無論私達はホテルに泊りはしないで、夜更よふけに、銘々めいめいの家に帰った。
土岐市美濃陶磁歴史館で開催されている「土岐明智氏と妻木氏」展に行ってまいりましたわ
明智氏の発祥は妻木であって、可児郡の明智に領地をもっていなかったそうですの
光秀の妹で信長の側室と思しき方も「妻木」と呼ばれていたようですわ
光秀は婿養子かも?とも思ってしまいましたけれども、どうでしょうか
四回も内紛をしている妻木氏の系図を拝見すると一族の結束を高めるためにあえて
彼らは源流の土岐氏から勝ち馬を見抜く眼力でのびてきた一族ですけれど
足利義満にしかけられた「土岐康行の乱」で一族そのものをロックオンされると
悲しいですわね
(ちなみに末裔の妻木氏も関ヶ原の戦いで勝ち組の徳川を選んでいますわ
入り口衝立の裏に掲示された書状の講座がとても興味深かったです
「袖」と「奥」に注目すると、
両者にそれぞれを好む武士たちが分かれてしまって戦う羽目になった原因を想像できますの
これは兄弟が協力して共通の敵と戦うときは異なるタイプによって幅広く与党を集められますけれども
天下を取ってしまうと二人の間で派閥がわかれて困ったことになってしまいますわね
歴史を知った上で書状をみるとバイアスが掛かって、こんな風に何もかも分かった気になってみえるわけですわ
ところで、尊氏さんの直義さんと内紛して劣勢になっているときの軍勢催促状は
こういうのよくありませんわ
(後継者の義詮さん義満さんも袖に花押のみでしたので尊大にふるまうのも意図的な演出の面はあると思います)
ハッとさせられました
でも、へうげものに出てきた信にハートの旗を思い出してしまうのですわ
ついでに小皿でも素焼きなら山茶碗ですわ
ヒルビリー・エレジー~アメリカの繁栄から取り残された白人たち~
アメリカにおける共同体の衰退を論じた Bowling Alone. は大きな反響を巻き起こした。ソーシャル・キャピタルの概念の提唱者でもある。
「日本の売上高トップ50社に主要銀行と商社を加えた75社の取締役の血縁を調べると、その7割以上が親戚・姻戚関係にあり、更にその周りに無数の系列企業が連なって壮大な閥族支配の網を形成し…」
ttps://twitter.com/akaikebasutei/status/1435087315957784577
ttps://www.amazon.co.jp/dp/4334971539
ttps://takapapa.hatenablog.com/entry/19980121/p1
私にブルデューを教えてくれた女性は「大衆は愚かで無力」と語った - はてな村定点観測所
その投稿に対して、「両親の年収よりも両親の学歴や教養の方が子供の学歴を決定する影響が大きいですよ」というレスを書いてきた人がいた。
ttps://b.hatena.ne.jp/entry?url=http%3A%2F%2Fcyberglass.hatenablog.com%2Fentry%2F2015%2F11%2F13%2F042324
wikipediaの「Category:xxxx年のテレビアニメ」を一年ずつ眺めていくと面白いです。
ちなみに anond:20180324005516 は違う増田。
単純そうに見えて、コピペを調べるのに意外に手間がかかっている記事。
元がアダルト業界のよくわからん俗語なので、地味に苦労して調べた記事。
三大銀行の公式サイトを参考にしつつも主にWikipedia情報で書いた記事。
どっちかと言うと系統図を作図するのが大変だった。
けっこう独断で選んだので、実際にその国の人に聞いてみたら「こいつは違うだろ」って言われそうな記事。
Wikipediaのページなど存在しない人も多く、いろいろ調べるのが大変だったが面白かった。
なるべく知名度があるツンデレキャラを載せようとしたんだけど、
実はガンダムをそんなに観ていないので調べるのが大変だった記事。
まとまった情報がなかったので、いちばん苦労したかもしれない記事。
もともとオカルトには興味がなかったし。
こういうのを元増田みたいに質問する人がサッと用意してくれるといいよね。
「へったくれ」の語源 anond:20170713203121 なんかも大変だったけど。
これも興味のない分野について調べてみた記事。
意外に綺麗に時期分けできるのが面白かった。
毎年書いてるんだけど、100以上ブクマされたり全くブクマされなかったりする。
各年を代表するアニメのまとめがメインで、景気のことは二の次だった記事。
自分のなかでは anond:20150703142948 に近い感覚の記事。
これはほぼ記憶で書いたあと裏付けを取っただけで、あまり手間のかかっていない記事。
「パワーカップルの基準がだんだん下がっている!」というネタに異を唱えたかった記事。
これはまあWikipediaのページを行ったり来たりするだけで、
テーブルを組むほうが大変だった。