はてなキーワード: ダイヤとは
[その日の天気とか関係性とかの前置き]
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そこまでに至る経緯をもう忘れてしまったのだけれど、彼が宝石なら持ってると言うので、なら見てやろうという事になった。彼が部屋の片隅にある棚の下から2番目の段にある、両手こぶしほどの木箱が何個も積まれたエリアの真ん中からひとつ抜き出して持ってきた。
正直、実はこの箱からダイヤのエンゲージ・リングが出てくることを期待していなかったわけでもない。彼はロマンチストとは程遠かったけど、宝石を持っているという一面が新たな切り口を私に提示し、その先を想像させていた。ミロのヴィーナスの失われた腕のように、それは観衆の理想や願望を映し出す鏡である。それに私達はもう1年半になるし、もうすぐ若者というネームプレートが使えなくなる年頃なのだから、意識せずとも考えてしまうというものだ。
一方で彼の仕草はそんなことをおくびにも出さないほどそっけなく、私の前のテーブルにいつものコーヒーを置くかのような音で木箱を据えた。ことん、という無音程の効果音がヴィーナスの指先で不協和音を奏でた。
そして箱が開かれて打ちのめされる。やはり彼は彼で、私の知らないロマンチストなどではなかった。ヴィーナスの復元予想図がいつも期待外れであるように。しかしこれは予想ではなく現実だった。期待外れの予想は鼻で笑えばそれで終わりだが、期待外れの現実にはそうもいかない。この宝石箱にありがちな繊細な毛が揃ったポリエステルの布地の上には、親指より少し大きい程度の宝石──そう、ただの宝石──が並んでいた。装飾品として加工される前の、いわば生の状態の宝石だ。
しかも、全てが透き通っている緑色、高校の修学旅行で見た沖縄の海のようなグリーンだった……エメラルドだ。
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日本最古の漫画とされる文字通りの国宝。800年この宝を守り残してくれた高山寺に感謝しよう。
果たして現代の漫画の原画は800年後も無事に守り伝えられているであろうか?
手塚治虫の長編デビュー作。諸説あるものの当時にして40万部を売り上げたとされる革命的な作品。
この漫画に衝撃を受け、多くの若者が漫画家の道を志したとされ、藤子不二雄などもその偉大さを強く伝えている。
酒井七馬との共作であったため、それに伴うトラブル等からその出来を手塚自身は認めていなかったとされ長らく封印されており、完全に書き直したバージョンも存在する。現在ではオリジナル版が復刊され電子書籍でも手頃な価格で読める。これはよほど状態の良い初版から丁寧におこしたらしく非常に鮮明な素晴らしい出来だぞ。
(ただオリジナル版は印刷の都合上、手塚の絵を職人が手でトレースして出版したものらしいので筆使いみたいなものを論じる意味はないぞ)
手塚はここから本格的に出発し、約40年間で15万ページの漫画を書いたという。
手塚治虫やトキワ壮グループのカウンターになるようなシリアスな表現を極めていく劇画の礎となり、漫画表現の幅を大きく広げる道を作った。
当時の劇画としては、白土三平の「忍者武芸帳 影丸伝」が傑作として名高く今読んでも抜群に面白いが、パイオニアとしての黒い吹雪の地位は揺るがない。
劇画黎明期の様子は、同じく辰巳が晩年に描いた「劇画漂流」という漫画に詳しい。
また辰巳は海外での評価が非常に高く、例えば「黒い吹雪」もWikipediaに日本語版はないのに英語版は存在している。
劇画といえば手塚との対立が面白おかしく語られがちだが、劇画の始祖辰巳は中学生の時から手塚の自宅に出入りし、終生手塚を敬愛して二人でフランスを訪れたりもしていたことは覚えておいてくれよな。
藤子不二雄が、おばけのQ太郎に始まり、手塚治虫とはまた違う新しい読者層を開拓していった活動の頂点に位置する作品。短編と大長編を合わせて膨大な作品群を形成し、その影響は漫画界よりもその外部に大きく広がり、多くの人の人生や、現代に溢れるkawaiiキャラクターものにまで現在進行形で強く力を与え続けている。
いまだにアジアで愛され続けるそのレガシーの大きさはとても一言では表せないが多くを語る必要はないだろう。
旧来の少女漫画が描いていたステレオタイプを打破する作品を矢継ぎ早に発表した萩尾望都の出世作。
少女漫画誌に次々と新しい手法で圧倒的な画力と文学性を持ち込み、後の多様性の形成の礎となった。
世界の中で少女漫画市場が現在でもきちんと維持されているのは日本だけであるとされるが、その中興を成した作品の一つである。
萩尾望都は花の24年組というくくりで呼ばれることが多いが、近年出版した自伝で当時のトラブルを語り、萩尾先生自身はこの名称には肯定的ではないようなので、令和の漫画読み諸氏はアップデートしていこうぜ。
立体感と漫画らしさを融合させた絵作りで後世に多大な影響を与えた鳥山明の出世作。
第一話の扉絵を見ただけで、当時別次元の漫画であったことが分かると思う(ジャンプ+で今すぐ読めるぞ)。
鳥山明の登場は手塚以降で最も衝撃的であったという事はプロアマ問わず多くのものが口を揃えて語っている。
鳥山明においては、Dr. スランプとドラゴンボールどちらを選ぶのか好みが真っ二つに分かれるところであろうが、世界的な評価やバトル漫画への影響を重視する人は遠慮なくドラゴンボールに入れ替えてくだされ。筆者も個人的にはドラゴンボールに思い入れがある。
鳥山明に並び、並外れた表現力で後の漫画界のレベルを一気に引き上げた大友克洋の代表作。
フランスに生まれたメビウスという天才漫画家の開拓した表現が大友を通して日本の漫画界に合流し発展することにもなった。
後に大友が連載する「AKIRA」においては連載途中に、作者自身が監督として超一流のアニメーターを集め、巨額の予算をかけ同名のアニメ映画を作り、そちらも歴史に残る大傑作になったのはご存知の通りである。
ちなみに大友がAKIRAに書いた最後の最後の言葉はなんだったか知ってるかな?答えは、『そして、手塚治虫先生に…』だったんだぜ。
現在、大友作品は、電子書籍版が出版されず現代の若者に対しての間口が狭いのが少し残念であるが紙で読んでくれということなのだと思う。
独自の出自を持つ作品であり、日本一のアニメーション監督が全盛期に描いた本気のファンタジー漫画として、ナウシカの前にナウシカなし、ナウシカの後にナウシカなしという唯一無二の完成度の高い作品。
途中に「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「魔女の宅急便」「紅の豚」の映画制作を挟み、全59回の連載を15年かけて終わらせた。時間を節約するため連載第2回目からしばらくはペン入れをせず、鉛筆で仕上げた原稿を掲載したことは語り草となっているが、画力が限界突破しているので読んでも違いに気付かないぞ。
100年後も古典として読み継がれているのはこの作品ではあるまいかと思わせる風格を漂わせている。
連載当初はダイヤの原石であったが、6年間の執筆の中で画力、構成力の凄まじい向上を見せ、人気絶頂のまま連載終了した伝説の作品。
従前から繰り返された「天才」たちの活躍という題材ではあるが、漫画表現のリアリティという点で飛躍的な進歩を示してみせた。
大きな流れで見ると、手塚治虫が平成元年、すなわち1989年、60歳でその生涯を閉じた翌年に、時代を大きく動かすこの大傑作が連載開始した形であり、新しい元号とともにさらに大きく発展を遂げていく漫画新時代の象徴となる作品となる。
東アジアでの人気は凄まじく、アニメ版の聖地巡礼で鎌倉を訪れるものも未だ後を絶たない。
突然変異的に登場し、それまでの漫画の常識を覆した2000年以降最大の問題作。
少年漫画が天下一武道会以降繰り返してきた自己模倣を打ち破り、新たな可能性を存分に示した。
この漫画は終わらないだろうという世間の心配をよそに、諫山は数々の伏線を回収しつつ、一度も休載せず堂々と完結まで導いた。そういった点でも未完のまま停滞した名作たちが越えられなかった壁を打ち破り、その名声を比類なきものにした。
実は諫山は福岡の専門学校のマンガ学科出身であることをご存知だろうか?その授業の一環として、生徒が東京の出版社に持ち込み旅行をするという企画があり、19歳の諫山がいくつかの出版社を周った際に、講談社で当時新入社員の川窪慎太郎に進撃の巨人の原案を見せたことが巨人の物語を始めたとされる。
少年ジャンプはなぜ進撃の巨人を逃したのかという点ばかりセンセーショナルに語られがちだが、社会人生活4ヶ月目にして諫山の才能を見抜いた川窪の目には一点の曇りもなかったことをただ賞賛すべきだろう。
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日本の電車が病人や事故が発生した際に停止し、その結果ダイヤが乱れたり再開に時間がかかるのにはいくつかの理由があります。以下に主な理由を挙げます。
日本の鉄道システムは安全を最優先にしています。事故や急病人が発生した場合、鉄道会社は乗客の安全を確保するため、徹底的な確認と対応が求められます。事故の状況や急病人の状態を確認し、必要に応じて救急隊や警察と連携するため、その過程で時間がかかることがあります。
特に人身事故が発生した場合、現場検証や遺体の搬送、安全確認などが行われます。この手順は厳格に行われるため、通常の運行に戻るまでには時間がかかります。また、警察や消防、鉄道会社の職員が一斉に動員されるため、それぞれの調整にも時間がかかることがあります。
電車内で急病人が出た場合、まずは車掌が急病人の状態を確認し、必要であれば駅での応急処置や救急搬送を行います。急病人が発生した場合、次の停車駅まで運転を続けることもありますが、状況によってはその場で電車を止めることもあります。救急対応が迅速に行われる一方、乗客の安全を最優先にしているため、再開に時間がかかることもあります。
日本の鉄道は非常に精密なダイヤで運行されており、少しの遅れでも全体のダイヤに影響が出やすいです。特に都市部では多くの路線が密接に連携しており、一つの列車の遅延が他の列車や路線にも波及するため、運行再開後もダイヤの乱れがしばらく続くことがあります。
急病人や事故が起こった際に、混雑した車内で乗客が動揺したり、車両から降りるために混乱が生じることがあります。このような場合、再乗車や案内に時間がかかり、ダイヤの乱れに繋がることもあります。
まとめ
日本の鉄道が停止する際に時間がかかるのは、安全確認や対応措置を徹底するためです。また、鉄道の運行ダイヤが非常に精密であるため、事故や急病人への対応がダイヤ全体に波及しやすいことも、遅延の原因となっています。
「大谷の活躍は漫画だったら編集が止めるレベル笑」みたいな表現がマジで多いんだけどなんでこいつらは一々物事を漫画に例えるんだろうな、とふと疑問に思った。
大谷の活躍が「非現実的」なレベルに達している姿がまるでスポーツ漫画のヒーローのように感じられるってのはわかるよ。そういうコンテクストは全部読み取ってる。でも何でいちいち漫画に例えるんだ?
普通にすごいって言えばいいだけ、もしくは別に漫画じゃなくても小説や映画でもいいと思うんだが、みんな共通して漫画漫画言っている。
ただの例えじゃん水差すなよみたいなのも全部わかった上で水差してえんだけどさ。
そもそもお前ら野球漫画そんな読んでるか?ドカベンか?巨人の星か?それともダイヤのAか?タッチやメジャーでもいいしクロスゲームでもいいし、ぱっと思いつくとこだとグラゼニとか砂の栄冠とか、ダイヤモンドの功罪とかあの辺か?
でもそんなにメジャーリーグでこんな大活躍するなんて…!みたいな話ってねえと思うんだよな。いやそういう話じゃねえのも分かった上で言ってんだけどね。グラゼニとか砂の栄冠とかモロ大谷なキャラ出てくるしな。
じゃあ何で漫画に例えるかっつーと、大谷が何やってっかわかんねえし、深く分析したり背景を考えるよりも、単純に「漫画のようだ」と表現することで、理解を短絡化してるんだろ?
日本人全員がそうだとは言わないけど、漫画に例えるなんて愚かな奴ばかりだよな。だからみんな現実を見ずに夢ばかり追って、何も成長しないんだよ。フィクションと現実の区別もつかないなんて、さすがだな。
道着とパワーバランス崩壊キャラしか作れなくなったSF6、今ならマスターランクいけそうじゃね?ってことで久しぶりに起動してる
ダイヤ帯にいるのはサブキャラ、1逃げ、1回負けたけど1回勝ったので俺の勝ち!じゃあな!っていうクソみてえな輩しかいない
回線か?俺の回線が悪いんか?って思ったけど30~50msで安定しているしロールバックも滅多に発生しない
使ってるキャラ……はまあ相手にすれば不愉快度高いのはそうだろう モダンジェイミーだもん
あっ、だからか だからみんな相手してくれなくなるんか?2先っていうクソほど短い勝った負けたがようわからんゲームすらやりたくないのか?
SF6は冷静に見るとクソみてえなキャラの集まりなので感覚がマヒしていたしなんなら真面目に遊んでいるほうだと勘違いしていたかもしれない
だからかあ だからあいつらは1回だけでもーいいや ぺっ!ってしてくるのか
は~おもんな テリー来てもどうせ道着キャラだからやる気そこまで起きないし
ダイヤ5まで来たからマスターいけそうだけどこのゲームはまた塩漬けしましょう
めずらしく我らが箕面市(”みのお”って読むよ)がはてブに挙がってきていたので書いてみよう。完全にn=1の視点なので、他に箕面市在住増田がいたら補足よろしくね。
なお、先に増田の投票行動を明らかにすると、国政では国民民主、府政では大阪維新、市政ではその時々という感じです。前回の市長選では維新候補(=現職)、今回の市長選は非現職に投票しました。
以下、これぐらいの適当感覚で投票している奴もいるよということで政治家の皆様はご参考ください。
各社報道ではそのように書かれていることが多い印象ですが、明確に維新候補を嫌がった結果かと言うと分かりません。
というのは、市議選挙では維新候補が全員当選していて、トップ当選の候補も含めて、比較的皆さん上位でもあるからです。
なので、シンプルに維新以外の候補を欲した結果である、とは言いすぎなんじゃなかろうかとの感覚があります。
もとい、そもそも現職の上島さんが当選した前回選挙を振り返ると、当時から維新を信任した結果だとも言い難いのではと個人的には思います。
前回選挙では、候補者が維新・共産・諸派(この方は兵庫県知事にも立候補されていますね)の三つ巴でした。
お察しのとおり、無党派層からすると、ほぼ選択肢が無い選挙です。箕面は従来転勤族が多く、子育て層の人口も多いと言われているところ(恥ずかしながら詳しく調べたことはないですが)、特段共産党優位の地盤というわけでもありません。
かといって自民支持の保守層中心というわけでもなく、国政の話になりますが民主党の政権交代時には民主党候補が当選していたので、それぐらいに無党派層が中心の郊外都市なんじゃないかと思います。
そして上島さんは箕面市議の出身で、市民に名前と顔も知られているので、この中から1人を選ぶんだったらまあということでみんな投票したんじゃないかなあ(よく行事で来賓として方方に顔を出されていたのでその意味で上島さんを知っている人も多かったと思う)。
結果として8割近くの得票で当選されました。
言い換えると、仮に上島さんが維新候補でなかったとしても(無所属その他で出ていたとしても)、多分同じぐらいの得票率で当選していたと思います。
現職の対抗馬となる候補が出馬しました。多分この一言で終わりそうな気がします。
今回市長選を制した原田さんもまた箕面市議出身で、途中で府議に行かれて……と、経歴としては上島さんと同じです。要は、一定の知名度があるんですね。また、現職より若くて、かつ若すぎない。
そして元自民なので、(議論はあると思いますが)名も知らぬ諸派候補よりは投票もしやすい。このような形で、現職候補以外の受け皿が登場しました。
近時の箕面市をとりまく一大トピックとして、「北大阪急行(北急)の延伸」がありました。大阪の大動脈である地下鉄御堂筋線、と直結している北急が、箕面まで延びてきたんですね。
延びる延びると言われ続けて何十年も延びぬまま、昨年ようやく開通したという運びでした。延伸によって箕面市内に2つの新駅が生まれ、関西ローカルの報道では結構取り上げられたりしました。
この延伸によって箕面はさらに便利になる……という触れ込みだったのですが、いざ開通してみると、逆に不便になっていないか? と感じる状況が生まれました。
その主因がバス路線の再編(ダイヤ変更を含む)です。北急延伸前は、当時に終点兼始発駅であった千里中央と箕面市の各地をつなぐような格好で阪急バスが運行されていたのですが、延伸によってこのあたりの路線再編が行われました。
これによって実質的にバスが減便になった地域があります。北急延伸自体に否定的な方はあまり見ない印象ですが、逆にバスについては不満を漏らす方は多く見られるかなあというところです。(実際、市議会でも取り上げられる程度感です。)
にもかかわらず「このバス路線は利用者が少ないのでこのままだと廃止されます!」みたいなことが書かれたチラシが投函されたり、市の広報誌でも特集されたりで、日常的にバスを利用している身からすると「そんなこと急に言われてもどうしたらええかわからんのやけど」という感覚にはなります。
そもそもバスを運行しているのは民間企業なので、どこまで行政からの投げかけができるのかという話もあります(これは他の地域と同じ問題ですね)。ただ、上島さんも選挙期間中に「阪急へ申し入れをした」「今後改善を図るな」ど訴えておられていたところ、それやったら最初からやっといてほしかったなあとの感想は否めないのではないかというふうに思います。
箕面は面積の半分ぐらいが山で占められていて(畑や田んぼもあるよ)、市としても自然の豊かさをアピールしているのですが、開発等でだんだん減っています。
身近なところでは、一部道路において、車道を狭めて歩道を拡張する工事が行われているのですが、それによってもともと歩道にあった街路樹と植え込みが基本的には撤去されて、アスファルトが広がるみたいな状況になっています。
たしか工事の目的は、自転車通行レーンを確保して、歩行者・自転車利用者の安全を確保するみたいな話だったはずで、実際に歩道が広がった事自体は悪くないと思うのですが、この季節の日中歩くと日陰もないので暑くて仕方なく、殺風景な様子に感傷的にもなります。
端的には、ここまでする必要があったのかなあという感情でしょうか。という感じで、緑をアピールポイントにしているのに、自己矛盾な行動してない? との感覚があります。
といった、実生活上の不満とか不安が積み重なった結果として、それが市長の権限でどうにかなるものなのかそうでないのかはさておき、別の選択肢が求められたんじゃないかなあと思いました(ちなみに上記の点は、原田さんが主張していた箕面の課題に含まれるので、感覚的に同意した市民が多かったのではないか)。ほんならちょうどよく対抗馬候補がいたので投票したと。子育て層や高齢者層ではまた違った感想を抱いているかもしれませんね。
こんな愚かなことをしている奴がいる
↓
もちろん俺はそんな愚かなことをしていない
↓
つまり、俺は少なくともソイツよりは優れているってこと
それを何回も積み上げることで、「えー、俺くんってそんなに色んな人より優れているってことは~~~実は結構すごい人なんじゃないの~~~~」って言われたくてしょうがないの。
ダッセ・・・。
そんなら最初から「俺って色々凄いところあるんだよね。たとえば握力とか50kgあって~~これ成人男子の平均値から10kgも高いんだよ~~~」みたいなしょーもない自慢でいいから直接やれっての。
まあそういう自慢のネタさえロクに持ってないから「底辺よりはマシ」をいくつも積み上げていって、なんとかかんとか「もしかして凄い人なの?」を相手の口から引き出そうとしてるんだろうな。
「俺実はAPEXでプラチナ1でもうすぐダイヤなんだぜ~~~」って自慢して相手が「そうなんだ~~私はダイヤ2でもうすぐダイヤ1なんだ~~~」って返されたらプライドボロボロだもんねしょうがいないよね。
まあ結局そこでさ「え!マジで!身近にこんな上手い人がいるとか感動した!」って方向に進んで「素直に人を褒められる俺すごくね?」でも試してみればいいのに、どうせこういう奴は自分の思い通りにいかなかったことに対してプルプルするだけで場が凍りつくんだろうなー。
そういう人間なりに色々学習した結果が、「人の悪口を言いまくれば自分は安全なままで、なんかちょっとだけ上等な人間っぽく振る舞えるっぽいぞ」っていう悲しいぐらいにしょーもない処世術なんだろうな。
ダサすぎんだろ・・・。
憐れだわ。
実はさ、職場にいるんだよ。
ソイツの何がキモいって、自分に逆らえないぐらいの若手を捕まえて延々々々謎の悪口につきあわせて「マジっすかー!世の中クズばっかですねー!」とか「それもネット情報っすかー!どこで仕入れるんすかそんな面白い話ー!」とか相槌打たせてるのがまー見ててダセーんだわな。
何がダセーって新人が愛想笑いしてるのみて本当に嬉しそうに「おっ!俺の話受けてる!」みたいに調子こいてるところが、本当に何もないオッサンの末路だなあって。
https://togetter.com/li/2422813
いやそれならコイツがまず疑問を持つべきなのは「奢れ」って言ってる婚活女の存在だろ。
男の方は「奢ってもそれに見合う報酬がない=努力として成り立ってない」と判断してるだけなんだから普通に理解できる。
奢れば有利になるのになぜしないの、と言うが、もし実現性や費用対効果を無視したらなんでもありになるだろ。
「ダイヤの指輪を毎回プレゼントすれば有利になるのになぜしないの」とか、なんでも言えるわ。
奢ってもそれが当然のこととしか見なされないなら、奢る気なんかなくなるの当然のことだろ。
「ワリカンするっていうだけで印象良くなるのになぜしないの」なんだよ、コイツの言い方借りれば。
しかもコスト的にも低いし実現性もあるしでマジで「なんでしないの?」ってなること。
でも、こんだけ婚活の努力がどうのと説教垂れる女が、そのことには言及もしない。
それがおかしいとも思いもしないってのが、一番歪んでることなのに、コイツは男の努力不足を指摘するのに一生懸命になって気がついてない。
こんだけ努力がどーだと有利になることをなぜしないだの、自己責任論のお化けみたいなこと言いながら、女が奢りを要求するのは空気のように当然だと思ってるわけ。
はっきり言って、化け物の考え方だよ。
対等な人間の付き合いでの発想じゃねぇのよ。
ああ、それなら厳密な強さなんて求めなくてもMASTERぐらい行くよ
コンボとかランクマやりながら覚えたしヒット確認なんて精々コパコパ系だけでいい
一.
ワイフもらって 嬉しかったが
何時も出てくる 副食物(おかず)はコロッケ
これじゃ年がら年中コロッケ
こりゃ可笑し(おかし)
二.
開けて見たらば金貨が
株を買おうか 地所を買おうか
思案最中に 眼が覚めた
こりゃ可笑し
三.
芸者が嫌なら 身受けしてやろ
帶も買ってやろ
ダイヤもやろう やろう
いふて呉れるやうな客がない
こりゃ可笑し
四.
亭主もらって 嬉れしかったが
何時も出て行っちや滅多に
帰らない 帰らない
これじゃ年がら年中 留守居番
こりゃ可笑し
NHKドラマ「おしん」のなかで、大正12年9月1日、田倉商会の新しい工場の開業祝いの準備中に子守を任された源じいが歌っていたのが、このコロッケの唄(大正6年版)。wikipediaによるとコロッケの唄は、その後、昭和37年に浜口庫之助(五月みどり)版、平成版、令和へとなんどかリメイクされて歌い継がれてきたようだ。
大正時代のコロッケは、現代と違って、手ごろなお惣菜ではなく、東京などの洋食店でしか食べられない高級食品。この夫婦が富裕層であることがわかる。二番以降もあわせてみると、大戦後の好景気を反映し、一般投資家が増大した世相を色濃く映した、興味深い唄だ。
それはおしんの番外編。1983年放送当時の8月、おしんを演じていた田中裕子が過労静養のため撮影を中断せざるを得なくなった事態になって、急遽制作され、放送時間帯に15分ずつ6日にわたって放送された番外編「もうひとりのおしん」だ。これは、おしんと同時代を生きた山形や東京の女性に当時の話を聞くという番組。関東大震災前、おしんはラシャ問屋がつぶれたあと、子供服の店を田倉と始める。同番組では当時、日本橋横山町で子供服を始めたというおばあちゃん(放送当時90歳)の話を聞く場面がある。まさにこういう話を聞きたくて、わざわざDVDまで購入したのだが、見てよかった。
それまで和服に日本髪というのが当たり前だった日本人の服装が、洋服に変わっていったのは、関東大震災の後だといわれる。
このおばあちゃんはインタビューで「大震災があったでしょ、それからみんな裸になっちゃいましたから。それからだいぶん、服が変わっちゃいました」と答えている。この簡潔な一言に歴史のダイナミズムが凝縮されている。
おしんの物語では、田倉商会が時代を先取りする形で安価な既製服商品としての子供服のポテンシャルを見抜き、田倉の再起を賭けた。そのドラマの展開にリアリティを与えるインタビューだった。
もっとも、おしんは当初、夫である田倉竜三の羅紗問屋の事業失敗に懲りていて、大して商才もないのに夢ばかり大きい夫の行動が不安で仕方がなく、本当は手堅く地固めをしたい。子供服作業場の拡張には反対していた。だがやがて夫を信じようと思いなおし、夫の夢に賭けるようになる。
おしんのドラマは、10年に一度くらい再放送で目に留まって数話くらいずつ散発的にみていたのだが、今回、腰を据えて全297話をみていると、ドラマの演出がなかなか面白いことにも気が付いた。例えば、夫に商売の才能がない部分を自分の働きで夫婦の稼ぎをカバーしようと自分なりの仕事を始めて成功してしまう場面。プライドを傷つけられた旦那は「髪結いの亭主」さながら飲み歩くだけの怠け者になってしまう。夫を堕落させたのは自分だと気が付いたおしんは、あえて自ら稼ぐことをやめ、夫を立て夫がいつかまじめに稼いでくれるのを信じることにした。その結果、やがて今日明日の米に困るほど夫婦は追い詰められてしまう。田倉はようやく目が覚めて商人の道を諦め、勤め人として働きだすようになった。その様子をみて安心したおしんは、田倉商会の将来的な再興を目指して、子供服の商売のための子供服のデザインなどこつこつと準備を始める。おしんのデザインをみた田倉はおしんの才能を知り、いったんは勤め人として手堅く暮らそうとしていたのに、勤め人をやめて子供服の商売にまた再起を賭けようと夢を語り始めた。おしんに相談もせず勝手にミシンを購入したり、ひとを雇ったりとおしんを戸惑わせた。あげくは事業拡大のために借金をして工場建設をすると鼻息荒くしていう。
そんななか、ドラマの背景で、東京の街中で流れてくるのは「船頭小唄」。おしんの不安を象徴させる、にくい演出だと思った。
そして、大震災当日の朝、順風満帆で工場開業の祝賀を催す準備のさなか、田倉竜三の子供のころからのお目付け役である源じいが歌っていたのが冒頭の「コロッケの唄」だ。源じいは昼に発生した地震で亡くなってしまうので、源じいが幸せだった最後の瞬間だったといえる。その浮かれた雰囲気を、その時代の空気とともに、この歌はとてもよく演出している。
その後のドラマの展開は、田倉の本家である佐賀へ舞台をうつし、橋田壽賀子お得意の嫁姑地獄が待っている。
セグメント別の業績を見ると
https://www.jrkyushu.co.jp/company/ir/finance/results/
2021年3月期 | 2022年3月期 | 2022年3月期 | 2023年3月期 | 2024年3月期 | |
運輸サービス | 952 | 1,089 | 1,042 | 1,383 | 1,637 |
不動産・ホテル | 801 | 1,105 | 1,137 | 1,231 | 1,331 |
流通・外食 | 514 | 436 | 436 | 547 | 617 |
建設 | 965 | 957 | 929 | 883 | 900 |
ビジネスサービス | 636 | 600 | 695 | 734 | 779 |
営業収益(全体) | 2,939 | 3,295 | 3,295 | 3,832 | 4,204 |
運輸サービスは営業収益全体の40%弱を叩き出している。これを経営の柱と呼ばずしてなんという。
過去運輸サービスは営業赤字だったが2023年3月期から黒転している。
元増の言うダイヤ減、低い駅の収容力、車両の古さはこのあたりの施設改修更新投資を意図的に絞った結果だと思われる。
鉄道は設備産業なので、初期投資が大きく投資回収の期間が長い。
JR九州の判断として、投資回収の期間(≒減価償却期間)を長くすることで帳簿上のコストを抑えて会社の財政を健全化させていると読み取ることができる。
財政が健全じゃないと借り入れするにもペナルティがあるし、投資も来ない。社債も買ってくれない。
金がなければ設備の改修なんて寝言になる。万年赤字企業に誰が金を貸すっていうんだ?
鉄道会社が沿線の開発に力を入れるのは全くまっとうな話。東急も京急も京成も同じことをやっている。
京成はディズニーランドの筆頭株主だし、東急田園都市線もそう。
ただディズニーランドは例外的で、一般的には沿線にマンションや団地を建設する場合が多い。
目的は鉄道利用者の増加なわけで、これも本業軽視であるはずがない。
九州全体の経済活性化のために出張者観光客用のホテルを作ることもとてもまっとう。東急ホテルズ、プリンスホテル、京王プラザホテル、プレッソインを見よ。
JR九州の経営は財務を見る限りではかなりまっとう。鉄道会社として正攻法のやりかた。
というかこれ以外に勝ち筋なんてあるのか?上のようなことやりたくてもその基盤もないところもあるからな。名前はあえて挙げないけど。
突然こんなこと言ってごめんね。でも本当です。
JR九州は不動産にしか興味がありません。JR九州は今や九州最大のマンションデベロッパーになっていて、手間がかかり面倒な鉄道事業なんて捨てたいと思っています。コロナ禍を理由に減便したダイヤを元に戻す気は無く、駅は異常な混雑。通勤電車の車内の座席を何故か減らしてまともに座れない。車両は雑なメンテナンスで外も中もボロボロ。九州在住の人なら、JR九州が今明らかに異常な企業体質になっているのを肌で実感していることでしょう。
そこにきて今回の浸水高速船の隠蔽事件。九州在住者としては「でしょうね」という気持ちしかありません。今回は国交省のおかげで事故に至らずにすんだものの、近々もっと大きなやらかしを起こしても不思議はない状態だと思います。なんなら"危険な鉄道事業は大幅縮小して不動産会社として頑張ろう"という流れを作るために、なんらかのやらかしを待っている状況なのでは?とすら思います。
この予感が当たらなければよいのですが。
利上げに日経平均株価の乱高下、特に下落幅が大きいのもあって界隈はなかなかの騒ぎですね。
特に、自分の目にする株クラ(株式市場大好きクラスタ)では、3パターンの退場が相次いでいます。
信用取引でマイナスになったガチ退場、含み益が消えて含み損になり凹んで退場、額面がでかいマイナスになって呟くこと減ったのでいったん休止退場。
兜町が通じないヤツはモグリ以下という時代から長いこと株式市場を眺めていると、そもそも"リスク"について知らない人が多すぎます。
新型NISAでeMAXIS Slim 全世界株式(オール・カントリー)を買う時に目論見書をちゃんと読んでないソコのオマエのことだぞ。
「普通の人が資産運用で 99 点をとる方法とその考え方」は良いですよね。
個人的にはこれを読み切って山崎元さんのコラムを何本か読めばもう他にやることは無いと思っています。
ただ、実は99点をとる方法にも、オルカンの交付目論見書にも、リスクそのものが何かは説明がありません。
証券会社で用いられるリスクの定義は上記のものです。今日はこれだけ覚えて帰ってください。
一般用語としてのリスクや、危険予知トレーニング等で用いられるリスクは、悪い事象の確率を指すことが多いです。
なぜ証券会社では"悪い"ものだけでなく"良い"ものもリスクに含めるかと言うと、「大きいリターンを期待して、大きいリスクを取る」という言い回しが出来なくなるからです。
(リスクが悪い事象を指すのであれば、大きくする意味が無い。冷蔵庫の効率を上げるために爆発の可能性をあげましょう!という話にならないのと同じ)
そのため、リスク資産とは"不確実な資産"のことを指し、無リスク資産とは"確実な資産"を指します。
現金や、個人向け国債が無リスク資産と呼ばれるのは、これがほぼ確実に将来のどの時点でも使えるからです。
さて、前述の「普通の人が資産運用で 99 点をとる方法とその考え方」で書かれていることは、
「オマエが許容できるリスクの範囲内で、オルカンかS&P500を買っとけ。たまに見直せ」です。
99点を取る方法では資産が半分になることが許容できるか、という問いの形で数パターンを示していますが、これはリスクの説明にはなっていません。
同様に、資産運用は余剰資産で、というのもほとんど説明にはなっていません。
つまり、"不確実な資産ではない資産"という理解から進めましょう。
さて、あなたに娘がおり無事に大学に合格し、来月末までには入学金を振り込まなければなりません。
引っ越し費用やもろもろの諸経費を見込んで、手元には200万円の娘の大学入学資金があります。
では、この200万円を一ヶ月普通預金に入れておくのは勿体ないので、オルカンを買いますか?
この場合、この200万円をリスク資産、不確実な資産にしてはいけません。
不確実と言うことは、急に増えたり減ったりする可能性があり、誰にも分らないということです。
さて、あなたに今日娘が誕生し、将来は大学に入ってほしいな、と思っていたとします。
手元に将来の入学資金として200万円があります。これはオルカンを買っても良いですか?
これも"娘の将来の大学入学資金"とするのであれば、買ってはいけません。
逆に言えば、"この200万円は投資して、娘の将来の大学入学資金は、18年間で貯めれば良いから、毎月1万円づつ個人向け国債を買おう"であれば問題ありません。
例えば、生活資金以外のすべてを新型NISAでオルカンに全突っ込みする若手独身男性は、リスクは高く余剰資産と言えるかも怪しいですが別に問題ありません。
なぜなら、彼は投資したオルカンが50%になっても気にせず全突っ込みを続けられるからです。
自分の資産のほとんどがリスク資産であっても問題が無く、いつかオルカンが100%を超えるまで待てるからです。
逆に、この男性が結婚して子供が出来て、子供の教育資金や様々な出費が予想できるようになったとしましょう。
その際には、"予想されうる出費"については、リスク資産にしてはいけません。なぜならば不確実だからです。
確実な出費には確実な資産を準備してください。
そういうもんです。不確実なんですから。
いつか振り返ってみた時に年率4~5%程度に成長していたなあと言えるのが株式投資の強みです。
今回のような下落が続くのか、反発して上がるのか、また落ちるのか、急に上がるのか、誰にも分らないのが不確実な資産です。
ただ、3ヶ月なのか10年なのかはわからないけれども、いつか戻って経済成長するだろうと成長に賭けるのが株式投資です。
今回はてな匿名ダイヤリーにこの愚痴を書き込もうと思ったきっかけがそれです。
直接的な知り合いに、資産が1億円を超えたから会社を辞めてFIREしたヤツが居るからです。
他人には資産運用のアドバイスはしないというのが自分に課しているルールです。知り合いの決断にも特に何も言いませんでした。
ただ、1億円のほとんどをあるリスク資産で持っている旨は聞いていました(特に銘柄は言いませんが、株クラ界隈では割とポピュラーな投資信託です)
今その知り合いは、すさまじい勢いで減り続ける絶対額を自虐めいた言葉で呟き続けており、正直心配です。
もしも、5000万円を現金で、5000万円を投資信託で持っていれば、少なくともこの程度の相場で慌てるようなことにはならなかったはずです。
なぜならば、その知り合いが10年程度はゆうに生活できるだけの現金が手元にあれば、たとえ第二のサブプライムローンが弾けて第二のリーマンショックが起きようとも問題無いからです。
不確実な状況に耐えられないのであれば、それはリスク資産で持つべきではないのです。
リスク資産は、いつか全戻しするだろうと待てる金額だけにとどめてください。
いつ暴落するのか、それが戻るのに何年待つことになるかは誰にもわかりません。
そのため、定年後に夫婦で旅行に行きたいね、せっかくだから強羅温泉とか豪華に行っちゃおいうか、と言う人はその資金をNISAに入れてはいけません。
逆に、手元にあるとガチャ回しちゃうし、経済回しちゃうけど将来不安なんだけど別に使うあてもないしと言う人は、その分NISAに突っ込んで忘れましょう。
手を出してはいけない金に手を付けてからがギャンブルだというのは、言うだけにして実行は止めましょう。
個人的には、日本人は貯蓄傾向が高く、証券会社が余計なことをしなければそのままで良かったのにな、と今でも思う。
そもそも、イギリスのISAは個人貯蓄口座(Individual Savings Account)で、お前ら貯蓄少なすぎるから貯めてくれよマジでという制度からスタートしてるわけで、日本で投資にだけ振るのマジで良くないと思う。
ただなあ、日本は銀行含めて証券会社がなあ。退職金でがめつく稼ごうとして結構やらかしたからなあ。
じぶん年金とか言って、東電とNTTに全額つっこんどきゃ配当金で将来安泰ですよみたいなのも結構あったからなあ。
そういう意味で旧つみたてNISAは20年と言う期限も含めて結構良い感じだったと思うんだけどなあ。
でも、個人が貯金してる現金を、投資に回してくれたらその分でだいぶ盛り上がるけどどうにかしてリスク資産で持たせらんないかな、という検討会は常に行われているわけで。
だから、普通の人は、現金で3~4万円、NISAに3~4万円を積み立てておいて、適宜現金を使って、定年後に1800万円のNISA口座の中身を取り崩して老後資金にするのがまあ無難な使い方だと思うわけよ。
それが出来る、それ以上のことが出来る人たちを超優遇する制度になっている感じはあって、個人的にはうーん、それもなあ、という気持ち。