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はてなキーワード: 高野とは

2022-08-14

政治方針などどうでもいい」  霞が関、 3、40代官僚の声

   安倍晋三政権になってから政治方針などどうでもいい、そもそもやる気がない、というのが、東京霞が関に勤務する、3,40代若手官僚たちの声だ。

    彼らは東京大学法学部や 経済学部卒業して現在地位にある。政治家や、地方創生担当者は、一億総活躍地方創生などと言っているが、

   そんなことはやる気がない。なんでそんなことをしないといけないのか、バカバカしい、この国は既に終わっている、というのが、官僚たちの大方の見方

      ある、東大法学部卒業者はこう嘆く。「確かに安倍政権になってから、法や大学ゴミになった時代はあった」「しかし、自分たちにも、法学部を出た

  プライドがある。  法や大学ゴミなど許さない」「こういう時代からこそ法学部がいい」という声が、霞が関こだましている。

      わけても、裁判官の中で、高野裁判官がいいのではないかという声が広がっている。若手官僚の中では「ろくな裁判官が残っていない中、昔から居る

  普通裁判官」 「地方は野蛮で嫌だ、内容がなくとも東京がいい」という声は、令和になり、どんどん広がっている。

     安倍総理地方創生を歌ってから、嫌気がさすような事件連続し、東京全体には倦厭感が広がっている。都民の中には「社会など興味がない、スーパー

  あるからいいではないか地方は黙れ」という声もある。また、「自分はずっと寝ている。疲れたニュース政治家は色々言っているが全く興味がない、これから

   社会がどうなろうがどうでもいい」という人もいる。

     スカスカでも、東京がいい、地方は嫌だ、 という空気東京中に広がっている。

2022-08-11

  嫌なもの

  イケメン  理由  きもい  犯罪者

   ぺちメンの例    中谷  ぺち野

   もぐメン (もぐらメンの略)  例   佐藤  高野伸  橋本美男

   現在尊敬中   全盛期の鬼塚ちひろ GLAY

     

2022-08-03


 安倍晋三になり、自分時代が来たと思って、目が真っ黒の、延岡家電量販店とか、野田省治のきもさは異常だったな

     それから東京にはなかったから、何もしていなかった高野伸とか、佐藤もぎら、も、マジでクソだった

2022-07-31

  斉藤ヒデビール

  佐藤もぐらのすけ

    高野しんしん

  ぺっちぽっちぱっちぽっちぺちぽちぱちぽちゲンイチロウ

    中嶋痩せ弘

    須佐老人対策

     ペチメン中谷

     藤原悪魔

     

2022-07-29

https://anond.hatelabo.jp/20220729173559


  お前の名前佐藤もぎら。絶対名前を変えるなよ。それから高野伸と一緒に漫才をやれ。

    そして、イケメンという概念廃止し、ペチメンという概念を導入する。ペチメンの例は、立野中谷など。

2022-07-23

https://anond.hatelabo.jp/20220723133930


  MONOくんとやりたいだけだった東大法学部卒のぺちメンエリートの素顔

    就職先は厚生労働省? 同僚で社会保険審査官の中嶋康弘と高野伸とはズブズブの仲?

    

2022-07-22

  高野伸は東京高裁時代はクソ女だったが、その後に厚労省に移るまでに佐藤もぐらが何回か夢に出ていたのか厚労省ときにはまっとうになっていた。

    裁判官鈴木秀行は平成24年裁判時にさいたま地裁でもぐらから指導されてなかったらより悪質な判決を書く可能性があった

     佐藤もぐらは黒羽刑務所10工場などのビデオを全部撮影してもっているらしい

      この間はもうダメになっていた長谷川を夢に出してきた

    セーターを着ていて丸い裁判官は、東京簡裁橋本美男高野伸がいるが、  東大法学部佐藤もぐらは、もぐら度が更に大きい

       ぺちもは普通に可愛い女の子だが、さくらは怒らすとまじで臭い

       ぺちもと中谷志村にいるが、これまでに見ていた最悪な奴らと比べたらああいうところにいる人間にはほとんど危険性がない

   しか佐藤もぐらは一度、城戸に相当つっこんだことを行ったときに、夢にノコギリを持って出てきた

     

2022-07-21

https://anond.hatelabo.jp/20220721020247


    俺は東大法卒で、警察庁生活安全局長とか教養課長東京大学教養学部長なんだから警部補ときが俺に物を言うなよ。

   俺が仲がいいのはいつも非通知でホテルから電話してくる高野伸であってお前ではない。

2022-07-18

UNIX 哲学」についていくつか

名著「UNIXという考え方 - UNIX哲学」は本当に名著なのか? 〜 著者のガンカーズは何者なのかとことん調べてみた - Qiita

この記事はよく調べてあるなぁと思う反面,事実関係の間違いも多く当時の空気感など欠けていると思う部分がいくつかある。事実関係に関しては追い切れないので参考文献を挙げるにとどめておくが,空気感のほうはいくつか書いておく。なお当該記事の「当時と今では状況が全然違うんだから安易に『UNIX 哲学』とかいうな」という主旨には大賛成である

参考文献

初期の UNIX歴史について興味がある向きには次の書籍お薦めする。

Peter H. Salus『A Quarter Century of UNIX』(1994, Addison-Wesley Publishing)

和訳の『UNIXの1/4世紀』(Peter H. Salus, QUIPU LLC 訳, 2000, アスキー) は絶版のうえ訳も微妙なので薦めづらいが,原書The Unix Heritage Society (tuhs) で PDF が無償公開されているので,英語が苦にならないのなら読んでみるといい。

また同じく tuhs で無償公開されている Don Libes and Sandy Ressler『Life with UNIX』(1989, Prentice Hall)を読めば80年代終りの UNIX の状況(XENIX についてもしっかり言及されている)や利用者目線での雰囲気もある程度判るだろう。

哲学

記事で一番気になるのが「哲学」という語の捉え方。この言葉の強さに引きずられているように読める。でもこれ,当時は設計基本的な考え方くらいの意味でわりとよく使われていた言葉なんだよね。たとえば米 BYTE 誌のアーカイブを “philosophy” で全文検索するとこんな感じ。

https://archive.org/details/byte-magazine?query=philosophy&sin=TXT&sort=date

ほぼ毎号のように出現していたのが判るだろう。

もっとも猫も杓子も「哲学」を振りかざしていたわけではないし,UNIX開発者たちが「哲学」の語を好んで使っていたのも間違いないように思う。傍証の一つが AT&T定期刊行物『The Bell System Technical Journal』の1978年7, 8月号だ。元記事言及されているマキルロイの Forword の初出がこれで,ネットのアーカイブから PDF が入手できる。

この号は二部構成になっていて第一部が Atlanta Fiber System に関する論文12本(全172ページ),第二部が UNIX に関する(Preface や Foreword を含む)論文22本(全416ページ)となっている。さて前述の PDFOCR されているので “philosophy” で全文検索してみると8箇所見つかる。これが見事に全部 UNIX論文なのだ。もちろん論文性質もページ数も違うからこれだけで確定的なことはいえないが「日常的に使っていたんだろうなぁ」という推測は成り立つだろう。じつはマキルロイ哲学とされている部分は “Style” であり “philosophy” の語は一切使われていないというのもちょっと面白いUNIX開発者たちがなぜ「哲学」という語を好んだか正確なところは判らないが,それまでにない新しい考え方に基づいた OS を開発しているという意識があれば,そういう言葉を選ぶのが自然時代だったことは間違いない。

UNIX認知され拡がっていく過程で「哲学」も知られるようになっていった。自分が好むものの良さを他人にも識ってもらいたい,あわよくば他人もそれを好むようになって欲しいという布教活動は今も昔を変らないわけで「哲学」はその便利なツールとなったわけだ。元記事ではガンカースの著作を「外部の人間が後から打ち立てた哲学」と表現しているが,そんなたいしたものではない。マキルロイ論文に影響を受けた布教のためのああい説教は到るところにあった。たとえば前掲の『Life with UNIX』にもしっかり Philosophy の項がある。また日本最初期の UNIX 解説本のひとつである村井純井上尚司・砂原秀樹『プロフェッショナル UNIX』(1986,アスキー)には冒頭次のような一節がある。

オペレーティングシステムは,コンピュータを使うものにとっての環境形成する基盤であるから,そのうえで生活する者の個性尊重し,より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェアでなければならない。この主張こそが,UNIXオペレーティングシステムとしての個性ではないだろうか。

 

    プロフェッショナル UNIX村井純井上尚司・砂原秀樹,1986,アスキー)p 3.

「より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェア」とはテキストを入出力フォーマットとする単機能コマンド群のことで,これらをパイプでつなげたりシェルスクリプトでまとめたりすることで「そのうえで生活する者の個性尊重し」た「より良い環境へと作り上げて行く」ということだ。こういった説教はありふれたものであった。たんにそれを「哲学」の語を用いて書籍にまとめたのが,たまたまガンカースだったというだけのことである

そしてじつは UNIX場合布教活動とはべつに「哲学」を広めなければならない切実な理由があった。これを説明するのは非常に面倒くさい。当時と今ではあまりにも環境が違うのだが,その違いが判らないと切実さが伝わらないからだ。マア頑張ってみよう。

UNIX の利用環境

UNIXPDP というミニコンピュータミニコン)上に開発された。このミニコンを使うためには専用の部屋に行く必要がある。その部屋は,もちろん場所によって違うわけだが,マアおおよそ学校教室くらいの大きさだ。長机が何列か並んでおり,そのうえにはブラウン管ディスプレイキーボードを備えた機器が等間隔に置かれている。壁際にはプリンタが何台かあるだろう。通っていた学校コンピュータ室などと呼ばれる部屋があったならそれを思い浮かべればだいたい合ってる。ただし置かれている機器コンピュータではなくコンピュータ接続するための端末装置ターミナル)だ。端末装置キーボードで打った文字コンピュータに送られコンピュータが表示した文字がそのディスプレイに表示される。現在 UnixOSCLI を使うときターミナルとか xterm という名のアプリケーションを用いるがこれらは端末装置エミュレータで,もともとは実体のある装置だったわけだ。

さてコンピュータ室にたいていは隣接するかたちでマシンルームなどと呼ばれる六畳くらいの部屋がある。窓ガラスで仕切られたこの部屋には箪笥洗濯機くらいの大きさの装置が何台か置かれている。これがコンピュータ本体だ。もっとコンピュータが何台もあるわけではない。この箪笥CPU でそっちの洗濯機ハードディスク,あの机に置かれているタイプライタ管理コンソールといった具合に何台かある装置全部で一台のコンピュータになる。どこが〝ミニ〟だと突っ込みたくなるかもしれないが「六畳で収まるなんて,なんてミニ!」という時代お話だ。

端末装置それぞれからUSB のご先祖様の)RS-232 という規格のアオダイショウみたいなケーブルが伸び,マシンルームに置かれたターミナルマルチプレクサと呼ばれるスーツケースに台数分のアオダイショウが刺さってコンピュータとの通信を行う。コンピュータと多数の端末装置を含めたこれら全体をサイトと呼び,root 権限を持って管理業務を行う人をシステム管理者あるいはスーパーユーザと呼んだ。

結構上手に説明できたと思うのだが雰囲気は伝わっただろうか。ここで重要なのは一台のコンピュータを数十人が一斉に使っていたという事実だ。洗濯機とかアオダイショウとかは,マアどうでもいい。

自由不安定OS

当時の UNIX評価一言で表すと〝自由不安定OS〟となる。メーカお仕着せではなく自分好みの「より良い環境」を作りあげる自由さらに他のメインフレームミニコンOS に比べると一般ユーザ権限でできることが圧倒的に多かった。そしてその代償が不安定さ。今では考えられないが UNIX のその不安定さゆえにプロOS ではないと考える向きは多かったし「でも UNIX ってすぐ落ちるじゃん」というのは UNIX アンチ定番ディスりだった。UNIX の落とし方,みたいな情報がなんとなく廻ってきたものだ。

こういった雰囲気を鮮やかに伝えてくれるのが,高野豊『root から / へのメッセージ』(1991,アスキー)だ。当時アスキーが発行していた雑誌UNIX MAGAZINE』に連載されていた氏のエッセイ1986年11月から1988年10月掲載分までをまとめた書籍である。著者の高野氏は勤務先の松下電器1980年ごろから UNIX サイトスーパーユーザを務めており,日本では最古参の一人である。この本の中で高野氏は繰返し UNIX自由さと不安定さに言及している。すこし長くなるが,その中の一つを引用しよう。

CPU は,システムにとって重要な共有資源であるが,この CPU実質的に停めてしまうことが UNIXはいとも簡単にできる。たとえば,cc コマンド10個くらい同時に走らせてみたらよい。VAX-11/780 といえども,同時に実行できるコンパイルはせいぜい3つか4つである。それ以上実行することも当然可能ではあるが,他に与える影響が無視できなくなる。つまり,てきめんに viカーソルが動かなくなる。あるいは,すこし大きめなディレクトリ上での ls コマンドの出力が表示されるまでに煙草を1本吸い終えてしまったり,タイムアウトログインが撥ねつけられたりといったバカげた現象が起きだすのである。こういった状態になると,UNIX破壊されたに等しい。真夜中,独りで VAX を占有して使っているのなら何をやろうとかまわない。しかし,20人30人と多数の人間が使っているとき勝手をやられると非常に困るのである当人仕事が遅れるのは自業自得だとしても,そのとばっちりで他のエディタまで止まってしまうと,もはやどの仕事も進行しなくなる。

ディスクについても同様なことがいえる。UNIX では,ファイルシステムを使いはたすまで大きなファイル自由に作ることができる。したがって,自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュアが使うと悲惨なことになる。ディスクを使いはたすと,コンソールタイプライターにエラーメッセージが出力されるが,夜中にそれが発生して,コンソールタイプライターが一晩中エラーメッセージを打ち続け,朝マシンルームに行ってみると紙を一箱打ち尽くしてしまい,ピーピーと悲しげな声を上げて人を呼んでいた光景を私は何度も見てきた。こうなると,それをしでかした本人のプロセスは当然のこととしても,同じディスクで走っている他のプロセスも先に進めなくなってしまう。すこしでも負荷を夜間にまわそうとする善意は逆転してしまい,わずかでも仕事を先に進めようとする意図完璧に打ち砕かれてしまうのである

 

    root から / へのメッセージ高野豊,1991,アスキー)pp16-17.

そして,こうした不安定さが「哲学」を必要としたのだ。自分が利用しているサイトに「cc コマンド10個くらい同時に走らせ」たり「自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュア」がいるとその累は自分にも及んでしまう。だからサイト利用者全員に UNIX設計基本的な考え方を理解してもらうことが,自分のために必要だった。UNIX伝道がより苛烈だった理由ひとつがここにあるのだ。

ミニコン UNIX終焉

ミニコン上で誕生した UNIX は 4.3BSD(1986)で最高潮を迎える。注意したいのはミニコン時代UNIX は Research UNIXCSRG BSD みたいな区別をせずにまとめて UNIX として扱われていたことだ。実際『プロフェッショナル UNIX』も『root から〜』も UNIX記述されてはいるが実際には BSD を扱っている。べつに当時の人が無知だったわけではない。なにしろ BSD を利用するためにはまず AT&T から UNIXライセンスを購入し,そのうえでカリフォルニア大学バークレー校(UCB)から BSD を入手しなければならなかったからその関係は当然広く知られていた。ベル研発明された UNIX を外部の人たちも含めみんなで改良し,それら全体が UNIX であるという考え方が自然だっただけである。『Life with UNIX』のような英語の文献によく登場する “Berkeley UNIX” という言い回しが当時の気分をよく表している。UNIX vs BSD みたいな捉え方は法廷闘争を経た90年代以降の感覚だ。

もっともそういう70年代風味の牧歌的風景ミニコン世界限定の話であった。BSDのものミニコンのものしかなかったが,そのコードを受け継いだ BSDUnixAT&T推し進める System V などがワークステーション市場舞台80年代中盤から激しく覇権を争うようになる。いわゆる Unix 戦争で,PCUnix であるマイクロソフトXENIX も当然参戦した。ミニコン世界牧歌的だったのは,ぶっちゃけていえば先のない技術だったからだ。ただ Unix 戦争あくまでも標準という聖杯を争う戦いであり,AT&TBSDUnixSun Microsystems が共同で System V Release 4.0 (SVR4) を作りあげたように後の法廷闘争とは趣が違う。

こうしたミニコン UNIX からワークステーション Unix への転変は Unixのもの文化にも変化をもたらした。まず激しい競争Unix の高機能化を加速した。商品として判りやす惹句が「あれもできます,これもできますなのは誰もが知っている。もちろん安定性を増すために quota のような利用者自由制限する機能も含まれていた。またワークステーション Unix現在UnixOS と同様同時に一人が使うものであり前述の布教必要性は大幅に減じた。達人たちのみの楽園から万人に開かれた道具に変ったのだ。こういった変化を体感したければ『root から〜』と水越賢治『スーパーユーザの日々』(1993,オーム社)を読み比べてみるといい。『スーパーユーザの日々』はワークステーション Unixシステム管理入門書だ。この本ではたんに知識を羅列するかわりに架空ソフトウェアハウス(開発会社)を舞台新卒社員が先輩社員からシステム管理を学ぶという体裁をとっており,そのおかげで架空の話とはいえ90年代前半の雰囲気が堪能できる。出版年でいえば『root から〜』と二年しか違わない『スーパーユーザの日々』の落差は “dog year” と称された当時の激烈な変化まで体感できるだろう。

UNIX 哲学背骨

当時はよくいわれたのに今やほとんど聞かれなくなったものがある。マキルロイ論文結論部分に書かれたそれは,1973年出版されたイギリス経済学者エルンストシューマッハー著作題名で,中学生英語力があれば十分に理解できる平明な一文だ。

Small is beautiful.

マキルロイは『人月神話』を引いて一定留保をつけてはいものの,これが UNIX 哲学背骨であることに違いはない。機能をありったけ詰め込もうとして失敗した “kitchen-in-a-sink” な MULTI•csアンチテーゼである UNI•x にとって,これ以上のスローガンがあるだろうか?

ひるがえって現在UnixOS をみれば,ブクブクと肥え太ったシステムコール,全容を俯瞰するだけでも一苦労するライブラリインターフェイス,一生使うことのないオプションスイッチまみれのコマンド群。UNIX仮想敵とした OSのものだ。そのことについてとくになにも思わない。ハードウェアは長足の進歩を遂げ,コンピュータの応用範囲は途方もなく拡がった。UNIX が変らなければたんに打ち棄てられ,歴史書を飾る一項目になっただけだ。ただ現在UNIX 哲学」を語るならそうした背景は理解していなければならないし,どれだけ繊細な注意を払ったところで〝つまみ食い〟になってしまうことは自覚すべきだ。

2022-07-17


   ○障照彦    板橋区役所

   じょうだまぺち

   ぺっちぽっちぱっちぽっち玄一郎

   高野しんちゃん

   小島ハゲ

   中谷ヒルベル

   杉浦麻理子

   肥後照彦

   にんかい辰哉

   水上あまね

   斉藤秀司

   村田ゴミ

   佐藤もぐら

   長谷川=クソ女=知子

   吉田=クサレ=隆雄

   小池クソ雅

   長尾キモ

   五月めい

   ぺちも

   ミホ (日向ソフト

   モモ

   

2022-07-15


高野伸も佐藤物理10点だから京都は無理だし、  お前は知ってるだけの怪文書じゃん

  自分でやってねえしクソだなゴミ

2022-07-14


  終わっている。希望は、佐藤もぐらと高野伸と東京大学法罰学部

2022-07-07

  高野伸というのは裁判官のもぐらで、佐藤もぐらは全国をほっつき歩いているもぐらで、斎藤理学部数学科のもぐらで、私は長谷川に育てられたもぐらです

2022-07-06

   平成18年頃の東京大学法学部でも今でもそうであるが、法学部で実務に堪えうる演習などやっていないよ。そういうのは全部ロースクール司法修習に任せていて

    法学部では何もやっていない。そのことを高野伸が隠しているだけ。

      確かに法学部に進学してくる昨今の諸君は前期入試において数学の様々な技術を知っているため東大生技術についてまったくのクラゲではないが

   法学部ロースクールでやっているような高度な技術習得するのは平成社会に鑑みて無理である

     佐藤もぐらや高野伸は相当前からズルをしていい高校から法学部に進学したためこの種の技術を知っているが、そういうところから進学した者でない者は

  現在東京大学提供されているものを学ぶことは不可能。要するに、時代遅れ

2022-07-04

   佐藤もぐらは昭和51年頃に生まれた人です。法学部卒で、平成の初年頃に国家試験三冠した。指導教官は団藤重光。

     他方、高野伸は、昭和54年からずっと民事を含む裁判官をしてきた。しかしはっきりいって高野伸など誰も知らない人で

  井上修二のお友達だというが、井上修二も高野伸も、一時期、マンコにトチ狂って止めていた時期がある。また、井上修二というのは教員だがその実質は

   暴力警官みたいなところがある。最近裁判官検索で出てくる裁判官昭和54年つまり、タテマエが完成してからずっとつまらないことをしてきた人ばかりで

  昭和50年代に上の方で華々しくやっていた裁判官はいない。大体昭和60年頃から判事検事になり始めた奴にはろくな奴がいない。

   昔は裁判官と言えば社会必須と言われていたが、昭和54年以降に裁判官をしてきた人は誰も知らない人くらいの印象しかない。

     団藤重光は終戦後に刑訴法編纂名前を馳せ、昭和48年に最高裁判事招聘されて華々しい判例を書いていた。しかしそういう裁判官はもはや一切見当たらない。

   もちろん公式には、明治維新将軍は叩きのめされ、明治時代には、武士の商法といって武士会社の人になっていった。

    しかしそういう人間昭和前期にまた軍人などとして正体を現し、悪事を働いた。終戦後、そういう種類の人間は罰として刑務所刑務官などになるようになった反面で

  戦後30年はいわゆる昭和オヤジというのが活躍した。ところが、昭和54年以降そうしたオヤジ団地のオヤジとして蛇蝎のように嫌われて影をひそめていき

    世間女性化が進行した。世間女性化が進行していたその時代には、串田孫一エッセイなどが大流行して今のような社会の比ではなかった。

     平成時代の法社会は見るも無残で、裁判所に、打ち枯らしたサラリーマンが細々とやっている感じだった。平成2年頃の検察庁は、もうやめたという感じだったろうか。

      しかしそれにもかかわらず平成裁判所は徹底的な古典的美的趣味に走り倒し現在に至った。しかしながら平成裁判官など誰も知らない

    あえて言えば、30年この方、キレイな家に住んできた人とでもいおうか。

      当然、判決文も、完成したものひとつも動かすことなく書いていると言って世間から忌み嫌われ、長いこと全く人気がなかった。

   しかし、佐藤もぐらは、平成のその完成した判例評価し、昔のようにドロドロと書いていたもの評価しないのである

     また、佐藤もぐらは、平成22年に、最高裁で、同じようなことをしていた。だから佐藤もぐらが偉大な人間だとは思わないわけである

2022-07-02

  最高裁裁判官 ( R4年7月2日 )

                                                   前職

  長官     佐藤もぐら                          東京大学法学部卒業生委員会担当

          高野伸                            厚生労働省社会保険審査調整室審査

          今崎幸彦                           東京高等裁判所長官

          任介辰哉                           東京高裁刑事部総括判事

          水上周                                同上

          佐藤達文                           東京地裁民事部総括判事

          立野玄一郎                               医師 ( 医事部担当 )

          杉浦麻理子                               医師            

          小田部耕治                          警察庁生活安全局長

          中谷                               志村福祉事務所ケースワーカー

          中嶋康弘                            厚生労働省関東信越厚生局社会保険審査

          高橋和之                            東京大学法学部名誉教授 弁護士  アドバイザー       

          冨澤佳代子                           警察官 淑徳大学教員

          長谷川章男                           黒羽刑務所看守  横浜刑務所看守

          古城英俊                              古城法律事務所弁護士        

2022-06-22


   下坂もぐらとか高野伸は平成18年に前田ゆきに指令し生活していくために弱者を殺そうとしたりしたくせに今頃になって偉そうな態度をしている。

     そもそもつの時代も下坂もぐらが多くの人に指令を出していたのかどうか自体が怪しい

2022-06-19


    令和2年頃の厚生労働省内で、中嶋康弘や高野伸が実施した2回の年金審査に関する裁決文は現在社会においてどのような意味もつのか。

      自分意見を述べよ。

     解答例 :  一次審査ではかなり厚く書いており、二次審査ではそれよりも短文であるが、裁決書は裁判所判決ほとんど同じ効力を持つため

             厚生労働省内で審査官がこのような裁決を出している以上、今後、日本年金機構年金の支払いをするにあたってその内容が

             考慮される可能性は大である特に二次審査審査長は、単なる社会保険審査官にすぎない中嶋康弘ではなく、昭和54年から裁判官

             勤務してきて、近年になって厚生労働省審査官に就任した高野伸(東大卒 64歳)が担当したためその効力は絶大であり、

             日本年金機構が今後年金を支払うかどうかに関し、出されている裁決書は大きな意味を持つ。

2022-06-16


   法律規定自体元々社会的な事案を予定して制定され、法律適用は事案に対して適用される

     法律がこのような構造をとるのは、近代法人間に対する強度な邪推、つまり、そうしなければ安定しないだろう

   というものである日本人にとって伝統的な法律は決まっているだけのゴミでまさに最悪ともいうべき存在だが、昭和時代実施された法律、つまり

    タテマエではないものの方は、日本人の中の老人性にウケて一世を風靡した

      ところが、現在社会人労働者には、日本人に対して強度な邪推をおこない、法律によって是非とも社会規律しなければならないとした昭和天皇の思いを

  覚えている人はほとんどいない

    下坂もぐらにせよ、小池ぺち雅にせよ、高野伸にせよ、昭和54年以来、ずっと決まったようにやってきた裁判官なので、流行っていた頃のことなど知るまい

2022-06-14

   法律学における法的安定性の概念は、既に存在するサービスなどが確実に提供されるなどということを意味しないし、裁判官は、いわゆる、良い人などではない。

     裁判官は既に存在する法律技術的に解釈してその意味内容を明らかにし事案に対して適用するだけの職業に過ぎない。

    逆に言えば東京に明らかに存在する都市性は、法の現れである。つまりこのように、「技術的に」  生活してもらわないと人は何をするか分からないということである

     しか現在裁判官検事警察官は、法のこの技術性格意図的に言わないのである

    まずなんといっても現在日本にはないのが、社会を安定させたいという欲求である。  昭和天皇時代サマーパニック時代には、どうしても社会数学的な技術

   によって規律しなければどうしようもないという状況があった。

     平成時代にも他の世界でそういうことをしていたのであるしかし、今の、下坂もぐもぐや、高野伸は、裁判官として、そうした野望があった時代のことを完全に忘れている

  のである

    また、裁判官は、単に判決小学生が書くような理想を述べる人ではないし、一般業界人間勘違いしているように規範的な意味で、良い人、などではない。

       裁判官について、良い人などと勘違いをさせているのは安倍政権の策略である

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