「全身麻酔」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 全身麻酔とは

2020-06-03

不妊

子供が欲しくてお見合いしてまでして、好きではないけど生理的に無理ではない人と結婚した。

いざ子作りと思ったらできなくて、産婦人科言ったら男性不妊だった。

勃起不全、社性障害精子無力症

今のところ女性側に明確な不妊原因はない。

夫も泌尿器科に行ってるけど、ずっと運動率は10%前後。一向に改善してないのに主治医は、これならいつでも子供ができますよと、無責任なことを言うらしい。

から夫も自分責任だって思ってないし、なんならもしも子供が出来なくてもお互いさまだし仕方ないとかいう。

いやいや、あなた由来の原因がほとんどです。

本当は夫要因の不妊ってわかった時点でなぜか急に夫が無理になったのでもはや妊活とかどうでもいい。

体外受精にならまだ希望はあるだろうけど、もう夫のために仕事しながら一週間病院通って、全身麻酔して、命の危険冒してまでってなってる。

今はコロナのおかげで不妊治療自体を中断することを推奨されてるのでこのまま有耶無耶にしたい。

2020-06-01

全身麻酔から生還した

先日、全身麻酔での手術を終えた。

全身麻酔自体人生で3度めなのだが、今回は術前検査心電図に所見があり

日常生活での動悸息切れ自転車に乗れるか山歩きができるか等々の

追加問診を受けたりしていたので、よもや目が覚めないのではないか

手術前夜の病院食(餃子)が最後の晩餐になりやしないか

若干心配をしていたのだが、術後は無事に目が覚めた。

これまでの手術では麻酔から覚める時にえらい勢いで肩を叩かれたので

何だこのやろうという気持ちで目を覚ましたものだが、

今回は手術のライトが目に入り「まぶしっ」と思い覚醒した。

その後「増田さーん」と声をかけられ、肩パンなしに意識・呼吸確認

気管チューブを抜いて、身支度を整えられて手術室を出た。


肩叩く必要ないんかい


ちなみに3度めの全麻手術にして、初めて尿カテを経験した。

カテーテルを抜いた後の排尿痛が一番きつかったかもしれない。

優しく出し入れして欲しい。

2020-04-25

女性につまらないことを聞いた

30代後半で独身で同い年で同じ派遣社員で真面目で下ネタ嫌い系の女性に、

トイレで大っきい方したときもちろん流しますけど、

流れなかったり便器が汚れて二回目流さなきゃとかだから

流れてく自分のうんち、見届けてから上蓋閉めますよね」。

その人は真面目な女性優等生なんだけど、

そのとき僕には「ウォシュレット使ってますけど、

濡れたお尻を拭くのと同時に、ちゃんと汚れが落ちてないか

2、3回拭いてもトイレットペーパーに少し汚れるし、

その時はもう一回水洗いするか、諦めます」と言った。

僕は歩きながらやエレベーターの中でもおならをすることがある、

っていうかするんだけど、女性もおそらくそうなんだろう。

ただそういうことを「言わない、話題にしない」だけで。

高校生の時、全身麻酔の手術をしたとき、事前に浣腸で便を出しておかなきゃいけない。

トイレの個室で壁に手をつき、若い看護婦さんからから浣腸された。

それはいいけど、「出たら流さずに呼んで下さいね」「ええっ」

ちゃんと出たか確認しなきゃいけないの。私は慣れてるから」。

こっちが慣れてないんだ。して、トイレットペーパーでちょっと隠れるようにして、

看護婦さんうぃ呼んで、看護婦さんは便器内を見て確認した。

最初優等生は、部屋に男性が居てもトイレはドアを開けたままするんだって

実家住まいでそんな状況会ったんですかと聞いたら、妄想だった。

でも、お腹が緩くて音が出るときはしないんだろう。

2020-03-29

anond:20200329081121

それは人工心肺じゃない?心臓も停止した人のためのやつ?

人工呼吸器は、酸素送るまでのやつだと思う

一回だけ、気管挿管経験ある。全身麻酔した後、なかなか意識もどらず、増田さん起きてくださーい、と顔ぺちぺち叩かれて、目覚めたら直ぐに気管挿管の管抜かれた。急に外すもんだから喉傷つけられて、しばらく喉痛かった。あれくらいなら人工呼吸器の類いだと思う。

2020-03-27

中絶して1週間後に中出しされた

先週、中絶した。

妊娠8週だった。どうしても産むことができなかった。子どもは、まだ子どもともわからないものだったけど、心拍がはじまっているところだったという。

中絶手術は、全身麻酔から痛くないと聞いていたけど、麻酔が覚めてから今まで体験したことのない激痛に2時間ほど悶絶した(子宮が急激に収縮したせいらしい)

手術から1週間は性行為しないでください、という医師言葉をきっちり守り、彼は1週間後に誘ってきた。

わたしは彼を喜ばせたいから、いいよとすぐに言ってしまう。

まだ血が出てるけど、まぁできなくはないかなって言ったら喜んでいて、そんなに嬉しいならよかった、と思った。

行為はやっぱりまだ痛くて、ヒリヒリとか鈍痛とかしたけど、耐えられないほどじゃなかったから、気持ちいいふりをしてあげた。

そうしたら、そうしたらですよ。まさかの中で出しやがったんですよ。

「え、だめなの。血が出ているって言うから大丈夫だと思って」って。

いや、血が出ているのは手術してまだ出血しているからで、え、聞いてたよね?隣で聞いてたよね?

生理なんてくるわけないじゃん。

6日前に子宮から胎児を掻き出したんだぞ、胎盤ごと。

見ただろ。人になりかけた赤い塊も。

なんかもう信じられなくてとっさに責めることもできず、ばかだねえ私たちって笑ってしまった。

馬鹿なのは確か。女中絶させてすぐさま中出しする馬鹿と、人ひとり殺してすぐ、そんな男を許してしま馬鹿

ふたりとも死ねばいいのに


で、今日アフターピルをもらいにいくとき

さすがに情けない。またお金もかかってしまうってこぼしたら、割り勘だからいいじゃんって、言われ。ついでにピルもらってきなよって、言われ。

は?

は?

はあああああああああああ??

うそでしょ?? そんなこと、マジで思って言ってんの???

ピルはいいこともたくさんあるけど、副作用もある。

毎日決まった時間に欠かさず飲んで、太ったりむくんだり吐き気したりして、それでこいつは、そんな苦労も知らないまま、気持ちよく中出しを楽しむんだなって思ったら、

ぜったい、ぜったいに飲めないと思った。

自分の身の安全のためだとわかってる。

もう人殺しをしないためだとわかってる。

人間関係すべてがフェアであるべきなんて思わないよ。

男女関係なんてだいたい、非対称性を孕んで維持することくらい、わかってる。

でもこれはもう、耐えられない。

正しいとか正しくないとか、知らん。平等とか不平等とか、知らん。

でもとにかく、もうこれ以上は、一歩たりとも耐えられない。耐えられなくなってしまった。


またひとりぼっちになるのだろうか。

それがやっぱり人ひとり殺した罰なんだろうか。

2020-03-15

流産した

アラサー結婚して1年が経ち、そろそろ子供欲しいと思っていたが生理不順でいつ子作りを考えた性生活を持てばいいかからなかった。

最寄りの産婦人科にかかると卵巣に異常があって自然妊娠が難しいかもと言われる。

その後不妊治療病院を紹介され、なんとか保険適用内のタイミング法で妊娠した。

しかすると妊娠すらできないのではと思っていたので、妊娠検査薬が陽性になったときは嬉しいより安堵したって感じだった。

そして胎嚢確認し、その後もすくすく育ち心拍確認胎児サイズ問題なく、母子手帳交付。ここまでくれば流産確率も5%くらいで大丈夫でしょうと医師が言うので安心しきっていた。

子供名前を考えたり、マタニティウェア用意したりしていた。

しか妊娠3ヶ月目で急に出血があり、病院に連絡するがこの時期の出血はよくあることだから、様子見と言われる。その後1週間毎日出血が続き、量も増えているので不安になり病院エコーを見てもらったら、赤ちゃん心拍は止まっていた。

その前の妊婦検診ではしっかり動いていて目視でもわかった心臓位置も、止まっていてはどこにあったのかわからず、コロンとした胎児の形をした置物が子宮内に映っているだけだった。

医師からは残念だけど…と言われて、ああ、ダメだったのか…とじわじわ実感してきた。

旦那も付き添ってきてくれていたので診察室を出たあと結果を伝えると、マジで…とそのまま無言。その後また自分だけ診察室に呼ばれ、稽留流産との診断を受けた。自然流産を待つのリスクが高いほど成長していたから、翌日に除去手術受けることに。

会計を済ませて旦那と無言で涙を流しながら帰宅帰宅後はもう訳が分からんぐらい喚きながら泣いた。旦那夜勤なので泣きながら仕事へ。

自分も少し落ち着いた後、職場本部長に経緯を話し、手術をするため数日休みを貰うことにした。妊娠は直属の部署の人には報告していたので、本部から経緯を説明してもらうようにした。いちいち1人ずつ説明するの辛いし…。その後経緯を聞いた先輩から、来週は元気に出社してねとLINE。まあそんなもんだよね…。

翌日朝9時に再度来院し、個室に案内されて11から手術になった。旦那はずっと個室で待機。

処置が辛いと先人のブログ等で拝見しビビっていたけれど、点滴打って麻酔が効きやすくなる注射を尻に打たれただけで、そのまま手術室へ。全身麻酔で即寝しているうちに手術は終わっており、前後ともに痛みも何も無くて安心した。ただ、麻酔からなかなか覚めず、車椅子で個室まで運ばれたらしく、その間ひたすらウーウーと唸っていたらしい。怖…。

目が覚めると個室のベッドの上で、麻酔がまだ残っていて目眩吐き気が強いので、3時間ゆっくりさせてもらった後、もう一度子宮エコー見せてもらい、中が空っぽになったのを確認して退院。16時には病院を出た。

病院内にはたくさんの妊婦と、産まれたての赤ちゃんがいて、幸せそうな空気でいっぱいだった。

手術方法は掻把法(そうは)と言って匙で書き出す方法か、機械真空の筒で吸引する吸引法が主流みたいで、私は吸引法だった。翌日から出血すら無く、痛みもなくてびっくりしているんだけど先生の腕が良かったのかな。

金額は4万ちょっとだった。手術なので保険がおりるらしく不幸中の幸い。親からは美味しい物を食べるように言われ、妊娠中食べれなかった寿司を食べた。美味しかった。辛くても食欲はあったんだよね。手術絶飲食だったし、、、

帰宅し、マタニティウェアや母子手帳お腹赤ちゃんがいますストラップを見てまた泣いた。でも、妊娠すらできないと思っていたので、妊娠できることがわかっただけ良かったと思うしかなかった。

もし、また妊娠して、また流産になったらと思うと、あまりにも怖すぎるけれど、旦那と話し合ってもう一度不妊治療病院に通院し、1から頑張ることにした。もしかすると次は妊娠すらできないかもしれないし、すぐ妊娠して何事もなく産むかもしれないし、やってみなくてはわからない。

赤ちゃん、短い間だけど母親にしてくれてありがとう。この間のエコー写真母子手帳はしっかり大事に保管します。

2020-02-05

流産記録

8日

出来たかも?

喜びよりも経済的余裕がないこと、妊娠時の情緒不安定さと毎日のだるさ気持ち悪さ体の重さ子ども2人を相手にすることの出来なさなどが思い出され不安要素で頭がいっぱい

検査薬 陽性

んあああ〜〜〜〜やっぱりか〜〜〜でも腹括るしかいかな〜〜〜妊婦生活はほんと嫌だけどな〜〜〜腰痛いし体重いしほんと嫌だけど〜〜〜

出産育児自体には前向き

でもほんおいまら

と思うように体の動かない動かせないマタニティライフには不安しかない


22日

初診

の子出産した産院(とても良かった)だったので勝手知ったる感じ

胎嚢確認、中身は確認出来ず

ここ数日いろいろ考え過ぎてもう既に12週くらいの気分だったけど最後生理開始日や胎嚢の成長具合(大きさ)を見ても6週程度

来週また診てみましょうとのこと

帰宅後「胎芽 確認出来ない」でググりまくる

つわり?なのか午後から気持ち悪しんどくなる日々

夕飯は作れたり(でも一品のみ)作れなかったり家事も碌に出来なくてほんとに妊婦生活は嫌なんだ…出産は好き…でもほんとに妊婦生活だけは……

体がしんどい思考ネガティブになったり普段は何てことな子どもの声にいちいちイライラしてしま

つらい

翌月8?9?日

胎芽やっぱり確認出来ず

そこまでショックも受けず、目の前の先生はご愁傷様ですムードなんだけど自分的にはそうでもなくて私の中の綾波が(いない)どんな顔したらいいかからないのってずっと言ってた(笑ってられない)(その場の雰囲気的に)

なんかショックよりも妊婦生活回避出来て、というか今ですらあまり子ども相手してやれてないのにそれに輪をかけてまだ小さな子どもたちを寂しがらせてしまうのを避けられたのでちょっとほっとした。

まぁまだ確定ではないんだけど

今回はだめだったかなー、という気持ちで過ごす

子どもは3人欲しがっていた旦那がショックを受けてて、今回の妊娠に際して初めて「ごめん」という感情

誰が悪いでもない、初期流産(たぶん母体問題がっていうより精子とか卵子かに育つ力がなかっただけ)(と私は思ってる)なので赤子に対して「産んであげられなくてごめんね」みたいなのはゼロだったんだけど、普段喜怒哀楽のほぼ喜楽しか表に出さな旦那しょんぼりしてたのはちょっと切なくなった

その後すぐ旦那通常運転(喜楽)に戻ったけども

改めて、避妊しようね出来たらまぁしょうがない頑張って育てようねでも35くらいまでかなしんどいからアラフォー妊婦生活はしたくないほんとしたくない!!っていうことは伝えた

女性特有の疾病が〜みたいな保険に加入してたことを思い出す

もし処置ってことになっても保険下りそうで不幸中の幸い

診察だけでも数千円かかるから……

なんとなくだるい上に待ち時間しんどくて疲労から診察後に外食したりして出費嵩むから………




8日

9:00

昨夜22時〜絶飲食

お腹すいた

最後の内診で胎芽が見えないことを確認(胎嚢は3センチ

「今回は残念でしたが…」とのことで処置のため部屋(個室)に通され、処置待ち

出産した時とは全然違う、狭くて殺風景な部屋。

処置後2時間はここで安静に、と言われて空腹だし退屈だし軽く絶望

終わったら何食べようかなーだけを考えて過ごす

10:00

点滴&筋肉注射

点滴の際my血管がどんどこ逃げたようで2回無駄な針を刺されました…手首に近いほど痛い。ちぃおぼえた。

なので痛いと噂の筋肉注射はあまり痛みを感じず。

その後処置室へ

10:25

処置室へ

寒い

処置室に時計があったのでぼんやり見てた

処置どうこうより「全身麻酔意識が戻らなかったら嫌だなあ怖いなあ」ばかり考えてた

10:40

処置開始

全身麻酔入ってカウント始まって「10」数えて「ええぇまだ寝落ちないよー術中声だけ聞こえてるとか嫌だよ寝たいよー」って思ってたら「11」の後は

「終わりましたよー(あと何か労いの言葉)」

知らぬ間に数十分過ぎてた

運ばれてるんだろうなー

「捕まっててくださいね

ベッドに移動したんだろうなー

などはわかったけれどもまったく目が開かず(怠くて?)

薬を嗅がされて…みたいなドラマアニメよくあるけどあれは卑怯だな体に力が入らないというか入れる気力が起きない頭がぐらぐらしてないけどする感じがあって下手に動きたくない何も出来ないというのは強く覚えてる

気付いたら個室ベッドの上だった

血が出てるのか痛みがあるのかよくわからない状態(頭が全然働かない)

そしてまた眠る

11:15

初めて目を開けながら喋れたのがこの時

「今何時ですか」「えっと、11時15分ですねー」

たぶん血圧測ったり「気分はどうですか」訊かれたりこの後のことを軽く説明されてその後また寝てた

たぶん麻酔で寝てる間口開いてたんだと思う。唇乾いて喉が渇いてたんだけど今何かしら飲んだら吐くな…と思ったしだる眠いので伝えられず

とにかくいろんな夢を見てた

12:47

起きる

13時過ぎ

軽食

パンケーキフルーツ!!美味しそう!!!

フルーツほんとにありがたかった。水分万歳

しかし怠くて上体を起こしていられず、起き上がって一口食べては横になる、を繰り返し1時間くらいかけて食べるフルーツうまー

痛み止めと抗生剤(5日分)を処方され、飲む

食後診察

出血を抑えるために挿入していたガーゼを取る

本日処置終了

帰宅

お腹すいた

保険会社に電話

休日を挟むので数日後速達発送する、とのこと

こちらで用意するもの診断書保険会社の所定用紙)くらいらしい。書類が届いてからまた病院か…

帰宅後の様子

1日寝転がってた(フライングボディアタックかまして来る1歳児が居るので油断出来ない)

ごはん旦那オムライスをいつもどおり食べられた

でもずっと座ってるのしんどい。食後即寝

翌日

再診

出血量も多くないし、とシャワーと軽い家事(近所への買い物)の許可下り

昼は外食で済ますが、食後駐車場までの道のりで倒れそうになる

貧血とかではないんだよな〜何だろう、動悸、息切れ。恐ろしく疲れやすい。帰宅後はグロッキー

翌々日

寝て過ごす

昼食を作れるくらいには回復した気になってたらその後寝込む

術後は大人しく身体を労ろう…と再確認

翌々々日

あれー身体かるーーい!と思って朝から家事バタバタこなしていたら夕方から安定のポンコツ

しかし幼子2人居るので、セーブしつつも最低限は動けるのがわかって良かった

しかししばらく性欲を発散してないムラムラが溜まってきており陰核だけいじってみた。絶頂を迎えると子宮が痛むので性交は当分お預けだな…

以降、まだ家事を頑張ると息切れはするものの、術後すぐの「どうやって生きていこう…」みたいな動けない絶望感はない。

2020-01-30

anond:20200130195412

そういやワイは東南アジア入院から全身麻酔手術にまでなったことある

まあそういうのは間違いなく外国人向けの入院病棟スイートルーム地元お断り総合医コンプレックスみたいな感じだし、日本とは逆方向の格差社会振り切れっぷりを目の当たりにしたという意味では経験値が増えたのかも知らん

2020-01-26

anond:20200126030330

75歳になったら死んでもいいよって国に認めてほしい。それまでは頑張って生きるから

もっと言えば、一定年齢に達したら、国の力で逝かせてほしい。厚生省管理下とかで。

手術の時みたいに、病院全身麻酔をして、苦痛を一切感じない状態にして心停止させるなんてどうか。

医者やらせたら心理的負担が大きすぎるのなら、自動化しよう。

そのくらいは簡単にできそうだ。生かさなくていいんだから

遺体は焼却。墓なんかいらん。専用の土地に一まとめで埋めてさ。遺族にメモリープレート渡すとかくらいですませて。

老後に希望なんて欠片ほどももてないが、でも苦しいのも怖いのも嫌だ。

から、国レベルの力でサッと逝かせてほしい。

2019-12-04

独立国 和歌山

anond:20191203002224

和歌山の特異性の根源は色々ある。

和歌山城を中心とする徳川信仰

今もなお市シンボルとしてそびえる和歌山城、また県庁脇の交差点には史実では徳川幕府を立て直し、ドラマでも「暴れん坊将軍」として名高い吉宗公の銅像とともかく徳川御三家のプライドを、特にその周辺住民意識に深く刻みこんでいる。

高野山

言わずと知れた日本仏教聖地空海平安時代に開いたその地は世界遺産にも登録され、より一層存在価値を増し観光地としても世界的に注目されている。参拝者数日本一の寺院成田山新勝寺高野山真言宗の一流派根来寺(和歌山岩出市)の下部組織に過ぎない。

熊野古道

神武天皇にも由来する日本サッカー協会のシンボル八咫烏、落差日本一の那智の滝などの熊野三山平安時代から信仰対象として貴族朝廷でも人気があり、その参詣道としての熊野古道世界遺産になったことで、県で最も経済的価値の無かった山間部でも経済効果を生み出している。


住友金属和歌山製鉄所。

かつては同社の主力工場でもあったため、和歌山市には企業城下町文化が今なお根付いている。ノーリツ鋼機や島精機をはじめとする様々な企業の発展もその恩恵に預かったと言っても過言では無い。

野球

現在の県立桐蔭高校前身和歌山中学が今で言う甲子園選手権第一大会から出場し第7回8回の大会で優勝した。それで野球文化が広がり住金野球部の活躍からかつての箕島高校現在智弁和歌山などが活躍すると同時にそれら以外の学校からも今なお多くのプロ選手が輩出され続いている。

トルコとの友好。

明治時代トルコエルトゥールル号難破を潮岬周辺住民が救助活動したことにより日本との友好関係現在も深く繋がっている。

松下幸之助

Panasonic創業者の生誕地。

明石家さんま

生誕地。

がんばれ前畑の前畑秀子

生誕地。

華岡青洲

世界初の全身麻酔による手術。

紀伊國屋左衛門

豪商。生誕地。

パンダ

白浜アドベンチャーワールド

梅。

紀州南高梅

みかん。

有田みかん

醤油

発祥の地。

L'Arc-en-Ciel

hyde生誕地。

コブクロ

事務所所在地

ドレスコーズ

志磨遼平生誕地。

小林稔侍

生誕地。

ガンダムSEEDbelieve

玉置成実生誕地。

このように、和歌山県は自慢ポイント県内各地にあり、多岐に渡るため特異な県民性があると思う。本州南端山間部に囲まれ大阪奈良から隔離された地理的要因もあるのだろう。

そういった点では指摘された「独立国」というのもあながち的外れではないし逆に個性として主張すれば発展する要因になるかも知れない。

書き初め自虐的だったが書いている途中で自慢になるという不思議

2019-11-29

全身麻酔の手術するんだけど

医療ミスとかおきて死ねいかなぁ。

もしくは手術中にニンジャがきて「イヤァー!!!」とか俺の身体を掻っ捌いてくれないかなぁ。

2019-11-25

精巣捻転症になった話

※深夜に思いつきで書きなぐったものなので誤字脱字などがあったりごちゃごちゃして読みづらいかもしれませんがよろしくお願いしま

はじめまして

僕が15歳2018年3月4月に精巣捻転症になりました。そのことを忘れないように書き留めておきたいなーと思いつつできていなかったし周りの学校友達などには言えずモヤモヤしていたのでここに残しておきたいと思いました。

まずそもそも睾丸捻転症とはどのような病気かといいますと精巣内の血管がねじれて精巣に血液が行かなくなり精巣が壊死するというものです(間違ってたらすみません

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E5%B7%A3%E6%8D%BB%E8%BB%A2%E7%97%87 (詳しくはwiki

もしこの病気にかかったら六時間以内に病院に行って手術をしないとそれ以降は成功率が格段に落ちます24時間をすぎるともう無理と言われています

僕がこの病気になったのが3月中旬くらいの卒業式が終わったあたりから左の方の睾丸がいつもより腫れていておかしいな~と思いつつ親に言う恥ずかしさもあり少したてば症状も収まるだろうと思い放置してしまいました

その後一週間後くらいに中学生から高校生という間もあり春休み期間が長かったため祖父母の家に帰省することになりました。新幹線で行くことになり新幹線に乗りましたが車内で流石に痛みに耐えきれずに親に連絡して祖父母の家についてから近くの泌尿器科に行くことになりました。その時は発症してから時間が立っていたこから精巣上体炎なのでは?と言われ次の日に総合病院の方に行くことになりました。この時気づいたのですが熱は37.5くらいで普段より高い状態でした(手術するまでこの体温のまま続きました)そして次の日病院に行ったとき詳しく調べてもらい精巣捻転か精巣上体炎のどちらかと言われました。症状の重さやもう精巣捻転なら精巣がだめになっているのでとりあえず薬を飲んでみて落ち着くかどうか見てみようということになりました。そして薬を飲んで一週間後にまた行くことになりました。薬を飲み腫れは少し治まったので僕としても精巣を取らなくて済むと安心し始めていました。一週間後また病院に行き収まったことを言うとまだ完全に治ってないから家に帰ってからまたそこでまた病院に早めに行ったほうがいいといわれたので行くことになりました。前に家族の中で入院した人があった大きな病院仙台赤十字病院に行きました。行って診察でエコーを受けて診断されたときこれは「睾丸捻転だねもうこれを残してもしょうがないので切除してもう片方も捻転しないように固定する手術を明日しよう、ここまで耐えてられたのは捻転が一回転したのではなく途中で半回転くらいだったからじゃないかな」と言われてその日のうちに入院することになりました。その診断を受けたときは一気に具合が悪くなりめまいが激しく起こったりしました。その後血液検査などを受けて病院入院しお風呂などなどを済まました。その日の病院食はくっそ不味かった覚えがあります。その夜は全然寝ることができず何回も嘔吐をして体調は最悪でした。そして次の日も熱を測ると38.0くらいまで上がっていて体が手術を拒んでいました。手術室の前まで行きましたがお医者さんに無理して今日手術するのはやめようということになって一週間後に手術することになりました。そして家に帰ってからは横になりながらダラダラ過ごしてリラックスすることができました。(家で過ごすと本当に落ち着きます)そして一週間後また病院に行き入院しました。相変わらず病院食は口に合わずコンビニ弁当を買ってきてもらって食べたのを覚えています。その日の夜は嘔吐などもせずにそのまま眠ることができました。そして手術の日浣腸などをして準備をしっかり整えて手術室に向かいました。手術室に入ってから全身麻酔をすることろからだったので麻酔からまり記憶が薄れて気がついたら手術終わった後でしたこの手術前から後までが本当に一瞬だったのでびっくりしました。

それからベッドに戻り麻酔が切れてきてからが辛くなりました。体の一部を切ったので動かなくてもすごく痛かったです。特にトイレをする時立つことすら痛くて出来ず最初尿瓶にしていました。おむつのようなものをつけていましたがそれをずらすのだけですごく痛く大変でした。そして一日一回先生が来て菌などが入らないように絆創膏?みたいなのを取り替えてくれるのですが取り替えるときがとても痛くて耐えるのが辛かったです。二日目からは前日から動いていないのでそれを徐々に慣らすのも兼ねてトイレまで歩いて行くようになりました。体の向きを変えること体を置きあげること立つこと歩くこと全て日常的にやっていることが大変ですごい苦労しました。それを次の日も続け手術から四日目で無事退院することができました。担任してからも数日間は辛いのが続きましたが徐々に慣れていき普通生活に戻ることができました。

僕はこの病気にかかったとき医学進歩している今でも睾丸を片方切除しないといけないというほどの病気があるのかって最初に思いました。この病気が起こる原因ははっきりとしていなく起こる原因もわからないことが多いそうです。このような病気自分でかかってしまったショックがすごく大きかったです。まあ片方の睾丸があれば大丈夫と言われているやおこた病気が外見で見えるところじゃなくてよかったと自分に言い聞かせて今は過ごしています。これからこの事でたびたび問題が起こると思うのですが頑張って乗り越えていきたいと思います。この病気自体4000人に一人と言われていて男性10から20代の人なら起こる可能性が誰でもあるのでもしこの記事を読んでくれた若い男性がいるなら頭の片隅にこのことを覚えてくれたら嬉しいです。

後この病気に関わらずですが体に何かあったらすぐ周りの人に恥ずかしがらずに言ってすぐ病院に行くべきだと思いました。

ここまで読んでいただきありがとうございました

2019-10-03

anond:20191003092149

全身麻酔は術中はいいけど終わった後が大変だぞ

尿道に管刺して小便するんだがこれがめちゃくちゃ痛いんだぞ

大腸カメラ日記

anond:20191002130321

たまたま日大カメラ初体験したタイミング胃カメラ日記を読んだので、私も書きたくなった。

軽い気持ち受診した大腸肛門科レントゲンで、下行結腸が細くなっていると指摘され、カメラをやることになった。

前日用に朝昼晩のレトルト検査食セットを処方された。普通レトルト食品と変わらない味で量も十分だった。

前日用の下剤がよく効き、深夜のうちに数回下した。

当日午前中、2リットルの下剤を飲む。コップ1杯の下剤を10分かけて飲む、もう1杯、10分かけて飲む、水を1杯、5分かけて飲む、でワンセット。これを5セット繰り返す。

寝不足のせいかなかなか効き目が現れず、ラジオ体操したりお腹をさすったりして忙しい。クリニックがポケモンジムなのにレイドに参加する暇はなかった。

3セット目でようやくもよおし、ますます忙しくなった。

13時に、尻に穴の開いた紙パンツに着替え、点滴を入れて狭い検査室に通された。血圧計や心拍計に繋がれ、横向きになってドクターを待った。

ナースが私の腰と肩に優しく手をのせて、ぼうっとする薬を点滴しているから眠くなったら寝てていいですよ、と声をかけてくれた。私もそのつもりだった。

経験したことのある友人たちからも、変な感じはするけど痛くはないと聞いていた。

ドクターは、強い近視の私には顔は確認できなかったが、声が優しく穏やかな雰囲気だった。

いよいよ始まった。

器具肛門を通る瞬間は気持ち悪かったけど、そういうものだと思っていたので緊張もなく乗り越えられた。

そして、カメラが奥に入って、入って……?

「痛ーーあーー!」

声が出てしまった。下腹部が収縮するような強烈な痛み!!

「痛いよね、ごめんね」とドクター

私の呼吸はハッハッと短くなり、手の先が痺れ、口はカラカラになった。目も開けていられなくて、ドクターナースの会話だけがから入ってくる。

「ドキドキしてるね」「すごくドキドキしてますね」「増田さん、深呼吸して」

痛みがマシな隙にフウフウと深呼吸する。ああこの感じ、遥か昔経験したことあるわ。陣痛だ。ヒッヒッフーとかやるべきかな。それどころじゃねえわ。

「あー、これはすごいね。グニグニに曲がってる。ヨッと。うーん、進まないねー。増田さん、体勢反対向きに変えられる?」

術着がはだけるけどもそんなことを気にする余裕はなく言われた通りに体を動かす。ドクターの指示でナースが私のお腹を上へ下へ右へ左へと引っ張る。

お腹の中にカメラ存在感を強烈に感じる。痛い!痛い!力が入ると余計痛いだろうから叫んだりはしない。吐く息とともに「いたたたたたた」となんども漏らす。

お腹の中のものを早く出したい!もう産ませてくれ!やっぱり陣痛か!

痛い箇所があって、そこを過ぎれば痛くないんじゃないか、もうすぐ痛くなくなるんじゃないか、そうあってくれと祈ったが無駄だった。

ドクター休み休みやってくれてたんだと思う。カメラが移動しないときは多少楽になる。でも、奥まで入れないわけにはいかない。

最後は仰向けにさせられて、腹を中から突き破られるような痛みと圧迫感に血の気が引くのを感じながら、ドクターの腸内実況を聞いていた。

「もう一回入れろって言われても俺ムリだわー」

おそらく本気ではなくて、痛みに共感を示してくれているのだと口調でわかった。

で、奥に到達して終わりではなくて、戻りつつ中の様子を診察するのだ。

上行結腸、横行結腸、下行結腸スムーズに進むが、S字結腸に入ると、カメラの前をすぐに壁が塞いでしまう。

腸をまっすぐに伸ばしながらでないと、カメラに何も映らないのだ。

復路も、お腹を押されながら、呻きながらのものになった。

検査後、処置室のベッドでガスを出しながらうとうとした。腹の中のものを産ませろって気持ちが強く、ガスの大きな音も全く恥ずかしくない。

小一時間ののち、ドクターから診察結果を聞いた。

ちょっと意外なくらい、丁寧に説明してくれた。腸のことに詳しくなった。

私は子宮がない。とある病気全摘した。その病気に関連して内膜症がびっしりとできていたため、摘出手術のときに腸側もだいぶ焼いたと聞いている。

子宮があった空間には、S字結腸が降りてきて収まる。そして癒着する。

どんな形で癒着するかは運任せで、私の場合、折り畳まれたような状態でくっついてしまった。

ほとんど完全に塞がれたようになる人に比べると運がいい方だけど、構造的に非常に便秘になりやすい。あと、腸カメラが痛い。

レントゲンに下行結腸が細く写っていたのは、S字結腸が下に溜まって引っ張られていたから。

腸の中は何も異常なくきれい

私は以前に過敏性腸症候群便秘型と診断されたことがあったが、今回否定的という結果が出た。こういうこともカメラで分かるとは知らなかった。

カメラは痛くないものと考えて、ほとんどの人は問題ないと思う。でも、何らかのお腹の手術を受けたことのある人は、私みたいな目に遭うこともあるので担当医とよく相談した方がいい。

検査結果の紙に、

3年に一度程度大腸内視鏡検査を受けることを勧めます癒着があることを伝え、上手な先生にしてもらう事。

メモがあった。

上手い下手はともかく、次は絶対全身麻酔にしてもらう。あんな痛み二度とごめんだ。

2019-09-19

全身麻酔を2回経験したが、

1回目は麻酔薬を入れた前後記憶が吹っ飛んでる。

2回目は手の甲から入れた麻酔薬がめちゃくちゃ染みたのを覚えてる。

この違いってなんなの???

2019-09-12

自殺は「自己責任」以外に何かある?

自殺って他のとくらべると「自分意思」でやっているわけでしょう?

自己責任じゃないの?

それに対し他者が何か文句を言うのは違うんじゃないの?

本人が書いた遺書があって、

「こういう理由から死にます」とか書いているなら検討余地あるよ?

でも、普通に「今が嫌だから死にたい」というタイプも居るじゃん。

「生きがいがないから」とかその他色んな身勝手理由死にたいこともあるでしょう。

死ぬ」という選択自分でした以上、他人文句いって良いわけではないと思う。

それを他者勝手に「自殺の原因ガー!」とか「周囲ガー!」と言い出して

死人にクチナシなのに勝手お気持ちお察ししてさぁ。

そんなことばかり言ってるから安楽死」が許されないんだよ。

眠りにつくように楽に逝けるようなさ、そういうもの全身麻酔空気注s

安楽死については、まぁ、置いといて。

「ピンピンコロリ」元気で悔いが残らないような急死を誰もが望んでると思う。

病気で、(老衰含めて)元気になる見込みも無いのに延命治療するような、生存者のエゴ的なやつ。

本人に決められるようにさせて欲しいよね。安楽死選びたいかどうかみたいな。

何が話したいか良く分からなくなってきたけど

まぁ死ぬほどの勇気があるのであれば何か行動してみても良いんじゃ無いかなと思ったりはするよ。

2019-08-14

今まで感じた傷みのワースト

尿管結石

遊びで徹夜しょっちゅうやってたらなった

最初は腹痛からまりトイレいっても出なくてあせる

病院に駆け込むも原因不明救急病院に転院させられる

点滴も座薬もまったく効かない

背中を刺されたような傷みが一晩続く

親知らずの抜歯

真横に生えた親知らずが神経に近かったので

歯医者ではできずに大学病院の口腔外科で手術

全身麻酔が途中で切れて激痛

手術後に目が覚めたときはそれほどでもないが

夜は痛くて眠れないレベル

痛み止め最強レベルボルタレンロキソニンのお世話になるが

服用の間は4時間は空けてくださいと言われるも2時間で痛くなる

痛くなると座るだけで精一杯

2019-07-10

整形をしても何も変わらなかった

わたしはブスだ。「ブス」と聞いてみんなどういう顔を想像するんだろう。わたしは「目や鼻だけがブスであとは普通」みたいな「のびしろのあるブス」ではなく、顔の骨格が日本人女性の平均より一回り大きく、配置がとっ散らかっていて、各パーツがこれでもかというほど醜い、何というかマジモンのブスだ。

中学は共学だったので男子生徒にかなり迫害された。わたしの顔を罵りにわざわざ別のクラスからやって来る人がいたりとか。

面と向かってブスとか死ねとか言われ続けると次第に人はおかしくなってくる。わたしマスクで顔を隠すようになった。

ルッキズムに関する書籍を随分読んだ。わたしがぶつけられたような「ブス」「死ね」にまともに取り合う必要は無いことを学んだ。

それでも「ブス」でいるのはとても、とても苦しかった。

二十歳を過ぎた頃、整形に踏み切った。目鼻をかなり直した。それぞれのパーツはまあ整ったけれど、全体として美しい顔であるとはとても言えない仕上がりになった。上述の通り骨格がとにかくゴツいから。顔がでかすぎる。余白が多すぎる。整形では直し難い「土台」の部分がめちゃくちゃ醜い。というかパーツをちょっと直しただけで美しくなる顔は元から「ブス」ではないと思う。

次は輪郭を削るつもりだ。もう既に虚無感が凄い。どうせ大して変わらないのが分かっているのに整形がやめられない。

ほぼ整形のために生きている。やりたいことが他にない。ほんとうに空っぽ人間になってしまった。

整形を始めてすぐの頃はまだ夢を見ていて、顔が良くなったらいろんな出会いの場に行ってみたい、とか思っていた。25点の顔でも75点くらいまでにはなるんじゃないかな、と期待していた。フォトショで加工するんじゃねーんだから。実際はせいぜい35点くらいの顔になっただけだった。

整形は魔法ではない。というか根本的な問題はきっと「顔」ではないんだと思う。でもこういう生き方しかもうできない。

とにかく自分に自信がない。技術が進んで、この先もしも劇的に顔が良くなることがあってもたぶん変わらない。ずっと自信を持てないまま。ずっとマスク

この前の鼻の施術全身麻酔だった。このまま目覚めなければいいのに、と思いながら臨んだ。限界が近い。

2019-06-11

電気けいれん療法を受けて3年が経過した

双極II型障害と診断され、あらゆる薬を試したが効果がなく、3年前に修正電気けいれん療法(m-ECT)を受けた。

現在は別の病院に通っており、双極性障害治療薬ではなくコンサータデパス頓服で凌いでいる。躁鬱なのか発達障害なのかあるいは両方なのか、結局よく分かっていない。

結果から言うと、電気けいれん療法は受けなくても良かったと思う。

当時20代で、ブルーカラー非正規労働をしており、入院のために退職した。辛うじてギリギリ出勤できるレベルうつ状態希死念慮がだらだら続き、数ヶ月おきくらいで比較的マシな状態が発現するという具合だった。よくあるパターンではないかと思う。

電気けいれん療法入院必要で、全身麻酔下で施術される。数週間で6回くらい繰り返す。

一応効果はあった。2回目くらいで希死念慮が軽くなった。胃部不快感もなくなった。

しかし、退院半月も経つと希死念慮が復活した。

副作用についてだが、人格が変わったり知能が落ちたり大きな記憶障害が起こるということはなかった。

ただ、施術前数ヶ月の記憶は多少曖昧になっている。もっとも、これはECT副作用でなく単にうつ状態が酷かったからかもしれない。幼少期の記憶もしっかり残っているし、危なっかしいイメージに反して大きな副作用はないと思う。

強いて言えば、「現代医学におけるありとあらゆる治療を尽くした」という点で気持ち区切りを付けることができ、諦めの境地に至ることはできた。

職を何度か変えて、今もクローズ非正規底辺労働をやっている。この時期は、いつも死にたくなる。

2019-05-21

anond:20190520143930

年齢も考えたら医者子宮と卵巣の摘出を勧めてきた。

まだ30で卵巣も!?

卵巣とっちゃう更年期障害が早く来る(骨粗鬆症のおそれも)から

子宮本体を除去する場合普通卵巣のみ(一部だけでも)温存するような気がするんだが・・。

とはいえ開腹か内視鏡・経膣かで予後も違ってくるからそれでそういう決定をしたのかもしれない。

セカンドオピニオンとかもらいながら手術の上手な医者をさがしたら。

「別の病気」にも理解がある、できれば総合病院でチーム組んでくれるようなとこないのかね。

あと、こういう文章が書ける人なら疑問点・要望医者わたして問答したりして、

もうちょっとしっかり、不安なく、準備できるようにしておこう。

全身麻酔だと立会人同意わたしておいたりも面倒だろうがその人とも打ち合わせて置こう

女性は全員便秘とおもわれてるから下痢型IBSなど腸の病気がある場合はそっちもしっかり治療して

手術のための手続きでも個人特性により特別に避けるべきことがあるかもしれないのでしっかり確認しておこう。

意外とその手術やって普通に生きていってる女性多いよ。

セックス子宮なくても普通にできる。

(むしろいくらやっても差し支えない体になるって一部男性には魅力では?

これを言っていいのかはよくわからんが)

子供がほしければ養子という手もある。

子宮脱だの卵巣嚢腫だの、病気になりやすい臓器なんだよな。

生き延びることが大事だと思うよ。

 

大事

2019-05-19

20代半ばで癌になった。

社会人になって3、4年経過して一人暮らしにも慣れ始めた頃だった。

休日の昼下がりに食器を洗いながら大きなくしゃみをしたら肋骨に激痛が走った。

ほどなくして痛みが引いたので気にもしなくなった。

それから2ヶ月後、くしゃみをしたら同じところに激痛が走った。

さずがにこれは何かあるよな?と思ったが、また同じように痛みが引いたので、気にしなくなった。

この痛みとは別に寝違えた痛みが長引いたので近くの接骨院に行った。

ついでに肋骨あたりも見てもらおうと医師相談したら、後日、影が見えると電話をもらいすぐに病院に向かった。

これまで大きな病気もなく健康に関してさほど気にしたことはなかったが、影が見えるって癌か?と漠然と思いながら電車に揺られた。

とはいえまりにも現実感がなくて何も考えられない。いや、まさか。そんな訳ないだろうと楽観的に考えていた。

それから話はどんどん進み、検体手術を受けることになった。

治すのではなく何の病気であるのか調べるための手術らしい。

前日病院に泊まってから手術だった。

ここでもまだ楽観的だった。手術は全身麻酔ですぐに眠ると聞いていたし、何とかなるだろう、それだけしか考えられなかった。

手術後はとても辛かった。

痛みと精神的な圧迫感、孤独感がひどかった。

ここで初めて自分に何か良くない事が起きていることを実感した。

痛みを感じることでしか実感できなかった。

手術して2日後には退院した。

病院から一歩出て、初めてこの件で大泣きした。

初めての手術を無事に終える事ができた安堵感とこれから自分はどうなってしまうのかわからない不安感でめちゃくちゃだった。

退院後、すぐに親と彼女に連絡を送った。

親はもちろんのこと心配してくれていたが、何より彼女心配させてしまうのが申し訳なかった。

である事が発覚したのは付き合った数ヶ月後だった。

それから2週間くらい経ってからだろうか。病名がわかった。神経系の癌だった。

とても珍しい癌でどうしてなったのか、完治する方法はわからない事がわかった。

抗癌剤を投与する選択肢もあったが、幸い日常生活に支障はなかったので、様子見のまま生活している。

病気がわかってから2年ほど経過した。

幸いというかこれまで通りの日常生活を送れている。

自分告白しなければ、まさか私が癌であるとは誰も気づかないであろうほどに普通に暮らしている。

1つ悲しい事があるとすれば彼女と別れた事だ。

とはいえこれは仕方ないというか、そうするべきだと納得できるので、受け入れている。

しかし悲しい。

あとどれくらい自分が生きられるのか、全くわからない。

癌になったり、交通事故ニュースを見ると、どうも他人事に思えなくなって、この日記を書いた。

病気や死がこんなにも近くにある生活は何とも言い難い。

小さい頃から人生っていうのは、学校に入って、就職して、結婚して、子供が生まれて、子育てをして、仕事をやめて、老後をゆっくりと生きていくのかなと思っていた。

そんな平凡だと思えた生活も難しい。もちろんそれだけが人生じゃないのはわかっているが、どこかそれが正しいと思えてしまう。

死ぬ前に何が食べたい?どこに行きたい?どう過ごしたい?なんて考えた事があるかもしれないが、実際に死を身近に感じるとそれらの答えなんて思いつかない。

ただ生きたい。とにかく生きたい。それだけだった。

癌になったのは不幸な事だと思う。

ただ癌で無くてもそれぞれの不幸を感じながらみんな生きているのはわかっているが、どれだけ考えても自分が一番可愛い

これからも辛い事がたくさんあるだろう。

それでも生きていく。

2019-05-18

anond:20190518172043

http://www.suzukake.or.jp/central/introduction/treatment-department/urology/

細い内視鏡(1.6mm)の先端からレーザーファイバー(0.2mm)が出ています

センターでは、体外衝撃波結石破砕術(以下ESWLと略す)で治療困難な腎・尿管結石および腎盂・尿管癌に対して、細い内視鏡(尿管鏡)とレーザーを用いた内視鏡治療を行います。この内視鏡治療全身麻酔で行います治療方法は、尿道膀胱から内視鏡ファイバースコープ)を腎盂・尿管の病変部まで挿入して行います腹部を切開して行う開腹手術ではありません。

医療分野では可能らしい。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん