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2018-09-25

世の中ほとんど変わっちゃいないんだよ。

マック正論を打つ女子高生

バス電車で無邪気な言葉

老害達を怯ませる鋭い幼稚園児も

日本の前時代的な風習に疑問を呈する

金髪碧眼の旦那さんも居ないんだよ。

いい加減気付いてくれって。

anond:20180925185356

俺は「かつて少年だった」おっさんだし、うちには日アサぶっ通しで見る幼稚園児がいるんだよね。

それに、温泉旅行回では1号優勢というよりレッド不調みたいな描写で、ノエル戦のとってつけたような「実質勝利」もテコ入れとしては遅すぎる&子供には説明してあげないと分からなかった。

だいたい、仮に1号がルパレン・パトレン内で最強だとしても、ギャングラー相手にそれを発揮していなさすぎる。

目立つ勝利はいつもルパレンじゃない?

あとさ、「お前」とか言うのやめない?

2018-09-24

anond:20180924234326

麻生太郎相手に「おまえ」って言ってコミュニケーション成立させられるやつ

俺はたくさん知ってる。老人ホームとか、幼稚園かにたくさんいる。

入ってないやつでも、結構いる。

2018-09-23

幼女エロ漫画の悪影響で、リアル幼女欲情するようになってしまった

昔は年上のお姉さんが好きだったけど

一時期幼女エロ漫画ばかりを狂ったように読んだ結果

性欲の対象リアル幼女に変更されてしまった

プールに行ってもスク水幼女ばかり目で追ってしま

最近幼稚園保育園小学校の近くを通るのは避けてるけど

いつ暴発するか分からいから困る

幼女エロ漫画は実生活に支障が出て危険から規制すべきだね

2018-09-22

子供幼稚園ママちょっとアレな人がいて、勝手に人のものや園のものを持って帰っちゃうんだけど

こないだトラブルがあって、ある父兄が「犯人はあの人じゃないですかね?」って言ったら

ある人が「在日かなんかじゃないの?」って言い始めてびっくりした。周りも同調してるし。

ネットではよく見るけどリアルでもこんなこと言う人いるんだね。すげえわ。

2018-09-21

anond:20180921120048

「○○くんはよそのクラスからうちのクラスの××ちゃん応援しちゃダメ!」って小学生どころか幼稚園児の縄張り意識じゃん(笑)

でっかいおにいちゃんと同じくらい年くっただけで精神年齢幼稚園児なみのおねえちゃんもクソ

https://anond.hatelabo.jp/20180919003925

こういう自分をかまってほしいって言いたいためだけに相手のことをボロクソにけなして問題ないと思ってるひと軽蔑する

察してちゃんモードですらどうかと思うのにかまってくれないなら相手のことを否定するみたいなのほとんど幼稚園児だろ

男でこういう言い分して許されるなんてことは絶対にない

パーセントこういうこという男は軽蔑対象になる

女だからってこういうこと言って許されるって思ってるんだったら人間として終わってる

こういうこと言いたいならこれからも下の身分でいつづければいい

それは差別じゃなくて区別

男でもこういう愚痴言っていいのか? どうせお前ら泣いて黙らせるだろ

都合のいいときだけ弱者ぶってんじゃねえよ反吐が出る


甘えたいなら素直にいえばいいじゃん私さびしいとかもっと私大事にしてって

本音を言ったら負けとかいつまで恋愛モードの延長で生きてやがる

いい加減大人になれよお前何歳だよ

こういう何歳になっても幼稚園児みたいなだだこねてるやつが女性として魅力的なわけないだろ

女が馬鹿かわいいのは若いときだけで年取ったら年相応に賢くなければ不良債権かひどいになると産業廃棄物扱いされても文句言えないぞ

2018-09-20

anond:20180920162700

自分の弱さは自分で克服するしかないのに「女(ママ)が何とかして」と思ってるからマザコンなわけで

ママはボクが守る!だってボク強いもん!」って言ってる幼稚園男児と同じなんだよな

そうやって強がりたいし「女(ママ)を守るかっこいい自分」に浸りたいけど

実際は弱いしママに甘えないと生きていけない

んでママが言う事聞かないと癇癪起こす

幼稚園男児ママにやってるならそれでも許されるけど

いい年こいたおっさん他人の女にやってたら醜悪しかない

anond:20180920125346

結婚子育てのいいところはイベントが多くなったり、5年後10年後について考えるきっかけが多くなることかなと思う。

結婚ならプロポーズして新居に引っ越し新婚旅行して、って流れがあるけどいつまでに幾らくらい必要だとか何が必要だとか考えるの楽しい

子育てなら出産して幼稚園保育園か行って小学校行って、、っていう大きなイベントから

子供バーベキューやったり野球やったり、ゲーム教えたりそういうのも楽しい

独身だと5年後や10年後なんてあんまり考えないじゃん?30歳から35歳になって何が変わってるかなって当時思ったし。

若いうちは色んなことがあるから気にしないかもしれないけど。

当然、責任もある。でもそれも結構楽しいよ。特に子育ては。

anond:20180920103807

そんなトコ通わなくても家庭教師だけでなんとかなるしなーw

小学校義務教育なので。

そもそも上の上しか入ってこない幼稚園学校もあるだろ…

anond:20180919152109

日本底辺の人と全く関わらないで生きるのって不可能だよなー。

というのがそもそも誤り。

ある程度以上のお金持ちなら、楽々実現可能

大邸宅住み込みお手伝いさん執事運転手付きの高級車があって、仕事はどっかの大会社の重役で、執務室に座ってときたま書類にハンコ押すくらいで済むとかなら、

底辺の人なんかほぼ見ないでイケるよ。

子供幼稚園学校なども、中流の上より上しか来ないような所は沢山あるし、そんなトコ通わなくても家庭教師だけでなんとかなるしなーw

自分幸せになる権利のない人間だという確信があるのでつらい

深夜の誰のためにもならない掃き溜め。

暇な人だけ見てってくださいね

思えば物心ついた時から

表題につけたみたいな、自分幸せになる権利のない人間だという確信があるような気がする。

なるべく社会に求められる、明るく元気な人間のふりをして過ごそうとしても幸せ人間を憎む感情が出てくる。

自分がそれにはなれないからという悲しみと共に。

幼稚園誕生日会。今でも覚えている。

同じ誕生の子供達が壇上に上げられて、「おめでとう。将来は何になりたいのかな?」っていうやつ。

あるよね?あなたの将来の夢は何でしたか

隣に住んでいる幼馴染は元気よく「おにぎり!」とか答える中で「サラリーマン」て答えた。

今もなりたいもの特にない。

強いて言えば生活は楽しくないのでずっと仕事してたい。


多分母親自分ストレスのはけ口にしてたせいだと思う。

本人は全く自覚してないみたいだし、今日仕事終わりに夜の街に向かって死ね!!!!!!って叫ぶ仕事に戻る。

残念ながら男だで。

2018-09-19

anond:20180919221957

そういう人にはメール箇条書きにしてあげて

って

そして返事がなかった時は

①の返答ありがとうございます、では②はいかがでしょうかって送ってあげて

幼稚園対応じゃないんだけどと思いながらいつもメールしてる

anond:20180919211110

それやるとお馬鹿な酒飲みが「禁酒法時代wwwwwwはい論破っぱ~~~wwwww」といい出して議論幼稚園レベルになって終わるから駄目なんじゃ

anond:20180919202310

「はず」と書いてるのは、当時の自分はまだ幼稚園程度だからあえて断言せず遠慮してるだけ

状況証拠的には「はず」ではなく、そういう人間は「いた」と断言していい

逆に「はず」と書いた部分を「一切なかった」と断言できるのか

言っとくけど1960~70年代団塊世代は1人残らず貧乏で苦労したって言いたいんじゃないですよ、そらハッピーな人も多数おったろうが

当時の実際の事件やら社会世相を拾っていけば苦労した者も多数おったろう、て話

そんな「全か無か」的なことじゃない

現実には戦前人間も1人残らず大日本帝国万歳軍国主義者ではなかったし、バブル時代だって土建屋不動産株式投資してた奴以外なら貧乏人は多数いた、そういう人間想像力問題

anond:20180919110628

人権は「社会が私を不快にしないでくれる権利」と化した時点で、アホの巣窟と化した。

マンションの隣で日照権反対運動してるやつら、幼稚園の横で騒音権利を訴えるやつら、ネットに放流された情報が消える権利を訴えるやつら、プライバシーを守る権利侵害する権利を訴えるやつら、自殺したいだけのことを権利と言い出すやつら。

これから永遠にエスカレートするよ。

人権思想を捨てるわけにもいかないし、俺らにできるのは、アホをアホと呼ぶことぐらいだ。

2018-09-18

息子だけど、親権押し付け離婚した母親について

そういえば自分の周りに親権を押しつけて離婚した母親がいたなあと、元増田を読んでいて思い出した。

もう20年近く前の話だし、元増田の元家庭とはずいぶん環境も違う。

記憶も定かでは無いけれど、「親権押しつけて離婚した母親」がどう見えたか、息子の立場の思い出で自分語りする。

母親最後に見送ったのは私と弟だった。

私の母親は、私が10歳の夏に家を出ていった。

母親の姿を私が最後に見たのは自宅の玄関

私と弟が学童保育から帰ってきて一息ついたあと、入れ替わりで母親は家を出ていって、そのまま帰ってこなくなった。

私と弟がどこにいくのか尋ねたところ、

ちょっと買い物に出かけてくる、あんたたちも来る?」と母親は応えた。留守番をしている、と返したと思う。

まだ日が落ちる前で外は暑かったし、エアコンが効いた部屋から出たくなかった。

それが母親と面と向かって話した最後の会話だった。

その日以来、母親は帰ってこない。ずいぶん長い買い物である

父親が帰ってきたのは20時ごろだったと思う。

母がいっこうに帰ってこないから、勝手レトルトカレーを食べるか迷っていたところだった。

そこから記憶あいまいで、「お母さんは買い物に出かけている」と父親に伝えたこと、その日は結局帰ってこなかったこと、

翌日の夜に「お母さんはもう戻らないんだってさ」と父親に伝えられたことは覚えている。


日経ってから改めて、「お前たちはどうする?お母さんについてくる?」と父親に聞かれた。父と母だけで子供に見えないところでやり取りをしていたんだろう。

私と弟は、間髪入れずに「父親についていく」と伝えた。

子供ながらに、「父親は家に住んでいる、母親は家を出た」「父親仕事をしている、母親パートタイムで働いている」「母親と一緒になるのは不安しかない」と思ったから。

その日からしばらくは子供部屋ではなく、父と母親の部屋で寝ることになった。

父親には「お父さんが寂しいだろうから」なんて言ったけど、たぶん怖かったんだと思う。寝ている間に父親もいなくなったら、とかたぶんそういうことを考えてたんじゃないか

家庭事情、なぜ離婚したのか

正直なところ、離婚前後夫婦関係母親の状況について、父親に聞いたことはない。父の浮気のようなわかりやす理由があったのかも分からない。

当時は、父親の機嫌を損ねたくなかったから、そんなの聞けるわけがなかった。

私も弟も父親も、母親がいなくなって、各々で新しい日々を送ろうと四苦八苦していたし、そのうちに聞くタイミングを失ってしまった。

というかよく考えたら、父と母親の馴れ初めについてすら詳しく知らない。なにしろ私がそんなものに興味を持つ前に離婚してしまたから。

父の年齢から離婚時点の年齢を考えると33~4歳前後になるから、彼らはおそらく大学を出てすぐに結婚したんだと思う。

父は普通サラリーマン帰宅20前後母親も、私が幼稚園の頃からパート勤務をしてて18時頃の帰宅が多かった。

なにしろ大学を出てすぐ私たちを生んだわけだから我が家にも給料的には余裕が無かったはずだ。

共働きということもあって、私と弟は小学校に入るとすぐに学童保育に預けられた。

周りの友人たちの母親専業主婦ばかりだったし、いま思えばマイホームを持った落ち着いた家庭が多かった。

記憶にある限りでは、私の母親PTAなどにもほとんど参加していなかったと思う。地域での友人関係というのも無かったんじゃないか

当時は家の鍵を渡されてなかったから、学童保育から帰ったあとは玄関の前に座って、母親の帰りをぼうっと待っていたのを覚えている。

食事レトルトや総菜がほとんどだった。忙しかったんだろう。

離婚の経緯に関しては唯一、母親祖父から「あの子あんたたちを育てるのを投げ出した、だから勘当をした」という趣旨の話を聞いたことがある。

そのため、母が家を出て行った理由は、私と弟の世話に嫌気がさしたからだと思っている。

実際、当時の私と弟は問題児で、小学校でも幼稚園でも喧嘩忘れ物などの問題行動をよく起こしていた。

まり詳しく覚えていないけど、家庭でも似たような状態だったのだと思う。酷く手のかかる子供だったと思う。

そんな状態である上に、私と弟は昔から比較的父になついていた。母親から見れば「男3人と自分」という対立構造に見えるときも多かったんじゃないだろうか。

上に書いたように、父と母親のどちらにつくかのやり取りもあったから、子供目線だと「母は親権押し付けて出て行った」のではなく「僕たちは自分父親を選んだ」という意識を持っていた。

でも、こうして書いていると、やはり母親私たちと居ることが耐えられなかったんだと思う。

「買い物」に出ていく際の「あんたたちも来る?」という問いは、きっとそんな耐えられない息子たちと自分関係を確かめ意味言葉だったんだろう。

ごめんね、お母さんよりも冷房を選ぶような息子たちで。あの日暑かったからなあ。

離婚のあとのこと

断片的な記憶だけど、父親離婚届を書いているところ、書類を返送する際に「こんな男と10年以上いてくれて~~~」という趣旨手紙を添えていたことを覚えている。

父は「本当にお母さんと連絡したいと思ったら、この携帯番号にかけたらいいから」といって、母の連絡先が書かれたメモ電話機のわきに残してくれた。

何度か電話をかけた記憶はあるが、そのとき何を話したかはもう覚えていない。

しばらくは祖父母が手伝いに来てくれていたこともあり、私も弟もすぐに母親がいない生活に順応した。メモはしばらく壁に貼ってあったけど、どこかにいってしまった。

その後、母親祖父から絶縁されたらしい。

もっとも、何年かに一度は連絡がある、ないしは帰ってきていたこともあるらしいので、本当のところは知らない。

私が二十歳を過ぎたころぐらいに、祖母から母親と会うつもりはないか」と聞かれたこともあった。

ただ、そのときにはもう私も大学生だったし、妙な蒸し返し方をされるのが不気味で会うのを拒んでしまった。「会わなかったぶんのお小遣いをくれるなら考えるよ」とかなんとか適当なことを言って。

小遣い自体は実際にもらった。

大学時代、祖父母の援助で車の免許を取得させてもらった。

あとから聞いた話によると、これは母から祖父母に「息子のために使ってほしい」とあずけられたお金から出されたものとのことだった。

祖父から「残りは、いつかお前たちがいい人を見つけて結婚式をするときに渡したい」と言われた。

父と母親の間で、慰謝料だか養育費だかの金銭のやりとりがあったかについては、知らない。たぶんもう知ることもないと思う。

私のその後

離婚してすぐに一家4人ですごしていた家からは引っ越すことになった。

学校が変わったことがきっかけで、無自覚問題児から自覚のある問題児に変わった。

父親との関係とは紆余曲折あったものの、大学までは出してもらった。

その間、母親がいないことで不便した記憶というのはほとんどない。保護者参観に親が来ないことにもすぐに慣れた。

中高生ときから料理をするようになったし、親が家にいないおかげでのびのびと生活していたから、むしろ恩恵のほうが大きい。

最近になって若干面倒になってきたのは、職場の同僚や知人から

「いつ結婚するのか?」と尋ねられること。

これは母親がいなくなったこととは直接関係とは思うけど、異性と生活を共にして、家庭を持つイメージがどうしても持つことができない。

おじいちゃん、お母さん、ごめんなさい。どうも僕はあのお金をもらう気にはなれません。

母親をどう思っているか

今になって思うと、ひどく気の毒に感じている。

母親が私を生んだ年齢をすぎて数年が経つ。もし今の私が、私のような子どもを持っていたとしたら、おそらく私だって投げ出すと思う。

もっとも、母親が買い物に出かけた理由が、本当に私たちだったのかは知るよしもないんだけど。

元増田について

本当にお疲れ様でした。

自分語りをしながら、もしかしたら私も元増田の書いてるような「隠し通された子供」なのかもしれないのかなあ、なんて考えてしまいました。

ただ、いずれにせよ元増田さんの体験元増田さんだけのものですし、好き放題に増田で叩かれたり、長文で自分語りする父子家庭出身者が現れても、あまり気に病まないでください。

どうにかいろいろと上手くいくようになって、元増田にとってもお子さんたちにとっても一番傷が少ない結果になるように、祈ってます

https://anond.hatelabo.jp/20180918120625

2018-09-17

子供AVみたっていいじゃん

幼稚園児がエロ本読んだっていいし、AV観たっていいじゃん。

もっと性に寛容になろうぜ。日本人むっつりスケベが多すぎ。

2018-09-15

私が子供を乗せた自転車ごと挟まった傘で転倒したとき

コメント書いたらいろいろ思い出した。

子供保育園に通わせてたとき、月曜はお昼寝布団セットを持っていき、週末はその重くて大きいお昼寝布団セットを持って帰らないといけなかった。雨の日はホント大変で、幼児が歩ける距離じゃないし、バスも通ってない。

幼児を前の幼児椅子に乗せて、幼稚園に持っていく毎日のセット(おむつカップ着替えなど)と、自分荷物と大きな布団セットを脇に抱えて自転車に乗り込む。

子供にはカッパ着せてたけど、座らせてる座面に雨がザーザー入ってきて雨でビショビショ。ズボンもみるみる濡れてくる。でも、大きな布団だけは絶対濡らしてはなるものかと片方の肩にかけて無理を承知で傘を前の子供と脇の布団を覆うように差し自分背中はビショビショになりながら自転車をヨロヨロと漕ぐ。

もちろん傘さし運転だめってわかってたけど、開き直りとかじゃなく、現実にそうするしかなく、多くのお父さんお母さんがそうやって送り迎えしてた。

あの頃はさすべえって明確に禁止じゃなかったから使っててるお母さんも多かったけど、あれは真上からしか差せなくて傾けられないので覆いたいとこころに傘がこない。だから結局自分で調節しながら差してた。

私は子供一人だったけどさらに二人目に小さい赤ちゃんいるお母さんは、あのニュース女性と同じように前椅子に一人、二人目を前向きに抱っこ紐でくくりつけてた。

私も子供が前椅子に座れないくらい幼い月齢ときおんぶしてたけど、雨の日は前抱っこでないと、自分自身がフード付きのカッパ着てると背中のこどもが後ろで窒息しそうになるし、おんぶだとそもそもボタンまらなくなるので、前抱っこにして抱っこ紐の背中側にカバーみたいな雨よけ被せてそれで子供自分の前も濡れるのをなんとか防いでた。

それでも膝から下はびしょ濡れになるんだけど。

で、私が転倒したときというのは、大雨の中、なんとか子供保育園に預けてそのまま自転車駅前に留めて、また夕方駅前から直行して迎えに行ったとき、そのときには雨が上がってて、行きに差してた傘のやり場がなかった。だからヒョイっとハンドルだったか手首だったかにかけた。

それで、カーブのところで傘を巻き込んで転倒しました。私の場合ゆっくり、あーれーって感じでスローモーションみたいにコケたから幸い私が打撲と擦り傷しただけで子供は無事だったけど。前の子椅子ベルトしてたから。

私はたまたまラッキーだった、それだけ。

それ以来土砂降りの日は泣く泣くタクシー呼んだり、大きめの折り畳み傘にして晴れたらカバンしまえるようにとかしてなんとか過ごしました。

周りから見たらあのひと、あん危険運転してって思われてたかもしれないけど、あのときはそれでも必死だったから、すみませんという気持ちと今はあの大変な時期がなんとか無事に過ぎ去ってくれたことを感謝するばかり。

亡くなられたお子様のご冥福をお祈りします

2018-09-14

物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。

物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。

死についてよく分かってなかった自分は、「死にたくない」と母に答えた記憶がある。

母はその場で泣き崩れ、何とか死なずに済んだ。

後で詳細を描くかもしれないけれど、自分の生まれた家庭は不完全家庭だった。

とにかく、その日から、死ってなんなんだと考えこむようになった。

幼稚園に上がってしばらくした頃、悩みはピークに達してあまり眠れなくなった。

周りの子供に相談しても不安がらせてしまって、当時の幼稚園先生からこっぴどく怒られた覚えがある。

書いてて思ったけれど、幼児が眠れなくなるって大ごとだ。

小学校に上がってから記憶ほとんどない、ただ周りに合わせてテキトーに振舞い続けた。

唯一記憶に残っているのは三年生だった時で、担任が超熱血教師だった。

うちに家庭訪問しに来た時、和室に入った時の言葉は今でも覚えている。

和室にある仏壇を見て、「ああ、創価学会員でしたか、うちは妻が幹部をやっておりまして。ちなみに私は共産党系です。」

当時はあまりピンとこなかったが、しばらく経ってから自分で調べてみた。

けっこう対立してる組織だったのね。

対立組織に属する夫婦、すごい。

私は熱心で信仰深かったかというと、それの真逆だった。

親に連れまわされて行っていた会館などの集いも、小学校に上がる前に全力で拒否して行かなくなっていた。

当然親からは殴られた。それでも反抗した。

そして家族の中で一番信仰深かったのは母だった。

父はそれほど熱心でもなかった、気が向けば仏壇に手を合わせている程度。

三年生だったころはその熱血教師とも気が合って、それなりに楽しく過ごせた。

でも家庭はぐっちゃぐちゃで、母からよくなじられた。

「お前が信心深くないから家庭が上手くいかない。」

「お前が(ryから父さんもあまり家庭と向かい合ってくれない。」

父も父で、母に対して気に喰わないことがあると自分を経由して文句を伝えさせようとしてきた。

言わないとそれはそれで面倒なので、父の伝言を母に伝えた。

母は激怒し、私に当たり、そして父にこう伝えろ、と迫る。

その伝言を父に伝えても、特に私に当たったりなどは無かった。

そういう板挟みが続いたころ、もうどうしようもなく死にたくなって、自宅で包丁飛び降りコンボを使って未遂を起こした。

ベランダの上に立って、首を切った瞬間に飛び降りようとしたのだった。

首にあてがった包丁感覚は今でも覚えている。

その時、家には誰も居なかったのだが、実行しようとしたタイミングで母が帰ってきていた。

私は母に気が付かず、後ろから羽交い絞めにされた。

母は号泣していた。

この人、昔心中を迫ってきたくせに泣くんだなと思った。

あなたはこんなことする子じゃないでしょ、何があったの?」

いやいや、目の前でこんなことをしようとしてたのが、アンタの子だよ。

そういう事件中学に上がるまでに二回ほどあった。

ショックを受けた母はどんどん宗教にのめり込んだ。

中学に上がってから記憶もあまりない、気が付いたら中二の年越しで食物アレルギーを起こした。

唯一携帯電話を持っている友人が私の家族電話しても全く出ず、友人たちは仕方なく私を自宅に運んでくれた。

寒い寒い、とうわごとを繰り返す私に友人が毛布を掛けて温めてくれる。

両親が帰ってきたのはそれから2~30分後。宗教集会に行っていたらしい。

私の状態さらに悪くなっていて、意識が途切れ途切れだった。

そして病院に運び込まれ、友人と両親、私は病院で年越しをした。

翌日、小児科医師が私の様子を見に来た。

蕎麦アレルギーで年越しとは幸先が悪いねハハハ。ところで、その手首の傷は自分でやったの?」

思いがけない質問が飛んできたけれど、意を決して私は頷いた。

あとで知ったけれど、その医師は小児神経科も診ることが出来る人だった。

「目の下のクマもすごいね、週にどれくらい寝てるの?」

「…二時間くらい。」

「何とかしたいと思う?」

私は静かにうなずいた。

その日から私の精神疾患に対して、具体的な治療が始まった。

私につけられた診断名は自律神経失調症とそれで発生した鬱、そして重度の不眠だった。

治療内容は、ルボックスという抗うつ剤と、生活リズムを記録につけるように指示された。

治療は三歩進んで二歩下がるという感じの速度で進んでいき、気が付いたらリストカットをやめていた。

鬱がひどい時でも気合いのような何かで無理くり体を動かし、学校へ通った。

精神的に辛くて行きたくない時は、母が私をぶん殴って無理やり車に乗せ、保健室に突っ込まれた。

そんな凸凹でも何とか成績は維持していたらしく、高校入試指定校推薦を受けることが出来た。

ちなみにこの時点でまだ鬱の治療は続いている。

高校合格した時、母の言葉を未だに覚えている。

「お母さんの信心が届いたおかげよ。」

この人は自分のやっている事しか見えていないんだな、と思った。

不思議なことに落胆はしなかった。

あきらめていたんだと思う。

高校楽しい記憶で埋め尽くされていたけれど、相変わらず頭の中は生死の概念を掴むことに夢中だった。

高2の春休みが終わる頃に、自転車日光に行き、華厳の滝に飛び込んで、すべて終わらせようとした。

夜の7時ごろに家を出て、携帯の電源を切って、ひたすら自転車を走らせた。

国道四号線をずっと北上し、もうそろそろ日光につく頃だったと思う。

東の空が明るくなった。

夜明けだ。

夜明けなら、夜はどこに行ったのだろう?

そう思って反対側を見るとまだ夜だった。

月と太陽が同時に見えた。

その時の自然の美しさに心を打たれてしまって、私はその場で泣き崩れた。

けっこうな時間泣いて、家に帰った。

この時は特に家族から怒られることは無かった。

そんなこんなで、そこから数ヶ月経過した高2の夏休み最後に、小児神経科主治医判断により治療がひと段落した。

不眠は改善し、リストカット癖も消えていたからだ。

希死念慮だけは消えてなかった。

主治医見立てでは、「まあ何とか乗り切れると思うよ、強いし。」とのことだった。

実際強かったと思う、よく耐えきれたと思う。

大学入試指定校推薦理系私立短大を受けて、合格した。

大学はかなり白熱した環境だったので研究学業にのめり込んだ。

2年後の卒業を経て、私は教授のツテで食品物流会社就職した。

仕事は楽しかったけれど、忙しい部署にいたのでしょっぱなから残業まみれになった。

そして、就職してから数か月後に精神疾患を再発した。

今度の病名は統合失調症

そこからは闘病しつつも、ちょくちょくバイトを始めて、そして体力的限界で辞めての繰り返しだった。

統失治療を始めてから最初の5年の間に、母はがんで亡くなった。

しかったけれど、多分一般家庭の子供よりは悲しんでいなかったと思う。涙は一応出たけど。

そこから5年後に、当時所属していたコミュニティメンバーの誘いを受けて、ルームシェアみたいな環境引越しをした。

その日から今日までの1年の間に色々なことがあった。

引っ越した月に友達付き合いが続いていた元恋人自死

病名が統合失調症から統合失調感情障害になった。

そこから半年後に父が癌で余命半年の宣告を受け。

自分自身も体調がすぐれないので、実家に戻ってきた。

そして実家に戻ってきたときに、もう一人友達付き合いが続いていた元恋人自死

私が実家引っ越しから、父の治療は順調に事が進み、抗がん剤放射線治療、本人努力甲斐があって腫瘍が消えた。

これには驚かされた、父本人が一番驚いているけども。

あとは5年間再発が無ければ安心とのことだった。

そして現在に至る。

今日は暇だったので、思い出しながら勢いでバババっと書いてみた。

しかしたら時系列おかしくなっているかもしれない。

疲れてめんどくさいので、推敲はしないでアップします。

人生いろいろあるよねってお話でした。

ここまで読んでくださって本当にありがとうございます

お互い、人生を良い旅にしていきましょう。

2018-09-13

長女の学校では友達同士で手紙を交換するのも禁止らしい

小学一年生の長女が、今日そんな事を言っていた。

長女は今日学校で、大の仲良しのお友達から手紙をもらった。それは特別洒落封筒便箋を用いたものではなくて、折紙の裏に本文が書かれていて、表に宛名と長女の似顔絵が書いてあり、セロテープを貼りまくって封をしてある、そんな子供らしい手仕事によるお手紙だった。

内容は、最近体調を崩していた長女を気遣いますものだった。

素敵なお手紙をもらって良かったね、と長女に言ったら、長女は

先生がね、学校にこういうのは持ってきちゃダメだって。これが最後のお手紙にしてねっていうの」

と言う。

いや、学校勉強必要の無いものを持ってきちゃいけない決まりがあるのは知ってるけど、これもダメなん?っていう。想像の斜め上行く厳格さ加減に驚いた。

子供達のお手紙交換は長女が幼稚園の頃も盛んに行われていたが、盛んに行われ過ぎててお洒落レターセットや文房具を用意するのが地味に負担だとか、子供に代筆させられるのが面倒、それに家庭の教育方針子供の成長あるいは生まれ持った能力により、文字習得具合や作文能力に甚大な格差が生じててしんどいとか、保護者的には結構辛い遊びではあった。

だが幼稚園先生方は、色々保護者を悩ますものではあるが、子供達が自発的文章でのコミュニケーションを取ろうとする事はよい事であり、過剰にならないように見守りつつ自由やらせてあげようというスタンスだった。

なお、長女の通った園は公立幼稚園なので、市内の公立保育園小学校中学校教育方針については一応連係がついているという話なのだが。

幼稚園保育園のうちは、子供達は個性自主性を尊重されのびのびと育てられてきたのに、小学校になった途端に規則にがんじがらめにされてしまう。

手紙禁止の件のほかにいたことといえば、給食の時は一切の会話を禁じる、という規則だ。一つの教室内で二十数名の子供達が疎遠な関係でもないのにそれぞれの席で黙々と食べているって異様な光景じゃね?

まぁ、長女の入学から半年経たずして、あの小学校はそういう所であり保護者が何を言おうが絶対変わらないというのは悟ったので、手紙禁止の事はもう諦めた。

長女や長女の親友が、この件で手紙を書く事自体を嫌いになったりとか、文章を書くということが学校の授業や宿題の中でしか出来ないものだと思い込んだりとかしないと良いなと思う。

子供の頃友達手紙書くの、楽しかったなー。

2018-09-11

ハヤテのごとく!はバッドエンドなのか

あーごめん。

これ書こうとしたら長くなるかも知れないから後で書くわー。

と思ったけど、長く書くんだったらネットでもうガッツリやってる人がいそうだからもうソレ読んで満足するわ。

と思って検索したんだけどそれっぽいものがないな。

てことは俺の考え方がズレてんのかな。

じゃあもう手身近に書くわ。

俺はハヤテのごとく!ってのは駄目なオタクのくっだらない妄想を受け止めてくるような漫画だと思ってたんだよ。

大金持ちだったりイケメンだったり天才だったりしたら人生らくちんでめっちゃ楽しいオタクライフもウッキウキだよなって気持ちを受け止めてくれる漫画

だけど物語クライマックスに向かうに連れて、ナギがただ天才ワガママで身勝手ででもお嬢様天才から人生がどこまでも恵まれていくって話じゃなくなってきた。

そんで最後には立派な真人間として更生することを物語の側に余儀なくされた。

これはもう全くもって、物語にそう仕向けられたと言うしかないんだ。

ナギハヤテに対する思いは本物なのか、ハヤテにとってナギは本当にただの恩人でしかないのか、ナギ果たして人に思われるに値するような人間なのか、52巻も続いた漫画主人公が単なるぐうたらだったで終わっていいのか。

まりにも長過ぎた連載期間が漫画のもの容赦なくそれを求め、それが主要キャラ達へとハルマゲドンのように降り注いできたのが終盤の展開だ。

その中で、ナギはそれまでの自分から脱皮することを求められ、グウタラニアリーニートライフから健康的で健全な自立した女の子に育つことを強いられた。

オタク幼稚園レベル妄想が形になったようなモラトリアムサブカル漫画は、クライマックスというデウス・エクス・マキナの引力に逆らえぬままに成長物語へと羽化していった。

それをハッピーエンドと捉えるオタクもいるんだろうし、そうやって変わりゆくナギの姿を見て現実適応することを余儀なくされて変わっていく自分を重ねたオタクもいることだろう。

でも俺はこれをバッドエンドだと感じた。

ハヤテのごとく!は終わらない夢であってほしかった。

いつか終わる夢なんて現実はいくらでも続いてる。

ラブやん結婚したのは諦められる。

アニメ版NHKにようこそがアルバイトを始めたのだって大丈夫だ。

でもそれは、カズフサや佐藤くんはあのままじゃ本当にどうしようもなくて、いつまでも終わらない夢を見続けた所でいつかは現実に追いつかれて決して幸せにはなれないと分かってしまたからだ。

でも三千院ナギは違う。

彼女なら、彼女のような天才お金持ちであるなら、死ぬまで人生をなめきったままでもこの世界幸福にグウタラ暮らせていたじゃないか

なんでそんな宙にフワフワ浮いたままで死ぬことが出来るような存在を作っておいて、わざわざ物語の中で引きずり下ろして地に足を着かせた。

それは違うだろう。

ラブやんご都合主義ハッピーエンドなら、ハヤテのごとく!ご都合主義のバッドエンドだ。

物語っぽく終わらせるために地獄から這い上がる話は歓迎するが、天国から叩き落とす話は許容しがたい。

これが俺の1年ごしの結論だ。

男の精神年齢は何故低いのか?

もちろん、精神年齢の高いオジサマは居ると思う。

年齢よりも達観している人もいる。

でも、大抵は「男性精神年齢は低い」と思う。

逆に「女性はマセている」とも言えるけれど……。

良くある、「うんこ」とか「ちんこ」とかも

男であればいつまでも笑えるネタになっている気がする。

逆に女は失笑する。

見てきた限りだと、女の精神年齢=年齢   男の精神年齢=年齢-2

ただ、恋人いたことの無い、譲る気持ちも一切ないとしたら

幼稚園児のままだけどねぇ。

この差は何なんだろうか?

何故女性の方が精神年齢高く見えるんだろう?

将来子育てをするために精神年齢高めとくのかな?

anond:20180911090152

根拠もなしに「決まってる」と言われても

まさか子供がいるなら専業主婦に決まってる」「子供保育園じゃなくて幼稚園なら専業主婦に決まってる」と言う

昭和からタイムスリップして来た人??

anond:20180911080647

共働きなのにろくに育児しねえ夫抱えて奥さん可哀想」事例に見えるんだが

これのどこが幸せなのか…

共働き判断した理由

「8時前に幼稚園に連れて行っている→普通幼稚園の登園時刻はもっといから、

早朝延長保育がある幼稚園に早めに預けてるんだろう」って所で。

奥さんの方が早くから出かけなければならないのも、出勤前に幼稚園に行く必要があるからなんだろうな。

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