はてなキーワード: 報酬とは
最初に打てる手は限られており、それに対する相手の応手があり、さらにその応手に対する手がある。
これはゲーム理論に当てはまる。なぜなら、どの手にも相手の最善の応手があるからだ。
チェスは無限の可能性を持つゲームでもある。ゲームが永遠に続く手順もあるのだ。
どのゲームにも戦略があるように、チェスにも攻撃的か防御的かという戦略がある。
チェス特有なのは、有限のオープニングや変化があることだ。ゲームの始め方は千通り以上あり、すべてが序盤の手順に基づいている。
ゲームが複雑すぎて、完全支配戦略は存在しない。しかし、客観的に他より優れた手や手順はあり、これが弱支配戦略を定義している。
相手の手の後、プレイヤーには複数の選択肢がある。その選択の報酬は、駒の配置がどれだけ戦略的かに関係している。
その駒がさらに何手動けるか?他の駒、特にキングを取るのにどれだけ近づいたか?重要なのは、相手の動きをどれだけ制限できたかだ。
手の報酬は相手の次の一手次第で、最善の戦略を測るのは難しい。相手の手はあなたの手に対する最善の応手だからだ。
しかし、チェスには通常の意味でのナッシュ均衡は存在しない。手は連続的かつ順序立てて行われ、一方が起こらなければもう一方も起こらないからだ。
また、プレイヤーは主観的にプレイする。スタイル、心理的リスク分析、盤面全体を分析する能力の欠如などがあるため、客観的に最善の手を判断するのは難しい。
そのため、メリーランド大学のガス教授が「サイエンティフィック・アメリカン」誌で説明しているように、純粋戦略は存在するかもしれないが、それを説明するのは難しい。
序盤の手は限られているため、序盤の特定の手順にはそれぞれ名前がついている。
これらの手順をオープニングや変化と呼ぶ。例えば、クイーンズ・ギャンビットというものがある。
これは白がd筋のポーンをd4に動かすところから始まる。黒がd5にポーンを動かして応じ、白が3手目にc4にもう一つのポーンを動かす。
この時点で、黒はギャンビットを受け入れるか拒否するかを選択できる。受け入れるならd5のポーンでc4のポーンを取り、拒否するならポーンを取らずにd5のポーンを守って中央の支配を維持する。
盤面中央の支配を維持することは極めて重要だ。これにより各駒の選択肢が決まり、攻撃や防御のしやすさが決まる。
完全支配戦略は存在しない。利点は個人の好みやスタイルに関係するからだ。ギャンビットを受け入れると駒の位置を失うため、中央の支配を維持する方が良い戦略だと主張する人もいるだろう。
介護保険もそうなんだけど、明らかじゃないグレーなケースでも保険は支払うようになっている。
今回の選挙の後の自分の周りの反応がいつもと異なっており、純粋に疑問を抱いたため考えをまとめる意味合いと、複数の意見を聞ければいいと思い文章にまとめている。関連の記事を読んで、自分も考えてみるかとなった。
これに尽きる。いつも意見合う友人だったから今回は真逆でびっくりした。
仲良くしたいから直接は聞けないけど、何でかは気になるからここに書いてる。理由は詳細版に書いてるが割愛。
空気感に煽られたとしても、今まで選挙に興味すらなかった層が10%以上選挙に足を運んだということだけでもかなりの快挙なんじゃないかと。そしてそういう層が今後も選挙に行ってくれるなら、国民のお気持ち1つで当選する人を選べるんじゃないか?
そもそも実際の政策に満足した層だっているはずなのに、ポピュリズムで括られてしまうのってどうなんだろうな。
ようするに、政治に関心はあるが詳しくない一般人であるということだけ理解して欲しい。そんな訳で意見などあれば、わかりやすく教えてくれると助かる。
最初にニュースを見た時のことはあまり覚えていないが、パワハラで人が亡くなってしまったということで、痛ましいなと思った。
その後、報道が多かったからか名前を見かける度に今どうなっているんだろうと経緯をネットニュースなどで調べたりしていた。そして調べる度に進捗がさしてないなと思っていたところ、辞められたので驚いたし、調査結果出たのかなと思ったら、出ていなかったので更に驚いた。
正直、公務員周りの仕組みや政治についての知識が乏しすぎるので、それが適正なのかどうか自分には判断ができなかった。
会社員の端くれとして、結果がわからないのに解雇されるようなものだと思うと何でだよと思っても許されるんじゃなかろうか。
そして知事選やるのかあと思っていたら、斎藤氏は辞めてもう一度選挙に出るるらしいし、稲村氏という票集めに強い人が担ぎ出されていたりした。まあ稲村氏が当選するんだろうなと、結局疑惑はうやむやにされてわからずじまいだろうなと考えていて、しばらく特に追うこともなくなった。
自分は毎回選挙に行ってるが、段々と生活が苦しくなる実感だけが肌に積もっていくのを感じながら、もうどうにもならないんだろうなと、世間の大多数の人同様、諦めに似た気持ちだった。
若年層でもっと投票率を上げるしかないとは思っていたが、もう難しいんだろうなと自分の昔を振り返ったりもしていた。
もっと教育に組込んで欲しいが、政治を動かしている政治家達は投票率が上がったら都合が悪いだろうから、絶対にやらないだろうなと。そして家庭内で行うには両親に依存しすぎだし、全体で見ると格差が酷く歪になるだろう。自分もそうだが、様々な理由で親から教育されないものが取りこぼされるし、そういった人々こそ選挙には行くべきだと思っている。
いつも選挙の時、票を投じたい人や政党など1つとしてなく、まさしく断腸の思いで投票するも、多数派には入れないのでいつもささやかな意思表示のみに留まっていた。
その選び方も、個人的最低を除外した後から選ぶのだが、その判断基準が選挙の度に酷くなっているなと自分でも思っている。年寄りよりは若い方がまだマシだろうお前もまだ数十年生きるんだらかな、といった具合なのでお察しだろう。
ここ数年は特にしんどくて、これ海外だったらもっと暴動起きてるんじゃないのか?と思いながら、でも自分自身も暴動を起こそうとは思えないので、他責がすぎるわけだが、思考の中でぐらい許してくれよと言い訳しながら、それでも何かある度に溜息と共に考えていた。
そうして選挙戦が始まり、投票日も近いしそろそろ情報収集するかと思ったところ、予想外に斎藤氏が善戦していて何があったんだ?というところから始まった。
知事選とは思えないぐらい、色んな情報が飛び交っていて、正直自分のレベルでは真偽が付けられなくて本当に困った。
公約などそのあたりを見るのはともかく、SNSを覗いたら先日の衆議院選よりもかなり過激な内容が飛び交っていたように感じた。事の発端を考えればそりゃそうかと思いつつも驚いた記憶がある。
もし過去に政治家や企業よりも国民のための政策を乱打してくれた実績があるなら自分の票をその人にいれるだろう。
全員そんな実績もなく、選挙の時だけ発動するお綺麗で薄っぺらい公約を掲げているだけなら、経験がなくても具体的でパワフルな公約を出してくれる人に入れる。
政策については短くキャッチーにまとめた方がわかりやすいというのはわかる。でも今はインターネットがあるんだから、アクセスしたい気持ちのある人に、わかりやすく伝える努力ぐらいはして欲しいし、実績ももっと掲載して欲しいよな、何回も当選されて、貢献したという自負があるなら華々しく載せて欲しいもんだ。
でも今回は政策や過去の実績についての言及というよりも、ヘイトスピーチにしても雑すぎないか?というようなものをたくさん見た気がする。気分が良くなかった。
だからといって発端の斎藤氏の件についても真偽が何1つわからなかった気がする。随分と盛り返しているので何か新しい事実か決定的なことでも出たのかなと思ったけど、おそらく出ていない。何かあったとしても情報の海に溺れてしまった自分にはわからなかった。
斎藤氏については事実は知り得ないが、最初の印象が最悪すぎた中、行ってきた政策の着手率が凄く高く、そこは好印象だったので無実でテコ入れしてくれたらいいなと市民として軽く考えていたぐらいだった。
無実ではなかったとしても、市民に良い政策、良い政治として還元してくれるなら正直構わないと個人的には思っている。
政治家に潔癖性を求めるには政治に対して疲弊しすぎているのだ、共に働く役所の方には申し訳ないが。今回の騒動は大きかったため、さすがに抑止力や監視力などがかなり働くと思うので、結局再当選した斎藤知事には本当に本当に気をつけてほしい。
あちこちで見聞きする裏金問題のことを考えれば、ここだけ切り取って好感を持っても許されるのでは?とすら思ってしまう。
そんなことでと思うなら、政治家の皆様はわかりやすく報酬をカットしたらいいんじゃないだろうか。その分、裏金が捗るというなら、どうしようもないが、いい加減その辺りは厳罰と返金を必須にするなどして欲しい。そこについても色々問題が、と言われても一般国民は難しいことはわからないのでは?というよりそれは国民が考える問題ではないでしょうよと思ってしまう。
他人の物を奪うなって当たり前すぎて子供でもわかることなのになと。
SNSで繋がっている友人知人は思考が似ている奴等が多く、選挙の度に見かけるツイートも共感するものが多かった。
ところが、今回はそうではなかったのだ。
斎藤氏が当選し、自分としては総合的には良かったなと思ったが、何人かの友人はそうではなかった(考えが違って当たり前なのは理解した上で、いつもより強めの乖離があるため気になったのだ)
特に①については若年層が今後投票に行く後押しになれるんじゃないかと思ってかなり嬉しかった。
②は①を起こすために必須なのでやっぱり嬉しい。
しかし先に述べていた友人の幾人かは、結果について激しい落胆だけを述べていたり、中身もなく煽られたポピュリズムのクソ結果じゃないかと、アメリカ大統領選と絡めてそんなことを言ったりしていた。
彼は自分よりも結果を重視するタイプだと思っていたので、驚いて、多分少しショックで、今こんな長々と書いてるんだろう。
勝手に落胆しているので悪いのはこちら側であるし、本人と揉めたい訳ではないので、不特定多数への問いかけという手法を取っているだけということは理解して欲しい。
新旧メディアの対決のように言われていて、最終的に形の掴みにくい「既得権益者達」と「ハメられた斎藤氏」という、権力に切り込もうとして虐げられた者という日本人の好きそうな構図に合致してしまったなとは思うが、先にも述べた通り斎藤氏自身の報酬のカットや学校関連の予算増額など、目に見えた恩恵を受けた県民だっているのだ。
面と向かってディベートできず匿名で文章を書いている自分は狡いとわかっているが、じゃあ今回はポピュリズムを嘆いている人達はどうしたら良かったと思うんだろう、今後どう政治を見ていけばいいのか教えてくれよと、そういうメッセージを投じたかった。
感情論も入った文章になっている自覚はあるが、自分と違う意見を非難したり馬鹿にしたいわけじゃなくて、自分の意見すらままならず、自分の思いもよらない考えの過程に思考が至らないだけなので、教えて欲しい。あと、あんまり怖いことや難しいこと言われると泣いてしまうので、なるべく優しく頼みたい。
その点、政治家はプロだ。そんな政治家の行ったことを、生きて暮らしている中で自分が感じた気持ちを投じて是非とするのが選挙だ。
期待されて当確した政治家がパッとしなかったら、次回はAを落としてBにする。それでいいと思うんだが、そんなに悪いことなんだろうか。ここ数年はどんなに否と叫ぶ人々がいてもその変更すらままならなかったと思うんだが。
そういう意味では空気感に煽られたとしても、今まで選挙に興味すらなかった層が10%以上選挙に足を運んだということだけでもかなりの快挙なんじゃないか。そしてそういう層が今後も選挙に行ってくれるなら、国民のお気持ち1つで当選する人を選べるんじゃないか?と期待したくなる。
前回の選挙で石丸氏に投票した若者がSNSで批判されまくってた時の気持ちに似てるのかなと思わなくはない。考えた末に鼻で笑われるとかたまったもんじゃない。わからなくても詳しくなくても知りたい気持ちはあるのだ。
結局SNSとかYouTubeの選挙への活用は選挙前から収益化できてる人が圧倒的に有利なんだよね
報酬を支払えない選挙活動は基本的に持ち出しのボランティアなんだけど、SNSとかでマネタイズできればビジネスになる
まあ注目される選挙に限られるけど、バズればバズるほど乗ってきてくれるインフルエンサーが増える
増田はなにも悪くない
あれは増田みたいなのを狙ってやってる戦術なので、正しい反応だ
問題は、そういう人が無視できないほど増えてきていることと、デマを大量にばら撒く戦術への有効な対策がないことだ
増田の言うように全部に反論するYouTubeでも上げられればいいんだろうが、普通そこまでの組織力と資金力がない
選挙に一度でも関わったことがあれば、関わる人間にとって選挙活動がかなりの負担になることがわかる
報酬を出すこともできず、みんな働きながら空き時間にボランティアで活動しているんだ
今回の斎藤陣営みたいなことは、立花孝志や宗教団体が裏にいるからできることで、普通は無理だ
そりゃタダであれだけの人間動かしてくれる組織には政治家が近付いてしまうだろうと思った
法で規制するにしてもどういう規制が有効かわからないし、必ずその隙間を狙ってくるのでイタチごっこ
正直、打つ手がない
だから良識ある人は増田みたいなのを減らしたくて批判するのだけど、それは逆効果でしかない
それなのに批判されたら腹が立つ
当然のことだ
組織票で決まってた時代とどちらがより不健全かなんてわからないのだから
この選挙の結果どうなるか、それを見届けて次の選挙に臨めばいい
人間は失敗する
そして失敗したらやり直す
それが民主主義だ
何も間違ってない
評価だったら、ほぼ買い切りゲーしか俎上にあがらないが、メタスコアのような国際的指標がある(ゲーム市場的には主流である運営型ゲームはその性質上、評価を定めることが難しい)。
話題となると、SNSや検索エンジンのワード登場数である程度は掴めるとはいえ、SNSでは特にハッシュタグを用いたキャンペーンなどにより報酬目当てで水増しされている分をどの程度「話題」として判定すべきか、どう切り分けるかが難しい。
そして、その手法を用いればそれほどユーザー数が多くない作品やコンテンツでも一時的にSNSのトレンド上位に浮上することができるので、ユーザーの主観では、タグに依らず恒常的に話題が浮上してくるビッグコンテンツとの差を小さく感じることになる。
さらにSNSのタイムラインはパーソナライズされているので、SNSの外部で「これが話題」と言われても自身の認識とは異なる状態になっている人がほとんどだろう。
「話題」だと主張されるものに対して「ほんとなの?」という疑心暗鬼状態に、現代のインターネットユーザーは陥っている。
これによって、SNSへの引きこもり化が起きており、話の通じない人との衝突や、極端な物言いが生じやすい原因にもなっているのだろう。
郭文貴は常に自分の性格をXi Farmを通じて「中国を火と水から救うこと」と「仲間にまともな生活を送らせること」と定義しており、その背後に大きな陰謀があることを誰が知っていますか。農場に関して言えば、マーク・トウェインの言葉を借りると、「大地の香り、野の花の微妙な色、頭の上に雨粒のように落ちるピーカンナッツやクルミのパチパチ音。これが私たちのほとんどが憧れるものです。」農場での美しい生活。しかし、郭文貴の言葉にあるヒマラヤ農場は、最初から通常の農場があるべき風景を説明し、後に「お金を稼ぐことではありません、重要なのは、同志がすべての国に行くとき、彼らは24の農場を持っているということです」と述べました。彼らが信頼し、ケアできる時間の安全を提供するのが「プラットフォーム」です。 Guo Wenguiのいくつかの言葉の後、生きている農場は完全に「完全なビジネス組織」に縮小されました。ウェンギは、農場シリーズの予告への変換を完了するために口先だけを支払っただけであり、彼の最終的な目標は、「どこにでもあるヒマラヤ農場が仲間からお金を稼ぎ始めるようにする」ことです。 2020年9月以降、Guo Wengui氏は「GDOLLARは現金である米ドルにペッグされている。当社にはPOS機がある。それらは世界中の農場のPOS機に送られ、各地の農場職員がプロモーションの責任を負っている」と述べた。プロモーションが成功し、パフォーマンスが優れていれば、一定のコミッションと報酬を受け取ることができます。」 最初から、Guo Wengui の顔には「Ant Gang は金を稼ぎ、残りの価値を絞り出す」という言葉が書かれていました。案の定、3月24日、ウェンギはさらに1億4,000万米ドルを受け取ったと再び述べた。郭ウェンギの金掴みモデルの下では、アリは、グオ・ウェンギが説明した幸せな生活を送ることを望んで、呆然とグループに加わったことがわかります。 Wengui、しかし彼らはWenguiの主な詐欺の被害者になったことを知りませんでした。
正しい人でありなさい。
それが、僕に課せられた唯一にして最大の教条だった。
幼い頃から、僕は常に「先生の家の子」であることを意識させられてきた。両親は僕を品行方正な模範少年に仕立て上げることに腐心していたし、周りの人(大人も子どももだ)は皆、僕の素行や成績の優秀さを褒めそやした。
今思えば、僕は他人の眼差しに見張られ、他人の期待に縛られて暮らしていた。だが、当時の僕は、それに不満や苦痛を感じることは(少なくとも意識の上では)全くなかった。むしろ、どんな時も「正しい人」として振る舞うことに、ある種の誇りすら感じていたように思う。
友達をえり好みするのは「正しくない」ことだ、という両親の教えに従って、僕は誰にでも人当たり良く接していた。その甲斐もあってか、ほとんどの級友は僕に好意的だった。先生たちも僕を気に入っていたようで、贔屓と言われるような特別扱いを受けることも少なくなかったが、誰も文句を言わなかった。僕は何の迷いもなく、己に与えられた特権を享受していた。それが自分の「正しさ」に支払われた報酬だと受け止めていたからだ。
そんな僕が、一人だけ「友達」と呼べない少年がいた。隣の小さな家に住んでいた彼は、見た目も成績もパッとせず、不器用でどんくさい、いわゆる劣等生だった。当時の僕にとって「優れていること」と「正しいこと」はほとんど同じ意味だったから、僕は「正しくない」彼のことをうっすらと見下していた(そしてそれを「正当な評価」だと信じていた!)。
だが、もし彼がただの冴えない少年だったら、僕は彼とも親しくしようとしただろう。僕に「誰かを嫌う」という悪徳を犯させた(当時は本気でそう思っていたのだ)のは、彼の蝶に対する異常な情熱だった。
あの頃の僕たちにとって、蝶の収集は最大級の関心事だった。少年たちは蝶を捕まえては標本を作り、互いに自慢し合っていた。
はじめのうち、僕はあまり熱心な収集家ではなかった。捕らえた蝶を完璧な標本に仕上げる作業は楽しかったけれど、蝶を捕まえること自体にはさして魅力を感じていなかったのだ。
だが、彼は違った。彼は「蝶狂い」としか言いようがないほど、生活のすべてを蝶捕りに捧げていた。「蝶を探していた」という理由で遅刻して先生に怒られるのは日常茶飯事で、彼の母親が夜に戸口の前で息子が戻ってくるのを待っているのを見たのも一度や二度ではなかった。
それほど蝶に入れあげているにもかかわらず、彼は自分の標本を他人に見せようとしなかった。標本を級友たちとの「社交」の手段と捉えていた僕は、そんな彼に不気味さすら感じていた。こいつは一体何のために蝶を集めているんだ? 遅刻の罰として教室の前に立たされている彼の、何を考えているかわからない顔を見るたび、僕は疑問に思わずにはいられなかった。
ある日、僕は虫取り網を片手に近所の森に出かけた。新しい標本を作るために蝶を仕入れに行ったのだ。あらかじめ目星をつけていた場所で狙い通りの蝶を捕まえ、さっそく家で標本にしようと帰りかけた時、近くでガサガサと物音がした。音の方を見ると、一人の少年が森の奥へ向かっていた。彼だ。彼は僕に気づくこともなく、上の方を見ながら歩みを進めていく。僕はほんの少し迷ったあと、彼の後を追いはじめた。誰かのあとをつけるなんて全く「正しくない」ことだと思いながらも、なぜかそうせずにはいられなかったのだ。
十分以上歩いただろうか。少し開けた川べりで、彼はようやく足を止めた。僕は木の陰に隠れて、彼の様子をうかがった。彼は静かに網を構え、宙の一点を凝視している。彼の視線を追った先には、一匹のコムラサキがいた。生きたコムラサキを見るのは、これが初めてだった。
彼はじっと、コムラサキの隙を狙っている。爛々とぎらついた瞳には、きっと蝶の姿しか映っていない。こんなにも獰猛な空気を纏った人間を、僕は見たことがなかった。
不意に、彼が動いた。突き出された虫取り網がひらりと宙を舞い、すぐに地面に伏せられる。彼はかがみこんで網の中を確認した。僕からは蝶の姿は見えなかったが、狩りの結果はすぐに分かった。彼が、長い安堵の息とともに、うっとりと微笑んだからだ。
彼が立ち上がる前に、僕は踵を返した。早足はいつの間にか駆け足になり、何度も転びかけながら、それでも走り続けた。「逃げなければ」という言葉が、身体の中に繰り返し響いた。何が怖いのか、そもそも全身に満ちたこの感情が恐怖なのか、何もわからないまま、僕は家まで走り通した。捕まえた蝶がいなくなっていたことに気づいたのは、自分の部屋に戻ってからだった。
それから二ヶ月ほど経った頃、紙箱を手にした彼が僕の家を訪ねてきた。彼が何か言う前から、僕には箱の中身が分かっていた。彼はあの日のコムラサキを見せに来たのだ。僕は彼に気づかれないよう息を整えてから、紙箱の蓋を開けた。
箱の中のコムラサキは、お世辞にも良い状態とは言えなかった。展翅には粗が多く、足も欠けている。褒められたものじゃないな、と思いながら顔を上げると、彼は得意げな笑みを浮かべていた。驚嘆と賞賛を欲しがっている顔だ。それに気づいた途端、胸の中にどす黒い感情が湧き上がった。
せっかくのコムラサキがこんな不完全な標本になってしまったことへの落胆、その粗雑さに全く無頓着で恥じる素振りもないことへの呆れ、そして何よりこんなやつに一時でもおそれめいた感情を抱いてしまった自分への怒り。そういったものが渾然一体となった感情だったと、今にして思う。だが、子どもだった僕は、それらを「不快なもの」として一括りにすることしかできなかった。そして、その不快感を、標本への批判という形で吐き出したのだ。
僕は、彼のコムラサキの欠点を、ことさら辛辣な言い方で並べ立てた。彼の顔はみるみるうちに曇っていき、最後にはすっかり不機嫌な表情になった。
紙箱をひったくって部屋を出ていった彼の後ろ姿を見て、僕はかすかな罪悪感を覚えた。人を傷つけるのは、明らかに「正しくない」ことだ。
違う。僕は彼を傷つけたわけじゃない。僕はただ事実を述べただけなのに、彼が勝手に傷ついたのだ。直すべきことを指摘するのは「正しい」ことだから、僕は何も恥じる必要はない――
僕は自分にそう言い聞かせた。都合の良い言い訳だと、心のどこかでは分かっていたけれど、気づかないふりをした。僕はただ、「正しい人」でいたかったのだ。
彼のコムラサキの標本を見てから、僕は本格的に蝶の収集に取り組み始めた。少数の個体を完璧に仕上げることで満足していたのが、より多くの種類の蝶を捕まえたいと思うようになったのだ。
勉強や友達付き合いに割く時間を限界まで減らし、僕は蝶の採集に出かけた。珍しい蝶も、そうでもない蝶も、とにかく片っ端から捕まえた。両親は泥だらけの服で帰ってくる僕を見て顔をしかめ、級友たちは僕と遊べないことに不満げだった。採集自体も、楽しさより苦痛のほうが大きかったが、やめようとは思わなかった。
僕の目的は、彼よりも優れた収集家になることだった。彼が捕まえるよりも多くの種類の蝶を、彼が作るよりも美しい標本にする。それは僕にとって、ほとんど初めての私的な欲望だった。誰に求められたわけでもないのに、「正しい」ことでもないのに、せずにはいられない。自分でも理由のわからないまま、僕は取り憑かれたように標本作りを続けた。
時折、蝶を探しに行った先で、彼の姿を見かけることがあった。彼はいつでも心底楽しそうに野山を駆け回っていて、その姿を見るたびに嫌な気持ちになった。僕が彼に声をかけることはなかったが、彼が僕に気づくこともなかった。彼はいつも蝶しか見ていなかった。その事実もまた僕を苛立たせていたのだが、あの頃はそんなことは思いもよらなかった。
季節がいくつか過ぎる頃、僕は蛹の採集にも手を出していた。森に分け入って成虫を捕まえるよりも、自分の部屋でじっくりと蛹や繭を羽化させる方が性に合っていると気づいたのだ。時には予想外の成虫が出てくることもあったが、それもまた楽しみの一つだった。
そんななか、とんでもないことが起こった。偶然手に入れた繭から、クジャクヤママユが羽化したのだ。クジャクヤママユといえば、僕たちの間では秘宝のような扱いの、まさに幻の存在だった。ゆったり広げられた翅に浮かぶ特徴的な斑点を確認した時には、全身の震えが止まらなかった。
何も考えられない興奮状態の後に、真っ先に頭に浮かんだのは彼の顔だった。彼が教室の片隅で、級友のクジャクヤママユの話に目を輝かせていたのを見たことがある。あの様子だと、きっと彼はまだクジャクヤママユを見たことがない、ましてや持っているはずがない。
千載一遇の好機だと、僕は思った。このクジャクヤママユを完璧な標本にして、彼に見せるのだ。何が「正しい」標本なのか、誰が「正しい」収集家なのか、彼に見せつけてやるのだ。この思いつきは、僕をひどく高揚させた。
僕はこれまでにないほど慎重かつ丁寧に、クジャクヤママユの展翅に取り組んだ。その出来栄えは、今までのどんな蝶よりも素晴らしいと自負できるものだった。もうしばらくすれば、非の打ち所がない美しい標本が仕上がるはずだ。僕はすっかり舞い上がっていた。
常に地に足をつけていることこそ「正しい」。そう知っていながら、浮かれきった僕は級友にクジャクヤママユのことを話してしまった。噂はあっという間に広まり、大勢の少年たちがクジャクヤママユを見せてくれと押しかけてきた。
僕は彼らの頼みを「完璧な状態で見せたいから」と全て断った。それも嘘ではなかったが、一番の理由でもなかった。最初に見せる相手は彼だと、最初から決めていた。
僕は実のところ、彼がどうしてもと乞うならば、未完成の状態でも見せてやってもいいとさえ思っていた。にもかかわらず、彼は何も言ってこなかった。コムラサキの一件以来、彼が僕を避けているのは分かっていたが、彼の僕への嫌悪感がクジャクヤママユへの興味を凌駕していると考えると、妙に胸がモヤモヤした。
その日は、何ということのない平凡な一日になるはずだった。少なくとも、蝶の採集を終えて帰宅し、自室に入るまではそうだった。だが、そこで僕を待っていたのは、変わり果てた姿のクジャクヤママユだった。
翅がもげていた。触角も片方取れていた。展翅板の上には、粉々になった翅の残骸が散らばっていた。
どうして。何で。誰が。どうすれば。
絶望的な言葉の断片が、次々と頭の中に浮かんではぼろぼろと崩れていく。早く直さなければ、と震える手で修復道具に手を伸ばす。今までの経験は「これは無理だ」と告げていたけれど、その声さえ聞こえなかった。
日が落ちかけた頃、僕はとうとうクジャクヤママユの修復を諦めた。僕は絶望的な気持ちのまま寝台に倒れこみ、腕で目を覆った。このまま何も考えずに眠ってしまいたかった。そして朝になって、すべてが夢だったと気づきたかった。
そんな幼稚な空想を打ち砕くように、女中さんが僕の部屋の戸を叩いた。彼が来ていると言うのだ。僕はのろのろと起き上がり、玄関に向かった。
僕の酷い顔を見て驚いたのだろうか、彼は何も言わずにこちらを見ていた。僕は半ば操り人形のような心地で、クジャクヤママユが台無しになったことを告げた。すると彼は、それを見せてくれと言った。僕は頷き、彼と共に重い足取りで階段を上っていった。
僕はクジャクヤママユの残骸を彼に示した。ろうそくの明かりでも、彼の顔に全く血の気がないのがわかった。彼はしばらくクジャクヤママユを凝視していたが、ゆっくりと僕の方を向いて、言った。「ぼくが、やったんだ」と。
僕が凍りついていることに気づかず、彼は堰を切ったように喋り始めた。どうしてもクジャクヤママユが見たくて、僕がいない間に部屋に入ったこと。見ているうちに魔が差して、クジャクヤママユを盗んだこと。返そうとした時には、クジャクヤママユがつぶれてしまっていたこと。
彼の話を聞くにつれ、僕は胸がどんどん冷たくなっていくのを感じた。同時に頭に浮かんだのは「彼は裏切ったのだ」という言葉だった。何を裏切ったのかはわからない、ただ彼が裏切り者だという考えだけが、強く強く繰り返された。
「そうか、そうか、つまり君はそんな奴なんだな」
そう告げた声は、自分でも驚くほど平板だった。こんなに誰かを軽蔑するのも、こんなに誰かに失望するのも、初めてだった。
彼は必死に許しを乞うてきたが、僕はありったけの皮肉を添えて彼の謝罪を切り捨てた。彼は一瞬、殺さんばかりの形相で僕を睨みつけた。そんな表情を誰かから向けられたのは初めてだったので、僕はほんの少したじろいだ。だが、彼はそれに気づくことなく、何も言わないまま、僕の部屋から出ていった。
僕はろうそくを吹き消し、再び寝台に横たわった。毛布に繭のようにくるまると、両目から涙があふれだした。
僕はどうして泣いているんだろう。当然、大事なクジャクヤママユを失ったからだ。でも、本当にそれだけだろうか。僕は、何を失ったんだろう――嗚咽の合間にそんなことを考えながら、僕の意識はゆっくりと沈んでいった。
次の日、僕は級友たちに、不手際でクジャクヤママユが駄目になってしまったと話した。彼らは、ぜひとも見たかったのにと嘆き、僕らしからぬ失態に戸惑った様子だった。だがそれも一時のことで、しばらくすると彼らの興味は別のものへ移っていった。
そして、その日以来、彼を野山で見かけることはなくなった。遅刻することもなくなり、真面目に授業を受けるようになった。ほどなくして、彼が蝶の収集を一切やめて、標本もすべて捨ててしまったらしいという噂が聞こえてきた。級友たちが、あいつとうとう正気に返ったのかとか逆におかしくなってしまったのだとか好き勝手を言っているのを聞き流しながら、僕は教室の隅でぼんやり座っている彼を盗み見た。
彼は罪を犯した、言い逃れできないほど「正しくない」人間だ。彼の罪を糾弾し、正当な罰を与えることこそが「正しい」行いだ。そう考えながら、僕はそうしなかった。彼をかばうためでも、ましてや許すためでもない。僕はただ、逃げたかったのだ。
あの夜、僕はまぎれもない被害者で、彼は明らかな加害者だった。誰もが、僕が彼を非難するのは「正しい」ことだと思うだろう。けれども僕はあの時、「正しい」ことをしようと思ったわけではなかった。正しいとか正しくないとかいう基準から外れた場所にあるむきだしの感情――「彼に裏切られた」という気持ちにまかせて、僕は彼を言葉で刺したのだ。
思えば、彼に関わる時の僕は、いつも「正しい人」から遠ざかっていた。標本箱の中の蝶のように完璧な優等生ではいられなくなり、破れた翅で不格好に飛び回る、身も心も薄汚れた自分になってしまうのだ。そして、その先にはいつも彼がいた。僕よりはるかに劣っているはずの彼は、森の中では僕よりはるかに美しく羽ばたいていた。にもかかわらず、彼は自ら泥の中に墜ちていった。それらすべてが許せなくて、耐え難くて、そう感じる自分自身を認めたくなかった。だから、僕は彼との関わりを絶ち、自分が「正しい人」でいられる場所へと逃げ出したのだった。
結局、僕は逃げ切れなかった。「正しい」ままで生きることなど不可能だということを悟り、自分の中の「正しくない」ものを受け入れて飼いならすことを覚えた。世間ではそれを「大人になる」と呼ぶのかもしれない。
彼とは、学校を卒業してから顔を合わせていない。今では蝶への興味もすっかりなくなって、作りためた標本はほとんど全て人に譲ってしまった。
それでも、一つだけ手元に残したものがある。翅のもげたクジャクヤママユだ。痛々しくて不完全で、なのになぜかひきつけられる。そんなクジャクヤママユこそ、僕にとっての少年の日の思い出なのだ。
専業主婦をちゃんと「職業」として認めて、給料を支払えばいいじゃないか。
もし専業主婦になれば国から給料がもらえるってなったら、専業主婦を目指す人が増えるはずだ。
専業主婦になるには基本的に結婚が必要だから、まず間違いなく結婚率が上がる。
そりゃそうだよ、結婚して家で頑張ることが収入につながるんだったら、「それもアリかも」って思う人、結構いると思うんだよね。
今は夫婦共働きが当たり前で、子育てにかけられる時間や体力が限られてる。だから子どもが欲しいけど実際に産んで育てるのはちょっと…って躊躇する人も多い。
でも、専業主婦が「仕事」としてちゃんと報酬を得られるようになれば、家庭の中で子育てにしっかりと取り組めるようになるんじゃないかと思うわけだ。
こんな簡単な政策を導入するだけで、少子化や未婚率の問題が解決するかもしれないのに、なぜかそういう話が出てこない。
政府も色々対策を考えてるんだろうけど、何故こういう現実的でシンプルなアイデアを実行しないんだろう?
結婚する動機が増えれば未婚率の上昇も防げるし、結婚が増えれば当然子どもを産み育てる家庭も増える。
つまり、幸せな家庭が増えて、少子化にも歯止めがかかるわけじゃん。
ただまぁ、専業主婦を職業化することで実際にどれだけの予算がかかるかって問題もあるけどさ、少子化によって今後の経済が縮小するリスクとか、社会保障が圧迫されるリスクを考えれば、これは先行投資として見合うんじゃないかって気はするんだ。
少子化対策のために巨額の税金が投入されてるのに、未だに根本的な解決に至ってない現状を見ると、逆に「専業主婦への報酬」っていうシンプルな施策が実際に効き目があるんじゃないかって、真面目に考えちゃうよね。
なってると思います
倫理観狂ってる政財界の人間と負のインフルエンサーとそれを肯定する困った人たちがいるからなぁ
年収の極端な差は『格差』という表現ではなく、『賃金差別』として捉えられるべき
特に、先進国と後進国の賃金差については、単に市場の結果として片付けられない問題があるよね
先進国内でも、社会インフラや教育、医療、福祉といった基盤を支える職業の賃金が低めに抑えられている
これらの職種は人々の生活を支え、安定した社会の維持に欠かせない重要な役割を果たしているにもかかわらず、
賃金が十分に報われていないのはどう考えても不合理
これが低くて良い合理的な理由は、経済学的にも倫理的にも十分に説明されていないのが現状
まぁ技術戦争・経済戦争をしている今日において、国家戦略として知識や技術が重視される傾向があるのは事実だ
競争力を維持するために高度な技術や知識を持つ人材が必要とされ国家的に偏重される
でも、どう考えてもそれに該当しない職の報酬もなんかおかしいよな?
あと、知識や技術に重きを置くことが、非専門職や労働集約型産業に携わる人々の価値を軽視するかのような印象を与える懸念から、
知識や技術に重きを置く発言に慎重な姿勢を取っている割には、公然と行われている賃金差別については放置よな
先延ばしグセが本当に直らない。
逃げたあとの後味の悪さ、惨めさ、後ろめたさ。
どうしようもならなくなって人に助けてもらうこともあれば泣きながら土下座して許してもらうこともあった。
運良く、研究室の教授の推薦で正社員として社会人になってからもずーっとダメ。
あらゆる先延ばしを防ぐ方法を読み尽くし、実践し、グッズやアプリを導入しても元の木阿弥。
ADHDだなんだと薬を飲んだ時期もあったがあまり効果もなく、飽きて辞めてしまった。
一応生活は崩壊していないわけで別に社会的生活は普通に送れているわけで、障がいでも病気でもないのだろう。
いや、本当は周りの皆もこうやってサボっているだけなんじゃないか。
ただただ、普通の人と同じように、"きちんと"したいのだ。先延ばしをしたくないのだ。
もう社会人になってだいぶ経過して、先延ばしをしたツケの尻拭いをしてくれる親も、先生も、教授も、友人も、上司もいなくなってしまったというのに。
こうやってダメな人間、障がいでも病気でもないのに出来ないふりをして何かの報酬があるというのか。
結局やればできるのに。
だとしたら一体それは何なのだ。
失敗することを避けられることが報酬か?その後苦労するのは自分なのに?怒られるのは自分なのに?
別に連絡一本するのに失敗も何も無いだろうが。何を恐れる。
別に、勉強を矯正されたり進路に干渉してくる毒親でもなかったのに。
この惨めさたるや。