はてなキーワード: 大元とは
「ここで引用されているコメントだけで言えば「ユダヤそのものを問題としたくないが、昨今の情勢を見るとその気持ちもわかってしまう」という葛藤を表していて、ナイーヴな反ユダヤには依然否定的な気持ちだと思うけど」とブコメしたのですが、もうちょっと書きたくなってしまったのでここで発言させて頂きます。
件のコメントをした人が本当に何を言いたかったのかは当然断じることはできませんが(上はあくまでわたしの読解です)、わたし自身に関して言えば、あくまで問題はネタニヤフ政権、せいぜいイスラエル国家であって、イスラエル市民全体、あるいはイスラエルに限らず世界中に暮らすユダヤ教徒、ユダヤ人と自認する人々ではないと考えています。少なくとも、そう信じたいです。
当然ながらハマースによる攻撃も容認できるものではなく、正当化できるものではありませんが、それに対するイスラエルの「反撃」はあまりにも苛烈で、度が過ぎています。
そもそもハマース、あるいはガザとイスラエルでは彼我の戦力比が違いすぎます。
小さな子どもが石を投げてきたら叱らなければなりませんが、捕まえてボコボコにして首を捻じ折って半身不随にしたら、どう考えてもやり過ぎです。今のガザは多分それくらい、あるいはそれ以上のダメージを負っていて、再起不能でしょう(おそらくネタニヤフ政権の本音としては、正にそれが目的なのでしょう)。
確かに、ガザを人の住めない土地にしてしまえば、あるいはパレスチナ人をひとり残らず殺してしまえば、パレスチナ問題は「解決」です。かつてナチスが掲げた「完全解決」のように。
個人的な心情では、元々人の暮らしていたパレスチナに人工的な国家を作り「入植」してきた人々に対して否定的な気持ちを抱きもするし、もっというならサイクス・ピコ協定こそが元凶であり、欧州の三枚舌にこそ大元がある、と言いたくなるし、その意味でハマースの攻撃にも「やり返しただけ」と言いたくなってしまう気持ちはあるのですが、そこは一旦置きましょう。
サイクス・ピコ協定の問題にいつまでも拘泥しても、あまりにも時が経ちすぎてしまっていて、問題解決が遠のくばかりだからです。
「元々誰が悪い」という話は棚上げにしたとして、今重要なのは、とにかく目下進行しているとんでもない虐殺行為を止めることだと思います。
どっちが悪いかは、その後で好きなだけ議論したら良いでしょう。殺されてしまえば議論する口も残りません。その議論に参加する機会すら得られないまま殺されていく子どもたちを看過することが、どういう理由であれ容認できるとはわたしには到底思えません。
ロシアによるウクライナ侵攻だって到底許されるものではないと思いますが、戦力比で言えばイスラエルの行為の方が遥かに一方的で、虐殺以外に言い表しようがないと思います。
もう少し「個人の感想」みたいな心情的なことを言うなら、同じく最近話題になった
の記事などで、ガザ攻撃を船上から見物しているイスラエル市民の存在、あるいはテレビ報道などで見る、イスラエル国家の行為に何の疑念も挟まずに正当化する市民の姿などを見ると、「気持ちの上では」ユダヤに対する反感というものを覚えないわけではありません。「もしかすると本当にこの人たちはまったく話の通じない、異なる種類の生き物なのでは」という不安がまるでよぎらないと言えば嘘になります。
しかし一方で、侵攻に反対しているイスラエル市民も存在し、またイスラエル以外に暮らすユダヤ教徒あるいはユダヤ人を自認する人々の中にも、侵攻を批判する人たちはいます。
もし感情に負けて「ユダヤ人」を批判の対象とするなら、その十把一絡げな短絡思考は端的に差別であり、パレスチナ人を人間とすらみなさず殺戮していく精神と変わらなくなってしまうでしょう。
ここでわたしのような小市民が何を信じ何を訴えたところでどうにもできませんが、問題はユダヤではなくネタニヤフ政権、あるいはもっと単純に、「理由の如何に関わらず、なんであれ虐殺行為を今すぐに止めよ」と、歯を食いしばって言い続けなければいけないと思います。
大元エントリが削除されていて、Googleキャッシュが消えた今、誰かが自主的に魚拓やらArchiveやらの保存を選択しておいてくれない限り、はてブで話題になってから見に来る人は内容を確認することができないのがツライ、悲しい、残念、遺憾。
これまでは削除しても、Googleキャッシュですぐに確認できて、それをarchiveに保存することもできたんだよな。
元のエントリがどんなことを書いていたのか知りたかったのにな。Bingキャッシュにも残っていない。
増田で元のエントリの番号を検索して、トラバで内容を類推するしかできない。
https://anond.hatelabo.jp/search?word=20240930083612&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
今回の場合は元エントリにトラバが3つついていたことで、他のトラバのツリーにスニペット表示が残っていたので、暇空コラボ騒動への嘆きエントリに対して短く「まとまってる情報ある?」と呼びかけるトラバだと分かった。
孫トラバが付く前に子トラバで、無益でろくでもない情報のトラバしかつかなかったから削除したんだろう。
今回は文章が短いからスニペットで全文分かる稀有な例だ。そもそもトラバゼロのエントリはこんな確認できないし、削除されたエントリはしばらく経てばトラバツリーからも消えてしまう。
社会問題って概ね「人間は集団で暮らす社会性の動物なのに個々のエゴが肥大化しすぎている」のが大元だと思うので、
・衣食住を全て個々で賄えるようにして他者と関わらず自己完結する生き物になる
のどっちかが良いと思う。
俺の妻は答えがわかりきってる事にイチイチ
「なんで?!なんでなの?!」と言う。
下の子に意地悪したりする。
その度に「なんで?!なんでなの?!」「なんで優しくできないの!?」と言う。
その度に俺が「答えを教えてあげようか?」と言うと不機嫌に黙り込む。
もうこんなやり取りを何十回もやっている。
それで上の子が拗ねてる。
公平を期すと、そもそも妻が上の子を可愛くないと思うようになったきっかけは
俺が子供を溺愛してて、それを見て「私は?」みたいになってたせいである。
しかし俺は「なんでこうなった?」とは思わない。
なぜ一部の人間は理由がわかりきってる事を毎回「なんであの子は人にやさしくできないんだろう」
などと不思議がるのだろうか?
暇空は今までナニカグループの陰謀によって不当敗訴を食らうことが多かったが、明日は勝てるだろうという有識者の見込みが多い
暇空はナニカグループからの暗殺に怯えており、以前に宮台襲撃事件が起きた時は「暇空から話題を逸らさせるためにナニカが目眩しに宮台を襲った」という説が浮上した
新橋九段という人物は「宮台襲わせるような組織がいるなら、直接暇空ぶっ◯した方が早いでしょ」と言った
また、その発言をリツイートした「colaboを支える会」も訴えることにし、colabo会の運営者は北原みのりだと認知プロファイリングして北原を訴えた
その結果、裁判所は「殺害予告にはあたらない」として新橋のぶっ◯発言を棄却した
新橋は別の発言については中傷にあたるとして11万円の支払い命令が出た
その後、北原みのりは「そもそもcolabo会の中の人は私ではない」とぶっ◯リツイートしたこと自体を否定
暇空は改めて太田啓子を訴え直した
新橋はなんかよくわからん第三者だが、太田啓子はcolabo弁護人の立場でありながらぶっ◯リツイートしたのでその責任は重く、新橋が許されたとしても太田は罪を免れないと暇空は主張
確実に暇空は勝訴するだろう
そうして「どうでもいい」と切り捨てられがちな分野が実はどうでもよくなかったりするんだよね
お前が名前を聞いたこともないであろう京都工芸繊維大学が見つけたPET分解菌だって、たまたま日本の近畿地方で研究してたからこの段階で見つかっただけで、
そうでなかったら21世紀中に見つかったかどうかさえわからないんだよね
たまたま偶然堺のゴミ集積場がPET分解菌が出現するのに好適な環境で、早い段階で発生、発見されただけで、
アメリカの環境でそれが検出可能な数で出現するのはずっと未来の話、とかも全然ありうるんだ
リグニンを分解する白色腐朽菌が出てきて広がるまで数千万年以上かかりました
人間、生きていくうえでストレスを発散する場所が必要だし、それがゲームでもスポーツでも本質的に差はないと思ってる。
それでも中華ゲーをやめろという理由は単純で、注いだプレイ時間と金がそのまま中華マフィアの資金源になってるからだ。
人気タイトルで言うとブル○カとかニ○とか。ああいうのは大抵裏にそういうのがついている。
というのも、そうでもしなきゃあそこまでは大きくなれないから。
ある程度までは企業として成長できるかもしれないが、一定を超えると刈り取られるか潰される。誰によって?中華マフィアだ。
敵対的買収からの換骨奪胎とか無理矢理な競合の押し出し連打とかされたくなければ、一旦は従ってる姿勢を見せるしかない。これはもう仕方ない。せっかく手塩にかけて育てた作品を台無しされたい奴なんていないし。
最悪、身柄拘束されて事業をやめるって言うまで拷問にかけられるみたいな噂すらある。これは眉唾かもしれないが。
そうして実質的に権限を握った中華マフィアは、よりプレイヤーから金を搾ろうと色んな策を練ってくる。所謂阿漕な商売というやつだ。
それでも可愛いキャラクターとかゲームシステムが面白いとかいう表面的なことに惑わされて遊ぶ馬鹿がいるから、奴らはどんどん儲ける。その金の使い道は言うまでもない。
運営は悪くないじゃんって言いたくなるのもわかる。実際悪いのはマフィアの連中だし。
それでも、流行ってる(というか、日本語ローカライズされるくらいになってる)中華ゲーをプレイするのはそういう連中に加担することになるし、とにかくやめておいた方がいい。百害あって一利なし。
ここまでの話は社名は伏せるが実際に潰された会社の社長をやっていた俺の友達から聞いた話で、マフィア連中との会話の録音とか嫌がらせの証拠の写真とか見せてもらったから間違いない。当人の安全のためにここに証拠は出せないけど。
https://anond.hatelabo.jp/20240911010717
Colabo利用者に対して
証拠として残ってる
これに対して
https://anond.hatelabo.jp/20240911011149
https://pbs.twimg.com/media/Flc-xQOagAUwzxH.jpg
今後、親との関係を持ちたくなくて、
例えば、
親と縁を切って 自活を始めるっていう選択もある。
よかったら、一度しっかり会って話をしませんか?
共産主義と戦うと言って
https://anond.hatelabo.jp/20240911062705
議員とか連れて行かないと
現状は嘆かわしいばかり
この増田に対して
https://anond.hatelabo.jp/20240911072205
いいように力を使えますって
あやうさがある
難癖を付けずにはいられないのか?
https://anond.hatelabo.jp/20240911084520
好き放題できる余地があるという怖さはある
実際にやってるかどうかは別の話として
ええと、見えない何かと戦ってない?
「大元の原因?の件は解決済みとなっているようですが、すいません、こちらに対しては僕も経緯をそんなに理解していないので、わからないです。」
いやそこが一番大事だろ。
そこの経緯を理解しようとしないで、なんでこの件について議論できると思うの?
そら、そこをすっ飛ばしたら「原因はわかりませんが私刑はよくないです!だからこのやり方は良くないですよね!」で終わるだろうよ。
大元のような「他人の悪口を課金コンテンツ内で書き数十万の利益を得る。公開したら訴訟するぞと脅しをかける」やり方についてあなたはどうなの?って
問われているのに、「僕知りません、理解してません、わからないです」ってほっかむりして、「ところでこういう批判のやり方って良くないと思います!!」とだけ言う。
それいじめっ子に被害者が反撃したら、被害者の反撃の仕方だけを取り上げて、先生が「こんなやり方は良くない」って批判するやつじゃん。
大元の原因が大事に決まってんだろ。なんでそこをわざと理解しようとしないわけ?
いや答えは分かってるけど。イジメを行った人間の詳細を知ったら、その後の態度に自分も責任が生まれるからだよな。
何が「大元の原因?」だよ、白々しい。ハテナマークつけるぐらいなら調べりゃいいだろ。てか知ってるだろ。そんな複雑な話でもないのに。
美術史を無視して「セザンヌってデッサンできてない浪人生以下の下手くそ見る価値ないでしょ」みたいな感じ
いや、ちょっと違うか
大元の記事は、現代の価値基準を遡及して適用するのなら、記事の企画意図はどこにあるんだと思ったし、恐らくnoteの人もそんな感じなんだと思う
価値基準のギャップとか、その間の時間にあった変化に触れるとか、映画の外の状況とか、もちろん変わっていない価値とか、そういったものに触れずに現代知識チートでポコポコ叩くのが企画意図だったの?って思ったの
noteの内容は、昔の映画を時系列を遡及して交錯させるような触り方がおかしいでしょって意図があったのだろう
その反論の方は、そのへんは全く触れずにニューシネマの位置づけに終始していて、大元の記事で何をしたかったのか全く触れていないからつまらない
ただ、noteではそこだけを批判していないのは明らかで、noteの内容全体に触れないのは不誠実というか、試合巧者といえばいいのか
お互いに組み合ってない感はあるよね
「須藤にわかさんの私に対する反論記事が、映画史的に非常におかしい件について」で
https://saebou.hatenablog.com/entry/2024/08/25/080602
北村紗衣さんが、須藤にわかさんを色んな映画史文献を上げて見事に論破してるわけですけど、
そもそも話の元はといえば話の発端はこんな記事で北村さんが「ダーティハリー」をボロクソ言ったこと
https://ohtabookstand.com/list/series/kansosaiko/
でも、この連載は
と映画に詳しくない人でもわかるような注目ポイントを挙げて、初見感想を述べるという主旨の記事だったはず。
須藤さんは映画をいっぱい見たけど多分映画史はよくわかってないらしいくて、そういう人に非難されて北村さんもカッとなったのかもしれないけど、
実のところ北村さんはそういう人の感想を最高だとは全然思ってないし、映画批評を遊びだとも思ってないですよね。
今からでも
「映画史を踏まえた感想って重要ですよね! 学びながらやる映画批評」
に改題したほうがいいんじゃないでしょうか?