「売れっ子」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 売れっ子とは

2024-03-18

不快配信者の反応

同時視聴というコンテンツ自体が好きで有名無名問わずにいろんな配信者の同時視聴をROMってるけど、売れっ子配信者でもシリアスなシーンを茶化す奴は同時視聴途中で配信を切るくらい無理

というか伸びない要因の一つが「こっちが欲しい反応をくれないこと」なんだろうなあ

この日記燃えでもしてあのVtuberに届いてくれないか

2024-03-04

anond:20240303211522

ロリレズも多かったってコト?

2000年創刊。創刊号キャッチフレーズは『U-15限定! 史上初 Jr.アイドル誌 堂々誕生』で、

表紙は鈴木杏ジュニア向けファッション雑誌ピチレモン」や「ラブベリー」、「ニコラ」、「SEVENTEEN」などのモデルが登場する。

創刊当初は、前田亜季上戸彩末永遥長澤まさみ宮崎あおい鈴木杏黒川芽以井上真央といった、

後に売れっ子になる女優タレントも多数見ることができる。

女子読者は2割以上を占めていた。古本屋では高く取引されている。

2010年松井珠理奈(当時13歳)を最後廃刊

はるかぜちゃんのお母さんが「あなたの才能を売り込むのに必死で、母としてはあまり接せられなかった」みたいなポエムをしていたが

そういうの売れっ子の親が言うならわかるけど、結果として全然売れてないし将来性もゼロな現状で言うと厳しいものがある

2024-03-03

anond:20240303170344

シナリオライターとして有名でなくても、元が『そこそこのシナリオライター売れっ子小説家)が(ラノベ講師という道を見つけて50半ばになるまで生き残っている』という話なのだからシナリオライターという指標評価してるのがそもそもおかしいんですよアレ

大して有名な作品も出していないそこそこのシナリオライター榊一郎

彼は売れっ子小説家であって、ゲームシナリオライターとしては、そんなに有名じゃない気がするんだよね。

坂口博信

野島一成

丸戸史明

奈須きのこ

麻枝准

田中ロミオ

渡辺大祐

るーすぼーい

平松正樹

辺りの人間を、大して有名な作品も出していないそこそこのシナリオライター!って言ったら、

イオイ^^;;;

って思うけどさ。

それとも、みんな、榊一郎ゲームやりまくってる人のほうが多いんだろうか。。

2024-02-29

投稿人生と同じ。 バズるまでやれば失敗にならない。

初回にバズんなくて、数回再投稿したらバズる事が何回かあったんだけど、これ完全にタイミングって言うか運だよね。

クリエイターもそれに似てるなあと思った。漫画家ゲームアーティスト、何でもそうだけど活動してる時に作品出して、タイミングが良かったらバズって売れっ子になる。

成功するヒケツは何ですか?ってバズるまでやれば失敗しないんだよ。再投稿人生

2024-02-26

ラノベ作家時代森奈津子が好きだった

復刊した時に「私はラノベ業界を捨てたのではなく放逐されたのです」と言ってた時は正直被害者意識つえええと思ったけどあの頃はまだまともだったような

お嬢さまシリーズ」が終わったのは出版社ラノベ事業撤退たからであって別に森奈津子一人が放逐されたんじゃない

ラノベの復刊をハードカバーかつ絵師微妙だったのも良くなかったなあ

復刊しても昔のファンが買うだけで新規からは無風だった

文庫サイズで良かったし、大切な設定である主人公は縦ロール」を古臭いからと薄毛にする絵師ダメだろ

出版社のせいで不当に打ち切り状態だった代表作が復刊したけど泣かず飛ばず、その状況が森奈津子を変な界隈に行かせてしまった最後の一押しだよ

復刊というなら本文だけでなく絵師も古いけど飯坂友佳子のままでよかったんでない

それか、もっとキャッチー売れっ子絵師使って文庫サイズにしてほしかった

今調べたら復刊って2008年だったのか、復刊した時期ですらもう遠い昔

ももう若くないし森奈津子も戻れない

せめて狂った活動するなら名義変えて別人としてやってほしいわ

2024-02-24

「ホロライブ」みたいなVTuberグループマネージャーをしていた

主に(殆ど?)男性対象女の子がメインのVTuberグループだった

そこでマネージャーをやっていた時、ある事をVTuberらには徹底してもらっていた

それは、「女の子達が楽しくやっている配信コラボ男性VTuberは出さない」という事

過去いくらでも例があるが、女の子がメインで多い配信の途中からコラボ男性VTuberを出すと

確実に荒れてその後の視聴者数に影響するから

まあマネージャーでなくてもほとんどのVTuberはそれを理解してるのだが、

右も左もわからない新人時代、評判のVTuber担当になって浮かれてた私は、あるVTuber男性VTuberコラボする案に賛成してしまった

(視聴者数多いVTuberなのでコラボ相手男性VTuberは格好良かった)

結果はお察しの通り、荒れに荒れた、

今思えば、女の子同士で楽しくやってる中にいきなりイケメン男性VTuberを出してハーレム展開にするなんてどうかしてた

「(VTuberが)ビッチからこういう展開に憧れてたんだろ」っていう掲示板の指摘にはぐうの音も出なかった

水面下ではアニメ化の話も進んでいたが、男性VTuber出して荒れた途端に立ち消えになり、打ち切りになった

後にそのVTuber結婚して子供を授かったが、当時の自分はどうかしてたと漏らしてた

その後VTuberは、失敗に終わったガワを反省して、メインは全員女の子だけで

男性はせいぜいスパチャ読みくらいと徹底していた

最初こそ視聴者数は悪かったが、先述の通り配信力は高かったので、評判も上がりアニメ化もされたりして売れっ子にはなった

自分担当から外れてから売れたので手柄に出来なかったのは自分の完全な指示ミスで辛い



anond:20240224181401

まんがタイムきらら」みたいな雑誌編集をしていた

主に(殆ど?)男性対象女の子出てくる漫画がメインの雑誌だった

そこで編集をやっていた時、ある事を漫画家らには徹底してもらっていた

それは、「女の子達が楽しくやっている漫画テコ入れ男性キャラは出さない」という事


過去いくらでも例があるが、女の子がメインで多い漫画の途中からテコ入れでぽっと出の男性キャラを出すと

確実に荒れてその後の売り上げに影響するから


まあ編集でなくてもほとんどの漫画家はそれを理解してるのだが、

右も左もわからない新人時代、評判の漫画家の担当になって浮かれてた私は、ある漫画家の男キャラ出す案に賛成してしまった

(画力高い漫画家なので男性キャラは格好良かった)


結果はお察しの通り、荒れに荒れた、

今思えば、女の子同士で楽しくやってる中にいきなりイケメン男性キャラを出してハーレム展開にするなんてどうかしてた

「(漫画家が)非モテ童貞からこういう展開に憧れてたんだろ」っていう掲示板の指摘にはぐうの音も出なかった


水面下ではアニメ化の話も進んでいたが、男性キャラ出して荒れた途端に立ち消えになり、打ち切りになった

後にその漫画家は結婚して子供を授かったが、当時の自分はどうかしてたと漏らしてた


その後漫画家は、失敗に終わった作品反省して、メインは全員女の子だけで

男性はせいぜい父親キャラくらいと徹底していた

最初こそ売り上げは悪かったが、先述の通り画力は高かったので、評判も上がりアニメ化もされたりして売れっ子にはなった

自分担当から外れてから売れたので手柄に出来なかったのは自分の完全な指示ミスで辛い

2024-02-18

・昔のBL漫画の攻め

身長185ぐらいあって大企業社長とか売れっ子作家とか石油王とか御曹司とかでとにかく金がある

でも家事は一切できなくて汚部屋暮らしてたり、使用人に着せてもらうから服さえ自分で着れなかったりして受けに世話される

けが人身売買オークションにかけられたら3億円で落札したりする

・今のBL漫画の攻め

身長はほどほどで170ぐらいで、金持ちパターンもあるけど普通サラリーマンとか食っていける程度のクリエイターだったりする

家事が上手 料理掃除が得意で生活能力のない受けの面倒を見て疲れている受けを癒やしてあげる

けが人身売買オークションにかけられることは滅多になくなり、たまに行われても500万円程度で落札する

2024-02-15

漫画家出版社搾取される時代が始まっている

????何言ってんだ?昭和のそれこそまんが道の頃からそうだろ。売れっ子だったか出版社と良い関係築けてただけで。

anond:20240214165932

あれはまあ日本スゴイ類型だろ

売れっ子漫画家はスゴイからワナビーのワタシもスゴイみたいなやつ

2024-02-12

セクシー田中さん原作者自殺について思う「ほんとうの優しさ」と「父性の不在」

原作は読んだけどまだドラマ見てないかちょっと憶測も入ってるが、「今季視聴率ナンバーワン」になった背景には、脚本家さんの力量というか、「それ専用の特有スキル」が効いていた側面もあるかもな、というのは感じる内容だった。

端的にいうと、芦原妃名子さんの作品は「物凄く優しくて誠実すぎる」感じがして、直接届く範囲が限られてしまう感じがする。

一方で、まだ見てないものの、想像するにドラマ版より自分原作の方が好きだろうなという”直感”はあるが、ある意味そうやって「薄められる」ことで広く届きやすくなった側面はありそう。

でも、なんか、できれば

・「薄められずに」

・「優しい誠実さ」が

・「広い範囲の人に」

…まで届くのが理想じゃないか

世界はそういう方向に向かおうとしているとは思うが、その点において原作漫画の「セクシー田中さん」は、ちょっと平成時代風」の枠組みを感じるというか、「優しさと誠実さの罠」みたいなものにハマってる部分があるんじゃないかと思って。

1. 「脚本家叩き」すればいいかというと…悪いのは強いて言えば日テレというより”業界構造”。

まず漫画の内容とかに入る前に今回の事件についてどう考えたいかっていう話をしておきたいんだが、今SNSで「脚本家原作者を殺した」みたいな話で凄い燃えてるが、なんというか、それはそれでまた余計な悲劇に繋がりかねないから辞めた方がいいと思う。

脚本家の相沢さんは他の原作付き作品でもある程度「自分色」に染めがちなところがあるらしく、元々恨みが溜まってたから余計に燃えてるんだが、脚本家には脚本家事情があるし、実際色々と「売れっ子状態になってるってことは少なくとも「テレビドラマという場にフィットさせるスキル」はある人なんだろうと思う。

今回のことで何か問題があるとすれば、「絶対改変しないでくださいね」と原作者が言ってるのに「はいはいわかりましたー」とか言いながら「まあいつも通り流れ次第でどうせ納得してもらえるだろう」みたいな感じに思っていた日テレとか制作者の人たち・・・という部分なのかな。

でもね、なんかじゃあその「日テレスタッフ」なのか「プロデューサー」なのかわからないが、そういう人が「ちゃんと気をつけて」いれば防げた問題なのか、というとあまりそうとも思えない。

テレビドラマじゃないですけど、増田も昨年テレビ的な場に出演してみたりして思ったことだが、テレビって衰退したとはいえ視聴率1%=100万人以上が見ている」みたいな世界なので、ほんと「誰もコントロールできてない思惑のぶつかりあい」が常時渦巻いてる感じ。

書籍ミリオンヒット」ってもうテレビで言う視聴率1%ってのもそう珍しくもない。

で、そういう場では、例えば増田が出たような「討論番組」みたいなものでも、本番の20分前ぐらいにやっと完全な構成が定まって、皆直前まで必死VTRやらテロップ編集をしている感じなので、事前に「こういう方向でお願いしたいです」みたいな打ち合わせになっていたものも半分ぐらいはドサクサに成り行き次第で着地するしかなくなっちゃってる感じ。

そういう場では、「担当者が誠実かどうか」みたいなレベルでどうこうなるもんでもないというか、そりゃたまにめちゃヒドイ担当者もいるにはいるんでしょうけど、大半は「善良で誠実なスタッフさん」が良かれと思ってアレコレやった結果、でもどうしようもなくって「成り行き次第」になっちゃうという感じなのだと思う。

から、ある種の勧善懲悪ドラマの中に出てくる「悪徳プロデューサー」みたいな感じで、

OK出していただけますか!ありがとうございますはい!必ず原作通りにさせていただきますんで!(へっへっへ、こうやって契約取っちまえばこちのものだぜ。どーせこいつテレビドラマの作り方なんてわかってねーだろうし、プロの俺たちがちゃん料理してやっからよー)」

…みたいな存在がいたわけでもないんじゃないかな、と思う。

もっと普通に善良に良いもの作ろうと思っている人たち」が、色んなステークホルダー同士のぶつかり合いの結果わけわからんことになっていった(そしてテレビドラマ視聴率という面ではある程度合理性もあった)というあたりが真相なのではないか

まり、「日テレ担当者(や脚本家)が極悪だからこうなった」という話でもないし、元の告発ブログを読んでも芦原妃名子さんもそういう糾弾を求めていたのではないはずだ、ってこと。

から諦めろって話ではないがもし「原作者の意向を最大限汲んで映像コンテンツを作るべき」みたいな話をするならば、例えばスラムダンク映画とか、ネトフリ版ワンピースとかみたいにそもそも原作者がガップリ直接噛み込めるような仕組みと予算を用意するとか、鬼滅の刃とか呪術廻戦とかのアニメ作品みたいにテレビ局でなくスタジオ出資するなどしてステークホルダーを減らして、キチンと握ってクオリティコントロールできる体制を整えるとか、そういう

ビジネスモデル自体をそれ専用に設計する」

…ことが必要だよね、みたいな話に持っていくべきなのだと思う。

これは、航空機事故があったときに「パイロットの不注意だ、あいつの責任だ」って言って終わるんじゃなくてそういう「不注意が起きないようにする」という発想で仕組みを変えていくことが必要だよね、みたいなのと同じ話。

2. とはいえテレビドラマ」って漫画よりも「関わる人数」が断然多い現象で、そこにある齟齬真剣に考えないといけない

ただ、そういう「スラダン映画、ネトフリワンピース鬼滅の刃呪術廻戦」みたいなのは「本当に一握りの成功例」でしかなく、現状はある程度以上の人数にコンテンツシェアしていくにはこの「テレビドラマという仕組み」自体を使っていかざるを得ない側面もあると思う。

今、「昨季ナンバーワンドラマ」っていうからどれくらいの視聴率かなって調べたら最終回5.6%とかだったらしく、「今のドラマってほんと見られてないな」と思いますが、それでも人口割を単純に考えると「書籍リーチ」とは桁がかなり違う大きさの現象ではある。

で、現時点で自分が思うところでは、やはりそこには「脚本家のそれ用のスキル」みたいなのも結構あったんじゃないかと思う。

その「脚本家スキル」でそのコンテンツが「良くなった」かどうかは別問題としてあって、ある意味で「薄める」行為かもしれないが、「テレビドラマ」という場にフィットさせる事で広い範囲の人に届ける効果はあったと言っていいのではないかと。

とはいえ自分はどっちかっていうと「原作世界観を応援したい」とは思ってるんだが

「この原作漫画のあまりにも優しくて誠実な世界観」自体に、そのままでは何百万人単位の人には届けられない宿命というかタガみたいなのがあるんじゃないか

…みたいに思うところがあって、それをちょっと考えてみたいのが今回の本題。

3. 原作漫画は「めっちゃ優しくて誠実なストーリー

今回漫画原作読んで凄いいいなと思ったし一気に既刊本読んじゃったんで、「これこの続き永久に書かれることないんだ・・・」ってなった時の喪失感たるや、やるせない気持ちになった。

ただ、読後感として、「優しくて誠実なストーリーすぎる」感じがあったというか、「平成時代日本コンテンツ特有の難しさがあるよなあ、みたいなことも思った。

全体的に、主人公も、出てくるキャラクターたちも、めっちゃほぼ全員「凄い良い人」なのね

普通意味で言う良い人」というよりも、漫画的にちゃんと「露悪的にエゴイストなところもあるキャラだよ」というように演出してあるんだけど、実体としては「凄い良い人で誠実な人」って感じなんよ。

で、「あらゆる誠実なキャラクターがお互いに誠実に関わり合っていけば、皆幸せになっていくはずだ」みたいな世界観にどうしてもなってしまうが、「この世界観」自体結構実体的に無理をはらんでいるというか、

「お互いが相手にとって誠実で優しい存在である証明しあう」事に真剣になりすぎて、「本当に相手のためになる行為かどうか」みたいな判断が危うくなってる

…というような側面も、あるんじゃないか、と言うことを、個人的にはこういう話を読むたびに思っていて、「セクシー田中さん」の原作結構典型的に「その感じ」がした。

これはちょっと昔の韓国ドラマにも同じ傾向はある。

カイジ」とか「今際の国のアリス」とか「日本コンテンツ王道ジャンル」だった「デスゲームもの」を大胆に再解釈した韓国ドラマ、「イカゲーム」が動画プラットフォームネットフリックス」で世界的にものすごくヒットしているらしい。

ネットフリックスコンテンツは、たとえば映画場合の配給収入ランキングとかほど明確な同じデスゲームジャンルを扱った韓国の「イカゲーム」と日本の「今際の国のアリス」の比較として、「イカゲーム」のキャラクターたちは「個人として誠実で正しい存在である」ということに集中しすぎてる感じがする。

一方で「今際の国のアリス」の方は「個人としての行為の正しさ」でなく「(個人倫理観だけで見るとビミョーな部分があったとしても)結果論的に皆が助かるような行為」を選ぶことが善なのだ、みたいな価値観があって、どっちが良いというわけじゃないけどその「違い」が凄い印象的だなという話があって。

韓国ドラマでも最近はまた色んな新しい流れがあるんですが、少なくとも「セクシー田中さん」は、その「一昔前の韓国ドラマ」的な世界観を感じる。

全体的に「見た感じヒドい奴みたいだけど皆実はいいヤツ」ばっかり出てくるんだけど、突然特異点的に「笙野の父親」みたいな「徹底的に戯画化された”悪でしかない存在”」が出てくるところとか。

なんというか、「無理解を乗り越えて最終的に完全に腹の底まで誠実に接しあう仲間たち」と、その外側にいる「何の留保もない巨悪」がスッパリと二分されてしまうような構造になってしまっている。

こういう「一昔前の韓ドラや平成時代日本コンテンツ」の傾向は、徐々に以下のように転換してきてるトレンドはある。

・「仲間内」が「腹の底まで完全に善」でなくてもお互いなんとか妥協点を見出して生きていこうとする方向へ

・そして「はじき出してしまった巨悪」に全部をおっかぶせて終わりにしないで、そこにある「だれのせいでもない構造課題」に皆で立ち向かうようにする

これはさっきの話でいうと、

・「日テレが悪い」「脚本家が悪い」「原作者が悪い」っていう話にするのは、「個人が誠実に真心を込めて対応していればこんなことは起きなかった」という前提に立っているところに無理がある

・「個人完璧な誠実さや真心を常に最高度に求める」ということ自体が非現実的であり、その先でどうすればこういう不幸が起きないかを「仕組み」として考えていく

…こういう構造変化は徐々に起きてきている。

あと細かい話、最後主人公クラスキャラクターが今まで積み上げた人間関係を全部ふっとばして『海外留学!』を究極の選択肢として選んで唐突に終わる感じとかも、「一昔前の韓ドラとか平成時代日本コンテンツ」感を感じる。(意地悪く言えば、”海外”に行きさえすれば今までの世界観を丸ごとひっくり返せる魔法の扉があるんじゃないかと無邪気に考えられた時代の発想があるというか)

全体としてザツな分析をするとここにはいわゆる「父性の不在」みたいな問題があるのかなと個人的には思っている。

4. 「ギョーカイ事情」に薄められないために、この「世界観の強度」自体をあと一歩鍛えていかないといけないのかも

要するに、増田は「ギョーカイによって薄められたコンテンツ」と「元の原作漫画」で言ったら原作漫画の方が好きだと即答する人間だとは思うんだが、ただ「元の原作漫画世界観」自体にどうしても「狭い」ところがあって、数百万人単位リーチをしていくには足りない部分があるってことなんじゃないかと思う。

そして「足りない」部分を、「ギョーカイ人」が「薄める」ことで成立させるしかなくなってしまう部分がある。

芦原妃名子さんが「誰かを責めたいわけじゃなかったし、今でもどうしたら本当に良いものができたのか悩んでいる」みたいなことを生前書いていたが

「そこ」

もっと真剣に掘り下げていくことで、この「原作漫画世界観」自体もっと深く広い射程を持ったものになって、「ギョーカイ人が薄めて万人向けにする」みたいなことをしなくても数百万人にリーチできる作品になるんじゃないか

原作漫画は徐々にそういう方向に向かう萌芽もあったように思うので、かえすがえすも「もう決して続編は書かれない」ことが残念。

2024-02-11

メディアミックスのそれぞれの視点

矢印(⇒)の前に書いたのが担当視点

あとに書いたのが原作が改変される理由

原作

改変は最低限にとどめ、原作に忠実であってほしい。

原作ファンに喜んでほしい。

本業に影響が出ないようにしたい。

映像化で読者が増えるのは嬉しい。

編集者出版社

作品認知度を広めたい。

会社原作者の双方が大きな利益を得てほしい。

自分担当作品成功したい。

原作の「ここだけは変えたくない部分」を理解しているとは限らない。

原作者の手間を増やしたくないので代弁者にならざるをえない。

工数上、やりとりをそこまで増やせないので細部まで監修できない。

原作ファンはすでに原作を買っているため、映像化では原作ファン以外に見てほしい。

ライツ担当

原作者と編集部交渉先(この場合テレビ局)の意向潤滑油でありたい。

自分たちに決定権はないので伝書鳩につとめる。

前例を何より重視する。

権利交渉の窓口役ではあるが、個々のコンテンツには詳しくない。

⇒渉外役としては、交渉先寄りの意見を持ちやすい。前例、慣例を重視するため。

⇒橋渡し役がボトルネックになるわけにいかないので、時間のかかる交渉はしない。もめごと現場に投げる。

プロデューサー

一定ファンを持つ原作がほしい。

そのファンの数を最低ラインとして、映像化(映画orドラマorアニメ)で爆発させたい。

スポンサーを喜ばせたい(=マネタイズ成功したい)。

原作ファンは忠実でも改変でも「映像化で違うところ」を気にして間違い探しで視聴するので、原作ファンの声は気にしない。

⇒むしろ忠実だとわかると全部知っている原作ファンは離れる確率のほうが高い。

⇒完全新規視聴者の興味をひくため、ファン計算できるキャストスタッフを集める。

⇒集めたCMの本数と額で予算が決まるため、スポンサーを集めやすい仕込みを増やして商品設計を行う。

監督

与えられた材料原作演者、ほか脚本音響などのスタッフ)を調理して作品に仕上げたい。

現場は生き物なので撮影中にどんどん手を入れて作品クオリティを高めたい。

⇒何かやるたびにまわりの意向を聞いていたら一生撮影が進まないので現場判断重視。

ドラマアニメは毎話が勝負チャンネルを変えられたら終わりなのでメリハリを強烈にし、CMを見せるために引きを作り、エンドロール前にインパクトを作るのが必須

脚本

原作を叩き台として、映像用に最適化したい。

映像化してよかったと思われたい。

マンガ小説は必ず最初から最後まで読まれる前提なので、ベタ起こしだと単体では意味がわからないシーンや設定が増えすぎる。

⇒尺にあわせて削るだけだと成立しないため、10分15分単位で盛り上がるように脚色・構成する。

⇒「ここをおさえておけば原作の大切な部分は守れている」と判断したところ以外は映像向きに最適化するのが役目。

特に最初の3話、または各話冒頭3分インパクトをもってこないと継続視聴を切られてしまうので極端にしがち。

スポンサー

CMを見てほしい。

投資額に応じた宣伝効果を得たい。

⇒見込み客の人数は原作の部数に比例する。つまりすでに大ヒットした作品以外は、原作ファンより新規ファンのほうが多い。

⇒複雑な話、引きが弱い話はCMを観られない。

視聴者が自社CMに興味をもつ要素がほしい。

演者芸能プロダクション

自分をよく見せたい(=いい役、いい場面がほしい)。

売れっ子スケジュールは先まで埋まっているので、よほど条件がよくないかぎり受ける必要がない。

撮影が進むほど演者気持ちが入ってくるのでセリフ演出への意見が増える。

演者気持ち原作者と一致しているとは限らない。

プロダクション意向バーター条件がはびこっている。

メディアミックスのそれぞれの視点

矢印(⇒)の前に書いたのが担当視点

あとに書いたのが原作が改変される理由

原作

改変は最低限にとどめ、原作に忠実であってほしい。

原作ファンに喜んでほしい。

本業に影響が出ないようにしたい。

映像化で読者が増えるのは嬉しい。

編集者出版社

作品認知度を広めたい。

会社原作者の双方が大きな利益を得てほしい。

自分担当作品成功したい。

原作の「ここだけは変えたくない部分」を理解しているとは限らない。

原作者の手間を増やしたくないので代弁者にならざるをえない。

工数上、やりとりをそこまで増やせないので細部まで監修できない。

原作ファンはすでに原作を買っているため、映像化では原作ファン以外に見てほしい。

ライツ担当

原作者と編集部交渉先(この場合テレビ局)の意向潤滑油でありたい。

自分たちに決定権はないので伝書鳩につとめる。

前例を何より重視する。

権利交渉の窓口役ではあるが、個々のコンテンツには詳しくない。

⇒渉外役としては、交渉先寄りの意見を持ちやすい。前例、慣例を重視するため。

⇒橋渡し役がボトルネックになるわけにいかないので、時間のかかる交渉はしない。もめごと現場に投げる。

プロデューサー

一定ファンを持つ原作がほしい。

そのファンの数を最低ラインとして、映像化(映画orドラマorアニメ)で爆発させたい。

スポンサーを喜ばせたい(=マネタイズ成功したい)。

原作ファンは忠実でも改変でも「映像化で違うところ」を気にして間違い探しで視聴するので、原作ファンの声は気にしない。

⇒むしろ忠実だとわかると全部知っている原作ファンは離れる確率のほうが高い。

⇒完全新規視聴者の興味をひくため、ファン計算できるキャストスタッフを集める。

⇒集めたCMの本数と額で予算が決まるため、スポンサーを集めやすい仕込みを増やして商品設計を行う。

監督

与えられた材料原作演者、ほか脚本音響などのスタッフ)を調理して作品に仕上げたい。

現場は生き物なので撮影中にどんどん手を入れて作品クオリティを高めたい。

⇒何かやるたびにまわりの意向を聞いていたら一生撮影が進まないので現場判断重視。

ドラマアニメは毎話が勝負チャンネルを変えられたら終わりなのでメリハリを強烈にし、CMを見せるために引きを作り、エンドロール前にインパクトを作るのが必須

脚本

原作を叩き台として、映像用に最適化したい。

映像化してよかったと思われたい。

マンガ小説は必ず最初から最後まで読まれる前提なので、ベタ起こしだと単体では意味がわからないシーンや設定が増えすぎる。

⇒尺にあわせて削るだけだと成立しないため、10分15分単位で盛り上がるように脚色・構成する。

⇒「ここをおさえておけば原作の大切な部分は守れている」と判断したところ以外は映像向きに最適化するのが役目。

特に最初の3話、または各話冒頭3分インパクトをもってこないと継続視聴を切られてしまうので極端にしがち。

スポンサー

CMを見てほしい。

投資額に応じた宣伝効果を得たい。

⇒見込み客の人数は原作の部数に比例する。つまりすでに大ヒットした作品以外は、原作ファンより新規ファンのほうが多い。

⇒複雑な話、引きが弱い話はCMを観られない。

視聴者が自社CMに興味をもつ要素がほしい。

演者芸能プロダクション

自分をよく見せたい(=いい役、いい場面がほしい)。

売れっ子スケジュールは先まで埋まっているので、よほど条件がよくないかぎり受ける必要がない。

撮影が進むほど演者気持ちが入ってくるのでセリフ演出への意見が増える。

演者気持ち原作者と一致しているとは限らない。

プロダクション意向バーター条件がはびこっている。

2024-02-09

自殺した原因における自己投影バイアス

「グレート・ギャッツビー」を書いた、20世紀の偉大なアメリカ作家スコット・フィッツジェラルドでさえ脚本家としては三流だった。

「どうする家康」「リーガルハイ」の古沢良太はもともと漫画家をめざしていたが、挫折し、脚本家として売れっ子になった。

早稲田映画を専攻し、学生時代映画脚本を読みふけっていたという村上春樹は、脚本はどうしても上手く書けなかったそうだ。

自身作品映像化の条件について、こんな趣旨のことをエッセイで書いていた。

「私が小説で書いたセリフを、そのまま使わないで欲しい。あれは文章のための表現からそのまま映像にすると不自然になってしまう」

脚本は書けば書くほど上手くなると言われる。三年間毎週、映画を見て課題を書いていれば、とりあえずプロにはなれるというと言う通説がある。

死者に鞭打つわけではないが、原作者は、映像化について正直漫画的な表現でなんとかできると思っていたのではないだろうか。

その違いに対して普段から意識的である脚本家は、漫画小説をそのまま映像化しても全く面白くない作品が出来上がることを知っている。

 

ネットの反応は「自分の大切な原作をいじられてしまたか自殺した」

という見方が大半だが、私はそれが原因だとは思わない。

冷静に考えてほしい。実はその考え方の方がかなりバイアスがかかっていると思う。

しろ自分の大切な原作を、自身脚本台無しにしてしまった自責の念

と「その後ブログにて舌禍を起こしてしまたことに対する責任

の方が強かったのではないかと思う。

から攻撃する意図はなかったとわざわざ書いたのだろう。

自分大事作品を楽しみにしてくれるファンに向けて「色々な事情があって上手く表現できなくてごめん」

ただそう弁明したかっただけなのだと思う。

それを勝手拡大解釈した実写化憎しの人たちが、騒動を大きくし、この悲劇を生んでしまったといっても過言ではないと思う。

もちろん、本人にしかからないし、本人にもわからいかもしれないが。

ただ私もクリエイターの端くれとして、

もし自分の子供をいじめられたらなんとしてでも子供回復をしようと頑張るが、

もし周りを巻き込んだ挙句自分自分の子供を傷つけてしまったと考えたら自殺するかもしれない。

そんなふうに思ったからだ。

ご冥福をお祈りします

中小出版社で働いた人間からみた編集部の「リアル

芦原先生の死去にはじまる様々な報道を目にして、昔の記憶が蘇った。

25年働いて10社くらいを経験したが、今思い返すと出版社小説編集やってたときが一番「組織としてヤバい」と思った。色々な組織を見てきたから言うけど、出版社編集部は抜群にヤバい

この記事で語ること

さな出版社編集部にありがちなことや、そこからまれ構造的な課題説明する。

この記事で語らないこと

雑誌編集担当してないのでそこは語らない。スポンサー見つけたり、締め切りカツカツでたくさんの原稿を本をまとめなきゃいけない苦しみはわからない。

また、メディアミックス担当したことがないので、そういった経験も語れない。

前提

ほとんどの出版社において「新卒採用」は行っていない。音羽一ツ橋KADOKAWAあたりは大手大手なのでまだまともな部類。「他にも新卒取ってるところもあるよ」って反論が出てくるのは目に見えてるが、そんな会社はまだまともなので安心してほしい。

まり、「編集者のほとんどは中途採用」であり、中途とは自分から情報キャッチアップすることが当然の現象となる。そのため、「若手に先輩が何かを教える」という風潮に乏しくなる傾向があると思う。

また、「新卒採用存在しない」は同時に「同僚に『同期』がいない」ことも意味する。何社も渡り歩いて強く実感したが、同じ日に入社したってだけでも意外と同僚同士の絆は強まる。他の会社だと中途でも同期飲みとか不通にあるんだよ。新人が社内の人間積極的交流を持つ為の経路が「制度として」存在しないことは、新人メンバー孤立を後押しこそすれ緩和はしないだろう。

更に輪をかけて大きな問題は、「お抱え作家がいない場合編集者同士はライバル」ということだ。大手出版社であれば、「高橋留美子なり尾田栄一郎なりのビッグネーム担当が定期的に変わる」という現象は当たり前に聞くが、中小出版社編集部においてはそうもいかない。「売れっ子作家担当」というポジションは、中小出版社編集部での社内政治においてものすごく重要であり、手放す意味も意義もない。また、そもそも人数が少ないので引き継ぐ相手がいない。

結果、「新人のために作家を引き継ぐ」という経路が細くなるわけである基本的他人から担当作家を引き継ぐ機会がないのだ。もちろん0ではないが、引き継ぐ前の編集者がよっぽどの超有能編集者でその人がキャパオーバーとかでないかぎり、既存メンバー他人に引き継いでいいと思っている作家は大体「自分が手放しても惜しくない作家である

それはつまり、「新メンバー自分で新しい担当作家を発掘する必要がある」ということになる。

前提から導き出される風土

まず、編集者同士での情報共有が阻害される。「いまこういう作家さんがすごく好きだから声かけしようと思うんだよねー」みたいな会話がなされづらい。しなくもないけど、虎の子だけはみんな腹の内に隠していることになるだろう。

一般企業と対比させるとわかりやすいかもしれない。通常であれば、取引相手一覧はチーム内で共有されている筈だし、朝会等で業務の進捗状況を共有しあうだろう。しかし、編集においては「自分が誰と仕事をすすめているか」という情報がチーム内で共有されているかというとかなり怪しい。

結果、何が起きるかというと「編集者が作家イラストレーターデザイナーと連絡を取る際、その情報編集部の誰にも共有しない」という現象が発生するわけだ。具体的には外部とのメールのやりとりをチーム内にCCで共有しない。そもそもCCで飛ばす文化がない。

そこから当然のごとく発生するのは「本を作る為の進行管理編集個人に完結する」という現象原稿が遅延しててもその情報をチーム内に共有しないし、共有しても聞いてもらえない。

ここに多忙が乗っかればもうおしまいだ。高確率で「編集者は作家に嘘をつく」。自分だけでやりとりが完結している相手には、嘘がばれにくい。嘘がばれにくい相手がいれば、構造上嘘をつきやすいのは想像に難くないだろう。

また、共有を怠ったまま業務を進めたことで、「編集長チェックの段階でひっくり返る」という現象も発生する。これが作家の目には「直前までOKって言ってたのにいきなり前提が全部ひっくり返ってやりなおしになった」として目にうつるわけだ。

これらはあくまで「組織構造上、このようなことが起こりやすい」という話をしている。だから、似たような環境でも「それは違う、うちはこうしてる」ということはたくさんあると思う。

だが、ここで一番重要な点は、「不正を塞ぐ手段組織として準備できていない」という事実である。嘘をついてもバレない環境において人間は嘘をつく。100人いれば1人は嘘をつくに決まっているのだ。

ここで「いやでも仕方ないよ」と思った人がいれば、あらためて考えてほしい。「仕方がない」なら「問題が起きても許容されるべき」とはならないだろう。組織構造不正を生み出しやすいなら、不正が生まれないような組織構造に作り替えるべき……というのが、一般的な企業における「コンプライアンス」というものである中小出版社編集部は、そこがまったく整備されていないし、そこを整備するインセンティブは薄い。なぜなら「チームとして動く」という感覚が(少なくとも自分のいたところのような)雑誌などを作っておらず、メディアミックス担当することもないような木っ端編集部では存在しないかである

まとめ

新卒採用を行っていないような「編集者を育てない出版社」では、中途採用において同期の絆を深めることは少なく、また担当作家も新しく捕まえなければならない。

ライバル同士である編集者間の情報共有は滞り、作家さんとのやりとりはチーム内の他の編集に伝わらない。

結果、記事制作時の過失や遅延を適切なタイミングで適切なメンバーに共有されない(少なくとも、制度設計上共有しないことが最小リスクとなってしまう現状が発生する)。

そういった環境にいるとどうなるか? 編集者は基本的「嘘」をつくんだよ。編集作家とのやりとりは二者間で完結してるし、その嘘を編集部の他メンバーが気づくことはない。だって情報共有してないんだもの。ばれない嘘はつき放題、だろ?

個人的な感想

編集クソだな」と思ったあなた:正しい。

「お前のところだけだろ」と思ったあなた:正しいし、一部の出版社はその問題解決するための方策ちゃんと考えている。たとえば、漫画だったら講談社小説だったら電撃文庫辺りは1人の作家に2人の担当編集がいると聞く。少なくとも「1人の作家作品の状況を複数人管理する」という体制がついてるわけだ。こうすることで作家との揉め事編集が一人で握りつぶせないということは構造上なくなる。そういう意味で、大きめな出版社編集部はある程度とマシな気配はする。が、中小出版社で働いていた経験からすると、出版社編集部の9割はこんな感じなんじゃないかなーと思っている。

2024-02-08

小学館対応が気に入らないからと、安易作家に対し移籍をすすめる意見驚愕する!

今回の件、確かに小学館対応はまずい。

からと言って安易に「まともな作家編集者は、小学館から逃げた方がいい。」などとコメントする人は無責任にも程がある。

少し考えれば、売れっ子漫画家以外は簡単移籍できるはずないだろ。

漫画家が連載を勝ち取るまでにどれだけの労力を要するか考えたことあるのか?

それは才能や努力だけじゃなく運もないと無理だ。

3年以上も担当編集と組んで連載を目指すなんてザラだ。

そしてようやく連載がスタートしても1年もたずに打ち切りだってよくある。

連載が続いているなんて奇跡みたいなもんだ。

そんな漫画家に、簡単に他紙へ行けとか言うなよ。

それが出来ない漫画家は「まとも」じゃないのか?

2024-02-05

お前らは脚本家のことを舐めすぎだと思います

普段脚本すら読んだことないであろう人たちが、脚本家を攻撃していて困惑している。

よく言われていることだけど、脚本とは映像のための設計図です。

漫画小説とは全くもって、似て非なるものです。

ここをほとんどの人は勘違いしているように見受けられます

脚本は何度も何度もプロデューサーに訂正され、さら現場では監督役者セリフも直されます

例えば何をやっても上手くいかない主人公が、恋人に振られたうえに雨に降られてずぶ濡れになるとします。

漫画では、雨に打たれるシーンはスクリーントーンと線を引けばいいのです。

小説では、雨が主人公の肩を濡らした。とか書けばいいのです。

しか映像作品では一回雨を降らすのに200万です。雨のシーンが続けばあっという間に予算オーバーです。

自身オリジナル作品で何度も映画化したことがある大物脚本家ですら、雨のシーンが実現されたことはないとボヤいていました。

そういった時に雨を降らさないでも、どうしたら雨が降っているような感情を伝えられるか?

そういったことを考えるのがプロデューサーの意を汲んだ脚本家です。

「ここちょっと予算的に雨降らせられないからなんかないかなぁ」

「じゃぁ、散水している工事現場の水がかかったことにしますか」

よくドラマとかで見るアレです。

これは原作にない脚色かもしれませんが、恋人に振られた主人公が惨めな気分であることを表現できで観客に伝わればいいのです。

さら帰宅してすぐにあったまろうと風呂に入ったことで、仕事上の大事電話に出られなかったって繋げればさらに惨めさが際立ちますね。

そうやって脚本では話を「コロガシ」て話を繋いで行きます

小説のようにいきなり章を分けたりするとドラマでは不自然さが強調されるからです。

仁義なき戦い」で有名な東映ヤクザ映画時代からあるコロガシという脚本用語です。

まり何が言いたいかというと原作脚本では本当に違う技術必要とされているのです。

そしてゼロからイチであろうがイチからヒャクであろうが、どちらも技術を磨くという点において努力の賜物なのです。

 

「グレート・ギャッツビー」を書いた、20世紀の偉大なアメリカ作家スコット・フィッツジェラルドでさえ脚本家としては三流でした。

「どうする家康」「リーガルハイ」の古沢良太はもともと漫画家をめざしていたが、挫折し、脚本家として売れっ子になりました。

早稲田映画を専攻し、学生時代映画脚本を読みふけっていたという村上春樹は、脚本はどうしても上手く書けなかったそうです。

自身作品映像化の条件について、こんな趣旨のことをエッセイで書いていました。

「私が小説で書いたセリフを、そのまま使わないで欲しい。あれは文章のための表現からそのまま映像にすると不自然になってしまう」

死者に鞭打つわけではないが、原作者も映像化については正直漫画的な表現でなんとかできると思っていたのではないだろうか。

その違いに対して普段から意識的である脚本家は、漫画小説をそのまま映像化しても全く面白くない作品が出来上がることを知っています

 

ネットの反応は「自分の大切な原作をいじられてしまたか自殺した」

という見方が大半だが、私はそれだけだとは思わない。

冷静に考えてほしい。

実はその考え方の方がかなりバイアスがかかっていると思う。

しろ自分の大切な原作を、自身脚本台無しにしてしまった自責の念

と「その後ブログにて舌禍を起こしてしまたことに対する責任

の方が強かったのではないかと思う。

から攻撃する意図はなかったとわざわざ書いたのだろう。

自分大事作品を楽しみにしてくれるファンに向けて「色々な事情があって上手く表現できなくてごめん。」

ただそう弁明したかっただけなのだと思う。

それを勝手拡大解釈したテレビ局憎しの人たちが、騒動を大きくしこの悲劇を生んでしまったといっても過言ではないと思う。

もちろん、本人にしかからないし、本人にもわからいかもしれないが。

ただ私もクリエイターの端くれとして、

もし自分の子供をいじめられたらなんとしてでも子供回復をしようと頑張るが、

もし周りを巻き込んだ挙句自分自分の子供を傷つけてしまったと考えたら自殺するかもしれない。

そんなふうに思ったからだ。

ご冥福をお祈りします

2024-02-03

anond:20240203185342

権利があることと権利行使する力があることは違うって売れっ子漫画家さんが言ってました

2024-01-31

anond:20240131144624

それ、孤独のグルメやろw


連載中の売れっ子漫画家って

〆切に追われて忙しいんでしょ?

anond:20240131100538

変わってきているのは、別のこともあると思うわ。

というのも、TV局の、シンプル面白くて売れる作品を作る能力というのが、疑問視されだしている。

 

ネット動画TV局を比較したときに、わりと負けている現状で、

映像作品の売り方は我々がプロで、上ですからね」と言っても、

ほんまにか? と思わてしまうところがある。

ほんまに面白ものを作れるのか?

売れっ子映画監督とかならともかく、TV局で出世しただけのサラリーマンが。

 

それよりも、過酷な賞レース連載レースを勝ち上がって作家としての実力が証明された原作者のほうが、基本の能力が圧倒的に上である

そういうことが理解され出している。

 

 

横ですが

2024-01-28

anond:20240127215828

ライブ後のSNS投稿では

文字数

写真の数

オーディエンスを褒める回数

ライブした場所を褒める回数

などなどなどなどをきちんと揃えるのがプロ仕事だ。

これ結構重要なのにわかってない人が多すぎる。

とにかくお客さんが「差」を感じるような印象を与えないのが大事

これを俺は風俗嬢から学んだんだよ。

お客さんへのお礼日記を書くときに、

フォーマットに合わせて、

そこからズレすぎないように書くのがコツなんだって

ハートマークの数とかもきちんと意識して特定の人に多くつけすぎたりしない。

そこまで気にしない人のほうが多いだろうけれど気にする人は必ずいる。

からきちんと揃える。

そういう話を聞いて売れっ子になる人はやっぱ才能だけでなく努力してるな、と感心した。

細部まで心を砕けるかどうかで客商売の息の長さはかわってくる。

らしい。

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