はてなキーワード: 大友とは
「AKIRAの中身がない」と感じる理由についてもう少し考えてみよう
この肩透かし感はすごい
だが鉄雄と金田の物語としては普通に成り立っているし中身がないとはとても言えない
強いて言えば金田側の物語が足りない。これは漫画版も同じである。
金田にはなんの葛藤も成長もない。物語の主人公としては感情移入しにくい存在である。
それを持って中身がない、と感じることはあり得る。
金田のキャラクターを説明するには自分で言っている通り「健康優良不良少年」という言葉に尽きる。
この特異なキャラクター設定、不良のリーダーなのにお坊ちゃんヘアという奇妙なキャラクター造形
ができた時点で作者は満足し、それ以上金田を掘り下げるつもりがなかったのだろう。
漫画版の序盤で金田の幽霊みたいなものが突然現れる伏線らしき描写があるが、
この伏線回収が全くドラマに関わってこないことは大友がドラマを語る気が当初から全くなかった
なんか使えそうな伏線を配置しといたけど上手く活かせなかった、というだけの気もする。
だとするとやはり大きな物語を作る能力がそもそもないということになる。
しかしながら、漫画版はAKIRAが登場して東京をもう一度吹っ飛ばすシーンが白眉だ。
自分が「中身がない」と感じる作品は大友の「スチームボーイ」のほうだ
AKIRAと同じぐらい世界観に凝っていて作画も凄まじいのに見ていて何も感じない
魂が入ってない。ガワが豪華なだけに、中身の空虚さが目立つのだ
自分の解釈では、中身がない作品というのは人の記憶に残らない作品のことだ
AKIRAとスチームボーイがどう違うのか、うまく説明できない
サイキックSFかスチームパンクか、時代的に題材が手垢に塗れていたかどうか?
しかし同じスチームパンクでも短編の「大砲の街」のほうには魂が入っていると感じる
スチームボーイの方は作家側がどこに力点を置いていいのか定め切ることができず、
AKIRAに中身があるのかないのかは知らないけど(たぶんそれは大友さんにしかわからない)
あの熱気だと思う。
俺達は新しいことをやるんだ!!
監督だけじゃなくて
前編クライマックスとも呼ぶべき
それは時代の空気でもあったんだと思う。
日本人一人ひとりが今よりずっと陽気だった。
どこか
どうにかなるさ!!
そういう時代の空気、真夏の夜に見る夢の如き時代のエッセンスが多量に含まれているのがあの映画だ。
そのふたつが映画という媒体で重なり合い凝縮して結合し、まるで原子が融合するかのようにエネルギーがほとばしる。
その圧倒的な熱。
その「熱」がAKIRAだ。
知らんけど。
童夢もそうだけど、神作画がなければ、何も成り立たないんじゃないかと思う
酷い絵でもデスノートならストーリーと、その恐怖みたいなものはまだ伝わると思うんだけど、
大友のあの手の漫画って、正直、なんか中身が感じられないんだよね、空洞
あー、まあ、そんなこといったらエヴァもそうだし、ツインピークスもそうだし、
謎があるように見せてるだけで、本当は謎なんてない、伏線の回収もしないし、論理的な考察も成り立たない、
世の中に、エヴァの考察本が出たのを、庵野氏はアホだなぁみたいに思ってたようなこと言ってたし、
中身はない、重要ではないのかもしれない、それを覆すというか、逆手に取るぐらいの神作画とか、演出があって、
これは凄い伏線だ!と視聴者に思わせておきながら、それをまったく回収しないまま、
自己啓発セミナーオチに持って行った旧エヴァが、正直自分は好きだし、
アラフィフになてってしまった今にならなおさら、庵野氏が現実に帰れみたいな嫌がらせの実写映像混ぜたのも分かる気がしてる
自分はそんなにエヴァに夢中になった方ではないと思うけど、大学にはたしかに夢中になってる奴らがいっぱいいた気がする
作品を鑑賞しながら、あ!あれは~のパロディだ!オマージュだ!と語り合って悦に入るみたいな、そういうもんでしょ?
エヴァだって、あー、ブルークリスマスだね、岡本喜八だね、とか言いながら見るものであって、どうせ謎なんてない、
下手したら最後に宇宙戦艦ヤマトが登場して、超強引な解決をして大団円とか、そういう人たちでしょ、あの人たちは…😟
そんな風に斜に構えてリアルタイム視聴していたら、まさかの自己啓発セミナーで下宿でつい大爆笑してしまって、
ただ、世の中的にはエヴァは一般人にもブームになってきていて、多分、そういう人たちなんだろう、があのラストに怒ったらしくて、
怒ったからなのか、最初からの計画なんだろうけど、旧劇場版ができて、現実に帰れ!って、そりゃそうだろ!って思った側だけど、
でも、アラフィフになっても夢みたいなこと考えてたりする自分も同様だったんだな、現実に帰らなきゃな、って思いました
あれ?何の話してたんだっけ…😟
1987 TM NETWORK 「RESISTANCE」
イケてる男子を目指すと何故かヤンキー化する田舎の中学生。改造制服のワタリ幅はイキリ幅。愛読書は「ビーバップハイスクール」。
そんなステレオタイプなヤンキーが嫌いでワルぶることがカッコいいと思えずにいた、ある意味拗らせた少年の心をつかんだのがTM NETWORKだった。
1991 小田和正 「ラブ・ストーリーは突然に」
一人暮らしを始める。高校時代からはまった柴門ふみ原作のドラマ化。ドラマも音楽も若者の共通言語として君臨していた最後の時代の始まりなのかもしれない。
1992 B'z 「恋心」
授業の合間にカラオケに行くような大学生活。仲間内なんで誰がどんな歌を歌うかまである程度熟知していたそんな時代。とにかく僕の周りではB'zがかかりまくってた。
1994 Mr.Children 「Tomorrow never knows」
大学時代の象徴もう一つがミスチル、やたらめったらカラオケで歌いまくってた記憶しかない。
1998 PUFFY 「サーキットの娘」 Smile.dk 「Butterfly」
ヤマハVINOのCMソング 車を手放し原チャリがすごく欲しかった時期…買えなかったのはお金がなかったからや
何のきっかけか記憶にないけど妙にツボにはまってやたらと歌ってた気がする
深夜アニメでNANAを見たのがきっかけでアニメ視聴開始、当時は違法視聴環境だらけでニコ動みたいにコメントが流れるサイトがあったとかなかったとか…
2010 林原めぐみ 「集結の園へ」
パチエヴァは4作目「使徒再び」を打ち込んだ。5作目にも期待したし「集結の園へ」はマジでテンション上がる大当たりソングだった。
6作目からは明確につまらなくなりエヴァそのものを打たなくなった。
2009 fripSide 「only my railgun」
2010 THEATRE BROOK 「裏切りの夕焼け」
2012 ALTIMA 「BURST THE GRAVITY」
特にデュラララ以外のアニメが特筆するほど面白かった記憶はなく選曲はノリ重視で相変わらず頭が軽いオジです。
2011 今川ヨシモト「トキメキ一途 〜CHERRY MY LOVE」
2018 DA PUMP「U.S.A.」
久しぶりに歌謡曲をリピートで聞いた曲がこれ。 何度も動画見て振付けを覚えて緊急事態宣言が明けた後の飲み会で歌って踊った。
関係者インタビュー 私と手塚治虫 萩尾望都編 第1回 漫画家になる決意を固めた『新選組』|虫ん坊|手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIAL
関係者インタビュー 私と手塚治虫 萩尾望都編 第2回 漫画家の視点で「手塚漫画」のすごさ|虫ん坊|手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIAL
関係者インタビュー 私と手塚治虫 萩尾望都編 第3回 萩尾望都と手塚治虫は何を話したのか|虫ん坊|手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIAL
関係者インタビュー 私と手塚治虫 萩尾望都編 第4回 『鉄腕アトム』に見る、手塚治虫の漫画手法|虫ん坊|手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIAL
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=Sjp9AZDPmNI]
藤子不二雄が高校三年生の時分に富山から手塚治虫の家に持ち込んだ生原稿がチラッと見られるぞ。
手塚治虫が死の前年に大友を褒めちぎる「カミソリ感覚」という題名のよく知られた寄稿文。
(「カミソリ感覚」ユリイカ1988年8月臨時増刊号 総特集=大友克洋)
胸が熱くなるぞ。
劇画の始祖である辰巳ヨシヒロが手塚治虫を褒めちぎりながら人生を語る自伝小説。
「僕らの世代が、戦後の焼け跡の中で『新宝島』に出会った時の衝撃は、後の世代には想像できないでしょう。まったく違う世界、目の前が開けるような世界だったんです。その衝撃の大きさは、ディズニーのマネだとか、アメリカ漫画の影響とかで片づけられないものだったと思います」
日本漫画史上最も重要な漫画10選 anond:20241027145010 で参照したもの
『進撃の巨人』の原点 諫山創×川窪慎太郎 ロング対談 | Febri
諫山氏が、担当編集者川窪慎太郎と一緒にインタビューを受けた対談。
『進撃の巨人』すべてはこの男の脳内で始まった――『ダ・ヴィンチ』2014年10月号
世代が完全に切り替わった感じがビシビシ伝わってくるぞ。
【メビウス一周忌企画】インタビュー:大友克洋が語るメビウス(前編)|BDfile
【メビウス一周忌企画】インタビュー:大友克洋が語るメビウス(後編)|BDfile
大友克洋がメビウスを褒めまくるインタビュー。大友克洋は話が本当にスラっとしていて面白いぞ。
他にも、NHKが制作した、往時の大友が秋元治や藤子・F・不二雄の元に手塚治虫を語りに行く「アトムとAKIRA」という最高すぎる番組もあるぞ。
メビウス&宮崎駿対談動画:文字おこしと全和訳1 : メビウス・ラビリンス
メビウス&宮崎駿対談動画:文字おこしと全和訳2 : メビウス・ラビリンス
宮崎駿はメビウスは「流れ星が当たった」のだという最高の賛辞を贈って大絶賛しているし、メビウスは尋常じゃないくらい宮崎駿を褒めているぞ。
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日本最古の漫画とされる文字通りの国宝。800年この宝を守り残してくれた高山寺に感謝しよう。
果たして現代の漫画の原画は800年後も無事に守り伝えられているであろうか?
手塚治虫の長編デビュー作。諸説あるものの当時にして40万部を売り上げたとされる革命的な作品。
この漫画に衝撃を受け、多くの若者が漫画家の道を志したとされ、藤子不二雄などもその偉大さを強く伝えている。
酒井七馬との共作であったため、それに伴うトラブル等からその出来を手塚自身は認めていなかったとされ長らく封印されており、完全に書き直したバージョンも存在する。現在ではオリジナル版が復刊され電子書籍でも手頃な価格で読める。これはよほど状態の良い初版から丁寧におこしたらしく非常に鮮明な素晴らしい出来だぞ。
(ただオリジナル版は印刷の都合上、手塚の絵を職人が手でトレースして出版したものらしいので筆使いみたいなものを論じる意味はないぞ)
手塚はここから本格的に出発し、約40年間で15万ページの漫画を書いたという。
手塚治虫やトキワ壮グループのカウンターになるようなシリアスな表現を極めていく劇画の礎となり、漫画表現の幅を大きく広げる道を作った。
当時の劇画としては、白土三平の「忍者武芸帳 影丸伝」が傑作として名高く今読んでも抜群に面白いが、パイオニアとしての黒い吹雪の地位は揺るがない。
劇画黎明期の様子は、同じく辰巳が晩年に描いた「劇画漂流」という漫画に詳しい。
また辰巳は海外での評価が非常に高く、例えば「黒い吹雪」もWikipediaに日本語版はないのに英語版は存在している。
劇画といえば手塚との対立が面白おかしく語られがちだが、劇画の始祖辰巳は中学生の時から手塚の自宅に出入りし、終生手塚を敬愛して二人でフランスを訪れたりもしていたことは覚えておいてくれよな。
藤子不二雄が、おばけのQ太郎に始まり、手塚治虫とはまた違う新しい読者層を開拓していった活動の頂点に位置する作品。短編と大長編を合わせて膨大な作品群を形成し、その影響は漫画界よりもその外部に大きく広がり、多くの人の人生や、現代に溢れるkawaiiキャラクターものにまで現在進行形で強く力を与え続けている。
いまだにアジアで愛され続けるそのレガシーの大きさはとても一言では表せないが多くを語る必要はないだろう。
旧来の少女漫画が描いていたステレオタイプを打破する作品を矢継ぎ早に発表した萩尾望都の出世作。
少女漫画誌に次々と新しい手法で圧倒的な画力と文学性を持ち込み、後の多様性の形成の礎となった。
世界の中で少女漫画市場が現在でもきちんと維持されているのは日本だけであるとされるが、その中興を成した作品の一つである。
萩尾望都は花の24年組というくくりで呼ばれることが多いが、近年出版した自伝で当時のトラブルを語り、萩尾先生自身はこの名称には肯定的ではないようなので、令和の漫画読み諸氏はアップデートしていこうぜ。
立体感と漫画らしさを融合させた絵作りで後世に多大な影響を与えた鳥山明の出世作。
第一話の扉絵を見ただけで、当時別次元の漫画であったことが分かると思う(ジャンプ+で今すぐ読めるぞ)。
鳥山明の登場は手塚以降で最も衝撃的であったという事はプロアマ問わず多くのものが口を揃えて語っている。
鳥山明においては、Dr. スランプとドラゴンボールどちらを選ぶのか好みが真っ二つに分かれるところであろうが、世界的な評価やバトル漫画への影響を重視する人は遠慮なくドラゴンボールに入れ替えてくだされ。筆者も個人的にはドラゴンボールに思い入れがある。
鳥山明に並び、並外れた表現力で後の漫画界のレベルを一気に引き上げた大友克洋の代表作。
フランスに生まれたメビウスという天才漫画家の開拓した表現が大友を通して日本の漫画界に合流し発展することにもなった。
後に大友が連載する「AKIRA」においては連載途中に、作者自身が監督として超一流のアニメーターを集め、巨額の予算をかけ同名のアニメ映画を作り、そちらも歴史に残る大傑作になったのはご存知の通りである。
ちなみに大友がAKIRAに書いた最後の最後の言葉はなんだったか知ってるかな?答えは、『そして、手塚治虫先生に…』だったんだぜ。
現在、大友作品は、電子書籍版が出版されず現代の若者に対しての間口が狭いのが少し残念であるが紙で読んでくれということなのだと思う。
独自の出自を持つ作品であり、日本一のアニメーション監督が全盛期に描いた本気のファンタジー漫画として、ナウシカの前にナウシカなし、ナウシカの後にナウシカなしという唯一無二の完成度の高い作品。
途中に「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「魔女の宅急便」「紅の豚」の映画制作を挟み、全59回の連載を15年かけて終わらせた。時間を節約するため連載第2回目からしばらくはペン入れをせず、鉛筆で仕上げた原稿を掲載したことは語り草となっているが、画力が限界突破しているので読んでも違いに気付かないぞ。
100年後も古典として読み継がれているのはこの作品ではあるまいかと思わせる風格を漂わせている。
連載当初はダイヤの原石であったが、6年間の執筆の中で画力、構成力の凄まじい向上を見せ、人気絶頂のまま連載終了した伝説の作品。
従前から繰り返された「天才」たちの活躍という題材ではあるが、漫画表現のリアリティという点で飛躍的な進歩を示してみせた。
大きな流れで見ると、手塚治虫が平成元年、すなわち1989年、60歳でその生涯を閉じた翌年に、時代を大きく動かすこの大傑作が連載開始した形であり、新しい元号とともにさらに大きく発展を遂げていく漫画新時代の象徴となる作品となる。
東アジアでの人気は凄まじく、アニメ版の聖地巡礼で鎌倉を訪れるものも未だ後を絶たない。
突然変異的に登場し、それまでの漫画の常識を覆した2000年以降最大の問題作。
少年漫画が天下一武道会以降繰り返してきた自己模倣を打ち破り、新たな可能性を存分に示した。
この漫画は終わらないだろうという世間の心配をよそに、諫山は数々の伏線を回収しつつ、一度も休載せず堂々と完結まで導いた。そういった点でも未完のまま停滞した名作たちが越えられなかった壁を打ち破り、その名声を比類なきものにした。
実は諫山は福岡の専門学校のマンガ学科出身であることをご存知だろうか?その授業の一環として、生徒が東京の出版社に持ち込み旅行をするという企画があり、19歳の諫山がいくつかの出版社を周った際に、講談社で当時新入社員の川窪慎太郎に進撃の巨人の原案を見せたことが巨人の物語を始めたとされる。
少年ジャンプはなぜ進撃の巨人を逃したのかという点ばかりセンセーショナルに語られがちだが、社会人生活4ヶ月目にして諫山の才能を見抜いた川窪の目には一点の曇りもなかったことをただ賞賛すべきだろう。
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ちょいエロを推した結果、大友には人気になったけど肝心のキッズ層にはそっぽ向かれた「超速変形ジャイロゼッター」ってのがありましてなあ……
大友は革命家であってヒットメーカーではなかったということやね。
んで、革命家っていうのはたいてい人生で一回くらいしか革命起こせんからね。
辻褄はあってる。
革命家の悲しいところは、
革命前と革命後ではそのジャンルでは画期となる大変化があるのだけれど、
それがあまりにもすべての隅々にまで影響を与えるがゆえに、
さらにいうと、人々はその革命前のことをよく思い出せなくなる。
「一発屋」という言葉が不適切なんで大喜利化してるけど、AKIRA以降見るべき仕事をしていないとは誰かがはっきり言うべき。
特に、映像作家と称してやったアニメの仕事はみんな並以下のできばえで、だからいつまで経っても「AKIRAの大友」でしかない。
逆に言えばAKIRA以前の、漫画家としてやった仕事はAKIRAや童夢は言うに及ばず、ショート・ピースにハイウェイスターにさよならにっぽんに気分はもう戦争にその他諸々、
どれをとっても傑作揃いだった。あのキレッキレの大友が凡作以下のアニメをたまに作って無理に褒められてるのはやはり見るに堪えない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4755264594165445344/comment/ffggmm
確かにその通りだと思う。大友の発想や資質には無秩序・無軌道なものに対する憧憬が強くあって、
それは初期の短編群におけるモラトリアムな青年たちの人物造形からAKIRAの健康優良不良少年達に至るまで一貫してるんだけど、
しかも当人は世界的な名声を得てしまっていて、今さらモラトリアム生年の続きを気取ることもできない。
実際、スチームボーイではより明朗な少年漫画的主人公に舵を切ろうとしたが、あまりうまくいっていなかった。
むしろ、迫り来る老いや不能を直視した、短編漫画を読んでみたかった。
正直なところ、数年前に単発で掲載された「気分はもう戦争」の続編を見たときには、(……絵が衰えてない?)と思えて辛かった。
でもそういうところ含め、かつてとんでもない輝きを放った才人の悪あがきをみてみたいんだよ、無責任な読者の一人としては。
https://anond.hatelabo.jp/20240623011829
漫画もやたら絵描きに評価されてるけど絵の素人にはよくわからない
後追いだとそういう評価になるのは別に間違ってない。ただし漫画家はじめ玄人層からの絶賛も正しい。
「大友克洋の漫画技法」というのは日本のマンガの歴史においてソルトラークそのもの。
斬新さと完成度を兼ね備えていたが故に「特定作家の個性」ではなく絵柄(もう少し広く「作劇手法」でもいい)丸ごと咀嚼されて、以後日本でストーリー漫画を描く上での必修科目になった。
これが起きたのはAKIRA(連載83年~90年)以前の、「ショートピース」刊行(79年)や「童夢」掲載(80年~81年)の頃。
(もちろんどれだけ大友を取り入れたか、という作家個々の選択にもよるが)70年代以前と80年代以降で「なんか古臭い絵柄のマンガ」の比率が大きく違うのはそういう事で、
(ある意味その後の絵柄の進化が大きくないとも言えるわけだが)現在でも80年代のマンガの多くが絵柄の違和感なく普通に読めてしまう、というのは実はとんでもないことだ。
例えば80年代には40年代のマンガなど大半が絵柄の時点で古臭くて読むのに努力がいるものだったが、本来は文化、特に流行という側面のある大衆文化の変化はそういうものである。
ところが、現在のマンガ読みにとっては(少なくともストーリー漫画については)、「40年前でも普通に読むに堪える絵柄の作品が多い」という妙な事態になっているわけで、
これには「作劇手法面での十数年分のマンガの進化を大友克洋一人で先食いしたせい」というのは多分にある。
「大友以前・大友以後」と良く言われるのはそういう話であり、ゾルトラークが一般攻撃魔法になったように、我々はまだ「大友以後の時代」に生きているのだ。
とうすればダウィンチやピカソや大友や鳥山みたいな「革新」を起こせるような画境を開けるの?
ひたすらやっても、っていうかみんな漫画家は自分なりにひたすらにやってる、あるいは考えた量と描いた量だけなら彼ら以上の人もいると思うんだけど、それでもその他大勢の作品しか作れず埋没して死んでいくだけだよね?
もう何それって素質の有無ってやつ?でもそうやって革新を起こせて自分には素質があったと初めて結果論でわかるだけだから、そうでないうちは自分に素質があるかもと突き進むか、諦めながら『もしかして素質あったかもしれないけど不確定なことに時間と努力注いでもしょうがないよな』って思うしかないのか?
革新を起こした本人でさえ、「この絵なら確実に革新を起こしたと評価される」と確信をもって自由自在そういう絵を生み出していたわけじゃないと思うの。
大友以降ならよく言われるが
大友先生は難解なところがあっただけに、早くからみんなが解き明かそうとして研究が進んだ。
その結果、フォロワーが続出して潮流になった。
わかりやすいというのは引っかからないってことだから、自然すぎて凄さが気づかれにくいんだよね。
ようやくみんなが「実はすごいぞ」と気づいて、わかりやすさを成立させている文法やテクニックや気配りの研究がこれから進むだろうってときに亡くなられてしまった。
悲しい。
これから研究が進んだとしても、その応用はゆっくりしたものだろうと思う。
いずれ鳥山明先生の編み出した文法は解析されて、教科書的な当たり前の技術になっていくんだろう。
しかしそれを「鳥山明以後」だ、という風に意識するようにはならないんじゃないかな。
「わかりやすさ」を支えているのは基礎の基礎。
基礎っていうのは当たり前の部分すぎて、それが誰の工夫かなんて人々は気にしないから。
電球を発明したエジソンや電話を発明したベルは偉人としてみんな知ってる。
アスファルト舗装を発明した人や鉄筋コンクリートを発明した人が誰か知ってる人は少ない。
そんなもんでさ。
フォロワーは同じくらい産んでる気がするけどな
青年誌には大友タッチが溢れかえってたし吉田秋生など女性作家にも影響与えたし
超能力描写、メカデザイン、世界観もあらゆる方面に影響与えてる
少年誌も鳥山タッチを取り入れた作家は多かった柴田亜美など女性作家にも影響与えた
超能力描写、メカデザイン、世界観もドラクエ含めあらゆる方面に影響与えてる
両者とも異質なんだよな
人間の顔面のとらえかた一つとっても他の漫画がつちかってきた文法と全く違う
それでいて完成されていて全く隙がない