はてなキーワード: ルックスとは
2021年の日本において、30代前半男性の53%は既婚です。
つまり、結婚したいのに出来ない男性は、2021年においても「普通未満」です。
昭和と違って2021年は「真ん中の男性が結婚したくてもできなくなった」という認識を持っているとしたら、完全なる誤解です。
2021年が昭和と違うのは、価値観の変化により「結婚する気がない男性」が大幅に増えた点です。
昭和は未婚者が問答無用で叩かれるので、ゲイでも無理やり偽装結婚せざるを得ないような時代でした。
2021年は未婚でも叩かれなくなりました。結婚したくない人が、無理やり結婚しなくても、叩かれなくなりました。それこそが大きな違いです。
40人クラスに例えると、男子20人のうち11人は30代前半までに結婚し、
5人はゲイや二次専やドルオタやアセクシャルやミグタウなどの理由で結婚する気がなく、
4人は結婚したいのに結婚できない、気持ち悪い低スぺ売れ残り中年です。
卒アルを見て男子20人をモテそうな順にランキングにすると、最下位から4人分は結婚したくてもできません。
弱者男性はリアルな女性とのかかわりがないため、芸能人やSNS自撮り女など、見た目に自信があり自己顕示欲の強い女性だけをネットで見ることになり、
ロジックに誤りはないと思うけど、くだんの下方婚の話はどうなる?
女性は、たとえ自分が儲かるようになっても、自分以上にカネのある恋人を望む、ってヤツ。それが現代の女性の働き方改革の過渡期にあるから、ではなくて女性の普遍的な性質だとするなら。弱者男性がいかにルックスを改変しようと、社会主義にでもならない限り格差は依然そこにある。未来では弱者男性は、なけなしの口座を絞って仮面を買い、事情を知らぬ女性が白馬に乗って迎えにきてくれるのを待つのかもしれない。経済状況がバレるまでは恋愛は持続するだろう。なんだかシンデレラに似てるねこれ。
希望があるとしたらフェミニズムによるセルフアップデートが達成されて、女性が自分の選択基準にメスを入れるようになる可能性だ。元増田の未来予想のように、人間再生工場で自分自身さえも改造するかは判らないが、なんらかの方法で自己の価値観を更生し、ルックスや所得ではない男の本質を直視するようになる。平等で公正な判断基準で、自分たちの幸福だけを考えてパートナーを選ぶ。悪い選択基準は批判されるからインセルは原理的に生まれない。ジェンダー的ユートピアがそこにある。
その男社会は効率的で美しいという思い込みはどっから来てんだ。
パワハラ加害者もいじめ加害者も男が多いし、犯罪における組み合わせも加害者男×被害者男が最多なのに。
ちゃんと現実見ろ。イケメンの新規採用とか厳しいぞ。男は無能な男に優しい。自分を脅かさないからな。
お前らKKOに男が優しいのは、ランク外だからだ。男から見て自分を脅かさないからだ。
ちなみに男の嫉妬は社会的地位と金に負けられるから、女であっても男のこれらを追い抜こうとする者がいると凄まじいハラスメントに遭う。
https://anond.hatelabo.jp/20220517213328
個人的に思い入れのある曲を30曲。順位は上位のもの以外は割とテキトー。
イントロがカッコ良すぎる。曲全体としてはそんな好きじゃないけど、たぶんイントロだけだと300回近く聴いた。通して聴いたのは3回くらい。
『ケツメイシ - 海』
ケツメイシと言ったら夏歌、夏歌といえば「夏の思い出」だと思うけど、個人的にはこっち。メンバーのラップがまだ完成されてない感じとオールドスクールなトラックが最高。
リリースをカットされたピアノフレーズがかっこいい。割と中田ヤスタカの曲は楽器を重ねて空間を埋めるように編曲された曲が多い印象だけど、この曲はかなり隙間を意識して作られてて好き。
中田ヤスタカと言えばPrefumeだけど、断トツでこの曲が好き。コンプレクストロみたいな構成のトラックで、いろんな楽器や音色が入れ替わり立ち替わりするのが良い。こういう編曲、しかもJ-POPの歌物でっていうのはなかなかない。
相対性理論は10代の頃に死ぬほど聴いた。メランコリックな曲が多いけど、この曲は明るくて良い塩梅。「荒川アンダーザブリッジ」懐かしいですね。
『宇多田ヒカル - time will tell』
よく行ってたクラブで朝方流れてた曲。この曲を聴くと当時の朝の渋谷の匂いとか景色が蘇ってくる。
元々知ってて良い曲だなとは思っていたけど、何かのイベントでこの曲の弾き語りを聴いて泣いてしまった思い出がある。この曲で涙を流せる純粋さはずっと持っていたい。
デビュー当時の、着うた系ギャルR&Bみたいな曲も好きだったけど、この曲以降の西野カナはかなりいい曲多い印象。個人的に「パッ」とかも好き。
「L'Arc~en~Ciel - winter fall」
普段はそんなに歌詞を意識して音楽は聴かないけど、Hydeの比喩に比喩を重ねたような歌詞は結構好き。
神前暁が作編曲した楽曲で一番好き。田中秀和の楽曲と迷ったけど、オタク受けとか関係なくこの曲は良い。
所謂「歌物」ロックから一曲。この疾走感に初期衝動が感じるような曲、いつまでも好きなんだろうなって思う。
『岡村靖幸 - ビバナミダ』
80年代風スタイルにどこかフレンチハウスっぽい風味も感じる編曲が最高。岡村靖幸は昔の曲じゃなくて最近のバキバキのトラックの上で歌い上げてる曲の方が好き。
『Avec Avec - おしえて』
10代中盤から20代前半まで、Maltineをはじめとするインターネットレーベルにハマってた。こんなにスウィングさせても成立するんだって当時はかなり衝撃的だった曲。こんなにビートがヨレてる曲は正直世界中探してもこの曲だけだと思う。
『FLIPPER'S GUITAR - さようならパステルズ・バッヂ』
華奢でまだあどけなさが残る二人のルックスに楽曲に全てが最高。どの曲にしようか迷ったけど、一番爽やかなのはこれかな。完全に後追いなので、渋谷系をリアルタイムで体感してみたかった気持ち。
『Cornelius - NEW MUSIC MACHINE』
個人的には小沢健二よりCorneliusの方が好き。楽曲も実験的で、アルバムごとにコンセプトも違うから聴いてて飽きない。
当時付き合ってた彼女がカラオケで歌ってて、そこから好きになった。元々全然聴いたことなかったけど、いろんな楽曲を聴いてみると、ブルーノートがとにかく多い。ポップスというより完全にブルースシンガー。
独特なプラックのフレーズにチープなピアノフレーズ、原田郁子のボーカル全てが最高。シンプルな2stepビートが気持ち良すぎて、部屋で一人踊りまくってた思い出。
『PUNPEE - Bad habit』
HIPHOPと言えば今はTrapだが、Boom bapでもなくまさかのJuke。コードワークはめちゃくちゃお洒落で他に類を見ない楽曲。
こういうエレピでゴリ押すタイプのアーバンな楽曲が大好きなんだが、その中でも断トツ。エモいとはこのこと。
『YEN TOWN BAND - Swallowtail Butterfly 〜あいのうた〜』
Charaの「Junior Sweet」と悩んだがこっちにした。
日本で一番好きなバンド。全曲共通してコード進行がお洒落すぎる。
昔はセルアウトなんて言われていたけど、RIP SLYMEの良さが分かった時「HIPHOPは2周目」みたいな風潮もあった。この曲はPESがトラックを作っているけど、DJ FUMIYAのトラックはマジでヤバい。今聴いてもぶっ飛んでるし、5人でもっと活動してほしかった。
夏の終わりのなんとも言えない気持ちを上手く表現してると思う。この曲を聴くと、何年経っても鬱屈した10代の頃を思い出してしまう。
Japanese 2stepの名曲。編曲のシンプルさに、サビ後半のベースラインで何杯も飯が食える。
『KinKi Kids - Kissからはじまるミステリー』
山下達郎Worksから一曲。シティポップとnew jack swingが融合したような楽曲。本人が歌ってるバージョンも好き。
『ASIAN KUNG-FU GENERATION - 或る街の群青』
高校時代鬱になって不登校の時期があった。そろそろ行かないと出席日数がヤバいと言う時に毎日聴いてた曲。「蹴り出す速度でどこまでも行けるよ」って歌詞が当時の自分に刺さりまくった。
『Nujabes - reflection eternal』
唯一のインスト曲。出席日数がヤバくて学校に行ったものの、授業をサボってラグビー部の部室裏で聴いてたのが懐かしい。曲としては完成されすぎてる。サンプリング元が優秀だってのはあるけどね。
『iの数式 (imoutoid's ComplexFunktion Remix)』
亡くなった今でもカルト的に人気のある伝説の天才トラックメイカー、imoutoid。僕の人生で一番好きなアーティストでもある。ダンスミュージックはテクノロジーの発展により進化するものだけど、2007年くらいの技術で高校生がこの曲を作ったと思うと驚きを隠せない。imoutodはダンスミュージックのトラックメイカーとしてのセンスはもちろんのこと、J-POP的な分かりやすさに作家性も兼ね備えていた。生きていたら今頃世界的なアーティストになっていたと思うし、今聴いても新しい。
『livetune - ファインダー(imoutoid's“Finder Is Not Desktop Experience Remix”)』
好きすぎるのでimoutoidからもう一曲。無駄な音が一切なくて完成されすぎている。ハイハットだけで何倍も飯が食える。彼がメジャーレーベルから出した楽曲はこの一曲のみなのでめちゃくちゃ貴重。
間違いなく人生で一番聴いた曲。J-POPとはどこか前向きなメッセージが込められているものだと思うけど、この曲は人生の気怠さを歌っている。しかも国民的スターだったSMAPがだ。この曲は「愛があれば壁を乗り越えられる」とも「努力は報われる」とも言ってない。ひたすら過去を思い返して「夜空ノムコウにはもう明日が待っている」だ。とてつもなくリアル。今後も聴き続けるんだろうなと思う。
うちの会社には目を見張るような美人やアイドル顔負けのかわいこちゃんがちょくちょく入社してくる。
しかし多くの場合、キミにはこれが順当じゃない? 何が不満なの? という待遇や業務だったりする。
とよく言われる。
パーティー会場でハンディカメラを回して来場者たちを撮影する仕事を任された女性。ルックスは並だという。
トイレだか雑用だかで、ちょっとの間だけカメラを「美人の後輩」に任せた。
自分がカメラを持っている時のシーンと美人の後輩がカメラを持っている時のシーンとで、人々の反応がまるで違うのだという。
みんなカメラを向けると笑顔で寄ってきて、楽しそうに色々と話してくれる。
美人を相手にすると、男性も女性も無意識にチヤホヤしてしまうのだ。
私の周りにいる美人たちも同じである。人々から好かれ、ごく自然に守られる。
美人は子供の時からそのようなやさしい人々に囲まれて育ち、その環境は大人になっても続くので、実に素直で屈託のない人柄の人物がほとんどだ。
ボーッと生きてる美人こそ多いものの、根性がひねくり曲がった美人はあまり見たことがない。
で、辞めていく美人たちの話に戻る。
これは100%俺の憶測だが、彼女たちは「顔でゲタを履かされた人生」を歩んできているので、いざそのゲタが役に立たない場面に遭遇すると「こんなはずではない」と感じてしまうのではないだろうか。
もちろん、「私は美人なのだから仕事でも不美人よりも良い待遇を与えられるべきだ」と考えているわけではないと思う。
彼女たちはそれまでの人生で〈美人ボーナス〉を受け取り続けていただろうが、それをボーナスと認識できているかどうかは疑問だ。空気のように「あって当然のもの」だったはずだからだ。
しかしもちろん仕事には(少なくともデスクワークを中心とした業種では)美人ボーナスはない。
いつも空気のようにそこにあったものが、ここにはない。それが彼女たちの気持ちの中に違和感や不満を育ててしまうのではないか、というのが私の憶測。
我が社の場合はどうか知らないが、「美人が在籍しているだけで生産性が上がる」という理由で(無能でも)顔採用する会社もあると聞く。
月曜日のたわわ、無料になっていたので一巻だけ読んでみた。個人的な感想としては、気になる男性を誘惑するためにあえてきついブラウスを着て何度も胸のボタンをはじけさせている女子高生というのは、正直、いかれすぎていて怖くって、ファンタジーとしても楽しみづらい感じであった。もう少し普通の誘い方があるんではないか。ルックスが超好みであったとしても、はじけ飛んだボタンを渡されたり、ジャケットの胸ボタンを閉じさせたり、みたいなアプローチされたら、自分が男側だとしたら、引きそう。夜のお仕事とか、合コンのテクニックとか、そういう場面であればわかるんだけども。電車で乗り合わせただけの素性のわからない男性に仕掛けるのは怖い。なんていうか、男性側の思考が割と普通なのに高校生の女の子が考えていることが男側に都合がいい形でぶっ飛んでいるのが気持ち悪い。
自分の許容ラインとして、性的に奔放なのが悪いということでもないらしい。マンガワンのアプリで黄昏流星群を読んでいるんだけど、こちらはそりゃねーよと突っ込みを入れたくなることは多々あるが、不快ではない。中年を超えた男女があったその日にベッドインしまくっているあたりは非現実的なのだが、不快にはならない。還暦をとっくに超えているような、容姿が特に優れているわけでない男女たちが、旺盛にセックスしているのはむしろ清々しい。
と、たわわは Not for me なのだが、絵はきれいだし、楽しく読む人がいることには違和感は感じない。オナニー的な作品だとは思うけど、フィクションでありふれた現実をそのまま描いても読んでて楽しくはないわけだし。黄昏流星群だって誤解を招く中高年像ではあるし、中高年男性のオナニー分高いと思うけど、あの作品が禁じられたら私も反発する。
ただし、たわわの女子高生のような思考を真に受けられては困るんである。満員電車で胸を押しつけてくる(単に電車が混み合いすぎて腕や鞄で胸をかくすことすらできない)女の子が自分に気があるのかもとか。だから痴漢してもかまわない、むしろ望んでいるはずだ、とか。本当に痴漢ってそういう思考回路らしいので。職場でセクハラする人とかも思考回路ゆがんでるよね。
フィクションとわかって楽しめる人には害はないと思うんだけど。妄想による楽しみを妨げないようにしつつ、有害な勘違いをどう防ぐことができるのか、わからないんだよね。まぁ、思考回路おかしい人はフィクション側が多少自己規制したところで変わらないだろうし、あまり気にすることもないのかもしれない。
まず前提として、ゲイ差別に関して松岡宗嗣のような過剰なゲイリブ活動家もいれば、ゲイリブ活動を過剰に否定するネトウヨ「名誉ノンケ」的ゲイもいるものの、
大多数のゲイ(わたしも含む)は「活動自体には否定的ではなく、どちらかといえば差別撤廃に向けた動きは望ましいと思っているものの、積極的な発信はしない」立場にいるということを明記しておく。
自分が写ってる写真アップすると「ああ、そういう目で見られてるんだな」っていうアイコンのアカウントの方にいっせいにいいねされることがあって、これを自分の中でどう処理するのかが本当に難しい。アイコンなんて個人の自由だし、主張であるべきだからこそ、自分の中でどう処理するかが難しい。— sawabe (@sawabe) May 8, 2022
ゲイのアカウントから自撮りを「いいね」されるたび感情を処理できないという叫びである。
さて、このツイート単体を見る限りでは「ゲイにいいねされるのが嫌だ」という感情しか読み取れず、(糾弾されるほどではないとは思うものの)差別発言と取られても仕方ない。
私は、アイコンでは判断できないですが恐らく澤部さんが仰る「そういう目」を持つアカウントと同じ属性の人間です。
異性からの反応も等しく迷惑なら理解できますが、卑猥なDMやメンションを送るような輩でなければ、そういうことだってあり得るくらいに考えて貰いたいけど難しい/無理なのかな…。 https://t.co/QHJt1QQHVU— きんちゃん (@kinchubby666) May 11, 2022
「そういうこと」って、いいねつけるとかのことですか?ちなみにもともとメンションやDM送られるのは得意でありません。でもそういう属性の方々からいくつかの仕打ちを受けたうえでの結果なような気がします。先のツイートはそういうさまざまを経た上でどう処理していいかわからないというだけです。 https://t.co/iRXSlUybFS— sawabe (@sawabe) May 11, 2022
澤部はそのルックスにより、デビューから間もなくして(主にデブ専界隈の)ゲイ界で話題となる。
その結果、倫理観の欠けた一部のゲイにDMによるハラスメントを受け、それがトラウマとなっている……という事情が、2日後の本日に語られ、一部の過剰な活動家が「スカート澤部はゲイを差別している!」と所属事務所の社長に掛け合い、それを「名誉ノンケ」が批判するなど炎上の様相を示している。
この件について、冒頭にあげた「大多数のゲイ」の意見として最もみられるのが、
「一部の倫理観が欠けたゲイのせいで澤部にトラウマを与えてしまい、本当に申し訳ない」というのものだ。
確かに事情がわかれば、「ゲイにトラウマを植え付けられ、ゲイからのいいねを恐れるようになった」というのを差別意識というのはあまりに酷である。
しかし時系列を追ってみると、澤部自身の配慮があまりに足りていない。
事情を語らずにゲイへの恐怖感を語る最初のツイートは、ファンネルを飛ばしゲイへのヘイトを募る行為ととられても仕方ないのではないか?
こわ。
20代前半の頃、ぼんやり生きていたら、積極的な女の子が急にグイグイ来て、悪い気はしないので受け身に付き合った。
でもその女の子が美少女なわけではなく、普通のルックスで、会話がかみあわないことがある子だったりして、
「結婚したいという気は起らないなあ」なんて上から目線のことを考えながらぼんやり付き合っていたら、
唐突に振られて(本当は唐突ではなく、サインが出ていたのに、気づかなかったか、面倒だから無視していただけなのだろう)、
振られたあとは20年、あらゆる女性から「人間」としては会話してもらえるけど、「恋人・配偶者候補」としては無視されて、
これでも女が悪いんだ。
「妄想だ」と叩かれることが多いけど、「女の子が降ってくる」に近い事態というのは現実にあって、
20代前半の頃、ぼんやり生きていたら、積極的な女の子が急にグイグイ来て、悪い気はしないので受け身に付き合った。
でもその女の子が美少女なわけではなく、普通のルックスで、会話がかみあわないことがある子だったりして、
「結婚したいという気は起らないなあ」なんて上から目線のことを考えながらぼんやり付き合っていたら、
唐突に振られて(本当は唐突ではなく、サインが出ていたのに、気づかなかったか、面倒だから無視していただけなのだろう)、
振られたあとは20年、あらゆる女性から「人間」としては会話してもらえるけど、「恋人・配偶者候補」としては無視されて、
元彼女の一件は「奇跡」であったことを、10年20年経って、さすがに直視しなくてはならなくなる。
元彼女は今でも自分のことを好きでいてくれるはずという幻想にも浸れない。とっくに既婚者になっており2児の母だ。
ぼうっとしている人間が、ラッキーで女性の好意を得られても、ぼうっとしているままなら、逃す。
ラッキーがあったときは、ラッキーが途切れないうちに、運の流れが来ていると感じているうちに、
死ぬ気で、自分を作り替える勢いで、求められることができる人間になれるよう学ぶべきで、
そうでないと流れが途切れたときに、全部が元通りになる。
プライベートの人間関係だけではなく、仕事でもなんでも、人間が関係するものはすべてそうなのではないか。
女性についてだけ書いているようだが同性の友達もいない。積極性やサービス精神がないと同性にも相手にはされない。
分かれ道は、まず「運の有無」があって、次に「運に乗って学習するか否か」がある。
ひたすら運がない、本当に運がなくてすべての機会が絶たれている場合は気の毒だ。
でも、多数派は俺みたいに、運がもたらした機会を怠惰によって台無しにしているのではないか。
本当は怠惰が原因なのに、運がなかったと思い込んで、努力家が享受しているものだけを、あいつは運がいいと言って、ねたんでいるのではないか。
片田舎で育った私は、インターネットで「東京はゲイが住みやすい街」という情報を見ながら、東京に対するあこがれを募らせていた。
大学入学とともに上京したとき、めくるめく東京生活が待っていると信じて疑わなかった。
ところが、ゲイ社会はルッキズムが異様に幅を利かせている世界だった。
それは実社会でも同様だが、一方でそれを否定する土壌も整っている。とはいえ悲しきかな、未だにルッキズムを批判するのはたいてい女性、もしくは女性の意見に同調する男性だけだ。
男性だけのゲイ社会は、まさしくホモソーシャル的であり、叫ぶのは表面上の差別撤廃だけで、自浄作用は一切ない。ゲイを差別するヘテロを批判することは許されるが、ブスを笑うイケメンは未だに許されている。
そしてルックスも、それを補う話術も欠けている私が東京の飲み会に行ったところで、友達ができるはずもなかったのだ。
文字だけのコミュニケーションでゲイと関わっているだけで、会ったこともないマイミクを一方的に”友達”と認識し、私もゲイ社会の一部なのだと自分を騙すことができた。
しかしTwitterの台頭により、mixiはどんどんと廃れていった。
マイミクだった人たちがどんどんとログインしなくなる中、私にとって唯一のゲイとの接点、つまり私にとっての”社会”であるmixiを捨て、新たなコミュニケーションツールに移るのはとても怖かった。
それでも私はTwitterを始めた。私は私をまだ諦めたくなかった。一人で社会に取り残されるほうがよっぽど怖かった。
とりとめのないツイートを続けているうちフォロワーも少し増え、なんとかTwitterに慣れた私は、相変わらず文字だけのコミュニケーションによりゲイとしてのアイデンティティを保っている。
時々飲み会に参加したところで、気の利いたことの一つも言えず、友達もできないままだ。
それでもTwitterがあればそれでよかった。会ったこともないフォロワーを一方的に”友達”と認識し、私も社会の一部なのだと錯覚できた。
たとえリプライがなくとも、いいねをもらうだけでコミュニケーションをとれた気になれた。
フォローもフォロワーも1000にも満たない小さなアカウントでも、私にとって唯一の居場所なのだ。
しかし、Twitterに依存しすぎたのか、落ち込んでしまうことが増えてきた。
昨日まで「いいね」をくれていた人からフォローを解除されていた、何度か絡みのある人からリムブロされていた、たぶんこの人からはミュートされている、最近あの人から「いいね」がない、エアリプが自分への悪口に聞こえる、嫌いなタイプのツイートをしているだけでその人のことを嫌いになってしまう。
こんな高校生みたいなことで落ち込むなんてあまりにくだらないとわかっていても、社会から拒絶されたような不安で泣きそうになってしまう。
フォロワーは私のとって”友達”なので、フォロー解除は友達に一方的に縁を切られたのと同義なのだ。
だからといってメンヘラツイートするわけにはいかない。さらにフォロー解除されるかもしれない。”社会的な”ツイートを心掛けないといけない。
たかがTwitterだが、私にとってはここが唯一の”社会”だ。タイムラインを見るのは義務であり、ツイートするのが唯一のコミュニケーションなのだ。
本当はもうTwitterなんてやめるべきだ。落ち込んでまですることじゃないとわかっている。
「いいね」をくれる人はいても、リプライをくれる人はほとんどいない。ときどきリプライをもらったところで、気の利いた答えを返す余裕もない。
それでも、やめたくてもやめられない。社会の一部でいたい。私はまだ一人になりたくない。
こんな三十代になりたくなかった。
今まで女性と関わろうとしてこなかったが、この年で女性と付き合ったことがないのはマズかろうと社会勉強の意味もありマッチングアプリで付き合って1年ちょっと経ったんだけど、彼女が求める電話やキスやセックスなどのスキンシップが億劫になってしまった。
有り体に言うと、人としては好きだが異性としては好きか分からなくなってしまった。
彼女は30歳までに結婚したいと言っているが、自分が現在結婚がしたいとは思えないこともあり、相手の年齢もあるし普通ならここで別れを切り出すんだろうけど、今までこれといった喧嘩や言い合いをしたことがなく、素直さ、誠実さといった相手の性格が良いこともあり、結婚を視野に入れて付き合い続けるべきか悩み続け、参っている。
悩んでいる理由として、今後俺を好きになってくれる人が現れるか分からないこと、他に良い人がいるのかもしれない(アプリを使ってすぐに付き合ったのでもっと良い人がいたかもしれない)こと、良い人がいたとして俺を好きになってくれるかが分からないこと、の3点が挙げられる。
ここで言う「良い人」とは、現在の彼女にない部分である、異性として好きになるルックス+話の波長が合う(同じような会話の深さで、どこに地雷があるか分からない、ということがない)+メンタルが安定している+一人でも精神的に自立している人である。
しかし、現在の彼女も上記の「良い人」の条件を満たしていないことを除けば、素直、誠実、愛情の表出、連絡の頻度、料理、経済的自立、愛嬌、清潔への温度感、ネットへの価値観みたいなものが「良い」と思っている。
けれど、基本的に話が浅いこと、すぐに泣いてしまうこと、隙あらばくっつきたい感情(俺は一緒にいても本を読んだりゲームをしたいときもある)は直そうとしても直せないと思う。
果たしてこれらを満たす「良い人」は実在するのか?そんな人は実在しないとして、今後結婚を視野に入れた場合、どの条件は最低限満たすべきなんだ?
俺は別れるべきなのか?誰か教えてくれ。
それともバレないよう浮気をして誰か現れるか「試す」べきなのか?
高年齢向け漫画にありがちな、平凡的というかのっぺりしたルックスの中年以上の登場人物が現実的な世界観で過ごす漫画。
漫画の魅力ってそれが二次元とメタファーされるように、非現実的な美少女やイケメンを出せることだろう。
あるいはシグルイみたいなアクロバティックな構図で魅せるようなことではないか。
(スナッフ映画だと偽物っぽく見えるみたいなのも漫画だと漫画として見てるからリアルに感じるという効果もある。一般化すれば物理法則とかを非現実的に描いても漫画なら漫画だからで済ませられるという効果か。普通の登場人物が普通のことをする漫画はこの効果すら活かせていない)
高年齢向け漫画にはそのどちらもない。釣りバカ日誌みたいなのが典型。あれ作者自身師事してた漫画家に下手だから漫画家の道には進むなって言われてたようだしね。
やっぱヘタウマみたいな概念でゴタク並べてみても、漫「画」としてのうまさ下手さは結局登場人物の容姿を魅力的に描き込めているか難しい構図を正確に描けているかのどっちかに尽きるわ。
高年齢向け漫画はその両方から逃げている。俺は逃げていると表現したが、作者的にはプロットで魅せたいという心意気なのだろう。
でもプロットで魅せたいならドラマでいいじゃん。っていうのが俺の考え。なんか間違ってるか?
映画監督が夢だったような奴が経済的に無理と諦めて金がなくても映像作品と同様「物語」で楽しませられる漫画という媒体に逃げたようにしか見えんのよ。
だから俺は高年齢向け漫画は読まん。青年誌かTLまで。ドラマは見るけど。
dorawiiより
https://anond.hatelabo.jp/20220507015533
今の日本で世帯年収300万以下で、ルックスが悪いとされる高卒両親の元に生まれたいですかと。
生まれるかどうかの選択肢があなたに与えられたらどうしますかと。
私は生まれないことを選ぶよ。わざわざ難易度の高い人生を選ぶ奴の方が少数派だろ。
実際に生まれてくる子どもには選択肢は与えられていないからね。
日本で教育を受けてきたら大多数は子どもを持つこと、家族を築くことに否定的な意見は持たないわけで
元増田も辛い経験だったり、単純に生きていくのが大変だっただけだと思うぞ。
後出しで申し訳ないけど、上の境遇で生まれて来る子どもを可哀想なんて思っていないよ
決してそうではありません。
ADHDについては薬もいくつか存在し、障害の特徴も比較的分かりやすい
ということから、改善が見込める治療がある程度確立されてます。
しかしながら、ASDのコミュニケーションにおける問題というのは、
メカニズムが解明されていなく、具体的な治療方法が現在でも特にありません。
あくまでも自分はそういう特性があるんだと理解し、極力相手に失礼が無いよう注意しようとか、
気をつけようとか、自分の意志で制御可能な範囲でするしかない。
当たり前に起きるイベントではいつも不利で、よほどルックスに恵まれてる訳でもなければ、
誰も相手にしてくれません。
そういった意味では、ADHDはまだ社会でも上手く生きれる可能性があるのですが、
ASDはほんと、死ぬまで孤独で居続けるしかないなと感じてます。
これは私の偏見なので他の方がどう考えているかは知りませんが、
凹凸という表現はよく使われるのですが、これは発達障害の人にとって
凹で悩み苦しんだが、実は凸な部分もあって、それを活かせれば
何かしら成功できるのかもしれないと。
しかしながら、現実はそう甘くはなく、メディアに取り上げられる
実際は凹ばかりが目立つ、正に障害に苦しむばかりの人が殆どです。
貧困や孤独に直結するように思います。実際、私もそうなってますからね(笑)
どんなに明るく接しても、会話を盛り上げようとしても、
発達障害者だって、普通に仕事したいし、遊びたい。人を好きになることもあるし、ワイワイ騒いでみたい。
まあ無理なんですけどね(笑)