「ウキウキ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ウキウキとは

2017-11-17

anond:20171117164911

無難ニコニコしてるおとなしい人って感じなので、イケると思ってたんだろうなあ。

なんでこういう風に捉えるの?お前を普通に好きになったんでしょ。一生懸命やってる姿とかふとした時に仕草とか。知らんけど。

そうやってマイナスに行くんだろうね。男がウキウキしてイタリアン予約して告白してくれてって良い話じゃねーか。

8つも下だぞ。女誘うときは皆ウキウキしてるに決まってるわ。

ありがとう、でいいだろ。嫌な奴だな。

anond:20171116234746

レスありがとうございます

取りあえずはお天気がいいとか、服かったとかそういうのでもウキウキしようかなぁ😊

2017-11-15

自分が出てるAVネットからぜんぶ削除したい。

ウキウキ読者モデルやってはしゃいでるみんな、謎の芸能事務所には本当に気をつけるんだよ。

掌返しは本当に、唐突にやってくるよ。違約金がどうとか訴訟がどうとか家族がどうとか言われても、安易に従っちゃダメ。きっと永遠に後悔することになる。

馬鹿無知はもはや罪だよ。今更後悔してももうどうにもならない。

03 相談窓口 - 内閣府男女共同参画局

http://www.gender.go.jp/policy/no_violence/avjk/consultation.html

2017-11-07

私の貯蓄額は470万でした

大学の頃から20代折り返しの今までコツコツ貯めて今年の冬のボーナスで貯蓄額500万行くな!とウキウキしてたら独り身の血縁者が突然病に倒れた。健康診断をきちんと受けていなかったこ親族、病状が悪く行政制度を利用しつつもそれなりに高額な医療費が掛かった。親族でこの医療費出資出来るのは貯蓄のある私だけだったので、貯金から払った。今後も通院が続くというのでお金を少しでも親族の手元に残させる為に、退院親族会社に持って行く菓子折り代も払った。借りているという駐車場代も払った。そういえば病院で使うタオルパジャマ、下着、洗面用具その他全てに掛かる費用も払ってる。

父親祖母が死んだ。幼少期散々母や私を虐げて来た祖母に対し払う金は鐚一文ないと思っていたが、祖母と一緒に私を虐げて来た父親は「俺の給料から天引き祖母葬式代を出す。嫌なら家から出て行け」と母に宣った。父親給料から月々祖母葬式代を出すと家計費は一万円しか残らない。母も働いているとはいパートタイマー、そう高い稼ぎは望めない。葬式代を払い終えるまでの二年間、母の支援の為に生活費を払う。

私には10歳上の姉と2歳上の兄、一つ年下の妹がいる。それぞれフリーターニートフリーターという肩書き実家寄生しており生活費けが掛かる。収入源にはなり得ない。家計は上記の通りなので生活費を払うが、私が必死に働いた金がこいつらの衣食住になると思うとこんな静かな夜なのにとても穏やかではいられない。

貯金残高がみるみる減っていく。今年中に500万到達なんて夢のまた夢だ。しんどいお金が減ることではなく「自分に原因がないのに、苦労して築いたもの他者によって崩されること」が苦しい。何で私がこの理不尽を負うのか?という気持ちが拭えない。私はケチなのか?金の亡者なのだろうか?ちゃんとした人は病気親族を労わり亡くなった方を悼み兄弟を我が身のように想うものなんだろうか。どれにも当てはまらない自分自己中心的なのだろうか。

今後も貯金残高が減ることが予想されて気が滅入る。こんなことのために貯めたんじゃないのに。自分の為に貯めたのに。

お金の話だしこんな内容だし、友達にも誰にも言えなかったからこうして吐き出せて良かったし反応まで貰えて嬉しかった。ありがとう

姉は以前外で借金作って、ヤクザ引き連れて母の職場に乗り込んできた前科持ち。借金作って借金取りに追われるまでの流れをもう数回繰り返してる。兄は母から貰った大学教科書代や定期代を全部趣味にぶっこみつつ、大学に通ってるフリを一年か二年し続けてその間母からずっと「教科書・定期代」を貰い続けてた。大学中退三十路間近の今までヒキニートニートだけど飯と風呂は人並み以上。

妹は就活時代説明会で頷いてる奴ら全員赤べこww馬鹿みたいwww」とイキッた結果フリーター。全員いつ他所様に迷惑を掛けるか分からんから監視下に置いておくというのが母の方針座間市の件が全く他人事じゃない、この三人は何をしでかすか分からない。生活費が足りなくなった母親キャッシングに手でもしたらそれこそ後が厄介なので足りないお金は私の貯金から出すのが一番平和ルートとして確立されてしまっている。本当は出したくない。でも職場に乗り込まれたりするのはとても困る。

父も姉も兄も妹も全員明日辺り不慮の事故で死んで欲しいと願わずはいられない。

こうしたあまりに不出来な親族は本当に、本当に呪いだと思う。私は前世放火殺人レベルの重罪を犯した罪を今償わされているのか?と思ってしまう。他にも更に苦労してる人は沢山いるだろうけど今夜くらいは苦労人としてその頭数に入れて欲しい。

増田達の家族ってみんなまともな人ばかりなんだろうか。自分もまともな親族に恵まれたかった。兄弟の人数だけは多いし、心強さを感じてみたかったな。

2017-10-28

スベってる増田を見るのが好き

タイトル通り。スベってる増田が好き。スベってる状態を維持したいのでもちろんブクマトラバもつけない。

特に文字数ギリギリまで使った長文なのに反応0っていうのが最高。頑張って書いたのが伝わってくるのに誰からも見向きもされず静かにログが流れていく様は風情を感じる。

はてな記法をフルに使っているのに全く反応が無いっていうのも良い。見やすいようにしたのに誰かも見てもらえないという無駄さが良い。

嘘松臭い物、汚い言葉やでかい主語で人気のある物をディスり信者を釣ろうとしているのに反応0の増田も良い。ウキウキ釣りに挑んで釣果0なんて間抜け以外の何者でもない。こんなチラシの裏日記帳ですら承認欲求を満たせないなんて惨めすぎる。

2017-10-27

脳みそゼ~ロ~

いや、自分発言がまさに他責しかなってないのクソ笑えるんだけど

整備された制度を利用してるやつが悪い!とか言ってる時点で将来の予定とリスクを想定する想像力持ち合わせてない幼稚園児並みの脳みそなのは確定的

しかおまえら世代若者に夢を問うておきながら「おまえの夢なんて知らんがな」スタンスを取ってくるって見透かされてるんだよ

日本零細起業インターンに来る若者って上流層か為替めっちゃ稼げるからウキウキしてるだけでしょ

あと高い金もらっといて他人からアイデア搾取しようとするなよな

おまえのスタンス自体がまさに他責なわけで、そんなやつが他責のやつばっかりで良くない!とか言い出してもテメェが楽したいだけの屑なんですね

とばっさり切られるだけだぞ

2017-10-26

ネトウヨウキウキ

かと思ったら立民に入れた愚民死ねみたいな感じでイライラだった

2017-10-24

炭酸飲料とビン

何故何故何故ッ!炭酸飲料特にソーダサイダー系はビンがこんなにも似合うのだろう!

素敵だ……透き通るビンの中できらきらと波打つ液体、

軽く揺らすと小さな気泡ができてそれがまた良い

どこか懐かしく、やさしい感じがするのだ

昨日スーパーで新しく出たらしいビン入りサイダーと、

同じ系統で出ていた一回り小さいシークワーサーのものを買った

素敵にデザインされたビンが欲しいという気持ちもあった

私もいい大人

そのビンがなんの価値もないただのパッケージ付きのビンであることはわかっている

しかし何か心惹かれついつい購入してしまった

少しウキウキした不思議な気分だった

シークワーサーの方を開けて飲んでいる

嗚呼、なんと気分が良いのだろう

2017-10-22

死ななきゃいけない気持ちに振り回されていた僕のお話

内面の整理のために吐き出しています、その関係上乱文になってると思います

僕の中学時代地獄だった。

間違いなくあそこに地獄があった。

少なくともあの時の僕にとっては地獄だった。

虐められた、とても虐められた。誰も味方がいなかった。

虐められるターゲットだった。友人は居なかった。一人だった。

家の中にも安らぎはなかった。家もまた気を張る場所であった。信頼ならない場所であった。

母は精神障害者だった。弟は知的障害として小学校の時分から養護学級の者として生きていた。父はそんな二人の世話に明け暮れていた。

とても頼ることなど出来なかった。

学校では「死ね」「キモイ」そんな言葉がずっと浴びせかけられていた。常に居場所がなく、昼休みは別の校舎の廊下音楽室の陰といったひと気のない場所避難する時間であった。

とても辛かった。そんな場所だった。

部活小学校の時にサッカーが好きだという理由サッカー部に入った。大失敗だった。

部活にも勿論居場所はなかった。選ぶ場所を間違えた。

部活中にも時折、野球部の方からボールが飛んできて僕に当たっていた。たぶん、ぶつけられていたのだと思う。頭に何度も当たっていた。とても辛かった。

中学校1年の2学期から休みがちになった。1学期でも体調を崩しがちであったが、休むために休んでいたのはこの頃だったように思う。

とても行くことが嫌だった。そんな風に休むものから勉強も遅れがちになった。宿題が溜まったのもより行きづらさに拍車をかけた。

英語がついていけなくなった。

家は貧しかった。貧しいが故に常識も知らなかった。小学校宿泊研修で初めてリンス存在を知る程度には貧しかった。

とても閉じていた。服もなく、娯楽を知らず小学校夏休みの絵日記に苦労していた、そんな記憶が残っている。

旅行に行く人達を羨ましく思いながら、隣町の祖父母の家に行く位が一番の遠出だった。

どんどん私は中学校に行けなくなっていた。田舎中学校故だろうか、治安もよくない学校であったのも一因だったとは思う。

通学の自転車指定自転車だったが、指定の物ではないものを買い与えられ、そのことがまた虐めの原因にもなっていた。

通学することが苦痛だった。

家の中では良い子でなければ、迷惑をかけないようにしなければならず、学校には居場所がなく、そんな状況が続いていた。

中学1年の三学期にはほとんどいけなくなっていた。ひたすら虐めの恐怖に怯えていた。布団の中でまるまって何故虐められるのか分からず、相談できる相手もいない、一人で苦しみ続けていた。

家の外に出るのが怖くなっていった。休んだことを揶揄されることもまた恐怖だった。ひたすらに家の中で時間を過ぎ去るのを願っていた。夜になってようやく少しだけ外に出られるような有様であった。

中学2年には全く通うことができなくなっていた。申し訳ないと感じつつも動くことができなかった。昼に父が職場から帰ってきてお昼の支度をしてくれる時間が僅かばかりの気晴らしといった毎日であった。

中学3年のころには少しだけ保健室登校のようなことをしていた。それでもほとんど休んでいた。勉強についていけなくなっていた。将来の恐怖に押しつぶされていった。

受験があった。とてもできず、また遠方へ通えるような財力はなかった。地元の県立高校に進学した。

高校に入った。周りは大人になっていたからか、虐められることはなかった。だが、僕自身人間不信になっていた。やはり一人だった。

そして、とても落ち着かなくなっていた。

授業中に突然笑いだすようなこともあった。エア友達脳内会話して笑いがこぼれていた結果だった。

ギャップを感じていった。普通が分からなくなっていった。休むようになっていった。精神科へ通うことを勧められた。ここで初めて通うようになった。

月イチでの通院の日々だった。それでも行けないことには代わりはなかった。

出席日数が足りなくなっていった。補修を受けるようになっていた。補修にも行けなくなった。単位を落としてしまった。通わなくなった。

単位複数落ちてから、一つだったら頑張ればなんとかしてあげれたと言われた。もう遅かった。手遅れだった。

留年するか転校するか退学するかの選択肢となった。金銭上、転校することは出来なかった。そのまま退学することになった。

高校に入ってからしばらくしてから与えられた携帯ネット依存するようになっていった。

普通じゃなくなっていく苦しみを誤魔化していた。なんとか逃れようとしていた。

ネットに居場所を求めるようになっていった。その間は少しだけ救われていた。

現実は苦しかった。

将来への絶望は消えなかった。

父母弟の介護をしつつ、田舎から出られず永久にそのまま終わるようにしか思えなかった。

ネットへの依存は加速していった。

17になった。心を誤魔化すためのゲームで繋がりができていた。オフ会に参加することになった。

オフ会に参加するのが唯一の遠出だったと思う。

隣の県まで電車で行った、少しだけその時は救われていた。

18になった。早く頑張らなければ、何かしなければという焦りと苦しみがちりちりと焦がしていたが見ないようにしてゲームに没頭していた。

19になった。オフ会で会った友人たちが大学生になっていった。僕は一人取り残されていった。

また一人になった。

一人の時間が長くなった。その分だけ余計に焦りと苦しみが増していった。向きあおうとして、オフ会の友人との繋がりを控えた。

より苦しくなっていった。薬に甘えないようにせねばと思ってあまり通院してなかった時期でもあった。

夜に原付飛ばしてみたり、自分なりの反抗をしていた。それでも苦しさは消えなかった。

夏の終わり、自殺を図ろうとした。海の近い町だった。このまま砂浜から海に入っていけば泳げない自分死ぬのではないかと感じていた。

服が海水を吸って重くなっていった。明確に死の恐怖を感じた。このまま自分が死んでいなくなる恐怖だった。この世から消え去りたくないと感じた。

砂浜へ引き返した。びしょ濡れのまま、一人家に帰った。自殺しようとしたなんて打ち明けることなど出来なかった。

死ななきゃいけないという感情はそれでも消えなかった。僕は考えを捻じれさせていった。

死ななきゃいけないなら、自分自身死ぬことを納得できる人間になろうとすればいいじゃないかと考えるようになっていった。

当時のニュースの影響もあって、大量殺人者に憧れるようになっていった。ああすれば死ねる!と。

30になったら行おうと思っていた。そこまでの命ならと思って、散財するようにもなっていった。

課金ゲームにハマっていった。諫められても、助けてくれなかった親への恨みから正当化していった。

深みにはまってどんどん続けていた。

20になった。成人式を迎えた。流石に焦りを迎えた。

バイト探しをするようになっていった。田舎から求人は貴重だった。

毎度のごとく落ちていった。

21になった。レンタルショップバイトに受かった。バイト代はすべて課金ゲームにつぎ込んでいった。

22になった。僕はバイトのままだった。世間就職にまた焦っていった。

23になった。友人の誘いで地元原発作業員になった。入ってウキウキ気持ち原発への嫌悪感がごちゃ混ぜになっていた。

半年で辞めてしまった。よりヤケになっていった。クレカ借金を作れば自分死ぬことに納得いくだろうと破滅的な行動が増えていった。

24になった。転職サイトで中途で入社した。ネット販売員だった。営業だった。件数全然取れなかった。頑張っても取れなかった。

頑張ることの意味が分からなくなっていった。努力しなくなっていった。ネットへの依存は深まっていった。

グループ内で転籍させられた。借金は増えていった。死にたくてたまらなかった。

25になった。課金ゲーで出会った友人に職に誘われた。僕は後先考えずに飛びついた。殴られるような営業から逃げられると思った。

転職先は良いところだったが付いていけなかった。そのころにはもう考えてもストレス意識が飛ぶようになっていた。

転職先を辞めてしまった。

無職になった。生活保護を受けるようになった。治療を受けても、あまり合わなかった。借金は残ったままだった。

四か月経ち、今日バイトを始めた。あまりのおぼつかなさに愕然とした。

死ななきゃいけない声が聞こえていた。今までは、周りを批判的に見たり、自分の実力を弱く見せたりして補助を貰おうとして誤魔化していた部分も遂に終わりを迎えた。

虐められていたときに亡くなった祖父母へのお別れの気持ちも1週間ほど前に整理がついた。

中学のころからの死ななきゃいけないを外すときが来た。そんな風に思えた。

借金は今、自己破産手続きが進んでいる。

2017-10-11

ふるさと納税サイトで返礼品選ぶの楽しいよね。

ウキウキで本マグロうなぎか迷う。

ふと母校の地方国立大基金設立の事を思い出したのでサイトを見てみた。

公開された名簿を見ると年間100万も満たなさそう。学部長も毎月寄付してる。

恩多き母校。学費減免してくれたっけ。

募金減免されるので募金したいのも山々だけど、確定申告しなきゃいけないから面倒くさいんだよね。

ふるさと納税ならワンストップ特例で楽ちんなんだけど。

と思いつつ母校の恩を忘れて本マグロの返礼品に目が眩むのである

2017-09-29

してみたいよね

あくびを枕の中へ落とし、合わないピントでフラフラと寝室を出る。

君の声が聞こえてくるリビングへ向かう。

ドアを開けた後、「おはよう」を言う前に君はケラケラと笑った。

  

確かにイケメンではないけどさ、人の顔見て笑うってのはどうなのよ?

君はごめんごめん、と気持ちの入っていない謝罪をした後に、

顔じゃなくて頭。髪の毛すごいことになってるよ。と僕に告げた。

  

しかめっ面で髪に触れると、なるほど確かに、ひどいものだった。

  

これでは笑うのも無理ないな、直してくるよ。と言いリビングを後にする。

君は包丁リズムでそれに答えた。

  

さて、幾分かマシになったであろう僕は再びリビングに戻る。

二人で朝食を取り、二人で一緒に家を出る。

数年間続けている僕らのスタイルだ。

  

清宮くんどうなるんだろうね…北朝鮮、怖いよねー…なんて他愛のない話をしながら、

君の作る朝食を二人で食べる瞬間は「幸せ」ってこういうものなのかな、なんて思わせてくれる。(恥ずかしいので君には言えないけど)

  

朝食を取り、着替えた僕らは玄関に立っていた。

  

「さぁ行くよ!」

と僕の手を引く君はさっきよりもいい笑顔だった。

  

僕は洋服というものに全く執着がなく、9割方ジャージで過ごしているんですが、それに見かねたのか何なのか、先日、買い出しに行くぞ、と。

めんどくさいなぁってのがありあり顔に出てましたけど、まぁ家に居ても大したことしてるわけじゃないし、たまにはこんな休日も有りかなぁ…感丸出しで、袖をグイグイと引かれ、辿り着いたはユニクロ

  

よくわかんないなりに、漢字の書かれた謎シャツウキウキながら見せに行ったら、間髪入れず「買わないよそんなの。戻してきなさい。」とか言われ、若干しょんぼりしつつも言う通りにする。

その間に彼女は全身をコーディネートしていた。

「コレよりこっちの方が…」なんて意見しようもんなら「うるさい」と一蹴されるので、次第に言われるがままになっていく。

結構な量の服を両手に抱えた彼女が不意に

「よし!着替えておいで!」と文字通り服を丸投げし、試着室に押し込まれた。

  

ゴソゴソと衣擦れの音を立て、しばらくした後顔を出す。

  

「ど、どう?」

「うーん」

「…」

「かっこ良くなったけど、やっぱダメ。」

「…えっ、ひどくない?」

「アンタがかっこよくなっちゃったら、モテちゃうからダメ。」

「…えっ」

「早く行くよ」

「ちょ、今のは、ど、どうい」

「うるさいバカ

  

みたいなのをね。

2017-09-28

東浩紀はようやくわかったのかな

てめえ小池ウキウキ投票してたじゃねえかバカ

2017-09-21

スーパーバイトありがちなこと

私は大学生だ。

色んな事情最近ようやく、固定のバイト先を見つけ就職することになった。

といってもフランチャイズ店のスーパーで入るのはとても簡単だった。サルでも入れる。 初めてのバイトウキウキドッキリ文字通り胸を躍らせた私だったが、つい先日そのバイトを辞めた。

理由店長コミュニケーションが取りづらい、時給が下がった(入った当初はオープニング店ということもあり破格の時給だった)など、ただ単に客層が悪いそれに尽きるのであった。

私の勤めていたスーパー住宅地のど真ん中に作られたので一人暮らし社会人主婦の方々にとっては万々歳な立地だろう。

商品は安いし中々に色んなものが揃っている。

足を運びたくなるのも充分にわかる。

そうなのだが、いかんせんクソと形容したくなる客が多すぎたのだった。

コンビニバイトをやっている人たちならよくわかると思うのだが、ヘッドホンイヤホンをつけながらレジに向かうやつが多すぎる。前にお金を出したか確認をしてとったら「聞こえてないの?まだ細かいのあるって言ったんだけど」とヘッドホンをした中年男性お客様がいらっしゃったが、オメーに返すよその言葉

といっても、給料を貰っている身としてはそんなことも口には出せず。

こっちは人間やぞ、と思いながらも商品バーコードに通すが自分の買ったものになど目をくれず目の前の携帯をいじり倒している。ポイントカードをお持ちですかと尋ねてもだんまりだった。殺すぞ。

といいつつ、袋詰めに不満があると目の前で直していく。それは確かに私のミスだが、お前も態度改めてくれよと胸に秘めながらありがとうございますと頭を下げるのだ。 多分聞こえてないだろうけど。

もう二度と来ないでくださいませお客様

もう一つ挙げるとするなら、察しろというお客様がいすぎて腹が立つ。

例えば電子マネーで払いたい時に予め言っておけば、店員側もきちんと把握できるのでスムーズにお会計ができる。

が、日本人の察する文化が転じて 私の見えない範囲カードをチラつかせるお客様が後を絶たない。子供かよ。

ブラックカードだったらまだしもお前はSuicaも言えない口になってしまったのか

と言いたくなる。 金を払ってやっているんだから、いいだろという傲慢な態度は数千円で補えるものではないだろう。

から度会計する時にはハッキリ言ってね。本当に。

と ツラツラと私の愚痴を思うがままに書いていったが、多分もっとあると思うので

また認めていきたい。

ちなみに年齢層でいうと、社会人中年の方々に多いです。 仕事私生活ストレスを抱えているのは承知だが、レジを捌け口にするなと思う。

最後

そういう物を扱う店では、普通じゃんw何言っちゃってんのwwと思う貴方、それが異常だと気づいてください。

このブログを読んで、自分の行動を改めてくれたらレジ店員さんのストレスも減るので是非お願い致します。

イヤホンは外せ、マジで

anond:20170920010439

まずはおつかれさまです!

増田さん、本当によくがんばりました。

勝手ながら、お褒めしたいです。

返信がこなかったのは残念でした。

増田さんにとっては「残念」で済ますことができないかもしれません。

想定外のことがおきたときは心に大きなダメージを負うもの

自分世界が崩れるような気持ちでしょうか。

しかしたら、今回のことが引き金になって、

恋愛関係も友人関係就職もなにもかもが自分の敵のように感じているかもしれません。

まずは、ゆっくり食事をとって、きちんと睡眠をとって、毎日生活に戻りましょう。

その上で、今回のことを振り返ってみてもらいたいです。

増田さんが、

思い切って、服を買って、髪を切って、マチコンに行って、女の子と話をして、LINEを交換して、ウキウキして、

幸せ時間を過ごしたことは、

本当に素敵なことです。

増田さんの望んだものは手に入らなかったかもしれないけれど、

その過程で、増田さんが、楽しかったなら、嬉しかったなら、それが一番です。

就職のこと、恋愛のこと、いろいろなことで、増田さんのことを否定してくる人がいるでしょう。

それで増田さんが、良い就職先じゃないと……、彼女がいないと……、となる気持ちは大変なものがあると思います

でも、増田さんは、他のだれかのものではない、増田さんのものです。

ひとつひとつ今日

増田さんにとって、楽しいこと、嬉しいこと、を積み重ねて、どうか過ごしていってもらえればと思います

増田さんなら、大丈夫

増田さんは、幸せになれる人です。

追記:

はい彼女ほしいよね!

まあ、でも、簡単にできるもんでもないし、

とりあえずDMMでも見とこーぜ!

2017-09-20

マチコンに行ってきた。

彼女を作りたいと思ったからだ。

彼女ができないという劣等感解決するには彼女を作るしかない。

自分を変えるために、手当たり次第できることは恥ずかしがらずにやろうと思った。

そのために行動を変えなければならない。

まずは服。

から下まで一式全部コーディネートしてもらった。値は張ったが、自分を変えるつもりだと思って目をつぶった。

変なプライドは捨てて、シンプル清潔感がある服装をお店の人に聞いた。

恥ずかしかったが、似合っている服が買えたような気がした。

次に髪の毛。

美容院の予約を取った。

当日は、行くのをやめようかと思った。美容院の人は気を使っていろいろと話しかけてくれた。

髪のセットの仕方も教えてもらった。

早速、ワックスを買って髪を整えるようにした。

髪の毛だけで印象はずいぶん変わるんだと気分が高ぶった。

そしてマチコン当日。

気になった子と、マッチングが成立したので連絡先を交換して今度ご飯に食べに行くことになった。

僕はウキウキだった。次は何を話そうかなとか考えてた。話していて楽しかたから。

次の日LINEをした。ご飯に行きましょう

返事はなかった。

僕の感覚は、一般の人とかなり乖離しているんだと絶望した。

しかったし、また話したいなと思っていたのに相手はそんなことは微塵も思っていなかったわけだ。

今まで僕と話してきた人たちは、一言返すことさえ苦痛な思いをしていたのだ。

それに気づかずに今までのうのうと生きてきた。

変わろうと思えば人間は変われるんだと思っていた。もう無理だろ。

ずっと変わるのを怖がっていたのは、自分がどうしようもないことが明らかになるのが怖かったからだ。

努力してダメなら、もうどうしようもない。

失敗する人間はとことん失敗し続ける運命

何をやってダメな人っている。そういうことだ。僕は主人公ではない。

就職も失敗した。

友人だと思っていた人は、就活に失敗した僕に向かってブラック企業は辛いという話を延々としてきた。

そんなの僕の方がずっと知っている。なんせブラック企業に行くのは僕なのだから

飲み会になると嬉々としてそんな話をしてくる。アルコールが入っているか他人にはおもしろ話題なのかもしれないが、

僕には苦笑いすることしかできない。

別に就活中に天狗になって絡んでいたわけではない。自分のことで精一杯だった。そして失敗した。

就活は正直くじ引きだと思っているから、しょうがないと思って受け入れようとしたが、

友人からここまで言われるとは思わなかった。

話題にされるぐらいならと飲み会に参加するのを断れば、「あんまり就活の失敗は気にしないで、残りの学生生活一緒に楽しもうよ!」というLINE

正気を疑う。

そう言う人にも彼氏彼女がいるわけだ。

その現実を思い返すだけで目眩がする。

なんでという思いしかない。でも現実は結果が全て。

就活はい企業就職した奴が勝ちだし、僕にとっては、彼氏彼女がいるやつが勝ちだ。

将来はわからないみたいなことを言っているサイトとかを見たが、

いつまで生きられるかわからない中で将来を夢見るとかちゃんちゃらおかしくて腹筋が割れた。ワンダーコアよりよほど効果がある。

今が楽しいか楽しくないかしか価値がない。

そして今を楽しく生きる方法はずべて絶たれた。

高校の頃、仲の良かった子がいた。

結局告白もせずに終わったが、その頃の思い出はかろうじて数少ない幸せ記憶の一つだった。

あの頃は楽しかったと思うこともあったけど、

今ならその子が、僕と話すのが嫌だったことがわかる。

の子はきっとものすごくいい人だったんだと思う。人を嫌がらせてやろうとかそういう気持ちの全くない。

そんな人に出会えて、優しくしてもらえてよかった。告白しなくてよかった。

ただただ今はそんな事が分かる前に死んでしまえばよかったと思う。

2017-09-17

ガチ恋を拗らせて勝手失望した話

とあるヴィジュアル系バンドマンに恋して勝手失望した女の話

 突然だが、私には本命バンドマンがいる。それこそ今回話のメインとなる、昨年2月から今年の半ばまでおよそ1年半私のエネルギー全集中させたバンドマンだ。以後便宜上、彼のことを王子呼称する。

 王子出会ったのは2016年2月5日。諸々の縁あって、とあるイベントライブに当日券で入ったのがきっかけだ。私はとても守備範囲の狭いバンギャだったので、その日のライブには目当てとなるバンドはいなかった。スタンディングで見る気力がなかったので2階席へ移動して幕の隙間から見える機材搬入をする真っ赤な衣装に身を包んだ人影をぼんやりと眺めていた。やがて幕が開いた。5年ほど前に一度だけ見たことがある、やたら覚えにくい名前のそのバンドの上手ギター王子だった。真っ赤な衣装に真っ赤なリップ、派手な金髪、赤と緑のオッドアイテクニカルギタープレイギターソロを弾く真面目な顔、ソロを終えた後に大きな口をパカっとあけて笑う顔。彼の動き全てに目を奪われた。心が震えた。そんな状態ときに、王子は時たま2階を見上げてこちらを指差したりするものから、完全にハートを撃ち抜かれてしまった。25分のステージが終わりメンバーが捌けるのを見送ったあと、すぐさま近くのCDショップへ走り最新アルバムを2枚購入した。我ながらちょろすぎる。私は王子と衝撃の出会いからおよそ30分で翌月の2ショット撮影会参加券を手に入れた。

 翌月3月14日ホワイトデーイベントということで30秒トーク&2ショット撮影会が行われた。ガチガチになりながら初めてのイベントへ向かう。ライブ以来の王子衣装着用時はつけまに派手なカラコン、赤リップ、とキャバ嬢のような見た目をしていたが、衣装でないときは薄いメイクになるようで、男らしさを感じてドキドキした。至近距離で見た王子はむき卵のように白くてツルツルしていて、隣に座るとなんだかい匂いがした。優しくてかっこよくてトークも軽妙で、30秒間の間に100000000000回惚れ直した。この日の帰りさらに8枚アルバムを買い足して帰った。

 4月5月は毎週のようにライブインストに通った。王子は3度2ショットを撮るころには私を認知してくれたし、手元にあるインストチケットがなくなる頃には自発的名前を呼んでくれるようになった。以前通っていたバンドでは空気を貫いていた自分にとってはこれはかなり新鮮で嬉しいことだった。認知されたからには頑張らなきゃ(?)という謎の使命感からライブの本数を増やした。元々ワンマンライブ以外は行きたくないたちだったが、30分でも20分でも王子ステージにたつ公演のチケットはすぐに買うようにした。

 7月にはツアーファイナルのため大阪へ飛んだ。王子バンド拠点関西のため大きなライブは必ず地元大阪で行われる。実は私はギャ歴に比べると経験値が非常に浅く、ライブのための遠征経験ほとんどと言っていいほどなかった。このライブが私の初遠征の皮切りとなり、以降東京大阪間の移動へのハードルがぐんと下がったように思う。

 本当にこの頃、王子が好きで好きでたまらなかった。早いチケットを買い直してライブに行った。王子が構ってくれないと楽しくなかったからだ。構ってくれた日は浮かれて浮かれて、だらだらとツイッター感想を垂れ流した。ライブの合間に行われるインストのために、バカみたいにCDを予約した。たくさん王子写真を撮った。写真なんていらなかったけど王子に私という存在を忘れられるのが嫌だったから、毎週毎週飽きもせず撮影会へ向かった。私の顔を見て名前を呼んでくれるのが嬉しかった。

 こう何度も現場に出向くようになると、周囲にいるファンの誰が王子を好きなのかも分かるようになってくる。いつも同じ列に並んでいる他のファンにたいして無駄に対抗心を持つようになった。こいつらが見てない王子を見たいという一心たかだか20分程度しか持ち時間のないイベントライブのために地方へ行ったこともあった。とにかく私しか知らない王子を求めていろんなことをした。結果、何かが手に入ったわけではなかったけどその場限りの優越感を楽しんだ。

 頻繁にライブに行くようになったある時。王子が贔屓にしている人が誰なのか、分かってしまった瞬間があった。周年記念のワンマンライブ中、そのうえ2列目にいたにも関わらずワンワン泣いた。その日、王子とは目も合わなかった。あまりにショックで翌週の大阪遠征も取りやめた。チケットは捨てた。10月のことだった。

 しばらくの間、ショックでライブの本数をかなり減らした。11月に一度話す機会があったのでそこで少し会話をして、クリスマスライブに行った程度。どちらも大したことは話せなかった。代わりに時々ファンメールを送った。ファンメールといっても、王子に対する八つ当たりのようなことばかりかいていたので、実際には迷惑メールだったが。迷惑メールを送り続けたことで、1月の接触では「痛い女」と王子に言われてこれまた泣いた。しかしそんな風にいいつつも、王子は優しいところがあるので迷惑メールに書いた私のお願いを結構聞いてくれることがあった。私信とまではいかないが、ツイッターブログ、接触等で律儀にレスを返してくれる王子がやはり好きだなあとその度に実感していた。

 ファンメールから徐々にモチベーションを取り戻した私は2月からまた少しずつライブの本数を増やしていった。麺被りは殺す精神はそのままだったので、とりあえず王子に構ってもらいやす位置キープすることでなんとか精神衛生を保っていた。その頃春からツアーが発表された。モチベーション好調の私はウキウキ東名阪チケットを押さえた。なんとこれが中々のあたりで全公演そこそこの早番だったうえ、そのうち1つは最前確実だった。狂喜乱舞した。王子にそのことを伝えると「ほんまか!最高やな!」とハイタッチしてくれた。可愛かった。

 ツアーが始まった。気分は最悪だった。どうして目の前にいる私を見てくれないの。なんで私がいること分かってるのに別の人構うの。そればっかり考えていた。王子の目の前にいるのに王子の目に私は映らない。死にたかった。私はこんなに色々なもの犠牲にしてきてるのに、なんで、お前は。

 公演のあと、メンバー写真を撮るイベントがあった。能面のような顔で撮影場所にきた私に王子は言った。

今日めっちゃ前の方おったやん!」

「私のこと見えてたんですか」

 もう本当に死にたかった。

 私のことを見ない王子が嫌だったし、ファンの分際で見られたいという気持ち肥大している自分気持ち悪かった。私なんてたまたまチケット運が良かっただけの金なし乳なしブスだ。私よりお金をつぎ込んでる人も可愛い人もごまんといる。私が無視されることも、そういった人たちが気に入られるのも当たり前だ。でも我慢ができなかった。「次のライブも同じとこにいる」と王子に告げて撮影場所を後にした。1週間後、私はまた王子の前にいた。その日も王子こちらを見なかった。私は限界だった。

 好きだった頃に買ってしまったチケットが十数枚残っていた。ほとんどは売った。売れなかった3枚は捨てた。友達と行く約束をしていた2枚はちゃんと公演を観にいった。最前列で見たけど、やっぱり王子の目に私が映ったという実感を持てる瞬間はなかった。そして明後日、友人たちと約束しているライブ最後の1枚を使う予定だ。一体この日はどうなるだろうか。

 好きというエゴ肥大して好きなものを好きだと思えなくなってしまった。少し前に起こったアイドル殺傷事件。正直気持ちが少しわかるのだ。好きなのに、好きなのに、好きだから、憎い。まるで病気だ。

 今も王子のことが好きだ。でも王子が憎くてたまらない。この感情と決別するまでは、王子に会いにいってはならないと、そう思ってる。

2017-09-14

麻婆豆腐

今日の晩飯は麻婆豆腐だ。

ウキウキしながら「35億」のイントネーションで「麻婆豆腐」と叫んだ。

決まった。完璧だ。大爆笑間違いなし。




水槽ポンプの音だけが響く部屋の中、黙々と麻婆豆腐をかきこみ、皿を洗って風呂に入って寝た。

2017-09-08

金曜夜の食事

土日休みにとって、金曜の夜に何を食うかは非常に大事(食に興味がある場合)。

金曜の18時以降はかなり開放的な気分になる。心がウキウキしてドキドキしてバックンバックンして

息をするのが辛い。

さあ今日は何を食べようか。

2017-08-31

一週間自宅に軟禁状態もどうかと思い

可愛いスカートバリバリに化粧をし、叶姉妹よろしくファビュラスな香りを纏うべく、ブランド物のボディークリームを塗りたくり小雨のパラつく中ふわっふわのホットケーキで有名な店へ昼食を食べに行った

狭い店内を通り席に着くと料理が運ばれてきた。ウキウキ写真を撮っていると隣のお母さんと一緒に来てた若い子供

最近Instagram写真あげる人いるじゃん?私そういうの全然やらないんだよね(笑)

お前のおかげでルンルンな気持ちも吹き飛んだわ

私かてInstagramなんぞやっとらんわ。おばはんがお洒落して街中に出掛ける労力を思い知れよクソが

長編ストーリーの夢を見てどっと疲れた

ヤクザの抗争と異能力バトルとクイズ大会が入り混じった

複雑な世界観ストーリーの夢を見て起きても全然疲れが取れてなかった。

最終的に自分が無理やり協力させられてた組織敵対組織のせん滅と

マネーロンダリングという隠してた目的を達成し、組織の中で別の目的をもって動いていた

謎の能力者親子(見た目はたけしとのん)の伏線は回収されず

自分クイズ大会で1250万円を獲得してウキウキ帰宅するところでエンディングを迎えた。

2017-08-30

過去の同級と再会した話

過去の同級と旧交を温めたいのか。

高校の頃の思い出話に花を咲かせたいのか。

悪いけど俺はゴメンだ。

俺の過去にオマエはいないんだ。

中学高校大学

俺が青春の痛みだの切なさだのをもって

かろうじて振り返れる思い出といえば

一人で何かしていたことばかりだ。

例えば文化祭の時、たった一人、

図書館かどこかでやってた百円市で

SF小説だのサブカル本だの買いこんでさ、

使われず封鎖されてた教室に入り込み

日が暮れるまで一人で楽しんだこととかさ。

修学旅行東京

「ここからはみんな単独行動しようぜ!」と

一方的に切り出してわけわかんねえグループを抜け、

東京タワー秋葉原を一人ウキウキうろつき回ったこととかさ。

下校のバスで一人、

テクノ聞いて秋の夕暮れがすげえ綺麗だと思ったこととかさ。

それで、そういうので、すげえ楽しかったんだよ。

でもマジでずっと一人だと浮くからさ、

オマエやオマエ達と友達風の付き合いはしていた。

あん時の結びつきは

俺にとってホントそういうものしかなかったんだよ。

から、俺にとっての『青春』は常にひとりきりで

振り返る時オマエはいない。

ヒドいこと言ってんのはわかるよ。

大学終わって約8年後、これ書いてる今から約4年前、

同じ会社、違う立場高校の同級と再開した。

オマエすげえ喜んでたな。俺には何の感動もなかったのに。

オマエは俺を飲みに誘った。

俺も社会人としての社交性みたいなもの

そこはかとなく育っていたから、

誘いを受け、高校時代の話に花を咲かせた……オマエは。

でも、正直な話、

オマエが出した名前たち、高校の頃の同級たち、

俺はほとんど名前も顔も思い出せなかったし

何かしらの感情が刺激されることも、

ホント、無かったんだ。

話は合わせたよ。そりゃ社会人からさ。

口八丁のお仕事をやってきたからさ。

ヒドいのは俺だ。わかってんだけど、

でもどうしようも無いだろう。無いんだから

小学校以降、俺の人生が上向いてきたのは

大学卒業してからで、そういう意味では右肩上がりだ。

10代、誰かとともに振り返るような記憶特にないし、

別にそれで損したとか、そういう気持ちもなく

あの頃俺は一人で勝手に満ち足りてた。

あれはあれで楽しかったんだ。

こんなことを書くというのは先日、

件の同級とまた再開したからだった。

俺は急いでたから、社交辞令ウソを駆使して

場を切り上げたが、オマエは「また飲みに行こう」と言ったな。

オマエが俺をどう思ってんだか知らないけど、

俺はホント、こういう奴なんだよ。

そこは申し訳なく思う。

からと言って飲みに行ったりはしないんだけど。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん