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はてなキーワード: 後遺症とは

2017-11-16

greatchina2、高山直人の言動RKみたい

最近高山直人の言動を見ると、どうもオカルトジャーナリストのような池沼臭いようになってるのだが。

2017-11-11

https://anond.hatelabo.jp/20171110135732

いやいやおめー、それは一昔前の髄液検査の事でね?

髄液検査でさえ、今は局所麻酔もしてくれるみたいだ。

http://www.oceanbridge.jp/taka/archives/2014/03/9_4.html

骨髄提供全身麻酔骨盤、というか腰骨のあたりに針をさして採取するから、手術みたいな感じ。

http://www.jmdp.or.jp/reg/chance/flash/sp_chance/chance1-7-1.html

全身麻酔から万万が一があると死ぬとか後遺症とか言うことがあるわけで。

でも骨髄バンク協会は「過去海外で4例(血縁者間3例、非血縁者間1例)、

日本で1例(平成2年骨髄バンクを介さな血縁者間)のドナー死亡事例が報告されています。」

って言ってるわ。

適当な事言って人を怖がらせてはいかんぞ。

2017-11-10

頭が痛い

焦点が合わない

ものが2つに見える

かた目だけなら1つに見える

両眼性複視ってやつなの?

疲れていたり精神的にまいっていたりするとそうなる

原因がなんなのか医者にきいてもわからないみたい?

原因は過去に左側の額を机の角にぶつけたことによる後遺症だと思ったけど

頭痛がひどい

2017-11-08

おえええうういおえぇぇあええ

腹痛

いじめ後遺症なんだけど、大勢の前がきつい

高校生なんだけど、クラスの人数多い無理

定時なのに、なんでこんなに多いんだよバァーーーカ

でも、国語先生がすごいタイプから辞められない止まらない

うんこしてくる

2017-11-06

自殺幇助は悪いことではない

法律的意味でなく、人道的な道徳的な話として話したいのだけれど、

自殺幇助するのはいけないことなのかなって思う。

本当に死にたがっている人の中には、死に対する恐怖そのもの以上に死にきれなくて後遺症を残したまま生き残ってしまうことを恐れて行動に踏み切れない人がいる。

こういう人にとっては確実に殺してくれる存在というのは安心感が得られるもだと思う。

本当に死にたい人にとって、自殺幇助をする行為はいことなんじゃないかなって思う。

死ぬこと自体が悪いことだと言い張る人もいるかもしれないけれど、それってエゴだよね。

それは君にとっては生きていれば幸せなことが多いのかもしれないけど、

そうでない人にとっては死ぬなって言うのは苦しめって言ってるようなものなんだよ。

2017-11-05

いたこと。

奇形の顔「受け入れられない」…家族が手術拒否ミルク飲めず赤ちゃん餓死読売新聞(ヨミドクター)) - Yahoo!ニュース https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171105-00010000-yomidr-sctch

なんかよくわからん。結局何だったんだ、その赤ちゃん家族。受け入れられなかったのは障害その物よりも「顔」だったのかな?

僕はその亡くなった赤ちゃんよりも遥かに重度の障害を持って生まれて来たが、手術を受けてすっかり治り、今はピンピンしている。余命10年を宣告された身だが、今年でもう35歳になる。

今はピンピンしていると書いたが、実は後遺症が残っていたのか、子供の頃は人よりも疲れ易く息切れやすく、追いかけっこをすればすぐに座り込むし、持久走は常にビリ。だが周囲は僕を怠け者でズルをしているだけだと思っていて、僕を一方的批判していたのだけれど。

目に見えない障害というのはそういう厄介なところもあるが、しかしお陰で僕は命拾いしたところもあるのかもしれない。見たところ他の子供と違わない僕を死んでも仕方の無い者とは誰もおもわなかったのだ。

見た目のインパクトは恐ろしい。簡単に人を絶望させてしまうのだろう。


ところで全然関係無い話なんだけれど、今日ある男性が一人の赤ちゃんを引き取ったという話を聞いた。男性赤ちゃんは血が繋がっている親子だ。赤ちゃん母親育児男性との結婚拒否したので、男性が未婚のまま赤ちゃんを引き取ったそうだ。

という話だけ聞いたので、諸々の手続きはどうやったとか赤ちゃんは実子扱いなのか養子扱いなのかとか詳細は謎なんだが、非嫡出子差別もなくなったか特に赤ちゃん不利益ってないのかな?わかんないけど。

男性育児の事何も分かんないかミルクの飲ませ方からから全部ネット検索して赤ちゃんのお世話をしているらしい。

普通、そういうのって母親学級とか両親学級とか、それに生まれた後に病院指導受けて覚えるもんじゃない?あとは出生届出した時に山のように貰うプリントに書いてあったりするもんだが。

しか赤ちゃんを産んだ当人ものすごく育児意欲低いと、母親のかわりに赤ちゃんを育てる事になった人には全然そういった情報が行かずに、非常に困ったことになるんだなぁ。

ということに驚いた今日だった。

2017-11-01

「壊れた脳は二度と戻らない」だの

「鬱に落ちたら二度と完治しない」だの

「鬱は自己責任」だの「鬱に落ちるのはバカ者」だの

メンヘラに近づいてはいけない」だの

マジで害悪しかない

黙ってろよ

野菜運動睡眠瞑想とか、まあそれはいいんじゃない。

でもそういう言い切り型の素人談義が

メンヘラ気質人間を集めてくわけで

まさに教祖様だわな

かく言う俺も洗脳されてた

そんで首吊りかけた

幸い大した後遺症もなく拾った命だけど

だんだんと怒りが湧いてくる

きっとこれも生きていくための感情なんだろうけど

動機はどうあれ抑鬱状態人間にとってはあれはやっぱり呪い言葉

信じきると未来はなく地獄しかないみたいに思える

そこから逃れるために死ぬしかないと思ってしまった

どうせ「脳の壊れた」俺の言うことなんて

お前に届くはずないから返事は聞かない

どうせ聞いたってムカつくだけだし

ただ、こいつの言うことが突き刺さる人に言っとく。

こんなやつのいうこと間に受ける必要ないぞ

脳は壊れる壊れないってそんな機械みたいに単純じゃない

治療が難しいこともあるし、完全に元どおりにはならんかもしれん

けど、人間の脳は複雑で、いろんな部分が互いに補完しあってるし

常に環境に合わせて変化する

から壊れて終わりってことはない

鬱は完治しない?完治ってなんだ?そもそも完治を目指す必要ある?

鬱だろうとなんだろうと人は多かれ少なかれ不完全なもんでしょ

不完全だろうと本人は生きていかなきゃならんのだから外野は黙ってろよ

鬱は自己責任って、まあこれはそうかもしれんけど

自己責任だと自分を責める必要はない

どうせみんな野菜食ってないし運動瞑想もしてないし

だって鬱になることはある

メンヘラに近づくなってのはまあ

他人を傷つけてしまったりすることもあるし

自分が傷つくのは嫌だから近づきたくないっていうそういう気持ちは分かる

でもそういうこと言ってる奴のせいでメンヘラメンヘラであることを隠し内に溜め込む

もしくは孤立してさらに病む

から言いたいのは皆が病んでる人を遠ざけようとしてるわけじゃないし

病んでる人を救いたいと思ってる人もたくさんいる

呪い言葉には耳を貸す必要はない

これは俺たちメンヘラが生き残るための当然のことだ

野菜運動睡眠瞑想否定しないし

無理にならない範囲で習慣化していったらいいと思うけどね

2017-10-30

初めて見たグロ描写

幼稚園の頃父親から見せられたウルトラマンで、顔に傷を負うダダを見てギャーンと泣いた記憶がある。

初めての臓器ブシャーは小学校の頃見た寄生獣だった。絵なのに、臓器から漂うホカホカ感が凄いなと思った。

漫画見た初めてのおっぱい寄生獣かも。

でもそれより衝撃的だったのは、ぬーべーに出てきた宇宙人?が犬の腸をズルズルすする場面か。

あれめっちゃ怖くて宇宙人(いわゆるグレイと呼ばれるタイプ)が大嫌いになった。

今のジャンプで犬の臓器をすするとかアウトなんだろうなぁ。きっと。

それ以降大人になるつれてグロ描写漫画出会うことは多くなったが、それ見たさに買ったことは無い。

今まで見たことのある臓器ブシャー漫画(ちなみにそういう系の漫画では全くないのでご注意を)

バイオメガ

・アバラ

EDEN

ヒストリエ

フランケン・ふらん(ヘレンからこの作者を知ったもので…)

最終兵器彼女

・ザワールドイズマイン


他にも色々ありそうな気がするけど、思い出せない。

ホラーとかグロ系の漫画は全く読まないからなぁ。

後遺症ラジオとか面白くないし怖くないか絶対に見るなよ!

google:image:後遺症ラジオ

2017-10-22

精神状態が悪い時は山に行く?

2、3週間前人生で1番精神状態がヤバかった。

部屋でずっと泣いていた。

原因は自分の将来と家族関係

私は働いてなかった。引きこもった。1カ月に数日の派遣のみ。

就活は諦めていた。

それで家族主に母親毎日ケンカ

もう自分はいなくなった方がいいんでは、と思い部屋で電気消して体育座りして天井を見てぼっーとしてた。自分の死んだあとの家族の反応を思い浮かべながら。

なにをどうやればここから普通に戻す方法がわからなかった。

そしてとうとう首をパソコンケーブルでしめ上げた。

ときていたので考えずに強い力で。

しかったけどもう嫌だった。

でも怖くなって最後までできなくてはずした。

もう頭がキャパオーバーだったので寝ました。

次の日も部屋に引きこもっていたけれどお昼位になってどうせなら山行こう。

と考えネットでググって県内電車で数時間で行ける山へ行った。

電車でも涙が出てきた。

周りはスーツきた働いてる人ばかり。わたしニート!!!

から山行くよ!!!!?

惨め辛くなった。

1人全然人がいない駅で降り山を目指す。ケーブルカー時間が迫ってたので登ったあとケーブルカーで降りたかったけど逆にすることにする。

山を頂上から見てここから落ちたらすぐ死ねるなあ、、と考えながらひたすら下りました。

本当にあ、ここも降りたらいける!

とここも。

要するにいつでも死ねるじゃん!

じゃあ今回じゃなくてもいいじゃん!うん!!

という収穫がありました。

なにより誰もいない登山道楽しいけど怖いね

帰ってきて鏡を見たら首にうっすら線ができてた。あと声が出しにくくなった。自分では喋ったつもりではないけど声が出てない、小さい。という後遺症みたいな困る。自分のせい。

それでいま就活してます

自分みたいな人とうまくしゃべれない仕事できないのでとってくれる会社はあるのか。

就活を始めることで家族が前より普通に接してくれるようになった。

就職してからじゃないと始まらないけれど。

気分に波がありわたし精神状態が落ちつくとまた嫌な時があったことを忘れて喉元過ぎれば熱さを忘れて普通にまた就活しているという盾を持ち、

引きこもりするクソタイプであるので自分無能がバレるのが怖くて働きたくないけど就活頑張ります

かに話を聴いて欲しくて前に命の電話にかけたけど、繋がらなくて電話できなかった。

こういうことって恥ずかしくて話せないんだよね。

要するに甘えてる、甘えてるんだけど

って言われるだろうと自分の中で言われると思って言えなかった。

就活は落ちてもいいんだ!

どこかに引っかかればいいんだ!

ではあしたいってきます

2017-10-12

anond:20171012165424

仮に100%相手責任だろうと相手自爆覚悟で突っ込んできたら痛い思いをするのは自分だろうし(後遺症が残るかもしれない最悪死亡する可能性もある)

面倒な手続きや余計な時間を取られるから完全に負け

2017-10-09

彼女浮気されて別れた

浮気が発覚したのは別れてから一月くらい経ってのことで、元カノとの共通の友人と飲んでいたら、酒の勢いで急にそのことを言われてびっくりした。今もまだこのことについて元カノには問いただしていない。

一番残念だったのは、別れ方自体円満な感じで終わって、喧嘩別れではなかったにもかかわらず、心の奥底では他の男とヤっていた事実を隠していたというのが辛かった。仲良く友達でいましょうねみたいな感じで別れたのだが、嘘をつかれていたようだった。

ただ、自分はこの結末になってしまたことにはなんの違和感も持っていない。ここだけだと元カノ一方的に悪いという感じになってしまうが、そもそも浮気されたのは自分セックスが下手だったのが最大の原因だと思っている。最初の頃はうまくいっていたのに、ある事件を機に、挿入の際に勃たなくなってしまうようになった。

その事件とは、中絶である。ある日の行為ゴムが外れてしまっていたことにお互い気づくことができず、中でゴムに出したつもりが避妊できていなかった。元カノ自分のせいでもあるといってくれて、産婦人科に通ってくれてノルレボなどを試したものの、結局ダメで、中絶手術(早い段階で行うことができたので母体への負担が少ない方法選択できた)に応じてくれた。今現在元カノの体に後遺症ほとんど何も残っておらず、ずっと打ち込んでいたスポーツを今も頑張っている。

自分が謝るたびにお互いのせいだと言ってくれた元カノには感謝しかない。だが、それ以来挿入のタイミングで必ず萎えしまうようになってしまった。自分自身元カノに許されて過去を払拭できていたつもりだったが、全くできていなかった。そうしたこともあり、元カノに対して申し訳なく思いながら二人で過ごす日々が続いた。日々の些細な行動で自分の後ろめたさが出てしまっていた。元カノはそうした自分を見てイライラするようになり、喧嘩することが増えた。彼女が打ち込んでいたスポーツの方でも調子が上がっていなかったようで、自分と一緒にそのスポーツをすることが以前から度々あったが、それをしているときにも何度か怒られてしまった。そんなに申し訳なさそうにするなと。その度になんとかしなくてはと思っていたものの、改善することが最後までできなかった。段々と、最初の頃彼女に対してむけていた純粋好意はいしか自分をなんとか許してもらおうという気持ちに変わり、ますます噛み合わなくなっていった。そして現在、冒頭に書いた状況に至っている。

なので、彼女が他の男のもとで幸せになろうとする努力をしていることは何も不思議ではないのだ。自分彼女をすぐに解放してやれなかったことが、一番の原因である。思えば彼女がついていたその嘘さえも、自分への最後配慮だったのかもしれない。

このまま彼女には幸せになっていってほしい。結婚して、今度こそ子供をもうけて、家族を築き、ゆっくり老いていって、最後幸せな顔で逝ってほしい。

その人生の傍らで、自分は一人で死んでいくのだ。永遠に許されることのない罪悪感を抱えながら、誰かに許されようとしながらも、何も成し得ずに死んでいくのだ。当然だ。

2017-09-30

父が言葉を失った。

昨日、父が言葉を失ったとの連絡を受けた。

不整脈から脳梗塞、その後遺症だと。

医師曰く、高血圧とか健康上の問題は指摘されてたけど、今回の不整脈とは関係ないらしい。予測できないのが厳しい。

まだ脳梗塞治療中で、失語への対応とかはまだ先の話になるそうだ。どのタイプの失語かも、まだわからないみたい。

今はただ続報を待っている。

2017-09-28

欠勤

一年前の手術の後遺症がぶり返したのでバイトを休んだ

新しいバイトになってからは初めての欠勤で、穴を埋めるために必要情報収集も兼ねて店に連絡した

電話口の上司休みこそは許可したが明らかに「は?」みたいなテンションだった

内部疾患なので声はすこぶる元気だった

それが悪かったのかもしれない、明らかにサボり目的だと思われたのかも

次の出勤が怖い 怒られそう

辛くて一日寝込んでたけど、熱とは違って体調不良証明する手立てがない

から見ればただのズル休みなんだろう

これは無理に出勤するべきだったのだろうか

本当に体調が悪くても証明出来なければ休んじゃいけないような気がする

出勤が怖い

2017-09-12

コンシーラー。隠すか隠さないか

コンシーラーメイクを始めた17歳のころから色んなブランドのを試したけど、結局イヴ・サンローランラディアントタッチ複数カラー使いで落ち着いたなぁ。

スティックタイプのやつとか、イプサみたいな固形タイプのやつとかはだいたい失敗だった。

肌に馴染みにくいし時間がたつとコンシーラー部分だけ色が変わってきたりひび割れてきたりで。

今は正直使わないときのほうが多いかな。

ラディアントタッチは肌に馴染むけどカバー力はあんまりないし、目元をちょっと明るくするとか、気持ちだけシミを薄くするとかその程度。

BAさんとかMAさんにコンシーラーも使ってきっちりメイクしてもらうと、どうしても厚塗り感が出るよね。

特に、私は持病の皮膚症状の後遺症で顔の一部にガッツリ茶色いシミがあるので。

でも今は、一部のシミを隠すためにあんなに厚塗りにするくらいなら、ナチュラルメイクでシミも多少浮き出てるくらいのほうがいいやって気持ちになってる。

シミがあるぶん、表情とか愛想とかでカバーしようって思ってる。

もう自分の顔のシミも自分の一部として受け入れたよ。

これでもだんだん薄くなってきてるしね。

完全に消えることはないだろうけど、これは私の闘病の証なので。

今の私にはコンシーラーはあまり必要じゃない。

2017-09-07

血はつながっていないけどばあちゃんは確かに俺らのばあちゃんだった

少し前の話だが、ばあちゃんが死んだ。

ばあちゃんと言っても血は繋がっていない。隣に住んでるばあちゃんだ。

うちは母子家庭で、当時40になったくらいの母さんと、小学生のおれと、弟の3人家族だった。

まぁ母さん一人の稼ぎじゃもちろん裕福ではなく、地味な暮らしをしてた。

小学生だった俺ら兄弟はまだ金の使い方も知らなくて、友達の持ってるゲーム機とか、はやりのソフト

カードゲームなんかをいいなぁと思いながら、ま~子どもと言ってもその辺の雰囲気は分かるから

いい子ちゃんしてわがままもそんな言わなかった(小学1年の弟はまぁまぁ駄々をこねてたけど)。

それより俺らがしんどかったのは、母さんが全然家にいないことだった。

小4と言ってもまだまだ子どもなので、寂しいは寂しい。

朝俺らを送り出して仕事にいく母さんは、9時10時まで帰ってこなかった。

そうなると俺は小1の弟を放っておけないから家に居がちになるし、夜はどうしても家で2人ぼっちになって、

母さんが作ってってくれたご飯やら買っておいてくれたパンやらを食べて、テレビを見たり2人で小突きあって時間を過ごした。

そんな俺らに救世主が現れた。隣の家のばあちゃんだ。いま思えば60代前半のばあちゃんは

「おばあさん」ていう歳ではなかったのかもしれないが、俺らはばあちゃんて呼んでた。

ばあちゃんとじいちゃんは、月4万5千円のボロ戸建てに住む俺らの家の隣の、それなりに広くてきれいな一軒家にずっと2人だけで住んでた。

日本家屋って感じの畳部屋ばっかの家で、中庭があってっていう少し広めの家だ。2人の子ももいたけど、あまり見かけたことはない。

ばあちゃんとの出会いは、笑っちゃうんだけど、柿どろぼうだった。

ばあちゃん家の庭には大きな木が何本かあって、中でも2階以上の高さの柿の木は、毎年沢山実をつける。

俺らは塀越しに手を伸ばして棒とか使ってとってたんだけど、ある時、「上の方のならもっと獲っても気づかれなくね?」

ってなって、こっそり隣の庭に入って木に登って獲ってたんだ(普通にDQNだな)。

ガラって音がして家の窓が開いて、あ、ヤバイってそっちを見たら、にこにこしたばあちゃんが顔を出して、「おとなりの●●くんと●●くんね」って言われた。

俺らは怒られるものとばっかり思ってたから拍子抜けして、「こ、こんにちわ~」って間の抜けた返事しかできなくて、

そしたらばあちゃんが「柿が好きなの?沢山持って帰りなさいね」って。

「え、いいんですか?」って聞いたら「私たちだけじゃ食べられないし、木にも登れないから、窓から手が届くところ以外は鳥のえさなの。

だったら沢山食べてもらった方が柿も喜ぶからね。お母さんに持ってってあげて」って言った。

緊張が解けてどっと安心して、ずうずうしく「あざ~す」みたいにそのまま沢山とって、ばあちゃんがくれたビニール袋に入れて持って帰った。

夜に母さんがたくさんの柿を見て驚いて、勝手に入っちゃったけど怒って無かったよって言ったら、ちゃんと謝ってこい!って怒られた。

翌日母さんに持たされたりんご持って謝りに行ったら、「そんなことよりうちにあがんなさいよ。蒸しパン沢山作ったのよ」

って言われて、またほいほい中に入って食わせてもらった。

それをきっかけにお隣によく上がりこむようになって、ご飯だのお菓子だの沢山食わせてもらった。

一度、「柿盗んでた時なんで怒んなかったの?」って聞いたら、「うちにはもう息子たちも寄り付かなくって孫にも中々会えないから、

何かあの木に登ってるところ見たら嬉しくなっちゃった」って言ってた。

今思うと、ばあちゃんも寂しかったのかもしれないし、何より隣だから母さんは母子家庭だってことを話してたと思うし、

ばあちゃんは俺らが2人だけで家で過ごしてることとか、うちがあんまり裕福じゃないこととかもわかった上でそう言ってくれたのかなぁって思う。

チビだった弟はことさらばあちゃんになついて、子犬みたいにばあちゃんの近くをうろうろしてた。

多分話を沢山聞いてもらえることとか、すごいねえらいねって褒めてもらえることとかが嬉しかったし、やさしいばあちゃんが好きだったんだと思う。

家庭環境からお察しだが、今まで周りにじっくり話を聞いてくれる大人なんかいなかったから。

そんなこんなでばあちゃんには沢山世話になって、俺が高校入って部活に精を出したり、

弟も大人びてきて友達と外で遊んでばっかりだったりして通う頻度は減ったけど、ばあちゃんは変わらず俺らを可愛がってくれてた。

ばあちゃん家に呼ばれた日のご飯は育ち盛りのおれらを意識して、どんどん肉が盛り込まれ、量もすごいことになってた。

夏は庭で花火をして、すいかトマトやらきゅうりやらを冷やしながら食べた。

(もちろん、じいちゃんも色々世話をやいてくれたし、ばあちゃんがそんだけ俺らに手をかけてくれたのもじいちゃんの広い心のたまものだと思うからめちゃくちゃ感謝はしてる)

そんな時だった。ばあちゃんが脳溢血で倒れて、後遺症からじいちゃん一人では世話が難しく、しばらく入院した後施設に入ることになった。

俺らは病院へお見舞いに行ったりしたけど施設となるとなかなか行きづらく、

施設も遠くて、大学に入って日常生活がにぎやかに忙しくなっていた俺は自然と疎遠になってしまっていた。

弟はたまにお見舞いに行ってたみたいだ。

そこから2年ほどで、ばあちゃんが死んだという知らせがきた。

母さんから電話でその知らせを受けて、俺は泣きだしてしまった。でも、泣き出してしまった自分に驚いた。

なぜなら遠くに住んでた方のじいちゃんが死んだ時は、葬式では少し涙ぐんだが、こんなに泣いたりはしなかったからだ。

堰を切ったように自然と涙がボロボロ出てきて、ああ、家族が死んだんだ、もう会えないんだっていう寂しさつらさがガーって襲ってきた。

急いで家に帰ったら、同じく飛んで帰ってきた弟がいて、顔を合わせた瞬間またボロボロ泣いて、

「にいちゃんばあちゃんが死んじゃった」って子どもみたいに泣いてて、ああ、こいつも同じなんだなって思った。

通夜にも告別式にも出た俺らはあちゃんばあちゃんってボロボロ泣いて、花入れて出棺する時はことさら泣いた。

しわくちゃになったばあちゃんが、穏かな顔で寝てるみたいで、手を触っても硬くてひんやりしてて、たまらない気持ちでいっぱいだった。

実際の孫たち(もちろん顔見知りではあった)はそこまで泣いておらず、

俺ら兄弟尋常じゃない様子に若干引いてた。

じいちゃんは、俺らのそんな様子を見て、「ありがとうな…」って涙ぐんでた。

ばあちゃんがいない喪失感は大きく、何か実感がわかないなぁってしばらく思ってた。

ばあちゃんは俺らの本当のばあちゃんだったよ。沢山可愛がってくれたばあちゃんは、本当のばあちゃん以上に俺と弟のばあちゃんだった。

血のつながりも大事だ。だけど人と人の絆には、血縁関係ないと思う。

一緒に過ごした時間や思い出が多ければ多いほど、繋がれるものなんだと思う。

から、俺らとばあちゃんを一緒に過ごさせてくれた全部と、ばあちゃん本人に感謝してる。

ばあちゃん、愛して育んでくれて、ありがとう

ばあちゃんの蒸しパンがまた食べたくてしょうがないよ。

すげえ長くなってしまった。どうしても吐き出さずにはいられなかった。読んでくれた人はありがとう

anond:20170907100148

「どこから転倒するか」じゃなくて「転倒してからどこを怪我するか」だろ。

で、「怪我した時に後遺症もしくは重症化になりやす場所」を防ぐのが良いんじゃないの。

http://www.kokusen.go.jp/pdf/n-20110922_1.pdf

国民生活センターによる統計データでは、転倒の過半数が頭部を怪我している。

申し訳ないが、膝を怪我しているのは少数派だ。

少数派だから守らなくてよいという意味ではなくて、リスクの高いところから順に守るべきだという話。

もちろんフル装備なのが理想的だろうけど、なかなかそうはいかないだろうからね。

自転車ヘルメットより膝プロテクターだろ

自転車界隈ではよく、

ヘルメット義務化を!」

ヘルメット常識。(欧米と違い)日本は遅れている。」

といった論調が目立つし、概ねオレも同感だが、こうした主張はやや視野が狭くないだろうか?と思う。


オレは学生の頃に1度(ママチャリで凍った路面で)、社会人になってからも1度転倒したが、どちらも頭なんか怪我しない。膝だ。

オレはこの学生の頃の怪我原因で、半月板を痛めた。今でも僅かだが後遺症がある。


高速走行して前傾姿勢で走るロードバイクなら転倒した際に頭から落ちるのは可能性として高いだろうが、ママチャリはもちろん、クロスバイクでさえ20km以下程度であればまず頭からは落ちる事はなく、損傷リスクが最も高いのは膝や肘だろうと思う。

しかしどういうわけか、巷ではヘルメットばかり注目され、膝プロテクターについてはほとんど言及する人もおらず、製品ラインナップも少ない。


まりにも製品が少ないんでオレも膝プロテクターは持っていないが、怪我をされた経験ある人いたらご意見下さい。

2017-09-04

自殺しちゃいけない理由

ずっと自殺して生き残ってしまって見た目にわか後遺症が残ることだけが怖くて自殺を思い止まっていたが、最近ストッパーが効かずありとあらゆる方法自分を壊している。

なぜ自殺しちゃいけないかというと本当のところみんな死にたいけど頑張って生きてる。そこから逃げるのは卑怯だし、残された人の後始末のめんどくささから逃げる責任感のなさが問題だ。ということがわかってもう何が何でも逃げ切ってやると思っている。

何度目かの自殺未遂の果てに死の向こう側をみてちょっと怖くなった。

内臓とか脳とかもう壊れ始めてる。

精神科は通ってるけどずっと様子見で帰されてる。

2017-08-21

https://anond.hatelabo.jp/20170820234646

育英の件は今確認した

運動やってない奴ならそういうこともあるとか言うかもしれないけど

運動やったことある人間ならすぐ分かるだろうけどあれはどう見てもわざとだ

走ってる時に絶対あん姿勢にならない

試しにその辺を全速力で走って一度でも左足と左腕が同じタイミングで後ろに下がることがあるか試してみたらいい

ベース踏むためでも絶対ならない


選手独断じゃないはずだしあれは監督グルだと思う

機転効かせてあれが初めてってはずはないし同じことを以前にやってるのを監督確認してるはず


ただのラフプレイ程度ならいいけどあれはアキレス腱切れる可能性あるしそうなったら一塁手高校生後遺症が残る可能性もある

スタメン外すどころか監督を今後球界から出禁にしないとやばい

あれを容認したら今後何人も真似する奴が出てくるしほんとやばい


あんたが言う殺意っていうのを桐蔭の選手は本当に感じてるかもね

2017-08-06

https://anond.hatelabo.jp/20170806090804

廃絶が提唱される兵器とされない兵器の違いは照準がつけられるかどうかという点だと思う。

兵士のみを狙って無力化できる兵器基本的に廃絶運動が起きない。例外として対物(対戦車)ライフルみたいなオーバーキル兵器禁止運動があるが基本はそう。

バンカーバスターなんかは敵基地を正確に狙って発射するものから反対運動が起きてないのでは。

廃絶が提案される兵器

2017-07-26

【追記あり】『普通大人』になるので精一杯だった。

親の片方が小学校入学直前に死んだ。急死だったらしい。死体を見付けたのは私だった。

残った方の親はろくでなしだったので子育てなんて出来るはずも無く、親戚の家を転々とした。

親戚はドラマに出てくるようなひどい人は居なかった。でも歓迎はされていないのは解っていたので、いつも肩身が狭かった。

それでもとうとう行く先が無くなって、小学校卒業してすぐ施設に入った。これが最低だった。

底辺の掃き溜めっていうか、まともな奴がほとんど居ない。学校毎日行ってるだけで優等生で、いじめ暴力も当たり前に横行してた。

薬やってる奴も居たし、体売って小遣い稼ぐのも万引きして欲しいもの手に入れるのも普通だった。

あそこに入ってる子とは遊んじゃダメって親に言われた…と疎遠になった子も居る。子供心にそりゃそうだって思った。今でもあの親は正しかったと思う。

私は施設色に染まらなかったので施設の中に友達は出来ず、外の子とばかり遊んでた。施設内ではいい子ぶりっこしてるって当然いじめられた。

施設色に染まれ施設内に友達もできたと思う。でもそしたら外の友達は離れていく。それが嫌で必死に『普通の子』というポジションにしがみついた。

食事は平気で無くなるし、寝るのだって邪魔される。私物だって壊されるから勉強道具は持ち帰れない。教科書持ち帰ったりなんかしたら十中八九無くなる。ノートだって文房具だってそうだ。

帰って勉強出来ないので、勉強する時間学校の中しか無い。授業で覚えきれればいいけど眠くて眠くて中々集中できなかった。

それでも空いた時間勉強に注ぎ込んで、なんとか平均の学力だけはキープした。平均が限界だった。高校偏差値56という極めて普通高校に行った。

高校生になると個室が与えられるのでひたすら引きこもるか高校に残るかして乗り切った。

高校卒業したら施設出所する。私の学力得意科目を考えると大学に進学しても就職率も年収も高くなるのは難しそうだったので進学せず就職する事にした。

就職した先はまぁとんでもなくブラックだったが、今まで居た環境環境だったのでブラックだったという事にも気付かず4年勤めた。

お金が貯まったので退職して、簡単資格を2つ取ってそれで転職した。

絶対名前を言っても誰も知らない社員数200人くらいの小さい会社お茶汲みOLをやっている。

我ながら普通大人になったと思う。収入も平均のど真ん中。やってる事は雑用結婚もした。休日はたまに友人と会う。

夢に描いていた、普通生活ってやつをようやく手に入れた。私にはこれが精一杯だった。

だけどたまに、努力不足だったんじゃないかと言われる事がある。

私は自分過去を人にはほぼ言わない。夫と親しい友人以外は私のバックボーンなんて知らない。

からもっと上を目指せば良かったと軽く言う。

お金が無いから大学に行かなかったと言えば、奨学金を借りればいい。国公立に行けばいい。結局は学力が足りなくて行けなかっただけ。貴方努力が足りなかっただけ。

お金が無いならなんで専門職を目指さなかったの?手に職を持とうとは思わなかったの?努力が足りなかったのを棚に上げてお金のせいにしてるんじゃない?

いくらお金が無くたって出来る人はやるからね。出来なかったんじゃなくてやらなかったんだよ。人のせいにしてるうちは成長できないよ。甘えてるんだよ。

一人の人が全部言うわけじゃない。ちょっとずつ言われる。人によっては問い詰めてくる。

だって貴方友達遊んだりしてたでしょ?その時間勉強に全部当てればよかったんだよ。今の結果は貴方の怠慢が招いた結果なんだよって平気で言う。

大抵そういう時は、死にたくなるか殺したくなるかどっちか。

だって無理。私には無理だった。今以上頑張るなんてあの状況じゃ無理だった。

私は今の状態で満足してる。この普通の、何の変哲もない、平凡極まりないポジションを得るためにどれだけ大変だったか

それを怠慢の結果ってあんまりだ。環境ブルジョワはいだって残酷だ。

あんたたち少なくとも家があったじゃないか。そこで寝てたんだろ?リラックスしてたんだろ?

私が友達と遊ぶのだって同じだよ。リラックスたかったんだよ。24時間神経張れって言われたって無理だよ。

本当はもっと眠りたかったよ。まともに食事が食べられなかったせいかチビだしすぐ体調崩すし施設出るまでずっと生理だって止まってた。未だに周期が安定しないよ。

いじめ物理的な傷跡だったいっぱい残ってる。指なんて2本くらいうまく曲がらないよ。むち打ち後遺症で今も定期的に頭と首が痛くなる。ストレスハゲていまだにそのまんまの所もある。

これ以上は無理なんだよ。

でも知らないかしょうがないんだよね。我慢するしかないんだよね。

いいよね。幸せな育ちな人は。人傷付けても許されるんだもんね。仕方ないって言ってもらえるんだもんね。それだけでも羨ましいよ。

私も来世ではそういう家に産まれたい。そういう特権階級を持つ家に。


コメントを読んで

沢山のコメントありがとうございます

書いた場所場所で長文だったのでスルーされるか、察してちゃんうぜーと言われておしまいだと思っていたので、こんなに沢山温かい言葉を貰えると思いませんでした。

いつもの殺伐としたインターネットはどこに行ったの…とおもわず涙してしまいました。

頑張ったと認めて貰えることがこんなにうれしいとは思わなかった。

こんなに褒めて貰えたのは産まれて初めてです。なんて言っていいか解りませんが、本当にありがとうございます

褒めて貰えて嬉しい反面、私が底辺のはきだめだと思ったあの子達の事を考えると複雑な気持ちにもなります

彼女達は彼女達で過ちは沢山犯していましたしそれは軽蔑していますが、あれが精一杯だったようにも感じるんです。

皆それぞれいろんな条件を抱えていて、それでも配られたカード勝負するしかない。それは確かにそうなのですが、

言葉に出来ないやるせなさが残ります


本当はもう少し言葉を考えてからお礼を書こうと思ったのですが、早急に施設の事で追記したい事があったので書きました。

施設については特定を避けるためにかなりぼかした表現ばかりになりますが、読んでいただけると幸いです。

https://anond.hatelabo.jp/20170727210419

2017-07-25

母を亡くした話

先月、母が亡くなった。

母を亡くしてからとても寂しくて時々私も死にたくなる。

早く死んでしまいたい。

私には父がいない。いないというより、いるにはいるが私が生まれる頃から別々に暮らしていて、あまり面識がない。あまり会ったことのない人を父親だと思えないので、父がいないということにしている。

から、私の家族は母と姉の2人だ。

私は昔から内弁慶で外では大人しく良い子のように振る舞うのに家ではワガママ自己中だ。母には何度もワガママを言った。母が私を生んだ歳は初老に近い歳と言ってもいいと思う。その為、私が小学生に上がる頃には母は子育てだけではなく、更年期とも戦っていた。更年期で気分の下がる中、私のワガママはうっとおしかっただろう。更に気分の下がった母はよく、「死ぬ」ということを口にしていた。その母の口癖がうつったのか、中学に上がる前には「死にたい」とよく言う子供になっていた。

小学校高学年のとき、私はいじめにあった。今思うと、いじめではないのかもしれない。ただ、「からかい」の延長線なのかもしれない。クラス男の子から見た目のことをよくからかわれ、それが嫌で嫌でたまらなく、自殺をした。「死ぬ」という言葉が身近だったからつらいことがあれば死ねばいいのだと思った。でも自殺は失敗した。遺書まで書いたのに、首を吊ろうとしたロープは途中で千切れ、ただ首に痣を残しただけだった。死ねなかったことがあまりにも惨めで寂しく感じ、母に、男子いじめられてること、自殺しようとしたことを伝えたら母は泣いた。「気付いてあげられなくてごめんね」と言いながら泣いた。なんだか余計に自分が惨めだと感じた。

中学の頃もいじめられた。これももしかしたらいじめられてはないのかもしれない。ただ、私は人付き合いが苦手で上手くクラスの子と話せず、完全にクラスで浮いてた。親友だった子は他の子といっぱい喋っていた。親友を取られたように感じた。

私は被害妄想が激しい方なのでもしかしたらそれは妄想かもしれない。でも、私を菌扱いしてる男子いたことは事実だし妄想じゃないことははっきりしている。

この時も死にたくなった。でももう失敗はしたくないし、あんな惨めな思いはしたくなくて、なんとか学校に行って生きてた。

学校から帰ってきて、家の庭で何度も泣いた。家の中で泣いたらいじめられてることが母や姉にバレるから。なぜか家族にバレたくなかった。理由はよく覚えてないけど、とにかくバレたくなかった。

でも精神不安定から家の中で横暴な態度を取り続け、母に当たっていた。何かを察した母は「またいじめられたの?」と聞いてきた。私が母に当たる度に母はそれを聞いてきた。私はそれに腹がたって更に母に強く当たった。

そんなことが続いて、ある日母と大げんかをした。私は何かを言った。言った内容は覚えてないけど、何か、母をとても傷付けることを言った。それを聞いて母は私に「あんたなんか産まなきゃ良かった」と言った。私は泣いた。産まなきゃ良かったと言われたことではなく、母にそんなことを言わせてしまったことに泣いた。私があの時母に言った言葉は覚えていないが、私が母に「産まなきゃ良かった」と言わせるような、誘導するような言葉を言った気がする。私は母をすごく傷つけただろう。

私が高校にあがり、しばらく経った時、母は癌になった。家族でいっぱい泣いた。みんなで頑張ろうと言いながら泣いた。

何度か入退院を繰り返し、発症から約1年後、母は頑張って癌を治した。

それで安心したのも束の間、私が高校卒業する頃には母の癌が再発した。脳腫瘍だった。

私は高校卒業した後、短大に通うために少し遠くで一人暮らしをした。母が再び闘病する姿は近くでは見ていない。姉や母がたまにかけてくる電話で母の様子を知っていた。

私が短大卒業し、地元に戻って来る頃、二度目の闘病を母は乗り越えた。

でも、後遺症は残っていた。

身体の左半分は思うように動かないし、少し認知症のような感じの言動も見られた。

母の闘病を間近で見ていない私は認知症のように幼児退行した言動を時々起こしたり、理不尽なことを言う母を自分の母と思えなかった。

別人のように感じた。

どうしても受け入れられず、また、キツく当たってしまった。

最低だ。恥ずかしい。そんな思いはあったが、気付くとキツく当たっていた。本当にバカだと思う。

私がバカから、母はとても辛かっただろう。

母の脳腫瘍はまた再発したのだ。

もうこれで三度目の闘病だ。担当医は「もうダメだ」というようなことを言った。

そのことは母には伝えなかった。だからなのかわからないが、母は、担当医が予想するよりも長く生きた。最後の方は意識ほとんどなかったがそれでも生きていた。

それでも私はバカから母との残された時間大事にしていなかった。

母が死んだのは朝方だった。病院は家から車で1時間ほどかかるところにある。寝起きの姉と私は母の最後に間に合わず、看取ることができなかった。私達が病室に着いた時、母はもう冷たかった。

「なんで私達のことを待ってくれなかったんだろう」そう思ったとき、母の「あんたなんか産まなきゃ良かった」という声が頭の中に響いた。

姉は献身的に母のことを見てたが、私は違う。バカから母を沢山傷付けたし、悲しませた。

しかしたら母は死に際に私の顔なんて見たくなかったのかもしれない。

通夜葬式で沢山泣いた。

一番泣いたのは火葬場で母を焼くときだ。声をあげて泣いた。

周りの、親戚や母の知り合いはそんな私のことを慰めた。

「お母さんはあんたたちのような娘がいて幸せだっただろう」

ありがたい言葉だ。でも、そんなの他人の予想でしかない。母の本心はわからない。私にあんなに傷付けられ、本当に幸せだったのだろうか。自分が授けた命を無駄にしようとし、酷い言葉を投げるような娘など本当は大嫌いなのかもしれない。

だって、「あんたなんか産まなきゃ良かった」と言わせてしまった。

母の本心が知りたい。

私はバカからまた、母を傷付けるようなことを口にしてしまう。死にたい

また命を無駄にしたいと思っている。

でも痛いのや苦しいのは嫌だから楽をして死にたい

今夜眠りに着いたら明日の朝、目が覚めなければいいのにと思う。

死んで、母に会いたい。母に会って母に謝りたい。沢山傷付けた分、沢山沢山謝りたい。

そして母の本心を知りたい。私のことを許さなくてもいい。私のことが嫌いなら罵倒されたって構わない。「あんたなんか産まなきゃ良かった」ともう一度言ってくれたっていい。なんで私達を待たずに死んでしまったのか聞きたい。

母の本心を聞いたら私のこの不安定気持ちは落ち着く気がする。早く死にたいという漠然とした不安も無くなる気がする。

さっさと死んで、母に会いたい。

明日の朝、目が覚めなきゃいいのに。

2017-07-18

この世は生きるに辛すぎる

健康人間なら今の世はまあそれなりに生きていけるんだろうが、俺には無理だった。親の虐待後遺症でまともに稼げない。今の医学じゃこの後遺症に病名はつかないから補助もない。生活保護だけじゃ病気治療費を払えない。死のうかな。

2017-07-15

人の心はどこにあるのか

友人は障害者福祉関係施設で働いている。自分精神を患っており手帳も持っている。二人で会うと四方山話の果てにこの話題になる。

「人の心は、魂は、精神とは何なんだろうか、どこにあるんだろうか」

例えば、急性期発作から治療を受け、治ったと思いこんで怠薬、を繰り返し荒廃した統合失調症患者

重度の痴呆症知的停滞も似たようなものだ。

飲み、食い、その辺でクソを垂れる。意思の疎通はほぼ不可能。はっきり言ってしまえば知的レベルはその辺の犬猫以下だ。

彼らに精神はあるのだろうか。

「ある」とするのはかなり苦しい。人間的な精神活動を観察することはかなりの困難を極める。

しかし、「無い」とするとまた別の疑問が生まれる。

彼らは「いつ」精神を失ったのか。

例えば、器質性の痴呆症と言うものがある。友人はくも膜下出血後遺症痴呆症になった人を見たと言う。

かつてはホワイトカラーであり、英語も堪能、楽器を弾く趣味もあった。

しかし、今は会話も不能、垂れ流しである

だが彼は時々知性を取り戻して昔の話をしてくれることもあると言う。

精神を失ったり取り戻したり、そんなことがあるのだろうか。

例えば、自分双極性障害を患っている。

気分が落ち込んだ時には精神安定剤頓服で飲むし、躁になりそうだと思えば抗うつ剤を減らす。

もちろんこれは主治医許可を得ている。

悲観的・厭世的な気分になっていたのが薬を飲むと消失してしまう。

化学的に操作できる、今、この感情は本当に自分の心なんだろうか?

2017-07-10

母へのわだかまり

保育園までの往復は母の自転車だった。母の後の幼児用シートで、手や足に風を浴びながら横を飛んでいく景色を見ているのは好きだった。ある日の朝までは。

その朝、いつもと同じように保育園に送られる途中、私の右手背中に突然、激痛が走った。それと同時に「うう」とも「ああ」とも違う、変な男の人の声が聞こえた。しばらく何が起きたかからなかったが、振り返ると知らないおじいさんがうずくまっているのが見え、子供ながらに自分の手がすれ違うときに、そのおじいさんのどこかにぶつかったのだと理解した。おじいさんを助けなきゃと母に知らせようとしたが、自転車は再び猛スピード保育園へ走り出していた。保育園に着いた後、母は何事も無かったように私を預けていった。

自分ものすごく悪いことをしてしまい、母はそれを隠そうとしてくれているのだと思った。おじいさんが死んだかもしれないと本気で恐ろしくなり、先生にも友達にも何も言えなかった。ずっと手と背中は痺れたままで、どうしたのかと聞かれたように思うが、理由は口が裂けても言えなかった。その日の帰り、母はいつもと変わらない様子で私を迎えに来たが、帰り道はその事件があったあたりで、道の反対側を母は走った。車道の両側に、それぞれガードレールで仕切られた歩道があり、その片側の歩道を行きも帰りも走っていたのだが、その日から母は反対側の歩道を走るようになった。私はますます、母が私の罪を無かったことにしようとしていると確信した。母がそんなに必死に隠さなければいけないほど、私は悪いことをしてしまったのだと思った。その場所を通るときはいつも、おじいさんがその場で死んでいるような気がして、恐怖に怯えながらも目で確認してはほっとするのが習慣になった。

その後ずっと、自分からも母からもその話はしていない。成長するにつれ、母は私を守ったのではなく、母自身を守ったのではないかという疑念が徐々に蓄積していった。私が母親立場なら、子供が怪我をしなかったか心配になるのではないかと疑うようになった。私が痛みでしばらく呆然としていた後に、振り返っておじいさんはそう遠くなかったので、たぶん母はいったん止まったか、少なくとも減速しておじいさんの様子は見ていたはずだった。思春期のころの私には、母の言葉は何もかもきれいごとで、自分の保身のために言っているように聞こえた。反抗期という感じではなかった。歯向かうことは少なかった。母をただただ信じられない人とみなし、言うことを聞いたふりをしながら内心ではその言葉をすべて冷たく疑っていた。不良にもならず普通大人になれたのは、逆に自分が正直に生きることによって、母を軽蔑したいという感情のおかげだったかもしれない。皮肉ものだ。

今でも右の肘には違和感がある。実際に後遺症があるのか、精神的にそう感じるだけなのか分からない。いつか母とあの事件の話をすることがあるだろうか。少なくとも屈託なく笑って話せる気はしない。

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