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はてなキーワード: 自習とは

2019-03-10

anond:20190310004239

なんとかゲートも、自習のうちとも言える

2019-02-26

海外大学スゲー

こんばんは、ヨーロッパホームステイしながら、とある国立大学短期留学してる私大理系大学生です。

只今、短期留学の仮学生証で大学図書館宿題をやろうと思って来たんだけど、率直に言って、海外大学ってすごいって思った。

といっても、今まで見てきた自習室なんて予備校の数校舎と今通ってる私立ぐらいで、大したことはないと言えばそうなんだけど、だからこそここに書いて、他の人から見てもすごいのか知りたい。

まず、席の数、5mぐらいの広々とした通路にも机と席が点在するから正確には数えられないんだけど、一階あたり150席ぐらい、一応、一つの机には3席がならんでそれが向かい合う形で計6席なんだけど、1席あたり結構広い。具体的には都心予備校の○台が採用してる机の1.5倍ぐらいある。

それが3階建て、計450席ぐらい?その殆どが電源と有線LANを装備してて、机に向かい合う学生資料パソコンで黙々と作業に向かってる。

うちの私大ではそんなに自習室に席はない。精々200席ぐらいじゃないかな。

国立はどうなんだろ?

予備校でもそれぐらいの自習室の席を完備してるところもあるけど、あそ、生徒をすし詰めにするんだもん。狭いし近いし、受験ストレスペン回し貧乏揺すりにイライラする、それに比べると遥かに快適。

流石に450席全てが埋まってるわけではないけど、2/3以上は埋まってる感じかな。

それに加えてPCルームにはうちの私大なんか目じゃないぐらいズラーPCが並んでる。全部同じだと仮定すると、Win10、メモリ8GB、CPUはi3、HDDの有線デスクトップ動作は快適そのもの

たぶん図書館内に計150台ぐらいはあると思う。

そこにも様々な人種のたくさんの生徒が作業に取り組んでて、正直うちの大学の生徒らの取り組む姿勢は雲泥の差。普段自習室ガラガラテスト直前、最中にようやく7割方埋まるぐらい。

いい環境に居ればモチベーションが上がるのは当然の帰結だよね、なんとなく日本人生産性が低い云々は環境にも一因があるんじゃないかと思った。

外国語がすごく苦手で、滞在期間は残り一ヶ月を切ってる今はかなりヘトヘトだけど、この自習スペースの為にここに残りたいとか思えるくらい。

なんとなく、明治維新海外へ出ていって日本ヨーロッパとの違いにショックを受けた日本人みたいな気分になってる。イメージだけど。

2019-02-04

野田市というところ

千葉県の1番端っこ、埼玉茨城に挟まれたにある。

キッコーマン醤油で有名。

県内の他の自治体との違いといえば、あるときワンマン市長が「うちは学力向上で、土曜授業やる!」って言い出した。

今は、月2回くらい、小学校中学校で土曜授業やっている。

といっても、習い事スポーツ少年団とかで休む子供もいるので授業は先に進まない。プリント自習して丸つけしてもらったりして、お昼で帰る。(小学校場合)

教員だって、土曜に自分の家のことやら何やらをしなくてはいけない日もあるから教員シフトを組んで、毎回臨時時間割みたいなのを組む。その作業に疲れて、野田市教育委員会爆破予告を送って逮捕されてしまった教員もいた。

んで、今回の事件

主な原因ではないけど、ワンマントップの顔色を見ながら仕事することに慣れて、なおかつ、日々疲弊していく現状も、何かの遠因になっているんじゃないかなぁ。

教員の異動希望で、野田市から脱出したい人はいても好き好んで来たい人はいないと聞く。

埋めるのは新採用になった経験の浅い若手。

2019-01-17

理想図書館現実

理想

一定清潔感がある、掃除が行き届いている

・蔵書が多い、新しいものから古いものまで取り揃えられてる

・静か

・ほどよく空いてる

・本を読む人のスペースと、勉強する人のスペースが分かれている

現実

・汚い、古い、埃っぽい

・蔵書は少なくラインナップも微妙

本棚の前で寝転がって本を読むジジイ、ガキンチョが居る。家でやれ。

自習する学生カバン自分で2席占拠)、昼寝するジジイパソコン広げたノマドワーカーエンタキーを強打)で席が埋まってる。

独り言のヤベー奴が居る

小学校大学の「図書室」のイメージ地域図書館に足を運んだら理想とのギャップに驚きました。

無料で誰でもウェルカム空間ってそういう事だよね。はあ。

2019-01-09

anond:20190109132650

自習時間に真面目だと発達障害だって言ってるやついるからね。

押し付けてるやつもいるんだろうね。

2019-01-05

プログラマになりたかったら、まず自分で300時間勉強しろ

初心者インターンに行けとか甘えたこと言ってるやつがいましたが、勘違いも甚だしい。迷惑です。

なんでこいつらは自分学習しようと思わないんでしょうか。不思議だわ。

アメリカbootcampでは、自習分も含めて週50時間*13週間とかで、密度の濃いスタートを切ったりします。

社会人になれば、仕事形態にもよりますが、年間1,000~1,500時間学習したり、設計したり、コード書いたりなどします。

3年でまぁなんとかやってけるレベルになると仮定すると、そこまでには、3,000~4,500時間はかかるわけです。

インターンに行きたかったら、まずはそいつらの1/10勉強してからしろ

10時間で30週だ。この程度、学生なら楽勝だろ?

この程度の努力もできないなら、プログラマなんかならないほうがいいよ。マジで

2019-01-03

anond:20190102063518

北大の人がいたので懐かしくなって自分も書いてみたが、どうやら消してしまったらしい。勿体ない。

だがまぁ見かけたので僕も自分語りなどしてみようと思う。もう20年は前の話なので話半分程度に聞いて欲しい。あ、とくに受験に役立つ話とかは無いです。自分語りのみです。

中学時代

 関東のどこにでもある公立中学に通っていた。

 成績は良い方だったが先生にウケがいい方だったかというと別にそういうわけでもない。虐められていたわけでもないが、自分にはよく分からない理由からかわれることがあった。

 当時は少し不思議がる程度だったのだが、今にして思えばクラスの中でも割と、いやかなり浮いていたのだとは思う。

 成績はトップクラス運動もできた(サッカー部で足が速かった)から大事に至らなかっただけで、先生にも同級生にも興味が無く、他人不快にさせても気付かず、いつもぼんやりとしていて一人遊びが好きな子供だったらしい。昔、母親に「あんたは自分が虐められていても気付かなそう」と言われたことを今でも覚えているが、つまりはそういう子供だったようだ。今でも他人の心が分からないのは変わっておらず、割と苦労することが多い。

 暢気な性格であり、行く高校も学区内で近くて偏差値が高いところ(親が文句を言わないところ)であればいい、と思っていた。滑り止めも受ける気がなかったので調べもしなかった。今なら分かるが、そういうとこやぞ。

 その上適当でも受かるのが分かっていたので真面目に受験勉強もしていなかったところ、みかねた両親からとにかくお前はもっと偏差値の高いところを一校受けろ、と言われ学芸大附属高校を受けることになった。

 自主学習では限界があるということで近くの塾にも行ったが、バイト大学生先生過去問を見せても的確な解説が帰ってくるでもなく困った様子だった。そこで使っていた教材とのレベル差も大概だったしまぁ仕方ない。というかそこはあくま学校の授業について行けない生徒の補習的な個人塾だったようで、よく考えれば筋違いである。高難易度受験校に受かろうとするならそれ相応のところに行く必要があったはずだ。まぁ当時は僕も両親もそんなことはよく知らなかったし、塾ならどこでもいいだろう、という程度の発想しか無かった。

高校時代

 学芸大附属高校には当然かすりもせず、第一希望公立高校入学する。

 世の中には自分と似たレベルあるいはそれ以上で勉強が出来る奴がいるんだなぁ、というのをようやく理解するが、この頃でも生来ぼんやりした性質は変わらずにのほほんと学校生活を過ごしていたらしい。変人の多い学校だったのであまり浮いていなかったようだがたぶん中学の時と余り変わっていなかったはずだ。

 今でも覚えているのだが、廊下ですれ違った先生挨拶をしながら「この人どこかで見た顔だな……」と思っていたが、よく考えたら一年世界史の授業をしてくれた先生だった、という事があった。他人の顔や名前を覚えるのが苦手だと思っていたが、そもそも他人に興味が無いのだ、という事に気付かせてくれる出来事であった。今でも仕事で会う人の顔と名前が一致せずに苦労しているし、これはどうにもならないのだろう。

 大学受験という物に本腰を入れ始めたのは三年からだった。

 といっても例によって「まぁどこでもいいかな……」という感じだったのだが、両親から「国公立」「一人暮らし」「浪人は一回まで」という条件を出され、紆余曲折合って北大を志望することになった。

学校に進路相談をするでもなく、成績とのギャップに悩むでもなく、軽く決めたので相変わらずアレな性格だったらしい。

 友人に東大を受ける奴がいて、そいつ天才だったので自分の分というのはよく分かっていた。数IIIの定期テスト理系コースの学年平均点が30点くらいだった(僕もそんなものだった)のに、そいつだけ満点近くを取っていたし、暇つぶし数学の高難易度問題集をやるような奴だった。世界が違うなぁ、というのが正直なところだったから妬むこともなかった。

 受ける模試はいいとこD判定(一度だけCが出た)、予備校には行ったが授業が身になった気はせず、もっぱら図書室や自習室でひたすら自習する日々であった。

 どこに自信があったのかは知らないが、センター何となく取れると思っていた。実際目標ラインの点数を取れた。

 過去問を解いていても2次試験がイケる自信は全くなかったが、恐ろしいくらい焦ることがなかった。他人事のように淡々勉強をし、まぁなんとかなるでしょ、と楽天的な構えを取っていた。……もっとも、この性質のツケは後で受け取ることになるのだが……

 試験から帰ってきてから溜まっていたエロゲー(年齢がアレだがもう時効だと思うので勘弁していただきたい)をプレイして春休みを過ごし、ネット合格通知を見ることになった。合格祝いに買って貰ったノートPC月姫プレイしたことを良く覚えている。

 勉強自体特別なことは何もしなかった。テキストを読んでもよく分からなかったのでひたすら過去問を解いたことくらいだろうがそれだって目新しいことではないはずだ。

 まぁ、北大程度の人間から画期的な物を期待されても困る。そういうのは東大京大に行った人達に任せておきたい。

【その後】

 入ってからものほほんと過ごしていたところ、4年の時に8割受かるはずの院試に余裕で落ちて途方に暮れるという事になった。人生適当に過ごしていたことのツケをここで受けることになった……が、結果的には塞翁が馬という奴で何が幸で何が不幸かは分からない。

 冬の再試験を受けるかそれとも今から就職活動するか、と教授に言われたが、どうやら自分にはアカデミックな才能は無さそうだ、というのに薄々気付いていたので就職活動をすることにした。人間にも物事にも興味が薄く執着の無い人間にとって研究の道はあきらかに向いていないのでこれは正解だったと思う。

 といっても時期は既に秋、適当一社だけ受けてダメなら就職浪人でもするか、と思っていたところを拾って貰い、そのまま就職して今に至る。

 適当に選んだ会社だったが気付けば海外を飛び回ることになり営業のような技術のようなよく分からない仕事をしている。しんどいしんどいしさっさと仕事辞めたいとは毎日思っているが、給料がそこそこいいので未だに辞められていない。

 ソーシャルゲーム課金し、声優を追いかけ、両親に「あん結婚は」と追い立てられる普通ヲタク人生を送っている。誰か結婚して下さい(

京大までの受験の思い出(失敗編)

https://anond.hatelabo.jp/20190102063518

https://anond.hatelabo.jp/20190102174908

ダメだった身で恐縮だけど、見てたら俺も自分語りしたくなったので。

中学受験

小学校首都圏某県の公立に通っていた。長男にはありがちだと思うが、低学年のころより通信教材をさせられたり、あちこちの塾にお試しで通わされたりしていた。

中学受験も完全に親の意思によるものである勉強別に好きではなく、塾では机に落書きをしたりしてあまり授業を聞いてなかった。だから当然成績は振るわず、ある日テストで50点をとって(自分ではそれでも上出来と思っていたのだが)ブチ切れた母の命により、それ以来は学校が終わると直帰し祖母らの監視下で勉強強要させられる日々が続いた。志望校も全て親が決め、いざ受験期になっても明日どこの学校を受けに行くのかさえ把握していなかった。

とはいえ元来陰キャ友達も少ないことから自分だけ別の中学に行くことに未練はなく、また特段この学校を受けたかった!というのもなかったため親は恨んでいない。まあクラスメートからいいねと言われるのは気分が良かったし、(勉強は嫌だけど)親に怒られるのも嫌だからしょうがないか、ぐらいのもんだったと思う。むしろ中学受験は大なり小なり「させられるもの」だと長らく思っていたので、東大編の元増田や知り合いの子供が純粋自分意志中学受験をしたというのを聞いてびっくりしているくらいだ。結局(親の)第一志望の御三家は全く歯が立たず、第三志望?くらいの中堅校(中高一貫)に入学

中学高校時代

中学に入る前後から弟が病気で入退院を繰り返すようになり、親や祖父母はそれにかかりきりになった。お陰でこっちはこれまでと打って変わって完全放任。ゆるい文化部に入って暇を持て余した俺は、当時流行っていたMMORPGメイプルストーリーとかそういうやつ)にドはまりした。当然勉強は全くせず、テストは常に一夜漬け。成績は最下位スレスレ状態が高1の終わりまで続いた。相変わらずクラス友達はなく、図書室にこもっていたお陰か現代文だけは良かったが、文筆家になる気はなかったし歴史とかの暗記系が大嫌いだったので理系選択

高2になって、見かねた親が東大生の家庭教師をつける。俺が京大へ興味をもったのは、その先生の「京大単位が空から降ってくる(けど東大単位が逃げてゆく)」という言葉だった。折しも本屋大賞だかがきっかけで森見登美彦を読み始めた俺は、自由楽園としての京大への憧れを一気に膨らませた。当時の京大ホームページアクセスすると大学京都の町並みの影絵だけがボーンとあり、それを横にスクロールしていゆくと最後入口が出てくるといった具合で、他の「普通の」大学とは違うその作りに大いにワクワクした感覚を今でも覚えている(どこかに画像が残ってないだろうか)。

同時に両親とも激務で働く姿を見ていた俺は、会社員自由のない苦痛に満ちた職業というイメージ漠然と持ち始めた。そして自由自分のやりたいことのできる職業大学教授という安直な発想から研究者(当時は「研究」が何かも知らなかった)の道を志す。そのために必要要件も何人かの研究者の略歴を見て「早慶以上で博士課程まで行けばなんとかなる」という勝手イメージを抱き、結論として「京大に入る(滑り止め早慶)」ということだけを目標に高3に突入した。

大学受験(現役)】

再び受験生となった俺は、MMOを休止し何となく予備校に通い始める。当時クラスメートたちは進度の遅い高校カリキュラムを見限り、授業中も内職して予備校の教材をやっていた。だから自分もそんなもんかと思って高校課題は真面目にやってなかったのだが、5月定期試験で相変わらず下から一桁番目の成績だった俺は担任からこっぴどく叱られる。

「お前に学校予備校勉強を並行してやるのは無理だ。予備校を辞めるか、さもなくば学校を辞めて大検を取れ」

恐れおののいた俺はとりあえず担任の教科(数学)だけ予備校を外し、そこから漸く(自分なりに)真面目に勉強をするようになった。

学科は(高校の教科で言う)物理が好き&理屈ばっかりではつまらないという理由工学部物理工学科を選択首都圏学校だったので京大志望はクラス自分一人で、ちょっと一目置かれていた(単にハブられてただけかも)。しかし当然ながら、京大試験問題は難しい。特に積み重ねと言われる数学絶望的だった。でも当時はそこまで深刻には考えてなかったように思う。物理は高3になるまで運動方程式も知らなかったけど、一歩一歩ものにできている感覚があった。化学予備校の教材が奇跡的に分かりやすかった(何せ浪人時代予備校を変えたけど、化学はこっそり現役の時の教材で勉強していたくらいだ)。当時京大では理系でも国語二次試験があって、読書趣味から現文が感覚で解けてた俺には有利だった。元増田の通り、センター数学足切りしか使われないから出来なくてもノーダメージ。あとは英語センター地理を合わせて総合力で何とか、という作戦だった。

高校である教師が言っていた。

現役生はあらゆる点で浪人生より不利だが、唯一有利な点は『落ちたことがない』ということだ。

高3の俺は正にその状態だったと思う。模試でD判定をとっても、周囲が「E判定は良い判定」とか言い合ってるのを聞いて安心していた。試験前日も風邪リスクなど考えず、噂の折田先生像がいつすげ替わるのか番を張っていた(夜になって諦めたけど)。今から見れば完全にただの馬鹿だった。

そんな根拠のない自信は、試験帰りの新幹線慶応に落ちたことを知り、補欠だった早稲田にも繰り上がりはなく、そして3月10日を迎えて完全に打ち砕かれた。後日はがきで送られてきた俺の点数は、合格最低点に(全教科計1000点満点で)80点以上足りなかった。

大学受験浪人)】

私大早慶以外にも何校か受けており、そのうち1校には辛うじて受かっていた。浪人生活はとにかく苦しいと聞く。しかし極限まで肥大化した京大-自由楽園-への憧れと、早慶未満→研究は無理→会社員自由のない人生というイメージから俺は進路に迷った。結局家族で唯一理系だった祖父の「受かった大学師事したい先生がいるならよいが、そうでないならもう一年頑張ってみては」という言葉におされ、俺は浪人生となった。

もう現役のころのような希望はなかった。予備校京大クラスはそこにしかないため、満員電車を乗り継ぎ片道1時間半かけて都心の校舎に通った。中学受験ときは決まった休憩時間には遊べたが、浪人の間はあらゆる時間勉強に費やさなければならないのが本当に辛かった。趣味読書も一切禁じた。もし落ちたら奴隷のような一生しか歩めず、それだったらもう死ぬしかない。そう思いつめているせいか夜はなかなか寝付けず、自習時間や週末に眠り込んでしまうことも度々あった。クラスメートと一切話さず(結局誰一人名前も知らなかった)、昼休みは机に突っ伏していた俺は相当浮いていたと思う。

それでも振り返れば、この一年で俺の馬鹿は(お勉強の面では)だいぶ治ったと思う。物理は難度の高い問題をこなし、得点源といえる域になってきた。化学は詳しい理論(π電子とか)は理解できず丸暗記だが、現役時代と合わせて知識量はそこそこあるはず。国語感覚を廃した分析的な読みを一から勉強し、地理と合わせてセンターで大幅な特典増が見込めた。数学はやはりしんどいが、どうにか100/250点とれれば総合合格点に届く計算だった。

試験前日、俺はやっぱり眠れなかった。ホテルの有線音楽で聞いた『一年生になったら』がずっと頭の中を流れていた。興奮は当日になっても続き、寝不足による不調は感じなかったが、2日目の最後理科試験問題を開いて絶望した。物理が例年よりも簡単すぎる!差別化を図れる唯一の手段を封じられ、動揺した俺は同時に出された化学で手こずりまくった。絶望感とともに帰宅した俺は、迎えてくれた家族の態度から早慶に落ちたことを察し、今度こそ人生が終わったと泣いた。そこから3月10日までは後期(京大にはないので他所)の勉強をする気力も起きず、抜け殻同然の日々を過ごした。

ここでいつか使おうと思って、結局使えなかった話のネタを供養したい。俺は出願期間が始まって速攻で願書を出したから、京大受験番号は(学科を表す千の位+)8番だった。たしかその年の工学部の倍率は2.5倍くらいだった気がする。迎えた3月10日ホームページで見た合格者の番号は

1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 9, 11, ...

あの時同じ部屋にいたはずの10番は、今何をしているだろうか?

【その後】

結局俺は最低点には17点届いていなかった。そして死ぬだけの覚悟があるはずもなく、併願した某私大に進学した。この大学に現役で進学し、新歓の時期ばったり会った高校クラスメートの「一浪して○○大!?」という言葉が今も胸に突き刺さっている。

……とまあ、受験生を奮い立たせる目的ならこういう風にBad endで終わった方が良いのかも知れないが、どっこいこれもN年後の今では良い思い出である。あれから俺は京大とは別の国立大の院に進学し、今は民間企業への就職を控えつつ博士課程を終えようとしている。結局私大生活も十分すぎるほど自由だったし、現状研究者も中々自由が効かなそうだし、企業でも上手くマッチングすればかなりやりたいことが出来そうだった。後に残った傷といえば、森見登美彦が読めなくなったことぐらいである。

もちろんこんなのは結果論しかいから、これを読んでる受験生は悔いのないよう今の信念を貫いてほしい。しかしもし将来(受験に限らず)苦い思いをすることがあったら、それがどのようにして「良い思い出」に変わり得るかのヒントとして次の言葉を思い出してほしい。

人生には割と結果オーライな所があって、今の状態が悪いと過去の一つひとつがその原因のように思えてくるが、逆に今が良ければそれらにも意味があったんだと思えるようになるもんです。

これは今の大学である先生が仰っていた言葉だ。過去未来を決めるのでなく、未来過去意味づけるというとまるで(京大編の元増田の)「汗をかけ」へのアンチテーゼみたいだが、そうではない。大事なのはもし受験不本意な結果に終わっても、その後人生で「成功」するチャンスはまだまだ残されているよということだ。私大の院で着実に研究者への道を歩んでいる同期がいる。生涯の伴侶を見つけた後輩がいる。サークル趣味が高じてプロになった先輩がいる。俺だって京大に落ちなければ、今の研究(超絶面白い)には出会えなかっただろう。どんな道でもとにかく今が楽しいという状態にさえ持っていければ、きっと明日だって「落ちたことにも意味があった」と僻みなく言えるようになれるだろう。

全ての受験生と、かつて受験生だった皆が、新時代を迎えるこの年に「成功」出来ることを祈っている。

2019-01-02

東大までの受験の思い出

私は、中学受験御三家に入り大学受験を経て東大入学した。

中学受験

動機は3つ。小学校で好きだった子や友人と張り合うため。先生に勧められたため。行きたい学校を見つけたため。

小学校東京郊外私立に通った。いわゆる東京私立というイメージとは遠く、付属中学もなく田園の教育という方針実践しているのんびりとした学校だった。学年に男女合わせて30人ちょっとしかおらず、当然クラスひとつしかなかった。

私は四年生の時に親の母校であるその私立へと転校した。学校では何もしなくても成績が良かった。テストはいつも早く終わり、ほぼ満点しか取らなかった。いつもトップを争う子がおり、私はいしかの子好意を寄せるようになった。その子とは度々一緒に学級委員に選出されて囃されたが、実際悪い気はしなかった。

五年生になって周囲が塾という習い事のため足早に帰ることに気づいた私は、特に深く考えもせず受験がしたいと親に申告した。担任先生相談すると、可能性を広げる良いチャンスなので多いに推奨すると言われた。この時の先生一言だけで私は世界が広がった気がした。

学校をいろいろ見学した結果、最後に訪れた御三家一角を目指すことになった。門を叩くまで母は恐れ多いと躊躇していたが、行ってみると風通しが良く自由校風で私は一発で気に入った。ここしかないと強く思った。

好きになった子とは家族ぐるみの付き合いがあり、テーマパークへ行ったり共学を一緒に見学したりした。同じ学校で無敵の青春時代を過ごす妄想が捗ったが、世間的に知名度の高かった共学も思ったほど私には語りかけてこなかった。試験日程も遅かったので、お互いそれぞれの御三家第一志望となった。

塾は近所の個人塾に通った。寺子屋みたいな雰囲気で、先生塾長奥さんの2人、生徒は4人、そして授業中は正座だった。私だけ必要な科目数が多かったので、マンツーマンで教わる時間も多かった。回答を間違えると「バカチン」と先生はよく言った。指導は厳しかったが、頻繁に飴を配ったり可愛がってくれた。

塾は行ったら行ったで面白いし好きではあったのだが、束縛に耐えられなかったのか、私はよく直前にお腹を壊したり、自転車で行くふりをしてバックレたりした。もちろんすぐバレた。何度もやめてもいいよと親に諭されたが、そう言われると余計に引けなかった。何より勉強は楽しかった。自宅で勉強と称して漫画を読むのも楽しかった。

大手の塾には模試と講習だけ行ったが、普段学校や塾とはまるで異質な空気に圧倒された。何点取ったらゲームもらえるとか、模試で何位だったかお小遣い増えたとか、そんな会話が横行しできない奴は容赦なくバカにされた。私は萎縮してしまい、模試や講習では御三家を狙うにはギリギリ偏差値をいつも取っていた。

そんなこんなで中学受験第一志望の受験日は2月1日受験番号は402。母が「フォーチュンだね」と言ったので覚えている。大手塾特進クラスの連中はまるで家にいるみたいに寛いでいた。田んぼ学校に通いちっぽけな寺子屋からひとり送り出された私は、担任塾長言葉を思い出しつつ、昼休みに母の作った弁当を噛みしめた。

手ごたえはあった。得意科目算数だったが、特に国語ができた気がした。第二志望以降も受けたはずだが、第一志望で力を使い果たしておりほとんど記憶がない。2月3日に結果が出るとその後はもう受けなかった。サクラサク

大学受験

東大受験することにした。理由は、別の進路を断念したため、学費が安かったため、そして周囲のほとんどが目指していたため。

はじめは芸大の先端芸術表現科というところに行きたかった。アートを学び実践たかったのだ。しかし、東大からでも道はあるという説得と、受験対策のための出費がかさむという理由で断念した。今思えば金をかけずに挑む方法模索して食い下がればよかったが、当時は思い至らず折れてしまった。

私が中学の頃に父は長年勤めた会社早期退職したが、その後仕事が奮わず家計は火の車となった。学費生活費の捻出に家族があくせくする状況の中、私だけ美大受験意志を押し通すことはどうしてもできなかった。大学受験は塾に通わず授業と自習で挑むことになった。

幸い有数の進学校には通っていたので、目標東大に変えることは自分の置かれた環境を最大限活かすことにもなった。上位25%が東大に進学する学校で私は時折圏内に食い込む程度の成績だったので、そう遠くない目標に思えた。

ところが、目指し始めた頃には届きそうに思えた赤門も、時間が経つにつれ遠のいていった。ハイレベルな塾に通う周りからは目に見えて離され始め、模試の判定も振るわなかった。いくら寝ていても自習をすると眠くなり、分からないところがあっても差を感じると素直に質問できなくなった。焦るほどに時間けが過ぎていった。

願書を出す段になると、父と腰を落ち着けて話した。弱気になった私とは裏腹に、父は自信に満ちていた。「滑り止めに金は出さない。行きたいところだけ受ければいい」と父は言った。それもそうかと妙に納得し、私は東大のみを受験することにした。東大一本なら正直落ちてもカッコつくと思った自分がいたのは事実である

余談だが、父は学生紛争東大受験がなくなった年に受験生だった。成績優秀で東大を目指していた父はその年第一志望に挑戦することすら叶わず第二志望へと進学した。私はその話を本人からではなく母から聞いた。複雑に絡み合った様々な思いを背負って私は試験に臨んだ。

結果はボロボロだった。足切りこそされなかったものの、センター試験合格者平均を大きく下回っていた。二次試験数学に至っては頭も回答用紙も真っ白だった。案の定、私は東大に落ちた。

大学受験2】

浪人した。親の期待と、自分の意地だけだった。

東大に落ちて私は忸怩たる思いでいっぱいだった。自分が周りに一目置かれたいがためにいたずらに東大を目指した気がした。東大しか受けずに落ちたと言うと、周囲はその勇気を讃え不運を嘆いた。だが私が一番良く知っていた。それは勇気ではなくただの処世術で、不運ではなく純然たる力不足だった。

私が卑屈にも自分と比べていた仲間たちは一足先に合格をその手で掴み大学生となってしまった。毎日通っていた高校卒業してしまった。私はからっぽになった。現役受験が終わってから、これは他人との競争などではなく自分との戦いなんだとやっと気付いた。

就職浪人かという選択肢を前に、働くと言いかけた私に親は浪人を勧めた。もったいないから、という言葉に私は到底納得できなかったが、ある種自分を見直す時間だと捉え受け入れた。親に頭を下げ予備校に通った。

浪人の前半期はくすぶっていた。授業は新鮮で楽しめたが、予習復習には身が入らなかった。借りた小説を読み漁り、レンタル映画を見倒した。私は物語の主役であり、困難に立ち向かう若者であり、世界の広さを思い知る冒険者であった。自由を求め無頼を気取っていたが、その実何の変哲もない予備校生だった。

後半期になると配属クラスが上がった。自分でも気持ちが乗ってきているのが分かった。模試では結果を出せるようになり、勉強試験のサイクルが単に知識の吸収と確認をする作業なんだと理解できた。高校教科書をはじめから読んだり、資料集を飽きるまで眺めたりした。そこに書かれていたのは試験のために記憶すべき情報ではなく、世界を紐解く手掛かりだった。

この頃から私はセンター試験をひたすらやった。現役受験の際に感じた基本の不足を徹底的に見直そうと思った。周りは東大対策に余念がなかったが、私は自分が一番手応えを感じられる道を進めばいいと思えた。センター試験で満点が取れるようになると、不思議二次試験過去問も解けるようになった。

結果からいうと、私は当時の前期日程試験不合格だったが、後期日程で理科一類合格した。

前期日程で落ちたのは予想外だったが、余計な要素が削ぎ落とされるほどに私はなぜか冷静になれた。後期日程では科目の絞り込みに加え選択もあるため必要試験が少なく、私の場合はほぼ英語数学のみだった。そして私にとってはそれが望ましかった。

試験前日はよく眠れた。朝は自然と目が覚め、焦りや気怠さを感じることなく落ち着いて試験に臨むことができた。数学はあっけなく終わり逆に不安になったが、英語会心の出来だった。やるべきことはやったという清々しい心持ち試験を終えた。

結果発表では安堵と高揚感からか、現実感が薄らいですべてがぼやけた夢のように思えた。勝鬨をあげたり号泣したりする見知らぬ同志たちを横目に、私は特に湧き上がる感情もなく立っていた。アメフト部に合否を聞かれ、小さく頷くと胴上げされた。着地の際に自分体重が戻ってきたのを感じ、それまでの漂うような気持ちは消えた。

こうして私の受験は終わった。

最後に】

小学校で好きだった子は私と同様に第一志望の御三家合格したが、中学進学以来疎遠になった。私は大学を出て10年になる。

受験競争心を煽って奮い立たせる仕掛けが多く、そういう経験を経て比較しか物事を測れなくなる人間もまた多い。実際に私も周囲の人間環境に大きく影響を及ぼされたが、最終的に納得の行く結果は自分選択からしかまれなかった。

正月受験生たちに、あけましておめでとう

2018-12-06

耳が聞こえにくくなって気づいた

社会人3年目です

以前会社ストレスで体を壊して、自律神経失調症になり、異動させてもらって復帰したのですが、また病気が再発したようです。

急に耳鳴りがすごくなり、左耳が聞こえにくくなりました。

あわてて病院に行ったら、ストレスによる難聴症状とのことでした。

ものすごく落ち込みました。

どうしてこうなったのかと、

一旦冷静になって考え、今の置かれた状況を書き出してみると、

パワハラは相変わらず

部署間の責任押し付け合いで社員がギスギスしてる

ミスる会社自体コンプラ違反で訴えられるレベル仕事なのに業務を教えてもらえず自習してこなしてる

*なぜか上司教育を頼まれるかつ尻拭い

上司がひどすぎるということで派遣さんマネジメントを任される

*無理矢理帰ってるけど業務量は増える一方、前任者レベルにやると前の部署並みの労働時間

*何のスキルにもならない

あれ、これ、超勤ほとんどないけど、冷静に考えると結構ひどくね?私自身が弱いのではなく、会社の状況がストレスフルだから体壊しても変ではないのでは?と気づけました。

思考文字化するの大切ですね。

よその方がキツイよ、と言われますけど、みんなそう信じて今の会社我慢してるだけと思えてきました。

そして、何も動いてくれない会社のために体を壊すのがバカバカしくなりました。

年収がそこそこあったのと社会的な名声?から辞めるに辞められなかったけど、これは辞めないと健康問題はいつまでも良くならないと確信しました。

こんな端金のために健康を売ろうとしてたのか…と感じました。

(地元が好きでないので、戻るくらいなら仕事してた方が精神的にもマシ、という判断もありましたが…)

会社を辞めても食えるだけの貯金はあるので、とりあえず辞めて、なかなか決められなかった、転職をする決心が付きました。

耳が回復するかどうかは不安ですが…

2018-11-23

anond:20181123165444

高校数学とかそういうレベルで単純に効率を求めれば自習より効率いい勉強はないと思う

今まで受けた中で一番感心した教師は、どんな底辺学力でも付いていけるように基礎問題を解かせ続ける人

モチベ0でも最低限できるように強制するのが教師仕事じゃないかなーと

2018-11-15

anond:20181115090028

いや、だから異能エンジニアエンジニアリング以外のこと(政策決定)に本気で取り組ませると考えてよ。

彼らは少なくとも今の年寄り国会議員や、サイバーセキュリティ担当なのにPC触らない誰かさんよりは自習能力が高くて、

問題点の見極めやスマートな解法を見つけるのが得意でしょう。

たとえば海賊版どうするとか、カジノやパチやガチャどうするとか、携帯キャリアの売り方どうなのとか、技適問題とかそういうのに取り組ませた時、

すぐにある程度まともな知見を得られて、とんでもなく音痴な解法を提案してくることはなく、ある程度アジャイルに法をアップデートしてくれるだろうという期待は抱けそうじゃない?

軽減税率適用するよりもっと負荷が少なくスマート税制提案するのも容易になるだろうし。

2018-10-24

anond:20181024124651

各社のIT研修資料ざっと見てみた。

資料が、体系的にまとめられているような気がした。

 

しかし、これは講師が授業で使うかんじのまとめ方をされていると思う。

教科書というよりも、プレゼンスライドみたいで、口頭説明による補足がないと、初心者には分かりづらいと思われる。

IT研修を受ける人の前提知識ゼロでもOKなのか?、あるいはプログラミング経験者なのか?→全くの初心者相手ではないように見えた。

全くの初心者であれば、上記研修資料文字や図解を読んだだけでは、内容を理解するのは難しいかもしれない。

 

情報の体系化

Web上に公開されているIT研修資料よりも、その分野の定番の本、入門書の方が、編集者レビュアーが内容チェックしている分だけ、説明の分かりやすさと体系化がしっかりなされている、という印象を得た。

 

というスタイルがいいかな?

 

で、これを増田の上でやるとなると、メタ情報提示が主になるだろう。

2018-10-22

なぜ授業でノートを取らなければいけないのか

https://nakorightnovelvirtual.hatenablog.jp/entry/2018/10/22/205042

今日テストの日に提出した国語ノートが返ってきた。評価はBだった。

先生プリントを貼ってなかった人が多かったとおっしゃったから、どこかプリントが抜けたのかと考えた。

友達にA評価ノートを見せてもらって、プリントに不足がないことを確認した。

何かの間違いでB評価かもしれないと思ったから、授業後に、「なんでB評価なんですか?」と聞いた。先生の返答はこうだ。

先生「字が汚いから」

ぼく「字が汚いと評価を下げるんですか?」

先生「汚いというか読めないから......」

ぼく「ほーぉぉぉん」(諦め)(着席)

何諦めてんだこの陰キャ......。

では問題です。

なぜ授業でノートを取らなければいけないのか、答えを述べよ。

ぼくの答えは、「記憶の補助のため」です。

極論授業の内容をなにもなしに記憶できるのならノートは取らなくていいと思うんですよね。

まあぼくはそんな天才ではない訳で、記憶の補助としてノートを書きます

自分のためにノートを取ります

はい。たぶんここまでは概ね賛成いただけるでしょう。

じゃあ問題

「NNDN-TDSISKTKRNDY」

なんの伏字かわかる?正解はね、

なんでノートで成績つけるんだよォ!

ノートを取るのは、自分記憶のためです。

自分自分による自分のためのノートです。

自分自分による自分のためのノートに、

なんで他人評価が入るんだよ。

自分のためにノート取ってんだろ。

他人が読める読めないなんて関係ないでしょ。

じゃあなんでノートで成績つけるんだよ......。

それしか馬鹿に対して救済手段がないのか?

ほとんど同じ内容を書いてまっっっっったく天と地との差ほどのテストの点とって

その内容の字が読めないか評価を下げますって?

あなたのために書いてないです。

内容理解ノートで済ませたから点数が取れたんだけど?

思考停止している真実馬鹿と”同じ内容”で?

まったく違う点数なんですが?

字が読めないのは確かに悪いことですが、それはテストで×つければいいでしょう。

ノート評価を下げる必要、ある?

ノートを取るのは成績をつけるためか?

思考停止で黒板写してる奴が評価されんのな。

ノート評価をつけるなよ

提出することに意味があるんじゃないか

内容理解だけで成績つけてくれよ

先生に怒ることでもないか

そういう教育システムになってるかもしれない。

もうどうしようもない。綺麗にノート取ろうとしたらたぶん成績落ちる。

やってらんねぇわ。ノートなんて授業のメモしかないだろ。

落書きばっかで汚い字でもいいだろ......。

あなたの読める読めないとこちらの理解しているしていないは関係ないだろ......。

あいつら字の練習してるだけじゃん......。

何も考えてなくて、だから30点40点50点取ってるんだろ......。

そういう話だったっけ。いや違う。

小学生の頃からなんでノートを取るのか知らずに考えずに今でも板書しているんだろうな?

といっても、ノートを取る理由自分の中で確定できたのは中3の田野先生との出会いなので、それまでは彼らと同じく思考停止マシーンであったのである別に偉くは言えない。

私の勉強観と、高校でつまらない授業を受けている話。 - nakoのラノベVTuberブログ

教えて偉い人!どうしてノートを取るの?

ま、結局は自分評価より上の評価思考停止マシーンがいるのが嫌だという、身勝手な思いから来ていて、自己正当化がしたいだけなんだけど。

と、こんな内容を母に話したら「じゃあ(先生に)言えばいいんじゃない?」と言われた。そらそうよ

僕は明日から理由を問いまくるクッソめんどくさい生徒になるぞ〜〜。なりたい。

まあ授業中つまんなかったら寝たいけど時間勿体無いから授業とは別のことしてるという時点で相当めんどくさい生徒なのは既にそうなんだが。

や〜、自分から別のことをやるのが楽しいんですわ、先生にどうこう言われないでやるのが楽しいんです。自分でやってるのが好き。もう先生自習監督みたいなもんだな。

あと最近この男調子に乗りすぎだろう。もっと謙譲してIKEA。そんなにクラスメイト先生馬鹿にするなよ、100点満点のテストで8点取った奴とか馬鹿に......wするなよ......w(性格悪すぎない?)

あ!もしかしたらぼくのノート自分のためという前提がおかしいのかも!

文科省さんとかはノート経済を回すABC分析で言ったらAの商品というだけかもしれない!

「板書」が、いちばんやってる感を味わえるのだろう。そうやってやってる気分だけ味わって中身はすっからかーんってか、ははっ。

マジで教師は全員精神鑑定を受けてくれ。そしておまえらの授業を生徒に採点させろ。自分がどんな授業をしているか知れ。

あ、これを読んだ方のご意見が知りたいので、コメントお待ちしております

SNSで共有していただいてよりたくさんの人に見てもらって意見が欲しい。

おわり。

2018-10-05

寮生活大学受験危機感を感じ東進に通った話

社会人になって3年が経った。

自分大学受験ときに思っていたよりも大学というものは一生ついてくるのかなと思った。

日東進にこもった甲斐があったので書いておこうと思う。

高校受験をして、トップ阪大専門学校に行く子もいる、なんちゃって進学校入学した。寮生活面白そうだったから…

しか入学してから気づいたのは、受験に対する意識が甘さ。公立大学付属校なので、先生も進学指導に対しそこまで気力もなく、さら田舎なのであまり経済的に恵まれた人もいないせいか実家から通える地元公立を目指そうというレベルだった。

受験対策は、高校3年になって塾に通う人がいるくらい。

周りの甘っちょろい受験への姿勢が恐ろしく、高2から、土日は東進ビデオ学習自習に充てた。

その間に寮生活友達は、親の目もないのであまり勉強していなかった。

テストで同レベルや私より上位だった子も、私よりかなりレベルを落とした地方国立大学を受けるか、浪人していった。

あの時東進に通っていた土日に勉強しておいて良かったなと思った。

就活でも社会人になってからも余程の技能がない限り出身大学のことは言われ続ける。新卒採用もあからさまに区別される。大学受験では上位の大学に行くに越したことはないなと思った。

2018-09-24

anond:20180924010410

プログラミングは道具というのは事実。ネジや木や鉄やそれを組み立てる道具みたいなもの目標が無いと上達するのは難しい。気づいてないかもしれないけど学校教科書は何百年という単位で頭の良い大人が作り出した教育方法で、プログラミング自習する場合自分目標を作らないといけない。例えば理想目標があったとして、それを100とすると天才でもない限り簡単には作れない。しかし10の別の目標を達成して次に20の目標と順に達成すれば50くらいの時には100までの距離が分かり、その目標に突き進むか、諦めるか、別の目標を目指すかがはっきり分かるようになる。ひとまず簡単に出来るものを5個作るといいよ。


次にプログラミング言語とその環境の探し方を知らなければいけない。良くないものを選ぶといきなり挫折する。環境設定の話が出ているのでたぶん問題ないと思う。ただ個人的感想では言語を探している時点で疲れて投げ出してしまうという事が多かった。重要ポイントとしては

ゲームが作れるから最低でも2Dのグラフィックが描ける言語、3Dか物理演算があるとさらによい。

ヘルプの付いた統合開発環境が良い。でも、これだと選択枠が限られる。

日本語が使える言語だと幅が広がる。表面的には日本語が使えても、言語内部では違うために変換に苦労する。

4誰も使わなくてもアウトプットが出来る環境だとモチベーションが上がる。

プログラミングの中核は同じなので言語を変えても無駄になるものは無い。

プログラミングにはまっても一日30分は最低でも運動する。学校や買い物の行き来でも問題ない。


ちょっと癖が有るけどHSPとかかな、RubyWindowsスタンドアローン動くしWebでも動く、スマートフォンに興味あるならiOSAndroidの開発環境もありかもiOSは知らないけど、Androidの方はクレジットが無くてもデビットカードが有ればアプリ登録できたはず。プロバイダ無料ホームページ枠があると思うけど、無いならレンタルサーバーを月100円のでいいので借りてみて、簡単ホームページを立ち上げて見るのをおススメする。

2018-09-20

anond:20180920181948

行列使って連立方程式が解けることを知ってる事

意味がある気がするが

って言うからそれを高校時代しかも高3で学ぶ事にどういう特別意味があるんですか?とお尋ねしたんです。

数学とか学校教育自体やる必要がない、

などのような全く極端な話じゃないんです。あなたも現に

まあ、中途半端にやるぐらいなら学部でやる方がいい気もする

と仰っているではありませんか。


余談ですが、高校時代ゲーム作るならカリキュラムに入れずとも実践を通じて自習される(しかもそれで受賞までされる)でしょうから

やはり数学の単元として入れるにはいささか弱いのではないかなあと思います

それと、今回の指導要領の変更に伴って行列は完全に排除されるわけではなさそうですね。縮小はしてそうですが。元増田リンク先のまとめはちょっと勇み足気味に見えます

それどころか、理系科目で見るとより一層の詰め込みが進んだという塾講師発言もあるようです。

何にせよ、騒ぐほどのものではないです。

anond:20180919213903

自分は「最近の」高校生ではないゆとり世代なので残念ながら今の事情はわからないが

2年になる時に文理選択させられて、私文クラスになって、数ⅡBの授業は一応あったけど本当に一応って感じだった

すぐ自習になるし、あんまり教える気もなさそうだった。お前らどうせ使わないんでしょ?って 生徒のやる気もまあ、申し訳ないけど……

1年の時はなんやかんや宿題出したり世話焼いてくれる先生でうざかったけどそのぶん数Ⅰは割とちゃんとやった記憶がある

全然関係ないけど古文先生が2人いて二人とも好きなタイプ先生だったので勧められるままに先生と同じ大学に行った

2018-09-18

anond:20180918174357

わざわざ書いたり口に出したりすんな。

必要子どもが来にくい(親が行かせない)ようになってしまうだろ。

大多数は、一人で食事をさせないため。みんなで宿題自習をするため。

そこに、貧しい子が混じれば恥ずかしさも引け目も感じずにご飯が食べられる。

2018-09-12

anond:20180912152335

時間外の勉強強制されたらブラックだが、

自分で今後を考えてのスキルアップの為や、会社から報酬待遇

上げる為の自習ブラックではない。本人のやる気の問題

2018-08-15

「俺が育てた」マン教師になるな

それをやられると生徒の自習へのモチベーションが下がる。

「どうせ頑張ってもあのハゲの手柄にされるのかー」って完全にやる気を無くす。

そしてその癖を抜くのに他の教師がどれだけ時間をかけることになるやら……

マジでさ、俺が育てたマンだけは教師にしないでくれ

頼むぞ人事担当者

最悪なんだよマジであのハゲが受け持ったあとの生徒を立ち直らせるのは

2018-08-12

anond:20180812104058

地元の強豪校、進学コース(共学)と就職コース男子のみ)を分けてるんだけど(スポーツ推薦の子は勿論就職コース

といった都市伝説が色々あったがどこまで本当なんだろう

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