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2022-11-05

ノーパンしゃぶしゃぶ日本人を大量に殺す

ひさしぶりにノーパンしゃぶしゃぶという言葉を見た。togetterで。

あのえっち飲食店がらみの接待贈賄だろそれってなった結果、大蔵省解体されて財務省になった。

そんでもってその恨みを国民に叩きつけ続けて緊縮緊縮贅沢許さんってやって国民は死に続けている。

俺ら氷河期だけでも何人死んだやら。

今調べたら問題の「楼蘭」ってそんな高くねえんだな。2時間1万9980円で食い物も悪くないのが出るんだって現代キャバクラ接待するより全然安いんじゃねえの多分。

汚職容認してたらもっと景気良かったのかなあ、貧乏死ぬやつ減ったのかなあ、ってちょっと思う。

2021-10-03

NHK特集シルクロードをもう一度見た

40年ほど前の番組だ。

子供の頃に断片的に見ていたけど、何しろビデオもろくに普及していない時代だ。

見るのも途切れ途切れになってしまい、終わりの方は全然見れなかった。

それでも、メインテーマとともにはっきりと記憶に残っている番組だ。

中国は唐の都長安、いまの西安から西へ向かうシルクロード旅路を伝えるドキュメンタリーだ。

数千年に亘る歴史が積み重なった土地のかつてと今をこれでもかと見せてくれた。

敦煌楼蘭天山山脈といった異郷への浪漫を駆り立てる番組構成は、当時の大ブームにもなった。

自分より少し上の世代中国好き、シルクロード好きになった人間は、結構な率でこの番組の影響を受けていると思う。

それがNHKBSで再放送されていたので、録画して少しずつ見ていった。

今見ると、日中共同取材班という名前中国共産党・人民解放軍の全面協力の下に作られた番組だったのがはっきりとわかった。

覇権主義に陥る前の、それ自体は友好的なもので、当時の門外不出のような情報ばんばん出てくるわ、よくそんなところまでカメラが入るのを許したというかヘリまで使ってどんだけ協力してるんだよという場所映像がどんどん出てくる。

こんな番組を見たら中国好きになるのも納得で、それから数十年くらい日本人中国観をかなり友好的にしたんじゃないかと思う。

現地に旅行に行った人もいっぱいいたそうだし、そのまま中国との商売日中友好のために活動するようになった人もいただろう。

この番組がなかったら、その後の中国への日本投資もだいぶ違ったのではないだろうか。

なにも証拠は挙げることはできないけど、少しずつ世界史を変えることになった番組ではないか勝手に思う。

牧歌的景色の中に、ウイグル生活侵入していく道路鉄道と、中国共産党によってあの地の生活が変えられていく予兆のようなものが伺えるのは怖かった。

あそこで笑っていた人々の多くは40年も経って大半がもう亡くなっているだろうけど、自分と歳の近いあの子たちは今どうしているだろうと思ってしまう。

第二部に入って中央アジア突入するとかなり印象が変わる。

良くも悪くも中国共産党の協力が無くなって決められたルートが消え、かわってソビエト科学アカデミーの協力とともに旅路が多岐にわたるようになってくる。

まだソビエトが現役だったこであるという事実とともに、それからの四十年であれほどの大国が消えたということがシルクロードをめぐる国家興亡の歴史の最新の一ページになっているとも思う。

かのバーミアン石仏破壊される前の姿が番組で記録されていないのは、かつてのソ連アフガン侵攻の影響で取材班が入れなかったかなのだそうだ。

それでも、NHK取材班の人々の冒険家ぶりには何度も心躍らされた。

何十年ぶりかで人が訪れた砂漠廃都とか、歴史上初めて日本人が訪れたことになる山間部の村とか、四人もの通訳を介してようやく取材できる古い言葉とか、NHK取材班自体シルクロードを行く旅人のものとなって歴史を記録していく様が残る。

シリア砂漠では、数十年前に終わってしまったラクダキャラバン隊に参加していたかつての少年が成長したラクダ牧場の主を見つけ、シルクロードキャラバン旅路再現を頼み込んで、それを実現してしま旅路の記録を撮影していた。

民族故郷の地から遠く離れても続く結婚風習商人たちが集う市場に集う食材や茶、纏う色鮮やかな服と絨毯、そこに息づいていた確かなシルク足跡とそれを作る技術の伝来は確かにシルクロードの記録だ。

現代に生きる自分にとっては、当世風の見慣れた異世界よりもはるかに物珍しい、それは異郷の数々の確かな記録だった。

あれからの四十年で消えてしまったものの、最後の記録となったものも山ほどあるだろう。

グローバリゼーションインターネット世界は大きく激変し、風習が消えた村も人が消えてしまった村もたくさんあるだろう。

現に、シリアにあった数々の美しいものたちは、その後の内戦瓦礫となってしまった。

長安からの長い長い旅路の先に、ボスポラス海峡渡りアッピア街道を走り、NHK取材班がついにローマにたどり着く光景には、言いようのない感動を覚えずにはいられなかった。

取材班が到着した日にイタリアラジオニュースで、取材班の到着を現代マルコポーロに喩えた報告がなされていた、と番組中で説明されていたのはメタ的で笑うしかない。

だがマルコポーロのたとえも過言ではないと思う。

取材は足掛け五年に及び、訪れた国の数は二桁に及び、映った人の数は万を数えよう映像の数々はさながら見聞録だ。

世界が近くなってしまった今、これほど遠大な紀行番組が作られることはもはやないだろう。

世界が変わってしまった今、あれと同じ光景は二度と撮ることはできないだろう。

だが、子供の頃に見られなかった旅路の果てに、ようやくにたどり着けた。

ありがとう、かつてのNHKありがとう再放送してくれた今のNHK

2020-12-19

楼蘭を目指していた日青い水みどりの林君の横顔

2020-12-18

ニンフのように舞い降る雹は楼蘭城壁の杉の内側を截る

2009-08-01

書評】 近藤大介『日・中・韓“準同盟同盟時代』(光文社

本書は評者からみると不思議な本である。実に面白い、同時に反米的な歴史記述とCIA陰謀論に挟まって中国重視論の独特の言い回し、つまり三つの部分が混載されている。ひょっとしてチョコレートでくるんだ毒入り饅頭かも。

題名だけをみると保守派の多くは反発を抱くだろう。しかし誤解を恐れずにアイ・キャッチを狙うあたりは著者ではなくて版元の商業主義的魂胆かも知れない。

冒頭から脱線で恐縮だが、この光文社ペーパーバックスのシリーズは、本書が135冊目。執筆陣は浜田和幸松本道弘藤井厳喜、野間健、徳本栄一郎の各氏らと何故か知り合いも多い。とくに浜田藤井両氏は、このシリーズから数冊上梓されていて、執筆陣も左右混交である。

新世代が読むだろうと思う。というのも、横組みで英語ばんばん入るからだ。逆に小生のように日本語の書物は縦書きでないと親しめない世代にとって、最初はこのシリーズを読むのに骨が折れた。仄聞するところでは、横書きシリーズ、伸び悩みがあって間もなく終巻らしい。閑話休題

さて近藤大介氏、期待の新作である。近藤氏は『週刊現代』前副編集長。元北京大学留学組。平壌にも小泉訪朝に随行、スクープが多い。日本米国を捨てて中国同盟し、韓国も仲間に入れようか、という提言日本外交現実を無視しているが、さすがに中国語韓国語が流暢な著者だけに、情報には格段のおもしろみがある。しかし結語の三国同盟は納得しかねる。

サロンマルキストという比喩は、革命ワインを飲みながらサロンで語る知識人。典型はサルトルなど。本書を通読した最初の印象はそれである。サロンにおける理想主義日本共産党は歌を忘れたカナリア、飽きたらず暴力路線に走った反ニッキョウ系は、三派四派五派と分裂し、中核派はと革マル派は互いに殺し合った。

本書に何が欠けているか。暴力革命政権を取った中国共産党十三億人の無辜の民を壟断し、支配し、反革命勢力、すなわち民主主義者、独立運動家を「テロリスト」と名付け、逮捕拷問し処刑する。敵は殲滅するのがかれらの掟である。

中華民族というスローガンは他民族漢族へ「同化」することであり、これは五族協和日本理想とはほど遠く、孫文のそれは「漢族」が「満蒙回蔵」を強制同化し、支配することを意味する。

ウィグル絶滅のためにはロブノール近辺から楼蘭にかけて、46回の核実験。おそらく数十万人が被爆して死んだ。7・5ウルムチ暴動では平和デモ隊に軍が出動して水平撃ち。おそらく二千から三千のウィグルの無辜の民が虐殺されただろう。

中国本質暴力支配、特権階級は富を独占し、その体制を可能な限り長く持続しえるそのためには外交も利用する。本書は、こうした事実をあえて論じない。だから不思議な本である。

では面白い部分はどこか?日本では親中派政治家はみんなCIAの謀略で失脚したそうである。田中角栄、カナマル某ほか。小沢がニシマツでやられかけたのもCIAだそうな。まだある。金正日がある日、北京から帰国のおりに列車爆破。流川とかいう駅だったが、あれを仕掛けたのもCIA。金正日のコックだった藤本某にはCIAから接触があり、毒殺依頼があった由。こうなると007の世界だ。盧泰愚陳水扁の失脚は反米姿勢だったから?

真相にちかいことは、陳水扁国民党戦術=「野党を貶める生け贄」であり、台湾では司法独立しておらず、もし陳水扁汚職をいうのなら馬英九も宋楚楡も似たようなスキャンダルを抱えていながらなぜ司法の追求が突如止んだか。だから台湾における司法中国共産党と同様に司法権独立曖昧で、国民党の顔色を窺う裁判官が多いからである。CIAとは関係がないのではないか。盧泰愚の「自殺」は身から出た錆、でなければ謀殺の可能性も否定出来ない。

というわけで田中の失脚はロッキード証言だが、日米の司法取引の差であって、米国陰謀ではなかった(徳本栄一郎氏が田原総一郎陰謀説を批判した。田中ブレーンだった小長氏自身が『そういう線で裁判マスコミ対策を処理しようと提案したら田中総理は「おう」と言った』と証言している)。

▲斯界で話題の孫崎享『日米同盟の正体』を連想

本書を読んで考えさせられる箇所も多い。評者が本書を読みながら、どうしても孫崎享氏の書いた『日米同盟の正体』(講談社現代新書)を連想せずにはおられなかった。

外交官出身の孫崎享氏はイラクイランミサイルの雨の中、外交を展開してきた人で三月まで防衛大学で教鞭を執った。(そうそう、これもどうでも良いことだが、バグダッドの在イラク日本大使館で宮崎は、孫崎(当時は公使)と会ったことがある。88年だったと記憶する)。

その外交官イラク戦争突入アメリカ人の「旋風のような愛国心」の結果であり、リーカーン南北戦争真珠湾攻撃と似ているとする。反戦ムードを一気に好戦へもっていく謀略は政治に付きものであり、その点は近藤氏や孫崎氏の分析に同意するが、なぜか孫崎本には外交的結論がない、つまり日本の自立外交模索してもいなければ対米追随が悪とも言っておらず、最後の最後はアメリカ核の傘は機能しないだろうと言いながら、日本核武装は反対という。

つまり本書の著者と孫崎防衛大学前教授スタンスは徹底して政治のリアリティ、外交の合理主義である。

外交道徳が入ると機能せず、倫理を持ち込むと、外交の基本が成立しない。打算と国益の追求。しかし戦争の回避。軍事力の背景がない日本は、だからといって「ふつうの国」のように外交独自路線を採用することが不可能である。

したがって「日中韓の準同盟」とは米国の手のひらの上での話ではあるだろうが

 
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