はてなキーワード: マジョリティとは
創作者である私は今でもpixivのタグに「腐」を付け続けているが、この語の使用について眉を顰める層が一定層居ることも認識している。しかしそのうえで私は「腐」の使用に差別性は無いと主張してこの語の淘汰に抗いたいと思っている。
まず私は「腐」を同性愛者及びそれをモチーフとした創作の愛好家に対する侮蔑用語だと考える人はどうして「BL」なら問題ないと思えるのかを問いたい。
言葉というのは程度に大小あれども事象へのラベリングに他ならないが、「腐」が異性愛者に対して同性愛者を異常なものとしたうえでの差別的なラベリングだと思うのなら、恋愛そのものを性別で区別することだって立派なラベリングになる。「BL」を完全に差別と無縁な語としたいのなら必ず異性恋愛のことは「HL」と呼ばなくてはいけなくなるけど、それができないならまず恋愛を性別で括ってはいけない。
じゃあなぜわざわざ差別の危険性を孕んだ語を使ってまでラベリングを行わなくてはいけないのかといったら、それは「棲み分け」のためになる。見たくない人が見ないため、その為に使われる語はどうしたって「区別」が生まれる。
区別するための語には性格上どうしたってマジョリティを軸とした差別化が行われる。それによって生まれた語に発音の違いはあれど意味と用途の違いは無い。
なのになぜ、「BL」は良くて「腐」は駄目なのか。恐らくそれは「腐」という言葉自体へのイメージが悪いからだろう。「腐女子」という言葉を用いる事が「同性愛」を腐ったもの、汚いものとして差別している印象が付きまとうためその使用を嫌がる人がいるのは理解できる。
しかし「腐」=「汚いもの」という認識にすら、ラベリングが付きまとっていることを忘れてはいけない。
例えば「〇〇に親でも殺されたのか」という有名なネットミームがあるが、この表現にも異議を唱える人は多く居る。なぜかと言えば、「憎さ」の表現に「親を殺される」という例えを使うことが不謹慎かつ過激すぎるためだ。
しかし、親子関係がもともと良くない、虐待などを受けた子供がこの言葉を聞いたところで「親を殺された」=「凄く憎い」の解釈にはならないのである。
これほど一見過激な言葉ですら言葉から受けるイメージは総一致しないのに、「腐」=「汚い」の決めつけは、「同性愛」=「異常」の決めつけと何が違うというのか。
かといって一般的な大多数が「腐」という語にマイナスイメージを持つのは真実である。
しかし私がこの語の使用について問題は無いという立場を取る根拠には「差別をする人は言葉を使うが、言葉が差別を生むわけでは無い」という前提があるからである。
言葉は意味から生まれるが、定着した後、文字としての意味は形骸化して、音声:意味のみの関係となる。
例に挙げるなら「さようなら」という語は「左様なら(そうであるならば)」という意味の言葉から生まれた語であるが、私たちが実際にお別れの挨拶として「さようなら」を使うときは「左様なら」と一回一回意識をして言葉を発していない。
あるのは「さようなら」の音声が「お別れの挨拶を意味する」という事実のみである。
つまり私たちが「腐女子」という言葉を使う時、「男性同士の恋愛をモチーフにした創作が好きな女性」の認識はしても、「腐」という字面による意味は関与してこないのである。
汚いものを蔑みたい人は「腐」を使うかもしれないが「腐」が使われているとき全てに汚いものを蔑む意図はない。これが「言葉は差別を生まない」の真意だ。
長々と書いて、よほどこの人は「腐」という言葉に対しての思い入れが強いのだろうと思われてしまうかもしれないが、そもそも私自身がLGBTの当事者である。一方で日本語学を学ぶ学生でもある。私は偏った方法で平等を目指す社会が文化を潰すことを恐れている。差別をなくしたいと思ったとき、言葉の使用を制限することが本当に最も適切な手段なのか、その内実を検討した上で考えてみて欲しい。
結構歳食ってる層が多いのに、育児に対する解像度は低い辺り子供はいないのがマジョリティ
かつ「俺の親と嫁が同居すれば家賃かからんし育児は親任せでいいし親の介護は嫁任せで良くて俺が楽ちんなのに
今の女は我儘でそれをやりたがらないのがけしからん」程度の現状認識しかない
やべーおっさんが多いって事か
嫁=家事育児介護奴隷発想も凄いが、親にいつまでも甘える気満々なのも凄い
実際にその年代で周りの状況見てりゃ親は若けりゃまだ働いてる・歳食ってりゃ育児なんかする体力無い、で近居だとしても頼れない人も多いの分かると思うんだが…
増田をはじめとするK叩き集団の明らかな共通認識は“Kが嫌い”。
同じモチーフを描き、似通った作品があふれる同カプ内で、主観でしかない絵柄類似を理由にKだけを執拗に叩くのは“嫌い”だから。
たったこれだけのことを、Kの印象を下げようと人格攻撃をエスカレートさせつつ躍起になって繰り返している。
外を見れば、Kのファンや身内は“Kを好き”だろうし、騒動ではじめてKを知ったような大多数の部外者は“どちらでもない”。
そこへ“Kを嫌い”というお気持ちが唯一の根拠であり大前提の、純度100%の感情論を持ち出して「広まるといいなあ…。」
通用する訳がない。揃いも揃ってどうしてこれでイケると思うのか。
「Kのこんなところが嫌いだから許せないんです!」とネガキャンを繰り返せば
「そうなんですね!私もたった今嫌いになりました!許せませんね!」
とでも言うと思った? 匿名の根拠のない中傷を真にうけて? さすがに社会を舐めすぎでは? どんな世界を生きてるの?
そして自分たちの感情論が大衆に受け入れられない原因を「Kが上手いことやったから」「人間心理に詳しい人ほど簡単にできる」とKのせいであるかのように当て擦るが、どう考えても違うだろ。
K叩きの主張内容が、K憎しの感情に頼りきった誹謗中傷でしかないからみんなドン引きしてるんだよ。セルフネガキャンお疲れ様。
「こなつさんより絵を描けない人のほうがマジョリティだから、支持があつまるのはまあ仕方ないんだろうけど」
「汗さんくらい絵をかけるのにこなつさんageしてた人いたかな、まだ見かけてないな」
「3万フォロワーいるとこういうやり方(意見といえば「気持ち悪い」だけで私と同レベル)でつい賛同者募っちゃうのかな〜」
増田の言葉の端々に、”画力こそ正義・絵が上手い人が支持を集めて当然・フォロワー数こそ力”という、同人界の膿を煮出したような価値観がありありと見える。
狭い集団内でしか通用しない凝り固まった認識に浸りきり、現実を見ることができていない。
これほどの認知の歪みがあり、自覚できないほど染み付いた悪意を抑えきれないのなら、せめて普通の人間には一切関わらず静かに生きて下さい。
理由を説明せず同調圧力で従わせたり黙らせようとする連中なんて無視するか中指突き立てるしかないだろ。
ブコメも主の疑問には答えようとせず黙って従えとしか言ってない人気コメントあってホント糞。
crimsonstarroad アプデしなくても良くて。 若い人にとっての常識的な価値観が自分とはもはや違うんだって認識を持って、若い人に押し付けない・文句を言わないができれば良いと思う。
2022/05/16
ntnajp605 価値観がアップデートされる前のマイノリティは「有無を言わさず」排除されてたんだがな。己がマイノリティの側に立つことはないと信じてきっとる米が大人気なのはどうよ
2022/05/16
だから価値観のアップデートという言葉で有無を言わせず他人を従わせる権利があるとでも?
ある訳ねーだろ。マイノリティでもマジョリティでも誰にもそんな権利ねーよ。
a-design-for-life 価値観と言っても、誰にでも人権があるとか、人を殺してはならないとかは普遍的では。昔は黒人は人権が制限されていたけど、公民権運動でそれはおかしいよね、となって。それでも黒人を差別しないのはおかしいとか?
2022/05/15
https://www.tokyo-np.co.jp/article/176050/1
それならばと2004年、自身の性愛の対象である男性を描いてみることに。
木村の描く男性はひげはなく、体毛もほとんどない。いわば架空の存在だ。
しかし、木村が理想とする美男をエロチックに描くことは、「愛憎と客観を同時に得られるモチーフであり、人間を継続的に描くためのモチベーション」なのだ。
萌えイラスト叩き・親フェミニズムで有名な東京新聞は、どうやら男性を性的消費・性的搾取する事については、無問題どころか称賛しちゃうらしい。
これじゃあイケメン半裸画像を喜んでるフェミのいらすとやネタを笑えねーじゃねーかw
描いてる奴も描いてる奴で
という被害者面も忘れない、という隙の無さ。
本当に気持ち悪いっすね。。。
共感するけど、まあでも美術館はマイノリティじゃない(つまり「マイノリティの反撃」ではない)と言われたらそれはそう。
「差別に異様に厳しいマジョリティ」というのが自分のやってる差別には無自覚っていうのは、まあ定番ではあるので、この張り紙自体は別に何も悪くなくても、なんか色々連想してキモイというのもわからんでもない。
先日、「美術館が「差別主義者お断り」という張り紙を出していた」というツイートがバズっていた。以下のリンクがそれである
https://twitter.com/tamago_sukidesu/status/1520608613127008256
このツイートのリプライや引用を見ていると、以下のような「冷やかし」のようなツイートが実に多い。
大別すると
①ミサンドリー(男性嫌悪)が入っていない。男性差別には賛成するのか?
②今まで排除される側だったマイノリティが他人を「排除」して楽しいのか?
といったものだ。
もういつもいつもこの手のカスみたいな意見を見て、しかもどうやら本人たちは上手いこと言ったつもりらしくてウンザリなので、改めて反論しておきたい。
①ミサンドリー(男性嫌悪)が入っていない。男性差別には賛成するのか?
→それで言えばイスラム恐怖症とか学歴差別とかここに書かれていない偏見、差別は山ほどあるけど。あなたはこの看板を見て
「なるほど、同性愛差別はダメだけどイスラム教徒の差別はオッケーなんだな」とか思います?
普通は思わないだろ。そこで敏感にミサンドリーの不在だけ読み取ってしまうのはなぜなんでしょうか。
男女関係でいえば歴史的に女性が被差別層だったわけで、反差別の文脈でミサンドリー反対よりまずミソジニー反対が出てくるの、そんなにおかしいか?
こういう人たちがBLMに対して「アジア人の人権も擁護しろ」とかイチャモンつけてたんだろうと考えると勝手な納得感はあるよ
②今まで排除される側だったマイノリティが他人を「排除」して楽しいのか?
→一端冷静に考え直して欲しいんだけど、「感情的な理由に基づく差別」と「「全ての人間は平等に権利を持つ」という理念をベースにした反差別」が、本当に同じものに見えるのか?
自分が極めて差別主義者に優しく、差別する人の肩を持っている自覚がある?
「普段のイジメは完全に無視するくせに、いじめられっ子が反撃するやいなや高速で駆け寄ってきて「君は今暴力を振るったよね。暴力を振るった自覚はある?」「今君はいじめっ子と全く同じことをしたわけだよね」とか言い立てる人」
なんだよね。そのくせ自分は中立の立場で冷静にものを言ってるという自認なわけ
でも実際には「差別に対する抗議」を差別に仕立てることで、「たしかにイジメは良くないけど、イジメの被害者がそれに反撃するのは「イジメっ子イジメ」だから平等に悪だよ」みたいなことを言ってるんだよ。
頼むからその行動力を最初に差別した人に向けてくれませんかね。
■追記
・ミサンドリーはミソジニーの対義語なんだから無いと不自然と感じるのは当然では?
→別に対義語だからというのは理由になってないでしょ。じゃあホモフォビアがあるのにヘテロフォビアは無いのはいいんですか?
この手の話をする際に重要なのはマジョリティとマイノリティの非対称性で、人種差別もトランス差別もホモフォビアもミソジニーも、ぜんぶマジョリティからマイノリティへの差別なわけですよ
で、マイノリティがその差別に対抗するためにこういう言説を持ち出すわけでしょ。だからマイノリティ目線の主張の方が優先度が高いのは何もおかしくない。
こういう話の時に「マイノリティがマジョリティを差別するのは許されるんだよなw」みたいなことを言う人がたくさん出てくるわけだけど、もちろん許されないですよ。明言しておくと当然ミサンドリーだって許されない。
でもそれって「当然マイノリティ差別は許されない」という大前提があってのものでしょ。「差別に反対するくせにミサンドリーに反対してない、はいアウト。やり直し」みたいな態度は何様なんだよ。
「どっちもどっち」的な構図に引きずり込もうとする意図が見え透いているんだよな。
→これはその通りと思う。それにこういった意見は多かったので最初から取り上げるべきだった。
改めて記載しておくと、差別・偏見といった人間の思考をあえて病状に例える必要は無いと思う。
根拠がないし、そういった思想が何らかの精神疾患とセットになっているケースはあるのかも知れないが、それは個別のケースに過ぎないので。
それをあえて病状のように記載すべきではない。
→じゃあ世界で一番人口が多いのはアジア人だからあらゆる白人はマイノリティで弱者になりますね。
■追記2
深夜に書いたせいか重要なことから抜けている。コレを最後の追記にしたい。
→これは重要なことなんですが、あなたがもし「内心ではめっちゃ差別してるけど、言動には移さない人」であれば、あなたは差別主義者ではありません。
バレリーナ、モデル・ハリウッドの size 0 信仰、少年体型、
そんな彼女たちはボディーラインを晒してもセクシーとも卑猥とも言われないですし
フツーにエロでは無い広告、ファッション雑誌のアートな写真で肌を晒しています
でも、肉肉しい人はビーチやクラブやパーティやグラビアやヒップホップシーン以外でボディーライン晒したら、
"はしたない"って言われます
ただ、肉肉しいが100キロ近くになってきたあたりからボディポジティブになります
正直、以上でも以下でも無い話だと思います
子どもに性的な視線を向けることについては"許してはいけない"を絶対としつつも、
子ども以外のことに関して言えば、今日明日にマジョリティの性的趣向は変わらんですよ
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