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はてなキーワード: 学費とは

2017-09-22

語学留学なんてするんじゃなかった

学費保険渡航ビザ代でもろもろ140万

現地での生活費が月7万

どう考えても金額に見合う価値はない

日本でできなかった勉強海外に行ったとたんできるようになるわけない

なんであんな軽いノリで決めちゃったんだ

返金制度がないらしくあと8ヶ月は帰れない

帰ったところでなにもない

残るのは海外暮らし事実だけ

やってることは日本と変わらん

今日ニコ動ツイッターはてブみて終わる

夢のない理系

若者理科離れとか理系離れとか言うじゃない。まあそりゃそうだよねってのが理系就活生を観察しているとよく分かる。自分東京大学工学修士学生学内外問わず色々な人の状況を知っている。日本理系の現状はなかなかに酷く全くもって夢がない。

まず就職しても待遇が悪い。例えば大手メーカー研究開発職に就いたとする。修士卒業場合、だいたい初任給23万円/月だ。どんなFラン大学を出ていようと東京大学を出ていようが変わらない。一律たった23万円。もちろんここから上昇するにはするが非常に緩やかな上昇だ。年収800万〜1000万に到達する頃には40歳くらいになっているだろう。大学大学院勉強研究を重ね知識技術を磨いてもこの程度にしかならない人生だ。一方、大学時代は遊びほうけ頭すっからかんのくせに就活中だけは意識高く振る舞いそれらしいことを言ってうまいこと商社広告マスコミ金融などの大手就職できた文系人達は30歳になる頃には1000万円をもらっている。これらの高給文系職は無駄に激務であることを踏まえてもなお、大学適当に遊んで文系就職した方がコスパが良いと感じる人は多いのではないか。更に悪いことに、メーカーでさえ文系総合職の方が平均年収が高くなる。あまり将来のことを考えず理系科目が好きだということで理系に進んでしまった学生就活する段になってようやく日本文系社会であることに気付く。技術立国とは名ばかりで学の無い連中の馴れ合い社会が動かされており文系社畜にならなければ良い待遇が得られないという事実に気付く。

そして博士課程に何の魅力も無い。優秀な学生が少なく、学生時代待遇が悪く、卒業後に希望がない。アメリカトップスクールなどにおいて博士学生というのは非常に厳しい選抜を勝ち抜いたエリートである。一方、日本大学院博士課程は東大ですら誰でも入れてしま無能が入り込む余地が多分にある。もちろん東大には超優秀な博士学生がたくさんいる。しかしそれ以上に無能博士学生の多さが目立つ。博士学生同士で切磋琢磨ということはあまり望めそうにない。学生時代待遇も悪い。アメリカをはじめ諸外国STEMなPhDプログラムでは基本的給料が出るし、学費もかからない。一方の日本博士学生学費自分で支払う必要があり、さら給料基本的に出ない。もちろん学振を取ったりリーディング大学院奨励金等を受け取れば20万円/月程度であれば稼げるが、これらには研究専念義務(笑)というものがあり副業奨学金などによる追加収入を得ることを禁止している。海外給料が出る大学院であればこのような制限はない。追加で奨学金を重ねることもできるし、RAをこなしたりインターンシップで稼いだりすれば年600-700万円くらいの稼ぎは得られる。月20万円というのは20代後半の大人にとっては非常に厳しい額だ。実際には税金学費などが引かれ月15万円程度の収入になるだろう。東京で月15万円で生活することを考えてもらいたい。まず家賃で7万円は飛び、光熱水費で2万円、食費4万円はかかる。この時点でもう月2万円しか手元に残らない。ここから交通費やら何やら出していれば全く貯金できないことが分かる。月15万円というのはギリギリ生存できる最低限の収入である。ちなみに学振というのは一握りの優秀な博士学生しか獲得できない。アカデミアの未来を担うホープパートのおばちゃん並の価値であると見なし更に研究専念義務という謎の仕組みで縛り上げ貧乏を強いているのが日本だ。耐え難きを耐え忍びがたきを忍ぶと報われるかといえばそんなことは無い。諸外国ではPhDを持っていると基本的には良い待遇を得ることができる。自分プロジェクトを興し引導し対外発表ができ文章が書け更に専門知識を持つ者として高く評価されているかである。一方、日本博士はどうだろう。企業求人をみても月25万〜28スタートのところが多い。博士を取ることによるプレミアが皆無であるという企業からメッセージである博士号要求する職ではどうだろうか。研究所大学教職などがあるだろう。いずれも酷い待遇である。国を代表するような研究所であっても初任給400万/年くらいである。大学に至っては教授上り詰めても年収1000万程度しかもらえない。日本では研究が大好きであるということ以外に博士課程に進む理由が無い。

いやー夢が無いねえ。そりゃ傾くよねこんな国。高校生諸君、悪いこと言わないか適当早慶くらいで文系学生やって遊んでイキって暮らしていこうな。

2017-09-18

https://anond.hatelabo.jp/20170918173341

コメントいただきありがとうございます

そうです、車ないと生活するのが厳しい感じの田舎です。

なので、一応車はあるんですが、1台しかないので私が使っちゃう家族が困っちゃうんです。

あと就活は無事に終えたので、あとは死んだ顔しながら卒論書いて金稼ぐだけです。

から技術職なので勉強は引き続きしないといけないんですが。

高校生の頃は、なんのために大学行くかなんて考えてなかったです。当時の自分殴りたい。

中学の頃鬱で全然勉強できてなかったんで、高校大学の附属校に入れられました。そのまま大学あがってます

学費以外は全部自分もちなので、高くても10万以下で一人暮らしが始められて、春まで継続できるならそうしたいのですが…。レオパレスってそんな安いんですか?

から会社の近くに住むつもりでいますが、引っ越し代と、給料入るまでのお金が確保できなければ実家から通うしかありませんね。死にたい

つかれた

もう疲れた


文系大学生が暇で楽なんて言ったやつ誰だよ。

確かに授業は少ないけどさ。

忙しすぎて全然自分時間がない。


大学までは自転車バス電車を乗り継いで片道2時間半。授業1コマだけでも結局移動時間がかさんで1日潰れる。他の予定が入れられない。

学校行くのに使う電車ローカル線で、1時間に3本くらいしかいからかなり待たされる。時間無駄

就活のため都心に行くのにも片道2時間以上。

定期代高すぎ。学校バイト先の定期合わせて月2万7千円。JRもっと運賃下げろよ。

学費以外かかるお金は全て自分で出さなきゃいけないから、授業と就活以外は全部バイト

でも休む日は週に1日は欲しいし、そうしたら効率よく稼げるところじゃないといけないので時給の高いバイトのために2時間かけて都心へ行く。

19時退勤だけど、家に着く頃には21時をまわる。

しか帰宅ラッシュから満員電車に1時間半立ちっぱなし。PCいから余計に疲れる。

夕飯食べて、お風呂の順番がくるのを待つ。もったいないこの時間。寝たい。

風呂に入ったら、疲れて課題やら資格勉強をする気力も無く布団に倒れ込んで寝落ち

睡眠時間基本的に5時間以下。

朝、アラームを止めた瞬間に寝落ちして二度寝寝坊遅刻しそうだから朝ごはん抜いて家を飛びだす。

朝弱いのは認める。私の意思の弱さかもしれない。これ本気で悩んでる。

週末はバイトを入れられないので、勉強の日にしようと意気込んで金曜日に寝るも、

睡眠時間が足りてないため昼頃起きて絶望

3時間ほど勉強して、また眠くなってくる。歩いたり伸びをしたりするけど、気がついたら椅子に座ったまま寝てたり。

結局全然進捗がないまま月曜日


こんな生活の繰り返し。

本当は睡眠時間を削りたいけど、睡眠時間少なくなると体調崩したり、膀胱炎になったりするので5時間睡眠を3日続けるのが限界


大人大学生楽しそうでいいなあって言う。そうでもないですよ。

学生のうちにやれることやっとけよ!って、はあ?

あなた学生の頃は時間お金も余ってたんでしょうね。

病院先生には、文系学生なんだしいつも暇でしょ?って煽られ。

うるせえ腹パンするぞクソジジイ

友達一人暮らしか、もっと都内に近いところに住んでいるので時間がたくさんあるようで羨ましい。

勉強もしつつ遊びも楽しんでるし。

一人暮らしなんて、親に家に帰る時間が遅いことについて文句も言われないし、家族生活リズムに振り回されることもないし、自立できていていいなあ。

みんなバイト全然忙しくなさそうなのに、なんでそんなに遊んだ書籍買ったりできるの?その金どこから湧いてるの?

あー、もっと学校都心に近いところに一人暮らししたいなあ。

ずっと我慢して何年も通ってるけど、たまに我慢ができなくて爆発して泣いてる。

やりたいことがあるのに勉強したいことがあるのに、なぜ私は今生活するのに精一杯になっているのか。

大学生ってこういうものなのか?

私が甘ちゃんなだけか。

貴重な4年間を、こんなかたちで過ごしていいのだろうか。

社会人になったら今より自由時間がなくなるのに。


就活中に赤字になって親に借金たから、それを返すために今週は授業サボってバイトに行かなければ。

2017-09-16

父を愛することが出来ない

 父は貧しい個人商店長男で、奨学金を貰いながら大学に通った。やがてお見合い結婚をし、母との間に私と妹が生まれた。妹が生まれる直前に、土地付きの家を買った。家族旅行にもよく連れて行ってくれた。私も妹も、名の通った私立大学を出ている。

 専業主婦の母と娘二人を養ってくれた、世間的には平凡だが立派な父。

 理屈ではそんな風に考えられるのに、私は父を愛することが出来ない。30歳になった今でもだ。


 子供の頃、我が家には大きなピアノがあった。私がピアノ教室に通い始めてすぐ、音楽の心得のある父が付きっきりで練習を見てくれたことがある。幼稚園児だった私にとっては、トラウマと言ってもいいような記憶である

 私がうまく弾けないでいると、父は厳しく叱り付けた。正しい運指を見せて、この通りにやれ、と言う。殴られたわけではないが、涙が出る程度には恐ろしい口調だった。両手が塞がっているので、涙も鼻水も垂れるがまま、いつ間違ってしまうかと怯えながらピアノを弾いた。見せてもらったばかりのお手本の真似も出来ない自分は、きっと出来の悪い子供なのだと思った。

 その後も父にはしばしば、「同じところで何度も間違うな」と注意されたことを覚えている。間違えると叱られる。私にとってのピアノとはそういうもので、演奏を楽しんだり、褒められた記憶はない。今でも鍵盤を前にすると、誰かに監視されているような気がする。弾くことは、もう一生ないと思う。

 子供にも音楽やらせたい、最初に正しい型を叩き込むのが肝心。それは父なりの愛情表現だったのだろう。ピアノは高価な買い物だったはずだし、月々の月謝も安くはなかったはずだ。何より、わざわざ時間を割いてくれた。練習の様子も気に掛けてくれてはいた。

 そう、理解はしている。理解はしているのだが。


 家族食卓を囲んでいても、父は原則として、人の話を聞いていない。「お父さんはどう思う?」と水を向けても、大抵は無反応である

 テレビを見ながらの大人同士の雑談なら、それでもいいかと思えるが、毎日出来事を話したい盛りの子供には辛いものがあった。進路や学費といった相談事まで無視されるのには辟易した。仕方なく何度も話し掛けたり、大きめの声で注意を惹くと、ものすごく不機嫌になる。金は出してやるから好きにしろ、とだけ言って背を向けてしまうので、どのみち会話は成立しない。

 そのくせ父の方は突然ウンチクを語り出したり、つまらオヤジギャグ飛ばし、望んだような反応が得られないと機嫌を損ねるのだ。

 そんな壊滅的な父の対話能力は、酒が入ると完全に消滅する。自分語りやお説教を垂れ流すのはともかく、好意的な反応を返さないと拗ねたり怒鳴ったりするのが厄介である

 体のためにも酒量は控えて欲しいと、家族がどれだけ注意したところで、ネットショッピング無尽蔵に取り寄せられてしまう。それでも家計に響かない程度に稼いでいるのは父自身なので、経済的な切り口から禁酒を勧めることも難しい。健康診断は既に要注意項目が複数あるのだが、どれも「危険」の一歩手前であるため、「これくらいは大丈夫ってことだろ」と言い張って毎日のように飲む。

 酔った時の父について、私は子供の頃、まるで人語の通じない別の生き物みたいだと思っていた。大人になり自分自身が酒を嗜むようになった今でも、その印象は変わらない。お酒楽しい時間を過ごすためのもので、酔って記憶も正体もなくすのでは本末転倒だと思う。

 私は思春期を迎えると共に、夕食を食べ終えた後は子供部屋に引きこもるようになった。妹は部活動アルバイトで、なかなか帰って来なくなった。

 父の帰りが遅かったある日、嫌味を言われたことがある。

「俺の金で生活出来てるくせに、女同士でだけ楽しそうにしやがって」

 何も言えなかった。父がいない日は妹も早く帰ってくるし、私だって居間宿題をやった。


 父はたぶん、精神的には幼児のまま、体と職能けが立派になってしまった人だ。父方の親戚や祖父母の家を見れば、経済的にも精神的にも恵まれない育ちだろうと想像はつく。発達障害の特徴もある。それでも一家大黒柱として、アルコール依存症気味になりながらも私たちを育ててくれた。

 立派だね、頑張ったんだね、育ててくれてありがとう

 きっと、そう言えるのがいい娘であり、いい大人だ。

 分かっていても、気持ちが追い付かない。虐待を受けたわけでもないのに、愛情を注がれてきたはずなのに、肉親を愛せない自分失望する。


 食卓に出された料理を、自分が欲しい分だけ取ってしまう父。一人二つずつだからね、と食べ始める時に母が釘を刺したにもかかわらず、無視して三つも四つも食べる。それが久しぶりに帰省して来た娘の好物であってもお構いなしだ。酒が入ると、もう手が付けられない。

 だから小皿に分けてって、いつも言ってるのに。ごめん、大丈夫だと思ったんだけど。母とは目と目でそんな会話をして、肩をすくめた。

 父は視野の狭い、ただの子供だ。悪気はないんだ。ならば歩み寄れる、愛せるようになるはずだ。

 そう自分に言い聞かせようにも、欲のままに飲み食いする還暦過ぎの酔っ払い視覚インパクトがあり過ぎる。卑しい、醜悪だ、という感情を打ち消すことが出来ない。自分の血肉の半分がこの男から受け継いだものだと思うと、身の毛がよだつ。どうして母は、こんな男と一緒に暮らし正気を保っていられるのだろう。

 こんなことは誰にも言えないから、ここに書く。

 私には、父を愛することが出来ない。

子供の頃から両親に認めてもらえなかった話。

私の最終学歴専門学校卒で今は看護師をしている。頭は悪かった。一方で弟はよくできていた。そんなもんだから弟と比較されて過ごしていた記憶しかない。

弟は県内一の進学校に通っていた。両親もそこ出身。私だけが例外。亜種。

そもそも小学校の頃から勉強にはつまづいていたし、だから親にはもう諦められていた感もあった。10歳程度で親の期待には答えられないことがわかった。バカに生まれると苦労するのである

まぁ勉強できないからやりたくなくなるわけで、成績もよくない。当然ですがそのほかに身を立てられるようなスキルもなかったので、勉強するしかなかった。今でも「芸術とか運動とか、そういう才能あるの?あるんだったら文句言わないけど、そうじゃないでしょ。なんで勉強すらできないの」と言われたことをよく覚えている。正論なので当然文句は言えない。

なんとか高校普通レベルのとこに入った。友達がいないわけではなかったので学校生活には問題無し。だがやっぱり家庭がネック。中学生の弟と当時の成績を比べられるわで。まぁ自分たちの行かせたくない学校に金払うのもばかばしかったんだと思う。学費などは文句を言われた。色々あって進路を決める時期になった。もはや国立大学には行けそうにない頭の出来だったし、医療福祉関係には中学の頃から興味があったので看護専門学校に行こうと思った。お願いだから専門学校とかはやめてくれと言われたが、なんとか行かせてもらった。そしてバカなりに学校卒業し、県内では結構大きい総合病院への就職が決まった。たぶん名前を言えばすぐわかるくらいって感じの。この頃から両親の態度は激変した。ようやく自分を認めてくれるようになったのだ。いいところに就職したね、と。一時期はどうなるか不安だったけど本当に良かった、と。嬉しかった。ものすごく嬉しかった。

何年かして弟も就職することになった。弟の就職先はテレビ局だった。進学校から偏差値の高い大学へ行き、テレビ局である。だが、ここで順調にいっていた弟の評価は一気に下がることになる。両親に言わせればテレビ斜陽産業だとかなんとかであんまり面白くなさそうなのである

ちょっと弟にマウント取れたような気もした。性格悪いと言われそうだが、弟にも評価されない悔しさでも味わってもらえればいいな、とか思ったのである

この間、休みに帰ってきた弟に話を聞いた。ちょっとかわいそうだな、くらいの気持ちで話を聞いた。なんかADのような仕事をしているらしい。新人お笑い芸人のこともさん付けで呼んでいるところが業界人の自慢話っぽかったけど、基本的には楽しそうだった。自分面白いことに携わっているという自信があるし、視聴者からのご意見でも高評価を得ているということがなによりも嬉しいらしい。一方、自分はどうかというと楽しく仕事をするとかそういう感覚がなかった。患者さんからありがとうと言われてもなんか信用できなかった。

楽しそうに話す弟に思い切って、両親のことを聞いてみた。弟は親のことは全然気にしていなかったらしい。というか両親のことを気にしたことがないとも言った。そうだった。弟は両親に事細かく言われたことがなかった。そもそも学校の成績も良かったし、進学の度に文句を言われた自分とは大違い。そういう部分で苦労なんかしていない人間だった。

自分勉強に対する苦手意識が大きく残っていたし、今でもそれで勉強不足で恥をかくこともある。就職先でしか褒められなかったことも自分の自信につながらない。たぶん、今の病院をやめてしまうようなことがあれば両親は自分のことを、またボロカスにするに違いない。子供の頃の、自分に戻るだけなのだ。弟は今どこへでもいける。今更何か言われても自信が揺らぐことなんてないんだろう。まぁそんなことに気づいたところでこれからどうしようかと思ってもどうしようもない話なので。

2017-09-14

anond:20170914220002

北海道情報大学電子開発学園グループから、4年制専門学校ダブルスクールというか大学併修の「大卒資格とれます」のがメインだよ。

地方試験会場は専門学校が多いし。大阪卒業式でたけど、一般で来てたの2人、あとは専門学校生ばかり。

学費は科目数によらず一定から限界まで取れるといいね

試験テキスト持ち込み自由とか自筆ノートのみ持ち込み自由かいくつかあるからシラバスみながら簡単そうなの選べば良いよ。

僕が京大に受かった時の話

他人に話したことは無いけれど、いいおっさんの年になったのでふと書いてみようと思った。

これくらいなら親の金じゃなくて努力したって言っていいかな?自分としてはあまり努力したような記憶はなくて勉強がすっげえ楽しかった思い出。

2017-09-13

生物専攻を続けるか、医学部を目指すか?

現在とある国で生物を専攻しています

病気をしたことがきっかけで医学部に興味を持ちました。

今いる国で医学部に入るのはかなり難しく、隣の国で医学部試験をしていることを知り、受けてみると受かりました。ははは…

しかし、日本医学部に席があることが入学許可の条件だったらしく、入学できませんでした。

今いる国には医学部試験制度がありません。

これからどうしようか悩んでいます

1、生物をこのまま続ける。

植物が好き。バクテリアってなんかすごい。こういう低レベル次元生物は好きなのですが、それでいいのかな。

そして就職が厳しいと聞き前々から不安に思っていました。

2、この国で生物卒業後、医学部に入り直す

この国で医学部に行くにはこうするしかない、けれどかなり狭き門らしく、条件も厳しい。ただ学費はほぼタダに等しい。

3、入れそうな国で医学部に行く。

東欧とか。英語で授業を受けられるので将来的に良さそう。金銭的に少し不安

4、日本医学部に挑戦してみる。

高校まで文系だったのと、センターは8割くらいあったのですが、数学がかなり悪くて国語英語カバーした記憶が…

正直なところ自分がどうしたいのかよく分かりません。

なのに人に相談するのも変な話ですが…。

将来を考えたときどれが一番ベストなんでしょう?

知り合いの人2人(東大京大出身でどちらも物理を専攻していた)には「生物就職に困ることはない」「物理の方が仕事なんてない」「プログラミングできるようにしておいたらいいよ」「研究職はお勧めしない」とアドバイスをもらいました。

でも調べると日本でも今いる国でも生物就職難、という情報が出てきます。今は状況が変わったのでしょうか?

今まで何も考えず流されるがまま生きてきて、このまま常に何かから逃げ回って、何の努力もせずフラフラ生きて行っていいのだろうか?という不安があります

かといって好奇心のままに医学部に行くというのもどうなんだろう。

何か、教えてください。

2017-09-12

これからどうすればいいかからない

今29歳。会社を3ケ月前に辞めた。

さいこから先生や周りの大人に抜群にウケが良かった。

小中は地方公立に通った。自分からは言い出さなかったけど、周りが勝手学級委員とか何かの代表に推薦してきたり、いわゆるヤンキーとも普通に友達だった。

クラスに馴染めない子がいたらそれとなく声をかけたりもしてた。

成績もまあまあ良かったから、推薦で私立高校特待生で入って大学に行った。

大学入学直前うちにお金がないことがわかって新聞奨学生として学費生活費を稼ぎながら通った。

大して勉強したいこともなかったが、周りがみんな大学行ってたから専門や就職は考えなかった。

学費の元をとろうと思って就活も頑張ったら第一志望の企業に行けた。

入社最初カスタマーセンターに配属された。電話死ぬほど苦手だったので社会人生活終わったと思ったが、すごく頑張ったら3ケ月後にナンバーワンになってた。

それから色々経験して、5年目くらいにはやりたい仕事もポツポツできるようになった。

社会人7年目に入ったころ、上司からあなた管理職にしたい」的なことを言われた。

一瞬で頭にたくさんのことが浮かんだ。残業満員電車責任会社への帰属意識。どれも人生で楽しくない要素ばっかりで、急になんでここにいるのかわからなくなった。

ちょっと考えて、その場で「辞めます」と言った。

ここで初めて、レールから外れた。

今までずっと、誰かが示してくれたレールの上を落ちないように走ってきた。

自分で考えるよりも先に、誰かが課題を与えてくれたから、それをがむしゃらにやってればよかった。

29年間、自分で考えることをサボってきた。

この3か月間、色々な本を読んだり、自己分析したり、勉強したりしてるけど、自分がこれから何をやりたいのか、どうやって生きていきたいのかよくわからない。

ネットにはよく「好きなことを極めろ」とか書いてあるけど、好きなことが見つからない。

受動的に過ごしてきたツケだと思ってる。

会社を辞めたことは後悔してない。自分が初めて与えられた環境にノーを言えたからだ。

初めて自分の声を受け入れて、とても気持ちいいと思った。

ただ、今とても苦しい。

自分の進む方向を自分で考えて決断することが初めてだからだと思う。

また会社員として働くこともできるし、東京を離れることだってできるし、地元に帰ったり、地方移住したり、外国に行くことだってできる。

レールの外歴3ケ月の自分には選択肢が多すぎて頭がパンクしそうである

【追記】

みんな想像以上に温かい言葉をくれて、泣ける。本当にありがとう

1人でぐるぐる考えるタイプからコメントを見ていて自分自身も気づかなかった部分や選択肢が見えてきた。

電池切れとか確かにそうだったかもと思った。

自分の考えをネット上で書くことにものすごい抵抗があったけど、書いてよかった。ありがとう

2017-09-08

https://anond.hatelabo.jp/20170908212346

貯金出来ないならディズニーより学費の方が深刻な問題だと思うから

かかる教育シミュレーションして

子供の将来や義実家経済的な緊迫度等々旦那と話を詰めた方がええで

元彼女元彼女じゃなくて恩人だった

編集しようとしたらタップミスで削除しちゃったから再投稿

中学時代クラスメイトが貸したラノベオタクになって9年目の夏のこと。

人生目標意識理想も持たず、目の前のコンテンツをただ貪る無味乾燥時間を送っていた僕に、何人目かの彼女が出来た。

彼女某SNSで知り合った女の子で、当時はまだ新卒社会人1年生だった。

僕にも彼女にも当初は別に恋人がいて、お互いの近況を話し合いながら「話は聞くからがんばってね」「そっちも彼女大事にね」みたいなやり取りをちょこちょこ交わしていた。

当時の恋人と別れた直後、彼女もその相手と別れたことをSNSに書き込んでいた。

「今までお疲れさま」

簡素な労いの言葉を送ると、予想だにしない返事が戻ってきた。

「今電話してもいい? もう寝る?」

僕は個人メッセージに「非通知でもいいよ」と添えて、自分電話番号送信した。

数分後、見慣れない電話番号から着信が。電話に出ると聞きなれない声で「恵美(仮名)です」と名乗った。

そこから互いの身の上話(ほとんどが彼女の話だったけど)を重ねるに連れ、彼女がこんな言葉を漏らした。

「私、増田くんとなら付き合えると思う」

驚いた。本当に驚いた。

それまでの僕は自分に自信がなく、これまで付き合っていた相手とも「何が良くて自分なんだろう」と思うことの方が多かった。

更に、当時の僕は先天的に持っていた障害(注意欠陥症候群)が発覚したばかりで、尚更人間関係に対して自信をなくしていた。

彼女は強い結婚願望を持っていた。

そんな相手と上手くいくとは思えなかった。

そう思っていた矢先、彼女はこう打ち明けてきた。

「私、付き合う前に言っておかないといけないことがある」

弟以外の家族関係が悪いこと。

援助ももらえなかったため大学学費風俗で稼いだこと。

そのほか、ここには書ききれないたくさんの話を聞いた。

そのおかげで、僕は自分が抱えていた不安を打ち明けることが出来た。

障害の話。これまでの話。10年来の付き合いがある友人にも言っていなかった話。

それでも彼女は、こう言ってくれた。

「1人じゃダメでも2人ならなんとかなるよ

 一緒に何でも試してみようよ」

その言葉に心を動かされ、僕は彼女と付き合うことになった。

中学時代クラスメイトが貸したラノベオタクになって9年目の夏のこと。

人生目標意識理想も持たず、目の前のコンテンツをただ貪る無味乾燥時間を送っていた僕に、何人目かの彼女が出来た。

彼女某SNSで知り合った女の子で、当時はまだ新卒社会人1年生だった。

僕にも彼女にも当初は別に恋人がいて、お互いの近況を話し合いながら「話は聞くからがんばってね」「そっちも彼女大事にね」みたいなやり取りをちょこちょこ交わしていた。

当時の恋人と別れた直後、彼女もその相手と別れたことをSNSに書き込んでいた。

「今までお疲れさま」

簡素な労いの言葉を送ると、予想だにしない返事が戻ってきた。

「今電話してもいい? もう寝る?」

僕は個人メッセージに「非通知でもいいよ」と添えて、自分電話番号送信した。

数分後、見慣れない電話番号から着信が。電話に出ると聞きなれない声で「恵美(仮名)です」と名乗った。

そこから互いの身の上話(ほとんどが彼女の話だったけど)を重ねるに連れ、彼女がこんな言葉を漏らした。

「私、増田くんとなら付き合えると思う」

驚いた。本当に驚いた。

それまでの僕は自分に自信がなく、これまで付き合っていた相手とも「何が良くて自分なんだろう」と思うことの方が多かった。

更に、当時の僕は先天的に持っていた障害(注意欠陥症候群)が発覚したばかりで、尚更人間関係に対して自信をなくしていた。

彼女は強い結婚願望を持っていた。

そんな相手と上手くいくとは思えなかった。

そう思っていた矢先、彼女はこう打ち明けてきた。

「私、付き合う前に言っておかないといけないことがある」

弟以外の家族関係が悪いこと。

援助ももらえなかったため大学学費風俗で稼いだこと。

そのほか、ここには書ききれないたくさんの話を聞いた。

そのおかげで、僕は自分が抱えていた不安を打ち明けることが出来た。

障害の話。これまでの話。10年来の付き合いがある友人にも言っていなかった話。

それでも彼女は、こう言ってくれた。

「1人じゃダメでも2人ならなんとかなるよ

 一緒に何でも試してみようよ」

その言葉に心を動かされ、僕は彼女と付き合うことになった。

それからすぐに彼女の家が僕の職場に近いことが判明し、彼女の家に引っ越しての同棲が始まった。

一緒に暮らすにつれ様々なことがわかった。

彼女ヘビースモーカーなこと(つられて僕もタバコをはじめた)

・お互いに性欲が薄く、SEXをしなくても充分満たされること(彼女キスが好きなため流れでヤることは多かったけどそれでもこれまでに比べたら少なかった)

彼女にとってのオタク趣味あくま趣味の一つで、本当はもっと趣味なこと。

彼女は決して、顔で僕を選んだわけじゃなかったこと。

当時の僕は周りから評価に対して承認欲求けが異様に強く、強気発言や嘘をついて炎上したことも多々あった(承認欲求に関してはここに書いてる時点でまだ収まってないんだろうけど当時よりは落ち着いたってことで許して欲しい)

でも、彼女ありのままの僕を受け入れてくれた。

自然と、彼女だけには嘘をつきたくないって思うようになっていた。

自分で作り上げていた「嘘の壁」の中に誰かをこんなにも強く想える自分いたことにびっくりした。

そこから2年間、僕は彼女の好きになれる自分になろうとして努力した。

努力を重ねた結果、体調とメンタルを壊し、当時の職場退職した。

そこからすれ違い(一番の理由は「なんでそんなになるまで相談しなかったの」)を起こし、破局した。

知り合ってから約3年、付き合ってから2年半が過ぎ、結婚視野に入れていた矢先のことだった。

実家に帰って、わずかに貯めていた金を使って地元温泉宿で1週間ほど色々考えた。

後悔とか開放感とか恨みとか悲しみとか色々な感情が頭と心を巡って、一生分泣いたんじゃないかってくらい泣き通した。

一通りの気持ちの整理がつき、最後に濾過されずに残った感情確認するとそれは「感謝」の気持ちだった。

彼女出会えて、僕は本当に変わることが出来た。

そのことに関して、今でも感謝している。

からやり直すということは不可能だし、彼女には俺じゃない別の誰かと幸せになってもらいたい。

今の僕は君に比べるとあんまり頭も良くなくて家事もそこそこ苦手だけど君と同じくらい可愛くて優しくて音楽映画が好きな子と付き合ってます

彼女にこのことを話した時に「今はもう感謝しかないんでしょ? じゃあその元カノさんはますくんの恩人なんだね」って言われてあらためて君の存在の大きさに気づきました。

多分君に出会ってなかったらこの子を好きになることもなかった。

俺は君のおかげで幸せだし、君もどうか幸せになってください。というか今は結婚してるんだし幸せか。

恵美が幸せなら、僕も嬉しいです。

君を幸せに出来なかった分まで、今の彼女のことを大切にしたいと思います

君は僕の元彼女で、それ以上に僕の恩人で。

から、僕は君のことを一生忘れないと思う。

彼女の影響で好きになったバンドライブを見て、音楽に関わる仕事に就きたいと思ってダメ元で応募したイベント会社ライブスタッフ求人に受かってたか備忘録も兼ねて書き綴ってみた。

長文乱文で読みづらかったら申し訳ないです。

2017-09-06

私の浪費懺悔

浪費図鑑という同人誌を読んだ。

ジャンルオタク女子による、匿名の浪費エピソードが載っている同人誌だ。

影響されやすいので、私も自分の浪費について語ってみたいと思う。

*********

下男アイドルへの浪費

そのグループを知ったきっかけは、推しとの共演だった。出番は少なかったが、ステージ上でキラキラ輝く姿を見てときめき、公演後の握手会にも参加した。

間近で見てもキラキラしてて、すっかりファンになってしまった。

地方に住んでいたが、当時就職活動をしていた私は、就活にかこつけて東京に何度も遠征し、ほぼ毎週のように週に1回の定期ライブに参加していた。

推しグループの中でも認知が早い方のため、すぐに顔と名前を覚えてくれた。3回目の握手くらいで、Twitterアカウントまでバレた。(これは正直怖かった)

メジャーデビューや結成◯周年記念ライブなどもきっちり通った。握手すると、手をぎゅーっと握って顔を近づけてニコニコ喜んでくれる推しが可愛くて可愛くて、どんどんとCDを買った。

しか学生だし、遠征費もあるし、就活バイトもろくにできていなかった私の少ない貯金はどんどんと減っていく。

そして私はついに母から振り込まれていた学費にも手を出してしまった。(さすがに全部は使ってないけど!)

卒業できなくなるので、学費を使ったことを母に打ち明けたが、何に使ったのかは言えなかった。

私は一人暮らしだったので、大量のCDもバレてないし。おそらく母は就活交通費などに使ってしまったと思ったのだろう…申し訳ない…。

さて、そこまでつぎ込んでいたが、熱は一瞬で冷めてしまった。なんならアンチになった。

原因は別のメンバーの繋がりや悪い噂。推し可愛いけど、そのグループお金を使うことがバカらしくなってしまったのだ。

馬鹿だったな〜〜と思うけど、記憶の中の推しはいつもかわいい。たまに活躍を目にして、ときめくこともあるけど、その度に例のメンバーが目にとまり嫌悪感が沸くのだった。

2017-09-01

行きたいなと思った大学があったのだが

https://anond.hatelabo.jp/20170901130508

確かにどこの大学でも一定数の出来の悪い人はいるだろう

それはまだ譲る、

出来が悪いとかではなく人間的に道徳的にどうかって人についてどうなのかという点

しかにそれもまたいるのかもしれない。

だがその一部の人間で金を支払って授業を受ける側としては、

そんな人間に授業妨害(直接的なものではなく人間関係悪化させ雰囲気を悪くする等)されるとなると、

とても損をする気がしてならないのだ。

から金をもらって授業を受動的に授業を受けている人はその感覚は感じづらいだろう。

だが何か収入を得てその中から学費に割り当ててる人、

私がそうなのだがそういう立場からするとそんなのは悪童でしかないのだ。

行きたいと思う大学なのだからとうぜんそのつもりだが、

そのような人間が居た場合今の私としては(もう義務教育のように折に閉じ込められた場ではないのだから)、

躊躇無くそ人間にたとえ講師がいようとも吠え掛かるつもりではあるが、

そんな気分になる前兆から排除したいわけだ。

となるとそのような人間がいる場所を極力避けたいもしくは興が冷めてしまうわけだが、

それもまた避けたいわけで苦悩なわけです。

一定数のなかに一定数のゲスがいるというのはそら当然なのだけどね。

わかってはいるが。

2017-08-31

https://anond.hatelabo.jp/20170831201803

日本医療費は安いから、医療スタッフ給料も安めになるし

(高給とされている医師だって世界的に見れば日本薄給、その割に激務)

薬剤師看護師より格段に楽なんだから看護師以上の給料が貰えるわけない。

「高額な学費を払って」って事は私立だろうけど、学費がかかる割に給料は安いか

私立薬学部偏差値が高くない(勿論大学にもよるが、下は40を割っている)わけだし。

稼げる仕事なら皆なりたがるから学費高かろうが偏差値は上がるはず。

医療職(医師以外)のメリットは、あくまで安定性&女でも比較差別が少なく出産後も働ける環境が整っている事であって

給料が高い事ではないよ。

から男が就く意味はあまりない。

2017-08-28

民進党代表選街頭演説会@有楽町を見てきた

増田リベラルで、有権者になってから基本的民主共産と民進に票を入れてきた。しかしこれまでの民主・民進の代表好きな人間があまりおらず、一番好きな党首という括りにすると福田康夫元首相だった。そんな中、あの枝野幸男氏が代表選に出ると聞いて、一度見てみたいと思って有楽町まで足を伸ばしてみたのであった。

街頭演説会はひとり7分。有楽町では前原氏が先、枝野氏が後である

前原氏の演説

前原氏は小泉首相時代年金改革を例に上げて、年金のことをひたすら喋る。有権者としては若めの増田、正直つまらないというか、年金負担バカみたいに上昇していったほうがキツいんだけどな……という思いが溢れる。かなり長い高齢者の話を終えると、今度は学費仕送りの話。東京大学生するのにかかる費用は平均で年120万円とのこと。当然学費無償化の話かなと思ったら負担大きいよねーという話で終わった。その後非正規雇用を減らすというざっくりした話だったと思う。正直具体案が少なくあまり覚えていない。

枝野氏の演説

続いて枝野である。冒頭で政治不正について。情報公開法公文書管理法特定秘密保護法について言及しつつ話始める。そのまま憲法にも繋げる。まぁ言わばコンプライアンスである。その後に生活から経済前原氏のキャッチフレーズ言及する形で介護の話、そして介護士保育士給料を上げることで消費を刺激し、経済を良くするとのこと。最後にもう一度情報公開法公文書管理法特定秘密保護法言及し、全体をまとめて終了。

代表選で「情報公開法公文書管理法特定秘密保護法」という行政監視について2回も言及する人、面白いなとしか言いようがない。森友、加計が無ければこんなに言及できない話題と思うのだが、実際もうすでに感心が低下しているのか、今日演説会でも聴衆の反応は良くない。が、しかし、増田歴代首相福田康夫が最も好きな公正な行政マニアなので、いいねぇって感じしかなかった。行ってよかった。

全体の雰囲気

どちらの陣営も盛り上がるって感じは少なかった。時間が16:30と大抵の人が終業前で、玄人が多く、関係者と非党員割合は8:2ぐらいじゃないだろうか。高齢者が多いということもなく、ただ関係者がおるなって感じ。演説とき関係者ぐらいは合いの手もっと上手に入れればいいのにって思った。

演説のうまさはどちらも持っているが、カリスマ性は前原氏の方に感じた。しか前原氏は具体的な話に乏しく、枝野氏の方がより信頼がおける感じはしたが、まぁ増田は今回の代表選枝野氏支持なので、ひいき目があるのでは?って言われるとそうかもである

おわりに

さて、見てきた報告なので結論とかはないのだが、今回の演説会で最も気になったのが、「普通労働者への言及がほぼない」ということである普通労働者というのは実質上フルタイムで働いている労働者という意味である。とかく、企業労働基準法を守らないという話を、現役の労働者達が大量にTwitterで呟いている今日、なぜ民進党の支持者のど真ん中である人々に対して、明確なメッセージをどちらの候補も発せなかったのか。労働時間規制賃上げによる生活改善を訴えられないのか。正直に言ってそこは非常に残念だった。今働いている現役世代を大幅に自民党に取られているのは、そこだと思うので、両候補とも増田のような公正な行政マニアは後回しでいいからよろしくどうぞ。

https://anond.hatelabo.jp/20170828160930

まさにそんな感じ

大学生の頃、入学金と学費貯金全部吹き飛んでしまって家賃光熱費でぎりぎり…な生活を過ごしてたんだが、

そこまでカツカツになるとフライパン包丁、お皿なんかの基本的調理器具すら買えないほどになってしまうから

結果ご飯の選択肢が出来合いのお惣菜弁当カップ麺のみ…ってな感じになってしまったことがあった。

自炊必要な初期投資すらできなくて、とりあえず腹を満たそう!ってなるとやかん1つで解決可能カップ麺になる

2017-08-27

いい加減、学生ローンをどうにかしてくれよ

今日本では国民借金の増加について議論が繰り広げられている。特に現在問題になっているのは学生ローンすなわち奨学金である。長引いた不景気に伴う就職難や収入不安定階層高学歴化によって自己破産する家庭が出現している。日本政府日本学歴社会化を待ち望んでいるが、奨学金ローンによる弊害を知った庶民高学歴化(高校卒業後の進学)を諦め、景気の自然回復(とはい不況から普通になっただけだが)による有効求人倍率の上昇や企業努力などによる働きやす環境の整備などもあって、早期就職選択する若者が急増している。これは政府にとって痛い現実だ。世界経済社会成熟に合わせて学歴社会が進むのが当たり前(北欧韓国がその例)だが、日本学歴社会化は減速している。(日本大学現役進学率は1990年代不況以降上昇し続けてきたが、2010年代に入ってから減少に転じた。)これは日本社会成熟させるに当たって解決せねばならない問題だ。

そこで、私は、ローン式の学生奨学金制度順次廃止して、給付式の奨学金に移行させる、学生奨学金改革提案したい。その前提として、人口増加率の減速に合わせた学校の整理を行わなければならない。具体的には底辺の私学に対する閉校勧告公立学校の整理で、学生ローンの原因となっているランニングコストの削減を図る。一般的に、日本では高偏差値学校ほど志望倍率や学生人口が多く、低偏差値になるにつれて倍率や人口が少なくなる傾向がある。欧州教育インフラ成熟がうまくいっているのは、まず大学絶対数が少ないために、公的機関によるランニングコスト負担が軽減されているかである底辺校は切り捨てられる流れにし、学生ローンでまかなっていた教育コスト負担公的に行える土壌になればよい。ついでに、加計学園のような底辺校新規開設も止めさせるべきだ。底辺校粗製乱造公共にも学生のためにもならない。そういう学生浪人して別の大学を志望するなり、大学進学が必要なければ高卒就職する方がよい。大体日本学歴社会なんて韓国よりは100倍ましなのから

なお、今ある学生ローンについてだが、私が教育界隈を司る大臣役人であれば、徳政令によって債権債務を帳消しにすることを考える。「自己責任」という意見もあるだろうが、大学学費ローンは住宅ローン並みと同じくほぼ一生付き合わされる重い負担である。その負担を軽減したほうが、経済復興の加速や若者の消費意欲の向上にも繋がるのではないか。私は国公立大学卒業した中流の上の家庭出身だが、それでも元大学生としての経済的な痛みは理解できている。もし、地方自治体レベルでもいいか選挙政治シンポジウムに参加する際には、是非とも日本学生ローン問題について取り上げてみたいと思う。


とにかく、学生ローンというのは日本社会にとって喫緊課題であるので、次の国会自治体議会において取り上げられればと思う。いや、選挙ときに争点にされなければならないレベルになっているのではないかと思う。しかしながら、私は公務員として働いており、娘や息子も今年受験して来年公務員になる予定があるので、民間人のように政治思想自由に語れないという不自由さもあるのだが……。

2017-08-26

留年生に対する社会の扱いが酷すぎる

小中高全て公立学校に通い塾も予備校も行くことなく(Z会は使っていた)、トップクラスの国公立大に進学したかコスパ最強マンを自認していた。けど留年した今最底辺生活を味わっている。

まず学費が年間で50万かかる

月5万貰っていた奨学金が止まる

家賃月1万の寮から追い出され、なんとか家賃6万の三畳しかないタコ部屋みたいなところを見つける

タコ部屋にはキッチンがないので外食しかできなくなり食費も激増

今まで貯めた貯金半年すっからかんになりそう

レールを少し外れただけなのに社会は厳しすぎる…

2017-08-25

最終学歴で何を買うのか

高校三年生の甥っ子が「進路めんどい」とうだうだしていた。「大学受験はかったるい」「専門学校でいっか」「とにかくどこでもいいから行け行け担任も親もうるさくて」。

なんでも聞いてくれるというお墨付きをいただいた私は傾聴に努めるけれど、心はふんわりと自分の中へと潜り込む。

自分高校時代を思い返してみると確かに、あの頃は何をしたいかなんてさっぱりわからなかった。

姉(甥っ子の母)が優秀だったので何一つ問題なく高学歴ルートに入るのをなんとなく劣等感にまみれた目で見ていた。

周囲の目を気にしながらも、あの時なりにつくった理由(将来の夢?)を足かせに大学受験をしたことを覚えている。

妹は私よりずいぶんとハッキリとした夢を描いて一年専門学校へ進学した。

弟は目的がなかったことと経済的余裕がないことを理由高校卒業後働いた。

から大学専門学校という最終学歴を持つこと、そして最終学歴高校とすることのそれぞれの結果を家族内で見たことになる。

単にあるひとつのケースとして、だけれど。

大学公立だったため学費私立比較すればかからなかったほうで、留年もせず卒業した私はその後一般企業に勤め、あまりブラックさにうつ病発症して退職現在専業主婦。病も軽度の時に救われたため、現在幸せと言える。

妹は専門学校進学のために奨学金を借り、卒業狭き門だった夢はそうそうに諦めてフリーターを続けるも奨学金返済が間に合わず実家に戻り、現在実家自営業を手伝う。彼女彼女なりの幸せ模索しているみたい。

弟は飲食業バイトを続けたのちに同社の社員に昇格、その後独立して自分の店を建てるもうまくいかずに店を閉め、その後はその経験ブログ執筆にあてて副業で稼ぎながら農家で修業中。彼も幸せ

大学時代に学んだ授業は、驚くほど覚えていない。ただ、時間も惜しま研究したこと、そこで出会った刺激的な仲間については今も良い糧となっている。全く別の業種についたが、あそこで出来上がったアイデンティティは大きい。

妹は専門学校時代を忌み嫌っている。理由は授業が入学前に説明されたものと違ったということと、専門学校自体宣伝自分の夢を搾取されたと感じたからだという。夢を叶えられなかったのは自分の才能がないからだ、と理解している。

弟はそんな私たちを横目で見て、一度お酒を飲み交わした際に「学費を払って何を学んでいるの?俺はお金稼ぎながらあほのように人生経験してるよ」と言ったことがあった。あの言葉は、忘れられない。

払った学費はなんだかんだで妹が一番大きいだろうか。

私は大学のものに払ったお金よりもその他の交友関係に使った費用が大きかった。

弟は独立して店に失敗したことで私たち以上の損害を抱えた。

夏休みの終わり、たくさんの高校三年生が、あるいはもっと若い学生たちが、進路に悩んでいるのだろう。

どの学校?偏差値は?親が言うからしょうがない、勉強めんどうくさい、これやりたい、あれやりたい。

ついこの前VALUの騒ぎを見て、あと今更ながら逃げ恥を見ていてぽつんと思ったことだが、やっぱりなんでも見返りがほしい。

なんでもだ。

から、きっと最終学歴にも私たちは見返りを求める。

というか、見返りを求めないで誰かの言いなりになって決めると不幸しか訪れない。

大学に入ったら安定した人生だろうか。

専門学校に入ったらスキルを活かした夢の実現だろうか。

進学を選ばなければ自由時間労働から得る充実感、そして対価だろうか。

なんだか言葉で書けば書くほど薄っぺらくて、そんなもののために(というかそんなふわっとしたもののために)進路なんて決まるか、と思えてくる。

から、進路に悩んでいる状態は間違っていない、と思う。

早く決めろ、どこでもいいから行け、という大人意見は、まあ正しい部分もあるにはあるけれど鵜呑みにする必要はないと思う。

からやってほしいことがある。ここから高校三年生の甥っ子にも話したことだけれど。

まず、進学するなら学費を見てほしい。大学でも専門学校でも。それから、在学する年数も。

その上で、その学費時間投資して「何を買いたいのか」をハッキリ答えられるか確認してほしい。

その形は「夢(状態)」でもいいし、「将来の収入(物)」でもいいし、なんなら「たった一人の親友」とかでもいい。

つり合いのとれる見返りを自分で描いてほしい。

それがどうしてもできないんだったら、ちょっと高値張って無駄な買い物をすることになると思う。

それは、あとでわめいても、誰にも文句を言えないお買い物。

ちなみに財布が親だろうが、奨学金だろうが、自分ではない場合も確かめてほしい。

出所自分じゃなかったら全部借金から

ということをつらつらと話した。

甥っ子は途中からうつむいて、「めんどーだよもー、ゆーちゅーばーになるー」と大声ではやしたてて言っている顔の表情は隠して見せなかった。

2017-08-17

これからどうすればいいのかわからない

今29歳。会社を3ケ月前に辞めた。

さいこから先生や周りの大人に抜群にウケが良かった。

自分からは言い出さなかったけど、周りが勝手学級委員とか何かの代表に推薦してきたり、

地方公立小中を出たけどいわゆるヤンキーとも普通に友達だった。

クラスに馴染めない子がいたらそれとなく声をかけたりもしてた。

成績もまあまあ良かったから、推薦で私立高校特待生で入って大学に行った。

大学入学直前うちにお金がないことがわかって新聞奨学生として学費生活費を稼ぎながら通った。

大して勉強したいこともなかったが、周りがみんな大学行ってたから専門や就職は考えなかった。

学費の元をとろうと思って就活も頑張ったら第一志望の企業に行けた。

入社最初カスタマーセンターに配属された。電話死ぬほど苦手だったので社会人生活終わったと思ったが、

すごく頑張ったら3ケ月後にナンバーワンになってた。

それから色々経験して、最終的にいわゆる会社花形部署に配属されて思いっき仕事した。

社会人7年目に入ったころ、上司からあなた管理職にしたい」的なことを言われた。

絶対嫌だと思った。今より残業が増えるし上層部に振り回されるしどんどんこの会社しか生きられなくなる気がしたからだ。

ちょっと考えて、その場で「辞めます」と言った。

ここで初めて、レールから外れた。

今までずっと、誰かが示してくれたレールの上を落ちないように走ってきた。

自分で考えるよりも先に、誰かが課題を与えてくれたから、それをがむしゃらにやってればよかった。

29年間、自分で考えることをサボってきた。

この3か月間、色々な本を読んだり、自己分析したり、勉強したりしてるけど、

自分がこれから何をやりたいのか、どうやって生きていきたいのかがずっとモヤモヤしている。

ネットにはよく「好きなことを極めろ」とか書いてあるけど、好きなことが見つからない。

受動的に過ごしてきたツケだと思ってる。

会社を辞めたことは後悔してない。自分が初めて与えられた環境にノーを言えたからだ。

初めて自分の声を受け入れて、とても気持ちいいと思った。

ただ、今とても苦しい。

自分の進む方向を自分で考えて決断することが初めてだからだと思う。

また会社員として働くこともできるし、東京を離れることだってできるし、

地元に帰ったり、地方移住したり、外国に行くことだってできる。

レールの外歴3ケ月の自分には選択肢が多すぎて頭がパンクしそうである

2017-08-16

https://anond.hatelabo.jp/20170816161321

高齢化自明のことだから仕方ないとして、少子化に対する無策ぶりは驚異的だわな

というか無策どころかまったく逆の政策やってきたのが特に90年代以降やな

学費は上げる、消費税も上げる、労働時間は伸びる、賃金は減る、母親は叩く、で子供が増えるわけがない

しろわざとやってんじゃないのか

2017-08-15

学者になるために5年間学費を払って大学院にいってもポストが得られるかはわからないってのは当然、当たり前と扱われているのに

5年間無給修行しても刀匠としてやっていけるかはわからない、があそこまで炎上しているのはなぜなのかよくわからない。

学位」の有無とかそういうことなのか?まあネットでいろいろ言ってる方々は、そういうのかなり重視そうな傾向にあるからそうだとしても不思議ではないけど。

2017-08-14

実家大掃除した

諸用あり帰省した。

祖父母の元気がいよいよなくなってきているという母親の脅しもあり、高い飛行機チケットを買った。

実家で羽を伸ばしてきてね」

という同僚たちの声かけがありがたかったが、帰省には内心うんざりしていた。落ち着けないなと思った。自分がこの世で心底落ち着け場所は、もはや東京都北区6畳ワンルーム寝床のなかだけな気がしていた。

家族はあまりれい好きではなくて、というか掃除が大嫌いだから実家は埃まみれで汚い。もともと自分は不潔な子供だったと思う。お風呂も2日に1回だったが、それが当たり前だと思っていた。

けれども実家ゴミ屋敷めいて汚くなり始めたのは、大学進学に伴って家を出てからだ。自分関東大学に進学し、学費のため母親が働くようになり、家の隅々まで気がまわらなくなり汚くなった。つまり自分のせいだ。

学生となり帰省したある夏、自分の部屋に、お菓子を食べたあとのごみがうず高く積まれていて閉口した記憶がある。

妹の部屋に入りきらないごみが、自分の部屋にまで侵食していたのだった。そのままでは眠れないと思い処分したが、いざ寝ようと思った時、すえたチョコレート匂いや埃臭さが壁紙に染み込んでいることに気づき屈辱を感じた。

その日はなかなか眠りにつくことができなかった。

それから実家に帰るたびに物が散乱し、形容し難く汚くなっていくのを見て、罪悪感に苛まれた。

帰るのが毎回億劫だった。罪悪感とともに、家族のことを恥ずかしく思う気持ちも芽生えていた。

大袈裟かもしれないが、実家が年々ゴミ屋敷めいていくのが、自分能力限界を示しているような気がしていた。

家が汚い人間がどれだけ教養を身につけようと思ったところで、限界があるのではないか

の子は蛙。下流人間下流

幼少の頃、家にある本は「課長島耕作」と父親の買うパチンコ雑誌のみ。

家族集中力がないかテレビチャンネルをすぐ変える。認めたくないことだったが、自分家族は、あまり頭がよくなかった。

今は恥じる気持ちも薄れた。お金がないのに関東大学に通わせてくれて、感謝してもしきれない。だが実家は未だに汚いままだ。このままではゴミ屋敷のものになってしまいそうである

から実家掃除することにした。面倒だったので墓参り以外に予定もいれておらず、お金を使うのも億劫だったのもある。それに、帰省の前に北区6畳一間のアパート大掃除したらそれが思いの外楽しかったので、楽しみながら掃除ができるのではと思っていた。

掃除をする旨を家族に伝えると、テレビが壊れて買い替えたので業者が来る、だからリビングから掃除をしてほしいと母親に頼まれた。

隅々まで掃除機をかけた。掃除機では取りきれない埃をモップでとった。絨毯にコロコロをかけた。こびりついた汚れに電解水を噴射し、こすった。面白いほどきれいになった。

楽しくなってきたことを伝えると、うずうずとしていたのか母親も参戦し、ともに台所の油汚れも落とすことになった。換気扇は全面が赤茶色コーティングされており、パネルジャクソンポロック絵画のように汚れが飛び散っていた。

母親がどこからか出してきた業務用の洗剤を噴射してラップを貼り、しばらく置いた。そうして剥がすと、力をいれずとも汚れがスルスルとれた。そうしてあっという間にキッチンは、新築同然の姿になった。

こんな簡単なことだったなんて!自分が悩んだ、実家が汚いという事実や伴う罪悪感は、洗剤とほんの少しの労力で解決できるものだった。

こんなことなら、もっとから掃除しておけばよかった。楽勝だった。御託を並べている場合などではなかった。さっさと行動すればよかったのだ。

キッチンは電源タップ炊飯器などあらゆる部分に埃がついて、油にまみれてしつこい汚れとなっていたが、少し力をいれたら完全に取れ、新品同様の姿となった。

ソファの合皮もてっきり経年劣化だと思っていたが、洗剤をつけてこすったらピカピカ光り出した。母親が歓声をあげた。

まりに楽しかったので、掃除モチーフにしたテーマパークを作ってみてはどうだろうかと想像したほどだ。

大人たちがピザを食べたりなどして見守るなか、子どもキャストの指示のもと、換気扇の油汚れを落とすのだ。

テーマパークから帰った子供たちは、親の手伝いをするに決まっている。

今回大掃除成功したわけだが、次に帰る頃にはまた実家は汚くなっていると思う。

見つけてしまったが、パンについてきたシール適当にとっておくようでは駄目だ。人からの貰い物も躊躇なく捨てるようにならない限り、家はきれいにならない。

でもそうなれば、また自分がきれいにすればいいだけの話だ。

できる人間がしなければいけないのだ。この場合のできる人間とは、せずにはいられない人間という意味だ。

できる人間には、それができてしまうという限りにおいてしなくてはならないという義務が生じる。

母親は疲れ果ててできなかったのだ。父親も妹もまたそうだった。自分が恩返しをしなくて何になろう。

できる人が黙々とすればいい。これは掃除に限らず全てにおいてそうだと思う。人への気遣いとか、オリンピック競技選手とかもそうなのかもしれない。

できてしま人間はできない人間に対し、それができてしまうという限りにおいて、その行為をしなくてはならないのかもしれない。

なぜならできるということだけで、その人は恵まれいるからだ。そして自分は完全に恵まれしまっていた。全て家族のおかげだった。

帰省の折にたったの一度、大掃除をしただけで何を偉そうなことを、と思う。

盆は大掃除以外には何も素晴らしいことはなかった。祖父母や両親の老い、そして死の予感をひしひしと感じた。

自分はと言えばしたいことも欲しいものもなく、友人と会いたいとも遊びたいとも思えず、貯金への欲望があるのみだ。

自分もまたこうしているうちに死んでいくのだろう。ゆっくりと。その場所ごみに溢れているかもしれない。

だが自分は抗いたい。祖父母や両親の死は避けられない。しかしその最後の時まで恩返しをしたい。だからよい洗剤を探す。収納方法を極める。できることはなんだってしてやる。

ごみなんていくらでも捨ててやる。

2017-08-09

私の家はけっこう貧乏なんだけど

私の家は年収から考えるとけっこう貧乏な方だ。それでも色んな人に甘やかしてもらったか幸せ暮らしているという、私の家族の自慢話。

私の家は父、母、姉、私の四人家族。父は中小企業会社員、母はパート、姉は新卒社会人、私は大学一年生だ。

私が父の年収を知ったのは去年の夏だ。東京私大に行きたいと父に相談したところ、私大に行かれると実はお金が大変だからできたら国立大に行ってほしいと言われた。もうとうに50歳を過ぎた父の年収は300万円代だった。これが子供のいる家庭においては、普通よりちょっと少ないということは私にも分かった。私はそこで初めて、自分の家が実はけっこう貧乏なんだということを知った。母はよく「うちは貧乏から」と笑っていたし、勿論お金持ちだとは思っていなかったけれど、まさかそこまでだったとは。母は貧乏ラインが高いなぁなんて思っていた。私は18歳になるまで知らずに生きてきた。

私の実家は北の方にあって、一軒家だ。私の家はお小遣い制ではなかったけど、欲しいものは基本、何でも買ってもらえた。本も洋服も。遊びに行く時にはお金をくれた。そのお金の残りを貯めて、よくゲームを買った。たまの休みの日は母と日が暮れるまでゲームをした。物欲はそこまである方じゃなかったから、それで十分だった。少し足りなくても、あとはお年玉で上手くやりくりすれば難なく一年過ごせるくらいには余裕があった。そのお年玉も余って今では40万ほど貯金がある。母は料理上手なのであまり外食はしなかったけど、それでも誕生日にはかなり美味しいお店に連れてってもらった。本格カレーが食べたくなったら食べに行った。学校で忙しくなる前は海外旅行も何回か行った。一年に一回は家族旅行をした。姉は大学留学をした。短期と長期、二回も。私の家はどちらかと言えば少し裕福な方なんじゃないかと思っていた時期すらあった。

でもよく考えたら、小学生の頃から母は一日中働いていた。私は小さい頃病気がちだったから、薬代もけっこうかかっていたと思う。中学生になって病気が落ち着いてからも、母はずっと働いていた。それでも朝ごはん夜ご飯は必ず一緒に食べてくれたから、あまり働いていた印象がなかっただけなのだ。姉は実家暮らしだが、大学時代から家にお金を入れていた。祖父母は家電など大きな買い物の時必ずお金を出してくれていた。親戚も会うたびにせっせと私たちお小遣いをくれていたように思う。私が親戚で一番下の子どもだったこともあるのだろう。父だって毎日必死に働いていた。何の疑問も抱いていなかったが、つまりそういうことなんだろう。私が当たり前だと思っていた生活は、周りの大人必死に働いて維持してくれていた生活なのだろう。それまでずっと、気づかないでいただけなのだ

私大、ごめんね。力なく呟いた父はいつも通り頼りなげだった。

もっと早く言ってくれたら、もっと我慢したのに。

首を振ってそう言ったら父は、我慢させたら頑張る意味がないでしょうと笑っていた。

そっか、ありがとう

姉と母とは仲がいいが、父にはあまり良くしてあげられない。嫌いなわけじゃないが難しい。でもこの時ばかりは、素直にそう言えた。

私は四月から都内国立大に通っている。田舎から出てきて一人暮らしバイトはしているが、学費は父が出してくれている。家族に言わせれば貯金しなさい、だそうだ。いいと言っているのに、家族は毎月仕送りもしてくれる。それも一般的に見たら決して多い額じゃないんだろう。でも月に一回送られてくるダンボールいっぱいのカレーや米、日用品なんかの金額を足したら、決して少なくもないはずだ。

次の月曜日、二ヶ月ぶりに実家に帰る。バイト代ほとんどが貯金から滅多に手をつけないけれど、この間少し引き出した。そのお金高速バスの予約をとった。そしてその残りで、父の好きな東京ばな奈、母の好きな鳩サブレー、そして姉が好きな化粧品ブランド限定商品を買って帰るつもりだ。

そういえば、大学の成績はまずまずだと思う。テストの手応えはばっちりだ。レポートはどうかな。少し自信がないけれど。これから先も休まず通って、早く立派な大人になりたい。早く働いて、今度は私が家族旅行に連れてってあげるのが夢だ。母は死ぬまでに一度フィレンツェに行ってみたいらしい。私が何回だって連れて行ってあげたい。

今回はお金に限って書いたけど、どんな面から見ても私の家族は素敵な人ばかりだ。私はそんな家族が大好きで、今から会うのが楽しみでしょうがない。早く帰りたくてうずうずしている。

私の家はけっこう貧乏なんだけど、

私はたぶん、かなりの幸せ者だ。

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