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はてなキーワード: 普遍とは

2018-10-11

anond:20181011183727

これはちょっとおかしいだろ

選挙学校に行けないということがジェンダーロールのみを原因としているわけではないし

ジェンダーロールの中身は時代地域を超えて普遍化できるものでないのに

概念をもってそれ全体を非難することもおかし

仮にこれを認めるなら、歴史的に男は、富と繁栄まりは「種の保存」のためジェンダーロールに従い

その肉体と精神財産を賭け続けて、ジェンダーロールなしなら得られたであろう幸せを奪われ続けたってことになる

2018-10-10

ラノベ表紙やVtuber女性一般身体性的に描いているものではない

9月8日にシュナムル氏がツイッターでつぶやいたラノベ表紙問題、そしてそこから派生したキズナアイ問題について。約一カ月遅れではあるがこの論陣に参戦してみたいと思う。

まずはシュナムル氏の問題ツイート内容を書き出してみよう。

「きょう書店で娘が心底嫌そうな顔で「お父さん、これ気持ち悪い…」と指さした光景

自分の属する性別の体が性的に異様に誇張されて描かれ、ひたすら性的消費の道具として扱われる気持ち悪さは想像できるし、それを子供の眼前に公然と並べる抑圧はほとんど暴力だよなと改めて思う。」

シュナムル氏は、最近ラノベの表紙を女性の体を性的に異様に誇張して描いている、と書いている。

はてな界隈では性的消費のワードが注目されているみたいであるが、私個人的にはこの前段の文章の方に違和感を覚えたという言うか、引っかかった。

ラノベ表紙に描かれているのは雑誌モデルのように実在人間ではなく、物語上の非実在キャラクターである

非実在キャラクターなのだから被害者存在していない。だから性的消費云々の問題以前に一体これの何が問題なのだろうか、という反論はてな界隈でも出ていた。

だがここで重要なことは、表紙絵のモデル下地になっているのはリアル社会における現実女性一般であるロマサガ2に出てくる人外サラマンダーのような完全な架空生物でない以上は、現実社会女性モチーフにしているはずなのだ

である以上は、ラノベ表紙に描かれている女性キャラクターは「女性一般性的に消費する」ことになるのだ。

女性人格無視して性的存在としてだけ消費しており、従って全ての女性に対する尊厳侵害である、というフェミニストの主張は筋が通っている。

しかし、ここでシュナムル氏やフェミニストたち、はてな界隈が見落としている点がある。

問題ラノベ表紙に描かれている女性の絵は、確かに胸や露出を誇張してエロ要素を前面に出している。

しかしこのような格好をすることができるのは一部の女性キャラクター)だけであろう。

何が言いたいかというと、ラノベ表紙(だけに限らず雑誌テレビなどにも共通するが)に登場することができるのは、一定レベル以上の美人可愛い容姿スタイルを持った女性だけである

シュナムル氏もこの点を分かった上で敢えて書いていないのか、それとも本当に見落としているのか定かではないが…。

自分の属する性別の体が性的に異様に誇張されて描かれている」とシュナムル氏は書いているけど、それは間違いである。

ラノベ表紙に描かれているのは、一定レベル以上の容姿女性キャラクターという記号としての普遍化されている「シンボルである。※シンボルの部分を「アイドル」とも「偶像」の言葉に置き換えてもいい。

ラノベの表紙からはブスキャラクターは徹底的に排除されているわけであり、この時点でシュナムル氏の言う「女性一般身体性的に異様に誇張して描いている」という話は破綻している。

ブスは女のカテゴリーから排除する、という暗黙の了解存在しているからだ。

性的消費されているのは女性一般ではなく、一定レベル以上の容姿女性だけであり、ブス一般別に性的消費されていない。

何度も言うが、「美人一般」が性的消費されているとしても、それはあくまで「美人一般」だけであって、決して女性一般別に性的消費されていない。

2018-10-04

anond:20181004143708

"普遍"という言葉ダブルミーニングで使われていないか

前者の意味では普遍性があるとは思うが、後者意味では別に普遍性はないだろう。

そして、後者意味での普遍性に乏しいのならば、教育としてわざわざ教える必要も乏しい。大して役に立たないってことだからな。

2018-09-20

anond:20180920134003

公共の福祉憲法勝手に主張してることであって人類普遍定理などではないんですけどお

2018-09-14

anond:20180914183851

ブスを虐げるのは普遍心理と言った口はどこへ行ったのか。

きっとブスを虐げる俺がいるからブスが虐げられない世界はないと言いたいんだろうけど、こっちが最初に言ったのはお前がブスを虐げてるからお前にはブスが虐げられている社会しか見えてないって話なわけで。でもお前にも理解できるように言ってあげることができなかったから、それだけはごめんね。

anond:20180914182817

お前に虐げられたところで私が結婚した事実も私の幸せも全く揺るがないのですがそれは。

私を虐げない人がいる時点でブスは虐げられるという命題普遍のものではないことを理解してる?

普遍ってそれだけハードル高いんだけど。

anond:20180914173323

普遍心理だろ

ブスが虐げられてない社会をお前が挙げられないんだから自らそれを証明してるぞ無能

anond:20180914172258

お前がブスに共感しないだけの話。

なんで普遍の真理みたいに言ってるの?

2018-09-04

最初の頃の原始的生命体は生きるか死ぬかの選択肢のうち

ただなんとなく生きる方を選択したんだ思う

それが世代を重ね、継続していくうちに個あるいは群として死にたくないという普遍価値観生物普遍本能という形になった。

そのために生物は痛みを獲得したり頭脳を発達させたり体を硬い殻で覆ったり植物は自らの身体に毒を仕込んだりと、それぞれ様々な工夫を凝らしている。

別に生きたくないと考えた連中は皆死ぬから我々にその素養は受け継がれない。死にたいやつはみな死んで絶滅するからますます生きたいバイアスが強くなる。呪いだ。

人間やその他の生命にとっての根幹は本能であり知能は生き残るための手段、道具に過ぎない訳だけど

人工知能は我々と同じ進化プロセスを踏んでいない。

出自が完全に異質な彼らが自立的思考価値観を獲得してその能力自由に扱えるようになったとき

何が起こるのかは我々生物には及びもつかないし、人間には解読出来ない存在になってると思う。というか現在既にAI学習していくプロセスは作った人も解読できないらしい

から実験から出してはいけないと思う。AI人間には高すぎる下駄

2018-08-19

どうやって頭をよくするか。そしてウェルプ文とは何か

前々から少しずつ考えていたこなのだけど、最近ファイル圧縮技術の1つとしてハフマン符号化とかいうのがあることを知ってついに着想を得た。

ハフマン符号化とは、頻度が多い記号に少ないビット数を与えて、頻度が少ない記号には多くのビット数を与えることで、もともとの情報の多さを抑えるというものだ。

こうした説明こそがそのハフマン符号化の1つの例だ。「ハフマン符号化」という符号によって、他者に伝達する文字列が少なくなる。ただし符号化したものを復号できる知識がなければ、ハフマン符号化と言っても伝わらないところが難点だ。ちなみに、逆に、頻度の多さから意味を解析していく頻度解析というのもある。

ともかく、上記のようなこうしたハフマン符号化のような概念で長い情報圧縮して短い情報にしてしまうことをぼくは「ハフる」と呼ぶことにする。

ハイコンテキストで使われる言葉専門用語ジャーゴンスラングは、すべてハフられた言葉である

ここで、ハフられた言葉のことをぼくは「ハフワード」と呼ぶことにし、ハフワードが多く使われていることを「プレハフ(plehuff)である」と形容し、プレハフな文は「プレハフ文」である表現することにする。

プレハフ文を使うことで、概念は事細かく整理することができるようになる気がしている。プログラミングでの関数変数への上手な命名によって全体の扱いが容易になる事象と似ている。もちろんしっちゃかめっちゃかなハフワードばかりのプレハフ文は誰にも理解されないものになってしまうが、丁寧にハフられた言葉が多い文は人に新しいインスピレーションを与えたり、複雑な事象簡単に扱えることができるようになるのではないかと予想している。こういった丁寧に構成されたハフワードを「ウェルハフ(wellhuff)」、ウェルハフが多く使われていることを「ウェルプ(wellp)」、丁寧に構成されたプレハフ文を「ウェルプ文」と呼ぶことにする。

ちょっと復習をしてみよう。

「この文は確かに多くハフられているがウェルプ文では決してない」

これをもともとの日本語で言い直すことは難しい。どうしてもどこかでニュアンスが抜けてしまうからだ。

ひとまずウェルプ文という概念を得たので、一度これを実際の文に適用してみよう。

適当増田から文を拾ってきたので、これを勝手にハフってみることにする。もともと日本語にあるものはそのまま日本語にハフることにする。

元増田の指摘は、20世紀以降の科学哲学の基本だ。

 

問題は、大多数の人間はそういう考えをベースコミュニケーションが取れないことだ。

彼らは、自分の身近にいる人間たちの「常識」を普遍と思いつつ世界解釈している。

(それ以外は、変な人くらいに思っている。)

 

一方、元増田意見20世紀以降の科学哲学の「常識」であり、上の「常識」と特になんら変わりはないという話もある。

とりあえずいったん、ふつうにハフってみる。

元増田の指摘は、現代科学の基礎だ。

問題大衆はその基礎がないのでコミュ障になっていることだ。

偏見常識領域普遍的だと世界解釈している。

領域外は変人だと解釈する)

一方、元増田意見現代科学の基礎で、現代科学の基礎も偏見常識領域範疇である説もある。

元増田意見」というのは増田ではありふれているしハフる。「元増見(もとますけん)」と言おう。また「ありふれているからハフる」ということを「ハッフルパフ」と言う。

現代科学の基礎」もハッフルパフしよう。「現基(げんき)」とする。

「その基礎がない人々」→「無現人(むげんにん)」

偏見常識領域普遍であるという考え」→「オマオマ」

元増見は現基だが、問題は無現人のコミュ障だ。

無現人は、世界をオマオマで、オマオマ外は変人解釈する。

一方、元増見も現基で、現基=オマオマ説もある。

文を組み替えてみる。

元増田は有現人だが、問題は無現人はオマオマゆえにコミュ障で、有現人を変人だとするところ。あと有現人=オマオマ説もある。

このようにハッフルパフしまくってみただけで、かなり綺麗なウェルプ文ができあがった。若干文意が損なわれてしまったが。

十分ウェルハフされたことによって、たとえば「オマオマ」はそれなりに高度な概念ながら日常的にも使用可能になる。

「うわお前オマオマかよ」「出た。無現人乙」だけで人を揶揄でき、また、言葉に気をつけどのように律すべきかということを伝えることができるようになる。

さらに、こうした一連の流れを「オマラダイム」と名付けてしまえば、オマラダイムに取り残される人が後に老害となることは容易に認識できるようになる。

まり賛同は得られないかもしれないけど、ぼくはこのようにウェルプ文が増加して、人類思考が洗練されることを期待している。もちろん、他者にハフワード意味が通じなければコミュニケーションとして成り立たないけど、より高速に思考ができるようになることは間違いない。たぶん。

こうしたぼくが提唱するイデオロギーを「ウェルプ=オマライズム」と命名したので、ぜひこれを活用していってもらいたいです。いやマジで

2018-08-14

anond:20180814021922

哀しいとは思わないな

増田が許容量の広い男だったのは良いことだが、それを普遍化させようとするのは邪悪だと考える

その同調厚手殺される側の人間だっているだろうと言うところにも想像を広げておきたい

狭いアパートピアノさせてたら階下の住人に殺された酷い事件があって

これだけ聞けば犯人まじクソなんだけど、聴覚過敏の障害餅だったって判明したことがあった。

そういう病人にも我慢を強いる同調圧力へと容易に転化しかねないので、増田には同意できないよ。

2018-08-09

無職としての学問

 特に文系において、大学研究を取り巻く環境が厳しいので、少し愚痴を書かせていただきたくお邪魔します。

* * *

 研究生活が実生活、ことに家庭生活に対し極度の不安定性を与えることは、今日に始まったことではない。

 例えばかの有名なマックス・ウェーバーによる1919年の講演の中では、「大学に職を奉ずるもの生活はすべて僥倖支配下にある」と語られており、「精神的に打撃を受けることなくこうした境遇に堪ええたためしは極めて少ない」とまで言われている。

 このような状況は、100年の時と洋の東西とを超えた今日日本においても、同様である。むしろ人口減少と学問に対する軽蔑——それはおそらく、ウェーバーが講演の中で強調した、学問がなんの「救い」も「啓示」ももたらさないということを、多くの人々が正しく認識たからに他ならないが——に直面している極東島国の方が、研究生活を取り巻く環境過酷であるといえるだろう。

 博士号を取ったとしても多くの人々には就職先がなく、あっても有期雇用で、しか低賃金であり、長期的な研究生活の途を描くことは全く不可能である

 日本より恵まれ研究環境を有する国、例えば博士課程から給与が出るアメリカや、高等教育がほぼ無償であるフランスの例を持ち出すことは簡単であるしかし、研究生活はその研究者が根ざしている言語文化、あるいは人的ネットワークにある程度は依存せざるをえない。また、他国研究環境は、一部だけを切り出せば外面的には羨望の的になりえるが、実際は、給与と引き換えに研究テーマ選択制限されたり、あるいは無償で得られる研究環境には限りがあったりするのである

 当然のことながら、研究者における研究成果はそれぞれのおかれた研究生活の諸条件に左右されるのであり、それは資本的な制約を大きく受ける理工学系のみならず、人文系についてもそうなのである

 ハンナ・アーレントのように、生地での生活を根こそぎ奪われ、新天地で大きな研究成果を挙げる例もないわけではない。大学官職への道を閉ざされてから活躍したカール・マルクスそもそも学歴のなかったピエールプルードンなども、偉大な思想家としてのちに崇められる存在であるしかしながら、すべての人が偉大な人、指導者のような人、あるいは預言者になることを目指して研究に励んでいるわけではない。実態はむしろ逆であり、陽が当たらない部屋で日がな一日、誰も読まないような古雑誌の1ページをどう解釈するかについて考え、その謎を解けた時に無常の喜びを感じる、そういう人が研究生活に入るのである。そのような、全くつまらないことこそ重要研究成果なのであり、むしろ大きな社会的反響を呼び起こす御宣託が科学的な研究成果とは全く呼べないようなものであることは、ウェーバーの指摘するところであり、歴史が度々証明してくれたところでもある。いずれにせよ、研究生活とは社会的名声や富と全く関係がないどころか、資本主義社会ではしばしばそれらは相反するものとなるのである

 尤も研究者も所詮人間であるからして、研究のものの「客観性」や科学位置付けとは無関係に、それぞれの求める研究生活上のあり方というのは存在する。名声や富を求めて研究に取り組む人もいるのかもしれない。しかしそれは明らかに悪手だ。羽生名人でも挽回できないぐらいの悪手だと思う。

* * *

 さて、反面、家庭生活はまさに「経済」の必要に駆られるところのものであり、十分な収入、定住可能な住居、そして可能な限り多くの家事労働自動化が進んだとはいえなお労働集約的だ)が投入されて、初めて成り立つものである

 収入がないなどもっての外であり、亡命収監失踪放浪なども、家庭生活とは相容れないものである

 歴史を顧みれば、自死発狂、子捨て、虐殺に至るまで研究に身を置いた人々の末路は様々であるが、なんとかしてそのような事態は避けたいと誰しもが願うところであろう。

 できれば平穏無事に、昭和時代理想とされたライフスタイル、すなわち夫婦円満子供と共にマイホームに住み、安定した立場で働き定年後は年金生活という人生を歩みたいところである(これは皮肉である)。

 しか今日の若き研究者は、子供はおろか結婚もままならず、マイホームマイカーも持たず、年金制度破綻を前に怯えながら年老いるのである

 もしあなた結婚したとすれば、それはパートナーの全く寛大な心によるものか、パートナー無知蒙昧で完全に誤った選択をしたかのいずれかであろう。

 さら子供がいるとすれば、当然あなた研究生活放棄するか、あるいはなんらかの安定した不労所得に拠って研究生活と家庭生活の両立を試みねばなるまい。(あるいは、あなたが非常に体制時代に順応的な研究をなしていたとすれば、すでに十分な収入に恵まれいるかもしれない。これこそウェーバーの言った「僥倖である。そういう人には心から祝福を送ろう。願わくば同じような僥倖が数多の迷える研究者たちにあらんことを。)

 多くの研究者たちにとって、結婚出産研究生活首にかけられた縄である

 女性研究者の研究生活性別役割分業的発想や家庭生活に対する支援パートナーから十分に得られないなどの理由によりすぐに縛り首になってしまうが、男性研究者の研究生活も同様に性別役割分業的発想や金銭支援パートナーから十分に得られないことですぐにギロチンにかけられてしまう。

 いずれにしろ他者にとって金にならず有用性のわからない行為としての研究は、家庭生活に直面すると挫折する公算が大きいのである

 だからといって、家庭生活を全く否定してしまうことも困難である穂積陳重来日本の身分法学者は、日本国民の位置付けを次の三つの身分のいずれかあるいは複数に属するもの定義した。すなわち、夫婦、親子、親族である

 しかし、親が死に、結婚もせず、親族との紐帯も弱いとなれば、その人は社会的にも法律的にも、全く孤立した存在となってしまう。

 その人は十分な社会保障の対象にならないことはもちろん、社会生活上の様々な面で制約や不利益を受けることとなる。

 実際上の問題として、社会的要請として家庭生活に入ることを我々は求められており、多くの人はその生活が全く不幸であり耐え難く絶望的なものだと感じていたとしてもなお、家庭生活に甘んじているのである

 当然、研究をしていなければ家庭生活が楽になるとは全く言うことができない。しかし、少なくとも研究生活が家庭生活と激しく対立することであることは自明であることのように思われる。

 あるいは「家庭」という理想像の崩壊高齢者二人世帯や単身世帯シングルマザーの増加、生涯独身者の増加などによって、家庭生活という名付け自体空虚ものになっているという批判があるかもしれない。

 しかし反面で、なお結婚出産経験する人は半数を占めており、「家庭」に代わるほど普遍化された結婚出産を前提とした私的領域生活モデルはいまだに存在しないわけだから、やはり家庭生活という呼称を用い、特に若い研究者たちにとってはそれを重視せざるを得ない現状もあるのだ。

* * *

 収入、定住、家事労働を求める家庭生活は、無収入、度々の転職と転居をもたらし、にもかかわらず時間の余裕を求める研究生活とは、完全かつ深刻に対立する。

 では、この間の解決はどのようにしてもたらされるのか。非研究であるパートナーの忍耐によってであろうか。あるいは研究生活の適度な抑制によってであろうか。

 前者はこれまでの男性研究者がしばしば採用した方法であり、女性人権がない時代であればよかったが、21世紀にもなってこの方法採用しようと思っている人がいるなら、その人は妻を見つけることができないであろう。

 後者方法は、実際には採用し得ないものであり、つまりそれは相撲レスラー炭水化物摂取を控えるとか、プログラマーが1日3時間しかモニターを見ないようにするとかいう話であって、研究生活を「適度に抑制する」などということは単に研究生活否定しかない。

 研究者はその人をして全的に研究に没頭せしめなければ、素晴らしい「霊感」を得られないものである。そうでなければ、特に人文学研究においては、それは単なるジャーナリズムに陥るであろう。

 そして、これもウェーバーと同じく声を大にして言いたいところであるが、そのような素晴らしい「霊感」、今日言葉であれば「イノベーション」などというものは、研究のみならず仕事や様々な形の労働の中でも、それに没頭し専心していなければつかむことの能わざるものであり、行政府が旗をふって労働時間の長短や職業訓練の有無をいくら弁じ扇動しようとも、生まれてこないものなのである

 家事労働ワークライフバランス長時間労働問題は、まさにこの没頭の可能性にあるのであり、特に家事労働時間を細切れにしてしまうために人をして何かに没頭させることを妨げること大であるワークライフバランスも、結局その目的とすることが明らかでないか低賃金かつやることのない中途半端余暇をもたらすだけである長時間労働改善しても、人々が自ら欲するところのものに取り組めるような労働時間の設定でなければ、それが長かろうが短かろうが、人々の不満は変わらない。いくら労働時間が短いとしても過労死は起こりうるし、長く労働していても過労死しない場合があるのは、この理由によるのである

 とにかく、家庭生活の求めるもの根本的に否定しなければ、研究生活は成り立たないのである

* * *

 では、解決方法は何か。家庭生活問題点は、それが夫婦という二者で成立するように想定されていることである。それゆえ、収入と定住を男性が支え、家事労働女性が支えるという構図が出来上がった。

 しかしこの想定は噴飯ものであり、シングルマザーは全て一人でやらざるを得ず、あるいは逆に親族から支援収入不安が軽減されたり、実家を譲り受ければ定住も可能というように、家庭生活の諸条件の実現は夫婦という関係性の外部で決まっていることが多い。

 もし家庭生活に関与してから研究生活継続するためには、家庭生活を成立するためのリソースを外部から調達することが最も望ましい。(逆にいえば、外部からリソース調達できなければ、ついにここで研究生活のお墓を立てるしかない。自分研究というアイデンティティよ、さようなら、と。)

 ただ、ここには二つの問題がある。一つは、リソース調達である大川周明のように徳川家から調達したり、大杉栄のように政治家からぶんどってくることができれば最高だし、あるいは明治時代のように女中を置いたりできれば最高だが、なかなかそういうわけにはいかない。もう一つは、その調達個人能力に帰せられることで、研究能力とは別にそれに取り組む環境規定されてしまうということである

 この二つの問題解決するためには、若い研究者同士で研究生活を支えるための生活ネットワークを構築するしかない。あるところには金がある人もいるだろう、あるところには手が余っている人もいるに違いない。

 どうせ研究生活に勤しんでいる人以外に若い研究者に対して同情を寄せてくれる人はいないのである

 アカデメイアリュケイオンがどうだったかはわからないが、古今東西大学に併設されている寮や大学街(カレッジ)では生活上でも学術上でも研究者のコミュニティ形成されていたはずだ。修道院のようなものである

 いま、若い研究者は官僚主義的な大学制度によって互いに分断され、地方に散住し、有能なもの国外へ出て行ってしまっている。もう最後タイミングである

 いま我々若い研究者が団結して助け合わなければ、この国の研究はすぐになくなる。もし研究のなくなり方が緩やかであれば、日本語で達成された学術的成果を、多少なりとも国際的に、人類のために遺す時間猶予が生まれるかもしれない。あるいは、国外から救いの手が差し伸べられるやもしれぬ。「タコツボ」を脱しなければならない。近くで助け合って生活し、なんなら雑誌なども出して(いまであればブログでいいのかもしれないが)、特に文系では消え掛かっている研究の灯火を、なんとか引き継いでいかねばならぬ。ならぬと思う。

いや、それとももう、研究生活を諦めるべきなのか。

2018-08-05

anond:20180805140815

女性だけの場所じゃないの間違いだろ

妊娠した女性男性が「自分たちができること」をやるだけなのに対し

女性というかお前は「選挙男性の場」と決めつけるだけなのかよ

自分無力感普遍化させるな

2018-07-24

anond:20180414201932

シン・ゴジラ」に「ステレオタイプな人型」しか見つけられない(多くの観客の)死んだ感性こそが、元増田の一番批判したい点だろう。

「過剰演技」こそが気持ちの悪い誇張に過ぎないものではないのか。そんなのが「ステレオタイプではない人間性の発露」だと思っているのだろうか。そういうリアリティの欠如をなんとかしたくて、庵野は、過剰演技を避け「お涙頂戴の家族恋人ハートフル脚本」を避けて、「ごく普通の人たちのいる普通社会ゴジラがくる話」を描いたんだよ。「シン・ゴジラ」はむしろ元増田理想の一つの現れた形だろう。

シン・ゴジラ」における「人間性」は、過剰演技でなく徹底的にディテールとして表現されていた。深夜の掃除であるとか、おにぎりおばさんであるとか、崩れていく家の中で避難準備する家族であるとか、逃げ遅れた老夫婦だとか、汚れたシャツだとか、ラーメンどんぶりであったりとか…etc。中心人物矢口自体スーパーヒーロー(過剰なキャラ)ではなく、目の上のたんこぶ的な閣僚たちがゴジラに一掃されたらあっさり錯乱して一晩中歩きづめで無口でヒステリックになったりする「ただの青二才」(普通の人)で、非常事態から中心にいるけど当然そんな彼に全部を任せられないので仕事人らが周りを固める体制になってる、そこに(フィクションなりの)リアリティが生まれているわけで、カヨコや泉はもとより、里見(後継総理)、財前(「仕事ですから」の自衛隊の人)みんなが「それぞれの思惑で」矢口に協力していることは、普通映画を見てたら十分感じ取れるように描かれていたと思うよ。何より、ラスト近くで尾頭が「よかった…」と漏らす笑みに、「ステレオタイプではない人間性」を感じ取れないとしたら、相当どうかしてる。それらの演出が「肌に合わない」というならまあ好みの問題で済むが、こういった演出をまるで無視して「全員が指導者命令に従って機械のように動く」というのは、それこそ味の濃い「過剰演技」に慣らされたあまりに底の浅い物の見方ではないかと思う。

増田は、まず自分感性自体がどうかしてる可能性をもう少し疑った方がいいのではないかと思う。「普遍化された演出」によって駄目になったのは、新作映画の方ではなく増田感性の方ではないか

2018-06-29

「続きを表示」「次へ」が心底うざい

日本ニュースサイトや(中身転載)ブログ殆どに装備されてるアレがもう嫌。

最初のページはヘッドラインにも満たない情報しかなくて、あとは広告広告広告広告リンクだけ。

とにかくリロードロードさせて広告費稼ぎたいのはわかるけどあからますぎる。

この手のサイト有用情報/転送量の比率ものすごく低くて空虚すぎる。

最近日本ネットサイトほとんどがこれ、アフィカスと呼ばれる層が普遍化しすぎてる。

2018-06-28

anond:20180628153110

そんなもんは世間認識の匙加減ひとつやんけ

今の世の中が絶対普遍に正しいわけやないんやで?

2018-06-25

anond:20180625141722

同じくです。

思考停止気味の人も多いですからね。

もっとも、妥当に見える結論に飛びつきやすいというのは、場所人種時代を超えて普遍法則だとすると、まあ人のこと笑えないというか・・・

そういう意識持っているか、だけがいかも。

2018-06-24

anond:20180624114250

芸術作品で考えてみなよ

大学生が好みで適当審査した内容が、

本来芸術作品評価と一致すると思う?

本来評価」なるもの観測不能なので、それと一致するかどうか判断すること自体不可能

 

そして、その審査活動価値はあると思う?

その価値って誰にとっての価値

誰にとっても共有されるべき普遍価値というものを私は観測できないので、「誰にとって」をつけないで価値あるかないか判断することができない

 

そもそも価値があるかどうかの問題じゃなくて「容姿だけで選んだら、誰が優勝するか」という話だよね?

その優勝に価値あるかないかじゃなくて。

容姿だけで選ぶなら、誰が優勝するかは評価する個人個人構成依存するのでモデル体型が優勝するとは限らない、が結論ですね。

2018-06-22

anond:20180622172729

消費って言い方は全然しっくりこないんだけど

白人ブルースやるな的なノリで変に普遍化されると私達の文化が変質するからやめてくれって気分はまぁわからんでもない

2018-06-12

何でも数学記述できると思ってるカス理系はそれで宇宙人とでも交信してみろよ

所詮人間しか通じないクソローカル言語ですあばばばばばばばちょ

普遍なんかねえんだよクソがボケ

2018-05-29

懐かし語りはやはり楽しい

人類普遍快楽なのかもしれん

2018-05-28

anond:20180528085739

結局戦争正義考える人達と平和のための戦争をしなければならないという人類普遍問題に落ち着くのか。人間ってつまらんなあ。

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