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2018-04-16

anond:20180416142651

著作権法は神でなく人が決めたルールに過ぎず万物普遍定理などではない

漫画を金儲けの道具に悪用してる漫画家や出版社反省するべき

2018-04-14

anond:20180413223900

まずシン・ゴジラに言えよ

役人自衛隊も全部がステレオタイプな人型で生きてる人間がいない

戦国自衛隊で和子と叫びながら落ち武者がりの農民と戦って死んだ隊員やコイツらの兄ちゃんになると約束したんだと言って離脱する人がいなくて

全員が指導者命令に従って機械のように動くのが気持ち悪かった

KYとか空気を重視して明文化しない土着ルールが横行する国なのにドラマでも映画でも最近日本産の実写は人間が描かれない

おくりびとも苦悩や葛藤が美化された作られた価値観があからさまで寒々しい

アニメ漫画物事単純化してしかもそれが普遍定理であるかのように宣伝して回ったせいだと思ってる

漫画村の毒に毒を持って制されてほしい

漫画が消えてまた数十年経てば桜桃みたいなのが今度は小説でなく実写で出てくるはずなんだ

2018-04-12

アキネイターって陳腐化したよな

昔は、くっそマイナーキャラも知っててすげー、あれだけのヒントでわかるのすげーみたいなすげーだったけど、

今や特定段階まで質問を投げかけてくるだけの存在になってしまった。

が、アキネイターはアキネイターというツールというだけで普遍存在のはず。

なんてことだ、変わってしまったのは使う人間、我々だったのか…

2018-03-07

人間というコンテンツ相対的低下問題友達問題

コンテンツ面白くなりすぎたおかげで

友人や恋人などという「人間」の魅力が相対的に落ちた

人間自体の魅力は昔から普遍だ、あくま相対的に落ちただけだ

 

結果的友達欲しいなーとか思っても

実際に付き合ってみるとそれほど面白くないという不都合な真実に気づいてしま

返って一人で趣味に興じたくなる

普通人間は実況動画バーチャルYoutuberのような「プロの友人」に敵わない

 

とは言え体験型コンテンツは相変わらず人間が居たほうが面白

実は近年は体験型コンテンツが伸び盛りだ

そう考えると、体験型趣味に加えるか否かで「人間に魅力を感じるか」がだいぶ変わってくるだろう

チキささというアセクシャルの質の悪いアライについて

https://twitter.com/c_ssk/status/970995446662377473

"「ショイプ・オブ・ウォーター」を見たアセクシャル友達が「(恋愛映画なのに)理解できたの?」って言われた話が本当につらくて、今これを書くだけでちょっと泣きそうなんだけど、こういうことを問われるのは常にマイノリティだけなんだよね。お前だって半魚人と付き合ったことないだろ!!"

https://twitter.com/c_ssk/status/970995641299042305

"シスヘテロ恋愛ものを見て感動した非シスヘテロは「わかるの?」と問われたり、「わかんないでしょ」と決めつけられることさえあるのに、シスヘテロの観客がLGBTの話に感動したら「これはLGBTの映画じゃない」とか言い出す。いい加減にしろよ。物語剥奪するな。"

チキささの「アセクシャル友達」が文字通り「理解できたの?」と言われたのかどうかは不明だが、そのアセクシャル友達と「理解できたの?」発言人とは一定信頼関係があったことは予想できるし(日ごろからアセクシャルであることを誰彼構わず触れ回ってるなら別だが)、真相は「デルトロといえども恋愛至上主義から自由ではないんだねぇ」「アセクシャルならこの残念さよくわかるよね」という発言アセクシャル側が同意を求められ、たまたまデルトロ好きだったから(日頃の主張も忘れ)不快になった、という程度の話なのではないか

そもそも、ある物語が住む地域人種宗教も違う人々をも感動させるのはそこになんらかの普遍的な要素があるからで、「内観」という、人間情動理解する唯一の手段を働かせるという意味での共感性があるからである。かつての権威づけされた芸術作品には貧困層などは排除されており、その作者やその作品の同時代人たちが考える「人間基本的な条件」が現在よりよほど狭く設定されていたことが普遍の描き方に反映してしまっていた。しかし、現代では大衆化されさまざまなマイノリティ性を含んでもなお、そこに普遍を描くことができ、物語製作は豊かなになってきている。

まり、「人間なら異性に惚れるのは当たり前だよね」と条件づけられていた「普遍」は、現代の人々が同性愛者の存在を広く認知尊重するようになったことにより「同性に惚れるのだって人間だよ」というように拡張してきているのである

ここで「物語からマイノリティ排除するな」という訴えは要するに、「普遍」を描く際の人間の条件からマイノリティ排除するなということであり、「現代社会はアセクシャル排除している」という訴えは、ほとんど全ての創作物が謳いあげる「普遍」に性愛要素が含まれることを撃っているのである。その意義は大きい。「行け!稲中卓球部」で誤解から卓球選抜チームに入った前野が、実際には卓球の実力も熱意もないため、卓球の話ばかりする選抜チームの中で退屈さと疎外感から唐突に「サメの話しようぜ」と言い出す滑稽な場面があるが、アセクシャルにとっては行く先どこもに恋愛選抜チームが結成されている状況であり逃げ場がなく、前野とは違うのである

ここで「シェイプ・オブ・ウォーター」に戻ると、そもそも恋愛映画であるが登場するのは半魚人である。繰り返すが、人間には情動理解する手がかりが自分自身しかないため、動物けが登場する作品においてさえ、動物人間が化けたように子の死を嘆き、群れからはぐれれば孤独を感じるように描写される。これは「動物性の剥奪だ」と非難する事すらできるだろう。動物のことはわからないのだから勝手に当てはめるなとも言えるだろう。2008年ディズニー映画「WALL-E」は、荒廃した惑星でただ一体動くロボット主人公だが、その主人公物語中で「女性の」ロボット出会い彼女との性愛関係志向するようになる。遠い未来ロボットであってもヘテロセクシャルなのか! と当時ディズニー物語製作には大いに落胆させられたものである

シェイプ・オブ・ウォーター」も物語構造の核としてシスヘテロ恋愛しかなくこの種の批判は免れない。アセクシャルの友人が批判コメントを求められることはありそうなことだ。

チキささは「お前だって半魚人と付き合ったことないだろ!!」と言うが、半魚人と付き合ったことなくても、自身シスヘテ恋愛経験拡張して半魚人と付き合うことまで理解してしまえるのが「普遍」だし、そこに同時にアセクシャル排除したシスヘテ至上主義傲慢もあるのである

たまたまチキささとそのアセクシャルの友人がデルトロ贔屓なのかもしれないが(おそらく「パシフィック・リム」においてベケットマコ最後キスしなかったことを評価しているクチだろう)、「シェイプ・オブ・ウォーター」は批判するべき作品である

そもそもアセクシャルならヘテロ作品からないでしょ?」なんていう見解は圧倒的少数であり、アセクシャルが戦い、苦悩しているのは「やっぱりヘテロ恋愛には感動しちゃうよね。人を好きになること、これは人類不変の原理なんだよ」というような理路である。実際にそんなリプがついている。こんな藁人形叩きに近いツイートが大きな共感を得ているのは、シスヘテ至上主義の側がこのツイートに「救われている」からである。チキささは無能なアライであることを自覚するべきだ。

2018-03-02

労働者生産性なんか気にしなくていいんですと言いたげなクソブコメが集まる昨今、いかがお過ごしでしょうか

面白いのは右だ左だという対立には懐疑的旦那様方も経営者労働者対立普遍の真理として享有されていらっしゃることですかね

2018-02-22

[] #50-7「猫の生殺与奪権」

俺は他種の生き死に対して薄情な人間だとよく言われる。

実際、自分でもそう思っているし、それの何が悪いのかとすら考えていた。

だって命は平等じゃない。

平等だっていう人もいるけど、現実はまるでそうではないだろう。

同じ人間に対してだって、身内の死と、知らない人の死を同じようには思えない。

有名人の死だって、その人のファンだったら冥福を祈りたくても、さして関心のない人物だったらスルーする

同じヒト相手にその調子なのだから、他種に対する命の測り方はよりゾンザイだ。

ほとんどの人間が、皿に盛られた命の残骸に思いを馳せたりしない。

動物や魚を食べるのにも関わらず、イルカクジラとか種類によっては庇護したがる。

ベジタリアンだって植物に情を感じないし、感じていたとしても動物よりは軽いものであることを事実上認めている。

結局、人間推し量る命は普遍でもなければ不変でもない。

どう足掻いても、手前勝手ものしかないってことだ。

だったら、どうすべきか。

出せる答えはそう多くない。


「はあ……俺が飼おう」

俺は渋々といった具合にそう告げた。

みんな驚いていた。

俺の口からそんな言葉が出るとは思いも寄らなかったのだろう。

「ええ!? マスダ、猫が好きじゃないんだろう?」

「厳密には『好きでも嫌いでもない』だ。好きだからといって飼っていいとは限らないように、好きじゃないからといって飼っちゃダメとは限らないだろう」

「でも、他に動機がないじゃん。何で飼おうと思ったの?」

「まあ、強いて言うなら“情にほだされた”って感じかな」

実に勝手理由だ。

だが同じ“勝手”なら、自分の心に従ってマシだと思う方を選びたい。

この猫を人間の都合で殺すことはエゴだ。

だが人間の都合で生かすことも、結局はエゴだ。

何かと理由をつけて、そのエゴを避けられると思うほうが欺瞞なんだろう。

それでも答えに迫られるときがあるから人間はそのエゴと付き合っていくしかない。

そう開き直った俺は、その宿命に身を委ねたまでさ。

馬鹿なことを。その場限りの安易気持ちで、貴様はその猫を生かすというのか?」

「そういうことだな」

「他の猫も殺されそうになっているのを見かけたら、その度に同じ行動をするのか?」

「しないだろうな」

ウサクは呆れ果てている様子だった。

かにこの猫を一匹を助けたところで俺たちの自己満足しかなく、大した意味はない。

それを分かった上で出した、俺の結論だ。

「なんでそこまで、堂々と自分が身勝手人間だと公言できる?」

「まあ、“人間のサガ”ってやつなんじゃねえの」

こうして俺は、人間エゴによって殺されそうになっていた猫を、安易人間エゴでもって「キトゥン」と名づけたのだった。

思い返してみても、まるでドラマティックな話じゃないな。

今でも滞りなく飼えているのが、我ながら不思議だ。


…………

余談だが、俺たちの国では害獣ジパングキャットは、ジパングでは益獣らしい。

ウナギが増えすぎて邪魔なので、それを処理してくれるからとか。

ただ、最近ジパングキャットも増えすぎたので、天敵のジパングースを意図的に放って数を調整している。

猫を殺すほどの獰猛動物を野放しにしていいのかと疑問に思うかもしれないが、ジパングースは寿命が短く繁殖能力も低いため、放っておいたら勝手死ぬという算段らしい。

俺よりも遥かに開き直ったことしてんなあ。

「この国でもウナギが増えたら、キトゥンたちは害獣にならなくなるのかな」

この話をしたとき弟はそう言った。

希望的観測からそう言ったのだろう。

俺はキトゥンの背中を撫でながら、そっけなく答える。

「どっちでもいいさ。それは“俺にとって”重要なことじゃない」

俺たちは人間の枠組みの中でしか押し測れない。

動物相手にどう振舞っても、人間エゴであることを避けられないんだ。

せめてその選択に信念を持ち、相応の振る舞いをするのが関の山なんだろう。

(おわり)

2018-02-17

anond:20180217105704

日本ヒラメ裁判官ばかりだから裁判所判断は正しいと勘違いしてる奴なんているの?

ガリ勉瓶底メガネが、司法試験に受かって、一番楽そうな業種を選らんだだけでしょ?

法律時代の推移とともに変遷していく。法律永遠普遍価値観を反映して、絶対に正しい=永久に変わらないと言える時代そもそもない。法律なんて幻影なんだよ?(歴史を学ぼうw)

バカ支配者の奴隷になりたいやつは、女性専用車両に反対すれば良い。

自分人生の決定権を他人に委ねるロボットは、生きている価値がない=クソつまらない人生を送っているのでは?

2018-02-10

これからの「ウンコ」の話をしよう

おととい「ウンコ議論」という本を読んだ。

邦題ウンコ議論」(原題"On Bullshit.")は哲学科の名誉教授である著者がクソの塊のような議論について分析した本だ。元は1986年エッセイ2005年製本化されたもの2016年に改めて本邦に上陸した形となる。この本の中でbullshitとは「自身の考えについて思わせぶりな態度をとりながら、真理性については関心の中心でないもの」と説明される。「真理性に対する関心の欠如」が「クソ」たる所以だ。嘘と比較すると嘘つきはその発明たる虚偽を真実から導かなくてはいけない。そのため真実を警戒する必要があるが「ウンコ議論屋」は真実とそれ以外の閾を持たない。「ウンコ」は真実でもなければウソでもない。「ウンコ議論」の関心事は何らかの見識を有して誇示することであり、物事の観察ではない。この点において「ウンコ」は虚偽以上に真実の敵となる。

おとといツイッターでこんなツイートを拝見した。

"匿名性と責任を持った良い意見は両立しない。"https://twitter.com/chutoislam/status/961596573883887616

その通りだと思う。女性声優殺害予告でもしない限り責任を問われないのが匿名性だ。内容に関してほぼ何も担保されていない。匿名の誠実な意見など完全なる虚構だろう。

さて、これを受けて、私は完全に便意をもよおした。ここに、もっと大きな問題がひそんでいないだろうか。ネット上のソーシャルな場でコミュニケーションを行うとき特にきわめて個人的話題について匿名意見を交わすとき、われわれは必然的に「ウンコ化」する仕組みの中にいないだろうか。

個別性の強い人生の諸問題にとって一般論普遍論はあまり実用的でない。これは本から引用だが、たしか絶対的大原則が存在するならば他者人生相談などしなくて済むだろう。いっぽう匿名での交流の場ではしばしばプライベートアイデンティティに関わる問題を扱う。これはおそらく解決個人レベルの答えを欲しているのだろうし、匿名は都合いいオブラートだろう。そしてここに問題が発生する。

参加者個人の知見や経験に基づいた倫理的規則をやりとりするのだが、わたし規則実際的にするのはわたしである個別問題対処する規則はそれを駆動させる個人倫理観が不可欠だ。しかしその個人性が匿名ではかくれている。さら問題は続く。情報受取手もまた匿名である。先ほど匿名意見者の誠実さは保証されないと言ったが、仮に責任感のある発信者自身意見を役立てようと思ったならば、匿名の受信者へ向けて倫理的規則一般化する努力を強いられるのではないか。そうすると誕生するのは発信者個人レベルの助言でありながら、発信者自身にとってすら不完全な言葉だ。つまりこのとき、誰もがこの場において「ウンコ」作りに加担し、「ウンコ」をやり取りしていることにならないだろうか。

そしてさらに悪いこと(SNSとかだと顕著な気がする)には、ここに「ウンコ議論屋」が乗り込んでこようものなら、かつて規則だった言葉は主も目的も失って「人生の真理」を誇示する道具として使われはじめるのではないか

2018-01-25

しきフレってなんなの

しきフレがわからない。

別に嫌いではないし、しきフレ話は割と印象に残る良いものも多い。

ただしなぜかわからない。純粋に本当にわからない。

あの二人がなぜ惹かれ合うのか?

なぜ相性が良いように見えるのか?

何をもってして成立しているCPなのか?

どういうものなのだろうか、そもそも相性の良し悪しの問題ではない?

何をどう見て、どのような解釈があって彼女らが互いの距離を縮めるのか。

自分にはうまく想像できない。

どれほどの解釈がある、どれほどの魅力がある、

どれほどの異質さがある、どれほどの普遍さがある

どれほどの志希の心がある、どれほどのフレちゃんの気持ちがある

からない、なぜ、どうして

anond:20180125134528

女性排除されるのは、別に特殊な事じゃなくて人類普遍なことだと思うけど?

イスラムとかもっと凄いじゃん。

日本の女とか普通に甘やかされてるほうだと思うよ。

2018-01-23

センター国語ばかり槍玉に上げてるけど

センター国語プロ作家が解いても満点取れないとか、そういうことになにか意味があるのだろうか。

まず、入試の科目なんてのはその道のプロ選抜するものではない。

国語に限らず数学でも理科でも社会でも、プロ学者がすべての問題ミスなくこなすなんて無理だろうし、外国語だって場合によってはネイティブミスをするだろう。

入試は、特にセンター試験努力の成果を見るものなのだから、才能があるからと言ってできてしまっては意味がない。ちゃんと"お約束"を知っておくことは、当然要求される。

それに、プロというのは一芸があればいい。例えばプロスポーツ選手だってアマチュア向けのテストではあらゆる能力要求されるが、真の一流選手はいくつかの項目が欠けていても活躍できる。メッシが誰よりも足が速く体力があるわけではない。そういう意味でもあらゆる要素が満遍なく問われる試験というのは、アマチュア向けなのだ

そしてそもそも文学というのは書き手読み手認識が一致しないものだ。書き手意図が何の誤解もなく読み手に伝わるならば、文学なんてもの芸術でも何でも無くなってしまう。だからプロ書き手読み手立場センター試験を解けないのは当然と言えば当然だ。

強調しておくと、読み手立場センター試験、という認識が大切なのだ試験を出題するのは筆者ではない。出題者は、読み手なのだ試験の度に読む題材は異なるが、出題者の姿勢は一貫している。だから受験者に求められるのは、作品の筆者を直接理解することでは決してなく、むしろ読み手でもある出題者を理解することなのだ。

そして読み手である出題者の中には、作品の筆者に対する批判意識も当然あるだろうから、筆者の意図は正解とは関わらない。しかしその出題には連綿と引き継がれている傾向、理論があり、だからこそ受験者も一人の読み手としてでなく、問題の解答者として試験に臨むことができるのだ。

最後に、「文学の読み方に正解はない」という国語試験批判する大義名分は、人間知的営みの根本的な前提を確認しているに過ぎないことに言及しておく。そもそも、どの学問を取っても、普遍の真理には程遠く、最新の理論などと言っても一つの解釈しかない。皮肉なことに、科学歴史恣意的ものだという議論入試現代文に繰り返し登場しているありきたりな話なのだが。

結局のところ、センター試験呈示する「読み方」を疑問視するなら、数学の、自然の、人間の、「読み方」である他の科目も―本当の正解とは限らない。逆に、センター国語の出題の背後にある理論は、他のすべての科目の理論と同様、絶対普遍のものではなくとも一つの体系を成している。その事が未だに十分に認識されていないことは、センター試験の失敗でもあり、今後試験の形が変わっても国語教育課題であり続けるだろう。

2018-01-13

anond:20180113034454

誤訳の指摘ありがとうございました。

以下、ご指摘の点について修正検討させていただきます

✖そのことがマッチョ侵害行為保証することにはならない。

⇒また、女性に対する慇懃な振る舞いを女性を傷つける男性優位の態度と見なすのは間違いです。

さっそく冒頭で私の訳はダメですね。galanterieをgarantirと完全に読み間違えてます

恋愛のお作法に乗っ取った男性からの誘惑の手順ですね。

https://fr.wikipedia.org/wiki/Galanterie

agression machisteは痴漢行為と訳すのが良さそうです。

violを指す犯罪crimeは殺人と同じくらいの犯罪なので、そのニュアンスの違いは入れるなら、

強姦殺人と同じくらい重大な犯罪だ。しかししつこかったり不器用だったりするナンパ犯罪ではないし、誘惑のお作法痴漢行為とみなすのも違う。

✖正しく意識されるようになった。

意識されるようになったのは正統なことだ。

プロフェッショナルのせかいにおける性暴力だ。

職業生活の中での性暴力だ。

ここは訂正どおりにさせていただきます

✖いわゆる普遍の名の下で、

⇒誰にとっても善いのはこういうことだと勝手に決めて、

(この下りはかなり皮肉な書き方になっていると思います)

公共利益代表者気取りで

✖実際、報道メディアソーシャルネット上で、#metooが巻き起こしたのは密告と、個人個人に抗弁の余地や弁護の余地を与えることなく、性暴力加害者と同じ俎上糾弾することだった。

事実、#metooを通して、報道メディアソーシャルネット上に密告と公の場での告発キャンペーンが発生した。犠牲になったのは、性暴力加害者たちとまったく同じ俎上に乗せられ、抗弁の余地も弁明の余地も与えられない人びとだった。<<

実際の所、#metoo引き起こしたのは、報道メディアソーシャルネット上での密告と公開の場での糾弾キャンペーンだ。槍玉にあげられた人々は抗弁の余地も弁明の余地も与えられず、性暴力加害者と同じ俎上に乗せられた。

✖「豚野郎」たちを屠殺場へ送り込むこの熱狂だが、女性が自立することを手助けるには程遠かった。 実際には性の自由の敵、宗教的過激主義、最悪の反動主義者に利益をもたらすことになってしまった。この反動主義者は、実質的にはヴィクトリア朝モラルのもとで、女性を「別扱いな」存在とみなし、女性保護することを求めながら大人の顔をした子供とみなすのだ。

⇒「豚野郎」どもを屠殺場へ送り込もうとするこの熱病は、女性自律的になるのをいささかも助けない。それどころか、実際にこの熱病から利益を得るのは、性の自由の敵たち、宗教的過激主義者たち、最悪の反動家たち、そして、実体論的な善概念とそれにともなうヴィクトリア朝風のモラルの名において女性一種「別扱いの」存在と、大人の顔をしていながら子供のように庇護されることを求める存在と見なす人びとなのである

豚野郎」たちを屠殺場に送り込もうとするこの熱狂状態は、女性が自立していくことを手助けするには程遠かった。それどころか実際には、性の自由の敵、宗教的過激主義者、最悪の反動主義者、そして善の本質的概念とそれに伴うヴィクトリア朝的なモラルを掲げ、女性を「別扱い」の存在にし、保護されることを求める大人の顔をした子供と考えるような人々に利益を与えてしまっているのだ。

ミケランジェロ・アントニオーニ映画欲望』を「女性差別」で

ミケランジェロ・アントニオーニ映画欲望』を「女性蔑視」で

mysogineはどちらの訳にもなると思われます

✖「女性として振舞うことのトラウマに苦しんでいる」ことを

⇒「女性登場人物たちが被ったトラウマ」を

✖「スイスで提出されている法案

⇒「スウェーデンで提出されている法案

✖「やりりたいこととやりたくないことに」

⇒「してもいいと思うことと、するのはいやだと思うことに」

ここはご指摘の通りです

中指を立てる自由

⇒人の気分を害する自由

この概念攻撃しようとするのは(神や国家指導者のような)「権力」「権威」とそれをアンタッチャブルものにする空気ですので、「人の気分を害する」は避けたいところでした。

彼女給与男性平等に支払われるように注意しているべきだ。しかし、地下鉄痴漢にあっても、それが犯罪からといって、トラウマを植え付けられたと感じる必要はない。

彼女彼女給与男性平等に支払われるように注意することができる。しかし、地下鉄痴漢にあっても、痴漢行為犯罪と見なされるからといって、一生涯続くトラウマを植え付けられたとは感じないでいることもできる。

彼女給与男性平等に支払われるように注意していることができる。しかし、それは確かに犯罪なのだが、地下鉄痴漢に体を触られたからといって生涯消えないトラウマを植え付けられたと感じなくてもよい。

✖評判だおれだったとさえ考えてもいい。

さらには、大した出来事ではなかったと考えることさえできる。

たいしたことは起こらなかったかのようにさえ考えてもよい

女性としての私たちは、自分たちが、力の乱用を超えて、男性たちとセクシャリティへの憎しみという顔をもったフェミニストになることを認めない。

私たち女性として、権力濫用告発することを超えて男性たちとセクシャリティへの憎しみとして表れるフェミニズムに強い違和感を覚える。

女性としての私たちは、権力の乱用を告発することを越え、男性たちとセクシャリティへの憎しみという様相を呈しつつあるこのフェミニズムを、自分たちのものとして受け入れることはできない。

✖ウザがられる自由無しでは上手く働かないと私たちは考える。

⇒ウザがられる自由が男たちの側にあってこそ意味を持つと私たちは考える。

ここは「ウザがられる自由」が男たちの側にあると解釈するのは無理ではないかと思います

性的提案(これはナンパかもしれませんし既に恋人同士の間で行われるものかもしれません)に対して「ノー」という自由は「ウザがられる自由」が無いと上手くたちゆかないということなので、

誘いを受けた側(これは男性であるとも女性あるとも異性愛者の間のこととも限りませんが)にあると考えるのが自然ではないでしょうか?

子供を持つことを選んだ人々のために、

私たちのうちで子供を持つことを選んだ者について言えば、

✖娘たちが気後れさせられたり罪の意識を感じさせられたりすることなどなく、自分人生を精一杯生きるために十分教育されて自覚を持つことが適切だと考えている。

自分の娘たちが、〔性について〕気後れさせられたり罪の意識を感じさせられたりすることなく、人生をのびのびと生きるのに十分なだけの知識を得て意識的になるように育てることこそ適切だと考えている。

私たちの中で子供を持つことを選んだ人達のために、私たちの娘たちは十分に教育され、気後れさせられたり罪の意識を感じさせられたりすることなく、人生謳歌できるように十分な知識を与えられ、意識的であるように育てられることが適切だと考えている。

✖たとえそれが辛く、生涯残る傷を残すものだったとしても、身体を傷つけられる事故にあった女性尊厳を傷つけられないし、傷つけられるべきでもない。

女性身体に関与するアクシデントは、必ずしもその女性尊厳を傷つけるわけではなく、ときにきわめて辛いものであっても、そのアクシデント理由に当該女性を終身犠牲者のように考えるのは必ずしも適切なことではない。

女性の体を傷つけるようなアクシデントは必ずしも彼女尊厳を傷つけるものではないし、ときには極めて辛いものであったとしても、彼女を当然の様に永遠犠牲者としてしまうべきではない。

まだまだ検討余地はあるかと思いますが、ご指摘の点については以上のように。

anond:20180111072916

『[翻訳] ドヌーヴ「女性口説く権利」 全訳』を掲載された方が、"la liberté d'importuner"を「ウザがられる自由」とお訳しになったのはなかなかの技だと思うのですが、惜しいことに、この全訳はかなりの数の誤訳を含み、その結果、多くの箇所で、原文の文意を正しく伝えていません。

 以下、大急ぎで、主だった誤訳箇所を列挙し、元記事http://www.lemonde.fr/idees/article/2018/01/09/nous-defendons-une-liberte-d-importuner-indispensable-a-la-liberte-sexuelle_5239134_3232.html)の正確な読み取りに基づく改訳を提案しておきます。「✖」で誤訳箇所を示します。「⇒」でその部分について、正確であろう訳文の例をを示します。ご検討ください。

✖そのことがマッチョ侵害行為保証することにはならない。

⇒また、女性に対する慇懃な振る舞いを女性を傷つける男性優位の態度と見なすのは間違いです。

✖正しく意識されるようになった。

意識されるようになったのは正統なことだ。

プロフェッショナルのせかいにおける性暴力だ。

職業生活の中での性暴力だ。

✖いわゆる普遍の名の下で、

⇒誰にとっても善いのはこういうことだと勝手に決めて、

✖実際、報道メディアソーシャルネット上で、#metooが巻き起こしたのは密告と、個人個人に抗弁の余地や弁護の余地を与えることなく、性暴力加害者と同じ俎上糾弾することだった。

事実、#metooを通して、報道メディアソーシャルネット上に密告と公の場での告発キャンペーンが発生した。犠牲になったのは、性暴力加害者たちとまったく同じ俎上に乗せられ、抗弁の余地も弁明の余地も与えられない人びとだった。

✖「豚野郎」たちを屠殺場へ送り込むこの熱狂だが、女性が自立することを手助けるには程遠かった。 実際には性の自由の敵、宗教的過激主義、最悪の反動主義者に利益をもたらすことになってしまった。この反動主義者は、実質的にはヴィクトリア朝モラルのもとで、女性を「別扱いな」存在とみなし、女性保護することを求めながら大人の顔をした子供とみなすのだ。

⇒「豚野郎」どもを屠殺場へ送り込もうとするこの熱病は、女性自律的になるのをいささかも助けない。それどころか、実際にこの熱病から利益を得るのは、性の自由の敵たち、宗教的過激主義者たち、最悪の反動家たち、そして、実体論的な善概念とそれにともなうヴィクトリア朝風のモラルの名において女性一種「別扱いの」存在と、大人の顔をしていながら子供のように庇護されることを求める存在と見なす人びとなのである

ミケランジェロ・アントニオーニ映画欲望』を「女性差別」で

ミケランジェロ・アントニオーニ映画欲望』を「女性蔑視」で

✖「女性として振舞うことのトラウマに苦しんでいる」ことを

⇒「女性登場人物たちが被ったトラウマ」を

✖「スイスで提出されている法案

⇒「スウェーデンで提出されている法案

✖「やりりたいこととやりたくないことに」

⇒「してもいいと思うことと、するのはいやだと思うことに」

中指を立てる自由

⇒人の気分を害する自由

彼女給与男性平等に支払われるように注意しているべきだ。しかし、地下鉄痴漢にあっても、それが犯罪からといって、トラウマを植え付けられたと感じる必要はない。

彼女彼女給与男性平等に支払われるように注意することができる。しかし、地下鉄痴漢にあっても、痴漢行為犯罪と見なされるからといって、一生涯続くトラウマを植え付けられたとは感じないでいることもできる。

✖評判だおれだったとさえ考えてもいい。

さらには、大した出来事ではなかったと考えることさえできる。

女性としての私たちは、自分たちが、力の乱用を超えて、男性たちとセクシャリティへの憎しみという顔をもったフェミニストになることを認めない。

私たち女性として、権力濫用告発することを超えて男性たちとセクシャリティへの憎しみとして表れるフェミニズムに強い違和感を覚える。

✖ウザがられる自由無しでは上手く働かないと私たちは考える。

⇒ウザがられる自由が男たちの側にあってこそ意味を持つと私たちは考える。

✖そして私たちは、このウザがられる自由にどう応えていくかを知らなければならない。性的な獲物の役割に閉じこもる以外のやり方でだ。

⇒そして私たちは、このウザがられる自由に対して、獲物の役割に閉じこもる以外のやり方で対応する能力を持っていなくてはいけない。

子供を持つことを選んだ人々のために、

私たちのうちで子供を持つことを選んだ者について言えば、

✖娘たちが気後れさせられたり罪の意識を感じさせられたりすることなどなく、自分人生を精一杯生きるために十分教育されて自覚を持つことが適切だと考えている。

自分の娘たちが、〔性について〕気後れさせられたり罪の意識を感じさせられたりすることなく、人生をのびのびと生きるのに十分なだけの知識を得て意識的になるように育てることこそ適切だと考えている。

✖たとえそれが辛く、生涯残る傷を残すものだったとしても、身体を傷つけられる事故にあった女性尊厳を傷つけられないし、傷つけられるべきでもない。

女性身体に関与するアクシデントは、必ずしもその女性尊厳を傷つけるわけではなく、ときにきわめて辛いものであっても、そのアクシデント理由に当該女性を終身犠牲者のように考えるのは必ずしも適切なことではない。

以上。

2017-12-22

[] 現代っ子

第2次世界大戦後の日本社会に顕著に進行した現象。家制度廃止核家族化,民主的道徳教育の普及,6・3・3制の施行

それに伴う進学率の増加,進学競争普遍化,都市化情報社会化テレビの普及,大衆社会化,経済成長などを背景にして

育ってきた子供たちをいう用語。昔の特に農村や小都市での牧歌的生活のなかで育った子供比較して,その特徴を

きわだたせるのに用いる。 1960年代を中心に盛んに使われた。基本的には世代の子供版であり,そこに知的興味という

余裕がみられたことは否定できない。

  

教師であった阿部進学校の内外を問わず子どもと触れ合う中で「戦前戦後では子ども気質が違う」ことに気が付いた。

発見を元に2冊の本を書き上げると、それぞれ20万部を超えるベストセラーに。

著書で示した「現代っ子」という言葉流行語となった。

https://kotobank.jp/word/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E3%81%A3%E5%AD%90-60833

http://www.townnews.co.jp/0110/2013/08/08/199068.html

2017-12-17

anond:20171217000513

数学普遍の真理を扱うが、あくま集団の見る幻想だとも言われることがあるしね

俺も科学あくま科学だと思ってる

ただ、科学に対するリテラシーが欠如していると血液型人格を決めつけたり、水素水をありがたがることになる

また、薄っぺら単語並べただけの"サイエンス"に騙されてしまうだろうね

2017-12-12

今の若者別に賢くなってない

タイトル通り。

ツイッターでも同じような指摘が散見されるが、

風俗パチンコアニメアイドルソシャゲに変わっただけ。

酒も飲まない、と言ってたが最近ストロングゼロへの飛びつき方よ。

タバコ終焉ヒロポン終焉と同じで単なる外的圧力と時勢だ。

バカ底辺とマトモな奴の比率は昔からそこまで変わってない。

昔は外に出ないとバカ向け娯楽は楽しめなかった。あと単純に人口が多かった。

から夕方〜夜の街を歩くだけで、バカ底辺が腐るほど目についた。

今は家に篭ってバカ向け娯楽を楽しめるようになったかバカ底辺が目につかないだけ。

バカ底辺は一生搾取され続ける、これはどの国・どの時代普遍

2017-12-01

anond:20171130190646

ひたすら旅をしたい。気候のいいところをずっと歩いていきたい。

人類普遍の夢だと思っていたけど違うのか…

2017-11-11

anond:20171111230258

なんか今の時代歴史的に見てもかなり特異らしいね

本来は多少ガッシリしてたり肉がついてるのが

普遍の好みだったらしいが

 

たぶん科学化学の発展で食料増産が可能になって、

結果デブった人が多くなりすぎたせいで

糖尿病とかの成人病問題が出てきたか

「私は自制できます、体型維持に努力ができます

っていう事がかなり価値が高くなったせいかもしらん

2017-10-31

anond:20171031124455

そういう面はありますね。

彼らが普遍価値だと持ち上げて日本人をぶん殴るリベラル棍棒ですが。リベラルで無い部分も、彼ら相手にならヨーロッパ的で素晴らしいと持ち上げたりするんだから、何が何やらと…

anond:20171031124245

日本イマイチ活躍出来なかった人が海外活躍してくれても全然構わないし、むしろ良い事だと思っていますが。その経験普遍化して、日本イマイチだったのを日本人国民性海外でうまく行ったのは海外国民性みたいなのん気な『啓蒙』をして下さる一部の方々には辟易します。

日本凄い!的な切り口の番組バカするのが流行っていますが、凄い面を見ればどの国も凄いところはあるので。その手の人は「日本ダメ!」の切り口しかもてなくなってしまっているようなバランスの悪さを感じます

2017-10-22

anond:20171022083613

書いた者です

私も現代の諸問題が複雑になっていて、且つ右左のような立場では割り切れなくなっていると思い、このようなことを書きました。

いっきり整理して、経験主義に基づくか基づかないか、それのみを分類に採用しようと思います

なせならば、教会権威知を否定し、知識を疑いながら信じ、その手法を自ら所有するという科学思考と営みは、経験主義に基づくものであり

敵味方ではなく、個物と普遍眼差しを向けるのは、このような思考からです。理屈っぽく言うと。なお、私は聖書所有主義のようなプロテスタント宗教こちらに含めます

庶民への啓蒙机上の空論、などと言わず科学思考、というか敵味方で善悪判断してしまう傾向論と、個物つまり個人をちゃんと区別すること、などといった根本的なことを疎かにしてはいけないのではないか、と思います

2017-10-19

下手すりゃその作品を初めて読んだのが晴れの日だったか雨の日だったか感想なんて変わってくるものなのに

自分感想が唯一絶対普遍かつ不変の真理だと思い込んでる奴が多いか

己の感性が単に摩耗しただけのことを「業界の変質により近年の作品劣化している」と騒ぎたてたり

たまたま粗が気になっただけのことを「この作品の致命的欠陥に気付かず支持する最近の若者無知蒙昧ガー」と粘着叩きしたりするんだよ

2017-10-08

内輪受け・馴れ合いをこえた面白さを生み出すのは難しい

それでもより広くより真理や普遍に近いそこを俺は求め続ける。

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