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はてなキーワード: パスポートとは

2019-05-23

zaikabouの中国観光シリーズが「ジャップの癖に生意気だ」に着地してて草

21世紀覇権国家を今見ておいた方が良い

いずれにしろ中国21世紀超大国であることは間違いないわけですから

黄昏国家日本ですが、過去資産世界最強の威力を誇るパスポートがある。今後の世界経済に占める日本位置や、昨今の米中対立や、民族主義の台頭や、不法移民問題を見ていると、この立場がこれより良くなる未来はあまり見えない。海外行くなら今ですよ、と思うのです。

エントリを重ねても「丁重にノーサンキュー」なブコメが減らず

自制しつつも段々イラついてきてるなってのは感じてたけど

最終エントリですげえ地が出ちゃったよ

こーゆー人だったのね


日本人観光客、中国大陸)に行かない問題、さいごに

http://zaikabou.hatenablog.com/entry/20190523/1558579612

そもそもなんでそれが”問題”なのか、シリーズ最初からわからんかった

なんかしらんけどこの人が怖い

2019-05-22

ヘルプマークと私の心の狭さ

目が覚めたので書いた

私は電車一本である通勤に1時間ほどかかる。

大抵は立ちっぱなしになってしまうので少しでも寝やすいよう壁にもたれかかれるようにしている。

今回は、乗り換えがうまく言ったおかげか満員近くになる前の座席は空いていないが空間がある状態の時に乗車することが出来た。

疲れから眠い

取り敢えず空きのあった優先席エリアへと移動。いずれ満員になりドアを通しての車間移動がないことを見越しドアによりかかり発車を待っていた。

発車直前に大人数が乗り込んできた。例のごとく発車直前に車内は満員になる。

ふと気配を感じた。直後横にいた方につつかれ「寄りかかりたいので場所を代わってほしい」とヘルプマークを見せられながら言われた。

座席を代わってほしいという状況はわかるが、何せ寄りかかりたいので場所を代わってほしいといわれたのは初めてであったので当惑した。

だが、見せられたマークを見て何となくどこか体の調子が悪い方なのだろう・・・と思い急いで移動

マークは後にヘルプマークという名前であると知る

私は弱い立場にある方は守られてしかるべきだと考えているし、体に不自由のあるかたや老人が目の前にいたら優先席でなくても席を代わってきた。

困ったときお互い様なのである

しかしながら、今回は言われた直後、少し違和感を感じてしまった。「何故寄りかかるためにヘルプマーク提示場所の移動を要求されたのか」

前述の通り優先席エリアであるヘルプマーク携帯するということは優先席を譲ってもらう正当な理由を持っているはずである

しろ座った方が負担が少なくなることは明らかである

もし、私が優先席に座っており、目の前にヘルプマークを下げた方がいた場合何か言われる前に席を譲るだろう。

しかし、席を譲ってもらおうとせず、寄りかかりたいので場所を変えてほしいといったのは何故なのか。席を譲ってもらえば良いのではないだろうか・・・

なんて心の狭い人間なんだろう。と私は思った。不覚にも不満感を覚えてしまたかである

結局そのあとに優先席に座っていた方が席を譲ってくれていた。場所変えた意味はいったい?

何故、不満を覚えてしまったのか整理してみる

一 唐突ヘルプマークを見せられ場所の交換を迫られる。優先席があるのに何故・・・

二 もちろん譲る。しかしながら、その直後に結局座席に座ったため移動した意味が全くない

三 移動した直後何も言われなかった。

四 席を譲った方にはお礼を言っていた。

五 理由も言わずただマークを見せられて場所変わってくださいといきなり言われて困惑した

席を譲ってくださいというのはなんとなく抵抗がある。壁際の場所を交換してくださいという方が精神的な負担が少ない。

しかしながら、ヘルプマークを持つような方のために優先席存在する。優先席を譲ってもらうことに抵抗を感じる必要はないのである

そんな微々たる精神負担の軽減のために権利行使するような形でマークを見せられたのが嫌だったのかもしれない。

あるいは、言葉よりも先に印籠のようにマークを見せてきてから言われたから不満に思ったのかもしれない。

マークなんか見せなくても理由言ってくれれば場所くらいかえる。でもマーク見せておしまい

これでは印籠といわれても仕方がないのではと思ってしまった。

初心者マークのように相手が察することが出来るようにするためのものであり、何かを頼むとき提示するものではないと思う。

思いやりを助ける道具をパスポートのように使うことに違和感を感じたのだろう

そこに容赦のない感じがしたか不快感を覚えてしまったのだと思う。

かといって弱い立場の方を責めたくない。不快感と自制の葛藤もやもやを生成していた。

結局のところ私の心が狭いのである。そう思うとより気分が沈む。その程度のこと気にしないよう改善しなければならない。

冒頭に書いたように弱い立場人間は守られるべきであると私は思っている。

適当に書きたいことを書いてガス抜きをすることとする。

そのうち忘れるさ

2019-05-20

anond:20190520120147

住基カード

そろそろ失効するからマイナンバーカードにしなきゃな

 

基本困らないんだけど、海外で使えない時があって面倒

運転免許証身分証ってのは世界レベルなんだな

 

あとはパスポート

マイナンバーは使えるのかね、滅多に機会はないけど

2019-05-16

anond:20190516073418

子持ちの事攻撃してるけど老後のあんたの事支えるんだから〜的なブコメを見るとしょぼくれてしま

じゃあどうすりゃいいんだ

結婚もできない子供も作れない

でも働かなきゃ生きていけない

結婚しなければ半人前と見下されいつまでも独身だと痛い奴だと思われる

かと言って友達も作れないほどコミュニケーションをとるのがしんどくて自己肯定感がなくプライドが高く人との会話が怖い

itパスポートとか簡単資格しか取得できず簿記2級も5回受けて落ちる

2019-05-11

ロシア広島って似てるよね

友人が来週から旅行に行くんだけど、今までずっと広島に行くんだと思ってた。車で数時間距離なのに半年も前から計画立ててるから、どんだけ楽しみにしてるんだよって

今日パスポートの話しになって、実はロシアに行くことを知った

ロシア広島の違いを教えてください

2019-05-10

文系学問において資料実在証明するものとは何か

久々にビッグ研究不正ニュースktkr

ということでキリスト教思想史研究やってた人が研究不正で懲戒解雇された件について、報告書に目を通した上でちょっと書きます

今回調査委員会被告発者に求めたのは、以下の項目でした。

この「写し」というのはどういうことでしょうか? 資料のもの調査委員会が求めなかったのはどういうわけでしょうか?

歴史学者にとっては常識なのですが、他の分野の人にとってはどうかわからないので、解説してみます

そもそも文系はどんな材料を使って研究してるのか

これは人というか研究分野によるので、安易なことは言えません。文学哲学社会学人類学歴史学言語学とでは使う資料がぜんぜん違います

で、この被告発者の研究手法は、近現代を扱う歴史家の多くが採用している手法だと思います近現代史を扱う人たちは、

を主に史料として使います(「史料」ってのは、歴史を記録したナマの資料のこと。「資料」と呼ぶと後世に書かれた二次文献なんかも含む)。あるいは、上に書いたようなものをまとめて出版した本とかを使います

これらの史料の特色とは何か……それは、

ことです。

公文書館というのは、「お役所の書いた書類を保管しておく施設」のことです。これはどのくらいかというと半永久的にです。普通文明国ならどんなに細かな書類でも公文書館に保管されていて、(民主国家場合は)数十年して機密解除されたり(独裁国家場合は)体制崩壊して民主化したりすることによって「申し込めば誰でも読める」状態に置かれます。これによって我々はソ連時代領収書なんかをロシア公文書館で読むことができるわけです。ソ連ですら公文書を保管して後世の我々に見せてくれているというのに……いや、これは余談でした。

当たり前ですが、それらはその国(あるいは地方)の公的な記録であって、自分のものにして持ち帰ったりすることはできません。ではどうするか。多くの歴史学者

などの手段史料を入手して研究しています(ちなみに写真撮影もカネを取る公文書館結構ありますね。日本だとどうなんでしょ)。

昔の人が書いたものも、本とかなら古本屋さんとかで流通しているのを買うことができるかもしれませんが、稀覯書でなかなか手に入らなかったり、古雑誌バックナンバーとか揃えるの無理ゲーだったりするので、図書館に所蔵されているのを使うことが多いです。近場の図書館に置いてない? 相互貸借もさせてくれない? そういう場合は当たり前ですが所蔵している図書館がある街まで行きます。その図書館がある街というのが新幹線必要距離だったりパスポート航空券がないと行けない距離だったりすることも稀によくある(歴史学者研究費は旅費と本代に消えていく運命なのです……)。そして、辿り着いた図書館カメラをパシャパシャやったりコピーを黙々と取ったりするわけです(最近スキャナーが普及してくれてマジ嬉しい)。

なので、調査委員会は「一次資料の写し」を求めたわけですね。たとえ彼が清廉潔白研究者であったとしても、一次史料原本なんてふつうは手元にないわけですから

しかし、本来、彼は「一次資料の写し」を提出する必要などありませんでした。自分論文を黙って調査委員会に提出すればよかったのです。なぜでしょうか?

ここで、もう1つの大事な話をします。

文系に「実験ノート」はない

もちろん分野によります心理学みたいに人を対象とした研究だとしっかり実験ノートつけるように言われるかもしれないし、考古学とかは発掘時の状況を克明に記録しておくことが重要だったりするかもしれない。でも、少なくとも近現代史みたいな分野では、実験ノートをつける、という習慣はありません。

私は一度も、理系で求められるような意味での実験ノートを書いたことはないし、書けと言われたこともないし、書いていないことを理由に責められたこともありません。もちろん史料ノートに筆写したりはしていますが、そのノートだって別に厳密なものではない。普通研究においてノートは使いますが、それは高校までのノートと一緒で、鉛筆で書いてもいいし、好き勝手なやり方で書いていいし、なんなら途中で破ったりしてもいいごく普通ノートです。最近ノートじゃなくてパソコンとかを使って研究上のノートを取ってる人も多いんじゃないかな(手書き疲れるもんね……)。

なぜか? と言われれば、

です。

まり、「もとになった資料」というのは、理系のように自分実験室の試験管の中にしかないものではなく、別の誰かが保管してくれているものなのです。

理系学問において標準化された改竄不可能な形で実験ノートをつけなければならないのは、自分実験室の試験管の中にしかオリジナル資料がないからですよね? しか文系場合は、少なくともここまで説明した近現代史場合は、オリジナル資料はどこかの政府管理している公文書館とかどこかの大学図書館かに保管してあるわけで、そこに辿り着くまでの情報さえ明記してあればそれで十分なのです。これはドイツ連邦共和国ベルリン連邦文書館の何々というファイルに保管してある何というタイトル史料だ、とわかれば、チェックのためにはそこに見に行けばよいし、これは19世紀に書かれたほにゃららという新聞に載っていた記事である、と書いてあれば、その新聞が所蔵されている図書館を探して読んでくればいいわけです。

なので、別にどんな方法ノートを取ろうが自由なわけですね。最終的に読者がその元になったデータを見つけられるようにしておけばいいわけから

ゆえに、歴史学論文や著書には膨大な注がつけられます引用した史料のそれぞれについて「どこに保管されている史料なのか」「なんという本の何ページに書いてあることなのか」ということを書かないといけません。

なかには、史料自分の手元にある場合もあります。多くの場合それは「昔の人が出版した商業出版物」なので(たとえば、極端な例ですが『わが闘争』)、他の誰かも持っていることが多いです。もしそういう史料捏造とかしちゃうと「俺もこの本持ってるんだけど、お前が引用してる箇所見つからなかったよ?」という怒られが発生します(なお、捏造ではないですが誤訳指摘は受けたことがあります。コワイ! でも覆面査読なのにこの文献の誤訳を指摘できるってことはあの人しかいないじゃん……ってわかっちゃう! 文系世界基本的に狭い!)。「むっちゃ少数しか発行されなかった自費出版の本」とかが典拠になっている場合もあります。こういう史料典拠にするのも仕方ない場合があるんですよ……典型的には、そこまで有力ではなかった政治家とか在野の知識人とかを研究したい場合、彼らが出してる本は全部自費出版というのがありえます(あと、言語学とかだと、たとえば与那国島方言研究したい場合に一番の参考資料になるのは与那国島のお年寄り自費出版した方言辞典だ、みたいな例がありまして……与那国町が進めてる辞書出版プロジェクトむっちゃ楽しみ)。ごくごく稀に、古本屋歴史上の人物が書いた手紙の山をまるごと購入できた、みたいな奇跡があって、モノホンの一次史料研究個人の所蔵になっている場合があります。これはねえ……もう本当に個々の研究者の良心を信じるほかないよね……若手研究者だと色んな大学を移り歩くこともあるだろうから所属してる大学図書館寄付しろとも言えないしね……原史料出せって言われたときにすぐに見せられるようにしておいてね、定年退職するときは勤務校の図書館に置いていってよ、とお願いするくらいしかできない感じはあるよな……

さて、長々と書いてきましたが、要するに、捏造を疑われた研究者がきちんと注で出典を書いていれば、彼は論文調査委員会の人たちの前に突きつけて「ここに出典書いといたから、見に行って確かめてこい」と言えばそれで済んでいたのです(それが生データにあたるものなので。実際、今回の調査委員会ドイツに問い合わせたりしていますね)。もっと言えば、彼本人から話を聞く前に、調査委員たちはまず典拠との照合作業を行って、彼が誠実に引用したこと、つまり彼が研究不正に手を染めてはいないことを確認してくれていたでしょう――もしも彼が潔白であったならば。

しかし今回の件では、注に不備があったので調査委員たちは注から出典を辿ることができませんでした。そこで被告発者に「写し」を求めた結果、元となる史料そもそも存在しない、捏造されたものであることが判明したわけです。

注をしっかりつけろよ! まことにごもっとも。特に今回のケースは注の多い学術書であり、注の不備は申し開きができません。しかし、しかしです、この背景には、日本出版事情が絡んでいるのです。

「注がない本」問題

今回の被告発者は、学術書のほかに新書も書いていました。多くの新書には、参考文献リストはありますが注はありません。そして日本には、「研究者が書いた真面目な学問に関する本だが、注がない」というのが一定数あります(一応言っておくと、ここではauthor-date方式みたいな「厳密な意味での注じゃないけど、ともかくも出典を示す機能を担っているもの」も含めて注と呼んでいます)。実はこれ、文系あいだでも問題視されていることなのです。

文系学者が書いた学問に関する著書には、明白に書誌情報として区分されているわけではないですが、いくつかの区分があります第一にいわゆる狭義の「学術書」。むっちゃ小難しい語彙で書かれてて、先行研究とか新規性かに一言及して、参考文献を何十ページも載せてたりするやつです。読者は同じ学者、あるいはその卵。これで注を省くのは論外です。第二に「教科書」。これは学生さんとか初学者向けに易しく書き、内容には特に新規性を求められておらず、包括的な参考文献はなくとも読書案内がついていればそれでよし、という感じでしょう。注は別になくたっていい。

そしてこの2つのあいだには、「一般向け」という広大なグレーゾーンが広がっています

あなた読書好きで、少々お硬い本にも興味があるのなら、中公新書とか講談社選書メチエとかそういったレーベルを聞いたことがあるでしょう。岩波書店青弓社社会評論社といった出版社の名前を聞いたことがあるでしょう。実はこの辺、色々な種類の本が入り交じるグレーゾーンなのです。

これらのレーベルで真面目な学術書出版する人もいます講談社選書メチエでも、末尾にビッチリ注がついてたり参考文献リストがあったりするやつあるでしょ? ああいうやつ。一方で、こういうレーベル一般向けの概説書・入門書を書くことに使う人もいます。よく中公新書で、包括的タイトルで薄めの本を見ることがあるでしょ? 今回の『プロテスタンティズム』もそれですね。そして、一般向けの解説を書きながら、さり気なくその中で新しい見方提唱したりする人もいます学術的な新規性のある内容を、一般受けしそうだという理由で限りなく一般向けの本の体裁で書く人もいます最近のやつだと『姦通裁判』マジお勧め)。

さて、こういう本を出す上では、内容は著者の完全な自由にはなりません。編集者は、もちろん学術的に正しい内容を求めているのでしょうが、彼らにとって重要なのは「売れること」です。そのために「一般向けにもうちょっと柔らかい言葉遣いで書いてください」とか色々と内容に介入してくるわけです。文体くらいなら別に構わないかもしれませんが、彼らの中にはこんな要求をしてくる人もいます「注なんてつけたら一般読者に嫌がられます、注は省きましょう」

こうして生まれるのが、「学術的に新規性が高く面白い内容を扱っているのだが、注がない」という一般書の群れです。

もちろんこういった本にも参考文献はあり、「注はないけど、典拠を探しながら読めば典拠がわかるような書き方になっている」本もそれなりにあります(たとえば、はてな太郎の説によれば、と本文中に書いてあれば、注がなくても参考文献リストはてな太郎が書いた『増田研究』という本を探し出せる)。ただ、やっぱりそれは注がある文献の出典表示の厳密さに比べれば一段劣るわけです。

これに関しては、研究者も出版社もそれぞれに問題があります研究者サイドは簡単に「注を省け」なんて要求妥協すべきじゃないし、そもそも「著書を出版する」ことが、博士論文を見るためにはわざわざ学位を授与した大学国会図書館に行くほかなく出版して書店流通させることが最も良い研究成果の流通のさせ方だった時代であればともかく、各大学リポジトリを持っていていくらでもディジタル研究成果を公表できる時代にあって本当に重視されるべきか考え直す必要があるでしょう(でも、欧米出版社でも学術出版は盛んなので、これは日本だけの問題じゃないんですよねぇ。今でもオックスフォードケンブリッジハーバードコーネルといった有名どころのUniversity Press学術書出版しまくってます学術書研究業績として重視されるのは人文系では割と世界標準なので……)。

一方で、出版社は注をもっと重視するべきです。というよりも、日本出版社やジャーナリストノンフィクション作家は注をつけなさすぎます。先日、ボブ・ウッドワードトランプ大統領についてのルポルタージュ出版しましたが、体裁も内容もおおよそ学術的とは呼べない一般書そのものの本なのに、きちんと出典を示す注がついていました。出版社は、学者に注を削れと言うべきではなく、ノンフィクションを書く作家記者たちに注をつけろと言うべきでしょう。

とはいえこれは一朝一夕はいきません。そもそも知の折り詰めである新書」という形態が割と日本独自のもので、そういう一般学術を橋渡しするレーベルが広く一般読者に読まれていることの重要性というもの鑑みると、簡単になくせとか言えません。私も色々お世話になってるし。人口1億人ちょいの書籍市場ではどうしたって限界があり、色々な本を出すのではなく折衷的な本を1冊出すのが経済学的には最も合理的という考え方だってあるでしょう。ただ、やっぱり一般書にも(それこそ講談社ブルーバックス岩波新書レベルにも)注を入れるようにする、というのは必要だと思うのですよね。

さてここまで「注がない本」問題について解説してきました。でも何が一番言いたいかというと、

注はあなたの身を守るためにある

これ。これに尽きます。注はちゃんとつけよう。もしもあなた捏造者でなくとも、研究不正をしていなくとも、実験ノートをつけない我々の業界において潔白を証明してくれるのは注だけなのだから。注だけが資料実在証明してくれるのだから。本の売上よりも、あなたの保身のことを考えよう。あなたが、部屋が汚いとかハードディスクがお亡くなりになったとかパソコンの買い替え時に行方不明になったとかの色々な理由で、史料の「写し」を紛失する日はきっと訪れる。そのときに、これまでのあなた研究の誠実性を証明できるのは、人文系学問においては、注だけなのだ

以上です。駄文に長々と付き合ってくださりありがとうございました。続きはanond:20190511125053で。

2019-04-27

anond:20190427005837

私は短大卒で

マイクロオフィススペシャリスト

日商簿記2級

ビジネス検定

ITパスポート

資格を取ったけど、事務正社員仕事ほとんど落とされた。

派遣事務をやったあとにjavaを独学でやって、未経験からシステムエンジニアになった。

システムエンジニアデザイナーは細かい打ち合わせや会議取引先とのコミュニケーションもあるし、チームワークが大事仕事

ひとりで黙々やりたいなら絶対に向いてない。

食品加工とか警備員とかどうでしょうか?

2019-04-26

日本パスポートが信用されている理由経済力だとしたら

10年後には無価値になってるのかね

それとも信用性が高い理由戸籍をまんま共有してるとか何か別の裏取引でもあるのかね

東大生の母が上野千鶴子祝辞を読んで思ったこと。

我が子はいわゆる発達障害児だった。小さい頃から東大を目指してがんばってきたわけではない。周りの子供と同じように田舎公立中学校へ通ったし通塾などはしたことがない。本人が「自分と話が合う人が多そうだから」と希望したので高校私立へ進んだが、受験直前も夜10時には寝ていた。彼にとって、中学までの学校生活はつらいことも多かったと思う。けっこうトラブルもあった。高校では水を得た魚のようで、本当にほっとした。同級生我が家より裕福な家庭の子弟が多かったが、特に疎外感をもつほどではなかったようだ。

夫はサラリーマン、私はパート主婦で、東大へは「行かせてやれないことはないが余裕はない」レベル経済状況だ。本人が東大を志望し合格した時は、もちろんうれしかったが不安も大きかった。彼に一人暮らしができるレベル生活能力があるとは思えなかったし、十分なサポートをするだけの時間的経済的余裕が我々夫婦にはなかった。危惧したとおり様々なことがあった。今も、このまま無事社会にでて自立してくれればと祈るような気持ちだ。

実は、私自身も今なら発達障害者と言われていただろう人間だ。親や周りからぼこぼこにされながら生きてきた、という恨みのようなものも抱えている。反面、「出来が悪い普通の人」として生きてこられた自分は「恵まれている」という思いもある。我が子は、東大に入ったことで、かえって生きる道を狭めてしまったのではとすら考えることがある。

彼は「東大なら自分能力が生かせる」「自分と同じような人、もっとすごい人と出会える」という希望を抱いて東大入学したのではないだろうか。しかし、本当にそうだったのか。上野氏の祝辞は、彼に響いただろうか。東大にあの言葉が響く「恵まれた」学生が多いのなら、私は失望しかない。「恵まれた」とカッコ書きにするのは、彼らを恵まれていると思えないからだ。肥大化したエリート意識を持ち想像力が乏しく、東大合格によって自分の将来が約束されたと誇らしく思う人々、上野氏の祝辞言及された社会の諸問題や「恵まれない人」のことを今まで考えたこともなく、「初めて考えた、心に響いた」と思うほど無知で愚かな人々…彼らは本当に「恵まれている」のか?

いわゆる裕福な家庭で小さなから学力を高める教育を受けてきた子、そういう子に負けずに「エリート」へのパスポートを得ようとがんばってきた裕福ではない家庭の子東大にはその二者しかいないのか? いってみれば「東大くらいしか行き道がなかった」子は少数なのだろうか。学問の道ならば自分の生きるすべがあると希望を抱いて入学する人々は、この大学には数少ないのだろうか。

上野氏の祝辞は少なくとも私には響かなかった。全体に雑で学者なのか疑わしく思う。「自閉症マザコンのせい」といったとんでも発言で名を馳せた人らしいですね、と皮肉をいいたくなった。「弱くダメな人、他者からまれないとみなされがちな人」を社会にどう包摂していくか、そもそも「弱くてダメ」「恵まれない」とみなしていることに間違いはないのか、そこに価値がないのかを考えることが学者仕事では。

人選をした東大もどうかと思う。コミュ力が高くてはったりが効く外部の人間を人寄せパンダのように登用するのはやめて、大学でしっかりと研究をして実績を積んだ人々を縁故世間受けなどと関係なく登用していくほうが(されていないとはいっていない。実態を知らないので)、長い目で見れば大学価値を高めていくのではないだろうか。

2019-04-25

anond:20190425152112

パスポートを見せられた高齢女性はどのような反応でしたか

日本人ですが?」で会話が終わったのですか?

白人風の女性が降りた後、高齢女性はどのような様子でしたか

anond:20190425153321

いや、苛立ってないとおもうよ。

すぐさまパスポート見せたってことは普段そういうのに遭遇してて(ここからゲスパーから「私ってそんな外国人みえる~?w」とか言ってて「また外国人に見られた」とかいちゃうようなタイプだろ。

苛立ってるように見せかけて心の中で承認欲求に満たされてるに違いない。

anond:20190425152357

ガチレスすると日本国内でもパスポートがないと碌にサービスを受けられない地域存在してるぞ。

最も有名なのだ北海道ニセコ。あとは都内にも…神奈川県にも…埼玉県にも…

anond:20190425152112

夜中に町をプラプラしてたら警察に捕まった。

パトカーが俺のそばに止まって警官が2人出てきて俺を囲んだ。

警「ドゥーユーハヴパスポート?」

俺「ノー」

すかさず確保される俺。

警「ニホンゴワカル?」

俺「はい

警「どこから来たの?」

俺「…ぐんま」

警「ミャンマー?」

俺「ぐんま」

警「グンマーね。ビザは持ってるの?」

俺「持ってないです」

警「はい、じゃあパトカー乗って」

パトカーに乗る俺。

警「名前は?」

俺「山田太郎仮名)」

警「日系人?」

俺「日本人です」

警「え?」

俺「日本人ですよ」

警「…えっ?」

俺「免許証ます?」

免許証を見せる俺。絶句する警官

警「…すいませんでした…不法入国の人かと思って…」

警「…あの、その、お顔とかが、ちょっと外国の方みたいだったので…」

俺「帰っていいすか?」

警「…はい…。お気をつけて…」

それでやっと解放された。

その日を境に俺のあだなは「ネパールからグンマー」になった。

anond:20190425152112

パスポートって国内の移動でも持つもんなの?

普段持ち歩くのなんか保険証免許証ぐらいだわ

バス高齢女性白人風の女性が話していた

日本語お上手ですね。留学生ですか?」

すると白人風の女性が鞄からあるものを取り出した。

正真正銘日本国パスポートだった。

「生まれも育ちも日本ですが?」

白人風の女性は苛立ちながらバスを後にした。

itパスポート、基本技術者、応用技術者の順番で取らないとダメなんだろうか。

ほぼ未経験からプログラマー転向したいんだけど、ITの基礎知識あやふやなのでそこを補うつもりで資格取っておきたい。悩む。

2019-04-24

外務省貴様らがパスポートの偽造チェックを行うことは認めない。よって公開鍵を公開しない」

これだけじゃねぇの

anond:20190424130233

マイナンバーカードがもう少し身分証明として使いやすかったらなあ。別に納得して返納したんならいいんだけど、警察の人が説得する気持ちちょっとわかるなあ。友達免許取って20年一回も運転してないけど持ってるよ。使ってないじゃんっていうかもしれないんだけど、身分証明として免許証が一番便利なんだもんなあ。

同僚に免許持ってなくてパスポート身分証明してる人いるけど、パスポート重要書類から免許取っておけば良かったなって言ってたよ。マイナンバー身分証明しようとしたけど、確認する側が受け取ってくれないんだって。もう50代だから免許取らないけど不便だよって言ってたよ。

免許取って2年だと身分証明としての便利さ実感してないうちに返納しようとしてるんじゃないかと思って警察も止めたんじゃないの?まあ返納したら返納した証明はもらえるんでしょ?ならいいんじゃない。

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