はてなキーワード: 平成元年とは
ああ確かに私も昭和62年より前ですか、桜ケ丘の団地におったときに、やせ願望ってのはありましたね、多分、自分が女の子だと思っていたからだと思うのですが
でもその後に自分の家だけでなく世間一斉に、ガキの後頭葉切り落とし作戦みたいなんが当時はあったんで、悪魔はみんな死んだんですね
だから生まれたときに悪魔だったのが悪いんじゃなくて当時の風潮がそうだったから仕方がねーんだよ
んで平成元年に入ってから確かに、うえすぎあすかみたいな魔女はおりましたがこういうのがずっと負けていたから2005年まで見たことないですよ
高千穂小学校にも魔女はかなりいたっていうか魔女ってヤリマンシンママのことですが、視界に入らなかっただけでかなりいたとおもいます
ちなみに清崎葉子は魔女ではなかったのではないか。しかし清崎葉子本人がどうなったのかは分からず、清崎葉子の例を佳代子に媒介させて佐藤が出すだけという感じ
なんにしても2005年までは魔女なんかいてはいけなかったしっていう感じで、んで私が酷い中傷を食らったのは、平成19年6月に増田におったときで多分やったのは
板橋区に住んでいる岩佐鉄男に似た奴だと思いますが、なぜならこいつしか私の容貌を知っている男の東大教授がいなかったので、あとは親戚の前田ゆき。他は覚えていない。
だから結局なにかっていうと、団地に住んでいる貧乏な男か、それに準じる女がやったんですね。で、それ以外の惨事は記憶にない。まあ、平成22年に町子からも言われてかなりきつかったが
町子は反省しているし、敬一も、顔色がって言っていたけど、あまり致命的でない。 致命的なのは黒羽刑務所で、これだけは許さない。
俺が現在暴れている根源の致命的なことは黒羽のことが全てで他にはない。
平成11年に延岡西高等学校で井上修二が人気だった理由を敷衍して述べる。1999年頃の延岡市の当時の10代にはメスガキというかただの汚いバカ女しかいなかったので
当該学校で勉強すること自体が論外だった。当時の延岡西には有名な教師などはおらず、ガラクタばかりで、校長はもうどうでもいいという感じで庭いじりをしていた風情のいい時代だった。
平成26年以降には対応するしろやま支援学校では、犯罪者同然の事務員の下に、かなり犯罪性の高い生徒が通学している状況で、永田真知子(59歳)は、数年前までそこで
働いていたが退職した。しろやま支援学校はただの遊び場のようなもので、くだらない作品展などしかないし、部外者が侵入すると必ず犯罪者の事務員の男が対応するようになっている。
このようなしろやま支援学校の状態は昔からではなく、平成11年度に、延岡西高校に井上修二がいた頃の高校は、スカスカのカスカスで教員も諦めムードで昭和枯れすすきな状態で
事務職員が犯罪等をすることもなかった。当時の学校内は昭和枯れすすきで何もしていなかったし実質的な学習はベネッセコーポレーションなどの民間会社に任せていた。現在のように部外者の
大人が無断侵入すると警備員や事務員が全力で対応するなどの状況はなかった。そもそも高校に無断侵入しようとする大人が当時はいなかったことなどによる。平成元年から17年の教員は
宮崎県教委に教職員録があるが、昭和のガラクタのような氏名が列挙されていてほとんどが誰お前といった感じの人物である。このように、平成11年時点の日本世間すなわち、女の子や
おばあちゃん、などそもそも、公務員が想定するような世界観が広がっていなかった時代において、延岡西では井上修二くらいしか、落ちるところまで落ちていた日本人の笑いを取れるような人物が
おらず、他の教員が悪人で、日本世間にいれてはいけないような者ばかりだった中で、井上修二は、笑いが取れる教員として日本人から人気があった。
井上修二
性格ないし特徴
放送部や卓球部に所属していたが放送部での活躍は誰も知らず卓球ができることについても誰も興味がない。平成17年以前は不遇で当時の学生から誰も知られていなかったが
自分ではその歴史を隠している。安倍政権になってから自分の時代がきたと内心で小躍り、欣喜雀躍とした状態。平成26年から本格的に公務員の時代がきたと思っている。平成元年から
17年までは公務員の自分が論外であったこと、平成19年に一回やめたという黒歴史は闇に葬っている。平成26年から欣喜雀躍たる状態。とにかく自分の時代だと思っているし、
宮崎北高校の校長や教頭とともに悪事に邁進。生前は進研模試の専門家だったりしてそれなりに特徴があったが、現在では犯罪者の一部であり、邂逅しても刺されるだけなので、
東武東上線ちゅうんですか、練馬の徳丸ってありますよね、まー、きれいな家がいっぱい立ってるんですね、しかし、練馬区なんて平成時代、ださいというか、平成元年に入ってからどうなっていたか
知らないだすけど
平成8年以降の若者はえてして徳丸なんか行こうとおもわなかったんですね、行こうと思えば池袋から東武東上線でいけるはずだが、誰もいかなかったんですねたしか
んでじゃあこの徳丸には何があったかっていうときに、なんk平成14年に、 サティっていうスーパーがあったらしいんですがまあその周辺に色々、天丼屋とかあっていいところだったらしいが
まあ徳丸の特徴ってのはとにかく、こいじゅみジュネーブ一郎より前の若者が遊び散らかした感じのバカな家がたくさんあるところでまあ色々あるわけですが
その徳丸に、平成23年に、サティがイオンリテールと合併してそこにイオンリテールが建ってから変わったらしいんですね
ただし私は別に2011年に練馬区にいたわけでもないんで何も知らない。そんで、わたすが、徳丸にはじめていったって、平成30年に初めて行ったんですがまあただ、サブウェイがあったようななかった
ような、それで、その徳丸のイオンリテールの駐車場がありますが、そこでなんか、家入レオが、shineを歌っているような感じのステージというか、あきらめかけたときに=、ちゃんちゃらら、イオン練馬が
生まれたんじゃー、みたいな感じなわけですよね、でもその後に、平成24年9月に、その家入レオが、Bless Youで、愛なんて残酷で祈る価値ないわもう、って感じで歌ってから
https://twitter.com/himasoraakane/status/1641662940775591936
暇空が小学校に在籍していた平成元年~6年の間に吉野郡に異動した男性教員は…ンアォア
それではご覧ください
安堵(生駒)
真弓(生駒)
伊那佐(宇陀)
神末(宇陀)
上曽爾(宇陀)
育成(高取町)
朝和(天理)
浮孔西(大和高田)
暇空茜「小学校の先生とレスバになって詰めたら「E=mc^2」って黒板にかいてお前これ解いてみろっていうから、「お前俺より”先に生まれた”だけじゃん」って言ったら泣いちゃって、相撲やるぞとかいわれて相撲でボコボコにされたから校長にいいつけたら吉野の小学校に左遷された(実話)」は、たぶん実話
中身はただの醜悪な女々しい、殺人鬼のくせに詐欺師の偉そうなゴミが
こうすけが晴生に殺されても黙ってるのは トシでどうでもいいから
ただし、前田晴生は筆頭
うえすぎあすか ( 平成元年 ゆりかご保育所 ) のような魔女の 女の子は、 女の子のうちに他人を殺すけど
晴生の場合は60歳になってから殺しただけ。 嫁で別居している郁子と その母親の町子、は 自殺した。
生き残ったのは、郁子の弟の 敬一だけ。 男であるのと、貧乏で10年間労働してきたのが幸いして、害悪を加えられなかった
明治時代 メスガキは多分明治天皇は嫌いだったと思うが、流行り出したので結局メガスキになった
大正時代 もう終わっていたので、天皇が好きなメスガキはいなかった
昭和1~22年 0人
昭和22年 最初はアメリカ憲法が施行されて終わりじゃああということになっていたが、気がついたら盛り上がり始めたので、 メガスキが増えた
昭和40年代 地下潜伏していたメスガキの間ではもう終わってるから嫌だといっていた人もいたが、オヤジやジジイが圧勝していたので黙ってるしかなかった、
昭和60年 メスガキが公認されるようになった。 前野町に来たメスガキの先祖がボロ屋しかなくてさげまんだったので、男がメスガキにいいような建築が増加
平成6年 高千穂小学校に入ったら、押方彰一と川崎浩二がいて、 めちゃくちゃさげまんだった。
平成11年 延岡西高校で、井上修二が メガスキな人が大量にいた。
平成14年 小倉で、戸口拓士という数学教師が、メスガキにもてる
平成16年 戸口拓士が理科三類が詐称であることがばれて、ミルクカフェで、メスガキから刺されまくって退廃
平成19年1月
9月 郵政民営化のころに、2ちゃんねるとミクシィのメスガキが氾濫し、渋谷のメスガキや警官志望の兄に対して、ありえねーんだよと言ったことで殺人事件
消費税が導入された平成元年に、サラリーマンが東京と大阪で裁判を起こした
免税事業者とか、簡易課税を採用し、税金をピンハネしている事業者がいる。
これは恣意的な徴税を禁止した憲法84条違反、同法29条の国民の財産権を侵害するもので、欠陥税制であり違法だ。
損賠賠償せよ
というもの
これに対する判決は
消費者は、消費税の実質的負担者ではあるが、消費税の納税義務者であるとは到底いえない
したがって、消費者が事業者に対して支払う消費税分はあくまで商品や役務の提供に対する対価の一部としての性格しか有しないから、事業者が、当該消費税分につき過不足なく国庫に納付する義務を、消費者との関係で負うものではない
という判決なんだけどさ
【消費者が事業者に対して支払う消費税分はあくまで商品や役務の提供に対する対価でしかない】
言ってしまえば、税金という名目で一割高になっていてもそれは商品価格でしかない
つまり、税金ではないのに、あたかも税金として納めるかのように請求してるわけ
んで、「消費税」として請求してるのに「それは預り金じゃない」という判断が出たから
ちょっと待てよと思わん?
預り金でないなら請求するなよ
預り金じゃないからこれからも全く意味もなく一割増で請求しまーすってさ
なんでそんな話を嬉々として広めるんだろう?
これが広まった場合
と言われたらどうすんだろ?
「益税はない」の理屈でなんでこれまで通り消費者から消費税名目分を徴収できるつもりでいるのか
コレガワカラナイ
2週間の合宿期間中、続(監督の名前)は、夜のミーティング時間を利用してくり返し整備の大切さを生徒たちに説いて聞かせた。
すなわち
用具を大切に出来ないものは、野球に限らず、その道での上達を望めない。
用具の中でも、まず大切なのがグラウンドだ。
練習をするうえで、すべての土台となるグラウンドが荒れたままでは、技術の進歩はないし、何より野球をしていて楽しくない。
グラウンドを粗末にすると痛い目に遭うとか、罰が当たるとか、そういうオカルト的なことを言うつもりはないが、荒れたまま練習をしたのでは、全くの時間の無駄となってしまうのだ
と、続は説いた。
ここで続は、平成元年のプロ野球ペナントレースにおける、あるエピソードを持ち出した。
その年のパ・リーグは、近鉄、西武、オリックスが、終盤まで激しい優勝争いを繰り広げていた。
近鉄は、ブライアントの奇跡的な連続ホームランで連勝を遂げ、優勝をほぼ手中に収めた。
このダブルヘッダーの第二試合、近鉄に負け、優勝の望みをほぼ絶たれた西武ナインは、
大きな落胆と共に、自らのホームグラウンドである西武球場を引き揚げていった。
その際、当時西武の主砲であった清原和博は、帽子を取ると、グラウンドに深々と一例をしてからベンチを後にした。
目の前で優勝を持ち去られるという大きなショックを受けていたにもかかわらず、例を忘れなかった清原のこの行いは、テレビ中継でも放映されたから、ちょっとした話題となった。
その年のオフ、テレビ番組「プロ野球ニュース」の企画で、落合博満が清原と対談した。
その席で落合は、「どうしてあの場面、グラウンドに礼をしたの?」と、清原に尋ねた。
落合の目には、清原の行為は奇異に映り、それを一種のスタンドプレーか、あるいは何らかの意図を持った行動と勘ぐったのだ。
しかし清原は、そんな落合の邪推とは裏腹に、こともなげな顔をして
「いえ、あれはいつもやってることなんで、あの日もそうしたまでです」と答えた。
つまり清原にとって、グラウンドに感謝の礼をすることは、単なる日常的な行為であった。
いつも行っている、当たり前の習慣だったのだ。
そうして清原は、かつてないほど大きなショックを受けたこの時も、そのことを忘れなかった。それほど、肝の据わった男であった。
「つまりおれの言いたいのはそういう事だ」と、続は言った。
「このエピソードから、何を感じるかは皆次第だが、俺は何かを感じた。
端的に言えば、そんな清原を格好良いと思った。だから、おれはそんな姿勢を見習いたいし、皆にも勧める。」
続は、生徒たちにそんなことを話して聞かせた。
するとこの話は、生徒たちにそれなりの影響を与えた。
次の日から彼らは、グラウンド入出時の礼を欠かさないようになった。
そうしてこの習慣は、迷径学園野球部同好会が部と昇格した以降も、変わらずに受け継がれる伝統の一つとなった。
一つだけ言っていい? 読点おおすぎない? あと整備の話なのに礼の話になってない?
次の文章は、戸口木工所の役員である戸口拓士が書いた『平成元年から11年の間における東大前期入試問題の考察』という文章の一節である。これを読んで後の問いに答えよ。
平成元年から平成11年の間に東京大学の理系の前期入試問題には色々な問題が出ましたが、問題としてスター的な存在で脚光を浴びているのは平成2年の第3問ですよね、当然。
正八面体を上からスライスしたものの断面をとってそれをちょっとくゆらせると正方形を通過するという結論と理由構成の両方で、当時、多くの受験生に激震が走った。もちろん、この時代には他にも
定理として目新しい新鮮な問題が色々出ていますが、数学オリンピックからひっぱってきたのがばれた、もう終わっているのがばれているのもけっこうありますね。しかし、正八面体を上からスライスした断面
の和を全部取ってくゆらせると正方形を通過するというのがですね、かなりスターでしたね、結論も理由構成も、凄くかっこいいということでね。それだけ、平成元年から11年の間の東大理系数学の
結論と構成はとにかく、かっこいい、でまとめられるのではないのか。正方形を通過するし、その構成もかっこいいので、とにかくかっこよかったんですね。
それ、婚活女性向けのサイトとか見たら典型的な高望みパターンって言われてるやつじゃん。
1つ1つは平均ちょい上ぐらいの条件でも、それをかけ合わせることでむちゃくちゃ確率下がるんだわ
まず、年収。20代から30代の男性で年収500万円以上あるのは12%って言われている。 600万円って結構少ない。
次、長男以外。 平成元年の数字だと、児童がいる世帯のうち4割ぐらい1人っ子、のこり5割が2人で、1割が3人以上。だから、次男以降の男という存在の絶対数が相当少ないのはわかるよね。
低身長、どれくらいでスクリーニングしてるかはわからないけど、160m台がダメなら、男の半分はそこでふるい落とされる。
たぶんいないわけじゃないんだよ。でも、酒もタバコもギャンブルもなしで温厚な男とまで来ると、マッチングアプリとかにはいないパターンだわ。男にとってマッチングアプリってギャンブルの一環みたいなもんなんだしさ。
これだと幾分確率あがるんじゃない?
昔は親も教師も体罰をやっていて、今だったら虐待で通報されるわと思うようなことも昭和生まれの親は平気でやってました。
他の親はどうしてるんだろうと調べたら
子供になぐられたらなぐり返す。髪の毛を引っ張られたら引っ張り返す。
尻をたたく
と2010年代の子育ての話で体罰が当たり前のように肯定されてた。
二歳の子供になぐられたらなぐりかえしても理解されないし、尻をたたいても反省できんのだわと思ってたんだけども
私のような平成産まれの親でも確実に体罰やってる親いるんだなと思った。
昭和のひとだけじゃなく私と同じ平成生まれの人間でも体罰を虐待と思わず平気でやってた親もいるんだろうな。だって平成の前半~中盤も体罰OKだったんだから。後期でやっと体罰はだめって風潮になったね
https://anond.hatelabo.jp/20220517213328
三番煎じです
中学生くらいから2chに入り浸って、高校の時はVIPのアニソン配信スレで音楽を聴き続けていた。もちろんニコ厨だった。
大学ではバンド部にはいってギター弾いて遊んでいた。大学に出会った好きな曲も多いけど、それらはあまり入れていない。
当時はせっちゃんと知らなかった。いまはせっちゃんが普通に好き。ポンキッキーズでかかってた。
Butterflyも入れたいけどアニメ最終回の進化の時に本楽曲が挿入された時の演出の神がかり感は今思い出しても鳥肌ものなのでこちらを採用
近所のゲーム屋でプロモーションビデオがかかっていて、映像の美しさと楽曲のすばらしさに小学校高学年のおれはとりこになった。
どこで聴いたかまったく覚えてないけど心に残る曲
小学6年生のころに友達のお兄ちゃんのMDを借りて聞いて衝撃が走りギターを弾くルートの人生フラグがたった。
はーてーしーなーい
日曜朝プリキュア枠は夢のクレヨン王国から見ていた覚えがある。仮面ライダーはあんまりハマらなかったな。
今はイントロのギター理解できるけど、当時は何の音か意味不明だった。
ドラゴンボールは見てたでしょ?
VIPでめちゃ流行っていた。サビのキャッチーさと大さび前の静けさからの最後サビが最高の編曲。
中学生のとき定期テストがおわり、開放感で徹夜して2chをしていた明け方に聴いたこの曲の爽やかさ壮大さはいい思い出。いまはそんなこと感じなくなって感性がおとろえていっているんだなぁ。
VIPでめちゃくちゃ流行っていた気がする。あと組曲「ニコニコ動画」
ぎりぎり平成リリース。ギターをやめて10年のぼくが久しぶりに弾き語りしたくなった曲。この間あいみょんコンサート行ったけど30分くらいMCしてて歌えと思った。
ポップで邦楽感が強い。大学の軽音楽部に入ったら先輩にシステムオブアダウンのパクリといわれて切なくなった。
ようこそジャパリパークもいい曲だけど個人的にはこっちの曲もすき。切なさがあるよね。
エルレ版の方がいい。the pillowsはエイリアンズのキリンジみたいにミュージシャンズミュージシャンって感じで一般ユーザーからするとそんなか?っておもう。
ナカタヤスタカとの出会い。その後Perfume、きゃりーぱみゅぱみゅと続くが原点はこれですね。
あと恋愛レボリューション21とか同年代カラオケで歌うとくそ盛り上がるからランキングにはいる。
リアルタイムではよく知らんけど大学の時にイエモンも勉強しなきゃと思って知った。乗客に日本人はいませんでしたってやつ。
でも本音を言うとブランキーの方が好きで、この系統のテーマの曲だったら悪い人たちが最高なんだよ。
洋楽まで広げるならローリングストーンズのSympathy For The Devil を大学の友人の家でレコードで聴いたときに音が脳内を侵食する感覚を覚えて名曲とアナログレコードの組み合わせやべぇって思った。レコード初体験であった。
SoundHorizonのキャッチーさだけを詰め込んだ曲なのでお勧めしやすい。revo君はリンホラばっかりやってないでサンホラ動かしなさい。
関ジャムでやっていた、「令和に活躍する若手アーティストが選ぶ最強平成ソング BEST30」から、色々抜けているものがあるぞとホッテントリになっていた。
https://guatarro.hatenablog.com/entry/2022/05/08/234252
具体的にトップ30から何が抜け落ちているかというと、安室、TRF、ZARD、WANDS、B'z、GLAY、ラルク、X 、オザケン、ミッシェル、イエモン、久保田利伸、mihimaruGT、浜崎あゆみ、湘南乃風というのがあげられている。
ブコメの方ではそれに加えて、フリッパーズとかピチカートとか、ドリカム、エレカシ、ミスチルが挙げられた。
自分も平成3年生まれで、それらの言っていることはちゃんとわかるんだけど、それでも、やっぱりどちらかというなら関ジャムの方のランキングに共感する。
というのも、挙げられているそれらって、自分にとっては大なり小なり、どこかに「昭和の残り香」を感じる曲だからだ。
関ジャムの方もたとえばサザン、たま、スピッツあたりにその種の残り香を感じないこともない。でも、確実にその種の残り香を、ひとつずつ消しては平成の香りに塗り替えていった曲たちが並んでいるように感じる。
自分にとって生まれていないゾーンである平成元年や2年というのは、正直まだ昭和だというイメージしかない。
平成31年が最も「平成」で、平成の到達点、最極地であり、そこへ向けて元年から順々に昭和の香りを消しては新しいものを付け加えていった、そういうイメージである。
もっというと、今は令和であるけども、今の曲調こそが「平成」という時代が最終的に完成させたもの、という感じ。(ここからまた何十年かけて令和の香りになるのだろう)
そういう意味で、ランキング10位であるヒゲダンのPretenderは、最も平成らしい曲というイメージ。
さよなら人類→真夏の果実→空も飛べるはず→ロビンソン→Automatic→丸ノ内サディスティック→おジャ魔女カーニバル→First Love→LOVEマシーン→本能→カブトムシ→TSUNAMI→エイリアンズ→天体観測→小さな恋のうた→世界に一つだけの花→さくらんぼ→ロコローション→マツケンサンバ→栄光の架橋→群青日和→チキンライス→POP STAR→青春アミーゴ→Love so sweet→若者のすべて→愛をこめて花束を→新宝島→STAY TUNE→Pretender
となる。
昭和の残り香が平成の香りにだんだん変わっていくまでの(Pretenderに辿り着くまでの)曲調の変遷というのが見事に見えてこないだろうか。
平成が定義されていく様子というか、昭和ではなくなっていく様子というか。
そこに、小室とかフリッパーズとか久保田利伸とかの並びは、あえていなくても流れを追うのに支障がないように感じないだろうか。
まして、「令和に活躍する若手アーティストが選ぶ」のだから、今の音楽に影響のあるものが選出されるのが、当然という話に思える。
全体的に、時代や音楽性の【ありさま】ではなく【変わりゆくさま】を、駆動・象徴・定義した曲が選出されているのかなと、感覚的にはそう思った。