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はてなキーワード: 紀要とは

2021-02-04

社会学()

社会学って学問自体曖昧でつかみ所がない。

デュルケームとかジンメルかいるけど、ビックネームがいないし

日本でも宮台さんぐらいしかいない、

研究者の多くは社会学イメージを嫌って哲学者社会心理学者を名乗る

バブル時代にとにかく学部を増やせと実態曖昧な「社会学部」みたいなのを私大が乱立させたのが悪い。

雑にデータを集めて精度の低い帰納的・恣意的結論大学紀要に載せ続けるだけで助教授教授へと出世できた。

空虚な器を満たすように、スカスカ研究出世してきた程度の低い教授連中が諸悪の根源だ。

2021-01-31

社会学査読

社会学には査読がない」は本当か? https://togetter.com/li/1660476

そりゃ社会学だって査読があるのは当たり前。ただ、日本社会学査読は多くのジャーナル純粋意味で「ピアレビュー」になっていないということに問題がある。社会学ジャーナルで、どのくらい編集委員が自ら投稿論文を書いているか確認してみるといい。投稿論文を書いているのは大学院生PD移籍視野に入れている若手研究者ほとんどで、査読しているのは投稿論文を書かなくなって落ち着いた人々だと思う。査読を若手に対する指導かのようにとらえている人は多い。ブラインド場合だと、無責任な放談のようなコメントを出してくる査読者も少なくない。

この辺のことは、太郎丸先生10年以上前に書かれたこととあまり状況的に変わっていないのではないかと思う。 http://sociology.jugem.jp/?eid=277

国内誌に出してもいい査読が受けられるとは思えないので、日本語で書くのは学内的な事情必要になる紀要原稿書籍だけになっている。ちゃんとした論文英語で書いて国際誌に出すのがベスト選択だと思う。たまに英語で書いて国内学会英文誌に出すとかいうことをやろうとする人がいるけれど、せっかく英語で書いたのになんでそんなことをするのかよくわからない。せっかく書いたならIF付きのジャーナルに出せばいいのに。

わりと困るのは、科研費プロジェクトで共同研究者たちが投稿論文を書くという考えをまるで持ってないとき科研費の成果をすぐに編著本で出してしまおうとするから二重投稿にならないように書き分けるのが結構難しい。言えばいいじゃないかと思うかもしれないが、余計なことを言うと干される恐れがあるから難しい。科研費のとれるグループに誘われておくとなんだかんだでメリットはあるので、諦めて何も言わずにおいている。

そういうことを突いて、相互批判ができていないという批判はあるだろうし、それは確かに反省すべきことではある。ただ、なかなか難しい。

あと変なことを言っている院生とかPDとかがTwitterでいるけど、あれはあれで何か言うと、ハラスメントだのなんだの言われかねない(変なことを言う人は運動系なことが多いのでリスク大!)から、よほど関係のある人でもなければ関わり合いになることを避けたい。

2021-01-30

仏教学会のあれ。

古より伝わる経典が4部構成だったか、既に失われているが本来5部構成だったか

で揉めてるらしい。

そりゃ、昔からずっと4部構成だと信じて疑わなかった立場の人が、

若造から、それ5冊やったと思うで。

って言われたら怒っちゃうよね。

研究者が同じ大学だったら、紀要論文公表する前に喧々諤々の議論もできて、

なるほど5冊という見方的外れではないかもしれんなぁと丸く収まったかもしれないけど。

格下の大学からいきなり プークスクスされたら、大学というか学閥としても黙っちゃいられない。

大学メンツの争いになると、そりゃ、最高学府底力を見せつけてやろうとあちこち圧力を掛けたがる輩が出てくるのもしゃーない。

2021-01-12

はてな匿名ダイアリー2019 【学び編 TOP50】

順位全体順位ブクマタイトル日付備考
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2020-12-19

anond:20201219164335

悲しいほどに生まれつきなんだよ利他精神

ワイは自分の責務をプライドを持って果たすことに理由は要らないが増田理由がいる

ワイは誰かを助けるのに理由は要らないが増田理由がいる

それだけのことだね

 

交わらぬ線〜〜

 

能力学歴わずいる利他精神ゼロの生き物かつ、増田のいう “恥ずかしくない生活” とやらのために要らんことする生物が滅したのだと思うよ

 

蟻 🐜 と人類コロニーは同じだと思うのよね

 

裏切り蟻』が増えるとコロニー過労死で滅ぶが

利他的な蟻の増える速度の方が常に速いので蟻たちは滅んでないんだって

公共財ジレンマともいうね

 琉球大学農学部の辻和希(本名・辻瑞樹)教授日本学術振興会の土畑重人特別研究員研究チームはこのほど、働きアリよりも、働きアリの労働ただ乗りする、働かないアリの生存率の方が高いことを突き止めた。

 個々が社会目標より自分目標を優先してしまうことで社会をつくることができなくなるという、人間社会でもみられる「公共財ジレンマ」の実例を、人間微生物以外で初めて発見した。研究成果は「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」(オンライン版)に掲載される。

 辻教授は「この研究成果は人間がなぜ助け合うのかを理解するのにも役立つ」と強調した。

 「公共財ジレンマ」とは、協力して社会をつくれば最終的な利益が大きいにもかかわらず、他者よりも大きな利益を得るために、他者の働きにただ乗りするという事態が起こり、社会をつくることができないことを指す。

 研究チームがアミメアリを使い実験したところ、労働せずに産卵ばかり行うアリが交じっていることを発見し、それらは働きアリとは遺伝的に異なる系統に属することを確認した。働かないアリは、働きアリによる助け合い利益ただ乗りしている。

 研究によると、働きアリは働かないアリの分まで巣の外に出て労働するため「過労死」し、生存率が下がる。働かないアリは働きアリよりも多く子どもを産むが、その子どもは親と同様に働かない。だが、働かないアリのみの社会では、子孫を残すことはできないという。

 自由競争の下では相手からの助けにただ乗り利益を得た方が得であるにもかかわらず、助け合い社会が発生することについて辻教授は、自然科学社会科学の両分野で重要テーマと指摘。「アリ社会において助け合いがなぜ生じるかを理解することが、ヒト社会助け合いをより深く理解することにつながる」と研究の意義を強調した。

 

https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-212621.html?a_aid=3598aabf

○ その親切な行動、50%遺伝!?

あなたはどのくらいバスで席を譲ったり、募金をしてますか?「親切さ」にも様々ありますが、今回ご紹介するのは見ず知らずの人に対しての親切さ(利他的行動)です。

バスでお年寄り妊婦さんに率先して席を譲る人もいれば、寝たふりをしてしまう人もいますよね。

見ず知らずの人にどのくらい親切に振る舞うかには、大きな個人差があります。これは、生まれもったものなのでしょうか?それとも、成長の過程で身に着けるものなのでしょうか。

研究によると、見ず知らずの人に対する親切さは、50%遺伝要因による先天的もの50%環境要因による後天的もの形成されているそうです。

 

他人に対する考えや行動も遺伝するの!?と驚くかもしれません。しかし、他にも「他人共感する(empathy) 」は、70%が遺伝要因によるという報告があります

  

 

研究の結果、ドーパミン代謝に関わる「COMT遺伝子」のrs4680というSNPが「G」である人は、「A」である人よりも、自分が持っている金額に対して高い割合金額募金する、つまりより親切に振る舞うと分かりました。

 というSNPにはGG,GA,AA遺伝子型がありますが、日本人平均と比べると

AA遺伝子型を持つ人は「親切度がやや低い」

・GGまたはGA遺伝子型を持つ人は「親切度がやや高い」

 

という遺伝的傾向を持っているといえます

 

日本人割合に当てはめると、何とほとんどの人が・・・?

 

[mycode]

https://mycode.jp/fumfum/altruism

(当たり前の例)

[Psychology] Anxiolytic Treatment Impairs Helping Behavior in Rats

https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fpsyg.2016.00850/full

 

[Current Biology] Harm to Others Acts as a Negative Reinforcer in Rats

https://www.cell.com/current-biology/fulltext/S0960-9822(20)30017-8

 

日本語記事:「誰かを助ける」のに理由はいらない(哺乳類なら):研究結果 (WIRED)

https://wired.jp/2016/07/01/rats-empathy/

 

日本語記事ラット他者を傷つける行為を嫌がることが判明:研究結果(WIRED)

https://wired.jp/2020/04/08/rats-harm-aversion/

2020-10-16

anond:20201016212113

金持ちじゃなくても平等福祉の厚い日本じゃフツーに産めるし

育てられるが?

 

保護者必要基地外クズ親が増えた(あるいは可視化された)だけだよ

公共財ジレンマともいうね

 

蟻 🐜 と人類コロニーは同じだと思うのよね

 

裏切り蟻』が増えるとコロニー過労死で滅ぶが、利他的な蟻の増える速度の方が常に速いので蟻たちは滅んでないんだって

 琉球大学農学部の辻和希(本名・辻瑞樹)教授日本学術振興会の土畑重人特別研究員研究チームはこのほど、働きアリよりも、働きアリの労働ただ乗りする、働かないアリの生存率の方が高いことを突き止めた。

 個々が社会目標より自分目標を優先してしまうことで社会をつくることができなくなるという、人間社会でもみられる「公共財ジレンマ」の実例を、人間微生物以外で初めて発見した。研究成果は「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」(オンライン版)に掲載される。

 辻教授は「この研究成果は人間がなぜ助け合うのかを理解するのにも役立つ」と強調した。

 「公共財ジレンマ」とは、協力して社会をつくれば最終的な利益が大きいにもかかわらず、他者よりも大きな利益を得るために、他者の働きにただ乗りするという事態が起こり、社会をつくることができないことを指す。

 研究チームがアミメアリを使い実験したところ、労働せずに産卵ばかり行うアリが交じっていることを発見し、それらは働きアリとは遺伝的に異なる系統に属することを確認した。働かないアリは、働きアリによる助け合い利益ただ乗りしている。

 研究によると、働きアリは働かないアリの分まで巣の外に出て労働するため「過労死」し、生存率が下がる。働かないアリは働きアリよりも多く子どもを産むが、その子どもは親と同様に働かない。だが、働かないアリのみの社会では、子孫を残すことはできないという。

 自由競争の下では相手からの助けにただ乗り利益を得た方が得であるにもかかわらず、助け合い社会が発生することについて辻教授は、自然科学社会科学の両分野で重要テーマと指摘。「アリ社会において助け合いがなぜ生じるかを理解することが、ヒト社会助け合いをより深く理解することにつながる」と研究の意義を強調した。

 

https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-212621.html?a_aid=3598aabf

2020-10-07

anond:20201007101450

能力学歴わずいる利他精神ゼロの生き物かつ、増田のいう “恥ずかしくない生活” とやらのために要らんことする生物が滅したのだと思うよ

 

蟻 🐜 と人類コロニーは同じだと思うのよね

 

裏切り蟻』が増えるとコロニー過労死で滅ぶが

利他的な蟻の増える速度の方が常に速いので蟻たちは滅んでないんだって

公共財ジレンマともいうね

 琉球大学農学部の辻和希(本名・辻瑞樹)教授日本学術振興会の土畑重人特別研究員研究チームはこのほど、働きアリよりも、働きアリの労働ただ乗りする、働かないアリの生存率の方が高いことを突き止めた。

 個々が社会目標より自分目標を優先してしまうことで社会をつくることができなくなるという、人間社会でもみられる「公共財ジレンマ」の実例を、人間微生物以外で初めて発見した。研究成果は「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」(オンライン版)に掲載される。

 辻教授は「この研究成果は人間がなぜ助け合うのかを理解するのにも役立つ」と強調した。

 「公共財ジレンマ」とは、協力して社会をつくれば最終的な利益が大きいにもかかわらず、他者よりも大きな利益を得るために、他者の働きにただ乗りするという事態が起こり、社会をつくることができないことを指す。

 研究チームがアミメアリを使い実験したところ、労働せずに産卵ばかり行うアリが交じっていることを発見し、それらは働きアリとは遺伝的に異なる系統に属することを確認した。働かないアリは、働きアリによる助け合い利益ただ乗りしている。

 研究によると、働きアリは働かないアリの分まで巣の外に出て労働するため「過労死」し、生存率が下がる。働かないアリは働きアリよりも多く子どもを産むが、その子どもは親と同様に働かない。だが、働かないアリのみの社会では、子孫を残すことはできないという。

 自由競争の下では相手からの助けにただ乗り利益を得た方が得であるにもかかわらず、助け合い社会が発生することについて辻教授は、自然科学社会科学の両分野で重要テーマと指摘。「アリ社会において助け合いがなぜ生じるかを理解することが、ヒト社会助け合いをより深く理解することにつながる」と研究の意義を強調した。

 

https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-212621.html?a_aid=3598aabf

2020-07-22

anond:20200722102412

字数制限あるから追記とかはこっちで。

内容には全く関係がないが、「文字ギュッとね!」というフレーズが浮かんだ。ああいかん、こうして見栄えのことだけに触れることもまたルッキズムだな…。

おっさん乙。

しろanmin7さんが書いたのかとすら思ってた。題材や、『銀英伝』、『蜃気楼』あたりで……。

すまん、実は『炎の蜃気楼』読んでないんや。存在は知ってるってだけで……

増田自分が男とは一言もいってないのでは?

最初の方で男オタクって書いてますやん。

二次創作好きを二次オタクって略すの一般的二次元好きが二次オタだと思ってたけど

北田論文ではちゃんと「この論文では二次創作に興味があるオタクのことを二次オタクって呼ぶよ」っていう定義がなされた上で使われてるのでまあ問題はないと思う。この論文の中ではこういう用語法にしますよ、という話だから

なのにtwitterグラフ画像だけ切り取って拡散するやつがいから勘違いされちゃうというね。その論文では一般的用法とは違う用法をしてるって理解してくれー。

そんなに酷い本なのか、指摘されてる点が素人でも分かる程酷い

北田(2017)はあくまで本の1章やで……他の章に罪はないやで……参考文献にはちゃんと何ページから何ページまでって書いてあるんだからちゃんと見てほしいやで……

追記の部分で終わってはいるが2007年って何年前よ、ということ(データ古すぎ)。

もとの調査2010年やで。10年前のデータってのは古く思えるけど、2010年データ採って、それをもとに色々分析して、本の形で研究成果を発表したのが2017年でしょ? これだけの共同研究で7年なら、早くもないけど特別遅いってわけでもないよ。さすがにそれは言いがかりすぎて北田が気の毒。

北田は、東浩紀(2001)のデータベース消費論に依拠しつつ』まで読んだが、その時点でもうほとんど相手する必要ない感がすごいある。謎の『二次オタク・非二次オタク』だったかの分類も意味わかんなかったけど。

いやその分類それ自体別に悪くないやで……ただ分類に際して「興味がある」をそのまま「好きである実践している」と同一視してる点とか、二次創作への興味を表す項目を腐女子操作定義に使ってるのが論理的おかしいって話やで……そういう分類も仮に適切に定義して適切に運用できるならまったく問題ないやで……

コミケ会場でアンケート取れば全国から来てるだろうし良質なサンプルが集まりそう(今年は無理だけど)

これ、「オタク研究」じゃなくて「若者趣味に関する共同研究」なので……他の章では音楽とか読書とかも扱われてて、オタクジェンダー観の分析はその1章というだけ。

オタク統計で扱うのはなかなか難しいと。

別に難しいことじゃないんだけどなぜか変なことしてるなぁ、という感じ。山岡(2016)の操作定義は割とマトモだと思う。

なんで二次創作好きに絞って調査したのか気になる。一次創作好きと二次創作好きで分けて著作権意識について調査するとかなら必要性もわかるけど

それには、

  1. オタク二次創作と女オタク二次創作の違いを主題にしている(研究テーマとしてはわかる)
  2. 二次創作との親和性オタク度の指標にしている(どう考えてもおかしい)

という2つの要因がある。

北田は、男オタク東浩紀提唱した「データベース消費」をしているけど、腐女子はそれとは違う「関係性消費」をしていて、前者は既存ジェンダー規範に対して親和的だけど、後者既存ジェンダー規範に対して批判的で、むしろ臭い既存社会構造に挑戦している、という議論をしているのね。

その文脈二次創作に注目する、というのは、(議論妥当性はさておき)まあわかる。

でも、北田おかしいところは、「二次創作に興味がある」という項目から、これに賛同したやつはディープオタクだろうとか腐女子だろうとか定義してるところね。「マンガ二次創作に興味がある女≒腐女子」ってのはデータがどうこう以前に論理的おかしい(『炎の蜃気楼』や『刀剣乱舞』で掛け算してる腐女子は「マンガ」で二次創作してるわけじゃないし、商業BL専門の腐女子もこの定義からは外れてしまうし、男女CP二次創作やってる女オタクなんていくらでもいるし、好きなマンガBLにするな! って毎日のようにBLを叩いてる女がいたとして、そいつ定義上「マンガ二次創作に興味がある女」ってことになるけどそれを腐女子と呼ぶのはどう考えても間違い)。これは山岡皮肉ってる。

例えば、与野党政治家報道関係者一般国民に至るまで、多くの者が総理大臣言動に興味を持っているだろう。「興味を持つこと」と「好きであること」を同一視すれば……驚異的な支持率になる。……(山岡 2019: 21)

それと、男オタクと女オタクデータベース消費うんぬんの話で東園子の先行研究を引いていて、これは私はまだ読んでないからなんとも言えないんだけど、『ヘタリア』と『東方』の差異で男女の消費の差異を論じてる箇所があるらしいんだよね。……『ヘタリア』、普通にギルエリとかヘテロCPもあったよな? 『東方』、男オタク界隈でも早期から百合(つまり関係性消費)の勢力が根強かったジャンルだよな? まあでもこれは東園子を読まないと何も言えないのでまずは読んでみますわ。

で、北田(2017)のツッコミどころはたいてい指摘されてて(てゆーか北田も一部については自己批判してる)、正直私がここでこんなこと書くのって車輪の再発明しかないんだけど、あのグラフ画像として独り歩きしてて「男オタク保守的、女オタク腐女子進歩的」の論拠として用いられることがまだまだ多いんだよね。だから、いやもともとの論文もけっこうおかしいよね? そんなとこから批判に持ってきて男オタクを云々されるの困るんだけど? というのをブクマカ諸氏に訴えかけておきたかった。

ちなみに北田はその後note山岡(2019)に応答してるけど、今んとこ山岡からの再反論はなし。

https://note.com/gyodaikitada/n/nf3ec68635b4e

https://note.com/gyodaikitada/n/n64fa34704698

https://note.com/gyodaikitada/n/n1c5f282be513

ただこの夏に山岡新刊出すらしいんでそっちで反論があるのかも。個人的には北田反論noteとかでやってないでどっかの紀要かに載っけてくれればいいのにと思うけど、まあ印刷物はすぐにはできないので気長に待つとしましょう。仮に去年の夏ごろに紀要原稿投下してればそろそろ刷り上がってくるころかな(『現代思想』では江口聡のtweet引用してdisってるんだからウェブ上の論争を紙でやることに抵抗はないのだろうし)。

フェミニズムの人って文献を批判的に吟味出来ているのかな?なんか北田グラフをそのまま鵜呑みにしている反応を見たんだけど...

まあ畑違いの分野だったり自分に馴染みのないテーマだったりすると批判的に読むのすら難しいしねえ。同じドイツ近代史の真面目な研究者さんでもキリスト教に詳しくないとカール・レーフラーを見抜けなかったので……あと、フェミニストでも腐女子じゃなければ操作定義おかしさに気づくのとか難しいだろうし、腐女子フェミニストでも研究についてよくわかってなければ吟味する能力がないのは仕方ない面もあるし。でも腐女子を自認してるフェミニスト研究者はさすがになんかおかしいと思わなかったのかよとは思う。

一応全部読んだんだけど、北田氏の言説がアレげな事はおぼろげにわかったが、それを突き詰めるために原典全部に当たろうとはとても思えない話だった

北田(2017)は日本語で50ページくらいの分量やで……選書からページあたりの文字数もそこまで多くないしグラフも含めてのページ数やで……

こういう反論があることはいいと思うけど、評価されてほしいというか、何らかの別の論文などで引用できるのだろうか

引用例置いときますねー。

引用しちゃダメな文献なんてないんやで。どんな文献でも引用してよくて、その中に肯定的引用すると信頼度が落ちる文献とか自説を補強する目的引用するとバカにされる文献とかがあるだけだから、もしも引用に値すると思うのなら匿名記事でもガンガン引用してええんやで。まあこんなガバガバ増田から引用するくらいなら素直に北田(2017)や山岡(2019)を引用しよう!

山北(リバあり)

そう……。そのまま飲み込んで。僕の操作定義……。

そもそもがミソジこじらせてる連中が言う「俺らオタク」の定義ガバガバで、ジェンダー論に行く手前でもう突っ込みどころが満載なんだよなあ。アニメ漫画ゲーム以外にも山程オタはいるわけだし

この内容の増田にこのコメントある意味すごい。botかな?

2020-05-08

心底から専門外の分野に実名言及するのは止めようと決めた

いま絶賛炎上中の劇作家さんのTwitter火踊りを見ていると共感性羞恥心で動悸がヤバいコロナの急性症状かも知れない。

若い頃、紀要業界紙の隅っこに自分の専門分野を持ちあげて他分野・他業種を揶揄する雑文を何回か書いた。政府産業政策への稚拙批判オマケにつけて。

それだけ自分仕事プライドを持って取り組んでいたのだと弁明したいけど、今となっては当時SNSが無くて良かったなあと汗顔の至りです。

2020-02-26

働かない人たち。アガリ型の社員ともいう

エレクトリカルパレードではなくて蟻🐜さんの話やな

有事に備え休んでる蟻も重要らしいが

どんな時も絶対に働かない『裏切り蟻』もいるんだと

裏切り蟻』が増えるとコロニー過労死で滅ぶが

利他的な蟻の増える速度の方が常に速いので蟻たちは滅んでないんだって

公共財ジレンマともいうね

琉球大学農学部の辻和希(本名・辻瑞樹)教授日本学術振興会の土畑重人特別研究員研究チームはこのほど、働きアリよりも、働きアリの労働ただ乗りする、働かないアリの生存率の方が高いことを突き止めた。

個々が社会目標より自分目標を優先してしまうことで社会をつくることができなくなるという、人間社会でもみられる「公共財ジレンマ」の実例を、人間微生物以外で初めて発見した。研究成果は「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」(オンライン版)に掲載される。

 辻教授は「この研究成果は人間がなぜ助け合うのかを理解するのにも役立つ」と強調した。

 「公共財ジレンマ」とは、協力して社会をつくれば最終的な利益が大きいにもかかわらず、他者よりも大きな利益を得るために、他者の働きにただ乗りするという事態が起こり、社会をつくることができないことを指す。

 研究チームがアミメアリを使い実験したところ、労働せずに産卵ばかり行うアリが交じっていることを発見し、それらは働きアリとは遺伝的に異なる系統に属することを確認した。働かないアリは、働きアリによる助け合い利益ただ乗りしている。

 研究によると、働きアリは働かないアリの分まで巣の外に出て労働するため「過労死」し、生存率が下がる。働かないアリは働きアリよりも多く子どもを産むが、その子どもは親と同様に働かない。だが、働かないアリのみの社会では、子孫を残すことはできないという。

 自由競争の下では相手からの助けにただ乗り利益を得た方が得であるにもかかわらず、助け合い社会が発生することについて辻教授は、自然科学社会科学の両分野で重要テーマと指摘。「アリ社会において助け合いがなぜ生じるかを理解することが、ヒト社会助け合いをより深く理解することにつながる」と研究の意義を強調した。

よろしければ参考にしてください

anond:20200226123104

anond:20200226103131

2020-02-22

論文」の境界線勝手に引きなおさないで

なんかまたキズナアイバッシングで名を馳せた先生燃えますね.

千田有紀「「女」の境界線を引きなおす:「ターフ」をめぐる対立を超えて」(『現代思想3月臨時増刊号 総特集フェミニズムの現在』)を読んで - ゆなの視点

社会学者の千田有紀氏のトランスジェンダーに関する論文に批判が集まる - Togetter

私はこの先生論文を読んでない(それどころか一瞥してすらいない)ので,どちらの主張が正しいのか判断することができない.だからこの先生論文の「内容」には言及しない.だけど「形式」については言いたいことがある.

査読のない商業誌である現代思想』に掲載されるのは「論文」ではなく「論考」だろうというご意見いただきました。こういう文章をどう呼ぶべきかわからず「論文」と書いてしまいましたが、そのために誤った印象を与えてしまたかもしれません。申し訳ありません。)

この部分が人文系研究者のワイからすると明らかに変なことを書いているので,ここで指摘しておく.これはブログ主さんというよりも,ブログ主さんにようわからん指摘をして混乱させてる人たちに向けた文章です.

評価基準は分野によって色々あるんだって何回言えばわかるんだ

あのね,査読なし商業誌オリジナリティがある論文を載せる分野ってのも世の中にはあるんですよ……

キズナアイバッシングときに私色々書いたけど(anond:20181009213503; anond:20181011090428),査読はたしか重要であり,日本文系でも査読つきの論文が増えてきている(というか分野によっては査読つきの方が多い)わけだけれど,すべての学術論文査読がつくとは限らず,また商業出版ルート学術的な本や論文が載ることもまだまだ多いわけですよ(というか,普通に考えてElsevierとかも商業出版だよな.商業出版ではない学術雑誌っていうのは大学紀要とか学会誌かのことであって).

なので,査読なし商業出版であることを理由学術論文であることを否定されると非常に困ります.その基準だと「学術論文」ではなくなってしまうが,しか学術的に重要である,という論文はいくつもあるわけで.

これが『世界』やら『正論』とかならともかく,さすがに『現代思想』に研究者が注とか文献目録とかつけて書いた学術的な文章学術論文でいいでしょ.

現代思想』や『ユリイカ』や『思想』やそのへんの雑誌は人文系研究者にとっては学術論文掲載し得る場所です(それらの雑誌に載ってるものがすべて学術論文だとは言ってない,念のため.VTuberについての論文VTuberエッセイが同居してたりするので……).別分野の基準を持ち込んでそれらの媒体掲載された論文学術論文ではないかのように扱うのはやめるべき.

(ところで,一部の雑誌では査読論文査読なし論文を混ぜて掲載してることもあるから,そういう媒体では究極的には著者か編集者に聞いてみないと査読の有無はわからんぞ.researchmapだと査読の有無をチェックする欄があるからresearchmapに登録してる研究者ならそっちを見れば査読の有無はわかるのかな.でも読むときには査読の有無とか特に気にしてないよね.面白い論文なら「これめっちゃ参考になる!」って言って引用すればいいしくだらない論文なら「一応目は通したけどあんまり参考にならなかった」と言って引用すればいい.めちゃくちゃ面白い論文査読なし媒体に載ることもあれば「え? ふーん,これ査読通ってるんだ.それはそれは……」みたいな論文もあるので……)

何が悲しくて私がキズナアイバッシングに火をつけた人の弁護をしなきゃならないんだ.ほんといい加減にしてくれ.別の増田anond:20191103222919)でも書いたけど,むやみに戦線を拡大して敵を増やすのは本当にやめてくれ.それはこれまでの献血コラボの実績を何も知らずに「そもそも宇崎ちゃん献血と何も関係ないじゃないか」と噛み付いたクソどもと何が違うんだ?

というか「論文」と「論考」は同じ意味である

これは「論文」ではないので「論考」と呼びます,というのも意味がわからなくて,だってその2つの言葉ってだいたい同じ意味じゃん……?

個人的感覚だけど,学術論文を指して「論文」と呼ぼうが「論考」と呼ぼうが単に修辞以上の意味はないよね.先行研究の整理とかで「○○氏は「××」という論考において△△と主張している」って書いてあったら,それは○○さんが書いた「××」という学術論文には△△と書いてある,って意味でしょ.

投稿規定とかでは「論文」と書かれることが圧倒的に多いし,私も基本的に「論文」と呼ぶことが多いけど,学術的な新規性のある文章を指して「論考」と呼ぶことは別に間違っちゃいない(これ,人文系研究者だったら同意してくれるんじゃないかしら).だから「これは論文じゃないので論考と呼びます」って言われても正直「???」なんだよな……

「これは『頒布』であって『販売』じゃありません!」みたいな内輪の謎ルールになってない? 大丈夫? おっぱい揉む?

論文」と「学術論文」の関係

で,そもそも論として,仮に学術的な形式に則っていない文章でも「論文」と呼べるよね.これは文系がどうとか理系がどうとかそういう話じゃなくて,世間一般における言語感覚問題

大真面目に何かを論じる文章考察する文章はすべて論文と呼びうる.その中で一定形式的・内容的基準を備えたものを「学術論文」として区別しているだけ.

要するに,「学術論文はすべて論文である」は成り立つけど,「論文はすべて学術論文である」は成り立たない.

たとえば,公務員試験を受けると「課題論文」というのを課されることがあるのだが,これは別にその試験のためだけにデータを集めて新規性のある学術論文を書けという意味ではなく,与えられたテーマについて紙に数枚くらい自分意見を書きなさい,という意味

もうちょいみんなが経験してそうな例で言うと,大学受験の「小論文」なんかもそうでしょ.

一般社会において「論文」ってその程度のものなんですわ.私らはアカデミアに染まりきってるからついつい忘れそうになるけど,真面目になにかのテーマについて論じた文章なら「論文」と呼ぶ,という言語感覚の人は一般社会にそれなりに存在しており,そういった一般社会的用法別に間違いではないんですよ.

なので「これは『学術論文』ではないから『論文』と呼ぶべきではない」という主張は,そもそも一般論として間違いです.

アカデミアにおいて何の限定もつけずに「論文」といえば学術論文のことだけど,それは文脈限定されていて短縮された言葉でも意味が通じるからです.コミックマーケット会場で「東」といったら太陽が昇ってくる方角ではなくオリンピックかい害悪イベントのせいで使えなくなっている東京ビッグサイトの東展示棟を指すのと同じこと.

コミケ会場付近をうろうろしている一般人が太陽の昇る方角を指差して「東」といったときに「お前が指しているのは東展示棟ではないのだから『東』という言葉を使うのはおかしい」と言ったら変な人だよね.それと同じように,アカデミアの外にいる人(この場合は例の先生ではなく例の先生が書いた文章についてブログを書いた人)が「論文」という言葉を使ったときに,「お前が言及しているのは学術論文ではないのだから論文』という言葉を使うのはおかしい」と主張するのはハッキリ言ってかなり変な人だよ.

英語でいうarticleとかpaperもそうでしょ.新聞記事学術論文もどっちもarticle.学術誌で何の限定もなくarticleといえば「論文」という意味になるけど,それは文脈限定されているからで,一般人が新聞記事を指してarticleと言うのを咎めたらおかしいよね.

よって,例の先生が書いたものが仮に学術論文ではないとしても(これはもちろん仮定法ですからね),一般人がそれを指して「論文」と呼ぶことを咎めるのは間違っています

これは,文系とか理系とか新規性とか査読とか業績評価とかそういう話ではなくて,一般社会において言葉がどのように流通しているか世間の人びとはどんな言語感覚を持っているか,という話ね.ほんと,我々の考える「学術論文」以外のものが「論文」と呼ばれる局面って,大学を離れると以外とあるんですよ……

まとめ

千田有紀氏のTERFに関する論文学術論文です.また,仮に学術論文ではなかったとしても,それを「論文」と呼ぶ人を批判するのはおかしいです.

学術論文から学問的に妥当だとか政治的に正しいとかは言ってませんので,彼女の主張が間違ってるとか差別的だと思うなら存分に批判すればよいのですが,外形的な基準から学術論文であることを否定しようとすると人文系研究者全般に流れ弾が飛ぶのでやめてください.

文系オタクとしては,ただでさえ一部の同僚から趣味を殴られて不愉快な思いをしているのに,一部の趣味仲間から仕事を殴られるのは勘弁してくれとしか言えません.表現規制フェミニストを殴るなら表現規制フェミニストピンポイントで殴ってください.私たちを巻き込まないで.頼むから

余談

劇場版はいふりのココちゃんキャラソンむっちゃかわいくね? ココちゃんキャラソンとして百点満点って感じだった.特典のイラスト色紙,ミケシロが2枚出たけど砲術三人娘のは引けなかったので誰か譲ってクレメンス……

あとgdgdな雑論文をまあどうせ載らないだろうけどって適当投稿したら掲載決定して割と自分ではよく書けたつもりの論文をこれは載るやろって自信満々に投稿したらリジェクトされたんだけど何が通って何が落ちるかマジでからなくなってきたでござる.山辺あゆみちゃん……私を導いてくれ……ママァ……

2020-02-17

教授学者」ではない

客寄せ教授かいからね。

少なくとも査読付き国際論文誌に論文の発表がないと。

まあ、分野によっては査読付き国内論文誌もありかも知れない。

フェミニズムの分野は国内限定の分野ではないだろうけれど。

そして、一般書はもとより、大学紀要論文発表の場としては対象外ではあろう。

もちろんまともな論文誌への投稿がある人なら、大学紀要掲載があってもいいが、

大学紀要だけというのはかなり……。ましてや一般書のみでは。

2019-11-16

[]2019年11月15日金曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
006215696253.237
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2111512332107.232
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2312816670130.241.5
1日233219774084.835

本日の急増単語 ()内の数字単語が含まれ記事

プードル(5), ドクター中松(6), ハーネス(4), トイプードル(3), 建造物侵入(3), 残像(7), 英光(4), チャクラ(3), トイ(3), マジカル(3), マントル(3), 冷たく(6), 中小企業(9), 報復(7), 低能先生(20), 中出し(8), マ(6), 便器(6), 切断(5), パヨク(9), 妊婦(10), ランク(7), 低能(14), 20年(14), 証言(6), 青葉(10), 実装(9), 願い(8), 荒らし(12), 優しく(19), アウト(14), 表情(9), 超える(9), ガイジ(10), 指示(9), 妹(9), アスペ(9)

頻出トラックバック先 ()内の数字は被トラックバック件数

■こういう人たちの呼び方ってありますか? /20191115102850(46), ■リアルで言っても問題ないネット用語の一覧を作ってほしい /20191115012031(18), ■言われた通りにやってみるって、実は難易度高いのかな /20191115012246(17), ■FEアンナFFシドみたいな常連キャラって他にいる? /20191115022648(16), ■ /20191115081515(11), ■幼児退行 /20191115213903(10), ■トイプードルのトイってなんだよ /20191115014322(9), ■漫画残像 /20191115110233(9), ■どうして、ここの人達って、猫ちゃんに熱くなるの? /20191106171944(9), ■低能先生こと松本英被告公判を傍聴してきた /20191115162114(9), ■10歳年上の仕事が出来ない新人 /20191115134031(8), ■京大博論を元にした本が東大紀要書評フルボッコされてる件 /20191114122611(8), ■ /20191115090731(8), ■「座りション弊害あれこれ /20191114115230(7), ■ドワンゴ夏野剛の大勝利じゃねえか /20191115114814(7), ■紅白歌合戦の組分けが男女別だと今日知った /20191115163825(7), ■50代婚活上位群の女だけど年収2千万の50代後半イケメンとほぼ婚約決定 /20191115223117(6), ■無題 /20191115020956(6), (タイトル不明) /20191115035406(6), ■【悲報】ワイ、始発電車に並んで座るも目の前に妊婦が立つ /20191115085533(6)

増田合計ブックマーク数 ()内の数字は1日の増減

6789024(4129)

2019-11-14

京大博論を元にした本が東大紀要書評フルボッコされてる件2

(長く書きすぎたみたいだ。途中で切れてしまった。。。)

京大STAP細胞はありま~す?」

もう終わりにしよう。書評批判が当たっているなら、こういうことだ。超大物教員指導の元、こんな博士論文が書かれ、専門家達が「厳正な」審査をし、超一流の博士号が授与され、それをテコに大学で職を得た人がいる。これがわかったのは、本が出版されたおかげだ。ちなみにこの本、名もない出版からではなく、京都大学出版会が出している。もちろん、本の出版は著者が勝手にできることではない。本の最後に超大物元指導教員が「解題」を寄せているから、知らなかったはずはない。解題を見てみたところ、基本的にほめていて、特に批判らしい批判はなかった。実はその解題、公開されている博士論文審査結果の要旨とほとんど同じ。

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/199376/1/ynink00705.pdf

審査結果からもいくつか引用しておこう。

論文は、個別言語における認知メカニズムの解明によって言語固有の形式文法カテゴリ創発する根源的理由説明を試みた意欲的研究であり、認知言語類型論という新たな研究分野の基礎を示した先駆的研究として評価することができる。

論文日本語文法事象を中心に扱っており、その記述分析の面においても、射程の広さと事例観察の綿密さが評価される。分析対象として、格、時制、主語目的語自動詞他動詞、態、形容詞といった広範な現象を横断的に扱い、本論文の主張する日本語の「主体化による認知モード」によって一貫した説明が試みられており、それらがいずれも西欧パラダイムによる言語研究標準的使用されてきた文法概念と完全な対応関係を結ばないことが、説得力をもって示されている。

日本語学で所与のものとして適用されてきた「動詞の自他」や「態」といった文法概念のものの再検討を迫るという点で、本論文日本語研究にも一定の貢献をなすものである。また、本論文日本語における文法カテゴリや語彙の変容にも照準を合わせたものであるが、その主張は単なる理論憶測ではなく、万葉集源氏物語などの主要な古典作品をはじめとする膨大な歴史的資料に基づいたものであり、言語研究において不可欠である言語データの観察の綿密さについても高く評価することができる。

論文共時的言語事例と通時的言語事例とを並行的に分析し、日本語言語現象全般個別現象の解明を目指した統合研究であり、認知言語類型論という新たな研究視点提供している点で、学術価値は高いと判断される。

よって、本論文博士人間環境学)の学位論文として価値あるものと認める。

また、平成26年11月26日論文内容とそれに関連した事項について試問を行った結果、合格と認めた。

まさにお墨付きだ。

最後ちょっと真面目な話。『認知言語類型原理』の問題は、この書評で間違いだと明らかになったことじゃない。学問は古い学説踏み台にして進んでいく。今の定説もいつかは否定され、乗り越えられていくかもしれない。だから、間違いを含んでいるとわかったこ自体問題じゃない。それまでの研究に新たな知見を付け加えたのなら、たとえ間違いを含んでいても価値ある研究だ。ダメなのは、従来の研究に何ら新しい知見を付け加えず、最初から間違いだとわかる研究だ。『認知言語類型原理』はまさにそのような本だと批判されている。もちろん、出版された本に対してそのような批判をする権利は誰にでもある。たとえ批判が当たっていなくても、ある。自由批判ができることは、学問の発展に不可欠だ。書評子が批判したことで将来不利益を被ることがあってはならない。

それにしても、どうして『認知言語類型原理』は『日本語主語はいらない』みたいに多くの言語学者から批判されていないんだ? 『日本語主語はいらない』は大手出版から一般向けに出たのに対して、『認知言語類型原理』は学術専門出版から専門書として出たからか? それにしたって、専門書でも専門家なら読むだろうし、なんならもっと真剣に読むだろう。他に書評は出てないのかとCiNii https://ci.nii.ac.jp/ で『認知言語類型原理』を検索したけど、ないみたいだ。もしかして京大とか超大物研究者とかの権威に怯んでるのか? 文系学問がそんな腐敗した世界なら、世間から不要とされるのも無理はない。この腐敗した世界に堕とされても、くだらないことでビビることなく「王様は裸じゃないか! 裸の王様、何を学んだの?」と喝破した書評子には拍手喝采を送りたい。だけど、こんなものを書くために生まれたんじゃないだろ…。

京大博論を元にした本が東大紀要書評フルボッコされてる件

日本大学特に文系学問に対する風当たりが厳しい昨今、文系学者達は自分たち存在意義を示そうと必死だ。大学で行われている文系研究は、どう役に立つかはともかく、それ自体研究としてちゃんとしたものなんだ!ということは前提となっているし、みんなそう信じている。文系先生達は決してSTAP細胞のようなデタラメをやっているのではないと。

だが、それは本当か? 証拠はあるのか? 最先端研究専門家でさえ評価が難しい。たとえばアインシュタイン一般特殊相対性理論を作ったけど、時代の先を行き過ぎていて正当な評価がされなかったそうで、ノーベル賞は他の業績に対して与えられた。文系研究基本的には同じで、研究の良し悪しを判断できる人は極少数だ。だから、知らないうちにトンデモない研究がはびこっていて、それに社会的評価が伴っていても、ほとんどの人にはわからない。専門家が厳正に評価してくれていることを信じるしかない。

パンドラの箱が開いた

本題に入ろう。最近、1つの書評論文東大言語学研究室発行の紀要に出た。

田中太一日本語は「主体的」な言語か―『認知言語類型原理』について―」『東京大学言語学論集』 41 (2019.9) 295-313

https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=53475&item_no=1&attribute_id=19&file_no=1

書評された本は『認知言語類型原理』(京都大学出版会)。

https://www.amazon.co.jp/dp/4814001177/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_6P9YDbPVN9WJ2

著者は、関西外国語大学 短期大学部 英米語学准教授中野研一郎先生

 

普通書評というのは基本的にほめるものだ。批判はあっても最後ちょっとだけ。しかし、この書評は、冷静な筆致でありながら、酷評酷評、ボロクソ、クソミソ、ケチョンケチョンフルボッコだ。一個もほめてない。批判が当たっているなら、トンデモ本に違いない。

こうすればあなた博士になれる

一番ヤバいのは、この本が博士論文を元にしたものということ! 一応説明しておくと、博士論文とは、最高の学位である博士」の学位を取るために大学院生が何年もかけて書く長大論文で、大雑把に言って本1冊以上の分量がある。もちろん、何でもいいからテキトーに書けばいいわけではない(はずだ)。自分オリジナルで、学術的に価値のあること、つまり、これまで誰も知らなかった知見を新たにもたらして人間知識を拡大するような研究の成果でなければいけない。どの分野でもそうだ。

そして博士論文原稿は、3~5人の審査委員審査する。審査委員は全員、その分野に詳しい大学教員だ。審査は3回くらいある。まずは博士論文の大枠ができた後、本格的な執筆にゴーサインを出すかを決める一次審査、そして論文が大体書けた後、論文大学に提出していいか審査する二次審査最後論文が完成し、大学に提出された後、博士学位を与えるか否かを決める最終審査がある。それぞれ少なくとも1時間はかかる本格的なものだ。ディフェンスと言われる最終審査の口頭試問は、公開で行われる。最後に別室で結果を審議した審査委員が会場に戻ってきて厳かに合格が伝えられると、みんな拍手で心から祝福する。

ミサト:おめでとう!

アスカ:おめでとう!

レイ:おめでとう。

シンジ:僕はここ(アカデミア)にいてもいいんだ!

研究人生のフィナーレではないが、1つのピーである。こうやって研究者の能力お墨付きを与えるのが大学存在意義の大きな一部分だ。

要するに、博士号を取るのはとても大変なのだ日本だと博士号を持っている人は1万人に1人くらいしかいないらしい。日本大学は入るのは難しいのに出るのは簡単だとよく言われるけど、大学院の博士課程はそうではない。入るのも修士課程ほど楽ではないし、文系では入っても博士号を取れない人の方が多いくらいだ。これだけ大変だから博士号はアカデミアでは評価される。大学教員になるなら、博士じゃないとエントリーすることさえほぼほぼ不可能。『認知言語類型論』の中野先生は、フェイスブックを見たところ、以前は高校先生だったみたいだけど、博士号をとってから、50歳を過ぎて関西外国語大学准教授になったようだ。周知の通り、大学終身雇用教員の座をめぐる争いは非常に激しい。博士号がなかったら就職できなかっただろう。

 

博士号はどこの大学でとっても価値は同じ、みたいなことを何度か読んだことがあるけど、あれはデマ。真に受けてはいけない。いい大学博士号ほど高く評価される(Why not?)。中野先生がお持ちの京都大学博士号は、京大が超一流なのと同様、超一流の博士号だ。50歳を過ぎて大学就職できたのも不思議ではない。しかも、中野先生師匠は、日本言語学界の大物中の大物、山梨正明先生だ。『認知言語類型原理』に山梨先生が解題を寄せているから間違いない。この大先生は、「日本代表する理論言語学者の一人」([wikipedia:山梨正明])。中野先生が在学していた頃には、日本語用論学会(2008〜2011)や、日本認知言語学会(2009〜2012)の会長を同時に務めもした大物中の大物だ。ちなみに、山梨大先生2014年度に京大を定年退官して、2015年から中野先生より一足早く関西外国語大学で教鞭をとっている。ちょっとややこしい話だが、博士論文審査が終わる前に京大を定年退官したようで、審査主査ではないが、審査委員には名を連ねている。https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/199376 博士論文を書くのに何年もかかるから、こういうことはよくある。

日本語に主語目的語、態、時制、格、自動詞他動詞はいらない?

さて、超大物お墨付き博士論文(を元にした本)はどんなもんなんだろうか。書評から拾っていこう。2節は専門的な議論でよくわからいかパス。3節「日本語に存在しないとされるものから見ていこう。まず、1節に同書のまとめらしき部分から引用がある。

日本語(やまとことば)」を深層とする日本語において、「形容詞 (adjective)」・「主語 (subject)/目的語 (object)」・「態(voice)」・「時制 (tense)」・「格 (case)」・「他動詞 (transitive verb)/自動詞 (intransitive verb)」といった、従来ア・プリオリに前提とされていた統語・文法カテゴリ妥当していないことも論証した。さらに、「膠着」言語の一つである日本語」においては、その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしていることを論じた。

(『認知言語類型原理』[以下、中野 2017] p. 308、書評論文[以下、田中 2019]p. 295から禁断の孫引き。以下、同書の引用は全て孫引き)

昔、『日本語に主語はいらない 百年の誤謬を正す』[amazon:日本語に主語はいらない]という本が出て、言語学者に酷評されたことがある。金谷武洋日本語に主語はいらない』批判記事一覧 - 誰がログ https://dlit.hatenadiary.com/entry/20071216/1197757579

主語がいらないと言っただけでそうなったのに、『認知言語類型原理』は、ミニマリスト断捨離なんてもんじゃない。主語だけじゃなく、形容詞、態、時制、格、自動詞他動詞も、いらない、何も、捨ててしまおう~♪と謳っているらしい。全部なしで日本語の文法はどうなっているのかというと、「その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしている」ということらしい。

「音象徴」の名の元に蘇る亡霊

これは熊倉千之氏の「音象徴理論に基づいているそうで、熊倉氏は、

膠着語にかんして、「イメージイメージを膠でつけるように、ことばができているのです。ですから、具体的なモノとモノをつなげると、言語(コト) としての「抽象」 性が生まれ、新しいことばが作られるのです (熊倉 2011: 18)と述べた上で、日本語の音素はそれぞれ何らかのイメージを持つという観察を根拠に、やまとことばの「音声と意味」には、ソシュールの説に反して、「恣意的」ではなく、密接な繋がりが感じられる」 (熊倉 2011: 30) と主張している。

(これも田中 2019: 309から禁断の孫引き

熊倉千之 (2011)『日本語の深層〈話者のイマ・ココ〉を生きることば』東京: 筑摩書房.

とのこと。

近代言語学の父、ソシュールの一番有名な恣意性原理否定しているが、それ自体はない話ではない。音象徴が当てはまる例として、ポケモンとか怪獣名前は、音と意味関係が全く恣意的なわけではない、みたいなことが最近よく言われている。ただ音象徴基本的オノマトペ擬音語擬態語)や新たに名前を付けるものについての話、しかあくま傾向性言語全体の「語・語句・節の生成メカニズム」になるようなものとして扱われてはいない。しかし、中野説はそういった主流の音象徴研究とは一線を画する。具体的に見てみると、

「あ/a/」は「空間出来の語基」 として、「い/i/・居」 は「様態化の語基」 として、「う /u/・続」 は「プロセス化の語基」 として、 「音象徴」 により語彙を創発させる機能を担っているのである(中野 2017: 247) 。

知らなかったー、日本語ってすごいですね(棒)。たとえば、「合う・会う」は、「あ/a/」+「う /u/」だから、「(出来)動詞」だそうだ。書評子が、

「「出来」が「プロセス化」すると「合う・会う」になるという説明は到底理解できるものではない」(田中 2019: 309)

と言う通りだ。「あい」(愛とか藍)はどうなるんだろう。中野先生によると、音象徴

日本語(やまとことば)」の同音異義の語の数の多さと、またオノマトペの豊穣さの、母体にもなっている」 (中野 2017:232)

そうだが、書評子は、ここに鋭く矛盾を見て取る。

この主張は、本書の議論を決定的に破綻させるものである。もし「音=意味」という恣意的でない結びつきが存在するならば、同じ音を(同じ順序で)組み合わせれば同じ意味になるはずである同音異義語存在が極少数に限られるならともかく、その数が多いのであれば、日本語の全体を「音象徴」に基づいて分析することが不可能であることは自明である。(田中 2019: 310)

かに。他にも、中野先生は「確かに」・「達する」・「頼みます」・「たった、これだけですか」・「立つ」・「経つ」・「絶つ」・「裁つ」などを例に、

日本語(やまとことば)」では、音部分が同根であれば、「音象徴」に基づき、その意味機能通底している 。 [中略] 「た/ta/」音を語頭とする語は「心的確定(確信)」を基に語彙が生成していることが理解できる。「日本やまとことば」の「た/ta/」音は、「音象徴」において「確信」を「意味」とする「音」なのである。 (中野 2017: 255)

と言っているそうだが、「立つ」とか中野先生自身の例でさえ、どこが確信関係があるのかわからない例もある。この説が無理なのはよく考えてみるまでもない。

そもそも、「音象徴」なんて流行りのタームを中野先生熊倉氏は使っているが、こういう説は「音義説」[wikipedia:音義説]と言うのがより正確だ。近代以前に唱える人がたまにいたけど、今ではググるとわかる通り素人が唱えているだけのものだ。ちなみに、このような形で同書に大きな影響を与えた熊倉千之氏とは、

1980年「『源氏物語』の語りの時間」でカリフォルニア大学バークレー校にてPh.D.取得。ミシガン大学サンフランシスコ州立大学などで日本語・日本文学を教える。1988年帰国後、東京家政学院大学教授1999年金城学院大学教授2007年退職

[wikipedia:熊倉千之]

という人。ウィキペディアでは一応「日本文学者・日本語学者」となってはいるけど、専門はどう見ても文学言語について言語学界とは関係なく自由思索著述をしている人のようだ。そういう独自言語論を唱える文学思想研究者はよくいるけど、普通言語学者はそういうのはまともに相手にしない。『認知言語類型原理』もその類の本だったなら、東大言語学を学ぶ書評子も取り合わなかっただろう。でも、これは京大言語科学講座で博士号をとるために書かれた論文(が元になった本)なのだ

驚愕の主張の数々

他にも同書には、業界震撼の主張が満載みたいだ。是非同書を買って私の代わりに確認してみてほしい。

日本語では論理的命題を表すことができない」(田中 2019: 305)
日本語は英語を含む近代ヨーロッパ標準諸語に翻訳できず、また近代ヨーロッパ標準諸語も日本語に翻訳できない」(中野 2017: 268)
科学数学物理学化学生物学法学経済学歴史学社会学言語学等)」と称せられるものの全ての言説は、日本語で書かれている限り、「日本語(やまとことば)」の論理によって、「客観的であるとする言語論理的根拠を維持できないのである。当然のことながら、この本自体も、日本語で書いている限りはその陥穽から逃れることができない。」 (中野 2017: 268)
日本語の「伝聞」というコミュニケーション様態においては、伝えられる内容は、伝える者によって「主体化」されており、したがって、その「主体化」された内容の真偽判断に関わっては、「権威」が必要となる。伝える者に「権威」が伴っていない場合、伝えられる内容は真と判断されない。」(中野 2017: 16)

しつこいようだが、これで5年前に京大博士号が取れたのだ。

ちなみに、なんで日本語が英語などと違ってこうなってるかと言うと、中野先生によると、日本語は歴史的文字を持たなかったからだそうだ。とはいえ英語だってそうだし、文字で残っている歴史の長さも日本語と同じくらいなんだけど。っていうか、どの言語も昔々は文字がなかっただろ!

ということで、書評の内容は変な言いがかりではないようだ。そもそもこんな空前絶後激辛書評論文大学院生が書くこと自体大きなリスクを伴う。(書評子、いろいろ大丈夫か?)無理なイチャモンをつけるためにそんな危険を冒すわけがないし、出版前に東大で止められるだろう。ま、『認知言語類型原理』は、博士論文審査から本の出版にいたるまで、誰にも止められなかったみたいだけど!

京大STAP細胞はありま~す?」

もう終わりにしよう。書評批判が当たっているなら、こういうことだ。超大物教員指導の元、こんな博士論文が書かれ、専門家達が「厳正な」審査をし、超一流の博士号が授与され、それをテコに大学で職を得た人がいる。これがわかったのは、本が出版されたおかげだ。ちなみにこの本、名もない出版からではなく、京都大学出版会が出している。もちろん、本の出版は著者が勝手にできることではない。本の最後に超大物元指導教員が「解題」を寄せているから、知らなかったはずはない。解題を見てみたところ、基本的にほめていて、特に批判らしい批判はなかった。実はその解題、公開されている博士論文審査結果の要旨とほとんど同じ。

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/199376/1/ynink00705.pdf

審査結果からもいくつか引用しておこう。

論文は、個別言語における認知メカニズムの解明によって言語固有の形式文法カテゴリ創発する根源的理由説明を試みた意欲的研究であり、認知言語類型論という新た

2019-09-12

イケメン anond:20190909204649

15年前ということは狩野英孝リバイバルさせなければ今頃イケメン死語になってたってことか。合ってるような気もしなくもない。

そもそもイケメンって誰が流行らせたんだったっけ?

関西ではかっこいい男のことをこう呼ぶんだよと紹介されたような。

シャ乱Qとセットで広まったイメージもある。

思い出せない。ググってみようか。

追記

Wikipediaによると1990年代中頃のゲイ雑誌起源があるのだとか。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%A1%E3%83%B3

Pixiv百科事典によると平成仮面ライダー放送開始から広まったのだとか。 https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%A1%E3%83%B3 2000年からということか。これはちょっと遅すぎる気がして信じがたい。

ニコニコ大百科だと『egg1999年1月号が起源だという。 https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%A1%E3%83%B3

間抜けな感じの語感なのにかっこいいものを指しているというのが違和感があって面白いなと思った記憶はあるが、いつ思ったのか全然思い出せない。

国立国会図書館 2002年ワールドカップ頃までしか遡ることができない

2000年7月10月鹿児島県内の2つの大学と1つの短大で18歳から24歳までの学生対象に行われた若者言葉調査ではイケメンは84.4%の人が知っていたにもかかわらず8.9%の人しか使わないという言葉だったらしい。 「言語意識から見た若者ことば使用の要因」 太田一郎, 牧瀬那生 - 人文科学論集, 2001

媒体によって意味にばらつきがあり当初は女性に対しても使われていたが、次第に男性に対してだけ使われるようになっていったのだとか。 「若者ことばの発生と定着について」桑本裕二 - 秋田工業高等専門学校研究紀要, 2003

殿山徹二著 「監禁肉刑人妻、堕とす!」 1999年9月25日発行に「嶋村って、あのイケメンですな? わが社の女性社員の間でも人気の。その女房ストリッパーとは味ですなあ」という記述あり。

柳美里著 「女学生の友」 1999/09/20発行に「イケメンだと思ってて、日に日にナル化してんだよ。花音里的にはむかしのケンブーに戻ってほしい」という記述あり。

鹿児島大学調査から2000年の秋までにはほとんどの若者が知っている言葉になっていたのは確かだろう。ネットでは1998年以前の確実な使用例は見当たらない。ニコニコ百科事典が主張するegg1999年1月号が起源だとしたらたった1年半で鹿児島若者が誰でも知っている言葉になっているのだろうか?。最近流行語はそこまで早く浸透しないかegg起源説には疑問をいだいてしまう。

死語かどうかに関しては20世紀の末のポッと出の言葉から通常のサイクルなら15年前にはもう使わない言葉扱いされてておかしくないところなのかな。

2019-05-14

学歴コンプレックス研究概観展望津田容子)

【関心テーマ意図

日本社会は表向き実力主義成果主義を掲げつつ、未だ学歴主義体質が根強いと言われている(渡辺,2006)。そのような社会の中で、大学学者割合が初めて5割を超え(文部科学省,2009)、数十年前と比較して高学歴化が進んでいる。全入時代までは至らないが、志望大学に拘らなければ受験生の9割超が大学に進学できる時代となった。今後は大卒肩書きのみでなく、大学知名度や質を重視する傾向が強まり受験競争さらに激化するとも考えられる。ここで問題となるのが、受験という競争に伴う敗者と勝者の存在である。彼らが過剰な挫折感や劣等感、あるいは優越感に囚われた場合学歴コンプレックスとして諸々の心理的社会的な問題を引き起こす。しかし現状は、定義自体曖昧であるため、研究者独自概念言葉で当問題が扱われている。そこで、今回は心理学分野での学歴コンプレックスに関する研究に注目し、考察と今後の展望を述べることとする。

【先行研究概観

学歴コンプレックスとは、不満足の原因を自己あるいは他者学歴に関連づけることで感じる、劣等感自尊心のこと(鷲田,1995)であり、学歴に対して劣等感を抱く場合学歴への誇大な自尊心を抱く場合の2層に分けられる。両層に共通する主な特徴は、以下の3点に集約される。第1に、自己の実力不足や失敗を過度に学歴帰属すること、第2に、自己だけでなく他者をも学歴評価すること、そして最後に、学歴ばかりに囚われ学業という本来目的を見失いかねないことである。これらの根底には、学歴が高いほど将来は報われると考える「学歴社会意識」(安藤,2007)や有名大学の進学のみに価値を見出す「学校主義」(野田,1996)といった学歴志向存在が窺える。層別に見ると、劣等感層では上述の志向に加え、入試時に第1志望に落ちて仕方なく所属大学に入った「不本意入学」(伊藤、1995)がコンプレックスの主要因となっている。そして、不本意から多浪仮面浪人、退学を繰り返す再受験症候群や、国公立大の進学者優遇する国公立大学至上主義下での私大学者なども本層に含まれる。一方、誇大な自尊心層では、学歴社会の勝者であるがゆえに、学歴に比例して自己過大評価する傾向がある。その裏には人柄や実力よりも学歴イメージが先行する、レッテルとしての学歴の影響が見られる。その他、学歴に見合った社会待遇でないと受け入れられない学歴保証希求や、就職時に多い高学歴者の挫折体験等の問題も挙げられている。これらの学歴コンプレックスに伴い、失敗感、挫折からくる無気力自尊心低下、不本意感に由来する不適応抑うつ状態といった心理的問題に加え、充実感や生き甲斐の欠如、自我同一性拡散の深化など、生き方のものに関わる問題存在示唆されている。また、学歴志向や進学観が親子間で継承される(吉川,2005)ように、親子間でのコンプレックス継承家庭内学歴格差によるコンプレックスなど、個人のみでなく世代間に学歴問題が発展する可能性もある。

【先行研究臨床心理学的意義と展望

先行研究は、学歴コンプレックスを多側面から検討し、日本独自学歴観や学歴の持つ意味学歴認知思考に及ぼす影響について言及した点で、学歴問題の諸相と今後の研究可能性を提示した意義を有する。今後の展望としては、同じ状況下で不適応に陥る人とそうでない人との相違や学歴にまつわる不適応への対処法など、臨床実践に向けた研究を進めていく必要がある。

津田容子引用文献>

安藤聡一朗 (2007).学歴社会意識とスチューデントアパシーとの関係についての考察 学習院大学人文科学論集,16,137-165.

池上知子 (2004).「学歴社会」に対する意識大学自己同一視との関係 愛知教育大学研究報告(教育科学),53,79-86.

伊藤美奈子 (1995).不本意就学類型化の試みとその特徴についての検討 青年心理学研究,7,30-41.

吉川徹 (2005).7-106間移動を考える.日本教育社会学会大会発表要旨集録,(57),44-45.

文部科学省 (2009).平成21年度学校基本調査.2010/02/02情報取得

野田陽子 (1996).学歴観の構良智 (学生とその親の学歴観の分析をとおして― 淑徳大学研究紀要,30(II),87-113.

鷲田小弥太 (2005).コンプレックスに勝つ人、負ける人PHP研究所渡辺山.

渡辺良智(2006).学歴社会における学歴 青山学院女子短期大学紀要,60,87-106

引用元:東京大学大学院教育学研究科臨床心理学コース下山研究室 社会と臨床心理学―研究会活動から見えるその諸相―

2019-05-11

文系学問における注と参考文献の話、補遺

文系学問において資料実在証明するものとは何か」(anond:20190510230425)についたブコメに応答&補足説明します。

参考文献と注は違うよ!

Wikipediaですら参考文献を求められるので、参考文献(ここで言っている注)のない本はある意味Wikipedia以下の信頼性と考えられても仕方がないことを多くの人に知らせるべきだと思う。

参考文献と注は違います! ぜんぜん別です! 参考にした本を並べてあるのが参考文献(厳密にはこの場合「参考文献一覧」)で、本文中の記述の出典を直接明らかにするのが注です!

参考文献と注については、以下の4つの組み合わせが考えられます

  • a)参考文献も注も揃っている
  • b)参考文献はあるが、注はない
  • c)参考文献はないが、注はある
  • d)参考文献も注もない

このうち、研究書として許されるのはaとcだけです。ここで問題にしているのはbとdで、多くの学術的な新書はbであり(中公新書とかでよくあるやつ)、ごくまれにdみたいな本があります最近だと、岩波新書の『ロシア革命』)。

えっ、cも許されるの? はい、許されます。なぜなら、個々の注でしっかりと典拠を示してある場合は、参考文献リスト存在せずとも出典の表示に不自由はないからです。

これだとわかりづらいかもしれないので、架空の例で説明してみます(わかりづらいかと思ったので書き直しました)。

a)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

b)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

c)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

d)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

cでも十分に出典表示として問題のないことはご理解いただけるでしょうか? 実際、英語圏でもcのような本はたまにあります。そして、著書ではなく論文レベルだと、cのようなやり方を採用している雑誌はとても多いのです(日本語圏でも英語圏でも)。いや、もちろん理想を言えばaみたいな本であるべきなんです。でも、紙幅の都合というものがあり、印刷費が嵩むからどこかを削りたい、となった場合には、真っ先に参考文献が削られてしまうのは致し方ないと思います

日本出版問題は、そこで「参考文献ではなく、注を削ろう!」という話になってしまうことです。違います注か参考文献、ページ数の関係上どちらかを削らないといけないのなら参考文献を削るべきなんです。

もし注がしっかりとつけられていれば、参考文献の欠如は「どんな文献があるかひと目でわかりづらい」程度の問題しかなりません。しかいくら参考文献があったところで、注がなければ「ではこの記述典拠はいったい何なのか」という根本的な問題惹起します(bの例から正しい出典を復元できるでしょうか?)。参考文献は省いても構いません。しかし注を省いてはダメなのです!(学術的な新規性のある本ではなく、学界の定説初心者向けにわかやす纏める本でなら、読みやすさを優先して逆の判断になっても構わないのですが)

もちろん、これはauthor-date方式やMLA styleの注をつける場合には適用できません。どういう方式かというと、次のような方式です。

author-date方式

増田うんこを漏らした(はてな 2019: 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 2019: 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. 2019. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies.

はてな太郎.2019.『増田研究Hatelabo

MLA style:

増田うんこを漏らした(はてな 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

こういう方式の注をつける場合には参考文献が絶対必要です。当たり前ですね(author-date方式についてはanond:20190511230117も参照)。

2種類の「参考文献」

自分実験室の試験管”イメージ偏ってるなー(´・_・`)理系論文での引用たことないんかな。普通に出典書いてるし、それを叩き台に積み上げたり、否定したりするんだが。博士論文なんか引用文献沢山乗るしね

理系学問についてのイメージが偏っている点についてはごめんなさい。でも引用については、申し訳ないけれどそちらが勘違いされていると思います(もちろん私は理系論文ちょっとしか読んだことないので、私に事実誤認があれば教えてほしいのですが)。

文系学問において、参考文献には2種類あります

このうち、理系論文で文献として挙げられるのは「先行研究」だけですよね? でも、文系では「一次文献」も参考文献に含まれ、そこへの参照が論文重要な核を占めているのです。

たとえば上皇陛下が書かれた論文(※1)を見てみると、確かに末尾にずらずらっと先行研究が並んでいますが、論文の核となる部分はあくまハゼ遺伝子を解析した部分にあって、それは当然ながら実験室で採られたデータであり、何らかの文献によって引証される類のものではないわけです。

しかし、皇族つながりで天皇陛下が書かれた論文(※2)を例に出すと、この論文において著者の主張の裏付けとなっているのは古文書における記述であって、その原本研究施設が所蔵していたり史料集として公刊されていたりするわけです(史料集って何ぞや、という点については後述)。

私が最初増田で言ったのは、この「一次文献」の問題です。多くの場合理系ではこういう資料引用しないですよね(最近だと古天文学歴史的史料引用するとかあるのかな?)。しかし今回の研究不正がなされたような分野においては、そのような資料こそが研究の核心にあるという話です。

もちろん、慌てて言いますが「なにをデータにするか」は研究対象によって異なります文化人類学のような分野では、ヨソの土地まで出かけていって住人たちとの会話を書き取ったもの資料です(この分野だと「インタビュー」とかいう生易しいものじゃなくて、ヨソの土地に住み込んでその土地言語習得して日常生活を過ごす中で遭遇した会話や出来事を持ち歩いてるノートに書き付ける、という調査方法が採られます。これを参与観察というわけですが、私にゃ無理ですわ)。記述言語学だと研究対象の言語話者にその言語を口に出してもらって記録する(「これを○○語でなんといいますか?」と聞くこともあれば、話者どうしで会話してもらってそれを横で聞くパターンもあり)、というやり方になるんだろうと思います。なので私が言っているのは、あくまでも近現代史やその隣接領域での話だと思ってください。

一次史料からといって信憑性が高いとは限らない

文系生データは出典となる書籍だったり、原典資料がある場所と。原典原典って、どんどん辿っていけるブロックチェーンみたいな形式理想ってわけか。一時情報当事者証言なら信憑性高いって判断にはなるし

違います! 当事者証言からといって必ずしも信憑性が高いわけではありません! たとえば戦争犯罪裁判にかけられた人の証言のことを考えてみてください。彼もしくは彼女証言をそのまま「信憑性が高い」として扱ってしまってよいか? そんなわけはない。

歴史学において一次史料が重視されるのは、それが「生データ」だからです。それはひょっとしたら当事者の保身によって捻じ曲げられているかもしれないし、当事者が間違えているかもしれないし、当事者が見ても聞いてもいないことは書かれていないかもしれない(たとえば「沖縄返還をめぐる日米交渉」を研究しようと思ったとき日本側の史料は「日本側の政策決定過程」を教えてはくれますが、アメリカ外交官たちがどういう考えを持って交渉に臨んでいたかを教えてはくれないのです。それを知りたければアメリカ側の史料を見るしかありません)。けれども新しい研究は必ず一次史料から出発する必要があるのです。何故ならそれは昔の人によって直接書き記されたものから

なので歴史学では「史料批判」というものを重視します。これは説明すると長くなるので詳しくは歴史学入門書とかを読んでほしいんですが、要するに史料に書かれていることはどのくらい信用できるのか、みたいなことを分析するわけですね。あれれ~? おっかしいぞ~? この人、自分は後方にいたか虐殺行為に関わってなかったって言ってるけど、部隊の記録では後方にいたなんてどこにも書いてないよ~?

(「なにが一次史料か」というのも研究対象によって変わります特に科学史史学史といった分野では「他の研究において先行研究とされている文献が一次史料である」という状況がしばしば発生するのですが、この理屈はわかっていただけますよね)

デジタルアーカイブ史料

図書館ScanSnap SV600を完備し研究する皆の熱意でデジタルライブラリが出来るといいな… P2Pで共有されればノード消滅にも耐えられる。しか日本ではプリウスミサイル上級国民は不逮捕で、P2Pプログラマ逮捕なので

出来るといいな、じゃなくて、既にあります

たとえば国立国会図書館デジタルライブラリーには幕末以降の古書が多く登録されていて、PDFで落とすことができます。archive.orgや、フランス国立図書館デジタルライブラリー「Gallica」も有名ですね。こういうところに所蔵されている文献については、わざわざ現地の図書館まで行かなくともPDFダウンロードすればそれでよいわけです。デジタル化によって歴史学者の仕事は格段にやりやすくなりました。18世紀ドイツ語の本をコタツに入ったままで入手できるんだもんなぁ。

しかし、当たり前ですが全ての史料電子化されているわけではありません。国によってデジタルライブラリーの整備状況に違いがありますし、そもそも現代以降に出版された印刷物の数を考えたら全部をデジタル化するなんて人手も時間も足りない、という場合もあるでしょうし、身も蓋もない話をすれば著作権問題もあるでしょう(とある国では、その国の図書館に直接行かないとデジタル化された史料アクセスできなかったりします。てっきりPDFはないと思っていたのですが、著作権上の問題で館内からしかアクセスできないようになっているだけだそうです)。

また、多くの国では、公文書館史料まではデジタル化は及んでいません。元増田でも書きましたが、お役所ちょっとした書き付けなんかも史料になるわけで、それ全部デジタル化しようとしたらとんでもない数になります(これについて、日本戦前外交文書のかなりの数をウェブで読めるので恵まれていますね……アジア歴史資料センター様には足を向けて寝られません)。なので未だに、現地に行って史料を直接見てくる、というのが重要になるわけです。

さらに言うと、史料が必ずしも公的機関によって保存されているとは限らず、貴族武士の子孫のおうちに保管されていて、読みたい人はご当主様の許可を得て読ませてもらう、という場合もあり、当然デジタル化の波は及んでいません。イギリスだと由緒ある大貴族屋敷には私設の文書館付属している場合もあり、日本歴史学者でもソールズベリ侯爵のお屋敷であるハットフィールドハウスに赴いて史料収集している人もいます。謝辞で「史料を閲覧させてくれた当代のソールズベリ侯に感謝する」みたいなこと書いてあって「すごい……」って思いました)

ただ、「みんなが読みたがる重要史料」については、史料をまとめた本を出すとか、史料を集めたマイクロフィルムを作るとか、そういう形で広く公開されている場合があります(たとえば第一次世界大戦の勃発に関しては、イギリスオーストリアなどの当事国が何十巻にも及ぶ史料集を出版していて、東京大学などの国内研究機関にも所蔵されています)。けれどそういうのを購入するのはお金がかかるし、何より発行から何十年も経ってしまうと入手自体が難しくなってしまう(でも著作権は残っているためデジタル化も遅々として進まない)ので、あんまりお金がなかったり新設されたばかりだったりする大学研究者は結局それらを所蔵している大学図書館に行く必要が……

「注があると読者に嫌われる」は本当か?

しろ最後の注を見て次の本を決めたりするので、注があると読まなくなる人というのがいるのにびっくり…

注なんて読みたくなければ飛ばせばいいのに注があると売れない……? やべえな世の中。/ みんな本当に自己防衛意識が弱いよね。優しい世界生きてるんだろうな

注があると読まない人が居るという話、ただ気持ちよくなるために情報摂取してる層には、正確性の担保なんてむしろ邪魔なんだろね。ワイドショー視聴者と同質。

これ、実際に「注があるから読まない」読者が本当にいるのか、と疑ってみるべき案件だと思うんですよね……。「編集から言われて注を外した」という話は学者あいから漏れ聞こえてきますが、「注があるから読んでいて苦痛だった」という話ってなかなか聞かなくないです? いやもちろん編集者のところにはそういう苦情のお便りが届いているのかもしれませんが……。「注があると売れない」という都市伝説が生き長らえているだけのような……(一般読者からしてみれば、注の存在に気づいてなかった、とか、なんか数字が振ってあるけど気にしてなかった、という場合も多いでしょうし)

注は別に読まなくてもいいです

ちゃんと注まで読んでるのね。今まで気にしたことも無かった…我ながら知的レベル低い…

注がついている本を読んでいる段階で十分かと思いますので安心してください。注は、もし興味がないならさらっと読み飛ばしても別に大丈夫ですよ。というか、注で典拠が示されていても、アラビア語とかギリシャ語とか朝鮮語とかロシア語とかで書かれている場合も多々あるわけで、そんなの普通の読者さんにチェックできるわけないですし。ただ、注を見てみると、おっ、ここはちゃんと原史料を読んで書いてるのか、なーんだ、ここは英語二次文献に頼って書いてるんだ、みたいなことがわかっちゃったりするので、学者仕事の裏側を垣間見ることができて面白いですし、どんな情報源を使って書かれているのか? をチェックしてみることは学術書だけでなく普通ニュースとかを読むときにも重要なことだと思いますよ。

ブコメ

物理分野では「参考文献」の意味増田とは異なる。参考文献は本文記述の直接の引用を表す。あとあまり明確に決まってないけど、注は捕捉説明を指す。「参考にした文献一覧」は存在しない。読書案内なら見かける。

誰がReferences(Bibliography)を参考文献と訳したのか。"refer"した文献のリストであって、本文の著述に紐づけられるものだけリストアップすればよく、逆に、何でもかんでも列挙して博識をひけらかすところではない。

や、まあ、文系でもたいていの場合は「引用文献」ってことですよ。それを「参考文献」と呼んでるだけ。参考にはなったけど言及してない文献は、私なら入れない(でも入れる人もいるかも)。

いま史学科にいる人間全員読んでリアルブクマしとけ。懇切丁寧な論文の"文法書"だぞ。

あなたがこの増田に感心してくれたことは嬉しいけれど、史学科の学生上から目線アドバイスしないでください。こんなの初歩の初歩で、史学科の学生さんならとっくに理解してます史学出身じゃない人たちが「そうだったのか~!」って言ってるだけ。別に史学科の常識を知らないのは悪いことじゃないけれど(私も他学科常識とかわかんないし)、自分が知らなかったある分野の初歩の初歩を解説されて、そこで聞きかじった内容をその分野を学んでいる人の前で「お前らこういうのよく読んどけよ~」って言えちゃうの、ちょっと傲慢すぎません?

2019-01-30

anond:20190130151145

ぼくも、美術館に行って、美術を見て心に衝撃を受けたことあるよ。

で、エッセイにそのことを書いたら大学紀要に載ったんだけど、それが二回商業誌丸コピー盗用されたことがあるというオチ

2018-10-17

はいはい地方大学(学部)の無駄遣いでご飯食べてる契約職員ですよっと

今日普段行かない教授会場に資料を届けに行くことになったんですよ。

行ってみたら前の委員会がずれ込んでて、それが終わるのを委員じゃない先生たちが会場前で雑談しながら待ってるわけ。

なるほど教授会前ってこんな感じなんなーっつって一緒に待ってたら、声クソデカ教員がいきなり私の働いてる部署、いわゆる○○センターみたいなとこなんですけど、それはもうよく通る声でけなし始めたんですよ。

 

「僕はねー!○○センターとか潰したれって思ってるんですよー!人も来ない講演会(固定客はいるんですけどねー)何個も打つくらいなら学生満足度のために使うべきなんですよ~紀要だって無駄に高い金かけて~」ってな具合にですね。

その先生まさかそのセンター付きの職員がこんなとこウロウロしてると思わないで安心して放言したんでしょーね。ははは、あなたの目の前にいました~!油断大敵~~!!!

 

 

まあぶっちゃけ気づいてはいましたよ。

年々学部予算が減らされる中で「地域連携は全学のミッションから」となけなしの予算を割り振りして貰って

それでも足りなくてさらに工面して貰ったせいで他の先生しわ寄せが来て

その割に予算削減の努力も足りてない。

それが原因でこの部署めちゃくちゃ恨まれてるよなこれ、って下っ端の契約でもわかるぐらいでしたよ。

 

 

そうですね。けなされた点は一部を除いて事実なのですけれど、だからと言って「はいセンターなくしまーす」となった時、こんな歳で放り出された契約職員田舎で次の仕事なんかなかなか見つから生活困窮まっしぐらなんですけどとか、なんだかんだで「お前の仕事いらんやろ」と言われるのはキッツいなとか、ぶっちゃけ今の大半の学生を満足させるには遊んで単位が出る環境だよねーwwwとか

いろいろな感情がぐるぐるしてちょっと涙も出たりしたけど、そもそも職員にしてくれない職場にここまで我が事のように怒るのも変な話だなぁと思いながらおうちに帰りました。

あーお金ほしい。

2018-10-11

anond:20180828185404

逆だ、NatureやScienceに載ってようが和文査読のどっかの紀要だろうが、内容の吟味なしには信頼できない、というのが学問

君は学問むいてないよ

>もちろん、NatureやScienceに載ってようが和文査読のどっかの紀要に載ってようが等しく信頼できる、という考えならそれはそれで尊重するけど、私はそんなの御免こうむるわ。

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