はてなキーワード: 読み手とは
AIによるテキスト生成の技術がすごい上がっているようなので、試しにそれでサイトを作ってみることにした。
英語圏のデータが多いだろうから、英語で生成されやすいテーマを選んだ。
そして生成された文章をdeeplに投入して日本語化している。
試しにやってみたところ、テキストの品質は人間が手間暇をかけて作った場合と比べると、50〜60%くらいのできかな、という印象を受ける。
文章としては成り立っているものの、読み手に面白さを伝えよう、みたいな味付けはされていないので、かなり淡々としている。
それでもサイトに掲載するのには問題ない水準はクリアしていると感じられた。
そして人間が文章を書くのと比較すると、かかる時間的なコストは圧倒的に少ない。
人間なら調べて文章化するプロセスにおいて、1〜2時間は要しそうな文章が数分でできてしまう。
そこから内容のチェックや、補足文章の生成などのプロセスがあるので、全体では1記事につき15分くらいはかかるかも。
それでもすべて人力でやるよりかは圧倒的に早い。
内容のレベルが50%で、時間効率が5倍だと仮定すると、AIによる1記事あたりのコスパは、人力に比べて250%となる。
AIでの生成なら、1日に1時間くらい使うとして、3〜4記事くらいは投稿できそうだ。
となると圧倒的に効率がいいわけで、そこそこの品質でサイトの記事を増やしたい、という場合にはかなり使われることになるだろう。
ただ、AIが作成する文章は正確性に欠けていることがしばしばあるので、厳密な正確性が求められるようなジャンルでは利用が難しい。
これ明らかに間違っているでしょ、という内容もしれっと書いてくるので油断がならない。
多少間違っていても、世に迷惑を及ぼす可能性が低い、重要度の低いジャンルで使っておくのが無難だと思われる。
たとえば銀行屋にプロスポーツの技術的な指示をお互いが理解できる日本語で行ったとする。
しかし銀行屋はその指示をほとんど理解できない。これは銀行屋が能力的に劣っているからではない。
逆にプロスポーツの専門家であっても、銀行の技術的な指示を理解できないだろう。
いろいろ理由はあるが、常識を共有できないというのも大きな理由の一つだ。
全ての要素を語り手が伝えることはできず、暗黙的な前提を読み手が理解していなければならない。プロスポーツの専門家と銀行屋は多くの場合専門分野における常識を共有してない。
と、このように極端な例えならば、みんなが腹落ちする。
同じ時間をたくさん過ごしてるし、顔もよく合わせてる。だから常識を共有している、と勘違いしてしまう。
が、その前提が誤っている。
あなたの取引先のA社の担当が甘いものが苦手なのは、あなたにとって常識だ。しかし、そんなことはA社の担当ではない、あなたの同僚の常識ではないのだ。
もしも、あなたが何かを誰かにお願いする立場なら、受け手の常識を想定し、その受け手が理解できるようにお願いするべきである
これは特段難しいことではなく立場が下の人間が、上の人間に行うときは多く常識として語られていることだ。
しかし、何故か上の人間はこの常識を紛失し、伝えるための努力を放棄し、理解できない下々のせいにしていくのである。
それは単純に上になればなるほど忙しくなるのと、権力勾配による忖度が期待できるからだ。
が、多様性を前提し背景が異なる人間が増えてくるとなると、そのドクトリンは機能不全になってきつつある。
実際それで成果があげられなくなった不満として、「無能」「アスペルガー」「常識を知らない」と愚痴って負の感情を発散してるのだろう
自らの指示を理解できない人間に、細かく指示するのはあなたの時間の無駄である。
常識を共有できる人間に取り替えてしまうのが早い。外注ガチャを引くとか、部下ガチャを引くのである。
お気持ち長文はダメ、かといって人の血が流れていない文章でも人は動かせない。経験則ですが
・何を訴えているのか、何でそれをしてほしいのか客観的な証拠を複数挙げ、外堀を埋める
・こう言う時に箇条書きは非常に使える
上記の点から〇〇と私は考えます、などと書くと読み手も一息つけることができるので親切です。
とはいえ人間最後は感情の生き物なのでここで一気に感情に訴えかけましょう。
世界情勢は日々変化しています、しかしながら今これを読んでいる貴方には決して揺るがない優しさと知性がある。だから今回、私は思い切ってこのメールを貴方に送りました。貴方にだけを信じて送りました。
序盤で淡々と述べた分、後半の情緒的な語りかけがめちゃくちゃ生きるのです、過度な自語りは禁物です、時語りは相手を立てるためのロイター板、踏切台です。
人は自分の名前を呼び、自分だけを信じ、自分に”頼る”(縋るではない)人間に何かしたいと思う生き物です。このライティングは論理思考な人に効くやり口です。感情強めの人にはもっとお気持ち強めの方が良いかと思います。
長々と大変申し訳ありません、しかしこれだけは貴方に伝えたいと思ったのです。貴方ならきっと理解してくれる、そう信じているからです。
大変お忙しいかと思いますが、何卒ご上記の件を検討頂けましたら幸いです。締めは丁寧に、どんな形式の文章でも読後感は文章全体の印象に影響します。
人は去り際に本性が現れます、最後まで気を抜いてはいけません。去り際は美しく、これは文章でも同じです。
それでは良いお返事をお待ちしております。
バカバカしい
でな
暫くの間は誰がどう頑張っても(たとえ原作者でも)
イタタタみたいなノリにならざるを得ないんだよ
そのため、キャラ設定もなにもかもが、一話読み切りのギャグにあわせて構築されてる
絵柄が変わってきてるとか、設定が追加されてるとかじゃなくて
キャラが「違う」
で、なんでか知らないが、アニメ化する時に
アホかと思うんだよね
で、段々とラブコメを中心に据えて、キャラを回していく描き方に変えていく
ご自身でも述べられていたはず
人気の根幹は中盤以降にある
多分ジャンプなら打ち切られてる
だけど、ほんとーになんでだか
アレじゃ中盤以降、言い訳効かないんだよ
それを、メガネを狂言回しにして無理やり引っ張ったのが、押井版なんだよ
終盤からバトンを押し付けられた監督は、徐々にファンが見たかった中盤以降の原作ノリを戻していく
劇場の完結編は原作に寄せ過ぎて、押井ファンから批判されたけども
OVAの「うる星やつら 夢の仕掛人 因幡くん登場! ラムの未来はどうなるっちゃ!?」とか、その流れを踏襲してる
中盤以降の、るーみっくワールドとしてのうる星やつらはアレらで、まるで別もんだよ
押井のやり方がよかったとは思わないけど、原作をそのままやるよりは見れた
あの時の裏話を知れば、立ち上げに関して、押井監督は「よくやった」と手放しで褒めていいとも思う
けど、「好きなこと出来る作品」として、他人のIPを食いつぶしたのも事実で
間違いなく「悪影響」もある
数年前に『白いメリーさん』を読んだ
枝葉切って、いらんところがないくらい都市伝説ホラーがぎゅうっと詰まっている短編だった
今年になってネットだったか雑誌だったか忘れたが同じく中島らも著の『ガダラの豚』の推薦文を読んだので、読んでみた
民俗学×アフリカ呪術×新興宗教×マジック×旅行記×バイオレンスアクションみたいな盛り込みすぎだろってくらいの娯楽小説だった
タイトルとちょっと重めのプロローグからして宗教テーマの重めのホラーかと思ったけど、雑学、おいろけ、ギャグ、戦闘、哲学的会話なんでもあれって感じで読み手をめっちゃ楽しませてくれる
なんかテンション的には手塚治虫の漫画みたいな真面目さとドタバタ感のバランスだった
巻末に40冊くらい参考図書が挙げられていて、アフリカ呪術とか密教系の本とかの中に『月刊少林寺拳法』が混ざっているのを見て、めっちゃ少林寺拳法してたもんなとニヤニヤしてしまった
あー、おもろかった
こういう気楽に読めて、アカデミックな会話で勉強になった気になるけど、最終的に血がドバドバ出てたなっていうB級ホラー映画みた後くらいの感想しか出てこない作品も夏の推薦図書にしてくれ、集英社
つい意識してしまう程度には悶々とした気持ちが大きくなってきたものの、特定の誰かに愚痴る事で生じる不和を避けたいので、ネットの片隅に吐き出しただけのぼやき
TRPGに対する熱量は高く、様々なシナリオを通過してはTRPGライフを謳歌している。
何より本人にもその自覚がある程涙脆く、それだけ自探索者や他探索者に感情移入ができるTRPG適正の高いプレイヤーである。
また、ロスト経験が一度もない。
昨今のTRPG界隈に於ける平均的なロスト率というものがわからないのだが、約2年ちょいのTRPG歴がありながら、巷で有名な某高ロスシナリオさえも生還して帰ってきている。
あらゆるシナリオを通る時も、大体通過前に全生還の意気込みツイートをしている程だ。
生還する意気込みが高い程セッションはハラハラできるし、それ自体に問題はないのだが。
今私が抱えている悩みの場合は、そんな友人Aの普段の言動が仇となってしまっている。
友人Aが私とのシナリオだけ、軽々とロスト願望を口にしているのだ。
時は遡り半年程前。友人Bから「KPやりたいから二人で探索者コンビ組んで!」という話が舞い込んでくる。
友人Aと私は喜んでその話に乗り、コンビの探索者を作った。
卓当日も特に問題は起きず、滞りなくセッションは進み、その場の全員が楽しい時間を過ごす事ができたのだった。
とても賑やかなセッションの余韻に暫く浸ったのち、友人Bが「またこの二人の掛け合いが見たい!」と継続の誘いをかけてきた。
私は勿論のこと、恐らく友人Aもその誘い自体には気後れする事なく乗った……のだが。
その後友人Aの口から飛び出た発言に、私は小さな違和感を覚えてしまったのだ。
「ロストした〜い」
「早く一緒にロストしようね」
まるで普段全生還の素振りを見せる友人Aはどこに行ったのだろう、と唖然としてしまうような発言である。
気の知れた友人間だからこそふざけているのではないか?とも考えたが、これまで自・他PLの探索者の事を、本当の命のように愛でて涙を流しては大事にしていた友人Aの様を思えば、この言葉はあまりにも普段の言動に乖離している。
そんな私の戸惑いをわかっているのかいないのか、友人Aは繰り返しずけずけと「ロストしたい」と口にしていた。
そこに、驚くほど探索者への執着や想いはなかったのではないか、と思ってしまう。嫌々ながらも。
普段から探索者に対してサバサバしているPLであれば気にする事もなかったが、友人Aの場合は話が違うのではないだろうか……そんなモヤモヤを抱えた私は痺れを切らしたあまり、「いつもあれだけロスト嫌がってるのに、なんでその探索者の時だけロストしたがるわけ?」と問い質してしまった。
言葉の端に疑心暗鬼が見え隠れしているような物言いになってしまったなと、先に立たなかった小さな後悔をする私に対し、友人Aは暫し逡巡した後「だってこの探索者が死にたがってるから…」とだけ答えた。
まあ実際、確かに私とコンビを組んでいる友人Aの探索者はメンヘラキャラで、事あるごとに私の探索者に死を迫ったり、希死念慮を募らせたりと情緒の忙しいキャラではあった。(私は完全にそれをロールのフレーバーとして受け入れて楽しんでいた)
でも普段の友人Aであれば、探索者の抱える孤独や苦悩に寄り添って、どうその先の人生を開拓していくのかを深く考えているはずではないのか?
その後盛り上がる友人Bと私のやり取りにも一切反応を見せず、どうも歯切れの悪かった友人の様子に、私の心は腑に落ちるどころか更に疑念が渦巻いていく。
最早TRPG領域外、私情や人間関係が絡むただの見苦しい話をしてしまえば、友人Aとはここ最近「無言の壁」を感じている。
明確な出来事があって拗れたわけじゃない。
それでも移り行く日々の中、急に話が弾まなくなったり、価値観の相違を感じたりして、きっとお互い悩んで、過剰に気にして、勝手に作ってしまった埋められない空白。
実際に会えば学生時代のように仲良く馬鹿騒ぎができるのに、昔であればお互い笑顔で詰められたはずの距離に遠慮してしまっている。
……などと明確な出来事を伴わず、雰囲気上で空中分解的に拗れたこの人間関係事情を書き示そうたって、私の表現力では二人の間に生まれた微妙な感情を読み手に想起させる事は難しい上、こんなものは例えるなら痴情の縺れ如き面倒くさい感情に過ぎないので。この話に関してはここで割愛する。
要するに私の頭に浮かんでいるのは、『友人Aは私とのセッションを渋り、「さっさとロストしてコンビ解消させたい」と考えているのではないか』という疑いだ。
どんな小さな場面にも心を震わせ涙し、キャラの気持ちに本気で入れ込み、あれだけTRPGを愛している友人Aだろうが、私情の前ではなあなあになってしまうのだろうか。
お互い言語化できないすれ違いがあろうとも、少なくとも私は友人Aとのセッションを本気で楽しんでいたし、今でも楽しかったと胸を張って言えるが、しかし友人Aにとっては違ったのかも知れない。
「友人Bのための接待TRPG」、そんなセッションだったのだろうか。
そう思うとスッと血の気が引くような想いになる。
また、「早くロストしたい」と気楽な口調で言った口で、他の卓の話をする時はしれっと「前生還!」なんてはしゃいでいる友人Aの姿を(TLで)見せられるものだから、次第に私の中では失望にも近い気持ちが生まれてしまった。
そうであれば、正直に言ってほしいとさえ願ってしまう。
私としては、こんな疑心暗鬼を抱えたまま次のセッションに挑むのは憂鬱他ならないし、「もうこれっきり」とキッパリ言ってくれた方がどれだけ心が軽くなる事かと思う。
それを言ってしまったら、お互い「触れぬが仏」でなんとか保ち続けてきたこの関係性が完全に崩れてしまうから、友人Aなりの配慮としてそれらしい「ロストの理由」を繕ってくれているだけなのかもしれないけれど。
優しい嘘に惑わされてジクジク胸を痛めるくらいなら思い切り裏切られた方がまだ清々しい、と言う私の気持ちは変なのだろうか。
正直、友人Aは何故まだ私と関係を持ってくれているのだろうと思う事が度々ある。
私のツイートの話題にノリノリで乗っかってくる事もあれば、他の友人と集まる際には定期的に輪に入れてくる。(二人だけで遊ぼうと誘ってくる事はなくなったが)
実際会えば楽しいし。腹の底から笑う瞬間が生まれる事実に嘘はないし。
きっとお互いに居心地の悪さを感じる反面、学生時代に戻ったかのようなその愉快な一瞬を、どうにも手放せないのかもしれない。
友人Bが用意してくれた、友人Aとの次のセッションがあと数日前まで迫っている。
相変わらず友人Aはロストしたがっているけれど。
私はロストしないよう、思い切り楽しもうと思う。
そしていつか私から、私と友人Aの不和に対する決着を持ちかけなければならないのかもしれない。
また昔のように気持ちのいい関係性に戻る事はできないかもしれないけれど、せめてこの縁が完膚なきまでに壊れないよう願うばかりだ。
なわけだ。そこで当然想像される理由は「圧力は炊飯の仕上がりに影響しない(他の要因の影響が大きい)」「圧力は炊飯の仕上がりに影響するがそのためには強い圧力が必要で炊飯器では不十分(ハードの性質の問題)」などになる。論理は最終的にその理由を示すように抽象レベルから具体レベルへ順番にたどっていかなければならない。
つまり
→「炊飯器が操作していると言ってる圧力はこういう理由でこのくらいの範囲でありそれは炊飯の仕上がりを左右するには小さい」
→「したがって"圧力は炊飯の仕上がりに影響するがそのためには強い圧力が必要で炊飯器では不十分"である」
というような流れだ。
それに対してお前が書いたのはいきなり
という話から始まっている。これは詳細レベルであって議論の後ろの方で書くべきことだ。
いきなり詳細の話をされても読んでる側はその詳細の話がなぜ必要なのか分からない。考えればわかるかもしれないが、考える必要があり無駄な思考リソースを消費することになる。
ぼっちざロックの一件、割と周りでも話題になったんで女性と男性どっちにも雑談ついでにヒアリングして分かったことがある。
男性、嫌いな物に対する耐性がめちゃくちゃ高い。
びっくりするぐらい高い。
割と腐とか夢とかこのへん関係なく女性ってとにかく自分の嫌いな表現(これは絵柄とかシチュ、○○との絡みとか多岐に渡る)を一瞬だって目に入れたくない!見たくもない!って人が割と多い。
私もまあ騒ぐほどじゃないけども一回見ちゃうと半日引きずってテンション下がるぐらいの地雷は多少ある。
でも男性ってこの人繊細だなあって女から見ても思う人でも「目に入る事」に関しては許容する空気がある。
嫌いだけど別に見たっていいじゃん、邪魔ならそいつを「見てから」ブロックかミュートすりゃいいって人しかいない。
なんていうか、「見たくない権利」というものはあくまでも見たくない人間がわざわざ個別にやる事であって見たいやつ見せたいやつの邪魔をするのは間違ってるってスタンスで世界ができてる。
女性の多くは私含めてそれができない、難しい。「見てしまうと」信じられないぐらいダメージが入る人が多い。
だから注意書きもある、リバの可否や同担拒否も宣言する、パスも掛ける、検索避けをする。
そりゃ検索避けなんて文化は男性向けじゃ流行らないよこれ、前提条件が違いすぎる。
自衛ってものに対する認識が女性の場合「殴られないように回避する」なんだけど男性向けだと「殴られてから対処する」なんだもん。
公式タグに乗っける理由もこれで分かった、見せたい人を静止、悪く言えば邪魔をする文化がないんだ。
全員強化系を極めたウヴォーギンって感じだ。
いろいろと話を聴く限り地雷に関しても踏みたくない、遭遇したくないとかみたいな考えがそもそもなくて、一回踏んで爆発しないか確かめる、みたいな感じだから
お互いに地雷を回避するために検索避けとか注意書きとかしましょみたいな女性向けの文脈が一切通用しないのも当然だ。
とりあえず視界に入る、という事を全住民が許容している以上は衝突も殆どないから注意書きなんて付ける意味ないし検索避けも探すのがめんどくさくなるだけ。
視界に入ってもいいのであればむしろ検索性が高いほうが地雷を弾くのにも探すのにも楽だから文句もでないわけだ。
雑に男女で括っちゃったけど概ね間違ってはないと思う、うん。
とはいえ本当にダメージ食らう人っているのよ、びっくりするかもしれないけど。
私もどっちかっていうとそっ閉じ派ではあるけど見ちゃったなーってその日1日寝る前憂鬱になるって感じ
男でもtwitterでVtuberとか検索避けしてるじゃんって言われるのは実際ごもっともなんだけど
その人のpixivとか見るとバリバリにタグ使って掲載してたりするからそういう意味で検索避けしてないんだなって思ったんよね
海賊版サイトでfakku等によって原本から翻訳されたものが幅を利かせせているので、本来なら原本を買えば済む話なのだが、とにかく日本人側は翻訳版の再翻訳をしなければならない歪んだ状況に立たされているという話になっていた。
そういう話の流れで出たのが双龍の漫画「こういうのがいい」ってどの言語でも訳せなそうだよねという話だった(あえて言い古された「ちんちん亭」には触れない)。
もちろんこれは「こういうのがいい」の翻訳版を謳うものが出た場合は既に元の台詞回しのニュアンスが壊れているはずなので、また原本の日本語自身が独特なので、元の台詞を復元することは困難であるという含みもある。
台詞回しの一例をあげてみよう。
女:ワキガチェックしてくれたまへ
男:剃り残しがございます
女:うむむ…永久脱毛の金を稼がねば…って違うぞ違うぞぉ?臭いはどうなんじゃ
男:…なんか甘いんだが
女:スイーツだと
文章の随所において終助詞など細かく拘られていて、独特のテンポが形成されている。
ただ何より注目すべきなのは、このピンクの美少女が「違うぞぉ?」とか「どうなんじゃ」とか中性的かあるいはどちらかといえば男性的な口調でものを言っていることだろう。
この言語的倒錯が生むチャーミングさといったら一体どう翻訳すれば保存できるのだろうか。
たとえば英語圏にも男性口調とか女性口調の区別は確かにあるのかもしれないが、ただ女性に男性口調に相当する言葉を言わせる「ずらし」でそれは再現可能なのか。
上記の男口調は、俺妹にも拙者が一人称の男言葉を使う女はいるが、あの口調ともまた、それが放たれたときに読み聞きした側が感じる空気感というか味わいといったものが異なると思う。
つまり同じ言語内における言語的倒錯についても、ずらし元とずらし先の違いによってそうしたニュアンスが異なってくるのに、その各ニュアンスを別言語において再現可能なのかということだ。なかなか難しいものがあると直感される。ちなみに現代の女性が「たまえ」というだけでも面白いがそれが「たまへ」と表記されたときの独特の滑稽味もまた再現し難いだろう。
もう一例あげておこう。場面は風呂場の脱衣所で男女が裸になっているという状況だ。
女:ふいータオル貸してー
男:いいよーっておいそれ昨日使ったやつだぞ洗ったのあるよ
女:いいよ別に乾いてるし
女:むっ雄の香り
男:えっ?酸っぱい?お酢?
女:ちゃうオスメスの雄w
やや育ちの悪そうな自然体の男女カップルの会話が自然に、あるいは少し技巧的過ぎるかもしれないが、素晴らしい具合に再現されている。ちなみにネカマするならこういう本からこそ口調を見習うべきだろうとも思う。
後半の雄とお酢の畳みかけは、男の受け答えが女の意図したいことに対してあながち間違っていない(絶対酸っぱい匂いがするという意図もあったはず)という点も含めて言葉遊びとして面白い。
しかしこうした言葉遊びの翻訳は後述するが映画翻訳業界では十八番のようなもので、比較的なんとかなる類のものかもしれない。
さらに続きを見てみよう。
女:乾かして―
男:なんで至れり尽くせり体制なん
女:頼むぅいいじゃんよぅ
男:だが断る
女:えぇなんでー面白いのになー
女:でも勃起サイズアップするらしい…ってあれあれ~?復活ですかー?
男:いや刺激与えたらそりゃな?
もはや語尾の小文字と長音符の使い分けなど、この作者の文体の妙を説明するうえでは些末な類だろう。
「至れり尽くせり体制」などの日本語母語話者が談話においてしがちな咄嗟な造語はどう訳せばそのニュアンスを海外の読み手にも届けられるのか。
伏字になってない伏字も面白味があるがこれは比較的なんとかなりそうだ(相変わらず女の使う「だぜ口調」が翻訳の難所になろうが)。
男がジョジョの言葉を使っていることも注目しておきたい。誤用であるかもしれないことは作者も承知している可能性があるのであえて触れないとして、こういったものはどう訳せばいいのか。
そもそもこういった台詞は元ネタを知っているかしないかで同じ日本人でも読んだときの感覚は異なっているだろう。
結局ジョジョが世界的に有名な作品なだけあって、その言語圏で出版されているジョジョの該当セリフをそのまま引用してあげれば割とスムーズに我々が感じているニュアンスを届けてあげられるのかもしれない。
・
ある言葉が翻訳可能かについては、そもそも出版や映画の世界の翻訳技術の長年の蓄積があるのだから、薄っぺらなのは承知でこれらにも触れておく。
先述したが言葉遊びの部分を別の言語に落とし込むことは映画翻訳が得意とするところである。
その言語の音韻体系でしか成立しないだろというものもうまく落とし込まれているものである。ぴんと来ないなら参考にtedの生音声と字幕を比較してみることをおすすめする。
「ぼくのワンダフルジャーニー」の原題は"the dog"である(the objectを「遊星からの物体X」と訳すのとは似て非なる事情だと思う)。
素人目にはどうしてこんなアクロバティックな翻訳な成立するのだろうと思わずにはいられない。
逆に向こうの人にとって"the dog"という訳はどういう印象を持っているのか?個人的にはお堅い文学的な味わいすらも感じられるが、それを母語とする人にはひらがなで「いぬ」と書いた程度のニュアンスまで幅広くカバーしているのかもしれない。
「いぬ」と「ぼくのワンダフルジャーニー」なら、まずまず対応していると言えなくもない…か?
あるいは端からニュアンスを丸ごと保存しようとは翻訳家も考えないものなのかもしれない。
その文章の文体やテンポが、鑑賞者にとってのニュアンスや味わいに対して重要な要素としてどれだけ影響を与えているか、支配しているかということは弁えているものなのかもしれない。
たとえば注意書きの文章をテクニカルライターとして翻訳するにあたって、日本語の注意書き、特に箇条書きが持つ淡泊さを独特のニュアンスとして捉えその存在性を肯定することはできるかもしれないが、日本人が注意書きを読むにあたってそのニュアンスを重要としていないのと同様、そのニュアンスが保存されているかどうかにまで気配りする必要はないだろう、という具合だ。
とっくの昔に源氏物語が様々な言語に翻訳されていることも押さえておくべき事実だろう。
これもまた古文が持つ独特の味わいをどう翻訳しているのか、あるいは翻訳を放棄しているのかという話になる。
日本人の心には中等高等教育を経て古文単語に対して、仰々しさをはじめとした独特の感性が培われている。
その感性を通してこそ「変態糞中納言」は独特のギャグとして成立するわけだ。
しかし源氏物語にはギャグの要素はあったとしても重要ではないだろうし、結局助動詞とか係り結びに使う助詞が持つあのニュアンスは全部放棄しているのだろうか。
アーサー王物語時代の古英語でも使えばあるいは教養ある英語話者に似た味わいを感じてもらえるかもしれないが、これは英語圏の人間に限られる手法となってしまう。汎用的な手法を見出せないものか。
ところで海外の人が日本のアニメを字幕付きで見るということが大いに行われている。
主観になるが吹き替え版は可愛くない。仮に可愛いのだとしても、少なくともそれは日本人声優の演技とは別質のものである気がする。そのあたりにもなにがしかのニュアンスが宿っているかもしれない。
そのニュアンスは非言語的な要素が持つものであって話がずれていると言われればそれまでだし、因果関係上は先に生の動画があってその日本語が分からないから字幕をつけているというものに過ぎないわけだが、とにかく日本人声優の演技というのも、字幕の持つニュアンスを補うための日本語の音声という側面があると私は解釈している。
私なりに長々語って来たわけだが、私の関心はあくまでこうした「多言語に訳せない言語」が日本以外に諸言語にあるか、それにはどういった事情があるかなどといったことであって、巷で言われるような「日本語は難しい」的な自言語を特別視する態度は持ち合わせていない。
むしろ浅学でわずかな日本語と英語の例で比較したり考察したりすることしかできないのが嘆かわしいぐらいである。
戸田奈津子や村上春樹や、最近だと東大に40言語話せるハイパーグロットがいるらしいが、彼らに自分が「訳せない言葉」と思うものを持ち込んで翻訳をお願いし、その翻訳作業をじっくり見学したいものである。知見も深まるというものだろう。
同人誌の値上げやめろネットでアップしろって怪文書毒マロが出回ってるけど、まあ言いたいことはわかるわ。
何より書き手も読み手も無料で出来るので二次創作同人の「版権で金儲けしない」って言う大義名分を失う可能性が低い。
紙同人誌のメリットって自分で思いつく限りでは「18禁本を売る時、対面で売るからちゃんと年齢確認が取れる」ってくらいしかなかったんだけど、子供に転売したバカが現れたせいでそのメリットすら消え失せた。
原価高騰がー赤字がーっ転売がーって言うなら無料で公開でいいじゃん。
やっぱりお前ら金儲けしたいんだろとは言わないけど、紙の本ばっかありがたがってる状況が気持ち悪すぎる。
登場人物の背景、感情、思考回路、その全てに読み手を引き摺り込んで、主人公と同じ気持ちを味合わせてやろうっていうのが目的だからだよ
敵キャラに悲しい過去が出てきたら急になんか可哀想なやつに見えてくる現象だよ
だから、
これだけこのキャラのこと説明されてるのに共感できないヤバいやつ=現実のもっと背景や感情が見えにくくて
感情移入しにくい他人には全く持って感情移入できないんだこの人…やべえ
になるわけ
https://anond.hatelabo.jp/20221205215401
これでディスられている自称音楽チャートアナライザー()を観測しているが、最近は結構方向性がおかしいことになっている。
・ベストアーティストでジャニーズの司会者が他の事務所のボーイズグループに話題を振るかどうかをチェックするのが歌番組で大事なんだ!
・Adoの映像のワイプにキンプリがずっと映っていることはAdoに対する侮辱だ!
・ボーイズグループがパフォーマンスしているときにジャニーズがワイプに出ない、忖度だ!
・CDの大量買いでランキング1位になるのは社会を反映していない!オリコンはクソ!ビルボードこそ全て!(要約)
・紅白のブッキング担当者と会話したい!なんなら自分がブッキングしたい!
(ちなみに紅白に関しては言及先の記事で上がっている人のほうがずっと追ってる分詳しいしフラット)
・ビルボードがサーバー落ちをしても予算の都合上サーバー増強しないのはおかしい、読み手に配慮しろ!
・ビルボードの発表(無料)が数分遅れたのに謝罪がないのはおかしい、読み手に配慮しろ!
・音楽サイトの記事のタイトルがおかしい、アクセス稼ぎのために派手なタイトルにするのはだめだ!
・藤井風の楽曲が人気あるのに触れないのはおかしい(「死ぬ」って言葉を使ってるからだと思うけど)、報道しろ!
・レコード大賞に安住さんをつかうのは局に忖度する可能性が出る、やめろ!
・イーロンマスク辞めろ!
・青森ではフジテレビが映らないからワールドカップが見れない!
ビルボードジャパンへの運営に対して苦情に近い指摘(更新時間ちょうどに更新しない、サーバーが落ちるなど)をするわりにビルボードチャートを崇拝している。
確かに「社会へのヒット」はオリコンより反映しているのだけれど、結局再生キャンペーンやファンの対策()でランキングが操作されるので、それは絶対ではないと思っている。
ビルボードを優先するかオリコンを優先するかなどは運営によって決めればいいと思うし、ビルボードを選ばなかったからといって責められるものではないと思う。
しかしこれらのチャートアナライザー()は目標にビルボードではなくオリコンを選んだ場合はここぞとばかりにそのアーティストを批判する。
めいちゃんという歌い手が再生キャンペーンを用いて再生回数を増やした時の目標がオリコンだった時は本当にひどかった。
また、今度はこんなことを言っている。
今回のチャートポリシー変更がデジタルの充実に向かわせるのではなく、コアファンも含めビルボードジャパンを意識しないようになるのではと邪推してしまう自分がいます。その危惧に現実味を帯びさせないよう、音楽チャートの認知拡大やエンタテインメント業界全体での環境改善、また音楽ファンが監視の目を持つことは急務と考えます。
この人が行っていることは監視でも提案でもない、「自分が思い通りになること」と「思い通りになったときの承認欲求」でしかない。
こんなことを願うのは好きではないが、いつかどこかの界隈が大きく燃やしてくれることを願っている。むしろ今まで炎上していないことのほうが不思議だ。
読み手の側に来るなって事ね