はてなキーワード: 不連続とは
少し図を改良しました。
これは気体の種類によらない単位モルあたりの定圧比熱、定積比熱について成り立つ。
よって図に即せば、Q1の熱量が加えられて状態AからBに変化する場合において
式iよりCv=Q1/ΔTという等号が成立するはずです。
同様にCp=Q2/ΔT
ここで定圧比熱などの場合は、圧力一定という条件から、PV平面上の経路が一つに定まるわけですが、モル比熱としての普遍気体定数は、少なくとも高校の教科書を見る限りでは、どのような圧力や体積の条件のもとでの温度変化における比熱なのか不明です。
よってPV平面上での経路が不明なわけですが、式iを満たすような熱量Q3を要する経路A→Dは存在するはずで、そのときR*=Q3/ΔTという等号が成立するはずです。
この等号が成り立つQ3をもたらす経路(T0からTへの状態変化時に満たすべき圧力や体積に関する条件)を具体的に教えてほしい、というのが問いです。
「らくらく突破気象予報士」という本には、kgあたりの比熱(つまり個々の気体別に異なる比熱)において
「これは乾燥空気1kgを1K上昇させるために、287Jの熱量が必要ということを表す」とあります。
「乾燥空気1kgを1K上昇させるために、1004Jの熱量が必要ということを表す」
「乾燥空気1kgを1K上昇させるために、717Jの熱量が必要ということを表す」
とあるのです。
ということは、少しでも温度変化において圧力や体積について一定じゃなかったら、不連続的に比熱が287Jから1004Jや717Jに変わるということなのでしょうか?
また、定積比熱よりも気体定数の方が小さいのも腑に落ちません。
定積比熱が既に「与えた熱量のすべてが空気の温度上昇に使われる」という比熱なのに、それよりも気体定数が小さいということは、気体定数に基づいて温度変化するというのは、もっと効率よく熱量が与えられている状況であることを意味することになると思います。
それはおかしくないでしょうか?
766ご冗談でしょう?名無しさん2023/02/19(日) 17:52:56.38ID:???
気体の状態方程式で考えても
たとえば1molの気体について温度100Kで体積1m^3、気体定数Rの気体の圧力P1は
P1=100R
P2=200R
しかし前者と後者は定積変化の関係として結び付けられますから、前者から後者への状態変化は定積比熱に従っていなければならないでしょう。
P1からP2に変化するのに使われた熱量は状態方程式上はP2-P1=100Rと考えざるを得ません。
この100Rと定積比熱から導出されるP1からP2への変化に必要な熱量RvΔT=100Rvは明らかに不一致です。
このあたりも疑問です。
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/sci/1615460147/764-767
下種の勘繰りが過ぎるわ。教科書を信頼してるからこそ、どう考えれば教科書の式と整合するのか訊いてるだけなのに。
そのためにも自分がしたレスに推論上の間違いが見受けられる場合は訂正してほしいって狙いで、自分の考えを積極的に書いたに過ぎないのに。
性根が曲がってやがる。
とある上場企業A。はっきり言って決算はボロボロ。上場企業Aは不採算部門をかけ合わせて作った会社で、ゾンビ企業として有名。
さらに別の会社Bから金を出してもらって生き延びてる。けども、別の会社Bは投資会社だけど、たぶん新規事業関係の投資は経験ないんじゃないかなとは思う。
会社Bが新規事業関係の投資の経験がない理由は絶望の谷に落ちるたびにやめて、他のテーマを探すのを繰り返してるから。上場企業Aは上場企業なので株式掲示板がある。株式掲示板を見てみたら、他にも中途半端でやめてるテーマ一杯あるのか…と絶句してる。
上場企業Aは夢みたいなことを言ってる。夢の一つはとある大学Cで僕たちが研究していたテーマDだ。ただし問題が解決できず僕は追い出されてる。
新しい技術をいろいろA社は言う。世界一だとか言う。だけど新しい技術なんで、ダニングクルーガー曲線みたいに少し進んだら絶望の谷に落ちる。それは当たり前だと思ってる。
そこで地道に歩めばいいんだけど、めちゃくちゃ短時間で結果出せなかったら終了だとかで実際辞めさせてる。僕なんかそれでやめさせられた。大方他の技術もそうだろう。
やめるに至る経緯も相当立腹しているし、僕は次の大学Eのめどがついたのでもう関係ないわとおもってる。
僕が辞めたのも、大学Cが僕がやってたテーマDで助成金が取れなくて、別のテーマFで助成金取れたからだからな。
一時期テーマDで頑張って結果出して企業Aの株価は倍ぐらいになった。僕もびっくりした。A社の株式掲示板は何事だ!?!?と色めいてた。
だけども、テーマDに問題があるのはわかってた。半年で解決せよという話だった。テーマDの問題は解決できなかった。企業Aの株価は半減している。僕は首になった。
問題点を踏まえて、僕はテーマDで次のアイデアを思いついてる。過去と不連続だから、過去の特許は関係ない。
なんかテーマDの特許について最近ちょくちょく連絡してきてうざい。だけども、この期に及んで特許についてまだ買いたたこうとするかという話。そのくせ僕の論文は放置。論文書く時もテーマDに触れるなとうるさく言ってたのもだいぶ腹が立ってる。
一方で、次の大学Eも分野が全く関係なしというわけではない。時間と金が確保できるなら可能性はあるけど、正直期待できないうえに、ほかの会社の方が可能性あるだろうと思っている。特に中国韓国の会社な。
僕はA社とか日本の将来とか関係なしに僕が財産築けるかどうかだけが関心ごとだ。僕もある程度は無理もするけど、無理をするから無理強い通じるわとしかA社が思ってるようにしか思えない。
先々組む可能性としては金と期間次第では否定していないけど、あまりA社とは組みたくない。
海外企業も少しだけかかわったことがあるんだけど、日本企業の弱い奴を買いたたこうメンタルに比べたら、海外で実際新しい事業を成功させた企業相手の方が時間と金と吟味の大切さがわかるんじゃないかとも思う。
A社も、他のテーマFでも助成金取れた3年間はきちんと最後までやり切れ!とだけが思う。テーマFでどうなろうとも3年間きっちり走り抜けるぐらい、A社と大学Cの元上司が根性入れ替えたら考えてもいいとは思う。
どうせ今の根性のままだったら、僕が戻ってもテーマDも引っ掻き回して待遇落としてまたやめるに決まってる。
上場企業Aは上場企業なので、株式掲示板もある。上場企業Aは完全にバカにされてる。全部ぶちまけてもう可能性が無いからつぶれるよと言ってやりたい気持ちもある。テーマDは僕がいないと絶対に進まないだろうし、テーマFも僕が勤務していた時にあまり展開を考えているようには見えなかった。
テーマFもテーマFで華々しいとは思う。だけど、僕がみるかぎり、どうアプローチするの?とはあまり考えているように見えてなかったし、大方作ってみて絶望の谷に落ちちゃったんだろう。だから僕に声をかけようってか。大学E決まったから、大学Eの任期が切れるまで戻る気はないよ。
いろいろ言いたいことは関係各所に言いたいし、大学Cの元上司にも怒りのメールは送ってる。けど、オーバーフロー気味だろうから元上司がやるべきこと一つだけにしてる。
最後までテーマFをやり切れ。新しいものはうまくいかなくて当然だ。助成金があるから3年テーマFはできるだろう。今の段階で僕に声かけても絶対戻らない。
いっぽうで、上場企業Aはもうだめ。テーマDは僕がいないからもう終わり。テーマFを最後までやりきることだけが可能性がある。他にも今あるテーマをきちんとやり切れば可能性がある。だけども、儲かるかどうかわからないのが新規事業だし、今までのふわふわした腰が据わっていない状態では確実にうまくいかない。
義理があるからテーマFを完遂せよとは願うけども、上場企業Aはさっさとつぶれてくれた方が、僕にまとわりついて引っ掻き回す懸念がなくてうれしいとも半分思う。
今、放送されているNHKの「みんなのうた」たまたま遭遇した放送の第一曲、「たのしいね」が流れたとき、衝撃がきた。ニュータイプ音が鳴ったといってもいい。
https://www.nhk.or.jp/minna/songs/MIN202212_03/
私は主にニコニコで隆盛した?「歌い手」というジャンルにまったく詳しくない。プロのカバー曲も好きではないのにいわんや素人をや。しかしゲーム実況は時々漁っているので、いわゆる歌い手のサブ活動のゲーム実況に出くわしてしまうことがある。まあすぐに切るのだが。
そういった中で私の中の、主に男性の歌い手イメージが出来上がってきた。音楽にも明るくないので上手く表現できないのだが…
作ったような高音(ミックスボイス?)
巻く?甘ったるい?母音を強調するような喋り方
無理やり出すような伸ばし声(ロングトーン?)
トーク主体のゲーム実況で感じたこのような特徴。誰々の特徴ではなくあるていど画一的な、量産型、よく出会う特徴。「たのしいね」は全てを兼ね備えていた。特に「あわせてみよ~~~う」の伸ばすところが何かタメがあるのか不連続的で切り取ったような既製品をお出しされているようで非常にムズムズする。「のびのびとした魅力的な発声を聞いて聞いて~~~」と言われているような恥ずかしさがある。(しかしこの部分を何度か聞いているとこの不自然さが頭に残りクセになってくるのだ)
私は念のため正否を確かめてみた。したらばしかり、「天月」という歌い手だった。
先のURLを見るに過去の曲のカバーであり、作曲や作詞は「歌い手」とは無関係だ。(編曲の人は別の歌い手らしい)
つまり、再度になるが私は曲や詞の傾向を無視して歌手の声の特徴や歌い方のみで「この曲は歌い手が歌っているものだ」と看破したのだ。天月氏の声を過去一度も聞いていなくても。だ。
音楽を積極的に聴かない私にとってこういった経験はマレだ。JPOPやV系?ロックやアイドルの曲を聴いても「ああ、あのジャンルの声だなあ」と思うことは少ない。多少わかりやすいのは声優のアニソン系だろうか。歌い手もサブカルチャー畑なのでもしかしたらそういう声優声に寄せているのかもしれない。しかし声優はキャラを演じながら歌うので特徴的になってもそこは意図的かと思う。
詳しい人に語らせればJPOPやロック、EDM~Future Bassなどの歌手の特徴を述べることは簡単なのだろう。だがそうではない私にも歌い手のほかにはっきりわかるジャンルがある。そう演歌だ。
演歌…演歌歌手…すごくわかりやすい…。ただのワイドショーで喋るだけでもその声の張り、コブシがひしひしと伝わってくる。
もうこんな例を出すとおっさんすぎるが、やはり「演歌じゃないけど演歌だ」と幼少ながら感じたのはポケモンだろう。
映画の風といっしょにも有名だしポケットにファンタジーも名曲だ。どちらもポケモンのための曲でありながらやはり小林幸子が歌うと小林幸子になり、それだけで演歌のエッセンスを感じられるのだ。
演歌歌手が演歌以外を歌っても演歌歌手だとわかる。「たのしいね」とちょうど同時期に「これ演歌歌手だ!」とわかる曲が流れていたのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=teiFPiZ74Sc
軍歌か行進曲のような曲でも歌い方がモロ演歌の非常にクセになる曲だ。つい口ずさむ。
演歌は私は好きではない。若い世代でも好きな人は比較的少ないだろう。ただ、恐らく若い人でも演歌は演歌として認識されていると思う。30~40代ぐらいの世代の曲はどうだろう。たぶん若い人にとっては知らない曲でまとめれれるかもしれない。ラルクや宇多田を挙げつつもJPOP全盛期とまとめられるだろうか。世代の中にいるせいか、そこに演歌や歌い手のような一大ジャンルの(歌い方の)まとまりを感じられない。
演歌を見るに、おそらく40年後ぐらいになるとおじいちゃんおばあちゃんが「歌い手」を聞いているのではないかと思うのだ。今の演歌の地位に歌い手というジャンルが収まる。
一点、「歌い手」という歌手が何十年もそのジャンルのまま歌い続けるのかと考えると声の特徴や(顔を出さない)アイドル的側面からイマイチしっくりこないものの、そこは氷川きよしやジェロのような若手がぽつぽつと参入して生き残るんじゃないのかなあと思う。
歌い手ジャンルが生き残る力が、(私自身は非常に嫌っているものの)その歌い方にあるのではないか。その先達として演歌があるのだから。
年末年始のテレビをみながら、そんなことをポツポツと考えていた。
そして私がおじいちゃんになったときに我が世代がどんな(古臭い)ジャンルを嗜好していると若者からみられるのか。そこは予想ができず、ある意味楽しみでもあるなと期待している。
そうそう、「たのしいね」は子供向けの曲としてとてもすばらしいものだと思っております。アニメーション含めいい曲ですのでぜひご視聴ください。
https://anond.hatelabo.jp/20220621150930 を書いていると好きなエロゲソングを沢山思い出した。数が多いので作編曲者ごとに分類する。
さすがに作編曲者までは記憶していないのでWebで調べながらまとめる。YouTubeに公式がアップロードした音源があればURLを書いておく。
書式は、
音楽のことを知らないので客観的には変なことを書くと思うが、わたしがこう思った、わたしがこう感じた、は事実なので気にせず書いておく。
その他の好きな曲は、[見上げてごらん、夜空の星を]Winter Diamond、[空と海が、ふれあう彼方]Step into the Ocean
その他の好きな曲は、[ウルトラ魔法少女まなな]Blue Planet、[空と海が、ふれあう彼方]Step into the Ocean、[初恋サクラメント]青空の約束
その他の好きな曲は特になし。
その他の好きな曲は、[失われた未来を求めて]Salut.soleil!
その他の好きな曲は、[WHITE ALBUM2]心はいつもあなたのそばに
その他の好きな曲は特になし。
その他の好きな曲は特になし。
その他の好きな曲は、[夜が来る!]A night comes!、[大番長]Dash! To Truth、[大帝国]The Day Takeoff
その他の好きな曲は特になし。
その他の好きな曲は、[銀色、遥か]夢の季節へ、[銀色、遥か]銀色、遥か
その他の好きな曲は、[素晴らしき日々 ~不連続存在~]ナグルファルの船上にて。
その他の好きな曲は、[彼女のセイイキ]冬に咲く華、[ちいさな彼女の小夜曲]マリンブルーに沿って、[ちいさな彼女の小夜曲]キスのひとつで
15歳ーserial experiments lain イキリキモヲタになった
20歳ー素晴らしき日々 〜不連続存在〜 メンヘラ気取りイキリキモヲタになった
創作物によって人生観を構築することの限界が来たのかもしれない。
アイカツシリーズを通じて働くことに意味を見出そうともがきはしたが、俺は彼女たちのようには輝けないと心が折れるだけに終わった。
俺にはもう何もない。
他の人間はラブライブやアイマスの中に人生の光を見出して必死に命の火を燃やし続けている。
俺の心は冷え切りすぎてもうすぐ火が消えそうだ。
何かを見つけなくては。
新しい何かを、人生の指針を見つけなくてはならない。
カルトではなく、イキリではなく、まっとうな指針を人生に持たなければいけない。
見つからない。
もうだめなのかもしれない
貨幣の前身は、言語とともに、初期の現代人が他の動物が解決できない協力の問題を解決することを可能にした。これらの原型は、非フィアット通貨と非常に特殊な特徴を共有しており、単なる象徴や装飾品ではなかった。
17世紀のイギリスのアメリカ植民地では、当初から硬貨の不足という問題があった。イギリスの考えは、大量のタバコを栽培し、世界的な海軍や商船の船のために木材を切り出し、その見返りとしてアメリカ人の労働力として必要な物資を送るというものであった。つまり、初期の入植者は、会社のために働き、会社の店で買い物をすることになっていたのである。投資家と王室は、農民の要求に応じてコインで支払い、農民自身に物資を買わせ、さらに天罰として利益の一部を確保するよりも、この方法を好んだ。
植民地の人々の解決策は目の前にあったが、彼らがそれを認識するまでには数年を要した。原住民はお金を持っていたが、それはヨーロッパ人が慣れ親しんできたお金とは全く違っていた。アメリカン・インディアンは何千年も前からお金を使っていたし、新しくやってきたヨーロッパ人にとっても便利なお金であった。しかし、ニューイングランドの人々は、銀も金も使わず、自分たちの生活に最も適したお金を使っていた。その代わりに、彼らは獲物の耐久性のある骨組みという、その環境に最も適した貨幣を使っていた。具体的には、ワンパムと呼ばれる貝(ホンビノスガイ)とその近縁種の貝殻をペンダントにしていた。
貝は海でしか採れないが、ワンパムは内陸部でも取引されていた。アメリカ大陸の各部族には、さまざまな種類の貝殻貨幣が存在していた。イリコイ族は、貝の生息地に近づかずに、最も大きなワンパムの財宝を集めることができた。ワンパムを専門に製造していたのは、ナラガンセッツ族などほんの一握りの部族で、他の何百もの部族(その多くは狩猟採集民)がワンパムを使用していた。ワンパムのペンダントは、長さとビーズの数が比例しており、様々な長さのものがあった。ワンパムペンダントの長さは様々で、ビーズの数は長さに比例しており、ペンダントを切ったり繋げたりして、支払った金額と同じ長さのペンダントを作ることができた。
入植者たちは、本当のお金とは何かという問題を克服すると、ワンパムの取引に熱中した。貝(clam)は、アメリカでは「お金」の別名として使われている。ニューアムステルダム(現在のニューヨーク)のオランダ人知事は、イギリス系アメリカ人の銀行からワンパムで多額の融資を受けた。しばらくすると、イギリス当局もこれに同調せざるを得なくなった。1637年から1661年にかけて、ニューイングランドではワンパムが法定通貨となった。植民地の人々は流動的な交換手段を手に入れ、植民地の貿易は盛んになった。
ワンパムの終わりの始まりは、イギリスがアメリカ大陸に多くのコインを出荷するようになり、ヨーロッパ人が大量生産の技術を応用するようになってからである。1661年になると、イギリス政府はワンパムの製造を中止し、本物の金や銀、そして王室の監査を受けてブランド化されたコインで支払うことにした。この年、ニューイングランドではワンパムは法定通貨ではなくなった。1710年にはノースカロライナ州で一時的に法定通貨となった。ワンパムは、20世紀に入っても交換手段として使われ続けていたが、その価値は西洋の収穫・製造技術によって100倍にも膨れ上がり、貨幣が発明された後に西洋で金や銀の宝飾品が行き渡ったように、よくできたお金から装飾品へと徐々に変化していった。アメリカの貝貨の言葉は古風な遺物となった。百貝は百ドルになった。「Shelling out」とは、コインや紙幣で支払うことを意味し、やがて小切手やクレジットで支払うようになった。我々は、自分たちの種の起源に触れてしまったことを知らなかった。
ネイティブ・アメリカンのお金は、貝殻以外にも様々な形があった。毛皮、歯、そして後述する特性を持つ他の様々な物体も、交換手段としてよく使われた。12,000年前、現在のワシントン州で、クロービス族は、驚くほど長い角岩の刃を開発した。しかし、すぐに折れてしまう。これでは切ることもできない。火打ち石は「楽しむため」に作られていたのか、それとも切ることとは関係のない別の目的のために作られていたのか。後述するように、この一見軽薄に見えることが、実は彼らの生存にとって非常に重要であった可能性が高い。
しかし、ネイティブ・アメリカンは、芸術的ではあるが役に立たない刃物を最初に作ったわけではないし、シェル・マネーを発明したわけでもない。ヨーロッパ人も、昔は貝や歯をお金にしていたし、牛や金、銀、武器なども使っていた。アジア人は、それらすべてを使い、政府が発行した偽物の斧も使っていたが、この制度も輸入していた。考古学者が旧石器時代初期の貝のペンダントを発見しており、それがネイティブ・アメリカンのお金の代わりになっていた可能性があるからだ。
1990年代後半、考古学者のスタンリー・アンブローズは、ケニアのリフトバレーにあるロックシェルターで、ダチョウの卵の殻やブランク、貝殻の破片でできたビーズのキャッシュを発見した。これらのビーズは、アルゴン-アルゴン(40Ar/39Ar)比を用いて、少なくとも4万年前のものとされている。スペインでは、この時期に穴の開いた動物の歯が発見されている。また、レバノンの旧石器時代初期の遺跡からは、穴の開いた貝殻が出土している。最近では、南アフリカのブロンボス洞窟で、さらにさかのぼって7万5千年前に作られたビーズ状の貝殻が発見されている。
現代の亜種はヨーロッパに移住しており、紀元前4万年頃から貝殻と歯のネックレスが登場している。また、オーストラリアでは紀元前3万年頃から貝と歯のペンダントが出土している。いずれも高度な技術を要するものであり、もっと昔から行われていたと思われる。採集や装飾の起源は、解剖学的に現存する亜種の原産地であるアフリカである可能性が高い。人類が常に飢餓と隣り合わせの生活をしていた時代に、貝殻の製造には膨大な技術と時間が必要だったのであるから、収集してネックレスを作ることには重要な選択的利益があったはずである。
実質的な貿易を行っていない文化や、現代的な貨幣を使用している文化であっても、事実上すべての人類の文化は、ジュエリーを作り、楽しみ、実用性よりも芸術性や家宝としての価値を重視している。我々人間は、貝殻のネックレスやその他の種類のジュエリーを、純粋に楽しむために集めている。進化心理学者にとって、人間が「純粋に楽しむため」に何かをするという説明は、説明ではなく、問題提起なのである。なぜ多くの人が宝石を集めたり身につけたりすることを楽しんでいるのか?進化心理学者にとってこの問題は「何がこの楽しみを進化させたのか?」ということである。
進化心理学は、ジョン・メイナード・スミスの重要な数学的発見から始まる。スミスは、発達した集団遺伝学の分野から、共進化する遺伝子の集団のモデルを用いて、単純な戦略的問題(ゲーム理論の「ゲーム」)で使用される善悪の戦略をコード化できる遺伝子を提唱した。スミスは、これらの遺伝子が次世代への伝播を競っている場合、競争相手が提示する戦略問題に対してナッシュ均衡となる戦略を進化させることを証明した。このゲームには、協力の典型的な問題である「囚人のジレンマ」や、攻撃とその緩和の典型的な問題である「鷹と鳩」などがある。
スミスの理論で重要なのは、これらの戦略的ゲームは、近距離の表現型間で行われているが、実際には、究極のレベルである遺伝子間のゲーム、つまり伝播されるべき競争のレベルで行われているということである。遺伝子(必ずしも個体ではない)は、あたかも拘束された合理性(生物学的原材料と過去の進化の歴史を考慮して、表現型が表現できる範囲内で、可能な限り最適な戦略をコード化する)と「利己的」(リチャード・ドーキンスの比喩を使用)であるかのように行動に影響を与える。遺伝子が行動に与える影響は、遺伝子が表現型を通じて競合することで生じる社会的問題への適応である。スミスはこれらの進化したナッシュ均衡を進化的安定戦略と呼んだ。
性淘汰や血縁淘汰など、それまでの個人淘汰説の上に構築されていた「エピサークル」は、このより一般的なモデルの中に消え去り、コペルニクス的な方法で、個人ではなく遺伝子を理論の中心に据えることになる。このようにドーキンスは、スミスの理論を説明するために、「利己的な遺伝子」という比喩的でよく誤解される言葉を使っている。
旧石器時代の人間のように協力し合う種は他にほとんどない。雛の世話、アリ、シロアリ、ハチのコロニーなど、動物が協力するのは親族だからであり、親族にある自分の「利己的遺伝子」のコピーを助けることができるからである。非常に制約の多いケースでは、進化心理学者が「相互利他主義」と呼ぶ、親族以外の者同士の継続的な協力関係も存在する。ドーキンスの説明によると、好意の交換が同時に行われない限り(場合によってはその場合でも)、どちらかが不正を行うことができる。そして、普通はそうする。これは理論家が「囚人のジレンマ」と呼んでいるゲームの典型的な結果である。詐欺師と吸血者の集団では、常に詐欺師が勝つ。しかし、「Tit-for-Tat」と呼ばれる戦略を用いて、相互作用を繰り返すことで協力するようになる動物もいる。この報復の脅威が継続的な協力の動機となる。
しかし、動物の世界で実際にそのような協力が行われる状況は、非常に制約が多い。主な制約は、少なくとも一方の参加者が多かれ少なかれ相手の近くにいなければならない関係に限定されていることである。最も一般的なケースは、寄生虫とその体を共有する宿主が共生体に進化した場合である。寄生虫と宿主の利害が一致し、どちらか一方が単独で活動するよりも、両者が一緒に活動する方が適している場合(つまり、寄生虫が宿主にも何らかの利益をもたらしている場合)、Tit-for-Tatゲームを成功させることができれば、両者の利害、特に世代間の遺伝子の出口メカニズムが一致した状態である共生体に進化する。そして、1つの生物となるのである。しかし、ここでは協力だけではなく、搾取も行われている。それらは同時に起こる。この状況は、以下で分析する人間が開発する制度、つまり貢ぎ物に類似している。
寄生虫と宿主が同じ体を共有して共生体に進化するのではない、非常に特殊な例がある。寄生虫と宿主が同じ体を共有し、共生生物に進化するのではなく、同族ではない動物と高度に制限された縄張りを持つ、非常に特殊な例がある。ドーキンスは、クリーナーフィッシュを例に挙げている。この魚は、宿主の口の中を泳いで出入りし、そこにいるバクテリアを食べて宿主の魚に利益をもたらす。宿主である魚は、クリーナーが仕事を終えるのを待ってから食べるというズルをすることもできる。しかし、そうはしない。両者とも移動可能なので、潜在的には自由に関係を断つことができる。しかし、クリーナーフィッシュは個々の縄張り意識を非常に強く進化させており、偽造しにくいブランドロゴのように、偽造しにくい縞模様や踊りを持っている。宿主魚はどこに行けば掃除してもらえるかを知っているし、もし不正をしたら、新しい不信感を持った掃除魚ともう一度やり直さなければならないことも知っているのだ。この関係の入口コスト、つまり出口コストが高いので、不正をしなくてもうまくいくのである。それに、クリーナーフィッシュは小さいので、それを食べることで得られる利益は、少数の、あるいは1匹のクリーニングで得られる利益に比べて大きくはない。
最も適切な例として、吸血コウモリがある。その名の通り、獲物である哺乳類の血を吸う。面白いのは、良い夜には余剰分を持ち帰るが、悪い夜には何も持ち帰らないことだ。彼らの暗躍は非常に予測不可能である。その結果、幸運な(あるいは熟練した)コウモリは、洞穴の中で幸運でない(あるいは熟練していない)コウモリと血を分かち合うことが多い。彼らは血を吐き出し、感謝している受取人がそれを食べる。
このようなレシピエントの大部分は親族である。屈強な生物学者G.S.ウィルキンソンが目撃した110件の血反吐のうち、77件は母親が子供に食べさせるケースであり、その他のケースもほとんどが遺伝的な親族である。しかし、親族間の利他主義では説明できないケースも少なからずあった。これらが相互利他主義のケースであることを示すために、ウィルキンソンは2つの異なるグループのコウモリの個体群を組み合わせた。コウモリはごく稀な例外を除いて、元のグループの旧友にしか餌を与えなかった。このような協力関係を築くには、パートナー同士が頻繁に交流し、お互いを認識し、お互いの行動を把握するような長期的な関係を築く必要がある。コウモリ穴は、そのような絆を形成できる長期的な関係にコウモリを拘束するのに役立つ。
人間の中にも、非常にリスクの高い不連続な獲物を選び、その結果得られた余剰分を親族以外と共有していた者がいたことがわかるだろう。実際、人間は吸血コウモリよりもはるかに大きな範囲でこれを達成している。その方法が本論の主題である。ドーキンスは、「お金は、遅延した相互利他主義の正式なトークンである」と示唆しているが、この魅力的なアイデアをそれ以上追求することはない。我々はそうする。
人間の小集団の中では、世間の評判が一人の個人による報復よりも勝って、遅延型互恵主義の協力を動機付けることができる。しかし、評判を信じることには2つの大きな誤りがある。どの人が何をしたかについての誤りと、その行為によって生じた価値や損害を評価する際の誤りである。
顔や好意を記憶する必要があるというのは、認知上の大きなハードルであるが、ほとんどの人間は比較的容易に克服できると考えている。顔を認識するのは簡単であるが、好意を受けたことを思い出すのは難しい。また、好意を受けた人にとって、その好意がどのような価値を持つものであったかを思い出すことは、さらに困難である。紛争や誤解を避けることは、不可能なほど、あるいは法外に難しいことである。
パート2: https://anond.hatelabo.jp/20210906120933
パート3: https://anond.hatelabo.jp/20210906125926
パート4: https://anond.hatelabo.jp/20210906130017
これは本当はどこかに公開するような話題ではないし、「匿名性を保ちながら人目に触れる場所に置き捨てたい」と思うこと自体が甘えであるとは自覚している。
それでも自分以外誰の目にも触れないハードディスクに封印して、後でパソコンごと破壊するよりも、インターネットの海に流しておきたいと思った。共感もコメントも望んではいないが、それでもどこかに言葉を残したかった。まあすぐ消えるかもしれないけれど。
匿名ダイアリーを選んだのは偶々知っていた媒体の中でちょうど良かったからです。見逃してください。
これまで築き上げてきた信用や成果や立場を、ものすごい勢いで壊してゆく。ここまで登ってきた道を、平気で転がり落ちていく。まだ間に合うから、立ち上がって、もう一回元来た道を登って、落としたものを拾い集めて、と自分に言い聞かせるけれど、ちっとも言うことを聞いてくれない。
「落とした信用も、まだ努力すれば回収できる範囲だから」と言い聞かせて、自分を落ち着けようとするけれど、無駄。努力をしたくない。もう十分努力した。その結果がこれだ。これ以上、一切合切の努力を私はしたくない。
私は焦っているのだろうか。落とした信用や遅れた仕事を取り戻せないと焦っていて、投げやりになっているのだろうか。
でもそもそも、取り戻したいのだろうか?
私は捨てたいのではないだろうか。手元にあったものを次々捨てていく不安や焦りと同じくらい、この手にあるものを憎らしく思っているのではないだろうか。
「こんなものいらない」と、ずっと思ってきた。
私が欲しいものは他に確かにあって、でもどれだけ努力しても私の手には入らなかったから、自分のスペックでも手に入るものに無理やり価値を見出し、「自分にふさわしい範囲で」生き方を決めようとしてきた。しかしこれは自己欺瞞だった。私は手に入るものに無理やり価値を見出そうとしてきたが、私が価値を感じるものは最初から他にあった。そしてそれは手が届かなかった。だから、自己欺瞞でしょうもない自分のプライドを守るように、手が届く方向に向かった。しかしそれも中途半端だ。
自己欺瞞でも間違った道でも、いっそのこと極められれば良かったのかもしれない。だが残念ながら、私にそこまでの能力はない。適正も熱量もないものに、一定以上の成果を出し続けられるほどの高いスペックは持ち合わせていない。「欲しいもの」には最初から手が届かず、「手が届きそうなもの」も完璧には極められない。私はつくづく中途半端だ。
歳をとってしまった。
今さら、無責任に希望を持てない。現在から不連続の未来を妄想できない。
この先、1年後、5年後、10年後、「現在」から連続した延長線上の未来しか想像できない。
まだ若かった頃、当時の「現在」がどれほどみっともなくとも惨めでも不幸でも、数年先の将来に何か突発的な事件が起きて、その先の「未来」は不連続な何かになるかもしれない、なんて思えた。逆説的に幸せだった、不幸で愚かで惨めな若かった私。
今の年老いた私には、そんな無責任な幸せは残っていない。現実的に、今現在の自分から想定しうる、「最良の未来」と「最悪の未来」が見えている。おそらく、このまま生き続ければ、現実はその間のどこかに落ち着くんだろう。そして非常に残念なことに、現実的に想定しうる「最良の未来」さえも私にはちっとも良いものには思えない。
これまでずっと夢を見ていたようだ。現実に引き戻されてしまった。目覚めたくなかったけれど、一度目覚めてしまえば、同じ夢には戻れない。
だから、私のこれはきっと ではない。私には が来たんだ。ひとより早く。
私はこの先の「未来」を生きるビジョンを持ち合わせていない。ビジョンもないまま生きられるほど世の中は私に甘くはないし、茫然自失でも歩き続けられるほど私はハイスペックでもない。だから、詰みなんだ。遂に時間が来てしまった。随分前から、時限爆弾は仕掛けられていたのは分かっていた。それを解くことが出来ないまま、見て見ぬ振りをし続けていたせいで、遂に動き出したんだ。
潜入先の一味に(特にヒロインに)情がうつり、最後は潜入捜査官であることを捨てる。
前半では潜入捜査官であることにそれなりにやりがいを感じているっぽいんだよね。成果が上げられなくてパワハラを受けている程度で。
ルーク・スカイウォーカーみたいに、最初から「あーこのくだらない田舎の生活から抜け出したい」みたいにクサクサしてないし「この捜査を成功させてまわりのやつらを見返してやるぜ」みたいな野心もない。
前半の命がけでドミニク(ヴィン・ディーゼル)を助けるところはヒーロームーブで、事実ドミニクの信頼を勝ち取る役に立ってるんだけど、その後実は潜入捜査官だったというサプライズが挟まれるので成功させるための功利的行動だったのか、と観客は思っちゃう。
ファミリー(妹、近所の幼馴染の悪ガキ、ADHD?のメカの天才等)を大切にする凄腕の走り屋。ゼロヨンレースの約10秒間だけが、井之頭五郎が一人飯を食べる時ぐらい心静かで、豊かで・・・とポエム述べるタイプ。
走り屋になった理由がレーサーだった父親の影響。生前の父が仕立てた残したモンスターマシンに乗るのが(目の前で事故死してるので)怖い、というのがクライマックスに解決されるトラウマなんだけど、それ以外のときのキャラクターと不連続で、唐突感がある。
実は夜な夜なトラックを〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇団のリーダー。
この正体の方は比較的後半まで伏せられているので、FBIの捜査官にむかってブライアンが「あいつを◎◎だと決めつけるなんておかしい」という抗議に肩入れしていた観客は虚しくなっちゃう。
最後、ブライアンは、ドムのファミリーを助けるため、警官としての職務やFBIの下働きであることを優先するのをやめる。
(1)ヒロインに嫌われてもいいからメンバーの命を救うために警官であるという正体を明かす という犠牲 (2)警官としての職務を放棄してドムの逃亡を幇助する という犠牲の2段なのももやっとする一因かな。
ドムが最後のピンチから抜け出す手段が「100%自分の力で勝ち取った」と言えず、ブライアンに恵んでもらった、ように見えるのも、もやっとする一因。
あんまり完璧にピタッとスカっとしない方が作品としての寿命が延びる(ex.TV版エヴァンゲリオン、富野キャラクター)ので、結果的にはよかったんだろう。
選択的夫婦別姓論はどこまでいっても感情論でしかない。選択的夫婦別姓賛成派(以下、別姓派とする)、反対派(以下、同姓派とする)双方の主張はそれぞれ価値観の違いでしかないため、議論の土台が無い。議論の土台がないため、議論が進まず感情の殴り合いでしかなくなっている。見苦しい。そこで本増田では折衷案として強制的夫婦新姓を提案する。強制的夫婦新姓により同姓派の考える家族の絆や伝統的家族観は守られ、さらに別姓派が指摘する様々な問題を解決するための議論のきっかけが生まれる。
現状、同姓派と別姓派の争点は主に以下のものとなっている。
特に最初の2つに関しては完全にただの価値観の違いであり、まともな議論をすることは非常に難しい。後半2つに関しても同姓派からの妥協案や指摘に対し別姓派は主たる主張を持っていない。
日本の結婚・戸籍システムは家父長制の流れを受け継いでおり、そこから男女差別的な部分を切り捨てていって今の形となっている。結婚をすると、夫婦は双方自分がもともと所属していた戸籍から抜けて新たな戸籍を一緒に作る。つまり戸籍=家族ともいえる。この際にこの戸籍=家族の記号として姓を決める。本来この姓というのは家族の記号であって個人の記号ではない。一つの姓のもとに家族が集まるというのが現在の日本の家族の考え方である。つまり改姓によりアイデンティティが喪失するというのは日本の家族観からしてそもそも間違いなのだ。別姓派はこれは120年しか続いていないので伝統ではないという主張をするが、120年も続いていたことを伝統でないと主張するのは少し無理がある。
これを踏まえた上で家族の絆と姓に関して議論をすることは無意味であることが分かる。家族の絆が無くなるか無くならないかという議論はどちらかが勝つことは不可能であるから議論する意味がないのだ。同姓派が家族の絆という時、先述した伝統的家族観―同じ姓のもとに集まる者たちが(核)家族―のことを意味しているのであろう。
この家族観を維持したまま夫婦の片方だけに負担を強いない方法がある。それは強制的に新姓とすることだ。新たな戸籍=家族を作る際に全く新しい姓の生成を義務付けるといったものである。こうすれば夫婦どちらも改姓をせざるを得なくなり、名義変更のコスト撤廃へと話が進んでいくことであろう。
そもそも名義変更に手間がかかるのは旧時代の遺物でしかない。なぜ自分の姓をキープすることで社会に合わせようとするのか。社会の方を新しくするべきではないのか。同姓派の主張するように通称利用可能な法整備を進めれば最初はそれで十分ではないのか。結婚した人が全員改姓する社会になると名義変更コスト撤廃への動きはより活発になるだろう。選択的夫婦別姓が実現したところで同姓にしたい人にはそのコストは残ったままなので幸せになる人は少ない。しかし強制的夫婦同姓であれば皆が幸せになれる。どうだ。
すべてを実行する必要はないが、費用対効果が高いものをリストアップしていく。
娯楽が多いという魅力のほかに、明らかに就職活動での面倒さが異なるので大学は東京一択。理系は文系より忙しいのがネックだが、現代は明らかに理系出身のほうがチャンスが広い。
四則演算ができないなどの学習障害がなければ、多少数学や理科が苦手でも理系を選んだ方がいい。大学入ってしまえば、微積の計算がクリティカルになることなんてないのだし。
就活を見据えると、どういうわけかインターン経験は強い。プログラミングでもデザインでもなんでもよいから、「業績は伸びているが人が足りていない」ところに潜り込んでおく。Twitterとかでインターン探してます!とか言えばどうにかなる(食い物にしてくる人もいるから、そこだけは気をつけよう!)。一度インターンで働いたことがあるというのは、バイトやサークル活動とは比べものにはならないほどバリューがある。
有名企業のインターンは高学歴とかで埋まっていることが多いが、自分の実力で無理そうなら有名企業にこだわる必要はない。猫の手も借りたいようなベンチャーも存在する。大事なのは、とにかく次の項目で述べる大企業に入るための面接での材料にすることだ。
就職活動時にはとにかく大企業に行くことを考えよう。人によっては新卒カードを使えるこの時期だけが有名企業に入れるチャンスだったりする。
大企業に確実に採用をもらえる方法はないが、確実に不採用になるタブーを踏まなければいつかなんとかなるのだから、とにかく心を折ることなく数を打つ。
有名企業に新卒で入ったことは後々の人生でプラスに働く。あなたがいかに不甲斐なくても、「大企業出身」のブランドを永続的に手に入れるチャンスだ。
大企業であれベンチャーであれ、新卒社員には給与テーブルが存在する。つまり、入社からの年数で年収がほとんど決まってしまう。
ごくまれに仕事で成果を出しまくって抜擢されるような場合もあるが、このページを読んでいる自堕落なあなたは想定される給与レンジを上回ることはないだろう。このように新卒のラベルが付いているうちは、給与テーブルを逸脱することができない。そのため、転職によって不連続的に年収を高める。
転職をする方法はいくらでもあるので割愛する。大事なのは、「多少高くてもいいから人が欲しい」業界や企業をリサーチしておくことと、いくら年収が上がるオファーなら引き受けるかを決めておくことだ。
社会人になって自由に使えるお金があると使ってしまうので、すぐに使わないお金は運用に回しておく。必要になったら現金に戻せばいいだけなので、実際には自由に使えるお金が減るわけではない。
確実に上がる株を見つけられるわけがないので、全額SP500で良い。減ることもあるが、とにかく気にしない。生活は定収入により賄い、投資は長期的(必要になって現金に戻すまでに)に勝てばよい。
人間は賢くないので、孤独のままでいると偏った思考に陥ったり愚かな選択をしてしまったりする。ここまでの経験してきた学生・インターン・同僚のうち、信頼出来るヤツや、コイツになら信頼されたいと思えるヤツを大事にしておく。これは仲間でも恋人でも同様だ。
各種のステージでの選択を行う際に、それが実現可能かをジャッジしてもらうとよい。
2 戦闘!!/イーラ ゼノブレイド2 NS 42 5.881
3 名を冠する者たち ゼノブレイド Wii 31 7.452
4 雲雀東風 ソフィーのアトリエ ~不思議な本の錬金術士~ PS4,PS3,PSV 29 6.931
5 Counterattack ゼノブレイド2 NS 28 5.036
6 OVERDOSE BLUE REFLECTION 幻に舞う少女の剣 PS4,PSV 28 7
7 ピュアヒューリーズ ~ 心の在処 東方紺珠伝 ~ Legacy of Lunatic Kingdom. PC 27 5.778
8 The world of spirit ダライアスバースト PSP 24 7.708
9 Majin-Boss ランス10 -決戦- PC 23 4.87
10 Rebirth the edge 戦国ランス PC 23 6.609
11 けっせん!ディアルガ! ポケモン不思議のダンジョン 時の探検隊・闇の探検隊・空の探検隊 NDS 23 8.304
12 血の記憶 ランス10 -決戦- PC 21 3.571
13 紫電清霜 新・ロロナのアトリエ はじまりの物語 ~アーランドの錬金術士~ PS3,PSV 21 6.048
14 ボスバトル2 オクトパストラベラー NS 21 6.333
17 Hopes and Dreams Undertale PC 20 7.65
18 新世界秩序 グランブルーファンタジー PC 19 4
19 Day After Day アーマード・コア ヴァーディクトデイ PS3,360 18 5.778
素面の時に料理を注文して、飲酒による判断力の喪失した状態の時に 店が支払いを無理やり迫るのは不正ではなかろうか
あるいは
飲酒によって判断力が低下するのが予期できるんだからが飲酒運転禁止が酒類の提供者へ課される理路なら。飲酒によって判断力の喪失して代金の支払いが正常に行われなくなることが予期できるんだからアルコールを提供する全ての飲食店では十分なお金を前払いするシステムにする必要があるべきだ
もしくは
飲酒によって判断力の喪失した状態で結ばれた契約は無効なら、ガチャ回すときに監視カメラや(タクシーの運転手など)第三者によって泥酔していると証明されたら、爆死したカード代は返還されるべきだ
能力は2つあって、一つは単純に未来予知。2つ目は、効果範囲は不明だが、数秒間、ボス以外の時間を消している。
時間を消し飛ばす、というのは映画のフイルムを数秒分切り取るような現象のようで、切り取った部分はなくなるが、その続き(切り取られた出来事の結果)は基本的に変化しない。これは「運命として世界に刻まれているから」らしい。
例外は2つあって、人の意識はこの消し去られた時間によって不連続になり、認知と現実のズレが生じる。また、ボス自身の未来だけは消し飛ばした時間の中での行動によって変化する。
人も、物も、時間があってこそ存在する事ができるため、ボス以外の時間が消されている世界にはボス以外何者も存在しない。だからボスは敵からの攻撃を受けないし、敵に干渉することもできない。
時間を消し飛ばした世界の中でボスが見ているのは「本来の世界の残像」のようなもので、ボスはそれを見ながら自由に動き回り、能力解除時に有利なポジショニングをとることができる。
下記箇所について、補足。
多少横道に逸れるけど、前近代の家族観の認識のずれの方が気になった。
今となってはそれが極論に過ぎないという批判も多い
お手数だけどこれの根拠があれば紹介請う。
引用いただいた「今となっては『それ』が極論に過ぎない」という部分の「それ」は、直前の、いわゆる「近代の見直し」が盛んだった時代の論、を受けているのね。自分は家族論や社会学の専門家とかではないけど、たとえば20年ほど前にはF・アリエスの「子供の誕生」について、次のような言い方で「近代以前に〈子供〉はいなかった!」的な紹介がされ、多くの人に影響を与えたわけだけれど、
子供は長い歴史の流れのなかで、独自のモラル・固有の感情をもつ実在として見られたことはなかった。〈子供〉の発見は近代の出来事であり、新しい家族の感情は、そこから芽生えた。(みすず書房:https://www.msz.co.jp/book/detail/01832.html)
実際問題としてこれは「(我々が思うような近代的)子供(観)」が誕生したのは近代の出来事に過ぎない、というだけの話に過ぎないわけだということは、今となっては説明するまでもないことだよね。親子像、子供像が「今とは(多少)違う」のは事実としても、親子や子供が過去の文献に登場しないということはない。自分が言いたかったのはそういうことです。そして、増田が引いてくれた極東ブログが引用している元論文も、原文では次のように書いてるよね。
これを、極東ブログさんは「日本に家族なんてものはなかったし、結婚もなかったんですよ」というタイトルで紹介するわけだけれど、この図式は上に挙げたアリエスの事例とそっくりだというのは分かってもらえるのではないかなあ。つまりもともと「(近世に誕生した近世的)家族は近世以前にはなかった」というだけの話しかしてないのに、それをセンセーショナルに取り上げて過剰に敷衍した意味づけをしている、という構図。いかがでしょうか? 本当は、近世以前にも、たとえば古代的、中世的な形で家族はあったし、古代的、中世的な姿で「子供」も社会的に存在した、ということです(たとえば「子供」を人間以前の存在として大人とは別なる名を与え、一定以上の年齢になると新たに人間としての名を与える「元服」という風習とかがそう。)。
さらに、今私たちが思う「子供」観の全てが「近代に作られた子供像」で説明できるのかと言えば、それもまた違うのではないだろうか。単純に同じと言えないことはもちろん前提なのだけれど、1300年前に山上憶良が「銀も金も玉も何せむに優れる宝子にしかめやも」と歌ったその親子観、あるいは800年前ごろに、合戦中に年配の熊谷直実が、組み伏せた若武者が十六、七と我が子のような年の若者であるのを見て思わず刀を止めるシーンを描いた平家物語に見られる「年少者に配慮する心境」のようなものが、現代の私たちの「子供」観と全く不連続であると言い切るとそれも相当無理があると思うのですよ。もちろん、1300年前、800年前の人々と私たちは、政治制度も世界観、死生観、何もかもを共有していないと言っていい。だから、本当のところ彼らが何を感じていたかなんて分からない。(まあそれを言うならそもそも現代を生きている私たち同士だって、何をどれほど共有しているかは保証されないけどね。)それより、そうして「ことば」に載せるべきことは何か、すなわち彼らが「想定した公共」が何かという点に着目してみるなら、彼らと我々の間に一定の何かを架橋することは十分可能だと言えるのではないか。それを安易に「親子像、家族像の根本」であるとか結論付けるのはそりゃ止めた方がいいと思うけど、そこに「引き継いでいる何かがある」ことは認めた上で話を展開するのは、それは十分建設的なことだと思うんだよ。
※コノハナサクヤヒメの話を書くスペースが無くなったんだけど、一言だけ言うとあれは一般的な婚姻の姿をイメージしたお話とは言いがたいのではないかなあ。「姉妹を同じ人のもとに嫁がせる」のは、あの話では天孫降臨した人間の祖に対して山の神が繁栄を授ける、という文脈だよね。それは、たとえば地域を訪れた新しい権力者に対して地元の豪族が取り入る、みたいな図をベースに作り上げた物語なんじゃなかろうか?
何処かのweb記事があまりに酷かったので思い出に浸りたいだけなんだ。
ここ数年は年2~3本ペースなのでめっきりやらなくなってしまったけど思い出は残しておきたい。
といっても全部挙げてたらキリがないのでタイトルを見回して忘れたくは無いなあと思ったのをピックアップ。なので大作っぽいやつや有名作は入っていたりいなかったりする。
「猫も鳴かずば殺されまい」は憶えてた。
当時としては珍しく確か2年ぐらい延期、しかし内容はただのCG集という散々な記憶。
時間を掛ければよいとは限らない。
今回調べてて一番驚いたのが、雫が96/6/26発売、痕が96/7/26発売ということ。
今思うとそう長くないボリュームなので密度が濃かったんだと思う。
20年越しにアニメ化されるとは誰が思ったか。名作なのに、しょうも無い規制で完全な復刻が叶わないのが残念。
自分はプレーしていないが、それまでエロ系の作品しか出してこなかったブランドがイメージを一新してまさかの学園恋愛ものを出すという奇抜さ、しかし半年後にはエロに振った外伝的な作品(放課後マニア倶楽部)を発売するという合わせ技が印象深い。
今思えば猟奇って程でも無かった気がするけど、バッドエンドの後味の悪さが。
何だかんだでやりこんだからこれ系のテキストが好きなんだと思う。
決して悪くは無い、のに結局妹に人気が集中した結果を重く受け止めて欲しかった。
館もの+痕系のちょいミステリーみたいなの、だったはず。隠れた良作。
後味の悪さで名を残す作品。
悪夢で味をしめたというかなんというか。キャラの数だけは圧倒的だと思う。
当時から人気だったけどあんなシリーズ物になるとは誰が思ったか。
混沌とした当時のネット界隈を絡めた恐怖感の煽りが上手かった。
叙述トリックの名作……なのかもしれないし話は面白かったけど、システムとフラグがあまりに酷すぎた。
二次創作的なキャラデザのせいか直前に通販限定になったという。確かマイナーなキャラが最後まで元ネタ不明だったような気がする。
超インテリゲー。
当時の記憶ではうーん、って感じ。好きな人は好きなんだろうなって。
全く話題にも残らず隠れた良作でも無いけど、雰囲気だけは好きだった。
口コミだけで売れた佳作。バグ抱えたシステムをユーザが作り直すとか後にも先にも無いんじゃあ。
ジャンプ打ち切りエンドみたいな、ここで終わり?!みたいなのが非常に惜しい雰囲気ゲー。
確かフラグ管理が独特で、直前にプレーしたルートが次のルートに反映されるという仕組みだったような。
隠れすぎた良作枠。
冬子さんルートが最高なんだよなあ。
救いの無い話だった気がする。
雪さん好き。
たまソフトは良くも悪くも本作だけだった。
当時の規制に反するために故・田所氏が独自流通で販売したという記憶だけ。
アイは2作までだよ、3作目なんて無かったよ。OPの格好良さは異常。
発売当時はワゴン行きの良作だったのに、アニメ化で火が付いたという。
kanonのパクリみたいな感じで適当に作り始めたはずがそのうち本気で作ってしまったとかなんとか。言うだけあって面白かった。
当時は面白かったけど今やったとしたらどう感じるだろうなと。
今でもまだ「それは、必然で偶然の出会いでした」からの台詞を全パターン諳んじることができる。
これまたジャンプ打ち切りエンドのような最後が気になる終わり方。灰被りと同じライターの作品だったはずだけど何処かで完結させて欲しい。
厨二作品としては一番好きかも知れない。
20年近く経ってもまだシリーズやってるなんて思わなかったよね。
妹ゲー枠なら一番好き。
OPムービーほど本編が話題にならないけど、本編も良い意味でよく刺さる名作だよ。
かぐやの名作。
発売時は難民になった。
そういえばショコラもパルフェもアニメ化という悲劇を回避してたのは意外だった。
カードゲームベースの魔女っ娘バトルは面白かったけど、やってる内に敵の手札を憶えてしまうという問題が。
「なんでエロゲでこのジャンルをやろうと思った?」で初めて「なるほどこれはエロゲでしかできないな」となるまでがテンプレ。
陵辱ゲっぽく見えるものの濃厚和姦ゲとして良作。
末期のシルキーズが生み出した半ばギャグに近いようなサブタイトル台詞シリーズ。独特の台詞回しと声優さんの熱演が勝利の鍵だった。
据え置き機で出た作品が逆移植という枠。ループもので陵辱含むバッドエンドありというのはなかなか頑張ってる。
誰かが、ほんの少し優しければメインヒロインにもシナリオのパッチが作られただろう。でも、そうはならなかった。ならなかったんだよ。だから−−この話はここでお終いなんだ。
完結編はまだ製作中とこの前見た。
当時は遊び込みました。
主人公が何気に良い奴なのを含めてギャグ枠としても良作という。
未だに穹のグッズが出てる。
伏線とその回収が非常に巧かった。
厨二バトルもここまで極めたら芸術だよね
エロゲオタク達にシラノ・ド・ベルジュラックを広めた名作。
名作のはずなのに、アニメの二期は叶わなかった。
シナリオの良いところもダメなところも1作目を踏襲してたのは笑った。
Flyable Heart のスピンアウトだけど単体でも十分楽しめるというのは凄い。
珍しいぐらいに正統派伝奇もので、実用的なフローチャート実装という遊びやすさは他も見習って欲しい。
え、ついこの前までアニメやってなかった?そんな昔だっけ?
従来の作風から離れ、ダーク路線の作品への挑戦は高く評価したい。
これまた延期に延期を重ねたのはいいとして。シナリオは無いに等しいと言うよりも、読解力・想像力を求められすぎる。
体験版で期待を勝ち取った良作。
シナリオに全く期待できない炉理ゲーと見せかけて伝奇ものとしてもある程度楽しめるという意外性は記憶に残った。
YU-NOフォロワの中では尤もよくできた作品では。あまりに高難易度、理不尽の域に達しそうな仕掛けは不親切だがシステムと高次に融合するシナリオはやはり面白い。
また安易な男の娘ものか、と思わせてきっちり人気シリーズにしてしまうNavelの底力。
ラストバトルの盛り上がりは最高。
作品によってブレが大きく、また単体作品としても完成度が惜しかったpurpleが本気になったのはここからだと思う。
非常に仕掛けが凝った怪作。仕掛けやフラグが多数ありすぎて自力で見るのはやりこんだ人だけ、というのもこの作品のコンセプトを考えると面白いところ。
8月が他の学園モノに差を付けられるのは、やはりキャラを脇役に至るまできちんと立たせることができる点だと教えてくれる。
面倒くさいヒロインが大好きなので、コンプレックスとか色んなものに思い悩むヒロインが超可愛い。好き。
Clover Heart's好きだったし期待してたのに、どうにも合わなくてなんでだろうと考えてたら自分自身の好みが変化してしまったという結論に達して哀しくなった思い出。
夏ペル以降のminori作品の中では一歩抜きん出てる良作。主人公を理詰めで責めて振るヒロイン最高でしょ。
男の娘主人公ものって女装してる時は去勢されたかのようになるくせに突然ベッドヤクザという一種のテンプレが成立してたので、普段から性欲と自分の姿のギャップに思い悩むのは良い試み。
ここ最近のだと、nineとかやってるけどあれはまだ完結してないし…… FLOWERSは面白かったけど全年齢だし、で多分こんなところ。
「問」は具体例を挙げた説明を要するものと解釈して説明していく。
パソコンとは何か?
還元主義的階層論では、CPU、メモリ、HDD等のパソコンの部品がそれぞれパソコンの一部と捉えて、
そう言った部品の集合体と捉える。このようなパソコンを部品に分解していってもそれはあくまで
だが、半導体1個、抵抗1個を「これはパソコンの一部です」と言えるだろうか?
全体主義的階層論ではそう言った部品一つ一つはパソコンではなく、各部品が集合して電子信号等を
やり取りする、つまり部品間で関係性を持つ事によって初めてこれはパソコンであると捉えている。
例えばパソコンから電源なりCPUなりを1つ取り外せばパソコンは起動しなくなるだろうが、
構造主義的階層論でもバラバラのパーツはパソコンではないと捉える点では全体主義的階層論に似ている。
では両者の差異は何か。
全体主義的階層論ではパソコンはCPU、メモリ、HDD等のパーツからなり、HDDはネジ、ベアリング、
モーター等のパーツからなり、ベアリングは金属やグリス、ゴム等のパーツからなると全てにおいて
一方構造主義的階層論では例えばパソコンは各パーツ差し込んで組み立てれば完成するけどベアリングは各パーツで加工を
しなければ完成しないから同じ論理を持ちだすのは間違いであると考える(構造列の相違による不連続)。