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2024-07-25

anond:20240608081834

そもそも赤ちゃん幼児育児って苦行なんだよな

めんどくさいこと苦しいことがたくさんだけど報酬子供かわいいしかない

子供のかわいさで乗り越える

自分が産んだ子供が全員小学生に上がったお母さんは「人生楽しい!」って感じでケラケラ笑ってる

昔は育児ハードルものすごーく低かった

子供の人権がなかったか毒親はやりたい放題やってた

頭が悪い親でも昔はむちゃくちゃが許されたからあたおかでも育児やってたんだよ

今がもっと育児に求められるクオリティが高いよ

今の親はね、体罰NG配偶者愚痴子供に言うのNG、お兄ちゃんorお姉ちゃんなんだから我慢しなさいNG、未就学児のお留守番NGヤングケアラー禁止

昔の親は子供が親の気に入らないことやれば拳で殴ればよかったし、きょうだいゲンカが起きれば「上の子我慢しなさい」で解決できてた(できてねえ!)し、子供が2、3歳とかでも子供だけで外で遊ばせていたよ

増田よりも能力がひくーい親なんか今も昔もたくさんたくさんいるんだよ

増田自分が悪かったところとちゃんと向き合えて素晴らしいよ

それから増田を支えられない旦那も悪いよな

2024-07-24

anond:20240723124219

カスハラジジイが多いし

本当にこの国のジジイはなんでこうなるんだ

と考えてたらそういえばこいつらが子どもの頃はヤンキーだらけ体罰も当然でこの世の地獄みたいな光景が繰り広げられてたんだったか

やっぱ幼少期の虐待体験人格を歪めるよな

2024-07-15

2位じゃだめなのか発言批判している人達は未だに現実直視できないでいるが、結論から言えば、それは1位でもだめだった。

今はAI話題になっているが、その前段階のディープラーニングや、イーサのマイニングの時点でCPUは既に「オンボード」だった。

決められた箱の中で金だけ遣って1位を取っても意味がない。箱を突き破ってでも新しい世界創造しようという気概がなければ、人を惹きつけることはできない。

先輩方は、自分達が若い頃は体罰に耐えた、パワハラに耐えた、これだけ我慢したのに報われないのは理不尽だ、最近の若者は甘やかされているとのたまうが、

それだけ頑張ったのに報われなかったのなら、やはりそれは何かが間違っていたんだと思う。例えば暴力を振るわれたのなら、なぜ殴り返さなかったんだ?

いからか?怖いからか?戦うことから逃げて敗者になったのに、なぜそれが努力したことになるんだ?なぜそれが報われると信じる?

日本人は未だゆりかごの中にいる。日本政府がその価値保障してくれるという日本円価値が下がり続けているが、政府保障も何もないビットコインは上がり続けている。

国民年金があれば老後もなんとかなるだろうと皆が思っているが、支給開始年齢も金額変幻自在のこの制度は、絶対破綻しないことにより相当タチが悪くなっている。

国民皆保険日本世界に誇る素晴らしい制度だと皆は言うが、税負担は重くなる一方だ。

思い出してほしいが、日本民主主義の国だ。すべての物事民主的に決定されるのなら、優秀な政治家なんてもの必要がないはずだ。

もしそんなのが存在するのなら、それは独裁者であり、専制君主であり、絶対権力者ということになる。

この国のかたちは、ほとんどの国民にとって理想的ものだ。夏休みの宿題は最終日にやればいい。そう思っているから世の中にしっかりと反映されている。

政治家が悪いとか、作戦が悪いとか、色々な言い訳が思い付くだろうが、結局は実力が一番大事だ。怠けた事への報いは、身を以って知るといい。

2024-07-03

anond:20240703091526

なんか鞭打ち刑のリスクってやたら過大に喧伝されてるよね。

そんなに死ぬリスクが高くて実質的死刑同然だったら鞭打ち刑なんざとっくに廃止されてるっつーの。

痛さと危険度は比例しない。人は失神しても死なない。死ぬって現象は失神の延長ではない。

実際には鞭打ちは、それこそ小学校教育召使いに向けて広く行われてきた。奴隷ってのは主人の財産であり、死んだり障害を負ったりして使えなくなったら自分が損する。

鞭打ち世界中一般的に行われてきたのは、それが安全からなんだよ。安全だけど非常に痛くて精神的に屈服するから罰として都合が良いのよ。

歴史的には過度に残虐な刑にエスカレートしたことがあって、だからこそ、受刑者年齢制限とか回数の上限設定(24回)とかムチの長さ(1.2m)と太さ(0.5インチ)と素材(籐)とか執行者の資格・訓練とかが定められている。

もちろん男子にのみ行われるという性差別性や体罰自体の野蛮性から現代人権思想には悖るものであり廃止されるべきものではあるが、危険から廃止するのではなく人権侵害だから禁止するのであって、危険性を過大に言いたて虚偽に基づいて判断するようなことは厳に戒めなければならない。

2024-06-30

anond:20240630185223

禁止されていないことは、やるべきことなんだよねえ

日本キリスト教会もそうだし

こないだまで体罰違法でもなかった

2024-06-29

anond:20240629174630

もう少し子供の人権を下げて育てやすくしないと無理だろうな

体罰ハーネスつけての散歩くらいokにならんと難しいよ

ベビーカーに大きい子が乗るのが増えてトラブル増えたのも狭い都会で制御が効かず危ないことが多いからだろうし

anond:20240629174025

殴って子育て出来なくなったからなあ

正直子供は何するかわからんからキツいよ

体力は親より上なのに頭は犬以下なんだぜ

こんなの接するの無理だろ

やっぱ体罰ないとダメと思う

年寄り認知症入らない限り規範は共有してるもんだけど子供規範の共有ができんから年寄りよりきつい

2024-06-27

anond:20240627184016

体罰が無くても言うことを聞く子供の家庭と、

体罰をしたら言うことを聞いた子供の家庭と、

体罰をしても言うことを聞かない子供の家庭では、

それぞれ感想が違うと思います

2024-06-25

鹿児島良いよな

道場が空いてなかったから、校庭で柔道部指導か。やるう

体罰戒告になった鹿児島地区中学校男性教諭(50)は、部活中に生徒を足払いして倒し、

骨折させていた。男性教諭は「生徒の態度にかっとなってしまった」と話しているという。

 県教委によると、男性教諭は1月6日午前9時半ごろ、

校庭で顧問を務める部活指導中、右手部員生徒の胸元を、

左手で右腕をつかんだ状態で足を払って倒した。直後に校長保護者に報告した。

2024-06-19

令和の育児めっちゃいい

一番いいのはまず子供気持ちに親が共感しましょうってところ

昔の人の毒親っぷりに比べたら令和の教育むちゃくちゃいい

体罰禁止

お兄ちゃんお姉ちゃんなんだからハラスメント禁止

男の子女の子らしくしなさいハラスメント禁止

老後は親の介護しなくていい(老いた面倒な親は捨てて良い)

ヤングケアラーにならなくてもいい

貧乏人は子供を作るの禁止

等々昔に比べたら倫理観確実によくなってる

教育の水準、親に求められる人間性レベルが高まったことで

自分自身が親になって、昔の人なら子供を殴って怒鳴ってオワリーのところを

オワリーにできずに冷静に子供と向き合うことになるので

難しいが

子供の人権がちゃんとある令和の教育はい

2024-06-18

待っていたよスクエニさん

ああ、思っててたぜ、3年間。

ドラクエ事業が、スクエニが真の償いを始める時を。

そもそもなぁ、DQ4〜8も、クロノトリガーも、11S発売から二類期最終日までに何でスイッチPS4XboxSteamにて出せなかったんだ?

どうしてスマホ依存続けてきたんだよ?

一時期は6つもスマホアプリ抱えるザマだったよ。

ダイの大冒険モンスターズ3もボリュームが想定未満になったのもスマホゲへのエネルギー分散が原因なんじゃねえのかよ?

今まであんたらのワガママに俺達は数年も振り回されてきたんだぞ、

スマホサービス開始しては1年も2年も持たずを何度も繰り返してそれで急にお金もっと必要だって?笑わせんじゃねえよ。

鳥山先生だけじゃねえよ。去年から今年の5月までにどれだけの著名人がHD2Dドラ3の正式披露目を見ることなく先立たれてきたか

TARAKOさんも、heathさんも、黒崎真音さんも、谷村新司さんも、KANさんも、

櫻井敦司さんも…

彼ら彼女らの霊前を廻って謝罪のお参りに行くとかも出来ないの?スクエニのお偉いさんたちは。

それにスマホゲ乱発とかこれらの事はみんな経営コンサルが決めたの?

コンサルパワハラするから逆らえなかったの?

から数年間ソシャゲ焼畑ドラクエ情報はぐらかし、ニンテンドースイッチオンラインへのバハムートラグーンルドラの秘宝追加のための任天堂との交渉出来なかったの?

コンサルから体罰受けるの怖くて?

コンサル陰謀論ドラクエ周りの事除いても、

何時になったらファイナルファンタジータクティクスゼノギアススイッチ等にてリマスター出来るの?

何時になったらさあ、スイッチオンラインスーファミにて

バハムートラグーンルドラの秘宝天地創造ミスティックアークガンハザード、FFUSAを追加するための任天堂との交渉に入れるの?

格式いから下手にサブスク化出来ないって?

は? バランワンダワールドバビロンフォール、ダイインフィニティトラッシュドラクエチャンピオンズなんて出して何が格式だよ、それぞれカプコン任天堂ウマ娘崩壊スターレイルブルーアーカイブかませ犬に終わったくせに!

株主もさあ、海外向け写実リッチ単発モノや新規ソシャゲの催促、それにビアンカフローラデボラデスピサロのどれ嫁にしたい?という質問してる場合じゃねえんだよ、危機感持った方がいいよ。

スクエニの現状が緊急事態条項クラスの事なのに。

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

2024-06-11

anond:20240611231013

正直体罰があった時代SNSがあったら同じこと起きてると思う

anond:20240611231013

体罰のある世代は15でバイクを盗んで走り出すんでしょ

anond:20240611230724

体罰消滅した結果バカZ世代バカゆとり世代によるバカッターやバイトテロが起きまくってることについてどう思う?

2024-06-09

anond:20240609041949

法律女性蔑視的だと世の中はそういうもんだと思い込んだ男が、調子に乗ってマウンティングしてくるだろ

子供への体罰にもそういう部分があった)

法律は常に過渡期にあって遅れてるものなのだから、そんなところで法律神聖視されてもね

2024-05-30

anond:20240530165527

法律が悪いというより家裁調停委員の質が悪い

運用問題があるわけ

共同親権反対されてるのも、あいつらにDV審判なんて期待できないってみんな思ってるからだし

とにかく、個人個人偏見が強すぎるんよ

親権争いで無駄女性が有利なのは制度女性が強いわけではなく、日本法律女性優位なわけでもなく、単に 「子は母親が育てるべし、男は金だけ出せばいいだろ」って偏見を持ってる老害調停とか審判してるから

で、どういう人が調停委員になってるのか調べたけど、「特に資格はいらないし、法律問題精通している必要もない」ってことを知ってずっこけた

弁護士資格がなくとも、

みたいなふわっとした条件を満たしていれば、最高裁から任命されて調停委員になれるってこと

そのへんの学校引退した校長とか、民生委員とか、専門の教育を受けたわけではないそのへんのおじさんおばさんもいるらしい

特に田舎なんかだったら「男のほうが育児積極的母親育児放棄して不倫」みたいな実例を見たことも聞いたこともなく「子供には母親がいなければ」って思い込んでる善男善女が多いのは想像つくよね

で、どんな老害ジジババにあたってもチェンジは認められない。ずっとそいつ担当

なので、初対面で悪印象持たれたらもう無理

あとさ、調停委員報酬って1日1万5千円なんだけど、1ヶ月に何件かだけだから専業にはできない。

要は、暇を持て余してる老害が小遣い稼ぎと承認欲求でやってる。むちゃくちゃじゃね?

調停委員資格作って、プロ仕事すべきだし、天下り老害みたいなやつは排除してほしいと思うわ

定年退職した校長先生価値観で今どきの離婚問題解決できるわけないじゃん

教師体罰愛のムチかいって容認してた連中だよ?

2024-05-21

虐待しといてよしよししてもらおうとする母親きっしょ

育児YouTuber

昭和平成前半の体罰という名の虐待が許されてた時代育児してたもんだから

令和の今も体罰(虐待)してる母親に「わかるわかる~わたしもやっちゃったんだよね~キャハハ」みたいな返しをするのがとんでもなくきもい

そのYouTuberのところに虐待してる母親が集まって、「わたしはこんな暴力しました」「あん暴力子供しました」みたいな告白をして、別の虐待した母親が集まってきて「わかるわかる。そんなときもあるよ」みたいな感じでよってきて、

虐待してる母親同士でよしよししあってんのほんときしょい

育児YouTuber虐待した母親懺悔告白をなんでも聞いて許してくれる神父みたいになってんのほんときもい

同じ育児YouTuberでも、自分の子供全員東大にいれましたな母親教育虐待してる母親に対して、ちゃんとぶったぎってるのがよかった

子供の味方になって話してたわ

虐待に関しては母親の味方に立つんじゃなくて子供の味方になってほしい

毒親毒親を続けて、痛い目を見るのって子供が成人してからなんだよ

どうぞ歪んだ愛情をそそいだ育児を続けて、将来痛い目にあってください

2024-05-16

美学

美学は人にとってあった方が良いものだと思っている。

人は窮地に立たされると、自分自分コントロールできなくなり得たい結果とは真逆の結果となるケースがしばしばある。

子供を見ているとまさにそのような行動をとることがある。

食事中、食べることにか飽きてきておもちゃで遊びたいとする。

おもちゃで遊びたいがために奇声を上げたり、ご飯で遊び始めたりするが親はそれを宥めるために早く食べてから遊びなさいと伝える。

その言葉を聞くとおもちゃで遊べないものだと思い行動が悪化する。

この場合子供おもちゃで遊びたい、親は早くご飯を食べさせたいという両者の対決が生まれる。

子供コントロールするためには、体罰や無理をさせることが必要という世論を唱える人もいる。

おれはその発想にも一定の理解がある。

子供人間になるまでは動物のものだと思う。

親側も同じようなものだ。

早くご飯を食べさせて食器を洗いたいという願望があるからこそ、怒って子供食事強要させる。

返ってそれが行動の悪化を招いているのではあるのだが。

怒っている当の本人は知る由もないだろう。

人間人間たらしめるのは理性や知性や【美学】、ポリシーなのではないかと思っている。

その数が少ければ少ないほど、自分欲望に忠実になるしかないはず。

そして、感情支配される人生不本意な方向に歩むしかなくなるのではないか

おれは仕事育児日常生活食事、色々な場面に【美学】を持つようにしている。

そして、自分自身がその美学に反していたとしても受け入れるようにしている。

美学】にこだわりすぎると、設定していた【美学】が自身に悪影響を及ぼすこともあるからだ。

しょせん【美学】は生きやすくするためのツールなのであってツール支配されてはいけないと考える。

文頭で美学があった方が良いと思うと記述したのもそのためだ。

〜すべき、確定、マスト

という言葉は苦手だ。

その苦手も【克服】して少しでも生きやす人生を歩みたい。

次回は【克服】について記載したいと思う。

anond:20240516084533

監督」って名前が付くの全部接触禁止がいいよ

スポーツもそうじゃん、性的のみならず体罰も横行してる

接触禁止にしたら大分変るよ

人生経験

あなた経験他人に伝えるには、以下のように話すと良いでしょう。シンプルでわかりやすく、ポイントを抑えた形にまとめています

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私は日本で生まれ育った黒人です。小学校時代毎日のように黒人差別に遭い、いじめられていました。暴言暴力ばかりの男友達と遊ぶことができず、優しそうな暴力を振るわない女の子とはないちもんめをして遊びました。本当はバリバリ球技がしたかった。

授業中や昼休みチョコレートアフロなどと呼ばれ、毎日殴られたり蹴られたりして、喧嘩ばかりの6年間を過ごしました。日々日本23黒人1人という教室内の無理な喧嘩に耐え、さらに家庭でも昭和の頑固おやじであるから体罰暴力に耐えました。

中堅私立大学卒業し、新卒派遣、その後正社員で働きましたが25歳の頃、部長仕事の内容で喧嘩をして正社員をクビになりました。絶望挫折しました。数カ月の空白期間の後、派遣大手外資系企業に入場。その後私の経験評価され、別の会社から指名を受けて個人事業主として働き始めました。そして今、法人として独立して2年目になります。なんとか生活できています

過去経験から日本企業の集団の中で働くのは苦手意識があります

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このように、あなたストーリーの要点をまとめ、時系列に沿って話すことで、他人に伝わりやすくなります

2024-05-08

anond:20240507202657

俺も昔はお前のような感じで2chネトウヨリベラルとかフェミニストゴンめしてた事がある。クソ過ぎて許せなかったから。

結果としては会話が成立しなかった。わざとそうしてるのではなく能力問題があるようだ。

この件のお前は絶対的に正しい。それは自明だ。

だけどこの件は「良くても精々モラハラされた」とフェミニストたちは理解し、悪ければ適当ストーリー脳内でっち上げ妄想世界を更に膨らませるだろう

なんにせよフェミニストたちの一部はより一層の憎悪を募らせるか、話が通じないのは共通だが連中の中でもポジティブなのは勝利宣言でもするだろう


本当は分かってるだろ?連中があまりにもクソ過ぎて許せないからやったんだろうけど、決してプラスにはならないってこと

それをやるのは自由だが最終的には物凄く疲れるぞ

ブコメに返信してるからお察しだと思うけど、伝わってる気もしないだろ?

会話が成立しないコイツらへの正しい対処は少なくとも言葉を尽くす事ではない


体罰問題にされた時に時代遅れの熱血教師がこの手の人間体罰無くしてどうやって社会に馴染ませたらいいのかと言っていたようだが

リベラル体罰をするから反発するんですと答えてたな

対処方法がなくなった現代社会では普通の人は自己責任の名のもとに近寄らず捨て置くしか出来ない 

捨て置かれてる者たちをフェミニズム運動が拾ってしまったという認識も合ってるけど、それでも無視するしか出来ないんだよ

2024-03-25

anond:20240325125100

トイレ掃除とかAIに任せなくても、最新のトイレだと汚れにくい素材を使ったり、定期的に自動洗浄したりして相当汚れにくくなってるけどね。

ソエイム粗チンが床に撒き散らすションベンとかはどうにもならないけど、便器自体を磨く行為は後10年もすれば体罰目的くらいでしかやらなくなるんじゃない?

2024-03-14

体育の体罰、なくしたら世界活躍する日本人が増えました

そりゃまあ

賢い子がインドアにならず

思う存分鍛えられるから

殴られて運動したいとは思えないって

それにしても

ちょっとミスったら竹刀でぶったたく指導

マジなん?

ぜんぜん上手くならなそう

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