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はてなキーワード: 流産とは

2019-05-21

毒親しか知らない不幸なブックマーカーは可哀そう

anond:20190520230346

個人的には、とても分かる話。俺は東大に入って、現在年収1000万程度の30代リーマンだ。世間一般でみたら、子育てには成功したと言っていい結果だろう。

俺の父親も凄く怖い人だった。ただ、怖い時とそうではない時の線引きがしっかりされていたし、その違いを子供ながらも理解していたと思う。

小学生時代に、親父に血が出るほど殴られたのは

他人の畑を荒らし遊んだ時、その時は罰として荒らして獲った野菜だけを、その後1ヶ月間たべさせられた。家族焼き肉でもすき焼きでも、自分は芋の煮っ転がしとご飯味噌汁って日々が続いた

山で火遊びをしてボヤ騒ぎを起こした時。他の友達やその親、地主の前で、サッカーボールキックを食らい続けてた。

子供同士で掃除中に喧嘩になって、竹ぼうきで人を叩いて、顔や体に裂傷を負わせてしまった時。謝りに行って、俺は悪くない。最初は奴が馬鹿にしたんだと言い訳したら、ぶっ飛ぶほど蹴りが入って塀に頭ぶつけて縫った。

人の家の犬の散歩を請け負っておきながら、その犬を放してしまって、しばらく行方知らずにしてしまった時。見つけるまで帰ってくんなと、一晩、外に放り出された。


流血騒ぎになるほどではないけど、怒られた記憶があるのは

チャンネル占有権を妹と競って手を出した時

やると言った約束を守らなかったとき

上手く自転車に乗れずベソかいて、逃げようとしていた時

塾をサボって遊んでいた時

妹に手を上げて泣かせたとき鉄拳が飛んできたし、門限を破った時は締め出されたり、他所の子喧嘩して怪我をさせたりとか、人様に迷惑をかけた時はテレビリモコンとかで殴られて血が出た事もあった。悪いことをした時に頭によぎるのは、父がこれをすれば怒るだろうという事で、悪事が父に露見するのは、この世界で何よりも怖かったから、理屈抜きで善悪分別ってのは沁みついてた。それでもやらかすのが子供ってもんだから、殴られて当然って思いは今もある。自転車の補助輪を外す時も、自転車でこけるよりも出来なくて怒る父親の方が怖かった位だった。俺の幼少期にとって父は恐怖の塊だった。



そんな風に殴られて血が出る事もあるし、時には物で殴られることもあったから、体罰としては非常に厳しかったのは間違いないけど、全く恨んでない。

一方で、両親にはかなりの我儘を通したし愛情を注いでもらったと思う。俺の前に姉が流産していたし、俺自身未熟児で体に僅かに障害を持って生まれていて、もしかすると生涯歩けないのではないか医師に言われていたということらしい。なもんだから、両親の可愛がり方は尋常ではなかったと、祖父からよく聞いていた。実際、体は弱くて3歳になるまで歩行補助器で歩いていたし、何度もこけて、怖い思いをした記憶のうちの幾つかが残ってる。そんな体だったけど、自転車に乗れるようになったのも、泳げるようになったのも、そもそも歩けるようになったのも、怒りながらでも父親時間を気にする事なく、いつまでも付き合ってくれたからでもある。お世辞にも裕福とは言えなかった幼少時代、家に百科事典があり、それをみて知識を増やせたのも、やりたいと言った習い事を一度も断られて事もないのも、両親が俺の事を想ってくれていたからだと言うのは、子供心にも分かってた。年に数回は旅行に連れて行ってくれて、幼少のころから日本中名勝を見て歩いて見聞を広められたことは、とても良い思い出だった。金がない家庭だから、小さなバンに乗って親父が夜通し運転して、車で夜を明かすようなこともあったし、泊るのは素泊まりのぼろっちい宿ばかりだった。それでも、あの頃の親の収入で、それは全て決して簡単な事じゃなかったと思う。両親が家族の事を何よりも大事に思ってくれていたんだなって思える記憶の方が、怖くて痛かった思い出よりも多い。



親父は土方で日常的に体を使っていたし学生時代柔道やっていただけあって、俺が中学に上がっても力では勝てなかったし、何かやらかせば鉄拳が飛んで来て力で抑え込まれ関係は変わらなかったけれど、勉強しろと言われた事もなければ、進路についてとやかく言われた事もない。ただ、いい成績を収めると褒めてくれたり、食事に連れて行ってくれもした。特段教育熱心だったわけでもないけど、塾に行きたいと言えば行かせてくれたし、本が欲しいと言えば何でも買ってもらえた。それもあって、とても成績は良くて、最終的には東京大学表彰されて卒業する程度にはなった。東大に入るために予備校に通うことも、進学で東京へ行くことも、今にしてみれば、親父の収入を考えたら楽だったはずはないのに、常になんとかしてくれてたんだなって思って尊敬してしまう。



不良の学生に絡まれたり殴られたりしても、部活で厳しい指導があっても、受験が辛いと思っても。怒った親父の相手をする事に比べれば鼻くそのようなもんで、逆境や痛みに対する強さを身に付けれらた事も、とても大きなことだったと思う。友人が不良に虐められそうになってる時に、ふざけんなと止めに入って、殴られるのも全く怖いとは思わなかった。それで一度は、小指の骨を折ったこともあったけど、親父に殴られるよりはマシだった。

幼少のころに大人と交わした色々な会話が記憶に残っているけれど、自身の幼少期を振り返ってみて思うに、口で言って分からない子供では絶対になかったと思う。一方で妙な屁理屈を捻りだしたり、大人を騙すような知恵も普通に持ってはいたので、言葉だけで窘められるだけなら、狡さを身に付けていたかもしれない。ダメもの理屈抜きでダメなんだと力で教えて、恐怖で抑え込まれていた事を妥当だと思う。

時々、親父と酒を飲みながら、その頃の父親の気の短さと怖さを笑いの種にするくらいには、家族にとっては怖かった父は懐かしくて、いい思い出になっていると思う。




しかった父親を、恐れていたけれど、好きだったし尊敬もしていたよね。うちが貧しかったのは、父親独立して会社を作ったけど、上手く行かない時期が続いたからで、肉体労働の後に夜中まで事務仕事をしている父親の姿を見ていたから、受験勉強の大変さなんて感じた事もなかった。自分にとっては、父親にできている当たり前の努力しかなかった。親父に露見せず、殴られなかった悪さもかなりある大人馬鹿しか見えてない子供だったけど、親父だけは怖かった。最終的に変な方向に進まずに、優等生になったのも父親の怖さと家族への思いがブレーキになってきたことは否めんだろう。

体罰があるから毒親って、可哀そうな価値観で生きてんなと思う。体罰=悪い事みたいな、リベラルマインドに染まった、つまら子育て自分はしないだろうと思う。厳しさと愛情は両立する。

2019-05-17

anond:20190517204734

確率論を学ぶと楽になるかも

流産したのは実現する可能性のあった可能性のうちの一つ。

最善を尽くしたのなら神の振ったサイコロを受け入れるしかない

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/mihyonsong/status/1128878205031464960

初期流産はただの運、とこの宋医師も他ブクマカも散々言ってるのに

安定期までは流産リスクが高いってのは事実だと思うので重いものを持ち上げたり飛行機に乗るのは避けるべきで、そういった外部要因がないケースでの初期流産は運ってことだよね。

と言ってるバカがいるのは何なんだろう…

つーか元々重いもの持ち上げようが飛行機に乗ろうが流産なんかしねーよ。

2019-05-16

妊婦を見るとイライラする

中だしされましたアピールをしてんじゃねーよ気色悪い。

私は妊婦よ?私を社会は大切にしなさい?みたいな顔で生きてんじゃねーよきめーんだよ。

電車で座ってたら妊婦が目の前にきてジーっと睨んできた経験が何度もあるからマジで妊婦嫌いだわ。

自分妊婦から上級国民とか特権階級人間だとでも思ってんのかね。くそうぜーわ。

妊婦は全員流産するか障害者を産め。不幸になれ。

2019-05-12

anond:20190512122933

つわり流産に負けないメンタルって、どうやって作るの??

anond:20190512125031

現実には、悪阻でげーげーやってたり、流産で暗い顔されてたりしたら、「とっととやめろ」て思うんじゃないかと。

っていうか、死産して復帰した同僚が身近にいたんだけれども、トイレにこもって泣いてるのを目撃してしまたことがある。

その点、男はそこまでセンシティブにならなくて楽だなとは思う。例外はいるのかもしれないけど。

anond:20190512122933

悪阻流産仕事を辞めてしまたことは、今でも仕方がないと思っているけれども。

はい出ました

主婦愚痴エントリに必ず入るやつ

無職専業主婦

4月から夫が昇進し帰宅時間が遅くなった。

肉体的にも、精神的にも追い詰められているのが、傍目でもよくわかる。

ゆえに、夫に文句と言うか、お願いができなくなった。

遅い夕食を食べるだけ食べ、自分の皿は洗わず風呂に入って寝るだけの生活の夫。

休日寝坊して、昼寝して、一人で出かけてリフレッシュするだけの夫。

大変だなと思う反面、夫の長時間労働は、確実に夫のキャリアと将来のお金に結びつくのに、私の家事育児負担はまったくキャリアいかされない現実に、軽く絶望している。

離婚時、お金の面だけを考えたら夫だけが確実に有利なこの状況。

自分も下の子幼稚園に入ったら働く予定(子供たちの教育費と老後の生活費のため)ではあるけれども、がっつり働きたい(例えパート非正規でもフルタイムで)私と自分のペースを乱されたくない夫とで、話も並行している。

悪阻流産仕事を辞めてしまたことは、今でも仕方がないと思っているけれども。

なんか釈然としない自分もいる。

働くことが是の世の中で。

能力のない者。体力のない者。のみならず、生産効率の悪い者、自分たちの気に入らない者、相性の良くない者、生理的に受け入れられない者は切り捨てられて当然、排除されて当然、な価値観の同居は、すごく矛盾しているように思えてならない。

2019-05-03

anond:20190503162545

制度問題ではなく、死産届けを出したのに両親学級のお知らせとか送ってくるクソ区役所対応問題では?

妊娠イコール出産ありきのサポート体制で、流産ナイーブになってんのに手続き面で配慮されてないこととか

グリーフケア行政仕事かどうかはともかく、対応の仕方ぐらいは変えられるでしょ

anond:20190503162333

かわいそうなのは男(夫)も同じだろ

出産流産夫婦二人の問題なんだから

女だけの問題じゃない

anond:20190503161959

後期流産出産一時金・死産届の問題

が何を指しているのか分からんのだが

出産一時金は本来は「健康保険適応にならない正常分娩にかかる医療費を賄うためのもの」であって

流産保険適応になるから要らんし

死産届が必要なのも当たり前だろとしか

切れ目のない支援とは

市議会の議録を検索したが

後期流産出産一時金・死産届の問題について誰も発言してなかった

コンサルタントが考えたような子育て支援策を連発するわりに

生きて産まれなかったら子育て支援対象外っていう市役所姿勢がよくわかる

anond:20190501161524

排卵してないと無意味だゾ

そしてタイミングが確実に合って女の体と卵子と男の精子に何も問題がなかったとしても、妊娠する確率20%、妊娠したとしても内15%は初期流産する

猫みたいに交尾したら必ず排卵妊娠出産する生き物だったら

今頃人間少子化とは無縁だっただろうな

2019-05-02

妊娠四ヶ月で死産した

厳密には妊娠13週、今朝の診察で告知された。

ぶつけようがないのでここで書く。

今朝、心拍確認できなかった。稽留流産というやつ。

まれてくれば第二子になるはずだった。

身の回りでもたしかに聞く話で、自分にその可能性が降りかかることはしっかりと分かっていたつもりだった。

まれるまでいつなんどきどうなるかは分からない、そんなことは重々承知しているつもりだった。

それでもこんなにショックなものかと、自分自分に驚いている。

通っている産院は、腹部エコー→内診(経膣エコー)の順番だ。その腹部エコーときに判明した。

二子妊娠からこそわかる。見えるエコーおかしい、と思った。

…いつもならパコパコ動いている場所がない。心臓が動いているはずの場所がなんにもわからない。

先生胎児の頭部直径を計測したのが確認できた。

…どう見たってそこに表示されていたのは12週相当判定の数字だった。

心拍見えないね

「…ですね」

ここまでは泣くこともなく冷静でいられた。診察室の外には他の妊婦さんがいる。耐えなきゃと思った。

経膣エコーもした。奇跡なんてありえないことをわかってる。内診台に乗るのは好きじゃない。誰が好きで他人に股を見られりゃならんのだ。

「台があがります」の看護士さんの案内に「はーい」と明るく応えられた。そうしなきゃ、と思った。内診室から出たあとも、なんとか耐えられた。泣きたくなんてなかった。

でも、次に診察室で先生面談して〝今後の処置〟の話になったとき、ついに耐えられなくなった。

担当先生とは不妊外来でもお世話になっている。私は自発的排卵ができない。第一子も不妊治療の末に授かった存在だ。

先生は私が二年ほど通っていることも知っているし、私が慎重になっていることも知っていた。

気丈に振る舞おうとしているのもわかっていたと思う。だからこそ先生の前で泣きたくなかったのに、泣いてしまった。

みっともないから顔を叩いた。看護士さんが擦ってくれた。

必死に歯を食い縛ったけど、耐えられなかった。

こんな時期に判明したから、入院連休明けになると言われた。

それにもう、ふつう出産する形で赤ちゃんを出すことも聞いた。しか子宮口を開くと。

泣きながら思わず陣痛起こすのか…」と呟いてしまった。

「うん、そうじゃないと出てこれないからね」

「ですよねぇ…」

第一子でそれがどれほど痛いものかわかっているからこそ、ヤバいと思った。それに子宮口を開くのだって痛いんだ。知ってる、一人目のときにあと5mmをこじ開けてもらった時のとんでもない痛みを知ってる、知ってるだけに辛い。

辛いし、むなしいし、感情がぐちゃぐちゃになった。

痛くても生きてるから耐えられるんだよ、あれってさ。

診察室から出て、入院説明を受けなければならない。

部屋を出たとこまではよかった。というか、たぶん他の待ち合いにいた人にも内容は聞こえていたかもしれない。私は声がでかい。そそくさと外に出た。

総合病院なので、診察室→中待ち合い→各科外待ち合いになっている。

本当はその外待ち合いのソファで待ってなきゃいけなかったのに、耐えられなかった。

こんなに耐えられないほどの感情なんて、人生になかったと思う。

自分はこういうときでも冷静でいられる人間だと思っていた。クールドライで、みたいな。別にそれがかっこいいとかではなく、あまり振り回されないタイプだと今日今日まで思っていた。

耐えきれずに待ち合いから外れて廊下に逃げた。

逃げた先まで、そっと看護士さんが探しに来てくれた。やさしい。おばちゃんだった。抱き締めてくれた。嬉しかった。

迷惑かけてすびばぜん」

て言ったら「なんにも迷惑じゃないよ」と言ってくれた。抱きしめてくれてあたたかった。人間があったかくてよかったと思った。

半分泣きながら、それでも家で今日はどこかに出掛けようと待っている旦那と上の子がいる。

はやく入院説明を聞かなくちゃ、と看護士さんから書類を受け取った。こんなに情けない姿だけど、採血をして心電図を取らなきゃいけなかった。こんな状態心電図取って異常起きないものかと不思議だった。

お礼を言ったら「つらいね」と言ってくれる、それだけでありがたかった。正直下手な言葉ひとつも要らなかった。プロってすごいなって思った。

最後に、事務で〝出産一時金〟の書類を書いた。懐かしい、上の子ときは産むから書いたのにな。

12週以降だから一時金が出るらしい。死産だもんな、そういえばそんなこと聞いたこともあるなぁと考えた。

あと数日したらお腹の中の子供の死産届けを出さないとダメなんだ。

死産届けって、勝手に出しといてくんないのかな。

なんでさらダメージ受けないとダメなんだろうな。

この13週、というか4週ほどは卵子スタートから計測になるので実際に体感しているのは9週ほど。

吐きづわりが酷く、見事に6kgほど落ちた。これも生きてるから耐えられた。

食べられないから体力が落ち、虫歯もできた。でも生きてるから耐えられたんだよな。

正直今も気持ち悪い。なんなら一度吐いた。胎児お腹にいるうちは体が錯覚するという。なんでや。自覚してくれ私の体…。

私なんかはきっと、流産死産経験したことのある女性の中でも〝ダメージが少ない〟方だと思う。

21週で死産した友人もいる。出産時にへその緒が絡まりすぎて心肺停止していたことも聞く。彼女たちに比べたら、たった四ヶ月なんだよな。

それでもこんなに辛いなんて知らなかった。

もしこれが第一子だったらとんでもないトラウマだよな…。正直泣きながら書いたけど、上の子いるからこそ浸りきれてないところがある。気を紛らせていられるところも、ある。

ようやく冷静になれてきた。

旦那にもあまり、詳細は言いたくなかった。実母にも事実だけを伝えた。下手に気を遣われたくなくて。誰に対しても、こんなつぶさには話さないと思う。

職場の仲のよい人たちにはあまりもつわりが辛すぎて協力を仰ぎたくはじめから伝えていた。ので、入院以後のことも気を効かせてくれるらしい。ありがたい。人の優しさがありがたい。

ももし、今後こんなことが人から聞くことがあれば、正しく支えられるというか、そっと気遣ってあげられるようになりたいなとアラサーになって思った。

まれてくるときは令和元年かぁ…と思っていたんだけどな。

泣いたし、書いてスッキリしたし、眠たくなってきた。

あとは旦那に任せて今日はふて寝してもいいかな。いいよな。寝る。

2019-05-01

結局さー、あんたは出産っていう、誰もが認める理由の下で仕事を辞めたいってだけなんだよね

できれば働きたくないし、だらだら暮らしたい、けど専業主婦って軽く見られるのは嫌、何か大義名分がほしい

そんな利己的な理由子どもを産もうとするから流産するんじゃないの?

いやまぁ、そこに因果は無いけどね、どうしてもそう思ってしまうんですよ

転職してきて1ヶ月で妊娠するかー?っていうね

どうでもいいところは真面目で、大事なところはクズだよね

もちろん制度的には認められるべきなのだろう

けど認められるとするなら、その対策を講じるための情報は早めに欲しいわな

感情を入れてしまっているから、何も考えずシステマチック淡々と処理できるようにしたい

自分たまたま知ってしまったけど、その情報正式にくれる安定期まであと何ヶ月あるのやら

2019-04-26

anond:20190325154215

元増田で、間が開いた応答になってしまい恐縮ですが、

ご応答頂きありがとうございます

頂いた増田を踏まえて、改めて読み返すとと初期流産したと読むのが一番しっくりきますね。

最初

C) 流産した → そんなことになったら検診なんかしなくても分かるのでは?妊娠初期だと気づかなくて流産ってあるのかな?

と書いていましたが、気づかずに流産するというケースも含めて初期流産は珍しくないという増田を頂き、そう解釈するのが自然だと思うようになりました。

化学流産の話も含めて大変勉強になりました。

2019-04-18

NEW GAME! バッドエンド集考えた

https://anond.hatelabo.jp/20190419174113

涼風 青葉

持ち前の健気さと真面目さを武器努力を続ける。しかスランプに陥り、絵が描けなくなってしまう。真面目さが災いし、誰に相談することもなく、自分の力のみでスランプを乗り越えようとするも、押しつぶされてしまう。自分が今までうまくやってこれたのは、コウという師がいてくれたから。そう結論づけた青葉は、コウを追いかフランスゲーム会社に入ることを決意。コウと再び一緒に仕事をできることを夢見て、フランスに渡る。

・桜 ねね

大学4年、イーグルジャンプから内定を貰ったねねっちは調子に乗って友人に自慢する。無い内定の友人の逆鱗に触れ、人間関係悪化する。ゼミに顔を出しづらくなったことが原因で卒業要件単位を取得できずに春を迎えてしまう。やむを得ず退学して高卒イーグルジャンプ入社。頼りにしていたうみこは何故か会社におらず、しかプログラマ仕事に没頭する。青葉が会社を去った時、遂に孤独を感じてしまったねねっちは、自分のやりたいことがわからなくなり、なぜこの会社入社たかを自問する。かつて師であり指導してくれたうみこはおらず、友人も会社を去った。こんなはずではなかったと衝動のままに退職し、少しの貯金を頼りに自分探しの旅を始める。

篠田 はじめ

アニメイベントに参加しているうちにオタク仲間が徐々に増え、その仲間内で姫扱いされるようになる。慣れない女性扱いに戸惑いつつも、ちやほやされるのが気持ちよくもあり、しか増長はしないように自重することで、良い距離感オタク仲間たちと共にコミュニティを築きあげる。ひょんなことでゆんにコミュニティを紹介すると、ゆんもコミュニティを気に入り参加するようになる。はじめと違い次第に態度が尊大になっていくゆんをたしなめるも、ゆんはその態度を変えることはなく、むしろ日に日に増長するようになる。ゆんとの関係悪化し、コミュニティ内にはじめ派とゆん派の派閥ができた頃、ギスギスした雰囲気が嫌になったはじめはコミュニティを脱退する。その後、ゆんと気まずくなり、職場ではただの仕事仲間の関係になる。数年後、部署が変わったはじめは、ゆんが会社を辞めたことを同僚から聞いたとき、気まずい人間関係が終わったことに内心ほっとする。以前よりもゲームアニメを楽しめなくなり、人と距離を縮めることに小さなトラウマを持つようになるが、何を行動するでもなく、そのまま仕事を続ける。

飯島 ゆん

はじめからコミュニティを紹介され、オタク仲間と仲良くなる。はじめと同様にちやほやされ姫扱いされるのが気持ちよく、よく顔を出すようになる。はじめがコミュニティを脱退すると同時に、ゆんのコミュニティ内の地位は決定的なものになり、尊大な姫として振る舞うようになる。しかコミュニティは次第に不安定ものになり、新しく女性コミュニティに参加するたびに争いと軋轢が生まれるようになる。コミュニティは分裂を繰り返し小さくなっていき、姫の地位を失うことを恐れたゆんは、きわどいコスプレ撮影会を開催、同衾し、なんとかコミュニティ繋ぎ止めた。だが行動はさらエスカレートし、ついに自分の妹弟の写真を使って気を引く様になった時、警察通報される。コミュニティ崩壊し、会社を辞め、親に泣かれ、妹弟から避けられ、何もかもを失ったゆんだったが、いまだ姫として扱われた幻想に囚われ続けている。彼女ひきこもりながら動画配信を始める。

・滝本 ひふみ

趣味コスプレ活動を続けるうちに、ファンが付くようになる。そのうち一人の女性と仲良くなり、友達になる。ある日、コスプレ活動をした帰り道、どこからかやってきた男性ファンに強引に言い寄られてしまうが、間一髪のところで友人に助けられる。ショックで泣いているひふみを慰め、危ないからと友人宅に泊めてくれた友人は優しかった。安心しきっていたひふみだったが、その夜、友人に告白される。混乱しショックを受けたひふみは友人宅を飛び出してしまう。家に帰り布団にくるまって考える。有名になってもいいことは一つもない……そう考えたひふみは、コスプレ活動を辞め、ファンとの交流の一切を断つことを決意。新しくできた友人の連絡すらも。数年後、ひふみは平穏な日々を過ごしていた。しかしふとした時に考える。友人と縁を切る必要はあったのか? 気持ちに応られなくても、友達として関係を続けることはできなかったのか? そのような考えも今となっては……ひふみは毎日宗次郎と暮らし、いつものように変わらない日々を過ごす。

・遠山 りん

コウがフランス出会った男性婚約独身最後パーティでコウに思いの丈をぶつけるが断られる。パーティの帰り道に出会ったバンドマンと一夜を共にして付き合うことになるも、二股と金の無心を繰り返される。恋人と別れ、東京から逃げるように地方WEB制作会社転職。そこで一からキャリアを再出発し、いかんなく能力を発揮し業績を上げるも、ワンマンセクハラ上司の誘いを断ったことに逆ギレされ、社内いじめが発生。再び逃げるように派遣会社転職する。その後派遣として転々とした生活をし、キャリアを終える。

八神 コウ

フランス出会った男性結婚共働きで忙しくも仲睦まじい生活が1年続いた後、第一子を出産する。育児休業を取り子育てに専念するようになるも、仕事に戻りたいコウと、家庭に入ってほしい夫とぶつかるようになる。第二子流産きっかけに離婚し、子供と二人暮らしをはじめる。元のゲーム会社に復帰し時短勤務を始めるも、以前のような仕事を任せてもらえず、また思うように絵が描けず、フラストレーションがたまっていく。仕事と家庭の両立に疲弊しつつも、コウなりに良い母親になろうと努力する。しかし思うようにいかない家事仕事鬱憤子供にあたるようになり、ついに暴力をふるうようになってしまう。激務に倒れ、病院に運ばれた際にDVが発覚してしまう。子供は元夫が引き取るようになり仕事に専念できるようになったコウだが、良い親になれなかった自身を生涯責め続け、以前のような絵を描けなくなる。

阿波根 うみこ

休憩中にふざけて撃ったガス銃の弾が同僚の目に命中失明させてしまう。多額の賠償金を支払うことになる。イーグルジャンプはいられなくなり、会社を去る。

2019-04-13

anond:20190406171138

どうせ十年くらいしたら、「あの時は辛かったわ~」とかいって幸せあっピールするんだろ?

子供作ったときに大変なのくらい覚悟して産んだんじゃないのかよ甘えるな

流産するよりマシじゃん

そんなにいやなら一人誰かにあげろよ

ほしがる人たくさんいるよ

(前に書いた日記字数制限があったらしく切れてしまったので続き)

自分気持ちの整理のために吐き出したのでまとまってないし長い)



(主に要求を突きつけ言ってくるのは母親だが、それを止めず、兄に何も要求せずに与え続けたのは父も同じ)

から、もう絶望している。おそらく、間違いなく、親は己の兄妹の扱いの格差自覚していない。自覚せずにそれが当然、平等だと思ってやっているのだ。

表向きは仲の良い親娘として40年近くやってきたが、心の底で、自分はずっと親に失望し、怒り、泣いていた。そして、絶望し、諦めた。



実は親には言っていないのだが、自分は今、妊娠している。

だが、まだ産めるかどうかわからない。年齢的に言って流産確率が非常に高く、運良く妊娠継続できても染色体異常の確率は高い。もし検査で陽性が出たら中絶するつもりだ(育てる余裕がない)。

だけどもしも、もしも無事に産めたら。この子だけを可愛がろう。きょうだいなど要らないし作れない(年齢的に)。

自分聖人ではないし、子供を贔屓しないとは言い切れない。自分が親にされたことを絶対にしたくない。子供は一人だけで、愛情を独り占めさせてやろう。

そして、もし産めたとしても、両親には絶対に抱かせない。あなたたちの孫を産むのではない、私の子供を産むのだから

あれ程見たがっていた孫の顔を見られず、さぞかし親は哀しがるだろうと思うと、溜飲が下がる思いだ。

子供自分復讐の道具にするなという批判はあるだろうが、子供など親のエゴで生むものだ。少なくとも、子供自分の見栄と体裁の道具にしていたうちの親にだけはそれを言われる筋合いはないだろう。

こうなったのも教育の賜物だ。『お前は冷たい』と言われ続けたからそうなったのだ。因果応報、育てられたように育ったのだ、うちの両親は子育てを間違えたのだ。

そうなったらこから子育てに忙しいので、介護の余裕などない。マンションを与えて甘やかし可愛がった兄を頼ればいい、あちらには子供もいないしローンもないのだから余裕だろう。

親になったら、あなたがたの子供でいることを辞めるつもりだ。葬式には出るかもしれない。安心してほしい、墓の永代供養料は私が支払い済みだ(親の目の前で払ったのに、すっかり忘れてくれていたが)。

もしも子供が産めなかったとしても、もうあなた方とは縁を切りたい。依怙贔屓する親も前科者の兄もいないものとして生きていくほうが気楽だ、いずれ最後は一人だ。

だがもしも。

もしも自分たちの過ちを認め、自分たちが間違っていた、辛い思いをさせた、申し訳なかったと心から謝ってくれるなら、私は親子でい続けたい。

お父さんお母さん、私に謝ってください。

どうか、謝ってください。

お父さんお母さん、私に謝ってください

自分の気持の整理のために書き連ねる。自分語りで相当長い。


昭和生まれ就職氷河期経験済みのアラフォー

二歳年上の兄(長男)がいる。自分は長女だ。

幼い頃は特に兄と自分への待遇に差を感じたことはなかった。

親は団塊世代で当時は給料右肩上がり時代で、それなりの中流家庭だったと思う。

習い事などもどちらもそれぞれ好きにやらせてもらえていた。

兄が通っていた地元の塾に自分も行かせてもらい、兄は一足先に中学受験をして某私立中高一貫校へ進学した。

自分最初の塾(兄と同じ)で、『御三家も狙える』と言われ、有名な大手進学塾へ通うようになった。

毎週土日のどちらかには親に連れて行ってもらって都内テストを受けに行き、自分純粋に楽しんでいたが、それに付きあう親は大変だったろうと思う。


そしてその頃から、どうやら兄は道を徐々に踏み外していったらしい。

具体的に中学生の兄の身に何があってそうなったのかは今でも知らない。

兄は万引きなど軽犯罪を繰り返すようになり、親が警察に行くこともたびたびあった(当時、自分にはそれらの事実は知らされなかった)。

自分と兄はひとつ屋根の下暮らしていたが、部屋は別々で元々仲の良い兄妹でもなかったし、

自分中学高校御三家の一つに受かった)で良い友人に恵まれ学生生活を楽しんでいて、兄のことはほぼ眼中になかった。

ただ、それでも兄や両親を見ていて、『兄が道を踏み外しつつある』こと、『親が兄の対応で大変らしいこと』は雰囲気でわかった。

から自分まで親に負担をかけてはいけないな、と子供ながらに思っていた。

別に親のためにいい子でいようと思ったわけではない。

道を踏み外していく兄を尊敬できなかった、いや、心から軽蔑していた。ああはなりたくない、と思っていただけだ。

学校の友人の兄弟はみな出来が良くて、どこに出しても恥ずかしくない「まっとうな」人達で、比べると自分の兄が恥ずかしかった。

学歴なんかの問題じゃない、今でもそれで兄を差別する気はない。

犯罪を犯すこと(万引き以外にも路駐やら何かでしょっちゅう警察から電話があった。警察バカにし、遵法精神などまるでなかった)、

それで親に多大なる迷惑と心労をかけていたこと、それを反省もせずにまた繰り返すこと。

兄の心理など知る由もないし、なにか彼の思春期問題があったのかもしれない。

だがだからといって兄の行為正当化される訳もない。繰り返すならなおさら弁護の余地もない。

私は心の底から兄を嫌い、軽蔑し、しかし表にはそれを出さずに、ただ兄とは接触しないようにしていた。

(なぜなら、兄は短気で暴力に訴える人間だったからだ。一度自分がそういった態度を見せた時、夜中に枕元に金属バッドを持ってすごんできたのは忘れられない。

  そしてそういった基質もまた、私の兄への侮蔑をより強める結果になった)



そして兄は高校を(なんとか)卒業し、大学へは行かずにフリーターになった。

親はどこでもいいか大学へ行かせたかったようだが、兄本人が『大学でやりたいことがない』と進学しなかった(ここは兄が正しいと思う)。

ありがちな話だが、兄は音楽の道を進もうとしたらしい。バンドを組んで、いわゆるバンドマンになった。

音楽活動の実態は何をしてるのかさっぱりわからなかったが、さほど身を入れてやっている様子もなく、芽も出なかった。だが諦めきれないのか、フリーターをしながらだらだらと続けていた。

自分高校卒業大学へ進学した後も、兄はその生活をしばらく続けていた。

そのうち、兄は一人の女性(Aさん)と知り合った。そして二人は結婚を考える仲になった。

Aさんはとても良い女性だった。自分や両親とも仲良くしてくれて、兄は大嫌いだがこんな姉ができるなんてほんとに嬉しい、ようやく兄が自分にとって良い行いをしてくれたと思った。

しかしここで、両親は最大の過ちを犯した。

何を思ったのか、兄にマンションを買い与えたのだ。親の名義でローンを組んで、兄と彼女の新居にしろと兄に与えた。

フリーターの兄に月々のマンションに係る支払が払えるはずもない。それはすべて親が払っていたのだ。しか結婚も確定しないうちに買って与えた。

呆気に取られた。納得できないが親の気持ちになって考えてみれば、『Aさんに逃げられないように、住居が確定していれば結婚生活も楽になるだろう』ということだったのかもしれない。

『妹は大学へ行かせてやったのだから、兄にも何か与えねば』と思ったのかもしれない(しか自分国立大で、学費トータルしてもマンション費用20%にもならないのだが)。

兄は別に特段の感謝をする様子でもなく、当たり前のようにそれを受け取った。

そしてその後、結婚が決まっても一向に定職につこうとせずに自堕落生活を続ける兄は、Aさんに愛想をつかされて結婚前に出ていかれた。

(兄はAさんに入れ込んでいたらしく相当なショックを受けていたが、自分から見れば当たり前だばーかしか思えなかった)


この頃からだろうか、自分が『親は兄を贔屓している』と思うようになったのは。正確には、『親は兄を甘やかしている(自分には厳しいのに)』と感じ始めたのは。


自分は親に言われた。『私立大に行かせる金はないし仕送りをする余裕もないから、家から通える国立大しろ』と。

親の言うことに従おうとしたわけではなかったが、自分の行きたい大学はその条件を満たしていたので、結果として親ののぞみを叶えた形になった。

しかし心のどこかに、『親ののぞみを叶えたい』という気持ちがなかったとは言えない。兄で苦労させられている親を見てきて、自分だけは親が誇れる子供でいようとしたのかもしれない。

通おうと思えば通えたが、一人暮らしに憧れていたこともあり、親の援助は一切受けずに一人暮らしを始めた。貯金バイトでなんとかまかない、4年間それを続けた。

親が兄にマンションを買い与えるまではそれも納得していた。だが、親がそれをした時、自分の中で不公平だという気持ちが生じた。

根底に『「親に迷惑ばかりかける穀潰しろくでなしの」兄に、なぜそんなに金をかけて甘やかすのか?』という考えも当然あった。

自分にとって兄は「いないほうがマシ」で、存在する事で何もいいことがない、迷惑なだけの存在だった。

グレてようがフリーターだろうが、優しい兄なら愛せたろう。だが、兄としての優しさを見せてくれたことなど数える程もない(その数回も小学生以下の時だけ)。

家庭を持って子を為し、親に孫の顔を見せて安心させてくれたなら、「普通」で「まっとう」な人間になってくれたなら、それで兄を見直すこともできただろう。

しかし兄は正真正銘クズなので、逆の道にしか行かなかったのだ(それについては後述)。自分が兄を見直す機会はおそらく死ぬまで来ないだろう。

(余談だが、なかにし礼氏の小説再現ドラマ(兄との関係を描いたもの)を見た時、心からなかにし礼氏に共感した。自堕落でお調子者で弟にとって迷惑な兄。

なかにし礼氏が兄の葬式後につぶやく、『兄さん、死んでくれてありがとう』がわかりすぎて辛かった。

何年先かわからないが、おそらく自分も兄が死んだ時、『死んでくれてありがとう』と心から思うだろう。自分が先に死ぬかもしれないが)



Aさんに逃げられた後、しばらく兄は自堕落生活をしていた(親が金を払っているマンションで一人ぐらし)。

自分は何度も親に『マンションから出て行かせろ、でなければ兄は自立できない』と言ったが、親は『そんなこと実際にできるわけがない』『目の届かないところに行かせるほうが不安だ』と言って聞かなかった。

この頃から自分の中で『兄が駄目になったのは親の(甘やかしの)せいではないのか』『親は己の見栄しか考えてないのではないか』という疑念が湧いてきた。

やがて自分大学卒業して、氷河期の中なんとか上場企業就職を決めた。

希望の会から内定が出ず、文系プログラムなど全くわからないのにSEになることになったが、就職できただけでよしとするしかなかった。

親の反応は『とりあえず上場企業から、外への体裁が整った』というものだった。親にとって自分は見栄のための存在なのだなということが、徐々にわかってきていた。

同じ頃、兄もようやく某リフォーム会社営業として働きはじめた。

兄の営業成績は良かった(もともと外面だけは良い)ので、いっとき小金持ちになれたらしい。外車を買ったが、マンションの金を親に返す気はさらさら無いようだった。

その外車ポンコツなのかあるいは外車とはそういうものなのか、しょっちゅう壊れて修理代がかかった。あまり乗らないせいもあっただろう。

乗らないのなら売ればいいのに『売っても二束三文しかならない』と兄は言い張り、親はなぜか修理代を肩代わりして払ってやっていた。

(散々修理代を払って直して、最後にはやはり壊れ、ろくに乗りもしないままに結局二束三文で売ったようだった)

マンションの支払いは親が続けていた。このころようやく、月々の管理費や積立金などの維持費だけは兄が支払うようになったようだった。

そのうち、バツイチ子持ちの女性Bさんと知り合い、今度は結婚した。Bさんについては自分ほとんど知らない。

その頃自分は向いていない仕事かつ長時間労働で心身を病みかけており、朝焼けの街を徹夜明けで泣きながら一人家路についたりしていたので、兄のことなど構う暇もなかった。

結婚式には一応出た。ストレスで過食気味になりむくんだ顔の自分愛想笑いを浮かべて写っている写真は見返したくもない。

兄の結婚になんの感慨もなく、『これで普通人間になってくれれば』と願っただけだった。兄に望むただ一つのことは『普通の家庭を築いてくれ』で、それ以上は望まなかった。


予想していたが、兄の結婚生活は長くは続かなかった。

営業成績が良いのに浮かれ、独立すると言って仕事を辞めた兄だったが、ろくなノウハウもない個人リフォーム営業がそうそう上手く行くわけもない。

あっという間に生活は行き詰まり、さっさとBさんに逃げられた(どうやら浮気されていたようだが、それを追い詰める気力もなかったようだった)。

そしてまた、マンションで自堕落生活に戻った(もちろんマンション維持費は親払いに戻った)。

自分はずっと『兄を甘やかしすぎだ、マンションから追い出せ、マンションを売ってしまえ、でなければ兄は自立しない』と親に言い続けていたが、ずっとでもでもだってで聞き流された。

『(万引きなどの)前科があるから、追い出したら何をするかわからない。もっと悪いことになるかもしれない』『どれだけ言ってもあいつはこちらの言うことを聞かない』。これが親の言い分だった。

しみじみ、親も兄も情けなく、どうしようもないと思った。『お前は冷たい』と言われた。

そもそも最初にあれが道を踏み外した時、お前の中学受験にかかりきりで、親としてろくに関わってやれなかったのが悪かったから』と。

そう言われて自分にどうしろと? 責任を感じろというのだろうか? もうとっくに成人していい年になった兄を憐れめと? 親でもない自分がなぜ親と同じ感情を共有せねばならないのか?

『ずっとそう言い続けて兄を甘やかして、それで状況が好転たか? 好転する見込みがあるというのか? 兄の自立を妨げているだけではないのか?』

そう言っても、親は同じ言い訳を繰り返して兄への甘やかし(マンション与え)をやめようとしなかった。 

自分の中で、兄への嫌悪と親への嫌悪比率は徐々に逆転していった。兄がどれほどのクズだろうが、どんな人生を送ろうがもはやどうでもいい。

自分と同じ親のもとで、恵まれ環境で育ったにも関わらず、兄は自ら堕ちていったのだ。兄の人生は兄のもの、好きに生きればいいしどこでのたれ死のうが勝手にすればいい。

兄よりも、そんな兄を甘やかし続ける親のほうに不信と不満が募っていった。なるほど、親がこうして甘やかすから兄は更生できないのだと納得した。

そして『兄が自分よりも甘やかされてる事実』にどうしても納得できなかった。自分特別扱いしろというのではない、兄を特別扱いするのが耐えられなかったのだ。同じ子供として平等に扱ってほしかった。

自分大学時代、兄は親が与えたマンションゆうゆう一人暮らしして、自分仕送りを一切受けられずに生活費のすべてを自力で稼いだ。

就職してから、兄は親が与えたマンションで好き勝手暮らして、自分は親に金を入れていた。家に金を入れるのは当然だと思う気持ちもあったが、理不尽だと思う気持ちはどうしても拭えなかった。

その気持ちに耐えられず、『兄と比べてあまりにも不平等だ、兄にも金を支払わせろ、兄を甘やかすのもいい加減にしろ』と泣いて言ったら、『じゃあこれからお前も金は入れなくていい』と言われた(そうじゃないだろ)。


家庭のことや仕事ことなど色々あり、結局自分新卒で入った会社を3年ほどで辞めてしまった。親に『30までにやりたい道(フリーランス)で食っていく目処をたてる』と誓い、宣言どおりに28で目処を立てた。

兄は親が見つけてきた非正規パート仕事をなんとかこなし、その頃にはそこそこ年季も入って板についてきていた。新しい彼女(Cさん)もできたようで、マンションで一緒に暮らし始めた。

だが、そんな矢先。兄が、クスリで捕まった。

最初に一報を聞いた時、親はともかく、自分は『まあ、あるだろうな。やっぱりな』としか思わなかった(基本的に兄の人格を信頼していないので、何を起こしたと聞いても『やりかねない』としか思わない)。

もちろん家族の誰も気づいていなかった。家族の目の届かないマンションでずっとやってきたものらしい。

自分は『言わんこっちゃない、だからマンションから追い出せとあれほど言ったのに、甘やかし続けた結果がこれだ』と親に言った。親は『そんなこと今更言っても仕方ない』としか言わなかった。

そこからの詳細は省くが、兄は執行猶予がついて戻ってきて、兄を見捨てなかったCさん(菩薩かよ)と今でも親の与えたマンション暮らしている。Cさんが見張っているので再犯はないと思いたい。

Cさんには敬意と感謝しかない。彼女がいなかったら兄はもっとだめになっただろう。

しばらくCさんに食わせてもらっていた兄だが、今はまた派遣で職について、そこでの仕事軌道にのってきたようだ。今度こそは歳も歳なので落ち着いたと思いたい。

(ちなみに、また維持費だけは払うようになったが、購入費は一切払っておらず、名義は父のまま。毎年実家よりも高い固定資産税を払っているのも父)



兄はもうどうでもよく、二度と犯罪を犯すなCさんにだけは迷惑をかけるなCさんだけは大切にしろしか思っていない。

残念なことに、自分の中で兄の見方が変わることはこの先死ぬまでない。今の兄と表面上でも付き合えるのはCさんあってこそだ。Cさんを姉と慕っても、兄を兄と慕うことは生涯ない。

きょうだい他人の始まりとはよく言ったもので、兄への気持ちはもうこれでいいと落ち着いている。

だが、「未だに」なのか、「今だからこそ今まで積もり積もったものが」なのか、自分の中で親へのわだかまりだけはどうしても消えない。考えると落ち着かず、心がざわつく。

もう親も老い自分もいい年だ。親も人間であり、それも見栄っぱりで子供平等に扱わず贔屓するようなできの悪い人間だったんだと納得するしかないとわかっているのに、

自分はどうしても、親に『自分たちが間違っていた』と言ってほしい。子育ての過ちを認め、自分がどれほど辛い思いをしたか理解し、悪かったと謝ってほしい。

だが、過去喧嘩した時の経験から、親は絶対自分の過ちを認めない、ましてや子供から言われる言葉を決して正面から受け止めないとわかっている。

『それが親に対して言う言葉か』『何様のつもりだ』『はいはい、全部こっちのせいだって言いたいんでしょう』…そう言って絶対絶対自分の過ちを認めない。老いた今、なおさら頑なになり認めないだろう。



自分自分なりに、親の期待には応えてきたと思う。教育で親に金をかけてもらった事は感謝しているが、それだけの成果をちゃんと出し、結果をだした。

なのになぜ、自分は兄と同じに扱われなかったのだろう。自分けが要求され、応え続けねばならず、それなのにそれを評価もされなかったのだろう。

これを言うと嫌な人間だと思われるだろうが、客観的に見て自分のほうが親に貢献しているしまともな人間として育った(少なくとも前科ものでなく、親に迷惑をかけていない)という自負があるだけに、やるせない思いがある。

本来なら自分のほうが親に贔屓されて然るべきではないのかという思いがあることは否定しないが、贔屓してほしいとは言わないしするべきでもない。

ただ自分に求めるものは兄にも求め、兄に与えたもの自分にも与えてほしい、子供の間に差をつけないで平等に接してほしかっただけだ。

男女の差だというのならばなおさら、兄には『長男』としての役割と責務を求めるべきだったろうに、なぜ私が長男役割も果たさねばならないのだろう。

兄が結婚した時、自分は『兄が孫を作ってくれたらそれだけが兄の親孝行だ、自分にも兄がいた意味がある。せめてそれくらい孝行しやがれ』とわずかに期待したが、兄は子供を作る間もなく離婚した(そもそも作る気もない)。

母は自分にだけ言う、兄には絶対に言わないのに、『老後の楽しみがほしい、孫が見たい』と。

子供はジジババの楽しみのために産むもんじゃねえし産んでおしまいじゃない、何ならあなたがたが育ててくれんの? 育てる金あるの? と応えたら沈黙した。

そんなに孫が見たいなら兄に言ってくれ、男なんだから自分よりよほど確率が高いだろうと言ったら、『あの子に育てられるわけがない』。『何を言っても無駄』と言って、兄には20年以上何も要求しない。

精子バンクとかあるでしょう』『50歳で産んだって例もあるし』とまで言われた日には本当に失望した。

50歳で産んだ女性はほぼ卵子提供で母方の遺伝子は入らないし、養子じゃ嫌だってんならそれ(母方の遺伝子が入らない)も嫌なんだろうに。

そもそも出産までにどれだけ苦労したか流産だって何度も経験してるはず)、不妊治療にどれだけお金がかかったかわかってて言っているのか、そして不妊治療高齢出産がどれだけ母体負担がかかると思っているのか。

娘の体など、自分の楽しみのためにはどうなってもいいのだろう。

孫の立場にしたって、父親がいない家庭に生まれることになるのだが、そういったことを考えてもいないのだろう。ただ、自分が欲しいから、だ。 

私の結婚も、自分の見栄だけのためにしてほしかったらしい。大切なのは見栄と体裁で、娘の幸福などどうでもよかった。

結婚しない女はなにか問題があると思われる』なんて言われても、それはあなただけの醜い価値観だろう、未婚率が三割の時代にそんな事思うほうが少数派だ。

図らずも未婚女性への「己の偏見」を曝け出したことにも気づかずに、『あなたのために言っている、それが世間だ』などと諭してくる醜さ。兄にも同じことを言えばいいのに。

結婚しろ』と言われるのが嫌で、それを避けるために誰でもいい、一回結婚さえすれば文句を言われまいと思って結婚したけれど、上手く行くわけもなく2年も経たずに破綻

(付き合っていた人とは、兄の事件で別れざるを得なかった。結婚した人には家族ぐるみで兄のことを隠した。そんな結婚うまくいくわけもなかったし相手には申し訳ないことをしたと思う)

その時の言葉も『せめて2年は持たせろ、外聞が悪い』『相手の親に私(母)の顔が立たない』『どうせお前のわがままだろう』…出てくるのは己の見栄と体裁のための言葉だけで、一度も娘の心情を慮る言葉は出てこなかった。

兄が同じように2年程度で破綻した時、兄に同じ言葉を突きつけたなら、そういう人なのだと納得もできたかもしれない。だが、兄の離婚に関して親は兄に何も言わなかったのだ。

(主に要求を突きつけ言ってくるのは このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2019-04-12

anond:20190406171138

ふざけんなくそ女。

お前みたいな女が代わりに流産してくれりゃよかったんだ。

2019-04-08

忘れられない

おそらく、統合失調症の類を患っている人でその人の被害妄想バカみたいに親身になってただけだけど、

流産したわ!お腹赤ちゃん返せ!

って他人にブチキレてたのとその声が忘れられない。きっと妄想旦那さんと妄想の赤子がいたのだろう。

2019-04-06

化学流産したらしい

薄いけど、陽性反応でて油断しちゃったよーーーーーーーーーーーーー

夫にも「まだ本当にできているかからいから、喜ばないようにする」と言われて、

かにと思ってたけど、やっぱり嬉しかったんだよーーーーーーー

あーーー生理つれーーーーーーーーーーーー

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