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はてなキーワード: 鉛筆とは

2023-06-10

中学受験で失ったもの

24年間、私はずっと恵まれていた。

家族はたくさん私のことを愛してくれたし、友だちもみんな優しくて大好きな存在である。来世もまた私として生まれたい。それくらいに、幸せな日々を送っている。

でもひとつだけ、もし叶うのなら次の人生中学受験はしたくないと思っている。私の人生のなかでいちばん苦しい記憶からだ。

先に言っておくと、塾の先生たちも、両親も、みんな私のことを想ってくれていたと思う。そこに在るのは確かに愛であって、その他のなにものでもなかった。ただ、小学生の私には分からなかっただけ。すれ違ってしまっただけなのだ。だから誰も悪くないし、私は両親のことがずっと大好き。

でも、似たような気持ちを抱えている人もきっといる。だからせめて、ある程度の言葉の整理をつけられるようになった自分が残しておきたいと思う。

小学四年生わたしは、中学受験というものをあまり理解していなかった。それまでもたくさん習い事をしていたし、いずれ塾に通うことは聞かされていたからなんとなくそういうものなんだと思っていた。

そして入ったのは、某大手中学受験塾。狙うは日本屈指の名門校。そのために毎日たくさん勉強をした。テストの点数が悪かったら怒られてしまうから放課後は急いで帰ってすぐに塾に行って、テストが始まるまでずっと机に齧り付いて勉強していた。

小学校での成績はいちばんだった。先生に褒められて嬉しかったし、誇らしかった。友だちにすごいねって言われるたび、私は皆とは違うんだと思っていた。多分、周りを見下していた。世界は私を中心に回っていると思っていた。

同時に、朝学校で友人たちが「昨日は楽しかったね」って笑い合ってる会話についていけないことが悲しかった。前述の通り、当時わたしはだいぶ性格が悪かった。その自覚もそれなりにあって、だからこそ私にも屈託なく「次は一緒に遊ぼうね」と言ってくれる友人たちのことが本当に好きだった。本当に、大好きだった。当時は塾や家が(強制的に)勉強をさせられる場所だったからこそ、余計に。

そして小学六年生になった。

受験勉強が本格化していく。友だちと遊べる日なんて1日もなくて、土日は塾に12時間以上拘束されている。家に帰っても勉強息抜きといえばご飯を食べながら観るテレビアニメだけ。そんな毎日だった。

でもそれは私だけじゃない。同じ塾に通う子たちもみんなそうだった。テスト中、何度も何度も鉛筆を腕に刺し続けている同級生がいた。テスト中、ずっと髪を抜き続ける同級生がいた。テストの結果が悪かった次の日、大きなもみじ型の跡を頬につけてやって来る同級生がいた。テストの結果が悪かった次の日、当時流行っていたDSを半分に折られた同級生がいた。もう勉強したくないと言って喧嘩になって、そのときいちばん大好きだった漫画をびりびりに破られたことがあった。私の部屋の壁にいくつかの穴があいた。私の部屋の壁が私の足型にへこんだ。生徒を集めた決起集会で、先生が教壇にマイクを投げつけていた。

そのひとつひとつ、すべてが誰も悪くない。何も悪くない。いまの人生への影響なんて、何ひとつない。たぶん皆そう言う。そんなこともあったなあって、しみじみ言うだけと思う。そこに在るのは、ただ、愛だった。

それでも、それでも。たぶん、そのひとつひとつ光景死ぬまで忘れないと思う。あの時、いつも私はきっと同じ時間公園で遊んでるのであろう大好きな友人たちのことを思い浮かべていた。目の前で広がる現実を、一歩後ろに下がったような場所で見ていた。なんで私はここにいるんだろう、そんなことをぼんやり考えていた。

そして私はついに我慢ができなくなって、中学受験したくないと親に言った。受験総本山である夏を乗り越えた、11月のことだった。もちろん大喧嘩になった。このままいけば、確実に志望校に受かる。あと数ヶ月頑張れば終わるのに、ここまでやってきた努力に報いるためにも、あとちょっとだけ頑張ろうと言われた。それでも、当時のわたしはもう限界だった。いちど口に出してしまえば、止まらなかった。友人たちと同じ学校に行きたいし、少しでもみんなと遊びたい。そう思う今が大事なのであって、未来のことも過去のことも、どうだっていい。

そう泣き叫びながら家を飛び出して、塾をサボる日々が始まった。でも遠くに行くのは怖かったから、隣の家との塀の間にずっと隠れていた。屋根屋根あいから見えた突き抜けるような青い空が綺麗だったことを今でも覚えている。当時の私は、自分意思でもないのに、ここまで苦しい思いをして入る学校に何の意味があるんだろうと思っていた。それは実際、今でも思っている。

ただ昔と違うのは、今の私は、子どもの将来のためにレールを敷くことの大変さも分かるつもりでいる。朝6時に家を出て、夜11時に帰ってくる父親は、そのあと私に勉強を教えてくれていた。土日も、私が家にいるあいだはつきっきりでずっと。社会人になった今、それがどれだけ大変なことだったか、分かるようになった。母親は、塾のお弁当にいつも私が好きな食べ物をたくさん入れてくれていた。成績には厳しいけど、代わりに良い成績を取ったらたくさんたくさん褒めてくれたし、友人たちの誰よりもたくさんの物を買ってもらっていた。服も、本も、文房具も。不自由なんて何ひとつなかった。いつだって私は愛されていた。ずっと、愛しかなかった。でも当時の私は、その愛を目一杯享受して利用しながらも、見ないふりをしていた。

受験当日。結局わたしは、受験会場にいた。

名前欄に自分名前を書かないこともできたはずだった。でも、しなかった。わたし名前を書いて、見直しもして、解答用紙を提出した。結果は合格だった。それが確かに自分意思なのか、既に私の道は最初からまっすぐ一本道しかなかったのかは分からない。でも合格発表のとき母親と抱き合って泣いた。たぶん、色んな感情があったと思う。こうして私の中学受験は幕を閉じた。

この話を通じて、中学受験の是非を問いたいわけじゃない。ただ、あの日々が健全ものだったとは今も思わない。大好きだった漫画がびりびりになったときに、一緒に破れてしまった何かはきっとあったと思う。私にも、親にも。仄暗い恨みみたいなものも長年消えなくて、中高時代は嫌なことが起こるとすべて親のせいにしてしまっていた。嫌なことが起こるたび、私にレールを敷いたあなたたちのせいだ、とずっとずっと詰っていた。今から思えば、まだ親の責任下にある「子ども」に対して与えられたひとつの逃げ道だったのに。私の言葉は、親をたくさん傷付けていたと思う。その後の大学受験では、わたし100%自分自身意思で選んだ進路を一切否定されなかった。そして私は私の意思で、文学部に進学した。ずっとずっと昔はいずれ医学部に行ってほしいということを言っていた親も文学部に賛成してくれた。

中高時代わたしにとって「勉強」は、小学生時代の苦い記憶と共に在るものだった。閉塞的で、強制的な、苦しいものだった。でも大学で、自分意思で選んだ学問は楽しくて仕方なかった。そして、不意に思い出した。ずっとずっと昔、まだ塾に入る前の小学校低学年のとき図鑑百科事典を読むのが楽しかたこと。いつの間にか、そうしたものが苦しい記憶と結びついて蓋をしていたけれど、たぶんいちばん初めは、わたし勉強が好きだった。

文学部卒業して、わたしはずっと夢だった仕事に就いた。他の誰でもない、わたし自身選択の果てに辿り着いた。そのことを親もずっと喜んでくれていて、今は離れて暮らしているけれど、わたし仕事を一番応援してくれている。親はめちゃめちゃわたしのことが好きなんだろうなと思う。そうやって私が自分の夢を叶えることができたのは、たぶん親がわたし選択肢をたくさん増やしてくれたから。その始まりは、中学受験だった。中学受験してなかったら今、夢は叶えられてないかもしれない。だからわたしはこれで良かった。中学受験が苦しかたことも、たくさん喧嘩したことも、その果てに自由選択肢を与えられたことも。その過程はきっと健全もので、まるごとひっくるめて正しかったと思う。でも、それでも。もしいつか自分子どもができたとしたら、わたし子ども中学受験させないと思う。もちろん、本人が自分意思中学受験をしたいと言ったらそのときは全力で一緒に頑張るけれど。

中学受験をして得たものはたくさんある。今の私の人生幸せから。でも、たくさんたくさん苦しかった中学受験記憶から救われるには、いまのわたし幸せになることでしか報われないという意地のようなものも強かった。たぶん中学受験をしていなくても、わたしわたしの力で、幸せになれてたと思う。もちろん、あくま空想しかないけれど。わたし小学生の頃のわたしが、みんなともっと沢山遊びたかった気持ちをずっと覚えていてあげたい。世間一般から見たらわたしはめちゃめちゃ恵まれていて、小学生時代の悩みなんてたぶん本当に本当にちっぽけで、贅沢すぎる悩みだったのかもしれないけれど。それでも、わたしだけは、覚えていたい。あの日々のなかで見た光景のこと。確かにしかった記憶たちのこと。そうすることでしか、あの頃、家と家の隙間で泣いていた自分をひとりぼっちにさせないことができないと思うから

2023-06-08

悲報】1.6倍になった防衛費現場は混乱し、危惧した通りの「とにかく使い切れればなんでもいい」が始まりました

「今まで出来なかったことをやれ」←いきなり言われても対応しきれない

「とにかく物を沢山買え」←サプライチェーン崩壊納期がマシマシなので『今年度に使い切る必要のある予算』が全然使えないし1年納期は2年納期に比べると圧倒的に単価が低い

施設や装備の修理がしたかったのでは?」←緊縮財政に合わせて受注者側が口減らしを繰り返してきたので人間対応しきれない

「分かってたなら準備をしておけよ」←割当が正式に決まったあとでもどこかが全然足りないと言い出すかもと皆おっかなびっくりしてたら時間けが過ぎていった

はい

典型的な「お金の使い方を知らない人達に急にお金を上げても正しく使えない」ですね。

国が見事にやらかしました。

限界限界まで飢餓状態に追い込んでから、突然ガバガバ飯を食わせて上手くいくはずがないってことが分かってないんですよね。

いつものことですね。

他所官公庁も同じような目に何度もあってるだろうし、むしろ民間のいろんな所をこういった目に合わせては「やっぱ金渡してもお前らごときじゃ使いこなせないね^^」を繰り返してきたと思います

因果応報

そう言われましてもね。

いやまさか本当に「とにかく使え」を自分が聞くことになるとは思いませんでした。

ビックリですよ。

去年まで「ここの部分って毎年整備する必要があるってなってるじゃないですか……でも2年に1回とかでもなんとかなったりしません?え?マニュアルに書いてない使い方をしたら保証外?それなら、マニュアル改定するというのはどうですか?」みたいなみみっち~~~話をしてたのに突然これですか。

ニワカ成金にも程があるでしょう。

そもそもお金を使おうにもサイクルが全く出来てないんですよね。

防衛産業なんてベンチャーとは対局の「儲かるわけじゃないけど、食いっぱぐれはしない」みたいな業界なわけで、そこに付き合う最大のメリットは受注量の安定なんですよ。

そこが突然ドカーンって沢山受注してくださいって言われても、そもそもからねえ仕事に対していきなり人を動かせって言われても特急費用請求も出来ねえんだからどうしろってんだとなりますよね。

こうなるに決まってるのはうすうす分かってましたがマジでなったか~~。

でもなんか使い切れるんだろうな~~ってほんわか考えてたんですよ。

つーかね、この状況で欲しいのは長い時間をかけてじっくり使えるお金なんですよ。

「今年度中に使ってね!もしも使い切れなかったら来年はそれを基準にするよ!あと10ヶ月!契約手続きにじっくり時間をかけたい?それならその分減らすよ!うわ!あと半年しかない!まだそれしか使えてないの?お金がないって嘘だったんだ~~ふ~~ん」

とか言われても困るんですよね。

まあ我が組織が虚栄と建前に彩られた嘘つきの楽園なのは事実なんですが、それでもその嘘を守るために乱立されたハリボテを後ろから支えるために必要お金が足りなすぎて現場発狂寸前なのは事実なんすよ。

飢餓発狂から飽食発狂に今は移っていますが、これ本当に頭がおかしくなりそうですね。

自分たちも疑心暗鬼だし会社疑心暗鬼、その上「こんだけあるなら俺めっちゃ使いたいから沢山くれよ」って誰かがいきなり言い出すんじゃないかっていつもビクビクですよ。

うちの職場って偉い人がやれといえば権力パンチワンチャン簡単に通るせいで事前の下調整下手くそなんですよ本当に。

いきなり鶴がそこらじゅうからギャーギャー喚きだしてそれぞれの矛盾の間で全部のちゃぶ台がひっくり返る。

そんなときに「金が多すぎる!」ならまだ救いはある。

だって最悪の場合はウチが困るだけだし。

でも「支払いができない!」になったら完全に終わり。

国家会社に対して不当な契約を結ばせたってことになるわけですよ。

この仕事って口先で言ってることはともかく人権文書道理正当性整合性善意倫理やらは、手段目的を入れ替え続けて蔑ろにし放題なんですが、金だけは厳しい。

何故なら金は誤魔化せないから。

鉛筆を舐められない数字自衛隊は物凄く弱い。

親方日の丸パワーで鉛筆を舐められる数字にはめっぽう強いんですが、そうして数字を舐め腐ってきたツケが回ってきてるのかとにかく手も足も出ない。

なにより困るのが最終的にその判断をするのが国の他の機関ってことですね。

ずっ友な警察とかは結構優しくしてくれるんですけど、金絡みの連中はそりゃもう「自衛隊流の話」が通じねえんですわ(そりゃ通じねえよ。「自衛隊流の話」の方が道理無視してるだけなんだから)。

からねーやっぱ「金を使い切れ!」って言われてもなかなか踏み切れないんだよね。

それでもいよいよ時間切れが見えてきて始まったのが丸投げですよ。

「とにかくお金を使いたいんです!だから何か考えてください!」

お金の使い方を会社に決めてもらおうとしてるんですよ。

マジで

いやもうお前それやっちゃったら調達関係職員存在価値もはやねーだろ。

やっちまったな~~~~~。

マジでもう無理っす。

プライドが完全に粉になりましたわ。

毎日自分、なにやってんだろ……」と憂鬱でしたよ。

今は一周回って「うっひょ~~~テッキトー他人の金使えるのたのし~~~~自分の財布傷まない散財ってこんな楽しいんだ~~~~両津勘吉みたいな気分~~~~」で凄くハイになってきてます

楽しい……本当に楽しい……他人の金だと割り切って無駄遣いするとなんか脳から変な汁が出てくる。

まあこれって多分、リスカとかしてる人がスパってやったときに出てきてるアドレナリンとかと同じなんだろうなって思うます

自分プライド自分でボディーブロー叩き込んでその痛みと引き換えに脳内麻薬貰ってる病人ですよ。

マジでアホくさい……こんな仕事して給料もらおうとか浅ましすぎるわ。

でもね、私も給料貰わないとだめなの。

子供もいるしね。

子供が暮らす日本未来を作るはずだったお金ゴミ箱なのかどっかの会社営業の財布になのか分からない場所ボンボコ投げ込んでるけどね。

でも我が家ミクロ生存戦略としてはこれが正解なのだ

辞めたいけどねこんな無駄なことして税金からお給金もらうのなんて。

でもね。

子育てや生きることそのものお金がかかりすぎるから、今更バイトとかで暮らすとか無理なの。

そういうわけでごめんなさいね

「どうせ無駄遣いされるだけ」と予想してた人達おめでとうございます大正解

「流石にそれはないだろ。使い道があるだろ……トイレットペーパー代とか……」と言ってた皆さん、逆張りお疲れ様でしたそんなんじゃ使いきれません。

なによりも大きいのは「隊員増やしてその分の給料として使う」が完全に妄想で終わったことじゃねと個人的に思ってたり。


この増田フィクションです。最後まで読まずにブコメマジレスしてしまった人達お疲れ様でした。「そもそも読んでないぞ!」という強がりお疲れサメです。

anond:20230608043058

その石の下とやらって、外部に接続できない自宅サーバーに自分で描いた二次元絵を貯めてるだけとか?

引き出しの日記帳鉛筆で○○たんかわいいハスハスって書いてるだけとか?

まさか公開アカウントや、非公開でも多数フォロワーのいるアカウント、公開掲示板YouTubeコメントに「まんこ最高!」「幼女まんこ!!」書き込んで幼女の陵辱絵を投稿してるわけじゃないよな?国が違えば捕まるような社会的害悪なことをしてたらいじわるどころの話じゃないぞ

2023-06-07

緩募】字を書くときの適切な筆圧のコントロール

自分場合

意識しないと異様に筆圧が高くなる(シャープペンだと一画ごとに芯が折れ、ボールペンでたまにボールが転がらずインクが出なくなり、万年筆だとインクが溢れ出すレベルHB鉛筆がちょうどよい)

・筆圧を意識して抜くと、文字通り「ミミズがのたくったような」曲線になる

・もう少し力を入れると「とめ」「はね」「はらい」が全部過剰に流れていってしま

ピンポイントな力の入れ方ってあると思うんだけど、そんなにスイートスポットが狭いとも思えないし、どうなってるんだろうなこれ。

幼少期の記憶のしこりの話。

もう30年ぐらい前の話なんだけど、時折思い出してなんかちょっとしんどくなる記憶がある。

思いたったので供養したいと思う。

小1に上がる前に就学前検診ってのがある。

発育の状態確認するような健康診断やったり、面談やったり的な内容。

そこで、「自分名前を書きましょう」っていうのがあった。

当然当時は年長さんで、別に日頃から練習とかしているわけじゃないから鏡文字が混ざった感じで書いてたんだと思う。

帰ってから母親に「あんたのせいで恥をかいた」と、玄関の冷たい大理石正座させられて、自分名前書き取りさせられて、ちゃんと書けなかった罰に鉛筆何回も何回も手の甲に血が出るまで刺されたの。

ちゃんとそのあとは絆創膏貼ってもらったけど、もうその時から母親のことを信頼できなくなったことをよく覚えている。実家にいた頃は大変辛い時期だった。

もう随分前から一人暮らしだし、いま別に何か辛いことはないのだけど、

時折、ふと思い出して、少し辛くなる。

そういうしこりみたいな記憶ってない?

2023-05-31

anond:20230531213100

本当に肖像権侵害してるなら画像生成AI使おうが記憶頼りに鉛筆で描こうが侵害なので安心していい

anond:20230531125400

ずっとゲームとか好きだし、DQ4コマ劇場に影響を受けて、

自分で(鉛筆とかで)FF2オリジナルマンガ描いてたりしたけど、

中2で引っ越し先で友達になった同級生から同人という世界を教えてもらわなければ

そういう世界を知らずに象牙の塔で誰にも見せない漫画を描いてる人になってたかもしれないなー

とたまに思ってる事を思い出した

あんまり関係なくてゴメン)

anond:20230530134430

手先が不器用

鉛筆の持ち方が悪い

字が下手なのはこの二つだと思う

2023-05-28

anond:20230528112213

ほとんど使い切らずに次を買う」のはポイントメイクだけ

色を揃える必要があるから数種類買うし、一つ一つは使用量が少ないから使い切らないうちに傷むんだよ

(顔につけるもんだから使用期限があるしネイルなんかは固まってくる)

お前子供の頃色鉛筆セット買って全色削れなくなるまで使い切ったか

使い切れないの分かってても1本だけで済ませるとかできないだろ?それと同じだよ

使用期限がないしでかい絵描いて消費を増やす事も出来る色鉛筆ですらそうなんだから

使用期限があるし顔という限られたキャンバスしか使わないものなら尚更だよ

2023-05-22

魔法のiらんどとかフォレストページとか携帯イラストサイトの思い出

時折、ふと思い立ってPC画像を見返してると大きさ240x320の画像群がずらりと並んだフォルダを見つけて開いてみたら自作アナログ絵をブツ撮りした画像が並んでて羞恥に塗れたリア厨時代の痛々しいネト活の記憶が光の速度でAMSから逆流するように蘇り心臓バクバクさせながらフクロテナガザルのケイジくんみたいな奇声を上げてイキュラスキュオライキュラスキュオラキュラスキュオラ!することってあるじゃないですか。ありますよね。あるんですよ。

私も昨日、昔撮ったきゃわいいきゃわいい飼い猫の写真を久々に見ようかと古い順に画像ソートしたら見ちゃいましてね……中学生の時に愛していた絵師様に向けて描いたキモすぎるラブレター的なアレとかアレとかアレとかをさ。

もうサムネ見た瞬間ビクッとなったんですけど、じゃあはよ消せよって話なんですけど、そんなんでも色々思い出が詰まってるんですよね。キモさの中にも美しさがある、痛さの中にも気持ちよさがある、親しき中にもレズがあり、みたいな。

そんな中学時代の汚らしくも輝かしい青春記憶を今、絶妙嘘松を交えながら赤裸々にここに綴る。

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私が絵を描き始めたのはそれこそ物心ついたときからで、母に聞かされた話によると同じ保育園に通ってたお隣の子が上手なおジャ魔女どれみの絵を描いて私に自慢しに来たのが始まりらしく、対抗心を燃やした私は連日おジャ魔女どれみを描きまくっていたらしい。その傾向は小学生になっても変わらず学校休み時間はひたすら自由帳に絵を描き、帰宅しても夜まで絵を描き、休日は画用紙と絵の具を使ってカラー絵を描くという毎日を送っていた。

そして小学3~4年頃に美術館で観たアンドリュー・ワイエス展に衝撃を受け西洋美術に関心を持つようになり、本格的に勉強したいと思うようになるのだけど…

5年生になった頃には私の身長は170cmを超え、親にも親戚にも「アンタそんな立派な体してるんだから何か運動したら」と事あるごとに言われるようになり、当人らは特に他意無く適当にそう言ってたんだろうけど、言い返せない、断れない性格の私にはその一言が重くのしかかり、渋々陸上部に入部する。

さすがに身長の高さゆえか男子女子わずほとんどの部員より足が速かったためそれなりに記録を残すことができ充実感もあったのだけど、やっぱり勉強以外の時間は絵を描きたいし、特に休日大会があるときなんかは切実に辞めたいと思った。でも親は陸上頑張ってて偉いね、なんて言うもんだから別に親は悪くないんですけど。

そんな調子で2年間を過ごし、卒業まであと3ヶ月という頃にはすっかり絵を描くこともなくなってこの世で一番アンドリュー・ワイエスから縁遠そうな、カリカリ日焼けした野暮ったい私がそこにいた。そして中学進学に向けて色々と準備をするなか親に渡された携帯電話、これが私の人生を良くも悪くも大きく変えてくれたのだった。

当時インターネットなんて全くわからなかった私は、漫画誌に載ってたフォレストページの小さな特集を頼りに、検索でたどり着いたイラストサイトリンクランキングサイト経由でその手のサイトを読み漁っていた。そういえば私絵描くの好きだったなとか思いながら。そして、ある絵描きさんの作品一目惚れし、その方のサイト掲示板初カキコ…ども…してしまう。そのHPは0zeroというドメインで、一番画像を綺麗に貼れるとかで絵描きに好まれていたとかなんとか。

コピックエアブラシで描かれた色鮮やかな夕焼け少女油絵の具の力強いマチエールの上に描かれた少女鉛筆で描かれた量感溢れる少女の裸体、どれも本当に素晴らしかった。何で全部少女の絵なんだろ?と思ったけど。

もう一生懸命考えて思いつく限りの称賛を書いた長文を投稿した瞬間からキドキですよ。もう興奮で夕飯も喉を通らない有様でF5アタックみたいに更新しまくってひたすら返信を待ち続けたのだけど、最初に貰ったのは社交辞令的な一行返信だった。がっかり…。が、後日めげずにこの絵はどんな方法で描いたんですか?それってどんな画材ですかなんて引き続き書いてみると丁寧にコメント返してくれて、油絵の具ってそんなに高いんですか!?私のお小遣い月1000円だからとてもじゃないけど手が出ませんね、なんて言ってみると「あなた何歳?」って。んで11歳です、と。すると、「じゃあ私の持ってる絵の具あげるよ、今度会お?」と言われて。

しばらく固まった。どう返信していいかからなかった。それで母親にそのことを相談したら最初は「馬鹿な子だねそんな知らない人とやり取りして」そう怒られたけどどうしても油絵の具が欲しくて、最終的に私書箱経由で絵師さんが電話番号を教えてくれて、絵師さんと母が直接電話をし、母同伴で絵師さんと会うことが決まった。そんときリアルジャンプしてガッツーズしましたよ。

そして絵師さんは隣府県に住むとても礼儀正しい芸大1年のお姉さんで、母としては好印象だったらしい。実際、母も当日たくさんお土産渡されて即堕ちしてたし。

春休みを迎える頃には私はすっかりお姉さんのサイトに入り浸り、連日絵を投稿しては色々アドバイスしてもらったりキャピキャピ雑談して大学生世界を教えてもらったりと楽しい日々を送っており、さらにはお姉さんの通う芸大の卒展に連れて行ってもらったりして私はすっかり美術世界に舞い戻り、既にお姉さんのことが好きになっていた。本当にお姉ちゃんが出来たみたいだった。そして両親に東京美大に行きたいと言ったらすげえイヤな顔された。そりゃ確かに費用がね…。

そして中学最初夏休み、一緒に宿題を片付けて合間に絵を教えてもらうという名目でお姉さん宅に長期のお泊りをすることになるのだが、これがあかんかった。まああかんかったよ。

隣府県の郊外にある2Kのアパート、そこがお姉さんの住処であり創作現場だった。部屋中に飾られた素描水彩画、見たこともない大きなカルトンイーゼルに立てられた描きかけのよくわからないけどかっこいいのはわかる油絵、全部を束ねればお姉さんの腰くらいになりそうな大量の絵筆と少しだけ錆びついたナイフが並んだテーブルに乱雑に置かれた混沌色に染まったパレット。そして棚に並べられた大量の本とCD

やべ、カッコよすぎて漏らしそう。でも同時にいつもどおりの田舎臭いガキ臭い格好をしてこの部屋に足を踏み入れた自分が凄く恥ずかしくなった。

ただ、テーブルの上に飾られた「スーパードルフィー」なる人形だけは正直キモイと思ってしまった。学生服を着た二体の少女人形がお互い腰に手を回して座りポースを取っているのだが、その光景に何か変態的なものを感じたというかのちに私の勘は完全に正しかったのだと判明する。

うん、確かに宿題はすごい勢いで片付くし、特に苦手な数学は私が完全に理解するまで根気強く教えてくれて本当にありがたいし、絵は美大予備校でやるレベルのことを丁寧に惜しみなく教えてくれる。家事も一緒にやって料理もそのときちょっとだけ覚えたし、お姉さんが影響されたっていうオノ・ナツメ漫画とかミギーイラストとか、他にもボナールとかセザンヌかいろんな画家画集を見せてくれてカッケー洋楽を教えてくれたり一緒にビデオを借りに行って映画もたくさん見せてくれるという、いたれりつくせりの家庭教師っぷり。おお、私の田舎臭が浄化されていく…。

ただね、この人近いんすよ、距離が…。

ちゃぶ台に座って宿題やってるときはお互いの肩が密着するくらいくっついて耳に息がかかるくらいの距離で喋り、計算間違いしたり誤字ったりすると足裏をくすぐってきたり、考え込んでると腰に手を回して太ももを撫でてきたり、絵を描いてるときはまたも背中にピッタリ身体押し付けて色々助言しつつも肩から肘までねっとり撫で下ろしたりしてきて、上手に描き終わったときは思い切り後ろから抱きしめて私を褒めながら脇腹をくすぐってきたりして、とにかくボディタッチが激しい。

で、私がくすぐったがるとお姉さんもケラケラ笑って冗談っぽい雰囲気になるので正直イヤなんだけど拒否しずらいというか私もちょっとくすぐり返したりしてるうちにお互い距離感も縮まり、遠慮がなくなってきてタメ口で喋れるようになったのもあっていつの間にかすっかりお姉さんのボディタッチを受け入れてたんですよね…。

そうこうしてるうちに2週間が過ぎ、翌日は待ちに待ったコミケに連れてってくれるというのでもう我は有頂天である。私はね、去年から流行ってたボカロが気になって気になってどうしてもCDが欲しかったのだよ。しかも事前に宿を取ってくれていて二日目も参戦できるという。そんなん友達に自慢しまくるしかないやん!!!

その日の昼には車で東京に向けて出発し夜にはホテルチェックインしました。

そして念願の初コミケ1日目はお姉さんのサイトに常駐している何人もの絵師さんと会場で初対面し手描きイラストを沢山プレゼントしてもらい号泣しちゃったり、(特にSAINTさんという鳥居紅葉、月夜と和服女性モチーフに厚塗りリアルタッチ作品を描いてる絵師さんが好きで、その人に貰った絵はその日一日中眺めてました。しかもクソイケメンだった)35度の炎天下で水分補給を怠った結果熱中症ゲロ吐いてぶっ倒れたりと惨憺たる有様でしたが、二日目には「ねんがんのSupercellCDをてにいれたぞ!」したり恥ずかしながら寄せ書きコーナーでミクを描かせてもらったりと最高の一日になった…はずでした。その夜の出来事を除けば。

結果的に言うとその日の夜お姉さんに犯された。ホテルシャワー浴びてるときにお姉さんが風呂突撃してきて、私の身体を洗いながら今までにない冗談抜きのマジ顔で全身くすぐりまくってきて、特に脇腹と胸を執拗愛撫されてイかされた。抑えきれない全身の痙攣に襲われ貧血でぶっ倒れたときみたいな状態になって何の抵抗も出来なくなったらベッドに連れてかれて体感的には一晩中乳首いじられながらクンニされて涙流しながら喉が枯れるほど叫んで何度も何度もイかされ続けた。ちなみにそのときの私は性的欲求なんて皆無だったしオナニーすらしたこともない。そりゃ12歳だしね。

そして帰りの車で初めて会ったときから私を性的対象として見ていた、卒展で再開したときには実行するかはともかくこの計画を立てていた、そしてこの夏に私の日焼けした肌を見て、直接触ってみて欲求を抑えきれなくなったとの供述をし始めた。曰く私はくすぐりに対しての反応が非常によく、沢山くすぐって何度も乳首タッチした日は洗濯物に出した私のパンツにしっかりヌルヌルしたものが付着していたので、着実に性感開発されててこれはいけると確信したと。

俺は限界だと思った。お前首絞めて殺すぞこの悪霊め。

帰路はずっと涙が止まらなくて、でもお姉さんは自分は今で言うとこの性的マイノリティだとか言いつつ潜在的に君はレズからこの経験は後に良いものになる、私のこともホントは嫌いじゃないはずとかぬかしやがってさ…。確かにまだ嫌いではないよバカ野郎。お前にされたことが予想外かつショックすぎて泣いてるだけだよ。んで家に帰ったらもっかい同じことするから嫌なら蹴るなり殴るなり親や警察通報すればいいとか言い出しやがって。

で、その日の夜またお姉さんに風呂で全身くすぐられて乳首いじられながら玩具使いつつクンニされまくってイきまくった。俺は今度こそ限界だと思った。その頃にはマジで気持ちよくて、ていうか他人に逆らうのが苦手な気質のせいかお姉さんに反抗する気持ちが湧かなくなってたので。

その日以来、私はしばらくネットを止めてお姉さんとの連絡も断っていたのだけど疲れからか不幸にもお姉さんのサイトアクセス私書箱から久々の連絡をしてしまう。私もうすぐ冬休みです、と。

そしてサイト掲示板ではクリスマスに皆でパーティーしようかという話にいつの間にかなってて、新しくサイトの一員になった秋間(かずひさんだっけ?もう名前忘れたごめん)さんというパステル画の達人も加わり互いの絵を持ち寄って見せ合おうという話になる。

大阪カラオケボックスに集結したお姉さんに一生さんとかSAINTさんとか秋間さんとか特定されないよう他1名と記すけど5人の美大芸大ガチうま絵師さんたちの生イラストを観て立ち直らねば、あの日覚えた行為の名をググって知って自慰行為も知っちゃったけどやっぱ真剣に絵を描かねばという気持ちになるわけですけど、解散後にまたお姉さんに誘われていつものアレをされて、もう全部が台無しよ。

そして図々しくも来年夏休みもまた一緒に過ごそ?とか言われて。まあ結局そうなるわけですけど。

でも翌年の夏休みは他の絵師さんにも事前に連絡を取り付けてお姉さんの住所を教えてたおかげで日中セクハラされず夜限定になったわけですけど。そして夜にはお姉さんの所有する大人玩具がつよつよすぎてまた屈してしまうというかそれ耐えるの絶対無理ってなって中2のときは毎週のように逢って電マの威力に屈服させられたりしてたわけですけどさすがにお姉さんも4年になると私を相手してる余裕が無くなったらしく卒業就職の準備に時間を割き始めて私はお姉さんより3歳年上のSAINTさんと蜜月になって、彼は愛知住みだけど何度かデートしてたらお姉さんの耳にその情報が入ってしまい、また自宅に呼び出される。

SAINTさんは紳士すぎて何もしてくれないので久しぶりのお姉さんの責めに期待してたら駅前で対面即泣かれて、よくよくそ理由を聞いてみたら「あなたホントは私のこと好きなのに男と付き合ってどうすんの思春期の一時の感情に惑わされないで絶対後悔するよそれはそうとしてまたあのとき快感を思い出させてあげる」とか言われてお姉さん宅連れて行かれたわけですけど、連れ込まれた先はいものあの部屋とは思えない綺麗に片付いた状態で「私は来年東京就職に行くけど貴方は来れないよね」なんて言われてまた泣きつかれて。親には聞いてないけど多分無理でしょと答えたら今までにない本当にあたたか感触ギュッと抱きしめられて「好きだよ…」と言われた。今だから言えるけど私もお姉さんのことが部分的には嫌だったけどやっぱり大好きだった。そしてもう今までのように会えないんだなって、その時悟って泣いた。

でもお姉さんに教わったことはずっと忘れないし、私は必ず絵の道に進むしそのとき必ずまた会えるよって言ったらお姉さんはコミケ帰りの私みたいにぎゃあぎゃあ泣き喚いてて、その姿が可愛くてギュッ彼女を抱きしめた。これが私達には一番心強くて、私達の絆を感じる行為だってわかってたから。そして携帯を取り出してお姉さんのサイトを開いて「私はいつもここにいるから、寂しくないよ、みんな一緒だよ」って。

その日はお姉さん家に泊まってずっと抱き合って一緒のベッドの上で寝てた。SAINTさんとの浮気をチクチク糾弾されながら。

その後、私が3度目の夏を迎えた頃にはお姉さんのサイトはすっかり過疎っていて、連絡しても一月に一回程度、たまに返してくれるくらいの頻度になり、絵を描きつつもバンド活動にハマってお姉さんにそのことを報告しようとしたら去年東京結婚したとの書き込みを期に更新が途絶えていて。私もこのサイトのことは忘れよう、あの頃のことは忘れようとなってtwitterpixiv活動の場を移すうち、いつの間にかお姉さんのHPは(0zeroからecacoへとドメインを変えて必死延命していたらしいけど)サービスもろとも綺麗サッパリ無くなっていました。

2023-05-20

昔の女は生理我慢できた教の男気持ち悪い

さっき昔の女はトイレまで生理我慢できたと訴えてる男をツイッターで見た。

何故か定期的にこれを言い出す男が現れる。

多分女は自分が出来ないことを出来るとは主張できないからなかなかこのカルトを言い出す人は出ないのだろう。

大昔から続く生理歴史勉強してから来いや。

ミソジニーにも信者が多く、生理関連の話になるとこの宗教を振り回してトイレまで我慢しろセクハラしにきた。

なんか昔の女は生理我慢できたって主張する本で、女三十人から聞き取ったら二人出来る人が居たってのが彼等の出典らしい。

膣圧は筋力だし、膣で吹き矢飛ばしたり鉛筆折れる人とかも居るんだから、訓練したら出来る人も居るかもだけど、これで昔の女は出来たって言うのは雑すぎるだろ。

ビックリ人間じゃん、昔ビックリ人間金玉に縛り付けて凄く重い荷物持ち上げてるおっさんたことあるけど、君はそれできるんか。

月経カップあれば誰でもトイレまで膣に血をためる事は出来るし、生理用品も良い物が沢山ある中で、男が生理我慢できる膣筋力を女に求める理由って何よ。

膣圧トレーニングの一つに小便中尿をピタッと止める物があるらしいけど、まずお前らが小便途中で自由自在に止める筋トレに励んでから言え。

もー本当に生理粘着する男キモイ

2023-05-16

地震予知は「不可能」、国民想定外の準備を=東大教授 

https://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-20609820110414 

東京大学ロバートゲラ教授地震学)は14日、

現代科学技術では地震予知不可能であるとし、

日本政府国民に対し予測不可能事態に備えるよう呼び掛けるべきだと強調した。

ゲラ教授は、地震学者が現在使用している予知器などは、差し迫った地震予知するには不十分だと指摘。

理論的には一両日中地震が起きると予知しようとしているが、私の考えではこのシステム科学的に完全ではなく、中止されるべきだ」とし、

「(地震予知は)無益努力だ。不可能なことを可能であると見せかける必要はない」と切り捨てた。

>同教授は「予知できる地震はない。これは鉛筆を曲げ続ければいつかは折れるのと同じことだ。それがいつ起きるのか分からない」と指摘。

地震予知不可能であることを率直に国民に告げる時期が来たとし、日本全土が地震危険さらされており、地震科学では特定地域でのリスクの度合いを測ることはできないと述べた。

「われわれは(地震予知するのではなく)想定外事態に備えるよう国民政府に伝え、知っていることと知らないことを明らかにすべきだ」と提言した。

2023-05-10

つらつらと内部告発

中堅化学メーカー研究職をしてます

従業員は2000人くらいのプライム上場企業です。

僕は基礎研究開発という場所で、化学製品を作ってます。弊社のホームページに行くと、新規機能材料の紹介が観れると思います

撥水剤なら水がコロロンとしている写真が、ゴムなら、こんなに伸びる!みたいな写真が載ってます

あれ、嘘です。誇張です。比較対象の従来品をあえて全く違う材料を使ってます砂糖と塩ぐらいの違いです。普通隣に置いてたら、同じ材料系でそろえるじゃないですかー。しないんです。優良誤認目的としてます。こわいですね。

弊社の特許。嘘です。化学製品特許は数値データ(実地例と比較例)がすべてです。

特許の案を出すと、効果の上がり方が地味だからポイントをいじっておくように指示がでました。

これは改ざんです。また特許範囲をなるべく広くするために、触った事もない試薬と併用した際のデータを書けと言われます

僕はこれら行為不正だと思ったので開発者から仕事名前を消してもらったり、鉛筆を舐めないでしれっと知財部に流してます

取引がありそうな企業にお勤めの方々へ

この規模の日本メーカーは信じないでください!サンプル取り寄せとかしたくなっても一旦待ちましょう。タイムイズマネー、嘘を信じてサンプル取り寄せたて無駄時間を浪費させないでください。

2023-05-07

発生したあとのワキガに効く制汗スプレーみたいのってないの?

ワキガって発生する前にデオナチュレ塗っておけばまあ良いんだけど、忘れちゃってあとから気づくと臭いを誤魔化すのが難しい。

リセッシュファブリーズで消そうとしても汗の匂いは消せてもワキガ臭は難しいっぽい。

鉛筆削りの部分は消えるんだけどタマネギっぽい方は残る。

消せる奴ないんか?

2023-05-05

anond:20230505094958

勉強苦手な小学生鉛筆の代わりにジェットストリーム多色とか使って改善することはあるのだろうか。

誰か実験してほしい。

anond:20230505094958

東北震災で学んだように、人類はいつ、電源を喪失するか分からない。

停電になったときキーボード電子入力機器はいっさい機能しなくなる。

そんな状況であっても、鉛筆文字が書ければ、伝言板メモを残せる。

来るべき将来の大災害に備えて、人類鉛筆の使い方を学んでおく必要があるのだ。

anond:20230505101455

10年前に小学校鉛筆以外を認めるべきかというディベートがあって、俺は鉛筆以外派になったから色々理屈を捏ねてクラスの大半の賛同を得たのに、教師最後最後で「でも鉛筆が使われているのは鉛筆の良さが歴史的に認められてきたからです。よって鉛筆以外は認めない側の勝ちにします」みたいな感じで強引に鉛筆擁護の締めをして、あれこそ社会だなって感じで衝撃を受けたわ

クソみたいな小学校教師から学んだことはほとんどないけど、権力者が人の話を聞くふりしながら盤面をひっくり返すあの経験は得難いものだったね

anond:20230505101455

まだまだ手書き必要な場面は多く学習することは必要

災害時などインフラがない場面を想定できていない

鉛筆などを持って書くという行為自体に脳の発達への役割がある

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