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はてなキーワード: 鉛筆とは

2017-09-23

anond:20170922122331

娘さんには不注意性のADHDの疑いがあります。私はADHDを持ち、毎日半分の鉛筆をなくしながら小学校に通いました。毎日親と先生に怒られていました。朝になって「これが必要」や「こういう宿題があった」と伝えることも多く、そのたびに親をいら立たせていました。

私は、子供ながらに、「忘れてた/見つからなかったんだからしょうがないじゃん。」と思いながら親の怒りに付き合っていました。今三十過ぎですが、別に親のことは怨んでいません。大変だったろうな、といたわる気持ちがあります

ただ、私が親になってみると、もう少し私の身になって考えて、怒るだけじゃなくて具体的なアドバイスくれたらよかったのにな、と思います義足の人がマラソンできないように、ADHDの人は、忘れ物を頑張りにより防ぐことはできません。

ADHDの最も多い合併症は、自分否定からなるうつ病です。毎日毎日何度も現れるADHDの症状に、親が、「バカなの?」を連発すると、うつ病になるリスクが高まります。親の否定を乗り越えるのは、子供にとっては大変なことなので、そんな重荷は娘さんには背負わせてほしくないな、と同じADHDを持つ人としては思います

まずは、お近くの地域療育センター相談してみることをお勧めします。支援機関は当たりはずれあるので、会うところがみつかるまで、数か所あたってるのをおすすめします。無理やり支援学級に入れされられるとか、支援機関相談した事実第三者に知られるとか、そういう怖いことは何も起きないので、気軽にいってみるのをお勧めします。娘さんとお母さんの生活が楽になると思います



追記:

id:hinail増田精神科医なの?素人が気軽に障害名前を持ち出すことでいい気持ちしない人がいることは、当事者であれば理解できなくないものだと思うんだけどね

私は、「覚える気がないから忘れるんだ。大事なことじゃないと思ってるから失敗するんだ」って言い続けられてきたので、大人になってADHDの確定診断を受け、対処法の存在も知ることでとても安心しました。私のやる気の問題じゃないんだ、ってわかったので。ADHDの本は数十冊読みましたが、多くの人も私と同じなようです。ただ、障碍者差別する心を持っている人にとっては、障害存在をにおわされるだけで嫌な思いをするようですね。自分の近しい人が障害を持っているなんて耐えられないから、障害存在否定する、という人は私の周りにも残念ながらいます

2017-09-17

俺はここ数年絵を描いている。

運動神経も悪く学業も平凡、せめて一つ位は誇れる何かが欲しいと、そう思って何かアイデンティティを獲得しうるモノをと考えて、結果始めたのが絵を描く事だった。別に絵の才能がある訳ではない。むしろ下手。中学時代美術の成績は2、よくて3だった。ただ、漫画アニメの絵が好きだった事や、初期投資に掛かる費用がほぼ0円だったこと、そう言った点が絵を描くという事を選択するにあたっての大義名分と上手く合致した。

から入るタイプなので、鉛筆シャーペンスケッチブックと、一通り揃えた。

ネットで色々と情報を集め、模写をし、デッサンをし、色々な絵を描いた。

長く上達せずに苦しんでいると、ある日ふとしたキッカケで解決し、また絵が上手くなる。ゲームレベル上げに近く、それよりもさら生産的で、努力がそのまま成果として現れるため、俺はずっと絵を描き続けてきた。

絵を描いている内に、何故昔の絵が下手なのか、理由が分かるようになって、下手な人を見ると、何処のせいで下手に見えるのかも分かるようになって、昔とは比べるまでも無い自分になっていた。このままもっと上手くなれる気もする。

ただ、自分よりさらに上の人が世界に沢山いるのを見ると、自分のいる場所があまりにも低い場所だと思えて、特技だと言えるほどには自信を持てない。

絵を描いて数年経った今、俺は未だに人に誇れるものが無い。

このまま絵を描き続ければ、きっと今よりも上手くなる。自身を持てるかも知れない。だが、得られた実力を誇ったその瞬間、俺から俺を支えていたもの霧散してしまう様な気がしてならない。

2017-09-15

手のひらからヤバいくらいの垢が取れた

長風呂をしていたら手のひらの一部が白くなっているのに気がついた。ふやけているのだろう、そう思って何の気なしに引っ掻いてみたらボロンと垢の塊が落ちた。あわてて湯船から出て両手をしげしげと眺めてみた。小指側の側面、鉛筆で字を書くときに紙に触れる部分が見事に真っ白。それが全部垢。面白くなって思い切りかきむしったらばモロモロモロモロと白い垢が取れる取れる。毎食時手は洗ってるのに。身体にはこんな垢の出まくる部位もあるんだな。

2017-09-13

怖い話】昔見たトラウマポスター

警察や駅などに行くと、指名手配犯人行方不明者のポスターと並んで、「身元不明遺体生前の顔を復元した似顔絵」が描かれた、「この被害者を探しています」というポスターをよく見かける。

大抵は鉛筆画かCG似顔絵、あるいは復顔法で作ったマネキンのような顔の模型写真だったりするのだが、聞くところによると、昔は遺体顔写真をそのまま使ったポスターもあったらしい。

1997年の夏頃だったか家族旅行で出かけた滋賀県サービスエリアで、この手の「この被害者を探しています」というポスターを見かけたことがある。

被害者若い女性で、正面顔と横顔のカラー写真が載っていたと思う。

私は当時まだ中学生だったが、この頃でも既に復顔法というもの存在くらいは知っていたから、てっきりよくできたCGイラストか何かかと思っていたが、

今思えば、あれは遺体の顔をそのまま写した写真だったのではないか、そう言えば女性の肌は妙に黄ばんだ色だったし、目も口も半開きというか、確か白目をむいていたような・・・と思うと何気にかなり怖い。

残念ながらもう20年も前のことなので、いつ何処で起きた事件なのか、といったことは全く思い出せない。

手がかりになるのは「ポスターを見たのは1997年夏なので、それより前に起きた事件」ということだけだ。

いろいろググってみたら、どうも「これではないか?」とおぼしき事件が見つかったのだが、さすがにそれ以上のことは調べようもない・・・

1997年1月に起きた事件らしいので記憶とも合致するけど、犯人は捕まったので「未解決事件」ではないな)

ttp://machi.to/bbs/read.cgi/kyusyu/1062894538/75-

解決事件系の掲示板に書くわけにもいかず、手がかりがほとんどない以上、何処に書いたらいいのかさえも分からなかったので、取り敢えずここに書くことにした。

あの妙なポスターインパクトと共に、20年以上経った今でも心に引っかかっている。

2017-09-06

娘の〇〇描いて!に応えるべきか

私は成人してから絵を、萌え絵練習し、同人活動までするようになった系の人だ。

妻も二次元を嗜むが、そういった絵は描けない。

よって娘の〇〇描いて!に応えるのは私となる。

最初プリキュアだった。

プリキュア視聴を終えた娘は、いつもプリキュア達のお絵かきをしていた。

ある日、私も一緒にやろうと誘われ、頼まれるままに、キュアジラートを描いてやると、えらく気に入ったようで、それからは私の描いた絵に、娘が色鉛筆で着色するという遊びが始まった。

これは毎週日曜だけだったけど、先日、けものフレンズが朝やっていた頃、私が用意しておいた絵に、けもフレ視聴後に娘が着色し、帰宅後私に見せるという習慣ができた。

最近はほぼ毎日プリキュアフレンズ達の絵をリクエストされている。

こうして私は無限塗り絵製造機と化した。

毎日キャラポーズも、時には絵柄も違う塗り絵だ。

全然苦じゃないし、むしろ楽しいからいいのだが、一つ気になることがある。

ある程度娘が成長し、アニメ卒業っていうような思春期をむかえたら、何も見ずに可愛い女の子を描き上げていた父をどう思うのだろう。

二次元にハマっている男に引いてしまうような感覚の持ち主になったら、私はどうなってしまうのだろうか。

もう後戻りはできないから、今は二人で目一杯楽しんでいる。

トレース台を貸してやったら、娘のお絵かき時間が増えた。

コピックを欲しがるのはいつだろう。

2017-09-04

とある習字教室女の子の話

昔の話をしてみようと思う。

随分と昔の話になる。

私が中学生だった頃の話だ。

私は、とある習字教室に通っていた。小学生の頃から通っている教室だった。私は毎週土曜日の午後に、その教室に通っていた。

私はそこで、筆と硬筆(いわゆる鉛筆)の書き取りをしていた。手本を見ながら、それを紙に写していき、都度先生に見せて指導をもらう。そんなことを、毎週していた。

ただ、この一見単純な作業、それなりに体力が要る。手本の通り、或いはそれ以上のものを書こうとすると、かなりの試行錯誤必要だ。

気が付くと、たいてい夕暮れ時になっていることが多かった。

教室には、私の他にも何人か、私と同じ中学校の生徒が通っていた。そこで、教室先生は、帰る方面が同じ人は、なるべく揃って帰るように促していた。

そこで、私と同じ方面に帰っていた女の子がいた。身長は低めで、とても顔立ちの整った女の子だった。彼女と同じ方面に帰る人は、私以外誰もいなかった為、私達は大抵、帰るときは二人で帰っていた。

帰る間、彼女と私との間には特におもしろい会話もなく、文字通り、ただ一緒に帰るだけの関係だった。

その当時、彼女にはとある噂があった。クラスの中のサッカー部男の子が好きとか、実はお互い好きで付き合っているとか、そんな噂だ。

ただ、しばらくするうちに、その男の子と別れた、という噂が出始めた。その男の子が、よくつるんでいた同じサッカー部員に対して「彼女、俺のこと好きじゃないから」みたいなことを話していたのを聞いたことがあったので、付き合っていたかはともかく、彼女の心がその男の子から離れていたのは、どうも事実のようだった。(周りをごまかすための嘘であった可能性もあるが…。)

ただ、そんな噂と一緒に、その女の子が私に対して好意を抱いているという噂も流れていた。

しかし、私と彼女との関係は、習字教室から一緒に帰る関係から、進展することはなかった。

その当時、私はとにかくストイック部活動に励んでおり、また異性に対する恋についてもよくわかっていなかった。(残念なことに、今でもよくわからない。 )

ただ、ぼんやり彼女のことは、かわいい女の子だよなぁ、と他の女の子にはない感情はあったと思う。

何度か、直接聞いてみようかな、と思うことはあった。実際その男の子の子と付き合っているか、とか、実際私のことどう思うか、とか。

ただ、実際に聞くことはなかった。その行為彼女に対して失礼なのではないかと思ったからだ。

そんなこんなで月日は経ち、卒業式。ついに私達の関係は、ほんとうに、全くなにも進展しなかった。ただ、実は私は彼女のことを少し意識していた。

この卒業式の日(実は別の日かもしれない。よく思い出せない…。)、私はとある別の女の子から告白をされた。ただ、私は、その子のことを、半ばよくわからない形で振ってしまった。告白してきた女の子からすれば、OKなのかNGなのかわからないような感じだったと思う。逃げるように振ってしまった。

もし、このとき告白されたのが、習字教室を一緒に帰った彼女であったならば、私は喜んで受け入れていたと思う。今にした思えば、私は彼女のことを好きだったのかもしれない。

その後、私達は別々の高校に進み、習字教室卒業したため、その後彼女との接点はなくなった。彼女の家の場所は知っていたので厳密には皆無というわけではないが、お互いに会うことはなかった。

当時の噂は、どこまで本当だったのだろうか。いずれにしても、私のようなヘタレ男と付き合わなかったのは正解かもしれない。

ただ、私は今でもたまに、彼女のことを思い出す。

彼女は今、元気だろうか。幸せ暮らしていることを願うばかりだ。

2017-09-02

https://anond.hatelabo.jp/20170902233723

腋毛は菌の繁殖する場所を増やすので剃る

制汗剤はロールオンタイプのものを入浴後すぐに塗る

汗をかいから拭いても効果は薄い

服は上下ともに洗う

臭いが染み付いているものは洗うか処分する

はっきり腋臭自覚がある場合は長袖の服にするだけでも違う

腋臭鉛筆の芯のような臭いだが、酸っぱかったり饐えた臭いは多分服由来

2017-08-27

10年前の「童貞ブーム」が心底不快だった

松江哲明の『童貞。をプロデュース』の舞台挨拶騒動を見ていて、当時の不快気持ちを思いだした。

みうらじゅん伊集院光童貞いじりをし始めて、それにサブカルクソ野郎どもが乗っかって童貞をいじりだしたり、社会学者童貞に関する本を出したりと、ちょっとした童貞ブームが本当に不快だった。

彼らは童貞に同情するふりをして、逆らえない弱者をいじって遊んでいるだけだった。典型的イジメの構図だ。

童貞。をプロデュース」の予告編を見てほしい。当時の空気がよく現れている。

https://www.youtube.com/watch?v=1e0kock8UQY

この上から目線童貞に接し、半笑いでいじる感じ。イジメっ子が非リアをからかって遊んでいるのと同じだ。

こんなものがよく制作され、しかも受け入れられたものだと思う。当時はポリコレなんて概念は浸透していなかったし、童貞はいくら笑ってもOKみたいな不可触賤民みたいな扱いだった。

伊集院みうらじゅんはまだ自分を落としたり、言葉表現が笑えたりと工夫があったが、それに影響されて童貞いじりを始めたやつは単なる不快で、自分らはセンスがあると勘違いしていて本当に醜悪だった。

よく覚えているのが映画40歳の童貞男』が公開されたときイベント童貞なら無料になるという上映会をやっていて、俺は町山智浩が推薦していたので映画が気になって見に行った。

上映前の列に並んだとき、ごく普通の見た目の人たちが並んでいるので安堵した。だが、なんだか嫌な感じもする。列の真後ろにカップルが並んでいるのだ。

ひょっとしたら男は(そんな確率数学的にあり得ないだろうが)童貞だったかもしれないが、女は童貞じゃないだろう。どうやら、童貞の付き添いなら女もOKだったようだ。

女は茶髪ロリっぽいフリフリの格好をしていた。コソコソと2人で何かを喋っている。真後ろだったので耳に入ってきた。女はこう言っていたのだ。

「この人たち、みんな童貞なの?w」血の気が引くのがわかった。サァ―っと体温が引いていった。童貞をいじっている奴らの心情なんて、結局はこんなものなのだ

映画を楽しもう。俺は自分にそう言い聞かせて、会場に入った。幸い、映画はとても楽しいものだった。笑って泣けるコメディだった。

いい気分で会場を出た。だが、外は相変わらず地獄だった。スタッフが何やら画用紙を配っていた。ホールには机が置かれていて、色鉛筆なども用意されている。スタッフが俺を捕まえて言った。

「今、童貞の人に想像女性器を描いてもらうっていう企画をやっているんですけど、どうですか?」

耳を疑った。半笑いで語りかけるスタッフ。俺は「いや」と言って会場を出るエレベーターボタンを押した。だが、スタッフはなおも「まだ時間ありますよね?」と童貞なんだから予定なんかないだろと言わんばかりに食いついてきた。女性器を描くなんてセクハラだし、それを強要するのもセクハラだ。そんなことをそこら辺の通行人に言おうものなら、当時でも問題になっていたと思う。だが、それが相手が「童貞」だったら許されていたのだ。

数日前、松江哲明ツイッターでこんなことを言っていた。

童貞。をプロデュースから10年経って、童貞をあることをアピールしても、恥ずかしいことではなくなったこと(むしろモテに繋がる)

どの口が言うのか。イジメっ子がかつてイジメていた相手に対して、「お前も立派になったよな」ってか。もう一度書くが、どの口が言うのか。

童貞。をプロデュース」の予告編をもう一度見てみよう。童貞役の男性23歳となっている。23歳で童貞だって? 別に珍しいことじゃない。今ならそう思えるし、表明もできる。だが、その状況に松江哲明を含む当時童貞をいじっていた奴らは1ミリも貢献していない。社会ゆっくり成熟に向かっただけだ。

鮮やかな地獄を生きていた。不快な季節だった。一人の人間として、ただただ不快だった。

2017-08-25

息子がかわいすぎて辛いから、女子にとられるならゲイになってほしい

小学生高学年の息子。とにかくカワイイ。顔もしぐさもかわいすぎる。水泳をやってるので手足がすーっと長く、きれい筋肉がついてて、テーブルの下から伸びてる足をみてるとほーっとため息さえ出てしまう。

一人っ子から余計に溺愛してるのかもしれない。

この間息子の塾用の筆箱の鉛筆を削ってあげようと開けたら、中からクチャクチャになったメモがでてきて「友達になって」って書かれてた。後で聞くとどうやら塾で男の子にもらったらしい。

最初女の子にもらったのかなって思って、モテるじゃんっていう気持ちと、ちょっと寂しい気持ちになってたけど、男の子からだって聞いてなんだかホッとした。

女の子にとられるくらいなら、ゲイになって、素敵な男の子同士のカップルになってほしい。

そう思うのっておかしいかな?

2017-08-19

いい夢見た

さびさに気分のいい夢を見たので書く。淫夢じゃない。

街中の公共スペースみたいなところ。渋谷ビルにあるような大型テレビ映画が流され続けているスペースがあって、僕はそこでテーブルに座って映画を見ていた。

途中から見たんだけどスプラッター映画で、なにか異常な感染をした大量の人々が無目的かつアクロバティックにウロウロしている。ゾンビ映画という感じではなくて目的なく、感染した人同士も追いかけあって腕を折ったり首を締めたりしていた。ピエロスパイダーマンみたいな動きでビルの間を縫って、ほかの感染者を縛って得意げな顔をしていた。

そこで唐突に正面に座っている女の子からしかけられた。黒髪ショートカット、顔はややくっきりしていて、まあまあかわいい。その子のことはまったく知らないけど、その子は何度か僕を見かけていて、僕の愛称も会話の中から知っていたようだ。戸惑いながら会話をして映画に向き直ると、唐突にそれは終わっていて、「えっ、いまどうやって終わったの?」みたいな会話をした(あの状態からなにがどう収束したのかまったくわからない)。

次にはじまったのは女子高生カンフーをやる映画

僕とその子は気づいたら席を移動していて、カウンターで並んでいた。映画は見える場所ではあったけど、もうさっぱり関心がなくなっていた。その子はなにかを机に鉛筆で書き始めて、くっきりしてかっこいい字をしていた。縦読みして電話番号かなと思ったけど、なにか古い詩みたいなものを書き付けていただけで恥ずかしかった。

そこで目が覚めた。

2017-08-18

時流に乗ってインパール作戦顛末をまとめてみた

ブラック指揮官ブラック作戦顛末

      昭和18年12月下旬 第15軍司令部において、インパール作戦の兵棋演習を実施

第15師団 岡田参謀長

 「まだよくわからぬが、今回の演習で受けた感じでは、この作戦は無理なように思われる」

ビルマ方面軍 中参謀長

 「軍の作戦構想はいかにも危険性が多いと思われる。再考余地はないか

南方総軍後方主任 今岡参謀

 「軍司令官が主張されているように、一ヶ月以内にインパール攻略できるということであれば、いま軍が考

 えている補給計画でなんとか追随できると思う。しか作戦のものが途中で頓挫すれば話は別である。突進

 戦法が失敗すれば補給は続かないし、軍の補給計画全面的に崩れる」

南方総軍作戦主任 山田参謀

 「わたし自身もこの作戦危険だと考える。補給問題一つを取りあげても、随分無理なところが多い。要する

 にこの作戦は中止すべきだと思う」

                       ↓

牟田大言壮語廉也

 「イギリス軍なんか弱いんだからさ、補給心配なんかする必要ねえって。インパールコヒマも天長節まで

 には占領してやるぜ、ガッハッハッハッハ!!」

                       ↓

ビルマ方面軍司令官 河辺中

 「いやあ、牟田口にお願いされると俺としては弱いんだよねえ~。よーし、やっちゃえやっちゃえ!」

                       ↓

南方総司令官 寺内元帥

 「最近ウチのほうの戦局もパっとしねえし、一か八かでもこの大作戦成功すりゃ大手柄だな。

 次期参謀総長俺様に決まり!ってかぁ。よーし、やっちゃえやっちゃえ!」

                       ↓

         昭和19年1月4日 インパール作戦計画案、大本営に提出

                       ↓

大本営作戦部長 真田少将

 「自動車飛行機もない状態では絶対に反対である

     ↓↑

参謀総長 杉山元

 「いやあ、でも、ほらさあ、寺内ちゃんのたっての希望でさ、俺も断りづらいわけよ。無理ッポイのはわかっ

 てんだけどさ、そこをなんとか曲げてくんない?頼むよ、真田ちゃん」

                       ↓

           1月7日 大本営インパール作戦実施を認可

                       ↓

牟田アントワネット廉也

 「日本人は、もともと農耕民族草食動物なのだ。食い物が無ければジャングルの草を食えばよいではないか

 ガッハッハッハッハ!!」

                       ↓

                3月中旬 各部隊、作戦発起

                       ↓

5月 牟田責任転嫁廉也

 「いや俺だってね、インパール作戦が失敗だってことぐらい、4月の終わりにはわかってたけどさ、ほら、

 河辺のやつが早期撤退渋るもんだから、俺はあいつの命令に従うしかなかったんだよね」

                       ↓

         昭和19年5月 参謀本部において、現地視察団による報告

大本営 秦参謀次長

 「作戦成功の公算低下しつつあり」

     ↓↑

東條英樹 参謀総長

 「どこが不成功なのか!何か悲観すべきことがあるのか!」

                       ↓

5月16日 東條英樹上奏

 「作戦は、一応大きな不安はない状況ですので剛毅不屈、既定方針の貫徹に努力いたします」

5月 牟田メイミョウで芸者遊び廉也

 「よし、雨期になりゃこっちのもんだ。てめえらしっかり戦えよ!」

                       ↓

5月? 第15師団長 山内中将

 「撃つに弾なく今や豪雨と泥濘の中に傷病と飢餓の為に戦闘力を失うに至れり。第一部隊をして、此に立ち

 至らしめたるものは実に軍と牟田口の無能の為なり」

5月 第31師団長 佐藤中将

 「弾一発、米一粒も補給なし。敵の弾、敵の糧秣を奪って攻撃を続行中。今やたのみとするは空中よりの補給

 のみ、敵は、糧秣弾薬はもとより、武装兵員まで空中輸送するを眼の前に見て、ただただ慨嘆す」

                       ↓

            第31師団長 佐藤中将死刑覚悟独断撤退

 「師団はウクルルで何らの補給をも受けることを得ず。久野村参謀長以下幕僚能力は、正に士官候補生以下

 なり。しか第一線の状況に無知なり。従って軍の作戦指導支離滅裂、食うに糧なく、うつに弾なく、戦力

 尽き果てた師団を、再び駆ってインパール攻略に向かわしめんとする軍命令たるや、全くおどろくのほかなし。

 師団は戦力を回復するため確実に補給を受け得る地点に移動するに決す」

                       ↓

牟田口半狂乱廉也

 「なにを~っ、この臆病どもが!!おまえら根性が足りん!解任じゃ~~~~~!!」

牟田神がかり廉也

 「諸君佐藤バカは俺の命令に逆らってコヒマを放棄しやがった。食うモンねえから戦が出来ねえだとおぉ~?

 これが皇軍か。皇軍は食いモン無くったって戦争やんだよ!兵器ねえとか弾丸ねえとか食いモンねえとか、んな

 甘ったれたこと言って戦闘やめてんじゃねえよ!弾丸なかったら銃剣あんだろ!銃剣なくなりゃ腕があんだろ!

 腕もなくなったら足で蹴れや!足もやられたら口で噛みつけ!日本男子にゃ大和魂ってもんがあんだろ!!

 日本神州なんだから神様が守ってくれんだよ!!かんながら~かんながら~かんながら~」

           6月5日 ビルマ方面軍司令官河辺中将来訪

牟田甘ったれ廉也

 「俺の口から作戦中止なんて言えるわけねえだろ。顔色で察しろよ、ったく河辺の鈍感野郎はよ」

ビルマ方面軍司令官 河辺中

 「牟田口はなんか言いたそうだったけど、俺のほうから作戦中止言いだすのもなんだしなあ、ま、いっかぁ」

                       ↓

6月末 第33師団長 田中信男中将柳田中将後任)

 「わしもここへきてみて、こう、手をひろげすぎてはいかん、と思った。わずかな兵力で、戦線を拡大したっ

 て、どうもならんよ。兵力だけの問題ではない。わが軍のやり方は、まったく時代遅れだ。大陸でやった戦術

 をそのままくり返している。ところが戦争の形はまったく変わっているし、その上、連合軍は一日一日と戦術

 を改良発展させている。大本営あたりでは、これを物量の差だときめこんでいるが、とんでもない。こりゃ頭

 の違いだよ。民族能力の差だ」

                       ↓

7月1日 東條英樹上奏

 「局所的には、我に利あらざる戦況も発生し作戦を中止します」

                       ↓

              7月2日 インパール作戦、中止命令

                       ↓

              アラカン山系に白骨街道が出来上がる

                       ↓

牟田猿芝居廉也

 「このような時、牟田軍司令官が、藤原参謀の机の所へやって来て、私達部付将校の前でこんな事を言った。

  「藤原、これだけ多くの部下を殺し、多くの兵器を失った事は、司令官としての責任上、私は腹を切ってお

 詫びしなければ、上御一人や、将兵の霊に相済まんと思っとるが、貴官の腹蔵ない意見を聞きたい」

  と、いとも弱々しい口調で藤原参謀に話しかけた。私達は仕事の手を休め、この興味深い話に耳を傾けた。

 彼は本当に責任を感じ、心底からこんな事をいい出したものだろうか。自分自害を人に相談する者があるだ

 ろうか。彼の言葉形式的な辞句に過ぎないものではなかろうか。言葉の裏に隠された生への執着が、言外に

 あふれているような疑いが、だれしもの脳裏にピンと来た。藤原参謀はと見ると、仕事の手を一瞬もとめよう

 とはせず、作戦命令の起案の鉛筆を走らせていた。司令官には一瞥もくれようとせず、表情すら動かさず、次

 のようなことを激しい口調で言われた。

 「昔から死ぬ死ぬと言った人に死んだためしがありません。司令官から私は切腹するから相談を持ち掛け

 られたら、幕僚としての責任上、一応形式的にも止めない訳には参りません。司令官としての責任真実感じ

 ておられるなら黙って腹を切って下さい。だれも邪魔したり止めたりは致しません。心置きなく腹を切って下

 さい。今度の作戦の失敗はそれ以上の価値があります

 と言って相も変らず仕事を続けている。取りつくしまもなくなった司令官は「そうか、良くわかった」と消え

 入りそうな、ファッファッと、どこか気の抜けた笑い声とも自嘲ともつかない声を残して、参謀の机の前から

 去っていった。私達は何事もなかったように各自仕事を再開しながら心の中で思った。司令官死ぬ積りは

 毛頭ないのだ。大勢将校のいる前で参謀相談し、参謀から切腹を思い止まるよう忠告する言葉を期待して

 いたのだ。そしてこの寸劇により、司令部内外への宣伝効果をねらったのに違いない。ところが案に相違した

 参謀言葉に、この演出は失敗に終ったのだ。卑怯卑劣という言葉が、この場の司令官言動に最も適した言

 葉であった」 (高木俊郎『抗命』文春文庫 より)

                       ↓

           8月 帰国する牟田口のために慰労会が催される

牟田ポジティブシンキング廉也

 「インパール作戦は失敗じゃねえぞ。俺がインパールやったから、ビルマとられずに済んだんだからな、

 ガッハッハッハッハ!!」

                       ↓

                     その後・・・

参謀総長 杉山元元帥        →小磯内閣陸軍大臣

南方総司令官 寺内壽一元帥    →終戦まで現職

ビルマ方面軍司令官 河辺正三中将  →大将に昇進 第一軍司令官

第15軍司令官 牟田口廉也中将   →陸軍予科士官学校

第15師団長 山内正文中将昭和19年6月 解任)→メイミョウにて病死

第31師団長 佐藤幸徳中将昭和19年6月 解任)→ビルマ方面軍附 東北軍附 ジャワにて終戦

第33師団長 柳田元三中将昭和19年5月 解任)→関東州防衛司令官 後、ソ連抑留病死

                       ↓

佐藤幸徳

 「結局、大本営、総軍、方面軍、15軍という馬鹿の4乗が、インパール悲劇を招来したのである

                     おしまい

(参考文献・高木俊郎『抗命』文春文庫 その他)

2017-08-15

[]

高浜やきものの里かわら美術館に行ってきましたわ。

みえるようなみえないような」展が開催中でした。

抽象的な作品見立てを行った作品が集められていますわ。

無題や同じ題の作品連続しているあたりもそれっぽいですわ。

しゃらおにおいですわ。

ポスターにもなっている色鉛筆を束ねて樹脂で固め、

シャンデリアなどの形を削りだした作品が木目の中に多彩な色が現れて

おもしろかったのですの。

三階の名古屋大学レゴ部の作品テプラで書いた作品タイトル

板で隠していて、作品タイトル当てクイズになっていました。

イルカと鮫はありましたけど、鯖はありませんでしたわ!

鯖はありませんでしたわ!

それに悪乗りたかのように廃棄物を使った作品を作っている

佐溝力さんも同じ形式での展示がありましたわ。

いちばん衝撃的だったのはサッポロ一番起きてから寝るまで日中

触っていらっしゃる方の使用済(未開封)サッポロ一番を日付付箋付で

100個ほど並べた作品でしたわ。

作品、なのでしょうか?制作したご本人が作品と思っていれば作品判断やすいのですが、

解説とご本人がサッポロ一番を触っている映像をみる限りでは確信がもてませんでしたわ。

芸術品にみえるようなみえないような展でしたわ。

瓦の方は古代中国饕餮文が入った瓦などが展示されていて、

リアル饕餮と口にしてみたい方にお勧め美術館ですわ。

2017-08-10

なつやすみだね

明日から夏休みいぇーーーーーーい!

と思った翌日に「重要会議の議題にすっから数字つくってね」とボスからメール

その会議が開始されるまであと1時間しかねーじゃん…。

急遽、鉛筆ナメナメして(←数字でっち上げボスレスしたんだけど

そういや本件以外にもレスを求めてるメールがいくつかあったな…。シカトすっか。

と思った矢先、どうしても明日には出社せんとマズイ自体が発生した模様。

冗長化できてない体制もアレだが、平気で休暇中にカジュアル業務かっ飛ばすのも問題だなー。

休みを取得する=業務が蓄積されるだけ、という思考になってる自分もマズイ。

2017-08-09

https://anond.hatelabo.jp/20170809011633

それが欧州でまかり通るなら、海外版pixivみたいなイラスト投稿サイト素人の色鉛筆画みたいなイラスト投稿し続ける人が少しは減るはずなんだがな。

趣味くらいユルくたっていいだろ

2017-08-01

鉛筆刺さった

勢い良く刺さったから抜いたら血が吹き出て焦った。

よく削ってあったみたい。

芯が残ってないか心配だ。

どうしよう血が止まらない。

救急車読んだほうがいいのかな。

痛いのかどうかもよくわからない。

ああ、ちょっとずつ弱っていている気がする。

生き物の皮膚って意外と薄いんだね。

手術とかするのかな。

そっちのほうが痛そうな気がする。

あ、でも手遅れになったら必要ないのか。

参ったな。

まさかこんなことくらいで。

なにか言ってるような気がするけどよくわからない。

血が出すぎちゃったせいかな。

どれくらい出血したら危ないんだっけ。

それにしても止まらない。

今の自分にできることってなんだろう。

ダメだ。

焦ってるせいか全然思いつかないや。

仕方ない。

とにかくこのまま見守っていよう。

何も出来なくてごめん。

2017-07-27

かれこれ5年以上前になるが、就活商社を受けた際、グループ討議で、

『この鉛筆を1000円で売るにはどうしたらいいか

みたいな課題が出た。

鉛筆自体は本当にノーマル鉛筆で、そうなると「付加価値をつけて売る」というのがキーポイントになってくる。

結果、うちのグループでは「某人気アイドル宣伝してもらってはどうか」という案を出すことになった。購入者握手できる、位のアイディアだったかもしれない。とにかく、他のグループからも同じような案が出る位、そのアイドルCDバカ売れしてた時期だ。

今を時めく人気アイドルに依頼すればそりゃ鉛筆は売れるだろう。でも経費かかりすぎじゃない?それちゃんと利益出るの??っていうのが私の疑問だった。

一応それも言ってはみた。が、同グループメンバーにはぽかんとした顔をされた。結局、その選考で私は落ちた。

企業が何かを売る限り、費用対効果を考えるのは当然だと思うんだけども。

あのグループ討議でみられていたのはなんだったんだろうと、久々に思い出しモヤモヤした。協調性か?

2017-07-26

化粧上達してきたか練習法書く

自分ブスだけど化粧したら人並みになれる。ほぼ自分の覚え書きだけど、あんまりメイクしない人向けに書いてみる。ながいか最後結論だけ見てもいい。

まず、美人とブスを交互に貼るみたいなまとめサイトに行って自分の顔に似てるブスと自分の顔に似てる美人を探す。別にまとめサイトじゃなくてもいい。堀北真希箕輪はるかが似てるみたいなの話題になってたけどあんな感じで探す。

次にその画像を見比べて美人とブスとでどこが違うのか考える。特に目の大きさ目の形、肌の何処にハイライトがあってどこに影があるのか見比べる。口の形もみてみる。鼻はメイクでは割とどうにもならない点だけど後で書く。

そしたら、美人に近づけるようにメイクする。ファンデーション自分の肌にあってたらどんなのでもいい。アイメイクモノマネメイクの人を参考にする。サイトで紹介されてるメイク道具はいらない。適当に似たやつですませば良い。ただ、アイライナーはリキッド鉛筆か回せば出るヤツがあって、自分が使いやすものを選んだほうがいい。アイシャドウ適当ちふれかなんかで買えばいい。単色のはダメだよ。茶色いのがおすすめ

ぶっちゃけアイメイクがうまくなれば何とかなる。2重と涙袋があれば目が多少細くても誤魔化せる。

次に鼻。これは自分の鼻の形を検索して調べて、それにあったシェーディングで何とかするしかない。その鼻で美人な人の画像を探して参考にする。「団子鼻、美人」とか検索する。あとは、顔のハイライト。高い位置に入れるのか低い位置に入れるのか等つまり美人の顔はどこがテカってるのか。サイト参考にするより、自分に似た美人画像を見てそのとおりに入れた方がいい。

唇も参考の画像とあまりにも乖離してたらパーツごとに美人を探して参考にしたらいい。リップライナーも一本は欲しいところ。

結論書くと大事なのは自分美人を見比べることだと思う。目が細くても美人な人はいるし、唇がタラコでも美人はいる。つまりパーツごとに参考に出来る人を探してその通りにやったらいい。最初はやりすぎたりつけすぎたりが多いと思うけどだんだん加減がわかってくる。あとは明るいところ(自然光)でやらないとつけすぎるから注意するかな。あと、化粧でも絶対変えられないところがある。顔の大きさと形だけは変えられないからシェーディングと髪型カバーする。

2017-07-24

試験の手応えと点数の相関表つくってみた(ソースは俺

100%

見直しなどを何度しても試験時間は大幅に余る。退屈すぎるので試験の半分は睡眠などに費やされる。退出できればさっさと退出する。全能感を味わうことができる。試験大好物

98%〜100%

見直しなどを何度しても試験時間は余る。ただし一部不安な箇所がある。まだ試験範囲に苦手分野が僅かながら存在する。◯◯%合格という試験で退出出来る場合は「98%だけどしょうがいか」のように諦めて退出する。試験は点が取れるので好き。

95%〜100%

たまたま試験の内容が自分好みのものが多かったため、普段よりも実力が発揮できた状態不明な箇所が2・3箇所あり、「もう少しで100%だったのに」と思うが、実際に「常に100%取れる」には程遠い。試験時間は余りがちだがそれほど多くは余らない。◯◯%合格という試験で退出出来る場合は退出する。

90%〜95%

試験時間は余りがち。難しい箇所で詰まることが多く、ぽつぽつ落としてしま状態試験時間をいっぱいまで使って、わからない箇所について全力をそそぐ。わからない箇所は3・4箇所であり、試験合格不合格うんぬんについては全く気にすることがない。やはり退出できるなら退出する。

80%〜90%

試験時間はやや余る。試験中、わからない箇所が特定できており、試験の点数を±5%ほどの誤差で計算できる。どれだけ考えてもわからない問題がいくつもあり、「惜しかった」と思えるような間違いが散見される。退出できる場合には、退出することもある。

70%〜80%

試験時間は足りない。わからない箇所の特定時間の都合上無理なことが多い。「結構間違えている」「全然できなかった」「でも60%はさすがに取れてる」という意識が強く、また合格ボーダー付近であることも多いため、不安に駆られながらの試験となる。試験結果は試験内容によって大きく変わる。

60%〜70%

試験時間は足りない。マークシートであればすべて埋めることができ、「意外とできた」と思っていることが多いが、「できていない部分」にはあまり目がいっていない。ただし合格などがある試験場合には「できていない」という意識が強くなる。試験結果を見て「意外とできていないこと」に愕然とする。実際には意外でもなんでもない。

40%〜60%

ほとんどわからないため、わかる場所をやっていった結果、試験時間が余ることがある。またはほとんどわからないのでずっとつぎの問題へ進めない。余った時間でわからない箇所をいくら考えてもわからないのでどうしようもない。「全然できなかった」「60%取れればいいな」と思うことが多い。試験が嫌いなことが多い。

20%〜40%

わかる箇所がカウントでき、点数の予測ができる。どうあがいても点数は取れない。マークシート場合鉛筆コロコロ転がすのと大差がない。明らかに勉強量が足りていない。なぜ受けたというレベル自分バカさ加減を知って絶望する。

0%〜20%

何もわからない状態問題がわからない。問題が読めない。マークシートではあまり起こらない状態。諦めて睡眠をとりはじめる場合もある。試験を受ける気がない。

2017-07-15

戦艦少女をやっていて思う運営への要望

日本語版サービスインして9ヶ月ぐらい経ち精力的なアップデートが多い戦艦少女R。

Ver3.1になり、模様替え機能は付随され益々拡張に余念がない。 

ゲーム内の収入ゲーム還元するその姿は近年稀に見るまともな運営と評するのが非常に正しい。

脳味噌イカれた日本ソシャゲ運営からしたら真っ当な姿である。 残念ながら。

バトル鉛筆販売ゴミの様なアプリケーションの負荷問題を誤魔化しながら、堂々とアプリケーション関係の公演したり恥を晒す白痴のような運営とまるで違う。

そのゲームの成り立ちが中国からだというから驚きを隠せなかった。

でも、そんな聖人君子ともいえる運営ゲームでも残念ながら不満点がないわけではない。

そんな不満点を上げていこうと思う。

イベント限定の新しいキャラクターを入手する難易度を下げたほうが良い。

戦闘報酬になる新しいキャラクターの入手難易度が高い。 手に入れようと思えば同じマップを何十週も回らなくてはならない。

同じような状態は通常マップでも見られるが、それはいつか必ず手に入るだろうと言える。

しかし、イベント限定場合結構異なる。 イベント内の先行実装という形で実装されるのだが、これのドロップ率がよろしくない。

例を挙げるなら瑞鶴やオバノン(通称じゃがいもである。(ただし、瑞鶴現在建造で入手可能

先行実装という体であったとしても期間限定なのであればドロップ率をもう少し上げたほうがいいと私は思っている。

まあ、そのうち実装されるだけマシかもしれない。(ただし、ゲーベンは絶望的)

ハードモード実装するならばイベントの通常マップ難易度を下げたほうがいい。

日本版ではまだなのだが、大陸版ではハードモードというのがあるらしい。

大陸版というのは中国サービスインされているバージョンのことであるが、その大陸版ではハードモード実装されているらしい。

要望なのでアレだが日本版ではある程度新規にやさしくするべきだと思う。 (2-4目安に)

ハードモード実装されたアイコンなどは別イベント報酬品で引き換えられるようにする

新規古参で差が出るのはしょうがないことなのだが、新規でも手に入れられるように配慮するべきである

もし引退しても復帰したときにがんばれば遅れを取り戻せる環境を用意するべきだ。 新規や復帰勢をあらためて取り込みたいのであればそうするしかない。

もしこれで文句を言っている連中は優越感に浸りたいクズだし、害にしかならない。

これは装備やキャラクターを手に入れるチャンスがイベントしかないどこぞのゲームへのアンチテーゼである

締め

どんなソーシャルゲームにも不満点は必ずあるが、それを弾圧しない環境必要だろう。

もし不満点を弾圧してしまえば、そのゲーム未来絶望的だろう。

2017-07-13

https://anond.hatelabo.jp/20170713125500

コモディティ商品基本的に流されないよ。

衣類スチーマーなら流れてたでしょ一時期。

文房具にしても、クルトガ松岡修造つかって割と拡販してたけどただの鉛筆CMしないよね

逆に、コモディティが進んでいても俺の商品はそこらとは違うんだぜ、っていいたいときCMうつ

2017-06-26

情報処理技術者試験なのに、紙に鉛筆論文を書けっておかしいよね。

僕も、情報処理技術者試験受けることあるけど、あれっていつまで紙と鉛筆なのかね。

http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2017/0621/808751.htm?g=08

あと、マークシートはすぐに合否判定して欲しい。

AM1で落ちてるのに気が付かず、PM2で論文まで書いたらつらすぎるべ?日曜日わっちゃうし。

2017-06-19

カイジ「一日一回二十分......!!あっという間にできやがった......!」進研ゼミ「ククク...」

カイジ「本当に必要解説だけをピックアップして、それでいてわかりやすい...それだけじゃない.....!

すべての箇所にコラムイラストを配置

子供が飽きないための工夫を施してやがるっ ...!

そうか...わかったぞ!! 8+250=258だ!!!! くっ...!鉛筆が止まらねぇ...!!

学力が...日本での己の価値を決める学力が... どんどん上がりやがる.....!!!!」

進研ゼミ「それだけじゃない...巻末を見たま え...!!」

カイジ赤ペン先生...?なんだっこれは.....! 新手のギャンブルか?!」

進研ゼミギャンブル?ククク...そうともいえるな

そのテスト貴様が出した点数に応じてシールがもらえるのだ...

この頑張ったシールがな!!!!!!

カイジ「なに?!キンキラに光ってやがる... 美しすぎる...!犯罪的だ!!!

どういうことだ?!テストを出したらこれがもらえるのと言ってるのか?!」

進研ゼミ「あぁ。毎回一枚もらえるのさ...!

そして満点ならば......8枚っ!!!!!

圧倒的シール!!!!!!

カイジ「そ、そんな馬鹿なっ.....!暴挙っ! 資本主義の上位層が遊び半分にけしかける暴挙!!!

こんなに美しいシールテスト一枚でそんなにもらえるだと....!!!

この破格条件では日本はおろか... 世界中の子供たちが入会してしまう!!」

進研ゼミ「ククク...おかげ様で全国の五人に 一人の小学生進研ゼミで一緒に学んでいる よ...!!」

2017-06-13

美大に行けなかった女

祖父画家だ。

美大卒業してすぐに専業画家として独立

その道の人が喉から手が出る程欲しがる賞なんかも受賞して、

から見ると画家として順風満帆人生を送ってきたように見えると思う。

しか祖父プライベートでは周囲にかなり迷惑をかけてきた。

戦争で家が燃え盛る中、貴重品には目もくれず画材だけ持って逃げたり、

駆け出しの頃余裕のなさからちょくちょくヒステリーを起こしたりとか、

そういう話はよく祖母とその息子(=私の父)から聞いたし、

画業が軌道に乗るまではかなりの貧乏暮らしをしていたらしい。

そのせいでうちの家系アート関係仕事に対して風当たりが強い。

父が美大ではない一般大学を出、一般企業サラリーマンとして就職した際は

一族からまともな奴がでた」と周りが泣いて喜んだという。


孫の私は小さい頃よく祖父の家に預けられていた。

(私も祖父都内住みなので、母が忙しい時、面倒を見てもらっていた)

父が幼かった頃はまだ生活に余裕がなく、祖父子供の面倒を見る事はなかったが、

絵が売れるようになってからできた孫の私の事はかなり可愛がってくれた。

祖父は私にお古の画材をくれ、好きに絵を描いていいと言ってくれた。

仕事をする祖父の近くに陣取り、見様見真似で絵を描き始める。

幼稚園児の絵なんてプロの目から見なくても下手くそだし、祖父から絵を褒められた事は一度もない。

それでも下手な絵を量産し続ける私を見る祖父の目がとても優しかったのは覚えている。

やがて私は外で鬼ごっこをするよりも絵を描く方が楽しいと思うような子供に育った。

近所に住む幼馴染の友達も絵を描くのが好きな子で、

放課後はその事一緒にスケッチブックを持って公園に絵を描きに行くのが定番コースになった。




そんな私に家族はいい顔をしなかった。

小学生の頃、近所のお絵かき教室に行きたいと何度頼んでも全部無視された。

でもテレビでみかけた新体操選手を見て一言可愛いと言った次の日には新体操教室を探してきてくれた。

数学が苦手だとぼやいたらすぐにそろばん教室に行かないかと勧められた。

家族は私が絵を描く事以外に興味を持ってほしかったのだと思う。

一回だけ口を滑らせて「美大とか美術専門学校に行きたい」と言ってしまった事がある。

父は大激怒あん鬼のような形相をした父親を見たのは後にも先にもあの時だけだ。

親戚中に言いふらし、それから何人もの親戚から連日の様に

「お前に祖父のような才能はない」

美大に行くような奴はそれしか生き方を知らないろくでなしだけだ」

「お前は絵の為だけに人生を棒に振れるのか、そうとは思えない」という電話がかかってきた。

安定した仕事に就いてほしいという彼らの気持ちもわかる。

でも「美大楽しそう」は中学に入ったばかりの小娘の言葉だったのだ。

それからずっと絵を描くのが好きだという気持ち封印し、

隠れてノートに絵を描いてはいものの、普通大学に入って普通にOLとして就職をする道を選んだ。

それでも社会人になっても絵を描きたい欲が抑えきれず画塾に通い始めた。

美大の夜間コース金銭的にも時間的にも無理だった)

この頃になるともうこれから芸術の道に進む事はないだろうと安心したのか、家族から白い眼で見られる事もなくなったし、

祖父コネでもらった展覧会チケットも興味があるのなら、とくれるようになっていた。

画塾に通い始めた事も「社会人になって趣味を持つの大事な事」と肯定的な目で見てくれるようになって、少し認められた気がして嬉しくなった。

ただ一言「お前、絵描くの好きだったんだな、知らなかった」と言われるまでは。

あぁ、幼稚園小学生の頃あんなにお絵描き教室に行きたいと頼み込んだの覚えていないんだ。

後、大学一人暮らしを始めてから同人漫画も描き始めた。もちろん家族には言っていないけど。

同人イベント金銭のやり取りをするようになってから、絵一本で祖母、父、そして父の妹を食わせ、大学まで行かせた祖父のすごさを再認した。

親戚が私に才能がないと言った気持ちもわかる。私は祖父になれなかった。なろうとする事すらおごましい。

でもこの趣味出会った友人達には美大とかアート系の専門学校に通っていた人も多くて、やっぱり羨ましくなってしまう。

そしてその人達ほとんどは家族の言う「芸術の道に進むしか能がないろくでなし」ばかりではないし、

卒業普通OLとして社会人をやっていけている人にもたくさん出会った。

デザイン系の仕事をして会社に雇われている人もいれば、

祖父自営業画家として生計を立てていたように、フリーランスとしてやっている人もいる。

何より皆、人より絵を描くのが得意な「社会常識のある普通の人」だったのだ。

美術系の学校に進む人は全員頭がおかしいという親戚の言葉は、

美術を専攻するとOLという道は閉ざされるから絶対に稼げないという親戚の言葉

嘘だった。

そして思ってしまうのだ。

正直言ってしまうと同人誌はそこそこ売れているので、私に絵の才能が全くなかった訳ではないと思う。

もし美大に行けてたら…祖父の様に専業画家として大成功する事は無理でも、デザイン系のOLとかで生活できる程度に稼ぐ事はできていたのかな…と。

甘い考えだってのはわかっているけれども。

父の口癖はこうだった。

「本当に何かをやりたい人はどんなに反対されても勝手にやる。祖父は家が燃え盛る中、泣きながら画材を持ちだして死にかけた。手塚治虫戦争中、絵の具がなかったか自分の血で絵を描いた。芸術の道に進むというのはそういう事だ。」

きっとそうなのだ

私が本当に美大に行きたかったのなら、親戚中に反対された中学の時点で家出でもすればよかったのだ。

バイトをできる年齢になったらお金を貯めて、学費自分で賄えばよかったのだ。

そうしなかったのは心の底から美大に行きたいと思っていなかったからなのかもしれない。

ないとは思うけど、明日北朝鮮ミサイル東京に降ってきたら、私は真っ先に通帳とか印鑑とかを持って逃げると思う。

そして、足腰が弱ってあまり歩けなくなってしまった祖父は、それでも若かった頃と同じようにパニクりながらカンバスと絵の具を持って避難するだろう。

そういうところなのだ、親戚が「芸術家ろくでなしだ」と言うのは。

通帳は全部祖母に任せて自分画材だけ持って逃げるから

明日おまんまがなくなって、家族全員打ちひしがれていても、スケッチブック燃えなかった事を泣いて喜ぶような人だから

本物のミサイルなんてそうそう見れるもんじゃないと喜び勇んでスケッチを始めるかもしれない。

因みによく一緒に公園スケッチに行ってくれた幼馴染は高校から画塾に通う事を許され、無事美大合格卒業後は有名なゲーム会社就職した。

彼女ものすごい努力をしていたのを私は知っているし、就職の報せを聞いて私も嬉しかった。

でも北朝鮮ミサイルに対して彼女はどういう行動をとるだろうか?

私が趣味世界出会ったデザイン系の仕事に就いている人達は?

紙と鉛筆を持って逃げるだろうか?

幼馴染とは今でも仲がいい。

同人活動を通じてできた友人の中にはジャンルが変わっても付き合ってくれ、一緒に旅行に行くような仲の人もできた。

積極的美大とか専門の話はしないけれども、そういう話題になっても自分の知らない世界の話を聞くのは単純に楽しいし、新刊ネタになるかもとワクワクすることもある。

でも嫉妬心を全く覚えないと言ったら嘘になる。

日本火の海になった中で、紙と鉛筆でなくて通帳と印鑑を持って避難するような人だったとしても、彼女達が美大進学を許された特権階級である事は変わりないのだ。

そう思うと何だかもやっとしてしまう。





一時期このもやもやから逃れたくて、絵を描く事を伴わない趣味を探した事がある。

スポーツをしてみたり、美味しいご飯屋さんを探してみたり。

このスポーツ団の制服可愛いから模写したいとか、肉の「照り」の部分を絵の具でどう表現しようかとか気付くと考えてしまっていたけれども、頑張って思考の外に追い出していた。

そんな中、某韓国アイドルにハマった。

お気に入りだったのが音大出身で抜群の歌唱力を売りにしている子。

彼の美しい歌声に乗った異国の言葉は心地よくて、生まれて初めて海外アーティストの曲を買った。

ある日、彼が番組企画ファンの為にイラスト色紙を書いてくれる事になった。

その日の彼は機嫌が良かったのか、普段はあまりしないプライベートな話をしながら色紙を書いてくれた。

小さい頃から歌う事が好きだった事。

母親に勧められて合唱団に入った事。

歌手を目指し挫折した経験を持つ母が、音大合格した時泣いて喜んでくれた事。

色紙を書き終えた彼はそれを満足そうにカメラに見せ、言葉をつづけた。

「歌も好きだけど…絵を描く事も好きです。上手くはないけどね。僕の従姉妹がこの絵を見たら笑ってしまうかも、彼女美術大学に通っているんだ。」

頭を鈍器で殴られたような感覚がした。

今までアイドルと言うのは自分とは全く別の世界に住んでいる人間だと思っていた。

この世に存在しないくらい見た目が美しくて、スタイルが良くて、歌やダンスが上手で。

からどんなにイケメンアイドルを見てもこんな人と付き合いたいとか、

どんな美人アイドルを見てもこんな風に美しい女性になりたいとか、そういう気持ちが湧いてきた事はなかった。

自分人生と関連づけられなかったのだ。

特に彼は外国人だったので、そうした傾向が強かったんだと思う。

でも彼の口から美術大学」という言葉がでてきた瞬間、一気に身近な存在になってしまった気がした。もちろん悪い意味で。

音楽芸術だという当たり前の事を思い出し、生まれて初めてアイドルに対して悔しいという気持ちが湧いてきてしまった。



彼は芸術家になる事を親から応援されてきたんだ。従姉妹さんも美大に通っているという事は、きっと一族の大半が協力的なんだろう。

羨ましかった。私も応援されたかった。

美大に行きたいという言葉を発した時に、罵詈雑言を浴びせられるのではなく、彼の母親の様に応援してほしかった。

彼が歌うのが好きだと気付いた母が、彼を合唱団に入れてくれたように、お絵かき教室に行きたいとせがんだ私の事を父に認めてほしかった。

本当は新体操選手なんかに憧れてはいなかったんだ。

お絵描き教室が駄目なら新体操も駄目だろうと思って発した言葉だったのに、すぐに新体操教室を探してきてくれた親に対してショックを覚えたんだ。

美大コンプレックスから離れる為に始めた趣味だったのに、またもや同じ気持ちを味わったあの日、結局このコンプレックスはどこに行ってもついてくるんだなという絶望感を覚えた。

もちろん、高校から画塾に通って美大進学をした幼馴染、趣味を通じて知り合った美大出身友達

皆親を説得するために苦労をしたんだと思っている。

そしてただでさえ狭き門である芸術系就職活動成功させる為に、

反吐を吐く様な努力をして作品ポートフォリオを作り上げたんだろう。

きっと私には想像もつかないような辛い道のりだったに違いない。

大好きなアイドルと彼の従姉妹だって日本よりさらに厳しい学歴社会と言われる韓国音大美大進学を決めるのには相当な覚悟があったはずだ。

音大合格して彼の母が泣いたのだって、その一悶着があったからという事もあるかもしれない。

でも。本当に悪いけど。その内誰だって祖父レベルに達しているとは思えない。

祖父の様に絵の神童と呼ばれていたという話も聞かない。

祖父彼女達と同じ年齢だった頃に描いた絵を見ると、素人から見ても月とすっぽんの差がある。祖父の様な天才じゃなくても美大に行かせてもらえる彼女達。特に幼馴染は「本当は美大に行きたかった母親が大賛成」してくれて、祖父の様な絵に対する執着心もないのにすんなり画塾に通わせてもらえて、本当に羨ましかった。

もし、私の祖父画家じゃなければ。天才じゃなければ。

しかしたら説得できたんじゃないかって思ってしまう。

家出なんかしなくたって、絵の具の代わりに血を使わなくたって、北朝鮮ミサイルが降り注ぐ中、愛用の画材を泣きながら探し回らなくたって。

しかしたら、私にも美大に行かせてくれと説得できたのかもしれない。

彼女達が本当に羨ましい。泣くほど羨ましい。

祖父の様に絵を描く事しかできないわけでもなく、(少なくともデザインOLをやれる程度のコミュ力はあって)、でも祖父の様な並外れた才能があるわけでもない彼女達が

家族から美大進学を許されたのが、本当に悔しい。

祖父天才じゃなければ。数回頭を下げただけで私も美大に行かせてもらえたかもしれないのに。


祖父の事は聞かれない限り他人に話してはいない。父の職業ならまだしも祖父の事を聞かれる事は稀だし、自分から言いふらすような事でもない。

でもごくたまにある。お祖父ちゃんは何をしている人なの?と聞かれる事が。

そして答えると大抵「だから増田さんも絵が上手いんだね!」と返ってくる。

(もちろんお世辞だ。私は下手ではないと思っているけれども、上手くもないと思う。ただ、そういう仕事をしていない限り社会人になってまで絵を描いている人は案外少なく、相対的にそう見えるだけだ)

そんな時自分がどんな顔をしているのかはわからない。

絵を描く楽しさを教えてくれたのは祖父

お金にならないのに、今まで絵を描き続けてこれた情熱を持てたのも、祖父遺伝なのかもしれない。

でもそれを仕事にしなかったのも間接的には祖父が関わっている。

そして何より、私には祖父ほどの才能がなかったのだ。

2017-06-11

絵を描かなくなって26年

小学校に上がる前、実家のばあさん(まだ生きてる)の似顔絵を描いて、

下手糞だと評されたことにショックを受けて、絵を描かなくなった

描きたくないわけではないのである

描こうとすると心臓を掴まれたような感じがして、手が固まるのである

棒人間すら描かずに26年が過ぎた

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ここ最近、描きたい衝動が増してきた

しかしいざ鉛筆を握ってみると、手が固まる症状は治っていなかった

埒が開かないので酒の力を借りることにした

近所の飲み屋で真っすぐ歩けないくらモヒートを飲んで帰宅

鉛筆を握る

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