「SF映画」を含む日記 RSS

はてなキーワード: SF映画とは

2021-06-18

anond:20210618182641

それこそSF映画の見すぎ

住もうと思えば住めるんだから僻地から人がいなくなることはない

2021-06-12

インターステラレター

5-6年前くらいにデートSF映画の「インターステラー」見に行って、ボロ泣きして映画館出たらドン引きされて振られたんだが、未だに釈然としない。

音楽性の違いというやつだろうか。

2021-06-10

倍速視聴とSCREENカセットテープ

 映像コンテンツの倍速視聴に関する話題を目にして、ふと思い出したことがある。以下に記すのは、個人的昭和の思い出話である

 歳の離れた兄が買っていた『SCREEN』と云う映画雑誌が、実家本棚に何冊も置かれていることに気づいたのは、私が小学校の高学年になった頃だった。裕福な家庭ではなかったので、我々兄弟は一つの部屋を共有して過ごしていた。だから実際には、もっと以前から、その雑誌本棚に置かれていたことを私も知っていた。したがって、正確に言えば気づいたではなく、興味を持つようになったと言うべきであろう。

 それらは70年代に発売されたもので、ちょうどSF映画オカルト映画パニック映画流行した時期に該当する。だから、これらのジャンル作品のスチール写真を載せたページを眺めるだけでも、子供には十分に楽しめたものだった。

 やがて、そう云うビジュアル記事を眺めるだけでは飽き足らず、活字の部分にも目を通すようになった。最初は、やはりSFオカルトパニック作品関係するところから読み始めたが、それらにも限りが有る。こうして、あまり子供向けではない記事にも、当時の私は目を通すようになっていった。現代とは異なり、地方の非富裕層の家に生まれ子供には、娯楽の選択肢が極めて少なかった。従って、ほとんど已むを得ずと云う形で、元々は興味対象外だったものにも手を出すことになったと云う次第である。私と似た境遇に在った地方の名も無き小中学生も、私と大同小異経験をしたのではなかろうか。例えば、家に置きっぱなしにされた古いジャンプ/マガジン/サンデー/チャンピオンを、何度も何度も読み返し、その結果として、元々は興味が無かった作品の魅力に気付かされたといった、そう云う経験のことである

 話を戻すと、こうして結果的活字記事も読むようになった私は、雑誌SCREEN』に淀川長治連載記事掲載されていることに気づいた。当時の子供でも、淀川長治の顔と名前は知っていた。テレビに出て「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」のセリフを言うことでお馴染みの、有名なオジサンであった。その連載記事は、読者から質問相談淀川長治が答えるコーナーであった。

 読者から寄せられた「僕は映画監督になりたいのですが、どうすれば映画監督になれますか?」と云う質問に、淀川長治は次のような回答をしていたと私は記憶している。

 「こうすれば映画監督になれると云うような、確実な方法手段は無い。それは無いが、強いて言うならば、同じ映画を十回は観なさい」と。

 馬鹿小学生だった私は、これを読んでも何のこっちゃとしか思わなかったが、世の中には淀川長治が言わんとするところを正しく理解して、きちんと実行した人も存在したのだった。それを後に私が知ったのは、中学生になった頃、GAINAXが初の作品オネアミスの翼』を製作劇場公開した時のことである

 中学生になった私は「何だか凄いアニメ映画が、若手クリエイターたちによって作られて、劇場で公開されるらしい」との情報を知った。知ったは良いが、そこはド田舎に暮らす非富裕層の哀しさである。公開する映画館は近隣に無かったし、そんな映画館が有る都市部まで行く手段も無かった。当時の私に出来ることといえば、劇場公開に合わせて発売されたムック本を、少ない小遣いで買って、それに掲載された場面の絵を見て、実際のスクリーンで動いているところを想像することぐらいであった。これもまた、同じような経験を持つ人がいることだろう。なお、そのムック本には物語最後の場面までしっかり掲載されていたので、話そのものに関しては、当時の私も知ることができた。

 さて、映画の場面を載せたビジュアル記事を読み終えた私は、もちろん活字記事の部分にも目を通した。そこには、本作品監督を務めた山賀博之氏のインタビュー掲載されており、映画監督を目指そうとした山賀氏の若き日の思い出も語られていた。その思い出話こそが、淀川長治の「同じ映画を十回は観なさい」に関する話なのである

 雑誌SCREEN』の淀川長治の当該記事を読んだ当時の山賀博之氏は、その教えどおり、同じ映画を十回観たと語っていた。ちなみに、実際に山賀氏が十回観た作品の例として挙げていたのは、少年野球チームの少年少女コーチ奮戦を描いた、アメリカ映画『がんばれベアーズ!』であるテイタム・オニールかわいい山賀博之氏が語ったことは、概ね以下のようなことであった。

 「最初の2〜3回目は、普通に観客として楽しんで観ているだけ。4〜6回目辺りは、もう観たところばかりだと思って、飽きて退屈する。それが7回目頃を過ぎると今度は、場面場面で作り手が何をしようとしているのか、ココで溜めてココで盛り上げようとしているんだなとか、画の見せ方とか、そう云う作り手の意図気づき始める。同じ映画を十回観ると云うのは、こういうことかと理解した」やはり、何かを成し遂げる人は同じ文を読んでも、凡人とは違い有益な学びを得る能力が高いということなのだろう。

 ここで紹介した淀川長治氏の教えと山賀博之氏の実践エピソードは、あくまでもプロを目指す人たちに向けた話なので、我々一般人とは関わりの無い話に思えるかもしれない。また、現代コンテンツの数量が昔よりも多い時代なので、一つの作品を繰り返し読む/観るという時間的な余裕が無い現代人が大半だろう。しかしそれでも、一つの作品を繰り返し味わうこと、そして運が良ければ、そのリピート鑑賞を通じて何かを気付く/発見することは、貴重で豊かな経験であると私は思う。倍速視聴をしてまで観る作品の数を増やすことにも、一定理由合理性は有るのだろうとは思うが、何かしら自分レーダーに引っ掛かるモノを持つ作品出会った時には、少しだけ立ち止まって、それを繰り返し味わうことも試してみるのも一興ではないだろうか。

 ここまで書いた上に蛇足だが、もう少し思い出を書き残す。昔、Blu-rayDVDレーザーディスクはおろか、家庭用ビデオすら普及していなかった時代の思い出話である。その頃は、アニメ映画作品の音声を収録した、LPレコードカセットテープ販売されていた。(一部では家庭用映写機で上映出来るアニメ映画作品フィルムテープリール販売していたが、これを買って楽しむことが出来るのは、本当の金持ちだけだった。)私は子供の頃、この手の音声収録レコード商品の一つ『ルパン三世/カリオストロの城』を所有する人物から兄弟のツテでカセットテープダビングしてもらい、それを何度も何度も繰り返し聞いて、頭の中では『水曜ロードショー』で観た『カリ城』の映像を想い起こして楽しんでいた。この体験のおかげで、私は今でも『カリ城』の全セリフ暗誦できる。何の自慢にもならないが。

 そして、歳月が流れた。

 後に社会人となって働き始めた兄が、VHSビデオデッキを買ってくれたので、我が家ビデオを利用できるようになった。金曜ロードショーで放映された『カリ城』を録画すると、当然それも繰り返し何度も視聴した。カーチェイス場面などはコマ送り再生作画をチェックしていたので、倍速視聴とは正反対行為である

 ほどなく小さなレンタルビデオ屋が我が町にも出来て、兄がスプラッター映画とかゾンビ映画とか借りてきてくれて、一緒に楽しんだりもできるようになった。古い『SCREEN』の記事を読んで、勝手に凄い作品だと思い込んでいた『巨大蟻の帝国』や『スクワーム』が、実際の映像を観るとショボい作品であることも思い知った。

 大人になって、現在宮崎駿のことは反吐が出るくらい大嫌いになり、ルパン三世作品としての個人的評価も、軍配は『vs.複製人間』の方に上げるようになった。

 子供の頃には観ることはおろか、存在を知ることも叶わなかった様々な作品の数々を、今では視聴して楽しむことが出来るのだから、明らかに子供の頃よりも、現在の私は恵まれている。

 それでも、熱に浮かされたように古い映画雑誌を何度も読み耽って、観たことも無い映画の内容を勝手想像したり、何度も何度も『カリ城』のカセットテープに耳を傾けて台詞暗誦していた子供自体の思い出は、それらが経済的な制約から生じた行為だったにも関わらず、何だか私には宝物のように思えるのである。ただのガラス玉が宝石より愛しく思えるように。

2021-05-28

カタカナファンタジーが苦手である

 昔から個人的に、日本語カタカナ英語で「ファンタジー」という言葉を当てられてカテゴリ分類される作品(小説映画漫画など)の大半が苦手である。良い悪い、正しい正しくないではなく、あくま個人的な好みの話である。もしも、これらを好きな人が気を悪くされたら、先に謝りますすみません

 日本語で言う時に「ファンタジー」よりも「幻想」という硬めの言葉を当てられる作品は嫌いではない。国内作家で例を挙げれば、山尾悠子とか。

 海外SF周辺の作家作品だと、クリストファー・プリーストの『魔法』や『奇術師』は好きであるものすごく古いが、子供の頃に読んだH.G.ウエルズの短編魔法を売る店』も好きであるSF作家視点から魔法(のような技術体系)が存在する世界」を描いたような作品、例えばハインラインの『魔法株式会社』や、霊魂テクノロジーが実現した未来世界を描いたロバートシェクリー『不死販売株式会社』のような佳作も好きだ。ここまで読めばお分かりのように、どちらかと言えば私はSF寄りの人間である

 日本を含めて世界的に『ハリー・ポッターシリーズや『指輪物語(LoTR)』シリーズ劇場映画としてヒットした頃に「食わず嫌いも良くないな」と思い、これらの映画を観に行ったり原作に挑戦したりした。結果を言えば、結局だめだった。私は、これらを少しも楽しめなかった。『ナルニア国物語』も駄目だった。SF映画ジャンルに含められるが実質的には「剣と魔法世界」のようなものと言ってもよい『スター・ウォーズシリーズも、旧EP4以外のシリーズ作品は全く楽しめなかった。こんな感じだから当然ではあるが、家庭用ゲームの『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』などにも手を出していない。

 「剣と魔法系統の娯楽作品の全てを無条件に嫌いかと言えば、そういう訳でもない。子供の頃にテレビビデオで観た『アルゴ探検隊冒険』や『タイタンの戦い(オリジナル版)』といったレイ・ハリーハウゼン作品は、昔も今も大好きである

 『ハリー・ポッター』などが苦手に感じるのには、別の理由も有る。たとえば、ドラえもんの「うつつマクラ」で、余りにも都合が良すぎる夢(文武両道の大天才モテモテで、教師にも親にも級友にもチヤホヤされる世界)に、のび太が興醒めしていたようなものだと言えば、理解してもらえるだろうか?学期末の成績を発表する場で、校長が「勝ったのは…スリリン!……じゃありません!大逆転でグリフィンドールの勝ち!」とか言って、バラエティ番組の「結果発表ー!」みたいな真似をしてスリリンの生徒たちを糠喜びさせたのは非道い。校長あんな依怙贔屓をするような人間からスリリンの生徒たちも性格が歪んでしまったのではないだろうか。あの校長は、教育者として失格だと思う。スリリンの生徒たちは、腐ったミカンなんかじゃない!こんなハリー・ポッターがヒットしたということは「なろう系作品」を好む人間が、日本と同様に海外でも少なくないということなのだろう。どうも私は「なろう系作品」が苦手だ。そういえば、上で挙げた『アルゴ探検隊の大冒険』や『タイタンの戦い』は、ハリウッド作品としてアレンジされているとはいえギリシア神話英雄譚がベースであり、依怙贔屓どころか、むしろ主人公理不尽な試練が課せられる物語なので、その点がツボなのかもしれない。

 LoTRが苦手なのは正義の側のキャラクター白人ベースの美しい造形または愛嬌の有る造形ばかりで、悪の側は醜悪な造形ばかりというのが、どうしても興醒めしダメだった。ルッキズム。それに、LoTRの悪の側の造形は、白人から見た有色人種イメージが入り込んでいる気がする。ルッキズム。それはそれとして、第一部で地下に消えたガンダルフが、続編で生きていたと判明し、杖一本を手に巨大な怪物相手にガキーン!ガキーン!と肉弾戦をしていたところは、正直に言うと大爆笑した。

 こんな感じでカタカナファンタジー作品の大半が私は苦手であるが、例外的に楽しめて大好きだった作品が、先ごろ惜しくも亡くなられた三浦建太郎の『ベルセルクである

 外形的には、人知を超越する異形の存在怪物魔法などが存在する世界舞台にした物語という意味で、同じカタカナ英語ファンタジーという単語が当てられていた作品ではある。しかし、私個人にとっては、ハリー・ポッターLoTRと天と地の違いが有るように思えた。もちろん、私にとっては『ベルセルク』の方が「天」であるハリー・ポッターLoTRファンの人には、重ね重ねすみません。繰り返しますが、個人の好みの話です。

 ゴットハンド名前(スラン、ユービックヴォークト)や、黄金時代篇の敵の武将名前(ボスコーン)からは、作者の原体験SF作品が有ったことは想像に難くない。だからベルセルク物語世界では「魔法のような人知を超えた事象存在する/起きるならば、その根源となるエネルギーは何処から齎されるのか」「その代償に払う犠牲は何か」といった理(ことわり、ロジック)を、作者は考えていたと思う。上でも書いたように、SF作家SF視点から魔法存在する世界舞台にした物語」を書くケースはしばしばあったので、SF好きの三浦建太郎もそれらの影響を受けていたことと推測される。ゴッドハンドの1人として転生する直前、深淵に降ったグリフィスが「ヒトの作りし神」に出会って対話を交わす場面(※単行本未収録)は、あれも「この物語世界がどのような理(ロジック)で動いているか」を読者に示すものだったと言える。

 少し脱線するが、理(ことわり、ロジック)と言えば、ハリー・ポッターのような作品を読んだり見たりしていると「あんな大きな学校が有って、そこから大勢卒業生たちが魔法使いになって世に送り出されて、就職先は確保できるのだろうか?」とか「石を投げれば魔法使いに当たるぐらい、たくさんの魔法使いがいる世界では、そもそも魔法使いの存在価値は有るのだろうか?」とか考えてしまう。モンティ・パイソンコントスーパーマンだらけの世界で大活躍するスーパーヒーロー!我らが『自転車修理マン』!」みたいになったりしないのだろうか?捻くれたSF好きである私は、おそらく「物語のような『不思議世界』が存在していて、それが自分のいる現実世界と地続きであって欲しい」という願望が強いのだろう。だから不思議世界を成り立たせるロジックを求めてしまうのだと思う。ちなみに、驚異の世界を成り立たせるような、もっともらしい理屈を付けてくれるハードSFは大好きである

 話を戻すと、『ベルセルク』の物語魔法や異形のモノが存在する世界で展開されるが、主人公ガッツ自身は、魔法による恩恵を受けていない時期の方が長かった(パックの翅の鱗粉で傷を治癒する描写とか有ったけれど)。ベヘリットによりゴッドハンド召喚され、鷹の団メンバーたちが使徒たちへの贄として捧げられた悲劇を考えれば、ベルセルク物語における魔法人知を超えた異形の怪物ほとんどは、主人公に困難を与える原因として存在したと言っても過言ではない。そんな中でガッツは、鍛錬で身につけた能力人間の業で作れる武器だけを頼りに、使徒という異形の怪物たちを相手に、文字通り満身創痍になって半死半生になりながら、ギリギリで死線を掻い潜る闘いを繰り広げていた。リッケルト、鍛冶のゴドー養女エリカの親子、パックなど少数の例外を除けば、長い間ガッツの闘いは孤立無援だった。これでは読者も、応援したくなるというものである

 それとは対照的に、地下牢で長期間に渡る拷問を受けたものの、ベヘリットを使ってゴッドハンド召喚し、彼らの1人フェムトとなり、受肉して自分王国ファルコニアも手に入れた新生グリフィスは、謂わば「うつつマクラドリーム状態を実現した、ハンサム野比のび太である。まさに、なろう系の究極形。しかも、ノスフェラトゥ・ゾッドを筆頭に使徒たちを配下に従えているのだから主人公との戦力差は圧倒的であり、まさに天と地の差である

 こういう丁寧な前フリがあればこそ、近年の主人公を取り巻く状況に変化(イシドロファルネーゼセルピコなどの新たな仲間の誕生、髑髏の騎士魔女による魔法サポート)を生じさせたことにも、説得力が生まれた。最初からガッツに心強い仲間がいて、魔法によるサポートも受けられるような状態物語が始まっていたとしたら、私のようなカタカナファンタジーの大半が苦手な人間は「ハイハイ、どうせ魔法でチョチョイのチョイと助かるんでしょ」と興醒めして終わっただろうし、多くの熱狂的なファンも生まれなかったことだろう。

 長い長い時を経てキャスカ正気を取り戻したことは、主人公ガッツにとっても読者にとっても喜ばしいことだった。しかし、それでグリフィスに対するガッツの闘いに終止符が打たれた訳ではなかった。新たな仲間や魔法的なサポートを得たとはいえ、これから先もガッツは、強大なグリフィスに対して、苦しく不利な闘いを挑むことになるのは確実だった。そういう骨太物語を、作者は描いてくれる。長期間休載は読者としては辛いけれど、長く待つだけの甲斐が有る作品を描いてくれる。これまでと同様に、これから先も、そうであろう。そう思っていた。鷹の団メンバーが、グリフィスの夢の実現を信じていたように。

 私を含めたファンの願望は、もう叶わない。三浦建太郎自身ペンによる物語の続きを、我々が読むことが出来る機会は、永遠に喪われてしまった。

 このまま未完で終わらせるのか。構想のメモなどを元に、誰か脚本家作画者を代筆に立てて遺志を継ぐのか。今後どうなるのかは、未定だという。どちらが良いのか、私には分からない。

 人は誰しも、別れを告げる時には詩人になるのだと、誰かが言った。しかし、ご覧のとおり私には詩才は無い。こんなに心乱れたままで、長々と駄文を書き連ねた挙げ句、偉大なる作家が彼の代表作の中に残した印象的なフレーズ引用するぐらいしか出来ない。

 「風が、旅の終わりを告げていた」と。

2021-03-10

シンエヴァ短評:さよなら、ありがと(ネタバレあり)

序盤のシンジ達が身を寄せた村でのシーンが始まった時には、

「この人達もみんな死んじゃうんだろうなあ。そういう舞台装置なんだろうな(泣」

と真っ当なエヴァウォッチャーの多くが陥ると思われる酷く捻くれた見方をしていたのだけど、

その役目をじゃない人ひとりに背負わせた辺りから違和感に襲われ、

「あー風呂敷畳み始めたなあ。そうかあ最後って触れ込みだしなあ。

 ・・・

 あ、それも畳むの? そっちも!? ええ、あれもも???

怒濤の展開にもみくちゃにされ、

「ああ、庵野監督物語を本気で、全力で終わらせに掛かっているんだな(涙」

と感慨に浸っている最中に、ナウシカと公開日1週違いの特撮SF映画さよならジュピター』の主題歌VOYAGER〜日付のない墓標」が掛かったシーンが自分の完全涙腺崩壊ポイントでしたぁ。

そっからほじくるの反則ぅううう。

2021-02-11

フィクション登場人物バンド名にしたバンド

TOTO
児童文学オズの魔法使い』に登場する犬トト(ただし諸説ある)

デュラン・デュラン
60年代SF映画バーバレラ』に登場する科学者名前

シン・リジィ
雑誌連載漫画に出てきたロボット家政婦の名前

 

かにあったらどんどん教えてほしい

2021-01-02

anond:20181117123321

 エイリアン1,2 SF映画の名作。世界観は同じだが、監督が替わるので1、2で全く異なった魅力が楽しめる。1は逃げ場のない宇宙船内で全く未知の生物に襲われる恐怖感が溜まらない。2はホラーと言うより冒険物に近い。

2020-12-08

anond:20201207110949

真剣俺語り場2020師走

 

思い出した

微妙話題とは反れるが、子供の頃週末宵にSF映画家族で見た帰りに買ってもらったコミカライズの出来が期待外れで幼児なりにもやもやした

好きになれそうで何度か手に取って読むんだけど、

その度になにか裏切られたような飢えたウェットなアンビバレンツが俺の小さい体の中でドクドクと脈打った

もちろん言葉にはできなかったし、自分感情理解する事すらできてなかった

たぶんその原体験コミック漫画を好きになり切れない今の俺に繋がっているんだ

そういう事だったのか。やっと理解した

知りたくなかったけどしょうがない

2020-11-18

anond:20201118040213

40年前くらいのSF映画でもそういうのを倒す戦略は出てたと思う

もっと前の神話時代くらいにもあったと思う

要するに鉄壁城塞の中に入り込んで破壊する方法でしょ?

吸気口から入るとか搬入から入るとかしてから自分もろとも敵陣をふっとばす

自分が人気Vtuberになってバカを騙して馬鹿どもが死滅するように億とか稼いじゃえばいいよ

そういえばこないだ億稼いでる日本Vtuberみたいな記事 ホッテントリしてなかった?

1から立ち上げるのもなんだし Vtuberさんたち彼氏彼女の大ファンになって馬鹿どもを崖まで率いて全員まとめて海に落下させちゃえばいいんじゃない

今人気の雑談してるだけで億かせぐVtuberの一番のファンを名乗ってほかのファン凌駕する投げ銭馬鹿どもを率先して寄付額を煽って馬鹿もの財布を焼き尽くしちゃえ

くれぐれも馬鹿どもなんかより先に一人で焼け死んで 馬鹿どもが消し炭になった貴方を遠巻きにみて反省してまともな思考にもどったりしないようにちゃんとやつらが全滅しつくすまで最後の一人のファンとして寄付トップを維持してね

最後の一人のファン破産した最後をみてあなた作戦終了を高らかに宣言するその時 きっとみんなあなたの功績をたたえるよ

もしかしてうそんな取り組みで上限額寄付してる人もいるかもしれないよね

がんばって

2020-11-09

鬼滅の刃に感動しない

鬼滅の刃に感動しない


鬼滅の刃無限列車編を二回観た。

二回観たなりの感想を述べたい。原作は未読。今後の展開も知らない上で話す。(ぶっちゃけテレビアニメもまじめに観てない)

以下、映画ネタバレモリモリである

映画:良かったところ》→《映画:良いとは思わなかったところ》→《鬼滅の刃は感動しない》


映画:良かったところ》

この映画の素晴らしいところは、ジャンプ原作王道努力友情活劇の中に非常に高品質な心情描写があった点だと思う。前半の炭治郎の夢の描写が素晴らしい。

家族との幸せ日常の夢に浸かる炭治郎。さっきまで列車に乗って鬼を探していたはずなのに、突然夢に惑わされた。夢を夢だと気付くまでの演出の仕掛けは、往年のホラー映画SF映画を思い起こさせる。ねずこを運ぶ箱だったり、咄嗟に口に出る“昼間のねずこ”の違和感だったり。その加減が多すぎず少なすぎず非常に絶妙なのだジャンプアニメ映画だという大前提を守りながら、観客の我々は「炭治郎は本当に現実世界に戻るのか?」と不安にさせてくれる。六太の「置いてかないで!」という絶叫は悲しくも最高だった。子供の絶叫ってどうしてあんなに不安になるんだろう。初回観たとき泣いてしまった。再会できるはずのない家族ともう一度会えた炭治郎の喜びと後悔を観た我々は、夢から覚めるために進む炭治郎の辛さが理解できた。夢にいれば鬼なんて来ないのに、鬼を倒すために炭治郎は進んだ。そして、戦うために“自決”の賭けに出た。炭治郎は鬼を倒すために、自分の首を斬る選択までしてしまうのだ。なんて胆力だと、鬼と一緒に私も驚いた。そしてダメ押しのしんどいバージョンの夢。なによりも家族を優先してきた炭治郎が、父親母親弟たちに恨まれる様子を見せられる。そのときに「言うはずないだろ!俺の家族が!!」というセリフは演技演出共に本当に素晴らしかった。家族の死という最大のトラウマを乗り越えて、彼は鬼と戦って勝った。最高のカタルシス体験だった。今まで鬼滅の刃流行っているからとりあえず観ていた作品だったが、ここまで観に来て良かったと思った。

あと、作画音楽も良かった。ハイクオリティだった。声優の演技も高品質だった。

映画:良いとは思わなかったところ》

なんでみんな煉獄さんのシーンで泣くのか理解できない。

キャラ同士の戦闘あんまり感情移入できなかった。顔は知ってるだけの先輩と、なんの前触れもなく現れためちゃ強い敵の急な戦闘に頭がついていかない。さらにこの二人も初対面同士だし。ヤタガラスにもアカザ打倒を命令されてもいない。アカザが“なんかいた”のだ。なんかいた、という理解しかできない。因縁もなにもないやつとの戦い入れる必要ある?煉獄さんがえんむとの戦いであまり活躍出来なかったかアカザ戦投入したとしか思えない。戦闘が非常にぬるぬる作画だったし私が長子だから耐え切れたが、テレビ放送だったら耐えきれずチャンネルを変えていたかもしれない。

煉獄さんの親、お前なに言ってるの?「自分がどうして他の人間より強いか理解できるか」って、そんなこと言う親いるのか?少し斜に構えすぎかもしれないが、選民意識が強くはないか煉獄父の奥方がそんなドストレートな言葉表現するかいな。ノブレス•オブリージュを表現したいなら、「なぜ強い“火の呼吸”を我々が代々受け継いでるのか」とか………もっとオブラートに包めよ!若干鼻につくんだよ。

あと皆んな煉獄さんの死で泣きすぎ。先輩が命をかけて戦ってくれたので、ちょっと泣きたくなるのも分かるがあれは泣きすぎだろう。ほとんど寝てた善逸はなんで泣くんだ。炭治郎のメンタルは強いんだ。家族の未練を断ち切り鬼を倒す自決を繰り返す、ちょっと異常な強さのメンタルを持つ男だ。自分意思家族を振り切れるんだから、並の10代の精神力じゃない。そんな強い男が、顔見知り程度の先輩の死にあれほどまでに泣くだろうか。炭治郎は苦しくとも前に進める心の強さがあると思っていたのに、結局は号泣してる伊之助にハッパをかけられてしまう始末。おいおいどうしちまったんだよ。赤ん坊みたいに泣かないでくれよ。お前はこれまでの鍛錬と旅で強くなったはずなのに、先輩の死であそこまで泣かないでくれよ。この作品はやたら人が泣きすぎるんだ。

鬼滅の刃は感動しない》

書いてて分かったことがある。鬼滅の刃アニメ料理人の腕は神だが、レシピ作成者は二流だ。アニメーターの匙加減でなんとか名作の域に食い込んでいるが、元々の原作はかなりポンコツだ。たしか面白い面白いんだろうが、この程度の面白さだったら流行で終わる。なんとなく面白いが、人の生き方を変えるほど感動は与えない。私はそう思う。

あらゆるジャンル作品で我々視聴者が求めるものは、『感動』の一点のみだ。作画がすごいとか、声優の演技がすごいなんてのはおまけにすぎない。視聴に耐えうればおおよその場合そこまで重要じゃない。

で、この感動を私なりに噛み砕いてみると、“昔の自分からまれ変わる”ことの体験だ。映画ラピュタ』で軍要塞からシータを振り向きざまにかっさらパズーだとか、映画ハウルの動く城』でソフィに「ようやく守るものが出来た。君だ」と言うハウルだったり。洋画でもいい。映画タイタニック』にて海に沈むジャックをあとに自分の好きなように生きることを選んだローズなど。今回の映画でも、炭治郎がえんむに立ち向かったところなんて本当に感動した。現実を生きる我々にはしがらみが多すぎる。新しい選択肢を取るのは怖いし、自分自分に不幸な暗示をかけてしまっている。でも、画面の向こうの彼らは、恐れの中でも古い自分を断って生まれ変わった。それを目の前で証明され、心が動くのだ。

長々と書いて申し訳ない。鬼滅の刃の話に戻ろう。この作品の最大の問題点は「あるはずのしがらみが都合よくぼかされてる」からだ。鬼殺隊でありながら鬼の妹を連れること、政府非公認組織の鬼殺隊、絶大な力を持ちながらただの鬼殺しに明け暮れる柱など、キリがない。今回だってそうだ。なんで精神の核を破壊しなかった。なんでえんむが人間を食わなかった。意図的に炭治郎たちが苦境に立たないよう誘導されている。そういうしがらみを無視されたまま話が進んでしまうからご都合主義だと思ってしまう。折角いい設定を持ってるんだからストーリーに生かしてほしい。鬼より悪どい柱がいてもいいし、警察逮捕される鬼殺隊がいてもいい。ねずこが炭治郎の恋人を食べてしまってもいい。いくらでもあるんだからアカザみたいなよく分からん敵をぶん投げて戦わせるんじゃなくてしがらみからけりをつけてくれ。原作ご都合主義に甘んじるポンコツからアニメの味付けがいかに最高でも私は感動しない。ハマらない。

鬼滅の刃が、日本人が一緒に楽しめるコンテンツになってくれたことは事実だ。皆んなが観ていた月9朝ドラが、今は鬼滅の刃になった。立派なメインカルチャーだ。炭治郎たちは間違いなく時代代表してる。

願わくば、次の世代作品さらなる感動を与えてくれるよう。

2020-10-04

anond:20201004004344

さては理解はできても共感はできない人間として欠落したタイプだな

作り物のSF映画とき理解出来てもクソの役にもたたんから、頭が悪くても共感能力ある奴のほうがマシやで

まあ頑張ってイきるんだな

2020-08-19

憧れ一覧

駅弁

 両親が駅弁フェアで買ってきたやつしか食ったことない。あれはいわば死んだ駅弁養殖駅弁で、天然の駅弁・活きた駅弁は車内でしか食えないと俺は思う。調べてみるとわりと駅弁趣味の人なんかもいるみたいで、旅行をしては駅弁を食べ比べてブログに綴るその姿はかなり眩しい。

 いつか食いたい。できたら新幹線とかで食いたい。

飛行船

 かつては時々見かけてたけど最近全然見ないな…と思ってたけど、実はかつてより全然見てないんじゃないか?俺が飛行船を見たと思ってるのはニセ記憶なんじゃないか?という疑惑がある。それほどまでに朧なのが飛行船というもの。「飛行船 (都市名)」なんかで検索をかけても2008年記事とかしか出てこないあたり、いまの日本飛行船に乗るのはかなり難しいっぽい。

 なんとなく豪華客船並みの広さを持つ船内で優雅に過ごせるイメージを持ってたんだけど調べてみると客室はショボい飛行機程度の広さしかないみたいで、なんというか夢破れた気分。でも憧れは憧れだし、機会があったら乗りたい。

ホログラム

 SF映画に出てくるようなゴリゴリホログラムデバイスを使いたい!「物理画面使いは老害」みたいな世の中にいつかならないかなあ。

ジンギスカン

 羊肉カレーとかでしか食ったことなくて味が全然からない。いっぺんガッツリ食ってみたくて、となるとこれもまた味がわからないジンギスカンと組み合わせてエニグマチックな食体験に臨みたい。

 ジンギスカンに関しては謎を残しておきたくてあえてあまり調べないようにしてるところがある。中央が出っ張った謎の鍋を使う焼き肉のようなものらしいが、はたして…

整体

 一回も受けたことない。姿勢悪いし、絶対すげえ効果があるというか、効果はなくても劇的な体験になるだろうと思う。

 そのうちそのうちと思ってるうちにコロナで行きにくくなってしまった、というのは大体の憧れに共通するな。涙、涙、涙!

自転車で海

 「自転車で海まで行った」という思い出が欲しい。

かまくら

 あまり雪の降らない地域で生まれ育ったので雪をみるとテンションが上がる。雪だるまくらいは作ったことがあるけど、かまくらを作るには至らなかった。

 かまくらの中で何か(みかんなど)食べたい。せっかく作ったんだしと思ってできるだけ長居するけどやがて寒くなって家の中に逃げ帰り、こたつに潜り込んだとき安心感!同時に感じる一抹の罪悪感と未練!そういう体験がしたい。

フグ刺し

 皿に並んだフグ刺しを箸でガッと4〜5枚とか取って食うやつ絶対やりたい。

バイオリン

 弦楽器ギターしか触ったことなくて、バイオリンとかの弓つきのやつに憧れる。たぶん才能ないからロクな音は出ないしすぐ飽きるんだけど、それはそれとして一音でいいから出してみたい。

ヒトカラ

 絶対行けるんだけどなんかめんどくさくて行かないままになっている。3時間とか取って入りたい。そして1時間半くらいでグロッキーになって知ってる曲を入れるだけ入れて伴奏だけ聞いたりするんだろうな。それでもいい!

マリファナ

 イイって言うしいっぺんくらい試してみたい。幻覚が見えるって感じでもないのか?これまで明確な幻覚とか幻聴を感じたことがないので、もし感じられるんならわりとライフチェンジングなんじゃないかと思う。感じられんくても良い。

 ときどき酒を飲んだ時も思うんだけど、化学物質思考パターンが変わるのって人間の儚さのようなものを感じられてメチャいいよね。脳!脳か〜!脳だよなあ〜(最悪の酔い方)

死海

 考えてみると俺はふつうの水の浮力しか知らないわけで、もうちょい強いのを試してみたいという気持ちがかなりある

 怪我をした状態で入ると染みるから気をつけて!なんて注意があるのがまた渋い。

オフ会

 Twitterなんかで知り合った、というかフォローしあった人と現実で会うの一回くらいはやってみたい。でも会いたくなさもかなり強く、難しいところ。一方的に見たりできねえかな。

2020-06-13

バイオハザード6はかなり面白い

ネット上ではクソゲーとして散々こき下ろされてきたのだが、

カメラコントロール操作性が際立ってプレーヤーにとって優しく無いという事以外は、

内容のボリュームが非常に多く、また随所に過去作品や人気映画オマージューが垣間見られ、イースターエッグを見つける感覚楽しい

バイオハザード6ジェイク編にて、某有名SF映画ラストのアレのシーンを明白にオマージュしていたのは笑った)

ヒント:

タイムトラベルものである

・第1作の続編である

警官バイクが出てくる

さて某有名SF映画タイトルは何でしょう?

2020-05-17

じゃあ作者が女性で驚いた作品って何?

自分場合マトリックス偏見かもしれないけど、あんカンフーアクションや銃撃シーンが多いアニメ的なSF映画監督姉妹って知ったときは驚いた。

2019-12-21

スターウォーズはもうさ

「光線型の剣」っていうクリシェだけ世間に手放して

化石おじさん達の思い出と共に

ターミネーターよろしく溶鉱炉に沈んで欲しいな

 

ぶっちゃけライトセーバー除いたら

凡庸SF映画の一つでしかないし

ライトセーバーだけ世間に開放してくれや

2019-12-08

anond:20191208144453

アメリカSF映画ドラマなら、「ミクロの決死圏」や「猿の惑星」「宇宙大作戦」なんかは後追いでアニメーション作品が出てるね。名作ではないと思うけど。

2019-12-07

SFって、SF小説>SF映画>SF漫画じゃない?

文字だと想像力の限りでいくらでも可能性が広がって、文字だけとは思えないほどの迫力と未知の世界を見せてくれるけど、それがいざ映像化するとグンと鮮度も精度も落ちるような気がする。

でも映画だとまだ映像の美しさやSEBGMも相まって未知の世界への扉を開かせてくれるけど漫画となると既出の絵や演出ばかり。

というか昨今のSF漫画で「うわっ!すごい!!初めて見る世界観だ!!」って言う作品なくない?

2019-10-14

俺にはなにもない







学歴がない 大学も出てない高卒

地元の小さな運送屋で10年働いている

今はコンビニで朝飯

趣味もない。オナニーする気も起きなくなった

風俗行っても勃たない 荷物を運ぶだけのロボット アイデンティティのかけらも残ってないから人と話すときは誰かのマネをするか聞いた話を自分の話のようにするだけ。

誰であっても相手に合わしてしまうから都合が悪くなる。どっちが良いとか悪いとか

正直なところどうでもいい

俺はただ適当にやり過ごしたいだけ

出来るなら誰とも関わりたく無くて でもできるだけ傷つきたくなくて けど少し寂しくて

今更 彼女とか 結婚とか 無理だなって思ってはいもの家族連れとか見るとやっぱり少し羨ましくて、ただ数年前に適当に合わせて付き合っていた彼女結婚を迫られた時はとてつもなく嫌で嫌でそんな重い責任背負えなくて逃げ出していいよって言った癖に連絡絶ってそれから今まで彼女に殺されるんじゃないかと怯えながら過ごしてきて、昨日LINE彼女名字が変わっていてウエディングドレスの後ろ姿のアイコンに変わっていて久しぶりに涙が溢れてきて飯も喉を通らなくて道も間違えるし事故りそうになるしでも休ませてなんて上司には言えなくて体は勝手に動くし思ってもないようなセリフを吐くし寝る前に起きたら世界が変わっていたらいいのにとか思いながら寝たりしてでもさ覚めても現実は昨日のままで季節が変わったことさえ気付くのに時間がかかる昔彼女同棲してた時にやった街を作るゲームに出てくる住民のように思えてくる。あのゲームに出てくる住民プログラムされたように動くだけで意思がない。まるで俺じゃんとか思っちゃったりして

意味もなく何時間も空とか海とか山を眺めたりして同僚は釣りとかキャンプとか女の話し家族の話ばかりしてなんでそんなに何かに熱中できるんだろうか俺には理解できなくていっそのこと大災害でも起きたらいいのにとか心の中では思っちゃりしてそしたら皆んな平等じゃん本当の本当にいつ誰が死んでも仕方ないって思うくらいの災害そしたら学歴とか地位や名声なんてものは無くなるし自分自分である事を確かめられると思う。でもそんなの不謹慎だよね分かってるよ。この世はちゃん努力して周りの人とちゃんと向き合って生きていくことが正しくてそれが社会に求められる人間でそれでも考えすぎだよとか自分自分らしくとか人それぞれとかありのまま自分でいいとかもう訳が分からなくてどっちにしたらいい?どっちがいいの

それは自分で決めることなのは知っていてそこには大人責任とか付き纏ってきてそんなうじうじしてても誰もお前に興味ないとか心の声が聞こえてきてただ休日は狭い部屋に閉じこもるかYouTube動画見るかスマホゲームやってコンビニスーパーの飯を食べて無駄時間過ごしたら終わっていて自己嫌悪に陥ってテレビを見るたびに平日は会社に行って悪戦苦闘しながらサラリーマンして休日自分趣味家族を大切にしてなんて所謂人生モデルみたいな生き方が正しいって言われてる気がしてそれってつまらないんですけどなにそれ?俺もしたけど全然面白くなかったわ俺が面白いって思った経験を綴ると金出して若い子と話したり酒飲んで若い女性イチャイチャしたり仲の良い友達とつるんで馬鹿みたいなことで笑ったりスノボで飛んだり高い山から見下ろしたり嵐の中外出たり頑張ってる女性アイドルライブを見たり天気の良い日に散歩したり腹減ってる時に丼ものがっつりかきこんだり温泉サウナたっぷりかいた後に冷えた飲み物飲んだりジム死ぬほど走った後に風に当たりながら一服したりSF映画見たり好みの女性お話できたり自己啓発本読んで強くなった気がしたり母親となんでもないような近況報告したり祖母手料理食べたりそんなんだよ。当てはめるなよこれが正しい人生ですとかやめてくれ俺はこういうことしてる時に幸せ感じるんだよ思い出した。悪いことばかりじゃないかもしれない人生ってただちょっとどうしても元気が出ない時はあってでも幸せだなって感じることもあるから頑張ろうと思うきっとこれを繰り返しながらこれからも生きていくんだと思う。人は人俺は俺だ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん