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2018-10-15

ノンセクな私の話

直球すぎて自分でも笑っちゃう。そう、これは自分語りだ。自分でも受け入れられない、けれど認めざるをえない私について、誰かに話したくて、けど理解されなくて、不可解な目で見られることが怖い私の、自己満足

私はノンセクだ。ノンセクシャル。平たく言えば「恋愛感情はあるけれど性欲はない」セクシャルマイノリティのこと。認知度は低く、カミングアウトしても大体の人からは首を傾げられる。私はこの、ノンセクシャルである自分のことが本当に嫌いだ。受け入れられない。大嫌いだ。何で私はこんな出来損ないに生まれしまったんだろう。どうして他人と同じように、当たり前に好きな人告白して、結婚したりとか、夢見ることができないんだろう。どうして、どうしてはいつも頭にこびりついていて、それを思い出すたび私は、ヘテロではない自分を殺したくなる。

何かがおかしいと思ったのは、高校生の時、初めてキスした時だった。それまでずっと、ぼんやりとした思いで、いつかはキスしたりとかしたくなるんだろうな。セックスとかもするんだろうと、思ってた。けど、付き合って一年以上経っても私はそれを全然したいと思わなくて。キスがしたい、と当時の彼氏に言われてキスをして初めて、それに対して「何とも思っていない」自分に気づいた。

好きならもっとキスがしたいだとか、したら幸せだと思うとか、あるんじゃないの? そう思うと、私は彼のことが好きじゃないのかもしれない、好きじゃないのに、こんなにまっすぐな愛情を受け取り続けるのか、と思ってしまった。そう思うと辛くなって、高校三年生の夏に、別れてしまった。問題はその後だった。

きじゃなくて別れたはずなのに、彼のことを考えてしまう。他の人に取られるのは嫌だ、私以外の女の人と幸せになるくらいならいっそ私が死ぬか、彼が死ぬかしてしまえばいいのに。恋人らしいことをしたいと思えなくて、でも彼のことは他の誰にも取られたくないほど大好きで。わけがからなかった。彼のことを受け入れられないのに好き? いいやこの好きは、情が移っただけの勘違いだ、もっと別に好きになれるような人がいるはずだ。でもこんなに好きなのに、恋愛じゃないのはおかしいんじゃないの? ぐるぐる頭の中で回って気持ち悪かった。

そんな気持ちにケリがついて、同時に自分を憎んで殺したくなったのは、大学二年生の時。ノンセクシャルという概念を知った時だった。納得して、同時に絶望した。私はもうこれから先二度と、普通の人が当たり前に手にできる幸せを手にできないのだ。

大学一年生の時に一度よりを戻した彼氏の、「別れていた間、ずっと忘れられなかったほど好きだよ」という言葉を思い出す。こんなにも彼は私を好いていてくれているのに、私と彼は絶対に一緒になれない。だって私がノンセクだから。好きでも、セックスしたいと思わない。彼は好きだからセックスしたいと思う。この差がどれだけ残酷か、誰もわかってくれない。

どんなに好きでも私は、肉体的に相手を受け入れることができない。性行為嫌悪があるわけではないからできるのだろうけど、何も感じないし高ぶらない、言ってしまえばマグロになる。相手から向けられた感情熱量に、同じだけの大きさで応えることができない。私が我慢して演技して受け入れることを、優しい彼はきっと望まない。けど、そんな優しい彼に我慢をさせることは私が望まない。一緒になっても誰も幸せになれない。好き合ってるのに、こんなに大好きなのに、好きだと言ってもらえたのに。

私に性欲があればよかったのに。あればこんなに苦しい思いもせずに、彼の隣で笑っていられるのに。彼に「好きだよ」と伝えて、手をつないで、キスをして、そんな幸せ未来だって描けるのに。私に性欲がないから。私が全部悪いから、幸せ未来だって望むこともできないんだ。どうしてこんな出来損ないに生まれてきたんだろう。私はどこで間違えて、こんな頭に、体に、心になってしまったんだろう。頭と心と体がチグハグで、それぞれが違う方向へ行くから自分が引きちぎれそう。彼のことが好きな私と、性行為に何も感じない頭と体。わけがからない。気持ち悪い。私は本当に、自分が憎くてしょうがない。

こんな話を他人にすると「それなら次は、受け入れてくれる人を探そう」と言われる。違う、違う。私が好きなのは彼なのに。そうじゃないのに、彼と一緒に居たくて、彼と幸せになりたくて、彼と同じように彼を愛したいのに。だからこんなに苦しくて辛くて痛いのに、受け入れてくれる人を探そうだなんて。私に性欲があったなら、絶対もっと別なアドバイスをするくせに。次じゃない、現在進行形で好きなのに。

仮に次があったとしても、私は告白もできない。向こうから好かれていたって、受け入れることはできない。だって私はノンセクだから。もし相手ヘテロだったら? ヘテロじゃなくても、性欲をちゃんと持ってる人だったら? はいだめ、もう私は一緒になれない。そんなこと考えないでしょ? 相手がどんなに私のことを好いていても、私がどんなに相手を好いていても、絶対に付き合ったりなんてできない。普通の人が悩むようなことよりも、もっと手前のことで私は諦めなきゃいけない。そんな苦しさ、誰もわかっちゃいない。

「本当は恋じゃないんじゃないの?」なんて言葉は失礼にもほどがある。じゃあなんで私は、こんなにも大きな感情に苦しんでるの。好きで好きで大好きで、誰にも取られたくなくて取られるくらいなら死んでほしいくらいに大きいのに。これは友情? 絶対ノーって答えるでしょう? じゃあ何になるの? そうだよ、浅ましい嫉妬独占欲も詰まった、立派な恋愛感情だよ。なのに、私は、一般的恋愛感情と一緒にあるはずのものがない。かけてる欠陥品なんだ。

たった一つ、他人にあるものがないだけで、こんなに生きづらい。苦しい。どうしようもならないから、引きずって生きるしかない。私は、性欲を持てない私が大嫌いだ。

2018-10-14

anond:20181014224257

これだけの情熱を他に向けたら、あなた自身プロになれると思うw

https://anond.hatelabo.jp/20181014224257 

■私の神様

正直めちゃくちゃにキモいし酔ってるだけの文章です。ただの自己満足です。

 

私のずっと好きだった人私の神様

 

あなた出会ったのはもう六年も前になります一目惚れではないけれど、二目惚れくらいだったかもしれません。全然したこともないのに、勝手に私はあなたのことを好きになりました。世間一般的にはイケメンではないだろうけどあなたの顔も、声も、友人と話している姿も、人前でしゃべる姿も、何もかも全て好きでした。今から思えばこれはアイドルに対する気持ちと変わらなかったのかもしれません。私が初めて出会った推し、それがあなただったんだと思います。少しでもあなたと話したくていろんなことをしました。席が近くなれるように神頼みもしたし、列に並ぶときわざとタイミングを見計らって近くになれるようにしたり、ストーカーじみていたなと思います。でも何故かわからないけどそれだけ好きだったのです。話すだけでドキドキしたし、あなた意識が私に向いてるだけで本当に嬉しかったんです。あの時以上のドキドキを、トキメキを、私は他で感じたことはありません。あれから好きな人ができても、あなた以上に心が波打つことがないんです。

 

それだけ好きだったあなたにうっかり告白してしまったのが私の過ちでした。話す回数だって多くないただのクラスメイトに突然好意押し付けられて、困ったと思います。ごめんなさい。そして私はその告白すらまともにできなくて、あなたに壊れてしまいそうだったと言われるぐらいで、そうやって断りづらい状況に持っていってしまたことが本当に申し訳ないです。そして名目上付き合うことになって、でも結局私はまともに彼女をすることができませんでした。駄目でした。あなたを前にした私は、本当に駄目だった。ずっと緊張して、話せなくて、あなたも私に歩み寄ろうとしてくれてたのに、私は何もしなかった。私はあなたの全肯定オタクでもあるので、この時のあなたを責めることはできません。そして何をすることもなく別れましたね。あの時、別れようというお手紙の返事が遅くなってごめんなさい。別れたくないわけではなかったのです。ただ、返事ができなかった。手紙が書けなかった。気持ちの整理がつかなかった。付き合っているといえない状況で、何かしなきゃと焦ってて、むしろ正直ほっとしてたんです。多分このことは返事の手紙に書いたと思うけれど。なのに気持ちはぐちゃぐちゃで、本当に駄目でしたね、私は。別れるということは明確に振られたということで、それが耐えきれなかったんでしょうね。初めて明確に失恋した瞬間でした。こんなにも好きだったのに、あなたには好きになってもらえなかった。これほどつらいことはなかった。お別れの手紙を返したあと、自覚はなかったんですが相当私はメンタルをやられていたらしいです。私はいつもどおりって思ってたのがさらに厄介ですね。ここまで引きずって重い女ですよね。でもあなたはこんな重たい感情をぶつけても受け流してくれるようなそんな我の強さがあって、そこが好きなところでした。

 

それからずっとあなたのことを忘れたことはありません。何をするにも頭に引っかかってて、ずっとずっとファンでした。あの時の狂気熱量はなくても、好意が薄れることはなかった。あなたが何をしてもずっと応援していたし、少しでも関われると嬉しかった。同じクラスになって劇で同じシーンに出たの、嬉しかったんです。あの時のあなたは本当にかっこよくて袖からずっと見つめてました。高校に上がって、私が文実なんてやったの、あなたが文実をやると思ったからです。文実なんて、やるような人間じゃなかったのに。でもここであなたと同じ部門を選ばなかったあたり、小心者のストーカーなのです。私たちの代の文化祭部門は違えどあなたと一緒に作り上げれたの楽しかった。少しだけでも会話もできて、仕事自体も楽しかったし、あの三年間で何よりも頑張った。文化祭が私の青春でした。ちょうどその頃ですよね。私があなたが入っていた軽音の追っかけを始めたのは。一年文化祭でこっそりあなたバンドだけ見に行ったことはありましたが、本格的に軽音自体ファンをし始めたのはその頃のはずです。正々堂々とあなたファンでいられるのが幸せでした。あなたの何もかもが好きだけれど、あなたが歌っているときほどかっこいい時はないと思いますあなたが歌う「愛はおしゃれじゃない」が、どれだけ私の心臓を掴んだか知っていますか?ずるいです。初めて聞いたとき、本当に背筋が冷えて泣きそうになりました。私はあなたにだけモテたかったのに、あなたがそれを歌うなんて。私のことなんてもう過去のことでしょうが、私にとっては過去じゃなかったのに、あなたがそう思うほどの相手がいるんじゃないかって思わされた。まあ、そのあとあなたとある人と付き合うわけですが。あなたがその人と付き合い出したときの私の気持ちは知らないと思います。もう昇華されたと思ってたのに、ただのファンでいられると思ったのに駄目でした。付き合う前、あの人もあなたライブを見に来ていて、私に話しかけてきて、あなたファンだといった私に「かっこいいよね、本当にこの間のでファンになった!本当に好きかっこいい!」って。私の方がずっと前からファンなのに。ずっと前から好きなのに。でもそんな人とあなたは付き合い出して。悔しかった。過去の女である私が思っていいことじゃないのはわかっていたけれど。私にとってはそれだけ過去じゃなかったんです。その人と別れたときほっとしました。私、あなたと付き合いたいってわけじゃなくなってたんです。ただ、誰のものにもなって欲しくなかった。だって私の神様から。ただの一人の人間にこんな重たいものを背負わせて、私は本当に最低だなと思います。それでもそうなんです。それからはそこまで苦しくなかったです。あなたのことはただの推し認識できていたから、私も他の好きな人ができました。振られましたけど。この時悲しかったのにあなた以上に悲しくなくて引きずらなくて、恋という感情が分からなくなったこともありました。あまりにもあなたとその他の人への恋情が別物だったもので。

 

そして卒業を迎えて、あなたとはもう二度と関わらないと思いました。最後卒業ライブで、あなた歌声を浴びました。卒業ライブ、とても良かったですよね。軽音中の人間じゃなくてもあの時の良さは忘れられないです。二日目、あなたが「あなたは私の一生もの」という歌詞を歌ったの、刺さりました。私にとってあなたは一生ものでも、あなたにとって私はそうでないのでしょう。そのバンドあなたは気づいてなかったかもしれませんが、あなたの目の前最前列ドセンで見てたんですよ。目の前のあなた死ぬほどかっこよくて、だからこそ苦しくなりました。そして最終日、あなたの出る最後バンド、ずるかった。私が初めてみたあなたバンド、全員が六年の付き合いのバンドあなたファンを増やすきっかけにもなったバンド、そしてあなたが「愛はおしゃれじゃない」をやったバンドあなたの歌う最後の曲がそれだったのは、あまりにも、あまりにもずるいです。それを聞いて、六年間のあなたにまつわる何もかもが、青春のすべてが頭の中を流れていって、泣きました。卒業式でも泣かなかったのに。他の人が泣いていたのとは違う理由でしょう。一人だけあなたを想って、自分を振り返って泣きました。モテたかったよ、あなたにだけに。どれだけ忘れられたと思っても、あなたを見たらこうやって気持ちが蘇ってしまう。ライブ後、わちゃわちゃとするなかで、ツーショットを撮ってくれてありがとうございました。これで本当におしまいにするつもりだったんです。最後に全てを終わらせたかった。からかってくる友人に「もう過去ことなのに」と笑うあなた、そんなあなたに笑って「私にとっては過去じゃないけど」って言ったの、きっとちゃん冗談として受け取ってもらえたと思います。ごめんなさい。本気の本気で。

 

こうやって終わりだった筈なのに、何があったのか、何故なのか、卒業後かなりたってからあなたと同じ通話グループに入ってしまいました。そして通話をして、一緒に友人の家で集まってオールしたの、今でもよくわからないです。そんなの思い出してしまうに決まってるじゃないですか。通話あなたが唯一私の髪色を褒めてくれたのも、死ぬほど嬉しかったし、あえていうならあなたが私の名前を読んでくれるだけで、あなたの話を聞けるだけで本当に幸せだったんです。あなたと会話できるだけでそれだけで。でもそんなあなたは今、1つ下の新しい彼女がいて。ちゃんと長く続いていて。先程も言ったように、私、あなたに誰のものにもなって欲しくなかった。最低なやつだけどそれが本音です。それほどまでに今でも好きなのに、この気持ちあなたに伝えることはもう許されない。もう一度はない。

 

本当の私の理想は、あなたが有名になってくれること。あなたは唯一無二の人間です。そうなれると私は信じていますあなたが小さなハコから大きくなるまでずっと通って、ファンクラブにも入って、堂々とでもそっと応援してあなたと関わっていたい。あなたに花を贈る存在でいたい。匿名ファンレターを出す存在でいたい。でもきっとこんな未来はないんです。あなたのことを好きでいたい。応援していたい。でもあなたと私の関わりなんてとても薄くて、あなたがそういう大きな存在にならない限りそれができない。だったら付き合いたい。そういう関係になりたい。でもあなた彼女がいる。友達ですらないんですよね、私達。なんなんでしょうね。

 

この好きは伝えられないけれど、こうやってあなたを想う人間もいるのです。気持ち悪くてごめんなさい。好きです。ずっと好きです。あなた以上の推しなんていないんです。ネットの片隅で流すことでこの気持ちが少しでもなくなることを祈ります

私の神様

正直めちゃくちゃにキモいし酔ってるだけの文章です。ただの自己満足です。

私のずっと好きだった人私の神様

あなた出会ったのはもう六年も前になります一目惚れではないけれど、二目惚れくらいだったかもしれません。全然したこともないのに、勝手に私はあなたのことを好きになりました。世間一般的にはイケメンではないだろうけどあなたの顔も、声も、友人と話している姿も、人前でしゃべる姿も、何もかも全て好きでした。今から思えばこれはアイドルに対する気持ちと変わらなかったのかもしれません。私が初めて出会った推し、それがあなただったんだと思います。少しでもあなたと話したくていろんなことをしました。席が近くなれるように神頼みもしたし、列に並ぶときわざとタイミングを見計らって近くになれるようにしたり、ストーカーじみていたなと思います。でも何故かわからないけどそれだけ好きだったのです。話すだけでドキドキしたし、あなた意識が私に向いてるだけで本当に嬉しかったんです。あの時以上のドキドキを、トキメキを、私は他で感じたことはありません。あれから好きな人ができても、あなた以上に心が波打つことがないんです。

それだけ好きだったあなたにうっかり告白してしまったのが私の過ちでした。話す回数だって多くないただのクラスメイトに突然好意押し付けられて、困ったと思います。ごめんなさい。そして私はその告白すらまともにできなくて、あなたに壊れてしまいそうだったと言われるぐらいで、そうやって断りづらい状況に持っていってしまたことが本当に申し訳ないです。そして名目上付き合うことになって、でも結局私はまともに彼女をすることができませんでした。駄目でした。あなたを前にした私は、本当に駄目だった。ずっと緊張して、話せなくて、あなたも私に歩み寄ろうとしてくれてたのに、私は何もしなかった。私はあなたの全肯定オタクでもあるので、この時のあなたを責めることはできません。そして何をすることもなく別れましたね。あの時、別れようというお手紙の返事が遅くなってごめんなさい。別れたくないわけではなかったのです。ただ、返事ができなかった。手紙が書けなかった。気持ちの整理がつかなかった。付き合っているといえない状況で、何かしなきゃと焦ってて、むしろ正直ほっとしてたんです。多分このことは返事の手紙に書いたと思うけれど。なのに気持ちはぐちゃぐちゃで、本当に駄目でしたね、私は。別れるということは明確に振られたということで、それが耐えきれなかったんでしょうね。初めて明確に失恋した瞬間でした。こんなにも好きだったのに、あなたには好きになってもらえなかった。これほどつらいことはなかった。お別れの手紙を返したあと、自覚はなかったんですが相当私はメンタルをやられていたらしいです。私はいつもどおりって思ってたのがさらに厄介ですね。ここまで引きずって重い女ですよね。でもあなたはこんな重たい感情をぶつけても受け流してくれるようなそんな我の強さがあって、そこが好きなところでした。

それからずっとあなたのことを忘れたことはありません。何をするにも頭に引っかかってて、ずっとずっとファンでした。あの時の狂気熱量はなくても、好意が薄れることはなかった。あなたが何をしてもずっと応援していたし、少しでも関われると嬉しかった。同じクラスになって劇で同じシーンに出たの、嬉しかったんです。あの時のあなたは本当にかっこよくて袖からずっと見つめてました。高校に上がって、私が文実なんてやったの、あなたが文実をやると思ったからです。文実なんて、やるような人間じゃなかったのに。でもここであなたと同じ部門を選ばなかったあたり、小心者のストーカーなのです。私たちの代の文化祭部門は違えどあなたと一緒に作り上げれたの楽しかった。少しだけでも会話もできて、仕事自体も楽しかったし、あの三年間で何よりも頑張った。文化祭が私の青春でした。ちょうどその頃ですよね。私があなたが入っていた軽音の追っかけを始めたのは。一年文化祭でこっそりあなたバンドだけ見に行ったことはありましたが、本格的に軽音自体ファンをし始めたのはその頃のはずです。正々堂々とあなたファンでいられるのが幸せでした。あなたの何もかもが好きだけれど、あなたが歌っているときほどかっこいい時はないと思いますあなたが歌う「愛はおしゃれじゃない」が、どれだけ私の心臓を掴んだか知っていますか?ずるいです。初めて聞いたとき、本当に背筋が冷えて泣きそうになりました。私はあなたにだけモテたかったのに、あなたがそれを歌うなんて。私のことなんてもう過去のことでしょうが、私にとっては過去じゃなかったのに、あなたがそう思うほどの相手がいるんじゃないかって思わされた。まあ、そのあとあなたとある人と付き合うわけですが。あなたがその人と付き合い出したときの私の気持ちは知らないと思います。もう昇華されたと思ってたのに、ただのファンでいられると思ったのに駄目でした。付き合う前、あの人もあなたライブを見に来ていて、私に話しかけてきて、あなたファンだといった私に「かっこいいよね、本当にこの間のでファンになった!本当に好きかっこいい!」って。私の方がずっと前からファンなのに。ずっと前から好きなのに。でもそんな人とあなたは付き合い出して。悔しかった。過去の女である私が思っていいことじゃないのはわかっていたけれど。私にとってはそれだけ過去じゃなかったんです。その人と別れたときほっとしました。私、あなたと付き合いたいってわけじゃなくなってたんです。ただ、誰のものにもなって欲しくなかった。だって私の神様から。ただの一人の人間にこんな重たいものを背負わせて、私は本当に最低だなと思います。それでもそうなんです。それからはそこまで苦しくなかったです。あなたのことはただの推し認識できていたから、私も他の好きな人ができました。振られましたけど。この時悲しかったのにあなた以上に悲しくなくて引きずらなくて、恋という感情が分からなくなったこともありました。あまりにもあなたとその他の人への恋情が別物だったもので。

そして卒業を迎えて、あなたとはもう二度と関わらないと思いました。最後卒業ライブで、あなた歌声を浴びました。卒業ライブ、とても良かったですよね。軽音中の人間じゃなくてもあの時の良さは忘れられないです。二日目、あなたが「あなたは私の一生もの」という歌詞を歌ったの、刺さりました。私にとってあなたは一生ものでも、あなたにとって私はそうでないのでしょう。そのバンドあなたは気づいてなかったかもしれませんが、あなたの目の前最前列ドセンで見てたんですよ。目の前のあなた死ぬほどかっこよくて、だからこそ苦しくなりました。そして最終日、あなたの出る最後バンド、ずるかった。私が初めてみたあなたバンド、全員が六年の付き合いのバンドあなたファンを増やすきっかけにもなったバンド、そしてあなたが「愛はおしゃれじゃない」をやったバンドあなたの歌う最後の曲がそれだったのは、あまりにも、あまりにもずるいです。それを聞いて、六年間のあなたにまつわる何もかもが、青春のすべてが頭の中を流れていって、泣きました。卒業式でも泣かなかったのに。他の人が泣いていたのとは違う理由でしょう。一人だけあなたを想って、自分を振り返って泣きました。モテたかったよ、あなたにだけに。どれだけ忘れられたと思っても、あなたを見たらこうやって気持ちが蘇ってしまう。ライブ後、わちゃわちゃとするなかで、ツーショットを撮ってくれてありがとうございました。これで本当におしまいにするつもりだったんです。最後に全てを終わらせたかった。からかってくる友人に「もう過去ことなのに」と笑うあなた、そんなあなたに笑って「私にとっては過去じゃないけど」って言ったの、きっとちゃん冗談として受け取ってもらえたと思います。ごめんなさい。本気の本気で。

こうやって終わりだった筈なのに、何があったのか、何故なのか、卒業後かなりたってからあなたと同じ通話グループに入ってしまいました。そして通話をして、一緒に友人の家で集まってオールしたの、今でもよくわからないです。そんなの思い出してしまうに決まってるじゃないですか。通話あなたが唯一私の髪色を褒めてくれたのも、死ぬほど嬉しかったし、あえていうならあなたが私の名前を読んでくれるだけで、あなたの話を聞けるだけで本当に幸せだったんです。あなたと会話できるだけでそれだけで。でもそんなあなたは今、1つ下の新しい彼女がいて。ちゃんと長く続いていて。先程も言ったように、私、あなたに誰のものにもなって欲しくなかった。最低なやつだけどそれが本音です。それほどまでに今でも好きなのに、この気持ちあなたに伝えることはもう許されない。もう一度はない。

本当の私の理想は、あなたが有名になってくれること。あなたは唯一無二の人間です。そうなれると私は信じていますあなたが小さなハコから大きくなるまでずっと通って、ファンクラブにも入って、堂々とでもそっと応援してあなたと関わっていたい。あなたに花を贈る存在でいたい。匿名ファンレターを出す存在でいたい。でもきっとこんな未来はないんです。あなたのことを好きでいたい。応援していたい。でもあなたと私の関わりなんてとても薄くて、あなたがそういう大きな存在にならない限りそれができない。だったら付き合いたい。そういう関係になりたい。でもあなた彼女がいる。友達ですらないんですよね、私達。なんなんでしょうね。

この好きは伝えられないけれど、こうやってあなたを想う人間もいるのです。気持ち悪くてごめんなさい。好きです。ずっと好きです。あなた以上の推しなんていないんです。ネットの片隅で流すことでこの気持ちが少しでもなくなることを祈ります

2018-10-12

自分がなぜ絵を描いているのかふと考えた話

最近絵を描くのがしんどいと思い始めたか自分気持ちを整理するために書く。

本題は下の方なので途中は飛ばしてOK

サイト時代から同人をやっており、以前はオフ活動積極的にしていたが金銭時間等の問題、家庭環境等の関係でここ数年ネットのみで絵を描いている。いわゆるオン専の絵描き

絵馬ではないが今まで色んなジャンルを渡ってきて、そこそこに見てもらえてあたたか言葉をかけてくれる人もいた。

交流も得意ではないがその都度ジャンル内で仲いい人も出来、それなりに問題もあったが楽しくやっていた。結局ジャンル移動や結婚出産等で同人を辞める人が多く、ほとんど音信不通だけど。

自分も数年前色々重なり一時期同人を辞めていて、久々に某アニメを見たらハマり数年ぶりに出戻った。

以前もそうだったけどとにかく描くのが楽しく、萌えを発散したい!の一心で絵や漫画を描き始めた。

でも出戻った時にはツイッターが普及し、個人サイトがほぼなくなっていて以前の同人雰囲気とかなり違っていて驚いた。

以前やっていたサイトは閉鎖していたので、この機会に二次創作用のツイッター同人以外ではツイッターをやっていたから使い方は知っていた)を始め、pixivにも登録してみた。

しかサイトと違って人の評価ダイレクトに見えるし自分評価ダイレクトに見られる。

以前はサイトカウンターくらいだったけど、1つの作品に大して数字で表される。

ただ、運よく出戻ったジャンルとは相性がよかったのかそこそこに見てもらえ他人評価はそこまで気にならなかった。

数字が伸びると嬉しい。ブクマが沢山つくとやる気が出る。

そしてその後時間が経ちいくつかのジャンル転々とした。色んなジャンルを描いた。

しかし段々人の性質も変わってきた。

とあるジャンルにハマって描いていた時、マイナーCPだったけどそこそこに見てもらえ超厳選フォロー大手にもフォローして頂けた。

私自身は厳選フォローでもなくフォロバも余程でない限りはしていたせいか沢山話しかけてもらえてこのジャンルにハマって絵を描き始めたという絵描きとは個人的に遊びに行くくらい仲良くなった。

しかし仲良くなった絵描きはけっして絵が上手ではなかったから厳選フォロー大手にはフォロバされていなかった。

後日わかったことだがそのhtr絵描き自分も厳選フォロー大手フォロバされたいがために私を利用していただけだった。

(厳選フォロー大手さんは私の作品を高評価してくれていて、私の周りの人も数人フォロバしていた)

念願かなって厳選フォロー大手フォロバされたhtr絵描き勘違い発言の連発で割と人間不信に陥った私はその人と縁を切りたくてツイッターアカウントを消してジャンルから去った。ジャンルごと嫌になってしまった。

その後新しくアカウントを作り直したが、フォローは超厳選するようになった。

しか交流ありきのツイッター、多少なりともフォロバしないと評価はされないし高尚扱い。

ワンドロに参加しても私だけはジャンルからスルーされていた。

けど新しいジャンルも好きだったから描いていた、が次第に疲れてきた。萌え語りを見る事もなくモチベも保てない。

どう見ても自分より下手な人が交流票で自分より反応をもらえているのがしんどい

そう思っていた頃また別のマイナージャンルにハマり、今度は萌え語りをしている人はフォローしようと思い探し、思いっき萌え語りしてる絵描きを見つけてフォローした。

その方はジャンル毎にアカウントを分ける方らしく新しくアカウントを作ったばっかりでフォロワーも1桁だった。

ひたすら萌え語りと絵を投下する方で私も負けずに萌えを投下するぞ!!といい意味で感化されてよかった。

…けどそれもつかの間。その人のフォロワーが徐々に増えだして突然「アタシ別アカ持ってて実はそっちはフォロワー○桁いるんです^^実は大手です^^壁サークルです^^」

「このジャンル今はマイナーですけどアタシがメジャーにしてみせます!アタシ影響力あるんで!○桁のフォロワーに広めます!」といきなり数字マウントを取り始めるようになった。

正直その低画力でその大手フォロワー数?と思ったが何かバズってそのジャンルの方には刺さったんだろう。

段々萌えてるというより「このCPといえばアタシ!アタシが始祖!」になりたいようで必死さがうかがえた。

絵も何度もセルフRTするようになり下書きチラ見せ、自分語りも増え別アカフォロワー数で数字マウント共通フォロワーがその人が別ジャンルでは大手と分かった途端必死の擦り寄り…TLを見るのが疲れてきた。

その上新ジャンルでは私はどれだけ描いても全く無反応、フォロワーが少ないので当然だが数人はいるのに誰一人いいねすらしてくれない。萌え語りも無反応だし何のためにフォローしてるんだろう。

マウント絵師も大して上手くない(もっと上手い絵師を何人も知ってる)のにフォロワーは皆アタシのファン!な態度にイラついてきた。最初ガンガン萌え語りをしていたアナタは何だったのか。

心が疲れて好きだったはずのそのCPも描く気が失せてきた。どうせ自分は描いてもまたいいねの1つもされずに流されていく…




というわけで本題。

自分が何のために絵を描いてるのかわからなくなってしまい、萌えてるから描きたいというより描かないと劣化する恐怖で描くがツイッター投稿すると評価もなく途端に萎えて心が病む。

以前はそれなりに評価してもらえていたからそこまでhtrでもないと思うのに、どうして見てもらえないのかわからない。描いても意味がない。時間無駄

ツイッター投稿しなければいいと思われるがサイト時代から人に見てもらいたくて(評価とかではなく純粋に見てもらいたいだけ)やっぱり投稿するのはやめたくない。

また再びサイトに籠ろうかと思ったが、サイトだと余計見てもらえない。やっぱり見てもらいたい。そう思う自分しんどい

そういう気持ちグルグルした。描いている時は楽しい投稿するとしんどいモチベが下がる。さらにTLを見てモチベが下がる。

要は自分のも人のも数字が見えることがしんどいSNSに向いてないけど時代SNSありきだから仕方ない。こんな誰から評価されない糞絵が嫌いになってきた。



で、なぜ絵を描いているのか。なぜ出戻ったのか、初心を思い出してみた。

まず、そのCPが好きだ。萌えすぎてつらい。いつもそのCPのことを考えていてネタが湧き出るように出てくる。絵も漫画も沢山描きたい。

そういう気持ちで描き始めたんだった。

見てもらえなくてもいい。手に取ってもらえなくてもいいから本も作りたい。

そう思って寝る時間を削って原稿してイベントにも参加して毎回新刊を出していた。

要は自己満足で描いていたものが、いつの間にか自己承認欲を満たしたいがためのものになっていた…と気付いた。

趣味なのにどうしてこんなにしんどい思いをしないといけないのかと思ってたけど、初心を思い出したらその気持ちも軽くなった。

好きな人には悪いけど、私にとってツイッター害悪しかない。

手っ取り早く自己承認欲を満たせるツールだし私生活駄々洩れな人も多いし好きだった描き手の性格が悪い意味で透けて見えて作品も嫌いになることもある。

ツイッターのせいで好きなことがしんどくて鬱になりそうだったけど、

とりあえずしばらくツイッターは全く見ず、絵と萌え語りだけ投稿していこうと思う。

今ハマってるCPが好きだから誰も見てなくても描きたい。と常に自分に言い聞かせるためにこのブログを書いた。

自分の絵がまた好きになれますように…。





まーでも数字ありきの時代だしフォロワー数の少ない絵馬フォロワー数が多いROMの時代からやっぱりフォロワー増えてほしいんだけどねwww

でも楽しんで描きたいなー趣味病みたくない。

2018-10-10

anond:20181010164811

もやもや

人助けの自己満足くらいしか報酬ないけどドナー登録して、と患者がお願いするしかないことに。

国がお金出せないなら患者提供者に直接お金払えるようにしたらいいのに。

前の経験談も読んだけど、あまりにも提供者の善意にかまけすぎてて、東京オリンピックボランティアかよと思うレベルだった。

ラジオで割としばしばドナー登録にご協力をっていうCM聞くから、まあ機会があればやってもいいかなくらいに思ってたけど、あそこまで面倒だったらちょっと・・・って心変わりしたし。

善意という名の正論をふりかざして無報酬奉仕をさせようとする日本の風潮ほんとどうにかならんのかね~

2018-10-09

へー、最近の人は知らないんだ、エンドレスエイトという地獄

好きだったが故に裏切られるというか、

毎週、来週は違うと思いつつ、裏切られた8週間。

それも、制作側の稼働の都合ではなく「おもろいやろ?」というシリーズ潰しの流れ。

結局エイトって言いたかっただけですやん、と言う制作陣の自己満足

あれがなければハルヒもしばらくはアニメ業界前線にいただろうにな、と。

いまだ映像化されていない作品群をみて思う。

平野綾?あぁ、ミギーのひとですか?

2018-10-08

同人誌感想の書き方

anond:20180327003348

↑の増田に関連して、感想送りたいけどどう書いたらいいかからないという人をたまに見かけるので、参考までに私がやってる書き方を置いとく。


1 初読

初めてその同人誌を読んだ時に思ったことが結構重要なので、読みながら紙でもデジタルでもいいのでメモにしておくこと。

私はスマホメモ帳に書いてる。

詳しい内容じゃなくていい。「p10,このコマの顔かわいい」「p18,このシーン最高」とかでもOK

読むのに夢中でそんな余裕がないというときは、読み終わってからパラパラめくってここ良かったなってとこをメモする。

時間が経つと結構忘れるのでできればすぐにやる。最低でも読んだその日のうちにやること。


2 再読

1で取ったメモを見ながら、なぜそう思ったのか、どこが良かったか再検証する。

例えば、

このコマのAの顔かわいい→どこがかわいい?→普段無表情だから笑顔かわいい とか

→なんでAは笑ったんだろう?→BがAのために〇〇してくれたから とか

自問自答で感じたことをとにかく掘っていく。これを何回も繰り返す。

多分ここが苦手で感想書けない人が多いと思うんだけど、この作業にはコツがある。

それは「誰にも見せない自分用のメモだと思って書くこと」だ。

最初から相手に送ることを想定していると、無意識に身構えてしまうのか無難感想しか出てこなくなる。

なのでとりあえずは自分が見返すためのメモなんだと思って書く。すると意外なほどすらすらと感想が出てくる。

ここでの言葉かい適当OK敬語なんて不要ネットスラング絵文字なんかも使っていい。

とにかく感じたままに書く。


3 文章

2で書き溜めた短いメモ感想としてつなぎ合わせる。

例えば2の例なら、二つをつなげて「普段無表情なAが、Aのために〇〇してくれたBをみて笑った顔がとてもかわいかったです」って感想になる。

小学生の作文かって感じだけど、上手い文章を書くのが目的じゃないからこれでOK

あなた同人誌は最高ですという気持ちが伝わればいい。

ここでネットスラング普通言葉に置き換えたり、敬語をつけたりしていく。


4 整形

感想の前にあいさつ、後ろに締めを入れる。

あいさつは普通メール送るときのやつでOK。締めのほうが重要

「次も読みたいです」とか「新刊楽しみにしてます」とか、私はあなた作品が好きでできればもっと読みたいということが伝わる文を入れること。


5 送る

手紙ならイベント会場で直接、メールなら同人誌の奥付に感想の送り先が書いてあるのでそこに送っておわり。

返信は期待しない。返事がないと「引かれたかも」「なんか気に障るようなこと書いたかな」とか思うかもしれないけど、気にしてもしょうがないので考えない。

感想を送るのは自己満足」という意識を持つこと。

ここを間違えて「感想を送るのは作者を応援するため」とか思っちゃうと、返事がないだけで「せっかく書いてやったのになんで」と闇堕ちする原因になる。



書けば書くほど慣れていくので、とにかくチャレンジしてみることが一番大切かも。

感想送りマン仲間が増えますように。

2018-10-04

anond:20181004211315

そして太っているからと言って自分自分で美しいと思うラインの服を着ることに何が問題あるの?

だいたい極端な太り方をしていない限り、すっとしたラインを見せられるでしょう。

そういう欲望や、すっとしたラインを見せる欲望を「何を着ようがお前はデブ」という意味のない罵倒的な指摘ってただの自己満足でしょ。

すっとしたラインの服を着たいと「何やってもお前はデブ」という罵倒後者他者攻撃するだけのネガティブものしかない。

別にやってもいいけど、個人としてはすげー罵倒に値する行為だし、人の欲望否定するだけの行為しか無い。

不毛だね。

2018-09-30

anond:20180930173903

自己満足に見返りを求めた結果

自分がいなければこの人は駄目だと思ったのが間違いなんじゃないか

所詮あなたは一読者に過ぎないんだから

二次創作感想を送るのをやめようと思う。

もう同人誌感想を書くのをやめようと思う。

私は二次創作感想を送るのがとても好きです。

最近ツイッターにあるマシュマロなんかで気軽に感想が送れる。

それが楽しくて毎日送ったりもしていた。

けれども書いても書いても送っても送っても「感想が欲しい」「感想が来ない」「匿名は寂しい」。

書き手、描き手は大変なことだと思う。読んで欲しい、見て欲しい、感想が欲しい。それは当たり前の欲求だと思う。けれども私はなんだか疲れてしまった。

感想を送るのが好きなのに、疲れてしまった。

先日、イベントに行ってたくさん本を買ってきて漸く読み終わった。

どれもこれも描き手の熱量が伝わるような素敵なお話だった。

あそこも良いし、此処も良い。この表情は素敵だし、こんなセリフが思いつくなんて。

文章は気に入った部分を何度も何度も読んだ。私では逆立ちしたって出てこないような表現ばかりだ。

でもこの読んだ感情を、高揚を、勢いのまま絵を漫画小説写真をグッズを生み出した人に伝えようという気がまったく起きなくなってしまった。

それを少し、自分で悲しく思ってしまった。でも此処で無理に書いてもきっとまた同じことの繰り返しだと思ったのでやめておく。

本当に、自分は何かを伝えることに疲れてしまってるんだと改めて思った。

それでも。感想を今まで何百と伝えてきて良い思い出もたくさんあったので忘れないように此処に書いておこうかなって思う。その思い出話。

自己満足をだらだら書くので暇なら読んで。

まだ随分と昔、私がまだ交通費も捻出できず地元イベントしか参加出来なかった頃、支部の凄く好きな字書きさんがわざわざこちらにいらしてくれるとあった。

本当に好き過ぎて、いつか感想はお手紙で伝えたいとメッセージも送ってなかった人だった。

私は慌てて便箋を買いにいった。どの便箋もその人の作風には合わない気がして、文具屋で随分と悩んだ。

どれがあの人の作品に合うだろう、どれがこどもっぽく思われないだろう。

散々悩んで私が選んだのはなんの変哲もないクラフト便箋。そして蝋引きの封筒にした。

家に帰ってもの凄く時間を掛けて手紙を書いた。お話文章が、凄く凄く好きだと手紙を書いた。何度も作品を読み返して、そのたびに泣きそうになって、そのことも書いた。

まりにも汚い自分の字に嫌気がさしながらも、それでも手紙を書ききり、封をした。相手のお名前を書いた時、やっぱり字が汚いなと思ってしまった。

そして、当日、緊張してお手紙を渡した。

「字が汚くてすみません文章もきっとおかしいですっ」

そう言うとその人は私の書いた名前をなぞりながら

全然汚くないですよ」

と言ってくれた。それだけで嬉しくて嬉しくて、そのまま本を買って帰ろうとしたら多分サークルの方に渡す用のお菓子まで頂いてしまった。

そして私は逃げるようにそこをあとにした。

その時に買った本も凄く良くて、感想をすぐにでも伝えたいと思ったけど、この人は手紙を書きたいと思った。

そこから暫くタイミングが合わずにその人のサークルに行くことが出来なかった。本は通販

イベントで暫く、となると軽く数年経ったりする。その人はジャンルも変わってしまった。

そんなある日。

また地方イベントに行こうかな、とその人がツイートした。

「以前そこへ行った時はご飯も美味しくて感想手紙も貰って良いイメージしかない」

と。これが自分のことだとは思わなかったが、私の地元に良いイメージを持ってくれて、また来てくれるといってくれて私は嬉しかった。

改めて前に買った本の感想手紙に書いた。以前、手紙を渡した時もとても良くして貰ったと書いた。

そしてイベント当日、別ジャンルへと行って書き手の方に手紙を渡した。

ジャンルの時に出された本の感想申し訳ないんですけど。と云って渡すと私の書いた手紙を見て「あっ!」と云った。

「以前、蝋引きの茶封筒でお手紙を頂いた方ですよね!!」

そう訊かれて頷いた。その人は私の手を取って。

気持ち悪くて申し訳ないです。私、貴方から貰った手紙、嬉しくて嬉しくて何回も読み返してもう筆跡を覚えてしまってて」

そう云われた。

私は感想を書くことが好きだけれどもそれは一方的コミュニケーションだと思っていて、自分が書きたいことを書いて渡してしまったら基本其処で完結してしまっていた。相手がそれを読んだことを気にしたこともなかった。

から凄く驚いて恐縮してしまった。

そして、違うジャンルでも感想を書いて良かったと思った。

基本的に私はウェブ媒体以外では小説漫画二次創作を手にすることが多い。なので、必然的感想もその辺りになる。

けれどもある日、表紙の子と目があってしまった。本当に偶然通り掛かったサークルイラスト本。一度通り過ぎて、気になって手にしてしまった。薄い本一期一会だ。

結論、大当たりだった。

私はすぐに感想を書いた。表紙の子と目があってしまたことや、中のイラスト湿度温度を感じるような情報量。そして、描き手の熱量。とにかく圧倒されたと書いた。

イラスト集で感想なんて書いたことがなかったけど、気付いたら便箋4枚にみっちりと書いていた。

そして次のイベントにもそのサークルさんが参加されるとあったので、お手紙を渡してまた新しい本を購入させて貰った。

まぁ、勿論素敵だったので感想を書きますよねー!! 感想書くの楽しい!!! みたいな感じで書いて、また次のイベントへ。

すると、また手紙を渡した瞬間にサークル主さんから「あ、あの、此間もお手紙下さいましたよね!」と云われる。

「あ、はい迷惑でしたか???」と、焦って新刊を買って逃げようとしたらいきなりその人が泣き出したので、泣くほど酷いことを書いてしまっただろうかと私は焦った。

謝ろうかと思ったが、何を謝って良いかからなかった。思い当たる節が多過ぎる。もしかしたら手紙感想が嫌な方だったのかもしれない。そう云う方も少なくない。どうしようどうしようと思っていると。

「貰ったお手紙が凄く嬉しくて。私、漫画上手くないからいっつもイラストばっかりで、あんな風な感想貰ったことなくって」

そうサークル主さんはいった。

いやいや、でもあんなに素敵な絵ならSNS場でいっぱいコメント貰ってるんじゃなかろうか???そう思った。

「あの、ほんと大したこと書いてなくてすみません

そういうと。お手紙がどれだけ嬉しかたか時間を掛けて書いてくれて本当に有り難かった。また絵を描いて本を出したいと思った。そんなことを言われた。そして。

手紙を貰ったのが嬉しくて。手紙が大好きになって、自分手紙を書くようになりました」

どんなことでも、些細なことでも一筆書くようになったと。それを聞いて手紙を書くのが好きな私も嬉しくなった。

SNSメッセージでも良く感想を送る。手紙が一番好きだけど、メッセージはやっぱり手軽で便利。

ぽちぽち打っては推敲して送って。また、ぽちぽちする。

上でも書いた通り基本的相手からリアクションは求めてないので、送ったら一度自分の中では完結してしまう。

けれども丁寧な人はお返事をくれたりする。

そして、その中には初めて感想を貰いましたという人も少なくなかった。

また、筆を折ろうとしていた。けれども私の感想でまた描こうと思った。そんな人も結構いた。

たかが私の感想で描き手の方を大きく動かせるなんて思ってもいないし社交辞令だって分かってる。それでもこうしてわざわざメッセージが届いていることを伝えてくれている気持ちが嬉しかった。

私は何も書けないし、生み出せないし、作れない。

それが出来る人たちが凄いと思う。

その作品から受けた感動を伝えるすべが、感想しかなかった。

感想を書くのが楽しかった。好きだった。

ここに書いたこと以外にも感想を伝えていて楽しい思い出はたくさんあった。

勿論、差し入れを放り投げられたことも手紙を捨てられたことも、感想迷惑と言われたことも、感想を送った相手ブロックされたこともある。

けれどもそれは私が相手不快にする何かがあっただけかもしれない。何か粗相をしたのかもしれない。良くない言葉選びをしてしまったのかもしれない。気持ち悪かったのかも知れない。

何百と感想を書いてたらそういうこともある。

次は気を付けよう。反省をすることはあっても、感想を送るのを辞めようと思ったことはなかった。

便箋を選ぶのが好きだった。ペンインクを補充するのが好きだった。パソコンを前に本を読み返しながら言葉を選ぶのが好きだった。どう伝えるか、どうしたら伝わるか。そんなことを考えながら感想を送った。

素晴らしい作品を読んで興奮する気持ちは未だにあるのに。もう相手に伝えたいと思う気持ちがなくなってしまった。

ただ、それを楽だと感じてる自分もいて、それがなんだか凄く寂しい。

少しだけ感想を書いていた時の思い出をここに書けて良かった。

2018-09-28

子育てって浪費だよな

出費は確定してるし

こっちがベストを尽くしても結果がベストになるとは限らない

時間も体力も吸い取られ

得られるものちょっとした自己満足

アホじゃないの

2018-09-27

anond:20180927013819

実は今作品あげたくてとったツイッターアカウントがあって

三か月くらいやってるんだけど、やっぱり数字にとらわれはじめちゃったんだよ

それじゃ気持ち的に作りたいもん作れないなって思って…

でも今はどこも数字絡んでくるからそれを気にする性格なら向かないよな

一人で最高の自己満足をしたほうがよさそうだ

ありがとね

anond:20180927011745

今ってどこも数字絡んできて

数字にとらわれちゃって嫌なんだー

もう自分だけで最高の自己満足をするしかいか

素人社会人になってからDTMを始めてアルバムを3枚作った話

https://anond.hatelabo.jp/20180923171114

上のエントリを書いた者であるDTMパソコンさえあれば始めるのにお金はそんなにかからないし、頭を使っている感じがして生きている実感が湧くし、作品として形が残るし、趣味として結構優秀なのではないかと思っている。

この話は「素人自己満足アルバム3枚を作った話」であり、間違っても「素人DTMを始めてプロデビューした話」ではない。とにかく楽しんで何らかの形になるものを作ったということ。プロにすればゴミみたいな作品群だと思うけれど、自分としては満足しているし、人に聴いてもらうと「すごい、よく作ったね」くらいの評価はもらえている。お世辞かもしれないし、そもそも音楽を作ることってかなりハードルが高く思われているから「作った事自体がすごい」ということかもしれない。

 

バックグラウンド

音楽素養はない。ピアノを習っていたわけでもないし、学生時代ギターをやっていたわけでもない。完全なる素人

ただ、学生時代はいろいろな音楽を聴いていた。CDは最終的に1000枚くらい持っていたのではないかと思う(今は全てパソコンに取り込んで売った)。ジャンルは主に洋楽ロック系が好きだけれど、クラシックから民族音楽から流行りの曲まで分け隔てなく聴いていた。

自分で曲を作ってみたい」とずっと思ってはいたけれど、何をどうすればできるのかがわからなかったので手を付けていなかった。コードとやらを覚えなくてはならないらしいし、パソコンで何らかのソフトを使わなくてはならないらしい。何より、自分の下手くそな歌を録音するのかー。うーん、ハードルが高いな。と思って時が過ぎていった。

 

■初めての曲

きっかけというきっかけは特にない。社会人4年目くらいで、仕事絶望していた時だったと思う。

学生時代の友人の中にいじられキャラの人がいたのだが、突然に「そうだ、あいつの歌を作ろう」と思い付いた。まずはアルバムリリース特設サイトを作った。もちろんそんなサイトは誰も閲覧しない。単なる自己満足であり「おもしろそう」というのが唯一の動機だった。

で、曲を作り始めた。どこからそんな情熱が湧いてきたのか今でも疑問なのだが、とにかくそれっぽい曲を打ち込みで作った。コードなんてわかんないか適当に音を重ねていった。たくさんの曲を聴いていたのでなんとなくの引き出しは豊富だった。作詞作曲編曲全て自分歌謡曲みたいな2分くらいの曲ができあがった。

Windowsであった。製作工程dominomidiを打ち込み、SoundEngineで波形編集audacityミックスと手間のかかる作り方をしていた。全て手探りなのでそのやり方しかからなかった。その歌謡曲みたいな曲はUTAUボーカロイドに歌わせた。1曲作っただけだったが達成感があった。ここまでかかったお金ゼロ円(もともと持ってたパソコン代除く)。

後に引っ越しを期にMacに乗り換えてGarageBandで作るようになる。

 

■本格的にDTMを始める

本格的に、と言っても高い機材を買ったりしたわけではない。継続した趣味としてハマったということであるコスパの良い趣味が好きだ。買ったものは下記(Mac除く)。

マイク 最寄りの電機屋さんで一番安かった2000円のもの

ギター ハードオフジャンク品 2000円くらい

ベース ハードオフジャンク品 2000円くらい

インターフェイス アマゾンで4000円くらい

いまだにこれ以上買っていない。投資額たったの10,000円でかれこれ5年以上遊べている。カラオケ2〜3回分の投資額で数年ものあいだ熱中できるってすごくないか。もちろん、沼にハマるといろいろ欲しくなったりするらしいけど、今のところこれだけでなんとかなっている。

 

アルバム作成

曲作りにおいて苦労した点は特にない。自分が作りたいものを作っているからだ。煮詰まる時とか、アイデアが出てこない時とか、ギター全然上手に弾けない時とか、歌が下手過ぎてがっかりする時とかあるけれど、全てが楽しくて充実した時間である

アルバムと言ってもコンセプトがあるわけではないし、誰に頼まれているわけでもない。10曲くらいできたら1枚にまとめる感じ。アートワークとか歌詞カードも作って、自宅のプリンタ印刷する。空のCDケースとブランクCDを買ってきて、裏ジャケと歌詞カードはめ込みCDを焼けば世界ひとつだけのアルバムの出来上がり。

で、再び趣味として曲を淡々と作って、アルバムを作る、というのを3回繰り返していたらアルバムが3枚できていた。

 

■どんな音楽作ってるの?

もともと洋楽オルタナティブロックが好きということもあってそういうのに寄りがちな作風になってしまう傾向にある。ただ、1曲作り終えると「次は違う感じのを作ろう」と勝手に思っている自分がいる。なので、振り幅は大きいと自分で思っている。最近EDMみたいなのも作った。

自己満足とは言えど、架空の誰かに聴かせるのを前提に作っている姿勢はある。なので、自分なりにこだわっているつもり。1曲の中で飽きさせないことを最大の目標にしている。まーでも結局は自己満足だな。

 

ボーカルの録音

最初のうちはクルマで山奥やイオン駐車場の端っこに出かけて窓を閉め切った車内で録音したり、自宅で布団をかぶって怯えながら録音したり、カラオケで録音したりしていたが、面倒になって昼間の自宅で堂々と声を張り上げて録音するようになった。特に近隣住民から怒られたことはない。

DTMを始めてから明らかに歌が上手になった実感がある。カラオケでも下手くそだったのが、今では高得点が出る。作っている最中自分の声を何百回と聴きながら編集するので、知らぬうちに聴こえの良い歌い方みたいなものを会得したのかもしれない。DTMを始めて自己満足以外の良かったことだ。

 

ギター

DTMを始めると同時にギターを弾き始めた。と言っても、ライブをするわけではないので、特に練習を積み重ねているわけではない。曲を作っている中で「こんなフレーズが欲しい」というのを下手くそなりに弾いて、あとは編集でなんとかしている感じ。なので、いまだに「コードをなんとか押さえられる程度」である。ただ、良く問題となる「F」のコード練習して押さえられるようになった。

ベースも買ったが、録音してみると音の粒が全然揃わないし、タイミングが少しでもずれると散々なことになることがわかったので、打ち込みでやっている。

DTMをやる上で必ずしもギターベース必要ではない。自分も全ての曲にギターを入れているわけではない。

 

曲作りのコツとか

最初暗中模索理論も何もない。例えば「ベースバスドラムはなるべく合わせる」とか「コード」とか「コード進行のルール」とか全くわからずに全て適当にやっていた。最初に作ったものを今聴いてみるととにかくめちゃくちゃ。だけど、そのめちゃくちゃさに味があって、あんものは今は作れないなとも思う。音楽自由だ。恐れるな。

プロミュージシャンインタビューを読んでいると「◯◯みたいな曲をイメージした」とか「この曲の元ネタは◯◯という曲」と言っているのを結構見かける。なので、私たちも「自分の好きな◯◯みたいな曲を作ろう」というスタート地点でいいと思う。

曲作りはいろいろなアプローチの仕方があると思うけど、私は「メロディーから作る」派であるメロディーに各パート伴奏を乗せていく。メロディーを思い付いたはいいけれど、それに合うコード進行がわからないということが結構あって、大変に悔しい。コードメロディーを乗せていく逆のやり方もチャレンジしてみたことがあるけれど、私には無理だった。向き不向きがあるのだと思う。

1曲の中で「ここは◯◯みたいな感じが欲しい」と思い付いたらYouTubeでその曲のその部分を繰り返し聴いて参考にすることがある。それが自分オリジナルになる。ウェブで調べればコードも出てくるので、それを参考にすると思った通りの雰囲気になって「すげぇ」とかなり感心する。それがオリジナルになる。音楽パターンの組み合わせでできたパズルみたいなものだと思う。

そういう経験を重ねていくと「このパターンはこれ」「こう来たら次はこう」とわかってきて捗るようになるし「これじゃありきたりだから別のパターンが欲しい」なんてことも発想できるようになってくる。楽しい。何だこの曲すごいな、という曲に出会うと制作意欲が湧いて楽しい

なんて偉そうに書いてるけど、いまだにコード進行はよくわかっていないし、よく使うリズムパターンも貧弱である。だけど、最初の頃よりはあらゆる点において格段に進歩している実感がある。それらをほんの少しずつでも習得していく過程楽しい

 

歌詞

伝えたいことなんて何もない。ただ、歌モノにしたいので歌詞を書かざるを得ない。「韻を踏む」「陳腐にならない」「メッセージ色が強くなりすぎない」を心がけている。音楽以上に言葉自由だ。好きにやるのが一番。

歌詞がどうしても思いつかない時には、歌詞なしのめちゃくちゃ語で押し通すこともある。最近はいよいよ書くことがなくなってきているのでめちゃくちゃ語が多めになっている。だけど、歌詞を考える時間も好きだ。

 

■まとめ

とりとめのない話になってしまった。まとめるとDTM楽しいってことになると思う。没頭すると1日が余裕で潰れる。1曲が1日で完成することもあるし、半年かかっても納得いかずに悶々とあれこれ試行錯誤することもある。それら全ての時間が愛おしい。沼にハマらない限りコスパも良い。

音楽自由だ。世界ひとつだけの音楽がそこにある。とりあえずやってみようぜ。

2018-09-25

二種類の書店

・「セレクトショップ型(≒サブカルの自宅の本棚)」の書店。⇒自己満足により「自己完結」出来る。

・「世界の雛形(≒地図見取り図)」としての書店。⇒常に不完全で未完成

セレクトショップ型」は客を店主より一段下の「未熟な子供」、「知者(前衛)に先導されるべき衆愚」と見ている。

2018-09-23

全部この暑かった夏のせいにしたい

大学卒業後、ソフトウェアエンジニアとして数年働いてきた。

特にここ数年は、仕事も順調。

休みの日も触れたことのない技術を触ってみたり、知り合いとご飯を食べたり、充実した日々を送っていた。

だが、その糸は唐突にぷつんと切れてしまう。

やる気が出なくなってしまったのだ。

正直、この年齢にしては色々なことをやってきたと思う。

これ以上のないチャンスと幸せを噛み締めて生きてきた。

そうして、いよいよやることがなくなってしまった。

きっと一時的ものだろうと離れてみようと思っていたが、そもそも休日にやることがなかった。

そう、のめりこめる趣味がなかったのだ。

そうこうしているうちに出版社から執筆の依頼が来た。

本でも書けば気がまぎれると思った。休日にやることができたのだから

しかし、本の執筆というのは、人の心を蝕んでしまうことをこのときは知らなかった。

一週間やれば終わるものではない。数ヶ月は心の片隅に本を書くことを置いておく必要があった。

休日せっかく予定が入っても本のことが頭から離れない。

出版社から出る本となると、読んでくれる人のことを想起せざるを得ない。

ようはプレッシャーになるのだ。

プレッシャーは、時に筆を進めるための起爆剤となるが、弱ってる人間に対してはまったくの逆効果だった。

本を書いている間もSNSを眺めて、各々が趣味に打ち込む様子を見てきた。

楽しそう。

そうして、筆を止め、友人と遊びに出かけたこともあった。

友人と遊ぶのは本当に楽しかった。

しかし、この人は、休みの日はこんな楽しそうにしているのかと思うと、自分は友人を楽しませられているのか、なぜこの友人のように過ごせないのかと自分貶めるような思考に至ることもあった。

その友人は人に好かれるので、常に人が周りにいた。

ご飯に誘っても、先に誘いがあるからと断られるようなこともよくあった。

一方自分の周りには、会うたびにすごいと言ってくる人たちはいたが、心から友達と言える存在は数えるほどしかいなかった。

「すごい」という言葉は、相手との距離を取る言葉だ。

「私とは釣り合わないですが、すごくできる方なんですね」と聞こえてくる。疲れる。

それを聞いてしまうと、一緒には過ごせないと思ってしまう。こんな思考から友達も少ないのだろう。

友人はそんなこと気にもせずに自分と関わってくれる。とてもシンプルだ。楽しければそれでいい、と。

話を聞いていてもいつも面白い

自分の知らない世界をたくさん知っていた。お金を払ってでも知り得ないような世界だった。

自分純粋に新しい技術に触れているときは楽しかった。

きっとこれから技術者として、新しい技術に触れたり、とき自分が生み出すのだろうとキラキラしていた。

でも、もうその光は自分からは失われつつある。

ある人に言われた。それは自己満足からだよ。と。

そうして合点がいった。

あぁ、自分がこれまでやってきたことは自己満足だと。

そして自分がほしかったのは承認欲求だったと。

人にちやほやされたかった。

でも、今はそうじゃない。

こんなこと書いてる自分に対して、

「ほんとお前はしょうがないやつだなぁ」「休み付き合ってあげるから楽しいことしようぜ」

といってくれる友達がほしい。

私が誘う側ではなく、誘ってほしい。

新しいところに飛び込んでみたい、でもそんな元気はないのだ。

いや、あのちやほやされている友人が、そんな自分に気づいて、そう言ってほしいんだ。

そうこうしているうちに、技術へのモチベーションを取り戻して、色々触れたいし、還元したい。

この夏は、そういうことを考えさせる程度には暑かった。つらかった。

先の未来に、何かい趣味が見つかるように。

もしこの増田を読んでる方々のまわりにこういう人間がいたら、面倒かもしれないがどうか構ってあげてほしい。

たった一言声をかけてもらえるだけで、きっとその人は報われると思う。

優しくするより厳しく当たるやつのほうが人気が出る問題

どうしたらいいのか?(問題提起がふわっとしすぎだろ…)

原因について考えてみた。

・優しくされるだけではつまらない。

肯定的なことばかり言っている人は本当のことを言っていない気がする(その逆はしんどいだけだが)

自分でなにをしていいかからないので、命令(=指示)する人を欲している

まあ俺なんかは3番目に近いところはあるんだが。

解決案

・見返りが無いささやかな優しさを実行して「別に感謝もなにもされないけど、人に優しくして良かった」という自己満足を得る。

・叱るとこと褒めるところをハッキリさせて、褒めるのと叱るのを上手くなる。

・その腹が立つ人間が怒ったときフォローをしてあげる。

最終目標は、見返りを求めない優しさを身につけることではないだろうか。

anond:20180923135833

DTMだな。買ったのは安いマイクジャンク品のギターくらい。全部フリーソフトアルバム3枚作ったぞ。1枚ごとに上達していくのがわかる。ギター全然弾けなかったのがコードくらいは弾けるようになった。自己満足から売ったりはせずに古くからの知り合いに配った。

2018-09-22

もやっとする。

書かないよりは書いたほうがぐっと気が楽になる。それは間違いない。

イラッとしたコメントを見たとき脊髄反射的に言い返したほうが楽になるだろう。その後で言い過ぎたらゴメンといおう。っていうか、100%言いすぎている。

でも、頭のなかがぐるぐるして、言葉にできなかったりして、結局はだいたい黙り込んでしまうのだ。

こうして書くのも、せめて少しでも自分の気を晴らしたいという自己満足のためであるメモ帳に書いてろ、な!

お目汚し失礼しました。

2018-09-20

anond:20180920092454

俺も似たような感じだな

他人評価依存しない生活は楽だよな

とことん自己満足だけ追求してればいいから気楽だよ

褒められたところで真に受けるほど単純にはできてないし

2018-09-16

anond:20180906191633

記事書いた者です。

ぶっちゃけアイマスもそうだし課金する系の音ゲーって最近増えてるし似たような事案多いと思うので書いたんですけど、所詮個人的事象しか見られてないのは、アレですね。やっぱりアイマスプロデューサーさん(笑)所詮課金が全てという事ですね。課金額が足りなければP名乗る資格がないというのが常識なのですね。よく分かりました。引退して正解でした。

どうぞ、お金の積み合いで他人マウント取ってそのちゃっちいプライドを満たしててください。所詮自己満足だっていう事に気付いてないのが本当に滑稽です。

あと、なんか特定しようとしてる人がいるみたいですけど到底的外れなところにいますのでどうか赤の他人にご迷惑はかけられないようご忠告申し上げます

年代舞台オタクを見てると辛くなってくる

私はそれなりの企業で昇進もしているし、婚約中の彼氏もいる。その傍らで全力でオタクをしている。どちらの人生も楽しんでいて他にも趣味がたくさんあるから、なにかを失っても割と継続的に楽しく生きていけると思う。今死んでも、何十年後に死んでも、後悔しない生き方をしたいと思っている。

これはマウンティングなんだろうか?オタクとしての自分への自己投影なんだろうか?なんだかわからないけど、同年代オタクを見ると最近悲しくなる。

恋愛経験皆無、もしくは少ないであろう女性たちが、推しのグッズを作ったり推しの色を身に纏って着飾って、生活を削ってまで舞台イベントに足を運んでいる様子を見てるとなんともいえない感情になる。今まで平面だったキャラクターが同じ次元で生きている。お金を払えば会いに行ける。こちらを見てくれる。その行為自己満足ながらもとても楽しいことなのはわかる。

でも、キャラクターへの投資が報われることはない。それがなにかしらの形で自己投資へ形を変えると話は別だが、基本的に残るのは一時的な楽しかった記憶だけだ。

人それぞれ幸せの形は違う。そして私は彼女たちの内面や行動の全てを理解できているわけではない。だから正しい判断ではないかもしれないけど、彼女たちはとても儚く、刹那的存在に見える。決して何かが報われるわけでもなく、没頭できる目の前の楽しみを失ったら、その先に何があるんだろう。

そもそも、生きることに意味なんてないかもしれないけどさ。

2018-09-15

「なんで自分を産んだの?」に対する最も論理的回答

あなたに、もし子どもがいたとして、「なんで自分を産んだの?」と聞かれたら、どう答えるべきなのだろうか......

『そんなことを言われる時点で親失格だ、愛情不足』とか『自分には子どもはいないし、今後も作る気ない』

っていう人もいるだろうが、そのご意見は今回のテーマに沿わないので置いておいてほしい。

とにかく、子どもがいると仮定して考えたときに、論理的回答は導きだせるのか?

想定される回答

パターン1「産みたかたから産んだ」→自己満足のため?

パターン2「コウノトリが運んできた」→一定の年齢に達すると使えなくなってしまう。全年齢対象の回答が望ましい。

パターン3「あなた(自分の子ども)のためだよ」→詭弁しか聞こえない、っていうかパラドックスを感じるのは私だけ?

パターン4「理由なんてなかった。結婚して産むのが当然だった」→時代背景も鑑みて、これはありそうな予感

パターン5「セックスしたらできた。できたから産んだ」→実情はこうだったという人も一定数いるはず。中絶しない合理的理由は考えやすい。(例えば、殺したくない...などなど)

でも、なんだかんだいって、子どもを産み育てるのは、結局のところ親のエゴだって思ってしまうのは私だけなのだろうか?(それと同時に社会全体のエゴだとも思う)

話を元に戻して、

タイトルにある通り「論理的回答」を考えたいと思う。

即ち、パターン5の「セックスしてできたから産んだ」は子どもに対する答えとして感情的には最も不適切ではあると思うが、論理的には最も正しいと感じる。

で、突き詰めると「エゴである」以上の答えって果たして論理的なのだろうか??とさえ思ってしまう。

皆さんはどうお考えだろうか?

2018-09-14

anond:20180914010739

そうだね。でも

正義については、盲信や自己満足可能性、

公益性を考えるのも「ヒーロー願望」と言い換えると浅ましくなるよね。

逆に男の正義公益性を考えた行動も

女側から見たら、上記のように見えてるんじゃないかって感じてるよ。

言ってみれば、感性が違うから正しいと思ってることも

性別が違うと異なるんだろうなあ

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