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はてなキーワード: 博士号とは

2019-01-18

学際分野を専攻することのむずかしさ

学際分野ということばが日本で広まってすでに半世紀近くが経過しようとしている。学際分野を学ぶ学部大学院も多数つくられ、そこから多くの人が卒業していっている。しかし、学際分野の学部を出て大学院も学際分野で博士号を取得して大学ポストを得ようとする場合、大きな困難があらわれる。それは、大学公募では例えば計量経済学とか特定の分野の専門科目を教える力がある人を求めていることに由来する。計量経済学の分野で公募をすると仮定しよう。そうして数十人の応募者があり、履歴書などをもとに選考をおこなう。この段階で計量経済学の分野で論文数が多い応募者が残ることになる。学際分野出身の応募者で計量経済学の分野で4編、社会経済学の分野で4編で計8編の論文業績がある応募者より、計量経済学の分野で7編、他の分野の論文は0編で計7編の業績がある応募者の方が残ることになる。以上のことを踏まえると、大学ポストを目指す学生が専攻を決める際、学際分野を専攻するのはかなりリスクの高い選択をすることになる。

2018-12-29

仕事を探しています 29歳 韓国大学Ph.D取得予定 電気

お疲れ様です。

東京仕事をしたいです。どのように探せばいいか教授ください。

はてなーの知恵を貸してください。

日本仕事してたとき記事こちら

私はこんな人

年齢:29歳 (2018年12月29日現在)

専攻:電気工学

経歴:2014年3月 日本大学院修士を取得

   2014年4月 日本電気メーカー入社

   2016年2月 退職

   2016年3月 韓国大学院博士課程に入学

   2020年2月 博士号取得&卒業見込み

どこにいるの:韓国(2018/12/29現在)

できること

蓄電池電気自動車を使った電力需給の調整アルゴリズムシステム理論構築、理論実装

・電力の需要予測

スマートメーター変電所等で得られる電力量データの解析、傾向分析問題提起

教科書にあるような電気工学知識

英語toeicスコアは2年前で860だか880くらい)

matlab

典型的日本大手電気メーカーの働き方に対する理解

海外を含めた断続的な出張

できないこと

Python, C++, Java, Ruby

韓国

電気主任技術者の資格なし

教育実績なし

長時間労働(月残業は多くて50時間まで)

希望

・勤務地が東京

本人コメント

・出来ないこと書いてたらいくらでも書けるからやめました。

リクナビネクストとかのサイトで中途で仕事を探せばいいかと思いました。

 しかし、学歴が見込みだと入れられない問題

・もし仕事が見つからなかったら以前勤めていた会社にまた入れて下さいと

 お願いしに行きます(できれば避けたい)

・どのようなCVの書き方が効果的かご存知の方、参考リンクを頂けると嬉しいです

2018-12-27

旦那仕事理解できない

ウチの旦那プログラマなんだけど、何をやっているのか理解できない。

私もプログラミングが全くできない訳じゃない(けどプログラマではないけど)ので、余計に何をやっているのか分からない。

職場でのスキル評価はなんか天元突破してるらしいし、旦那が難しい分野を今でもまだCで頑張っているってことはわかる。

でも、具体的にどこがどう難しいのかとか分かんないし、旦那もあまり仕事の話はしない。

私はハードのことが考えられるほどのスキルは無いし、一方の旦那メモリとかCPUの使い方をバリバリチューニングしてるみたいだし、なんか同じ「プログラミング」って括りでもレベルが違いすぎてびっくりする。

もっと理解できたらいいなぁとは思うんだけど、それができたら情報博士号は取れそうなくらいのレベルだろうし、やっぱり分からないんだろうなと思うとちょっとだけ寂しい。

2018-12-25

anond:20181225003848

官僚ってやっぱり博士号などの学位より、あくま大学名にコンプ感じるものなのか

国際化というなら専門の学位持ちも増えて欲しいところだが

2018-12-16

anond:20181216121643

そもそも博士号持ちがそうでないひとより、自分の専門分野について「平均的に」優秀であるというのと

ある特定の一人の博士号持ちが実際どうなのかってのは別の話。

順天堂が変な形で持ち出して叩かれてるパーソナリティ心理学話題にもちかよるけど

専門分野云々についても、研究能力のものについても言えるけど。

博士云々に限ったことではなく、ある属性だと優秀な傾向にあるから、ってのは全員がそうだと言いたいわけではないし、

一人の反例を持ち出せば全否定できるわけでもないと思う。

anond:20181216115205

〇〇省のお役人博士号持ちになると大学所属研究者利害関係が一致してやりやすくなるなんて幻想。逆に知恵がついて研究者の方々がやり難くなるかもよ。

2018-12-08

史学科のゼミとか卒論とかって何やってるの

数学科事情、すごく興味深く読んだ。

「数学の修得には時間がかかる」ことの概説 - Unhappy Go Lucky!

ただ、文系学部の「研究」や「卒業論文」の位置づけとかについて、過大評価していただいているような気がしなくもない。日本語とは縁遠い言語を話す地域を専門とする史学科卒の人間として、「ゼミ」や「卒論」の位置づけについて語ってみたい。

ゼミで何をやっているか

いやこれは本当に分野によるのだが、「研究」というよりも「勉強」をやっているところが多い。歴史学というのはまず史料に何が書かれているかを正確に読み解く必要があるのだが、その読み方を徹底的に叩き込まれる。場合によっては修士課程でもこれが続く。もしくは、研究文献の読み方を叩き込まれる。そもそも2・3年前まで高校生だった連中である文系研究書をどのように読むべきかよくわかっていない人も多いし、英語の本を通読なんてしたことないですという人がほとんどだろう。レベルの高い大学なら外国語文献の購読をし(何語なのかは研究分野や参加者による)、あまりレベルの高くない大学なら日本語の本・論文の読み方をゼミで躾けられる。

(「史料」ってのは要するに「昔の人が書き残したこと」。王様勅令だったりお役所行政文書だったりインテリの書いた思想書だったり過激派の撒いたアジビラだったり新聞記事だったり、色々である公文書館に行って実物を見てくる場合もあれば、別の学者がまとめて印刷出版してくれたものを参照する場合もある)

何で学部の段階からゼミに分かれるか、というと、「歴史学とは何か」「史料批判とは何か」みたいな概念方法レベルの話や、「いやしくも歴史学を学ぶ者として最低限踏まえておくべき各地域・各時代の基礎知識」みたいなのを除けば、分野ごとに身につけるべきスキル全然違うので。江戸時代歴史なら江戸時代古文書明治期の歴史なら明治期の文書中国史なら漢文イギリス史なら当然英語古文書……を読まないといけない。イギリスについて研究したい学生日本古文書の読み解き方を勉強しても時間無駄だろう。逆もまた然り。

ぶっちゃけ、「卒業論文」に大したオリジナリティはない

慌てて言えば分野による。

社会調査とかする分野で、自分なりにアンケート調査してみた、とかそういう論文なら、どれだけ拙かろうがオリジナリティはあるだろう。あるいは歴史学でも、オリジナル史料を発掘することが可能な分野ならオリジナリティは出る。

ただやっぱり、学部4年の段階で大層な「オリジナリティ」は出てこない。そもそも外国史の場合史料の読解すら教員の手助けを得てようやく、という人が多い。歴史学では一次史料が重視されるが、私の分野では卒業論文で一次史料を使った時点で優秀な学生の部類に入るだろうなと思う。二次文献、つまり他の研究書や論文をまとめて長いレポート(うちの大学では3万2,000字が下限だったかな)を書けたらOK、という運用をしている大学も多いのではないか。まとめるのにもオリジナリティは出るしね、という苦しい理屈だしそんなの査読つき学会誌に「論文」として発表できるレベルではないが、学会誌に「論文」として出せるレベルのもの要求していると4年では足りないわけで、多くの史学科の学生修士論文で初めて学会誌投稿できるレベルのもの要求されることになる。

何度も言うようにこれは分野による。地味に重要なのが、「その言語大学第二外国語として開講されているか、あるいは教養科目で講義が受けられるか」という点。朝鮮史ドイツ史やフランス史場合韓国語ドイツ語やフランス語文系学部ならたいていは必修の第二外国語として教えられていることが多いので、卒論でも韓国語ドイツフランス語論文は読めて当然だよなあ? というハードモードになることもある。中国史なら「高校から漢文やってるんだしゼミでも読んでるんだから卒論でもちゃん漢文史料は読めるよね? 現代中国語論文も読んでね」ということになるだろう。英語? そんなの読めて当然でしょ? 第二外国語ではなくとも、たとえばトルコ語アラビア語なら多少気の利いた大学なら教養科目とかで開講されているから、イスラーム史やりたいなら学部1年のうちから履修しといてね、という話になると思う。逆に、マイナー外国語必要な分野だと、せめて英語の本くらいは読んどいてね、くらいにまでハードルは下がる。アイスランド史を勉強したいです! と言われても、日本アイスランド語の授業がある大学がいったいいくつあるのか……という話になるわけで。まあ東大の某ゼミではゲエズ語購読とかやってたらしいですけどね。雲の上の世界すぎてまったく想像もつかない。

なので、大学に入った段階で既にどの分野に進むのかなんとはなしの道筋がついていないと厳しい。第二外国語韓国語選択して、やっぱり私ドイツ史がやりたい! というのは不可能ではないが難しい。第二外国語選びの段階である程度進路が決まってしまう、というのが史学科の特徴だ(まあ、英文学科とかは、学科選びの段階で専門地域が決まってしまうわけだが……)。イスラーム史やるなら第二外国語フランス語にしないとね。そんなのついこないだまで高校生だった連中にわかるか! もちろんこれは大学による。西洋史に進学した者にはドイツ語とフランス語双方の習得義務付ける大学もあるそうである。これならヨーロッパのたいていの地域対応できるね! 史学語学と言われる所以だ。

あとは西洋以外の地域だと、「史料に書かれている言語」と「論文に使われている言語」が違うことが結構あって、何でかといえば近代以降に西洋諸国植民地支配されていたりすると「オランダ人研究者がオランダ語で書いたインドネシア史についての先行研究」みたいなのがたくさんあるので。つまりいくらインドネシア語やアラビア語が堪能でもそれだけでは片手落ちで、オランダ語フランス語ができないと先行研究が読めないので勉強せざるを得ない(付け加えるなら、植民地支配されてたということは、お役所では宗主国言語が使われていたり宗主国のお役所植民地統治担当する部局があったりしたわけで、それらの史料は当然宗主国言語で書かれている)。さら前近代史だと、「昔使われていた言語」と「現在使われている言語」が異なっていることが多く、典型的には古文とかラテン語とかである現代日本語論文はスラスラ読めても古典日本語チンプンカンプンという人も多かろう。前近代西洋征服王朝なんかだと大変で、現地語+支配階級言語植民地支配してたヨーロッパ言語、をやらなければいけなかったりする(アラビア語オスマン語+フランス語、みたいな感じ)。いやー、西洋現代史はヌルゲーの領域っすわ……その国の言語ができれば用足りるからなぁ。現地に行けばネイティブスピーカーいるか勉強簡単だし(アッカド語みたいなネイティブがいない言語習得してる人ほんと尊敬する)。もちろんここで少数民族とか国際関係史とかに興味を持ってしまうと語学沼に引きずり込まれるわけだが。イギリス史なら英語だけでいいだろうと思っていたらうっかりウェールズに興味を持ってしまウェールズ語を勉強することになりました、とか、ドイツ語だけで通そうと思っていたら枢軸国外交に興味を持ってしまったせいでイタリア語も読んでます、みたいな。とはいえこれらは院に進学してからの話(あるいは院への進学を希望する学部生の話)だ。院に進学しない学生卒論レベルなら日本語英語or中国語でじゅうぶん、という運用大学ほとんどだと思う。

ヨーロッパ植民地についてしか述べていないのは、日本植民地場合宗主国言語習得する困難はほぼ存在しないからであって、日本植民地支配をしていなかったと言いたいわけではないので念の為。もちろんこれは日本語母語話者である学生の話で、韓国台湾学生あるいはそれらの国から留学生植民地時代自国史を勉強しようと思ったら日本語を読まなければいけないわけであり、なんというか申し訳ない)

でもまあ、卒論書くのは大事ですよ。たとえそれがレポートに毛の生えたレベルのものであっても、院に行かない学生にとっては専門家指導されしっかりと文献を読み込んだ上でこんな長文を書かされる機会はこの先の人生でなかなかないし、それを経験するというのが大学に行く意味だと思う。院に行く学生にとってはもっと長い修論博論書くんだから当然このくらい書けなきゃ話にならんわけで。

院に進んだら何やるの

留学します。

これも分野によるのだけれど、たいていどっかに留学する。中国史なら中国台湾フランス史ならフランス、みたいに。留学先で大学ゼミに参加したり史料を集めたり現地の専門家指導を受けたり、あるいは分野によっては語学勉強をしたりする。もちろん複数国に留学してもいいし、研究対象国以外に留学することもありえる。アフリカ史を研究するためにポルトガル留学した人がいたり(イエズス会士が書いたものを読みたかったらしい)。で、帰国してから博論を書く(たまに留学先でそのままPh.D獲っちゃう人もいる)。

上述のような事情があるので、歴史学を専攻している人はたいてい4年以上博士課程に在籍する。ちゃんとした大学で3年で博士号獲るのは一部のバケモノだけです。たまにいるんだよそういうバケモノが。日本史なら楽勝かというとそういうわけではなく普通に4年以上かかってることが多い。留学期間とかもあるので、博士課程の先輩に学年を聞いても即答できないことが多いから気をつけよう。29歳でドクター? 夢物語かな? まあ本当に文系大学院なんて資産の子供か養ってくれる配偶者持ちか自殺志願者以外は来ない方がいいです。男性歴史学者が書いた研究書のあとがき奥さんへの謝辞が書いてある場合、もちろん本当に純粋感謝の念であることも多かろうがけっこうな確率で一時期ヒモ生活を送っていたことへの感謝だったりする。奥さん実家でチクチクとイヤミを言われた経験を聞かせてくれた教授もいらっしゃる。これ有名大学の教授様になれたから笑って話せるだけで、なれなかったら悲惨だよな……。まあでも、研究者の不遇っぷりは文理問わないか

2018-11-08

anond:20181108002853

批判的思考力の養成って普通に高校でもさせられたし、博士号持ちという狭い世界だけの問題とも思えないなあと

2018-11-06

anond:20181106070643

こういう根拠レス素人学者みたいなのが公の場で沸いてくるようになったのはネット弊害だよな。

学問を語るならまず博士号とろうな

2018-11-05

ポスドクぼく将、自分の興味ある分野で博士号を取っておいてよかったと外部の院に行くことを決めたB4とき自分に超絶感謝

2018-10-25

anond:20181025111819

え、博士課程の院生普通博士号持ってなくて、これからとるってものじゃないの?

院生の時点で独立した研究者であることが求められるって言うなら、

その博士号のない段階で独立した研究者って意味かと読んだんだけど

2018-10-18

本当は研究者になりたい

本当は研究者になりたい.色々と理由をつけて目的からずれているだけなんじゃないかと思う.

生い立ちを書くと地方私大にかよってコンピュータサイエンスを専攻して卒論では自然言語処理で書いた.一応努力賞には表彰された.

でもレベルは本当に応用しただけでオリジナリティーは無い.

元々大学院に進学するつもりで,二つの院を受けて二つの院とも落ちた.

それでも諦められずに今年大学院を受けて受かった.

それなのに入学金と授業料(授業料バイトして稼ぐつもり)を親に借りるのが申し訳なくて就活して就職するつもりだ,ったのだが

今更になってやはり大学院にいってちゃんと基礎を学んで研究して,ちゃんとした論文を書けるようになりたいという思いが強くなった.

研究者になりたい,研究者になりたい,研究者になりたい.僕にはそれしか無いのだと思う.恋愛にも興味は無いし研究しか生きがいは無い.

奨学金を借りて,入学金の10万だけ親に借りて行くのが正解だろう.バイトしながら行けとか厳しいコメントでもいいので背中を押して欲しい.

修士号をとって博士号をとって機械学習統計学理論的な研究をしたい.数学死ぬ気でやるつもりだ.

就活なんてしてる場合じゃなくてバイトして少しでも大学院お金を稼ぐべきなのかも知れない.

キャリアも大変な事は分かってるでもそれでも挑戦したい.朝起きても寝ても研究したいということしかない.

企業に入りながらと考えたけどやはりそれは違うと思った.いま合格しているのに挑戦しないのは単なるバカなんじゃないかと.

どうか厳しいコメントを待っている.

2018-10-14

[][] (仮題)第3話

(執筆途中の作品であり、今後内容を変更する予定です)

高田

雙葉学園は、フランスサンモール修道会の会員が1875年に設立した築地語学校を祖とする、私立学校法人である

雙葉学園はその長い伝統において、「徳においては純真に、義務においては堅実に」という校訓のもと、幼稚園から高等学校にわたる一貫したカトリック教育を行ってきたが、雙葉女学院大学設立により、さらに4年間の大学過程をふくむ一貫教育が行われることになった。

というのも、雙葉中学校・高等学校は、東京大学をはじめとするいわゆる旧帝国大学や、慶應義塾大学などの難関私立大学合格者を多数輩出し、全国有数の進学校と呼ばれるようになっていたが、多数の生徒父兄が、単なる学力の追及ではなく、カトリック教育さらなる徹底を望んでいたこと、卒業生の多くがカトリックの信仰を保持していない現実を嘆くサンモール修道会の強い推薦により、2002年に大学過程を行う教育機関の設立が決議されたのである。その後、文部科学省の認可を受け、雙葉高等女学校設立からちょうど100年となる2009年、開校に至った。

私が雙葉高校卒業したとき、もしこの大学があったら、このエスカレーターに乗っていだろうか。キーボードを叩く手が止まり、ふと自分過去を反芻した。

中学受験成功し、晴れて雙葉の門を潜ることはできたものの、入学後は成績が低迷し、人生の目的も見出せないまま、あるいは、先生がたがおっしゃっていた、神に与えられた使命を感じることもなく、特に受験勉強もせずになんとなく大学受験をした私は、願書を出した中で最も無名な、平凡な私立大学に行くこととなった。

パッとしない4年間の大学生活の間、やはり人生に意義を見出せず、大学卒業後は、飲食店塾講師などのアルバイト転々としたのち、25歳で、あるカリスマ英語学者執筆アシスタントとして雇われることになった。

受験生向けから社会人のやり直し英語のための参考書まで、様々な英語関連書籍を多数執筆し、そのほとんどすべてがベストセラー、2005年から教育テレビでレギュラー番組放送されている、クリストファー・トンプソン、その人である

誰もが認めるカリスマ英語学者アシスタントベストセラー約束された数々の出版物編集作業。やっと使命が見つかったかに思えた。

が、それもつかの間のことだった。

最初の数ヶ月で気づいたことは、クリス・トンプソン執筆作業ほとんど全てを、彼の『アシスタント』に任せているということだった。それでも、はじめのうちは、英語学者である彼の理論専門家でない一般大衆向けに落とし込むのに、アシスタントが最大限の貢献をしているのだろうと好意的に考えていた。

働き始めて半年が経った頃、主力の『アシスタント』が結婚出産を機に退職することになり、私がその立場を引き継がなければならないとなったとき彼女から真相が告げられた。カリスマ英語学者クリス・トンプソンは、自分ではなんの理論も持っておらず、彼の博士号はディプロマミルから得られたもので、彼のアイデアと言われるものはすべて、彼女作品だったのだ。

『徳においては純真に。』私は、彼が世間を欺き続けるのを手助けすることはできなかった。

代わりの職を求めた私はその後、27歳にして都内にある無名私立高校英語教師として採用された。

須藤智くんとの出会いは、私がその学校で働き始めて3年目のことだった。

高校といえば雙葉高校しか知らなかった私は、おそらく世間では平均的であろう、学習意欲のない生徒たちを前に、教師として戸惑っていた。そんなとき入学してきた須藤くんは、『教え子』と——おこがましいが——呼びたくなるような、優秀で向上心の高い、私の初めての生徒だった。

彼はすべての科目の定期試験で満点を取り、全国模試では偏差値が80を超えていたので、瞬く間に教職員あいだで評判になった。

彼の非凡な才能は、主に自然科学理解に向けられているようであったが、彼の言語に対する洞察も、単に受験勉強ができるというレベルを超えているように思われた。

それは、彼が二年次に進級し、私の授業を受けることがなくなった新学期のことである。珍しく残業もなく、夕方6時に山手線新大久保駅で帰りの電車を待っていた私の元に、彼が歩み寄ってきた。

自然言語構成する元素を見つけました」

突然そう告げた彼は、意表を突かれてうろたえる私の返事を待つことなく、ノートを広げ、彼の発見説明し始めた。

私は彼の理論を即座に理解することができた。なぜなら、中性子陽子原子核電子といった、化学アナロジーを用いているものの、それらの用語を適宜『主要部、内項、外項、句、付加部』という言語学の用語に置き換えれば、それは現代言語学の父、ノーム・チョムスキーが1970年に発表した、エックスバー理論のものだったかである

彼はきっとエックスバー理論をどこかで読んだのだろう、そしてそれを、自分の慣れ親しんでいる化学アナロジー理解したのだろう、と私は考えた。

しかし、彼は、これは紛れもなく自分でたどり着いた理論で、とっかかりになったのは、クリス・トンプソンの『60億人の英文法』にある「日本人名詞が主でそれに冠詞がくっつくと考えがちだが、冠詞がまずあって、そこに名詞がくっつくというのがネイティブ感覚だ。」という記述だと言う。

ともかく、私は彼の話を信じた。そして、彼が自分発見を教えてくれたお返しに、私も自分の『発見』を彼に打ち明けた。こうして彼は、クリス・トンプソン秘密を知る、部外者第一号となるのであった。

秘密を共有した私たちは、ときどきメールを交換する仲になった。話題は主に、言語学。彼は初め、原子力工学の話をしたがったが、私がついていけないということに気づくと、言語学を中心に、私が理解できる話題を選んでしてくれるようになったのだ。これは私にとって、10年遅れて訪れた青春の一ページだったが、彼にとってはたぶん、相手先生から、気を使って付き合ってくれていただけだったのかもしれない。

私は一度、言語学の道に進みたくはないか、と彼に尋ねたことがある。彼がチョムスキーほどの天才かどうかはともかく、才能があることは間違いない。しかし、彼は原子力工学をやるといって譲らず、ワシントンにあるベルビュー工科大学を単願し、同校に進んだ。なぜマサチューセッツ工科大学や、スタンフォード大学を目指さなかったのだろう、あるいは、ワシントンならなぜ同州トップワシントン大学に行かなかったのだろう、願書くらい出しておけばよかったのに、と当時も思ったが、きっと彼なりの理由があったのだろう。

メールのやり取りは彼が高校卒業した後もしばらく続いたが、彼が希望通りベルビュー工科大学に進学すると、須藤智という天才を失ってただの無名私立高校に戻ったその場所で、張り合いのない授業を続ける私が、なんだか取り残されたように思えて、劣等感からメールを送るのが億劫になって、やめてしまった。

須藤くんとのメールをやめた私は、高校教師仕事もやめた。また人生に迷ってしまったと思った私は、以前のように求人情報をチェックしたり、履歴書作成したりする気もなくなって、目白アパートに引きこもった。

そんな張り合いのない生活を続けるうち、あるとき新聞広告欄に、雙葉学園が、大学新設にあたり職員を求めているという求人情報が載っているのが目に留まった。行き場を失った私は、まるで蜂が巣に戻るように、こうして古巣に戻ることになった。

はいま、雙葉女学院大学国際交流課で、4年ぶりに須藤くんへのメールを書いている。雙葉女学院日本大学として初めて、ツー・プラス・ツーのダブル・ディグリー協定海外大と結ぶことになったのだが、なんの因果か、その協定第一号が、ベルビュー工科大学だったのである。そして、私が留学カウンセリング担当した学生が、第1期生として派遣されることになったのだ。

彼女聡明女性だが、単独海外に行った経験はないと言う。現地に信頼できる知人がいれば、少しくらい世話を焼いてもらってもばちは当たらないだろう。

2018-10-13

anond:20181013211413

大学院博士後期課程で博士号をとれなかったら研究者としての資質が問われる

そもそも博士卒ってなに

大学院は修了するのであって卒業するのではない!!

とかよく言われたし

だいたい大学院を出るという形以外で博士持ってる人とかいるけど

じゃあ博士卒ってどういう意味なんだろう

単に博士号もってる以外の何らかの意味合いがあるってことなんだろうか?

anond:20181013205228

アメリカ博士号持ってれば年収2000万円が普通だっていうのがソース無いってだけの話だよ

anond:20181013204135

https://www.vision-net.co.jp/morebiz/phd_global/

アメリカでの博士号取得者の平均年収

同調査によると、博士号取得者の年収は、学術機関で6万ドル(約680万円)、民間企業10ドル(約1,130万円)、行政機関8万5,000ドル(約960万円)です。

中央値分布がわからないけど「普通」とは言えないんじゃない?

もちろん「普通」の定義によるけどね笑

2018-10-12

anond:20181010122823

本論と直接関係ないのですが、「情報系では」は主語(subject)ではありません。dlitさん言語学者なので、そこはご専門を尊重しましょう…ただ、主題(topic)ではあるかもしれません。

by 自然言語処理分野の博士号取得者。

2018-10-11

日本臨床心理学における査読論文価値

anond:20181009215657

心理学について書こうと思ったら、お一人書いてくださった方がいたので、そこで「特殊」とされていた臨床心理学について書きます

臨床心理学系の大学院博士号を取って、現在大学で臨床と研究をしています

論文事情を書こうと思ったら、背景にある臨床心理学事情になりました…。そして「日本の」と書いたのは、日本の固有の事情もあるためです。

はじめに

臨床心理学における研究は、おおよそ以下の3つに分けられます

 1:ブコメであったような、症例報告から始まってランダム対照試験まで行くという医学疫学的な研究

 2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究

 3:その他の調査研究ちょっと大雑把ですがゆるしてください、そして私のメインはここです)

少々雑な括りで、中間位置する方や例外もままいることを踏まえ、あくまでも概要を述べているということを踏まえたうえでお付き合いください。

論文事情

https://anond.hatelabo.jp/20181009215657 では心理学論文事情として以下の順序を挙げていらっしゃいました、

 査読付き英語論文>>>>査読日本論文>>査読なし日本論文(いわゆる紀要査読有り紀要も含む)

これは、1と3を自分研究領域にしている臨床心理学者にもほぼそのまま当てはまりますし、海外でも同様です。

そのため、競争が激しい業界院生さんだと、Predatory Journalに投稿しているケースも残念ながら見ます

特殊なのは、「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」を中心としている人たちです。

この方々の多く(全員ではありません)は、場合によっては「論文」というものを軽視すらしていますし、査読論文の数も非常に少ないです(大学に勤めている以上、建前で「論文書かないとね」と言ったりはしますが)。

これは分野外の人からはよく見えないため(もちろん業績調べればわかります)、中々ややこしい問題です。

私の観測範囲ですが、下手にこういう人たちが多い大学就職しようとしたり、あるいは就職してしまったりすると、論文業績が多い人はかえって冷めた目で見られたりすることすらあります

このような信じられない断絶が臨床心理学の中にあるので、業界からはわかりにくいのです。

ちなみに「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」の人たちの業績に対する意識は人文系に近く、私も完全にはよくわかりません。ただ少なくとも、英語査読論文を無条件でありがたがったりはしません。

しろ”深みのある”事例研究理論検討が尊ばれ、そうしたものに特化した特定学術雑誌論文や、あるいは書籍などを重視する印象です。

業界事情(長いです)

なぜ学問を行う場である筈の大学において、こんな断絶が起こるのでしょうか。

つの要因は単純に「世代」です(繰り返しますが大雑把な区切りです)。

世代によって何が違うかというと「臨床心理学に対する考え方」が違います

もっと具体的には「エビデンスを重視するか否か」の違いです。

エビデンスを重視しないなんてバカ?」と思う方も多いと思います

私も7割同意しますが、これにはこれで事情があります

先ほど書きましたが、2の人たちが重視するのは事例研究です。

https://anond.hatelabo.jp/20181009215657 には、「事例研究には物語以上の価値はないのでは」とありました。

「そう見えるのは仕方ないだろうな」と思う気持ちと「物語価値過小評価しすぎですよ」という両方の気持ちを抱きます

なぜかと言えば、「クライエントの人生」を理解しようとすれば、どうしても「物語」というフレーム必要になるからです。

古典的な臨床家(心理療法をやる人)は、クライエントの人生全体を見ます

クライエントが訴える問題(やる気が出ないとか、落ち込むとか)を全てと考えるのでなく、むしろ人生における氷山の一角と捉えます

そして、クライエントの人生をそのものを見つめ、その人がより良く人生を歩んでいけるよう、どうにかこうにか支援をしていくわけです。

(「大きなお世話」「思いあがるな」と思われる方もいるでしょうし、下手すると実際にクライエントにとっても大きなお世話になります

その人の知能や症状の程度、パーソナリティなどを数値化して客観的に捉えることは心理学の得意技ですが、それでその人の人生全ては捉え切れません。

人生というものを捉えようとした時、どうしても物語必要になります

もちろん、物語ですから完全に同じ事象再現されることはまずありません。そのため、厳密な「エビデンス」はそこから得ることはできません。

ですが、だからといって物語意味がないわけでもありません。

物語から自分は何も学んだ覚えはない」という人がいたら、それは物語意味がないのではなく、恐らくその人に学習能力がないためです。

物語を蓄積していくことで、我々は人間に対する理解をより深いものにしていくことができます

そのため、日本臨床心理学者は「エビデンスなんかいらない」というよりも、「物語を蓄積してくしか、やりようがない」と思っていた部分もあると思います

またもう少しフォローしますと、単に物語を乱立させるのでなく、蓄積された様々な「物語」を体系づける理論の構築自体は脈々と行われてきました。

それが、「2」の後ろ半分「それを踏まえた臨床論的研究」です。

フロイト精神分析なんかは、今でも理論精緻化され続けていて、それはそれで読むと非常に面白いですし、人間理解に大いに役立ちます

というわけで昔の臨床心理学は、多分に人文的というかアート的な学問領域でした。学んでみると非常に面白いのですが学問としての欠点もたくさんあります

最たる点が、多くの方が既に感じていらっしゃる通り、物語性を重視するあまり客観性エビデンスをあまりに軽んじてしまたことです。

 ◆

しか1990年代の後半頃でしょうか、「認知行動療法」と「エビデンス重視」の立場が、アメリカから日本へ本格的にやってきました。

心理療法の一つである認知行動療法エビデンスを非常に重視します。

例えば「うつ病」ならば、患者抑うつの程度を測定し、「認知行動療法を行うと抑うつの程度が有意に下がる!」みたいな研究バンバンやるわけです。

当時の学会の様子は今でも覚えていますエビデンス重視の方々は「それエビデンスあるんですか?」と、どこかの誰かのようなセリフを旧来の臨床心理学者に容赦なく投げつけ、大変気まずい空気を作り出していました。(別に悪いことではないですが)

残念ながら旧来の臨床心理学者はそれに真っ向から反論することができません。なぜなら、実際の所エビデンスは無いからです。

ただし、客観的エビデンスが求められる研究では、「客観的に扱える要素」しか扱うことができません。

そういう「客観性」では捉え切れない人間の心を探求していったのが、これまでの臨床心理学だったはずです。

ですから多くの人にとって、「エビデンス」というものが極めて底の浅いものに見えたという部分もあると思います

実際私もそう感じる部分はありました。確かにエビデンス大事だけど、余りに機械的人間の心を扱いすぎていないか?と。

それって、本当に臨床心理学が目指していたことだっけ?

とはいえ、旧来の臨床心理学者がその文学性に浸りすぎ、客観性過小評価していたのは間違いないと思います

エビデンスに対して「人生の深みをわかっていない」「客観性が全てではない」と言っても、インチキしか聞こえないでしょう。

要するに、物語偏重し、エビデンス全否定する姿勢は間違っていますが、エビデンス偏重し、物語全否定するのも同様におかしいと、私自身は思います

そういう微妙バランスというか面白さが臨床心理学の中にはありますし、どちらも人を支援する上では大事視点だと思います

 ◆


まぁその後は各学会大学内で、明に暗に色々な小競り合いがあって、現在は昔よりもだいぶ両者が折り合いつつある雰囲気です。

一つは、純粋な「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」の人たちが減ったという単純な理由です。大御所の多くが高齢化し、以前よりはだいぶ比率が少なくなりました。

逆に、認知行動療法がだいぶ浸透した結果、若い世代では認知行動療法が専門外でも、エビデンス重視の考えは馴染みのあるものになっています

また、認知行動療法の人たちも”表面的な”エビデンスが全てではないという姿勢の人が増えてきました。

また、個人的にすごく大事だと思うのが、実証重視の方々にとっては「物語」の代表に見えるであろう精神分析系の心理療法も、ちゃん効果確認されるようになってきたたことです。

これによって、「エビデンスが全てではない」と意地を張らなくても良くなってきたのだと思います

結局、エビデンス否定するのではなく、自らエビデンスを出すことで (とはいえ研究殆ど海外ですが)、問題は解消されつつあります学問としてこれはとてもよいことだと思います

 ◆

つい最近中室牧子さんとかによって、教育業界エビデンス視点を持ち込む動きがありますが、同じように、日本臨床心理学にもエビデンス視点を持ち込もうという動きが20年程前にあったのです。

エビデンスに対する考え方の違いは、人間理解に対する考え方の違いであり、それが論文業績に対する考え方の違いにもつながっていたという話です。

これを読んでみて、改めて「臨床心理学ってクソだな」と思った人もいるかもしれませんが、こういうゴタゴタも乗り越えつつ、少しずつ学問としてブラッシュアップされていっている臨床心理学が私は大好きです。

長くなってしまいました、すいません。

おまけ

長くなったついでで恐縮です。

https://anond.hatelabo.jp/20181011091532 「再現可能性が4割」の部分に

https://anond.hatelabo.jp/20181011091734 「びっくりするほど信用できない学問だな てか学問かそれ 」というコメントを見かけましたが、これ心理学だけの問題じゃないんですよ。

Natureが少し前にいろんな研究者に調査しましたが、理系領域だって再現性は決して高くありません。

https://www.nature.com/news/1-500-scientists-lift-the-lid-on-reproducibility-1.19970

しろ追試をちゃんとやって、どれが再現できるか否かをふるいにかけ、学問を発展させようとする態度こそが科学的だと私は思います

2018-10-10

anond:20181010090540

院生時代査読つきも含めて論文を何本か出す→博士号取得→前後して博論を元にした著書を書く

あ、そうなんですね。

それなら大きな疑問はないです。

著者名でバイアスかかるのでは?という疑問は残るけど、それはブラインドじゃない査読でも同じなので盛り上がってる話題とずれるね。

物理科 素粒子分野の業績事情

人文系の文献の取り扱いとか業績についてちょっとだけ - dlitの殴り書き

こちらの記事賛同したので続いてみます

かに異分野の事情をお互いにわかっていたほうがみんな幸せになりますよね。パーマネントや学振採用とか。

はじめに

素粒子分野は大きく分けて

に分かれています。これらの間には超えられない壁がありまして全てをまとめるのはちょっと難しいのですがなんとか書いてみます

間違いを見つけたら教えてください。

論文事情

素粒子論文は全て英語で書かれます国内雑誌としてはPTEP(旧PTP)がありますこちらも英文です。当然どれも査読があります

業績リスト論文査読なし)には国際会議研究会の proceeding を載せたりします。

素粒子分野には論文投稿前に arXiv に載せる慣習があります

これは投稿前に業界の人たちに意見をもらい論文修正するためです。accept 後に査読済みの論文差し替えます

arXiv に載っているのは基本的投稿前/査読中/査読済み の論文及び国際会議の proceeding です。

素粒子査読をしないというのは誤解です。

論文雑誌とIF

特に素晴らしい研究Physical Review Letters (Phys. Rev. Lett) に投稿されます。IF8.839 です。

Nature や Science に投稿することはまずありません。

IFの基準業界によりかなり異なるでしょう。

おそらくは  [ 業界の人数 ] x [ 1年間に発表する論文数 ] に依存するはずです。まあ人数の少ない分野は引用数も少なくなるでしょうね。

同じ素粒子業界でもその専門ごとにかなり違うはずですが、とりあえず Inspires によると以下のように分類されています

# of citations
Renowned papers 500+
Famous papers 250-499
Very well-known papers 100-249
Well-known papers 50-99
Known papers 10-49
Less known papers 1-9
Unknown papers 0

自分確認したい人は Inspires で fin a s Masukawa などと打ってみてください。

業界事情

素粒子実験論文を出せない

素粒子実験特にエネルギー方面ではなかなか論文が出せないことがあります

理由簡単実験計画から結果が出るまで多数の歳月がかかるからです。

例えばLHC計画からヒッグス発見まで20年弱かかりました。論文の著者数は5000人を超えました。

このような事情なので「博士課程単位取得満期退学後に研究を続けて論文を出すと同時に博士を得る」というような方がたまにいらっしゃいます

博士号をもっていない素粒子実験の人に出会っても決してバカにしてはいけません。

彼らは博士号取得と同時にノーベル賞を得る人たちなのです。

素粒子理論学生論文を出せない

素粒子理論研究に入る前の勉強量が膨大です。

まず 場の量子論超対称性理論群論リー代数 あたりは三分野共通勉強すると思います

加えてそれぞれの分野の専門的教科書、例えば弦理論なら String Theory (Polchinski) 格子なら Lattice Gauge Theories (Rothe) など。

分野によっては位相幾何学微分幾何学勉強しなければなりません。共形場理論もですね。

この辺りでようやく基礎ができてきましてこのあと30年分くらいの論文を読みます

研究に入るまでの勉強時間がかかるので修論レビューになることが多いです。

当然学振は出せない・・はずだったのですが最近どうも事情が変わってきたようです。

学生の方が学振(DC1)に固執して勉強も途中に研究を始めてしまう、勉強途中のM1研究できることなんてたかが知れているので

必然的にあまり重要ではない研究に貴重な時間を費やしてしまう、というような話をぼちぼち聞くようになりました。

学振についての考え方は人によるとは思うのですが、ちょっと危うい傾向だなと私は思うことがあります

そこでちょっとお願いなのですが

学振研究者の登竜門!取れなかったらやめよう!」などとblogに書いて煽るのをやめていただけないでしょうか?

いや書いてもいいのですが主語を書いてください。「情報系では」「生物では」とかね。

理論博士号を取れない

博士号は足の裏のご飯粒」と言われて久しいですが、弦理論では博士号を取るのはまだまだ難しいと思います

まあとったところで「足の裏のご飯粒」なんですけれどもね・・・

追記

放置していてすみませんまさか今頃上がるとは思っていませんでした。

いただいた重要コメントこちらにも転載しておきます

new3 言いたいことはわかるけど、普通は「ヒッグス発見」を博論テーマにせずもうちょっと控え目な研究に留めるものでは?日本でもJ-PARCからSuper-Kにニュートリノ撃てるんだし10年に1本はさすがに少ないと思う。

どうもありがとうございます文章を少し修正いたしました。他にも間違ったところがありましたら教えてください。

niaoz 懐かしい。補足するとストリングやるなら一般相対論ベース重力理論必要/場の理論は確かに簡単じゃないけど楽しい量子力学特殊相対論(電磁気学含む)を修めたらやってみるとよいです。



kirarichang 学振出せないと思われるのは,(学振の)制度不備だよなぁ.

monopole 素粒子理論分野では修士論文書きにくいけどDC1の枠はあるので、採用者は実績によらずほぼランダムだったり有名研究室に偏ったりする。まあ論文なしでも通る可能性あるから学振気合い入れて書け

えっ!!論文なしでも通ることあるのですか!

Ho-oTo 今時の素粒子理論院生DC1用に1本は書いてるイメージが強い。

最近は大変ですよね。指導している方もすごいと思います

kowa 素粒子系は知性の墓場だと感じてる。優秀な人材があまりに何もできなくて、消えている。魅力はわかるが、1/5000のcontributionだかでいいのだろうか

猫も杓子も素粒子目指しすぎですよね。宇宙論も。

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