はてなキーワード: キャラクターデザインとは
なんでもない話だけれども、吐き出さないとどうにもならないので少しだけ。
今メインにしている界隈が単車だからなのだけれども、定期的に炎上してしまってやってられなくなる。
ひと月程前にはかなり燃えてた。まあそりゃ前々から問題になっていた事だし定期的に小規模火災は起きてたから、大事になるのはそんなに不自然なことではないと思う。
問題提起をした人の丁寧な口調に、素直に応援したいと思った。思っていた。
問題提起した人に釣られて、たくさんの捨て垢で同調する人が出た。口の悪い人ばかりだった。
それに釣られたのか、提起した本人も敬語であることは貫いているものの、だんだん口調が荒くなっていった。信じられなかった。全員ミュートした。
その少し前に、24魔導が商業問題で燃えた。内容としては、商業エロで描かれるキャラクターデザインがあまりにも魔導キャラに酷似しているのでまずいのではないか、という話で、これもまあ燃えることにそこまで不自然さは存在していなかったし、まあ燃えるよな、という感覚になった。
こっちは問題提起した側が最悪だった。
推しの生誕祭の翌日だった。推しの生誕祭タグを利用して問題提起をしていた。タグ荒らしてごめんなさい、ではない。幸せな推しで溢れていたタグを荒らすな、としか思えなかった。書いた本人に「どうせ聞いてもらえないから」と話もつけずに公式凸をしたらしかった。ただひたすらに信じられなかった。
それでも、問題提起した本人は双方共に周りに賞賛されていた。よく勇気を出していった、といったコメントしか見なかった。確かに勇気を出して発言したことは賞賛すべきことだとは思うが、どうしてもっと丁寧な対応ができる人が声を挙げられなかったのだろう、という気がしてならない。
でもやはり最悪なのは周りの人で、魔導の炎上の際に「前から気に食わない奴だったからこれを機に徹底的に叩いてやる。」と言っていた人がフォロワーにいた。その人はこの問題を公式に知って欲しいと言っていた。意味がわからない。二次創作にも影響が出るような事なのに何故そんなことが言えるんだろう。まあそれは話が逸れるので置いておいて、とにかく見ていられなくてアカウントをログアウトした。鎮火するまで見なかったので結局どうなったかは知らないが、おそらく何も変わってないんだと思う。
単車の女体化や半ナマルールのあれそれの話についても、問題とされた人に「カス」のつくあだ名等をつけて騒いでいた人が大勢いた。それはルールの話ではなく、ただ気に食わないから叩いているだけにしか見えなかった。というか間違いなくそうだ。提起した側も特にそれについて指摘していなかったように思う。問題を指摘する側として有り得ないと思った。
炎上した事で何か変わったのか、と言えばどちらもおそらく根本的に変わってはいないかと思う。単車の方は本人に正確に伝わっておらず、大した解決にもなっていなかった。基本的にただの身内でのストレス発散にしかなっておらず、見ている側にストレスを与えるものにしかならなかったように感じた。
勿論炎上の種をまいたほうが絶対に悪いのだが、炎上を指摘する側もその周りも、責任をもって丁寧に対応して欲しいと痛感した。先程単車の方を覗いたらもう基本動かないとされていたがまたアカウントが動いていた。どうしようもないな、という感情しか湧いてこなくなってきた。
まとまりがなくて申し訳ない。どうすることも出来ない壁打ちの愚痴だけれども、お付き合い頂いた方がいらっしゃったのであれば、お付き合い頂きありがとうございました。問題提起をするならば、きちんと責任をもってあくまで丁寧に対応して、周りも暴言や論違い等で変に荒らさないでほしい、というだけの呟き。
( 2019年春アニメ1話ほぼ全部観たから感想書く その2 からの続き )
戦争で生まれた兵器の再利用。「魔法少女特殊戦あすか」的な感じ。戦争のため、魔法によって生み出された兵器「妖精兵」がテーマ。戦争が終わり御役御免なっちゃったので新しいお仕事を探す羽目に。存在自体が違法扱いになってるところや、体よく利用される姿は「PSYCHO-PASS」みたいな感じ?特に本作は2話から公安の職員としていろんな調査に駆り出されるところも刑事ドラマっぽさを感じる。でもあっちは「一般人」と「サイコパス」がグラデーションであるという点で明確に異なる。
なんかファンタジーモノやりたいね→パーティ全員暗黒騎士って面白くね?→でも悪魔(邪神)って何なん?→いっそ妖精にしようぜ→じゃあそれで とのこと。グリムガルとの関係でお世話になった十文字青がシリーズ構成として参加していたり、劇伴をノーネームが担当していたりする(ちなみに制作はグリムガル:A-1 これ:PA)。作中で挿入歌を流す演出も健在。あれめっちゃかっこいいよね。こないだニコ生ライブ見たけどめっちゃ凄かった。
世界観はグリムガルと比べてリアル寄り。「妖精にまつわる部分のみファンタジーだけど、それ以外は全部現実と同じにしたい」というコンセプトらしい。一応、ちょい昔の西欧が舞台。背景はいつものスタジオ・イースター。美術監督は東潤一が担当。相変わらず石畳がエロい。キャラクターデザイン、衣装、小道具まですべてリアル志向。非常に印象的なのが、ボルトアクションライフルを撃つたびリロードする主人公。ほぼすべての射撃シーンにてリロードモーションまできっちり描かれている。手での操作も排出される薬莢も、SEも明らかに拘ってて「ここはファンタジー世界じゃなくて、僕らの知ってる世界線なんだぜ」っていう暗示みたい。
その妖精だけど、あんまり可愛くない(人間に宿る前は可愛いんだけど)。「あ!こいつあのゲームで戦ったやつだ!」みたいな禍々しいデザインで、それこそ妖精というより悪魔みたい。こいつダクソにいなかった?
監督が「JOJOの奇妙な冒険」でお馴染み鈴木健一なので、戦闘シーンはスタンド使い同士の戦いに近い。ただ「ダイヤモンドは砕けない」以降に見られるような「主人格の心を反映した能力」みたいなやつではなく(妖精だからね)、より直接的な戦闘能力を持ってる。殴るのが強い、衝撃波でぶっ飛ばす、強力な弾丸を放つ、暗殺する、etc。作中で妖精の能力は詳しく解説しないので、公式サイトを見てね。JOJOと決定的にに違うのは、人間自身も戦闘に参加していること。主人公はボルトアクションライフル、バディは双剣、フォーマンセルのときは+スナイパー、スポッター。3DCGでゴリゴリ動く妖精と作画でゴリゴリ動く人間の乱闘凄かった。
公式チャンネルでは解説動画シリーズ「ふぇありーんごー」を毎週公開している。まさかのいらすとやコラボである。内容はだいたいあってる。専用新素材もあり、ちょうど素材を切らしていたいらすとやフリークは要チェック。「仮にオーダーメイド素材を沢山使っても、必ず”いらすとやで再現してみたシリーズ”みたいな感じになる」という知見を得た。
もう一つの聲の形。ショートアニメ。制作はシルバーリンクとの共同制作でよく見るCONNECT。元請けは初?監督は「CHAOS;CHILD」「異世界食堂」とかでおなじみ神保昌登。ちなみに神保さんが来年のアニメ「へやキャン」の監督を務める(1期のOP絵コンテを担当したよしみかな)。
人と言葉で喋ろうとすると「はわわーっ」ってなっちゃうので、「もう一つの声」で喋る女の子のお話。「GO!GO!575」よりも575してる。余談だけど先のアニメ「かぐや様は告らせたい」では何気にセリフを575にまとめてテンポ感を出す演出を多用してたので、チェックしてみてね。
主人公かわいい。人前でしゃべれない割に575ならめっちゃ積極的になる感じ。あとセリフがないぶん表情で魅せてくる。笑顔がかわいい。あのちょっと抜けてるとこが良いよね。声は花澤香菜(ファルセットの方)。最近は地声増えてきた印象。パンドーラとかよりもいとかはたらく細胞とか五等分とか。声でいうと先輩を演じる矢作紗友里の矢作紗友里感が非常に強い。ここ最近で一番ツッコミがキレッキレ。
毒島くんに限らず、口下手なキャラと主人公の対比良いよね。筆談(しかも文字制限あり)で思いの丈を全部喋っちゃう主人公が羨ましい。
はるか昔から語り継がれるゲーム原作。エグゼクティブプロデューサー:志倉千代丸。というわけで平行世界を舞台にしたSFアドベンチャー。制作は去年「ISLAND」制作のfeel.。SFモノにご執心なのだろうか。
「2クール全26話のアニメでは、原作ゲームに出てくる全キャラ、全ルートを描いていく」と公式アナウンスがあった。1話は伏線パート。印象としてはそれこそシュタゲみたいなガチガチのSFやんのかなー、的な。「もし平行世界に干渉すると、何が起こるんだろう」みたいなところを掘り下げていくお話。時空を操る系主人公の中ではトライアンドエラー方式を採用してて、よくわかんないけどやってみっか!精神に溢れている。ISLANDのセツナより前のめりな主人公。その割に言い回しがクレバーなところが好き。
feelということで、キャラデザは「この美術部には問題がある!」の人。ジト目かわいい。そして何かとfeel作品と縁のある小澤亜李。この美(主人公)、ヒナまつり(主人公)に続き本作で表題のヒロイン役。1話で四散しちゃったけど再登場は暫く先とのこと。
監督は「ゼロから始める魔法の書」監督の平川哲生。多分本作も監督とシリーズ構成を兼任してるみたい。ゼロ魔でも見られるような女の子とノリの良い掛け合いすき。ちなみにゼロ魔並みに涼しい顔して下ネタを自重しないスタイル。
あと2話の「民主主義は手順の政治よ。事後承諾なんてもっての外だわ!」のパワーワード感が強い。先のクールで社会派パワーワードを連発したアニメ「えんどろ~!」に引き続き、今期のMVPはこれかも。
視聴者参加型総合エンターテインメント。アイドルたちの青春を描く。そしてジャニーズのキンプリとは関係がない。本作はプリティーリズムシリーズの系譜にある作品。
・現在、その後継シリーズとしてプリチャン(2期目)が放送中。
で、プリリズのTVシリーズ内で登場した男性アイドルグループを主人公とするスピンオフ作品がこのキンプリ。元々は劇場公開作品で、2016年に劇場版1作目、2017年に劇場版2作目、そして現在3作目が公開されている。TV版の内容としては、現在公開されている3作目を再編集したもの。劇場版1話→TV版1〜2話相当?で合ってますか?教えてすごい人。なので、過去作を追いかけるなら劇場版を見ればいいはず。
そういうわけで、基本的に劇場版(とりわけ応援上映)として視聴者が参加することを前提に作られている。冒頭のアレとか。応援上映の様子が0話の中で取り上げられているけど、めっちゃ楽しそう。その気になればTV放送版でも同じことができるので、ライブシーンに出てくる主張の強い観客を参考に叫んでみよう。歓声の内容が具体的で草。
1話はざっくりこれまでのあらすじを追ってるので、初見でも大丈夫だった。2話はかなりヘビーな人間ドラマになってて、オケ中心のエモい劇伴も相まって見入っちゃう。やっぱり山ちゃんマジすごい。
すごい。あらゆる飛び道具を駆使して想像の限りを尽くした演出。というかカオス。演出は他のプリリズ作品に引き続き京極尚彦(「宝石の国」監督等でおなじみ)、乙部善弘、今中菜々。ショーをテーマにした作品だと「レヴュースタァライト」もミュージカル作品だけれど、あっちが舞台少女vs舞台少女のオーディションなのに対して本作はショーなので綺羅びやか。2話のショーは、散々悩み倒した末に見出した自己を表現するっていうシナリオの流れでめっちゃかっこよかった。
とうらぶっぽい聖☆おにいさん。人間に化けて人間界で生活する仏様の日常を描く。そのとき、聖☆おにいさんみたいなことが起こった。
DMMのゲーム原作。シリーズ構成がDMMつながりでとうらぶ(花丸)の脚本を担当した吉田恵里香。なんか花丸っぽさがある。
仏のお仕事を通して描かれる宗教観が面白い。仏教の勉強してないのでよく分かんないけど、基本は仙狐さんみたいに人間の負の感情を祓うお仕事。が、「何でもかんでも祓ってしまうのは良くない」というバランス感覚も同時に描いてて、改めてその宗教観に興味が湧いた。2話では動物園の倫理に触れてたり。でもあんまりシリアスに寄り過ぎない感じなので、日常アニメとして楽しめそう。IT音痴のおじいちゃんがいるのはまだしもデイトレはさすがに笑う。てかそのPCいつのだよ!
音楽は日常アニメですっかりおなじみ藤澤慶昌。ほぼ寺で日常生活してるだけなのに凄く風情がある音楽は「宝石の国」劇伴に近いものを感じる。
全体的に作画がかなり安定している。それこそとうらぶ(動画工房)くらい。制作は旭プロダクション(下請けでよく見るとこ)で、年1くらいしか元請け作品が無いようなところなんだけど、実は大手並みにマンパワーのある会社なのかな。最近だとかぐや様の千花ダンスに動画で参加してたりする。アクションシーンめっちゃ動くやん。
スマホゲーム原作。女子校の野球部をテーマにしたスポ根。まさかの硬式。硬球ってめっちゃでかいイメージなんだけど、女子でも持てるんだろうか?
1話のあらすじ…初心者が初めて野球に触れる→あれ、意外とおもしろい→みんなで同好会つくろ!→生徒会「不許可」→なんでー!? まで。生徒会のくだりまで1話でまとめたあたりに「王道中の王道でやってやりますよ!」という気概を感じる。
監督は「南鎌倉高校女子自転車部」の工藤進。両作品ともスポーツものとして序盤の流れは割と似てるけど、こっちのほうがガチ感が強い。ゼロスタートな部分は一緒だけど、
みなかま:「スポーツバイクってどういうもの?」という初心者向け(そういう趣旨のCパートもある)。最終目標が自転車部としての活動継続。
「野球を楽しもう」という角度で野球部を描く作品ってかなり珍しい気がする。 女子x野球といえば「大正野球娘。」だけど、あっちは1話副題「男子がすなるという、あれ」の通り「男がするような野蛮な競技を女がするなんてとんでもない!」とか「今の時代、女性に学歴なんて必要ないでしょ?」みたいな時代の流れに対する反骨が一つの大きなテーマだったの対して本作はそういう路線ではなさそう。強いて言えばリトルリーグ時代の回想で男子についていけない女の子っていうシチュはあったけど、あれは「自分はみんなほど野球が得意じゃないっていうパーソナリティを持っているんだ、という自覚が芽生えるシーン」という文脈っぽいよね。男vs女という構図はあんまり前面に出さないスタイル。だからこそ敢えて硬式を選んだのかな。それにしても2話エモかった。得手不得手の話とか、自分の得意なモノを優先した結果楽しさを見失ったとか、「楽しい」という理由で集まり始めるメンバーとか。EDのマッキーエモい。やっぱりいい曲だよね。先のレイトン教授の娘さんもEDがマッキー作曲だったのでこれから徐々に見る機会が増えていく可能性あるかもね。
Netflix独占
癒やし全フリのストップモーション芸術。ショートアニメ。制作はドワーフ。
社会の中ですり減った心を癒やすリラックマ。仙狐さんで描かれている「リアルな社会人(男性)」とこっちの「リアルな社会人(女性)」どっちもわかり味が深い。仙狐さんがおばあちゃんなのに対して本作はむしろ立場が逆で、「あんまり言うことを聞かない息子」みたいな感じ。でも憎めない。
ストップモーションアニメとしてはかなりヌルヌル動いている。公式ようつべ動画でメイキング映像が公開されてるんだけど、それによると作品全体で約22万コマとのこと。制作に2年かかったらしい。表情も丁寧に作られててびっくりした。細かいジオラマも良く出来てるし、太陽光線の角度まで計算されている。主人公の表情も相まって夕方のシーンがエモい。EDのスキップめっちゃすごかった。
あだち充の漫画原作。冒頭からタッチのネタバレがあるので注意。タッチでおなじみの高校が舞台ではあるけれど、時代の変遷によってすっかり強豪ではなくなった野球部がもう一回甲子園に返り咲くために頑張るスポ根。同じ世界線とはいえストーリーにガッツリ絡んでくるわけでもなく、あくまでフレーバー要素に留めてるみたい。2クールくらい放送するのかな。
ナレーションが日高のり子さん。めっちゃ丁寧な解説が付いてるのでタッチ見たことない人も安心して観てね。本作における日高のり子さんは「この世界の母」的ポジなので、お母さんに見守られながら描かれる世界全てに優しさを感じる。お母さんかわいい。モブもかわいい。男子も女子もかわいいキャラデザ。強いて言えば新旧エース対決くらい?
中の人ネタで言うと、主人公兄弟(兄と妹)を演じるのが内田真礼/雄馬姉弟。最近かなり共演する機会増えたよね。自然な(コミカルな声調を抑えた)演技がリアルな学生の日常っぽくて好き。特に内田真礼はピーキーなキャラを演じている作品が多い印象だったのでギャップを感じた。本作は(しばらく)会話劇がメインなんだけど、漫画のコマをモチーフにした演出で時系列を行ったり来たりするシーンとかテンポよく話が進んでいく上に見てて楽しい。
回想シーンで言えば、冒頭の回想シーン。「ここは時系列的に昔の話ですよ」を表現する方法としてよく使われるようになった「16:9→シネスコサイズにアス比を変える演出」に対して、「16:9→4:3にアス比を変える演出」になってるのがエモかった。
ここに限らず、ちょくちょくタッチリスペクトを挟んでくる。ナレーションもメタネタをガンガン突っ込んでくるし、吹奏楽部の演奏とか(リアル世界ではありふれてる出来事なんだけど)あえてアニメ内でこれをやるっていうのがエモい(演奏は公式で募集をかけている。2話は青学高等部の吹奏楽部による演奏)。
特に親御♀さん、アニメや漫画で中高生の女の子が全員貧乳でお尻小さくしないとダメって子供の二次性徴を否定してるし、
よくアイカツとかプリパラとかのおじさんを指してロリコンだ!と叫ぶフェミニストを見かけるけど
そう仕向けた張本人がどうしてこいつらおっさんをロリコンとか言っちゃうの?
自分たちの要望がアニメや漫画のキャラクターデザインの自粛、忖度に繋がってるのにそれを純粋に好きっておっさんに対して酷くないか?
去年だかでもキズナアイだかミライアカリだかの胸が大きいこと、露出してることに文句を垂れてたけど、胸の大きな女の子、露出が好きな女の子が現実にいても
それを否定するの?
フェミニストって抜けてるよね。
全員が全員貧乳ではないし、貧乳が理想とか昭和かよ。来月令和だよ?
嫌なら見なきゃいいじゃん、子供に見せなきゃいいじゃん
一方でジャニーズみたいに上半身裸で踊るような変態少年たちに対してはこれは素晴らしいとか言ってるよね?ジャニオタさんは。
万人受けするタイプでもないし、どちらかといえばエロ要素のみで構成されたエロアニメなら分かる。
それは昔OVAで作られているし、もともとがエロでしか売れないと思っているしエロですら売れるはずがないと思う程度の期待だったから。
それをこの時代につまらなければ徹底的に叩かれるような世の中になっている日本に、この作品を投入している辺り狂っているとしか思えない。
この世の果てで恋を唄う少女YU-NOはゲームだったから面白かったのであって、時代的にテキストで人の興味を掴む時代だったから売れた。
もちろんグラフィックとサウンドも優秀だったから売れたのも間違いない。
だけど、TVアニメ版のYU-NOはのっぺらとした印象の薄いキャラクターデザインによる劣化の酷さ、
PS4での発売もそれほど多くはなかった。
原作ファンがキャラクターデザインに不満をもたないわけもない状態だった。
それでもかろうじて売れたのは、PC98の劣化版がDLCとアレンジサウンドディスクがあったおかげだ。
その程度だったのに、作品として過去の名作であったものを辱めるような搾取をするのかがわからない。
これを挽回するにも、如何に伏線回収もちゃんとできるかどうかにかかってる。
とはいえ、異世界編なんてまともに表現もできなそうな終わり方をしそうだ。
どうすんのこれ。
単に相応しくないというのとその判断が出来てない事の問題であるのに環境型セクハラなんて言葉で間接的に自身への被害を主張するのは気持ちが悪いです。
あなたが女性でないならセクハラという言葉をダシにした男性オタクへの嫌悪感の発露でしかなく同じく自身の嫌悪感にセクハラという言葉を利用する点が気持ちが悪いです。
これが少女写真なら、なんて言っておられますが少女写真だったとしてその問題の焦点が女性へのセクハラだなんて言う人はどこかおかしいように思います。
その場合どう考えても問題は子供の人権の範疇のものであり、その大きな何より優先すべきものを前にしてハラスメントを理由の中心に問題提起するという異様さは自身で疑問に思われなかったのでしょうか。
その例はイラストで死体が描かれたポスターに対して実際の人間の死体がそこにあったら問題だろう、皆嫌だと思うだろう、というようなズレたものです。
法的に倫理的問題性を提起し得るものを挙げているのにその問題の中心を個人に与える主観的不快感に据えて論じるのはいささか自己中心的に過ぎますし常識を疑います。
そしてその法的な問題と法的には問題が無い部分での許容されるかされないかの話が然も比例するかのようにやるのもわざとなら逆に自論への自信の無さを感じ説得力を削ぎますし気付いていないなら混乱しているように思います。
壇蜜のCMも問題はお茶の間に相応しくない表現であるという話で彼女のキャラクターや彼女がやっていた過激なグラビアからの自己プロデュースが女性へのセクハラの一旦であるから、という話ではないです。
また未成年の児童ポルノ的搾取や男性向けの完全に一から作られた理想像的女性像と彼女のようなある程度自己の責任においてセクシャルさを滲ませている女性をそのキャラクター性で起用したCM等を混同するのはそのような性的にオープンな女性への差別であり女性は性的なものに対してこうあるべきだ、という旧時代的な役割の強制です。
それをセクハラ、と定義するのも本来主観的なものであるハラスメントへの価値観を女性全体に強いる女性の性的許容度の幅を一視点で決め付け無視した全体主義的で短絡的なステレオタイプ的発想です。
媒体や時間帯に相応しいかどうかとその対象自体の問題は全くの別の話です。
私はこの起用はパンツでも水着でもズボンでもあなたと同じく相応しくはないと思います。
私は現実に存在しない少女のキャラクターには抵抗も嫌悪感もありません。
なぜなら二次元の少女や女性は現実の女性とは全く違う存在だからです。
児童ポルノは吐き気がしますしもっと厳罰化してもいいと思っています。
個人的にはアイドルという免罪符で未成年の特に義務教育修了以前の少年少女の商品化において露出や仕事内容を規制すべきではとも思っています。
ですがアニメや漫画のキャラクターの性的さについて内容の必然性に関わらず女性向けの作品における男性の扱いと同じくそれが女性の権利を侵すものであるとは全く思っていません。
アニメ自体もある程度知っていますが内容が例え全編シリアスで所謂男性向けと言われる描写が全く無かったとしても放送されていた時間帯からして、加えてその放送時間に合わせた明らかに意図された性的さを含むキャラデザとしても公的な機関による人目に触れる範囲の起用は相応しいとは思えません。
それが深夜アニメ視聴層が主な対象者であるイベント等で期限付きで限定的に掲示されるものであるというなら別ですが。
次いであなたは露出の面で異議があるようですが露出それ自体は問題ではないかと思います。
これが攻殻機動隊の少佐であったなら露出度は変わらずともここまで問題視はされなかったはずです。
そしてまたこのような少女的にデフォルメされた絵柄の成人女性は作家の性別を問わず存在し、もし作中の少女達が成人女性という設定であってもこの問題は起きていたように思います。
あなたがやられたように現実の女性で表すなら幼い顔つきの成人女性写真なら、という話になりますが当人の人間性や選択、実年齢でなく見た目による年齢でもって、前述した攻殻機動隊のように例えばしっかりした歳相応の顔立ちでモデル的な体躯の女性では同じような露出度で性的さや倫理性の面で問題がないとされる事を幼い顔付きの女性がハラスメントという視点で語られるのであればそれは顔つきによって制限を強いる差別意識によるものでそれこそ嫌悪すべきものですがイラストの場合は違います。
現実ならば成人しているかどうかが焦点になるのも当然ですが二次元の絵は現実の女性ではありません。
問題は少女であるという部分や露出度自体ではなく深夜帯に放送されるアニメに沿ってデザインされた性的さを伴うキャラクターデザイン、という部分です。
ドラえもんやのび太達と共に水着姿のしずかちゃんが描かれた海水浴のポスターがあったとして、それが税金によるものだとしてもこんな風に問題視はされません。
そんなアニメCMが流れたとして壇蜜のCMのように問題になりますか?私はそうは思いませんし実際そうはならないでしょう。
あなたは少女の露出度合い自体を問題の核のように壇蜜の明らかな性的さと並べていましたが、ワカメやピノコが下着を短いスカートから覗かせる姿は同じ性的さを伴うものでしょうか。アトムの露出度はそれ以上ですが問題ではありませんか?
同じようにレジャー施設のCMで楽しく遊びはしゃぐ水着姿の女児や男児は肌の露出度という面では変わりませんがいかがでしょうか。
また少女漫画誌の夏号での少女の水着姿が描かれた表紙やポスター付録を女性へのセクハラだと捉える人がどれ程いるでしょうか。
少女の性的さが描かれる事が女性全てにおいて一律にセクハラの定義だとするのならバルテュスは公的に所有されている美術館では展示すべきではないのですか?
あなたは少女である事や露出度について一線を越えたと表現されているようですがそれではそれらは筋が通りません。
繰り返しますが、問題は税金で深夜帯用に性的な意図を持ってあつらえられた見た目のキャラクターを起用した、その1点です。
また、これがもし成人女性で、明らかに成人しているという見た目のキャラデザで絵柄も一般的なアニメと変わらず衣装も性的でなく露出が少なかったとしても、成人向けゲームで著しく性的な役目を持つキャラクターであれば、それが税金でもって多数の目に触れる場へ掲示されるのであるならそこに問題があるのは明らかです。
ですがよく知らなければただのきちんとした成人女性のイラストです。
少女でなく露出もなく性的なものを連想させる絵柄でないから問題ない、としますか?
それもそのキャラクターが女性へのセクハラだから問題なのではありません。
ハラスメントは主観的な概念であり、性的なキャラクターだと気付かなければ嫌悪感は抱きようがありませんし、イラスト自体そのものには何ら問題はありません。
そしてまた上述したように少女であっても露出度の面でもキャラクターによっては税金での起用も問題にはなりません。
そこで考えるべきなのはただ公の場に税金で起用する媒体のものか、という問題なのです。
キャラクターの持つ性的さへの意識の低さ自体、それが問題なのではと思っておられるのかもしれませんが、それも違うかと思います。
例えば峰不二子は露出如何に関わらず性的なアイコニックさを存在として含むキャラクターであり、その起用は知名度としてそれをも加味したものなのは明らかですが、ならばそれは意図されたセクハラにあたるとされるのでしょうか。
問題は媒体による特徴的方向性の一般的な許容度の差への意識の低さです。
許容度とは単純に知名度と個々の主観の集積であり実際の客観的性的さの度合いは関係がありません。
実際峰不二子は多くの少女、女性キャラクターよりも露骨な性的さをもって描かれています。
そしてゴールデンタイムでの峰不二子であれば許容される性的な表現も知名度のない深夜アニメの女性キャラクターであれば同じ時間帯でそこに印象の差が出るのは明白です。
それが許容度の差です。
そしてそれはハラスメントが客観的な性的さで定義されるものではない、出来るものではない、という事でもあります。
峰不二子自体は実際のところ成熟した大人の女性とはかけ離れた少女性が前面に押し出され、そのような感性でもって同時に性的である、というある意味一部の方が口にする男性に都合の良いキャラクター像ですが、広範囲のメディア露出による知名度によって逆に印象の部分的鋭角化が起こりそれが許容度に影響しています。
攻殻機動隊なら、と書きましたが少佐も原作での性的さがアニメの知名度に押されている例です。
ですから性的さ自体、またその対象の実際のキャラクター性自体への印象はそのまま許容度に比例するものでもありません。
一切性的な要素がない役回りだとしても成人向けゲームのキャラクターであるなら顰蹙を買うように内容やキャラクターの性的さは必ずしも直接的に問題に繋がるものではありません。
BPOが深夜帯のアニメへの子供への影響に関してのクレームに苦言を呈しているように深夜帯のものは深夜だからこそ許容されている部分があるからこそ逆に人の目に触れるのであれば気を付けるべき事があり、あのキャラクターデザインはまさにその部分の象徴のようなものです。
海外のアイコン的スーパーモデルの方は男性誌と女性誌で同じ水着姿でも表情やポーズを変えていく、といいます。
露出度やその当人自体が問題なのならそこに差は無いはずですが実際は媒体により、求められる印象によって差を持たせている、というのです。
腕で胸を隠したようなマタニティーヌードも女性誌とAVパッケージでは公での許容度は全く違うものです。
そして深夜ノリをそうだと理解できていないバランス感覚の無さ、許容度、拒絶感に対しての意識の低さ、それらの問題と露出度、年齢による倫理的適当性も別の話です。
許容度が高ければキャラクターに性的な要素があっても問題の声はあがり難く、また少女の水着姿、下着が露出した姿でも倫理性を問う声は大きくならず、逆に性的な面での許容度が低い媒体であればどれだけ性的さを削ごうと問題視は免れない、というのは少し考えれば分かると思います。
また現実とフィクション、絵では何もかもが変わって来るというのも常識で考えれば分かる事かと思います。
加えてそれが税金で行われるかどうか、もそうです。税金で無ければ許容度が跳ね上がるようなものは山ほどあります。
だからこそ私は税金での起用が相応しくない、という表現をしています。
そこを全て混同し、または混同させるように現実の少女に対する倫理性を問題としてすりかえる事で主観である自身の嫌悪感に客観的正当性を付与しようとするのは人の我が見えるようで違和感しかなく気持ちが悪いです。
・男性に頼らない自立した自立した女性、活発に動く女性はヒーローのアニメーション
・サポートする男性キャラクターはありません、男性の影はありません
・女の子が格闘して格好いいと思ってほしい(ドラゴンボール、ワンピース、ナルト、セブンデッドリースポーツオブジェクトなど)。
・聖闘士星矢と北斗の拳のようなものと世界のために戦うことが望ましい
・男性の視点が含まれているので、戦いの間に技術的な名前で話すことまたは精神の叫び声を得ることは不可能です。 例えば、キラキラの文庫は良くありません。
・愛の要素はありません。 愛至上主義がなくても
・かなり治療法のような女の子にとっては「女性のため」ではないのでそうではありません。 大人のための高いターゲットと商品のための数字はそこにあります男性のファンによって見るアニメ
・主なターゲットレイヤは男性ではありません。 「女性を楽しむことができる男性のための」アニメーションはよくありません。
・男性の作家、男性の作家など男性の視点が入力されていない "女性を考える女性のための女性の主人公"はよくありません。 男性による女性主人公思想は名誉ある男性ヒーローだろうから、そうしないでください。
・・たとえば、Ke! 女は部長、シリーズ作曲、キャラクターデザイン、作画部長、主役に任命され、ストーリーボードストーリーには女もいるが原作者は男性、主視聴者も男性
・萌え絵はダメです。 "萌え"の基準は、空の境界、約束のネバーランド、ウィザードの妻、バイオレットエバーガーデン、キノの旅、リトルウィッチアカデミアはOKです。 まどか、ひだまりスケッチ、ラブライブ! NGです
・セクシーなスタイルは、Bayonettaのように見えます、キラーキルは大丈夫です
・「少女戦」のようなタイトルが悪くなるのは良くありません。 中身だからダメ
・集団的なイメージプレイは女性の主題ではないので、それは良くありません。 PSYCHO - PASSは良くありません。 明らかに女性の英雄が優れています。
・魔法少女は趣味ではないので、しないでください(CCサクラ、セーラームーンなど)
・それは深夜のバンド放送ではない、それは大衆を受け取った主要な作品であるべきです
・それは見ているように感じるには長すぎるので2つ以上のコースを持つには長すぎるように思われるのでショートはより良いです
・理想はバイオハザードクレア、RDGレッドデータガール、スピリットガーディアン、チハヤフル、攻殻機動隊、パトレイバー
該当する場合、マンガ、小説、ゲームは問題ありません。 Animation博士の増田氏がしばらく出てきているとしたら?
(その他の注意事項)
・Originは「ドラマには女性のヒーローがたくさんいるがアニメには数少ない」と言っていて問題があるようで、実写のコンテンツは除外
・「現在配給されているアニメには女性主人公がほとんどいない」というのは問題なので、古すぎるのはよくありません
・「さて、あなたがそれを作ろうとするなら」は「そのような作品はほとんどないので、それは問題となるコメントです、それであなたは自分でそれを議論することができるだけであるようにすることができます」
(付記2)
@矛盾と質問内の理想的な作業が最初に条件から外れていることを確認してください、@ quzi23してください。 この人の発言から条件を抽出して要約したところです。
( 2019年冬アニメ1話ほぼ全部観たから感想書く その1 からの続き )
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鬼ごっこ。Clover works(旧A-1 Picturesのスタジオ)によるサスペンス作品。原作は週刊少年ジャンプ連載の漫画。神戸守とA-1によるノイタミナ枠といえば「すべてがFになる」だけど、本作もほぼ同じスタッフ(まだ観てない)。
日常→非日常までの流れがすごい綺麗。1話はちゃんと2回観てね。無邪気な子どもたちの会話シーンに流れる、流麗だけど緊張感のある音楽(音楽:小畑貴裕)と、音楽のないシーンを織り交ぜて不穏な感じを徐々に演出していく。
そして例のシーンにおける容赦のない作画。特にCloverWorks作品は表情のアニメーション作画が強烈(スロスタ、ダリフラ、青ブタとか)で、本作も非常にエモい。特に人外の表情もいけるクチだったのね。その後の、諸星すみれの絶叫がこわかった。そのあと力強くて優しい曲が流れる演出好き。
作画で言うと、細かい仕草の作画が丁寧。5~12才の子どもたちが甘える仕草。甘えん坊~自立した子まで丁寧に書き分けてる。あとメイン2人の恐怖を、全身使って描くシーン。
そして2話以降、遠くの物陰から二人をこっそり覗き見ているようなカットが急に増える。これが非常に強烈な緊張感を醸し出しててキツイ。
そういえば、カメラをフィックスしたカット演出って神戸守監督結構好きなんだっけ。神戸守が絵コンテを担当した「宇宙よりも遠い場所」の7話、8話でもちょくちょく使ってて好きな演出。
よりもい8話で「ついに流氷を見た4人が順番に短いセリフを言っていく際、喋るキャラに一人ずつピントを合わせる」という超エモい演出があったけど、ああいう被写界深度を駆使した演出が本作でも見られるのが嬉しい。
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半世紀前に連載された手塚治虫のマンガを再アニメ化。制作はMAPPAと手塚プロ。ゲゲゲの鬼太郎よりもグロくてシリアスな時代劇。犬夜叉からギャグを引いた感じ。割と長編の作品ゆえ、シナリオはある程度改変しているみたい。魔物の数が48から12体に減ってる所とか。1話につき1妖怪なのかな。
時代劇専門チャンネルで放送されている本作は全体的な作りも時代劇っぽい。キャラ原案が浅田弘幸(最近だと「あかねさす少女」のキャラ原案)で、あの濃いキャラデザが時代劇っぽさによく合っている。手塚治虫っぽさは感じにくいんだけど、OPのどろろの顔とか急に手塚治虫っぽくなる感じは狙ってやってるよね。OPED両方凄く良いのでぜひ観てね。特にワンマン作画のED。浅田弘幸の挿絵すっげえ綺麗。
あと背景が良い。「かぐや姫の物語」ほどではないけど、おとぎ話の世界にいるような雰囲気がある。世界観的にも「蟲師」に似てる(2話の「妖怪よりも人間のほうが…」っていう古典的モチーフとか蟲師っぽい)。どろろの背景を担当したスタジオPabloの、筆っぽさが残ってる背景いいよね。最近だと「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」とか。
池頼広による劇伴は和楽器を使った曲がメインだけど、それでいてすごくJazzyでおしゃれだったり、重厚な戦闘BGMだったり。同氏が劇伴を担当してるTVドラマ「相棒」シリーズっぽさを感じる。
国家間戦争を描くタツノコプロのロボアニメ。スタジオ設立55周年記念となるオリジナル作品。
キービジュアルとかキャラデザ的が可愛いのと裏腹に、タツノコらしい硬派なシナリオ。ガンダム作品くらいキッツい話なので注意。
王国のお飾り首長こと主人公が自国の将来をどうするのかっていう視点とは別に、自国の兵士視点、敵国の兵士視点でそれぞれ戦争を描いていく。群像劇→戦闘→群像劇→…。3話では王国の戦争孤児と帝国軍の兵士が仲良くしてたり。戦争モノの作品は個人的に兵士たちの何気ない会話が好きで、本作で言えば主人公は側近と、王国軍の兵士は戦闘前にワイワイと、帝国軍の兵士は偵察で王国内をウィンドウショッピングしてるシーン。ああいうシーンが、彼らに感情移入するキッカケになるよね。特に本作の登場人物はみんな割といい人として描かれてるのが印象的。「こんな戦争、いつまで続くんだかなぁ…」とは帝国軍兵士のセリフ。
その戦争は基本的に人型巨大機動兵器を使う。基本的に3DCGで描かれるんだけど、デザインや挙動、戦い方がすごい。1話ではVR模擬戦、2話では中隊~大隊による大規模戦闘。量産機による小隊を最小単位とする戦闘がメインで描かれてる。1話の模擬戦では5vs5で、近距離:中距離:遠距離=1:3:1。武装も近接用の打撃武器、サブマシンガン、ライフル等バリエーションがあって、威力もそれぞれ描き分けてる。機体はホバリングで高速移動が可能なんだけど、姿勢制御用の羽根みたいなスラスターが機体の前後に展開されてて、停止する時ちゃんと慣性制御してる。すごい格好良かったのが狙撃機で、移動時は狙撃銃を縦に持ってたり、攻撃時頭部が変形したり、放った弾丸が緩やかな放物線を描いて着弾したり。めっちゃかっこいい。かといって狙撃機=強いでもなく、それぞれのバランスを考えた戦闘演出になってる。2話以降もエース機による無双(なんだ!あの機体の動きは!?)ではなく戦術的な展開にフォーカスしてる(敵も戦術を練ってくる)のが面白い。あれだけの機体数を画面内で動かしまくるシーンは壮観。
OPを観ての通り、「王女の笑顔」と「一兵卒の笑顔」という対比構造が物語の中心に据えられている。王女の笑顔…周りの人間が、彼女の笑顔を守ろうと尽力している。そういった努力の象徴。お花みたい。そういえばニコニコの生放送特番で「タイトルが敢えてカタカナになっているのは意味がある」的な発言してたけど、花の名前だったりして。対して一兵卒ちゃんの笑顔...何もかも失った彼女の、悲しみや虚無感の象徴。持つ者と持たざる者。支配階級と労働階級的な?
「フルーツバスケット」でおなじみ大地丙太郎監督によるタイムスリップラブコメ。原作はブロッコリーの恋愛ADV。タイムスリップ先は明治時代の日本で、攻略対象は歴史の偉人(イケメン)。森鴎外や泉鏡花等文化人が多い。
転移タイプの導入が流行っているのだろうか。去年の作品だと夢100は夢の中の世界に飛ばされた主人公が世界を救う旅に出る話で、BAKUMATSUは(主人公が不在だったけど)別の世界線に存在する日本を救う話。で、これはもうちょっと規模の小さいお話。今期で言えば「不機嫌なモノノケ庵」みたいな感じ。モノノケが見える能力を活かして、身の回りに起こる出来事を解決しながらみんなと仲良くなっていく。
お正月にフルバ一気見してたんだけど、大地丙太郎監督のアニメはほんとテンポ感が気持ちいい。基本的にラブコメなんだけど、話の縦軸は多少シリアス。でも「あ、結構シリアスになりそう」っていう絶妙なタイミングでガスを抜くっていうか、緊張と緩和の波が穏やかになっていて、最後までほっこりした雰囲気で終わる作品になっている。そういえば今年放送されるフルバのリメイクも、本作と同じトムス・エンタテインメント制作なのね。
背景も含めて、全体的にコスト抑えめな作品。この時代を描いた作品は去年いくつかあったけど、背景の緻密さでいうと これ(明治)<ニル・アドミラリの天秤(大正)<天狼(大正?)という感じ。また、多用されるデフォルメ顔は引きの画になった際キャラの顔が崩れるのを防ぐため積極的に使ってるのかもしれないけど、文脈が破綻しないくらい表情が豊かでかわいい。
現代→明治のタイムスリップなので文化の違いに主人公が驚くシーンがちょくちょくあるんだけど、一瞬で順応する適応力の高さ。そんな物怖じしない主人公が周りをを引っ張って行く感じが好きだし、なんやかんや付いていく菱田くんや、付かず離れず二人を見守る森さんも好き。
現代版「徒然草」。東京都練馬区の江古田駅ら辺に住んでいるフリーターの女性視点で描くルポルタージュ。
1話ごとに監督、キャラクターデザイン、声優、アニメスタジオなどすべてが変わるオムニバス形式のショートアニメ。構想12年らしい。d'アニメストアでは、各話を担当した監督x江古田ちゃん役の声優による対談を加えたロングバージョンが配信されている。1話は大地丙太郎監督。江古田ちゃんが送る日々から切り取られたワンシーンがテンポよく描かれていく様はまさに「つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ」みたいな感じ。いやぁ、あるあるだわー。そしてきっつい。なお1話の対談で大地監督が言ってたけど、「ショートアニメ、しかも1話だけで表現できることなんかねえよ!」とのこと。今の所2話の人間味溢れる江古田ちゃんがめっちゃ好き。2話…監督:杉井ギサブロー 江古田ちゃん:朴璐美 脚本:岡田麿里。既に各回の監督やキャストは発表されているので、興味がある人はチェックしておこう。一番楽しみなのは高橋丈夫x小清水亜美の回。
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たつき監督率いるirodoriの新作。ニコニコ動画等で配信されている自主制作アニメのリメイク。けもフレみのある低コスト志向な作品。けもフレ同様ポストアポカリプスな世界感なので、少女終末旅行みたいな灰色の廃墟が背景として登場する(軍艦島っぽい)。好き。
エンドロールがたつきから始まりたつきで終わるあたり、「たつきの、たつきによる~」って感じが伝わってくる。
まず説明的なセリフを極限まで削って伏線を散りばめるシナリオうまい。良く分からないようで要所はちゃんと理解できるし、後のシーンを理解するのに必要な因子を事前に描いておく手法も、絵の中に必要以上な情報が含まれていないからこそって感じがある。
また島を離れる準備をするシーンを見ると、一連の動作を短いカットに分け、的確につなげて描く演出になっていて、けもフレでいえばジャングル回で橋を作るシーンみたいなテンポ感のある、分かりやすくて間延びしない絵になってる。結果として「はじめこそよくわかんないけど、すんなり観ていられる上に話の輪郭が分かりやすい」という印象に。
手さぐれ!でも思ってたけど、キャラの芝居が細かくてかわいい。1話2:00頃「階段登ってて振り返るリナコの仕草」とか、2話14:30頃「リンの帰還をリツが耳で察知する仕草」とか。
作品の世界観こそシリアスだけど、割とゆるいパートから戦闘パートまで振れ幅が大きい。そしてそれらを彩る音楽がかなり良くて、特にシリアスパートの曲がエモい(音楽:高橋哲也)。
アメリカの刑事ドラマ。スタジオぴえろ制作のオリジナルアニメ。アメリカの警察組織と凶悪犯罪者の戦いを描くサスペンス?ミステリー?ハードなストーリー。
制作こそ日本だけど展開やセリフ回し、登場人物等アメリカの刑事ドラマっぽい。作品の雰囲気を印象づける背景も、遠景に映る建物デザインや道幅、街路樹の種類や植えられている間隔等すべてが新鮮に感じる(聖地巡礼という文化は海外にもあるんだろうか)。葬式の後3人で歩くシーンなんか、街路樹の枝の描き方がヤバイ。あんなに主張の強い街路樹あんまり見ないよね。色味もキャラのデザインに対して全体的に淡いし(各キャラのビビットな差し色がめっちゃ目立つ)。
キャラクターのお芝居も全然違くて、例えば泣きの演技も「伏し目→手で顔を隠す→天を仰ぐ→涙をこぼす」みたいな、日本のアニメでは中々見ないような「あ、ここ海外ドラマでやったやつだ!」という印象が強かった。
そしてかなりアクションシーンがかっこいい。刑事ドラマのアクションということで、1話は激しいカーチェイス。激しい動きなのにまさかの手描き。手描きの車によるアクションシーンを観たのは「ルパン三世 Part5」以来かも。アニメ映えするアクションというより、「カーアクション映画らしさ」にこだわったアクションになっていたのが印象的。カメラの使い方とかカットの割り方とか、ぶつかってスピンする車の動きとか。先のアニメ「SSSS.GRIDMAN」が「特撮らしさ」を追求したアクションだったように、本作もそういう趣向を強く感じた。
映画チラ見して当時の物申すみたいな勢いの美醜周りへの批判とか思い出して色々考えたから覚書き
その当時の批判の主流は心の美醜が見た目に繋がるような表現に違和感があるみたいなのでそこに繋がる感じで野獣が王子に戻ったラストに心云々言っといて結局それかよ、美男美女かよだとか野獣の方がかっこいいしとか野獣のままでハッピーエンドでいいじゃん的なのが付いて回っててその時はあんまよくわかねえというか最初の以外はそれ批判以前のただの感想やんけ!(感想は自由)ってなってて(最初の違和感にも違和感があったけどそのままにやってた)それで今改めて考えたのはそもそも美醜で人間を判断してた王子がベルという美しくはあるけどそれに囚われない知性ある女性と心で惹かれ合い醜い心の象徴とするその野獣の姿で愛を成就しなんてざっくり内容からして物語としての教訓は見た目で判断する事の愚かさ真の愛はそこに囚われない(ロマンチック)って事だろうしベルの美しさはディズニーにおいてのプリンセスやヒロインに課せられるメタ的なルッキズム的価値観によるものでも当然あるけれどそれは美女と野獣という作品への批判としては的が外れているように思うしむしろこの作品においては美醜を扱う上でベルが美しいとされ知性や冒険心と並び持つとする事でこそその中からベル自身が何を選び大切にするかの選択が意味を持ち生きてくるように思うから王子の美しさと共に決して物語に必然性のない美貌ではなく魔女のそれにしてもまさにルッキズム的な王子に対する皮肉としてで解ければそこを否定する事になる呪いを与えてるとこからもむしろルッキズムを悪としているようにしか見えなくて批判で言われてた違和感への違和感の正体はそこへの漠然とした何でこの話でそんな事思うんや…というやつだったんだと思う
それはガストンに顕著で元々アニメでヒーロー的な外見でハンサムという設定ではあったけど見ようにはそうでもないキャラクターデザインだったガストンに実写でルークエヴァンスがあてられた事で美しい見た目に美しい心が宿るというようなルッキズムを否定するキャラクターとして野獣との対比もよりはっきりとなってそのハンサムさはベルや野獣の心を引き立てる装置としてやっぱり皮肉的に使われたわけだから作品としてルッキズムに則るのならそれこそシンデレラの最初のアニメ(作品追うごとにそうでなくなっている)のようにガストンがルッキズム的美醜観において醜いか善い人間であるべきで敢えてそうしていないのはそれがメッセージの一旦であるという証拠でもあると思う(すごいぞガストン)
じゃあ何でそんな批判を思うのかとも考えて単純に物語としてじゃなく表現の部分部分に気を取られちゃう形になっちゃったのかなっていうのと後はそういう発想それ自体が単なる美醜じゃなく絶対的で客観的な美がカーストのように存在するというようなルッキズム的前提でもって無意識にでも恣意的になされているのじゃないかって事で冒頭で野獣のかっこよさを示す事を批判以前の感想としたのは王子という美しい存在に対する醜いとされる野獣という構図の上で野獣の見目を讃えて"美"であるとする事だけではただの作中における美醜の定義への抗議またはむしろ逆に作品がルッキズム的であるという批判内容を否定する(野獣を客観的に美しいとするのは作中の醜いという定義は外見を指すものではないもしくはキャラクターの主観を越えるものではないとする事で作品として見た目に心を比例させているという批判は当て嵌まらなくなるように思う)もので美を是とするルッキズム的であるという前提に立った批判として体を為してないのではないのかと思ったからだけどもでもそれが野獣をかっこいいとする価値観はルッキズム的な本来の(あるとしている)美醜観に沿うものではないのでそこ自体への反発の提示が批判の一旦になるのだという発想の元されたと考えれば批判としてはそこの意味に限るなら理解できるしまた野獣の姿を醜いと定義するそれこそをルッキズム的だという意味でのまずそこからの違和感であるならとも思うけど批判とやってそこに客観性を持ち出すのであれば野獣をルッキズム的美醜観による被害者であるとするのはその見た目を作品内での単なる主観的文化的役割としてでなくルッキズム的な定義によって作品を越えたとこで醜いとやっているわけで本来ルッキズム的美醜と美醜はイコールではなく真理として絶対的な美を定義するものでもないのに作品内での美醜についての価値観を語るのにわざわざそれを作品へ持ち込み批判材料としたのはその当人がそこにルッキズム的基準における美醜を見たからに違いなく美女と野獣はルッキズム的価値観において野獣を醜いものとしている、という批判はそういう事ではないのかという話で
それらは全部今回自分で当時を思っての単なる仮定であるんだけどそんな批判を挙げたのと同じ層からその後シェイプオブウォーターを美女と野獣のアンチテーゼだとする意見が出て(監督は否定してた)明らかにそれが"彼"をルッキズム的弱者とする前提の上で敢えて美しさと定義しているとやって監督がただ美しいと思うものを美しいと描いているというようなルッキズムとはまさに反対にある主観的美醜観という視点が丸々端から欠如した美しいものをそう描く作品とそうでないものを美しいとする価値観で描く対比の構図と捉えたものだった事を思うとあながち間違いでもないように見えるし(客観的な美しさを定義するとしているルッキズムに美しさは一概には定義できず個人的宗教的文化的なものであるという主観的美醜観で対するのならアンチテーゼとし得るけどそういう論理での批判は自分は見かけなかった)美女と野獣のラストを美醜に重点を置き"結局それかよ"と受け取るのも"見目の美しさは心の美しさに比例する"と判断するその過程でその醜さを作品における主観的な域のものでないとするまたそれを見出すのに野獣という存在が含む要素やその世界での立ち位置でなく外見のみに焦点を絞るその視点も(実際フランス版では王子の外見的な美醜より傲慢さが醜さの象徴としてフィーチャーされている)見た目が重要だとするルッキズム的価値観に左右されてのものにも思えるし王子の姿にしても野獣の姿からの解放は作品で醜い心を象徴すると定義されている以上心の変化を客観的に証明するためのもので言うなれば愛の象徴であって(野獣の姿はベルに真の愛が満たされていない事を示す)外見なんて関係ないのならそれこそ望まれるものであるはずなのにそこを否定するのは"王子の美しさ"という見た目に囚われその他の要素より重要視している事に他ならないのだしそれはまさにルッキズム的価値観に則ってまずわざわざ美醜を選り分けてそこからそれらを"美しいもの""醜いもの"という絶対的な前提において肯定否定する事がルッキズムの批判になるというような無意識のルッキズムというかそれは言うなら
美しいか醜いかなんて誰が決めたの?ルッキズムなんて!見た目で判断とか最悪!
というのに次いでの
という言い様で○○ちゃんと○○ちゃんを普通にかわいいと思う人間の美的感覚をルッキズム的基準でそうでないぞと正面から否定しカースト内の位置を告げるみたいなものでシェイプオブウォーターにおけるそれは
××くん○○ちゃんのこと好きなの?見た目じゃなく中身で見るんだね!いい事だよ!
もしくは
××くん"には"○○ちゃんがかわいいんだね!素晴らしいことだよ!
というようなやつでその上で自分は美醜で人を判断しない公平な人間だと主張するような話でそれは批判として果たしてというかルッキズムへの批判のためにはルッキズム的価値観においての美醜を踏襲しなきゃいけないというパラドックスを思ってなのか(そんな必要には特にない)それこそ考えれば考えるほど違和感でいっぱいになるという話で
要はルッキズムとか言ってないでふたりとも愛を見つけてその証に野獣は呪いがとけてハッピーエンド万々歳やんけ!でいいと思ったという話
・女の子が戦って格好良いのが見たい(例:ドラゴンボール、ワンピース、ナルト、七つの大罪。スポーツ物でも可)
・聖闘士星矢や北斗の拳みたいに何かの為や世界の為に戦うというのが望ましい
・戦闘時に技名を喋ったり、気合の掛け声が入るようなのは男性視点が入っているからダメ。例としてキルラキルの纏流子はダメとのこと。
・男尊女卑が無い
・大人の女性が見て楽しめる
・プリキュアのような女児向けは「女性向け」ではないのでダメ。ハイターゲット向けのフィギュアや大人向けグッズが出ているアニメは男性ファンが見るからダメ
・メインターゲット層が男性ではない。「女性も楽しめる男性向け」アニメはダメ。
・男性原作者、男性制作者といった男性視点が一切入らない「女性が考える女性向けの女性主人公」でなければダメ。男性が考えた女性主人公は名誉男性主人公となるのでダメ
・・例えばけいおん!は監督、シリーズ構成、キャラクターデザイン、作画監督とメインスタッフに女性が起用されており演出絵コンテにも女性もいるが、原作者が男性でメイン視聴者も男性なのでダメ
・萌え絵はだめ。「萌え」の基準は空の境界、約束のネバーランド、魔法使いの嫁、ヴァイオレット・エヴァーガーデン、キノの旅、リトルウィッチアカデミアはOK。まどマギ、ひだまりスケッチ、ラブライブ!はNG
・「幼女戦記」のようなタイトルが気持ち悪いのはダメ。中身おっさんだからダメ
・群像劇は女性主体ではないのでダメ。PSYCHO-PASSはダメ。明確に女性主人公が良い。
・魔法少女は趣味じゃないからダメ(CCさくら、セーラームーンなど)
・2クール以上あるのは長すぎて見る気がしないらしいので短めがよい
・理想はバイオハザードのクレア、RDGレッドデータガール、精霊の守り人、ちはやふる、攻殻機動隊、パトレイバー
該当する作品なら漫画、小説、ゲームもOK。アニメ博士の増田ならすらっと出てくるかな?
(追記)
・発端曰く「ドラマは女性主人公が多いのにアニメには少ない」が問題らしいので、実写コンテンツは除外
・「今流通しているアニメに女性主人公が少ない」のが問題らしいのであまり古すぎるのはダメ
・「じゃあ自分が作ってみればー」は「そういう作品が少ないのが問題という感想なので、自分で作れは論点ずらしでしかない」からダメ
(追記2)
質問内の矛盾や理想作品がまず条件から外れているというツッコミは@quzi23にしてください。自分はこの人の発言から条件を抽出してまとめただけです。
テレビとかでよく『だれだれがデザインした建物』みたいな感じで奇抜な形状をした建造物が紹介されたりなんてことがあるが、
そういうのであたかもその建築デザイナーがこの不思議な建物の全てを生み出したのだ!みたいな紹介されると違和感。
あいつらはなんか奇をてらってウネウネさせたわけわからんものを適当に紙に書くだけで
建物の耐久性だのなんだのを気にしながら実際に作り出してんのはデザイナーじゃない。
同じような理由でキャラクターデザインなんかもそう。
ここちょっとキラキラしたもん足そうだのここちょっとカラフルにしよーだの
デザイナー気取りがテッキトーに描いたものは全部モデリング担当に押し付けられる。
何の技術力もないし何の発展性も持たない実質ゼロの存在。何もすごくない
「冴えない彼女の育てかた」特集 原作イラスト・深崎暮人インタビュー (3/3) - コミックナタリー 特集・インタビュー
──なるほど、それは描き手でないと気付かない視点かもしれません。また、「冴えカノ」1巻が出た頃と今を比較すると、深崎さんの絵柄は大きく変わりましたよね。
そうですね。絵のトレンドは目まぐるしく変わっていくので、ブラッシュアップしていきたいとは思っていたんですが、明確に変えたのは「冴えカノ」のアニメ化がきっかけです。キャラクターデザインの高瀬智章さんの絵が「今後のトレンドになりうる絵柄だな」と感じたのと、原作とアニメとの距離を縮めたいという思いもあったので、いいタイミングだったと思います。高瀬さんにキャラデザを担当していただけてよかったです。
『「冴えカノ」1巻が出た頃』は「また随分絵柄変えてきたな…やっぱり一般向けというか全年齢向けを意識したのかな?正直キャラデザの魅力は落としたような気がするけど」というのが個人的感想で、アニメ「冴えカノ」~「冴えカノ♭」の頃には「え!?もうコレ完全にこのままc○mic阿吽の表紙飾れるよね?」と吃驚した記憶がある。よって「明確に変えたのは「冴えカノ」のアニメ化がきっかけ」と言ってる事にはどうしても納得できない。元々成年向け作品でカワイさエロさ全振りの絵柄を追求し一般向けではエロカワイさを抑えてスタイリッシュの方向を模索していた筈が、いつの頃からか「カワイさエロさ全振り」のキャラデザが男性のみならず女性にも一定の支持を得るようになったので、だったらもう成年一般の区別して仕事しなくていいやという感じになったのが正にこの深崎という人だと勝手に思っている。
GIGAZINEから冬の便りが届いたので、気になった作品に関わっているスタッフについて過去の作品を軽く調べた。彼らが携わった作品は多岐に渡るため個人の主観でざっくりまとめた。あとソースはWikiなので多分間違ってるとおもう。
シリーズ構成:小柳啓伍 「メイドインアビス」4・5・6・10(あの回)・11・12話「ひそねとまそたん」3・5・6・8話脚本、「天狼」シリーズ構成
キャラクターデザイン・総作画監督:諏訪真弘 「棺姫のチャイカ」総作監、「灼熱の卓球娘」作監、「メイドインアビス」キャラデザ協力
美術:木下晋輔(インスパイアード)、西口早智子(インスパイアード)、明石聖子(スタジオ・ユニ)
音響監督:郷文裕貴 「灼熱の卓球娘」「宇宙戦艦ティラミス」「オーバーロード」
アニメーション制作:キネマシトラス 「灼熱の卓球娘」「メイドインアビス」「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」
監督:夏目真悟 「スペース☆ダンディ」「ワンパンマン」「ACCA13区」監督
シリーズ構成・脚本:鈴木智尋 「ワンパンマン」「ACCA13区」「ダグ&キリル」
副監督:八田洋介 「デス・パレード」8話演出、「ワンパンマン」3・7話演出、「ACCA13区」3・7・11話演出
美術監督:池田繁美、丸山由紀子 「オーバーロード」「ワンパンマン」「僕らのヒーローアカデミア」美術監督
音響監督:はたしょう二 「ワンパンマン」「ACCA13区」「うたプリ」「魔法使いの嫁」
音楽:牛尾憲輔 「スペース☆ダンディ」「聲の形」「DEVILMAN crybaby」音楽
監督:古橋一浩 「RD 洗脳調査室」「機動戦士ガンダムUC」「将国のアルタイル」監督
シリーズ構成:小林靖子 「ジョジョの奇妙な冒険」「進撃の巨人」「賭けグルイ」シリーズ構成
キャラクター原案:浅田弘幸 「テガミバチ」「あかねさす少女」「チア男子」
音楽:池頼広 TVドラマ「相棒」、「いぬやしき」「B:The Beginning」音楽
音響監督:小泉紀介 「アンゴルモア」「いもいも」「トネガワ」音響監督
MAPPA…「賭けグルイ」「いぬやしき」「BANANA FISH」「ゾンビランドサガ」
監督:神戸守 「エルフェンリート」「ソラノヲト」「君と僕。」「すべてがFになる」監督、「ハナヤマタ」1・2話、「宇宙よりも遠い場所」4・7・8話、「四月は君の嘘」3・4・7・9・12・15・17・20話絵コンテ
シリーズ構成・脚本:大野敏哉 「すべてがFになる」「infini-T Force」「宝石の国」シリーズ構成
キャラクターデザイン・総作画監督:嶋田和晃 「魔法少女なんてもういいですから。」キャラデザ・総作監
美術監督:池田繁美(アトリエ・ムサ)、丸山由紀子(アトリエ・ムサ)
音楽:小畑貴裕 「ボールルームへようこそ」「僕らのヒーローアカデミア」音楽
音響監督:清水勝則 「すべてがFになる」「citrus」「魔法少女 俺」
アニメーション制作:CloverWorks 「スロウスタート」「ダリフラ」「青ブタ」
監督:谷口悟朗 「プラネテス」「コードギアス」「アクティヴレイド」「純潔のマリア」「ID-0」監督
シリーズ構成:深見真(「ベルセルク」「ゆるゆり」「サイコパス」脚本)、橋本太知
キャラクターデザイン原案:近岡直 「今日の5分の2」「Wake Up,Girls!」キャラクター原案
アニメーション制作:白組(ACVのオープニングムービーCG制作とかでお馴染み)
監督:井畑翔太 「ガーリッシュナンバー」監督、「アホガール」4・9話、「Beatless」5・11・14話絵コンテ
シリーズ構成:髙橋龍也 「刀使ノ巫女」「ラーメン大好き小泉さん」「Beatless」「となりの吸血鬼さん」シリーズ構成
キャラクターデザイン:井出直美 「悪魔のリドル」「艦これ」「迷家」「アクションヒロインチアフルーツ」キャラデザ
音響監督:立石弥生 「ハッピーシュガーライフ」「徒然チルドレン」「OneRoom」音響監督
音楽:甲田雅人 「このすば」「あそびあそばせ」「ラディアン」音楽
アニメーション制作:ディオメディア 「アクションヒロインチアフルーツ」「Beatless」「ちおちゃんの通学路」
監督:畠山守 「さんかれあ」「昭和元禄落語心中」「グランクレスト戦記」監督
シリーズ構成:中西やすひろ 「昭和元禄落語心中」4・7・11話、2期2・6・9話、「バンドリ」3・6・7・8・10・12話、「色づく世界の明日から」7・9・10話脚本
キャラクターデザイン:八尋裕子 「ハイキュー!!」総作監、「グランクレスト戦記」サブキャラクターデザイン・総作監、「刀使ノ巫女」キャラクターデザイン・総作監
美術監督:若林里紗 「ラーメン大好き小泉さん」「はたらく細胞」美術監督
音楽:羽岡佳 「ネギま」「今日の5分の2」「花物語」「憑物語」「終物語」音楽
シリーズ構成:あおしまたかし 「アホガール」「サンリオ男子」「うちのメイドがうざすぎる!」シリーズ構成
キャラクターデザイン:飯塚晴子 「妖狐×僕SS」「リトルバスターズ!」「たまゆら」「がっこうぐらし!」「クジラの子らは砂上に歌う」キャラクターデザイン
総作画監督:大田謙治 「ランス・アンド・マスクス」キャラクターデザイン・総作監、「刀使ノ巫女」総作監
音楽:藤澤慶昌 「スロウスタート」「少女歌劇 レヴュースタァライト」「となりの吸血鬼さん」音楽
制作スタジオ:Studio五組 「ランス・アンド・マスクス」「刀使ノ巫女」「ラーメン大好き小泉さん」「となりの吸血鬼さん」
監督・音響監督:水島努 「げんしけん」「xxxHOLIC」「侵略!イカ娘」「じょしらく」監督、「SHIROBAKO」「監獄学園」監督・音響監督
シリーズ構成:横手美智子 「げんしけん」「xxxHOLIC」「侵略!イカ娘」「じょしらく」「SHIROBAKO」「監獄学園」シリーズ構成
メインキャラクター原案:左 「OneRoom」「Phantom in the Twilight」キャラクター原案
音楽:浜口史郎 「SHIROBAKO」「ガールズアンドパンツァー」「放課後のプレアデス」音楽
作画制作:ワオワールド 「アニメガタリズ」「タイムトラベル少女 ~マリ・ワカと8人の科学者たち~」
1話ごとに監督、キャラクターデザイン、声優、アニメスタジオなどすべてが変わるオムニバス形式。
監督:杉井ギサブロー(すごい人)、高橋良輔(すごい人)、大地丙太郎(すごい人)、望月智充(すごい人)、三沢伸(すごい人)、高橋丈夫(すごい人)、米たにヨシトモ(すごい人)、コバヤシオサム(すごい人)、小島正幸(すごい人)、しぎのあきら(すごい人)、長濵博史(すごい人)、森本晃司(すごい人)
月の石を見るのに長蛇の列。
コンパニオンのお姉さん。
モリゾーとピッコロしか知らない。ゆるキャラとエコの祭典ぐらいに思ってた。ペットボトルのリサイクル過程を紹介してんのかな、ぐらい。
大阪でやる話が出てるけど一体今何を展示するんだろう。
ってか自分が何だったら見に行くかなあってのを考えてたんだけど、チームラボみたいなやつ。
でっかい箱で最新の技術とか駆使したインスタレーションアートみたいなのがあったら行くかも。
うーん……どうだろ。
オリンピックのキャラクターなんかもそうだけど、いかにも行政〜!っていうか、日本の内輪感のあるキャラクターデザインとか建て付けがダサダサで嫌だーーー!!
全体のコンセプトデザインが出来て、それに向けてちゃんとディレクションができる人なり会社なりにしっかりと設計を任せてほしい。
自分は某全年齢作品のキャラクターデザインに関わっているデザイナーです。
最初に書いておきますが、自分は萌え絵否定派ではないです。むしろ日本の発明した文化だとすら思います。ただ、ゾーニングはきっちりすべきだと思っています。
児童書やキズナアイを取り上げて、これは萌え絵か、いや少女漫画か、だとか色々話題ですね。議論に上がる絵柄は萌え絵と称されることが多いですが、「萌え」の基準に対しては、時代とともに変わり、また個々の定義にも差があり議論が平行するので言及しません。
ただ、それらの絵には一つの共通項があります。それは、「男性に対して「媚び」を含んだキャラクターかどうか」の一点です。
「媚びた絵」を否定しているわけではありません。ただ、客観的に見て、そういった要素が見受けられるアートスタイルの一種だということです。
例えば、清純派なのにエロい格好をしている。これは、明らかに矛盾しています。
現実だと、性格が淑やかな女性が、大きく胸のはみ出る服を着ることはないです。(いたとしたら、その女性の本性はとんだ肉食系です。) ロリに巨乳なども矛盾のひとつでしょうか。男性に媚びたキャラというのはつまり、「男性目線で好ましい部分だけを組み合わせたキャラクター」のことです。
露出度が高ければエロなので媚びているのか?というとそれは違います。
例えば、アメリカン・コミックスのヒロイン達を筆頭に、攻殻機動隊の草薙素子、ルパン三世の峰不二子、ヴァンパイアシリーズのモリガン。強く自立した女性は、セクシーな格好をしていてもそれは自信の表れであると捉えられます。少なくとも、自信がなくオドオドして従順なキャラクターは、上記にはいないですね。
女性に好かれるセクシーな女性キャラというのは、得てして他人に媚びず、肉体的にも精神的にも男性に勝る強さを持ったキャラクターが多いです。現実でも、セクシーなドレスを着た女性を思い浮かべてみると、ハリウッドスターのような女優、もしくはスタイル抜群でスクールカースト上位の女性ではないでしょうか。
でも、そういった女性に、日本の男性は近寄りがたさを感じてしまうのも理解できます。
そこで、「セクシーだけど、順従で清純」というある意味キメラ的な、都合の良い所だけを合わせたキャラクターが生まれていき、今日日、「痴女のような格好をした清純派美少女」という存在が、日本中に溢れているわけです。
キャラクター作りには、まず性格があり、顔があり、体系があり、髪型があり、服装があります。キャラが着ている服は、本来、本人の性格を反映している筈なのです。
多くの矛盾を含んだ「男に都合の良い女」というキャラ作り…こう書いてみると、いかにもフェミニストが嫌がりそうなキャラ作りではあります。
個人的には男性に都合の良い女性キャラクターはいてもいいと思います。(ファンタジーですし)。それに、女性に都合のいい男性キャラも当然星の数ほどいますしね。
でも、ゾーニングもされず世の中がそればっかりになると、ファンタジーと現実を混同しはじめる人がいるのはわかるかと思います。
あくまでファンタジーだから。そういった共通認識を前提として、今まで創作の世界を楽しんでいたのですが、あまりに裾野が広がりすぎるとその前提が届かない人たちが出てくる、そしておそらくそれは、男女共に幸せなことではないだろうと思います。
現実の女性は漫画で読んだほど、男性に都合は良くなかった。そう感じて女性を恨んでしまうのは、元々女性に対するハードルが、フィクションの世界で高められてしまったのも一因としてあると思っています。特に、インターネット育ちの次世代については、注意深く見守る必要があるのではないでしょうか。女性の場合は…どうなんでしょう。一昔前は王子様を待ってる…なんて言われ方もしましたが…。
長々と書きましたが、キャラクターを作る際、イラストを描く際、注意している点は山ほどあります。それは、自分が扱う作品が公共の場に出るからです。なにをどう描いたら性的に見えるか。これにはかなりわかりやすいルールがありますし、おそらく皆さんもなんとなく感覚で理解しているのではないかと思います。
老若男女、赤ちゃんからお父さんお母さんお爺ちゃんおばあちゃんまで、誰に見せても大丈夫。誰が通るかわからない道には、表現にもそれなりのマナーがあると、自分は思います。
読んでいただいてありがとうございます。頂いたコメントに関して、補足していこうと思います。
まず、最初にも書きましたが「萌え」の定義は人それぞれですので、萌えという言葉のことは忘れてここではただの「絵柄」というふうにお考え下さい。
これに関しては短文でまとめられるものではありません。箇条書きすると以下のようになります。(何か忘れていたらすみません。ご指摘下さい)
・そのキャラクターは、特定のカテゴリに属する誰かの心を傷付けるものか
・過剰に性的な描写はあるか(特定部位の肉体描写のしつこさ、視線誘導)
・現実と乖離した(異性に対して誤解を招くような)価値観を広めているか
3つ目は、先日話題になったAVの技など「真似するユーザーが増えると他者への害となる」というようなものです。が、該当作品が少数かつ、誰しもがわかるようにフィクションであれば問題なかったりします。市場全体の価値観の偏りや社会傾向が問題点になり、一番難しい部分です。
キズナアイに関して気になっている方が多いようだったので個人的に思うことを書きます。(全ての動画を見たわけではないのでデザイン面だけの話です)
デザインは、概ね問題ないとは思いますが脇の下は空きすぎですので、詰める必要があると思います。「写真集」表紙イラストを見ますと、サイドの胸の膨らみが出ていますが、服の構造的にもかなり変形的で、「胸を見せたい」という意図を感じます。ここは胸の膨らみ全体を覆うように(セーラームーンの肩の2連リングが無いバージョンを想像して下さい)した方がもっと幅広い層に受け入れられるのではないかと思います。
絵が伝える性的な要素というのはデザインもですが、色も大きく関係します。そしてイラストも構図によって見え方をいくらでも変えられるので、「このキャラだからOK/NG」という単純な話ではないのが難しいところです。
他にも、何か質問疑問があればできる限りお答えしたいと思いますので聞いてください。
追追記。コメントを読んで思い出したのですが、「脇が開いている方が3Dの制御をしやすいから」という話。
誰が言い出したことかは知りませんが、アホらしいというのが正直な感想です。破綻するとしたらそれはモデラーのスキル不足です。確かに、ヒラヒラした物がついていない方が簡単に作れますが、素肌である必要はありません。3D的な作り易さを優先するならば何よりまず、腕を組んだときなどにダイレクトにめり込む胸を無くすべきです。動かし易さを考えてデザインをすることは悪いことではありませんが、解消方法の比較的容易な脇は必要以上に開き、3D的に問題の温床となる大きな胸はそのまま、というのはよくわかりません。なにより、デザインの「言い訳」を3Dの仕様のせいにされて論点がデザインそのものからズラされるのは、3Dを悪用されているようで気分がいいものではありません。
つづき↓
『劇場版 はいからさんが通る 後編 ~花の東京大ロマン~』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨です。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向け。
なんと100点。点数の基準は「上映時間+映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。とは言え、これ、評価難しい。良いところと悪いところと混在しつつ、今の自分だからこの点数なんだけど、ちょっと違う自分だったらこの点数は著しく下がっていたんじゃないかと思う。いつにもまして主観的な点数であり他の人におすすめする自信がない。
アニメとしての出来は良かった。演出や音楽なんかも水準以上の仕事をしてたんだけど、キャラデザと脚本と声優の3点がそれ以上の出来だった。しかしそもそもの企画で疑問な点も多々ある。
大体の話原作マンガ『はいからさんが通る』からして相当ボリュームが大きい作品なのだ。TVアニメ42話やっても完結できてないのがその証拠で、その原作を100分ちょいx2の前後編にまとめるということが最初から無理難題。
だから素直に作れば駆け足どころかダイジェスト気味になり、点数なんて30点前後になるのが当たり前だと思うのだ。今回の劇場版は、その問題に対して、脚本とか演出技術とかをぶっこんで善戦してたことは確かなんだけど、それってつまり「ハンデを克服するための戦力投入」に他ならないわけで、100点から先に積み上げていく役に立ったかと言えば難しい。
原作ジャンルは一応ラブコメということになると思うのだけど、原作『はいからさんが通る』には実は様々な要素が詰め込まれている。主人公紅緒と伊集院少尉の間のラブロマンスを中心としつつも、大正期うんちくマンガの側面、スラップスティックなギャグの要素、膨大な登場人物の群像劇、そして女性の自立というテーマももちろん重い。
今回の映画企画では、これを前後編で本当にうまくまとめてある。駆け足感は否めないものの違和感は感じない。このへん優れた原作→映画脚本の特徴でもあって、印象は原作に忠実なものの、実を言えば改変は結構大胆にはいってる。
今回映画で例を上げれば、大震災後の炎上する廃墟をさまようのは映画では紅緒、少尉、編集長という3人なのだが、原作ではさらに鬼島を入れた四人だ。三角関係の描写とその解消をクライマックスの中心に持ってくる構成をシンプルに伝えるため、鬼島は退場させてあり当然セリフも再構成で圧縮されている。
しかし一方でそういう技術的な圧縮だけでは全く追いつかないわけで、群像劇的なキャラクターを絞り、ギャグパートもほとんど捨て去って、映画で残すのは「主人公紅緒を中心とした(はっきり言っちゃえば伊集院少尉と青江編集長との三角関係)ラブロマンス」と「大正ロマン期の女性の自立」というふたつの大きなテーマに絞った。その判断は正解だと思う。
正解だと思うんだけど、じゃあそのふたつが現代的な視点で見て満足な出来に達しているかといえば――この部分が評価に迷った原因だ。
『はいからさんが通る』の原作からそうなので、映画(だけ)の問題点というわけではないのだけれど、個人的な見解で言うと登場人物のメインどころのうち三人がダメんピープルだ。
初っ端から最大戦犯のラリサ=ミハイロフ。ロシア貴族である彼女は、満州出征中に部下を救うために突出して倒れた伊集院少尉を見つけ、その命を救う。しかし戦争の傷跡で記憶を失った伊集院少尉に、自分の旦那(死亡済み)の面影を見出し、都合よく嘘記憶を刷り込みして、自分の夫として病気の自分の世話をさせるのだった。
いやあ、ないでしょ。どんだけよ。しかも病弱な自分を盾にして伊集院が記憶を取り戻したあとも関係を強要するのだ。クズでしょ(言った)。一応言葉を丸めてダメんピープル(女性なのでダメンズではない)と呼んでおく。
じゃあ、そのラリサの嘘の被害者たる伊集院少尉(主人公紅緒の想い人)はどうなのかと言えば、彼もまたダメんピープルなのだった。記憶を失っていた間はまあいいとしても、記憶を取り戻し紅緒と再会したあとも、病弱なラリサの面倒を見るために彼女のもとにとどまり続ける。命の恩人だと言えばそりゃそうなのかもしれないが、周囲の誤解をとくでもなく、未来への展望を示すのでもなく、状況に流されて、紅緒のことが大好きなくせに「他の女性を偽りとはいえ面倒見ている関係」を続ける。続けた上でそれに罪悪感を覚えて、紅緒から身を引こうとする。
それだけなら海底二千マイルゆずってもいいけれど、ラリサが死んだあとは紅緒のもとに駆けつけるあたり、手のひら返しの恥知らずと言われても仕方ない罪人である(言った)。っていうか伊集院少尉とラリサの関係は明らかに共依存でしょ。カウンセリング必要だよ。
とはいえ、主人公紅緒もけして潔白とはいえない。病気のラリサに遠慮をして、二人の間の愛情を誤解して別れを告げられ、告げたあと、心がフラフラしている時期に、少尉の実家を助けてくれた編集長にほだされて交際を宣言。他の男性(伊集院少尉のこと)を心に宿したまま、編集長と結婚式まで行ってしまう。それは伊集院少尉に対してもそうだけど、青江編集長に対してはより罪深い。その嘘はやっぱり問題だと言わざるをえない。
――こういう恋のダメピープルトライアングルが炸裂して、映画の前半は結構ストレスが溜まった(この辺個人差はあると思う)。このダメんピープル共が。問題を解決しろ。
両思いの恋人がいい雰囲気になって決定的にくっつきかけたところで、理不尽なトラブルが起こり二人は引き裂かれる! どうなっちゃうの二人!? 以下次週!! で、次週になってトラブルを乗り越えて、またいい雰囲気になると今度は二人が(独りよがりの)善意から身を引くとか、ずっとお幸せにとかいい出して、誤解のすれ違い。神の見えざる手によってやっぱり二人は結ばれない!
「北川悦吏子だ!」といったけどそれは北川悦吏子女史の発明品というわけではなく、自分の中での代名詞が彼女だと言うだけなのだけど。もっと言うのならば、年代的にみても北川悦吏子が『はいからさんが通る』やら『キャンディ・キャンディ』に影響を受けた可能性は高く、むしろ原点はこちらだ。イライラは軽減されないが。
そんなイライララブロマンス時空において癒やしは青江編集長である。
光のプラスワンこと青江冬星はまっとうで良い人なのだ。登場時は女性アレルギー(と大正時代的な女性蔑視)があったものの、雇用主として新人編集者である主人公紅緒を導き、支え続ける。その人柄に触れて、紅緒に対する愛情を自覚したなら、変にこじれぬように即座に自分の口から誤解の余地のない告白を行う。これ以上イライララブロマの炎症を防ぐその手腕。良いね。
しかも「お前の心に伊集院がいるうちは土足で踏み込まない」「いつかその気になったとき思い出してくれれば良い」といって加護者の立場に戻る。見返りを求めず、高潔で、慈悲深い。癒やしのキャラだ。
読めば分かる通り自分は編集長推し(原作当時からだ)なので、そのへんは差し引いてほしいのだが、ダメんピープルの中にあった彼が一服の清涼剤であったのは確かなのだ。
この映画のおそらく二大テーマである「紅緒を中心としたラブロマンス」はダメ人間どもの間違った自己犠牲でイライラするし(加えて言えば、何の罪科もない編集長の貧乏くじも納得し難いし)、「大正ロマン期の女性の自立」については、無邪気と言えば聞こえはいいが無軌道で体当たり主義の紅緒の迷惑を編集長が尻拭いし続けるという構造なので、本当に自立しているのか怪しく、どっちもそういう意味ではスカッとしない。
でも、そうじゃないのだ。そうじゃなかったのだ。
上映終了後、イライラ&60点だと思っていたら、意外なことに結構穏やかな満足感があったのだ。この気持ちはなんだろう? 不思議な気持ちで、言語化に時間がかかった。
なぜなのか考えた。
やったことや構造を追いかけていく限りイライラキャラではあるはずなのに、可愛い。
現代的に変更したキャラクターデザインと、作画と、なによりその声が印象的なのだ。
作中、紅緒は本当によく「少尉」という言葉を口にする。二言目にはそれだ。
このおてんば娘は作中のセリフの大半が「少尉!」なくらい連呼なのである。伊集院少尉のいるシーンでは脳内その声でいっぱいなのだ。声の表情というか、演技が本当に良かった。
少尉の事で頭がいっぱいで、東京から満州に行き、馬賊の親玉に体当たりで話を聞き、少尉を探して駆け巡る。東京に戻ったあとも諦めきれず、その面影を探して、亡命ロシア貴族にまで突撃を掛ける。紅緒は、たしかに、周囲を顧みない行動主義で、無鉄砲なおてんば娘で、そこにはイライラさせられる要素があるにせよ、少尉を求めてさまよう姿は、涙を一杯にたたえた幼子のように見える。
それでようやくわかったのだけれど、結局紅緒は子供だったのだ。
愛する伊集院少尉とはぐれて、彼を探すために声の限りにその名を呼ぶ子供だった。
それが胸を打ったし魅力的だった。スクリーンのこちらからも彼女を助けたいと思った。
『劇場版 はいからさんが通る 後編 ~花の東京大ロマン~』は迷子の紅緒をハラハラドキドキしながら見守り、応援する映画なのだ。
「大正ロマン期の女性の自立」というテーマに対してイライラするのも当たり前だ。彼女は行動力だけは溢れていて、家を出てしまうわ、死んだ(と思いこんでいた)婚約者の実家に行って支える手伝いをするわ、女性ながら出版社に就職するわするのだが、どれも力が足りずに周囲に迷惑を掛けてばかりで、そういう意味では「自立」はしきれていない。むしろトラブルメーカーだ。でもそんなのは、子供だから当たり前なのだ。
彼女はその実力不足から失敗してしまうけれど、チャレンジをするのだ。失敗はチャレンジの結果であり、チャレンジをするという一点で彼女の幼さは正しい。
前述したとおり自分の推しは青江編集長なのだけれど、彼は作中、何らミスらしきことをしていない。つまり罪がない。罪がない彼が、恋愛において自分の望んだ愛を手に入れられない(紅緒は最終的に伊集院少尉とくっつく)のが納得がいかなかった。その理不尽さにたいして原作読了時は腹がたったのだけれど、今回映画を見終わってしばらく考えたあと、仕方ないのかもと、やっと思うことができた。
なぜなら紅緒は(この映画の物語の期間では)未熟な子供だからだ。その子供である紅緒が、青江編集長という加護者とくっついてしまうと、その保護力のお陰で自立できない。青江編集長は全く悪意はなく、むしろ大きな愛情で紅緒を守るだろうし、その実力がある人だろうけれど、その愛情は空を羽ばたく紅緒にとっては重すぎる。
『はいからさんが通る』は紅緒が自立していく物語ではなくて、未熟な子供である紅緒が、自立のスタートラインに立つまでの物語なのだ。だから作中で自立してないのは当たり前なのだ。
無鉄砲で子供で、何かあればすぐべそべそと泣き、でも次の瞬間笑顔で立ち上がり再び駆け出す紅緒は、この映画の中でとても可愛らしく魅力的だった。
その紅緒は自分の心に嘘をつくという罪を犯し、同じく自分の心に嘘をつくという罪を犯した伊集院少尉と結ばれる。伊集院少尉も少女漫画の約束として「頼りになる加護者」として登場したが、罪を犯して紅緒と同じ未熟者のレイヤーに降りてきた。降りてきたからこそ「これから自立するいまは不完全な紅緒の同志」としての資格を得た。
青江編集長は同志ではなくてやはり保護者だから、どんなに良い人でも、「これから一緒に成長していく同志」にはなれない。
考えてみれば、紅緒が少尉を好きになった理由は「優しい目で見てくれたから」だった。けっして「助けてくれたから」ではない。彼女にとって助けてくれる(実利)は重要ではなく、ただ単にそのとき自分を見ていてくれれば十分だったのだ。
そういう意味で、青江編集長はスパダリであり、伊集院少尉はスパダリから降りて結婚相手になったといえる。宮野Win。「立川オワタぁ!」とか「ちゃんかちゃんかちゃんかちゃんか♪」とか言い出さないんで、格好いい主要キャラみたいな演技だったからな。
そういうふうに言語化が落ち着くに連れて、紅緒の親友・環がしみじみと良かったな。と思えた。
「殿方に選ぶのではなく自らが殿方を選ぶ女になるのですわ!」と女学生時代気炎を上げていた彼女。大正デモクラシーにおいて「女性の自立」を掲げて紅緒とともに時を過ごした親友である彼女。
でも、彼女と紅緒の間にあるのは思想の共鳴なんかではなかったと思う。
「女性の自立」と言葉にしてしまえばそれはどうしてもイデオロギー的な色彩を帯びざるをえないけれど、本作においてそれは、そこまで頭でっかちな教条的なものでもなかったのだろう。
劇場版サブタイトルの元ネタはおそらく菊池寛の短編小説「花の東京」から来ているのだろうけれど、そこで描かれた女性(の自立と言っていいのかなあ)も、現代のフェミニズム的な意味でのそれではなかった。どちらかと言えば「どんな環境でもめげずに生き抜いてゆく」という、ただそれだけのことだった。
それはもしかしたら、現代の価値観ではむしろ非難される態度かもしれない。なぜなら、男性が支配的な社会で「めげずに生きる」というのは、ときにその男性支配社会に迎合しているようにも見えて、原理主義者には利敵行為とされるかもしれないからだ。
でも人間は結局与えられた環境でベストを尽くすしか無い。まだまだ男権社会的な大正期社会も、作中クライマックスで描かれる関東大震災で崩壊した東京も「与えられた環境」だ。
その与えられた環境の中で酔っ払って肩を組み、愚痴を言い合いながらも諦めずに笑い合う同志として、紅緒と環のコンビは尊い。
ことによると、紅緒と伊集院少尉のそれよりも確かな絆があったのではなかろうか?
いつどんなときでも、どんな環境でも、うつむかず、意気軒昂と拳を突き上げて、笑顔で生きていこう! 女学生時代の無鉄砲な友情のそのままに、二人は大正という時代に自分の人生を描いた。
「女性の自立」と主語をおけば、それは成功したり失敗したりしてしまう。でも彼女たちが持っていたのは、成功したり失敗したりするようなものではない。どんな環境でもくじけうず、へこたれず、転んでも立ち上がって歌を歌いだす。それはイデオロギーではなく心意気の問題なのだ。彼女たち二人のあいだにあったのはモダンガールとして時代を先駆ける思想などではない。ただ単に、お互いがかけがえのない友達で、楽しかったのだ。
「女の子は元気よく未来に向かって生きる!」。紅緒が愛しく思えたのは、多分その一点だったし、伊集院少尉が彼女を愛したのもその一点だった。本作では描写が欠如していた伊集院少尉も、そのテーマに沿うなら、大震災後の東京で意気軒昂と未来をつくるべきだ。紅緒同様「未熟者の仲間」になった彼はそれが出来るし、その義務もある(でないと編集長はほんとうの意味で道化者になってしまう)。
( 2018年秋アニメ2話までほぼ全部観たから感想書く その2 からの続き)
伏魔殿に住む悪魔たちのゆるふわ日常アニメ。良い最終回だった。一応縦軸は悪魔のお仕事を通じて「善悪の彼岸」を識る物語。知らんけど。
デフォルメが強めでゆるいキャラデザ、コミカルな演出、淡いパステルカラー等、全体がゆるくてふわふわした雰囲気に包まれている。控えめに言っても体感5分で終わる謎の空間。もはや白昼夢である。ミュリンかわいい。
ベルゼブブ嬢を演じる大西沙織は「才色兼備のキリッとしたお嬢様だけど…」というキャラクターを演じている印象が強いだけに(とじみこ・十条姫和、こみが・色川琉姫、ウマ娘・メジロマックイーン等)本作のようなゆるふわ系の演技が非常に新鮮。ただベルゼブブ嬢は伏魔殿の首長なので、柔らかい側面と同時に硬い(凛々しい)側面もあり、そういうオーダーによく合致しているキャスティングだと思う。
スマホゲー同時展開のオリジナルアニメ。ラジオでつながるパラレルワールドを舞台にしたSF系。
電波でつながるパラレルワールドといえば「シュタインズ・ゲート」「オカルティック・ナイン」を思い出すけれど、あっちがサスペンス・ホラーっぽいのに対して、こっちはアクション要素多めといった感じ。あとパラレルワールドというモチーフの違いとして、本作は「別世界の自分に会いに行くための舞台装置」という感じがある。本作の特徴としてパラレルワールドの数だけ同じ人物が登場するというギミックを採用しているのだけれど、演じ分けがかなり明確。例えばパラレルワールドの自分が出てくるアニメ「ガンスリンガーストラトス」では演じ分けはあまりしていない感じのディレクションだったけれど、翻って本作では全くの別人みたいな演じ方になっている。そもそもメイン5人のキャスティングがガチなので(黒沢ともよ、Lynn、東山奈央、小清水亜美、井上麻里奈)、「女の子5人のキャッキャウフフをテーマにした作品じゃないガチ感」がすごい。1話では黒沢ともよのみだったが、2話以降アクセル全開。
主演の黒沢ともよ曰く「シナリオに大きなギミックを仕込んでいるので楽しみに待っててね」とのこと。シナリオにでっかい伏線を仕込むのは「オカルティック・ナイン」「ISLAND」等ゲーム原作のアニメにおける楽しみの一つなので、ゆっくり待つことにしている。
ダンデライオンアニメーションスタジオによる3DCGがかなりゴリゴリ動いている。本作は概ねバトルモノなので、戦闘シーンにかなり力を入れている模様。
かなり硬派なシナリオに合わせたキャラクターは浅田弘幸によるデザイン。「テガミバチ」は好きな作品なので嬉しい。同氏はかなり情報量の多い絵を描く人という印象だったので、アニメのキャラクターは結構シンプルなデザインという印象を受けた。アクション多めなので動かしやすいデザインなのかな。
個人的に、異世界に至るまでのプロセスをどう描くかを比べるのが好き。一旦主人公の死を経験したりするので、シリアスよりなのかギャグよりなのか、演出の裁量があるシーンだと思ってるのだけれど、本作はそこらへん硬さと柔らかさのバランスが凄く良かった。
転生したあとも、音楽や展開含めて緩急のある仕上がりになっていてテンポがいいアニメになっている。8ビットサウンドの音楽はやっぱりドラゴンクエスト等をリスペクトしているのだろうか。エイトビットだけに?
物語はだいたい2つのパートに分かれていて、「世界のいざこざパート」はそれこそ主人公の起こした騒動で穏やかではなくなった世界の様子を描いている。ここはオーバーロードっぽさがある。一方主人公の冒険パートはオバロと比べ、たった一人で悠々自適なぬるいRPGを楽しんでいるそれ。ヴェルドラのおかげで主人公の満たされ具合が心に優しい。
作中でも言及されているけど、初期のスライムは何も見えないのでどう絵にするのか気になってたけれど、抽象的演出を使ってうまく主観を映像化してた(触った感じとか)。またやってくれないかなあ。あとスライムの表情が豊かで、描いてる人は相当楽しいんじゃないだろうか。
本作のキャラクターデザイン・総作監はあの江畑諒真。最近だと「プリンセス・プリンシパル」5話でおなじみ。当然各アニメーションにも彼の特徴は反映されていて、例えば冒頭の主人公が歩いている姿のバストアップを見ただけで「江畑だ!」ってなるくらい江畑っぽい。彼が演出を務めるOPは「アブソリュート・デュオ」並に彼らしいアニメーションになっているので、いかに本作が血の気の多いアクションアニメであるかがわかる。主人公はあんまり好戦的な性格っぽくないのにね。
本旨と若干逸れるけど、さっき1期を観終わったので以下1期の感想。
虚淵玄脚本による人形劇(元ネタは中国の人形劇)。日本・台湾共作のアニメ。シナリオはいわゆる冒険活劇。王道アクションRPGみたいな感じ。絵もアクションが中心。
シナリオについては、単純な善悪ではない理由で同行する一行という部分が良い。文字通り呉越同舟すぎる。個人的に鳴鳳決殺が一番好き。あと掠風竊塵がド外道だった。後半のシナリオも口八丁手八丁を中心に戦っていくスタイルは単純明快な冒険アクションとは違った楽しみがある。
まず動きがおかしい。人形の顔についた水滴の大きさから見てかなり大きな人形を使っているのか、手足がかなり長い。それを非常に器用に動かしている(というか、どうやって動かしているのか分からない)。すこし引きで見ると人間にしか見えない。表情も、暗いシーンでは「少し表情の硬い人間」に見える。面白いのは、激しいアクションシーンほど人間のような動きに見えること(マジで人間だったりして)。指の先から足の先まですべて技工を凝らした動きになっている。
演出も優れている。戦闘シーンは単に人形を動かしているわけでもなく、ファンタジーという表題通りエフェクトモリモリで華やか。実写のメリットである、奥行きのあるアクション演出も多く、奥から手前に向かって光る剣が飛んでいく演出とか好き。特殊効果以外の演出もすごくて、爆発エフェクト(まじでセットを爆破してるっぽい)、雨(まじで雨を降らせている)、爆散するモブ(マジで四散してるっぽい)、背景セットの作り込み(どんだけ大規模なセットを作ったんだろう)、決めポーズの、カメラの切り替えを多用しためっちゃ手間のかかる演出とか。アニメに出来て人形劇に出来ないことってなんだろう?と考えさせられる。例えば「豊かな表情」というのは作画アニメの大きな長所だけれど、「デジタル人形劇」こと3DCGアニメは「表情が硬い」という評価を結構覆しているので、技術革新によって人形劇の印象もどんどん変わっていくのかな。
2期は1期の続きで、主人公や掠風竊塵がどんな奴か判明したあとの話なので、1期からの視聴を強く推奨。
週刊少年ジャンプ連載漫画原作のスポ根アニメ。防具を付けない稀有な格闘技。
競技としての格闘技を描いた今年のアニメでいえば「メガロボクス」だけれど、本作は高校生相撲を描いているので、あそこまでアウトサイダー&血生臭さは無く、とても青春している。特に1話は小関信也を演じる落合福嗣がすごく良かった。
原作ではそんなに気にならかったけど、主人公がとても小さい。ゆえに土俵の上でのみ体が大きく、強く見える演出が映える。
制作のGONZOはあんまりアクションのイメージがなかったので、本作のアクションシーンがかなりキマっててびっくり。特に1話の演出は熱量も含め息が止まるような迫力を感じた。元々相撲という競技が非常に短時間の戦いなので、その凝縮された時間をうまく描いている。2話の「タックルしながらの回り込みを上から抑え込むしぐさ」とかめっちゃすごかった。アツいぜ。
原作を読んでいる人が全員思うことはやっぱり「あの目尻からみょーんってなるやつ、どうやって描くんだろ」なので、早く見たいな。
角度のθ(ラジアン)は無関係。「Radiant」のほう。フランスの漫画原作。週刊少年ジャンプ連載の漫画みたいなノリの、古き良き時代を思い出す冒険活劇。ロックマンDASHっぽい。製作はNHK。
1話は説明的な演出が多いので、話を理解しやすい。2話以降もちゃんと「前回のあらすじ」があるので、忙しい人でも前回のあらすじを観ていくだけで最新話に追いつける安心設計。
1話から「主人公つえー!」ではない展開っていうのは珍しい印象なので(ワンピースで言えば、ルフィ幼少期のエピソードが1話、みたいな)、成長物語か。今後訪れるであろう主人公の受難を思うと、シリーズ構成が上江洲誠なのはそういう…(ちなみに2話からハードな展開)
キャラデザは割とシンプルで、全体的にかわいく、少年漫画っぽい。特に敵が可愛い。ゆえにファンタジーな部分とダーティーな部分の橋渡しをするキーになるキャラ(おっさん)がすげえ良い。
主人公を演じる花守ゆみりの少年声が好き。カワイイ系の印象が強いだけに、わすゆの銀みたいなハツラツとした声(特に叫び声)出せるのはすごい。本作は銀よりも少し大人っぽい調声。
ハピエレのスマホ向けRPGゲーム原作のアニメ。ファンタジー系冒険活劇。
かわいいキャラデザも含め、雰囲気はハピエレのゲーム原作アニメ「ラストピリオド」っぽさがある(内容は決してラスピリのような社会風刺アニメではない)。
シナリオは概ねモンスターとの平和的共存を探る冒険アニメであり「ポケットモンスター」に近い。1話は「メルストにでてくるモンスターってどんなん?」という説明回。説明的な演出ではなく、実際に生きているモンスターの姿を見せることで描く演出好き。「そこら辺で寝そべってる(お互い警戒しない)」「意思疎通の有無(信頼する相手の言うことは聞いてくれる)」「大きさ(子猫サイズからビルのようなサイズまで)」「気性(優しい子から気性の荒い子まで)」「人間に協力的(一緒にサーカスの仕事してたり)」「暴れてるときの攻撃性(つよい)」等。戦闘シーンはBGM含め結構アツい。
ガチのチア監修が入っている(監修を務める柳下容子は元NBAのチアリーダー。日本でチアリーディングチームをプロデュースしてたりするすごい人)。動画工房による、重力を感じるキレッキレのチアリーディングアクション良かった。使用する曲もめっちゃ好き(1話挿入歌は作曲:浅倉大介)。ただし主人公たちは初心者ゆえ、ガチのチアアクションが出る機会は少なめ。
きららキャラット出身の日常アニメなので、きららフォワード出身のハナヤマタと比べエモさよりもゆるさが前面に出ている。かわいい。
尾崎由香(けものフレンズ・サーバル役とか)の底抜けに明るい声が癖になる。ハナヤマタのハナ・N・フォンテーンスタンド(CV.田中美海)とか好き。
AmazonPrimeVideo独占
脱・悲劇版ロミオとジュリエット(ラブコメ)。週刊少年マガジン連載作品だけに、気軽に見られるラブコメ。
家柄が致命的な壁になってくっつく事が出来ないという既存のモチーフに加えて学園内の派閥対立もくっつけて、わちゃわちゃした感じになっている。
原典と比べてジュリエットちゃんが強い独立心を持っていて、それが物語の動くきっかけになるっていうシナリオがなんか今っぽくて好き。ロミジュリ読みたくなったので、オススメの翻訳があればおしえて下さい。
わりと喧嘩するシーンの多い作品なのだけれど、1話の決闘シーンでやけに剣の音拘っているなぁと思っていたら、音響効果:森川永子だった(同氏は京アニ作品の音響効果を担当してたり、今期だと「SSSS.GRIDMAN」の音響効果を担当している人)。流石に毎話あれだけ激しいシーンは無いにしても、楽しみではある。
ヒロインのジュリエット役が茅野愛衣だけど、まさか死なないよね。まさかね。
群雄割拠系学園モノ。は~乱世乱世。容はいつものBASARA。
声のテンションや絵のテンションが最初からクライマックス。終始テンション極振りの展開で彼らの戦いを描いている。
1415年、戦火の欧州を舞台にした英雄譚。2話から本編に入れるよう、かなり早足だった1話。冒頭20分くらいがプロローグ。
アンゴルモアみたいな時代劇ではなく「戦場のヴァルキュリア」のようなファンタジーモノ(もっとファンタジー要素多め)。人知を超えた力によって戦争を変えていくお話。面白いのは、主人公は「無敵の力を直接得た人間」でもなく「悪魔の力を阻止するために立ち上がる勇者」でもなく「戦争を変える力を普通の人間に与えた錬金術士」。倫理観による葛藤を一足飛びでバケモノを生み出すあたり、主人公の独善的な価値観がどう転ぶのかが気になる。当時の倫理観としては「バケモノを見つけたら教会に差し出さなければいけない」と描かれているので、生存ルートとして文字通り世界を変える壮大な物語なのかな。あと超人化の際やけに説明的なモノローグがあったので、今後も続々量産予定?
ゆるふわ日常ショートアニメ。なのに小話集。ゆえに1エピソード30秒くらい。人外さんは言葉が通じないので、(猫みたいな)人外さんの気持ちを慮る主人公の物語。もし猫と結婚したら、毎日きっとこんな感じなのだろう。
中国の漫画原作ショートアニメ。ざっくりいうとペットの擬人化みたいな作品。
全体的に柔らかいタッチのアニメになっている。ペットの声が村瀬歩くんだったりしてBL風に仕上がってるのだけれど、ガイコツ店員さんが言っていたように海の向こうでもそういう文化があるのだなぁ、としみじみ。
進研ゼミに付いてくる漫画の代アニ版。ショートアニメ。ひょんなことから声優を目指すことになった主人公が代アニの授業を受けながら成長していくお話。
ターゲットはおそらく「これから代アニで声優を目指すことになる若者」なので、本筋は青春ドラマ。主人公の福島潤はさておき、ヒロイン役の野口衣織は現役の代アニ学院生。たまたま以前から知っていた方なので、見ているこっちが緊張する。シナリオも彼らの受難が続きそうな感じなので、1話からもう胃が痛い。
彩度が高く柔らかい背景。それほど書込みの量が多い作品ではないけど、基本会話劇だし。
宇宙x漁業(フィッシングではない)がコンセプトのゲームアプリが原作。第二の種子島でおなじみ、広島県尾道が舞台のアニメ。宇宙飛行士と漁師といえば、子供にとって将来なりたい職業1位2位を競うほどの人気職だけれど、かといって本作が子供向けアニメかどうかはよくわからない。ノリがフレームアームズ・ガールっぽい感じがするけどホビーを売ってるわけでもないのね。内容は概ねテンポの良い会話劇。
主人公の女のたちと対立するのは漁師町の男。子供vs大人というよりも女性vs男性という切り口っぽい。対立構造を作るために「男女雇用機会均等法」まで持ち出してきてる割に社会派アニメではない模様。
艦これに比べて改善とか、まるで艦これのキャラクターデザインは手抜きのものが多いですよみたいなこと言うなよ! 事実だからって言っていいことと悪いことはあるんだからな!
正直、水科葵さえ気持ち悪い。スクエニのVtuberの中ではマシなのかもしれないけど。
スクエニが作ったVtuber達を代表して水科葵についての感想を中心にコメントします。
<水科葵に対する感想>
キャラクターデザインもダサいし病みメイクも良さがわからないししゃべり方も気持ち悪い。
どこを目指しているのかがわからない。
歌が綺麗だから見てたけど、力を入れたMVじゃなくて楽器を弾いてるふり&カラオケやってるふりだけ。
前後の雑談は何言ってるかわからない陰鬱なしゃべりで背筋がぞっとする。
(「ばいにゃ~」?普段まともに歌えるくせになんでこの決め台詞だけ萌え声を無理して出そうとしてるんだろうか。)
オタクだってあそこまで変なしゃべり方しない。オタクをなめているように感じる。
歌が綺麗な分、もったいないと感じた。さみしい。雑な部分が多すぎて、応援しきれない。ファンにはなれない。
<水科葵の問題点>
他のVtuberの方が、地の歌声が下手でも、MIX担当者を公開してでも視聴者が聞きやすい音源を用意したり、
クオリティが低くてもオリジナルMVを用意して頑張ってる分、好感持てる。
水科葵には「視聴者を楽しませよう、いいもの作ろう」という本気の気持ちを感じない。適当に他のチャンネルの真似をしているだけ。
小手先のテクニックで小綺麗なものを量産して、「どれか当たればいいな」っていう魂胆で成功するのはバーチャルYouTuber文化が始まったばかりの頃だけ。
後期参入なら余計に真新しくて尖った美点や魅力的なコンセプトを用意しないといけない。その努力を怠ったら人気が出ないのは当然。
▼前段
・ネトフェミ=ここでは「学問として体系的にフェミニズムを学んではいないが、フェミニズム的言説に親和的でネットで発言することがある」人。つまり私
・過去のオタク絵騒動についてのスタンスでいけば、のうりんとラノベ表紙については「いやおっぱいしまいなよ」と思う。
明らかに性的な魅力を著しく誇張する狙いのイラストなので、TPOや販売レーベルを考えるべきだと思う。
・碧志摩メグについては絵自体の性的強調よりは海女さんたち本人に嫌われたことが大きいと思う。
たとえば自分が教師だとして、「黒スーツミニスカハイヒール(ちょっと乳首が浮いてるようにも見える)」ないかにも二次元女教師なイラストを職場のPRに使われたら嫌だし、納得するだけの理由が説明されなければ反対すると思う
▼キズナアイについて
・正直Vtuberという文化をよく知らないので絵だけの評価になるが、個人的にはそこまでエロ要素が強いと思わない
・ただ、同時に萌え絵っていうのはそもそも女性への性的視線をはらんで育ってきていることは否定できない
・それゆえ、「萌え絵であること」それ自体に「女性への性的蔑視」と批判されやすい文脈があるとは思う
・なんというか、「刺青を入れてる人は、反社会的であると疑われ怖がられても仕方ない」みたいなことで、「萌え絵を用いる人は女性蔑視を疑われても仕方ない」みたいな。
その感覚が正しいと私は決して思わないが、バイアスのかかりやすい表現形態であり、そこに近年の医大受験をはじめとしたマジモンの女性蔑視案件が絡んで批判が吹き出したのではないか
・おそらく女性だからというよりは「若者よりの(オタク)カルチャー」のアイコンとして選ばれていると思う
・ではなぜキズナアイが女性の形でなければいけなかったのか?と考えるとそれってオタク向けカルチャー全体の構造の話ではないか
・初音ミクもそうだけど、オタク向けカルチャーでメインを張るのは常に少女の姿だ。Vtuberもほとんどは美少女キャラだ。
・もちろん女性向けのオタクカルチャーもあり男性表象もあるけど、それは常に傍流だ
・これは、「ネット上で声が大きいのは男性オタクである」ことと同時に、「少女の表象を好むのは男性オタクだけではない」ことも影響していると思う
・萌え絵は女性への性的視線をはらんでいると書いたが、同時に萌え絵のルーツには少女漫画の絵があり、また萌え絵師には女性の描き手もすごく多い
・これはなにも矛盾することではなく、単純に、多くの女性は「性的魅力がある女性」を「美しい」と感じると思う
・ようちえんのころ読む絵本のお姫様は金髪碧眼で胸元の空いたドレスを着ていたし、男性好みだろう制服に似せたミニスカートのアイドルはかわいらしい
・それはもしかしたら「社会からの男性的価値観の刷り込み」の結果かもしれないけど、ともかく感覚として、それらを美しいと感じる人は多い
・セーラームーンはなかよしで連載された女児向けの漫画だけど、明らかに男性向けのモチーフに満ちている。彼女たちがセーラー服である必然性もあんなにもミニスカートである必然性もまったくない
(何十万年も前の前世から続く戦いでなんでセーラー服着てんねんて話である)
・確か単行本のあとがきで、この企画は男性担当者が作者に「セーラー服の女の子のヒーローものかこうよ、ぐふふ」的な持ちかけ方をしたと描いてあったと思う。あの作品の萌芽には「男性による女性への性的視線」があったし、実際にそういう消費の仕方をされまくった
・それでもセーラームーンを批判する声が少ないのは、もちろん「フェミニズム的な考え方より先に作品が浸透した」「現在の論壇の人たちが子供時代に楽しんでみていた」こともあるだろうが、セーラームーンの作品内において男性がまったく支配的でないこと(むしろ彼らは客体にしかなれなかった)、少女たちのある種ホモソーシャルな関係性が描かれていたこともおおきいだろう
・女性作家が、流麗な「女性的な」筆致で、誇りをもった存在としてセーラー戦士を描いたからあの作品は批判対象にはなりにくかったのではないか
・今、「萌え絵」と「少女漫画絵」の区別はつけにくい。もちろんどちらにも傾向はあるがネット社会において文化は常に交雑している
・萌え絵は「女性蔑視のアイコン」とされやすい文脈を持っているとかいたが、萌え絵を用いて描かれる作品の多様性にしたがって、その文脈は変化していくだろう、そうだといいな、と思う
・同時に、「男性から見た性的魅力」以外の「美しさ」も、次第に私たちの意識に浸透してきているんじゃないか
・そういう時代の変遷に希望を託しながら、なりゆきを見守っているのがいちネトフェミの現在である。
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気が付いたらブコメたくさんついてて驚いた。
1点だけ。
かき消してない、全然かき消してない。
その前段で多くの女性は「性的魅力がある女性」を「美しい」と感じる、と言ってる。
その一例としてセーラームーンの話をしている。
女性が魅力を感じる女性の表象と、男性が性的魅力を感じる表象が一致していることが現実としてある。
そして、仮に「セーラー服の女の子が戦う漫画描こうよ、ぐふふ」が萌芽にあったとしても、
現実に多くの男性に性的に消費されるキャラクターデザインであったとしても、
セーラームーンの中で確かに誇り高い女性キャラは描写され、広く女性に受け入れられた。
それは同時に起こりえることだった。
そういう話がしたかった。
セーラームーンを平気で「男の性欲が無ければ無かった存在」として扱うの、当時女児で純粋に好きだった自分としてはかなりショックなんだが。萌え絵否定のためなら女性作家や少女ファンを蔑ろにしても平気なんだね。
扱 っ て ね え よ
だめだ謝ろうかと思ったけど謝れない
もともとの文章が悪かったのかと思ったけど追記してもなおそう書くのってどういうことなんだ
ブコメだけ読まないで本文読んでください