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2024-09-07

小学生の頃に遭った痴漢(仮)について

タイトルの通り、小学生時代に遭った痴漢やそれに類することについてと、書き出してみて思ったこと。

1回目 飲食店にて

初めての痴漢(仮)は、小学校低学年の頃だった。

当時の私はピアノを習っていて、発表会に祖母と母が来てくれた。おろしたてのワンピースフリルのついたソックス、少しだけかかとの高いよそゆきの靴、いつもより豪華に結ってもらった髪にはリボンかわいい格好ができて嬉しかったのを覚えている。

発表会は市民ホールを貸しきって、昼すぎまでかかっていたと思う。早起きしたぶんお腹はペコペコで、遅めの昼食は近くて回転率がよくすぐに食べられるお蕎麦屋さんを選んだ。

昼すぎでも土日だったからか、お客さんが並んでいた。回転率のよさは知っているので、並ぶのは苦にならない。眠気も出てきていささかぼんやりしつつ、だらだらと前に並ぶ人へ続く。

すると突然、ぐいっと左手を掴まれた。反射的にそちらを見上げると、知らないおじさんが私の手をとり握手するみたいにぎゅむぎゅむ握っている。とても、とても驚いた。けれど声は出なかったし、ぴくりとも動けなかった。知らないおじさんは「可愛かったからつい」と言って、手を離して店を出て行った。

母たちは「びっくりしたねぇ」などと何だか和やかに言っていたが、私はほんとうに驚いて、つまりショックで、その後どうしたか覚えていない。もちろんかなり古い記憶なので、単純に時間経過によって忘れてしまっただけかもしれないけれど。


ほんとうに驚いたとき人間悲鳴も上げられないしすぐに逃げもできないのだな、と何だか絶望に近い気持ちになったことは覚えている。アニメドラマ刑事ドラマが好きでよく観ていた)のようにはできないのだ、と。

かわいい」は褒め言葉のはずなのに、なにも嬉しくなかった。なんとも言えないモヤモヤが澱のように腹の底に溜まった。

プライベートゾーンを触られたわけでもなく、何なら一緒にいた親族問題視したふうでもなく、法的に痴漢には分類されない体験。今でも一般的になんと分類するものか分からないままだ。それでも私の中でだけは、初めて遭った痴漢として記憶している。

2回目 通学路にて

小学校中学年の夏。

私の地元田舎で、徒歩通学だった。当時はとにかく読書が好きで、通学中は図書室で借りた本を読みながら歩くのがほとんどだった。二宮金次郎みたいに。

学校帰り、季節もあってまだまだ明るい中、いつも通り本を読みながら一人でひたすら歩く。毎日毎日そうしているから慣れたものだった。

車が1台ぎりぎり通れるくらいの、田んぼと畑と農家然とした少し古めの民家ばかりの道で、ふいに後ろから声をかけられた。自転車に乗った男子学生だった。中学生か高校生か、とにかく同じ小学生でないことしかからなかった。親や学校先生以外で年上と話す機会もそうなかったし。

喉が乾いたので飲み物を分けてもらえないか、と言われた。夏なので肩に水筒をぶら下げていたのだ。大人なのに変なの、とは思いつつ、水筒のコップ代わりの蓋になみなみ注いで渡した。

水筒お茶を飲むところをぼんやり眺めていたら、コップを持つ男子学生の手がぶるぶる震えていた。おそるおそる口をつける。そのさまを見て、なぜだか急に、明確におかしいと感じた。一気飲みはせず、謎に丁寧にお茶を飲んでから返されたコップ。水筒に戻しながら、どうやって帰ろうか不安になった。自宅までそんなに距離がなかったからだ。なぜかついてこられるのでは、と思った。その間も、ぽつりぽつりと男子学生からの問いかけが続く。いつもこの道を通るの、とか、何年生なの、とか。

今の私は何でそこで律儀にと思うが、その時は走って逃げるとか急に話を切り上げるとかい選択肢がなかった。失礼だと思ったからだ。誰か帰路の小学生でもいれば、知らない子でも混じって帰ったと思う。でも誰もいなかった。人っ子一人。えー…とか、うーんと…とか枕詞みたいに付けたふんわりした回答をしながら、子供なりに頭はフル回転していたはずだ。でも、打開策が思いつかなかった。

少しして、私たちがいた道沿いの民家から住人のおばさんが出てきた。知らない人だったけれど、何してるの、と声をかけてくれた。それを見て、男子学生は何も言わず自転車を走らせて去っていった。その背中が私の帰り道と同じ方向だったのを見届けて、まだ呆然としたままの私は、なんにもないです、とだけ答えた。知らないおばさんが「さっきの子は知り合い?」と言うので、首を振る。ちょっと回り道してから帰りなさいね、と言われた。私もそのつもりだった。

この体験も、お茶をくれと言われて分けただけで何もされていない。痴漢ではない。なので何と呼べばいいかからないけれど、自分の中ではその他の痴漢と同じカテゴリに分類して記憶していると思う。そういう系統の嫌な気持ちだった。

3回目 図書館にて

これも小学校中〜高学年頃。

私の両親は離婚しており、母に引き取られていた。夏休みに父のところへ泊まりに行っていたときだった。

例によって本が好きなので、県立図書館へ連れていってもらった。いっちょまえに児童書卒業していたので、見る本棚一般書架。父はAVコーナー(ネットカフェみたいに区切られたブースで各々映像資料が観られる。アダルト資料ではない)にいるというので、一人でゆっくり本棚を眺めていた。作者なんかは知らないから、タイトルや表紙のデザインを中心に何となく気になった本を探す。児童書に比べてかなり数が多いので、背表紙を眺めているだけでも楽しかった。タイトルしか読んでいないのに、いくら読んでも読み終わらなくて。

ふと、足元がぬるい感じがした。見下ろすと人が床に手をついてしゃがみ込んでいた。年齢は分からなかったけれど、男の人であることだけは分かった。

図書館の本棚上下左右ギチギチに本が詰まっている。下の段の本を見るには、学校ミクロマンとイジられていた私の体躯でもしゃがみ込まなければならなかったので、下の方が見たいんだなと思った。図書室で人気の本棚にみんなが密集するのはよくあることだ。と思ったけれど、はぁーーー、と長い息を膝に吐きかけられているのを見て、一気に過去の嫌な気持ちが呼び起こされてしまった。気付いていないふりでじりじりと距離をとり、別の本棚へ移動する。

何だったんだろう、と心臓がばくばく言うのを落ち着かせているうちに、暑いから息が上がっていただけでは?という気になってきた。そう思うと何をビビっていたんだろうと馬鹿らしくなって、また端から背表紙を読んで、読んで、時には取り出して表紙やもくじを眺めて。

じきに、また足元に違和感があった。今度は微妙にぺたぺた?ぬるぬる?する。見下ろすと先ほどの男の人がしゃがみ込んで、私の膝辺りを舐めていた。他人の舌が肌を這うことなどないし、誰か分からないし、理由も分からないし、どうすればいいかからなくて、なのに気付いていることを勘付かれてはいけないと咄嗟に思った。心臓はまたばくばく暴れて、目の前の本を適当に抜き取り「これにしよ」なんてわざとらしく声に出して、父のところへ逃げた。

この時に借りたのは『エリコ』という本だったと思う。いま調べてみると表紙が記憶と違っているけど、女の子モノクロっぽいイラストの表紙だったはず。父の家に戻ってから読んだけれど、分厚い上に当時の私には内容が難しくて、とても難儀した。話が全く分からなくなってから飛ばし飛ばし読んで、なんだか図書館での嫌な気持ちフラッシュバックするような描写を目にして、結局ギブアップした。主人公が高級娼婦らしいので、確かに当時の私には早すぎたし「猥雑と戦慄がからみあう、嗜虐と倒錯近未来バイオサスペンス引用元:BookLive)」はあんなことの後では取り合わせが最悪だった。今までの人生で読み始めたのにギブアップした本はこれと『ドグラ・マグラ』だけなので、すごく印象に残っている。

この体験一般的にも痴漢に入るのではないかと私は思うけれど、そのときの私には分からなかった。知らない人に舐められて驚いたし怖かったのに、誰にも言えなかった。一緒にいたのが母だったら、もしかしたら言えたかもしれない。正直、相手と同じ性別である父には言いづらいと感じた。自宅に戻ってからは、今度は今更だと思って母にも結局は言えなかった。

4回目 通学路にて

4度目は小学校高学年。

さすがに生きているだけでも変な目に遭うことはあるのだと理解していた。それに、そういう場面では声も出ないしパニックになって機敏に動くのは難しいことも。

私は護身術として極真空手に通うようになっていた。ビビって声が出ないし動けないなら、度胸をつければよいと思ったからだ。流派だの何だのはよく分からないままだけれど、男子に混じって毎週通った。練習体育館で行われていて、フローリングの上で拳で腕立て伏せをするのが大嫌いだった。骨が痛すぎるし、未だにフローリングでやることではないと思っている。

それから、通学路も勝手に変えた。2回目のときに使っていたのは車1台でいっぱいの道幅だったが、片側1車線ずつの道だ。さらに少し行くと複数車線の道もあるけれど、遠回りになるのでこちらばかりを通っていた。徒歩通学だしショートカットたかった。車通りはやはり少ない。

この時も学校からの帰り道だった。一人で帰っていて、道路の向かい側に停まった白い車から声をかけられた。運転席の窓を開けて、男性小学校へはどっちに行けばいいかと尋ねてくる。あっちです、と指をさすと、地図で教えてほしいと大きな紙を広げた。道路を挟んだままだと見えないので、道路を渡って運転席の窓から紙を覗きこむ。それは確かに地図だったけれど、地図と腹との隙間から陰茎が見えていた。数センチの隙間から、手で擦って見えたり隠れたりする陰部。

相変わらずショックではあったけれど、またか、という諦観もあったように思う。私はやはり気付いていないふりをした。努めて地図だけを見て、現在地も分からなくて、「地図読めないけどとにかくあっちです。ずーっとまっすぐ道なりで左側にあります。私はそこから来たんだから間違いないです」というふうな回答をした。

習い事があるからとその場を駈け出して、ないと思ったけど一応追ってきていないのを確認して、座り込んだ。心臓は毎度のようにばくばく言っていたけど、走ったから当たり前だなと思った。前よりも怖くなくなったし、毅然と振る舞えた気がするからたぶん空手効果はあった、と思いながら自宅へ帰った。今回もこのことは誰にも言えなかった。

思うこと色々

そういうわけで、私が小学生ときに遭った痴漢やそれに類するものは覚えている限り4回だ。多いのか少ないのかは分からない。

もちろん、中学生でも高校生でも大学でも大人になっても何かしらは遭った。それでも一番覚えているのがこの小学生時代。今やすれた30代だけれど、私も子供の頃はさすがに無垢だったのでショックが大きかったのだと思う。


どう気をつければいいのかというと、正直私は分からない。嫌な言い方だけれどもはや事故みたいなものから。防ぎようがないという意味で。ただただ、こういうことをする人がいなくなってくれればいいのだけど。

一つだけ。もしもこんなことがあったと言われたら、ちゃんと聞いてあげてほしいとは思う。

中学にあがってから路上で知らない人に突然キスされたことがある。グレてイキって気は強く成長した私は、黙り込んでいた小学生時代とは違ってすぐに学校に報告した。とにかく腹立たしかたからだ。分かることはすべて話した。場所とか、相手風貌とか、原チャだったとか。それらは全校放送で流れた。

おそらく親にも連絡が入ったのだと思う。その日の夜、養父(母は再婚した)にリビングへ呼びだされた。本当なのかと聞かれたので、本当だと答えると、場所地図で描けと言われた。不審に思いながら自宅から中学校への道順を描き、ここ、と丸をつけると、嘘だと言われた。こういう場合被害に遭った場所から描き始めるのが心理学的に普通だそうだ。私としては通学中に起きたのだから理にかなって描きやすい順番だったのだけど、そう言われた。心理学なんて分からないので反論もできなかった。原チャの車種はなんだとかも聞かれたけれど、私が知っている中での形や大きさで最も近い名称が「原チャ」だっただけで、詳しくは知らなかった。グレ友達2ケツで乗せてもらったやつくらいにしか認識していなかったから。養父趣味ハーレーがあったので、バイク中途半端に出したのもよくなかったのかもしれない。

そうして私の虚言であったとされ、おそらく学校へも連絡したのだと思う。保健室登校しても、教師がどこかよそよそしかった。あくまで私の感覚なので、実際のところは分からない。

ショックだった。折り合いの悪い養父であっても、もはや養父側の人間で信用していないと自分では思っていた母であっても、なぜだか報告すれば信じてくれると思い込んでいた。

初めて報告したらこうして狼少女にされてしまったので、前述のとおりその後も何度も変な人に遭ったけれど、誰にも話していない。

今でも覚えているので、やはり他の家庭、いわゆる子供(年齢は問わない)をもつ家庭では子供を信じてあげてほしいと思う。様々な要因で恒常的に嘘をつく子供がいたりするらしいのは知っているけれど、嘘でなかった場合に取り返しがつかないからだ。私のようになってしまう。独身の私が言うのもおかしいけど、子供は健やかにつべきだ。大人になったら嫌でもすれてしまうのに。

この文章は、職場男性から小学生にあがった娘の親バカノロケを聞かされてぶわっと思い出したまま書き殴った。

電車通学が珍しい地方小学生だった私でも、4回。0回の方がいいに決まっているので、こんなことがどこでもありうるから気をつけてあげてほしい、と言おうと思ったけれど、職場の人に実体験を話すのは憚られたので。初めて表に出して少しすっきりしたかもしれない。

2024-05-18

あぶない刑事みたいなドラマはもう作れないのか

西部警察みたいな、でも刑事貴族みたいな、でもいいんだけど、

ようするに警察バンバン拳銃撃ったりカーチェイスして車がひっくり返ったり、っていうアレ

思うに踊る大捜査線辺りから、それまでの刑事ドラマいか荒唐無稽だったか?という事に視聴者が気付き、

よりリアル刑事ドラマが好まれるようになっていったと思うんだが、それはそれで寂しくもある。

実際未だにあぶない刑事映画が作られてたりするわけで、そういう需要がなくはないと思うんだが、

やっぱり舘ひろし柴田恭兵から成立してる終わったジャンルなのだろうか

フリーレン7巻読んだよ!!!!!!

南の勇者も結局歴史に残ってんじゃねえか!!!

ああ!はあ!ああ!はあ!ああ!はあ!ああ!はあ!ああ!はあ!ああ!はあ!ああ!はあ!

そこはさぁ!!!!!!

シュタルクにも!!!!!フェルンにも!!!

語らず!!!!!!!!

フリーレンの!!!!!!

記憶だけに!!!!!!

留めておけ!!!!!!!!!

ああああああぁーーーーっっっ!!!!!!

80年経っても銅像が残ってる⁈⁈⁈⁈⁈

村の人達大事に語り継いでる??????

羨ましい!!!!!!

ああ!!!!!!

また過呼吸!!!!!

はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!

苦しい!!!!!!

ナイチンゲール!!!!!!

マロリー!!!!!!

チャーチル!!!!!!

ガンジー!!!!!!!!

ノイマン!!!!!!

アインシュタイン!!!!!!

コッホ!!!!!!!!

大隅良典!!!!!!

本庶佑!!!!!!

湯川秀樹!!!!!!

ナポレオン!!!!!!!!

いや!!!!!!!!

アレクサンドロス大王!!!!!!

神武天皇!!!!!!!!!

何十年経っても!!!!!!

何百年経っても!!!!!!

何千年経っても!!!!!!

銅像!!!!!!名前!!!!!!成し遂げた偉業!!!!!

これらが残ってる人間が羨ましい!!!!!!

一方で!!!!!!

MARCH文系卒で地方公務員の俺は!!!!!!

死んだら何も残らない!!!!!!!!!

から同期で一番早く課長になって部長区長になって局長になって!!!!!

副市長になって!!!

外郭団体理事になって!!!!!!

定年後も市政に影響するような男になれたとしても!!!!!!!!!!!

せいぜい!!!!!!

陛下から勲章貰って!!!!!!

葬式ちょっと人が多く来てくれるくらい!!!!!

ニュースにすらならないし!!!!!

Wikipediaすら作られない!!!!!!

歴史名前が残らない!!!!!!

結婚して子供作って遺伝子を残せ⁈⁈⁈⁈

非モテからそれは不可能!!!!!!

俺の親父だって俺と同じ顔で背も低い高卒郵便局員!!!!!!

現代に生まれていたら結婚不可能だったに決まっている!!!!!!!!

現代結婚には性格学歴収入と同様に顔や身長が不可欠だから!!!!!!!!

から!!!!!!!!!

俺が死んだ後の世界に「俺の生きた証」を残すには!!!

偉業を成し遂げるしかない!!!!!!

子供がいなくともその名が残るニュートンのように!!!!!!!!!!!!!!!

だけど!!!!!!!!!!!!

ああああああああああああっ!!!!!!!!

高校!!!!!!!!!

数学2B挫折して!!!!!!!!!

MARCH文系卒の地方公務員になった俺に!!!!!!!!!

偉業は成し遂げられない!!!!!!!!!

から!!!!!!

死んだら終わり!!!!!!!!!

大学生の時に社会に出られず何も成し遂げられず白血病で死んだ従兄のように!!!!!!

郵便局定年退職した後に毎日ボケっと刑事ドラマ観て病気でポックリ死んだ親父のように!!!!!

顔のない人生!!!!!!

名前の残らない人生!!!!!!

ぼく「どうしたら今死んでも後悔しないような偉業を成し遂げて、後世に名前を残し人生の生きた証を残せますか?」

馬鹿クソボケ発達「良い焼肉を食べて旅行に行って良い温泉につかりな。幸せになれるから

馬鹿クソボケ発達が!!!!!!

じゃあ俺が!!!!!!

友人と良い焼肉食って旅行行って温泉浸かったら!!!!!!!!!

それは偉業なのか!!!!!!

俺の名前歴史に残るのか!!!!!!

俺の生きた証になるのか!!!!!!

ならねえよ!!!!!!

!!!!だ!!!!!の!!!!!

消費!!!!!!!!!

ばあぁーーーーーーか!!!!!!!!

どうやったら!!!!!!

今末期癌を宣告されても!!!!!

「我が生涯にいっぺんの悔いなし!」って言って!!!

その場で自害できるような人生モニュメントを築けるか!!!!!!

聞いてるんだ!!!!!!

せっかくこの世に産まれたんだ!!!!!

消えたくない!!!

俺の存在!!!

残れ!!!!!

ヒンメル!!!

フリーレン!!!

ハイター!!!!!

アイゼン!!!!!

クラフト!!!!!

南の勇者!!!!!

助けてくれ!!!!!!

イギリスと何も関係ない!!!

俺の地元にある看護学校にすら!!!

立派な像が立つ!!!!!

ナイチンゲールのように!!!!!!

存在世界に残したい!!!!!!

従兄や親父のように!!!!!!

なりたくない!!!!!

消えたくない!!!!!

だってせっかくこの世に生まれたんだから

人生は虚しい。

2024-05-11

anond:20240511102248

でも刑事ドラマだと退治した奴は警察に捕まって罪を償うことになるだろ

2024-03-19

70代、80代の男性子供を持てるか?

とある刑事ドラマを見てた。

資産家の中で起こった殺人事件の話。

その中で性格の悪い姑が孫の父親を疑うシーンが出てきた。

嫁は「この子は〇〇さんの子です!」って涙ながらに言うんだよ。

そんで色々あって事件解決

その中で「孫は本当に〇〇さんの子だったが、そもそも〇〇さんは大旦那の子じゃなかった」ということが明らかになる。

まり性格の悪い姑が何十年も前に不貞を行いその結果できたのが後継の〇〇さんだったと言う話。

旦那あくまで脇役だから結末までその反応は一切描写がなかった。

これ残酷すぎない?

70歳、80歳になって子供自分の子じゃなかったらどうすればいいの?

俺だったら半狂乱して大量殺人とか起こしちゃうかもしれない。

その大旦那金持ちなんだけどさ、実際金を積めばおじいさんの子供産んでくれる女性っているのかな?

だって、頑張って生きてきて成功者になったのに、死ぬ手前で子孫断絶って怖すぎない?

残酷すぎるよ。

どんな男にも自分の子孫を残す権利は当然あるけど、女性しか真実はわからない。

最近DNA鑑定があるからまだいいけど、なかった時代子供を持った今の高齢者男性はかわいそう。

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

2024-03-08

anond:20240306234938

なんか刑事ドラマみたいだね。

ガスコックが1つしかないとかの理由かと。

2024-03-05

anond:20240305113956

うちの父親定年退職してから90年代っぽい刑事ドラマをひたすら見てる

アホみたいに平成初期の刑事ドラマを流してるチャンネルがあるのな

それと同時に40代くらいで時代に対する感性が止まってるんだなとも思った

2024-03-02

anond:20240302135533

普通じゃあり得ない刑事バンバン拳銃撃ってバンバン犯人殺してっていう古き良き警察ドラマだけど、

それこそ踊る大捜査線以降無理になっちゃったんだよね。視聴者が「リアリティがねぇ」とか言っちゃうから

でも本当はみんなそういう刑事ドラマ求めていて、そうなるとあぶない刑事やるくらいしかないっていう。

そういう事なんだと思うけど、いい加減柴田恭兵を走らせるのも可哀想

2024-02-24

ナイチンゲールの名声だってクリミア戦争で死んだ無数の兵士の屍がなければ残らなかったんだから、その名声は名もない兵士たちのものでもあるんだよ。モブがいなけりゃ世界は回らない。

いやだぁぁぁーー!!!!!!!!

なんでだ!!!!!!

せっかく人間として!!!!!!

この世に生まれたのに!!!

その命があ!!!!!!

誰かの名前!!!!!!

引き立てるための!!!!!!

モブとして終わるなんてぇー!!!!!

嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ

消えたくない!!!!!

終わりたくない!!!

だって!!!

せっかく!!!

人間としてこの世に生まれてきたんだ!!!

せめて千年は!!!!!!

俺の名前!!!

存在!!!!!!

生き様!!!!!!

この世に残れ!!!!!!!!

ああ!!!!!!!!!!!!

ニュートン!!

羨ましい!!!

ナポレオン!!

羨ましい!!!

チャーチル!!!

羨ましい!!!

アインシュタイン!!!

羨ましい!!!

ナイチンゲール!!!

羨ましい!!!

大隅良典先生!!!

羨ましい!!!!!!

伊藤博文!!!!!

羨ましい!!!!!!

本庶佑先生!!!

羨ましい!!!!!

俺の親父(郵便局定年退職して刑事ドラマ見る毎日だったが脳梗塞で死去。葬儀家族親族、友人、かつての同僚や部下のみで国葬報道はなし)!!!

羨ましくない!!!!ああなりたくない!!!

俺の従兄(社会名前を残すどころか社会に出る前の大学時代白血病にかかり休学。卒業できずに死去。葬式には家族親族教師や友人のみ。国葬はもちろんTVなどの報道もなし)!!!

羨ましくない!!!絶対ああなりたくない!!!

怖い!!!

消えたくない!!!!!

当たり前の感情!!!

だってせっかくこの世に人間として生まれてきたんだから!!!

俺の存在!!!!!

永遠に!!!!!

2024-02-23

ナイチンゲール

長生きした上に名前も残して、しかも自らが考案した看護師育成システム病院運営看護システム現代にも形や技術は変わりつつ残ってるとか羨ましすぎる。

あと数百年は忘れられないだろ。

まりそれだけ生きた証を残したってこと。

俺が育った町はイギリスと何も関係ない海沿いの片田舎だったけど、その近くにある看護学校にもナイチンゲールの像があった。

まりそれだけ多くの人間名前存在を刻み込んでる。

羨ましい…

羨ましい…

ああ、羨ましい…

対比して俺の人生は…

家族や友人以外の誰の記憶にも残らない…

死んで数十年経てば殆ど人間に忘れられている…

悔しい…

悲しい…

虚しい…

ああ!!!!!

過呼吸!!!!!

はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!

日本学士院賞受賞

ノーベル〇〇(平和文学経済学除く)学賞受賞

第〇〇代内閣総理大臣

第〇〇代合衆国大統領

〇年〜〇年の間、世界で一番の億万長者であった(Forbes

こういう誰にも忘れられない、何かしらの記録に残るであろう称号が欲しい!!!!!!

でも!!!!!!!!!

ただの高卒郵便局員の息子で!!!!!!

数学2B挫折してMARCH法学部に入って!!!

地方公務員になった俺には!!!!!

何も手に入らないんだ!!!!!!

死んだらそこで終わり!!!

まれ意味なし!!!!!!

虚しい人生!!!!!!

俺「死が怖いです。どうすれば生きた証をこの世界に残して後悔しない人生を送れますか?」

馬鹿旅行行って良い温泉入って良い焼肉食べなさい。幸せになれるから

はぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜???

馬鹿じゃねこいつ?

いや、旅行行って温泉入って美味い焼肉食うのが嫌なわけではないよ。

それが人類史に刻み込まれて、俺が死んでも俺の生の証がこの世から失われないってなら旅行行って温泉入って美味い焼肉食うのだって十分幸福だと思う。

でも実際死ぬ前に俺が旅行行って温泉入って美味い焼肉食ってもこの世界の誰の心にも残らないじゃないか

から旅行温泉焼肉じゃどうやっても幸福にはなれないんだよ。

医師から冷徹に「あなた状態だと平均余命は〇〇ヶ月ですね」って言われても「我が人生に一片の悔いなし!」ってその場で自害できるくらい満足できるにはどうすればいいかって聞いとんじゃボケ

どうやったら「自分の生きた証」や「人生モニュメント」を築けるかって聞いてんだよ。

集積回路発明重力波観測免疫チェックポイント阻害因子の発見に並ぶような功績をどうやってこの世に残すことができるかって聞いてんだよ。

俺は何人にも俺の人生を忘れて欲しくないんだ。

ニュートンアインシュタイン大隅良典先生が羨ましい。

結局フォーカスゴールド2B挫折してMARCH法学部から地方公務員になった俺みたいな人間病気になって死んだらすぐにこの世から忘れられてしまうのか?

もしもニュートンアインシュタイン大隅良典先生のような能力と功績がが手に入って歴史名前を刻めるなら、焼肉旅行温泉も含めこの世のありとあらゆる娯楽や享楽快楽を一生禁止されたって構わない。

この世に生きた証が欲しい。

かに今の職場仕事を頑張って区長局長さらに進んで副市長になって、定年後は外郭団体理事代表になることができれば葬式には沢山の人が来てくれるだろう。

婚活して結婚して子供を持てば子孫は受け継がれるし子育てに間違いがなければ子供や孫が墓参りにも来てくれるかもしれない。

でもそれじゃダメなんだ。

途中で俺がこの世で何よりも恐れる癌になったら?

行政官として名前を残したり孫の顔を見るなど「一般的幸せ」を手に入れるには時間がかかり過ぎるし癌というはずれくじを引かずに長生きする必要がある。

途中で死んだら何も残すことができないままこの世から消えてしまう。

最後まで頑張れたって次の世紀には誰にも覚えられていない。

そもそも、お前らはもう小松法制局長や香川財務事務次官のこと殆ど覚えてないだろ?

それじゃダメなんだ。

ニュートンアインシュタインガンジーマロリーナイチンゲールキング牧師

彼らのような自分の生の証をこの世に残してモニュメントを築いて名前を残さなきゃ生まれ意味がないんだ…

郵便局定年退職して一日中刑事ドラマ見て脳梗塞で死んで葬式には家族と友人と元同僚しか来てない父親のようになったら怖いんだ…

白血病でこの世で何も為さないまま大学時代に死んだ従兄のようになったら怖いんだ…

せっかく生まれたんだから

ああ…

怖い…

癌は怖い…

脳梗塞も怖い…

病気が怖い…

事故も怖い…

死が怖い…

いや、ただ単に死が怖いんじゃない…

「この世で何も為さないうちに訪れる死」が怖いんだ…

定年して刑事ドラマ見てたまにゴルフして誰にも知られず90歳で心不全も怖い…

ノイマンマロリーのように世界に名を残してからなら逆に早死にも怖くない

忘れられたくない

消えたくない

せっかくこの世に生まれたんだから

2024-01-21

anond:20240121001913

どこの国か知らんけど、アメリカ刑事ドラマ警察が何かやらかす度に「apologize(謝罪)」を連呼してるぞ

2024-01-16

最後投稿です

16年と半年前、57歳になったばかりの2007年9月に初めての投稿しました。その2ヶ月くらい前から閲覧はしていた気がしますが閲覧履歴のようなものはないためわかりません。

ちょうどその頃、勤務していた会社役員に昇格したばかりでした。法学部卒業新卒入社して以来、ひたすら営業畑にいた私が役員になってから与えられたのは情報システム部を含むIT分野でした。

その10年前ごろから会社パソコンが導入され始め、総務部門にいた同期が悪戦苦闘しており「大変そうだな〜」なんて気楽に思っておりましたが、まさか自分がそれらを統括する立場に置かれるとは思いませんでした。

IBM主催する勉強会に参加したり、書籍を購入したり、パソコン教室にも通い、DELLデスクトップPCを購入して大学生だった息子に助けられながら設定をしていました。

インターネット徘徊する中で見つけたのがはてな匿名ダイアリーです。

結局半年足らずで外部の専門家を雇うことになり、お払い箱になった私は金融商品を取り扱う子会社代表取締役を務め、そこもお払い箱になると取引先の名ばかり役員となって月に数回だけ会議名目で仕出し弁当を食べに行き、65歳となる2014年に完全に隠居生活に入りました。

私が本格的にここを利用するようになったのはそれからです。

毎日スケジュールは犬の散歩、朝食、昼食、刑事ドラマ、夕食のみです。買い物、旅行ゴルフ、孫、会食などが不定期で入りますが、基本的に暇なのでここで皆様の投稿を拝見したり、社会問題映画音楽歴史などについての投稿を行い皆様からコメントを楽しんでおりました。

この時期に妻と隠岐旅行に行きましたが、それもここで隠岐の魅力を語る投稿を見たことがきっかけでした。探してみましたが、残念ながら見つかりませんでした。

後にTwitterブログなども始めましたが、Twitterは見るだけになり、ブログ更新はされなくなり、継続的に利用を続けてきたのは結局匿名ダイアリーのみでした。

私が定年後もボケっとした生活をせず、さまざまなものに興味を持ち精神的なアクティブさを維持できたのははてな匿名ダイアリーのおかげです。

さて、私は大腸がんで苦しんだ祖父介護で幼少期に苦労した経験がありました。そのため、かかりつけのクリニックにてビデオスコープ内視鏡が導入されたことを知った時から定期的に胃カメラ大腸カメラを含む検査夫婦で受けてきました。

しかし、2019年最後大腸カメラを受けて以来は検査を行っていませんでした。70歳になったし、息子夫婦の末孫の小学校入学式を見たし、娘夫婦仕事が終わるまで孫を預かるようになって忙しくなったこともあり毎年「来年でいいか」となっていたのです。

なんとなく覚えたみぞおち痛で昨年にクリニックを受診し、そこで行ったエコー膵臓がんが見つかりました。超音波内視鏡ではなく通常のエコーで見つけられたので定期的に検査を受けていればもしかしたら早期発見ができていた可能性はあります

とにかく総合病院で詳しい検査を行い、手術が可能だったため膵切除を行いました。

手術ができ、化学療法も行える状態であったため命拾いしたと思いましたが、医師からは「楽観的ではいられない」と告げられました。

医療進歩によって、幼少期に見た祖父の壮絶な闘病とは比べ物にならないほど穏やかな生活を送ることができました。食事も取れていましたし、妻と買い物や旅行にもいけましたし、去年の誕生日家族に囲まれて過ごすことができました。

しかし、年明け直後の強い背中の痛みで意識を失って以来、一気に体力が削られてしまいました。75歳の誕生日は迎えられそうにないです。妻は寂しがりやなので、私が妻を看取りたかったのですが、最後最後に寂しい思いをさせてしまうことになりました。

体力のなさと慣れないiPadでの入力なので、これを書くのにも長い時間必要しました。

今までありがとうございました。

2024-01-15

anond:20240115140236

恋愛ドラマ人生ほとんど見たことがないんだけど、先日見たい番組があって忘れないように早めにテレビをつけたら

ジャニーズ岩本って人が主演でヒロイン白石麻衣恋愛ドラマをやってて終盤のシーンだけ何となく見た

どうやら白石麻衣要人という設定で岩本専属で警護を担当していて、今は危ない状況だから急きょ24時間ぴったり警護することが決まったらしい

白石麻衣はわわと慌てて「私の部屋、散らかってるから!」と一度は拒否するも、それなら……と岩本は男所帯の寮に彼女を連れ込み泊めさせることになった

そこにはキンコメ相方逮捕された芸人)の今野とこれまたジャニーズ藤原という男が住んでおり、

岩本は誰にも話を通していなかったので今野藤原は急に女性が来たことに驚き、白石麻衣男子寮に通されたことに驚いていた

しか音楽や表情もラブ&コメディ寄りで

男の子たちと同棲生活!?きゃっ!アタシこれからうなっちゃうの~~!?///」という雰囲気でその回は終了した

ドラマタイトルは「恋する警護24時」

うおお……恋愛ドラマってほんとにこういうノリなんだ……世の非ヲタ一般女性はこういうのを楽しんでるのか……と圧倒された

刑事ドラマワイドショーニュースバラエティ番組はよく見るからテレビっ子のつもりだったけど自分の「知らない世界」感がそこにあった

目がでっかいファンタジー感満載の少女漫画絵で展開されるならともかくこれを生身の30代が大真面目に演じているのがすごい

これが人気の少年漫画原作アニメコント番組一場面だったら性加害を助長してるとか教育に悪いとかいい歳してお花畑恋愛キモいとかどうのこうの言って燃やされてそうだと思った

これはまあちょっとしたラブコメシーンの範疇だと思うけど

実は少女漫画エロシーンがえげつないみたいにあまり知られていないだけで恋愛ドラマって実は色々あるんだろうなと思った

(次回の展開をチェックすることはないだろうけどもしその後白石麻衣宿泊を断固として拒否して女性の警護人を呼ぶような流れになるならごめん)

スゴイいいこと思い付いたんだけど

いいアイデア刑事ドラマにしたら面白いと思うんだけど。

AI自動運転の賢い車ってあるじゃん

あれをもっと賢くして自我があって刑事相棒って設定でいろんな事件解決していく物語

刑事ピンチを色々助けてくれるの。

こんだけ毎日自動運転の車がニュースで出てきていて

このドラマで車が活躍したらイメージアップにもなるんじゃない?

型としてはなんか面白そうじゃない?この設定。

絶対ドラマとかやったら面白いと思う!

2024-01-11

渡瀬恒彦さんという役者がなんとなく好きでね

もう亡くなってしまったんだけども

よくテレビ朝日ドラマに出てた俳優さんでさ

刑事ドラマなんかの主役やったりしてた人

おみやさんとか、9係とか、タクシードライバーの推理日誌とかね

調べてもらえれば見たことあるって人も多いと思う

あと亡くなるまで知らなかったんだけど、渡哲也さんが実のお兄さんなんだと

この人の遺作が、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』の日本リメイクドラマなんだけど

そこで癌に侵された身で、元裁判長で末期癌患者殺人犯役ってのをやっててさ

最後身体チューブ繋いだ姿で車椅子に乗りながら独白をするシーンがあって

そこで「人を殺して見たかった」って力強く言うのよ

裁判長っていうおかたい道を進んできた人物って設定でそれを言うのよ

その言葉が、まるで数々の刑事役をやってきた本人から出てきた言葉のようですげぇシビレたんよ

しかに昼間とかにやってる再放送とかなんかじゃ、この人が犯人役やってるとことか見たこと無かったしね

共演者仲間由紀恵やら柳葉敏郎やら向井理やら有名どころばっかりで

もしかして最期最期、この人の為にこれだけのメンツが集まったのか?って思うとまたシビレたね

実際に本人がどう思ってたのかはわからないし、完全に自分勝手解釈なんだけど

癌になってチューブ繋いでる自分最期の姿すら役作りや演技に使ったのかと考えたら、この人はすげぇ人だなって思えた

これが役者ってやつなのかって思った

2023-12-23

anond:20231223073446

たとえば刑事ドラマ犯人みたいにわかやす人質民間人を盾にしてるシーンが映像で流れたら、批判高まるんじゃないかな。

あとはたとえば、空爆されそうな建物屋上に縛り付けておくとか。(それをやらないのは、さすがに彼らも批判されることをわかってるからなのかなぁ。でもそれ以外の批判されうる事はいっぱいやってるよなぁ)

2023-12-22

anond:20231222170558

(*´・д・)えー、「ごっそさん」かっこいいじゃん、昭和刑事ドラマみたいでー

2023-12-06

ゆり先生赤い糸

最初1話、2話は見てたし、普段刑事ドラマばっかり見てる俺でもまあまあ楽しめた。

だけど予告で主人公恋人っぽい男ができるらしくてそれ以来見るのやめた。

既婚の人妻に年下の彼氏浮気相手って一番ムカつく演出なのよ。

最初普通に面白かったのに残念。

2023-12-05

anond:20231205154547

2023-10-06

anond:20231006092520

多分Vシネマだと思うけど、昔見た刑事ドラマ死体の指をサングラスでちょいと退けて指のタコを見てベーシストかとつぶやいてるシーンだけなんとなく今も覚えてる

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