はてなキーワード: バリエーションとは
ちなみに長命寺の桜餅は桜の葉が3枚で、しっかり香り付けされるのがキモだったりして、今店頭で売られているようなのとはちょっと違う。逆に道明寺も元は椿餅の変形なので、率直に言って今ほど美味しい感じではない(道明寺粉でつくる餅が荒い)。あとおなじみ嘯月の桜餅は長命寺仕様。
ところで春の上生菓子といえば色々あるけど、概ねどこも出すのは、桜薯蕷と春がすみ。桜薯蕷は形そのものにはそんなに違いがない(みんな薯蕷饅頭だから)が、春霞・春がすみはバリエーションが豊富すぎて店の特色が出るので、巡ってみると面白い。道明寺粉、ういろう包み、上用、いろいろ。
「まともな」道明寺桜餅をそれなりに多くのところで売ってる店といえば鶴屋吉信。もちろん今月も売ってるよ。今月は春詩というういろうの上生菓子もある。
あと名古屋なら両口屋是清の上生菓子あつかってる店舗が前からういろう桜餅を出しているから近くにあるなら行くといい。洗練された外郎上生菓子を食べられる。
「もし無人島にひとつだけ持ってくなら」の元ネタ探求をしましょうね
いくつかバリエーションがある
「無人島に[本]をn個だけ持っていくなら?」
……のような
[本]の場合に「聖書」という回答が西洋でメジャーなことから、元ネタは日本以外なのだろうとあたりをつける
調査の初手はとりあえずこれ
Desert Island Discs - Wikipedia
Desert Island Discs is a radio programme broadcast on BBC Radio 4. It was first broadcast on the BBC Forces Programme on 29 January 1942.[1]
Each week a guest, called a "castaway" during the programme, is asked to choose eight audio recordings (usually, but not always, music), a book and a luxury item that they would take if they were to be cast away on a desert island, whilst discussing their life and the reasons for their choices.
Desert Island Discs は、BBC Radio 4 で放送されているラジオ番組です。1942 年 1 月 29 日に BBC Force Program で初めて放送されました。
番組中「漂流者」と呼ばれるゲストは毎週、8 つの音声録音 (通常は音楽ですが、常にそうとは限りません)、本、そして船で漂流された場合に持っていく贅沢品を 1 つ選ぶよう求められます。 無人島での生活とその選択の理由について話し合います。
このラジオ番組の存在から1942年時点で「あるあるネタ」であることは確認できる
アメリカの一コマ漫画で「無人島もの」というジャンルが存在する……が、それが特に流行ったのはだいたい19世紀初頭頃の出来事なので"Desert Island Discs"とそう時代は変わらない
普通に考えれば『ロビンソン・クルーソー』以降なのよ
『ロビンソン・クルーソー』は1719年4月25日に出版された
これが売れて多くの人に読まれたからこそ"Robinsonade"というジャンルまで生まれた
Robinsonade (/ˌrɒbɪnsəˈneɪd/) is a literary genre of fiction wherein the protagonist is suddenly separated from civilization, usually by being shipwrecked or marooned on a secluded and uninhabited island, and must improvise the means of their survival from the limited resources at hand. The genre takes its name from the 1719 novel Robinson Crusoe by Daniel Defoe. The success of this novel spawned so many imitations that its name was used to define a genre, which is sometimes described simply as a "desert island story"[1] or a "castaway narrative".[2]
ロビンソナード (/ˌrɒbɪnsəˈneɪd/) は、主人公が突然文明から切り離され、通常は難破するか人里離れた無人島に置き去りにされ、手元にある限られた資源から生き残るための手段を即興で考えなければならないフィクションの文学ジャンルです。 このジャンルの名前は、ダニエル・デフォーによる 1719 年の小説『ロビンソン クルーソー』に由来しています。 この小説の成功により、非常に多くの模倣作品が生み出されたため、その名前はジャンルを定義するために使用され、単に「無人島の物語」[1] または「漂流者の物語」[2] と表現されることもあります。
ということは、探すなら18世紀か……
一応シェイクスピアの『テンペスト』も孤島が舞台になる物語だけど……
1611年頃
一応英wikipediaの"Uninhabited island"の"In literature and popular culture"の項にはもっと古い作品について言及がある
Uninhabited island - Wikipedia
The first known novels to be set on a desert island were Hayy ibn Yaqdhan written by Ibn Tufail (1105–1185), followed by Theologus Autodidactus written by Ibn al-Nafis (1213–1288). The protagonists in both (Hayy in Hayy ibn Yaqdhan and Kamil in Theologus Autodidactus) are feral children living in seclusion on a deserted island, until they eventually come in contact with castaways from the outside world who are stranded on the island. The story of Theologus Autodidactus, however, extends beyond the deserted island setting when the castaways take Kamil back to civilization with them.[8]
無人島を舞台にした最初の小説は、イブン・トゥファイル (1105-1185) が書いた『ハイイ・ブン・ヤクダン』で、次にイブン・アル・ナフィス (1213-1288) が書いた『テオログス・アウトディダクトゥス』が続いた。 両方の主人公(『ハイイ・ブン・ヤクダン』のヘイイと『テオログス・アウトディダクトゥス』のカミル)は、無人島で人里離れて暮らす野生の子供たちだが、最終的には島に取り残された外の世界からの漂流者たちと接触することになる。 しかし、テオログス・アウトディダクトゥスの物語は、漂流者たちがカミルを文明に連れ戻す無人島の設定を超えて広がります。 [8]
こういうmeme的というか、とりとめのない雑談のあるあるネタがいつから存在するかって探すの超大変だ
残念ながら"Desert Island Discs"の1942年以前ではっきりと「もし無人島にひとつだけ持ってくなら」のようなmemeの記述を発見できなかった
https://x.com/Circle_Halberd/status/1762628685679464845?s=20
……という嘘豆知識
正直フフッと笑ったが、それはそれとして本当の元ネタが気になるのじゃわしは
英wikipediaの"Uninhabited island"の以下の記述
The term "desert island" is also commonly used figuratively to refer to objects or behavior in conditions of social isolation and limited material means. Behavior on a desert island is a common thought experiment, for example, "desert island morality".[3]
「無人島」という用語は、社会的に孤立し、物質的手段が限られている状況での物体や行動を比喩的に指すのにもよく使われます。 無人島での行動は、たとえば「無人島の道徳」などの一般的な思考実験です。
これの出典がOEDになっている
ひょっとしたらOEDに私の欲しい情報があるかもしれないが、OEDをすぐさま読める環境にないな……
人々が「無人島にもし漂着したなら?」というIFを雑談ネタとして共有できるということは大航海時代以降……"Robinsonade"というジャンルが一般に認知されている環境……であるはず
へたすりゃギリシャ神話の時代までさかのぼることが出来るネタかもしれん
『オデュッセイア』とか……アルゴー船の冒険の話とか……船旅のエピソードがあるので、無人島に関するなんらかのミームの源流がそこにあっても驚かない
そうなったら手に負えん
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改めてこれを参考に探し直すか……元気な時に
元祖や系譜、起源、お約束、新語などに関する「まとめのまとめ」&関連リンク 『初出・系譜ポータル』 - Togetter
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19世紀後半〜20世紀前半ごろがこの問答が定番になった時期である、という可能性を探りましょうね
近代的なレジャーとしてのキャンプとか、ボーイスカウトとか……サバイバルスキルの知識が一般に広まったのがおそらくこの時期
その知識がないと無人島何持ってく問答は発展定着しにくいかもしれない
いやーでも聖書って回答が多いって話があるならサバイバルスキルの知識関係なさそうに見える……
→初期の定番問答は本を問う形式だった可能性もある、なんともいえん
サバイバルガイド的な本が19世紀に刊行されてないかを調べてみるか
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"Desert Island Discs"の1942年以前で「もし無人島にひとつだけ持ってくなら」のようなmemeの記述を発見
無人島に本を一冊だけ持ってゆくとすれば: ケペル先生のブログ
このことを最初に明言した人はだれだろう。明治期にドイツ系ロシア人の哲学者で東大で教鞭をとり、学生の人気を集めたラファエル・フォン・ケーベル(画像1848-1923)らしい。彼は「ケーベル博士随筆集」のなかで「無人島に1年間流されるとしたら、自分が選んでもってゆく一冊は、まず聖書である」と述べている。かれは次に、「ファウスト」「ホメロス」「ドン・キホーテ」、ニーチェのもの、ベートーベンの楽譜などをもって行きたいと書いている。しかし有名なデフォーの「ロビンソン・クルーソー」(1719)のなかで絶海の孤島に流れついた主人公が「聖書」を読んで信仰の支えにしたことを書いている。
発言時期が不明だが、この方は1923没なので"Desert Island Discs"よりおそらく古い
『ケーベル博士随筆集』という本に記載があるらしいが……図書館に行かないと読めない類の本だな
しかしやはり『ロビンソン・クルーソー』が念頭にある発言か……
さて、さらにこれ以前に遡れるだろうか?
ケーベル博士がロシア出身で日本にやってきた人で、"Desert Island Discs"はイギリスのラジオ番組
20世紀初頭には世界中で認知されている定番ネタということじゃないか
本があるならいくらでも読むが、どの本を読めばいいかのあたりをつけるのが難しい
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ゲーテが『私が獄につながれ、ただ一冊の本を持ち込むことを許されるとしたら、私は聖書を選ぶ。』という言葉を残しているらしい
この発言の出典元文書がちょっとすぐには見つけられていないのだが
偉人の名言は「実は言っていない」ってことが往々にしてあるから疑ってかかるスタイル
ゲーテの生没年は1749~1832
無人島に持ち込むものは何問答と直接の関係はないかもしれないが、一種のクローズド環境に何を持ち込む?という発想はこの時代からあったということ
Robinsonadeの流行で便利なクローズド環境として無人島が一般に認知された?
元々「閉鎖環境に一冊本を持ち込むなら」という発想が存在した(その一冊とはたいてい聖書、なんというか最初から聖書という答えありきの仮定に見える気がする) ↓ Robinsonadeの流行で閉鎖環境として無人島が定着した ↓ メディアの発展で本以外(レコードなど)も問われるようになった ↓ さらに時代が下り、持ち込めるものはジャンル無制限になった
みたいな流れという仮説を立てれそうだが……
まあまあ、結論を急ぐことはない
アルミの容器に入ってる味噌煮込みうどんとかチャンポンとかバリエーションがあるやつね。
なんかやけに食べたくなる時、ある。(確信)
そのままでも美味しいんだけど、あわよくば簡単に野菜とかもプラスしちゃって食物繊維とか栄養も取りたい!
今のところ乾燥わかめとニンジンを銀杏切りしてレンジでチンしてから入れるとかしか思いつかない…。
彼ぴーが普段料理しなくてインスタント系しか食べないから、隙あらば野菜とかをぶち込みたい。
(追記)
みな様ありがとう〜!一晩でこんなに知恵が集まるとは思わなかった🥲
たしかにタンパク質足りないから卵たすのもいいし、最初から切ってある野菜買うのもいい!
切り干し大根とかひじきとかは調理した事なかったけど、多めに作って冷蔵庫に入れといたら食べてくれるかな…。もはや祖母??
彼ぴー(タコピーの発音)の家にはまず塩コショウが無いので、買おうと思います…。
え!今更ちゃんとツイッター?のほうのコメントも見たけど、ドラストってみんな呼ばないの??!
そこをツッコまれるとは思わなんだ。
🍣前置き
週末になると無性に寿司が食べたくなって、大体はスーパーの安売り、たまに有名回転寿司のテイクアウトを買って食べていた。
正直、安売りでもコスパが悪くて、貯金はたまらない一方で体重ばっかり増えてきていつか辞めなきゃいけない習慣ベスト5に入っていた。
あっさりさっぱりで、シャリがなくても代わりに入れた野菜で満足感も高い。
さらにレシピを少しずつ変えるだけで、バリエーションがめちゃくちゃ多くて飽きが来ない。
これはもう🍣には戻れないなと思って、自分なりのマリネチャートを作ってみることにした。
・まずは刺し身をA~C郡から選ぶ
・オイルを選ぶ
・スパイスを選ぶ
・塩味を選ぶ
・混ぜる
以下、それぞれの説明。
・A郡(あっさり)
あじ、しめ鯖(光り物)
甘エビ
・B郡(存在感)
ぶり、はまち、かんぱち(脂乗りの悪い硬そうなのはA郡としてもOK)
・C郡(食感)
これらをスーパーで安売りされているもので組み立てるのがベター。
🙅♀不向き
個人的には、カワハギもキモ付きならそのまま食べることをおすすめしたい。なければA郡。
・A郡(うまみ)
・B郡(食感)
新玉ねぎ
・C郡(薬味)
万能ねぎ
カイワレ
生姜千切り
刻み海苔
🍣オイルを選ぶ
・ごま油
・サラダ油
🍣スパイスを選ぶ
・酢
・黒胡椒
🍣塩味を選ぶ
・塩
・しょうゆ
・ポン酢
ここでいう塩味は、そのまま塩の味という意味ではなくて、料理に対する塩分の調整のこと。
料理をする人なら気づいたかもしれないけど、実はここまで味付けという意味での塩分は加えられてない。
調理工程は基本的に適当に混ぜるだけ。慣れてくれば15分くらい。
ただ、一つだけやっておいたほうがいいのが刺し身の水抜き。
水分が抜けることで、食感が良くなるのと臭みも抜いてくれる。
キッチンペーパーを広げて、その上に刺し身を並べて全体にできるだけまんべんなく塩をふる。
その上からキッチンペーパーを載せて軽く押し付けて10分まつ。
塩の量は目分量だけど、高い位置からふりかけるのが全体にかかりやすくてよい。
あとはトライアンドエラー。少なめから始めてちょうどいい量を見極めて下さい。
強いて言えば、刺し身全体量の2~4%くらい。(刺し身100gなら塩2~4g)
ただし、水分がペーパーに逃げるので、かけた塩の大体半分はペーパーの水分に逃げます。
葉物野菜も、塩を振ってから手で絞って水分を出しておくと、あとでベチャッとしなくていい。もちろんしなくてもいい。
・刺し身切ってペーパーに乗せる。
・調味料用意。
ウマー(゚д゚)
🍣その他のコツ
・刺し身と野菜はA~C郡でそれぞれ役割が違うので、各グループ一種類ずつは必ず入れることを意識する。
ないときは仕方ない。きっぱり諦める。
刺し身は柵でも切り身でも。柵なら薄めに切る。それよりも安さが正義。
薬味はできるだけ細かく。
・レモン汁はアホみたいにかけてもいい
酢の酸味と違ってとにかくさっぱりするする感じの酸っぱさがクセになる。
初回はこれだとかけ過ぎだなって思う倍いっていい。
生搾りだと苦味があるかも。(試してない)
厳密にどうかなんて知らん。他の料理との食べ合わせを考えた時に選べば良い。
健康気にしている人は少なめ。
外食風のガツンとした料理が食べたければ、思ってる量の倍入れる。
もちろん健康には悪い。オリーブオイルは飲んでも太らないなんて嘘。
🍣塩分気になる人
人間の体内の塩分濃度は0.9%と言われているので、食べ物全体に対して1%の塩分を意識すると良いです。(全体で300gなら塩1g)
当然ご飯の分の塩味が必要になるので、塩味グループから少し足す。
できればお酢も足したほうがいい。
その分水分が増えるので、ご飯に刻み海苔をかけてからマリネを乗せるがおすすめ。
焼海苔を手でパタパタ畳んで、折り目でちぎりながら最後はハサミで細切りにするとめちゃくちゃ簡単に刻みのりが作れる。
刺し身を選ぶときも、品質はそれほど気にせず値段だけで行ける。
さらに安いとき買っておけば冷凍もできる。解凍は自然解凍、もしくは前日から冷蔵庫解凍。
刺し身なのにそのまま食べないということが何より大正義。
🍣はこれでもう買わないでOK。
🍣を食べたいときはお店。
鬱で大学を休んでる間に気晴らしと称して焼肉屋に通いまくったので個人的な焼き方のコツを書くよー
ひっくり返す前と後の焼き時間の比率は2:1になるようにしよう
肉は意外とすぐ焼ける上にゴールデンタイムが短い
網はちょっと焦げてきたらすぐに替えよう
お店はどこでももちろん美味しいけど、個人的には焼肉の和民と系列店のかみむら牧場がおすすめ
回転寿司屋さんみたいにお肉がレーンで飛んでくる仕様になってて段違いに提供が速い、メニューのバリエーションも豊富だよ
今やってる韓国フェアの明太まぜそばがマジで狂う旨さなので食べてみて
味付けがされてる方を下にして焼き始めよう
この方が味が全体に行き渡るし余分な油が落ちておいしい
タンは速さが命
端っこが縮んで膨らんできたら素早くひっくり返そう
きましたカルビ
当然僕も大好き
これもタンと同様焼きすぎ厳禁
大判カルビは均等に火を通すのが不可能なのである程度火が通ってきたら真ん中を掴んでしゃぶしゃぶみたいに網を往復ビンタしよう
ハラミは逆に生焼け厳禁
ちょこっとだけ焼きすぎかな?と思うぐらいがベスト
シマチョウを頼もう
ぷりぷりしてない方(皮?)から焼こう
皮目はじっくり目に火を通して、焼き目が若干ついたくらいで裏返そう
レバーには命を賭けよう
ひっくり返した後焼きすぎがちなので気をつけよう
特に特徴がない
きちんとじっくり火を通そう
鶏は厚切りだと特に火が通りにくいので細かく切った方がよし
頼むな
とは言え、ギリシャ人は明らかにアルファベットというものの発明者であって、それ以前のフェニキア文字などのアブジャドとは一線を画していると思うぞ。フェニキア文字(やアラム文字や古代エジプト文字)はアルファベットではないからね。
また、ラテンアルファベットがギリシャ文字のバリエーションだというのは確かにそうなんだけれども、ラテン語に合わせて改変しているわけで、その点がラテンアルファベットをほぼそのまま踏襲した英語とは違っている。中世以降の英語は明らかに Latin-envy だろ。スペリングもそうだし古英語時代の固有文字まで廃止してラテン語(とフランス語)に媚びてやがるし。
マリオメーカー2が全盛だった頃はルイージの使い手を「ガイージ」などと呼ぶ配信者も多かった。
「ガイジ」とは「知的障害児」を略した蔑称です。英語圏でいえば「fuck」や「shit」のようなもので、人前で使うのを憚るべき単語でありながら、ネットではよく蔓延しています。
元々、主に関西圏の小中学生が使っていた極めてローカルな単語で、一度は死語として葬られていました。しかし現在は蘇ったうえに全国区まで広がっています。
配信者のメールアドレスを勝手に使ってサイトに登録されてる、という不憫な話の中で
もうね、あの… スパムっていうか確実に… なんつったっけな…
この方は普段は穏便で、昔こそ「デリカシーがない」などと言われていたけれど、数多のアップデートを経た結果、今では様々な立場の人への配慮もこなすようになった、国内最大級の動画配信サイト OPENREC.tv のトップ人気配信者だ。問題の発言は、いわゆるキレ芸の中なので言葉が荒くなってる事自体は面白くていいのだが… この差別語は未だ手付かずのようだ。ふつうに使って良い『バカ』の延長線上にある侮蔑語のバリエーションの一つだと認識してるのでは、と思う。
ところで先に上げた解説ブログによると、この差別語を擁護する論もあるようで、個人的には嘆かわしいと感じる。
“ガイジ”擁護論には「勝手に傷つくほうが悪い」「言われるほうにも原因がある」「無意識に差別しているから傷つく」「ジョークだからそのぐらい流せ」などの詭弁が多いですが、「“ガイジ”があるから他の罵倒語が生まれずに済む」という必要悪説は少し興味深いです。
必要悪説の大筋はこうです。「昔は池沼・チテ・キチガイなど、キツい侮蔑語はいくらでもあった。それがよりキツい“ガイジ”の復活によって霞むなり希釈されるなりしてきた。“ガイジ”を消しても、より陰湿で野蛮な侮蔑語が生まれるだけ。必要悪として“ガイジ”という単語の存在を受け入れるべき。」
「生産性」というのはさまざまな算出式がある。
「少ない労働者で多くを生産する」という算出式は本質を見ていない。なぜなら労働者を設備投資に回してもコストはかかるからである。
そこで労働者や設備投資にかかるコストそのものを分母に置くことができる。こうすると「1円投資したら、どれだけの利益を生み出すか」を表すことができる。
そしてこれが生産性の本当の意味だ。これは企業が「利潤=収益 - コスト」を最大化すれば、生産性は最大化される。
まず円安であるということは海外にモノが売れるということなので、貿易で利益を増加させるべきだろう。つぎに海外へ売り込む製品のバリエーションを増やしたりイノベーションを生み出すことも重要だ。
ただし、国民の幸福度という単位で見ると、別の生産性の式がある。労働時間あたりの利益である。少ない労働時間でより多くの利益を生み出せば、生産性が高いと言える。ここでの利益とは収入のことではなく、企業としての収益である点に注意がいるが「労働時間あたりの実質賃金」であれば、国民の幸福に直結する指標とも言える。
実質賃金(W)を労働時間あたりの賃金、企業の収益(R)、企業のコスト(C)とし、生産性(P)を企業の収益とコストの比率と定義。すなわち、
P = R/C
ここで、労働時間あたりの実質賃金(W)と生産性(P)の関連性を示すために、企業のコスト(C)を労働者の数(L)と労働時間あたりの実質賃金(W)の積と仮定。すなわち、
C =L⋅W + α
P = R/(L⋅W + α)
つまり、生産性は企業の収益を労働者の数と労働時間あたりの実質賃金で割ったものとなる。
この数式は、労働者一人あたりの収益(R/L)が労働時間あたりの実質賃金(W)でどれだけ生産できるかを示す。
この数式から、労働時間あたりの実質賃金が増えれば生産性が下がり、逆に労働時間あたりの実質賃金が下がれば生産性が上がることが読み取れる。
プログラマーに置き換えてみよう。年収300万のプログラマーAliceと年収1000万のプログラマーBobがいるとして、AliceとBobはそれぞれ収益を600万、1000万生み出した。この2人の生産性は、Alice=600/300=2, Bob=1000/1000=1であり、Aliceの生産性が高いと結論づけられる。
女性は胸が大きいとデメリットが多いので羨望より同情の声が集まる。
デメリットは走れない、運動できない、首と肩がこる、下着の価格が高い、下着のデザインが選べない、服のバリエーションが少ない、一部の人達から卑猥な言動をされる確率が高いetc。
胸が小さい人は大きい人に劣等感を抱くみたいな女の戦いを望む方達には申し訳ないがそんなものはほぼない。男性に娶られることが生きる全てだった(男性に好まれる身体付きを誇る)時代ならまだしも今はそんな価値観は廃れきっている。
むしろ女性に好まれる服装や体型は巨乳には向かない。なので多くの女性にとって巨乳は生理レベルの身体的デメリットなのだと思う。
[B! フィギュア] 『グリッドマン ユニバース』宝多六花の太ももが急成長! 描き下ろし衣装のフィギュア化決定
↓
坂本勝 @tuki3002
自分の描き下ろしのやつはフィギュア買ってくれる層へのバリエーションの一つだと思ってたんですが、自分の絵の表現が下手なばっかりに不快に思われた方も見かけるのでそこは本当に申し訳ありませんでした…
坂本勝 @tuki3002
与えられた仕事がない時は自分で仕事を見つける必要がありますが、やる価値のあることは少ないのです。
やってコストになるならやらないほうがマシです。
それで、私は「これをやってほしい」とあちら側からやってくるのを切望しているのです。
社畜といえばそれまでですが、私は金儲けは得意ではないので、金儲けの戦略を考えるような話では戦力外です。
「生産性を上げるためにこういうツールが必要だ、作ってくれ」という話ならば、やる気が湧くのですけどね。
それはそうと、私のチェスの腕前は素人レベルなのですが、chess.comで勝つといい気分になります。
結局、チェスとは1日における有限の集中力の割り当てゲームです。休日に朝起きて、朝食を食べた後ぐらいにやれば勝率が格段に増加します。
しかし調子に乗って二戦やると、すでに集中力を使っているので負ける公算が高いのです。
何か新しい趣味はないだろうか、と探し続けてしばらく経ちますが、ブログの執筆というのが一番しっくりくるような気がしているのです。
私はこれまでに何種類かのブログを書いてきました。
学生時代はサイバーセキュリティのブログ、就職後は自然言語処理ブログ、あとはいくつかの黒歴史です。
バカも黙っていれば利口に見えるというのは、聖書にすら書いてあります。
ブログなど書いても、チェスの集中力の話と同じで、いつか気力の弱い時にボロが出るだけでしょう。
それよりも一冊、フィクションの小説を書いてみるというのはどうでしょうか。
いや、私は知っています。世の中には溢れんばかりの小説がありますが、その需要は限界を迎えていることを。
例えばこういうのはどうでしょう。つまり、語り弾きの録音をして、soundcloudで発信するというのは?
もしかすると、アウトプットのできる趣味を求めるのが間違っているのかもしれません。
そもそもアウトプットは社会を前提とします。私の脳が社会的本能を持ってしまっているために、社会に何かを出したいと思ってしまっているのです。
しかし誰かに認められることなく、家の中で数学をやっている虚しさを私は経験しています。
結局学問というのは、社会に成果を発表してこそやる意味があるのです。今、卓上で宇宙の真実を発見したと言っても、虚しいだけです。
では趣味全般が、社会との交点を有意義さのために必要とするのでしょうか。
いえ、そんなはずはありません。私の母親は趣味で農業やダイビングをやっていますが、情報発信などせずに充実しているようです。
そうすると、なぜ私は社会のことを過剰に気にしてしまっているのでしょう。
それについては、たぶん私の「新規探究性」にあると思います。遺伝的に私は新規探究性が高いので、ようするに新しいことをしたいのです。
インターネットに不満を感じ始めたのは、目新しさが減り、なにもかもがありきたりに感じ始めたからかもしれません。
私はtiktokが出た時も、「ありきたりなアイデアだなぁ」と思っていました。
マルチメディアは動画・画像・テキスト・音声ぐらいしかなく、そのバリエーションで言えば、動画の次元である「再生時間」に制限を加えたSNSが出てくることぐらいは誰もが予見していたでしょう。
生成AIが出た時は、「AIもここまで進歩したか」とちょっと驚きましたが、触ってみるとすぐに飽きるのです。小説AI,ChatGPT,画像生成など色々試しましたが、AGIが出てこない限りはあまり驚くこともないでしょう。
https://anond.hatelabo.jp/20240205173407
この記事が掲載されているWebサイトの運営元は「小学館メディアプロモーション」という会社らしい。事業内容は「小学館グループを始めとして、出版社が運営するメディアの広告営業、BtoB ビジネスコンサルティング、デジタルマーケティングを行います。メディアとコンテンツがクライアントの課題に対しどのような役割を果たせるかを第一に考えています。」とある。小学館は「マンガ・キャラクターのビジネス活⽤」でずいぶん儲けているのだろうけど、なんか漫画家や作品へのリスペクトが全く感じられず、Webサイトを眺めていたら気分悪くなってきた。
この編集長のインタビューでヤバいのは「大人女性の心をつかむ豊富で多彩な漫画が、タイアップにも活躍します。」「多彩な作品群はタイアップやメディアミックス化にもマッチ」「作品のバリエーションが多いと、さまざまな企業とマッチングしやすく、また会社のイメージや要望に合う漫画が選びやすいことから、タイアップの可能性も大きいといえます。」「これからもドラマや映画サイドに興味を持って頂ける作品をつくっていくことも一つの大きな目標です」など、漫画作品を「メディアとコンテンツがクライアントの課題に対しどのような役割を果たせるか」のパーツとしか考えていないところ。
「第一コミック局 編集者一同」名義の声明文でも「そもそも『セクシー田中さん』のドラマ化を発案したのはどこの誰か?」に関する説明はなく、ひたすら「出版社と契約している漫画家さんたちに著作権があることは当然のことなんですよ」と言っているだけで、何の釈明にもなっていない。「『セクシー田中さん』を金儲けビジネスに利用した結果こんなことになって申し訳ありません」ぐらい書いてくれるのかと思ったのに、期待はずれだった。